秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

民族主義

2000/L・コワコフスキら編・社会主義思想(1974)⑤-討論②。

 L・コワコフスキ=S. Hampshire 編・社会主義思想-再評価(New York、1974)。
 Leszek Kolakowski & Stuart Hampshire, ed, The Socialist Idea - A Reappraisal.(New York, 1974).
 L・コワコフスキの「序文」が彼自身の文章として記述する、報告(および副報告またはコメント)の後の「討論」の内容。つづき。p.10-14.
 討論②。
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 (5)社会主義の発展を評価する指標としての余暇(leisure)に関するHarrington の見解は、もう一つの理由で批判された。
 余暇の増大は自由時間を充足する物品への新しい需要の増大という意味を、そしてその結果生じる新しい生産物と新しい消費形態への動きという意味を内包しているので、余暇という観念自体が自己破壊的だ、と指摘された(Taylor)。
 Taylor は、先進産業国家がその経済成長による災厄的結果(相互に刺激し合う需要と生産の無限の螺旋構造)を免れるためにはきわめて緊急的な変化が必要だが、その変化に意味包含されているのは、精神的な方向づけの見直しだ、と主張した。
 技術を再生し人々の量的でない成長を達成するには、制度を改変するだけではなくて、個人的な要求の優先順位を再検討しなければならないだろう。
 (6)討論で明らかになった相違がいかほど重要なものだったとしても、社会主義という意味ある観念はいずれも、労働する社会の自分自身の運命を決定する能力をその意味に包含している、ということには合意があったように見えた。この能力の中にはとくに、生産手段を統制する力が含まれている。
 この論点は、異なる視覚から何度も提起された。
 Brus は、公的所有と社会的所有の区別を強く主張した。後者は、経済的民主主義を含むものだ(そして、これのない経済的民主主義は考え難いので、政治的民主主義も)。
 東ヨーロッパの経験から分かるのは、生産手段の公的所有を達成する体制は、社会的な所有制を採用しなければ、つまり労働する社会が経済の自己管理権を有しなければ、社会主義社会について伝統的には期待されたようには全く進まない、ということだ。
 Marek は、西側社会主義と人民民主主義諸国の両方に新しい展望を拓く新しい現象として、産業社会全体に広がる産業民主主義の必要性を強調した。
 工場の入口で停止する民主主義は、また工場の出口で停止する民主主義も、民主主義という名に値しない。
 Hirszowicz は、産業民主主義の多様な段階を区別した(技術、経営、社会)。但し、社会生活の全ての側面を包括する参加型民主主義の一部としてのみ、産業民主主義を把握することができる、と述べた。//
 (7)政治的民主主義を伴わない経済の自主管理が無意味であることに合意するのは、困難でなかった。
 しかし、討論を刺激したもっと特有の問題は、経済の自主管理の実行可能性およびその実際的内容に関するものだった。
 効率的な経営と産業民主主義の間の矛盾を解消する制度的な手段は開発されてきていない、と論じられた。
 かりに我々がこの両方を望むならば、全ての種類の妥協によってのみこれを考えることができる。
 そして、ユーゴスラヴィアの実験の多くの側面は、勇気を与えるものではないか?
 現実の経営と現実の決定権力は、労働者の形式的な権利がどうであれ、通常は専門家たちの手のうちにある。
 一方で、特定の産業単位の自律性が大きくなるほど、大きな破壊性を伴う資本主義的蓄積という正常な法則が無制限に作動する余地が、それだけ広くなる。
 他方で、高度に集中的な計画化は、ソヴィエト型社会の経験から判断すると非効率的であるとともに反民主主義的で、国の技術が精巧になるほど、中央的計画化の非効率性はそれだけ際立って明瞭になる。
 (Sirc がNuti に反駁して述べたように、)経済全体を作動させるのは不可能だ。
 しかし、西側ヨーロッパと北アメリカの現存する経済体制は漸次的であっても重要な変化が生じるのを受容すると我々は期待することができるか? 富の配分についてますます平等になり、産業管理についてますます民主主義的になり、生産の果実に全ての者がますます参加できる、そのような漸次的変化の受容を。
 資本主義社会での技術の巨大な進歩は余暇の増大を生み出したが、このことはこの目的のために用いることはできない、そして用いることはできなかった、と主張された(G. A. Cohen によって)。生産の増加と余暇の増大の間の選択を迫られて、資本主義はその本来の性格からして不可避的に前者を選ばなければならないからだ、と。
 労働時間についてのその帰結は、この〔資本主義〕システムの範囲内でこれまでは些細なものだった。
 進歩的な税制は理論上は社会的富のより平等な配分を誘導することになるが、現実にはそうではなかった、とも主張された(Nuti によって)。//
 (8)一般的に言って、社会主義諸国の経験は西側ヨーロッパの社会主義運動の展望と社会主義という思想そのものの有効性の両方にとっていかほどに適切(relevant)なものであるのか、に関する合意はなかった。
 この意味(relevance)を誰も否定しなかったが、それに限界があることは様々に明確に述べられていた。
 我々はこの〔社会主義諸国の〕システムの技術的および経済的非効率性は偶発的な歴史的諸事情によると説明すべきなのか、それとも、それはまさにその〔社会主義体制の〕基礎のうちに埋め込まれていたのだ、と説明すべきなのか?
 社会主義諸国の経験は、社会主義思想の実現可能性とそれがもつ全ての諸価値をひっくるめた達成可能性に、いかほどに疑問を抱かせているのか?
 社会主義の伝統のまさに中核にある諸価値のうちのいくつかは、実際に適用してみると相互に矛盾するように思えた。
 すなわち、自由の必要性と平等の必要性はほとんどつねに両立し難いことが分かった。
 完全な産業民主主義という理想は、有能な(competent)経営とは容易にはほとんど結びつき難い。
 我々は、余暇と消費用商品の両方の増大を求める。そして、どうすれば両方のいずれの増大をも獲得できるのかを知るのは困難だ。
 我々は、安全確保と技術進歩の両方を求める。しかし、完全な安全性は停滞(stagnation)を意味包含しているように見え、技術の進歩は不均衡(disequilibrium)を意味する(Sirc)。
 矛盾する諸価値を合理的に調整するシステムを与えることのできる理論は、諸矛盾を根絶させるシステムに関するそれはなおさらのことだが、存在していない。
 我々はますます総合的な計画化を必要とするが、それに関して信頼できる理論がない、社会に関する我々の知識は必ずや限定されており、社会的技術工学(social engineering)を用いても多数の予期していない事態を生み出さざるを得ないからだ(と、Hampshire は主張した)。
 ゆえに、社会の組織化に関する現存する可能性を試してみる方が安全で、より責任ある見解ではないか? 現在の状況よりもはるかに悪い結果をもたらさないという保障が全くない、そういう完璧さへと向かって偉大な跳躍をすると約束するよりは。//
 (9)西側諸国の社会主義者の意識に重要な変化が起こっているが、その原因はソヴィエト型社会主義の失敗にのみあるのではなく、資本主義社会が変容していくつかの社会主義に固有の価値を無意味な、重要でないまたは疑わしいものにしたことにも起因する、ということが、討論では繰り返して指摘された。
 マルクスの予見によれば、社会主義は資本主義生産様式が技術の進歩に負荷していた制限を打破すると考えられており、社会主義的組織化がその優越性を証明するのはまさにその点にある、とされた。
 現存する社会主義社会は、西側モデルを不器用に模倣する一方で「技術競争」を喪失していることが判明した。それだけではなく、技術の進歩というまさにその価値が、悪名高い破壊的な観点からする社会進歩の主要な標識としては、ますます魅力的なものではなくなっていることも分かった。//
 (10)新しい経験に照らすと19世紀の社会主義思想の最も弱点だと思える第二の重要な点は、社会主義運動での労働者階級の役割だ。
 Bottmore は、労働者階級の<ブルジョア化(embourgeoisement)>の理論を批判し、福祉国家体制と社会主義的発展の同一視の傾向に反対しつつ、社会主義運動は今日的変化に適用することのできる信頼し得る理論を何ら持っていない、と指摘した。
 多数の左翼グループの間には、マルクス主義の意味では労働者階級では全くない、最底辺のまたはたんに特権を持っていない集団(移住労働者、ルンペン・プロレタリアート、人種的または民族的少数者)に別の革命的前衛を探し求める政治傾向がよく知られている。しかしこれは、社会学的分析にもとづくものではなく、絶望が反射したものだと、討論では頻繁に論述された。
 他方で、高度発展社会での労働者階級の地位の変化は福祉上の利益に限定されておらず、多くの社会的経済的な重要問題について労働組合が発揮することのできる力の消極的な統制を含む、と指摘された(Kendall)。後者は、私的所有制の制限または部分的な搾取だと叙述することができる、と。//
 (11)その価値が危機に瀕している、社会主義に関する第三の様相は、国際主義の伝統だ。
 Lodzは討論で、ネイション(nation)の「階級」観念と対抗するものとしてのその「国家」という観念の分析を行った。
 民族主義(nationalist、国家主義)イデオロギーと社会主義イデオロギーの間の対立はその力のほとんどを喪失していることを示すために、多くの現象が叙述された。
 すなわち、左翼の運動がマルクス主義理論によると確実に「反動的」というレッテルに値する民族主義的な要求を支持するのは通常の(normal)のことで、例外的なものではない。そして、左翼が民族主義的信条を支持しないのは、多数の紛争の中でほとんど考え難い、と(Taylor)。
 種族的(tribal)な共同体への郷愁が、多数の左翼集団の中にきわめて強く感じられる(Hampshire)。
 他方で、民族主義は国家の経済的機能の増大によって助長されており、同じ理由で、それはしばしば社会主義者の綱領と合致してもいる(Brus)。
 大国である社会主義諸国では、社会主義イデオロギーは排外主義または帝国主義の願望と区別し難くなっている間に、いくつかの(とくに東ヨーロッパでの)民族主義の形態は、自立と参加を求める民主主義的要求と合致している(Kusin)。
 ある参加者たちは、社会主義運動の観点からして特有の価値を持たないものとしてネイションを過渡的な現象と把握する、伝統的なマルクス主義の基調の有効性を強調した(Eric Hobsbawm)。
 他の参加者は、国際主義的態度と民族的忠実さは何ら両立し得ないものではない、とした(Ludz)。
 少なくともつぎの二点は、疑問視されなかった。
 第一に、現存する社会主義諸国は、民族問題を解決するというかつての約束を実現することに、完全に失敗した。第二に、社会主義運動では、国際主義の理想は実際には滅び去った。
 大国の愛国主義と民族独立を求める要求の両者は、社会主義イデオロギーの中に頻繁に出現する。そして、誰ももはや、このことを異様だとは考えていない。//
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 ③へとつづく。

1774/諸全体主義の相違①-R・パイプス別著5章6節。

 リチャード・パイプス・ボルシェヴィキ体制下のロシア
 =Richard Pipes, Russia under the Bolshevik Regime (1995)。
 試訳のつづき。第5章第6節。p.278~p.230。
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 第5章・共産主義、ファシズム、国家社会主義。
 第6節・全体主義諸体制の間の相違①。

 共産主義者、ファシストおよび国家社会主義者の諸体制を分かつ、相違の問題に移る。
 これらが作動しなければならなかった社会的、経済的および文化的条件を対比させることで、我々はこれを説明することができる。
 換言すると、相違は、異なる哲学から生じたのではなく、同じ統治の哲学を地域的な情勢に戦術的に適応させたことから生じた帰結だ。//
 一方での共産主義、他方でのファシズムと国家社会主義の間の際立つ相違は、民族主義(ナショナリズム)に対するそれぞれの姿勢にある。
 すなわち、共産主義は国際的運動だが、ムッソリーニの言葉によると、ファシズムは「輸出」するためのものではなかった。
 1921年の国会下院での演説でムッソリーニは、共産党員たちにこう呼びかけた。
 『我々と共産党との間には政治的親近性はないが、知的な一体性はある。
 我々はきみたちのように、全ての者に鉄の紀律を課す中央志向の単一性国家が必要だと考える。違うのは、きみたちは階級という観念を通じてこの結果に到達するのに対して、我々は民族(nation)という観念を通じてだ、ということだ。』(116)
 のちにヒトラーの宣伝相になるヨゼフ・ゲッベルスは同様に、共産主義者をナツィスと区別する一つのものは前者の国際主義だ、と考えた。(117) //
 この相違は、いかほどに根本的なものなのか?
 厳密に検討すれば、この違いは大きくは三国の特殊に社会的かつ民族的な条件によって説明することができる。//
 1933年のドイツでは、成人人口の29パーセントが農地で、41パーセントが工場や手工業で、そして30パーセントがサービス部門で働いていた。(118)
 イタリアでのようにドイツでは、都市と農村の人口、賃金労働者と自営業者や使用者、そして財産所有者と所有しない者のそれぞれの割合は、ロシアでのよりもはるかによく均衡がとれていた。ロシアはこの点では、ヨーロッパよりもアジアに似ていた。
 かりに社会構成が複雑で、「プロレタリア-ト」にも「ブルジョアジー」にも属さない集団の意味が大きければ、一つの階級が別のそれと闘争するのは西側ヨーロッパではまったく非現実的なものだっただろう。
 熱望をもつ独裁者は、西側では、自分の政治的基盤を損なうことを真面目に考えないかぎり、自分を単一の階級と同一視することなどできなかっただろう。
 このような想定が正しいことは、社会革命を掻き立てようとする共産主義者たちが西側では何度も失敗したことで、実証された。
 共産主義者たちが反乱に巻き込むことに成功した知識人や労働者階級の一部は、-ハンガリー、ドイツ、イタリアの-どの場合でも、連合した別の社会集団によって粉砕された。
 第一次大戦のあと、最大数の支持者がいた国々、イタリアとフランス、ですら、共産主義者たちは、単一の階級にのみ依存したために、その孤独な状態を打破することができなかった。//
 熱望をもつ西側の独裁者は、階級ではなくて民族的な憎悪を利用しなければならなった。
 ムッソリーニと彼のファシスト理論家は、イタリアでは「階級闘争」は市民階級が別の者と闘うのではなくて「プロレタリア国民」全体が「資本主義」世界と闘うのだ、と主張して、二つのことを巧妙に融合させた。(119)
 ヒトラーは、「国際ユダヤ人」を「人種的」のみならずドイツ人の階級的な敵だとも称した。
 外部者-カール・シュミットの言う「敵」-に対する憤激に焦点を当てて、ヒトラーは、どちらかに明らかには偏することなく、中産階級と農民の利益の均衡を維持した。
 ムッソリーニとヒトラーの民族主義は、彼らの社会構造が外側へと憤激を逸らすのを必要としていたこと、および権力に到達する途は外国の者に対抗する多様な階級の協力を通じて存在しているということ、への譲歩だった。(*)
 多くの場合で-とくにドイツとハンガリーで-、共産主義者もまた、排外主義的感情で訴えるのを躊躇しなかった。//
 東側では、状況は大きく異なっていた。
 1917年のロシアは、圧倒的に一つの階級、つまり農民の国家だった。
 ロシアの産業労働者は比較的に小さく、かつたいていは、まだ村落を出身地にしていた。
 大ロシア諸地方では全体の90パーセントを占める相当に均質な労働者(toiler)である民衆は、社会経済的にのみならず文化的にも、残りの10パーセントとは明瞭に区別された。
 彼らは、幅広く西側化されている地主、公務員、専門職業人、事業者および知識人とは民族的一体性の意識を感じていなかった。
 ロシアの農民と労働者にとって、彼らは十分にまったくの外国人だった。
 革命的ロシアでの階級敵、burzhui (ブルジョア)は、少なくとも語り方、振舞い方や外観でもってその経済的地位によるのと同様に見分けられた。
 ゆえに、ロシアでの権力に到達する途は、農民大衆や労働者と西欧化されたエリートたちの間の内戦を通じて存在していた。//
 しかし、かりにロシアがイタリアやドイツよりも社会的に複雑でなかったとしても、ロシアは民族的構成の点では相当にこれらよりも複雑だった。
 イタリアやドイツは民族的には同質的だったが、ロシアは、最大の集団は人口の2分の1以下だと記録される、多民族帝国だった。
 公然とロシア民族主義に訴える政治家には、非ロシア人である半分を遠ざけてしまうリスクがあった。
 これは、大ロシア民族主義と明白に同一化するのを避けて、その代わりに民族的に中立的な「皇帝」という考えに依拠した、ツァーリ政府によって認識されていたことだ。
 この理由でもっても、レーニンは、ムッソリーニやヒトラーとは異なる路線を進み、民族的な色合いのないイデオロギーを促進しなければならなった。//
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 (116) Mussolini, Opera Omnie, XVII (Florence, 1955), p.295.
 (117) Kele, Nazis and Workers, p.92.
 (118) Schoenbaum, Hitler's Social Revolution, p.3.
 (119) Gregor, Fascist Persuation, p.176-7.
(*) コミンテルンの知識ある構成員は、このことを認識していた。
 1923年6月のコミンテルンの会議(Plenum)で、ラデックとジノヴィエフは、ドイツ共産党は、孤立状態を打破するには民族主義的な心性要素と繋がり合う必要があると強調した。
 ドイツにその一つがある「被抑圧」民族の民族主義的イデオロギーは革命的な性格を帯びる、ということでこのことは正当化された。 
ラデックはこの場合について言った。『国家に対する重い負荷は、革命的行為だ』、と。
 Luks, Entstehumg der kommunistischen Faschismustheorie, p. 62. 〔共産主義的ファシズム理論の生成〕
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 ②へとつづく。
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