秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

毛利透

1317/資料・史料-2015.06.05安保関連法案反対憲法研究者声明。

 日本の歴史の特定一時期における「憲法研究者」なるものの異常な実態を記録にとどめておく必要がある。
 なお、「法案の内容が憲法9条その他に反する〕と言いつつ、法案における「憲法9条違反の疑いがとりわけ強い主要な3点について示す」という表現を使って縷々述べていることは興味深い。
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 安保関連法案に反対し、そのすみやかな廃案を求める憲法研究者の声明
   2015.06.05

 安倍晋三内閣は、2015年5月14日、多くの人々の反対の声を押し切って、自衛隊法など既存10法を一括して改正する「平和安全法制整備法案」と新設の「国際平和支援法案」を閣議決定し、15日に国会に提出した。
 この二つの法案は、これまで政府が憲法9条の下では違憲としてきた集団的自衛権の行使を可能とし、米国などの軍隊による様々な場合での武力行使に、自衛隊が地理的限定なく緊密に協力するなど、憲法9条が定めた戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認の体制を根底からくつがえすものである。巷間でこれが「戦争法案」と呼ばれていることには、十分な根拠がある。
 私たち憲法研究者は、以下の理由から、現在、国会で審議が進められているこの法案に反対し、そのすみやかな廃案を求めるものである。
 1.法案策定までの手続が立憲主義、国民主権、議会制民主主義に反すること
 昨年7月1日の閣議決定は、「集団的自衛権の行使は憲法違反」という60年以上にわたって積み重ねられてきた政府解釈を、国会での審議にもかけずに、また国民的議論にも付さずに、一内閣の判断でくつがえしてしまう暴挙であった。日米両政府は、本年4月27日に、現行安保条約の枠組みさえも超える「グローバルな日米同盟」をうたうものへと「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を改定し、さらに4月29日には、安倍首相が、米国上下両院議員の前での演説の中で、法案の「この夏までの成立」に言及した。こうした一連の政治手法は、国民主権を踏みにじり、「国権の最高機関」たる国会の審議をないがしろにするものであり、憲法に基づく政治、立憲主義の意義をわきまえないものと言わざるを得ない。
 2.法案の内容が憲法9条その他に反すること 以下では、法案における憲法9条違反の疑いがとりわけ強い主要な3点について示す。
 (1)歯止めのない「存立危機事態」における集団的自衛権行使
 自衛隊法と武力攻撃事態法の改正は、「存立危機事態」において自衛隊による武力の行使を規定するが、そのなかでの「我が国と密接な関係にある他国」、「存立危機武力攻撃」、この攻撃を「排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使」などの概念は極めて漠然としておりその範囲は不明確である。この点は、従来の「自衛権発動の3要件」と比較すると明白である。法案における「存立危機事態」対処は、歯止めのない集団的自衛権行使につながりかねず、憲法9条に反するものである。
その際の対処措置を、国だけでなく地方公共団体や指定公共機関にも行わせることも重大な問題をはらんでいる。
 (2)地球のどこででも米軍等に対し「後方支援」で一体的に戦争協力
 重要影響事態法案における「後方支援活動」と国際平和支援法案における「協力支援活動」は、いずれも他国軍隊に対する自衛隊の支援活動であるが、これらは、活動領域について地理的な限定がなく、「現に戦闘行為が行われている現場」以外のどこでも行われ、従来の周辺事態法やテロ特措法、イラク特措法などでは禁じられていた「弾薬の提供」も可能にするなど、自衛隊が戦闘現場近くで外国の軍隊に緊密に協力して支援活動を行うことが想定されている。これは、もはや「外国の武力行使とは一体化しない」といういわゆる「一体化」論がおよそ成立しないことを意味するものであり、そこでの自衛隊の支援活動は「武力の行使」に該当し憲法9条1項に違反する。このような違憲かつ危険な活動に自衛隊を送り出すことは、政治の責任の放棄のそしりを免れない。
国際平和支援法案の支援活動は、与党協議の結果、「例外なき国会事前承認」が求められることとなったが、その歯止めとしての実効性は、国会での審議期間の短さなどから大いに疑問である。また、重要影響事態法案は、「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」というきわめてあいまいな要件で国連決議等の有無に関わりなく米軍等への支援活動が可能となることから国際法上違法な武力行使に加担する危険性をはらみ、かつ国会による事後承認も許されるという点で大きな問題がある。
 (3)「武器等防護」で平時から米軍等と「同盟軍」的関係を構築
 自衛隊法改正案は、「自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している」米軍等の武器等防護のために自衛隊に武器の使用を認める規定を盛り込んでいるが、こうした規定は、自衛隊が米軍等と警戒監視活動や軍事演習などで平時から事実上の「同盟軍」的な行動をとることを想定していると言わざるを得ない。このような活動は、周辺諸国との軍事的緊張を高め、偶発的な武力紛争を誘発しかねず、武力の行使にまでエスカレートする危険をはらむものである。そこでの武器の使用を現場の判断に任せることもまた、政治の責任の放棄といわざるをえない。
領域をめぐる紛争や海洋の安全の確保は、本来平和的な外交交渉や警察的活動で対応すべきものである。それこそが、憲法9条の平和主義の志向と合致するものである。
 以上のような憲法上多くの問題点をはらむ安保関連法案を、国会はすみやかに廃案にするべきである。政府は、この法案の前提となっている昨年7月1日の閣議決定と、日米ガイドラインをただちに撤回すべきである。そして、憲法に基づく政治を担う国家機関としての最低限の責務として、国会にはこのような重大な問題をはらむ法案の拙速な審議と採決を断じて行わぬよう求める。
 2015年6月3日

 呼びかけ人
 愛敬浩二(名古屋大学大学院法学研究科教授) 青井未帆(学習院大学大学院法務研究科教授) 麻生多聞(鳴門教育大学大学院学校教育研究科准教授) 飯島滋明(名古屋学院大学准教授) *石川裕一郎(聖学院大学教授) 石村修(専修大学教授) 植野妙実子(中央大学教授) 植松健一(立命館大学教授) 浦田一郎(明治大学教授) 大久保史郎(立命館大学名誉教授) 大津浩(成城大学教授) 奥野恒久(龍谷大学教授) *小沢隆一(東京慈恵医科大学教授) 上脇博之(神戸学院大学教授) 河上暁弘(広島市立大学平和研究所准教授) 君島東彦(立命館大学教授) 清末愛砂(室蘭工業大学准教授) 小林武(沖縄大学客員教授) 小松浩(立命館大学教授) 小山剛(慶應大学教授) 斉藤小百合(恵泉女学園大学) *清水雅彦(日本体育大学教授) 隅野隆徳(専修大学名誉教授) 高良鉄美(琉球大学教授) 只野雅人(一橋大学教授) 常岡(乗本)せつ子(フェリス女学院大学) *徳永貴志(和光大学准教授) 仲地博(沖縄大学教授) 長峯信彦(愛知大学法学部教授) *永山茂樹(東海大学教授) 西原博史(早稲田大学教授) 水島朝穂(早稲田大学教授) 三宅裕一郎(三重短期大学教授) 本秀紀(名古屋大学教授) 森英樹(名古屋大学名誉教授) 山内敏弘(一橋大学名誉教授) 和田進(神戸大学名誉教授) 渡辺治(一橋大学名誉教授) 以上38名  *は事務局
 賛同人
 鮎京正訓(名古屋大学名誉教授)  青木宏治(関東学院大学法科大学院教授)  青野篤(大分大学経済学部准教授) 赤坂正浩(立教大学法学部教授) 穐山守夫(明治大学)  阿久戸光晴(聖学院大学教授)  浅川千尋(天理大学人間学部教授)  浅野宜之(関西大学政策創造学部教授)  足立英郎(大阪電気通信大学教授)  阿部純子(宮崎産業経営大学准教授)  新井信之(香川大学教授) 淡路智典(東北文化学園大学講師)  飯尾滋明(松山東雲短期大学教授) 飯野賢一 (愛知学院大学法学部教授)  井口秀作(愛媛大学法文学部総合政策学科) 池田哲之(鹿児島女子短期大学教授) 池端忠司(神奈川大学法学部教授)  石川多加子(金沢大学) 石埼学(龍谷大学)  石塚迅(山梨大学)  石村善治(福岡大学名誉教授) 井田洋子(長崎大学)  市川正人(立命館大学教授) 伊藤雅康(札幌学院大学教授)  稲正樹(国際基督教大学客員教授)  稲葉実香(金沢大学法務研究科) 猪股弘貴(明治大学教授) 井端正幸(沖縄国際大学教授)  今関源成(早稲田大学法学部教授)  岩井和由(鳥取短期大学教授)  岩本一郎(北星学園大学経済学部教授)  植木淳(北九州市立大学) 上田勝美(龍谷大学名誉教授)  植村勝慶(國學院大学法学部教授)  右崎正博(獨協大学教授)  浦田賢治(早稲田大学名誉教授) 浦部法穂(神戸大学名誉教授) 江藤英樹(明治大学准教授)  榎澤幸広(名古屋学院大学准教授) 榎透(専修大学教授)  榎本弘行(東京農工大学教員)  江原勝行(岩手大学准教授)  蛯原健介(明治学院大学教授) 遠藤美奈(早稲田大学教授)  大内憲昭(関東学院大学国際文化学部)  大河内美紀(名古屋大学大学院法学研究科教授)  大田肇(津山工業高等専門学校教授)  大野拓哉(弘前学院大学社会福祉学部教授) 大野友也(鹿児島大学准教授)  大藤紀子(獨協大学) 小笠原正(環太平洋大学名誉教授)  岡田健一郎(高知大学准教授) 岡田信弘(北海道大学特任教授)  緒方章宏(日本体育大学名誉教授)  岡本篤尚(神戸学院大学法学部教授)  岡本寛(島根県立大学講師)  奥田喜道(跡見学園女子大学助教)  小栗実(鹿児島大学法科大学院教員)  押久保倫夫(東海大学)  片山等(国士舘大学法学部教授) 加藤一彦(東京経済大学教授)  金井光生(福島大学行政政策学類准教授)  金子勝(立正大学名誉教授)  柏﨑敏義(東京理科大学教授) 彼谷環(富山国際大学) 河合正雄(弘前大学講師)  川内劦(広島修道大学教授)  川岸令和(早稲田大学)  川崎和代(大阪夕陽丘学園短期大学教授)  川畑博昭(愛知県立大学准教授)  菊地洋(岩手大学准教授)  北川善英(横浜国立大学名誉教授)  木下智史(関西大学教授)  清田雄治(愛知教育大学教育学部地域社会システム講座教授)  久保田穣(東京農工大学名誉教授)  倉田原志(立命館大教授) 倉田玲(立命館大学法学部教授)  倉持孝司(南山大学教授)  小竹聡(拓殖大学教授) 後藤光男(早稲田大学) 木幡洋子(愛知県立大学名誉教授)  小林直樹(姫路獨協大学法学部) 小林直三(高知県立大学文化学部教授)  小原清信(久留米大学)  近藤敦(名城大学)  今野健一(山形大学)  齋藤和夫(明星大学)  斉藤一久(東京学芸大学) 齊藤芳浩(西南学院大学教授) 榊原秀訓(南山大学教授) 阪口正二郎(一橋大学大学院法学研究科教授) 佐々木弘通(東北大学) 笹沼弘志(静岡大学教授)  佐藤修一郞(東洋大学)佐藤信行(中央大学)  佐藤潤一(大阪産業大学教養部教授)  澤野義一(大阪経済法科大学教授) 志田陽子(武蔵野美術大学造形学部教授)  實原隆志(長崎県立大学准教授)  嶋崎健太郎(青山学院大学教授)  神陽子(九州国際大学)  菅原真(南山大学法学部)  杉原泰雄(一橋大学名誉教授) 鈴木眞澄(龍谷大学教授) 鈴田渉(憲法学者) 妹尾克敏(松山大学法学部教授) 芹沢斉(憲法研究者) 高佐智美(青山学院大学) 高作正博(関西大学法学部)  高橋利安(広島修道大学教授) 高橋洋(愛知学院大学教授)  高橋雅人(拓殖大学准教授) 高良沙哉(沖縄大学人文学部准教授)  瀧澤信彦(北九州市立大学名誉教授)  竹内俊子(広島修道大学教授) 武川眞固(南山大学)  武永淳(滋賀大学准教授) 竹森正孝(岐阜大学名誉教授)  田島泰彦(上智大学教授)  多田一路(立命館大学教授) 建石真公子(法政大学教授) 館田晶子(北海学園大学法学部)  玉蟲由樹(日本大学教授)  田村理(専修大学法学部教授) 千國亮介(岩手県立大学講師) 長利一(東邦大学教授) 塚田哲之(神戸学院大学教授)  寺川史朗(龍谷大学教授)  徳永達哉(熊本大学大学院法曹養成研究所准教授) 内藤光博(専修大学教授)  仲哲生(愛知学院大学法学部)  長岡徹(関西学院大学法学部教授)  中川律(埼玉大学教育学部准教授) 中里見博(徳島大学准教授)  中島茂樹(立命館大学教授)  中島徹(早稲田大学)  中島宏(山形大学准教授) 中谷実(南山大学名誉教授) 永井憲一(法政大学名誉教授) 永田秀樹(関西学院大学教授) 中富公一(岡山大学教授) 中村安菜(日本女子体育大学)  中村英樹(北九州市立大学法学部法律学科准教授)  成澤孝人(信州大学教授)  成嶋隆(獨協大学) 西土彰一郞(成城大学教授)  西嶋法友(久留米大学) 丹羽徹(龍谷大学教授)  二瓶由美子(聖母学園大学教授) 糠塚康江(東北大学)  根本猛(静岡大学教授)  根森健(埼玉大学名誉教授)  畑尻剛(中央大学法学部教授)  濵口晶子(龍谷大学法学部)  樋口陽一(憲法学者)  廣田全男(横浜市立大学教授)  福岡英明(國學院大学教授) 福嶋敏明(神戸学院大学法学部准教授)  藤井正希(群馬大学社会情報学部准教授)  藤井康博(大東文化大学准教授) 藤田達朗(島根大学) 藤野美都子(福島県立医科大学教員) 船木正文(大東文化大学教員)  古川純(専修大学名誉教授)  前田聡(流通経済大学法学部准教授)  前原清隆(日本福祉大学教授)  牧本公明(松山大学法学部准教授)  又坂常人(信州大学特任教授) 松井幸夫(関西学院大学教授) 松田浩(成城大学教授)  松原幸恵(山口大学准教授)  宮井清暢(富山大学) 宮地基(明治学院大学法学部教授)  宮本栄三(宇都宮大学名誉教授) 村上博(広島修道大学教授) 村田尚紀 (関西大学教授)  毛利透 (京都大学教授)  元山健(龍谷大学名誉教授) 守谷賢輔(福岡大学法学部准教授)  諸根貞夫(龍谷大学教授)  門田孝(広島大学大学院法務研究科) 柳井健一(関西学院大学法学部教授)  山崎栄一(関西大学社会安全学部教授)  山崎英寿(都留文科大学)  山田健吾(広島修道大学法務研究科教授)  結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授) 横尾日出雄(中京大学)  横田力(都留文科大学)  横田守弘(西南学院大学教授) 横藤田誠(広島大学教授)  吉川和宏(東海大学)  吉田栄司(関西大学法学部教授)  吉田仁美(関東学院大学法学部教授)  吉田稔(姫路獨協大学法学部特別教授) 若尾典子 佛教大学教授)  脇田吉隆(神戸学院大学総合リハビリテーション学部准教授)  渡邊弘(活水女子大学文学部准教授)  渡辺洋(神戸学院大学教授)
  以上197名 (2015年6月29日15時現在) 

1278/毛利透(京都大学)の憲法制定過程の日独の差異を無視する妄言。

 毛利透(京都大学・憲法専攻)が、昨年7月半ばに、共同か時事に配信された憲法改正に関する文章を、地域新聞に載せている(先に読売新聞と記したのは誤り)。そこに、つぎの、デタラメな文章がある。
 「ドイツ基本法も占領下で制定されたが、与野党が支持しており、『自主憲法でない』などと主張すると極右扱いされる」。
 この一文は、ドイツを模範として?、同じ占領下に制定された憲法であるにもかかわらず日本国憲法を「自主憲法でない」、「おしつけ憲法」だと(与党が?)主張するのはとんでもない「極右」だ、という意味を込めている、ということは間違いない、とみられる。
 上の一文のうち「占領下で制定された」という点で西ドイツ憲法(いわゆるボン基本法)と日本国憲法には共通性があるという指摘のみは誤っていないが、あとは、ドイツと日本の各新憲法の制定過程や位置づけの差異を全く無視したもので、こんな一文をもって日本の改憲派・憲法改正の主張を揶揄したいという、卑劣で下司な心情・意識にもとづいている、と断じてよい。
 第一。日本国憲法は<ほぼ押しつけ(られた)憲法>だと先日にも書いたが、西ドイツ憲法(現在は統一ドイツの憲法)は<ほぼ自主憲法>だ、と言える。この違いを毛利は無視している。
 毛利と同じく憲法護持派の「活動家」学者・水島朝穂は自らのウェブサイト上で、以下のように記している(本日現在で読める)。長いが、できるだけそのまま引用する。
 「連邦道9号線沿いにあるこの建物〔アレクサンダー王博物館〕で、1948年9月1日、基本法制定会議(議会評議会)が開会された。その2週間前、バイエルン州の景勝地ヘレンキームゼー城で専門家の会議が開かれ、憲法草案がまとめられた。そこでは、先行するドイツの諸憲法(とくにフランクフルト憲法とヴァイマール憲法)のほか、諸外国の憲法、とくに米英仏とスイスの憲法が参考にされた。たとえば、基本権関係では、外国憲法だけでなく、国連の世界人権宣言草案も影響を与えた(とくに前文、婚姻や家族、一般的行為の自由、人身の自由)。また、集会の自由はスイス憲法がモデル。連邦憲法裁判所はアメリカ最高裁が参考にされた。ただ、全体として、特定の憲法がモデルになるということはなかった(〔文献略-秋月〕)。特筆されるべきは、ドイツを分割占領した米英仏占領軍の影響である。3カ国軍政長官は、3本のメモランダムや個々の声明などを通じて直接・間接に制定過程に介入。たとえば、48年11月22日の「メモランダム」は、二院制の採用、執行権(とくに緊急権限)の制限、官吏の脱政治化など、内容に踏み込む細かな指示を8点にもわたって行っていた。その干渉ぶりは、米占領地区軍政長官クレイ大将に対して、米国務省はもっと柔軟に対応すべきだとクレームをつけるほどだった。/約8カ月の審議を経て基本法が可決されたのは、49年5月8日。日曜日にもかかわらず、この日午後3時16分に会議は開始された。賛成53、反対12(共産党と地方政党)で可決されたのは午後11時55分。日付が変わるわずか5分前だった。〔一文略-秋月〕 5月12日、3カ国の軍政長官たちは、基本法制定会議の代表団と州首相に対して、基本法を承認する文書を手渡したが、この段階に至ってもなお、個々の条文を列挙して条件を付けた。5月21日までに、基本法はすべての州議会で審議され、バイエルン州を除くすべての州で承認された。このような状況下で制定された基本法を『押しつけ憲法』と見るか。当初はそういう議論もあったが、50年の歴史のなかで『押しつけ』といった議論はほとんどない。実際、軍政長官の影響は、財政制度、競合的立法権限、ベルリンの地位などに絞られ、全体として基本法制定会議で自主的に決定されたと評価されている。占領下の厳しい状況のなかでアデナウアーらは、占領軍の顔をたてつつ、したたかに実をとっていくギリギリの努力をした。その結果生まれた基本法は、その後の世界の憲法に重要な影響を与えるとともに、憲法学の分野で必ず参照される重要憲法の一つとなった」。
 以上のとおり、水島の叙述を信頼するかぎりは、その制定過程において米英仏占領軍・同軍政長官の介入・関与はあったようだが、「全体として基本法制定会議で自主的に決定されたと評価されている」。「自主憲法でない」という見解がもともとごく少数派なのであり、日本と同一でない。
 なぜ「自主憲法でない」という見解がもともとごく少数派なのか。それは、ドイツ憲法の制定過程が日本国憲法のそれに比べれば、はるかに<自主的>だからだ。
 上の水島の文章でも触れられているが、名雪健二・ドイツ憲法入門(八千代出版、2008)および初宿正典「ドイツ連邦共和国基本法/解説」初宿・辻村みよ子編・新/解説世界憲法集-第3版(三省堂、2014)によって、あらためて記述しておこう。
 ・ソ連占領区域を除く英米仏占領地域(西ドイツ)について憲法制定をすることを三国が合意したのが、1948.06.07のロンドン協定。
 ・当時の上の地域の各州(ラント)の首相は主権未回復の状況では正規の「憲法制定会議」設立は適切でないと判断して、各ラントの代表者から成る「議会評議会(・基本法制定会議)」をボンで開催することを決定。これが、1948.07.08-10のコブレンツ会議。
 ・各ラント議会によって「基本法制定会議」議員が選挙されたのが、上につづく1948.08。
 ・各ラントの首相により「専門委員会」が設立され(むろん全員ドイツ人)、これがオーストリア国境に近い湖上の島・キーム・ゼー内のヘレン島で「基本法」(憲法)の草案を議論して起草。1948.08.10-23だ。これが<ヘレンキームゼー草案>とも呼ばれて、のちのボンの「基本法制定会議」の審議の基礎になった。
 ・「基本法制定会議」は70人(むろんドイツ人)の各ラント代表者によって1948.09.01から討議を開始。議長はコンラッド・アデナウワー。
 ・1949.05.08に53対12で「基本法制定会議」が「基本法」(憲法)を採択。さらに1949.05.22までにバイエルンを除く各ラント議会の採択により成立。翌05.23に公布。その翌日、1949.05.24に施行。
 上の経緯のうち、2週間のドイツ人専門家から成る<ヘレンキームゼー草案>の審議が基礎となって「基本法」(憲法)が採択され、公布・施行されたということが重要だろう。なお、基本法(憲法)施行後の1949.08.14に新憲法上の国家機関である連邦議会の議員選挙、09.07に連邦議会と連邦参議院発足、09.12に初代大統領ホイスを選出、09.15に初代首相アデナウワー選出、09.20に同内閣発足。
 日本国憲法の制定過程にはここでは立ち入らない(すでに何度か言及したことがある)。GHQによって条文から成る草案そのものが政府に手交されたのであり、上に見たドイツとは大きく異なる、と言ってよい。また、<憲法制定議会>と称してもよいかもしれない、<明治憲法改正>のための衆議院の議員選挙に際してGHQの改憲案は正確には知られておらず(民意は反映されておらず)、かつ<GHQの圧力>のもとでの衆議院の<改正>の議論は決して<全体として自主的に>になされたとは言い難い、と考えられる。
 第二。上でもすでに触れているが、西ドイツ憲法(基本法)の施行は同時に西ドイツ・ドイツ連邦共和国という新しい国家の成立・発足をも意味している。西ドイツ発足は1949.05.23とされるが、それは西ドイツ憲法(基本法)の公布日であり、同法は1949.05.24の午前0時0分の施行だった。
 この点でも、日本国憲法と大きく異なる。日本国憲法施行後も占領は継続し、新憲法上は禁止されているはずの「検閲」がGHQにより行われるなど、<超憲法>的権力が日本にはなお存続した。
 このような大きな違いがあるにもかかわらず、たんに「同じ占領下に制定された憲法」というだけで、西ドイツ憲法に関するドイツでの議論が日本にもあてはまるかのごとき毛利透の言説は、きわめて悪質だ、毛利透(京都大学)は恥ずかしいと思わないか? 詳細を知らない新聞読者に対して、日本の改憲派の主張の一部にある「押しつけ憲法」論がさも異様であるかのごときデタラメを書くな、と言いたい。

1263/具体的・建設的で戦略も意識した議論を-憲法改正をめぐる保守派の怠惰。

 月刊正論1月号(産経新聞社)に、田久保忠衛「衆院選で忘れてはならぬ/憲法改正のラスト・チャンス」がある(p.158-)。産経新聞の憲法改正案起草委員会の一員だった人物(かつ国家基本問題研究所の幹部)が憲法改正の必要性を説き、衆院選の重要な争点とすべき旨を主張してるのだが、これを概読して、2010年11月03日の産経新聞「正論」に掲載された、やはり田久保忠衛の「憲法改正の狼煙上げる秋がきた」を読んで感じたのと似たようなことを感じた。
 当時感じたことは、この欄の2013.08.12投稿でも繰り返されている-「問題は、いかにして、望ましい憲法改正を実現できる勢力をまずは国会内に作るかだ。/この問題に触れないで、ただ憲法改正を!とだけ訴えても、空しいだけだ」。
 当時は民主党政権下だったので現在とはやや状況は異なるが、発議自体に各議院議員の2/3以上の賛成が必要であることに変わりはなく、これが達成されている状況にあるとは、衆議院に限っても明確には言い難い。
 また、国会議員の構成は民主党政権下に比べれば改憲のためにより有利にはなっているだろうが、そもそも憲法「改正」の具体的内容は改憲派(あるいは「保守派」)において明確になっているのか、という根本的問題がある。
 田久保は月刊正論1月号で現前文・現九条の改正と緊急事態対処条項の三つに少なくとも触れているようだが、田久保には尋ねてみたいことがある。
 まず、産経新聞社「国民の憲法」草案起草委員の一人として、すでに公表されていた自民党の憲法改正案を知っていたはずだが、産経「国民の憲法」案・要綱と自民党改憲案はまったく同じではないはずのところ、なぜ両者には違いがあるのか?、自民党の改憲案をそのまま採用しなかった具体的理由は何なのか?
 これくらいのことを明らかにしてくれていないと憲法改正のための具体的な議論はできないのではないか。
 また、憲法改正は-いずれまた触れるだろうように、明治憲法を全体としてそのまま復活させるという主張を採用しないかぎり-現憲法全体に対して改正案全体を提示して、全体について一括して支持するか否かを国民投票によって決する、というのではない。一箇条(の改正または新設)のみについて一回の記載か、複数の条項についての改正案(新設を含む)に即して複数回の(賛否の)記載を国民に問うのか、というやや技術的な(とはいえ現実には重要な)問題もあるが、いずれにせよ、改正が優先されるべき個々の条項について改正(・新設)の賛否を国民に問うことになるはずだ。
 しかして、田久保はいったい現憲法のどの条項から改正を始めるべきだと考えているのか。この点も明らかにしてくれていないと、憲法改正についての具体的な議論はできない。
 田久保忠衛に限らない。月刊正論2月号(産経新聞社)に、八木秀次「見え始める憲法改正への道筋」という魅力的なタイトルの論考があるが(p.58-)、総選挙結果の政治評論家的分析が3/4を占め、憲法改正に関する、上のような疑問に答えるところはない。ただ一つ、「憲法改正を政治日程に載せるためには1年半後の参議院選挙で改憲派の議席を確保しなければならない」等の、率直に言って改憲派ならば誰でも書けるようなことを書いているにすぎない。
 たまたま田久保忠衛と八木秀次の名を出したが、①両議院に2/3の改憲派を生み出し、国民投票でも国民・有権者の過半数の支持を得るための戦略・戦術、②すでにある改正案もふまえて、具体的にどのような内容の条文にするかのより突っ込んだ検討(ちなみに、櫻井よしこは「国防軍」ではなく「国軍」でよいと、どこかに書いていた)、③そもそもどういう順番で、改正案を国民に提示していくのか、についてのきちんとした検討、はいずれも、改憲派(「保守派))において、決定的に遅れているか、まったくなされていない。
 実に悲観的(・悲惨的)で危機的な状況にある、とすら言える。改憲派の論者たちは、本当に、真剣に、現憲法を変えたい、「自主憲法」を制定したい、と考えているのだろうか。
 このような状況では、安倍晋三首相が、憲法改正について具体的なことを語ることができないのも、当然だ。適当に何かを論じ、書いていれば済む立場に、安倍首相はいるわけではない。発議に必要な要件を彼は痛いほど理解しているだろうし(96条改正問題にもかかわる)、また、具体的な改憲条文を示した上で国民投票にかける必要があることも、どの条項から始めるべきかという問題があることも、当然に強く意識しているはずだ。
 にもかかわらず、安倍首相の問題意識・問題関心に応え、具体的にサポートする議論を改憲派(「保守派))が行ってきているとは思えない。
 優先順位にしても、公明党の「加憲」論に配慮して、安倍首相は緊急事態対処条項から始めたいのでは、という憶測記事を新聞で読んだことがあるが(何新聞だったかは忘れた)、かかる程度の<優先順位>論すら、改憲派(「保守派))は何もしていないのではないか。現九条か、前文か、緊急事態条項か、それとも「環境権」か?
 改憲派(「保守派」)の怠惰だ。
 もともと自民党は安倍晋三が言うとおり、「自主憲法の制定」を悲願としてきたのだから、改憲派(「保守派」)が、たんに、<憲法を改正しよう>と主張しても、訴えても、ほとんど意味はない。いいかげんに、それだけの主張や議論はやめるべきだ。
 ついでに言うと、周知のとおり、憲法改正反対(とくに現九条2項護持)の政党・運動団体があり、憲法学者の大半は<護憲派>とみられるところ、現96条改正や現九条改正に反対する憲法学者等の主張・議論に、改憲派(「保守派」)は適確に反駁してきているだろうか。
 例えば、昨2014年に、東京大学の現役教授・石川健治は朝日新聞に「乾坤一擲」の長い文章を載せ、京都大学の現役教授・毛利透は読売新聞紙上で護憲の立場で論考(・インタビュー回答)を載せていたが、これらに、迅速に改憲派(「保守派」)は反応し、これらを批判したのだろうか。
 <憲法改正を>だけ叫ぶのはいいかげんにしてほしい。具体的かつ建設的で戦略も意識した議論が、そして<護憲派>に対する執拗といってよいほどの批判が、必要だ。

0576/阪本昌成の反マルクス主義と樋口陽一「推薦」の蟻川恒正・石川健治・毛利透・阪口正二郎・長谷部・愛敬浩二

 一 樋口陽一について前回書いたこととの関係でいうと、すでに紹介したことはあるが、同じ憲法学者でも樋口よりも若い世代、1945年生まれの阪本昌成(広島大学→九州大学)は相当に勇気があるし、エラい。
 阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(有信堂、1998)p.22は、次のように明言した。第二版(2004)も同じp.22。
 「マルクス主義とそれに同情的な思想を基礎とする政治体制が崩壊した今日、マルクス主義的憲法学が日本の憲法学界で以前のような隆盛をみせることは二度とないはずだ(と私は希望する)。/マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと、そして、それに同調してきた人びとの知的責任は重い。彼らが救済の甘い夢を人びとに売ってきた責任は、彼らがはっきりととるべきだ、と私は考える」。
 「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと」や「それに同調してきた人びと」の具体的な氏名を知りたいものだが、多数すぎるためか、区別が困難な場合もあるためか、あるいは存命者が多い場合の学界上の礼儀?なのか、残念ながら、阪本昌成は具体的な固有名詞を挙げてはいない。
 また、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(成文堂、2000)のp.7は、こうも明記していた。
 「戦後の憲法学は、人権の普遍性とか平和主義を誇張してきました。それらの普遍性は、国民国家や市民社会を否定的にみるマルクス主義と不思議にも調和しました。現在でも公法学界で相当の勢力をもっているマルクス主義憲法学は、主観的には正しく善意でありながら、客観的には誤った教説でした(もっとも、彼らは、死ぬまで「客観的に誤っていた」とは認めようとはしないでしようが)」。
 二 樋口陽一が「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと」又は「それに同調してきた人びと」の中に含まれることは明らかだ。その樋口は、樋口陽一・「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房、2006)の最後の「読書案内」の中で、「ここ一〇年前後の公刊された単独著者の作品」としてつぎの6人の書物を挙げている。
 樋口陽一が気に食わないことを書いている本を列挙する筈はなく、樋口にとっては少なくとも広い意味での<後継者>と考えている者たちの著書だろう。その六名はつぎのとおり(p.176-7)。
 ①蟻川恒正(東京大学→退職)、②石川健治、③毛利透、④阪口正二郎(早稲田→東京大学社会科学研究所→一橋大学)、⑤長谷部恭男(東京大学。ご存知、バウネット・NHK・政治家「圧力」問題で朝日新聞の報道ぶりを客観的には<擁護>した「外部者」委員会委員の一人)、⑥愛敬浩二(名古屋大学。憲法問題の新書を所持しているが、宮崎哲弥による酷評があったので今のところ読む気がしない)。
 樋口陽一がその著書を実質的には<推薦>しているこのような人物たちは-阪本昌成よりもさらに若い世代の者が多そうだ-、日本の国家と社会にとって<危険な>・<害悪を与える>、例えば<リベラル>という名の<容共>主義者である可能性が大きい。警戒心を持っておくべきだろう。
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