秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

江崎道朗

1836/2018年8月-秋月瑛二の想念②。

 一 「知識」や「思考」の作業やそれを発表する作業もまた、<食って生きて>いくことと無関係ではありえない。綺麗事や理念のために「知的」営為が行われてきたとは全く限らない。
 こう前回に書いた。ではこのブログ欄はどうなのかが問題になる。やはり昨年に何度かつぎのように書いていた。
 大海の深底に棲息する小さな貝の一呼吸が生じさせる海水の微少な揺れのようなものだ。
 全ての個人・組織(・団体)から「自由」であり、「自由」とは孤立している、孤独だ、いうことでもある。
 というわけで、かりに「知的」営為だとしても(少なくとも、単にうまい、きれい、かっこいいとだけ何かに反応しているのではない)、私の場合は<食って生きて>いくことと何の関係もない。生業・職業ではないし、何らかの経済的利益を生む副業でもない。誰かに命じられて書き込んで「小遣い銭」をもらっているわけでもない。
 しばしば何のためにこの欄を、と思ってきて、途中で止めようと思って放置したこともあった。せいぜい読書メモとしてでも残していこうかと思って1800回以上の投稿になったのだが、このブログ・サイトというのは自分が感じまたは考えたことを時期とともに記録し、検索可能なほどにうまく整理してくれる便利なトゥールだと徐々に明確に意識したからだろう。
 このような<自分のための>という生物の個体固有のエゴイズム以外に、この「知的」営為の根源はないだろう。
 ときに閲覧者数が数ヶ月にわたってゼロであれば(数字だけはおおよそ分かるが、かなり早くから-日本国憲法「無効」論者から「どアホ!」と貼り付けられてから-、コメント・トラックバックを遮断している)止めようかと思ったりする。それでもしかし、つまり読者ゼロでも、上の便利な機能は生きているので、やはり残して、気がむけば何かを表現しようとし思っている。
 最近はこういう秋月瑛二のような発信者も多いかもしれない。
 しかし、新聞・雑誌に活字になる文章やテレビ等で発言される言葉には「知的」作業そのものだったり、その結果だったりするものの方が多いだろう(政治・社会に直接の関係がなくとも)。
 二 そのような「知識」や「思考」の作業あるいは「知的」営為は、いかなる<情念>あるいは<衝動・駆動>にもとづいてなされているのだろうか。近年は従前よりも、こうしたことに関心を持つ。
 だいぶ前にJ・J・ルソーの<人間不平等起源論>を邦訳書で読み終えて、この人には、自分を評価しない(=冷遇した)ジュネーブ知識人界(・社交界?)への意趣返し、それへの反発・鬱憤があるのではないか、とふと感じたことがあった。
 ついでに思い出すと(この欄で既述)、読んだ邦訳書の訳者か解説者だった「東京大学名誉教授」は、その本の末尾に、「自然に帰れ!」と書いたらしいルソーに着目して、ルソーは自然保護・環境保護運動の始祖かもしれない旨を記していた。「アホ」が極まる(たぶんフランス文学者)。
 戻ると、「知的」文章書き等のエネルギーの多くは、①金か②名誉だろう。
 別の分類をすると、A・自分が帰属する組織(新聞社等)の仕事としてか、またはB・フリーの執筆者として(対価を得て)、「知的」文章書き等をしているのだろう。
 後者には、いわゆる評論家類、「~名誉教授」肩書者、現役大学教授や大手研究所主任等だが本来の仕事とは別に新聞や雑誌等に寄稿している者も含む。
 これらA・Bのいずれの場合でも、①金の出所にはなる(義務的仕事の一部か又は原稿料としてか)。
 また、Aの場合でも、自分が帰属する(何らかの傾向のある)組織の中で目立って社会的にはかりに別としても組織内で「出世」することは、つまるところは金または自分の生活条件を快適にする(良くする)ことにつながるだろう。組織・会社の一員としての文章であっても、<名誉・顕名→金>なのだ。
 Bの場合には、<名誉・顕名→金>という関係にあることは明確だろう。
 そして名誉又は顕名、要するに<名前を売って目立つ>ためには同業他者と比べて自分を<差別化>しなければならない。あるいは<角をつける>必要がある。
 そのような観点から、敢えて人によれば奇矯な、あるいは珍しい主張を文章化する者もいるかもしれない。
 但し、この場合、a文筆が完全に「職業・生業」であるフリーの人と、b別に大学・研究所等に所属していて決まった報酬等を得ているが、随時に新聞・雑誌等に「知的」作業またはその結果を発表している人とでは、分けて考える必要がおそらくあるだろう。
 食って生きる-そのための財貨を得る、ということのために、a文筆が完全に「職業・生業」の人にとっては、原稿等発表の場を得るか、それがどう評価されるかは直接に「生活」にかかわる。なお、おそらく節税対策だろう、この中に含まれる人であっても「-研究所」とかの自分を代表とする法人を作っている場合もある。
 櫻井よしこ、江崎道朗。武田徹、中島岳志の名前が浮かんできた。
 四人ともに、それぞれに、上に書いたことに沿って論じることもできる。
 それぞれについて、書きたいことは異なる。しかし、書き始めると数回はかかるだろう。

1827/読書しないでメモ。

 WiLL8月号増刊・歴史通(ワック、2018)。
 歴史通(ワック)というのはワックの季刊誌かと思っていたが、今は月刊誌の増刊号という扱いなのだろうか。
 表紙に、<朝日・NHKが撒き散らす「歴史」はフェイクだらけ>とある。
 朝日・NHKが撒き散らす「歴史」はフェイクだらけ、だとして、では、月刊Willの執筆者(・編集者)が撒き散らしている、いや失礼、適切に?伝播させている「歴史」には、「フェイク」はないのだろうか
 月刊正論、月刊Hanada、月刊WiLLの歴代編集者や執筆人の多くは、<日本会議史観>に染まってはいないのだろうか。「東京裁判史観」とか故渡部昇一のように言い出すと、すでにおかしい。
 櫻井よしこは国家基本問題研究所理事長だが、この「研究所」の評議員を務める編集者もいた。
 そして、伊藤哲夫、櫻井よしこ、江崎道朗らは、なぜかまず、聖徳太子の<十七条の憲法>を高く評価する。
 聖徳太子は皇族だったとされる。しかし、聖徳太子は神道よりも仏教に縁が深く、かつ政治的には敗北者だった。
 聖徳太子および近接の天皇・皇族たちの墓地(御陵)は飛鳥を含む奈良盆地にはなく、いまの大阪・南河内にある(太子町!)。伊藤哲夫、櫻井よしこ、江崎道朗らは、なぜかを説明できるのだろうか。
 日本にもかつて<憲法>があったなどという<言葉・概念>の幼稚なトリックに嵌まっていなければ幸いだ。
 つづいてなぜか、1000年も飛んで、後醍醐天皇も通過して、<五箇条の御誓文>を褒め讃える。
 そして、江崎道朗は、十七条の憲法・五箇条の御誓文・大日本帝国憲法は「保守自由主義」で一貫しているのだとのたまう。
 こういう単純化はたいていか全てそうだが、間違っている。<フェイク>の最たるものだ。
 ところで、こういう増刊ものは、新しい論考や座談だけではなくて、すでに発表されている論考等を再度掲載していることがある。
 <一粒で二度おいしい>のは出版社(・編集者)と執筆者(余分の収入になるとすれば)であり、迷惑なのはきっと<知的に誠実な>、新鮮な情報を期待している読者だろう。
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 八幡和郎・「立憲民主党」・「朝日新聞」という名の"偽リベラル"(ワニブックス、2018)。
 入手して、「はじめに」だけ一瞥した記憶がある。
 八幡和郎は文筆で「食って生きている」人物のようで、多数の安っぽい書物を敬遠してきたのだが、意外によいことを書いていることを、この半年くらいに、この人のブログで知った。したがって、現在は敬遠してはいない。
 池田信夫・所長とどういう関係にあるのか詳しく知らないが、親しくはあるようだ。
 そして、池田が八幡に対して「新手の皇国史観」だと批判したら、八幡が「それはそうかもしれないけれど」とか反論していたのが面白かった。
 面白かったというのは、内容もそうだが、たぶん同じ共同ブログサイトの執筆者でありながら、相互に批判し合っていたからだ。
 内容の当否に立ち入らないが、こういう<自由さ・率直さ>はなかなか面白く、よいと思われる。
 産経新聞の「正論」欄編集者が元原稿にあった特定の人物(批判された櫻井よしこ)の名を事実上削除した感覚とは、かなり異なるだろう。
 さて、上の本。「読まない」で書くが、第一に、望むらくは、秋月瑛二が<敵視している>勢力のことをやはり批判している、と理解したいものだ。立憲民主党と朝日新聞が明記されているところをみると、大いに期待できるだろう。
 第二、私は、「左翼」または共産主義(・社会主義)者・日本共産党および<容共>の者たちを、この欄で批判している。簡単には「左翼」または「容共」論者だ。
 しかして、八幡和郎のいう「偽リベラル」とはいったいどういうつもりの呼称なのだろう。
 もちろん、「本当の」・「真の」リベラルではない、ということは簡単に理解できる。
 中身を読めば書いているのかもしれないが(そう期待したいが)、リベラルまたはリベラリズムの概念論争に決定的な意味があるとも思えない。
 気になるのは、八幡和郎は「偽リベラル」を何と簡単に呼称しているかだ。立憲民主党や朝日新聞等でははっきりしない。要するに、共産主義(・社会主義)者・<容共>者ときちんと呼称して、対決しているか否かだ。
 私の理解では、立憲民主党と朝日新聞が「左翼」の中核にいるわけでは決してない。
 しかし、<特定保守>論壇もそうなのだが、商売として<左翼>をやっている気配がたぶんにある立憲民主党と朝日新聞を攻撃すればよい、というのでは不十分だろう。
 批判の矢はきちんと、日本共産党「等」の今に残る共産主義(・社会主義)者に向けられなければならない。
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 以上の二者。いずれも、本当に「読まないで」書いてしまった。
 八幡の本は入手して数ヶ月、本棚のどこかに置いたままだ。「本来の」リベラルの立場からするという、原理的「左翼」あるいは原理的護憲派、憲法九条死守派に対する批判など、簡単に想像できそうであるからでもある。大きく間違っていれば、幸いだ。

1826/江崎道朗2017年8月著の悲惨⑱。

 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 この本が<レーニンの生い立ち>についてもっぱら、正確には一つだけの邦訳書として、「参考に」しているので、おかげで著書の執筆者、クリストファ・ヒル(Christopher Hill)について、関心をもち、知識も得ることができた。
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 既述のようにヒルは、1945-46年にLenin and the Russian Revolution(1947)を執筆し、1947年に英国で刊行し、これが1955年にクリストファー・ヒル〔岡稔訳〕・レーニンとロシア革命(岩波新書、1955年)という邦訳書となって日本でも刊行された。これは、彼の43歳の年で、原書を執筆していたのは、33~34歳のとき。
 また、80歳をすぎた1994年1月の英国新聞紙上で、私に言わせればなお<レーニン幻想>をもつことを明らかにし、「スターリンのゆえにレーニンを責めるという罠(trap of blamming Lenin for Stalin)」に陥ってはならない旨を語った。
 なお、「スターリン以降の歴代指導者」が「社会主義の原則」を踏みにじったのであって、レーニンは社会主義に向かう「積極的努力」をした、というのは現在の日本共産党の歴史理解だ。したがって、Ch・ヒルは(も?)日本共産党と似たようなことを言っていることになる。
 但し、<レーニンはまだマシだった>くらいの議論は欧米にも(当然に?日本でも)あるようだが、レーニンは<市場経済を通じて社会主義へ>の路線を確立した、とまで書いている欧米文献は見たことがない
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 さて、とりあえず、ネット上の情報によると、つぎのことは確実だろうと思われる。
 クリストファー・ヒル(Christopher Hill)、1912年2月~2003年2月。満91歳で死去、イギリス人。
 1930年代の前半、イギリス共産党に入党。共産党員となる。
 これはコミンテルンの支部としての、「共産党」と名乗ったイギリスの党だと思われる。一般的な言葉ではなく、私の造語かもしれないが、日本共産党とともに出自は<レーニン主義政党>だ。
 つづき。のち1956年に<ハンガリー事件(動乱)>をきっかけとして、離党した。
 マルクス主義歴史家としてイギリスで著名で、主要研究分野は17世紀のイギリス。
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 以上は英米語と日本語のWiki (ウィキ)でほぼ共通することを書いた(一部は私の文章だが)。
 英米語版Wikipedia は相当に詳しい。以下、それによる。
 ソ連による1956年のハンガリー侵攻の際に「多くの他の知識人たち〔党員〕」は離党したが、Ch・ヒルが離党したのは1957年の春で、「多くの他の知識人たち」と違っていた(unlike)。
 1931年にドイツ・フライブルクにいて、ナツィスの勃興を目撃。
 1934年にUniversity of OxfordのBalliol College を卒業。
 1932~1934年の間に、マルクス主義に馴染み、イギリス共産党に入党。
 1935年、OxfordのAll Souls Collegeの研究員になり、10箇月間のモスクワ旅行。
 1936年、the University College of South Wales and Monmouthshire(at Cardiff )の「助講師」。
 この年、コミンテルン設立の「国際旅団」に参加して「人民戦線」側で戦う(スペイン内戦)ことを応募したが却下された。代わりに、バスク難民救済事業に参加。
 1938年、University of Oxford/Balliol College の「研究員兼講師」(歴史学)。
1946年、<イギリス共産党・歴史家グループ>を結成。
 1949年、新設の Keele University の the chair of History に応募したが、共産党員であること(his Communist Party affiliations)を理由として、拒否される。
 以上が、江崎道朗が「参考」にした本が書かれる頃までの、かつ共産主義・共産党にかかわるCh・ヒルの「経歴」の一部だ。全くのウソではないだろう。
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 ハーヴェイ・J・ケイ(監訳/桜井清)・イギリスのマルクス主義歴史家たち(白桃書房、1989)という邦訳書がある。原書は、以下。
 Harvey J. Kaye, The British Marxist Historians (Polity Press, Cambridge, 1984).
 邦訳書によると、これはアメリカ人によるものだが、上では省略した邦訳書の副題に並べられているように、5人のイギリス・マルクス主義歴史家について叙述する。5人とは、以下。
 ①モーリス・ドップ(Maurice Dopp)、②ロドニー・ヒルトン(Rodony Hilton)、③クリストファ・ヒル(Christopher Hill)、④エリック・ホブズボーム(Eric Hobsbawm)、⑤トムソン(E. P. Thompson)
 ⑤のE. P. トムソンは、1970年代前半にL・コワコフスキを批判し、逆に後者から辛辣な反論を浴びた学者。L・コワコフスキの文章はこの欄で試訳した。トニー・ジャッㇳ(Tony Judt、1948-2010)による両者の論争?への言及についても紹介した。
 ④のE・ホブズボームについては、マルクス主義・共産主義と「ロマンス」をした、イギリス共産党員たることをやめなかった人物だと Tony Judt が描いていると、この欄で言及したことがある。
 そして、③クリストファ・ヒル(Christopher Hill)。1984年の時点で、元イギリス共産党員。
 上の本の著者自体が、マルクス主義者または明瞭な親・マルクス主義者だ。
 著者のハーヴェイ・J・ケイ(Harvey J. Kaye)はアメリカ人だが、イギリスのマルクス主義歴史学者の確かな流れ・系譜を上記の5人に見ている。
 例えば、序論で、つぎのように書く。
 彼ら(上の5人)は個別研究分野で優れているのは勿論だが「共に理論的伝統を支えてきた」。筆者(ケイ)の「論拠は、これらイギリス・マルクス主義歴史家たちが、共通の理論的問題設定に取り組んでいるという点に基礎」を置く。p.4。 
 その最終章(第7章)は「共通する貢献」と題しており、例えば、つぎのように書いている。
 彼らの研究は「総体的にみて、筆者の言う『階級闘争分析』と『底辺からの歴史』という視点から歴史研究と歴史理論の再構築をはかろうとする理論的伝統に立っている」。「特にマルクス主義との関連で言えば、彼らは、…マルクス主義あるいは史的唯物論を、階級決定論として発展させることに努めている」。p.249。  
 あくまでH. J. ケイによる見方だが、ともあれ、Ch・ヒルとは、1980年代前半の時点で、イギリス・マルクス主義歴史学者の(当時までの)5人の中の一人なのだ。マルクス主義内部の細部の論点には立ち入らない。
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 さて、江崎道朗は冒頭掲記の2017年8月の著で、いったい何ゆえに、<レーニンの生い立ち>に関して、このCh・ヒルが30歳台のとき、第二次大戦後すぐの1947年に刊行して1955年に日本語訳書となった古い本をもしかも岩波書店刊行(岩波新書・岡稔訳)の本を、<ただ一つだけ>「参考に」したのだろうか。
 大笑い、大嗤いだろう。
 <インテリジェンス>うんぬんを語る日本の<保守>派らしき人物が、当時はれっきとしたイギリス共産党員だった者が執筆したレーニン・ロシア革命に関する本を、何の警戒も、何の注意も払うことなく(まさか岩波新書だから古くても信頼が措けると判断したのではあるまい)、ただ一つの「参考」書として使っているのだ。
 この本刊行のあと晩年まで<レーニン幻想>を抱いていた人物であることは、私は突きとめた。
 なぜ、こんな安易な本の参考の仕方を江崎道朗はしているのか。
 要するに「無知」、「幼稚」の一言か二言でもよいのだろう。
 だが少し想像すれば、おそらく、レーニンの「生い立ち」を叙述する必要に迫られて、手頃に、簡単に入手できたCh・ヒル著(岩波新書)を見つけ、60年以上前に刊行された岩波新書であることも無視して、あえて使ったのだろう。
 この本以外に、レーニンの伝記的な部分を含むレーニンに特化しての研究書が邦訳書も含めて多数(しかも詳しいものが)あると想像すらしなかったようであることは、信じられないほどだ。
 江崎道朗の2017年8月著は悲惨であり、無惨だ。
 なぜ、この程度の人物が月刊正論(産経)の毎号執筆者なのか。
 なぜ、この程度の人物が<インテリジェンス>の専門家面しておれるのか。
 このような人を<培養している>のはいったいどういう情報産業界なのか。
 そして、<日本の保守>派とはいったいいかなる人たちで成っているのか。なぜ、これほどに頽廃した人々が<保守>を名乗っておれるのか。
 昨年8月に覚えた絶望的な気分を、再び思い出した。精神衛生によくない。

1825/日本の教育・大学制度-池田信夫7/6ブログを契機に。

 池田信夫の7/06ブログ掲載の資料によると、大学入学について「一般入試」、たぶん紙等での競争試験を受けて限定的な数の合格者が決定される方法、による入試方式での入学者数は、国立大学で83.1%、公立大学で71.6%、私立大学で47.9%らしい(2017年、旺文社調べとされる)。
 人数的に私立大学総計の方が多いとすると、「一般入試」以外で入学した学生の方が多いだろう。
 しかし、この「一般入試」以外は全て<裏口入学>というわけではないだろう。
 池田によると、「日本のように裏口入学が犯罪扱いされる国は珍しい」のだそうだ。
 そして、いかに「裏口入学」が日本でも多いかを示す資料として、上の資料を示している。
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 これは言葉・概念の問題だ。
 池田によると、「世界的にも一流大学は有力者や金持ちの子供が寄付金で入学するものというのが常識で、裏口入学は犯罪とは思われていない」。
 これはこれで興味深い、知見が豊かになる情報だ。
 しかし、「犯罪」=「悪」だとかりに前提にすると、日本で、一般入試以外=「裏口入学」=犯罪=悪だとは意識されていないと思われる。
 「裏口入学」という言葉・概念の使い方による。
 一般入試以外に、池田の資料によると、①公募制推薦入試、②指定校制推薦入試、③付属校・系列校推薦入試、④AO入試、がある。
 これらを「裏口入学」と観念するのは自由だが、私はそういう言葉遣いはしない。
 現行法制上許容されている入学方法だと思われ、情実・コネ等を一切排除できないのかもしれないが、これらによる入学は「悪」ではないだろう。
 そういう意味では、文部科学省前局長にかかる近日の<増収賄>とされる事例とは分けなければならない。
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 池田信夫にクレームをつけるのが、今回の元来の趣旨ではない。
 そのあとの文章のかなり多くは、共感する。一文ずつ改行。
 「日本の(特に文系の)大学は、教育機関としての機能をほとんど果たしていないが、その取り柄は、すべての受験生が同じ条件で競争する大学入試によるシグナリングの客観性だった。
 非裁量的なペーパーテストが、労働者の質を示す情報生産機能を果たしていた。
 その点数が『人格』をあらわしている必要はない。//
 企業からみると、終身雇用で採用する労働者に専門知識は必要なく、常識と忍耐力が大事だ。
 一流大学の卒業生には天才はいなくても常識があり、退屈な受験勉強を長期間やる忍耐力がある。
 人格やコミュニケーション能力は面接でみるので、大学入試は学力(学習能力)だけをみればいいのだ」。
 以上について、「一流大学の卒業生には天才はいなくても常識があり」を除いて、ほとんど全く同感する。
 これについて発展させたいが、とりあえず措いて先に進む。以下、抜粋的引用。
 池田によると、これを文科省が「改革」しようとした。
 しかし、①「入試が『人物本位』になり、面接のうまい学生が推薦で偏差値の高い私立大学に合格するようになった。彼らは人当たりがいいので営業には使えるが、学力がないので研究開発などのむずかしい仕事ができない」。
 一方、②「国公立大学は裏口が少ないので人事の評価が高いが」、③「私立文系の大部分はもはや学歴の意味をなさない」。
 この部分にはやや違和感がある。
 第一に、国立大学と私立大学の単純な二分があるように見える。たしかに、③では「大部分」とされているが。全私立大学と全国立大学について、このように簡単には言えないだろう。
 第二に、(ペーパー→)人物本位→人当たりよし→研究開発は困難、というのも、こう単純ではないだろう。
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 かねて感じてきたのは、国公私立を問わず(これらによってあるいは傾向的な差違はあるかもしれないが)、池田信夫もかねてから指摘している「日本の大学」、「特に文系の」大学や学部のひどさだ。
 これは立ち入らないが、「文系」大学・学部の教師=教授たちがいかに生産されるかにもかかわる。
 50%近くの進学率となって、いまさら旧制高校的<教養教育>に郷愁を感じるのは時代錯誤だ。
 「文系」といっても、大きくは人文系と社会系に分けることができるだろう。
 秋月によると<歴史学>はむしろ<社会系>だ。文学部に今あるかもしれない<心理学>や<地理学>は理系と人文系の両方がまじる。
 <教育学>だけは迷う。
 要するに、経済・経営・法学・歴史は<社会系>で、狭義の文学・哲学・外国語は<人文系>だ。
 むろん教育学のほかに、<法哲学>や<経済思想>等々、分類がむつかしいのはありうる。
 <社会系>に問題がないわけでは全くないが、私が感じてきたのは、相対的には、狭義の文学・哲学・外国語という<人文系>の方がひどい、ということだ。日本での英文学、独文学、仏文学、ドイツ哲学、フランス哲学、あるいは英語学、ドイツ語学、フランス語学、等々々。
 唐突だが、現在のマス・メディア、出版系の企業、つまりは情報産業の(技術または経営の観点からではなく)表舞台に立っているのは、狭義の文学・哲学・外国語という<人文系>学部の出身者ではないか。
 「文学・哲学・外国語」関係学部出身者こそが、戦後日本を奇妙なものにしてきて、きちんとした政策論・制度論をできにくくし、<精神論・観念論>的な論議を横溢させてきたように感じられる。
 もちろん、総体的かつ相対的な話として書いている。
 渡部昇一、加地伸行、小川榮太郞、江崎道朗、花田凱紀、長谷川三千子。全て、歴史以外の文学部出身だろう(外国語学部を含める)。桑原聡を含む月刊正論の代々編集代表者、月刊WiLLの編集者の出身学部を知りたいものだ。
 <歴史学>は社会系学部として位置づけられず、<文学部>の中に多くは吸収されているために、その他の狭義の文学系等の悪い影響を受けているようだ。典型例は、歴史系だとかりにしても、平川祐弘。元々、この人は狭義の文学・哲学系かもしれないが。
 上に限らない。例えば、以下の者たちは、東京大学文学部仏文学科出身だ。大江健三郎 1935年生、鹿島茂 1949年生、内田樹 1950年生。
 <左翼系>メディア・雑誌の編集者にも、圧倒的に文学部出身者が多いように推察される。
 彼らは、教育公務員試験を除いて国・地方の公務員試験をほとんどは(たぶん)目指そうとはせず(司法試験はもちろん)、企業のトップ「戦士」にもなりたくない(または、企業の方が経済学部や法学部系を優先する)。
 かくして残るは<マスコミ>(放送・新聞のほか文藝春秋・講談社等々を全て含む)だった、という人たちも多いのではないか。
 かくして、かなり単純化しているのは承知のうえだが、日本の<マス・メディア、出版系の企業、情報産業>はおかしくなっている。
 あまり書く機会または契機がないのだが、この点はより実証的に書いてみたい。
 ともあれ、<文系>といっても、多様なのだ。
 なお、法学・経済系は立派だ、などとは一言も言っていない。このことは、法学部出身官僚の劣悪化らしき様相を見ても感じられる。
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 より大きな問題は、日本の大学制度、ひいては教育制度そのものだ。
 戦後にいろいろと変わってきた。
 例えば、1990年にあった諸銀行のうち、とくに都市銀行と言われたもののうち、今もなお名をとどめているのはきっとないのだろう。
 唐突ではあるが、しかし、小・中・高校・大学という<6・3・3・4制>は、なぜ変わっていないのだろうか。
 むろん、工業専門学校、短大、大学院、中高一貫校など、これに含めることができないものはある。
 しかし、基本的な部分は変わっていない。種々の(大学入試制度も含む)「改革」がなされてきたが-ゆとり教育?、道徳の科目化?、小学校から英語?-根本的なところは変わっていないし、根本的なところから考え直そうという議論があることも、寡聞にして知らない。
 なぜか、それは戦後の<教育制度>または大学を含む<教育制度>によって「利益を受けた」と感じている者たちの方が多いからだと思われる。
 少なくとも、制度変更およびそのための議論に参画する者たちのほとんどは、戦後の<6・3・3・4制>と大学制度に「利益を受けた」と無意識にでも感じているからだと思われる。
 意識することもしないで、当然の<所与>と感じてしまっている可能性が高いかもしれない。
 国立大学と私立大学の違いも、池田信夫も言及している「偏差値」や「ランク」も、今ある大学制度、ひいては戦後の教育制度・学校制度を前提にした話だ。
 既存の基本制度を超えて構想することのできる大人物は、日本にはいないのだろうか。
 

1820/A・ブラウン・共産主義の興亡(邦訳2012)の日本人向け序文①。

 アーチー・ブラウン/下斗米伸夫監訳・共産主義の興亡(中央公論新社、2012)。
 この邦訳書の原書はつぎで、その下に挙げる、ドイツ語訳書もある。
 Archie Brown, The Rise and Fall of Communism(Oxford, 2009 ;Vintage, 2010)
 =Archie Brown, Aufstieg und Fall des Kommunismus (Ullstein, 2009)
 これらの原書、独訳書には(当然だが)ない著者自身による「日本語版のための序文」というのが、上掲の邦訳書の冒頭に付いている。
 英国人研究者であるA・ブラウンが共産主義と日本や日本共産党との関連について言及していて、秋月瑛二にはすこぶる興味深い。
 英国の一研究者による共産主義と日本の関係の理解そのものもそうだ。しかしさらに、日本人と日本の「知識人」または知的産業従事者たちはどの程度に、このA・ブラウンの指摘または言明に共感するのか、またはそれらと同様の感覚を共有しているのか、かなりの程度の疑問を感じるからでもある。
  いくつかの点をそのまま引用しつつ、若干の感想、コメントを記したい。一文ずつ区切る。
 ①(冒頭すぐ)「共産主義は日本にとっても大きな意義を持っていた。
 たとえこの国が共産主義の支配下に入る可能性はほんのわずかもなかったとしても、である。
 第二次世界大戦後の全期間を通じて、ソヴィエト連邦からの脅威があったし、中国への不安が日本外交に影響を与えた。
 潜在的な共産主義からの攻撃に対する不安こそ、アメリカ合衆国との緊密な外交関係と軍事的協力の主要な理由であった
。」
*この四つめの文の意味を理解できないか、共感できない人々が日本の「左翼」には今でもいるに違いない。
 対等な「関係」や「協力」ではなくて「対米従属」ではないかという論点はさておき、 「潜在的な共産主義からの攻撃」、つまりかつてのソ連、中国、北朝鮮等、現在の中国・北朝鮮等による「潜在的な」または顕在的な攻撃に対する不安・恐怖を示す以上に<アメリカ帝国主義>あるいは<覇権主義・アメリカ>を批判し、攻撃する心性の人々が日本にはまだ相当数存在していると思われる。
 簡単にいって、<左翼>であり、スターリンは別としてもレーニンまたは少なくとも<マルクス>には幻想を持っている人々だ。
 ②(第三段落冒頭)「ヨーロッパで共産主義が崩壊したとき、たいていの共産党は崩壊するか、社会民主主義政党として再出発した。
 日本では、…、共産党がその党名を保ち、議会に代表を有しているという点でやや異色である

 しかしながら、…、議席ははるかに少なくなっている。
 とはいえ、日本共産党はかつてヨーロッパや北米の共産主義研究者の注目を集めていた。
 …『ユーロ・コミュニズム』として知られる改革派傾向の一翼を担ったからである。<一文略>
 地理的な隔たりがあったにもかかわらず、日本共産党はイデオロギー的に、モスクワのソビエト正統派の守護者ではなく、改革に取り組みつつあったイタリア共産党やスペイン共産党に接近したのである」。
 *上の第一・第二文のような認識・感覚を日本の多くの人または日本共産党員およびその支持者たちが有しているかは、疑わしいだろう。
 日本にまだ「共産党」が存続していることは「やや異例」だとされる。但し、私にいわせれば「かなり異例」、または少なくともふつうに「異例」なのだ。
 共産主義とか「共産党」の意味それ自体にかかわるが、この問題は、日本共産党は「共産主義」を実質的には捨てたとか、カウツキーの路線にまで戻ったとかの論評でもって無視することはできないはずだ。
 なぜなら、現在の日本共産党は今でも<ロシア革命>と<レーニン>をの積極的意味を否定していないし、自分の存在の根本である1922年に存在した<コミンテルン>の意味を否定しているわけでもない。そして「社会主義・共産主義」の社会を目指すと、綱領に公然と明記しているのだ。
 但し、著者も現時点のこととして書いているのではないだろうが、上の後半のように「ユーロ・コミュニズム」の一環、イタリアやスペインの共産党と似た類型の党として現在の日本共産党を理解することはできないだろう。すでに「ユーロ・コミュニズム」なるものはおそらく存在せず、少なくともイタリアでは1991年のソ連解体後すみやかに(当時にあつた)イタリア共産党は存在しなくなったからだ。
 日本に「共産党」と名乗る政党が存在し続け、国会に議席まで有していることの不思議さ・異様さを、より多くの日本人が意識しなければならない、と思われる。
 **関連して、<左翼のお化け>のような感が(私には)する和田春樹は、つぎのように2017年に発言していた。
 和田春樹「日本ほど左派的なインテリが多い国も珍しいのですが、それは元をたどればコミンテルンの影響が強かったことに起因しています」。
 現代思想2017年10月号/特集・ロシア革命100年(青土社)p.48。
 江崎道朗が2017年8月著でいう「コミンテルンの謀略」とは中身を見ると、要するに「共産主義(者)の(日本への)影響」ということなのだが、そんなことくらいは、知的関心のある日本人なら誰でも知っていたことで、珍しくも何ともない。
 ゾルゲがソ連の赤軍の「スパイ」で尾崎秀実が日本国内で工作員として働いたことくらいは日本史または共産主義に関心をもつ者ならば誰でも知っていることだ。そして、尾崎秀実の法廷での最終陳述書等もまた、戦後にとっくの昔に公表・公刊されている。
 (江崎道朗が2017年8月になってゾルゲや尾崎秀実がしたことを確認したとしても、何の新味もないだろう。それとも、江崎は自力で?新資料でも発掘したのだったのだろうか。)
 戻ると、日本の「左翼」の和田春樹もまた、(江崎道朗とは異なる意味での)「コミンテルン」の日本に対する影響の、現在にまで残る強さを認めているのだ。また、「日本ほど左派的なインテリが多い国も珍しい」ことも、つまりは日本の「異例」さも認めている。
 上に引用部分にはないが、和田春樹は「日本共産党」にも言及する。しかし、江崎道朗は、少なくとも戦後の共産主義や日本共産党への論及はパタリと止めて<逃げて>いる。
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  アーチー・ブラウンによる「日本語版のための序文」には、あと少し紹介・コメントしたい部分がある。

1819/江崎道朗2017年8月著の悲惨⑰。

 レーニンに関する記述のうち、その範囲は不明確だが、つぎの書物は、「…を参考に、レーニンの生い立ちを見てみよう」と明記している(p.45)。少なくともレーニンの「生い立ち」について、「参考」文献を一つだけ挙げているわけだ。その文献を、つぎの書物名の下に記す。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 クリストファ・ヒル〔岡稔訳〕・レーニンとロシア革命(岩波新書、1955年)。
 この岩波新書は、先だってその文章をこの欄でとり上げたクリストファ・ヒル(Christopher Hill)の若い頃の書物の邦訳書だ。
 のちに1994年になって、ソ連解体後にこのCh・ヒルがどのような文章を書いていたかは、江崎道朗著による「参考」の仕方と直接の関係はない。ただ、「1945-46年に」執筆して1947年に(英米語で)出版したときの基礎的な考え方をその後50年近くも<珍しくも>維持し続けたようであることは、少しは驚かされる。
 上の点はともあれ、江崎道朗がCh・ヒル著の邦訳書をレーニンの「生い立ち」についてはただ一つ「参考」にしたようであることは、ただちに、つぎの疑問を生じさせる。
 原著は1947年、岩波新書として邦訳されて日本で(日本語となって)出版されたのは1955年。
 なんとまぁ。レーニンの生涯については、「生い立ち」も含めて、おそらくは100冊以上は出版されていて、どんなに少なくとも10冊以上は日本語文献もあるだろう。なぜこの本が利用されているかについて、より具体的には、つぎの疑問が<即時に>出てくるのだ。
 第一。原著1947年、邦訳書1955年、というのはいくら何でも、古すぎるだろう。
 レーニンの党・ボルシェヴィキ(共産党)と「国家」そのものとの関係が問題になおなり得たかもしれない、あるいは「マルクス=レーニン主義」と称してマルクスと同等の地位にまでレーニンを「持ち上げた」スターリン体制のもとでは実質的に「党」=「国家」または「党」>「国家」だったかもしれない、その国家・<ソ連>の創設者だったといえるレーニンについては、とりわけ1991年12月(ソ連解体)以降は、従前とは異なる<レーニン像>が、ロシア・旧ソ連も含めて、種々に語られ、論じられている可能性がある。
 なぜ、江崎道朗は、邦訳書刊行が1955年という、とんでもなく<古い>書物をただ一つ「参考」にしたのか?
 1955年とは、宮本顕治=不破哲三を指導部とする日本共産党はまだ存在していないほどの、60年以上も前の年だ。
 第二。この1955年当時すでに、岩波書店は月刊雑誌・世界等を通じて、例えば「全面」講和か否か等の問題について、明らかに「左翼」(当時は「革新」?、「平和」系?、親ソ派?)の代表的な出版者であり、当時の「左翼」たちにとっての代表的な出版社だったと思われる。
 なぜ、<インテリジェンス>の専門家を少なくとも装っているらしい江崎道朗は、岩波書店の出版物を、こんなに安易に「参考」にするのか
 秋月瑛二もまた岩波新書等の岩波の出版物に言及することがあるが、決して<警戒>を怠ったことはない。どこかに、あるいは、ともすれば、<左翼>臭があるのではないかと、いちおうは用心する。
 この欄にすでに<岩波書店検閲済み>の近年のファシズム関係邦訳書を取り上げたことがある。さすがに岩波書店だと感じたものだ。
 要するに、なぜ江崎道朗は①1955年の②岩波書店出版物を「レーニンの生い立ち」についてのただ一つの「参考」文献にしているのか。
 つぎに、古くてかつ岩波の本であっても、内容に問題がなければ、あるいは公平に見て適正といえる範囲内にあれば、それはそれでよいのかもしれない。
 しかし、江崎道朗の叙述は、戦後・1940年代後半に執筆されたCh・ヒル著の影響を受けているに違いなく、つぎのような記述を江崎道朗の<自分自身の>文章として、つまり直接の「引用」ではなく、行っている。
 以下は、ほぼ上の江崎道朗著p.46-p.47からの「引用」。
 ①「両親ともに開明的な思想の持ち主であり、貧民救済に強い関心を持っていた。レーニンはその影響を受けて育っている」。
 ②レーニンは「極めて頭脳優秀であった」が父親の死と実兄がロシア皇帝暗殺陰謀への「連座」により「処刑」され、「テロリストの弟」とレッテルを貼られて「進路を閉ざされて苦労することになった」。〔この直後にCh・ヒル著からの引用が二文ある。〕
 ③「カザンの田舎大学の法学部にしか入れなかった」〔Ch・ヒル〕が「その大学も、学生騒動に関わって四ヶ月後に放校に」なった。
 ④「ほかの大学からは軒並み入学を断られ」、「校外生」として入ったペテルブルク大学で「成績はここでも極めて優秀だったが、常に警察の監視下にあった」。
 ⑤「出世の道を断たれたレーニンは、社会主義を学び、反帝国主義・反帝制ロシアの活動にのめりこんでいく」。
 ⑥レーニンはのち、第二インター活動家として活動し「帰国しては警察の追及を受け、脱出、亡命を重ねている」。
 ⑦「貧民や労働者の救済のために活動すればするほど、帝政ロシアに弾圧されるという繰り返しだった」。
 このあとの別の書物を「参照」したうえでのレーニンの「主張」内容の紹介も、レーニン側に立っているかのごとく<優しい>。
 上の最後の点はともかくとして(いつか触れるかもしれない)、上のような第二インターでの活動を含む「生い立ち」についての江崎の叙述もまた、まるで(Ch・ヒルと全く同じく?)じつに<穏便>で<優しく>、レーニン、そしてロシア革命、そして「社会主義・共産主義」の擁護者であるがごとき口吻がある。
 事実関係には、おそらく<ほとんど>間違いはないのかもしれない(もちろん、書かれていないことのなかに重要な「事実」が隠されていることはある)。
 しかし、「出世の道を断たれた」という記述は(Ch・ヒルを真似たのだろうが)、おそらく間違っている。
 R・パイプスの同時期のレーニンの記述も読んでいるが(この欄で試訳を昨年中に掲載している)、R・パイプスによると(記憶にさしあたり頼るが)、当時の<司法試験>に合格して<専門法曹>の資格を、レーニンは得ている。
 活動家としてしか「生きて」いけなかった、というごとき叙述は誤りだろうと思われる。
 上の⑦も、正確ではない。帝政ロシアが「弾圧」したのはそこに書いていることではなくて、帝政を敵とする刑罰法令違反行為を行ったり、大戦勃発後はロシアが敗北することを望む運動をしたから、というのがまだ正確だろう。
 つぎに、「レーニンの側」に立ったような、「進路を閉ざされて苦労」した、「成績はここでも極めて優秀だった」とかの一定の価値判断を含むような叙述がある。この二箇所だけではない。
 最後に、A/両親の影響を受けて「貧民救済に強い関心を持っ」た、B/「貧民や労働者の救済のために活動すればするほど…」という叙述の仕方は、江崎による「共産主義」なるものの理解と同様に、レーニンに極めて<優しい>もので、間違いだと考えられる。
 レーニンが目指したのは「貧民救済」あるいは「貧民や労働者の救済」だったのか?
 あるいは別の箇所での江崎によれば、「格差是正」という<平等>だったのか?
 こうした叙述を読んでいると、レーニンの<動機>は、あるいは<掲げた理念・理想>は、間違っていなかった、素晴らしいものだった、という<動機は純粋だった>論のごとくだ。
 たまたま、この欄に最近に試訳を掲載したS・フィツパトリクの本の一部に、ボルシェヴィキは<革命および共産主義(社会主義)への移行期に平等主義だと主張したことは一度もない>という旨の叙述があった。彼らが夢見た究極の(国家も法も階級もない)「共産主義」社会ではともかく、レーニンらが目指したのは決して「貧民や労働者の救済」・「平等」ではない。
 長くは立ち入らないが、これらは<ロシア帝政>打倒のための<一つの方便>だった。 
 革命成功後は<旧搾取階級>・<資本主義の階層>を<逆に>虐げたのであって、その意味では不平等に(差別的に)取り扱ったのだ。
 レーニンのそもそもの<動機>・<気分>は何だったかの解明はなかなかむつかしいだろう。
 50歳すぎるまでのあの<活力>、死後に50巻近くの全集が刊行される(20歳以降だとして1年あたり1巻以上になる)ほどの文章を書きまたは演説をした<活力>の根源をたどるのは専門家でもむつかしいかもしれない。感情、意欲の元の問題だ。
 しかし、「貧民や労働者の救済」・「平等」といった<綺麗事>・<美辞麗句>にあったのではないことは明確だと思われる。
 人間としてのレーニンの「ルサンチマン」を、江崎道朗は理解しようとは何らしていないのだ。
 この機会に私見を少し書いておくと、つぎのようだ。
 否定的または消極的に捉える(欧米の)歴史研究者もいるようだが、やはり実兄が処刑=死刑とされたことは若きレーニンにとって大きかった。
 兄の死に様も、死体そのものも、弟・レーニンは見たのだろう。
 その前のこととして、R・パイプスか誰かの記述の中に、収監されている兄を「見舞う」または「接見」?するためにウラル近辺へと母親が向かおうとしたとき、父親に代わる随行者を母親が近隣で探し、若きレーニンも同行していたが、近隣の人々は「皇帝暗殺グループの一員だった」ことを理由として、無碍に?断った、というのがあった。
 そのときの母親の様子を、レーニンは見ていただろう。自分を含む<みじめさ>を、感受性が高いときに感じただろう。
 兄を「殺し」、自分を<ひどく惨めな>気持ちにさせたロシア帝政に対して、いつか仕返し(復讐)をしてやる-これがレーニンの根本的な「怨念」の少なくとも重要な一つではなかったかと思える。
 以上は全くの、文献上の根拠はない<推測>にすぎない。
 だが、そのための手段として、まずは「人民主義者」または「人民の意思」派に接近し、アナキストからも種々学んだうえで、西方のドイツを含む欧州の<マルクス主義>を知り、これを<イデオロギーとして利用>しようと感覚的に判断したのではなかっただろうか。
 ともあれ、江崎道朗はすでに、「共産主義者」に屈服している。
 この人に、反共産主義のインテリジェンスを語る資格などはない。
 上に言及した邦訳書が岩波書店から刊行された時点で、クリストファ・ヒル(Christopher Hill)は、種々の情報からおそらく確実に、イギリス共産党の党員だった。
 <マルクス主義歴史学者>だったくらいのことは、クリストファ・ヒルに関する人物情報のどこにでも書かれているだろう。だからこそ、すなわちそういう人物が書いた「レーニンとロシア革命」だからこそ、内容的にも問題はないと確認したうえで、岩波は新書としたのだ。
 江崎道朗著は悲惨で、無惨だ。もう少しだけ、Ch・ヒルについては触れる。

1816/クリストファ・ヒル(英国)のレーニン「幻想」。

 英国の歴史研究者・クリストファー・ヒル(Christopher Hill、1912~2003)は、80歳を過ぎて、英国紙Independent の1994年1月15日号の<文化>面らしきところに、以下の文章を寄せている。同紙のサイトによる。全文を訳してみる。一文ごとに改行して、本来の改行箇所には//を付す。
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 「私は1945-46年に、<レーニンとロシア革命>を執筆した。今日では考え難いけれども、戦争中の英国とソ連との間の友好関係が成長し続けるかのごとく見えた、短い期間の間にだった。//
 外務当局が政府の承認を得て、両国の学生たちを定期的に交換留学させるという大規模な企画を考えるために、学識者の有力な委員会を立ち上げていた。
 冷戦によって、これは終わった。そして、ソ連に関して何か良いことを発言するのは、流行らない、かつある分野ではその人の評判を危うくするものになった。
 冷戦の終焉によって、イギリスとロシアの関係をより良く修復し、レーニンと彼の革命を再評価することが、いずれも可能になった。//
 本を執筆しているとき、私は、17世紀のイギリス革命、1789年のフランス革命および1917年のロシア革命の間にある共通性を抽出することを旨としていた。
 1660年の後のイングランド、1815年の後のフランスには、先立つ革命に対する苛酷な反動があった。
 しかし、イングニンドで1688年、フランスで1830年に、それらは旧体制の復活ではないことが示された。
 イギリスの革命は存続して、18世紀のヨーロッパ啓蒙時代の基礎を形作った。クロムウェルのもとでイングランドがアイルランドに従属するという恐怖があったにもかかわらず。
 テロルがあったにもかかわらず、フランス革命の理念(理想)は世界を覆い尽くした。//
 ロシア革命の元来の理念(理想)-男女の平等、諸民族の平等、働いてそれが生んだ富の配分を公正に分け合うという誰もが有する権利、怠惰な遊休階級は望ましくないこと-、これらの理念(理想)のいくつかは、ソヴィエトの現実では見られなくなった。しかしなお、これらは有効性を保っている。
 スターリニズムの虚偽と歪曲が忘れられるときに、それらの理念(理想)は思い起こされるだろう。-とくに、第三世界では。//
 毛沢東がフランス革命について語ったように、ロシア革命を適切に評価するにはまだ早すぎる。
 しかし、すでに我々には、西側資本主義の最悪の特質を真似ようとする猪突猛進行動はロシアで継続していないことが確実だ。
 失業、急騰する物価、社会保障の欠如、富のひどい不平等、統制されない民族および人種の敵対感、財産と人身に対する犯罪-これらの全てが、多くの者を、ソヴィエト体制がもったより良き展望を郷愁をもって(nostalgically)回顧させている。
 安定が最終的にやって来たときにはじめて、レーニンと彼の革命の公正な評価に至ることが可能だろう。
 スターリンのゆえにレーニンを責めるという罠(trap of blaming Lenin for Stalin)に陥らないようにするのが重要だ。二人の間に、いかなる連環(links)を見ようとも。//」
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 このCh. Hill は1947年(35歳の年)に<レーニンとロシア革命>と題する書物を刊行した。
 もっとも、ロシア・ソ連史が専門ではなく、17世紀イギリス史がそれだとされる。
 しかし、上の<レーニンとロシア革命>は邦訳されて、岩波新書の一つとして1955年に刊行された。
 この岩波新書を、レーニンの「生い立ち」やその青年時代の思考を記述するために使っているのが、つぎの本だ。
 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 上のように、ロシア革命やレーニンをなお見ているヒルの本を、江崎はどのように<参照>しているだろうか。
 実質的に、江崎著指弾へと続く。

1815/レーニン・ロシア革命「幻想」と日本の右派。

 いくつかを、覚書ふうに記す。
 一 欧米人と日本人にとっての<冷戦(終焉)>の意味の違い。
 欧米人にとって<冷戦終結>とは、世界的な冷戦の終焉と感じられても不思議ではなかっただろう。
 なぜなら、彼らにとって欧米がすでに<世界>なのであって、ソ連・東欧に対する勝利あるいはソ連・共産主義圏の解体は、1989-1991年までの<冷戦>がもう終わったに等しかったと思われる。
 欧州に滞在したわずかな経験からもある程度は理解できるが、東方すぐに地続きで隣接していた、ソ連・共産主義圏の消滅は、まさに<世界的な冷戦の終焉>と受け止められても不思議ではなかった。
 しかし、正確に理解している「知識人」はいるもので、R・パイプスはアジアに「共産主義」国が残っていることをきちんと記していたし(<同・共産主義の歴史>、フランソワ・フュレの大著<幻想の終わり>も冒頭で、欧米だけを視野に入れている、という限定を明記している。
 <冷戦が終わった>としきりと報道し、かつそう思考してしまったのは日本のメディアや多くの知識人で、それこそこの点では表向きだけは欧米に依存した<情報環境>と<思考方法>が日本に強いことを明らかにした。
 二 日本にとって<冷戦>は終わり、それ以降の新時代に入っているのか。 
 日本のメディアや多くの知識人は、共産主義・資本主義(自由主義)の対立は終わった、あるいは勝負がついた、これからは各国のそれぞれの<国家の力>が各<国益>のために戦い合う新しい時代に入っている、などという<新しいかもしれないが、しかし間違った>考え方を広く言い募った。
 しかし、L・コワコフスキの大著にある<潮流(流れ)>という語を使えば、現在のチャイナ(中国)も北朝鮮も、そして日本にある日本共産党等も、れっきとした<マルクス主義の潮流(流れ)>の中にある。
 マルクス主義がなければレーニン・ロシア革命もなく、コミンテルンはなく、中国共産党、日本共産党等もなかった。例えば、L・コワコフスキが<潮流(流れ)>最終章で毛沢東に論及しているとすれば、現在の習近平もまたその<潮流(流れ)>の末にあることは明瞭だろう。
 1990年代以降も日本共産党は国政選挙で500-600万の票を獲得しつづけ、しかも近隣に北朝鮮や共産・中国が現にあるというのに、日本近辺でも<冷戦は終わった>などという基本的発想をしてしまうのは、日本共産党や北朝鮮や共産・中国が<望む>ところだろう。共産主義に対する<警戒心>を解いてくれるのだから。
 三 <冷戦後>の新時代に漂流する右派と<冷戦後>意識を利用して喜ぶ左派。
 そういう趨勢の中に明確にいるのは1997年設立の右派・「日本会議」で、この団体やこの組織の影響を受けている者たちは、共産主義あるいはマルクス主義に関する<勉強・研究>などもうしなくてよい、と考えたように見える。
 <マルクシズムの過ちは余すところなく明らかになった>(同・設立趣意書)のだから、彼らにとって、共産主義・マルクス主義に拘泥して?、ソ連解体の意味も含めて、共産主義・マルクス主義を歴史的・理論的に分析・研究しておく必要はもうなくなったのだ。
 こうした<日本>を掲げる精神運動団体などを、日本共産党や日本の<容共・左翼>は、プロパガンダ団体として以上には、怖れていないだろう。むしろ、その単純な、非論理的、非歴史的な観念的主張は、<ほら右翼はやはりアホだ>という形で、日本の「左翼」が利用し、ある程度の範囲の知的に誠実な日本国民を正当で理性的な反共産主義・「自由主義」から遠ざける役割を果たしている、と見られる。
 そのかぎりで、「日本会議」は、日本共産党を助ける<別働隊>だ。
 四 産経新聞主流派とは何か。
 産経新聞主流派もその「日本会議」的立場にあるようで、元月刊正論編集代表・桑原聡に典型的に見られるが、共産主義や日本共産党についてまともに分析する書物の一つも刊行せず、もっぱら「日本」を、あるいは<反・反日>、したがって民族的意味での<反中国や反韓国>を主張するのを基調としている。
 この人たちにとっての「日本」とは、別言すれば皇紀2600年有余に及ぶ、観念上の「天皇」だ。
 これは、かなりの程度は「商売」上の考慮からでもある。
 日本会議やそれを支える神社本庁傘下の神社神道世界の<堅い>読者、購買者を失いたくないわけだ。
 したがって、産経新聞は、コミンテルンや共産主義よりも、<神武東征>とか<楠木正成>とかに熱を上げ、そしてまた、聖徳太子(なぜか不思議だ)、明治天皇、明治維新とそれを担った「明治の元勲」たちを高く評価し(吉田松陰も五箇条の御誓文も同じ)、明治憲法の限界・欠点よりは良かったとする点を強調する。
 小川榮太郞は、その範囲内にある、れっきとした<産経(または右派)文化人>になってしまったようだ。
 なお、江崎道朗との対談で、江崎が「100年冷戦史観」というものを語ると、「なるほど」と初めて気づいたように反応していたのだから、この人の知的または教養または政治感覚のレベルも分かる。
 いつかきちんと、出所を明記し、引用して、小川榮太郞の幼稚さ・過ちを指摘しようとは思っているのだが。
 五 以上、要するに、反共・自由主義/共産主義の対立に、日本/反日という本質的でない対立点を持ち込んで、真の対立から逃げている、真の争点を曖昧にしているのが、日本会議であり、産経新聞主流派だ。
 六 <民主主義・ファシズム>と<容共・反共産主義>
 <民主主義・対・ファシズム>という、左(中?)と右に一線上に対比させる思考(二項対立的思考でもある)が、依然として、強く残っている。
 何度も書くが、この定式・対比のミソは、共産主義(・社会主義)を前者の側に含めることだ。(「民主主義」者は、共産主義者・社会主義者に対しても「寛容」でなければならないのだ)。
 そして、とくに前者の側の中核にいるふりをしている日本共産党は、F・フュレも指摘していたことだが、つねに<ファシズムの兆し>への警戒を国民に訴える。
 日本では「軍国主義」と言い換えられることも多い。
<ファシズム・軍国主義の兆し>への警戒を訴えるために現時点で格好の攻撃対象になっているのは、安倍晋三であり「アベ政治」だ。
 この定式・対比自体が、基本的に、<容共と反共の対立>の言い換えであることを、きちんと理解しておかなければならない。
 また、<民主主義・対・ファシズム>(容共・対・反共)は日本国憲法についていうと、とくに同九条(とくに現二項)の改正(・現二項の削除)に反対するか(護憲)と賛成するか(改憲)となって現れている。二項存置のままの「自衛隊」明記という愚案?は、本当の争点の線上にあるものでは全くない。
 七 再び「日本・天皇」主義-<あっち向いてホイ>遊び
 共産主義・マルクス主義への警戒心をなくし、<日本・対・反日>を対立軸として設定しているようでは、日本の共産主義者と「左翼」は喜ぶ。<日本・対・反日>で対立軸を設定するのは、かつてあった遊びでいうと、<あっち向けホイ>をさせられているようなものだ。
 産経新聞主流派、小川榮太郞、日本会議、同会関係の長谷川三千子、櫻井よしこらはみんな、きちんと「敵」を見分けられないで、<あっち向いてホイ>と、あらぬ方向を向いている。あるいは客観的には、向かされている。
 八 残るレーニン・ロシア革命「幻想」。
 そうした「右」のものたちに惑わされることなく、日本共産党や「左翼」は、後者については人によって異なるだろうが、程度はあれ、レーニンとロシア革命に対する<幻想>をもっており、かりに結果としてソ連は解体しても、レーニンとロシア革命に「責任」があったのではないとし、あるいは彼とロシア革命が掲げた理念・理想は全く誤ったものではないとする。そのような、マルクス主義・共産主義あるいはレーニン・ロシア革命に対する<幻想>は、まだ強く日本に残っている、と理解しておかなければならない。
 不破哲三が某新書のタイトルにしたように、<マルクスは生きている>のだ。
 この日本の雰囲気は、詳細には知らないが、明らかにアメリカ、イギリス、カナダと比べると異質であり、イタリアやドイツとも異なると思われる。おそらくフランスよりも強いのではないか。そしてこの日本の状況は、韓国の「左翼」の存在も助けている。
 先日に日本の知的環境・知的情報界の<独特さ>を述べたが、それは、先進諸国(と言われる国々)にはない、独特の<容共>の雰囲気・環境だ。共産主義・社会主義あるいはそのような主張をする者に対して厳しく対処しない、という日本の「甘さ」だ。
 日本に固有の問題は日本人だけで議論してもよいのだが、マルクス主義・共産主義、ファシズム、全体主義あるいは日本にも関係する世界史の動きを、-出版業やメディアの「独特」さのゆえに-狭隘な入り口を入ってきた欧米に関する特定の、または特定の欧米人の主張だけを参照して、それだけが世界の「風潮」だとして、日本列島でだけで通じるかもしれないような議論をしているように思われる。
 また、容共の、あるいはレーニン・ロシア革命「幻想」を残しているとみられる出版社・編集者の求めに応じて、同じく「幻想」を抱く内田樹、白井聡、佐高信らのまだ多数の者が<反安倍・左翼>の立場で「全くふつう人として、とくに奇矯な者とも思われないで」堂々と<知的情報>界で生きているのは、その範囲と程度の広さと強さにおいて、日本に独特の現象ではないか、と思われる。
 むろん、その基礎的背景として、日刊紙を発行し月刊誌も発行している日本共産党の存在があることも忘れてはいけない。
 九 イギリスのクリストファー・ヒル(Christopher Hill)
 イギリスあたりは日本に比べて、<取り憑かれたような左翼>はきわめて少ないのかとも思っていたが、レーニンとロシア革命への「幻想」をもつ者はまだいるようだ。
 17世紀イギリスの歴史家とされるクリストファー・ヒル(Christopher Hill)だ。次回は、この人物の1994年(ソ連解体後)の文章を紹介する予定。

1814/江崎道朗2017年8月著の無惨⑯。

 うっかりして(よくあることだ)、前回に以下を先に挿入するのを忘れていた。
 既公表のものの大幅な修正も数字等の変更もしたくないので、前回の追加の扱いとする。
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 悲惨で、無惨だ。これは、月刊正論(産経新聞社)毎号<せいろん時評>とやらを執筆している人物が<出版>した書物なのだ(評論家?、物語作家?、著述業者?、運動団体組織員?)。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 何度目かになるが、p.95の末尾を再び引用する。
 p.95-「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。
 第一に、「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報」だというのは誤りの文ではないかもしれない。
 しかし、「それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩」だなどと豪語するのは、明らかに自分は上の「公開されている情報」を「しっかり読み込んで理解」している(した)ということを含意しており、またはそう読解されてもやむをえないものだ。そして、そうだとは全く思えない。
 すなわち、「しっかり読み込んで理解」しているのでは全くなく、数十頁の間に基礎的で致命的な「誤った」理解や不十分な理解、あるいは意味不明の叙述等をしていて、むしろ<しっかり読み込まなくて、間違って、見当違いに、理解(誤解)している>というのが正鵠を射ている。
 第二。「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報」だというのは誤りの文ではないかもしれない。
 しかし、この文は、コミンテルンの資料で「公開されている情報」は、少なくとも相当部分は、自分は「使っている」=この書で「使った」、というふうに読者の理解を誘導するものだ。
 実際に江崎道朗が「使っている」コミンテルン関係資料というのは、既述のように、「公開」されているもののうち(これを日本語に翻訳されて公に出版されているもののうち、と理解するが)、ほんの僅かにすぎない。
 すでに詳しく、述べたとおり。

1813/江崎道朗2017年8月著の無惨⑮。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)
 前回に触れたように、後掲の邦訳書の「付録資料」の冒頭に訳者・萩原直が注記を施して、この「付録資料」の大半の翻訳は村田陽一の編訳書によることを明記している。
 つぎのものだ。
 村田陽一編訳・コミンテルン資料集第1巻~第6巻(大月書店、1978-1985)。
 従って、江崎道朗は日本語によるこの6巻本が30年以上も前までに「公開」されているのを、(仮に以前は知らなくとも少なくともこの注記によって)当然に知ったはずなのだ。
 しかし、詳細で網羅的ふうに感じられるこの<コミンテルン資料集>に江崎がいっさい接近しようとした気配がないのは、何故なのだろうか。
 <コミンテルンの陰謀>を主題の一つとするかのごとき表題を付けながら、コミンテルンについて、この村田陽一編訳書を参照しようとせず、「コミンテルン」に関する叙述で萩原直の訳書に最も依拠しているのは、何故なのだろうか。
 日本の読者を馬鹿にしているか、本人の「無知」によるとしか考えられない。
 ちなみに、村田陽一編訳・コミンテルン資料集第1巻~第6巻(大月書店、1978-1985)は、この数年内の私でも簡単に入手できている。
 コミンテルンそれ自体が作成・発表した文書・資料がすでに日本語になっていることは何ら不思議ではない。おそらくは戦前から存在しており(日本に関する有名な27年や32年テーゼもある)、戦後のスターリンの死やフルシチョフ秘密報告があってもまだスターリンが日本の(トロツキストら以外にとっての)<容共・左翼>の「輝きの星」だった時期に、(レーニン全集やスターリン全集等もそうだが)スターリン期を含む戦前の<国際共産主義組織>の諸文書・資料の邦訳がないと想定すること者がいるとすれば、よほどの「無知」か「しろうと」だろう。
 萩原直訳・コミンテルン史-レーニンからスターリンへ(1998)の「付属資料」の大半が本当に村田陽一の訳と同じなのかを確認する手間はかけない。
 村田陽一編訳・コミンテルン資料集第1巻/1918-1921年(大月、1978)の概要は、つぎのとおり。
 資料件数-総数101。江崎道朗が<抜粋>だけの邦訳を見て、とんでもない誤解・無知をも示している全てで計4の文書の<全文>を含む。これらを江藤が一見すらしていないことは明白。
 以下、前回に記した江藤言及の4資料と対照させておく。右端はこの資料集第1巻での最初の頁と最終の頁だけから見た総頁数。
 ①1919.01.24/招待状-資料2(4頁)
 ②1920.07.28/民族植民地テーゼ-資料45a, 45b(8頁)。
 ③1920.08.04/規約-資料40(4頁)
 ④1920.08.06/加入条件-資料39(5頁)。
 その他、資料部分総頁-二段組み、538頁。「注解」総頁-54頁、「解説」総頁-24頁。数字つき最終頁-628(横書の頁が他にp.12まで)。
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 江崎道朗がコミンテルンについて最も依拠した、つぎの本・邦訳書の原著者はいったいどういう人物なのか。
 ケヴィン・マクダーマット=ジェレミ・アグニュー/萩原直訳・コミンテルン史-レーニンからスターリンへ(大月書店、1998)。
=Kevin McDermott & Jeremy Agnew, The Comintern - A History of International Communism from Lenin to Stalin - (McMillan Press, 1996)。

 まず明確なのは、日本語版の<ウィキペディア>には、いずれの氏名でもヒットしない。
 不十分、不正確なところはあっても、L・コワコフスキ、R・パイプス、S・フィツパトリックは、日本語版の<ウィキペディア>にも出てくる。
 つぎに明確なのは、英米語版<Wikipedia>でもKevin McDermott または Jeremy Agnew はの項目または欄はない。前者より著名らしき同名の者が、football-player や singer-song writer にはいる。後者と同名のより著名らしき、映画関係著述者はいる。
 結局のところ、Jeremy Agnew(ジェレミ・アグニュー)の現在については、かつて上の著の共著者らしいことは分かっても、それ以上に明らかにならないようだ。
 つぎに Kevin McDermott は少し前にどこかの高校の歴史の教師という知識を得たのだったが、<Kevin McDermott+historian>で、現在探してみると(といっても今日ではない)、つぎが分かった。<Wikipedia>ではなく、イギリスの大学教員紹介のサイトからだ。
 イギリス・シェフィールド大学とは別のシェフィールド・ハラム大学の「上級講師」(senior lecturer)。「20世紀東欧・ロシアの歴史家。共産主義チェコスロヴァキアとスターリニズムソ連が専門」とある。出生年不明。所属学部等には面倒だから立ち入らない。
 1998年刊行の邦訳書にはどう紹介されているかというと、K・マクダーマットは「チェコ労働運動史」、G・アグニューは「イタリア共産主義運動」の各「研究家」とカバー裏にあるだけで、訳者自身の文章(訳者あとがき)でも(本の内容ではなく)二人に関しては何も触れられていない。
 以下で触れる点も参照すると、1998年時点ではおそらく、二人ともに大学、研究所等の正規構成員ではなかったように見える。当時の推定年齢は30歳台だ。G・アグニューは20歳代後半だった可能性もある。
 いずれにせよ、K・マクダーマットは「博士」の学位はあるようだが、おそらくは50歳台以上でも(イギリスの教育・研究制度をよく知らないが)<教授職>を有しない。
 要するに、<コミンテルン史>を共著として刊行しているが、イギリスおよび英米語圏諸国でさほどに著名な、あるいは評価の高い研究者ではなく、当時はほぼ全く無名だったように推察される。
 原書刊行1996年以降のロシア革命やコミンテルン関係書物について詳しくないが、少なくとも今のところ、この著が参照されているのに気づいたことはない。
 それに、内容にもかかわるが、二人が書いている冒頭の「謝辞」によると、「まえがき」と「おわりに」を除く計6章のうち第5章は別の人物(原書によって正確に綴ると Michael Weiner, シェフィールド大学東アジア研究センター所長)が執筆しており、およそ二つの章は(二人の共同執筆なのかどちらかのものなのか不明だが)既発表の論文を修正・追加等をしてまとめたものだ。二人にとって最初の書籍公刊だった可能性が高い。
 したがつて、いちおうは年代を追って「コミンテルン史」を叙述しているが、この書で初めて体系的に整理して叙述したものでもなさそうだ。
 追記すると、20歳代(または30歳代)の若い研究者が論文類をまとめて初めて一冊の本にするのは日本でもあることだと思うが、共著というのは珍しいだろう。しかも、かりに指導教授だつたとはいえ?、一部をその別の人物が書いているのも、日本ではあまり例を知らない(「まえがき」くらいで意義を語る、というのはあるかもしれない)。
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 こんなことを書いても、江崎道朗は本文を何ら読まず、「付録資料」だけを(致命的な誤読・誤解をしつつ)利用しているにすぎないと思われるので、江崎道朗にはきっと、何の意味もないだろう。
 ただ、関心を惹くのは、第一に、大月書店が、なぜこの本の訳書を刊行したのか、ということだ。これはこの本の内容にかかわる。
 また、第二に、日本共産党直系の新日本出版社や学習の友社でなくとも、(マル・エン全集、レーニン全集等の出版元で)<容共・左翼>であって、1990年以前は明らかに日本共産党系だったと思われる大月書店の刊行物を、なぜ簡単に?江崎道朗が利用したのか、というのも不思議だ。
 加藤哲郎が<左翼>であることを多分知らないほどだから、大月書店という出版社名を何ら気に懸けなかった可能性はある。しかし、この邦訳書の巻末には、同社刊行のマル・エン全集CD-ROM版等の宣伝広告も載っていて、この社の<左翼>性に-常識的には-気づかないはずはないのだが。
 より決定的で明確な、江崎道朗の<反・反共>インテリジェンスに対する<屈服>、したがって、江崎に<共産主義者のインテリジェンス活動>を警戒すべきとするような文章を書く資格はないだろうという、江崎のこの著に現にある叙述については、さらに別に書く。

1811/リチャード・パイプス逝去。

 リチャード・パイプスが今年5月に亡くなっていたようだ。満94歳、享年96。
 Richard Pipes/1923年7月11日~2018年5月17日。
 R・パイプスの<ロシア革命>の一部の試訳を始めたのは2017年2月末か3月初めで、あれからまだ2年も経っていない。
 実質的には日本の公立高校卒業時の英語力でこの欄に自分の英訳文を何回も掲載することになるとは、その直前まで、全く想定していなかった。
 きちんと和訳してみたいと思ったのは、R・パイプス<ロシア革命>原書(1990)のボルシェヴィズムの生起から「レーニンの生い立ち」あたりを読み進んでいると(むろん意味不明部分はそのままにしつつ)、レーニンの党(ここではボルシェヴィキのこと)が活動資金を得るために銀行強盗をしたり相続人だと騙って大金を窃取するなどをしていた、といった記述があったからだ。
 のちにも、レーニンは、あるいはボルシェヴィキ党員は<どうやって食っていたのか>、つまり基礎的な生活のための資金・基礎をどうやって得ていたのか、という関心からする記述もあった。
 R・パイプスによると、少なくとも十月革命までの「かなりの」または「ある程度」の彼らの財源は、当時のドイツ帝国から来ていた。アレクサンダー・パルヴス(Parvus)は<革命の商人>と称される。
 1917年の七月事件後に成立したケレンスキー政権はその(国家反逆罪の)確証らしきものを掴んではいたが、ボルシェヴィキよりもカデットを嫌って、換言するとボルシェヴィキは<左翼>の仲間だが(ボルシェヴィキもエスエル等とともに、7月までは第三順位だが「ソヴェト」の一員の党ではあった)、カデット(立憲民主党)の方が臨時政府にとっての<敵>だと考えて、断固たる措置を執らなかった。
 戻ると、銀行強盗というのは、日本共産党も戦前にかつて行った<大森銀行ギャング事件>を思い起こさせる。
 なかなか興味深いことを多々、詳細に書いてあると感じて、この欄に少し訳出しようと思ったのが、1年余り前のことだった。
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 つぎの本は、実質的に、リチャード・パイプスの<自伝>だ。80歳の年の著。
 Richard Pipes, VIXI - Memoirs of a Non-Belonger (2003)。
 Non-Belonger の意味に立ち入らないが、VIXI とはラテン語で<I have lived>という意味らしい(Preface の冒頭)。
 すでにこの欄に記したが、この著のp.124とp.125の間の複数の写真の中に、R・パイプス、レシェク・コワコフスキ、アイザイア・バーリンら4人が立って十字に向かい合って何かを語っている写真がある。
 昨年当時にきっと名前だけは知っていたL・コワコフスキとR・パイプスが同時に写っているのはなかなか貴重だ。
 機会があれば、上の本の一部でも試訳してこの欄に載せたい。
 何箇所かを捲っていると、<ロシア革命>執筆直前の話として、E・H・カーに対する厳しい批判もある。
 1980年代前半の数年間、アメリカ・レーガン政権の国家安全保障会議のソ連担当補佐官としてワシントンで勤務した(そして対ソ「冷戦」解体の下準備をした)ことは、すでに記した。
 p.115以降にこんな文章があった。試訳。
 「ソヴィエト同盟に対する非妥協的な強硬派(hard-liner)だという私の評判は、ベイジング(北京)にまで達していた。そして、1977-78年の冬に、中国国際問題研究院からの招待状を受け取った。//
 1978年4月3日に、北京に着いた。
 街は全体として憂うつそうな印象で、ソヴィエト式のように醜かった。
 幹線道路を見渡す私のホテルの窓から、自転車をこぐ民衆の大群が見えた-それは青と緑のアリの群れに似ていた-。そして、絶え間ない自動車の警報音を聞いた。」
 北京でのセミナーで語った内容等は省略。
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 リチャード・パイプスの著で邦訳書があるのはほぼ、簡潔な<共産主義の歴史>と<ロシア革命の簡潔な歴史>だけで、しかも前者は日本では「共産主義者が見た夢」というタイトルに変えられている。
 <共産主義の消滅=共産主義・消失した妖怪>も<ロシア革命に関する三つ謎>の邦訳書もない。
 そして、重要な<ロシア革命-1899~1919>、<ボルシェヴィキ体制下のロシア>という「十月革命」前後に関する大著二つの邦訳書もない。
 「対ソ冷戦終焉」あるいはソ連解体後に、断固たる反ソ連(反共産主義)だった論者として日本の新聞、雑誌等に論考・解説が載ったり、あるいは日本のどこかで講演会くらい企画されてよかった人物だったと思うが(東欧では講演等をしたようだ)、そんなことはなかったようだ。
 L・コワコフスキは日本を訪れたことがあるらしい(軽井沢と大阪、ネット情報による)。
 しかし、R・パイプスは日本に来たことがあったのだろうか。
 いつぞや、ピューリツァー賞を受けたアメリカのジャーナリスト、Anne Applebaum による<グラーク(強制収容所)>のロシア革命(十月革命あたり)叙述が参照元としているのはこのR・パイプスとオーランド・ファイジズ(Orlando Figes, <人民の悲劇>)の二著だけだ、と記したことがある(アプルボームの邦訳書がないとしたのは誤りだった)。
 ピューリツァー賞なるものの<政治的性格>はよく知らないが(たぶん極右でも極左でもない)、その受賞作の最初の方の、グラーク(強制収容所)に関する本格的叙述に至る前の<ロシア革命>記述の基礎とされているので、R・パイプス著が決してアメリカで<無視>あるいは<異端視>されているのではなく、むしろ<かなり受容された概説書または教科書>的扱いを受けているのではないか、という趣旨だった。
 しかして、日本で、日本人の間で、日本の「論壇」で、リチャード・パイプスはいかほど知られていたのだろうか(<アメリカ保守>の専門家面していても、江崎道朗が知っている筈はない)。
 中国共産党はどうやらよく知っていたらしい(離れるが、中ソ対立の時期、米ソ中という三極体制が語られた時代もあったことを日本人は想起すべきだ)。
 日本の<知的>環境には独特なものがある。世界または欧米の種々の思想・主義・見解等々がすべて翻訳されて日本語になって<自由に流通している>と考えるのは、そもそも大間違いなのだ。
 欧米最優先とか欧米を基準とすべきなどの主張をする意図はないが、欧米とりわけ英米語圏の方が知的情報産業界は大きく、<市場>も広く、競争は激しいものと思われる。欧米の「識者」から見るとおそらく、日本の知的情報環境が(ガラパゴス的に?)<閉ざされている>のは異様だろう。しかし、日本語の読解ができないためにそのことが知られていないだけだ、日本の「識者」はそのことを意識・自覚していない、と思われる。
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 左は著書・VIXI(2003)の扉裏の写真、右は1974年2月、Oxford で、右からI・バーリン、R・パイプス、L・コワコフスキ。
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1805/江崎道朗2017年著指弾⑬。

 つぎのものは、ひどい本だ。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 既述だが、わずか5頁の範囲内に、つぎの三つの「致命的」な間違いがある。
 ①「民主集中制」と「プロレタリア独裁」を区別せず、同じものだと理解している(p.78)。
 ②「社会愛国主義」は「愛国心」を持つことだと理解している(p.75)。
 ③ソ連未設立時の「各ソヴェト共和国」を「ソヴィエト連邦」と理解している(p.79)。
 他にもあるが、ああ恥ずかしい。
 これらの一つだけでもすでに致命的で、出版停止し全面的書き直しか絶版にすべき程度のものだと考えられる。
 いずれにせよ、江崎道朗に、対共産主義「インテリジェンス入門」を執筆する資格はない。
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 これまた既述だが、江崎道朗は、共産主義(者)・共産党と「コミンテルン」を明確に区別する必要を感じていない。ロシア共産党、ソ連共産党、ソ連国家(赤軍であれチェカであれ)、これら全てを「コミンテルン」と表現しているのではないかとすら疑われる。
 「コミンテルン」を使う理由はおそらく、日本の一般的読者には共産主義等ほどの馴染みがない言葉で、かつ何やら「陰謀組織」めいた印象を与えることができるからだろう(政治文書、プロパガンダ文書には、どのような「言葉」を使うかも重要なのだ)。
 したがって江崎道朗には、コミンテルン初期の「加入条件」等文書は国際的共産主義組織一般と「共産主義者」との関係を規律するものであると理解されることになるようで、換言すると、「共産主義者」であるための要件を示すものと理解されていそうで、<コミンテルン(国際共産党)-「共産党」と名乗って加入して一員・一支部になってもよいと考える各国の社会主義的政党>の関係を規律するものと正確には理解されていないようだ。
 「コミンテルン」を本の表題の一部に使いながら、ひどいものだろう。
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 では江崎道朗には、「共産主義」自体はどう理解されているのか。
 上掲書p.38-39で、こう説明する。「マルクス主義」・「マルクス・レーニン主義」・「社会主義」との異同に全く言及はない。のちに離れたところで「社会主義」という語を登場させているが、そこでも「社会主義」と「共産主義」の異同に関するコメントは何もない。
 全文を引用する。//は改行。
 「共産主義とは、突きつめて単純化するならば、『生産手段を国有化して一党独裁のもとで徹底した経済的平等をめざす考え方』だ。//
 資本主義社会では、土地や資金、工場などの『生産手段』の私有化を認めているから、金持ちと貧乏人といった格差が生まれる。地主と小作人、会社経営者と労働者といった具合である。//
 そこで労働者による政党、つまり共産党が政権をとり、共産党主導で『武力によって強制的に』土地を取り上げ、会社経営者から資金と工場を取り上げ、国有化、つまり労働者全員で共有するようにすれば格差は解消され、労働者天国の社会が実現できる--このような労働者、小作人主体の社会を実現しようというのが共産主義だ。
 よって共産主義者は、基本的に武力革命を支持し、議会制民主主義に対して否定的なスタンスをとる」。
 以上が、この箇所での全文。この部分には「下敷き」にしているかもしれない参照文献の摘示がない。しかし、何らかの文献を読んで参照していることは間違いないだろう。
 第一の問題は、これは、「共産主義者たち」が主張している考え方の紹介なのか、それとも江崎道朗の理解はある程度は含めているのかが不明瞭だということだ。おそらく、前者を踏まえつつ、後者も混じっている、ことになるのだろう。
 かりにそうだとしても、あるいは前者なのだとしても、相当に違和感がある。以下、重要な点をコメントする。
 ①「徹底した経済的平等をめざす考え方」。
 これは誰がどこで主張したのか。なぜ「経済的」という限定がつくのか。かつ根本的には、共産主義では「平等」ではなく「自由」という理念はどうなっているのか。
 ついでに記そう。現在の2004年日本共産党綱領は、「真に自由で平等な共同社会」を目指す、そうなる筈だ、と明記している。「共同社会」とは、元来のドイツ語では、Gemeinwesen だと見られる。 
 ②「資本主義社会では、…『生産手段』の私有化を認めているから、金持ちと貧乏人といった格差が生まれる」。
 つぎの③とも密接不可分だが、「私有化」→「格差」という論理関係があるのかどうか。
 そのような旨を共産主義者は主張しているかもしれない。
 しかし、この点は重要なこととして強調しておきたいが、「格差」などという言葉・概念は、ロシア革命や共産主義等関係の書物を種々読んできたかぎりで、一度も見たことがない
 江崎においては単純に「不平等」という意味かもしれないが、「格差」という語を江崎が使うのは、昨今の日本の状況に大きく影響されている可能性がすこぶる高い。
 ③「国有化、つまり労働者全員で共有するようにすれば格差は解消され…」。
 江崎は読者に迎合して、あるいは現在の日本に合わせて、「格差」(是正?)という言葉を採用しているのだろう。
 一言挿入しておくが、共産主義とは<格差解消>を目ざす主義・考え方などでは全くない
 それよりも、なぜ<国有化→労働者全員の共有>なのか。さっぱり分からない。
 そのように共産主義者は主張している、という趣旨かもしれない。しかし、論理的・概念的にも歴史の現実でもそうではない(なかった)、ということは明確だ。紹介のつもりならば江崎著のどこかで厳しく批判しておいても不思議ではないが、そのような箇所はないようだ。
 ④「労働者による政党、つまり共産党」という説明または紹介も奇妙だ。少なくとも正確ではない。ロシア共産党・ソヴィエト共産党は本当に「労働者による政党」だったのか?
 紹介だとしても、それきりでは、①から④の全てが、共産主義者の「宣伝」を鵜呑みで紹介し<拡散>することになってしまう。
 以上の諸点よりももっと重大なのは、なぜ共産主義が<悪魔の思想>とまで称されるかが、まるで分かっていないように見える、ということだ。
 この点を、ハーバート・フーヴァー(元アメリカ大統領)の回顧録の第一章にある文章と比べてみよう。
 ハーバート・フーバー/渡辺惣樹訳・裏切られた自由-上巻(草思社、2017)。
 第一編・第一章のタイトルは「共産主義思想の教祖、指導者、主義・主張およびその実践」で、そのうちのp.165以下。
 一文ごとに改行する。
 「共産主義思想は第一に、人々の心を燃え立たせる病の思想である。
 信じる者の熱情は、キリスト教徒やイスラム教徒のそれと同じである。
 共産主義思想は、救済思想であるが、それに反抗する者を許さない。
 時とともにその思想体系、(拡散の)手段、組織体系を進化させてきた。
 その本質は強烈な拡張意識と、人間の感情(たとえば信仰心)の徹底的な抑圧である。
 その思想は、残酷でサディスティックでさえある。」
 このあと、(マルクスはないが)レーニン又はスターリンの文章を引用しつつの、「独裁について」、「宗教とモラルについて」、「国際関係について」、「共産主義革命は暴力による」、「労働組合とストライキによる破壊工作」、「議会に対する破壊工作について」、「国家間あるいはグループ間抗争の煽動について」、「講和不可能について」という諸項目がある。
 2017年の江崎道朗と遅くとも1960年代前半のH・フーヴァーと、どちらが「共産主義」の<本質>に迫っているだろうか。

1800/言葉・概念というもののトリック。

 言葉あるいは概念はふつうは何らかの現実や現象を把握して何らかの意味があるものとして作られ、用いられるものであって、一定の現実や現象そのものを複雑な諸要素・諸側面を全て網羅したものとして意味させているのではない。
 当然のこととして、何らかの捨象と抽象化・単純化が行われているものとして、言葉あるいは概念は理解されるべきものだ。
 そうであるにもかかわらず、言葉・概念が一人歩きする、言葉・概念の正確な意味についての正確な合致がないままに(異なる意味を持たしていることを意識しないままに)議論が行われることもある。
 また、そもそも、重要で議論の多い言葉・概念であるにもかかわらず、その正確なまたは厳密な意味を明らかにしないままで、何らかの論述や評論等を行っている者も多い。
 以上だけでは足りないが、このような言葉・概念の特性を利用して、種々の政治的主張も行われてきている。
 「社会民主主義」という語の由来は知らないが、おそらくは「民主主義」または「民主政体」をいちおうは是とできるものであることを前提として、それに「社会的」または「社会主義的」という限定を付したものだろう。
 レーニンのボルシェヴィズムはのちに「レーニン主義」または「レーニン的マルクス主義」とも言われる。
 しかし、レーニン・ボルシェヴィキもまた一時期は(ロシア)「社会民主労働党」の一員だったのだから、むろんマルクス主義=社会主義ではないとしても、少なくとも広い意味での「社会民主主義」者だったことはあった、と言ってよいだろう。
 「社会民主労働党」から分派して(当時はレーニン自体が積極的な「分派」活動者だった)<ボルシェヴィキ>派と名乗ったのもロシア語での「多数派」・「少数派」にかかわる語感とその利用という興味深い点はある。
 それはともかく、この当時およびそれ以降のレーニンの「民主主義」・「民主政体」という言葉又は観念に対する態度も興味深い。
 資本主義をもたらす革命が「自由・民主主義」の革命だとすれば、そこでの「民主主義」はブルジョア的なものであって、究極的には(あるいは社会主義社会)では否定されるべきものであるかもしれない。
 そのような趣旨で、レーニンは「民主主義」・「民主政体」の欺瞞的なブルジョア性を厳しく批判したとされる。
 しかし一方で、「民主主義」・「民主政体」は良いものだとする広範な空気?をも、おそらく(政略的判断として)意識したのだろう。
 いつ頃か、どの論考からかは確認しないが、レーニンが目ざすのは「真の民主主義」、「プロレタリア-トの民主主義」、「民衆・人民の(people's)民主主義」だとも主張し始めた。
 この点以外にもレーニンの発言・記述には独特の一貫性のなさ、不整合性があるので、レーニン全体をその全集類等を通じて過不足なく理解するのはほとんど困難だろうと、私は感じている。そのつど、そのつどの、現実の情勢に応じた?「適当な」言い回しがあるのだ。
 さて、上により、「民主主義」・「民主政体」には、ブルジョア的・市民的なものと「プロレタリア-ト的」・「人民的」の二種があるとになる。
 これは、言葉・概念の大きな進展と「分化」だ。
 このことによって、かつての「ドイツ民主共和国」(東ドイツ)、現在の「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)という国名もありうる(ありえた)ことになる。
 日本共産党の現在の立場は、<ブルジョア的・市民的>民主主義・民主的制度を最大限利用して「プロレタリア-トの」・「人民の」民主主義・民主政体へと移行させることだろう。同党が最初の段階として目ざすと綱領上明記するのは、そのような「民主主義革命」だ。つまり、直接の「社会主義革命」を標榜しているのではない。
 つぎに、「議会制」・「代表議会制」・「議会主義」についても似たようなことが言える。
 ロシアの1905年「革命」後に設立された<ドウーマ>(選挙による議員で成る)に対する態度についても、ボルシェヴィキ党内部で対立があった。レーニンは、参加する(ボルシェヴィキの議員を送り込む)こと自体を否定はしなかったはずだ。
 マルクス主義者を自認する者にとって、現存する「議会制」・「代表議会制」にどう対応するかは一つの重要論点だ。ブルジョア(・市民)のための<欺瞞>装置ではないのか。
 1960年代に日本共産党・不破哲三は<人民的議会主義>というのを主張した(論考類をまとめたものだろう、同名の著書がある)。
 これによって、<議会主義>には「人民的議会主義」とそうではない体制的な・ブルジョア的な?「議会主義」があることになった。
 これは言葉・観念の大きな意味をもつ<分化>だった。
 これによって当時以降の、1961年綱領以降の日本共産党は、<議会議員のための選挙>を安心して、かつ熱心に行うようになった。
 個々の日本共産党員に対してこそ、自分たちは「人民的議会主義」に立っているのであって、体制側の「議会主義」とは異質なのだという自信と誇り?をもつことは、あるいは釈明?が与えられていることは、少なくない意味をもっただろう。
 新しい言葉・概念を「作り出す」ということには少なくなく大きな政治的・社会的意味を持つことがある。それを意識して、つまりは意図して、新しい用語を使ったり、大々的に宣伝することもある(「新自由主義」という語にはその、つまり政治的・政略的な側面が少なくとも日本にはあったように思われる。より普遍的な概念ならば今日でももっと使われているだろう)。
 予期していなかった長さになった。
 「左翼」・「右翼」、「保守」・「リベラル」、「全体主義」、あるいは江藤道朗が何気なく使う「保守自由主義」、井上達夫が「リベラル」とは違うという「リベラリズム」、あるいは「真正保守」・「自称保守」、「反米」・「反米ポチ」等々、言葉・概念の意味(内包)・射程範囲(外延)は明確にしておく必要がある、ということ、そして言葉・概念の作成や使用もきわめて実践的で政治的であることがある、ということを書きたかったにすぎない。
 なお、冒頭に言葉・概念は何らかの現実や現象を意味するという趣旨のことを書いたが、言葉・概念そしてそれらが紡ぎ出す「論理」の中で、いわば下底の言葉・概念を基礎にして、言葉・観念の世界の中で、新しい概念や観念が生み出されることもある。これもまた、おそらくとくに思想家・哲学者(哲学学者ではない)・思弁的論述者といわれる者たちにはよくあることだ。冒頭に「ふつうは」と記しているように、このような形而上の?<現象>が<存在>することを否定しているのではない。

1779/江崎道朗・2017年8月著の悲惨と無惨⑫。

 <マクダーマット・アグニュー本>の「付属資料」を使っての江崎道朗・1917年8月著の説明・コメントには、第四に、明確な<間違い>もある。
 その原因になっているのは、要するに、この人の「無知」だろう。
 この著とは、つぎで、<マクダーマット・アグニュー本>とはその下。
  江崎・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 ケヴィン・マクダーマット=ジェレミ・アグニュー/萩原直訳・コミンテルン史-レーニンからスターリンへ(大月書店、1998)。
 =Kevin McDermott & Jeremy Agnew, The Comintern - A History of International Communism from Lenin to Stalin - (McMillan Press, 1996)。
 (1)「民主集中制」と「プロレタリア独裁」の同一視!
 江崎道朗はp.78で加入条件テーゼ12条がコミンテルン構成の各共産党は「民主的中央集権制」という組織原理にもとづくべきことを定めているのを引用しつつ、「第12条は党中央が全権を握る、プロレタリア独裁の宣言である」と書く。
 ああ恥ずかしい。プロレタリア-ト(プロレタリア)独裁とは共産党の内部で「プロレタリア」が「独裁」することなのか?
 江崎には、共産主義・共産党に関する基礎的知識もない。この部分では、レーニンの共産党・組織原理とマルクスにもあった「プロレタリアートの独裁」の区別がついていない。
 なお、江崎はp.71で「第1条」の中に「プロレタリア-トの執権」という語をそのまま引用して紹介しているが、間違いなくこの人は「プロレタリア独裁」と「~執権」が元来は同じ言葉であることに気づいていないだろう。
 (2)「社会愛国主義」は「愛国心」持つことだとする!
 江崎道朗はp.75で同6条が「露骨な社会愛国主義」を厳しく批判しているのを引用紹介しつつ、この意味は「自分の国を守ろうという愛国心」を「絶対に認めない」ということだ、とする。
 ああ恥ずかしい。この人は、「社会愛国主義」(または社会排外主義)とはレーニンらボルシェヴィキ・ロシア共産党側が自国の第一次大戦への参戦を支持したとくにドイツの「社会民主主義」者を批判するために作った言葉であることを知らない(「社会主義的愛国主義」と訳されてもよく、「社会主義」者なるものが称する(ニセの)愛国主義」と理解されてもよいものだ)。
 「社会」が付いているにもかかわらず、「愛国主義」の一種だと文学的に?解釈して、堂々と?コメントしているのだ。
 (3)軍隊内への浸透は「武力による暴力革命」を大前提?
 江崎道朗はp.75で同6条が「軍隊内」での「ねばりづよい、系統的な宣伝」を要求しているのを引用紹介しつつ、共産党が?「何より『武力による暴力革命』を大前提とする政党であることが、この条文からも明らかである」と書く。
 これも恥ずかしいだろう。<共産党=暴力革命>という図式をこの人は宣伝したいようで、そのためには何でも利用する(?)。
 「軍隊」に着目しているのは「暴力」装置だからだろうか。しかしそのことと、『武力による暴力革命』を大前提とするということとは論理的関係はない。「軍隊」を使っての「暴力革命」を想定しているのだ、という趣旨か?
 いずれにせよ、この条文から「明らかである」とするのは間違い。
 なお、江崎道朗も含めて、日本の「保守」派が(否定的・消極的に)しばしば用いる「暴力革命」なるタームの正確・厳密な意味について、検討が必要だ。ここでは立ち入らない。
 (4)「各ソヴェト共和国」を「ソヴィエト連邦」と同一視!
 江崎道朗はp.79で同14条がコミンテルン加入希望党は「反革命勢力に対する各ソヴェト共和国の闘争」を支持する必要を定めているのを引用紹介しつつ、「ソ連への忠誠を求める規定である」と明記する。
 また、「ソヴィエト連邦に対する絶対の忠誠心を持たなければならない」とも重ねて説明し、かつまた、日本の共産主義者が「ソ連や中国共産党」を支持したのは「この方針から」だとする。
 ああ恥ずかしい。悲惨だ。
 ロシア革命によって「ソ連」が誕生したとこの著の冒頭で書いていた江崎道朗は、ひょっとすれば「ソヴェト」と「ソヴェト(ソヴィエト)連邦」=「ソ連」の区別がついていないのではないか、と危惧していたが、どうやら当たっていたようだ。
 このテーゼが発表・採択されたのは1920年夏で、まだ「ソヴィエト連邦」は結成されていない。また、「中国共産党」も生まれていない(日本共産党も)。
 まだ存在していないものに対する「忠誠心」や「支持」を江崎は語ることができると考えているらしい。相当の空想力だ。
 正確には確認しないが、ここでの「各ソヴェト共和国」とは、1917年「十月革命」てできた(またはそれを翌年に改称した)ロシア・ソヴェト社会主義連邦共和国を構成する、「各ソヴェト共和国」だと見られる。
 このロシア・ソヴェト社会主義連邦共和国がさらにいくつかのソヴェト社会主義連邦共和国(ベラルーシ、ウクライナ等)とさらに「連邦」して、1922年に、「ロシア」等の地域名を持たない、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が設立された。
 こういう経緯があるからこそ、もともとのロシア(本域)からすれば、<シベリア行き>は「国外追放」処分であり「流刑」なのだ。ロシアからすれば、シベリア、ウラル、今の中央アジア地域は完全に「外国」だったのだ。
 江崎は「各ソヴェト共和国」という言葉を見て、「各」を無視して、「ソヴェト連邦」と類推したようだ。そのあとでたぶん「各」に気づいて、「中国共産党」も加えたのだろう。
 上で言及しなかったが、江崎は上の説明につづけてこう書く。p.79。
 「コミンテルンに所属するということは、ソ連や中国など外国に忠誠を誓うことなのだ」。
 ああ恥ずかしい。コミンテルンは1919年に設立され、上のテーゼが論じられた第二回大会は1920年。繰り返すが「ソ連」はまだない。それに、この時点で忠誠の対象だという「中国」とはいったい何のことなのだ? 新生・中華民国のことか?
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 第五に、<マクダーマット・アグニュー本>の「付属資料」を使っての江崎道朗・1917年8月著の説明・コメントには、あるいはその近辺には、矛盾した説明・論述等がいくつもある(明確な間違いに含めてもよいものもある)。以下は、その例。
 (1)p.72で「加入条件」テーゼは「コミンテルンに加入した場合、何をしなければならないのか、具体的に示した」ものだとする。一方、p.80は、「加入するための条件」だとする。両者は意味が異なり、後者が正しい。
 (2)p.67で「民族問題」テーゼ第四項を引用紹介しているが、p.91以下では別の本を直接引用して、この項の「解説」をさせている。
 離れていると読者は忘れると思っているのか、相互の参照を要求していない。
 別の本とはクルトワら・共産主義黒書/アジア篇だ。江崎道朗は、p.67の辺りでは<マクダーマット・アグニュー本>を「下敷き」にし、p.91辺りではこの<クルトワら本>を「下敷き」にしているのだと思われる。
 「下敷き」にしている本の違いによって、共産主義・共産党・コミンテルンに対する論調がやや変わるのも、江崎らしいところだ。
 (3)p.53で、「プロレタリア独裁によらないかぎり平和にならない」、「平和とは」「共産党による独裁政権を樹立」することを「意味する」、と一気に書く。
 この両者は、方法と結果がほとんど反対だ。なぜこんな日本語文章を平気で書けるのか、本当に信じ難い。
 (4)他にも類似表現はあるが、p.80で「これらがコミンテルンに各国の共産党が加入するための条件である」と書く。
 「加入するための条件」だとするのは上に記したように誤っていない。しかし、「各国の共産党」の存在を前提にしているようであって、この点は<間違い>。
 この点は、そもそもコミンテルンとは何か、どのような経緯でこれは設立されたのか、レーニンらが「加入条件」を定める必要がある具体的環境・状勢はどうだったか、が理解できていないと、したがって、江崎道朗には、理解が困難なのだろう。
 あらためて前回に第三として論及した「加入条件」について触れたいとは思っている。
 江崎道朗が完全にスルーしているのは、コミンテルン加入の条件のきわめて重要な一つは各国の「コミンテルンに所属することを希望する全ての党」は「共産党」と名乗ることが義務づけられる、ということだ(加入条件第17項)。1922年の設立という「日本共産党」の名称も、これによる(同時に「コミンテルン~支部」となることも定められている)。
 「社会民主党」・「社会主義党」・「労働党」という名称(のまま)ではコミンテルンの一員にはなれない。
 この点は、評価は分かれるのかもしれないが、ロシア以外の<社会主義党派>または<社会主義運動>に分裂を持ち込んだ(ロシアでのボルシェヴィキとメンシェヴィキの古い対立のように)とも言われる。あるいは、<純粋で正しい>党を抽出することになった、のかもしれない。
 いずれにせよ、江崎は分かっていない。
 すでにこの欄に書いたように、江崎道朗にとって、共産主義、共産党、コミンテルン等々は全部同じであって、区別する必要を感じていないのだ。
 これで江崎道朗には、現在にまで流れているという「共産主義」に対する「インテリジェンス」を語る資格があるのだろうか。
 今回の諸指摘を、きちんと理解してもらえるとよいのだが。/つづく。

1778/江崎道朗・2017年8月著の悲惨と無惨⑪。

 江崎道朗のつぎの本について「悲惨と無惨」と形容するのは、決して誇張した表現ではない。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 ケヴィン・マクダーマット=ジェレミ・アグニュー/萩原直訳・コミンテルン史-レーニンからスターリンへ(大月書店、1998)からの直接引用部分に限って、その引用の仕方とその引用内容に対する江崎自身のコメントを詳しく見てみよう。以下、<マクダーマット・アグニュー本>とでも略記する。
 まず、前回に江崎はこの本の「付属資料」部分のみから引用していると理解して記述したのは誤りだった。数や全頁数は少ないが、何と執筆者二人によるコミンテルン又はレーニンの政策方針に対する評価・論評をそのまま引用して叙述している箇所がある。
 ①p.50-レーニンの「社会民主主義」批判。
 ②p.58-ロシア革命の当時の民衆にとっての意味。
 ③p.58-9-レーニンの「社会民主主義」批判。
 これらは、江崎自身が理解・了解でき、(意味を)納得できたからこそ、直接引用しているのだろう。
 しかし、マクダーマット=アグニューのように簡単にコメントできるのか自体が問題だ。和洋合わせて必ず数百冊以上は関係文献が存在しているレーニン等の考え方について、<マクダーマット・アグニュー本>というたった一冊のコメントでもって叙述してしまうというのは、恐ろしく信じ難い。
 その内容が客観的に見てレーニン側に立ったもの、ソ連解体以前の公式的論評の仕方に似ていること、したがってかつて日本共産党党が述べた又は強調した点と酷似することについては、直接引用部分の内容に関係するので、さらに別に言及する。
 少し先走って書けば、これらはマクダーマット・アグニューの二人が共産主義・コミンテルンについてまだなお「宥和的」であることによるだろう。
 別に言及するのは、<レーニンの生い立ち>に関する叙述等も含めて、江崎は「左翼的」または共産主義になお「宥和的」な書物(外国の共産党員とみられる者によるものを含む)を、吟味することなく<下敷き>として使っているので、これらは併せてコメントした方がよい、との判断による。
 さて、上以外の18箇所は「付属資料」からの直接引用だが、これらの引用部分は、邦訳書で計31頁、原書で計30頁('Documents')あるうちのごく一部にすぎない。江崎のp61-p.80 は18箇所で引用するが、引用元の資料はつぎの4つ。①~⑱は箇所の順番。
 A<レーニンによるコミンテルン第1回大会への「招待状」>-計2箇所で引用。①、②。
 B<レーニンの「民族・植民地問題についてのテーゼ」>-計3箇所で引用。③~⑤。
 C<コミンテルン「規約」>-計2箇所で引用。⑥、⑦
 D<レーニンの「コミンテルンへの加入条件についてのテーゼ」>-計11箇所で引用。⑧~⑱。
 既述のように<マクダーマット・アグニュー本>は計19件の「資料」を、しかも全てそれぞれの「抜粋」を収載しているが(「規約」すら全文ではなくごく一部だ)、江崎道朗が「利用」(引用)しているのは計4資料でしかない。
 かつまた、興味深いことに、邦訳書・原書の「付属資料」番号でいうと、№1、№3、№4、№5であって、最初の部分に集中している。
 今回も上に書いたように「資料」部分は邦訳書・計31頁、原書・計30頁だが、江崎が利用しているのは、そのうちの8頁の範囲の部分だけだ。
 改めて書くと、江崎道朗がたった一冊の本が掲載する「資料」のうち「利用」(引用)しているのは、計19資料のうち4資料、計30-31頁のうち約8頁にすぎない
 これでもって、江崎道朗はこう「豪語」するのだ。再掲する。
本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。p.95。
 唖然とするほかはない。この人の「神経」は私とはまるで異なる。
 つぎに、「しっかり読み込んで理解」しているのかどうかを、検討してみよう。丸数字は、私が付した上に記載の引用箇所番号。以下で言及する文章は、「引用」との明記がない部分は、江崎道朗自身による。
 第一に、つぎのように簡単に書くこと自体が、レーニンら「共産主義者」の術中に嵌まっていることにならないか。
 ①p.61-62のあと。第一次大戦後の「多くの」「…途方にくれていた」人々にとって、「レーニンの言葉は、大いなる説得力をもった」。
 ③p.67のあと。「残念なことに、欧米列強の支配に苦しんでいたアジア・アフリカの独立運動の指導者たちは、このコミンテルンの呼びかけに積極的に呼応していった」。
 第二に、「民族・植民地問題についてのテーゼ」からの引用とコメントの趣旨に疑問がある。なお、前回に記したように、これの全文、およびレーニンのテーゼではないコミンテルン第二回大会での関係演説全文はレーニン全集に収載されているはずだ。江崎が利用(引用)するために見ているのは、そのごく一部だ。
 ④p.68の引用-「封建的諸関係、あるいは…家父長制的=農民的諸関係が優勢」の「遅れた国家や民族…」
 ⑤p.69の引用-「後進国における…」、「植民地…」。
 なぜ、江崎道朗はこれらを引用するのか。これは、興味深い論点にかかわる。というのは、江崎は日本と関係していると考える又は判断するからこそこれらを引用しているはずだ。そして、そうなのだとすると、江崎は1920年代の日本を「封建的諸関係、あるいは…家父長制的=農民的諸関係が優勢」の「遅れた国家」または「後進国」・「植民地」と見ていることになる。「植民地」は度外視するとしても、こうした日本についての見方はいわゆる<講座派マルクス主義>史観に立つもので、このこと自体について検討・論証が必要だ。
 まさか、コミンテルンをタイトルの一部とする著書を書く江崎道朗が、日本マルクス主義内での<講座派>と<労農派>の対立を知らないままで、執筆しているはずはないだろう。
 第三に、読解または解釈に無理がある、又は強引すぎる部分がある。こう単純化してはいけないだろう。
 ⑤p.69のあと。「…共産党員にすべきであって、仮に共産党員にならないのであれば、容赦なく粛清、つまり殺してしまえと言外に示唆している」。
 ⑨p.73のあと。「排除して置き換える-すなわち場合によっては殺せという意味だ。…コミンテルンに従わない人間はすべて根こそぎにせよという」。
 ⑯p.78のあと。「コミンテルンに入るなら」、「定期的粛清」をせよ。「共産主義が一億人近い人々を殺害した背景には、こうした一方的な粛清を正当化する方針がある」。
 ⑱p.80の前後。「最後の第21条で、再び粛清を義務づけている」。「コミンテルンに従わぬ者は粛清されなければならない-排除、粛清、殺戮が『義務』として課されている」。
 江崎道朗のために少し教示しておこう。
 共産主義・共産党が<思想・意見が異なることを理由として人間を殺してもよい>とする思想であり組織であることは認めよう。
 しかし、「排除」または「粛清」=<殺害>ではない、と理解しておくべきだ。一部に(=ある程度は)含むとしても、等号ではつなげないだろう。
 <テロル>という語もなお多義的で、<粛清>も同じだ。「排除」だと、または「粛清」ですら、除名・党外への追放もまた十分に含みうる。
 The Great Terror (大テロル)ではなくThe Great Purge (大粛清?)という語を同じ意味・内容としておそらく使っている外国語文献を最近に見た。Purge は「パージ」で、(公職からの)「追放」の意味でも日本ではかつて使われた。パージ=粛清=殺害ではない。
 また、purgeよりも、liquidate(liquidation)の方が「粛清」という語感に近いようだが、しかしこれとて、殺戮以外の「排除」・「一掃」という意味ももちうる。
 要するに、「排除」、「粛清」という訳語が使われているからといって、そこに<殺害>の意味をただちに持たせようとするのは、早計だろう。こう強引に「解釈」してしまえるのは、文学部出身の評論家らしい。
 念のため、原書収載の「テーゼ」上の英語はどうなっているかを確認してみる。
 上の⑤(民族11e)-cannot merge with- . 「言外に示唆」しているのかは確言できないが、これは要するに「…とは融合できない」と述べているだけ。邦訳書も同旨。
 上の⑨(規約2条)-remove, replace. これらに明示的または直接の「殺戮」の意味はない。邦訳書では「排除」、「おきかえる」。
 上の⑯(規約13条)- from time to time carry out purges (re-registrations). ()内の語には「殺戮」の意味はないだろう。引用のとおりに邦訳書では「定期的粛清(再登録)」。
 上の⑱(規約21条)- expell. これは「追放」・「除名」の意味であって、明示的または直接には「殺戮」の意味はない。邦訳書も「追放」と訳出している(邦訳書p.304.)
 以上のとおりで、江崎道朗は、無理やり「排除」、「追放」等を<殺戮>の意味だと<言外>以上に明示的に説明?している。
 このような江崎の読解の仕方を知って、この本を信頼できるだろうか。
 すでに上記の中にも含まれているが、第四に、<マクダーマット・アグニュー本>の「付属資料」を使っての江崎の説明・コメントには、明確な<間違い>もある。
 悲惨・無惨だ。ひどく中途半端だが、回を改める。/つづく。

1775/江崎道朗・2017年8月著の悲惨と無惨⑩。

 江崎道朗の下掲の本で、コミンテルンに関する資料・関係文献として最もよく使っているのは、つぎだ。原書も同時に示す。
 ケヴィン・マクダーマット=ジェレミ・アグニュー/萩原直訳・コミンテルン史-レーニンからスターリンへ(大月書店、1998)。
 =Kevin McDermott & Jeremy Agnew, The Comintern - A History of International Communism from Lenin to Stalin - (McMillan Press, 1996)。
 この原書は、全体で計304頁(索引等を含む)。うち、邦訳書で江崎が用いていた「付属資料」の部分は計30頁だ(p.220~p.249)。
 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
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 この邦訳書もある原書の執筆者等に言及するのは後回しにして、前回記したこの邦訳書以外の二つも含めて三邦訳書以外に、コミンテルンに関する資料等になる邦語文献(とくに翻訳書)は存在しないのか、を問題にしてみよう。
 江崎道朗が参照している上の邦訳書の「付属資料」の冒頭に訳者/萩原直が付している注記からすでに、つぎのものがあることが分かる。
 ①村田陽一編訳・コミンテルン資料集(大月書店、1978-1985年)。/6巻までと別巻で計7冊。
 前回での②を一部とするつぎも資料の邦訳書なので、記しておく。
 ②ジェーン・デグラス編著/荒畑寒村ほか訳・コミンテルン・ドキュメントⅠ-1919~1922(現代思潮社、1969)、同Ⅱ-1923~1928(現代思潮社、1996)。/少なくとも計2冊。
 その他、以下のものがあるようだ。コミンテルンの第一次資料の邦訳を中心としていると見られるものに限る。秋月が一部でも所持しているものはあるし、所在が行方不明のものもあり、明確に入手していないものもある。なお、現時点での入手の容易さとはさしあたり無関係に記していく。
 ③村田陽一編訳・資料集/コミンテルンと日本(大月書店、1986-1988)。/1巻~。少なくとも3巻まで、計3冊。
 ④ソ連共産党付属マルクス・レーニン主義研究所編/村田陽一訳・コミンテルンの歴史-上・下(大月書店、1973)/計2冊。…①・③との異同は秋月には不明。
 ⑤和田春樹=G. M. アジベーコフ監修/富田武・和田春樹編訳・資料集/コミンテルンと日本共産党(岩波書店、2014)
 ⑥トリアッティ/石堂清倫・藤沢道郎訳・コミンテルン史論(青木文庫、1961)
 ⑦B・ラジッチ=M.M.ドラコヴィチ/菊池昌典監訳・コミンテルンの歴史(三一書房、1977)
以上、
 さらに、レーニン全集(大月書店)にはコミンテルンに関する、またはコミンテルン大会等で報告・演説等をしたものが含まれているので、1919年3月以降のものの<表題>(一部は内容でも確認)に全て目を通して、以下に掲載する。内容としてコミンテルン(第三インター)に触れているものは他にもあるだろうが、逐一は確認できない。
 ①1919.04.15「第三インタナショナルとその歴史上の地位」第29巻p.303-p.311。
 ②1919.07.14「第三インタナショナルの任務について」第29巻p.502-p.524。
 ③1920.01.03「同志ロリオと第三インタナショナルに加入したすべてのフランスの友人へ」第30巻p.76-p.77。
 ④1920.03.06「第三インタナショナル創立一周年記念のモスクワ・ソヴェトの祝賀会議での演説」第30巻p.432-p441.」
 ⑤1920.06-「民族問題と植民地問題についてのテーゼ原案(共産主義インタナショナル第二回大会のために)」第31巻p.135-p.142.
 ⑥1920.06初「農業問題についてのテーゼ原案(共産主義インタナショナル第二回大会のために)」第31巻p.143-p.155.
 ⑦1920.06.12『共産主義』=「東南欧州諸国のための共産主義インタナショナルの雑誌」第31巻p156-p.158.
 ⑧1920.07.04「共産主義インタナショナル第二回大会の基本的任務についてのテーゼ」第31巻p.178-p.193.
 ⑨1920.07.08「イギリス共産党結成のための暫定合同委員会の手紙にたいする回答」第31巻p.194-p.195.
 ⑩1920.07-「共産主義インタナショナルへの加入条件」第31巻p.199-p.205.
 ⑪………「共産主義インタナショナル加入条件の第20条」第31巻p.206.
 ⑫1920.07.19「共産主義インタナショナル第二回大会/一・国際情勢と共産主義インタナショナルの基本的任務についての報告」第31巻p.207~.
 ・1920.07.23「同/二・共産党の役割についての演説」第31巻p.228~.
 ・1920.07.26「同/三・民族・植民地問題小委員会の報告」第31巻p.233~.
 ・1920.07.30「同/四・共産主義インタナショナルへの加入条件についての演説」第31巻p.239~.
 ・1920.08.02「同/五・議会主義についての演説」第31巻p.246~.
 ・1920.08.06「同/六・イギリス労働党への加入についての演説」第31巻p.251-p.257.
 ⑬1920.08.15「オーストリアの共産主義者への手紙」第31巻p.261-p.264.
 ⑭1920.08-09「共産主義インタナショナル第二回大会」第31巻p.265-p.267.
 ⑮1920.09.24「ドイツとフランスの労働者への手紙-共産主義インタナショナル第二回大会についての討論にかんして」第31巻p.276-p.278.
 ⑯1920.12.11「イタリア社会党の党内闘争について」第31巻p.379-p.397.
 ⑰1921.06.13「共産主義インタナショナル第三回大会/一・共産主義インタナショナル第三回大会でのロシア共産党の戦術についての報告要綱(原案)」第32巻p.481~.
 ・1921.06.28「同/二・イタリア問題についての演説」第32巻p.491~.
 ・1921.07.01「同/三・共産主義インタナショナルの戦術を擁護する演説」第32巻p.498~.
 ・1921.07.05「同/四・ロシア共産党の戦術についての報告」第32巻p.510-p.530.
 ⑱1922.11.04「共産主義インタナショナル第四回大会/一・コミンテルン第四回世界大会とペテログラード労働者・赤軍代表ソヴェトへ」第33巻p.432~.
 ・1922.11.13「同/二・ロシア革命の五カ年と世界革命の展望」第33巻p.434-p.449.
 ⑲1922.12.02「国際労働者救援会書記へ」第35巻p.617-p.618.
 ⑳1922.11.13前「コミンテルン第四回大会での演説のプラン」第36巻p.691-p.696.
 以上。<⑳は、レーニン死後の1926.01.21に初公表だとされる-上記第36巻。>
  さて、前回に引用紹介したように、江崎道朗は上掲書でつぎのように「豪語」した。
 「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。p.95。
 江崎は、レーニン全集関係のその上に記した文献①の所在を知っていたはずだが、無視している(計7冊は面倒と思ったのか?)。
「しろうと」の秋月でも文献③~⑦くらいの所在には気づくことができるが、江崎は無視している。
 <資料>としては、とくに日本との関係に着目すれば、例えば文献③の方が詳細で正確なようだが、江崎は無視している。下のものは、第一巻だ。
 村田陽一編訳・資料集/コミンテルンと日本① 1919-1928(大月書店、1986)
 この書物は<資料>だけで計510頁まであり、コミンテルン自体のものを多く含む資料が計153件、日本人(片山潜や佐野学ら)・外国人共産主義者の論文が計18篇、<付録>として戦前の日本共産党等の組織の文書計12件を収載している。
 江崎道朗は、コミンテルン・共産主義(者)と日本の関係を(タイトル上の)主題とする本を出版しているのだが、上の書をおそらく一瞥すらしていない。
 また、江崎・上掲書を一瞥してすぐに感じたのは、「コミンテルン」を扱いながら、なぜ、レーニン全集収載論考類を参照文献として挙げていないのだろう、ということだった。とっくの昔に日本語になって「公開されている」、コミンテルンの創設者と言ってよい人物が自ら記した文献資料であるにもかかわらず。
 結論は、要するに、この人=江崎は、レーニン全集を捲ってみる、という作業をおそらくは絶対に行っていない、ということだ。
 レーニンによる、「コミンテルン」=「共産主義インタナショナル」に直接に関係のある文献資料は、上掲のとおり、少なくとも20件はある。第31巻にかなり集中している。むろんこれらだけで、今回の冒頭に記載の邦訳書「資料」部分よりも、はるかに、比較しようもなく、長い。
 (なお、レーニンはコミンテルン組織の執行委員等でなかったとしても、ロシア共産党の代表者として他国の共産主義者・共産党員の前で発言・報告・演説したり、ロシア共産党の代表者として別国の共産党等に「手紙」類を送ることができた。「人民委員会議の議長として」というレーニンの挨拶文等が同全集に収載されてもいるが、これは党とは<別の>国家・行政の長としての立場でのものだ。)
 もう一度、江崎道朗の「豪語」を引用しよう。
 「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。p.95。
 江崎道朗は、コミンテルンに関する「公開されている情報」の「すべて」または多くを「読み込んで理解」しているだろうか。確実に、否、だ。
 ということは、既述のとおり、「インテリジェンスの第一歩」を終えていない、ということを意味する。
 そしてまた、このような文章執筆姿勢、書物出版意識は、確実に、戦前の日本に関する叙述の仕方にも現れている、と見られる。この点はまだ先のこととして、コミンテルン関係の江崎の叙述について、さらにつづける。

1772/江崎道朗・2017年8月著の悲惨と無惨⑨。

 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)
 この本での、江崎道朗の大言壮語、つまり「大ほら」は、例えば以下。
 ①p.7「本書で詳しく描いたが、日本もまた、ソ連・コミンテルンの『秘密工作』によって大きな影響を受けてきた」。
 ②p.7-8「コミンテルンや社会主義、共産主義といった問題を避けては、なぜ…、その全体像を理解するのは困難なのだ。本書は、その『全体像』を明らかにする試みである」。
 ③p.15「ソ連・コミンテルンによる『謀略』を正面から扱った本書が、…ならば、これほど嬉しいことはない」。
 ④p.95「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。
 秋月瑛二のコメント。番号は上に対応。
 ①-「本書で詳しく描いた」というのは本当か?
 ②-「全体像を明らかに」する<試み>をするのはよいが、どの程度達成したと考えているのか。
 ③-「謀略」を「正面から扱った」? いったいどこで?
 ④-なるほど「本書で使っている」資料は全て公開されているのだろう。しかし、コミンテルンに関する「公開」資料のうち、いかほどの部分を江崎は「使って」、「しっかり読み込んで理解」しているのか。江崎のコミンテルンに関する資料・史料の使い方・読み方は、後記のとおり、かなり偏頗だ。
 「公開」資料の全てまたはほとんどを「しっかり読み込んで理解」しているとは思われないので、江崎道朗は「インテリジェンスの第一歩」も踏み出していないことになるだろう。
 この部分はまるで、江崎が「公開」コミンテルン資料を全て又はほとんど読んでいるかの印象も与えるが、これは<大ウソ>。
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 1919年に設立された共産主義インターナショナル(コミュニスト・インター)=コミンテルンについて、「しろうと」にすぎない秋月瑛二ですら、次のようなことは指摘できそうだ。
 第一。共産党-国家(社会主義ロシア・ソ連)-コミンテルンという関係・連関の中で理解する必要がある。
 コミンテルンは共産党や国家(1922年以降のソ連)の対外・外交・戦争政策と深い関係がある。したがって、コミンテルンのみに関して著述がされていなくても、レーニン、スターリンあるいはロシア・ソ連共産党あるいはソヴィエト共産主義に関する(主として歴史)叙述の中で併せてコミンテルンにも言及される、ということがしばしばある。
 江崎道朗は「コミンテルン」をタイトルにする書物だけを検索し参照したとすれば、根本的に間違っている、と言うべきだろう。
 上のことは、共産党やロシア国家の基本的政策・方針が変われば、あるいは揺れれば、コミンテルンのそれも容易に変動するという関係にある、ということでもある。コミンテルンだけを独自の「変数」として取り扱うのは危険だ。
 しかし、共産党=(1922年以降の)ソ連=コミンテルン、と単純に理解することもできない。
 平井友義・三〇年代ソビエト外交の研究(有斐閣、1993)というソ連史アカデミズム内とみられる書物がある。
 目次から安易に引用すると、まず、「第一章/ナチス政権の出現とソ連の対応」の第一節は「ソ連、コミンテルンおよびナチズム」という見出しだ(p.17)。
 当然のようだが、「ソ連、コミンテルン」と<別に>語っていて、両者を一括していないことを確認しておきたい。(江崎道朗とは違って)研究者・学者では常識的なことなのだろう。
 つづくのは、「第二章/コミンテルンにおけるソ連ファクター」だ(p.68-)。そしてここでは、コミンテルンの戦術・方針が「ソ連ファクター」内部での論争によって揺れ動いていることが叙述・分析されているように見える。
 ともあれ、江崎道朗が叙述するのとはまるで異なる次元の、研究・分析の世界があることを、江崎は知らなければならない。
 第二。コミンテルンもまた、歴史的に変遷している可能性がむろんあるのであって、単色で一貫させることはできない。
 「しろうと」的には、少なくとも、①レーニン時代、②スターリン時代の1935年頃まで、③スターリン時代の、1935年のコミンテルンの大きな方針転換(議長はディミトロフ)-「人民戦線」・「反ファシズム統一戦線」への転換-以降。
 すでに書いてしまうと、上の本での江崎のコミンテルンに関する叙述は、ほとんどが上の①、部分的には②あたりにまで焦点を当てすぎているようだ。
 そして、江崎が下記の資料・史料を用いるのはこのあたりの時期のコミンテルンについてであって、重要な上の③については、論及はあるが(江崎p.231以下)、本格的には、あるいはきちんとは叙述していない、と考えられる。
 大雑把には、1920年代、1935年まで、1935年以降と三期に分ける必要があるかもしれない。だが、江崎の上の本のコミンテルンの叙述の仕方には、こうした注意深さはない。
 さらについでに書いてしまうと、前回触れたようにコミンテルンの現在まで続く「流れ」に触れながら、おそらくどこにも、これの後継組織に近いと常識的には理解できる<コミンフォルム>への言及がないようだ。
 戦後の日本共産党史にとって、つまりは1950年頃に同党に対して重要な影響を与えた<コミンフォルム>への言及がおそらく全くないとは、いかに戦前の歴史に対象を限っているとしても、不思議なことだ。
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 江崎道朗が上の本で参照している、または「下敷き」にしている、コミンテルンに関する史料・資料となる書物は、おそらく以下に限られている。しかも、多くは①によっている
 ①ケヴィン・マクダーマット=ジェレミ・アグニュー/萩原直訳・コミンテルン史(大月書店、1998)。
 ②ジェーン・デグラス編著/荒畑寒村ほか訳・コミンテルン・ドキュメントⅠ-1919~1922(現代思潮社、1969)
 ③ステファヌ・クルトワら・共産主義黒書-犯罪・テロル・抑圧-<コミンテルン・アジア篇>/高橋武智訳(恵雅堂出版、2006)
 上記のとおり、江崎道朗は「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」と豪語?しているが、何のことはない、この人が読んで(見て)いるのは、これらだけだと思われる。しかも、繰り返せば、ほとんどは、上の①だ。
 江崎道朗による①への依拠ぶりを、<マクダーマットら/萩原直訳・コミンテルン史(大月)>からの直接引用らしき行数をメモしておこう。
 p.50-10行、p.58-2行、p.58-59-4行、p.61-62-3行、p.65-66-9行、p.67-5行、p.68-8行、p.69-70-8行、p.71-72-計16行、p.73-74-計8行、p.75-76-計11行、p.77-5行、p.78-79-計10行、p.80-2行。
 コミンテルンの大会決定・規約等々のそのままの引用だが、これらを単純に合計すると、合計で102行になる。1頁が15行分なので、合計するとほとんど7頁が、つまりは30頁ほどの範囲の約4分の1がこの本からの直接引用で占めているようだ。
 もちろん、この前後に、この本を参照した、または<下敷き>にした、江崎道朗自身の文章が挿入されている。これを合わせると、大雑把にはやはり30頁ほど以上はこの本の影響を受けている。
 たしかに-以下のソースの問題はあるが-引用部分は重要かもしれない。しかし、既述のように、初期の(レーニン時代の)、かつ表向きだけのコミンテルンの公式文書だけを見て、コミンテルンを理解することはできない、と考えられる。
 それにもともと、ケヴィン・マクダーマット=ジェレミ・アグニュー/萩原直訳・コミンテルン史(大月書店、1998)とは、いかなる、いかほどに信頼できる書物なのだろう。
 史料・資料自体は、引用部分に限っては、正確なのかもしれない。
 しかし、この邦訳書を見ると、江崎が引用する典拠としている<付属資料>部分は33頁しかない(p.295~p.327。本文等も含めて、この著の邦訳書自体は計380頁足らず)。
 また、コミンテルンの19の文書だけが資料として添付、掲載され、かついずれも「抜粋」でしかない。
 要するに外国人(イギリス人)著者の二人が選抜した決定等文書19のうちの、かつ彼らが行った「抜粋」なのだ、と思われる(日本人訳者の介在・関与の程度・部分は必ずしも明瞭でない、p.295を参照)。
 その選別や「抜粋」に江崎道朗の判断、選択が加わっているはずはないだろう。
 そういう<狭い>範囲の中から、さらにその一部を江崎は<引用>し、おそらくは自分の説明や叙述の<下敷き>にしている。
 では、この二人は何者なのか(なぜ、大月書店が萩原直訳で出版したのか)、かつまた、コミンテルンに関する「公開」の、つまり日本語で読める翻訳資料・史料は、これ以外になかったのか。要するに、いかほどに江崎道朗は、コミンテルンに関する(日本語のものに限っても)資料・史料の探求を試み、「読み込んで」、「理解」しているのか。
 「政治」評論家・江崎道朗の<安直さ>が-見方によれば、悲惨さと無惨さが-この部分についても、明らかになるだろう。/つづく。

1770/江崎道朗・2017年8月著の悲惨と無惨⑧。

 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(2017.08)
 この本のp.95にこうある。コミンテルンの「流れは、現在に至るまで脈々と続いている」。
 そしてつづけて、「国際共産主義運動による様々な工作」を防ぐ必要のあることを、現在の日本の問題として叙述している。
 これはよし、と言ってよい。<現在の日本と共産主義>という問題意識が全くないか、きわめて薄い<保守>なる人物が、日本にはきわめて多数いるのだから。
 しかし、次のように記す江崎道朗はいかほどに共産主義・コミンテルン等々の「理論」を「理解」できているのか。
 「国際共産主義運動による様々な工作を防ぐ必要があると思うのなら、彼らがこのような理論に基づいて戦っていることを理解する必要がある」-p.95。 
 本格的に上掲著に論及し始めた最初に、たしか、この人は国家・党・コミンテルンの区別ができていない、と指摘した。
 今思うに、江崎道朗にとっては、高次すぎる問題だったような気がする。
 はたして江崎は、中国共産党の党大会と中国(国家)の全人代の区別ができているのだろろうかと、はなはだ疑問に思っている。
 さしあたりここでの結論的指摘を書いておくと、この人、つまり江崎道朗は、「コミンテルン」という語を単色の符号のようなものとして用いていて、ソ連や同共産党等といちおうは区別しなければならない、という意識がない、と想定される。
 「ソ連」と「コミンテルン」を混用していることはすでに例・頁数を示して指摘した。
 こんな例もある。
 p.33-「近衛政権の中枢にソ連のスパイがいた…」。
 同-「ゾルゲは…、実際には、ソ連の赤軍情報部(GRU)のスパイであり、尾崎らをメンバーとするスパイ組織を率いていた」。
 いずれも、「コミンテルン」のスパイではないことを自ら書いているに等しいが、おそらく江崎には、何ら気にならないのだろう。 
 要するに、ソ連も共産党も「コミンテルン」も全てが、彼には「コミンテルン」という語で一括できるものなのだ。
 そしてまた、タイトルに「コミンテルンの謀略」と掲げながら、積極的な「工作」がなくとも自ら進んでソ連等のためになるような行動を客観的にはすることもまた江崎は「謀略」活動の一環としてかなり強調して叙述しているので、「コミンテルンの謀略」とは、江崎道朗にとっては、要するにロシア・ソ連以外の日本やアメリカにもいる(ある)「共産主義(者)」の親共産主義的活動のことなのだ。
 とすると、タイトルは正確には、<共産主義と(日本の)戦争>という意味であることになる。
 こうなると、江崎の本自体が(ようやく?)後半になって参照文献として登場させている、三田村武夫・戦争と共産主義(1950年。改題、1987年。呉PASS出版・復刻2015年)と主題は同一で、江崎の本は60年以上前の本の指摘・叙述をいかほどに上回っているのか、という問題も出てくるだろう。
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 ロシア・ソ連、共産党(ボルシェヴィキが1918年に改称)、コミンテルンの関係は微妙で、むろん江崎道朗のように一括して単純化することができなくはない。
 しかし、最近に試訳したアメリカのロシア史学者(但し、R・レーガン政権で対ソ連政策補佐官)のR・パイプスの本が「党」=ボルシェヴィキ又は共産党のことを明確に「私的組織」と記述しつつ、近代以降の欧米政治思想の「標準的範疇・概念」にうまくフィットしない旨をと述べているように、また問題がなくはないが<一党国家>(one-party state)という語もあるように、<共産党>はたんなる一政党ではなく、しかし国家そのものでもないという、独特な位置を占める。
 そもそもは江崎道朗が何ら知らないと見られる、つぎのことに由来するかもしれない。
 10月「革命」直後にソヴィエト執行委員会のもとにソヴナルコム(人民委員会議)が形成されて、レーニンは「人民委員会議の議長」(実質的に「首相」とも言われる。外務大臣=外務人民委員はトロツキー、民族問題長官はスターリン)だった。これは、(ソヴェトとは何だったかが本当は疑問になるが)いちおうは<国家>の機構だ(但し、実質的に「布令」・「布告」という立法権も有したので単純に今日の日本の「内閣」と理解すると間違い)。
 一方、レーニンはボルシェヴィキ党(1918年に共産党に改称。ゆえに「共産党(ボ)」という表記がのちのちにまで続く)の中央委員会の長(「委員長」という語は文献上は出てこないようだ)であり続けた。
 国家・「内閣」の長であり、党の長でもある。しかし、両者は形式的にはずっと「別」のものではあった。中国の習近平は中国の国家主席かつ中国共産党のトップだ。
 余計なことも書いたが、要するに、江崎道朗は、こうしたことにまるで関心がないと思われる。<国家と党>の関係に立ち入ることなくして、今日の「国際共産主義運動」を語れるのだろうか(なお、北朝鮮における国家・党(北朝鮮と労働党)の関係も興味深い)。
 また、ロシア「革命」と「ソ連」設立の時期、ロシア・ソ連国家内部の機構の関係にまるで関心がないか無知な江崎の本だからこそ、つぎのような叙述もできる。
 p.61はつぎのように明記する。コミンテルンが「1919年3月にモスクワで結成される」、と。
 ところで、「ソ連」設立は1922年で、コミンテルン(第三インター)創設よりも後。
 事実はそうなのだが、つぎの文章はどういう意味だろう。
 p.81-チェカは「ボルシェヴィキ(ソ連共産党)が権力を掌握してから6週間足らずのうちに設立」された。
 p.83-チェカは「ソ連共産党(ボルシェヴィキ)が奪取した権力を維持する上で不可欠の装置だった」。
 江崎はボルシェヴィキ=ソ連共産党だと「思い込んで」いる。
 ソ連設立前に「ソ連共産党」がある筈はない。
 時期を確かめないが、ロシア社会民主(労働)党がメンシェヴィキ派とボルシェヴィキ派に決定的に分裂したときが「ボルシェヴィキ」党創立だとすると、1917年よりもとっくの前から、レーニンが指揮するボルシェヴィキ党は存在している。上に触れたが、1918年春に「共産党」と改称したが、むろんそのときは「ロシア共産党」。
 江崎道朗の関心のなさまたは無知は、チェカと赤軍(情報部)に関する叙述にも見られる。
 チェカと赤軍(情報部)はもともと別の目的を持つ機関のはずだが、江崎の本のp. 84は「国外からの反革命に対しても、当初はチェカーが対応していた」と記して何とかつないでいるようだ。
 但し、外国やその組織の「策略」・「使嗾」による<国内での>反革命運動・人物ならば当然にチェカの監視等の権限の範囲になる。
 それはともかくとしても、p.81-p.82のチェカやジェルジンスキーに関する叙述はいったい何なのだろう。
 「コミンテルン」なるものの中に、江崎は当然にロシア・ソ連国内の「政治秘密警察」部門も含めることになる。全てが<ごちゃごちゃ>だ。
 また、ジェルジンスキーが強く関与することになったと江崎が書く「赤軍・情報部」とはどういう組織なのか。
 江崎道朗はトロツキーの主張として叙述する中で、p.84に「赤軍(ソ連共産党軍)参謀本部に情報部門を設置すべきだ」と彼は主張した、旨を記している。
 トロツキーが赤軍=「ソ連共産党軍」と理解しているはずはない。
 江崎に尋ねたいものだ。ソ連共産党には「軍」があり、ロシア革命後の国家であるロシア・社会主義共和国連邦やソ連には「軍隊」はなかったのか?
 いや,江崎道朗には、どうでもよいことなのだろう。
 社会主義ロシアもソ連もボルシェヴィキ・共産党もどうだってよいのだ、この人には。さらに、これらと「コミンテルン」の区別もまた、この人にはどうだってよいのだ。
 今回の冒頭に記したように、共産主義(者)=「コミンテルン」なのだ、江崎道朗にとっては。ああ、恥ずかしい。/つづく。

1766/江崎道朗・コミンテルンの…(2017)⑦。

 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)-①。
 この本は秋月瑛二にある種の大きな「諦念」と「決意」を裡に抱かせたものなので、全体を読むに値しない本だとは思いつつ、もう少しコメントを続けよう。
 江崎道朗は、昨年に上に続いてつぎの本もある。
 ②江崎・日本は誰と戦ったのか(KKベストセラーズ 、2017.11)
 前者には末尾に参考文献のリストはないが、後者は末尾にじつに多数の文献を列挙している。
 その中には、前者①で当然に参考文献として明示されていても不思議ではない、(もとは月刊正論(産経)に連載されていたはずの)福井義高・日本人が知らない最先端の「世界史」(祥伝社、2016)も挙げられている。
 この福井著は「第5章/『コミンテルンの陰謀』は存在したか」を含む。そして江崎の①よりもはるかにこの主題をよく知っていて興味深いのだが、江崎の①はこれを完全に無視している、と言ってよい。
 後者②で名前だけ(?)列挙しつつ、じつはきちんと読んでいないのではないかと推測されるのは、この福井著以外にも多数ある(なお、福井義高は上掲書の続編の「2」も昨年に出版している)。 
 また、後者の参考文献リストを見て不思議に思ったのは、http//: 等々のいわゆる電子情報の所在を記したものが、少なくなくあったことだ。ウェブ上の関係情報も自分(江崎)は見ているぞ、ということなのだろう。
 しかし、江崎道朗がウェプまたはネット上の関係電子情報を少なくともきちんと読んでいるのかは、全く疑わしい。
 なぜなら、昨年の夏の上の①では、コミンテルンの「謀略」をテーマの重要な一つにしながら、レーニン全集やスターリン全集等々のとっくに邦訳書がある中で、レーニンやスターリン等のコミンテルンに関する、またはコミンテルン大会や同執行委員会での報告・演説にすら全く目を通していないことが、ほとんど明瞭なのだ。
 したがってむろん、福井・上掲著p.93-96のレーニン全集からの引用部分など、「共産主義」と日本の間に密接に関係しているにもかかわらず、江崎は知らないことになる。
 江崎道朗の仕事のキー・パーソンは、山内智恵子という人物かもしれない。
 この人名は前者①の「はじめに」に世話・支援への感謝の対象として出てくる。
 一方、この山内智恵子という名は、後者②ではいわゆる「奥付け」の中に「構成・翻訳」として記載されている。
 推測されるのは、後者②で列挙されている多数の(少なくとも)英語文献はすべてこの山内が翻訳したものであって、その邦訳文書を江崎は見たかもしれないが自分自身は直接に原書を読んでいないこと、そして上に言及した)http//: 等々のいわゆる電子情報は全て山内が気づいたものであって、おそらくは翻訳メモ類を見る以外には、江崎道朗は何ら関与していない、ということだ。
 それに、「構成」とはいったい何のことだろう。江崎道朗は、章や節の組み立て自体も山内智恵子に任せているのではないか。
 そしてまた推測するに、後者②は、特定の一つまたは二つの(邦訳書がない)英米語文献を-櫻井よしこがしばしばするように-「下敷き」にして、自分の文章のごとく<巧く>まとめたものだろう。
 江崎道朗は、いったいどんな自分の本の出版の仕方をしているのだろう。
 出版不況とか言われている中で、<悪書は良書を駆逐する>(これはどこか違ったかもしれない)。
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 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(2017.08) 
 この本が決定的に間違っていて、全体としては<政治的プロパガンダ>=政治宣伝のアジ・ビラにすぎない点は、聖徳太子の十七条の憲法-五箇条の御誓文-大日本帝国憲法という単直な流れを「保守自由主義」なるもので捉え、かつ明治天皇と昭和天皇をこの流れの上に置いていることだ。
 上にすでに、少なくとも三つの論点が提示されている。
 ①聖徳太子の十七条の憲法-五箇条の御誓文-大日本帝国憲法、とつなぐのは適切か、いかなる意味で適切か。平安、鎌倉、江戸等々の時代には何もなかったのか。
 ②「保守自由主義」と理解するのは適切か。そして、そもそも「保守自由主義」とは何か。
 ③上の中心?線上に明治天皇・昭和天皇を位置づけるのは適切か。いかなる意味でそうなのか。これは、明治天皇と昭和天皇を本来は分けて検討する必要もある。
 江崎道朗のこの本が提起している論点は、こんなものだけではない。
 基本的な論点になるが、江崎は「保守自由主義」を「左翼」と「右翼」の「全体主義」とは別のものとして位置づける。
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 回を改めるが、じつにいいかげんなことに、江崎道朗は、「保守自由主義」、「左翼全体主義」、「右翼全体主義」そして「左翼」・「右翼」および「全体主義」のきちんとした定義、理解の仕方をほとんど示していない
 決定的な、致命的な大欠陥だ。文学部出身者らしく?、イメージ・ムード・雰囲気・情緒だけで書いているのだ。 ほとんど<むちゃくちゃ>な本だと言える。
 次回以降により丁寧には書くが、また、例えば、「共産主義」と「社会民主主義」には最初の方で意味の説明をいちおうはしつつ、のちに急に「社会主義」という言葉を登場させるが、「社会主義」という語の解説はない。
 なぜこんな不思議な、奇妙キテレツの本が、新書として販売されているのだろう。
 江崎道朗が参照する文献のきわめて少ないことおよび「左翼」文献があること、これらによってレーニンまたは共産主義・社会主義に関する記述がきわめて「甘い」、「融和的」なものになっていることは別に触れる。

1747/江崎道朗・コミンテルンの…(2017)⑥。

 江崎道朗はわが国の2014年の特定秘密保護法について、下の著の当該箇所でこの法律に反対せず、むしろこれを前提として、「特定秘密」を入手する者の中に「スパイ」がいる場合の危険性を、戦前にゾルゲ事件と密接にかかわった「ソ連のスパイ」尾崎秀実を例に挙げて指摘している。
 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(2017.08)、p.34-35。
 この江崎の著が加藤哲郎・ゾルゲ事件(平凡社新書、2014)の一部を肯定的に引用し江崎の本の二頁余も下敷きとして用いていることは、すでにこの欄で触れた。同上、p. 387-9。
 加藤哲郎はいかなる関心からゾルゲ事件について探求し、また、上記の特定秘密保護法をどう見ているのか? 
 加藤・上掲書の「あとがき」p.243は、この書の意図はゾルゲ事件にかかる「通説、通説的イメージに挑戦」することだとし、戦前特高警察・裁判記録等によるストーリーを疑問視する、と明記している。江崎道朗・上掲書とは、関心が大きく異なるようだ。
 また、特定秘密保護法について、加藤はこう書く。p.245-6。
 特定秘密保護法を支持する「世界一の発行部数」の新聞社の某論者は、「ゾルゲ事件を引き合いに出して、明らかに特定秘密保護法制定のために利用しようとしている」。
 江崎は、特定秘密保護法の限界を尾崎秀実等の「ゾルゲ事件」犯罪者に言及して指摘する。
 加藤は、ゾルゲ事件に論及して特定秘密保護法を支持しようとする議論に反撥する。
 両者は、ほとんど真逆の立場にいる。
 なお、加藤は「安倍晋三首相の靖国神社参拝」に批判的であることも明らかにしている(p.247)。加藤哲郎は、日本共産党員ではなくなっていても、「左翼」ではあるのだ。
 さて、当然の疑問に行き着く。
 江崎道朗は、いかなる意味で、いかほどの吟味を行った上で、その自分の著で加藤哲郎の上掲書を肯定的に引用しかつ下敷きにしているのか?
 答えはおそらく、単純だろう。
 江崎道朗は加藤哲郎がどういう学者・研究者であるかを知らず、詮索しようともしていない。ひょっとすれば一橋大学名誉教授という「肩書き」にだまされている可能性がある。。
 かつまた、加藤・上掲書の「あとがき」部分に全く目を通していない。この部分を読めば、江崎道朗の少なくとも特定秘密保護法についての見方やゾルゲ事件への関心とは異なるそれらの持ち主であることは明らかだ。
 江崎の本の最後の方に加藤の本への言及が出てくるのを見ると、執筆時間の最後の方になって加藤の本から急いで<江崎のストーリーに都合のよいところだけ>抜き出したのだろう。あるいは、『ゾルゲ事件』と題打つ近年の新書を無視してはマズいと判断したこともあるかもしれない。
 こうした、参照または利用文献の処理のいいかげんさは、江崎道朗の上掲書の中に随所に見られる。この後も、余裕があれば、いくらでもこの欄で指摘する。
 ところで、加藤哲郎はいわば<左派>の「インテリジェンス」研究者を目ざしているようだ(加藤・p.247)。
 江崎道朗は、2017夏の書物で安易に加藤哲郎の本を基礎にしている。
 この江崎に「インテリジェンス」の重要性を説く資格があるのだろうか?
 この加藤の本に関する例は、わずかな一端だ。
 江崎道朗もまた、戦後日本を覆う「インテリジェンス」活動にすでに敗北してしまっている、と思われる。その例もまた、余裕があれば、この欄で指摘する。

1741/江崎道朗と加藤哲郎・白井聡。

 L・コワコフスキはその大著の第二巻第10節の最初の第二文と第三文でこう書く。-そのうちに試訳全体はこの欄に掲載する予定だ。
 第二/レーニンの大量の著作の「読者は必ずや、彼の文体の粗暴さ(coarseness)と攻撃性に強い印象を受ける。それらは、社会主義の文献の中で、並び立つものがない。」
 第三/「レーニンによる論駁は、愚弄(insults)とユーモアの欠けた嘲笑(mockery)で満ちている。」
 コワコフスキの著に接しながら、またレーニン全集の文章の一部を読みながら、上とほとんど全く同じ感想をもつ。そして想う、こんな文章ばかりを何年も読んでいると、どういう人格・個性・心性の人間になってしまうのだろう、気の毒なことだ、と。
 そして同時に連想するのは、この欄で一度だけ取り上げた、そしてなおも掲載できる素材のある、白井聡という人物だ。つぎの本について、この欄ですでに触れた。
 白井聡・未完のレーニン(講談社選書メチエ、2007)。
 白井聡は、一橋大学の大学院の学生時代、ロシア原語で(極端にいうとだが)レーニンばかりを読んでいたように見える。その時代の論文が上の本の基礎だったはずだ。
 まだ若いはずだが、学界・アカデミズムの中ではともかく、「左翼」系の、又はある程度売れれば何でもよいと考える出版社・編集者の間ではある程度の「地歩」をすでに築いているように見える。
 将来に変わる見込みはなさそうでもあるので、この人にはいずれまた、論及したい。
 これも断定はし難いとは言え、おそらく間違いなく、一橋大学大学院での白井聡の指導教授だったのは、加藤哲郎だ。
 加藤哲郎は、この欄で本格的には言及した記憶はないが、1990年頃、つまり東欧・ソ連の「社会主義」激動期までずっと(いつからかは知らない)日本共産党員で、その頃に離脱したようだ(一昨年秋以降に収集した日本共産党関係の書物の年表がこの人物を含む数名を批判した旨のことを記載していた)。
 いうまでもなく、日本共産党員ではなくとも、あるいは「反」・「非」日本共産党であっても、共産主義者であることはあるし、「左翼」にとどまっていることもある(有田芳生はその好例だ)。そして、加藤哲郎は依然として、少なくとも「左翼」=容共ではあるだろう。
 加藤には、こんな本もある。
 加藤哲郎・ゾルゲ事件-隠された神話(平凡社新書、2014)。
 この加藤の本をつぎのように肯定的に評価し、二箇所の直接の引用で計13行を用い、二頁にわたる記述の基礎にしている書物がある。
 加藤の上の著は「ソ連崩壊後に公開された一次史料を使って、ゾルゲ事件についてこれまで知られていなかった新事実を紹介している」。
 そのとおりかもしれない。だが、加藤哲郎はいかなる関心からゾルゲ事件に関する探索をしたのだろうか。
 そのような検討や執筆者の政治的立場を全く考慮していないと見られる上の書物とはつぎで、該当頁もつぎのとおりだ。
 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(2017.07)、p.387-9。 
 江崎道朗は自らを「保守」派だと、しかも「保守自由主義」者だと考えているようだ。但し、外国の「左翼」または共産主義者・当該国の共産党員による書物を一部でかつ何箇所も下敷きにして上の本を2017年夏に刊行していたとしても、驚く必要はない。

1735/江崎道朗・コミンテルンの…(2017)⑤。

 先に江崎道朗の以下の本は目次の前の「はじめに」冒頭の第二文から「間違っている」と書いた。
 この本は、その第一章の本文の第一文からも「間違っている」。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 「第一章/ロシア革命とコミンテルンの謀略」の最初の文。p.30。
 「アメリカでは、今、近現代史の見直しが起こっている」。
 「今」とは、2016-17年のことだろうか。
 そうではなく、続く文章を読むと、1995年のいわゆる「ヴェノナ文書」の公開以降、という意味・趣旨のようだ。
 「見直し」という言葉の使い方にもよるが、アメリカの近現代史について、より具体的には戦前・戦中のアメリカの対外政策に対する共産主義者あるいは「ソ連のスパイたち」による工作の実態については、1995年以降に知られるようになったわけでは全くない。
 江崎は能天気に、つぎのように書く。p.30。
 1995年の「ヴェノナ文書」の公開により、「…民主党政権の内部にソ連のスパイたちが潜み、…外交政策を歪めてきたことが明らかになりつつある」。
 「明らかになりつつある」のではなく、とっくにそれ自体は「明らかだった」と思われる。より具体的な詳細に関する実証的データ・資料が増えた、ということだけのことだ。
 中西輝政らによる「ヴェノナ文書」の邦訳書の刊行をそれほどに重視したいのだろうか。
 1995年以前からとっくに、アメリカの軍事・外交政策に対するソ連(・ソ連共産党)やアメリカ内部にもいる共産主義者の影響・「工作」は知られていた。 
 江崎道朗のために関係文献を列記しようかとも思ったが、手間がかかるのでやめる。
 思いつきで書くと、例えば、戦後一時期の<マッカーシーの反共産主義運動>(マッカーシズム)はいったい何だったのか。
 アメリカには戦前・戦中に共産党および共産主義者はいなかったのか。アメリカ共産党が存在し、労働組合運動に影響を与え政府内部にも職員・公務員として潜入していたことは、当の本人たちがのちに語ったことや、先日に列挙した総500頁以上の欧米文献の中にH・クレアのアメリカ共産主義の全盛期を1930年代とする書物があり、1984年に出版されていることでも、とっくに明らかだった。 
 アメリカ人、アメリカの歴史学者を馬鹿にしてはいけないだろう。日本における以上に、コミンテルン、共産主義、チェカの後継組織等に関する研究はなされていて、江崎道朗が能天気にも<画期的>なことと見ているくらいのことは、ずっと以前から明らかだったのだ。
 昨年・2017年に厚い邦訳書・上下二巻本が出た、H・フーバー(フーヴァー)の回顧録を一瞥しても、明らかだ。
 自伝でもあるので、H・フーバー元大統領(共和党)は戦後になって後付け的にF・ルーズベルトを批判している可能性も全くなくはないとは思っていたが、彼はまさにF・ルーズベルト政権の時期に、FDRの諸基本政策(ソ連の国家承認を含む)に何度も反対した、と明記している。
 「見直し」といった生易しいものではなく、まさにその当時に、「現実」だった歴史の推移に「反対」していた、アメリカ人政治家もいたのだ。
 なお、H・フーバー(フーヴァー)はロシア革命後のロシア農業の危機・飢饉の際に食糧を輸送して「人道的に」支援するアメリカの救援団体(ARA, American Relief Administration)の長としてロシアを訪れている(1921年。リチャード・パイプス(Richard Pipes)の書物による。この欄に当該部分の試訳を掲載している)。
 反ボルシェヴィキ勢力を少しは助けたい意向もあったと思われるが、いずれにせよ、革命後のロシアの実態・実情を、わずかではあっても直接に見た、そして知った人物だ。
 この人物の「反・共産主義」姿勢と感覚は、まっとうで疑いえないものと考えられる。
 このH・フーバー(フーヴァー)の原書が刊行されたことは、2016年には日本でも知られていて、その内容の一部も紹介されていた。
 しかし、江崎道朗の上掲書には、この本あるいはH・フーバーへの言及が全くない。
 アメリカ政治・外交と「共産主義者」との関連を知るには、限界はあれ、不可欠の書物の一つではないか。
 邦訳書・上巻が2017年の夏に出版されたことは、言い訳にならない。私でも、2016年の前半に、H・フーバーの書物の原書の一部を邦訳して、この欄に掲載していた。
 江崎道朗は上掲書のどこかで<歴史を単純に把握してはいけない、多様なものとして総合的に理解する必要がある>とか読者に説いて?いたが、アメリカの近現代史をアメリカ人がどう理解してきたかについて、江崎は自分の言葉を自分に投げつける必要があるものと思われる。 
 こんな調子で江崎道朗著についてコメントを続けると、100回くらいは書けそうだ。

1730/R・スクルートン『新左翼の思想家たち』(2015)。

 Roger Scruton, Fools, Frauds and Firebrands - Thinkers of the New Left (2015, Bloomsbury 2016).
 =ロジャー・スクルートン『馬鹿たち、詐欺師たちおよび扇動家たち-新しい左翼の思想家たち』。(タイトル仮訳)
 英米両国で初版が刊行されているイギリス人らしき著者のこの本は、一度じっくりと読みたいが時間がない(たぶん邦訳書はない)。
 江崎道朗のように日本共産党系または少なくとも共産主義者・「容共」の出版社である大月書店(マル・エン全集もレーニン全集もこの出版者によるものだ(だった))が出版・刊行した邦訳書を「コミンテルン史」に直接に関係する唯一の文献として用いて(しかも邦訳書を頼りにして)かなりの直接引用までしてしまう、という勇気や大胆さは私にはない。
 K・マグダーマット=ジェレミ・アグニュー・コミンテルン史(大月書店、1998)。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と…(2017)、p.50に初出。
 また、上の二人の外国人(アメリカ?、イギリス?)がどういう研究者であるかも確認しないで「コミンテルン史」に直接に関係する唯一の文献の原本として利用するという勇気も大胆さも、秋月瑛二にはない。
 書名が少しふざけている感もあって(アホ・だまし屋・火つけ団)、上記のRoger Scruton についてはネット上で少し調べてみた(江崎道朗はおそらく、K・マグダーマットとジェレミ・アグニューの二人について、このような作業すらしていない)。
 そして少なくとも、全くのクズで読むに値しない著者および本ではない、ということを確認した。私は知らなかったが、イギリスの立派な<保守派>知識人の一人だと思われる(だからこそ一つも邦訳書がないのではないか)。
 2015年にイギリスの人が「新しい左翼(New Left)の思想家たち」としてどのような者たちを取り上げて論評しているかが「目次」を見ておおよそ分かるので、この欄で紹介しておこう。本文に立ち入って読めば、「仲間たち」の名がもっと出てくるのだろうが、目次に見える名前だけでも、現在の日本人には興味深いのではなかろうか。
 以下、目次(contents、内容構成)の試訳。
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 序説。
 1 左<左翼>とは何か?
 2 イギリスにおける憤懣-ホブスボームトムソン
 3 アメリカにおける侮蔑-ガルブレイスドゥオーキン
 4 フランスにおける解放-サルトルフーコー
 5 ドイツにおける退屈-ハーバマスへと至る下り坂。
 6 パリにおけるナンセンス-アルチュセールラカンおよびドゥルーズ
 7 世界に広がる文化戦争-グラムシからサイードまでの新左翼<New Left>。
 8 海の怪獣<?The Kraken> が目を覚ます-バディウジジェク
 9 右<右翼>とは何か?
 氏名索引。/事項索引。
 以上、終わり。
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 名前だけはほとんど知っていたが、バディウ(Badiou、フランス人)だけは今も全く知らない。イギリスのトムソンとは1970年代にレシェク・コワコフスキとの間に公開書簡を交わしたE・トムソン(Thompson)のことで、この本で取り上げられるほどに有名な「新(しい)左翼」人士だとは、この人に言及するT・ジャットおよびL・コワコフスキに接しても、全く知らなかった。
 あくまで Roger Scruton によれば、ということにはなるが、上掲の者たちは<真ん中>でも何でもなく<左翼>(または<新左翼>)とされる人士であることを、日本人は知っておいてよいだろう。
 T・ジャットによると、エリック・ホブスボーム(E. Hobsbawm)はずっとイギリス共産党員だった(党籍を残していた)。
 サルトル(Sartre)はあまりにも有名だが、ミシェル・フーコー(M. Foucault)の名も挙げられている。
 この人の本(邦訳書)は少しは所持していて、少しは読んだことがある。
 そして、このフーコーは文字通りに<狂人>だと感じた。
 このミシェル・フーコーを「有名な」フランスの思想家だなどとして真面目に読んでいると、<完璧な国家嫌い=強靱な反体制意識者>になるのではないか。
 記憶に残るかぎりで、国家は収容者を監視する監獄のようなものだ、という意識・主張。そして、国家による刑罰も否定する感情・意識。
 国家の刑罰権力自体を否定し、「犯罪」者を国家が裁いて制裁を加える(=刑罰を科す)こと自体を一般に否認することから出発する刑法学者が実際にいるらしいことも(そしてM・フーコーは愛用書らしいことも)、よく理解できる。
 ドイツの「歴史家論争」でエルンスト・ノルテの論敵だった(そして邦訳書が多数ある)ハーバマス(Habermas)のほか、<ポスト・モダン>とかで騒がれた(今でも人気のある?)フランスの人たちの名も挙げられている。日本での<ポスト・モダン>はいったい今、どうなっているのだろう。
 日本では、「思想」も「イデオロギー」も、ある程度は、流行廃りのある<商品>のごときものだ、という印象を強くせざるを得ない。
 その<商品>売買に関係しているのが、朝日新聞・産経新聞を含む<メディア>であり<情報産業>なのだ(月刊雑誌・週刊誌をもちろん含む)。翻訳書出版は勿論で、「論壇」なるものもその一部だろう。
 そして、この日本の<情報産業界>は例えば選挙を動かし、政治という日本の「現実」にも影響を与えている。

1729/戦後の「現実」と江崎道朗・コミンテルン…(2017)④。

 2018年は「明治150年」とされ、これは明治改元の1868年から丁度150年経つことを意味するようだ。明治への改元は1868年の途中で溯ってなされたもので、実質的な変革・維新の時期を月次元で把握しようとした場合に正確なものではない。改元はかなり形式的なものだ。「明治維新」といっても、その意味や始期・終期については諸説あるはずだ。
 実質的に「明治」、「明治新政権」あるいは「明治国家」がいつの何を区切りとして始まったのかは、一つの興味の湧く問題でもある。
 1967年末の「大政奉還」ではないはずだ。奉還した「大政」が徳川慶喜を含む(旧)幕府人材を含む新しい(江戸幕府を実質的にはかなり継承するような)政権に再び「委任」されることは十分にありえた。それを恐れての、同日の「倒幕の密勅」発布だったとの説も有力で、この密勅自体がニセだったとの説もある。
 では、神・先祖に明治天皇が誓ったという五箇条の御誓文奏上の日が始期なのか。
 このあたりは、微妙だ。
 また立ち入ることにして、いずれにせよ、「明治150年」だ。
 この数字から連想して、各時期の年数を単純な引き算で計算してみると、つぎのようになる。
 A①明治(改元・五箇条の御誓文)から終戦まで、77年。
  ②明治(改元・五箇条の御誓文)から対米戦争開始まで、73年。
  ③明治(改元・五箇条の御誓文)から南太平洋からの日本軍撤退まで、75年。
 B④大日本帝国憲法発布から終戦まで、56年。<あと4年または2年減らすと上の②・③に対応>
 C⑤終戦から2018年まで、73年。
  ⑥対米戦争開始から2018年まで、77年。
  ⑦南太平洋からの日本軍撤退から2018年まで、75年。
 D⑧日本国憲法施行から2018年まで、71年。
 以上の今年2018年を昨年の1917年に変えて、1年ずつ下加減すると、上の①~⑧の数字も簡単に分かる。
 上のAとCを比べて容易に判明するのは、明治-終戦の年月と、終戦-現在の年数は、数年の違いはあるがほとんど同じ、ということだ。
 つまり、明治国家は長く存在したように感じている日本国民は多いのかもしれないが、じつは戦後は、つまり戦後昭和と平成を合わせた年数は、「明治国家」(かりに大正と戦前昭和も加える)と同じほどにすでに達している、ということだ。
 また、Bの明治憲法のもとでの日本よりもはるかに長い、「日本国憲法」下での日本が経緯しようとしている。
 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦((PHP新書、2017)。 
 再び言及する。p.410。
 「日本の政治的伝統、つまり聖徳太子から五箇条の御誓文、大日本帝国憲法に至る『保守自由主義』」。
 本文でもっく詳しく叙述しているのだろうが、この部分は誤りだと江崎道朗が主張するはずはないものと思われる。
 江崎道朗に尋ねたいものだ。
 戦後73-74年(これは五箇条の御誓文から対米戦争開始までとほぼ同じ)の日本の「政治的伝統」はどうだったのか、どうなったのか。
 戦後を含まないそれ以前の「政治的伝統」だけを見て、日本の「政治的伝統」を理解できるのか。
 頭の中では、戦後の長き「現実」は吹っ飛んでしまっているのではないか。
 江崎道朗のいささか単純な<保守自由主義>と<左右>全体主義の対比というものが1917年・ロシア革命、1918年・ボルシェヴィキの「ロシア共産党」への改称、1919年・コミンテルン(共産主義者インターンショナルも第三インターナショナル)以降の敗戦までの日本の歴史叙述に万が一役立つとして、そのような図式・対比は、いったい戦後、そして今日ではどうなっているのか?
 「戦後」に日本は新しい「政治的伝統」を作ったのか? それとも江崎のいう「保守自由主義」は再びよみがえったのか?
 歴史から現代への教訓を得ようとすれば、とくにアカデミズムの世界にはいない評論家としての江崎道朗としては、現実の日本、今日の日本の政治状況を、そのいう「日本の政治的伝統」に関する見方からも論及しないと完結しないだろう。
 誰も江崎道朗を専門的な歴史学者などとは考えていない。゜
 聖徳太子の第十七条の憲法や五箇条の御誓文への高い評価は櫻井よしこや伊藤哲夫らと同じだが、江崎道朗はいったい「日本会議」という政治運動団体のことをどう評価しているのか、知りたいものだ。
 しかし、少なくとも広い意味では「産経文化人」の一人の江崎道朗には、「日本会議」を論じてほしいと言っても、所詮は無理な願望になるかもしれない。
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 平成30年。昭和も、遠くなりにけり。
 ・昭和枯れすすき-1974年=昭和49年/作詞・山田孝雄、歌唱・さくらと一郎
 「貧しさに負けた いえ、世間に負けた
  この街を追われた いっそ きれいに 死のうか
  力の限り生きたから 未練などないわ
  花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき」
 ・昭和ブルース-1969年=昭和44年/歌詞・山上路夫、歌唱・ブルーベルシンガーズ
   「生まれたときが悪いのか それとも俺が悪いのか
  何もしないで生きていくなら それはたやすいことだけど
  この世に生んだお母さん あなたの愛に包まれて
  何も知らずに生きていくなら それはやさしいことだけど
  見えない鎖が重いけど 行かねばならぬ俺なのさ
  誰も探しにいかないものを 俺は求めて一人行く」

1726/江崎道朗・コミンテルン…(2017.08)③。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 一 きちんと本文を読み終えてからと思っていたが、今のうちに書いておこう。
 先に「昨2017年の八月半ば以降に大幅にこの欄への文章を書くのを止めたのは、半分程度は、上の本の(消極的な)衝撃による」と書いた内容は、そのとおりだ。
 この本の衝撃というのは、しかし、ロシア革命・レーニン・コミンテルン等に関する正確な又は厳密な知識の欠如によるものではない。そのようなことは、中西輝政(や西尾幹二)にもあるだろう。
 すでに昨年に触れてはいるが、江崎の上の本の「おわりに」にこうある。
 「われわれはいまこそ、五箇条の御誓文に連なる『保守自由主義』の系譜を再発見すべきなのである」。
 「…戦前のエリートたちの多くは、日本の政治的伝統、つまり聖徳太子から五箇条の御誓文、大日本帝国憲法に至る『保守自由主義』に対する確信を見失っていた」。
 何と呆けたことを書いているのだろう。
 月刊正論執筆者の中でも、反共産主義意識が強く、何とか<冷戦史観>とか言って東アジア・日本の現在での<冷戦>を指摘していたはずの江崎道朗ですら、上のようなことを書いているのだ。
 ほとんど腐っている。どうしようもないところまで来ている。
 上に書いているようなことは、私の読書範囲内に限っても、櫻井よしこと伊藤哲夫と全くかほとんど同じ。要するに、<日本会議派の史観>なのだ。
 江崎は、可能ならば、別途きちんと論じるべきだろう。
 五箇条の御誓文のいったいどこが、「保守」で「自由主義」なのか。 
 聖徳太子(の例えば「十七条の憲法」)のいったいどこが、「保守」で「自由主義」なのか。
 現実にあった「明治維新」の当初の理念宣明書とされる五箇条の御誓文は、「保守」ではなく幕府政治を解体するための(革命といわずとも、「維新」という)<大変革>に向けての宣言書だ(原案は、吉田松陰の死体を見た数少ない者の一人、木戸孝允が書いた)。「王政復古」=「保守」なのでは断じてない。
 また、五箇条の御誓文のいったいどこが「自由主義」なのか。
 近現代一般の議論として単純に共産主義対「自由主義」というシェーマを採用しているならばよいが、明治維新・五箇条の御誓文についてこれを語るのは飛躍しすぎだし、江崎における「自由主義」なるものの意味を、五箇条の御誓文の内容に即して説明してもらわないといけない。
 二 「情報産業」就労者としての著述者の一人である江崎道朗は、月刊正論(産経)の毎号執筆者としての地位(職・対価)を確保したいのかもしれない。
 食って生きていくためには、仕方のないことなのかもしれない。
 月刊正論、そして産経新聞の「固い」読者層である<日本会議>とそれに連なる諸々の人々の支持を受け、<味方>にしておくのは、<生業>にかかわる本能なのかもしれない。
 原田敬一の岩波新書等について、一種の信仰告白が必要なのではないか、それを実行しているのではないかとこの欄で記したことがある。
 江崎道朗も、それをしているのかもしれない。
そのような、事実上は強いられた、偽装をある程度は含む「保守自由主義」の美化ならばまだよい(この概念自体には何ら反対しない。しかし、聖徳太子や五箇条の御誓文と結びつけては、絶対にダメだ)。
 しかし、どうやら江崎道朗は、「日本の政治的伝統、つまり聖徳太子から五箇条の御誓文、大日本帝国憲法に至る『保守自由主義』…」と本当に考えているようだ。
 三部作か四部作の一つかどうか正確には知らないが、これでは、致命的だ。
 身震いがするほど、怖ろしい。なぜ<反共>が、櫻井よしこが明記する<明治の元勲たち>の称揚、と同じような歴史観と結びつくのか。
 「時宜にかなった幻想」は強力だ(T・ジャット)ということを、思い知らされているのかもしれない。

1725/江崎道朗・コミンテルン…(2017)②-2017年秋。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)
 昨2017年の八月半ば以降に大幅にこの欄への文章を書くのを止めたのは、半分程度は、上の本の(消極的な)衝撃による。
 秋月瑛二のいう<反・共産主義>の意味での「保守」-それと同義で「自由主義」/元来の・伝統的な「リベラリズム」という語を使ってもよい-の立場で種々書いてはきているが、江崎の上の本を一瞥して、即座に感じた。
 どうしようもないところにまで来ている。ほとんど総崩れだ。
 身震いするほど、怖ろしい。
 日本の「保守」派らしき人々は、ほとんど信頼できない。「保守」と自称しないで、むしろそれと自らを区別しているらしき、池田信夫や八幡和郎等の方が、「反・共産主義」という点ではしっかりしているのではないか。
 そののちに、上の江崎道朗著の推薦文をオビに書いている中西輝政のいかがわしさにも気づいた(何回か昨秋頃にこの欄に記した)。
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 江崎道朗の上の本(新書)の「はじめに」は、二行め、本の第二文から間違っている
 「1917年に起きたロシア革命によってソ連という共産主義の国家が登場した」。
 1917年「二月革命」ではなく10月(または新暦で11月)と特定していないことは、まぁよい。
 しかし、1917年10月の「ロシア革命」によって登場したのは、「ソ連」ではない
 ソ連=ソヴィエト連邦=ソヴィエト・社会主義共和国連邦という国家(連邦国家)が成立したのは「戦時共産主義」よりも「ネップ政策導入決定」よりも後、1922年だ。
 上のロシア革命によって成立したとされたのは、ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国で「大ロシア人」地域を領域としており、地理的にも、のちのソ連と異なる。
 江崎道朗は、こんなことにすら無頓着で、「ソ連」はロシア革命によって生まれた、と単純に理解したまま、大切な本の二行めに書いてしまっているのだ。
 ついでに書いておこう(秋月瑛二は専門家でも何もないが,江崎道朗に教えてあげよう)。
 ソヴィエト・ソビエト・ソヴェトとは地名その他の固有名詞ではなく、多くの人が知っているだろうように(江崎がどうなのかは知らない)「会議」とか「評議会」とか訳せる普通名詞だ(council, Rat)。
 そうした名詞が国家名に使われ、チャイナとか朝鮮とかの固有名詞(王朝・氏族名を含む)が使われていないのは、おそらく希有のこと(だった)だろう。
 以下の方が重要だ。
 ロシアで最初の「ソヴェト」の設立・結成に、レーニンらボルシェヴィキは関与していない。
 また、ペテログラード・ソヴェト等のソヴェトの主導権を、ほとんどの間、レーニンらボルシェヴィキ(のちロシア共産党に改称、ソ連共産党へと発展)は握っていなかった。
 1917年のほんの一時期にレーニン・トロツキーらがソヴェトの多数派となり、実力行使も担当し、「10月革命」とのちに呼ばれるものが起きた(ことになっている)。
 しかし、のち、ソヴェト系列の国家機構を形骸化し、ボルシェヴィキ=ロシア共産党(江崎のために記すがまだソ連共産党ではない)が実質的な権力を掌握する。
 その後ずっと、ソヴェトというのは、実体・実質・実権が全くかほとんどないまま、1991年まで、ソ連という国家名の一部として、堂々と使われ続けた。
 ソヴェト・ソヴィエトという言葉に関する「詐欺」とすら言える。国名についてまで、ロシア・ソ連「社会主義・共産主義」国家は、異様・異形だったのだ。
 元に戻る。江崎道朗が「コミンテルン」を表題の重要な一部として使う本をかきながら、ソ連・ロシア革命・コミンテルンについて正確な知識を持たないことは、上の点のほか、つぎのことでも分かる。すでに「はじめに」の中に見られる。
 すなわち、とくにアメリカや日本に対する「工作」・「秘密工作」をする主体・主語として書かれているのは、「旧ソ連・コミンテルン」p.3、「ソ連」p.3、「コミンテルン」p.4、「ソ連・コミンテルン」p.5、「ソ連・コミンテルン」p.7、「コミンテルン」p.7、「ソ連・コミンテルン」p.8、「ソ連・コミンテルン」p.9、「ソ連・コミンテルン」p.12、「コミンテルン」p.12、p.13、「ソ連・コミンテルン」p.13、と一様でない。
 江崎道朗に教えてあげるが、「ソ連」と「コミンテルン」は同じものではない。
 同種のものとして扱うためには、その旨の注記が必要だ。
 また、同種のものと扱うのは、きちんとした書物であるかぎりは、間違っている。
 すなわちソ連(またはその前の社会主義ロシア)、ソ連共産党(またはロシア共産党)およびコミンテルンの三つは、きちんと区別すべきだ
 そうでないと、例えばスパイ・ゾルゲはいったいどの組織の「スパイ」・「工作員」だったのか、「スパイ」・「工作員」の相互連絡はどうしてなされたのか、等の解明ができなくなる。
 一昨年の秋にこの欄で、こうした関心から、尻切れになったかもしれないが、「国家・党・コミンテルン」とか題する(正確に確認しない)文章を書いたことがある。
 レーニンは、あるいはスターリンは、ロシアまたはソ連「共産党」と「コミンテルン」を巧く使い分けていたと見られる。かつ、非難されないように、決して「ソ連」とかの国家そのものとは厳密には区別していたように思われる。また、ソ連国家といっても、外交部署、治安・保安担当部署と「軍」の区別くらいは、少なくとも必要だろう。
 どうでもよいではないか、ということにはならない。
 そのように感じるのは、「保守自由主義」者らしき江崎道朗のかなり粗雑な、特定の読者層を意識した頭脳だけだろう。
 他にも、この著には、相当の疑問点・問題点がある。
 よい本が出たと、「日本会議」系の論壇者や活動員たちのように喜んでおれるわけがない。

1705/江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(2017年08月)①。

 この出版物を、慶賀とともに、悲痛な想いで一瞥した。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017年08月)。
 要点をできるだけ絞る。
 第一。「第一章/ロシア革命とコミンテルンの謀略」、p.29-96、について。
  1.日本への影響を叙述する、日本の書物の中では詳しいのだろう。
 しかし、決定的な弱点は日本語訳書に限っても、10冊も使っていないことだ。従って、説得力や実証性が十分ではない。
 参考にしている、または依拠している文献は、おそらく以下だけ。狭い意味でロシア革命とレーニン以外のものも含めて、欧米(+ロシア・ソ連)の文献そのものはないようだ。1950年代の古すぎる本は除外。出版社・翻訳者、刊行年は省略。
 ①クルトワ=ヴェルト・共産主義黒書/ソ連篇。
 ②アンヌ・モレリ・戦争プロパガンダ/10の法則。
 ③マグダーマット=アグニュー・コミンテルン史。
 ④ミルトン・レーニン対イギリス情報部。
(⑤春日井邦夫・情報と謀略。)
 江崎道朗のこの本の出版を喜ぶとともに、日本の現況を考えて、寒心に堪えない。身震いがする。怖ろしい。
 2017年の夏に、この程度の詳しさでも、日本人の執筆者が書いた、おそらくは先進的な叙述になるのだろう
 江崎が最も依拠しているのは上の③のようで、コミンテルン自体の文書やレーニンの文章は、この③の資料部から採用・引用しているようだ。
 2.江崎道朗に是非とも助言しておきたい。以下を読んで、参考にしてもらいたい。
 一部の試訳・邦訳をこの欄で試みている、①リチャード・パイプスのロシア革命本二冊、②レシェク・コワコフスキの本(マルクス主義の主要潮流)でも、ロシア革命とレーニンは詳しく扱われている(後者では、著者は「ハンドブックを意図する」と第一巻で書いているが、全3巻の中で、レーニンについてはマルクスに次いで詳しく叙述する)。 
 前者のリチャード・パイプスの二冊については一冊の簡潔版があって、これには邦訳書がすでにある。
 この邦訳書だけでもすでに、昔ふうの?レーニンの像とは異なるものが明確だ。
 リチャード・パイプスの本には「革命の輸出」という章もあって、当然ながらコミンテルンへの論及も、その背景・目的も含めてある(世界革命か一国革命かにも関わる)
 レシェク・コワコフスキの本は、今まで訳した中では(以下の重要な指摘を除いて)、レーニンの「戦争」観にも(当然ながら)論及がある。
 日本人の中では、学者もしていなことを先進的に?研究した,などと自信を持ってはいけない。
 3.一瞥して、私、秋月瑛二の方が<より詳しい。より多くロシア革命とレーニンについては知っている。>と感じた。
 例えば、江崎道朗は、つぎの重要なことに言及していない。しかし、秋月は気づいている。
 試訳では、L・コワコフスキの文章をこう訳した。この部分はかなり意味読解に苦労して、無理矢理訳したところもある(翻訳が生業ではないのだから、やむをえないと思っている)。8/5=№.1693。
 「1920年12月6日の演説で、レーニンは、アメリカ合衆国と日本の間でやがて戦争が勃発せざるをえない、ソヴィエト国家はいずれか一方に反対して他方を『支持する』ことはできないが、その他方に対する『決勝戦』を闘わせて、自国の利益のためにその戦争を利用すべきだ、と明言した。/ (全集31巻p.443〔=日本語版全集31巻「ロシア共産党(ボ)モスクワ組織の活動分子の会合での演説」449-450頁〕参照。)」//
 私は、レーニン全集の該当巻の該当するらしきところだけ探し出しているだけではない。自然に、前後も読んでしまうときがある。
 そして、レーニンがこのとき何を考えていたかの一部を理解した。レーニン全集日本語版31巻の上掲「演説」を参照。
 すなわち、第一に、日米間で戦争が(「帝国主義」国間の戦争が)起きるだろうと予測し、かつ期待した。
 第二に、日本がアメリカと闘わずにロシア・ソ連を攻める(いわばのちに言う「北進」だ)のを恐れた。
 明言はないが、<帝国主義国>相互を闘わせて、消耗させよう、と思っている。これは、ロシア・新ソ連の利益になる。また、日本がアメリカではなくて、ロシア・ソ連に向かうのをひどく恐れている。ロシア・新ソ連の<権力>を守るためだ。
 すでに、1920年のこと。日米戦争への明確な論及がある(江崎道朗はたぶん知らない)。
 スターリンは、このレーニンの「演説」も、じかに聞いたか、のちにじっくりと読んだに違いない。
 スターリン・ソ連が、日本が北と南のどちらに向かうかをきわめて気にしていたこと、それに関する情報を切実に知りたかったこと(ゾルゲ事件参照)は、その根っこは、遅くともすでに1920年のレーニンの文章・演説に見られる
 4.江崎は中西輝政を尊敬して、この分野(コミンテルンと日本)の第一人者だと思っているようだが、秋月瑛二のこの一年間の読書によると、中西輝政にも相当の限界がある。あくまで日本の学界内部では優れている、というだけではないだろうか。
 何しろ、中西がW・チャーチルを「保守」政治家として肯定的に評価しているようであるのは、スターリン時代にまで遡ると、きわめておかしい。
 戦後にようやく?<反共>政治家になったのかもしれないが、江崎道朗もしきりに言及しているようであるF・ルーズヴェルトとともに、<容共>の、かつ戦後世界に対する<責任>がある、と私には思われる。
 また、アメリカ等に対するコミュニズムの影響力を<ヴェノナ>文書でのみ理解するのでは、決定的に不十分だ。
 上の邦訳書づくりへの寄与をむろん肯定的に評価しはする。
 しかし、アメリカについては(おそらくイギリスについても)ロシア革命後の<アメリカ共産党>の創立とその運動についても、知らなければならないだろう。
 この欄でいずれ触れる。
 英語文献を知っている人ならば、英米の共産党(レーニン主義政党)の少なくともかつての存在に気づくはずだ。英米語が読めれば、何とか私でもある程度のことは分かる。2000年以降でも、アメリカ共産党や同党員だった者に関する書物は出版されている。
 リチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキだけが特殊ではない。
 日本の「共産主義者」や日本共産党にとって<危険な>欧米文献は全くかほとんど邦訳されていない、ということを知らなければならない。
 5.中西輝政あたりが、最高の、あるいは最も先進的な、<共産主義・コミンテルンの情報活動と日本>というテーマの学者・研究者だし思われているようであること。
 これは、日本の現況の悲痛なことだ。
 月刊正論執筆者の中では<反共産主義>が明瞭だと思われる江崎道朗ですら、リチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキの名すら知らず、ましてや原書を一部ですら読んでいないようであること。
 これまた、悲痛な日本の<反共産主義>陣営の実体だ。
 「日本会議」は日本共産党や共産主義と闘おうとしていない。この人たちにとってマルクス主義の過ちは、<余すところなく>すでに証明されているのだ。
 繰り返すが、リチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキだけではない。
 欧米文献を多少とも目にして分かることは、欧米にある<しっかりとした反・共産主義>の伝統だ。
 自らを<社会民主主義者>と称しているようであるトニー・ジャッドですら、<反・共産主義>の態度は決定的に明確だ。
 アメリカ的「社会的民主主義者」ないしは<自由主義者>であるらしきトニー・ジャッドがフランスのフランソワ・フュレのフランス革命観と「反共産主義」姿勢に同感していることは、アメリカでは決して珍しいことではないと思われる。
 日本では「社会民主」主義者は<容共>かもしれないが、少なくともアメリカのトニー・ジャッドにおいてはそうではない。
 このような脈絡でも、井上達夫の主張・議論・「思想」には興味がある。
 第二。「おわりに」より。p.414。
 この回を、急ごう。
 江崎道朗もまた、「明治維新」を分かっていない。理解が単純すぎると思われる。
 江崎は、反共産主義者でありかつ「保守自由主義」者のようだ。私もおそらく全く同じ。
 しかし、つぎの文章の内容は、絶対にダメだ。p.414。
 「われわれはいまこそ、五箇条の御誓文につながる『保守自由主義』の系譜を再発見すべきなのである」。
 ここに日本の「保守」派に多く見られる、明治は素晴らしかった、という、「日本会議」史観の影響があるようだ。この点に限れば、司馬遼太郎史観もそうかもしれない。
 「聖徳太子の十七条の憲法」と「五箇条の御誓文」をふり返るべき日本の「(保守的?)精神」だと単純に考えているようでは、先は昏い。絶望を感じるほどに、暗然としている。
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 江崎道朗の新書出版は、ある程度は慶賀すべきことなのだろう。
 しかし、途方もなく涙が零れそうになるほどに、日本の本来の「保守」=反・共産主義派の弱さ・薄さ(ほぼ=共産主義がとっくに「体制内化」していること)を感じて、やるせない。
 1991年の<米ソの冷戦>終焉から、四半世紀。日本人は、いったい何をしてきたのか。

1393/共産主義者/ハーバート・ノーマン-江崎道朗著等。

 一 先だって、中野利子が肯定的に評価していたH・ノーマンについて、もっぱら記憶に頼って、「ノーマンはGHQの日本占領初期の『協力者』であり、木戸幸一、都留重人らとも親交があり(近衛文麿を最後には見放したともされ)、日本共産党がいつからか『日本国憲法の父』とか称し始めた鈴木安蔵を見いだして憲法草案作成へと誘導した、ともされる日本にとって<重要な>人物」だ、「ノーマンの「共産主義者」性は、占領初期のGHQとも通底するところがあった」、と書いた。
 江崎道朗・アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄(祥伝社新書、2016)を全読了したが、第6章「日米開戦へと誘導したスパイたち」の中でハーバート・ノーマンについて本格的な言及があった。ノーマンは日本にとってはGHQ占領初期においてのみ重要な人物ではなかったし、江崎はノーマンを「おそらく…共産党の秘密党員」とする。以下、p.154以下。
 ・1925年設立のキリスト教布教目的の太平洋問題調査会(IPR)は、アメリカ共産党に乗っ取られた。1938年8月の企画会議には高柳賢三やハロルド・ティンパリーらが出席した。
 ・その後の会議で日中戦争に関する「調査ブックレット」の発行を決定した。共産党員を含む三人の編集委員が冊子執筆の依頼をした一人がハーバート・ノーマンだった。
 ・「おそらくイギリス留学中に共産党の秘密党員」になっていたノーマンは1940年にIPRから『日本における近代国家の成立』を刊行した。その本は、日本の対中国戦争は「日本自体が明治維新後も専制的な軍国主義国」だったからと説明し、コミンテルンの「日本=ファシズム国家」論を主張した。
 ・ルーズヴェルト大統領らは「このノーマン理論」を使って「対日圧迫外交を正当化」した。その他、IPRの「調査ブックレット」シリーズは「アメリカの対日占領政策の骨格」を決定した。
 ・マーシャル(陸軍参謀総長)の指示による軍からの委託によって、IPRは、種々の「反日宣伝映画」や「米軍将校教育プログラム」を軍・政府に大量に供給した。
 二 このノーマンについては、すでにこの欄の2008年06月08日に、中西輝政・日本の「岐路」(文藝春秋、2008)所収の「『冷戦』の勝敗はまだついていない」(とくにp.312-3)から引用して、つぎのように紹介していた。そのときの文章を再度ほとんどそのまま引用する。
 中西は「コミンテルン工作員」であるハーバート・ノーマンのしたことを、四点にまとめる(p.312-3)。第一。石垣綾子(スメドレーの親友)・冀朝鼎・都留重人らとともに、アメリカ国内で「反日」活動。日本に石油を売るな・日本を孤立させよ等の集会を開催し、1939年の日米通商航海条約廃棄へとつなげた。
 第二。GHQ日本国憲法草案に近似した憲法案を「日本人の手」で作らせ、公表させる「秘密工作」に従事した。この「秘密工作」の対象となったのが鈴木安蔵。鈴木も参加した「憲法研究会」という日本の民間研究者グループの案がのちにできる。
 第三。都留重人の縁戚の木戸幸一を利用して、近衛文麿の(東京裁判)戦犯指名へとGHQを動かした。近衛文麿は出頭期日の1945.12.16に自殺した。
 第四。「知日派」としての一般的な活動として、GHQの初期の日本占領方針の「左傾」化に大きな影響を与えた。
 三 加藤周一編・ハーバート・ノーマン-人と業績(岩波書店、2002)という本がある。
 さすがに岩波書店の本らしく、ノーマンを擁護しかつ賛美するもので、日本人に限ると、加藤周一(九条の会呼びかけ人の一人)の他に、以下の者が執筆している。
 中野利子、長尾龍一、都留重人、丸山真男、遠山茂樹、鹿野政直、奈良本辰也、中野好夫、色川大吉、田中彰、陸井三郎、芝原拓自、高木八尺、西村嘉、羽仁五郎、兵藤釗、松田智雄、松尾尊允、渡辺一夫。
 長尾龍一は「保守」派らしくもあるのだが、オーウェン・ラティモアについての(とくに批判的ではない)本もかつてはある。
 渡辺一夫は大江健三郎の学生時代の教授で(フランス文学)、最近に平川祐弘が義父・竹山道雄の「知識人」仲間として ?(思想に関係なく ? ?)採り上げている。渡辺一夫が「戦後知識人の代表」とされ、学生時代の大江健三郎も写っている<渡辺ゼミ>の写真が堂々と掲載されているのには驚いた(月刊Hanada9月号p.273、p.271)。

1391/日本の「左翼」-中野利子/カナダ人ノーマン。

 江崎道朗・アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄(祥伝社新書、2016.09)を半分程度、第四章の終わり(p.125)まで読了。月刊正論(産経)にどの程度掲載済みだったのかは確認していない。
 第四章はアメリカ共産党のルーズヴェルト政権下での活動に関するもので、現在の日本共産党の基本方針と酷似している。
 アメリカ共産党はキリスト教団体への影響力も強めたのだったが、その際に江崎はp.120-1で中野利子・外交官E・H・ノーマン(新潮文庫、2001/原著1990)の一部を引用して参照資料としている。
 中野著は江崎著の最後の主要参考文献にも掲載されているので、中野利子は江崎道朗に似た政治的立場の人物だと誤解させかねないところがあるように思われる。
 中野利子・外交官E・H・ノーマンという書物は、著者が日本共産党員ではなかったかと疑われる中野好夫の娘だということを差し引いても、徹底的に「外交官」E・H・ノーマンを擁護するものだ。
 中野の本の最終章は「ノーマンの復権」で、1990年に、カナダ政府が歴史学者ベイトン・ライアンに委嘱して行った調査にもとづき、<ノーマンが(ソ連またはコミンテルンの)スパイではなかった>ことが連邦議会でも確認・承認された、という。
 これをもって中野はノーマンは例えば卑劣な人間ではなかったと言いたいようなのだが、しかし、問題は「スパイ」だったか否かではないだろう。また、どこかの国の「共産党」の正規の構成員(党員)だったかどうかも、本質的なことではないだろう。
 中野利子自身が書いている-「どの国の共産党にも加入していなかった」ものの、「あらためて書くまでもないが、ケンブリッジ、ハーヴァード、コロンビア各大学において、それぞれの時期に程度の差こそあれ、彼は明らかに共産党のシンパサイザーだった」(p.299)。
 カナダ外務省に「入省以前のノーマンのコミュニズムへの共感は想像以上であった」(p.300)。
 1952年の(カナダ政府による)「二回目の審問によって、彼が学生時代には共産党の同調者〔ふりがな-フェロウ・トラベラー〕であったとわかっても」外務省公務員としての彼への信頼は(アメリカと違って)揺るがなかった(p.303)。
 中野はノーマンが自ら「入党した」と手紙に書いたことを認めつつ、本心ではなかった、かの書き方もしている(p.301)。
  中野の書き方、その文章から滲み出ているのは、ノーマンは「スパイ」ではなかった、党員でもない「共産主義者」(共産党同調者も含む)であったことがなぜ論難されなければならないのか、という気分だ。
 中野利子の共産党・コミンテルンに対する擁護・支持の気分は、つぎの文章でも見られる-「価値観の目盛りが反ファシズムであった1930年代に、ファシズムの成立を防ぐための連合戦線、統一戦線の政策を提唱し、つらぬいたのが各国の共産党だった」(p.302)。
 この統一戦線(人民戦線)戦術はソ連・スターリンのもとでのコミンテルン1935年大会により採択されたもので、中野がスターリンをどう評価しているかが気にはなるが、中野は立ち入っていない。また、日本共産党もこの1935年のスターリンは批判しない(都合よく ?、1936-7年辺りから「道を踏み外した」と主張している)のだが、この点もまた別に触れる。
 そして、中野利子はノーマンの自殺は①疑惑をかけられたことに対する抗議-つまり無実主張、②有罪告白-死んで詫びる、のいずれだったかと発問し、後者説を支えるかのごとき「偽造遺書」なるものを疑問視している。
 最後に中野は書く-ノーマンを結果として自殺に追い込んだ「マッカーシズムは、形はコミュニズム批判だったが、…実は、多元的価値観に対する攻撃がその実質だった…」(p.312)。
 このように、中野利子が「左翼」・「容共」の人物であることは明らかだ。彼らにとって当然だろうが、<共産主義>を悪いものだとは考えておらず、<共産主義者>であっても何ら疚しいところはない。ただ、「スパイ」には抵抗感があるようだ。
 最後の文からは、「共産主義」もまた「多元的価値観」の一つとして守られなければならない、という考え・主張もうかがえる。
 ところで、あらためて記しておくが、ノーマンはGHQの日本占領初期の「協力者」であり、木戸幸一、都留重人らとも親交があり(近衛文麿を最後には見放したともされ)、日本共産党がいつからか「日本国憲法の父」とか称し始めた鈴木安蔵を見いだして憲法草案作成へと誘導した、ともされる日本にとって<重要な>人物だ。
 ノーマンの「共産主義者」性は、占領初期のGHQとも通底するところがあったことを忘れてはならないだろう。
 ノーマン、さらには尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲ、さらには戦前・戦中に日本にいた「共産主義者」たち…。この欄でまだ書いたことはたぶんないが、これらについての<勉強>もかつてよりは遙かに行ってきている。

1363/月刊正論8月号(産経)ー江崎道朗から西岡力=中西輝政へと。

 一 月刊正論8月号(産経)で、江崎道朗が与えられた4頁の紙面のうち1頁を使って、中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」(歴史通5月号(ワック)に言及し、中西の分析に「ほぼ同意する」、と書いている(p.241)。
 江崎道朗自身の最後の文章は、こうだ。
 「歴史戦の勝利を望むすべての人々にこの中西論文は読んでいただきたい。//
 厳しい現実から目を背けていては、勝利を手にすることはできない。」
 江崎道朗と中西輝政に「通じる」または「共感しあう」ところがあるだろうことは、中西輝政=西岡力・なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか(日本実業出版、2016)の西岡力による「まえがきにかえて」からもある程度は分かる。
 西岡力によると、産経新聞2015.02.24付「正論」で「冷戦の勝利者は誰かを問いたい」を書いたところ、中西輝政から「見方に賛成だ」との「連絡」があり、それを機縁として、月刊正論2015年5月号の西岡力=島田洋一=江崎道朗の鼎談ができた、という。
 産経新聞紙上のものを読んだ記憶ははっきりしないが、その内容は上の「まえがきにかえて」の中におそらくかなり引用されており、ほとんどか全くか賛同できる。
 というよりも、中西輝政=西岡力の上掲著を読み始めて最後まで了えた(たぶん2016年3月)こと自体、この西岡力の「まえがきにかえて」に引きつけられたことによる可能性が高い。
 その西岡力らの西岡力=島田洋一=江崎道朗鼎談「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」月刊正論2015年5月号p.86以下については、かなり印象に残ったに違いない、秋月はこの欄で2015年5/18から2回に分けて「戦後70年よりも2016末のソ連崩壊25周年」と題し、「面白いし、かつすこぶる重要な指摘をする発言に充ちている」と書き始めて紹介・引用している。
 やや遠回りだが、江崎道朗と中西輝政というとこんな些末なことも思い浮かぶ。
 元に戻って、江崎道朗の文章のうち、「歴史戦」をめぐる「厳しい現実」という言葉が心を打つ。「厳しい現実から目を背けていては、勝利を手にすることはできない」。
 厳しい現実を理解せず、また理解しようとせず、従来の<保守の小社会>で安逸に生きていきたい言論人も多いのだ。
 二 西尾幹二の刺激的な言葉を再引用。月刊正論2016年3月号p.77。
 「本誌『正論』も含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか」、「言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がない」のは「非常に遺憾」だ。
 三 江崎道朗が読んでほしいという中西輝政論文の最後に、以下の叙述がある(初めて見たのではない)。歴史通5月号p.117-8。
 ・日本政府・日本人が「自前の歴史観」を世界に臆することなく自己主張するには「あと三十年はかかる」。このための条件の整えるのに「それだけの年数」がかかると思うからだ。
 ・条件の一つは、国内または日本国民内で「歴史観」での闘いが、「たとえば東京裁判史観をめぐって、せめて四対六くらいに改善していること」。
 ・「現在は一対九にも及ばない」だろう。「とくに、マスコミや歴史学界においては、この一対九にもはるかに及ばない」。
 なんとも厳しい現実認識なのだが、冷静に日本を俯瞰すると、こんなものかもしれない。中西輝政のそれは悲観的すぎる、とは言えないかもしれない、と感じる。
 中西輝政が感じていることは、日本国民の中で<東京裁判史観>に(明確に)反対する者は10%に及ばず、「マスコミや歴史学界」では10%に「はるかに及ばない」、ということだ。
 さて、と思うのだが、<保守>派とは<東京裁判史観>反対派のはずであり(と思っており)、とすれば例えば産経新聞「正論」や月刊正論(産経)に登場する論壇人・言論人のほとんどは<東京裁判史観>維持に反対の者たちだということになりそうだが、最近、これを強く疑うようになってきている。
 また、産経新聞や月刊正論(産経)のような新聞・雑誌ばかりを読んでいる(幸福な?)人々は、安倍晋三「保守」政権ということもあって、何となく国民の過半数が、少なくとも三分の一程度は<保守的>な「歴史観」を持っていると感じているのかもしれないが、大きな勘違いだろう、と思われる。
 冷厳な現実は、中西輝政の指摘するものに近いのではないか。
 四 ついでに。平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)p.32以下は昨年夏の「安倍談話」を支持する立場からのものだが、こんな悪罵を投げつけている。誰に対してかの固有名詞はないが、中西輝政や西尾幹二を含んでいるかに見える。
 ・「どこの国にも、自国のしたことはすべて正しいと言い張る『愛国者』はいる」。
 ・とくに日本では「反動としてお国自慢的な見方がとかく繰り返されがちになる」。
 ・「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい」。
 ・「不幸なことに、祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い」。以上、p.35-36。
 「東京裁判史観」を基本的に批判する立場の者は、私も含めて「自国のしたことはすべて正しいと言い張」っているわけではない筈だ。
 「おかしな右翼」、「いささか頭が単純な人」とはいったいどのような人々なのか、平川祐弘は言論人ならば明瞭にすべきだろう。
 平川うんぬんが主テーマではない。このような内容を含む論考を巻頭に掲載する、花田紀凱編集・月刊WiLLが(今は編集長が替わったので、花田紀凱編集長の新雑誌や月刊WiLLという名の雑誌が)<保守>派を代表する論壇誌(の一つ)として扱われている、という悲惨な現実がある、ということをしみじみ感じている。今なお、渡部昇一の文章を掲載する非「左翼」系のはずの雑誌がある(月刊Will8月号「それでも、やっぱり安倍晋三!」!。産経・月刊正論8月号もその一つ)、という現実も。
 「厳しい現実」を直視して、鱓(ゴマメ)の歯軋りの如く呟きつづけても、「あと三十年はかかる」。

1348/日本共産党の「影響力工作」類型-佐々木太郎著。


 佐々木太郎・革命のインテリジェンス-ソ連の対外的「影響力」工作-(勁草書房、2016)の第4章は「仮説としてのソ連の『影響力行使者』の諸類型」というタイトルになっている。
 書名やこの表題に見られるようにソ連(・共産党)の対諸外国に対する「影響力」工作がテーマだが、相当程度に同様のことは自由主義(資本主義)諸国内にある共産党その他のコミュニズム政党の当該国内における「影響力」工作についても妥当する、と思われる。
 先だって江崎道朗論考に触れて、上の「諸類型」を挙げ、5つめの「デュープス」について江崎論考を引用して説明した。
 5つの類型とは、もともとはアメリカ・FBI元長官のE・フーバーによるもののようだが、①公然の党員、②非公然の党員、③「同伴者」、④「機会主義者」、⑤「デュープス(罪のない犠牲者)」をいう。
 これらの類型のうち、ほぼ意味が明らかな①と②(=AとB)以外について、E・フーバーを紹介・参照しての佐々木の説明を、さらに引用・紹介しておこう。その際、「影響力」工作・行使の主体として、日本共産党を想定した、引用・紹介になるかもしれない。
 C・「同伴者(Fellow Travelers)」
 フーバーによると、同伴者は「党員ではないが、ある期間において党の綱領を積極的に支持(同調)する」。「積極的に共産党に対して支援をおこなう非党員」のことだ。
 「シンパ」とは区別されるべきで、「シンパ」は「より消極的であり、特定の問題について党や党員に共感を示すが、積極的な支援をしたりしなかったりする」。同伴者よりも「より消極的あるいは限定的な支援をおこなう非党員」のことだ。
 佐々木は、この「同伴者」という語の経緯もふまえて、つぎのように定義する。
 「共産主義の大義や理想、あるいは共産党が示した特定の問題についての対応や解決策への強い共感から、共産党のための活動をする非共産党員」(p.104)。
トロツキーがこの語を使い始めたとされ、アーマンド・ハマー、アンドレ・ジッド、アインシュタイン、ロマン・ロラン、ハインリヒ・マン等々がその例とされるなど興味深いが、省略する。
 D・「機会主義者(Oppotunists)」
 同伴者と同じく非党員だが、同伴者と異なり、「共産主義や共産党の方針に対する共感から進んで同党のための仕事をする」のではない、また「デュープス」と異なり、「共産党のフロント組織が訴える普遍的な"正義" に対して共感を持つ」わけでもなく、「個人的な利益が増大する場合にのみ、共産党に接近する人々」のことをいう(p.111)。
 フーバーによると、「もし個人的に利益を得られるのであれば、意識的に党を支持し、代わりに支援や恩恵を受け取る」、「シニカルで利己的な」人々だ。
 再び佐々木の文章に戻ると、共産党はこの類型の人々に「強い警戒感」を持ちつつ、「戦略的な交際」を結ぶ。そして、<機会的>であっても、自らの力を行使して共産党の方針へと「世論や政策を誘導」するならば立派な「影響力行使者」の一類型になる。
 E・「デュープス」
 「騙されやすい人々」、つまり「カモ」で、フーバーは「罪もない犠牲者」(Innocent Victim)とも換言しつつ、「共産主義者の思想統制に知らず知らずのうちに従属して党の仕事をする個人」とも表現する、とされる。
 佐々木によれば、「明確な意思をもって共産党のための活動をする人々ではなく」、共産党という「政党やフロント組織が訴える普遍的な"正義" に対して情緒的な共感を抱き、知らず知らずのうちに共産党に利用されている人々」のことをいう。
 以上で引用・紹介を終える。
 すでに「デュープス」なるものについて触れたことがあるように、きわめて興味深い、有益な類型化だ。
 党員ではないが日本共産党(・候補)に選挙で投票している党員数の10倍以上の人々、日本共産党系の集会・デモに参加している人々、日本共産党の「フロント組織」・「大衆団体」または日本共産党系の「学会」・「研究者グループ」の構成員になっている人々…。これらの中に公然または非公然の党員も勿論いるだろうが、党員以外の者たちは、「同伴者」、「機会主義者」あるいは「デュープス」のいずれに該当するのだろうか。
 万々が一、この欄(あるいは佐々木・上掲著)に接することがあれば、自己分析してほしいものだ(「無意識」という「デュープス」概念の要素を充たさなくなるかもしれないが)。
 ところで、「機会主義者(Oppotunists)」のところで「個人的な利益」に言及があるが、「個人的利益」のために日本共産党に接近したり、ついには日本共産党員になったりする者が、とくに<(日本の人文・社会系の)学者・研究者>の中には少なからず存在するものと思われる。
 かつてこの欄で述べたことのある、<処世のための>あるいは<出世のための>「左翼」人士化、そして日本共産党の党員化だ。
 上掲の佐々木著には、また言及することがあるだろう。

1335/日本共産党の「影響力工作」-江崎道朗・月刊正論5月号論考。

 月刊正論5月号(2016、産経新聞社)の江崎道朗「『反戦平和』の本質と『戦争法反対』『民共合作』の怖さ-共産主義の『影響力工作』は甘くない-」(p.100-105)は、最近の雑誌の日本共産党・共産主義特集の中では、おそらく最も優れたものだ。
 優れているか否かやその程度の基準は、<現在の>日本共産党を批判する、またはその活動を警戒する、<有効な>内容を(どの程度)もっているか、だ。
 江崎道朗論考の優れているところはまた、日本共産党と日本の「左翼」との関係、前者の後者に対する「影響力」を意識して書かれていることだ。
 日本共産党と朝日新聞の関係、あるいは日本共産党の主張と朝日新聞社説の論調との関係、日本共産党の主張と岩波・世界の論調との関係等々は、保守派側によってもっときちんと分析される必要がある、と考える。
 江崎論考はまた、佐々木太郎の新著を紹介するかたちで(本欄は、E・フーバー→佐々木太郎→江崎道朗というひ孫引きになるのだが)、「共産主義運動に関与する」人間類型の5種を示していることだ。「日本共産党」の活動との距離別人間類型でもあるだろう。すなわち、①公然党員、②非公然党員、③同伴者、④機会主義者、⑤デュープス(Dupes)。
 興味深いのは上の⑤で、これはもともとは「間抜け、騙されやすい人々」を意味するが、共産主義(共産党)との関係では「明確な意思をもって共産党のために活動する人々ではなく、ソ連やコミンテルンによって運営される政党やフロント組織が訴える普遍的な『正義』に対して情緒的な共感を抱き、知らず知らずのうちに共産党に利用されている人々」のことを指す(p.102)。
 この欄で<何となく左翼>という語を使ったことがあるが、これにかなり近く、かつ上の定義はまさに表現したい内容を伝えてくれている。日本共産党との関係に即して書き直すと、
 <明確な意思をもって日本共産党のために活動しているわけではないが、日本共産党や同党系の大衆団体が掲げる普遍的な『正義』に対して情緒的な共感を抱き、知らず知らずのうちに日本共産党に利用されている人々>だ。
 このような人々が、諸学界、大学、マスメディア、官公庁の世界等々にいかに多いことか。これこそが、日本を危殆に瀕せしめかねない<ふわっとした左翼的雰囲気>の原因になっている、と思える。
 主観的には人間・個人の尊厳と「自由」あるいは「平和」と「民主主義」のために言論し行動しているが(それが何故か反安倍内閣・反自民党になっているのだが)、客観的には日本共産党のいう日本の「民主主義」化のために、長期的には同党のいう「社会主義・共産主義の社会」実現に寄与する役割を果たしている人が、うようよといる。そのような人々は、何となく産経新聞を全く読まなかったり、保守系雑誌には目もくれなかったりする。
 長谷部恭男は上の②ではなくとも、⑤にとどまらず、上の③か④だろう。
 江崎道朗は吉永小百合と山田洋次は上の③「かもしれない」としているが、私は山田洋次については②ではないかという疑いをもっている。
 なお、上の理解の仕方にいう「日本共産党系の大衆団体」とは、例えば、民主主義科学者協会法律部会(民科・みんか)が典型的だ。この学会の会員の中には、これが日本共産党系であることも知らず(代々の理事長は日本共産党の(公然?、非公然?)党員であることも知らず)、日本共産党に客観的には利用されているという意識もない法学者・研究者もいるに違いない。
 ともかく、上の①~⑤のいずれに該当するか、という観点から、<左翼的な(リベラルな?)>人々(・団体)を理解し分析することは、有意味だと思われる。
 日本共産党のまわりでウロウロしている者たちを、気の毒だが、暴き出す必要がある。
 ところで、月刊正論5月号の背表紙(総力特集)には「共産主義者は眠らせない」で日本共産党という文字はなく、4本の論考のタイトルのうち「共産党」が一部にあるのは筆坂秀世のもののみで、実質的にはほとんど日本共産党を扱っていると思える江崎道朗のものにもない。
 産経新聞や月刊正論は、中国(・同共産党)をしばしば批判対象として取り上げているにもかかわらず、正面から「日本共産党」と対決することを怖れているのではないか 、という印象がある。
 上で書き忘れたが、日本共産党と日本国内「左翼」との関係のほかに、日本共産党と中国共産党との関係も重要な認識・理解の対象だ。この後者の点については(も)、産経新聞を読んでも、月刊正論を読んでもほとんど分からないだろう。
 日本共産党と日本国内「左翼」との関係、日本共産党と中国共産党との関係についても、今週後半に発売されるらしい、産経新聞政治部・日本共産党研究(産経新聞社)は十分に又は適切に論及しているだろうか?
 産経新聞社の書物は、<現在の>日本共産党を批判する、またはその活動を警戒する、<有効な>内容をもっているだろうか? 期待は大なのだが。

1290/戦後70年よりも2016年末のソ連崩壊25周年-2

 西岡力=島田洋一=江崎道朗「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」月刊正論2015年5月号(産経新聞社)の諸指摘のうち重要な第二は、<2015年は戦後70年>ということのみを周年・区切り年として語るべきではない、ということだろう。
 <戦後70年>ということ自体、平和条約=講和条約によって正式に戦争が終了するのだとすると、サ講和条約発効の1952年を起点として、今年は<戦後64年>であるはずだ。
 それはともかくとしても、1945年の8-9月以降も日本や世界にとって重要な画期はいくつもあった。
 1947年の日本国憲法の施行、1952年のサ講和条約発効もそうだが、1950年の朝鮮戦争もそうだった。
 この戦争勃発によって、日本の歴史も変化している。警察予備隊・保安隊、そして1954年に自衛隊発足となる。そしてまた、この戦争に正規の中国軍も北朝鮮側に立って参加し、実質的にはアメリカ軍だとも言えた国連軍と戦火を交えた。すでに成立していた中華人民共和国の軍隊は、国連軍、そしてアメリカ軍の「敵」だったのだ。
 中国はまた、ソ連とともに<東側陣営>に属して、西欧やアメリカにとってのソ連ほどではなかったとしても、<冷戦>の相手方だった。アメリカとは基本的に異質の国家・社会のしくみをもつ国家だった。
 中国は、2015年を<反ファシズム戦争勝利70周年>として祝うらしい。そして、アメリカに対しても、同じく<反ファシズム戦争>を戦った仲間・友人ではないかとのメッセージを発しているらしい。GHQ史観・東京裁判史観に立たざるをえないアメリカがこれになびいている観もなくはなく、このような行事を批判・峻拒していないのは嘆かわしいことだ。
 しかし、第一に、上述のように、<反ファシズム戦争>なるものの時期よりもあとに、中国はアメリカと対決してきている。仲間・友人だった時代よりも、対戦相手・「敵」だった時期の方が新しく、かつ長い。
 第二に、先の大戦を<反ファシズム戦争>と性格づけるのは、日本共産党はぜひともそういう性格づけを維持したいだろうが、正しくはない。つまり、ソ連はそもそも<反ファシズム>国家だったのか、という根幹的な問題がある。
 上の鼎談で島田洋一は言う-「ソ連は一党独裁で、しかもスターリンは二十世紀でも指折りの人権弾圧者」、「経済は市場メカニズムを排除する点でファシズム以上に抑圧的」、「政治的な自由度も当時の日独伊を遙かに下回って」いる(p.88)。
 このようなソ連を<反ファシズム>の「民主主義」国家だとはとても言えないはずだ。
 アメリカがソ連と「組んだ」こと、そして当時の中国よりも日本を警戒・敵視したこと、結果として<共産中国>を生み出してしまったことについては、当時のアメリカの大きな判断ミスを指摘できるとともに、なぜそのような「誤った」判断ミスに至ったかに関係するアメリカ内部の共産主義者の動向をさらに把握しておく必要がある。だが、この点は、ここでのテーマではない。
 第三に、<反ファシズム戦争>なるものの当事者では中国共産党はなかった。実際に日本と戦争したのは中国国民党で、毛沢東らの中国共産党ではない(p.88の西岡力発言も同旨)。
 さらに、毛沢東らの中国共産党によって建国された中国が<反ファシズム>の戦いを祝える資格がそもそもあるのか、という問題もある。
 上の鼎談で再び島田は言う-中国は「政治・経済体制として典型的なファシズム」で、少数民族弾圧の点では「ナチズムの要素」もある。一言では「帝国主義的ファシズム」国家ではないか(p.89)。
 <ファシズム>についての厳密な定義が語られているわけではないが、ハンナ・アーレントがナチズムや社会主義(・少なくともスターリニズム)を<左翼全体主義>と性格付けていることを知っていたりするので、中国を「ファシズム」国家とすることに違和感はまったくない。
 そのような現在の中国がアメリカやフランス・英国等とともに<反ファシズム戦争勝利>70年を祝おうとするのは狂気の沙汰だと感じる必要がある。島田洋一によれば、「ファシズムに加えて、ナチズムの要素を持ち、ヒトラリズムの傾向をも見せている中国が、反ファシズム戦争の勝利を祝うのは倒錯の極み」だ、ということになる(p.89)。
 もともと戦前・戦中の日本が「(天皇制?)ファシズム」国家だったのかという問題もあるのだが、さて措く。
 さて、いわゆる戦後の忘れてはならない重要な画期は、1989年11月のベルリンの壁の「崩壊」(物理的には「開放」だが)等につづく、ソ連邦の崩壊であり、「独立国家共同体」の成立をその日と理解すれば、それは1991年12月21日のことだった。
 この1991年末をもって、少なくともソ連-さらには東欧旧「社会主義」諸国-との関係での<冷戦>は終わったのであり、かりにソ連等に限るにせよ、ソ連のかつての力の大きさを考慮すれば、<自由主義(資本主義)の社会主義に対する勝利>が明瞭になった、じつに重要な画期だった。
 20世紀を地球上での<社会主義>の誕生とそれを奉じた重要な国家の崩壊による消滅過程の明瞭化の時代と理解するならば、この1991年という年を忘れてはいけない。そして、時期的な近さから見ても、1945年よりも(1989年や)1991年の方が重要だという見方をすることは十分に可能だと思われる。
 「冷戦」に敗北したのはソ連だったとしても、同じ<社会主義>(を目指す)国家である中国もまた、<冷戦>の敗戦国と言うべきだろう。また、日本はドイツ等とともにアメリカと協力して<冷戦勝利>の側にいたのだ。
 まさしくこの点を、上の鼎談で江崎道朗は次のように言う。
 「日本は戦後、自由主義陣営の一員であることを選択し、アメリカと共にソ連と戦い、勝利した戦勝国であることを誇るべきであった」(p.92)。
 さらに、日本国内でかつて全面講和を主張したり、日米安保条約改訂に反対したりしてソ連(や中国)の味方をした「左翼」論者・マスコミ等は、日本社会党等とともに、現実の歴史では<敗北した>のだ(p.92の西岡発言参照)。日本共産党も<敗北>の側にいたと思うが、この点は、日本共産党が、ソ連は「社会主義」国ではなかった、崩壊を歓迎するなどと<大がかりな詐言>を言い始めたことにかかわって、別に扱う(この点に、この欄ですでに批判的に論及したことはある)。
 1991年末から2016年末で25年が経つ。戦後70年における反省とか謝罪を話題にするよりも、<冷戦勝利>25周年の祝賀をこそ祝い、なお残る<社会主義>国の廃絶に向けた誓いの年にすべきだろう。
 西岡力は、次のように言っている。至言だと考えられる。
 「今年から来年にかけ、一九九一年の冷戦勝利二十五周年を記念する行事を日米が中心となって開催すべき」だ(p.91)。
 

1289/戦後70年よりも2016年末のソ連崩壊25周年-1。

 月刊正論2015年5月号(産経新聞社)p.86-の鼎談、西岡力=島田洋一=江崎道朗「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」は面白いし、かつすこぶる重要な指摘をする発言に充ちている。
 第一に、日本にとっては「冷戦」は今も継続しているということが、明確に語られている。
 この欄を書き始めた頃、強調したかったことの数少ない一つは、この点だった。なぜなら、保守派論者の文章の中でも、<冷戦は終焉したが…>とか、しばしば書かれていたからだ。なるほどくに西欧の国々・人々にとってはソ連邦の解体によって冷戦は終わったと感じられてよいのかもしれないが、日本と日本人にとってはそんなに暢気なことを言うことはできない、と考えていた。もちろん、近隣に、中華人民共和国、北朝鮮などの共産党(・労働党)一党独裁の国家がなおも存在するからであり、これらによる日本に対する脅威は依然としてあったからだ。
 中国や北朝鮮について、その「社会主義」国家性または<社会主義を目指す>国家であることの認識は意外にも乏しいような印象もある。とくに北朝鮮の現状からすれば「…主義」以前の国家であるとも感じる。しかし、この国がソ連・コミンテルンから「派遣」されたマルクス・レーニン主義者の金日成(本名ではない)を中心にして作られた国家であることは疑いなく、1950年には資本主義・「自由主義」国の南朝鮮(韓国)へと侵攻して朝鮮戦争が始まった。中国の現在もたしかに中国的ではあるが、日本共産党・不破哲三が<市場経済を通じて社会主義へ>の道を通っている国と認めているように、また毛沢東がマルクス主義者であったことも疑いないところで、日本やアメリカ・ドイツ等々と基本的に拠って立つ理念・しくみが異なっている。
 日本にとっての最大の矛盾・対立は、石原慎太郎のように毛沢東・矛盾論に傚って言えば、これら<社会主義>の国々との間にある。アメリカとの間にもむろん対立・矛盾はあり日本の「自立」が図られるべきだが、この<社会主義(・共産主義)>との対抗という点を絶対に忘却してはならない、とつねづね考えてきた。アメリカと中国に対する<等距離>外交・<正三角形>外交などはありえないし、中国が入っての<東アジア共同体>など、中国の政治・経済の仕組みが現状であるかぎりは、語ってはいけないことだ。
 上記鼎談で、島田と西岡は言っている(p.91)。
 島田-冷戦は「終わったのはヨーロッパにおいてだけで、アジアでは終わっていません」。
 西岡-1989年の中国共産党は「ファシズムを続ける選択」をした、「アジアでは…対ファシズム中国という構図を中心にした冷戦は終わっていない…」。ここでの「ファシズム」という語の使用にも私は賛成だが、しばらく措く。
 また、江崎は次のように語る。-アメリカの「共産主義犠牲者財団」は2014年に、「アジアでは。…北朝鮮と、…中国がいまなお人権弾圧を繰り返しており、アジアでの共産主義との戦いはまだ続いている」というキャンペーンを繰り広げているなど、アメリカの保守派の中には戦後70年ではなく「アジアの冷戦という現在進行形の課題」への強い問題意識をもつ人たちがいる。
 かかるアメリカの一部の動向と比べてみて、日本の状況は<対共産主義>・<反共>という視点からの問題関心が乏しすぎると感じられる。
 さて、いちおうここでの第一点に含めておくが、20世紀は二つの世界大戦によって象徴される世紀であるというよりも、ロシア革命の勃発によるソ連<社会主義>国家の生成と崩壊の世紀だったということの方がより大きな世界史的意味をもつ、といつぞや(数年以上前だが)この欄に書いたことがある。こういう観点から歴史を把握する必要があるのではないか。
 このような問題関心からすると、鼎談最後にある江崎道朗の以下の発言も、十分によく理解できる。重要な問題意識だと思われる。
 すなわち、「日本にとっての冷戦はわが国に共産主義思想が押し寄せてきた大正期に始まり、大東亜戦争に影響を与えて現在も続いている」、と考える。2017年はロシア革命100年、2019年はコミンテルン創設100年、こうした100年を見通した「100年冷戦史観」とでも言うべき「歴史観」の確立に向けて今後も議論したい。
 70年後に反省・謝罪したりするのではなく25周年を祝え、という意味の第二点は、別に続ける。
 
 

1213/戦争中・占領期当初のコミンテルン・共産主義者の暗躍-江崎道朗著。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)のタイトルは、コミンテルンとその影響をコミンテルン(・共産主義者スパイ)から受けた米大統領によって、敗戦後の日本に対して「時限爆弾」があらかじめ仕掛けられていた、という意味だろう。
 なぜアメリカは戦前に<反日・親中>だったのか、なぜ日本には攻撃的で中国には融和的だったのか。その判断は、のちには中国共産党による大陸中国の「共産化」や南北朝鮮の分離・北朝鮮の「社会主義」化につながり、資本主義国アメリカにとっては大きなミスだったのではないか。そのような判断ミスそして政策・戦略ミスは何故生じたのか、というのはかねて持ってきた疑問だった。
 近年になって、ルーズヴェルト大統領の側近にコミンテルン(モスクワ)のエイジェントがいて、共産主義・マルクス主義に対して「甘かった」同大統領とソ連(・スターリン)とを
結びつけ、アメリカは<反日・親中>政策を採ったことが明らかになってきている。

 中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)についてはこの欄で触れたことがある。
 江崎の冒頭掲記の著書も、主として第三章「アメリカで東京裁判史観の見直しが始まった」で、コミンテルン・同スパイ・アメリカ共産党等の運動・行動について扱っている。
 その内容を簡単にでも紹介することは避けるが、江崎の本よりも第一次資料・史料といえる文献で邦訳されているものやその他の日本語文献があるようなので、以下にリスト・アップしておく。
 第一節「外務省『機密文書』が示す戦前の在米反日宣伝の実態」より(p.126-)
 ①馬暁華・幻の新秩序とアジア太平洋(彩流社)

 ②山岡道男・「太平洋問題調査会」の研究(龍渓書房)

 ③H・クレアほか・アメリカ共産党とコミンテルン(五月書房)

 ④レーニン・文化・文学・芸術論(上)(大月書店)

 ⑤中保与作・最近支那共産党史(東亜同文会)

 第二節「ヤルタ協会を批判したブッシュ大統領と保守主義者たち」より(p.146-)

 ⑥H・フィッシュら=岡崎久彦監訳・日米・開戦の悲劇(PHP文庫)

 第三節「アメリカで追及される『ルーズヴェルトの戦争責任』」より(p.162-)

 ⑦エドワーズ=渡邉稔訳・現代アメリカ保守主義運動小史(明成社、2008)

 第四節「『ヴェノナ文書』が暴いたコミンテルンの戦争責任」より(p.178-)

 ⑧中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)〔所持〕

 ⑨A・コールター・リベラルたちの背信-アメリカを誤らせた民主党の六十年(草思社)

 ⑩クリストファー・アンドルーほか・KGBの内幕・上(文藝春秋)

 ⑪楊国光・ゾルゲ、上海ニ潜入ス(社会評論社)

 ⑫エドワード・ミラー・日本経済を殲滅せよ(新潮社)

 第五節「コミンテルンが歪めた憲法の天皇条項」より(p.203-)

 ⑬ウォード・現行日本国憲法制定までの経緯

 ⑭ビッソン・ビッソン日本占領回想記

 以上 

1211/在米「世界抗日連合」と中国共産党政府による「反日」運動-江崎道朗著の2。

 前回のつづき(江崎道朗著p.22-)。在米の「世界抗日連合」は南京「大虐殺」目撃とのドイツ人・ラーベの日記を発掘、南京「大虐殺」否定の石原慎太郎衆院議員(当時)への抗議意見広告をニューヨークタイムズに掲載、訪米中の天皇陛下への抗議デモを展開。米国の元捕虜グループには対日賠償請求を、韓国系アメリカ人には「慰安婦」問題での共闘を、呼びかけた。

 1990年に韓国で「韓国挺身隊問題対策協議会」が結成されていた。このアメリカ支部として韓国・北朝鮮系アメリカ人が1992年12月に「慰安婦問題ワシントン連合」を結成するやただちに提携を申し入れ、1993年3月の<日本の常任安保理国入り反対>などのデモ等の共同行動をしている。なお、ユダヤ系「サイモン・ウィーゼンタール・センター」とも一時期に連携した。これは文藝春秋刊「マルコポーロ」を廃刊に追い込んだ団体。

 在米反日ネットワークと中国共産党とはいかなる関係か。
 1950年結成の「日中友好協会」(初代会長・松本治一郎)は中国人遺骨送還・中国人殉難碑建設等をし、機関紙は日本の中国「侵略」批判を続けてきた。「中国帰還者連絡会」、中国で「洗脳」された元日本軍人組織、のメンバーは、「三光作戦」等の日本軍の「残虐行為」を「証言」して、「侵略史観」の形成を助けた。

 中国共産党政府は1963年に「中日友好協会」を設立し、併せて中国共産党中央委員会に「対日工作委員会」を設置、その上部組織として「党政治局」に「日本ビューロー」を設けた。

 中国政府は1982年の<教科書書換え誤報>事件に関して日本政府の検定を「内政干渉」だと一蹴されるかと「内心思いながら抗議」したところ、日本政府・宮沢喜一官房長官は結果として中国政府による日本の教科書内容への中国政府の容喙を認め、「教育に関する主権侵害」を容認する談話を8/26に発表した。中国政府は「驚き、そして喝采を叫んだに違いない」。その後、日中共同声明や宮沢談話を利用して「過去」を持ち出しては日本に譲歩を迫るに至る。1985年の「南京大虐殺記念館」建設を皮切りに、「東京裁判史観」に異を挟む日本の閣僚を遠慮なく非難するなどをする(その結果としての藤尾正行文部大臣辞任)。

 1989年天安門事件、1990年ベルリンの壁崩壊につづくソ連解体等の新しい状況のもとで対日本政策が問題になり、「アジアにおける中国の覇権」確立のための「日本の政治大国化」阻止、そのための「過去の謝罪問題」の取り上げとのシンクタンク意見に沿って、1993年には中国政府は「敵国日本」を追い落とす手段として「歴史カード」を使うという「対日戦略」を決定した

 アメリカでの1994年の在米中国人による「世界抗日連合」結成も上の中国共産党政府の戦略と無関係ではない。1995年、中国政府は「軍国主義・日本」・「その日本と戦った解放の旗手・中国」というイメージ宣伝に努めた。そのキャンペーン真最中の8/15に出たのが、いわゆる「村山談話」。「侵略と植民地支配」をしましたと述べて、中国の宣伝を「追認」した。この時点ですでに、日本国内の「左翼」の運動とも相俟って、「慰安婦という性奴隷制度をもった最悪の戦争犯罪国家・日本」というイメージが国際社会に定着した。

 中国政府は1996年の日米安保共同宣言(橋本龍太郎首相)を批判し、アメリカの「対日世論を悪化させて日米分断」を狙った。これに対応して12月に「世界抗日連合」後援の大戦中の「残虐行為についての日本の責任」と題するシンポジウムを開催、12/12にアイリス・チャンと記者会見して「ラーベ日記」存在を公表、「南京大虐殺」による大「反日キャンペーン」が始まった。アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」が発刊されたのは、1997年11月だった。

 第一節の終わりまであと10頁余もあるが、予定を変更して、ここまでであとは省略する。

 中国共産党・同政府にとって、「南京大虐殺」も「慰安婦強制連行=性奴隷」も(他にもあるが)、日本に<勝つ>ための大きな情報戦略の一つであることに変わりはない。彼らはすでに<戦争をしている>つもりであるに違いない。

 今はなきコミンテルンもそうだったが、表で裏で、陰に陽に、公式・非公式に、種々のネットワークを使って執拗に目的を達成しようとする<共産主義者たち>の骨髄は、中国共産党にも継承されているようだ。
 脳天気で善良な、「お人好し」の日本国民は、簡単に<洗脳>されてしまいそうだ。一般国民のみならず、日本の政治家の中にだって主観的には「歴史と過去にきちんと向かい合える」という<親中国>人士は少なからずいる。日本共産党のように、真偽はともかくとしても自党の存続・勢力拡大のために中国の「宣伝」を利用している者たちもいる。マスメディアとなると、朝日新聞を筆頭に…。朝日新聞の社説や記事の中にはもあるいは「左翼」人士の発言の中には「歴史・過去ときちんと向かい合う」ことの大切さを説いたり、それをできないとして自民党「保守派」政治家を批判したりする者がいるが、そのような言い方をする記事や発言は、日本社会党委員長だった村山富市と同様に、すでに中国共産党の<宣伝工作>に屈してしまっている、と言わなければならない。歴史をきちんと振り返るのは一般論としては誤りではないが、上のようにいう場合に想定されているのは、<日本(軍)の悪行>という特定の価値評価を伴った「過去」または「歴史」なのだ。

1210/江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)の第一章・第一節の1。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾/迫り来る反日包囲網の正体を暴く(展転社、2012)の「第一章・知られざる反日国際ネットワークの実態」の「第一節・中国共産党と国際反日ネットワーク」(p.14-47)を要約的に紹介する。この本は先月末か今月初めに読了している。

 アメリカでの慰安婦問題を利用した「反日」運動については、古森義久が産経新聞8/31付の「緯度経度」欄で、「米国にいる日本攻撃の主役」と題して、基本的なことは明らかにしている。
 古森の文章によると、「韓国ロビー」→「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム(KAFC)」のような新参団体が表面に出るだけだったが、「真の主役」は、「中国系在米反日組織の『世界抗日戦争史実維護連合会』(抗日連合会)」だった。米国各地での「慰安婦像」設置を「今後も推進する」と宣言しているらしい。また、「抗日連合会の創設者で現副会長のイグナシアス・ディン氏」は、「慰安婦像に関する中国共産党直轄の英字紙『チャイナ・デーリー』の長文記事で、設置運動の最高責任者のように描かれていた」。「米国下院の2007年の慰安婦決議も抗日連合会が最初から最後まで最大の推進役だった」、等々。

 上記団体は中国共産党と親近的な関係にあるらしいことが重要だろう。

 さて、江崎道朗著の上記部分は月刊正論2005年7月号掲載論考の改題・大幅加筆修正らしいが、古森のものよりも詳しい。

 「日本の戦争責任」をむし返し、「日本に謝罪と補償を求める」在米中国人グループは1987年に「対日索賠中華同胞会」準備会を結成し、1991年3月に正式結成した。主目的は「対日賠償請求運動」の盛り上げだったが、同月に「南京大虐殺」に絞った政治団体・「紀念南京大屠殺受難同胞連合会」も結成した。

 上はニューヨークを中心にしていたが、中国系が多いカリフォルニアにも飛び火し、1992年5月に(古森義久が上記記事で言及していた)「抗日戦争史実維護会」が結成された。その目的は江崎が「」付きで引用しているところによると、つぎのとおり。

 「大戦中の近隣諸国に対する日本の残酷な暴行の事実を日本政府に認めさせ、中国人民に謝罪し、その犠牲者と家族にふさわしい補償を実施させる。更にまた、日本が再び不当な侵略行動を開始することを阻止するために、アメリカ、中国、日本その他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう国際世論を喚起すること」。

 この「抗日戦争史実維護会」は1994年6月に他7団体とともに「全米華人の天皇への抗議と賠償請求公開書簡」を発表した(内容はここでは省略)。江崎の表現によると、彼らの「日中友好」とは、「日本が一方的に譲歩して賠償」をし、「日本の侵略を伝える歴史資料館を建て、今後、永久に中国の属国であり続けることを、日本が中国に誓う」ことを意味する。

 上の公開書簡以来中国系反日団体は統一行動をとるようになり、1994年9月にはワシントン・スミソニアン博物館の原爆展計画に対して、日本が被害者であることだけが強調されているとして、「日本侵略史観に基づく原爆投下容認論」を議会請願し、「抗日戦争史実維護会」のメンバーの一人は元米国軍人の力も借りて、上記博物館の「企画展示委員」に選ばれた。

 香港でも1988年に「香港紀念抗日受難同胞連会」が結成され、近年のそのHPは「日本軍国主義による尖閣侵略」を非難している。この団体を母体に2003年、尖閣問題に特化した「保釣行動委員会」が設立され、2012年6月には「世界華人保釣連盟」を結成した。2012年8月に尖閣に上陸を強行した中国人はこの団体の中心的活動家。

 カナダでも中国系カナダ人を中心に「第二次大戦史実教育擁護協会」が結成された。この団体は1997年6月、韓国系・フィリピン系等のカナダ在住者団体とともに、「日本政府による歴史歪曲と検閲に対抗して戦っている家永教科書裁判に対する支援キャンペーン」を実施した。

 世界の30ほどの中国系・韓国系・日系団体が結集して1994年12月に(古森義久が上記記事で「主役」とした)「世界抗日戦争史実維護連合会」が結成された。この団体は、カリフォルニアでの1994年12月の「『南京大虐殺』五十七周年世界記念会議」を後援した。この会議には「活動家」である大学教授・ジャーナリスト・作家なと300人が参加した。そして、「日本人および日本政府への宣言」を採択した。その要求内容は少なくとも次の5項目。
 ①中国人民への公式謝罪の声明と(中国共産党・台湾両政府への)文書提出、②日本の歴史教科書の誤りを正す、③中国・日本に慰霊の記念碑を建て、事実を刻む、④全被害者への合理的補償、⑤関連公文書公開・「過去の日本軍閥の罪行を天下に明らかにする」。

 ようやく第一節の約半分に達した。こういう団体が、在米韓国人団体が表面には出るかもしれない「慰安婦像」設置運動を支持すること、実質的に「主役」になってしまうことは論を俟たないだろう。
 なお、たしか青山繁晴がテレビで述べていたと思うが、カリフォルニア州のサンフランシスコ市長とオークランド市長は、いずれも中国系らしい。
 後半についてはなおも続ける。<歴史をめぐる情報戦争>の真っ最中だという自覚・意識が日本人には必要だ(もちろん日本政府にも)。

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