秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

毛沢東

1406/ブレジンスキー: Out of Control(1993)の一部を読む①。

  ズビグニュー・ブレジンスキー(鈴木主悦訳)・アウト・オブ・コントロール(草思社、1994)の「はじめに」と「第一部・組織化された狂気の政治」p.5-p.57。
 第一部は「第一章・大量死(メガデス)の世紀」、「第二章・全体主義のメタ神話」、「第三章・強制的なユートピア」から成り立つ。
 原書は、Zbigniew Brzezinski, Out of Control - Global Turmoil on the Eve of the 21st Century(Charles Scribner's Sons, 1993)
 一 ブレジンスキーにはすでに次の著もあり、「20世紀における共産主義の誕生と終焉」を語っていた。
 Zbigniew Brzezinski, The Grand Failure - The Birth and Death of Communism in the Twentieth Century (Macmillan Publishing, 1989)=ブレジンスキー(伊藤憲一訳)・大いなる失敗-20世紀における共産主義の誕生と終焉(飛鳥新社、1989)
 二 とりあえず上記の部分のみについてだが、すでに考えさせる、または刺激的な叙述に溢れている。
 この人は冒頭(表紙裏)に「ジミー・カーターに捧げる」と書いているようにアメリカの民主党系の学者だ。リチャード・パイプス(1923生)よりも5歳だけ若く(1928年生)、パイプスが共和党系であるのと異なる。但し、この二人ともポーランド生まれの、民族的にはポーランド人だ、と見られる(アメリカに帰化)。
 フーバーとF・ルーズヴェルトの違いを知ると、共産主義についての見方に共和党と民主党には大きな差違があるようにも思える。しかし、ポーランド生まれであることが関係しているのかどうか、ブレジンスキーは(も)<反共産主義>を鮮明にしている。これが、やや驚きでもある第一点だ。
 「はじめに」の最後の段落の文章を、やや長いが引用してみよう。邦訳書p.15-16。
 「20世紀は妄想の政治とおぞましい殺人の世紀でもあった。過去に例をない規模で狂気が制度化され、まるで大量生産を思わせる組織的なやり方で人間が殺された。人類を幸福にするはずの科学の可能性と、実際に歯止めがかけられなくなった政治の邪悪さは、おそろしいほどに対照的である。人類の歴史を振り返っても、殺人がこれほどあちこちで起こり、多くの人命が失われたことはなかった。不合理な目的のために、特定の人間を絶滅させるべく、これほど集中的にかつ持続的な努力が傾けられたこともなかった。/
 たしかに、…。中世には、…。…。しかし、このほかの暴力が激化した例を見ても、それらは基本的には突発事件だった--激しい暴力のために多くの血が流されたが、それは持続しなかったのである。大量虐殺、とりわけ非戦闘員のそれは、…、念入りな計画にもとづく一貫した方針にそって行なわれたわけではなかった。20世紀という時代が政治史に悲惨な足跡を残したとすれば、まさに念入りな計画にもとづく一貫した方針によって大量虐殺が行なわれたことなのである。」
 「20世紀の大量殺人」、「組織化された狂気の時代」の「大量殺戮」によってブレジンスキーは何を意味させているか。彼はその原因を①戦争・局地戦争・内戦、②全体主義>共産主義、③宗教・民族問題に分けて論じているようだが、ほとんどは<共産主義>によるものについてだ。
 ブレジンスキーによれば、①による(「実際の戦闘」による、民間人も含む)死者数は8700万人(広島を含む)。③によるものは、「300-400万人」。そして、②+③の「イデオロギーや宗教上の理由」により「意図的に殺された」人間は「8000万人を超える」(p.28)。
 合計の約1億7000万人は、仏・伊・英の三国の人口数の合計にほぼ等しく、アメリカの人口の3分の2以上(p.28)。
 ブレジンスキーは、20世紀を「大量死(Megadeath)」の時代、と称する(p.17)。Mega とは、10の6乗の数。
 ②の「『強制的なユートピア』をつくろうという全体主義的な試み」によるものについての叙述はかなり詳しい。以下は、抜粋引用的な紹介。
 「道徳的観点からすると、戦争の犠牲者の数さえ見劣りするかもしれないその数字こそ、20世紀を大量死の世紀と正当に位置づける根拠となる」。その数こそが「主義に名を借りた憎悪や感情のせいで、計画的に死に追いやられた無防備な人びとの数」だ(p.20)。
 この「政治的な動機による大量殺人」の原因は、つぎの4人の人間だった。
 すなわち、ヒトラー、レーニン、スターリン、毛沢東。
 「推定」数字だが、「重要なのは規模であって、正確な数字ではない」(p.18))
 ヒトラーによって、約1700万人。レーニンによって、「およそ600万人から800万人」。
 スターリンによって、「控えめに見積もっても、2000万人以上が、おそらくは2500万人が殺された」(p.21)。中国の指導部は「秘密」にしているが、推計では、毛沢東の「文化大革命」により、「100万人から200万人が殺された」(p.26)。
 その他、「東欧、北朝鮮、ヴェトナム、キューバ」で、「少なくとも300万人」。カンボジアでその3分の1、つまり約100万人。
 「共産主義は人類が歴史上最も大きな犠牲を払って失敗した試みだった」(p.27)。
 スターリン時代の戦争捕虜の処遇についての「恐るべき記録」にも、言及がある(p.22以下)。
 <以下、続ける。>

1380/共産主義に関する討論のテーマ-R・パイプスによる。

 Richard Pipes, Communism - A History (Random House, 2003) の巻末に、共産主義に関する討論テーマ (Discussion Guide) が掲載されている。読者が大学生や高校生であることを想定してのことだろうか。
 興味深いので、16個の質問事項(討論テーマ)をそのまま訳しておきたい。
 -----------
 01 共産主義の基礎にある古代の理想は何か ?
 02 マルクスは社会主義思想にいかなる寄与をしたか ? その理論は本当に、彼が主張するように「科学的」か ? 彼の予言は実現されたか ?
 03 社会主義「修正主義」とは何か ?
 04 レーニンはマルクスの正しい後継者だったか、それとも、レーニンはマルクス理論を修正したのか、かりにそうならば、どのようにして ?
 05 1917年10月にペトログラードで起きたのは、革命か、それともクー・デタか ? なぜ、権力掌握後に共産主義体制はあれほど早く独裁的に(autocratic)になったのか ? スターリンは、レーニンの門弟だと正しく主張していたのか ?
 06 なぜ、レーニンは革命を世界に広げることを主張したのか ? 彼とその後継者たちはどの程度成功したか ? コミンテルンのプログラムはいかなるものだったか ? なぜ、そしてどのように、ドイツの共産主義者は1932年にヒトラーの政権奪取に寄与したのか ?
 07 「ノーメンクラトゥーラ」とは何か、そしてそれはどのようにして共産主義体制の安定性と最後の失敗の両方に寄与したのか ?
 08 スターリンの大テロルの原因と過程を討論しなさい。トロツキーが共産主義国家では「服従しない者は食うべからず」と書いたとき、彼は何を言いたかったのか ?
 09 とくに1930年代に西側諸国で支持者を獲得した共産主義の成功を、あなたはどう説明するか ?
 10 冷戦の原因は何だったか ? それは不可避だったか ?
 11 なぜ、ソ連は解体したか ? 少数派のナショナリズムはその解体にいかなる役割を果たしたか ? 
 12 第三世界での共産主義運動に共通しているのは何か ? なぜ、モスクワは、西側の旧植民地だった国で勝利することが重要だと考えたのか ?
 13 中国・ソヴィエトの分裂の原因は何だったか ? どのようにして、マルクス主義者は毛沢東共産主義者だったか ? 
 14 なぜ、チリのアジェンデ共産主義体制は転覆させられたのか ?
 15 カンボジアやメンギストゥ〔秋月注-エチオピア〕のような体制がマルクスやエンゲルスの理論と同一視されうるとすれば、それは、もしあるならば、いかなる意味でか ?
 16 「社会主義者は勝利するかもしれないが、社会主義は決してしない」との言明は、何を意味するのか ? なぜ、本の著者の見解によれば、共産主義はつねにかつどこでも失敗する運命にあるのか ?     
 ------------
 上のRichard Pipes の書物(ハードカバー版は2001年刊)は、 リチャード・パイプス(飯嶋貴子訳)・共産主義が見た夢(ランダムハウス講談社、2007)として邦訳されている。
 但し、訳者(1967~)の責任ではないだろうが、巻末の上記の Discussion Guide は訳されておらず、役に立つと思われる<さらなる読書のための助言>という、著者による関連諸文献の紹介と簡単な説明(p.166-9)も訳されていない。注も索引も邦訳書では割愛されている。
 また、この種の邦訳書にはよく見られる、訳者または別の専門家による<著者(リチャード・パイプス)の紹介>や<解題・解説>もまったく存在しない。
 200頁に充たないコンサイスな書物だが、あるいはそうだからこそ、<共産主義の歴史>を概観するうえで(「共産主義が見た夢」という邦題は直接的でない)、日本人にとっても-日本共産党を理解するためにも-十分に参考になると思われるのに(上の討論テーマはすべて本文で言及されているようだ)、残念なことだ。

1330/日本共産党(不破哲三ら)の大ペテン・大ウソ06。


 前回につづける。
 3. 第三に、さざ波通信36号が一部を引用している、不破哲三・講座/日本共産党の綱領路線(1984、新日本出版社)から。この著全体が1983.08の日本共産党全国地区委員長講習会での「講義」を整理して雑誌・前衛に載せたものをさらに「大幅に加筆」したものとされている。
 以下は、「第三章・国際情勢をどうとらえるか」の中の「大国主義問題での二つの誤った見方-『社会主義無謬論』と『完全変質論』-」という中タイトルの部分(p.111-)。
 ・日本共産党は「二つの誤った見方-『社会主義無謬論』と『完全変質論』とをしりぞけている」。/前者は「社会主義は民族自決権の侵犯などといった根本的な誤りをおかすはずはないという立場」。「まさに今日では、大国主義者とその追従者の現実に背を向けた観念論的イデオロギー以外のなにものでもありません」。<改行、以下中略>
 ・「誤った見方のもう一つは、あれこれの社会主義大国がそうした重大な誤りをおかしているということを根拠に、『この国はもはや社会主義国ではなくなった』とか、『その存在は世界史のうえでいかなる積極的な役割も果たさなくなった』とかみなす、いわゆる『社会主義完全変質論』です。//
 「…1966年の日中共産党会談で、わが党代表団と毛沢東その他中国側との論争の最大の焦点の一つは、この点にありました。//
 中国側は、ソ連のあれこれの誤りを社会主義国の党と政府が誤りをおかしているといった段階の問題ではなく、ソ連が経済的には国家独占資本主義、政治的にはファシズム独裁の国になり、アメリカ帝国主義と同列の帝国主義国に変質してしまったことのあらわれだという評価を前面におしだし、これを理由にアメリカのベトナム侵略戦争に反対する国際統一戦線の方針につよく反対しました。<改行>
 これにたいして、わが党代表団は、ソ連の大国主義、干渉主義やアメリカ帝国主義美化論は断固として批判するが、だからといって、その誤りを理由に、ソ連は社会主義国でなくなったとする見方はとりませんでした。//
 そのときの論争は、『日中両党会談始末記』(1980年、新日本出版社刊)に詳しく紹介されていますが、この論争の決着はすでに明確だといってよいでしょう。//
 中国自身、完全変質論を事実上捨ててしまい、現在では、ソ連の大国主義を批判するが、社会主義国でないとはいわなくなっていますから。」(p.115)<改行>
 ・「私たちはまた、中国にたいしても、…批判をくわえましたが、…、そのことを理由に中国が社会主義国でなくなったとか、もう誤りただす力がなくなったとかの見方はとりませんでした。」<以下、中略>
 ・「社会主義の復元力についての私たちのこの展望は、…最近の中国の動向によって実証されました。……復元力のあらわれ方は、まだ複雑で過渡的な状況にありますが、この過程の全体が『社会主義完全変質論』の誤りの事実による証明となっていることは、まちがいないところです。」<改行、以下省略>
 以上、紹介おわり。// は原文では改行ではない。
 <つづく>

0811/「レーニンから毛まで」。<容共>か<反共=反コミュニズム>かが基本的対立軸。

 産経新聞社の別冊正論あたりに近いだろうか、ドイツの新聞社 Die Zeit〔時代〕 が季刊で「Die Zeit /歴史」という本又は雑誌を発行していて、今年秋号で第18号になったようだ。
 その2009-03号のタイトルは<危機の予言者-カール・マルクス>。内容を紹介するつもりはないし、その能力もない。
 目次を瞥見して興味を惹いたのは、Iring Fetscher(イリング・フェッチャー)という人物が「父の名前において-レーニンから毛まで-マルクスのイデーから生まれたもの」という文章(論文)を書いていて、マルクス-レーニン-毛沢東を一つの系統として捉えていることだ。毛(沢東)の名前が挙がるなら、実質的には「金日成まで」続いていると理解して何ら差し支えないだろう。
 毛沢東と金日成のあと、中国と北朝鮮において、体制の基本的思想において断絶はあったのか。むろん、<市場経済>を一部で導入した中国のように、政策的に重要な変更はある。だが、毛沢東や金日成の後継者たちが両国を支配していることにほとんど誰も異論を挟まないだろう。
 だとすれば、イリング・フェッチャーの言葉を借りれば、<マルクス・レーニンから毛沢東・金日成まで、そして現在の中国・北朝鮮の指導者たちまで>という系列を語ることが可能だ。
 日本共産党のように、マルクスとレーニンまでは「正しく」、スターリンから誤って<真の社会主義>ではなくなった(少なくとも目指す国でなくなった)、などという<寝言>を、ドイツ人を含む欧米人は誰も(一部のマルクス主義者を除き「ほとんど」が正確だろうか)語ってはいないだろう。
 現時点ではまだ政権与党であるドイツ社会民主党も戦後に早々と<反共=反コミュニズム>を明確にし、そのゆえにこそ、政権を担え、首相も出せる<現実的・建設的な>政党になった。
 <反共=反コミュニズム>は、欧米では、諸国民や知識人たちの(ほとんど)<常識>であるに違いない。
 日本ではどうか。<反共=反コミュニズム>は一部の<保守・反動>・<右翼>の心情で、共産主義=コミュニズムに対しても<優しく><リベラルな>のが(つまりは<容共>が)<進歩的>な感性の人間だとの、根拠のない思い込みになお多くの国民が陥っているように見える。はなはだしいのはマスメディアに従事する輩たちであり、大学の人文・社会系の学者たちだ。
 「レーニンから毛まで」と簡単に断言することのできない、曖昧な知識人・マスコミ人士の何と多いことか。
 グローバル化というなら、こういう<反共=反コミュニズム>においても日本は<国際標準>に合わせるべきだ。そこに達していない日本は、欧米に比べて<グロテスクに異様だ>と感じなければならない。
 もともと外国所産の思想に対する<反共=反コミュニズム>を掲げることに反対するために(つまり<容共>のために)、日本に固有・独自の歴史・文化を持ち出す持ち出すことはできない。上のことは何でも欧米の真似をせよ、という主張をしているのではない。
 民主党は全体としては又は多数派は<共産主義・社会主義志向ではない>という了解と安心があったからこそ、有権者の多くは同党に票を投じたのだろう。たしかに、米帝は日中人民共通の敵だと北京で声明した委員長がいたり、日米安保廃棄を唱えつづけてきたかつての日本社会党とは異なるようだ。
 だが、この政党に<旧社会党>一派がいることは周知のことだし、新総理大臣・鳩山がはたしてどこまで<反共=反コミュニズム>意識の持ち主であるかは疑わしい。むしろ<容共>に傾きうるのではないか、という危惧がある。
 こんな曖昧な政党に政治を委ねなければならないとは、憂鬱な事態だ。
 ドイツでは同盟(CDU/CSU)と自由民主党(FDP)の<保守・中道>連立政権が生まれそうだとされているが、かりにドイツで社会民主党(SPD)ほぼ単独の政権ができても、日本の新政権よりはマシなのではないか。ドイツ社会民主党の<反共=反コミュニズム>ははっきりしており、米国等との北大西洋条約機構(NATO)からの離脱を主張するはずもないからだ(もっとも、独社民党はドイツ国内の米軍の核兵器の撤去を要求しているらしい。ということは、現時点で、ドイツには明確に米軍の核兵器がある、ということ、そしてそのことが広く知られている、ということだ)。
 一部であっても<隠れマルクス主義者>や<容共>の者が民主党内で力を持つとすれば、日本は由々しき状況になるだろう。
 かくのごとく、中国・北朝鮮の現況を前提とすると、日本での思想・政治の最も基本的な対立軸は、なお<容共>か<反共=反コミュニズム>だ、と考えている。
 多くのマスコミ人士や学者たちは、<民主主義(の徹底・充実)>か<古い(愛国的・保守的)思考(の存続)>かの対立だと捉えているように見える。こういう対立軸の設定は、<民主主義かファシズム(軍国主義)か>という、戦後昭和<進歩的文化人>、丸山真男らも描いた、戦後当初の思考枠組みをそのままなお引き摺る、じつはアンシャン・レジームの発想だ。
 決して万全の、理想的なイデオロギーでも何でもない(実現すべき実体的価値を何ら示さない)<民主主義>(国民の「皆様」が主人公!)の実現・充実・徹底、という「青い鳥」を<夢想>して、大多数の国民(・マスコミ人士・学者)はこれからも生きていくのだろうか。むろん、その先頭に朝日新聞や岩波書店や某大学等々の学者たちがいる。どこかが大きく間違っている。

0467/共産主義との闘い-人間が人間らしく生きるために。

 「なぜ1917年に出現した現代共産主義は、ほとんど瞬時に血なまぐさい独裁制をうちたて、ついで犯罪的な体制に変貌することになったのだろうか。…この犯罪が共産主義勢力によって、平凡で当たり前の施策と認識され実践されてきたことをどう説明できるのだろうか」。
 これはクルトワ等共産主義黒書コミンテルン・アジア篇(恵雅堂出版、2006)p.334の文章だ。「犯罪」はむろん粛清=大量殺戮を含む。
 この本はフランス人によるだけにフランス革命後のロベスピエール等によるギロチン等による死刑とテロルの大量さとの関連性にも言及しているのが興味深いが、この文章の「現代共産主義」は殆どソ連のみを意味する。だが、「現代共産主義」は欧州では無力になったとしても、東アジアではまだ「生きている」。アジア的・儒教的とか形容が追加されることもある、中国・北朝鮮(・ベトナム)だ。中国との「闘い」に勝てるかどうかが、これらの国を「共産主義」から解放できるかどうかが、大袈裟かつ大雑把な言い方だが、日本の将来を分ける。下手をすると(チベットのように<侵略>されて)中華人民共和国日本州になっている、あるいは日中軍事同盟の下で事実上の中国傀儡政権が東京に成立しているかもしれない。そうした事態へと推移していく可能性が全くないとはいえないことを意識して、そうならないように国と全国民が「闘う」意思を持続させる必要がある、と強く感じている。むろん「闘い」は武力に限らず、言論・外交等々によるものを含む。
 といって、現在の北朝鮮・中国情勢に関して日本「国家」が採るべき方策の具体的かつ詳細な案が自分にあるわけではない。だが、中国・北朝鮮対応は共産主義との闘いという大きな歴史的流れの中で捉えられるべきだし、将来振り返ってそのように位置づけられるはずのものだ、と考えている。
 近現代日本史も「共産主義」との関係を軸にして整理し直すことができるし、そうなされるべきだろう。共産主義がロシアにおいて実体化されなかったら、日本共産党(国際共産党日本支部)は設立されず、治安維持法も制定されなかった。コミンテルンはなく、その指導にもとづく中国共産党の対日本政策もなく、支那は毛沢東に支配されることもなかった。米ルーズベルト政権への共産主義の影響もなく、アメリカが支那諸政府よりも日本を警戒するという「倒錯」は生じなかった。悪魔の思想=コミュニズムがなかったら、一億の人間が無慈悲に殺戮される又は非人間的に死亡することはなかったとともに、今のような東アジアの状態もなかった。

0250/可哀想な日本共産党員のブログから二点。

 日本共産党員のブログや、コメントに対する応答を読んでいると、いちいちどのブログかを特定しないが、なかなか面白いものが含まれていることがある。若干の例を挙げて、コメントする。月日も特定しないが、比較的近日中のものだ。
 第一に、同党の実質的な初代「教祖」と言える宮本顕治の経歴、とくにスパイ・リンチ事件についての知識が不十分な日本共産党員がいる。例えば、某党員ブログはこう書く。
 「宮本顕治が逮捕されるきっかけになった事件についていってると思うんですが、宮本は「殺人」ではなく治安維持法違反で有罪になっているわけで、「殺人罪」では有罪になっていません。」(賢治→顕治に訂正しておいた)
 1933年12月のスパイ・リンチ死亡事件については、立花隆(日本共産党の研究)や当該「査問」の参加者の一人・袴田里見(昨日の同志宮本顕治へ)などの研究書や「実録」ものがある。
 日本共産党員として正しい知識と教養を身に付けるためには、そして、自己の立場に自信があるならば、同党関係文献や新聞・中総決定だけではなく、こうした本も広く読んだらいかがだろうか。
 上の本で確認しないまま書くが(それでも上の引用文よりは正確な筈だ)、宮本顕治はなるほど殺人罪で起訴され有罪判決を受けたわけではないが、治安維持法違反のみで起訴され有罪となったわけでもない。つまり、小畑某か大泉某が「査問」途中で逃亡しようとした際に拘束し実力を行使している間に死亡した件につき、過失致死か傷害致死(たぶん後者)という一般刑法犯を冒した者としても宮本は起訴され有罪判決を受けた。
 宮本顕治は治安維持法違反者としてのみ服役していたわけではない。一般刑法上の犯罪者でもあったのだ。この程度の知識も、一般の日本共産党員にはない、つまり、赤旗(新聞)等々によって誤魔化されている(正確な知識を与えられていない)ということに、改めて驚く。
 ちなみに、1.立花隆の本には、戦後すみやかに解放されえたのは「政治犯」のみで「一般刑法犯」は対象外だったが、法務省のミスで宮本顕治も<釈放>された旨書かれてあったと記憶する。
 2.ひょっとしてお知りにならない日本共産党員もいらっしゃるかもしれないので書いておくが、副委員長・袴田里見までをも除名しなければならなかったのは、まさに袴田里見が前衛(だったと思う)に連載してのちに本にしたものの一部がスパイ・リンチ事件を扱っていて、その内容が宮本顕治による殺人(柔道的首締め。未必の故意)と解釈されるおそれがあったことがきっかけだった。
 日本共産党は宮本顕治を守るため、戦前からの長い宮本の同志・当時副委員長だった袴田里見まで犠牲にしたのだ。
 第二に、某ブログ上のコメントとその反論に次のようなものがあった。一部のみ抜粋する。
 コメント-「スターリン、毛沢東、金日成、ホーチミン、ポルポトみんな一杯人殺してるよ。/共産主義者の殺人は綺麗で正義の殺人なのかな。
 反論-1.「長時間過密労働・過労死・過労自殺…資本主義の国・わが国日本でも資本が労働者を抑圧する行為がやられてますよね。
 2.「「社会主義」「共産主義」「共産党」の看板掲げているからといって、彼らのやってる事がすべて「社会主義」「共産主義」「共産党」というわけではありませんよ。わが国の政権党・自由民主党だって党名は「自由民主」でも、やってる事は大企業を応援し、庶民を増税で苦しめるなど「自由民主」とはほど遠いですからね。
 反論の1.はあまりにもひどい。「資本」の「労働者抑圧」の例である?「長時間過密労働・過労死・過労自殺によって、社会主義国(旧も含む)又は共産主義による自国民の大量殺戮が<相殺>されるわけがないではないか。前者に対応するのは、現・旧社会主義国における、労働環境・労働条件の悪さ等々による工場労働者等の死亡の多さだ。
 反論の2.についてはまず、些細なことだが、最後の文の、<大企業の応援や庶民を納税で苦しめる>のは「自由民主」に反する、との主張は全く論理的ではない。「自由」を実体的価値・「民主」を手続的価値とかりに理解するとしても、いやこのように理解しなくとも、上のことが「自由・民主」と矛盾するわけでは全くない。自由主義と民主主義の範囲内で上のような政策も十分に成り立つ(もっとも上のような簡単・単純な政策の叙述自体に同意しているわけではない)。
 「自由・民主」の意味について、(日本共産党も何か関係する宣言を出している筈だが、自党の理解も含めて)もう少し考えていただいた方がよい。
 上に引用しなかったが、イギリス労働党と北朝鮮労働党を「労働党」という名前だけで同類視しない筈との名?文章があった。だが、コメント者が問題にしているのは、いくつかの人名で代表される、マルクス主義又はマルクス・レーニン主義(=日本共産党における「科学的社会主義」)を採用し、社会主義社会・共産主義社会への展望を綱領で(どんなに短い文章でも)示している政党、という意味だろう。
 従って、「「社会主義」「共産主義」「共産党」の看板掲げているからといって、彼らのやってる事がすべて「社会主義」「共産主義」「共産党」というわけではありませんよ」という答え方では答え・反論になっていない。
 むしろ、「すべて…というわけではありません」という表現は、<一部>は<真の>
「社会主義」「共産主義」「共産党」である可能性又は余地を認めるもので、100%の反論に全くなっていない。
 私が日本共産党員としての正答を教えてあげる義理は全くないのだが、同党の立場にかりに立てば、こう言うべきだろう。
 「スターリン、毛沢東、金日成、ホーチミン、ポルポト
」、この人たち(又はこの人たちが指導した国家)は真の「社会主義」者(「社会主義」国家)ではなく、この人たちが指導した共産党は誤った「共産党」だった。従って、正しい路線を歩んでいる日本共産党と同一視するな。
 こう書いておいて、ベトナムのホーチミンについては自信がないことに気づいたが、この人以外については、<日本共産党の主張をよく勉強している>党員ならば、上のように答えるだろう。ソ連について、レーニンまでは正しく、スターリンから誤った、大量虐殺の責任も主として又は大部分はレーニンではなくスターリンにある、と主張しているのが日本共産党だからだ。
 むろん、私はさらに、上の「正答」に反論することもできる。誤っていたスターリンの指導を受け、それを支持していた日本の政党こそが、戦前およびスターリン死亡までの戦後の日本共産党ではなかったのか、ということはすでに書いた。
 他にも、もともとレーニン→マルクスと遡る源流そのものに<血生臭さ>は胚胎していたのであり、表面的には今のところ<平和的>・<紳士的>でも、日本共産党も本質的にはマルクス・レーニン主義のDNAは引き継いでいる筈ではないのか、との疑問を出しておくことも可能だろう。
 思わぬ長文になったが、最後にいくつか。
 とくに上の後者の回答者党員の知的レベルの低さは何とかしないと、ブログ上で、日本共産党は(ますます)恥を掻くことになるのではないか。
 また、同回答者の他の文章にもかなり目を通してみたが、要するに、日々の赤旗(新聞)や選挙パンフに書かれてあることをなぞっているにすぎない。語彙・概念に独自なものはなく、すべて共産党用語だ。歴史や基礎理論の勉強の足りない党員が、赤旗や選挙パンフの文章を多少は順序を変えて反復しているに過ぎない。
 ついでに。いつぞや共産主義(→日本共産党)は「宗教的」ではなく「宗教」そのもの、と書いたことがあった。党員の精神衛生のためには、日々、教典にもとづく教祖の具体的教えが書かれた文章を読み、「正しい」ものとして学習し、それに基づいて、場合によっては信者を増やすべく布教をする必要があるのだろう。
 日本共産党のようなとくにイデオロギー性の強い政党については、入党というのは教祖又は宗教への全面帰依を意味する。入党するということは<思想・信条の自由>・<信仰の自由>を丸ごと放棄することと同義だ。
 そのようにして「自由」を喪失した者は、自分の言葉・概念・論理で語る能力もまた(ごく一部の幹部候補生以外は)失っていく。そのような人たちが、ネット上でもけっこう多数うごめいていることを知ると、本当に可哀想だ、気の毒だ、と私は心から感じざるをえない。
 日本共産党に未来はないのに…。

0193/日本に思想のゆえに殺してよいとの思想はあったか。

 「反革命」と認定した者をかりに実力抵抗がなくとも殺戮して当然とする考え方、要するに革命の「敵」はその思想のゆえに殺しても構わないという考え方はフランス革命期にあったと見てよく、論議はなおありうるのだろうが、ロシア革命にも継承された。
 レーニンらは、フランス革命以降19世紀の欧州の歴史をよく知っていたに違いない。フランスの革命家たちがルイ16世や王妃マリー・アントワネット等の一族を断頭台で処刑死させたように、レーニン・ロシア共産党はロマノフ朝を終焉せしめ、ニコライ2世の一族全員を殺戮した。
 かかる共産党の「思想」はその後も引き継がれた。そうでないと、スターリンの粛清等、毛沢東・文化大革命による大量殺戮、金日成・金正日の粛清・思想犯の収容所送致等を説明できない。金日成は南朝鮮系・中国系等の有力な共産党員を粛清して独裁に至った。
 フランスのことを考え、思いは社会主義国に巡り、そして日本に帰ってくる。日本に体制側・権力側の敵はその思想のゆえに殺しても構わないという考え方はあったのだろうか。あったとして、どの程度現実に実施されたのだろうか。
 日本史の詳細に立ち入る知識も余裕もないが、特定の宗教のゆえに実力で弾圧された例はあるようだ(一向一揆、石山寺、島原の乱)。だが、これらは純粋に宗教のみが理由だったかは疑問だし実力による抵抗を示したから殺戮を含む弾圧を招いたとも言えるだろう。
 素人の歴史談義を続ければ、徳川家康は秀吉の血を絶やしたかっただろうが、淀君らが家康に恭順の意を示していれば、大阪の陣による秀頼・淀君の死はなかったのではないか。
 最大の問題は明治維新とその前後の時期だが、「思想」のゆえに殺された者たちはいたようだ。新選組は一方の「思想」の側の殺人部隊だった。しかし、その数はフランス革命期ほどに大量でなかった筈だし、暴力の行使に対抗する暴力の場合もあったはずだ。
 何よりも、旧体制の頭領・徳川慶喜は新体制側に恭順の意を示したために殺されず生命を全うした。旧幕側の勝海舟もそうだった。函館まで行き武装抵抗した榎本武揚も、投獄されたのちには新政府の要職まで務めた。
 日本共産党結成後の大正末に死刑付きの治安維持法ができたのは、ロシア革命成功によるロマノフ王朝一族等殺害の現実を目のあたりにした当時の日本の体制側の深刻な恐怖感によるものだっただろうが、この法律によって実際に死刑にされた者はいない
 断片的かつ粗雑な思考で結論づけるつもりはないが、わが国には「敵」はその思想のゆえに抵抗がなくとも殺しても構わないという考え方はなかったか弱かったのではないか。それは日本人の生命観であり「やさしさ」でもあって「敵との闘争」がより頻繁で深刻だった欧州諸民族と比べて、誇ってもよいのではないか。

-0018 /2008年北京五輪へ行って、お腹を毀したくない。

 読売6面の小さな記事によると、2004年以降の2年間余、中国での外国メディア記者の拘束の件数38、人数85、取材妨害は15ケ国メディアに対して72件、うち記者等への暴行10件、写真やノートの没収21件。中国の実態の一端だ。かかる状況に文句をつけると「内政干渉」、「中国の自由・民主主義を他国と同列に論じられない」とか言うのだろう。日米・欧州的基本価値を共有しない異質な「社会主義国」だのに、一衣帯水とか漢字文化に目眩ましされて、チャイナスクール卒外務省お歴々の中には「東アジア共同体」構想をめざす人もいるらしい。
 せめて中国共産党の支配が終わり毛沢東以降歴代の党書記の全ての「罪」が明らかになり、かつ北朝鮮「金」王朝が終焉してからにしてほしいものだ。ECはすべて自由主義国でかつドイツの社民党もNATOを承認しドイツへの米軍駐留を肯定するという(日本の社会党、現社会民主党と正反対の)現実的対応をとる国々で構成されている。そのような基盤は現在、東アジアにはまるでない。
 誰かがどこかに書いていたが、ドイツナチスは1936年のベルリン五輪の9年後に滅び、1980年のモスクワ五輪の9年後にベルリンの壁がなくなり、11年後にソ連が崩壊した。とすると、2008年北京五輪から9~11年後の2017~19年には大きな世界史的事件が東アジアで起きるかも。その前後の日本を巻き込んだ大暴発又は大混乱はいやだが。
 毛沢東の矛盾論・実践論をなるほどと感心しつつ読んだのは1970年頃だった。矛盾・対立には根本的なものから些細なものまであるので見極めが肝心ということはたぶん書いてあったと思う。
 優先順位の選択といってもよいが、国際政治でも国内政治でもこの見極めが大切で、日本と人類にとっての最大の矛盾・対立はコミュニズムとの間にある、コミュニズムの国と勢力に絶対に屈してはならない、が私見だ。ルーズベルト又はアメリカはコミュニズムへの認識が甘すぎた時期があったようだ。毛沢東・共産党が中国の覇権を握る可能性を真剣に予測し得ていたら、戦争中の日本への対応も違ったのでないか。ソ連と中国で計1億人以上が殺戮されたともいわれる。権力把握者から「嫌いな」主張者と感じられたとの理由だけでも。「政治犯収容所」と容赦ない殺人を伴うコミュニズムの「おそろしさ」を-日本共産党とも決して無縁でない-、昔風の「反共」で済ませず、深刻に考えておく必要がある。
ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。