秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

櫻井よしこ

1514/日本の保守-「宗教と神道」・櫻井よしこ批判④03。

 ○ 桜の季節なので、ふと西行の作だとされる歌を思い出す。
 「願わくば、花の下にて春死なん、その如月の望月のころ」。
 西行とされる歌にはこんなのもあった。
 「何ごとの、おわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」。
 これは伊勢神宮に関する歌だとされる。
 西行は(今の分け方でいうと)仏僧で、大阪・河南町の弘川寺(ひろかわ-)で没したとされ、そこに墓もある。訪れたことがあるので、知っている。
 弘川寺といえばむろん仏教寺院で、仏僧・西行は…、と考えると、伊勢神宮にかかわる歌というのが奇妙に思えてもくる。
 櫻井よしこ批判に、すでに入っているかもしれない。
 伊勢神宮は(たぶん当時も、仏教ではない)神道施設だったはずだが、神道は日本人にとって仏教の上に立つ、上位の包括的宗教なのだろうか。
 いや、神も仏も当時は明確に区別されておらず、それぞれが並立して、それぞれの役割を同時にともに果たしていたのではないだろうか。
 日本文明を「神道」に純化させようとするのは、はなはだ危険なことではないか。
 ○ 櫻井よしこの書いたものや語ったものを読むと、以下多少は誇張するが、まず、この人物自身の認識・見解・論評はどこまでなのか、どこが第三者・他人のそれらなのかが明確ではない、ということに気づく。
 週刊新潮や同ダイヤモンドとかの連載ものが典型だ。
 光格天皇に関する話題は、産経新聞にこの天皇の記事が載る-少し調べて藤田覚の書にも<皇威>高揚の旨が書いてあったのでこれをテーマとして選ぶ-さっそく藤田著にしたがって長々と紹介して、立派な天皇だった、と結ぶ。
 いささか簡潔化しすぎたかもしれないが、要するに、内容のほとんどは、藤田覚の(しかも一冊の)本に依存している。
 その本を見ていて、その孫の孝明天皇の存在にも気づいたに違いない。
 そこで、つぎの回に孝明天皇を取り上げたが、この天皇は<皇威>はともかくも、旧幕府側の天皇だったことを知って、単純には美化できない、と分かる。かくして、藤田著とは別の本も参照して、<譲位は最後の武器>という話にまとめ、現今に譲位問題があるので考えさせられる、と締め括る。孝明天皇は脅かし ?つつも、結局は譲位などしていないのだが。
 ざっと、こんな思考経路だろう。二回目も、ほとんど二つの本のみに拠っている。
 「」付き引用だと第三者の文章だと読者も分かるが、そうではなく抜粋的に要約すると(「パラフレイズ」すると)、第三者・他人の文献を参照していながらも、読者にはまるで著者自身が生み出した文章のように思えてしまう。
 これは「ジャーナリスト」が得意なトリックだ。情報を収集し(input)、要領よくまとめて発表する(output)。情報量の多寡とともに<要領よくまとめる>ことが彼ら・彼女らにとって重要で、決してその人たち自身が作り出した新鮮な情報(事実・思考・評価等々)では全くない。  
 週刊新潮の3/09の聖徳太子に関する文章もほぼ似たようなものだろう。
 聖徳太子といえば強く「仏教」に関連づけても不思議でないが、そうはしない、という結論めいたものが櫻井よしこにはある。あくまで神道の寛容性との関係でのみ仏教に言及する。
 そう決めれば、あとはほとんど、教科書的な説明と、情報として知った文部省の言い分や、「山田氏が語った」で始まる、国会議員・山田宏の言葉の長々とした引用または要約だ。
 簡単に5行程度で済ませることのできる主題を、オープンになっている情報によってあれこれと加工し、つなぎ合わせて、二頁ぶんにしているにすきないだろう。
 櫻井よしこの独創性はどこにあるのか。たんに「ジャーナリスト」ならばそれでよいのかもしれない。なぜならば、ジャーナリストの「心髄」は、上のような<技能>にあるからだ。
 ジャーナリストとはその程度のものだと思っている。筑紫哲也も、若宮啓文も、鳥越俊太郎も同じく「ジャーナリスト」だった。
 しかし、「研究」所理事長となると、そうはいかないだろう。
 櫻井よしこについて論及するたびに、<国家基本問題研究所>の(うちの「アホ」の先生方以外の)役員たちに対して、この人物を長とする団体の役員でいて「恥ずかしくないのですか」と問い質したく思っている。
 ○ もう一つ櫻井よしこの文章を読んで感じるのは、この人は、専門的研究者を侮蔑しているのではないか、多少は知識・教養のある読者を侮蔑しているのではないか、そして日本人一般の庶民感覚を侮蔑しているのではないか、ということだ。
 前後するが、昨年11月の天皇関連会議での櫻井よしこの発言内容は、あらためて読んでも<悲痛>だ。
 つまり、悲しくて、痛々しいほどだ。自分自身で情けないと感じないのだろうか。上記研究所の平川祐弘・加地伸行ら「アホ」以外の役員先生、いや「研究」者の方々は、自分たちの長として<恥ずかしい>とは感じないのだろうか。
 戻る。つまり、櫻井よしこは、重要なことであっても、少しは厳密に語らなければならない主題であっても、あっけらかんと単純かつ観念的に書いたり、語ったりしている、と感じる。
 ○ 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)p.84-。
 この論考について、1/30のこの欄で、すでにこう書いた。
 「『観念保守/ナショナル』丸出し。櫻井よしこが保守論壇の(オピニオン・)リーダーだとされることがあるのは、恥ずかしく、情けない。かつまた、恐ろしい」。
 したがって無視してしまいたいが、この人物を<保守>の代表格と見ている者が<右にも左にも>多いような気もするので、あえて(本来は精神衛生上避けたいが)関与する。
 計6頁と短いからと釈明することはできない。日本文明について(あるいは「保守の真骨頂」について)語りながら、「仏教」にはいっさい言及しない。そして、古事記は「日本が独特の文明を有することや、日本の宗教である神道の特徴を明確に示して」いる、「神道は紛れもなく日本人の宗教です」と書く(p.85)。
 恐るべき単純化だろう。
 もともとは天皇陵墓と関連させて天皇家と「仏教」との間の、明治維新時以降現在までの年月よりも長い関係について、叙述する予定だった。これは先に回す。
 それよりも、そもそも櫻井よしこは「神道」をどう、何と理解しているのか、という問題もあるのだった。
 上の文章や、読んだことのある櫻井のものからは、神道または日本の宗教に関する深い蘊蓄 ?、「研究」成果を感じたことはまるでない。
 ひょっとして櫻井よしこは、神道を、<単色・一定>のものと理解しているのではないか
 そうでなければ、<神道は日本の宗教です>という簡単な一文になぜなってしまうのだろうか。
 ここにも、櫻井よしこに対する、強い疑いがある。
 余計なことでなければよいが、秋月瑛二が「感じて知って」いることを以下に書いておこう。
 ○ 神道と言ってもさまざまだ。「八百万(やおろず)の神」とかいうが、全ての神社が無数の神々を祀っているわけではない。
 常識的に、神社本庁を包括法人とするいわゆる神社神道と、<教派神道>に分けられる。
 但し、前者に入るか否かはときによって異なりうる。靖国神社も梨木神社(京都、三条実美)もそうだ。
 前者のいわゆる<神社>としては、「八幡」(応神天皇)、「天神(天満)」(菅原道真)、「稲荷」系などが有名かつ多数で、決して、櫻井よしこが想定しているかもしれないような、天照大神(-天皇・皇室)系だけではない。これはむしろ、数の上では少数派だ。
 天皇・皇室系に、明治神宮、平安神宮、近江神宮(大津市、天智天皇)などがあって規模の大きいものもあるが、上に挙げたのは(古そうでも)全て、明治期以降に設置されている。
 意外に知られていないと思えるのは、一つは、素戔嗚尊-大国主命系の神社だ。
 この系列の神社が現存しているのは、日本国家または「大和朝廷」の成立にかかわる、古くかつ強い伝承が残ってきたからだと思われる。出雲大社が代表だが、祭神を多少とも気にして参拝しているかぎりでは、他にも少なくとも数十はあると思われる。この系列の神々は、日本書紀・古事記の上でも現在の天皇・皇室につながっていない(はずだ)。
 もう一つは、いわゆる<南朝>系、後醍醐天皇・楠木正成らを祭神とする神社だ。
 湊川神社(神戸市)がよく知られるかもしれないが、吉野神宮(奈良県)その他の吉野地域にある神社、その他いくつかある。
 ともかく、究極的にはすべて(菅原道真も含めて)天皇・皇室につながるのだ、と櫻井よしこは理解しているのかもしれないが、強引すぎるし、実態は決してそうではないと思われる。
 天照系でない神々や、徳川家康、豊臣秀吉を神として祀る神社もある。決して、これらは<教派神道>系ではない。
 櫻井よしこは、<教派神道>を除くとしても、それ以外の神道・神社を<単色>で見ているのではないだろうか。
 また、追記すれば、教義がないように一見感じるが(櫻井よしこもそんなことを書いていた)、しかし、<吉田神道(吉田神社、京都)>などのいくつかの<~神道>があり、理論 ?的にも、いくつかの分かれがあるように、<しろうと>には感じられる。
 ○ それにもう少し学問研究的な ?話をすれば、いわゆる<国家神道>の時代、神社神道は、制度的・行政的には「宗教」として取り扱われなかった、という、「宗教」概念にかかわる、根本問題がある。
 戦前の文部省は、神社神道以外の<教派神道、仏教、キリスト教>等を管轄していたとされる。そして、神社神道の「宗教」性はむしろ曖昧にされた、あるいは明治期又は明治憲法のもとでは、神社神道は「宗教」ではなかった、ないし少なくとも、上記のような平凡かつ世俗的な ?宗教とは区別される、それだけ「聖なる」ものだった、という指摘や研究もある。
 櫻井よしこは、平気でかつ単純に<神道は宗教だ>と語る。しかし、例えば、現憲法上の<国家と宗教>関係条項から見ると、神社神道(靖国神社も今は神社本庁下にある)は「宗教」ではないと理解・解釈した方が、天皇陛下ら皇族も内閣総理大臣も、安心して、靖国神社に参拝することができるのではないか ? なぜなら、靖国神社には「宗教」性はないことになるからだ
 論理的・概念的にはこのように帰結されることを知ったうえで、櫻井よしこは、<神道は宗教>だと書いているのだろうか。
 以上、①神道は、かりに神社神道に限っても多様、多彩であって<単色>ではない、②神道(神社神道)の「宗教」性自体について、日本のかつての歴史も含めての考察が必要だ。
 櫻井よしこは、前者をどう理解しているのか。上の後者の作業をしているのか、してきたのか ? きわめて疑わしい。
 櫻井よしこを念頭に置いてではなく、一般論として書いておくが、賢明な日本国民は、<狂信的扇動家>にダマされてはいけない。
 冷静な<理論的指導者(たち)>が必要だ。
 国家基本問題研究所の自称<研究>者たちは、本当に「国家基本問題」を<研究>しているのだろうか。理事長を見ていると、すこぶる疑わしい。

1510/日本の保守-宗教・神道と櫻井よしこの無知④02。

 ○ 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)p.84-89。
 この櫻井よしこの論考は、月刊正論3月号の<ポスト安倍・論壇は誰か ?>を主題とする、<保守>に関する特集の中にある。そして、この月刊正論3月号は、10人以上の論者に「保守」を語らせながら(その中にこの欄で紹介した小川榮太郎のものもあった)、前に八木秀次「保守とは何か」、最後に櫻井よしこ「これからの保守…」をもってきてそれらを挟むという編集スタイルをとっている。
 このように八木秀次と櫻井よしこを<保守>論者として重視するという編集姿勢そのものにすでに、産経新聞的または月刊正論的、または月刊正論編集部・菅原慎太郎的な<保守>の現況の悲惨さ、惨憺さが現れているだろう。
 上の櫻井論考は6頁あるが、神道・古事記等々は出てきても、「仏教」という語は一回も出てこない。
 櫻井よしこは「保守の特徴」の第一は「日本文明の価値観を基本とする地平に軸足を置」くことだとしている(そして「世界に広く心を開き続ける」ことだとする)。
 この程度のことは誰でも語ることができるし、場合によってはナショナル左翼もまた、この文章自体に反対することはないかもしれないレベルのものだ。
 問題はもちろん、「日本文明の価値観」として何を想定するかにさしあたりはなる。
 櫻井よしこが一切「仏教」に触れていないことは既に記した。櫻井が頻繁に言及しているのは、「十七条の憲法」と「五箇条のご誓文」で、後者は「ご誓文」だけの場合も含めて、(6頁に)7箇所も出てくる。
 「日本文明の価値観」を示したものとして櫻井が最初に挙げるのが「十七条の憲法」で、これと「五箇条のご誓文」は重なるとか似ているとかしきりに言っている。
 そして、聖徳太子・十七条の憲法-天武天皇・古事記-神道-天皇・皇室という流れの中で、「神道」を位置づける。
 明記はないが、「五箇条のご誓文」は(神道・)天皇・皇室中心の<明治>国家の最初の宣言文書という扱いだと理解して、まず間違いないだろう。
 ○ 「十七条の憲法」といえば聖徳太子だが、この人物名の問題は別として、聖徳太子は、仏教を日本で容認してよいかどうかの蘇我氏と物部氏の間の紛議・対立に際して前者を支持して仏教容認派勝利を決定的にした。これは、中学生の教科書にもあるだろう。
 櫻井は上の論考でも最近の別の文章でも聖徳太子を高く評価しているが、「仏教」とのかかわりはどう見ているのだろうか。週刊新潮2017年3/09号にこうある。
 「神道の神々のおられるわが国に、異教の仏教を受け入れるか否かで半世紀も続いた争いに決着をつけ、受け入れを決定したのが聖徳太子である。キリスト教やイスラム教などの一神教の国ではおよそあり得ない寛容な決定である」。
 この部分以外に「仏教」は出てこない。
 しかも、「異教」のそれを受容したことに日本文明または神道の「寛容」性を見る、という文脈の中で位置づけている。
 この頃からおよそ1400年経った。しかも150年ほど前にすぎない1800年代の後半までは、<神仏混淆>・<神仏習合>と言われる時代が長く続いた。かりに600年~1850年として、1250年も続いた。
 この歴史を、櫻井よしこは無視、または少なくとも軽視しているのではないか。
 天皇譲位問題に関するこの人の主張の基礎と同じく、ほとんど明治期以降にしか目を向けていないのではないか。あるいは、<明治日本>を最良・最高の日本だったと観念しているのではないか。
 別の観点から批判的にいえば、日本文明は「異教の仏教」を受け容れたが、基本的にいえば、キリスト教やイスラム教を受容しなかった。
 キリスト教・イスラム教と仏教は、日本人と日本国家にとって、明らかに違うだろう。
 しかし、櫻井よしこの文章には、そこに立ち入っていく姿勢・雰囲気はまるでない。
 聖徳太子以前の時代にだけ「日本文明」を限れば別だが、今や、あるいは飛鳥・奈良・平安等々という時代を通じてずっと、ある程度は日本化した、また日本で新登場した(新解釈された)と見てよい「仏教」を無視または軽視して、日本の伝統的な「文明」も「文化」も語ることはできない、と考えられる。
 櫻井よしこの視野は、偏狭だ。
 ○ 西尾幹二は「仏教に篤い心を持つ天皇も歴史上少なくありませんでした」と述べた(前回参照)。
 そのとおりだ。諸天皇・皇族は、<信教>のことなどを考える物質的・精神的余裕がなかった時代は別だが、おおむね神仏をともに崇敬していて、中には「仏教」により強く傾斜した天皇も少なくなかった、と思われる(逆に神道の方を重んじた時代・天皇もあったかもしれない)。
 キリがないだろうが、例えば西国三十三カ所巡拝(観音菩薩信仰)は平安時代の花山天皇に由来するともされる。
 また例えば、京都市には今でも無数に(正確には数多く)「門跡」寺院というのが残っていて、これは天皇・皇族が出家して法主等を務めた「仏教」寺院を意味する。
 北白川の曼殊院には秋篠宮殿下家族がご訪問の際の写真が掲示されている。有名寺院の中でも、他に、青蓮院、聖護院、三千院、仁和寺、大覚寺等々、数多く「門跡」である仏教寺院はある。
 櫻井よしこの蒙を啓くためにも、天皇・皇族の<墓陵/陵墓>について、以下に述べる。
 なお、秋月瑛二はこの問題についても<専門家>ではない。そうでなくとも、櫻井よしこがきっと知らないことを知っているし、櫻井よしこが関心を持たないことにも興味をもつのだ。
 ○ 櫻井よしこは、光格天皇を、天皇・皇室の<皇威>を高めた天皇として高く評価していたようだ。
 しかし、光格天皇は、櫻井よしこが本当は反対だったはずの<生前退位>を行なった天皇(最後の)であり、「院政」を敷いたかはこの概念の理解にもよるだろうが、現在のところ最後の<上皇>だった。
 天皇・皇室問題に関連して櫻井よしこがこの天皇に触れたとき(週刊新潮で取り上げたとき)、上のことはどの程度意識されていたのだろう。
 かつまた、光格天皇の死後どのように天皇の「墓陵」は造営されて管理された(管理されている)のか。
 いつぞや「美しい日本」との連載ものの中で下り参道の珍しい例として泉涌寺(京都)を挙げ、ほんの少し「御寺(みてら)」と呼ばれて天皇陵も周辺にあることを記した。
 明治天皇の曾祖父にあたる光格天皇の墓陵は「後月輪陵」といって、泉涌寺の周辺にある。以下、地図も付いて分かりやすいので、つぎの書物を参照する。
 藤井利章・天皇と御陵を知る辞典(日本文芸社、1990年)。
 祖父の仁孝天皇も同じ「後月輪陵」、父親の孝明天皇はその東の「後月輪東山陵」で、-現地で確認したことはないが-泉涌寺の近くでいわば寄り添っている。
 さらに、17世紀最初の皇位継承者だった後水尾天皇から、明生、後光明、後西、霊元、東山、中御門、桜町、桃園、後桜町、そして1770年即位の後桃園天皇まで、200年近くの各天皇の墓陵・御陵は全て「月輪陵」であり、泉涌寺の周辺に集中している。
 何となく「御寺(みてら)」という語を印象的に記憶していたが、こうして見ると、泉涌寺と天皇(家)の関係は、少なくとも日本近世ではきわめて密接だった。
 いや、場所的に近いだけで、寺院と墓陵は別だろう、という人が必ず出てくるので、さらに立ちいる。とりあえずは、上掲書の後水尾天皇の項にこうあるとだけ紹介する。
 「…崩御され、…泉涌寺において陵地を決定し、…夜入棺して、泉涌寺の僧徒がこれを手伝った」。p.243。
 つづける。

1508/日本の保守-「宗教観念」・櫻井よしこ批判④。

 ○ 西尾幹二・維新の源流としての水戸学/GHQ焚書図書開封第11巻(徳間書店、2015)に、つぎの旨の叙述がある。p.41-70、p.78-、p.95-101、p.167など。(以下、必ずしも厳密でない再述がありうる。但し、大きくは誤っていない)
 水戸光圀・大日本史の編纂にあたって論争点になった三つの「難問」があった。
 ①南朝(後醍醐)は正統か-楠木正成は逆賊でないのか、のほか、
 ②大友皇子(天智の子)は天皇としてよいか、②神功皇后を皇統の一代に数えるべきか。
 これらは、明治維新後の新政府の「歴史」理解の問題ともなり、「水戸学」・大日本史と同じ結論が維持された。
 ①南北朝のうち南朝が正統、②大友皇子は天皇に即位していた(弘文天皇と追号)、③神功皇后(=応神天皇の母)は天皇と同様には扱わない(天皇のように一代とは数えない)。
 以下は、内容も秋月の文になる。
 日本書紀は天武天皇とそれ以降の天武系の天皇のもとで編纂されたので、天智の子・大友皇子(母は伊賀采女)を天皇扱いにしているはずがない(当然だと思うので、確認しない)。大友が天皇に即位していたことを認めてしまえば、<壬申の乱>で天武は天皇を弑逆したことになるからだ。天皇から皇位を奪い取ったことになるからだ。
 大友が即位していなければ、辛うじて、天智天皇の死のあとの弟と子(天武からいうと甥)の間の<皇位継承の争い>という説明ができる。
 明治になって公式に大友皇子=弘文天皇とされたので、当然だが、その一代だけとっても(天智より後は)、日本書紀と今日の理解での各天皇の代数は、少なくとも一つずつ異なる
 <保守>の人々はときに、例えば櫻井よしこも、平気で<~代までつづく>と今日までの代数を示すが、これは明治期以降に「確定」 ?したものだ。
 ○ 同じく、西尾幹二・維新の源流としての水戸学/GHQ焚書図書開封第11巻(徳間書店、2015)は、西尾自身の言葉として、つぎのことを主張している。同旨は多々あるようだが、つぎの一箇所に限る。p.40。
 明治新政府の「廃仏毀釈というのは善い意味でも悪い意味でも非常に影響の大きい運動」でした。「『国家神道』が唱道され、仏教を廃し神道を重んじる」ことになった。「それが天皇家の復活に寄与したという一面がある」。
 「しかし長い目で見ると、仏教を否定したのは精神史上マイナスであったといわざるをえません。仏教に篤い心を持つ天皇も歴史上少なくありませんでした」。
 神道の重視は「天皇家の復活には役立った」。「しかし、その結果、日本人の宗教を痩せ衰えさせてしまったという面があるのです」。
 秋月瑛二も、この辺りの理解に賛同したい。私は、神社も寺院もたいていは好きで(レーニンやロシア革命にだけ関心があるのではない)、全国のかなり各地を回っているが、神社・神道と寺院・仏教の違いや類似性、日本化した(おそらく神道の影響を受けた、強いて今日的に分類すれば)仏教・寺院の存在を、肌感覚で感知することがある。
 ○ 櫻井よしこの、以下の論考は、その<保守(主義)宣言>と理解して、今後も複数回とり挙げる。
 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)p.84-。
 この中に、つぎの一節がある。
 「古事記は」、「日本が独特の文明を有することや、日本の宗教である神道の特徴を明確に示して」いる。
 「神道は紛れもなく日本人の宗教です」。p.85。
 このあと段落すら変えないで(改行することなく)、櫻井は古事記の話に入り、「自然が神々であり、それらはやがて人間になり、天皇と皇室が生まれたわけです」と、段落を結ぶ。p.85-86。 
 先に最後の部分に触れると、櫻井よしこは竹田恒泰の著を参照文献のごとく括弧内で挙げている。しかし、竹田恒泰もさすがに自然・神々・人間・天皇の関係を(永遠の自然史の流れとしてはともあれ)「事実」として主張しているのではなく、あくまで古事記に記述された<物語>の内容を説明しているだけだと思われる。
 しかるに、この櫻井よしこの書き方では、まるで天皇とは「現人神」だ。
 そのように「観念」するのはまだよいが、「神」と「天皇」・人間を同一視するかの叙述を「事実」のごとく叙述すべきではないだろう。
 そもそもはこのあたりにすでに、<観念・意識・精神>と<現実・事実>の境界の不分明な櫻井よしこの叙述の特徴が出ている。
 ○ 本来言及したいのは、上の点ではない。
 神道は日本の宗教である、というとき、二つの基本的な論点がある。
 一つは、そもそも「宗教」とは何かだ。明治期には、むしろ特定の<宗教>もどきのものとは神道は扱われなかったという逆説的な理解も可能だ。
 つまり、日本の神道は「宗教」ではなく、「伝統的習俗」類であって、例えば現在の憲法がいう「宗教」とは異なる、という理解も不可能ではないのだ。
 二つは、では、「仏教」は、日本の宗教ではないのか、という問題だ。
 上の引用部分では明らかではないが、櫻井よしこは明らかに、仏教よりも神道を重視している。一つだけとすれば、間違いなく、躊躇することなく、神道を挙げるに違いない。
 一つだけ取り上げる、又は最重視する「宗教」を敢えて名指しする、という考え方は、日本の<保守>あるいは日本国家や日本人にとって、望ましいことなのだろうか。
 ここで再び、冒頭近くに紹介した西尾幹二の主張・叙述に、目を向けるべきではないだろうか。
 櫻井よしこの「頭」は、観念的・単純で、偏狭なのだ。もともと関心があるテーマなので、つづける。

1496/日本の保守-歴史認識の愚弄・櫻井よしこ③03。

 ○ 櫻井よしこ的「保守」にはいいかげんうんざりしていると、既にいく度か書いた。
 本当は読みたくもないし、それについて何か書きたくもない。精神衛生によくない。
 しかし、自分自身が始めてしまったから、誰にも強いられない立場ながら、やむをえない。櫻井による米大統領トランプ批判(ケチつけ)や、その「天皇」・「宗教」観について、ある程度すでに、書き記す用意ができてしまった。
 ○ 前回に2015年戦後70年安倍内閣談話についての、週刊新潮(同年8/27)誌上での高い評価を見た。
 ところが、櫻井よしこは、この週刊誌の連載ものをまとめた書物では、何と微妙に、あるいはほとんど逆方向にすら、論評内容を変える「追記」を付加している。
 櫻井よしこ・日本の未来(新潮社、2016.05)、p.192。
 毎週の週刊誌読者に対して失礼だろう。また、櫻井よしこにとっての「歴史認識」とは何か、櫻井にとっていったん活字にした自分自身の論評とは何か、を強く疑わざるをえない。要するに、この人にとっては、歴史認識も安倍談話も、じつはどうでもよいのではないか。そのときそのときで適当に書いて原稿を渡せればよいのではないか。
 上の本の8カ月ほど前に櫻井は書いて、活字にした。
 例えば、談話は「安倍晋三首相の真髄」、「大方の予想をはるかに超える深い思索に支えられた歴史観」を示す。/談話は、有識者会議「21世紀構想懇談会」の「歴史観を拒絶した」
 ○ それが何と、上掲書では変質してしまう。これを読んだとき、秋月は、すぐさま、<保守論壇の「八方美人」>と感じて、その旨を一行、一言だけだが、この欄に書いた。
 この変化は、戦後70年安倍談話に対して、(私には当然のことだが)厳しい批判が明言されたことにあるようだ。
 櫻井よしこは、中西輝政と伊藤隆の二人を明示しつつ、「少なからぬ専門家から厳しい批判が寄せられた」と書く。上記、p.192。
 このような反応に櫻井よしこは困ったようで、かつまた、中西輝政らの批判の正当性に(ようやく?)気づいたようで、何とか綻びを繕おうとしている。
 櫻井は何と、つぎのようにここでは言い切っている。
 「両氏の主張、つまり談話批判は全くそのとおりであると認める」。
 中西輝政の批判の中には当然ながら、有識者「21世紀構想懇談会」の報告書によって国家の歴史解釈を規定すべきでない、ということがあった。
 にもかかわらず、週刊新潮の段階では櫻井は、有識者会議「21世紀構想懇談会」の「歴史観を拒絶した」ことを、安倍談話を高く評価する根拠の一つにしていた。
 中西・伊藤らの主張・談話批判を「全くそのとおりであると認める」ということは、有識者会議「21世紀構想懇談会」の「歴史観を拒絶した」というかつての自分の読み方が、完璧に誤りだったと正面から認めているのに他ならない
 しかし、ここが櫻井よしこのしぶとい( ?)ところで、中西輝政が一部で「政治文書」という言葉を使っていることに着目して、つぎのように書く。
 両氏の談話批判は「全くそのとおり」だが、私(櫻井)が安倍首相談話を「評価する理由はそれが政治文書であるという点だ」
 唖然とするとしか、言いようがない。
 中西輝政が「政治文書」と語ったのはおそらく、十分に皮肉を込めてだろう。安倍晋三氏よ、日本国家の歴史認識を「政治」的に操作してよいのか、という意味だろう。ついでに記すと、西尾幹二も「政治的文書」という語を用いて表向き褒めるような導入をしつつ、そのあとで、談話の歴史認識を実質的に批判している(西尾幹二・日本/この決然たる孤独(徳間書店、2016)-原論考・月刊正論2015年11月号「安倍総理へ『戦後75年談話』を要望します」)。
 中西の「政治文書として賞賛措く能わざるほど素晴らしいできだ」という文章が、そのまま安倍談話を「政治文書」として高く評価するものと理解するのは、幼稚すぎる。批判をこめた皮肉だろう。
 すなわち、これまた、日本語文章の意味を全文の中で、種々のレトリックをくぐり抜け、行間も推察しつつ理解する、ということを櫻井よしこができないことを示しているだろう。
 さらに、櫻井は、やや意味不明だが、つぎのようにも書く。
 「政治文書」として高く評価できるが、「歴史理念としては村山談話を超えるものではなかった」。上記、同頁。
 この部分は、週刊新潮誌上での、安倍首相談話は「大方の予想をはるかに超える深い思索に支えられた歴史観」を示した、という無限定の高評価と真反対だ。
 平然とこのように書けるのが櫻井よしこであることを、多くの国民は、とりわけ「左翼」ではない人々は、知らなければならない。「歴史理念としては村山談話を超えるものではなかった」というニュアンスなど、2015年夏の時点では何も語っていない。
 本来はかつての文章を全面的に取消し、単行本に収載するに際してはこれを含めない、削除する、というのが、良心的なかつ正義感のある、自己懐疑心のある、立派な「ジャーナリスト」・評論家だろう。
 では、後から持ち出した「政治文書」として評価する、という論じ方は適切なのか。
 中西輝政らの指摘を知ったあとでの後出しジャンケンのごとき論法を持ち出すな、と言いたいが、まともに取り上げてみよう。
 簡単に、論駁できる。
 首相、内閣、大臣等々の談話は、すべてが<政治的>だ。
 彼らが発表する談話、声明等々は、すべて「政治文書」だ。もともと学者の研究論文ではない。
 その「政治文書」の中に、日本国と日本人の<歴史認識>に大きく関係する内容を、しかも根幹的内容として含めてしまってよいのか、というのがそもそもの問題だったのだ。
 櫻井よしこの論法でいえば、村山富市談話も、慰安婦にかかる河野談話も、「政治文書」だからという理由で、免罪されてしまうことになりかねない。
 櫻井よしこは、村山談話や河野談話に対して、「政治文書」か「歴史認識」・「歴史理念」を示す文書かの区別をしたうえで批判してきたのか。
 そんな区別をしていないだろう。
 しかるになぜ、安倍首相2015年談話については、2016年になって「歴史理念」は「村山談話を超えるものではなかった」が、「政治文書」であるという理由で「評価する」と、ヌケヌケと語れるのか。
 ○ 2009年にはすでに、櫻井よしこは信用できない、と感じてきた。
 このような人物を「保守」的「研究」団体の理事長にまつり上げる、又はかつぎ上げることをしなければならない<日本の保守>というものは、本当に絶望的なのではないかと、本当に危ういのではないかと、むろん櫻井のような人物だけなのではないが、強く感じている。
 櫻井よしこ「研究」を、さらにつづける。


1494/日本の保守-歴史認識を愚弄する櫻井よしこ③02。

 ○ 前回書いたものを読み直して、気づいて苦笑した。
 田久保忠衛について、某「研究」所の副理事長に「おさまっている」ことを皮肉的に記した。
 しかし、田久保忠衛とは、今をときめく?<日本会議>の現会長なのだった。ワッハッハ。
 書き過ぎると櫻井よしこに戻れなくなりそうなので、短くする。
 田久保は櫻井よしこらとともに<美しい日本の憲法をつくる国民の会>の共同代表だ。
 しかるに、田久保が産経新聞社の新憲法案作成の委員長をしていたときの現九条に関する主張と、この会の九条に関する主張(と間違いなく考えられるもの)とは、一致していない。
 些細な問題ではない。九条にかかわる問題であり、かつ現九条一項をどうするのか、という問題についての重要な違いだ(2014冬~2015年春あたりのこの欄で指摘している)。
 この人物はどれほど首尾一貫性をもつ人なのか、それ以来とくに、疑わしく思っている。憲法に関する書物も熟読させていただいたが、深い思索や詳細な知識はない。
 どこかの「名誉教授」との肩書きだが、元「ジャーナリスト」。
 ジャーナリスト・かつ朝日新聞系となると最悪の予断を持ってしまうが、後者は違うようだ(しかし、共同通信や時事通信は?)。
 また、以下の櫻井よしこの文章の中にも出てきて、櫻井を誘導している。
 ○ 2015年末の日韓慰安婦最終決着両外務大臣文書について、櫻井よしこは何と論評していたか。すでにこの欄に記載のかぎりでは、渡部昇一×(西尾幹二+水島総+青山繁晴)、という対立があった。
 櫻井よしこは、産経新聞2016年2/16付「美しき勁き国へ」でこの問題に論及したが、つぎのような結論的評価を下している。
 「昨年暮れの日韓合意は確かに両国関係を改善し、日米韓の協力を容易にした。しかし、それは短期的外交勝利にすぎない」。消極的記述の中ではあるが、しかし、「短期的」な「外交勝利」だと論評していることに間違いはない。続けて言う。
 「『…安倍晋三首相さえも強制連行や性奴隷を認めた』と逆に解釈され、歴史問題に関する国際社会の日本批判の厳しさは変わっていない。」
 「逆に解釈され」?
 そんなことはない。あの文書は、明言はしていないが、河野談話と同じ表現で、「強制連行や性奴隷を認めた」と各国・国際世論素直に?解釈されても仕方がない文書になっている。
 櫻井は、日本語文章をきちんと読めていないし、河野談話を正確に記憶していないかにも見える。
 英訳公文の方がより明確だ。日本語文では「関与のもとに」だが、英語文では「関与した…の問題」になっている。
 つぎの論点も含めて言えるのは、櫻井よしこには、<安倍内閣、とくに安倍晋三を絶対に批判してはいけない、安倍内閣・安倍晋三を絶対に守らなければならない>という強い思い込み、あるいは確固たる?<政治戦略>がある、ということだろう
 したがって、この日韓問題についても、櫻井は決して安倍首相を批判することはない。批判の刃を向けているのは<外務省>だ(そして保守系月刊雑誌にも、安倍内閣ではなく「外務省」批判論考がしばらくして登場した)。
 安倍首相-岸田外相-外務省。岸田や安倍を、なぜ批判しないのだろうか。
 ○ こう書いて奇妙にも思うのは、結果として安倍内閣・自民党の方針には反することとなった今上天皇譲位反対・摂政制度活用論を、櫻井よしこは(渡部昇一らとともに)なぜ執拗に主張とたのか、だ。
 これ自体で一回の主題になりうる。
 憶測になるが、背景の一つは、今上陛下の「お言葉」の段階では、自民党・安倍内閣の基本方針はまだ形成されていない、と判断又は誤解していたことではないか。だからこそ渡部昇一は、安倍晋三が一言たしなめれば済む話だなどと傲慢にも語った、とも思われる。
 しかし、テレビ放送があることくらいは安倍晋三か菅義偉あたりの政権中枢は知っていた、と推察できる。それがなければ、つまり暗黙のうちにでも<了解>がなければ、NHKの放映にならないだろうと思われる。
 実際に、そののちの記者会見で陛下により、「内閣の助言にもとづいて」お言葉を発した旨が語られた。ふつうの国民ですら、それくらいには気づいている。
 ついでに言うと、この問題の各議院や各政党の調整結果についても、高村正彦・自民党副総裁は、同総裁・安倍晋三の了解を得て、事実上の最終決着にしている。ふつうの国民ですら、それに気づいている。
 特例法制定・少なくとも形式上の皇室典範改正に、安倍首相は何ら反対していない。
 櫻井よしこら一部の「日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか」。保守の一部の「言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」(西尾幹二2016年、前回から再引用)。
 ○ つぎに、2015年8月・戦後70年安倍内閣談話を、櫻井よしこはどう論評したか。
 櫻井よしこはまず、週刊ダイヤモンド2015年8月29日号で、「国内では『朝日新聞』社説が批判したが、世論はおおむね好意的だった」と世相・世論を眺めたうえで、「…談話は極めてバランスが取れており、私は高く評価する」と断じた。
 そのあとは例のごとく、鄭大均編・日韓併合期/…(ちくま文庫)の長々とした紹介がつづいて、推奨して終わり。
 読者は、櫻井がほとんどを自分の文章として書いていると理解してはいけない。他人の文章の、一部は「」つきのそのままの引用で、あとは抜粋的要約なのだ。
 これは、櫻井よしこの週刊誌連載ものを読んでいると、イヤでも感じる。この人のナマの思考、独自の論評はどこにあるのだろうとすぐに感じる。むろん、何らかの主張やコメントはあるが、他人が考えたこと、他人の文章のうち自分に合いそうなものを見つけて(その場合に広く調査・情報収集をしているというわけでもない)、適当にあるいは要領よく「ジャーナリスト」らしく<まとめて>いるのだ(基礎には「コピー・ペイスト」的作業があるに違いない)。
 つぎに、詳細に述べたのは、週刊新潮2015年8月27日号うちの連載ものの「私はこう読んだ終戦70年『安倍談話』」だった。
 櫻井よしこはいきなりこう書いていて、驚かせる。
 ・この談話には、「安倍晋三首相の真髄」が、「大方の予想をはるかに超える深い思索に支えられた歴史観」が示されている。
 ここに、「ひたすら沈黙を守る」だけではなく「逆に称賛までして」しまう、「日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」(中西輝政2015、前回から再引用)、の典型がいる。
 より個別的に見ても、日本語文章の理解の仕方が無茶苦茶だ。よほどの「思い込み」または「政治的」偏向がないと、櫻井のようには解釈できない。
 ①有識者会議「21世紀構想懇談会」の「歴史観を拒絶した」。
 そんなことは全くない。完全に逆だ。この懇談会の歴史見解をふまえているからこそ、委員だった中西輝政は<怒った>のだ。「さらば、安倍晋三」とまで言ったのだ。
 ②「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」との下りは、「田久保忠衛氏が喝破した」ように、「国際間の取り決めに込められた普遍的原理をわが国も守ると一般論として語っただけ」だ。
 そんなことは全くない。
 「二度と用いてはならない」と、なぜ「二度と」が挿入されているのだろう。
 日本を含む当時の戦争当事者諸国について言っているのだろうか。
 そのあとにやや離れて、つぎのようにある。
 「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました」
 「そう」の中には、上の「二度と用いてはならない」も含まれている。そのような「誓い」を述べたのは「我が国」なのだ。
 このように解釈するのが、ふつうの日本語文章の読み方だ。英語が得意らしい櫻井よしこは、英訳公文も見た方がよいだろう。
 ③「談話で最も重要な点」は「謝罪に終止符を打ったことだ」。
 はたしてそうだろうか。安倍の、以下にいうBの部分を評価しなくはないが、「最も重要な」とは言い過ぎで、何とか称賛したい気分が表れているように見える。
 安倍内閣談話ごときで、これからの日本国家(を代表するとする機関・者)の意思・見解が完全に固定されるわけでは全くないだろう。いろんな外国があるし、国際情勢もあり、こちらが拒んでも「謝罪」を要求する国はまだまだありそうだ。
 ④これは、櫻井よしこが無視している部分だ。
 談話-「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」。/「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」。
 櫻井はこの部分を、読みたくないのか、知りたくないのか、無視している。
 安倍談話は、安倍晋三内閣が1995年村山談話(も菅直人談話も)「揺るぎないもの」として継承することを明言するものであることは、明確なのだ。
 だからこそ、村山富市は当時、基本的には異論を唱えなかった、という現実があった。
 これくらいにしよう。じつに、異様きわまりない。「異形の」大?評論家だ。
 ○ 安倍内閣談話の文章は、日本文らしく主語が必ずしも明確ではない。安倍晋三、そして安倍内閣は、そこをうまく利用して?、櫻井よしこら<保守派>をトリックに嵌めたようなものだ、と秋月は思っている。
 その一種のレトリックにまんまと嵌まったのが、櫻井よしこや渡部昇一だっただろう。あるいは、嵌まったように装ったのか。
 先に記したように櫻井よしこは、「朝日新聞社説」だけは?反対した、と書いている。
 朝日新聞が反対したから私は賛成しなければならない、という問題では全くない。そのような単純素朴な、二項対立的発想をしているとすれば、相当に重病だ。
 この点は、当時は書くまでもないと思っていて、ようやく今年2月に書いておいた、以下も参照していただきたい。コピー・貼り付けをする(2/08付、№1427「月刊正論編集部(産経)の欺瞞」)。
 「レトリック的なものに救いを求めてはいけない。/上記安倍談話は本体Aと飾りBから成るが、朝日新聞らはBの部分を批判して、Aの部分も真意か否か疑わしい、という書き方をした。/産経新聞や月刊正論は、朝日新聞とは反対に、Bの部分を擁護し、かつAの部分を堂々と批判すべきだったのだ。/上の二つの違いは、容易にわかるだろう。批判したからといって、朝日新聞と同じ主張をするわけではない。また、産経新聞がそうしたからといって、安倍内閣が倒れたとも思わない。/安倍内閣をとにかく支持・擁護しなければならないという<政治的判断>を先行させたのが、産経新聞であり、月刊正論編集部だ。渡部昇一、櫻井よしこらも同じ」。
 ○ 安倍内閣・安倍晋三をとにかく擁護しなければならない、という「思い込み」、<政治>判断はいったいどこから来ているのか。
 <政治>判断が日本語文章の意味の曲解や無視につながっているとすると、まともな評論家ではないし、ましてや「研究」所理事長という、まるで「研究」者ばかりが集まっているかのごとき「研究機関」の代表者を名乗るのは、それこそ噴飯物だ、と思う。
 ○ 天皇譲位問題もすでにそうだから、2015年安倍談話に関する論評も、いわゆる時事問題ではとっくになくなっている。だからこれらにあらためて細々と立ち入るつもりは元々ない。
 きわめて関心をもつのは、櫻井よしこの思考方法、発想方法、拠って立つ「観念」の内容、だ。
 「観念保守」と称しているのは、今回に言及した点についても、的外れではないと思っている。

1492/日本の保守-歴史認識の欺瞞・櫻井よしこ③。

 ○ 「歴史認識」という日本の保守にとって譲れないはずの基本的な問題領域で、日本の保守は、大きく崩れてしまっている。正確にいえば、読売新聞系ではない産経新聞系「保守」あるいは自国の歴史について鋭敏なはずの<ナショナル・保守>の保守「論壇」人についてだ。
 おそらく、「観念保守」の人々の歴史認識は、ほとんど全ての人々において、狂っているだろう。あるいはそもそも、きちんと正確に日本の歴史を見つめる勇気がない。あるいは語る勇気がない。あるいは、関心自体がない。
 以上のことを、2015年8月の安倍内閣・戦後70年談話に対する論評の仕方で、残酷にも知ってしまった。
 秋月瑛二自身も、これによって、産経新聞や一部の<保守>をきわめて強く疑うようになった。そして、「観念保守」という概念も見出した。
 ○ もちろん、正気の、まともな<保守>の人たちもいる。
 水島総が月刊正論(産経)誌上の連載を中止しているのは、産経新聞や月刊正論編集部の基本的な<歴史認識>(日韓慰安婦最終決着文書も含む)に従えないという理由でかは、私は知らない。
 だが、安倍晋三とその内閣の<歴史認識>の表明内容を、水島総はきちんと批判している。
 但し、この人の発言等を全部信頼しているのではもちろんない。この人の天皇・皇室への崇敬の情は、私には及びもつかない。
 中西輝政は、歴史通(ワック)2016年5月号で、上記談話への反応に関して、つぎのように書いた。
 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」。p.97。
 「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」が「安倍政権の歴史認識をめぐる問題に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」。p.109。
 西尾幹二は、この欄に既に引用していることを上に続けてさらに掲載するが、月刊正論2016年3月号で、つぎのように書いた。
 「私は本誌『月刊正論』を含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか、という認識を次第に強く持ち始めている。言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がないのを非常に遺憾に思っている」。
 西尾幹二と中西輝政の二人が、今年に入ってから読んだ雑誌で対談していたが、すぐには見当たらないので、関係する部分があるかもしれないが、省く。
 記憶に頼れば、戦後70年安倍談話を正面から批判したのは、われわれ二人だけだった、という旨を西尾が語っていた。
 二人だけではない。雑誌上でも、伊藤隆は批判派だったし、藤岡信勝や江崎道朗もおそらくそうだろう。他にも、渡部昇一、櫻井よしこ、田久保忠衛らの迎合的反応を苦々しく感じている人々が多数いると思われる(国家基本問題研究所の役員の中にも。しかし、全てではない。「アホ」もいるからだ)。
 小川榮太郎の見解は、知らない。
 ○ ふと気づいたが、櫻井よしこは、週刊新潮2016年12/8号で、朝日新聞社説を批判して、つぎのように言った。
 「朝日社説子は歴史認識について」某を批判した。「噴飯物である。如何なる人も、朝日にだけは歴史認識批判はされたくないだろう。慰安婦問題で朝日がどれだけの許されざる過ちを犯したか。その結果、日本のみならず、韓国、中国の世論がどれだけ負の影響を受け、日韓、日中関係がどれだけ損われたか。事は慰安婦問題に限らない。歴史となればおよそ全て、日本を悪と位置づけるかのような報道姿勢を、朝日は未だに反省しているとは思えない。」
 櫻井よしこは、2015年末日韓慰安婦最終決着を、2015年夏の戦後70年安倍内閣談話を、どう論評したのか。「噴飯物である」。
 歴史認識について、朝日新聞を、上のように批判する資格が、この人にあるのだろうか。
 ひどいものだ。日本語の文章の趣旨を理解できない人物が、「研究」所理事長になっており、田久保忠衛という同じく日本語の文章を素直にではなく自分に?都合良く解釈できる人物が、その研究所の<副理事長>におさまっている。
 いずれこの「研究」所の役員たちには言及するとして、櫻井よしこが戦後70年安倍内閣談話をどう読んだか等について、さらに回を重ねる。
 ○ ついでに、先走るが、櫻井よしこによる米大統領・トランプ批判の底にある、単純な<観念>的なものにも気づいた。
 櫻井よしこは、天皇や日本の歴史にかかわってのみ「狂信者」になるのではない。いや、正確には、「狂信」とまではいかないが、この人は、詳しい知識があるような印象を与えつつ、じつは単純・素朴な<観念>に支えられた、要領よく情報を収集・整理して、まるで自分のうちから出てきたかのように語ることのできる、賢い(狡猾な)「ジャーナリスト」だ。
 心ある、冷静な判断のできる人々は、例えば「国家基本問題研究所」の役員であることを、恥ずかしく思う必要があるだろう。

1489/「左」と「右」の観念論-日本共産党・不破哲三と「研究」所理事長・櫻井よしこ。

 ある種の「左」の人々は、夢の社会又は理想の時代を「未来」に見る。
 ある種の「右」の人々は、夢の社会又は理想の時代を「過去」に見る。
 「未来」のことは当然にまだ分からないので、文字通りに夢・理想・ユートピアであって、その内容も、達成方法も、将来についての<観念>でしかない。
 「過去」のことは過ぎ去ったことであり、今ある現実からは遠ざかっているので、その内容は、不可避的に抽象的な<観念>にならざるをえず、過去に一足飛びに戻れるわけではないので、その夢・理想・ユートピアの実現方法も<観念>的に語るしかない。
 今ある<現実>を唾棄すべきものとして正視せず、遠い未来か過去に理想社会・理想の時代を夢見るのは、いずれも<観念>論に陥る危険性がある。
 観念とは、脳内で作られる、かつ外部に表現されることもある、言葉、意識、考え(希望・反希望いずれであれ)、あるいはこれらの組み合せ又は体系だ。
 将来についての言葉・意識・考えは不可避的に、「観念」であるしかない。
 しかし、過去については膨大な歴史的事実が知られているはずであって、それを冷静に見つめれば「観念」論やその体系に嵌まるはずはない。
 しかし、今ある現実を忌避しすぎて、ある特定の時代・時期を単純に理想化して、その時代の過去に戻りたいという熱望が極端に大きくなりすぎると、歴史的現実(過ぎ去った現実)を冷静に、多様かつ総合的に視ることができなくなり、単純な「観念」的把握しかできなくなる。
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 ある種の「左」の人々の典型は、日本共産党だ。
 ある種の「右」の人々の典型は、さしあたり言えば、櫻井よしこだ。また、渡部昇一だ。
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 今年1月末頃に以下の象限表のようなものを提示した。番号を反時計廻りにに見る。
 ②リベラル保守 ①ナショナル保守
 ③リベラル左翼 ④ナショナル左翼
 上と下は、保守(反共産主義)と左翼(容共産主義)の対立。
 左と右は、近代普遍的(とされる、欧米的な)<自由・民主主義>とこれに懐疑的又は批判的なナショナリズムの対立。むろん、諸概念について種々の説明を要し、議論がありうることは承知している。
 それらを割愛していえば、ここでの(今回記しているテーマでの)要点は、①と④は、決して両極に離れたものではなく、すぐ上と下にあるように、存外に?近いものである、ということだ。
 ①が究極化して、ファシズム・ナチズムになったのかもしれない。
 ④が究極化して、レーニン・スターリンのコミュニズム(共産主義)になったのかもしれない。
 そしてまた、これらは<全体主義>として括られることがかなり多い。①の一部と④の一部は共通性がある。
 --
 日本の現在に即していうと、つぎのような印象がある。
 ④の中には、共産主義、そして日本共産党が入る。
 ①の中には、<観念保守>、日本にのみある「天皇」を至高の価値・存在と考え、「天皇」中心時代への復古を求める、現実(例、アメリカのトランプ)も、過去(例えば、明治維新)もまるで正視できない、冷静にかつ総合的に把握することのできない、一部の<保守>の人々又は団体・組織が入る。
 --
 日本共産党の不破哲三は、(かつて)<日本の共産主義者は…!>と党大会等で呼びかけて、煽動していた。
 某「研究」所理事長・櫻井よしこは、(日本の)「保守の気概」、「保守の真骨頂」なるものの保持・発揮を、<保守>系雑誌(この言葉は産経・月刊正論3月号上)で呼びかけ、あたかも読者を煽動しているふうだ。
 両者の「思い込み」ぶり、「観念」主義は、どこか似ていないか。

1488/日本の保守-小川榮太郎とその日本の「保守」批判。

 小川榮太郎は、かなり、又はきわめて、鋭敏な「保守主義」者だ。
 小川が、ほとんど適切に平川祐弘の天皇論・譲位制度反対論を批判し、「日本の保守はじつに危うい」と的確に指摘していることは、すでに言及した。
 月刊正論3月号(産経、1917年)では小川は、<「保守主義」者宣言>と題して、つぎのように書く。保守とは何か、自分にとっての保守、というのがおそらく執筆依頼された主題なので、このような批判的叙述をするのは少しは勇気が必要だっただろう。p.76-。旧かな遣いは勝手ながら現代かな遣いに変えた。
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 「戦後イデオロギーは、今や完全に全日本人の遺伝子に浸透し、保守的な『生き方ないし考え方の根本』そのものが、日本人から失われてしまった。保守を自称する人達も例外ではない」。
 安倍支持保守・安倍批判保守、熱烈天皇主義者、理論派保守(反リベラリズム・バーク・福田恆存・アメリカ共和党に依拠)等々、「様々な自称・他称保守」を見ても、保守的な『生き方ないし考え方の根本』を体現する人は「殆ど見当たらない」。
 「天皇陛下万歳を唱えながら、排他主義のはけ口にしているだけなのかもしれない」。
 蓮舫を批判しつつ「職場では権利の主張に余念がない」かもしれない。等々。
 要するに、「近年保守的な標語が世上に乱舞している状況は、ネットの断片的な情報によって過激化したナショナリズムと評すべきであって、保守的な人間像、保守的なエートスの蘇りではない」。
 「ナショナリズムを否定するつもりは毛頭ない」が、「本当に日本の核になるもの」を「保守」したいのなら「その奥に踏み込まねばならぬ」。「本当に消えつつあるのは、日本人が歴史の持続の中で鍛えあげてきた人間像そのものなのだ」。
 日本が失われるのは「反日勢力に否定された」からではない。「真に侵され、危機に瀕しているのは日本の外被ではない、我々の内側に息づいているべき日本の方なのだ」。「その記憶を取り戻す事こそが『保守』でなくて何なのだろう」。 
 ---
 自分であればこのような表現の仕方はしない、又はできない、と感じはする。
 しかし、小川榮太郎が単純な「安倍支持保守」や「熱烈な天皇主義者」を<保守主義>者と見ていないことはよく分かる。
 秋月瑛二にとつては、「保守」という言葉で自分を意識するか自体も大した問題ではない。がともあれ、「反共産主義」や「反左翼」の意味では<保守>なのだろうという思いはある。
 そのような<保守>感情からすれば、渡部昇一・櫻井よしこらのアホの4人組、加地伸行を含めるとアホの5人組らの「観念保守」は、平川祐弘・八木秀次を含めて、批判されるべき、危険視されるべき人物たちだ。
 そのような気持ちと、小川榮太郎が述べている「保守主義」には、少なくとも部分的には、合致点があるように考えられる。

1487/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」批判、つづき⑤。

 ○ 櫻井よしこは昨年11月14日の有識者会議のヒアリングでつぎのように語った。
・「現行の憲法、皇室典範では、祭祀の位置づけが、国事行為、公的行為の次に」にきているが、「優先順位を実質的に祭祀を一番上に位置づける形で」天皇陛下の日常日程を整理し直すのがよい。
・天皇像の形成に「求められる最重要のことは、祭祀を大切にしてくださるという御心の一点に尽きる」。
 その他の最近の文章でも、上の趣旨を繰り返し、述べている。平川祐弘もしきりとまつりごと=政治と祭事を、「祈る」ことを語る。
 日本の歴史や天皇に関することになると、櫻井よしこはたんなる「ジャーナリスト・評論家」ではなく、<狂信家>に変わる。平川祐弘も似たようなものだろう。
 ゆっくりと上の点はこの欄で記していくことにして、まずは、おそらく櫻井よしこにはきわめて難しい問題を設定して、質問してみよう。平川祐弘に対しても同じ。
 神宮(伊勢神宮)の<式年遷宮>は、天皇の「祭祀」なのか否か、その理由は何で、これには憲法に関する問題は全くないのか。
 ○ 現代でもおそらく80歳を超えれば長寿だろうし、100歳まで生きる人は少数だろう。そういう時代ですら、20年に1回の遷宮を経験する、又は見聞きするのは、3-4回程度しかないだろう。
 上に20年に一度と書いたが、日本および天皇の歴史上は、そういう時代の方が短い。
 せっかくだから、できるだけ多くの遷宮の間の年数を、下記の文献によって、記しておこう。下記の、//と//内の数字。内宮と外宮が別の年のこともあったので、内宮の遷宮年を意味させる。有史以後のことだから、初期も、神話的伝説・伝承ではないと思われる。
 01回・690年//19年//02回・709年//20年//03回・729年//18年//04回・747年//19年//05回・766年//19年//06回・785年//25年//07回・810年。
 この最後から平安時代に入る。
 //19年//08回・829年//20年//09回・849年//19年//10回・868年//18年//11回・886年//19年//12回・905年//19年//13回・924年//19年//14回・943年//19年//15回・962年//19年//16回・981年//19年//17回・1000年。この最後は一条天皇のとき。
 //19年//18回・1019年//19年//19回・1038年//19年//20回・1057年//19年//21回・1076年//19年//22回・1095年//19年//23回・1114年//19年//24回・1133年。この最後は、崇徳天皇のとき。
 //19年//25回・1152年//19年//26回・1171年//19年//27回・1190年//19年//28回・1209年//19回//29回・1228年//19年//30回・1247年//19年//31回・1266年//19年//32回・1285年//19年//33回・1304年//19年//34回・1323年。ここまで、886年以降の遷宮は19年毎だ。これ以降、南北朝時代に入る。
 //20年//35回・1343年//21年//36回・1364年//27年//37回1391年//20年//38回・1411年//20年//39回・1431年//31年//40回・1462年。このあと、応仁の乱が始まり、じつに122年間中断した。
 //122年//41回・1585年(秀吉)//24年//42回・1609年(家康)。
 これ以降、江戸、明治、昭和前記まで、規則的・定期的に20年毎の遷宮がつづく。省略する。盛大に行われたのが、第58回・1929年(昭和4年)。そのあと変則的な挙行が1回だけあり、あとは復して20年毎になる。
 57回・1909年(明治42年)//20年//58回・1929年(昭和4年)//24年//59回・1953年(昭和28年)//20年//60回・1973年//20年//61回・1993年(平成5年)//20年//62回・2013年(平成25年)。
 以上、茂木貞純=前田孝和・遷宮をめぐる歴史(明成社、2012)、による。
 ○ こうした中断もありつつ長く続く遷宮の諸費用を誰がどうやって支弁したのかは、歴史学的にも重要だろう。122年間の中断は、そのコストを負える人物・組織等が存在しなかったことを意味すると思われる(伊勢神宮自身も含めて)。
 遷宮の祭主が旧皇族であることからも、この遷宮が神道関連行事・儀式であることのほかに、天皇・皇室に由縁のあることもかなり知られているだろう。
 では、これは天皇の「祭祀」なのか。いや、伊勢神宮の行事ではないのか。
 かりに「祭祀」だとしてすら、「宮中祭祀」ではないだろう。
 1949年(昭和24)年に予定されていた第59回遷宮について、「昭和天皇の思し召し」を受けて、当時の内務省・神祇院は、早々と1945年(昭和20年)12月14日に、とりあえず「中止」を決定した。上掲書、p.122。
 そのようなお役所は現在にはない。
 いや、宮内庁はある。だが、宮内庁は伊勢神宮と、何がしかの公的な関係があるのだろうか。
 いつかこの欄で記したように、戦後に限らないように思われるが、少なくとも形式上は、遷宮の最終に至るまでの諸行事は、日程も含めて、各天皇の「ご聴許」により決定される。少なくともそのかぎりで伊勢神宮よりも、天皇は「上」に立つ。
 遷宮自体が広義の?祭祀かどうかも興味ある(又は深刻な)問題だが、この「聴許」とは、天皇の、いかなる性格の行為なのだろうか。「祭祀」そのものではないが、「祭祀」の挙行とその詳細をいわば命令する、「祭祀」の一要素なのだろうか。
 そしてまた、櫻井よしこも触れている、憲法・皇室典範上の位置付け・性格は、遷宮自体とともに、この「聴許」は、どのように位置づけられるのだろうか。かつ、憲法に関係する問題・論点はないのだろうか。
 <保守>的団体の代表者として君臨し、天皇・皇室を敬愛し、天皇を戴く日本を保持しつづけることこそが<保守>だとの旨を述べ、そして「祭祀」の最優先を強く主張する櫻井よしこならば、このくらいのことは答えられるだろう。

1485/日本の保守-櫻井よしこの<危険性>②。

 ○ 国家基本問題研究所は公益財団法人だが、国又は公共団体の研究所ではないので、前回に「任意、私的」団体と秋月が記したことは何ら誤っていない。
 さて、この研究所なるものの役員たちは、あるいは櫻井よしこに好感を抱いてる日本の保守的な人々は、櫻井よしこの「政治感覚」はまっとうで正確な、又は鋭いものだと思っているのだろうか。そうは私は、全く感じていない。
 ○ 最近に櫻井よしこは産経新聞4/03付の「美しき勁き国へ」で、「小池百合子知事の姿が菅直人元首相とつい重なってしまう。豊洲移転の政治利用は許されない」との見出しの小論を書き、「左翼」菅直人と結びつけてまで、小池現東京都知事に対する警戒感を明らかにしている。
 また櫻井よしこは、たしか週刊新潮では「保護主義」を批判的にコメントしていたが、週刊ダイヤモンド2017年1月26日号には、D・トランプ米大統領について、希望・期待を述べるよりは、皮肉と警戒、懸念を優先した文章を載せた。
 さらに、櫻井は1月21日に「日本の進路と誇りある国づくり」という高尚な?テーマで講演して、ほとんどをトランプに関する話に終始させている(ネット上のBLOGSの情報による)。種々の見方はあるだろうが、そこで語られているのは、トランプに対する誹謗中傷だとも言える。
 小池百合子やトランプについての櫻井よしこの言及内容をここで詳しく紹介したり、議論するつもりはない。
 しかし、小池百合子に対する冷たさは、石原慎太郎を守りたい観のある一部「保守」系雑誌(面倒だから特定を省略する)や、小池ではなく別の候補者を支援した自民党中央や東京都連の側に立っているとの印象がある。このような立脚点または姿勢自体が適切なのか、「政治的」偏向はないかを疑わせると私は感じる。(なお、産経新聞も、かつての大阪の橋下徹に向けた冷たさや批判が適切だったかが問われる。)
 また、トランプについては、ではヒラリー・クリントンが新大統領になった方がよかったのか、という質問を、当然ながら投げつけたい。
 櫻井よしこが週刊ダイヤモンドで依拠している、Wallstreet Jounal のデイビッド・サッターの適切さの程度についてや、またどのようなソースによってトランプに関する上の諸文章・講演はなされているのか、について興味・関心がある。
 例えばだが、アメリカの「保守」又は「反左翼」論者として有名らしい(詳しくは知らない)アン・コールター(Ann Coulter)は、昨2016年8月に、<私はトランプを信じる>と題する書物を刊行している。
 また彼女は、邦訳書『リベラルたちの背信』(草思社、2004/原書名等省略)を書いてアメリカの「リベラル」派を批判しているが、日本語版の表紙に写真のある人物は、F・D・ルーズベルト、トルーマン、J・F・ケネディ、ジョンソン、カーターおよびビル・クリントンで、全て民主党出身の大統領だ。所持しているが読んでいない原書の表紙にはないが、批判の対象がこれらの民主党大統領でもあることを示しているだろう。
 また、読みかけたところだが、B・オバマを「左翼」と明記して、<共産主義者>を側近に任命した、と書いている本もある。
 もう一度問おう。あらためて遡って確認してはみるが、民主党・オバマの後継者の、ヒラリー・クリントンの方がよかったのか?
 もちろん、日本人と日本国家のための議論だから、アメリカ国内の民主党・共和党の対立にかかわる議論と同じに論じられないことは承知している。
 しかし、櫻井よしこは、本当に<保守>なのか、健全な<保守>なのか。トランプに対する憂慮・懸念だけ語るのは、アメリカ国民に対してもかなり失礼だろう。
 思い出したが、「アメリカのメディアによると」と簡単に櫻井が述べていた下りがあった。
 <アメリカのメディア>とは何なのか。日本と同等に、あるいはそれ以上に、明確な国論の対立がアメリカにあること、メディアにもあること、を知らなければならない。あるいは、櫻井よしこが接するような大?メディアだけが、アメリカの評論界や国民の意見を代表しているのではないことを知らなければならない。
 ○ 以上のような批判的コメントをしたくなるのも、櫻井よしこには、秋月瑛二に言わせれば、政治判断を誤った<前科>があるからだ。
 かつてのこの欄にすでに何回も書いた。詳細を繰り返しはしない。
 櫻井よしこは、2009年の日本の民主党・鳩山由紀夫内閣の成立前後に、つまり2009年8月末の総選挙前後に、民主党の危険性についてほとんど警戒感を表明せず、同政権誕生後には屋山太郎の言を借りて<安保・外交政策に懸念はないようだ>とも語り、当時の自民党総裁・谷垣禎一を「リベラル」派と称して自民党にも期待できないとしつつ、民主党政権成立の責任の多くを自民党の責任にし(この部分は少しは当たっているだろうが、言論界の櫻井よしこの責任ももちろんある)、翌年になってようやく民主党政権を「左翼」だと言い始めた。
 こんな人物の政治感覚など、信頼することができない。秋月でも、2009年8月に、鳩山由紀夫の<東アジア共同体>構想等を批判していたのだ[2009年の8/28、9/18]。
 ついでに言えば、櫻井よしこに影響を与えたとみられる、上に名前を出した屋山太郎は、<官僚内閣制からの脱皮>を主張して民主党政権成立を歓迎した人物であり、渡辺喜美が「みんなの党」を結成した際の記者会見では渡辺の隣に座っていた人物だ。
 屋山は、官僚主導内閣批判・行政改革を最優先したことによって、より重要な政治判断を誤った、と断言できる。
 さらには、櫻井よしこはかつて、道路公団<民営化>に反対して竹中平蔵〔23:50訂正-猪瀬直樹〕らと対立していたが、この問題を櫻井は、どのように総括しているのか。
 もう一つ挙げよう。
 櫻井よしこは、今すぐには根拠文献を探し出せないが、かつて<国民総背番号制>とか言われた住民基本台帳法等の制定・改正に反対運動を行っていた一人だ。のちに遅れて、マイナンバー制度と称される法改正等が導入された。
 櫻井よしこは、この問題について、どのように自らの立場を総括しているのか。
 ○ こうした過去の例から見ても、櫻井よしこの発言・文章を信頼してはいけない。この人に従っていると、トンデモない方向へと連れていかれる可能性・危険性がある。
 同様の指摘とどう思うかの質問を、国家基本問題研究所の役員「先生方」に対しても、しておこう。

1484/日本の保守-櫻井よしこという「ジャーナリスト」①。

 ○ 櫻井よしこは「ジャーナリスト」を自分の肩書きにしているようだ。
 たしかに、歴史家でも思想家でもない(社会思想、経済思想、政治思想、法思想等々のいずれの意味でも思想家ではない)。
 また、学者・研究者だとも言えないだろう。少なくとも、そのような<世俗>の資格を持ってはいなさそうだ。
 もちろん、歴史家、思想家(・哲学者)、研究者などは自称すれば誰でもなりうるのだが、「ジャーナリスト」というのは謙虚であるかもしれない。
 いや、ジャーナリストの何らかの積極的な意味に、誇りを持っているのかもしれない。
 ジャーナリストにもいい意味はあるだろう。
 しかし、ジャーナリストは、多数の情報を入手し、整理し、要領よくまとめて、多くの又は一定範囲の人々に伝搬する者たち、という印象もある。
 櫻井よしこはまさにその印象どおりの人で、例えば週刊新潮の連載でも、「評論家屋山太郎氏によれば…」とか「百地章教授によれば…」とかのインタビー記事か問い合わせへの回答(又は親しい会話)で1/4ほどを埋めたり、何らかの雑誌・新聞記事の紹介で半分ほどを埋めたり、光格天皇や孝明天皇について特定の書物から長々と引用・紹介したりしたうえで、自分の感想・コメントを最後のあたりで(又は冒頭あたりで結論提示しつつ)ごく少なく述べる、ということをしてきている。きっと、週刊ダイアモンドでも同様なのだろう。
 もっとも、その引用・紹介やまとめ方が一見は要領よさそうでも奇妙なこともあるのは、例えば、光格天皇・孝明天皇についても見られる。
 のちに福地重孝・孝明天皇(秋田書店、1974)も入手して見てみたが、この本は「最後の闘いの武器は譲位」という趣旨を第一の主眼点にしているわけではない。また、当時に攘夷(・反幕府)を孝明天皇にも熱心に迫って動いた公家たちの中に岩倉具視がいたこと(福地は明記し、藤田覚は不確実だが推定されるとする)には、櫻井よしこは何ら触れていない。
 紙数、頁数に限りがある、という釈明はできない。限りあるなかで、なぜ一定の、限られた情報しか選択しなかったのか、と問われれば、答えに窮するのではないか。
 ○ 「国家」の「基本問題」を「研究」する国家基本問題研究所という(任意・私的)団体の理事長は、櫻井よしこだ。
 「ジャーナリスト」にすぎない、あるいは思想家・歴史家でも研究者でもない、あるいは常識的意味では「政治家」でもない櫻井よしこを、なぜ役員の方々は理事長に戴いているのだろうか。
 あるいはその人々はなぜ、櫻井よしこが呼びかけた団体に喜んで?加入して、役員として名を連ねているのだろうか。
 二つめの○の第一文の内容はすでに、日本の「保守」の現況がいかに悲惨なものであるかを、かつまた日本国民に、決して良い影響を(少なくとも長期的には)与えないだろうことを、十分に示唆している。
 さすがに、敬愛する?西尾幹二や中西輝政は、この団体と少なくとも形式上の関係はなさそうだ。
 しかし、役員の方々の名前を見ていると、じつに興味深いことも分かる。

1481/天皇譲位問題-小林よしのり・天皇論平成29年の一部を読む①。

 ○ 小林よしのり・天皇論平成29年(小学館、2017)のp.479以下を読んだ(又は拝見した)。
 入手が遅れたのは、主題についての関心の薄さ、「観念保守」(=小林よしのりが「自称保守」とか称しているものに近いかもしれない)の文章を思い出すことへの嫌悪にもよる。 
 ○ 最後の方の p.544に、小林が批判の矛先を向けている8名の人物の顔の似顔絵が出てくる。
 ちなみに、昨秋あたりの月刊正論(産経)はこの似顔絵化を、<卑劣>だとか批判していた。
 しかし、小林よしのりの絵から、私でもかなり人物名を特定できる。しかるに、月刊正論(産経)は最終頁あたりで「教授」・「先生」・「女史」等とだけ冠名する人物を登場させて、個人名を隠したままで勝手な?ことを言わせている。
 良心的なのはまだ小林よしのりで、月刊正論編集部(産経)の方が<卑怯>だろう。
 元に戻る。8名のうち、左の2名はすぐには分からなかったが、どうやら加瀬英明と加地伸行らしい。
 残るは、右から、八木秀次、渡部昇一、小堀桂一郎、竹田恒泰、平川祐弘、櫻井よしこ。ほんの少し頭を覗かせているのが大原康男かと思われるが、さしあたり計算から省く。
 上の8名のうち政府・天皇関連有識者会議のヒアリング対象者は、八木秀次、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこの4名
 なんと、秋月瑛二が「観念保守」と批判し、<アホの4人組>と酷評した4名と全く同じ。100%の合致だ。
 しかも、上の点はかりにさておいても、8人のうち4名が該当するだけでも、相当な<打率>だ。なお、大原康男を含めても、4/4.3くらい、および4/8.3くらいの高い<打率>になる。
 小林よしのりの上の基本的な感覚または彼らの論旨(譲位反対論)に対する非難は、まことに健全だ。
 ○ 加地伸行がヒアリング対象者だったとすれば、平川祐弘と同じかさらに低レベルの発言をしていた可能性がある。 
 たぶん昨年中に、西尾幹二は(確認しないが)月刊正論あたりでたしか天皇・皇室問題で加地伸行と対談していたが、加地の発言にほとんど頷くばかりで、容喙していなかった。加地の発言のあまりのヒドさに思わず、私は当該雑誌自体を放り投げたほどだ。
 もっと前にも、西尾幹二と加地伸行の二人は天皇・皇室問題でかなりひどい対談か論考を載せて話題になったらしい(これもかすかな記憶はある)。
 西尾幹二は、ときに一緒に酒呑みするくらいならよいが、加地伸行レベルの人物と雑誌用の対談などはしない方がよいと思われる。せっかくの高名を辱めるだけだろう。
 ○ とここまで書いて、まだ小林よしのり著の内容にはほとんど立ち入っていない。
 これまた連載にするしかない。


1476/平川祐弘・天皇譲位問題-「観念保守」批判、つづき④02。

 ○ 小川榮太郞の文章を借りて、先に平川祐弘の天皇譲位問題見解を見たのだったが、今回は、平川の文章を直接にあらためて読んでみた。但し、以下に限る。
 ①有識者ヒアリング発言・2016/11/07-内閣府サイト。
 ②「何が天皇様の大切なお仕事か」月刊正論2017年1月号(産経)。
 -これは、①とほとんど異ならない。原稿のほぼ「横すべり」、あるいは「使い回し」だ。
 ③「誰が論点をすり替えたか」月刊Hanada2017年4月号(飛鳥新社)。
 日本の保守というものにいい加減ウンザリしてきた、とこの問題に限らないでいつぞや書いたが、本当にイヤになる。平川祐弘は「アホ」だ。限りなく「アホ」だ。
 <東京大学名誉教授>に対して失礼だなどと怒ってはいけない。
 あの上野千鶴子も、れっきとした<東京大学名誉教授>だ。世俗の肩書きとは関係がない。
 ○ 「このところ新聞では、憲法の文言によって専ら論ぜられ、法学部出身の皆様の解釈が前面に出ますが、それだけでよいのか」。①、他にも同旨あり。
 バカではないか。例えば、本郷和人は文学部出身、正面から平川批判をした小川榮太郎も文学部出身、池田信夫はブログ内で<保守>の譲位反対論を皮肉っていたが、経済学部出身。他にも、平川祐弘を嗤っている人々はたくさんいるに違いない。
 有識者会議のメンバーの出身学部を詳しくは知らないが、例えば山内昌之は文学部出身の<東京大学名誉教授>。山内は、平川祐弘と同様のことを主張するだろうか。
 今上陛下の<お言葉>のあとの世間の反応はあるが、「そもそも退位はあり得るのか。法律的に許されるのか、詳しいことはよく突き詰めて考えていないのが実情ではないでしょうか」。①の冒頭部分。
 これには苦笑してしまった。
 「詳しいこと」を「よく突き詰めて考えていない」のは、平川祐弘自身だろう。
 そうでないと、エドワード八世やら源氏物語とやらが、突如として登場してくるはずはない。
 櫻井よしこもそうだが、日本国民や雑誌読者(週刊新潮を含む)を、<観念保守>の人たちはバカにしているのではないか。とりわけ、せっかくの内閣総理大臣の諮問会議の<公的な>時間と経費を無駄にさせて、申し訳ないと感じるべきだろう。
 ○ 上の「退位はあり得るのか。法律的に許されるのか」、の他に、以下もある。
 今上陛下が「憲法にもない生前退位をしたいと示唆されたのはいかがなものか」。①
 今上陛下の「個人的なお気持ちを現行の法律より優先して良いことか」。①
 仲正昌樹が<精神論保守はダメだが、制度論保守ならいいかも>とか書いていた気分が、よく分かる。
 東京大学名誉教授や「比較文化史家」なるものの、頭の悪さまたは基礎的な法的素養のないことに唖然とする。
 上記のヒアリングに出席して発言する機会が付与されたのだから、憲法の関係条項や現皇室典範の退位・皇位承継関係条項くらいは見ておくのが、当然の姿勢なのではないだろうか。
 後世の、のちのちまで、平川祐弘の発言内容は、日本政府関係情報・電子データとして残っていく。他人事ながら、恥ずかしいことだ。
 さて、憲法に「生前退位」を肯定する規定はないが、それは憲法が生前譲位を否認していることを意味しない。
 「第2条/皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」。
 「国会の議決した皇室典範」の意味については立法技術にも関係する議論があり、かつすでに事実上は決着したようだ。 
 しかしともあれ、皇位継承については「国会の議決した皇室典範」に、つまりはほぼ間違いなく(憲法解釈として)法律の定めに委ねているのが、現憲法の規範内容だ。
 したがって、法律(これがどのようなものか、「典範」か特例法か等には立ち入らない)が憲法の範囲内であれば、いかようにも決しうる。ついでに、男系も女系も、憲法は「世襲」だとだけ定めて何も語っておらず、法律に委ねている。
 現憲法が終身在位を定めているなどと誤解しているとすれば、もちろん<大アホ>。
 「法律的に許されるのか」、「現行の法律より優先して良い」のかなどと問題提起しているのが、さすがに平川祐弘らしい。
 その法律あるいは「現行の法律」を改正すべきか否か、そして改正するとすればどのように改正すればよいのかが、まさしく問われていたのだ。
 ○ このように書いていて、さすがに阿呆らしくなってきた。
 <保守>の、ひょっとすれば多くの人たちは(秋月はその例外のつもりだが)、法律でもって、つまりは世俗の国会議員・両議院議長らや政党関係者がこの問題を扱う権限があると知って(気づいて)、驚天動地の思いだったのではないだろうか。
 長い間(これはある程度は私もだが)、この問題を等閑視してきたのが誤りだった、とも言える。
 ○ そもそもは、譲位問題の結論や帰趨よりも、私には<観念保守>の思考方法に関心があった。
 彼らのほとんどが、現実にある<規範>の意味を無視して、憲法と法律(さらには政令だとか条例だとか)の区別も知らないで議論していることがよく分かった。櫻井よしこにも、渡部昇一にも、その弊は十分にある。
 しかし、彼らの言述を知って気づく、もっと重要な問題は、<天皇の祭祀と宗教・神道>というテーマだろう。
 意識的にか、無知のゆえか、この憲法問題に、彼らは論及しない。簡単に 、憲法問題(国家と宗教の関係)があることを無視して、祭祀や「祈り」を語っている。
 あるいはまた、神道といちおう区別される<仏教>の存在を無視したままで、日本の歴史またはその伝統を語っている。仏教を「疎外」して神道を<国教>化したのは明治維新以降・戦前で、それが日本と天皇の歴史だと勘違いしてはいけない。
 <タブー>が、月刊Hanada編集部の花田紀凱にも、月刊WiLL編集部にも、月刊正論編集部にもあるように思われる。暗黙の前提、もしくは「隠されたイデオロギー」がおそらく存在している。
 こうした問題については、ずっと前に坂本多加雄が言及していたし、たぶん彼の言葉を知らないままに秋月瑛二もかつてこの欄で触れたことがある。
 櫻井よしこについてと同様になるので、別の回にする。

1471/平川祐弘・天皇譲位問題-「観念保守」批判、つづき④。

 ○ 小川榮太郎「平川祐弘氏に反論する-譲位の制度化がなぜ必要なのか」月刊Hanada5月号p.303-による、おそらく同誌4月号の平川祐弘「誰が論点をすり替えたか-天皇陛下『譲位』問題の核心」p.30-に対する批判は、平川批判として優れている。
 書いていることに即しての譲位問題に関する平川祐弘批判は秋月もする予定だったが、小川の言述の紹介でもってほぼ代替させることができるかもしれない。
 もっとも、櫻井よしこらと親交があるらしい編集長・花田凱紀の意向だと思われるが、平川論考のタイトルは4月号の表紙の右側に最も大きく掲載されているのに対して、小川榮太郎の上記については表紙の中になく、目次の中でも目立ってはいない。
 月刊正論、月刊WiLL、月刊Hanadaは、同人誌的サークルが別の名前で、似たような人が似たようなことを順番に書く雑誌に堕してしまっている観がある。ときにはこの小川榮太郎論考のようなものや、西尾幹二や中西輝政のものを載せて、ゴマカしているけれども。
 ○ 小川榮太郎に同意できない部分はあるが、そこはさておき、以下は平川批判。
 ・最後の、「…日本の保守は実に危うい」。p.315。平川を読んでの結論的感想のようだ。そのとおりだ。とくに「観念保守」の精神的頽廃は著しい。もっとも、「…」の「…させねば」の部分には同意できない。
 ・まん中あたりの、「そもそも平川氏-および保守系論客の多数-が、そんなに摂政に固執することが私には寧ろ理解できません」。p.311。そのとおり。かりに本当に「保守系論客の多数」だとすれば、日本の保守はすでに死んでいる。つぎの根拠づけも適切だ。
 「皇太子による摂政の制は、明治の典範で初めて定められたものに過ぎず、本来の天皇伝統ではない」。p.311。
 ・平川祐弘は、今上の「お言葉」は<天皇の役割を拡大する「個人的解釈」・「拡大解釈」>だと理解して、「我が儘を言っておられるだけ」だとし、「祀り主として存在することに最大の意義がある」と言うが、「そもそもが陛下のお言葉への反論になっていない」。p.305。
 ・存在するだけでよいとは、観念的詭弁(秋月の言葉)。「極論すれば」、「植物人間状態で全く『機能』していなくとも、『存在』が継承されれば天皇伝統は続いたか」。p.306。
 ・平川は譲位の問題を縷々述べるが「体系的網羅的懸念」でない。制度又は慣習化で防止できる。p.310。また、例えば以下。
 ①上皇と新天皇の各周辺の「人間関係がうまくいく保証はない」というが、同様のことが「摂政と天皇の間にも」「起こるに違いない」。p.310。
 ②エドワード八世の退位後のヒトラー接近というのは、「失礼極まる」「拡大解釈」だ。p.310。
 ・平川は源氏物語を持ち出して「高齢化」への配慮は不要だとする。しかし、現在の「高齢化」社会の出現は突然のもので、「世襲の制度にとって、この突然の平均寿命の倍増は、根底的な制度設計の変更を要求するものだと考えるのは、寧ろ当然ではないでしょうか」。p.311。
 以下は秋月瑛二による追記。源氏物語がかりに50-100年間の天皇の実態を反映して(物語だが史実に即して)書かれていたとしても、たかだか50-100年間の天皇の歴史にすぎない。なぜこれが、現在の議論の根拠になるのか。源氏物語が描いていない、平安期以前、平安期の残り、鎌倉以降の武家・幕府時代等についての根拠になるはずはない。平川祐弘の言及の仕方は、思いつくままの(限られた個人的な知識にのみ頼った)恣意的なものにすぎない。「バカ(アホ)」なのだ。
 ・小川の論述はさらに進む。「終身在位に固執する弊のほうが、遙かに実際的な危機ではないでしょうか」。p.312。
 (明治皇室典範の摂政位継承順位の定めに関する小川の理解p.311-312は、適切だろう。つまり、摂関時代のように、皇太子等の皇族以外が摂政になることを禁止し、天皇家・摂政家(これにつながる皇族)の対立、後者による「明治新政府を転覆する可能性」を摘み取ったのだ。ちなみに、1989年・明治皇室典範は、1877年・西南戦争のわずか12年後、1968年・新政府樹立の21年あと。)
 皇太子が摂政につくとすると、「事実上、六十代以降に即位した老齢天皇が、八十代で摂政を立てるというのが基本的な天皇のあり方になってしまいます」。p.312。
 ・「宮中祭祀七つに関しては摂政は代行できません」。p.312。
 これについて調べる必要があると感じていたところ、珍しくこの問題に論及している<保守>の人の文章を見た。現在の皇室典範によれば、摂政は天皇の「国事行為」のみを代行できる。また、国事行為委任法(略称)も、名前のとおり、「国事行為」のみを委任できる。八木秀次もいるはずなのに、これについての言及がなかったのは不思議だった。
 いわゆる<公的(象徴的)行為>や祭祀を含む<私的行為>について、どこまで摂政が代替できるかは、本来はきわめて重要な論点だったはずなのだ。
 ・平川祐弘ら「保守派」はただ宮中でお祈りしていただければよいとの議論が多いが、「天皇の祈り」は「そんな気楽なもの」ではない。p.312-3。
 以上にとどめる。小川の批判は、平川祐弘に対してのみならず、、渡部昇一、櫻井よしこ、八木秀次にも、そしてその他の、月刊Hanada、月刊WiLL、月刊正論の関係者やこれらの愛読者に対しても、相当程度にあてはまるだろう。
 昨年の文藝春秋スペシャルの天皇特集号でも、そこにあった八木秀次よりも遙かに柔軟でかつ制度もよく理解していた文章を、小川榮太郎は書いていた。
 ○ 八木秀次を除けば、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこはすべて<文学部>出身者。「アホ」になるのはどちらかというと文学部系に多い、というのが秋月の見立てだ。
 しかし、小川榮太郎は格段に優れている。話がかなり通じそうな気がする。
 もっとも、先に記載のとおり、小川が天皇について一般論として記していることについては、かなり違和感をもつ部分もある。だが、それは今回のテーマではない。

1469/なぜ「アホの4人組」か。天皇譲位問題・「観念保守」、つづき③。

 たぶん年齢順に、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ、八木秀次。この人たち4人をなぜ「アホの4人組」と称するのか。
 第一に、もちろん、昨2016年11月に、天皇関連有識者会議での「有識者ヒアリング」で発言した者たちであり、今上天皇の譲位(いわゆる生前退位)に反対して摂政制度の利用を主張した点で共通性がある。だが、そのような者は、他にもいる。
 第二に、いずれも、天皇の歴史も含めた、天皇問題の専門家ではない。
 大原康男や今谷明は、それぞれの分野で「専門家」だとは言えるだろう。所功も、園部逸夫もそうだ。
 八木秀次は憲法学者・研究者として、天皇問題の専門家だと自分を思っているのかもしれない。天皇・皇室問題で発言してきてもいる。
 百地章も、大石眞も、また高橋和之も、憲法学者・研究者として「専門家」なのかもしれない。 
 しかし、八木秀次の憲法学「専門家」性は、相当に疑問がある。そういうためには、憲法学界または憲法アカデミズムの一員として受容されていなければならないと思われるが、八木はとっくにそれから離脱しているのではないか。そして、<教育>問題・分野へと「活動」の重心を移しているのではないか。
 2015年にいわゆる平和安保法制問題が政局化した際に産経新聞は西修、百地章、八木秀次の三人の文章を「正論」欄に掲載したが、最も拙劣だったのは八木の文章だった。この当時にはこの欄で触れなかったが、八木秀次は、<憲法体制と安保体制の矛盾>という、日本共産党員の長谷川正安(故人、名古屋大学・憲法学)が言っていたようなことを述べていた(秋月も、子どもたちにウソを教えてはいけない旨を書いたことはある)。戦後日本の法現象の認識としてそのようなことを指摘できる可能性はあるのだろうが、当時の憲法「解釈」論としては、平和安保法制違憲論を断固として排斥し、合憲論をもっと強く主張しなければならなかった。
 というわけで、大石眞や高橋和之、そして百地章と並ぶ「専門家」と性格づけるのは困難だと思われる。
 第三に、月刊正論(産経)、月刊WiLL(ワック)、月刊Hanada(飛鳥新社)という保守系月刊雑誌に、人と雑誌によって多少は異なると思うが、頻繁に登場している。
 これが最も共通性の高い点だという印象もある。しかし、これだけではない。
 第四に、2015年8月の安倍晋三内閣によるいわゆる戦後70年談話を、いずれも支持した。
 渡部昇一と平川祐弘については、この点にこの欄でも触れて批判した。櫻井よしこがこの派に属することはとっくに確認している。 
 八木秀次について確認はしていないが、この安倍談話を批判していないことはおそらく間違いないだろう。今年になってからの、月刊正論3月号p.58でも、八木は「安倍晋三首相」と共通する立場にいることをとくに記している。
 第五に、これら4人はいずれも、秋月瑛二がこの欄で長らく批判的なコメントをし続けている人物だ。
 開設当初からというわけではない。漠然と思い出せば、八木秀次を信用できないと感じたのは早かったし、渡部昇一は現憲法無効論または廃棄論の主張者だと知って、これまた早々に(批判的コメントをするため以外は)読まなくなった。
 櫻井よしこを<保守>派のようだと明確に知ったのは遅かったかもしれないが、2009年の民主党内閣誕生前後の論考はひどいもので、とても<保守>派だとは思えなかった。
 屋山太郎とともに、この点で櫻井よしこは批判の俎上に載せた。2009-10年頃に秋月がコメントしたことは、間違っていないと今でも考えている。内容をいまここで繰り返しはしない。
 最後に、平川祐弘の名前は以前から知っていたが、積極的にせよ消極的にせよ読む価値のある人物だとの印象はなかった。
 にわかに関心を持ったのは、安倍戦後70年談話を、稚拙な文章でもって支持していたのを読んでからだ。そして、昨年以降のこの人の文章を読んでも、全く支持できない。
 以上のとおりで、たまたま「アホの4人組」と称したのではない。
 上智大学「名誉教授」、東京大学「名誉教授」、現役の某大学教授、そして「国家基本問題研究所」なるものの理事長を「アホ」だと言うのは、相当に勇気が必要なような気もする。
 しかし、「アホ」は「アホ」だから、仕方がないだろう。
 個人攻撃あるいは全面的な人格批判をしているのでは全くない。この人たちが何を、どのように書いているかを読んだうえでの、その内容についての批判だ。
 「アホ」は「アホ」だから仕方がない、と言うためには、もっと書かなければならないだろう。

1465/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」つづき②のD。

○ 櫻井よしこ・週刊新潮2/16号の見出しは、「4代前の孝明天皇、闘いの武器は譲位」だ。
 そして櫻井は、光格天皇の「社会的遺産」を継承した「孫帝の孝明天皇」との言い方もし、強い意思の天皇だった旨も書いている。
 しかし、光格天皇のようには称えず、福地重孝・孝明天皇(秋田書店)によりつつ、孝明天皇が「天皇の幕府に対する最大最後の抵抗である」「退位」を示唆したとし、「このような歴史もまた、振りかえらざるを得ないのではないだろうか」、とまとめている。
 櫻井よしこは、これでいったい何を言いたいのだろうか。のんびりと、歴史を振り返る必要を指摘することくらいは、誰でもできる。。
 あるいは、天皇の「譲位」・退位の意思表示は世の中を混乱させる大変なことだ、と示唆したいのだろうか。
 ○ 櫻井よしこの記述の仕方には、奇妙なあるいは面白い側面がある。つまり、自分の強い意思をもち、能動的に行動するだけでは、天皇を肯定的には評価しないのだ。
 孝明天皇については、「開国反対の余り、天皇は幕府の考えに一切、耳を貸そうとしなかった」と断定し、「開国こそ生きる道だと説く堀田の主張は正論」だと、(後から見ての)価値評価を下している。そして、たんに<譲位は最後の抵抗手段>だという、この稿のまとめへと進んでいる。
 このような歴史理解は、櫻井よしこらしく、単純すぎる。つまり、孝明天皇は最後まで<開国反対=攘夷>に執着していたのではない。
 また、<開国>が進歩的で、<攘夷>は遅れていたという、のちの<薩長史観>に嵌まったままであることも、櫻井は吐露している。
 孝明天皇にはのちには、すでに記したα・攘夷とβ・開国という政策判断よりもむしろ、C・幕府中心体制でもA・天皇中心体制でもなく、両者が意思疎通しながらB・天皇・幕府協力体制を築いていくことを志向していた、と思われる。軍事力の差が歴然となってからは、開国せざるをえないという判断に至ったものと思われる(長州派も、いつのまにか?、開国派へと変身している)。
 それが長州・薩摩派や「過激」公家たちの路線と違ったのはなぜか。
 それは、彼らは、のちに王政復古維新をした明治新政府から旧幕府側人材(当面は)、とりわけ徳川家を除外する、という強い意思をもっていたからだ(ex.倒幕の密勅、対幕府戦争)。
 この点にこそ、のちの新政府側と孝明天皇側の、決定的な違いがあった。幕府排除・解体しての天皇中心体制か、「公武合体」体制か。孝明天皇がもっと存命であれば、歴史の展開は相当に変わっていただろうことは、しばしば指摘されている。
 以上は簡単な叙述で意を尽くした十分なものではないが、少なくとも、<開国・正、開国反対・邪>、孝明天皇は後者という、櫻井よしこのより単純な理解よりは、より適確だと思われる(櫻井よしこはもっと関係文献を読む必要がある)。
 ○ 櫻井よしこは、後から見ての特定の<勝利者史観>にもとづいて、孝明天皇を高くは評価できないと考えていることが明らかだろう。
 では、櫻井が中心に置いている<闘いの最後の武器は譲位>というのは、孝徳天皇について語るときに、適切な取り上げ方なのだろうか。いや、違う。
 レーニンは、反対者が自分に賛成してくれない場合に賛成を余儀なくさせる最後の手段として、しばしば<オレは辞めるぞ>と言ったと、R・パイプスは書いていた。
 相手を屈服させる、あるいは自分に不本意ながらも同意させるために、そんなことを言うならば、俺は辞めるぞ、それでよいのか、というのは、時代や国を問わずして、今日の日本でも十分にありうる。櫻井よしこは、人間の心理・感情・精神状態というものに知悉した人物なのだろうか。
 櫻井が用いてるのと同じ筆者の書物、藤田覚・江戸時代の天皇(天皇の歴史06、講談社、2011)には、ずばり、つぎの文章がある。1858年、井伊直弼大老就任のあと、「安政の大獄」の直前のことだ。通商条約調印強行の「報告」だけ受けての、孝明天皇。
 6月28日、朝廷公家に対して<退位とのちの明治天皇への譲位>の意思表示をした。幕府の措置に怒り「抗議のために譲位」表明するのは後水尾天皇(1600年代前半在位、幕府による禁中・公家諸法度制定などがあった)以来のこと。
 「天皇は、難局から判断不能に陥り、天皇位を投げ出したともとれるが、譲位の意思表示によって決意のほどを示そうとしたのだろう。/
 ここで重要なことは、孝明天皇は、逆鱗したとはいえ、あくまでも幕府への政務委任と朝幕融和(公武合体)という原則、江戸時代の朝廷の幕府の枠組みを大事にしていることである」。p.315。
 どういう研究者かの詳細を知らない藤田覚の言述をすべて信頼しているわけでは全くない。しかし、櫻井よしこのように単純に歴史や歴史的人物を理解して評価してはいけないこと、<譲位表明は最後の武器>という認識自体が誤っていること、を示しているだろう。
 ○ このような、何かに<取り憑かれた>ような、歴史については中学生少女レベルの人物が、日本や天皇の歴史について何を書いても、言っても、信用することはできない。その天皇譲位問題についての見解の基礎にある歴史観もまた、単純で、「観念論」的な、誤ったものである可能性がすこぶる高いわけだ。

1462/西尾幹二は「国体」を冷静に論じる-「観念保守」批判。

 ○ 櫻井よしこが書いていることは1937年・文部省編纂『國體の本義』とよく似ており、部分的には酷似している、と最近に書いた。そして、そのような一面的・観念的な「史観」による歴史叙述を簡単にしてはいけない、とも書いた。
 日本書記・古事記の記述は全部ウソだという人に対しては、いやいや、かなりの程度は少なくとも事実を反映している、何らかの民族的記憶を背景にしている、と言いたくなる。一方で、日本書記・古事記の世界をそのまま日本の歴史として(たんなる「お話」と事実と合致する歴史叙述を区別しないで)「信じる」人に対しては、いやいや、そう思いたくとも事実ではないところが多い、と言いたくなる。
 全か無か、正か邪か、善か悪か、真か偽か、物事をこのように二項対立的に単純に理解してはいけない。
 ○ 産経新聞社の、かつて月刊正論・編集代表者だった桑原聡は、退任するにあたって、同誌2013年11月号でつぎのように書いた。この欄の2013年11月14日付=№1235も参照。 
 「自信をもって」、「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはない」と言える、と。
 ここには、「何よりも尊い」、「天皇陛下を戴くわが国の在りよう」を護持しようとするのが<保守>だという、強い観念、強い思い込みがあるようだ。
 <保守>の意味もさまざまだから、そのように考えている<保守>の主張を一概に否定するつもりはない。
 しかし、秋月は、「天皇陛下を戴く」ことが日本と日本人にとっての最高の価値、最大限に追求すべき価値だとは思っていない。
 むしろ、天皇・皇室制度が「左翼」、とりわけ共産主義者によって利用されることを怖れている。例えば、日本人に親天皇・親皇室感情が強いと知っている共産中国は、かりに将来に日本を何らかのかたちで侵攻して日本の政権を事実上であれ従属させた場合、少なくとも当面は<天皇制度をともに戴く>ことを躊躇しないのではないだろうか。
 共産主義者は、目的達成のためならば、何でもする、何とでも言う、と想定しておかなければならない。日本共産党も同じ。
 なお、かつて雅子皇太子妃に対する批判が<保守>論壇でも有力になされたときに、いわゆる「東宮」側に立ったコメントをこの欄に書いたのは、何が何でも雅子妃を含む皇室を守るという気持ちからではなく、主としては、そのような(私が知らない何らかの情報があったのかもしれないが)批判をするのはもはや遅い、無意味だ、という反発からだった。
 率直にいって、美智子皇后に<ベアーテ・シロタは女性の人権拡張に貢献した>という発言があるという噂・風聞の方が怖ろしい。
 ○ 西尾幹二・GHQ焚書開封4-「国体」論と現代(徳間書店、2010/のち文庫化)は、サブ・タイトルどおり、「国体」論を扱う。その他の巻で扱われている書物もそうだが、GHQが「焚書」にしたからといって、それらの書物の内容が全面的に正しい、または真実だ、ということにはならない。当然ながら、西尾幹二は、そのことをふまえている。
 冒頭で言及した1937年・文部省編纂『國體の本義』に限る。西尾はつぎのように冷静に、この本を読んでいる(p.131~)。櫻井よしこに読ませたいような部分に限って、以下に部分的に引用する。
 『國體の本義』のすぐの冒頭部分を「読んで、正直ちょっとやりきれないな、と感じる人が普通で」はないか、「現代のわれわれの感覚からするとまったく浮世離れして見えるから」だ。p.134。 
 「ここからは私の批評です。ある意味では、この『國體の本義』に対する批判です」。p.154。
 日本人の心の「まこと」が「わが国の国民精神の根底だといわれると、たしかに…、それだけでよいのだろうか」。<和>に加えて<まこと> を説いて「自己完結しているところに、かえって問題を感じます。日本人にわかり易いがゆえに逆に曲者なのです」。p.159。
 「和と『まこと』」の一節を読んで、「日本は戦争に負けたのは当然だ」と思わざるを得なかった。「明き浄き直き心」だけでは「主観的すぎて、他の存在感を欠き、自閉と弱さの表明でもあることをあの大戦を通じて民族的に体験した」のだから、「戦前の『国体論』にそのまま戻ればいいという話ではまったくないということをしかと肝に銘じるべきです」。p.161。
 この書の天皇中心の歴史記述、親政天皇については詳しく(例えば後醍醐)、武士・幕府政治については冷淡だということ、に対する西尾の批判的コメントもあるが、省略する。
 ○ 小林よしのりが何かに、西尾幹二は天皇についてはあまり興味がない、と書いていた。
 たしかにそのようなところはあるが、櫻井よしこ、渡部昇一、平川祐弘らのような<天皇中心史観>のもち主よりは、はるかに冷静で、優れている。つまりは、「観念」論に嵌まってはいない。
 なお、西尾幹二は(日本共産党のように ?)『國體の本義』を全否定しているわけではないことを付記する。西尾は、部分的には、秋月が必ずしも同意できないことも述べている。
 ○ 西部邁の語源探りは読んでいて鬱陶しいのだが、その弊をふむと、R・パイプスの『ロシア革命』原著を読んでいて出くわした spritualism という語の意味は、ある辞書によると「観念論」で、「精神主義」という訳語は出てこない(後者は誤りでもないだろう)。またこれは、「心霊主義」、「降神術」という意味ももつらしい。
 櫻井よしこらの「観念保守」の者たちの「観念論」は、純化すると、すみやかに「心霊」にかかわる、特定の<宗教>に転化するに違いない。

1457/歴史叙述とは。櫻井よしこら「観念保守」の悲惨と悪害。

 ○ 歴史、歴史認識、歴史叙述とは何か、ということを考える。西尾幹二、高坂正堯、山内昌之等々のかなり多くの歴史関係文献を通じて、考えてもきた。
 歴史(学)の専門家・研究者は誰でもきっと、程度の差はあれ、これを思考したに違いない。だが、歴史叙述も人間の知的営為の一つなので、素人である秋月瑛二が人間の一人として、これについて何かを語っても許されるだろう。
 いや、自らの言葉と文章で語るのはやはりむづかしい。すでに坂本多加雄らのこの問題についての記述に言及したような気もするが、あらためて、歴史家・歴史研究者である他人の言葉・文章のいくつかを手がかりにしてみよう。
 ○ 一つはすでに紹介、言及した(昨2016年10月16日、№1408)。
 西山克典の訳書を手がかりにすると、リチャード・パイプスはこんなことを書いていた。ロシア革命に関する叙述を念頭に置いているとみられる。パイプス・ロシア革命史 = A Concice History of the Russian Revolution (試訳している書物とは別の、簡潔版のもの)による。
 「激情のさなかに生み出された出来事をどうやって、感情に動かされずに理解することができるというのであろうか」。
 「歴史的な出来事への判断を拒むことはまた、道義的な価値観にも基づいている。すなわち、生起したことは、何であれ、自然なことであり、従って正しいという暗黙の前提であり、それは、勝利を得ることになった人々の弁明に帰すことになる」。
 櫻井よしこの歴史記述は「政治的」だという批判は、厳密にはあたらない、とも言える。
 つまり、R・パイプスも言うように、歴史は「感情」をもってこそ叙述できるとも言える。何らかの「思い込み」があってのみ歴史叙述は可能であるのかもしれない。おそらく究極的には、そうだろう。
 だが一方で、「生起したこと」は「正しい」という前提で歴史叙述をするのは、「勝利を得ることになった人々の弁明に帰す」る、というのも鋭い指摘だろう。
 つまり、「明治天皇を中心とし」た明治時代はよかった、という前提で歴史叙述をするのは、勝利者である「西南雄藩」、とくに「薩長」両藩のために<弁明>しているのであり、典型的な<勝利者史観>に嵌まっているのだ。
 「観念保守」の<隠されたイデオロギー>はここにある、ということに(ようやく ?)最近は気づいてきた。
 もちろん一方で、日本共産党ら共産主義者の歴史認識と歴史叙述が、<公然たるイデアロギー>にもとづく、きわめて政治的で、思い込みの激しい、観念的なものであることは、すでに明らかになている、ごく常識的なことだ。
 ○S・A・スミス(Smith)というイギリスの若い学者による、The Russian Revolution: A Very Short Introduction (2002)は簡単な紹介のような本だが、内容的には面白いものがあった。
 スターリンだけを貶めレーニンは救う、という日本共産党的なロシア革命史観に立たず、スターリンをレーニンの後にきちんとつなげているのは、ごく普通だ。、
 一方で、マルクス又はマルクス主義にソ連社会主義崩壊の根源を見つつ、いったいマルクス主義の又はマルクスの諸原理の具体的にはどこに、欠陥又は「誤り」があったのかと問う姿勢が興味深く、その部分だけでも邦訳しようかとも思った。
 だが、これを読んだ時点では、この人にロシア革命に関する本格的な書物はなかった。他のテーマが専門の研究者かとも思った。
 そのS・A・スミスが、S. A. Smith, RUSSIA in Revolution, -An Empire in Crisis- 1890-1928 (2017) という書物を刊行する(した)ようで、すでに Kindle を通じて読める。
 その序文(まえがき)に、じつに興味深い記述がある。フランスのF・フュレの名も出てくる。以下のとおり。
 「フュレは正しく、特有の熱情(passion)をよび起こす歴史的事件や歴史的人物がたしかにある。そのような場合には、歴史の記述(writing)は、独特に政治的な企て(enterprise)だ、と述べる。」
 これも、上のパイプスの言葉に似ている。そのあとにスミスは続ける。
 「ロシア革命は、100年経っても、なおそのような事件だ。/
 そのゆえにこそ、私はこの本でできるかぎり感情を抑えて(=非熱情的に)、皇帝専制体制の危機、1917年の議会制民主主義の失敗、ボルシェヴィキの権力への上昇に関して書くようにした。/
 私は、教訓を引き出すこと(道徳化すること=moralizing)を避けること、嫌悪や反駁を感じる者たちについて共感をもって記述すること、積極的に好感をもつ者たちに対して批判的に記述すること、をしようとした」。
 これに続く文章も、ある意味で刺激的なので、分けて引用する。以下のとおり。
 「しかし、私に最初にレッテルを貼りたい読者に対しては-読者にはたしかに著者の立場を知る権利がある-、その読者は、結論を出してから始めている、と言おう」。
 他にも興味深い文章はあるが、長くなるので、このくらいにする。
 ○ 秋月瑛二についても、どのような、どのグループの「保守」かと、あるいは櫻井よしこ・八木秀次らを批判するとは「左翼」ではないかとすぐに分類や「レッテル貼り」をしようとし、それが判ったつもりになれば簡単に立ち去っていく人々もいるかもしれない。(なお、このような発想法は容易に、「真正保守」は何で誰か、安倍内閣の味方か敵かといった関心、分類思考・二項対立思考につながるだろう。)
 いや、問題は「観念保守」の人々の歴史叙述の方法または<歴史観>だ。
 究極的には「政治的企て」なのかもしれないが(それは<実践>の一つだということでもある)、上のようなパイプスやスミスのような歴史記述についての思索あるいは煩悩 ?をきちんと経たうえで、つまりできるだけ非熱情的に、冷静に歴史を見たうえで、最後のところでギリギリの価値判断を結果として行う、という作業を彼らはしているのかどうか。
 最初から特定の価値観・特定の歴史評価にもとづいているとすれば、その歴史記述は信用できないし、悲惨なものになるだろう。
 もちろん、マルクス主義者、あるいは日本共産党の歴史叙述も、最初から特定の価値観・政治観・特定の歴史評価にもとづいているので、悲惨なものだ。
 <自虐史観>に反対し、これを批判するのはよいが、その<裏返し>の歴史記述をするのは、「左翼」のそれと同じ「観念」論による歴史叙述だ、ということを知らなければならない。

1454/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」のつづき②のC。

 ○ 司馬遼太郎は、もともとは観念的思考、イデオロギーといったものを忌避するタイプの人物だっただろう。産経新聞社で最初に赴任した京都で、担当範囲にあった当時の大学の「左翼」的雰囲気に<染まる>ことがなかったのは、そういう<気質>があったからだと思われる。
 彼は、のちにたしか「純度の高い」概念・観念という言い方をしていた。ともあれ、抽象化又は単純化の程度の高い思考にはついていけない旨も書いていた。
 三島由紀夫の自裁に際して、司馬がかなり冷静な又は冷淡な感想を寄せたのは、そのような<気質>によるものだっただろう。司馬は、「狂信」というものが好みではなかった。
 三島は一方、明らかに「観念」で生きていた、あるいは、ついには「観念」に生命を捧げてしまった。守るべきは日本だ、というとき、当然に「天皇」も含んでいたに違いないが、その「天皇」は日本国憲法下での「象徴天皇」ではなく、彼が思い描き、観念した「天皇」だっただろう。
 しかし一方で、三島が憲法・法制に関するきちんとした知識をもっていたことも間違いない。「継受法」という概念も知っていた。また、その見識によってもいるのだろうが、彼の日本の現状認識、将来予測は、じつに鋭く、適確なものだった。この点には、この欄でいく度か触れた。
 元に戻ると司馬遼太郎は、京都での担当範囲の中に寺社廻りもあったために関心を持ち始めたのか、『空海の風景』(1975)では抽象的な仏教思想・仏教教義にも踏み込み、晩年とものちには言える時期には、土地の価格の高騰の時代を背景にして、かなり観念的で単純な世相批判も行っていた(土地問題について)。また、彼の日本軍国主義批判は、皮膚感覚的体験にも由来する一面的でかつ観念的なものだった可能性もある。
 とりとめなく書いていて、三島や司馬について何らかの結論的示唆を述べようとするものではない。
 「右」の全体主義は、伝統を「純化」しようとする、とか仲正昌樹は述べていたが、「純化」の程度が高いということは、「純度が高い」ということだ。
 「純度が高い」思考者を一概に非難することはできない。三島由紀夫もまた、その思考・「観念」が現実の世界では採用されないことを知った上で、つまりその「観念」あるいは「理念」・「理想」が<現実化>することはないという確実なまたは決定的な見通しをもって、1970年11月の行動に出たのだろう。そのような残酷な予測と自らの生命はいずれ不可避的に消滅せざるをえないという個体としての人間の限界の意識、この二つが、狂気ともされた行動への衝動になったかと思われる。
 そして、そのような三島をとくに批判しようとは思わない。いろいろな人間がある。仲間の数人以外には三島は誰も殺さなかった。三島由紀夫は、テロリストではない。そして、「美しい観念」を抱いて、それに殉じることができた。なかなか幸福な人物だった、とすら思える。
 ○ このような三島の「観念」世界に比べると、最近の日本の「観念保守」には、日本を貫き通すような強度や凄みはなさそうだ。
 櫻井よしこの、昨年11月の「専門家」ヒアリングでの発言内容を、遅まきながら、読んだ。
 やはり、この人は(も)、アホだ。というよりも、日本の「保守」というものの、きわめて深刻な精神的頽廃を感じる。
 この点にさっそく入っていきたいが、予定どおり、週刊新潮誌上の、櫻井記述に、あらためて以下に、言及する。
 櫻井よしこ・週刊新潮2/9号を見てみると、つぎの一文が印象的だ。書いていないことに注目すべきとか前回に書いたが、はっきりと書いていることにも明らかな誤り・問題点がある。
 光格天皇の具体的な言動を肯定的に紹介するのはよいとしても、以下のような櫻井よしこのまとめには、反対せざるをえない。
 「光格天皇の強烈な君主意識と皇統意識が皇室の権威を蘇らせ、高めた。その権威の下で初めて日本は団結し、明治維新の危機を乗り越え、列強の植民地にならずに済んだ。」
 第一に、明治維新等に関する叙述を、こんな二文ほどで終えてしまっていることに唖然とする。以下で指摘することも含めてだが、櫻井よしこは、日本の中学生レベルの日本史知識・明治維新に関する知識しかない、と思われる。
 くり返すが、本当に唖然とする。このレベルの人が、「保守」論壇のリーダー ?、情けなくて、涙が出そうだ。
 第二に、天皇の権威のもとで団結して「明治維新の危機を乗り越え」、「列強の植民地」化を防げた、というのは、それが天皇・皇室の権威-明治維新-植民地化阻止、という趣旨であるなら、それは前回にも述べた<明治維新よかった>史観だ、あるいは<薩長・勝利者史観>だ。あるいはそこに天皇・皇室の権威を媒介させているので、明治維新の源に「光格天皇の強烈な君主意識と皇統意識」があったと明言しているように、<天皇のおかげ史観>だ。櫻井が明治天皇を高く評価するのも分かる。
 家近良樹・江戸幕府崩壊-孝明天皇と「一会桑」(講談社学術文庫、2014、原著2002)は、最初の方(第2章の冒頭あたり)で、櫻井よしこのような史観を、同じ趣旨で、「王政復古史観」、「西南諸藩倒幕派史観」、「天皇制維新史観」と呼んでいる。
 また、戦前におけるこの史観の誕生と国民的確定 ?には、明治政府が「王政復古(戊辰戦争)の意義を確定」すべく1889年に刊行した、<復古記>という書物・全15冊や、戦前昭和の政府が1939-41年に「官製維新史の集大成」として刊行した<維新史>があった、としている。
 子細には立ち入らない。櫻井よしこの明治維新史イメージは、この、明治期や戦前期に当時の、「西南雄藩倒幕派」(とくに薩長両藩)やその後裔者たちが中心の政府によって作られたものと同じだ、とほぼ断定できるだろう。
 ○ 学者・研究者になれ、とは言わない。しかし、素人の秋月ですら、櫻井よしこが抱く明治維新、そして当時の天皇に関するイメージには疑問をもつ。少なくとも、そんなに簡単には言えない、と批判することができる。
 素人の見方を、少し提示してみよう。
 認識・理解そして議論の対象は、大きく、体制・政治の基本的仕組みと、政策目標とに分けることができる。
 前者には、大きく、A・天皇(・皇室)中心体制、B・天皇/幕府協力体制、C・幕府(・将軍)中心体制の三つがある。
 後者には、大きく、α・攘夷=鎖国と、β・開国(・開港)とがある。
 江戸時代は長らく、Cかつαだった。
 光格天皇の力もあったのだろうか、孝明天皇の時代に、幕府は対米通商条約について「勅許」を求める(1856年、前回に天皇側が主張したとしたのは正確でない)。幕府はβへと政策変更し、かつ部分的にはBに近づいた。天皇の力=権威 ?を借りて政策変更を諸大名にも認めさせようとした。条約の法的実施が天皇の判断に依存しているとすると、この時点で、天皇は「権力」の一部をもつに至った。画期的なことだ。
 しかし、孝明天皇は1857年2月の時点で、「勅許」を出さない。許可・認可の申請を拒否したか、又は「お預かり」にしたようなものだ。天皇・朝廷の一存で、条約の現実化ができない事態となる。この時点で、天皇・皇室はれっきとした「権力」機構の一部になっている。たんなる「権威」ではない。
 以上は、A~Cやα・βの区別はむろん私の思いつきだが、櫻井よしこも引用していたのと同じ著者の、藤田覚・江戸時代の天皇(天皇の歴史06、講談社、2011)を見ながら書いた。
 とりあえずここで区切る。大切なのは、この時点で、あるいは1866年、1867年の途中までですら、旧幕府を除外した新政権、つまりAの天皇中心体制ができるとは、ほとんど誰も予想していなかったことだ。いくつかの時点で、この当時、さまざまな歴史の選択がありえた。B(いわば公武合体路線)による、緩やかな開国と変革(と「富国強兵」 ?)および植民地化阻止もありえた、と考えている。
 薩長両藩等が新天皇(明治天皇)を中心にしてまとまり勝利した、明治維新がなされた、頑迷・旧態依然たる幕府時代と訣別して新しくよき明治時代になったという、後から見ての評価を、櫻井よしこのように簡単に下してはならない。
 ○ 櫻井よしこのような、<明治はよかった>史観は、明治時代である1889年の旧皇室典範の内容、終身在位制は素晴らしかった、という単純な理解と主張につながっている可能性がすこぶる高い。だからこそ、孝明天皇、明治維新、明治国家等の検討を私なりに試みている。

1452/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」のつづき②のB。

 ○広く日本史について素人としての関心はある。明治維新とか明治憲法とか明治の「元勲」たちということになると、かつて、ソウル・南山の西側中腹あたりにあった、安重根記念館を訪れたことを思い出す(タクシーで一人で行き、帰りはソウル駅近くまで歩いて降りた)。
 安重根は伊藤博文射殺犯で(1909年)、若き「愛国」テロリストふうかと想像していたが、記念館での展示物を見ていて、教育者であり知識人の一人だったと知った(筆字も達筆だ)。
 おそらくそのときか、日本への帰国直後だが、安重根は伊藤に対する「斬奸状」(にあたるもの)を書いていて、その中に、日本の天皇を弑虐した「罪」を挙げていたことも知った。それは、伊藤が、当時の天皇(明治天皇)の「ご父君」、つまり孝明天皇を殺害した、というものだった。
 朝鮮の人からすれば伊藤という「元勲」と日本の天皇・皇室との関係など本来は関心はないはずだが(日本の天皇のことを気にかける必要はないはずだが)、と思ったりしたが、それ以上の追究は当時はしなかった。しかし、伊藤博文と天皇殺害という関連だけでも、印象に残りつづけたのは確かだ。
 ○あらためて近年に読書渉猟をしていると、孝明天皇は皇女和宮の兄で明治天皇の父親・先代(これらはかつての知識の中にあったと思う)、そしてその当時は傍流だった光格天皇の孫。幕末の天皇で、明治改元直前に死亡していることが確認できる。
 そして、これが上の安重根にも関連するが、孝明天皇の(突然の発症による)死には、徳川幕府に対抗する薩長一派側の意向が働いており、孝明天皇の(その時点で)対幕府融和的な姿勢(「公武合体」方針)を「邪魔」・「有害」だと判断した者たちが、最終的には(直接に手をかけた訳ではむろんないが)朝廷内に関係者がいた岩倉具視が、天皇殺害を命令した、という<噂>があったらしい。
 <噂>がそれらしく思われていたらしいことは、上の安重根の記憶又は認識でも明らかだろう。岩倉具視であれば、まだ若い伊藤(周旋屋だともされた)は明治維新前はさほどの接触はなかっおたかもしれないが、のちに何かを知った可能性はないではない。伊藤から見ればとんだヌレギヌかもしれないのだが、朝鮮半島の人までその少なくとも<噂>を知っていたというのは、驚きの事実だろう。
 一番最近に見たからこそ記せるが、歴史小説を三つ集めた松浦行真・激流百年(サンケイ新聞社、1969)の中の一篇「洛北の虹・岩倉具視」の最後・末尾には、あくまで歴史小説だが、つぎの趣旨の文章がある。
 明治天皇が危篤の岩倉具視を慌てて見舞った、その岩倉の国葬への参列公家衆の一部から、「お上(明治帝)は親のかたきの死に目を見にゆかれた」という「ささやきが聞かれた」。「あの孝明帝の死にまつわるくらい風貌…」。
p.174。
 他にも、歴史小説家・中村彰彦の、学者を超えるかもしれない<推理>(岩倉による暗殺の肯定の方向。小説ではない)を読み終えている。
 ○ところで、光格天皇は(本流の皇嗣ではなかったためもあってか)天皇・皇室・朝廷の「権威」の回復に努めた江戸期には珍しい人物であるらしい。
 櫻井よしこもまた、立派な天皇(の一人)だった旨を、とくに記している。すなわち、同・週刊新潮2017年2/9号のコラム欄は、全体を光格天皇を讃える内容で埋めている。引用はしない。今のところ生前譲位の最後の天皇らしいことと関連させて、皇室改革をし、天皇の権威=「皇威」を高めようとする「強い皇統意識」のもち主だった、という。
 ここでただちに疑問が生じる。孝明天皇は光格天皇の直系の孫で、櫻井よしこが<明治天皇を「中心にして」近代明治日本を建国した>、と褒め称える明治天皇の実の父親だ。
 なお、この「明治天皇を中心にして」という部分は、櫻井よしこ・日本の息吹2017年2月号(日本会議)の文章の中で使われているはずだ。
 そしてまた、孝明天皇は、天皇にしてはきわめて珍しく、武家政権(徳川・江戸幕府)に対してモノを言い、反抗もしている。
 条約(対米通商条約)締結には「勅許」が必要だと、主張したのだ。外交権の行使に天皇の同意がいるとすれば(形式的・儀礼的ならばともかく)、これは立派な「権力」(の一部)に他ならない。もはや「権威」なるものを超えすらしている。
 いや、これ自体が当時の朝廷内の<反幕府>一派が誘導した可能性はあるが、しかし、孝明天皇はどうやら個人としても<攘夷>を(少なくとも当初は)貫きたかったかに見える。
 変節が著しいともいえる薩長一派は、最初は<尊皇攘夷>を掲げて、<開国>方針の徳川・江戸幕府側(例えば井伊直弼)をイジメていたのだ。その返礼として、吉田松陰はタイミングが悪くて刑死になってもいる。この当時は、孝明天皇も<邪魔>ではなかったに違いない。
 孝明天皇とは、じつに、天皇の「権威」を体現しようとした人物だったのではないか。践祚の際に16歳だった明治天皇よりもはるかに、またその後の明治天皇と比べても、<意思>・<肉声>らしきものが感じられる。
 しかるに、櫻井よしこが、光格天皇と明治天皇に皇室の権威という観点から肯定的に言及はしても、孝明天皇に同様の趣旨で触れないのはなぜか。同様の趣旨で肯定的に評価しようとしないのはなぜか。
 櫻井よしこは、藤田覚・幕末の天皇(講談社学術文庫、2013/原著1994)に依拠して、上の週刊新潮で多くのことを引用、紹介している。
 藤田覚の上の著は、しかし、孝明天皇についても多く触れている。半分ほどは孝明についての書物だ。
 そして藤田は冒頭で、つぎのようにも述べて導入している。
 「なかでも孝明天皇は、…国家の岐路に立ったとき、頑固なまでに通商条約に反対し、尊皇攘夷を主張しつづけた。それにより、尊皇攘夷、民族意識の膨大なエネルギー、を吸収し、政治的カリスマとなった」。p.9。
 櫻井よしこがとくに取り上げた光格天皇との関係についても、冒頭部で、つぎのように書く。
 光格天皇の「皇統意識、君主意識は、孫の孝明天皇に引きつがれ、それをバックボーンとして開国・開港という未曾有の危機にあたり、頑固なまでに…鎖国攘夷を主張した」。p.11。
 ちなみに、藤田作だという冒頭の川柳は、ゴロがよいように秋月が少し変えると、以下のようになる。
 <光格がこね、孝明がつきし王政餅、食らうは明治大天皇>。p.9参照。
 かくのごとく、櫻井が依拠し引用している藤田覚著には、たっぷりと孝明天皇も登場するのだ。
 そして、櫻井は、同・週刊新潮の2/16号では、藤田著等によりつつ、孝明天皇に論及している。
 しかし、その扱いは、光格の場合とまるで異なる。<皇威>という観点から孝明天皇を肯定的に紹介する論調では全くない。
 もう一度書こう。櫻井よしこが、光格天皇や明治天皇に皇室の権威を高めたという観点から肯定的に言及しながら、孝明天皇についてはその点はいっさい無視して、称賛していないのはなぜか。孝明天皇も、まさに<皇威>を実際に高めた立派な人物だったとなぜ肯定的に評価しないのか。
 結論は、はっきりしている。
 <薩長史観>を前提とした、戦前に主流の<史観>を持っているからだろう。
 光格はともかく、孝明天皇は、明治新政府登場までに亡くなった、薩長側に対する<敗者>の側の天皇だったのだ。
 歴史は勝者が作る、あるいは描く、ともいう。現在の日本で主流の<史観>も、戦争勝利者であるアメリカらの「連合国」が形成した、とおそらく言えるだろう(「東京裁判史観」という、渡部昇一が好んで用いているらしき概念は、狭すぎる)。
 戦後主流の<史観>を持ちたくないからといって、-「皇国史観」と言ってしまうのは語弊があるかもしれないが、-戦前の日本にあった<薩長中心史観>、つまり明治維新・開国・近代日本の建設をほとんど全面的に<良かった>ものと理解する史観に立つのは、既述のように、たんなる<裏返し>にすぎず、歴史を冷静には見ていない、と考えられる。
 要するに、櫻井よしこの歴史観・歴史認識も、最近の文章ではかなりの程度、「観念」論であり、「政治的」色彩を帯びているのだ。そしてまた、櫻井よしこの天皇譲位反対論も、この「政治的」・「観念的」歴史観に多分に依拠している、と言えるだろう。
 櫻井よしこのような歴史家・歴史研究者ではない者が(私・秋月ごときがこうした欄で何を書いても許されるかもしれないが)、活字となって広く読まれる可能性がある文章の中で、単純すぎる「政治的」・「観念」論を表明しないでいただきたい。読者は、櫻井よしこらが書いていないこと、言及していないことに、むしろ注目する必要がある。
 週刊新潮での櫻井よしこには、同じ趣旨でたぶんもう一回触れる。

1448/天皇譲位問題-「観念保守」をめぐって、つづき②のA。

 仲正昌樹・松本清張の現実と虚構(ビジネス社・2006)の第9章は「天皇制の謎をめぐって-〔略〕」で、その中のp.226-7に、次の文章がある。/改行は原文にはない。
 「『国家と個人』の関係が危機に瀕するとき、その危機を克服すべく全体主義が登場する素地が醸成される。/
 マルクス主義的な傾向の左の全体主義は、国民国家の作られた "伝統" を破壊して、プロレタリアート独裁の革命政権を作ろうとする。/
 右の全体主義は、"伝統” を純化することによって強化しようとする。」
 現在の日本の「観念保守」派は、「 ”伝統" を純化すること」を意図していないだろうか。
 あるいは、<純化した伝統>なる「観念」を、ことさらに主張してはいないだろうか。
 つぎに、1945年2月のいわゆる<近衛上奏文>には、以下の表現がある。近衛文麿の認識を全面的に肯定するのではないが、存在しうるものだとは思える。
 「軍部内一部の者」を「取巻く一部官僚及び民間有志」、「之を右翼と云うも可、左翼と云うも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり」。
 「国体の衣をつけたる共産主義者」も存在しうる、ということを、現在の日本の「観念保守」論者たちは、意識しているだろうか。
 さらには、引用を省略してしまうが、1937年に刊行された文部省編纂<国体(國体)の本義>に書かれていることは、相当に櫻井よしこ等が最近に述べていることとよく似ており、部分的には酷似するところがある。両者の間に関係はないのだろうか。ここでの<国体>観を全体として否定するつもりはないものの、「観念」論、歴史の「事実」に反した日本史理解が多分にあると見られる。
 櫻井よしこも渡部昇一も、この書物の名前と内容に直接には言及していない。知らないのだろうか。知ったうえでのこととすれば、あるいは参考にしている、影響を受けているとすれば、その論述方法は、もしかすると、いささか卑怯ではないのだろうか。
 正確に確認はしないが(その関心、傾注の努力が惜しいと思っている)、4人のうち八木秀次以外(つまり、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ)は、日本の「国体」について言及し、「国体」の維持の主張を、その<天皇>観とともに披瀝していたと思われる。
 はたして、彼らのいう「国体」とは何か。日本に固有・独特の歴史・伝統があるだろうことを、むろん否定しているのではない。

1445/天皇譲位問題-「観念保守」派の誤り・無知、つづき①。

 天皇生前譲位問題について。
 一 基本的論点の一つは、日本の天皇(の歴史)をどう見るかだろう。
 <摂政活用>派または生前譲位否定論は、これを根拠にしているからだ。
 しかし、前回も触れたように、この論を<歴史>でもって正当化することはできない。
 また、「観念保守」派の多くが-たぶん産経新聞社の菅原慎太郎も桑原聡も-抱いてるようにみえる、つぎのような<権力・権威>論も日本の歴史の事実に即していない、と考えられる。
 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号。
 「鎌倉幕府も徳川幕府も、時の権力者といえども、皇室の権威には服せざるをえませんでした。俗世の権力は常に皇室の権威の下にあり、……は実権を握りながらも、究極の権威は彼らの手にはありませんでした。一方、皇室には権威はあっても権力はなかったのです」。p.86。
 よくぞこんなに簡単に言えるものだ。しかも「常に」と断定しているのは、相当にアホだと言える。
 ここにあるのは、<思い込み>であり、<観念>だ。
 勝手に思い込むのはよいが、歴史の事実であるかのような書き方をしてはいけない。あるいは、<こうであってほしい>という願望や<こうであったはずだ>というはず・べき論と歴史的事実を混同してはいけない。少なくとも、自らの言明の「真実」性・事実性を疑ってみる謙虚さが必要だ。
 すでに前回に本郷和人著に言及した。
 既読だが、本郷和人「天皇を知れば日本史がわかる」文藝春秋スペシャル2017冬・皇室と日本人の運命(2017)もある。なお、本郷は、黒田俊雄のような<マルクス主義史観>のもち主ではない。
 ○「権門体制論」は形式はともかく実態を示さず、後鳥羽の承久の変以降「次の天皇を誰にするか」を朝廷の一存で決められず「鎌倉幕府の承認」が要った。
 ○四条天皇後、朝廷の意向とは違った後継者を鎌倉幕府は立てた(後嵯峨天皇)。
 ○鎌倉幕府は後鳥羽本流の皇子の即位を「認めなかった」。
 ○天皇・朝廷は「鎌倉幕府を利用するどころか、それに依存して」いた。
 ○元寇の際に戦ったのは幕府で、「何もしてい」ない朝廷が「国家権力を担っていると言える」のか。
 なお厳密な議論を要するのだろうが(<権門体制論>等について)、世俗権力と天皇の関係は、櫻井よしこが単純に描く上のようなものではないことを、示しているだろう。
 鎌倉時代の<例外>ということはできない。前回した紹介でも上でも本郷は江戸時代にも触れている。
 問題はそもそもは「権力」・「権威」という概念の意味なのだが、櫻井よしこは、これを明らかにした上で、少なくとも、平安時代および鎌倉時代以降幕末までの、上の理解の適正さを歴史的に論証・実証すべきだ。
 また、明治憲法下の天皇・政府関係についても、<権力と権威>如何・これの関係をどう理解すべきかの問題はある。櫻井よしこはこれに厳密に論及はしていない。例えば、戦前の昭和天皇に「権力」は(全く)なかったのか。例えば、<ご聖断>とは何なのか。
 二 つぎに、引用を省略するが、アホ4人組の多くは、生前譲位を認めると、新天皇と前天皇の二つの<権威>の並立・衝突が生じるので、避けるべきだ、と主張して、根拠づけている。
 しかし、こんなバカバカしい、いやアホらしい議論・論拠はない。
 すなわち、では<摂政>を置けば、これを回避できるのか。
 天皇在位のままでいる現天皇と「摂政」就任者との間で、二つの<権威>の並立・衝突もまた生じうる。
 いや、現皇室典範上の摂政就位の要件ならばまだよいが、<摂政制度活用派>はこの要件を緩和することを明示的に主張・提案しているので、(現皇室典範が想定していると解される)ほとんど意思表明能力を失った天皇ではなく、まだなお(意思表明はもちろん)ある程度の行為・活動の能力のある現天皇と新設置される摂政との間に、現実的な<権威>の並立・衝突がより発生する可能性がある。
 また、「上皇」=前天皇の存在を認めると、制度的・財政的手当ての問題が生じるなどと立論する者もいるが、同じ問題は、摂政を置いた場合でも全く同じように生じる。
 現憲法・現皇室典範のもとでは摂政設置の例はなく、そのための具体的な制度的・財政的しくみは、きちんと詰められては全くいないのだ。 
 アホな<脅迫>は、しない方がよい。
 三 あまりつきあいたくないが、明らかに書き残しがあるので、回を改める。

1443/天皇譲位問題ー「観念保守」というアホの4人組。

 一 天皇譲位問題は、現在の私には最優先の論題、思考テーマではない。
 しかし、日本の<伝統と歴史>を守るためにとか言いながら、じつはデタラメな歴史観と歴史知識をもったままで単純かつ<観念的>な議論をする者がいて、しかも首相のもとでの検討会に専門家として見解・意見まで述べる機会が与えられたというのだから、ヒドイものだ、ますます<保守>派の印象は悪くなる、と憂いていた。
 といっても、いくつかの論考や文章にきちんと目を通して、精確に批判しておくことは、むろん不可能ではないが、それだけの手間と労力をかける意味があるのかと思うと、大いに躊躇するところがあった。
 本郷和人・天皇にとって退位とは何か(イースト・プレス、2017)を入手して読んで、やれやれやっと、私が言いたかったこと、論じたかったことの8割ほどは書いてくれている書物が出てきた、と思った。
 すでに昨年8月に、生前譲位を認める何らかの<改正>をせざるをえないだろうと簡単に記した。また、昨年12月頃には<観念保守>の主張らしきものを批判的にコメントしている。その中で、明治期以降だけが日本や天皇の歴史ではない、とも書いた。
 上の本郷著を概読して、あるいは冒頭の数頁をひもといても、やはり、(たぶん年齢順に)渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ、八木秀次の4人はバカなのだと思う。
 いや、最近読んだ西部邁の文章によると、「バカ」なのは左翼で、右翼・保守は「アホ」なのだそうだ。
 本当に上の4人は、「アホ」らしいことを真面目に書ける、主張できるものだ。恥ずかしい。また、これらの人々の言論のために、政府や出版社も含めて、多くの時間・コストを要していることを、何と無駄なことをしているのか、と感じる。
 二 さて、本郷和人著から、ほぼ首肯できる文章を、ほとんどが以前から私が感じてきたことや知っていることだが、抜き出して引用する。
 「じつは、いわゆる右といわれている思想家や研究者のなかには平気でウソをついている人がたくさんいます」。/歴史に「無知なためにウソをついている人もいれば、なかには知っていてわざとウソをついているのでは、という人もいます」。p.11。
 「摂政のあり方や摂政としての制度の運用のしかたというのは、まだ固まっていません。戦後の象徴天皇制のもとでは、もちろん一度も置かれていません」。p.33。
 「皇室典範を金科玉条のように思い、改正することに対して否定的な考えの人たちも多い」。だが、私が思うに、「じつは天皇陛下は、そういう人たちの動き、いうなれば硬直的というか、極度に保守的な考え方を快く思っていないのではないでしょうか」。p.38。
 「ただ疲れたからやめたい、体力的にキツいというだけで提案したわけではないでしょう。それ以上の意味合いをもっての行動だったのではないでしょうか」。p.45。〔本郷の推測する意味づけは省略。〕
 旧皇室典範が終身在位を定めたのは-「死ぬまで天皇をやってください」と決めたのは-、「天皇の後継者への任命権を制限する行為ともいえる」。天皇の「絶対的な存在」を規定しつつ、「伊藤博文をはじめとする元勲たちは、どこか冷めた目も持っていた」。p.51。
 明治政府は、「もう一度、朝廷の力や権限を担ぎ出されたくはない」。自分たちが成功したのと「同様のことを行われたくはないから」だ。天皇の「政治利用」を極端に恐れたはずだ。「旧幕府軍側が、[奥州戦争で]…皇族の北白川宮能久親王を先頭に押し立てて戦おうとした」ような政治利用の再現を恐れた。「終身天皇という形を制定したことはそういう政治利用の場に引っ張り出される危険性を未然に防ぐ効用もあったはずです」。p.53。
 「明治時代の元勲たち」は、「天皇が絶対であると一般大衆には布告しながら、本音としてはそれは方便でした」。p.54。
 のちの指導者たちは「明治の元勲たちの持っていた冷めた視点を失ってしまった」。「第二世代、第三世代になると建前を盲信してしまい、あやまちを犯す」。p.58。〔この最後の辺りの評価と原因分析は議論の余地があるだろうが、立ち入らないでさらに続ける。〕
 「実在が確認されている天皇のほとんどは生前退位しています。現在のような終身在位の方がめずらしいケースでした」。p.66。
 「第50代くらいまでの歴代の天皇」では「生前退位が行われているケースは、やはり女性と高齢天皇の場合が多いのです。しかるべき人が無事に即位できる時期になれば生前退位をして譲位をすることが前提に近い状態で即位した」。p.69。
 「桓武天皇以降からは生前退位が当たり前になってきます」。p.70。
 「後三条天皇」以降で「死ぬまで天皇でいた人は、若くして亡くなったり、不慮の死で急逝したりした場合と、経済的に苦しかった戦国の天皇たちにかぎられていきます」。p.74。〔経済的に苦しいとなぜ生前譲位できないのか。それは、新天皇の践祚・即位の儀礼等に多大の費用がかかるからだ-秋月瑛二。〕
 「院政の時代」は、「権力を握った上皇のほうが天皇より偉い」。p.77。
 「家康は…、天皇や公家のやることは学問であると『上から』規定して役割を与えて」いった。天皇の存在を重視せず、公家・貴族は、将軍-大名-旗本-御家人の、御家人クラスの「必要最低限の援助」しか受けられなかった。p.85。
 この時代には「天皇の権力は無力化され、江戸幕府がすべての権力を集中して持っていた」。天皇は「領地」も将軍家から与えられて「経済的にもまったく自立していません」。但し、改元と暦に関する権限だけは別だった。p.86。〔但し、これは近世・江戸時代のことで、少なくとも室町時代には改元権は幕府・将軍にあったことがある-秋月。〕
 「天皇というのは、そのときそのときで性格を変えてきた」。地域首長・首長連合の筆頭・院政・武家政治、等々。p.126-7。[武士幕府政治のもとでも、後鳥羽・後醍醐のように「親政」へと挑戦した天皇・上皇はいたし、そうでなくとも、個々の天皇等ごとに幕府と朝廷・公家の関係は一様ではないとみられるー秋月。]
 天皇・武士の関係について「よく耳にする言葉に『天皇は権力は失った、だが権威だった』という言葉があります」。しかし、私は「それはあくまでも言葉の遊びにすぎないと思っています。権力も何も持っていない権威なんてものが存在するのかと考えるからです」。p.128。
 今の社会ならば「権力はなく、権威として存在することは可能」かもしれないが、昔、たとえば「中世社会において権力=力のない権威というものが存在したでしょうか」。同上。
 「そもそも将軍が天皇からお預かりしているという思想自体が、江戸時代の後期になって尊王とともに登場してきた概念にすぎません」。「朝廷の命によって征夷大将軍に任じられて」いるのは、「それこそ形式的なもの」です。p.135。
 「万世一系」を「日本の皇室がもつ特徴のひとつ」と思うのは問題はない。しかし、「だから日本人は偉い」・「日本人は特別の民族」とかの「優越意識や選民思想と結びつくと非常に問題があります」。日本・日本人を誇るときに「『天皇』を引き合いに出して自尊心を満たしたい」という心理はある。p.144。
 三種の神器の存在、前天皇又は上皇の承認の二つを欠いたまま即位した、「かなりグレーというか、いい加減な対応」による、後光厳天皇もいた。p.147-9。
 武家政治は鎌倉時代から江戸時代で「700年」続いたが、「軍事力をほぼ独占した武士たちによる政府ができたからこそ、天皇家は続いた」といえるかもしれない。「天皇が軍事も政治も意欲的に」行えば、とって代わろうとする勢力によって滅ぼされた「かもしれない」。古代の天皇のように自ら軍事行動をすれば、「どこかで戦いに敗れ、滅ぼされていた可能性は高い」。p.150-1。
 「怠惰な国民のもとに独裁者が生まれるし、怠惰な国民が独裁者をつくりだす」。「生臭いものから皇室は距離を保っておくべきだ」との意見が大勢であるようで国民はさほとどバカではない。「日本の場合、独裁者が生まれるとするなら、皇室もしくはその周辺からしか生まれないでしょうから」。p.156。〔この部分の言明は興味深い。「皇室の周辺」等についてさらに発展させて議論したいが、省略。〕
 生前退位による「政争の具」化、「政治的な混乱」の発生は「もはや難しい気がします」。皇室も含めて「絶えず可視化」されている情報化社会はそれを許さないだろう。p.159-160。
 「外部勢力が生前退位というシステムを使って」「手を突っ込んでくることはほぼ考えられません」。「あるとしたら、天皇家のなかでそういう動きがある場合でしょう」。p.162。〔この部分も興味を惹く。別に話題にしたい。〕
 「時の内閣の政治的駆け引きに利用される」という危惧が再三提起されるが、これは「天皇の人格の問題」、「どんな人が天皇になるのかという問題」だろう。p.162。 
 三 以上のすべてではないが、アホの4人組の見解・主張に対する反論や無知の指摘になっているところが多いだろう。
 <観念保守>の思考方法自体に最近は関心があるが、日本共産党による<明治維新以来ずっと日本は悪いことをしてきた-「帝国主義」化と「侵略」戦争>という歴史観を裏返しにした、しかも明治当初の元勲たちにはあった冷静な視点すら失った、戦前の一時期の<皇国史観>に立ち戻れ、というだけではないだろうか。
 本郷も指摘するし、産経新聞・「正論」欄で秦郁彦も述べていたように、明治期の旧皇室典範の内容こそがむしろ長い日本の歴史、天皇の歴史からすると<異例>だったのだ。
 誰も書いていないようだからあえて書いておくが、明治新政府の誕生時(1868年)、明治天皇は16歳で、明治憲法発布・旧皇室典範(勅令ですらない)制定時には38歳だった。かつまた、すでにのちの大正天皇は生まれていた(12年後にはのちの昭和天皇も生まれた)。そのような、40歳にもなっていない若い又は壮年の天皇がいた時期に、言うまでもなく、そのことや当時の後嗣を含む皇室の具体的状況も考慮して、あるいは具体的なそれを背景として、旧皇室典範により終身皇位制度が採用されたのだ-反対論もあったことが知られている-。この当時と大きく具体的な事情が異なる(むろん法的な位置づけも異なる)現在において、旧皇室典範の<精神>を持ち出すのは、狂気であるか、あるいはたんにアホであるとしか思えない。
 旧皇室典範以降で、わずか三代の代替わりしか行われていない(大正・昭和・今上)。これがなぜ、「日本の伝統と歴史」と言えるのか。昨年12月に触れたことだが、(<保守>派ならば神武天皇にまでさかのぼって ?)天皇の歴史に関する知識を持たなければならない。欽明まで遡らなくとも、平安直前の光仁、そして桓武あたり以降の歴史をすべて(概略でもよいが)知っておかないと、いかなる発言もマトモにはできないのではないか。
 本郷和人は、平川祐弘・月刊Hanada4月号(飛鳥新社)が嫌味を言っているような「法学」者ではなく、東京大学史学科出身の(中世が専門の)歴史学者だ。平川は、自らの視野の狭さ、思い込みとそれからくる「無知」、そして<観念論>ぶりを自ら嘆くべきだろう。
 また、平川は源氏物語という<文学>作品を読んでいない「法学」者を批判しているようだが、そんなものを持ち出さなくとも、いくらでも多数、より実際の<歴史>に近い書物・文献・史書はある(すべてが100%信用できるとは言わない)。
 櫻井よしこ、八木秀次らの具体的叙述も、かりにきちんと読めば、いくらでも、反駁あるいは無知の指摘をすることができる。
 こうしたアホたちがなぜ生まれて、出版界等で生きておれるのか。その理由、背景に最近は興味をもっている。アホたちを生息させている産経新聞等にもかつてよりはるかに批判的になっている。
 天皇・皇室制度それ自体について、種々書き残しておきたいことはあるが、今回はこれくらいにしよう。
 なお、本郷の長くはない叙述のすべてに同意しているのではない。例えば、明治新政権を世襲否定として肯定的な見方を示しているが、薩長中心の、藩閥的・門閥的な政府でもあっただろう(それは昭和期にも影響を与えた)。

1427/保守とは何か-月刊正論編集部(産経)の<欺瞞>。

 一 何となく現在の日本の基本思潮・政治思想の4分類を思い浮かべていたときだったことにもよるが、月刊正論3月号(産経)によるたった一頁のマップを素材に、いろいろなことが書けるものだ。
 本当はもはや広義での<保守>(反共産主義)内部での分類や対立・論争に、あまり興味はない。昨年2016年4月のこの欄で書いたように、日本の<保守>というものに、うんざり・げんなりしているからだ(だからといって勿論、<反共産主義(・「自由」)>の考え方を捨てているわけではない)。
 とはいえ、あらためて記しておきたいことがあるので、前回からさらに続ける。
 既に、月刊正論編集部のマップについて「笑わせる」、と書いたことにかかわる。
 二 反共産主義こそ保守だ、という見地に立って保守(反共産主義)か否かを分ければ、<保守>はかなり広く理解されることになる。そのかぎりで、<保守には、いろいろ(諸種・諸派が)あってよい>、ということになる。
 かなり緩やかな理解なのかもしれないが、総じてこの程度に理解しておかないと、<保守・ナショナル>だけでは、例えば憲法改正もおぼつかない。また、<保守・ナショナル>だけが、産経新聞・月刊正論の好きな自民党・安倍内閣を支えているわけではない(同内閣をより支えているのは、産経新聞のではなく、より読売新聞の読者たちだろう)。
 だが、かりに<日本の国益と日本人の名誉>を守るか守らないか、これに利するか反するか、という基準によって<保守>か<左翼>かを分けた場合、産経新聞主流派と月刊正論編集部は、間違いなく<左翼>だ
 すでに、月刊正論編集部が<自虐>に対する<自尊>派だと産経新聞を位置づけていることについて「笑わせる」と書いた。
 産経新聞主流派(阿比留某も)や月刊正論編集部の基調は、戦後70年安倍談話を基本的に支持・擁護しているからだ。
 例えば阿比留瑠比は最近(ネットで見たが)、2016年安倍談話・日韓最終合意文書に対する「感情的な反発」が理解できない、とか書いている。そのような主張こそが、私には理解できない。
 子細に立ち入るのは面倒だから、この欄ではそのまま全文(と英訳文)を掲載しておくにとどめたが、上記安倍談話の例えば以下は、村山談話・菅直人談話と同じ趣旨で、1931年~1945年の日本国家の行動を<悪いことをした>と反省し、謝罪するものではないか ? そして、従来の内閣の見解を今後も揺るぎないものとして継承する、と明言しているのではないのか ?。
 渡部昇一や櫻井よしこもそうだが、産経新聞社には、ふつうに日本語文の意味を理解できる者はいないのか。
 ①第一次大戦後の人々は「国際連盟を創設し、不戦条約を生み出し」、「戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれ」た。/「当初は、日本も足並みを揃え」たが、……「その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試み」た。「こうして、日本は、世界の大勢を見失ってい」った。
 ②「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした『新しい国際秩序』への『挑戦者』となってい」った。「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行」った。
 ③「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはな」らない。
 ④「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」。「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」。/「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓」った。
 ⑤「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してき」た。…。/「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないもの」だ。
 いちいち立ち入らないが、④は、「事変、侵略、戦争」(・武力の威嚇や行使)、「植民地支配」は「もう二度と」しない、ということであり、つまりは、かつて、不当な「事変、侵略、戦争」や「植民地支配」をした、ということの自認ではないか。
 ⑤は、「先の大戦」の日本国家の行為について「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」することは、安倍晋三内閣の立場でもある、ということの明言ではないのか。
 「痛切な反省と心からのお詫び」とは、常識的に理解して<謝罪>を含むものではないのか。<悪いことをしました。強く反省して、詫びます>と安倍首相率いる安倍内閣は、日本社会党員の村山富市らと同様に明言したのだ。
 この言葉を、例えばいわゆるA級戦犯者や「英霊」は(かりに「霊魂」が存在するとすれば)、どういう気持ちで聞くと、阿比留某ら産経新聞社の幹部たちは想像するのか、ぜひ答えていただきたい。また、このようなかたちで国家・日本と国民・日本人の「歴史」観を公式に(内閣として)表明してよいのか、ぜひ答えていただきたい。これは、現在および将来の、日本国家・国民についての<歴史教育>や「国民精神」形成の内容にもかかわる、根本的な問題だ。
 レトリック的なものに救いを求めてはいけない。
 上記安倍談話は本体Aと飾りBから成るが、朝日新聞らはBの部分を批判して、Aの部分も真意か否か疑わしい、という書き方をした。
 産経新聞や月刊正論は、朝日新聞とは反対に、Bの部分を擁護し、かつAの部分を堂々と批判すべきだったのだ。 
上の二つの違いは、容易にわかるだろう。批判したからといって、朝日新聞と同じ主張をするわけではない。また、産経新聞がそうしたからといって、安倍内閣が倒れたとも思わない。
 安倍内閣をとにかく支持・擁護しなければならないという<政治的判断>を先行させたのが、産経新聞であり、月刊正論編集部だ。渡部昇一、櫻井よしこらも同じ。朝日新聞について「政治活動家団体・集団」と論難したことがあったが、かなりの程度、産経新聞もまた<政治活動家団体>だろう(当然に、読者数と売り上げを気にする「商業新聞」・「商業雑誌」でもある)。
 何が<自尊>派だ。「笑わせる」。そのような美しいものではない。
 短期的にも長期的にも、同安倍談話は、<日本の国益と日本人の名誉>を損ねた、と思われる。ついでにいえば、上の③のとくに女性への言及は、同年末の<日本軍の関与による慰安婦問題>について謝罪する、という趣旨の日韓合意の先取り的意味を持ったに違いない(そのように受け止められても仕方がない)ものだつた。
 これを批判できない産経新聞・月刊正論編集部がなぜ、上の限定的な意味での<保守>なのか。上に述べたかぎりでの論点では、明らかに、朝日新聞と同じく<左翼>だ。
 三 というわけで、月刊正論編集部によるマップの右上の記載は、全くの<欺瞞>だ。つまり<大ウソ>だ。
 マップの上に「保守の指標」として「反共」のほかに3つを書いているが、産経新聞・月刊正論編集部は、第三にいう「戦没者への慰霊」にならない安倍内閣談話を支持した。したがって、自らのいう「保守」ではない。
 また、第一の「伝統・歴史的連続性」とは何か。
 例えば、明治維新を支持・擁護する前提に立っているような<保守>論者が多く、櫻井よしこのごとくとくに「五箇条の御誓文」なるものの支持・擁護を明言する者もいるが、明治維新とは、「伝統・歴史的連続性」を保ったものと言えるのだろうか ? 江戸幕藩体制から見て<非連続>だからこそ「新しい」もので、教科書的には「五箇条の御誓文」はその新理念を宣明したものではなかったのだろうか ?  要するに、「歴史的連続性」とは何を意味させているつもりなのか。なお、日本の歴史は、明治維新から始まるのでは全くない。
 第二の「国家と共同体と家族」の意味も、詳細な説明がないと、厳密には不明瞭だ。
 例えば、渡部昇一や櫻井よしこにも尋ねたいものだが、「保守」だという産経新聞主流派や月刊正論編集部は、明治憲法期の、旧民法上の「家族」制度を復活させたいのだろうか。
 いやそのままではなく、基本的精神においてだというならば、「基本的精神」も不分明な言葉だが、簡単に「家族」と、編集部名で軽々しく記載しない方がよいと思われる。
 現憲法の婚姻関係条項をどのように改めるのか、さらに正確には、現民法の婚姻・家族条項(いわゆる「親族法」部分)をどのように改めるつもりなのかの草案またはイメージくらいは用意して、「家族」について語るべきだろう。このことは、たんに現憲法に「家族」という言葉がないこと等を批判しているだけだとも思われる、<保守>派にも、つまり渡部昇一や櫻井よしこらにもいえる。<精神論>・<観念論>だけでは役に立たない、ということを知るべきだ。
 四 無駄なことを書いてしまった、という気もする。だが、何かを表現しておかないと、生きている徴(しるし)にならない。

1426/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧③。

 一 月刊正論編集部のマップ(月刊正論3月号p.59)の基礎的問題点の一つは親米・反米に拘泥していることであり、これはアメリカを対象化・客観化して認識し議論することをきわめて困難にすることになる。
 すなわち、アメリカ自体が変容・変化する可能性があるが、<親米か反米か>という見方によれば、アメリカの変化によって親米の内容も反米の内容も変わってしまう、ということが看過される危険性がある。日本(人)の見方が、大きくアメリカの思想や政策に依存してしまうことになる。
 また、日本のほかに欧米も視野に入れた思考をできにくくする。例えば、アメリカの二大政党は私のいうB内部の対立なのか、BとCの対立に相当するのか(反共のブレジンスキーによれば前者のようだが、今の民主党は<容共>のようでもあり、私には判断しかねる)、既述のようにトランプ大統領はBからAに向かうのか、といった関心を封じることとなる。
 秋月瑛二の図表もイスラム・アフリカや共産主義諸国内部では不適切だろうが、それでも月刊正論編集部のそれよりは、広い視野を持つものだと思われる。
 二 西部邁・佐伯啓思らの表現者グループについて、その「保守」性を疑問視したり、<左翼との通底 ?>と書いたこともある。中島岳志を「飼って」いたり、佐伯啓思が橋下徹について<ロベスピエールの再来の危険>とか書いたこと等をきっかけとしてだった。
 しかしいちおう自己申告?に従って、「保守」だと見なすことにしよう。西部邁も含めて、その反米主張や「自由・民主主義」に対する疑問は日本の「左翼」に利用されかねないし、類似性もなくはないと思うが、<反共産主義>者たちだとは思われる。
 そうすると、菅原慎太郎らの月刊正論編集部は、他の保守との区別がつかなくなるではないかと、秋月瑛二の分類の仕方を非難するかもしれない。
 そのとおり、<保守・リベラル>=おおよそ読売新聞社系「保守」以外の保守は、私のいうA保守(反共)・ナショナルに含まれ、そのかぎりで、表現者グループと同じだ。
 想定しているのは、西尾幹二、中西輝政、櫻井よしこら。小林よしのりも。中川八洋については、かなり迷う。中川は<反共>意識旺盛だが、<親英米>の、私のいうBグループではないか、と。
 中西輝政も含めて、なお論評したいことは多いが、今回は避ける。
 櫻井よしこについては、渡部昇一に対するのと同様にこの欄で批判し続けてきているが、それは、こんなことを書いて<本当に保守派なのか>という疑問提示と叱咤激励のつもりだった(だが、昨年以降は、「観念保守」としてさらに距離を置いて批判する必要があると感じている)。
 ともあれ、A保守(反共)・ナショナルの内部にこそ、月刊正論編集部が注目している区別があるようであり、かつ、その区別を強調して過度に肥大化させる必要はない、と思っている。月刊正論編集部はいわば広い<身内>にのみ関心を寄せていて、視野が狭いようだ。
 すなわち、八木秀次に依頼したかにみえる論考タイトルは「保守とは何か-エセ、ニセの見分け方」で(但し、八木はこの「見分け方」を明示していない)、編集部のマップの中にも「保守・自称保守」と並べた言葉があるが、このような発想方法は、「真正保守」は何か、誰々か、を探ろうとするもので、ヒマな人々は勝手にすればよろしいが、ほとんど建設的・生産的な意味がない、と思われる。
(但し、「観念保守」という概念の設定はこれに反しているかもしれない。この概念の発見?は、なぜA保守ナショナルは多数派になっていないのか、その理由を考えたりしているうちに生じた。)
 「真正」か否かではなく、具体的に、あるいは個別テーマに即して、どのような主張・政策が<保守>派として最適なのか、を論じなければならない。2015年戦後70年安倍談話をいかに評価すべきかは基本的論点だが、他にも、憲法改正で急ぐべき条項はいずれか、原発問題は ?、皇位継承問題は ?、いっぱいある。
 もとより、一般的・抽象的な議論として<保守とは何か>を議論できるし、する必要があるのかもしれないが、国によって、また日本でも論者によって内容は様々で、「正しい」解答などは存在しないのではないか。
 「真正」・「自称」・「エセ・ニセ」といった形容句の玩弄はやめた方がよい。それはすぐさま、回避すべき<観念>的議論につながる可能性が高い。
 三 「保守とは何か」、これを論じるつもりはない、と前々回に書いた。しかし、私には、答えは簡単なのだった。
 反共産主義こそ、「保守」だ。そのかぎりで、<保守には、いろいろ(諸種・諸派が)あってよい>。

 なお、4分類、4象限化という思考・作業は当然に類型化・抽象化を伴っていて、「観念」化そのものだ、ともいえる。本来は相対的でありうる区別を絶対化して不要な分類作業をしてはいけないことは、自認・自戒している。

1424/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧①。

 一 「愚昧」とは挑発的だが、直接には、月刊正論3月号のp.58の、「保守」にかかわる論壇・政党のチャート(マップ)図表に異を唱えたい。
 また、<保守とは何か> も惹句であり、これを以下で正面から論じるつもりはない。
 月刊正論「編集部作成」という上記のマップは、一つは対アメリカ観に着目して「対米協調」と「対米不信」に分け、もう一つは「自尊」と「自虐」に分け、併せて四つの象限を描いている。
 月刊正論編集部の頭の中を覗きみる観がある。しかし、この二つの対立軸を合成して思想・論壇・政治家等を見るのでは、適切に現在の思想・政治状況を把握できないと思われる。
 まず、対アメリカの見方を重視すること自体、月刊正論編集部が「アメリカ」に拘泥していることを示している。例えばなぜ、「対中国」であってはダメなのか ?(対中国を基軸にせよとの趣旨ではない。)
 つぎに、「自尊」・「自虐」という基準は、適切な基準にはならず、正確には、これを基準とすべきではない、と思われる。
 同編集部によれば、産経新聞は第一象限の<対米協調・自尊>に属するらしい(朝日新聞は<対米不信・自虐>)。同編集部もまた、この立場をとりたいのだろう。
 とすると、「自尊」は疑いもなく肯定的評価が与えられ、「自虐」には疑いもなく消極的評価が与えられると<信じて>いるかに見える。しかし、そのように断定することはできない、と考える。
 長くなるので結論だけ書くが、「自尊」も程度による。いくつかの民族・文明を劣ったものと罵倒して、日本民族(日本人)の<優秀性、すばらしさ>だけを言い募ってはいけない。
 合理的・理性的なものならばよいが、実証性の欠く叙述・主張をして、自己満足をしてはいけない。<日本の歴史・伝統>を語ることは私も好きだが、できるだけ事実に即した冷静さも必要だ。
 産経新聞社の安本寿久らは、本当に日本書記の「神代」の記述、神武天皇の聖跡・東遷のルート上の言い伝えをほとんどそのまま「真実」だと思っているのだろうか。左はついでに。今年は皇紀2600+年だと「信じ」ないと<保守>派ではないのだろうか。左もついで。
 二 上のマップに興味をもったのは、秋月自身が、思想・思潮(とくに政治・論壇における)の4分類というものを思い描いており、この欄に提示して遺しておきたく考えていたからだ。
 それによると、共産主義に対する考え方、<自由と民主主義>に対する考え方の二つを基準として、現代日本の思想・思潮は以下のように分類できる。
<自由と民主主義>とは<欧州近代>思想と言ってもよく、liberal and democratic 又は Liberal Democracy を意味する。表向きは、日本国憲法の思想又は理念でもある。以下では、たんに「リベラル」と略記する。中島岳志のいう<保守リベラル>等と、以下の類似の言葉は同じではない。中島は<保守>界の紛れ込もうとした<容共・リベラル>だろう。
 説明・コメントは、のちにも行う。
 A/保守・ナショナル (産経新聞 →B ?)
 B/保守・リベラル  読売新聞
 C/容共・リベラル  朝日新聞・毎日新聞
 D/共産主義     「赤旗」
 ・人文・社会系の学界・大学の教授たちは、ほとんどがCかDに属する。憲法学界は、95パーセント程度か。
 ・自民党はAからBに広く及ぶが、Bの方が多そうだ。かつて(今も ?)、Cに属する議員もいた可能性がある。
 ・<保守>イコール<反共産主義>だと、秋月は考えてきた。D/共産主義の重視しすぎだとの感想を与えるかもしれないが、きちんと残しておくべきだ。このD/共産主義が(日本には)まだあるがゆえにこそ、Cも存在しうる。
 ・産経新聞は、もともとは<保守・ナショナル(愛国・反反日)>の新聞だったようだ。しかし、安倍戦後70年談話を支持して以降は、先の<戦争>の理解については、読売新聞と基本的には同じになっていると見える。昭和の戦争にかかわる<歴史認識>では産経も読売も変わらなくなったのではないか。上のマップでは産経新聞は<自尊>派とされているが、何が<自尊>だ。笑わせる。また、<対米協調>とは、<歴史認識>では<対米屈服>・<対米追従>なのではないか。笑わせる。
 ・欧米と日本を比べると、AとDを殊更に挙げておく必要があるのが日本で、欧米の圧倒的大勢は「近代市民革命」の肯定と<自由と民主主義>支持で覆われているようだ。民族問題はその基本的理念・理想のもとでの対立だと考えられているように見える。具体的には、日本におけるような<靖国問題>も、大きな対立がある<改憲問題>も、欧米には存在しないように見える。アメリカ・トランプ大統領はBからAへの離脱までしようとしているかは、まだはっきりしない。かりにそうだとすれば、欧米的<自由と民主主義>理念の放棄まで目指しているとすれば、根本的に新しい時代に入っている、と思われる(但し、これまでの<リベラル・保守>の範囲内のものである可能性も高い)。
 ・A/ナショナル保守も、さらに分岐する。親米か反米かという基準は、あまり役に立たないと考えるべきだ。むしろ、「観念保守/ナショナル」と「合理的保守/ナショナル」を重要なものと考えるべきだ、と最近は思っている。また、反共産主義という場合の「反共」の程度で、この内部を分けることができると思われる。
 ・月刊正論上記号の櫻井よしこ論考は、「観念保守/ナショナル」丸出し。櫻井よしこが保守論壇の(オピニオン・)リーダーだとされることがあるのは、恥ずかしく、情けない。かつまた、恐ろしい。
 月刊正論編集部もまた、俺たちこそが<真正保守>派だとの思いは(あるとすれば)、捨て去るがよいだろう。「真正保守」の認定権がこの編集部にあるわけがない。
 さらに続ける。

1420/<観念保守>という日本の害悪-例えば天皇譲位問題。

 仲正昌樹が、精神論保守と制度論保守を区別して、後者ならば支持できる、又は属してもよいような気がしてきた、と何かで書いていた(この欄で触れたかは失念)。
 経緯はばっさりと省略するが、この対比を参考にしつつも、<観念保守>と<理性(合理)保守>の区別という語法の方が適切だと思ってきている。
 天皇譲位問題についての主張を、新聞報道または週刊誌を含む雑誌の記事による紹介、さらにはそれらを読んだ記憶に頼ってのみ以下書くのだが、日本の<観念保守>のまさしく観念論ぶり、いい加減さ、そして欠陥は、渡部昇一、平川祐弘、八木秀次、櫻井よしこらの同問題についての(識者懇談会のヒアリング時での)主張ぶりに現れていそうだ。
 平川祐弘が本当に「保守」派なのかは、もともと怪しく思っていて、数十年前にいた竹山道雄・安倍能成らの(反共・自由主義の)「オールド・リベラリスト」程度ではないかと思っている。だから、ここでの本来の対象にはしたくない。
 安倍70年談話支持の平川の論考はひどいものだったし、その後目にする平川の雑誌論考も、半分ほども他人の文章の引用だったりして、相当に見苦しい。
 そのような平川に執筆を依頼する保守系雑誌の(編集部の)レベルの低さ、あるいは「保守的」な文章作成者の枯渇ぶりを感じざるをえない。
 子細は省略したが、櫻井よしこは<保守派の八方美人>だとこの欄で記したことがある。この人はこちこちの<観念保守>ではなく、天皇譲位問題についても<拙速はいけない。よく考えるべき>とだけ当初は書いていたが、上記ヒアリング時点では、譲位制度化反対へと考えを決したようだ。<保守>系論壇人の状況について<日和見>していたのかもしれない。
 この項はすべて記憶に頼る。月刊正論(産経)の編集長・菅原某は当該雑誌の秋頃の末尾に、譲位制度創設反対か<議論を尽くせ>のいずれかが<保守>派の採るべき立場であるかのごとき文章を載せていて、これが産経新聞の主流派の見解だろうかと想像したことがある。
 百地章は当初は<摂政制度利用>論=譲位制度創設反対論だったように見えたが、ヒアリング時点では、皇室典範(法律。なお、憲法2条参照)を介しての特別法(法律)による(おそらく一代限りの)譲位容認論に変わったようだ。
 譲位制度導入反対論-これはほとんど摂政制度利用論といえる-に反対する立場に百地章が転じた背景は興味深い。その背景・理由はよくは分からないが、譲位制度導入反対論がいう摂政制度利用論は現憲法と現皇室典範を前提にするかぎりは採用できない(法的に不可能)と秋月は考えているので、上の基本的立場については、私も百地と同様だ。
 さて、いくつか考えることがある。
 第一は、渡部昇一や平川祐弘が前提的に主張したらしい、天皇とは「祈る」のが本来の仕事という理解の仕方は、典型的に「観念保守」に陥っていることを示している。
 つまり、「天皇」についてのそれぞれが造成している「観念」を優先させている。さらに正確にいえば、現実の(現日本国憲法下での)天皇が「祈る」ことまたは「祭祀」を行うだけの存在ではないことは、現憲法が定める「国事行為」の列挙だけを見ても瞭然としている。にもかかわらず、この人たちは、現憲法の天皇関係条項を全く知らずして、又は知っていても無視して、自らの主張を組み立てている。
 同問題懇談会のメンバーは、代表的にのみ言えば、この二人が開陳した意見を、すべてまったく無視してかまわない。
 ついでに言うと、西尾幹二は「観念保守」ではないと思うし、小林よしのりが少なくとも少し前までの月刊サピオ(小学館)で揶揄し批判していたこの問題の一連の主張者(渡部昇一、八木秀次ら)の中に含まれていない。
 だが、西尾幹二ですら天皇(または皇室)は京都に戻るべきと何かに書いていた(二度ほどは読んだ)。だが、首相任命・閣僚任命や衆議院解散等にかかる現憲法上の天皇の重要な権能を考えると、京都市在住では実際上国政に支障をきたすおそれが高い。余計なことを書いてはいるが、憲法を改正して現在の天皇の「国事行為」をほとんど除外しないと、京都遷御ということにはならないだろうと思われる。
 第二に、「観念保守」論者が「保守」したい天皇制度とはいったい奈辺にあるのだろうか。
 櫻井よしこは、明治の賢人たちが皇室典範制定に際して生前退位を想定しなかった、その「賢人」の意向を尊重すべきとか、今はよくても100年後にどうなるかわからない(制度変更の責任を持てるのか、という脅かし ?)とか主張しているらしい。
 櫻井よしこは、明治憲法下の天皇制度が最良だと考えているのだろうか、そしてそうであればその根拠は何なのだろうか。
 これは一般的に、<保守>派のいう保守すべき日本の「歴史・伝統」とは何か、という基本問題にかかわる。
 ついでに書けば、大日本帝国憲法にいったん戻れという議論は法的にも事実上も不可能なことを可能であると「観念」上は見なしているもので、議論を混乱させる、きわめて有害なものだ(産経新聞社・月刊正論は、この議論に一部は同調的であるらしい-その理由はバカバカしくも渡部昇一の存在 ?)
 秋月瑛二は、明治期の日本が維持されるべき(復元されるべき)日本であるとはまったく考えない。八木秀次もそのようだが、明治期の議論を持ち出して、譲位容認にはあれこれの弊害・危険性があるというのは、明治の賢人 ?たちを美化しすぎている。
 伊藤博文らには、何らかの「政治的」意図もあった、と考えるのが、合理的かつ常識的なのではないか、と思われる。
 今はよくても100年後にどうなるかわからない、という櫻井よしこの主張(らしいもの)についていうと、旧皇室典範以降100年以上経って、限界が明らかになっているとも言える。つまり、100年後にどうなるかわからない、という時期が皇室典範の歴史上、今日になっている、とも言える。また、譲位制度を作っても、問題があれば、100年後にまた改正すればよいだけの話だ。<今はよくても100年後にどうなるかわからない。改正してよいのか>という議論の立て方は、全く成り立たないものだ。
 したがって、櫻井よしこの脅かし ?-これはいわゆる「要件」設定の困難さを想起させてしまう可能性があるが-に専門家懇談会のメンバーは、そして政府も国会も、屈する必要は全くない。
 問題は要するに、現皇室典範が明記する摂政設置の要件充足にまではいたらないが(したがって「摂政」設置で対応することはできないが)、高齢化により国事行為やその他の公的行為(祭祀の問題はかりにさておくとしても)を適切にはかつ完璧には行えなくなったと見受けられる(文章の1、2行の読み飛ばし、儀式日程の一部の失念などは、高齢の天皇には生じうることだろうと拝察される)場合、かつ譲位の意向を内心にでも持たれた場合に、日本国家と国民は、どう対応すればよいかにある。
 詳細は知らないが、天皇の高齢化問題ととらえているようである、所功の主張は、立論において秋月に似ているかもしれない。
 天皇についての特定の(適切だとは論証されていない)「観念」を前提にした議論をするのではなく、最小限度、現憲法の規定の仕方を考慮した「制度」論を行うべきであるのは、「天皇」もまた制度である以上、当然なのではないか。
 また、明治日本はあくまでの日本の歴史の一時期にすぎない。明治期を理想・模範として描いているとすれば、「観念」主義の悪弊に陥っている。
 現憲法を視野に入れるのは論者として当然の責務だが、それを度外視しても、長い日本の歴史と「天皇」の歴史を視野に入れる必要がある(書く余裕はないが、天皇・皇室をめぐって種々の歴史があった。今から考えて、有能な天皇も無能らしき天皇もいた。暗殺された天皇もいた-崇峻天皇。孝明天皇は ?-。祭祀が、あるいは式年遷宮がきちんと行えない時代もあった。「祭祀」が皇太子妃とまったく無関係に行われていた時期がたくさんあった。そうした問題をすべて解決したのが実質的には今に続く明治期の皇室典範だったとは全く思われない。なお、戦後、現憲法のもとで法律化)。 ゛
 以下、追記する。渡部昇一は、今上天皇に「助言」して思いとどまらせるべきだとか述べたらしい。この人物らしい傲慢さだ。
 平川祐弘は、現天皇(又は昭和天皇も含めて戦後の天皇)が勝手に「象徴天皇」の行動範囲を拡大しておいて辛さを嘆くのはおかしい旨述べたらしい。
 「象徴天皇」の範囲を-とくにいわゆる「公的行為」について-国民やメディアが広げた可能性はある。しかし、「祈る」行為だけにその任務・権能を限らず、「内閣の助言と承認」のもとにではあれ重要な国政・政治上の権能を多く付与したのは、現憲法だ。平川の議論は、現憲法批判もしていないと一貫していないだろう。
 思い出したが、自民党改憲案その他の<保守的> 改憲案は天皇を「元首」と定めることとしている。この「元首」化論と、天皇は「祭祀」が主な仕事だという議論は、ともに成り立つものとは思われない。
 ともあれ、渡部昇一も平川祐弘も、じっと現憲法の天皇条項を読んで確認してから、自らの考えを述べたまえ。勝手な「観念」の先立つ議論は有害だ。
 櫻井よしこについてはなおも、書きたいことがある。八木秀次には、もはやあまり興味がない。
 「真の」保守派の天皇・皇室論があるわけでは全くない、と思われる。月刊正論の編集部・菅原某あたりは、勘違いしない方がよい。
 ヒアリング対象者の発言はそのまま詳細に官邸ホームページ上で読めるらしいので、別途に論じるかもしれない。
 以上は、手元に何も置かず、記憶にのみ頼って書いた。したがって、前提認識に誤りがある可能性はある。

1304/西修・…よくわかる!憲法9条を読む-4。

 西修・いちばんよくわかる!憲法9条(海竜社、2015)を読んでの感想は、最後に、改憲派あるいは憲法九条改正を主張する論者においても、その改正の具体的内容についてはおそらくは基本的な点についてすら一致が必ずしもない、ということだ。これは西修の責任ではない。但し、読売新聞社案、産経新聞社案の作成に関与し、「美しい日本の憲法をつくる会」の代表発起人の一人であることから、もう少し何とかならなかったのか、という気もする。
 最大の論点は、現九条1項を基本的にそのまま残し、2項のみを削除・改正ないし追加するかだ。西修自身は、全体をかなり分解した改正案を考えているが(上掲p.115-)、現1項の趣旨をより明確化した文章に変えたうえで現2項を全面的に改めるもので、基本的趣旨・構造自体は現1項存置型に近いもののように解される。西修案は、同・憲法改正の論点(文春新書、2013)p.186でも示されている。
 明確に1項存置型の読売新聞社案と産経新聞社案とは基本的に同じだという西修の説明もあるが、産経新聞社案「起草委員会委員長」だった田久保忠衛は「第一項も含めて全面的に改める」こととしたと明記していることはすでに何度か記した(田久保忠衛・憲法改正/最後のチャンスを逃すな!p.172-5(並木書房、2014))。また一方では、既述のとおり、田久保忠衛は「美しい日本の憲法をつくる会」の共同代表の一人だが、同会による「改正案骨子」は現九条について「9条1項の平和主義を堅持するとともに、9条2項を改正して、自衛隊の軍隊としての位置づけを明確にします」と述べて、現1項は存置する考え方であるような主張をしている。
 櫻井よしこ=民間憲法臨調・日本人のための憲法改正Q&A(産経新聞出版、2015)はこの点についてどう書いているだろうか(なお、西修は民間憲法臨調の「副代表・運営委員長」のようだ)。
 まず、「例えば、第9条2項だけを改正し、1項は残す」としているのが目につき(上掲、p.36)、「例えば」とあるところからすると、この考え方も一案にすぎないものと理解されているように読めなくはない。
 しかし、改憲諸案で現1項の<侵略戦争>放棄の趣旨部分を提案するものはないと書き、1項を存置しても「平和主義の原則」は変わらない旨も記している(p.35)。
 また、<第9条を改正すると、「平和主義の理想」を捨てることになりませんか?>という質問を設定しつつ、「第9条2項を改正して軍隊を持っても、第9条1項に掲げられた『平和主義の理想』を捨てることにはなりません」という回答を述べ、その説明をしている(p.54-55)。
 こうしてみると、この本の考え方は、現九条1項は基本的に残したうえで2項を改正又は削除して「軍隊」保持を明記する、というもののようだ。
 とすると、田久保委員長ら「起草」の産経新聞社案はやはり最も異質な改正案の文言になっている。 
 奥村文男は産経新聞5/17の「憲法講座」94回で自民党案と産経新聞社案を比較して、「両者の基本的視点は共通ですが、自民党草案は、現9条1項を踏襲した上で、自衛権の発動を認めるとする点で、回りくどい表現が気になります。この点では、産経案の方がより簡明です」と述べて、産経新聞社案が最良であるかのごときコメントをしている。しかし、各改正案を見てみれば、このような評価は、「簡明」さの問題はさておき、決して多数に支持されているわけではないと思われる。
 このように諸改正案を見てみると、西修案にも見られる「簡明」さは魅力的ではあるが、結局のところ、現に政党の中で唯一九条改正案を提示し、今後も改憲運動の中心になるだろう自民党の案を基本として九条改正を議論する、あるいはそれに向けて運動するのが妥当だろうと考えられる。
 政権政党でもある自民党の案は、たんなる「私」企業である新聞社の案や学者等の「私案」とは異なるレベルのものと理解されるべきで、同列に並べて比較するのはもともと適切ではない。
 細かな文言等々について種々の議論が-おそらくは「美しい日本の憲法をつくる会」の役員の内部でも-あるのだろうが、私的団体間や個人間の議論ではなく、九条に関する自民党改正草案を支持するか、あるいはどのようにそれをよりましに修正するか、という議論をした方が生産的だと思われる。また、かりに九条にかかる自民党改正草案が支持されてよいのだとすれば、それを採用して各団体や論者の主張・意見としてもよいのではないか、と考えられる。
 九条の改正の具体的内容について些細なあるいは細かな、字句をめぐるような、不毛な・非生産的な議論は避けるべきだろう。 

1292/西修・…よくわかる!憲法9条を読む-2。

 西修・いちばんよくわかる憲法9条(海竜社、2015)にかかわってコメントしたい第二は、保守派または改憲派、あるいは正確には現九条改正論者において、現在「公」的に通用している(例えば、自衛隊を法的に支えている)、政府の九条解釈の理解は一致しているのか、という疑問がある、ということだ。
 西修の理解については、すでに触れた。もう少し言及すれば、政府解釈は①「憲法は戦争を放棄した」とするものであり(上掲p.15)、「自衛戦争」も「認めていない」(p.17)、また、②憲法は自衛目的の「戦力」=「自衛戦力」も認めていない、とするものだ(p.19)。そして、③自衛隊は、禁止されている「戦力」ではない「必要最小限度の実力」として合憲である(p.16、p.21)。
 政府解釈を、このように私も理解してきた。①については、A/すでに1項からか、B/2項からかという解釈の分かれがあるが、とりあえず省略する。
 産経新聞の5/03と5/10に「中高生のための国民の憲法講座」として、奥村文男が憲法九条について解説している(なお、失礼ながらこの人の名は見聞きしたことがなかった)。
 この解説の最大の問題は、自説、つまり自らの解釈を述べることに重点を置いており、政府の解釈はいかなるものかについての丁寧な説明がないことだ。これでは、なぜ現九条を改正しなければならないのかが殆ど分からないままだと思われる。
 奥村は自らの解釈としては西修と同じ解釈を主張している。つまり、1項は「国際紛争を解決する手段として」の戦争(侵略戦争)のみを禁止(放棄)しており自衛戦争等は認めている、そのような(2項にいう)「前項の目的」のために、「自衛戦争」(や制裁戦争)・自衛目的の「戦力」保持は許容される、と解釈する。
 かかる解釈を主張するのはむろん自由だが、すでに述べたように、この解釈に立てば、現九条、とくにその2項を改正しなくとも、自衛隊を自衛「軍」と性格変更する法律制定、換言すると<自衛軍>あるいは<国防軍>設置法(法律)を制定することによって「陸海空軍その他の戦力」を保持することができ、「自衛戦争」も行なうことができる。
 なぜ現九条、とくにその2項を改正しなければならないかの理由が、かかる解釈の披瀝だけでは全くかほとんど分からない。
 また、政府解釈に言及する部分もあるが、奥村文男の理解は正確ではないと見られる。
 2項の「戦力」の意味についての、「戦力の保持は認められないが、自衛のための必要最小限度の実力の保持は認められるとする」のが「何度か変更」はあったが「政府解釈」だ(丙2説)と説明する部分は(5/03)、誤っていないだろう。
 しかし、2項の「前項の目的」についての、「国際紛争を解決する手段として」の戦争等を放棄するものだと限定的に解し、「自衛戦争や制裁戦争は禁止していないとする」のが「現在の政府見解」だとする説明は(5/03)、政府解釈の理解としては、誤っている。
 このように解釈すると、<自衛戦力>は保持できないにもかかわらず<自衛戦争>は認められている(!!)、というじつに奇妙な結果になってしまう。奥村は、そして読者はお判りだろうか。
 したがってまた、奥村が示す甲説から丙2説までの解釈の分かれの分類とそれらの説明も、適切なものではない、と考えられる。
 奥村文男の個人的な見解が自らの著書等に書かれているのならばまだよい。しかし、代表的な?<保守派>・改憲派の新聞に、このような現九条に関する説明が掲載されているのは由々しきことだと感じる。九条の解釈問題は複雑だ、ややこしいという印象が生じるだけならばまだよい。誤った理解・情報が提供されるのは問題だろう。
 田久保忠衛の書物にも櫻井よしこら編の書物にもアヤしい部分があることは、すでに触れた。
 こんなことで大丈夫なのだろうか。自民党の改正草案をまとめた人たちはさすがに政府解釈をきちんと押さえていると思われるので、憲法改正、九条改正運動のためには、田村重信らの自民党関係者または防衛省関係者の解説書を読む方が安心できるようだ。

1286/西修・いちばんよくわかる憲法9条(2015)を読む。

 西修・いちばんよくわかる憲法9条(海竜社、2015)を、当面関心をもつ部分のみに限って読む。
 最近読んだ憲法改正ものの本の中で、田村重信著につづいて非常によく分かる。さすがに憲法学者の書物だ。いかに志は高く、同じであっても(?)、非専門家の叙述には、奇妙だと感じたり、趣旨が分からないものもあった。
 きちんとフォローしておこうと思っていた政府解釈の内容(・変遷)も、残念ながら原文どおりではないかもしれないが(p.15-17)、基本的なところは紹介されているので、役に立つ。
 西修が紹介している政府解釈のポイント(p.17-23)も、私も同様の理解であるので、目くじらを立てる(?)ところはない。
 というわけで上だけの言及で十分とも言えるのだが、いくつかの感想・コメントを記しておく。
 第一。西は憲法九条(とくに二項)についての自らの解釈を(も)示している。それは、いわゆる芦田修正を文理どおりに生かし、九条二項により保持が禁止されているのは「侵略戦争を目的とする」戦力であり、認められないのは「自衛権」の範囲を超える「交戦権」だ、というものだ(p.40)。
 むろんこのような解釈は成り立つし、また文理に即していえば最も素直な解釈だ。ゼロ・ベースで考えると、私もこう解釈したい。さらに、芦田が挿入した意図もこのような解釈を可能にすることだったかとも思われる。
 しかし、西修もよく理解しているように、かかる解釈を一貫して日本政府は採用してこなかった、ということが重要だ。西説もいわば私的な、成立しうる解釈の一つにすぎず、自衛隊の現在までの存立を法的に支えているのは政府解釈という「公的」解釈だ(そしてこれを最高裁も少なくとも否定したことはない)、ということが重要だ。
 この区別が明確に意識されているとは思われない叙述も、改憲派の文献の中に見られる。
 櫻井よしこ=民間憲法臨調・日本人のための憲法改正Q&A(産経新聞出版、2015)p.39以下はいわゆる芦田修正の文言の意味を解説しているが、この部分の執筆者の憲法解釈を示しているのか、それとも(現実には通用している)政府解釈の説明をしているのかが明確ではない。そして、「自衛のためであれば、軍隊や戦力を保持できることを明確にすべく」「前項の目的を達成するため」との文言を入れた、と書いており、これは上の西修の解釈と同じだ。
 しかし、このように政府は解釈していないことが重要なのであり、その旨をきちんと記しておくべきだろう。
 上の櫻井ら著が記すように、この著が示す解釈が採用されているならば、つまり「文意にそって解釈していけば」、「自衛のための組織である自衛隊は、憲法に何ら違反していない」ことになる。
 さらに重要なのは、そうだととすれば、九条2項はあえて<改正>する必要がないことになる、ということだろう。
 もちろん種々の疑義を晴らしておくための条文改正もありうるところだが、芦田修正文言が文字通りに解釈され、政府・国会議員・国民等々の間に疑問が生じていなければ、自衛隊は名実ともに憲法適合的な存在であったはずなのであり、その点については憲法改正は不要であるのだ。
 この辺りを上の櫻井ら著は理解しているのかはっきりしない。例えば、この著は「…自衛隊は、憲法に何ら違反しない」に続けて、「また、政府見解も『自衛力』としての自衛隊を合憲としています」と書いているが、この続け方は意味不明だ。自衛隊が自衛力の行使のための(必要最小限度の)実力組織であって合憲であるということと、九条2項にいう「軍隊その他の戦力」であって合憲(上述の文理解釈)であるというこことはまったく意味が異なる。
 西修は理解していると思うが、西修解釈そして櫻井ら著の解釈(p.40)を強調すると、じつは九条2項の改正という、改憲派が最重要視しているかもしれない課題の達成は不要になってしまう、という逆説的状態が生じる、ということにも留意が必要だ。
 さらにいえば、西修解釈・櫻井ら著の解釈が占領期、遅くとも1950年段階で採用されていれば、「自衛隊」ではなく「国軍」・「国防軍」等の名称の正規の?軍隊を(現九条2項のもとで)設置することも憲法上可能であったわけだ。だが、現実の歴史はそうは動かなかった。
 なお、コメントの最後にまで至っていない、田久保忠衛・憲法改正/最後のチャンスを逃すな!(並木書房、2014)のp.112は「芦田解釈」で「何ら不都合はなかったはずだ」、しかし「芦田修正案は政府の見解ではない」と、上の櫻井ら著よりも正しく明確に記述している。但し、「芦田解釈」を「政府解釈にしていれば、日本は自衛隊を改め、…軍隊を持って」よかった、と語っている(p.112)。揚げ足取りのようだが、上記のとおり、「自衛隊を改め、…軍隊」に、という必要はなく、当初からあるいは主権回復時から(自衛隊という中間項?を経ることなくただちに)「軍隊を持って」よかったことになる、と解される。
 第二点以降は、さらに続ける。

1283/「保守原理主義」者の暗愚2-兵頭二十八・日本国憲法「廃棄」論。

 兵頭二十八が日本国憲法<無効>論者であることは早くから知っていたが、おそらく一回だけこの欄で触れただけで、無視してきた。その間も、月刊正論(産経)は冒頭の連載コラム(?)の執筆者として、けっこう長い間、兵頭を重用してきたはずだ。
 兵頭二十八・「日本国憲法」廃棄論(草思社文庫、2014)はそのタイトルとおりの主張をする書物だが、同時に憲法「改正」に反対する旨をも明確に語っている。
 ・「偽憲法〔日本国憲法〕を『改正』などしてはなりません。改正は、国民史にとって、とりかえしのつかない、自殺的な誤りです。偽憲法は、まず廃棄するのでなければなりません」。
 ・「改憲」〔=憲法改正〕は、1946年に日本人が天皇を守れなかった「歴史を意思的に固定する行為」で、それをすれば、かつての「全面敗北」の再現という「どす黒い期待」を外国人に抱かせてしまう。(以上p.11-13)
 ・「『改憲』〔=憲法改正〕しようと動きまわっている国会議員たちのお仲間は、じぶんたちが国家叛逆者であるという自覚がない」。
 ・主権在民原理に反する憲法・詔勅等の禁止を宣言する前文をもつ「偽憲法など、もう捨てるほかにない」。「改憲」によりそんな宣言を「有効にしようと謀るのは、ストレートに国家叛逆」だ。
 ・「…偽憲法に対するわたしたちの態度は、破棄であり、廃用であり、消去でなくてはなりません」。(以上、p.46-47)。
 ・有権者国民の「国防の義務」を定めない日本国憲法は「西洋近代憲法の共通合意」を否定するもので、「そもそも、最初から『違憲』なんです」。
 ・そんな「偽憲法の規定などを墨守して『改憲』を目指そうとしている一派は、囚人がじぶんの引っ越し先の新牢舎を建設しているだけだという己が姿に、じぶんの頭では気がつけないのでしょう」。(以上、p.276)
 このように憲法改正論者・同運動を強烈に?批判しているから、日本共産党や朝日新聞等々の憲法改正(とくに九条2項削除等)を阻止しようとしている「左翼」たちは、小躍りして?喜ぶに違いない。
 また、憲法<改正>によって「美しい日本の憲法」あるいは「自主憲法」を作ろうとしている「一派」?である櫻井よしこ・田久保忠衛・中西輝政・百地章等々や平沼赳夫等は、「改憲」を目指す政党である自民党の安倍晋三等々とともに、「国家叛逆者」であり、「じぶんの引っ越し先の新牢舎を建設している」「囚人」だと、罵倒されることになる。
 では、「改正」ではなく「廃棄」あるいは「破棄・廃用・消去」(以下、「廃棄」とする)を主張する兵頭は、「廃棄」ということの法的意味・法的効果をどのように理解しているのだろうか、また、どのようにして(誰がどのような手続をとって)「廃棄」すべき(又は「廃棄」できる)と考えているのだろうか。
 この問題についての兵頭の論及は、はなはだ少ない。上の書物の大部分は日本国憲法の制定過程の叙述だからだ。そして、「廃棄」ということの厳密な法的意味について明確に説明する部分はないと見られる。しかし、「廃棄」の方法または手続については、おそらく唯一、つぎのように述べている。
 「『そもそも不成立』であったことの国会決議が望ましい」。(p.47。なお、p.273でも「国会」での「不成立確認決議」なるものを語っている)。
 不成立であるがゆえに効力がない(無効である)ということと、成立はしているが瑕疵・欠陥があるために成立時から効力がない(無効である)ということは、厳密には同じではない。しかし、この点はともあれ、おそらく「廃棄」を<不存在>の確認または<無効>の確認(または宣言)と理解しているのだろう。
 しかし、驚くべきであるのは、その確認または(確認の)決議の主体を「国会」と、平然と記していることだ。
 この議論が成り立たないことは、日本国憲法「無効」確認・決議を国会がすべし(できる)とする日本国憲法「無効」論に対する批判として、すでに何度か、この欄で述べてきた。倉山満ですら?、この議論は採用できないとしている。
 繰り返せば、兵頭が戻れとする大日本帝国憲法のもとでは「国会」なるものはない。帝国議会は衆議院と貴族院によって構成されたのであり、「参議院」を両院の一つとする「国会」などはなかった。また、帝国議会議員と「主権在民」下での有権者一般の選挙によって選出される日本国憲法下の国会議員とでは、選出方法・手続自体も異なっている。
 兵頭が「帝国議会」ではなく「国会」という場合のそれが日本国憲法下のものであるとすれば、論理矛盾・自己撞着に陥っていることは明らかだろう。
 兵頭が毛嫌いしている「主権在民」原理のもとで成立している参議院を含む日本国憲法下の「国会」が、なぜ日本国憲法、兵頭のいう「偽憲法」を「廃棄」できるのか? 論理的にはひょっとすれば、「廃棄」と同時に自ら(国会)も消滅するということになるのかもしれないが、自らの親である憲法を子どもが否定することは、自らを否定することに他ならず、そのようなことはそもそもできない(絶対的に不能である)とするのが、素直でかつ論理的な考え方だろう。
 それにまた、「…が望ましい」とはいったいいかなるニュアンスを含ませているのだろうか。他にも、望ましくはないけれども「廃棄」できる方法または主体はあるとでも考えているのだろうか。
 このような、容易に疑問視できる兵頭の思考の欠陥(暗愚さ)は、つぎのような叙述において、さらに際立っている。
 ・「最高裁判所」は長沼ナイキ訴訟において「憲法九条の二項(の少なくとも後半部分)は無効である」と判断すべきだった。
 ・「日本国政府」の側から、「長沼ナイキ訴訟」のような裁判を起こし、「最高裁判所に」、「九条二項の文言は、…国際法、および自然法の条理に反し、制定時に遡って無効である」との「判断」を求めるべきだ。(以上、p.293)
 兵頭は上の部分の直前に、国家の自衛権という自然権を禁じる憲法は「最初から『違憲』に決まっている」と書いている。この点について立ち寄れば、集団的自衛権も含めて現憲法は禁止しておらず行使もすることも可能という憲法解釈が現内閣によって採られたことは周知のことで、その意味で現憲法は「自然権を禁じる」という理解は正確ではないだろう。
 が、しかし、重要なのは、日本国憲法は不成立とか当初から「無効」だとか兵頭は言っておきながら、平然と?、日本国憲法下のもとでその定めに従って成立している「日本国政府」とか「最高裁判所」の行動・役割を語っていることだ。唖然とするほかはない。
 兵頭は、日本国憲法は「無効」で「廃棄」すべしとしつつ大日本国憲法の復活とその改正を主張している(p.273-4)。一方で「日本国政府」や「最高裁判所」を語る部分は、日本国憲法の成立とその有効性を前提としていると理解する他はない。明治憲法下では「最高裁判所」なる司法機関はない(「大審院」があった。またその権能は現憲法下の最高裁判所と同じではない)。この概念矛盾又は論理矛盾に気づいていないとすれば、相当に暗愚であって、<保守原理主義>という<主義>を私が語るのも恥ずかしいレベルにあると思われる。
 さらに言えば、長沼ナイキ訴訟やその「ような裁判」について語る部分は、現憲法下の現在の訴訟制度を前提にするかぎり、まったく成立しえない、<空虚な>議論だと思われる。
 第一に、現在の最高裁判所は法律等の違憲審査権をいちおうは持つが、現憲法・その条項の一部が(国連憲章等に違反して?)「無効」だとの判断を示す権限を持たない。憲法は「最高法規」とされている。
 第二に、政府が最高裁判所に現憲法・その条項の一部の「無効」判断を求める訴訟などそもそもありえない。
 高校生に説くようなことだが、森林伐採を認める具体的行為を争う中で目的としてのナイキ基地建設が憲法九条に違反すると長沼ナイキ訴訟の原告たちは主張し、第一審判決はその憲法問題に立ち入ったのだった。憲法九条自体が何らかの上位法に違反して「無効」であると被告・国側は主張したのではなかった。従って、同様の裁判を「今度は政府側から起こす」などという発想自体が幼稚なもので、誤っている。
 ついでにいえば、具体的事件を離れて、政府が法律や個別的行為の合憲性又は違憲性の確認を最高裁判所に求めることのできる訴訟制度などは現行法制上存在していない。ましてや、現憲法・その条項の一部の「無効」の確認を求める訴訟制度が存在しているはずがない。そもそもが、「政府」自体が現憲法の有効性を前提にして成立していることはすでに述べた。
 このように、日本国憲法制定過程に関する叙述には興味深いものがあるとしても、現実の問題解決方法に関する兵頭の上記書物の考え方はまったく採用できないものだ。このような議論を「左翼」憲法学者が読めば、一読して大笑いしてしまうに違いない。それもやむをえないほどに、その論理・主張内容は幼稚で問題が多い(最近に言及した渡部昇一のそれも同様だ)。
 Japanism21号(青林堂、2014.10)の中の「左翼アカデミズムを研究する会」名義の文章の中に、以下のようなものがある。
 ・「大学における左派インテリの学術的業績の高さは、保守系知識人が束になってもかなわないレベルにあるといっても過言ではない」(p.119)。
 同様の感想を、残念ながら憲法に関する議論について持たざるをえないところがある。<保守派>論者・知識人は、「左翼」学者たちと同等以上にわたりあえる主張と議論をしなければならない。隙だらけの粗っぽい議論をしていれば、(身内が読むだけならばそれでよいかもしれないが)「左翼」が大嗤いして喜ぶだけだ。
 やや唐突だが、百地章、西修、八木秀次らの<保守>派憲法学者は(八木は憲法学者を廃業したのだろうか?)は、兵頭二十八、渡部昇一、あるいは倉山満らの日本国憲法<廃棄>論が理論的・概念的にも現実的にも成立し難いことを、月刊正論(産経)等においてきっぱりとかつ明確に述べておくべきだ。渡部昇一らに対する「自由」がないとすれば、もはや学問従事者ではありえないだろう。

1275/田久保忠衛・憲法改正最後のチャンス(並木)を読む-3。

 田久保忠衛・憲法改正、最後のチャンスを逃すな!(並木書房、2014.10)は、筆者の、「体系的」憲法論ではなく、「体感的な」憲法論だとされているので(p.252)、国際政治が専門らしい田久保に専門的な憲法論を期待するのは無理かもしれない。しかし、表紙裏の経歴には「産経新聞『国民の憲法』起草委員会委員長」と明記されているのだから、産経新聞案「国民の憲法」に関する(委員長個人としてであれ)、産経新聞社の本にはない説明または解説がある程度詳しくはあるものと期待しても不思議ではないだろう。
 また、今年に入って気づいたことだが、田久保忠衛は「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の共同代表の一人(あとの二人は櫻井よしこ、三好達)だ。この団体は2014.10.01に設立されたようで、同日に設立宣言を発表している(同会のウェブサイトによる)。そして、たんにこういう名称の会の設立だけだと、さっそく「美しい日本の憲法」の具体的内容は何かと問いたくなるが、同会はQ&Aのかたちで、条文案ではないものの、目指す憲法の骨子を7点に整理しまとめたものを公表している。
 そうすると、時期的には田久保の上掲書は上の会の設立前に書かれてはいるが、一年も前ではない直前の時期に書かれていると推測されるので、同著は「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の代表(の一人)が書いたものだ、という<権威>をもってしかるべきことになるだろう。
 だが、期待しもした産経新聞社案「国民の憲法」のより詳しい説明はほとんどないし、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が公表している7つの骨子の過半についてはまったく触れるところがない。
 しかも、一方では起草委員会の委員長を、片方では共同代表を努めながら、両者が提言する憲法案の具体的内容には<一致していない>、<矛盾する>部分がある。これはきわめて奇異なことだ。
 矛盾しているとほぼ明らかに言えそうなのは、九条についてだ。産経新聞案「国民の憲法」と田久保の上掲書は矛盾してはいないが、田久保の上掲書の九条(およびその改正案)に関する叙述と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」公表の改正案骨子は矛盾している。
 先に「美しい日本の憲法」案の方から紹介すると、第三の柱として「九条…平和条項とともに自衛隊の規定を明記しよう」との見出しが掲げられ、その第三文では、こう書かれている(ウェブサイトのそれとまったく同一文ではない同会のパンフレットによる。ウェブ上では以下の「軍隊」は「国軍」になっている)。
 9条1項の平和主義を堅持するとともに、9条2項を改正して、自衛隊の軍隊としての位置づけを明確にします」。
 すでに書いたことだが、このような文章の考え方にもとづく改正案づくりと憲法改正(おそらくは1項の基本的な維持と現2項の削除、そして自衛隊を正規に「軍隊」と位置づける条項の新設)に私は賛同する。
 だが、田久保忠衛が起草委員会委員長だった産経新聞社案「国民の憲法」は、このような考え方に立っていないことはすでに記したとおりだ。
 自民党草案も読売新聞社試案も現9条1項は基本的に維持することとしているのだが(また、北岡伸一も、1項の平和主義は維持し2項の戦力不保持は改正しようとする意見を無視して、朝日新聞は一括して改憲論>九条改正論=「平和」主義・「平和憲法」否定というデマを撒き散らしている旨を述べて朝日新聞を批判していたが)、くり返せば、産経新聞社・国民の憲法(産経、2013)は、自民党草案について、つぎのように書いていた。
 <自民党草案は1項に「自衛権の発動を妨げるものではない」を追記して「工夫を重ねている」が、「主権の行使に制限を課している条文をそのままにしている意味では不徹底で不完全だ」>(p.140)。
 そして、現9条1項の断片のみを残した「平和」希求と国際紛争の「平和的解決」を志向する新たな条文を作り、別の条文で、「軍を保持する」ことを明記することとしている(同案15条・16条)。
 「美しい日本の憲法」案が「9条1項の平和主義を堅持する」と記しているのは現1項の条文を基本的に維持するとの趣旨ではなく、この産経新聞案「国民の憲法」のような書きぶりでも「平和主義」の堅持にあたる、という可能性がないではない。
 しかし、「美しい日本の憲法」案の文章が続けて「9条2項を改正して、自衛隊の軍隊としての位置づけを明確にします」と書いていることからすると、9条1項は(基本的に)改正しないという趣旨だと解釈するのが自然で、やはり、、「美しい日本の憲法」案と産経新聞社案「国民の憲法」は異なる、と理解することができるものと思われる。
 そして、田久保忠衛の上掲書は、現9条1項は基本的にであれ維持することはしないという考え方を明確に語っている。つぎのとおりだ(p.172-5)。
 <当初は九条1項はそのまま残す説に賛成だったが、森本敏の次の指摘(森本ら・国防軍とは何か(幻冬舎ネネッサンス新書)に「まったく同感」して、産経新聞社案では「現行憲法第九条第一項を含めて全面的に改める」ことした。>
 森本の指摘とは、①第一項があると、「国連決議にもとづく集団安全保障に参加できなくなる」、②第一項があると、「多国籍軍」に入っているアメリカ軍が攻撃された場合に「集団的自衛権の行使」ができなくなる、をいう。
 要約したし、もとの森本の発言内容を読んではいない。また、私自身の知識と勉強の不足かもしれないが、これらの理由が当たっているのかは理解困難だ。だが、<集団的自衛権>の行使は現憲法のままでも行使可能と閣議決定されたところであるし、「国連決議にもとづく集団安全保障」措置への参加の許容性については現憲法は何も語ってはいないのではないのだろうか。また、正規に認知された軍ができたとすれぱ直ちに「国連決議にもとづく集団安全保障」措置に参加できるというものではなく、法律(+条約?)による正当化が必要だろう。
 この問題には立ち入らない。ともかくも、現九条1項も「改め」る見解である旨を田久保忠衛は上掲書で明確に述べている。しかるに、共同代表を務める会の「美しい日本の憲法」案はどうも現九条1項は「堅持」するつもりのようだ。
 これは明らかに矛盾で、田久保は上掲書の考え方に立つのであれば、「美しい日本の憲法」案の内容に反対するのが論理的な筋のはずだ。にもかかわらず、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」による公表後に、それと異なる見解を明らかにしている書物を公にしているのは、奇異・奇妙だと言う他はない。
 もともと、p.110以下の叙述を読んでいても、現九条に関する田久保の理解の仕方には疑問が生じるところである。例えば、「芦田修正案は政府の見解ではない」という理解はそのとおりだが、「戦力」ではない「必要最小限度の実力の行使」による相手国兵力の殺傷及び破壊等を行うことは「交戦権の行使」としてのそれとは「別の観念」という政府答弁は「何を意味するのかよくわからない」と書いている(p.113-4)。しかし、私にはよく分かる。現憲法の政府解釈によるかぎりは、自衛権はあり、そのための実力行使は「交戦」ではない(実力行使組織=自衛隊は「軍その他の戦力」ではない)、ということになる。
 憲法学上の「多数説」に従って私は記してきているのだが(最近にあらためて憲法学文献で確かめておいた)、諸説が成り立つものの、1項は自衛権を否定するものではなく<自衛のための軍>設置・「自衛戦争」を否定するものでもない。しかし、2項が一般に「軍その他の戦力」の保持等を否認している結果として、「自衛」目的であれ「軍」は保持できず「戦争」もできない。但し、「自衛」のための「必要最小限度の実力の行使」は可能であり、そのための組織の保持も許容される。このような、政府解釈も基本的に拠っていると思われる(むろん、但し以降は相当に苦しい)論理構造くらいは、民間団体とはいえ、憲法改正案起草委員会の委員長や新憲法制定運動団体の共同代表の方には、理解しておいていただきたいものだ。

1271/コミュニストにより作られたハル・ノート-櫻井よしこ・週刊誌連載。に関連して2。

 櫻井よしこ週刊新潮1/22号(新潮社)で、アメリカ・ルーズベルト政権は日本が呑めないことを見越して「日本に事実上の最後通牒であるハルノートを突きつけ」、開戦に追い込んだ、という旨を記していたが、中川八洋の理解は大きく異なるようだ。
 中川八洋・近衛文麿とルーズヴェルト-大東亜戦争の真実(PHP、1995)p.39によれば、「米国側からの最後通牒『ハル・ノート』の故に、日本は敗戦を覚悟してやむなく窮鼠猫をかむ決断を強いられた、という俗説」が是正されなく今も通用しているのは「歴史の歪曲」、少なくとも「歴史の真実に対する怠慢」だ。
 中川八洋は「大東亜戦争…とは、…東アジア全体の共産化のための戦争であった」(p.34)、「大東亜戦争=日本とアジアの社会主義化」というのが「歴史の真実」だ(p.276)と捉えているので、出発点あるいは逆の結論自体が櫻井よしこらとは基本的に異なっているように見える。
 そして、同書の第二章「『ハル・ノート』とロシアの『積極工作』-財務次官補H・D・ホワイトとルーズヴェルト」でも、上のような「俗説」なるものとは異なる叙述を行っている(p.36-57)。以下、ハル・ノートやそれと日本の関係に限っての要約・抜粋的紹介。
 ・1941.07.28の日本軍の南部仏領進駐(ベトナム・サイゴン入場)は日本の英米蘭に対する実質的な開戦で、ハル・ノートが日米戦争の引き金ではない。同09.06の午前会議で10月上旬の開戦の想定(帝国国策遂行要領)が決定され、さらに11.05には12月上旬に定め直され、11.26午前には南雲中将らの機動部隊は真珠湾に出撃していた。ハル・ノート(のちに述べる最終案)が手交されたのは11.26午後で、日本の真珠湾攻撃はハル・ノートに対する反発によるものではない。日本の対米開戦は同年7月以降の既定路線だった。
 ・といって、ハル・ノートに重大性がないわけではない。ハル・ノートにはハルがまとめた「ハル試案」=暫定案と、時期的にはのちのホワイトが執筆してハルの名で手交されたより強硬な「ホワイト試案」=最終案とがあった。前者であれば日米講和の可能性があり、これによって敗戦・降伏していれば、ソ連の対日開戦はなく、満州の悲劇も千島の領土喪失もなかった。「強硬姿勢一本槍」の「ホワイト試案」=最終的なハル・ノートは日本の関係者すべてを憤激させ、日本を徹底抗戦へと誘導した。そして戦後には、ハル・ノートは日本国民の対米怨念形成の劇薬になり、戦後の日米関係に対して致命的悪影響をもたらした。なお、<最終案>・「最終的なハル・ノート」という語は、秋月が作った。 
 ・「ホワイト試案」=最終的なハル・ノートは、アメリカ内部で、どのようにして採択されたのか。暫定案→最終案への変化は1941.11.17-11.25の間に生じた。財務次官補・ホワイトは試案を11.17に財務長官・モーゲンソーに渡し、その翌日にモーゲンソーはルーズヴェルト大統領とハル国務長官に送付した。ハルは自らの暫定案に固執し続けたが、ルーズヴェルトはホワイト試案を気に入ったようで、11.25にそれの採用をハルに命じた。
 ・ルーズヴェルトが「ホワイト試案」を支持したのは、ソ連擁護のために対ドイツ開戦をしたくて、ドイツと同盟関係にある日本に対米開戦を決行させることにあっただろう。日本の対米開戦はドイツの対米開戦と見なしてよかった。ルーズヴェルトは「100%の確率で受諾拒否となる」「最後通牒」をどうしても日本に手交したかった。
 ・H・D・ホワイトとは何者か。彼の「別の顔」はKGBの前身組織の在米責任者バイコフ大佐指揮下の「ソ連工作員の一人」。のち1953年にブラウネル司法長官は、ホワイトを名指しして「ソ連のスパイであり、米国の機密文書を…他の秘密工作員に渡していた」と言明した。1948年にバイコフ機関に関する証言のために召喚されたホワイトは、喚問三日後の08.16に心臓麻痺で死亡し、ハル・ノートをめぐる歴史の謎は闇の奥にしまわれた。しかし、ハル・ノート(最終案)が「共産主義者」である「ソ連のスパイ」により執筆された、という事実は等閑視できない。「共産主義の心底には破壊主義」が強く潜み、ホワイトはソ連防衛のみならず、日米戦争による「日本の破壊」の目標も秘めていたただろう。
 以上に続いてルーズヴェルト政権内のホワイト以外の「共産主義者」である「ソ連のスパイ」についての叙述があるが省略する。
 中川八洋は「最後通牒」性を否定しているが、かりにハル・ノートが日本に対する「最後通牒」との<俗説>が正しいものであったとしても、そのハル・ノートを実質的に作成したのはソ連・コミンテルンのスバイだった、という指摘はすこぶる大きな意味があるはずだ。
 櫻井よしこはどの程度の知見を持っているのかは知らないが、少なくとも週刊誌上の簡単な叙述だけでは不十分であることは明らかだろう。
 それにしても、先の戦争、大東亜戦争、八年戦争、昭和の戦争(の時代)についての歴史「認識」は同じ<保守派>であっても決して一様ではないことに驚かされるところがある。中川八洋を<保守派>論者でない、と評する者はいないだろう。近く田久保忠衛の戦争(の時代)についての歴史「認識」にも触れる予定だが、<真正保守>の歴史観というものがあるのかは疑わしい。また、自ら<真正保守>と任じている者の歴史把握が<真正>なものである保障は決してない、ということも心得ておいてよいと感じられる。

1270/<保守>派の情報戦略-櫻井よしこ・週刊新潮連載コラムを読んで1。

 櫻井よしこ週刊新潮1/22号(新潮社)の連載コラム639回で「外交も戦争も全て情報戦が決める」と題して、「情報戦」の重要性を説いている。そのことにむろん異論はないが、書かれてあることには、不満が残る。
 櫻井はビーアド・ルーズベルトの責任/日米戦争はなぜ始まったか(開米淳監訳、藤原書店)を読んで、先の戦争時におけるルーズベルトや同政権の認識・言動等をおそらくは抜粋して紹介している。しかし、対ドイツ関係のグリアー事件(1941年)に関することを除いて、すでに何かで読んで知っていたようなことだ。
 また、ビーアドの書物がどこまで立ち入って書いているのかを知らないが、櫻井よしこがここで紹介しているかぎりでは、なおも突っ込みが足りないと感じる。まさかとは思うが、櫻井よしこはビアードのこの本によってここで書いてるようなことを知ったのではないだろう。そして、ビーアドの叙述による事実・現象のさらにその奥・背景が(も)重要なのだと思われる。
 例えば、ビーアドによると、大多数のアメリカ人には対日戦ではなく対ドイツ・ヒトラー戦争こそが重要だったにもかかわらず、ルーズベルトは1941年7月に「在米日本資産を凍結し、通商を停止し、日本を追い込みつつ」対日戦争を準備していた、ということのようだが、「在米日本資産を凍結し、通商を停止し、日本を追い込」んだ原因・背景がアメリカにも日本にもあったはずで、ルーズベルトの個人的な意思のみを問題にしても不十分だろう。
 また、「日本に事実上の最後通牒であるハルノートを突きつけ」ながらも、日本政府がこれを受諾しないで開戦してくるという確信をルーズベルトは隠していた、という旨も書き、さらに、春日井邦夫・情報と戦略(国書刊行会)によりつつ、ルーズベルトはハル・ノートの手交当日にも戦争準備をしており、日本の真珠湾攻撃を「待ち望んでいた」「口実」として対日戦争・参戦を始めた、という旨も書いている。
 何で読んだかは忘れたが、上のようなことは私はおおむねすでに知っていたことだ。
 問題は、ハル・ノートの作成・手交や開戦前の日米交渉において、ルーズベルトだけではなく、同政権内部の誰々がどのような役割を果たしたか、同様に同時期の日本政府は、具体的には誰々が、どのように判断してどのように行動決定したかの詳細を明らかにすることだろう。別の機会に関係コメントは譲るが、コミンテルン(・ソ連)およびその工作員・スパイの役割に論及する必要があると思われる。櫻井は、コミンテルンにもコミュニズム(共産主義)にも何ら触れていない。
 最後に櫻井は、「情報戦の凄まじさ、恐ろしさを実感する。いま、日本は中国の情報戦略で深傷(ふかで)を負わされつつある」と書いて、「情報戦」を戦う強い意思を示している。このことに反対しないが、しかし、揚げ足取りまたはないものねだり的指摘になるかもしれないが、<情報戦略>をもって日本に対応・対抗しているのは、中国だけではない。アメリカも韓国も北朝鮮も、その他の諸国も、多かれ少なかれ、日本に対する<情報戦>を行っている。そして、それに応えるような、日本を謀略に自ら陥らせるような「報道」の仕方をするメディアが、それに巣くう日本人が、日本国内には存在する。
 「情報戦」は、朝日新聞等々の、日本国内の<左翼>・<容共>勢力との間でも断固として行わなければならない。歴史認識、「憲法改正」等々、戦線はいくらでもある。朝日新聞のいわばオウン・ゴール?で少しは助かっているようにも見えるが、日本国内の<左翼>・<容共>勢力の「情報戦略」は決して侮ってはいけないレベルにある。
 私が懸念しているのは、<保守>・<自由>・<反共>陣営にはどのような「情報戦略」があるのか、だ。

1201/橋下徹発言と産経新聞のとくに5/15社説。

 〇産経新聞5/18付「一筆多論」欄での、論説委員・鹿間孝一の叙述によれば、いわゆる橋下徹慰安婦発言は、今年5/13午前の<ぶら下がり>会見で(朝日新聞記者から)「安倍晋三首相の『侵略の定義は定まっていない』との発言に対する見解を問われて、『首相が言われている通りだ』と述べた後、唐突に」出されたようだ。

 いつか述べたように、マスコミの中には「失言」・「妄言」なるものを引き出して中国や韓国に<ご注進>し、批判的コメントを貰ったうえで日本国内で<騒ぐ>輩がいるから気をつける必要がある。

 上の点はともあれ、橋下徹発言はあらかじめ準備され、用意されてのものではなく偶発的なものと思われる。従って、産経6/03付「正論」欄で桜田淳が、「橋下市長の一連の発言において批判されるべきは、その発言の中身というよりも、それを語る『必然性』が誠に薄弱だということにある」等と批判しているのは、的確ではないか、または橋下徹に対してやや厳しすぎるだろう。

 〇さて、産経新聞5/16付で阿比留瑠比は、「橋下発言検証『大筋正しいものの舌足らず』」と題して、<大筋は正しいが、舌足らずだ>という印象を与える(内容もそのような)記事を書いていたが、その前日5/15の産経社説(同新聞では「主張」欄)は、<大筋は正しいが、舌足らずだ>という内容のものだったのか。

 そうではなく、「橋下市長発言/女性の尊厳損ね許されぬ」というタイトルどおり、橋下発言を全体として厳しく批判した。

 やや立ち入れば、この社説は、第一に、橋下徹発言を、①「慰安婦制度は当時は必要だった」など、②米軍幹部に「海兵隊員に風俗業を活用してほしい」、と述べた、と紹介したうえで、「女性の尊厳を損なうものと言わざるを得ない。許されない発言である」とまず断定し、切って捨てている。この対象の中には、上の①の、「慰安婦制度は当時は必要だった」という、「当時は」という限定つきの発言も含めている。
 第二に、安倍首相は公権力による強制があったという「偽り」を含む河野談話を「再検討」しようしているのに、橋下徹が「『必要な制度』などと唱えるのは事実に基づく再検討とは無関係だ。国際社会にも誤解を与えかねない」と書いて、これまた橋下を批判している。但し、趣旨は不明瞭だ。<当時は必要な制度だった>という発言趣旨を誤解している可能性があるし、また、安倍内閣による再検討作業を橋下徹発言が邪魔をしているかの如き批判の仕方になっている(のちにこの旨を明記。第四点)。

 第三に、橋下が「当時の慰安婦の必要性を肯定した」ことについて、とここでは「当時の」と限定しつつも、自民党の稲田朋美下村博文両大臣の簡単な言葉を紹介し、「稲田、下村両氏は自民党内の保守派として河野談話の問題点を厳しく指摘したこともあるが、橋下氏の考えとは相いれないことを示すものといえる」と書いた。ここでは、橋下徹発言は自民党内「保守派」のそれとも異質だ、と指摘したいようだ。

 第四に、安倍政権の河野談話見直し作業を、「いわれなき批判を払拭すべきだという点は妥当としても、…見直しの努力を否定しかねない」と切って捨てて、疑問視している。

 第五に、「風俗業活用」発言について、「もってのほか」、「人権を含む普遍的価値を拡大する『価値観外交』を進める日本で、およそ有力政治家が口にする言葉ではなかろう」と断定的に批判した。

 この部分は橋下徹自身がのちに撤回しているが、橋下自身も言うように、売買春を勧めたわけではなく法律上合法的な(沖縄以外の本土にもあるような)「風俗業」の利用に言及したものだった。「もってのほか」と産経新聞社説が主張するならば、理屈の上では全国にある「風俗業の活用」はすべて「もってのほか」になるはずだ。

 以上、要するに、橋下発言に理解を示しているのは「いわれなき批判を払拭すべきだという点は妥当としても」という部分だけで、あとはすべて橋下発言を批判・否定する内容になっている。

 産経新聞がこうなのだから、朝日新聞や毎日新聞の社説がいかほどに厳しい批判だったのかは、容易に想像がつく。

 この「偽善」も一部に含むと考えられる産経新聞社説はいったい何なのだろう。参議院選挙前に、自民党と日本維新の会との差別化を図り、自民党を有利にしたい、という思惑を感じなくもない。もっとも、産経新聞自体が、自民党・稲田朋美が、慰安婦営業は「当時は」合法だった旨を発言したと報道してもいた。橋下発言と「自民党内の保守派」には(あるいは日本維新の会と後者には)この産経新聞社説が指摘するほどの違いがあるのか疑わしい。

 あるいは、朝日新聞等からの批判を予測して、「左」からの攻撃から自らをあらかじめ守っておこうという気分があったのかもしれない。一種の<横並び意識>でもある。少なくとも、一部でも橋下徹を守ろう、庇おう、という意識が感じられない社説だ。上記5/16付阿比留瑠比記事とトーンがまるで異なることは言うまでもないだろう。

 この5/15社説だけが社論ではない、と産経新聞関係者(とくに社説執筆者)は言うかもしれない。

 なるほど、5/17付で憲法96条改正の必要性を強調した産経新聞社説は、5/18付では、みんなの党の日本維新の会との選挙協力解消決定をうけて「橋下氏発言/避けたい改憲勢力の亀裂」というタイトルのもとで、両党の連携への期待を述べている。そして、次のようにも書く。

 「より根本的な問題は、根拠なしに慰安婦の強制連行を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話が今も、日韓関係などを損ねている事実だ。/政府や国会がすべきことは河野談話の検証である。慰安婦問題の本質を見失ってはならない」。

 この部分を読んで不思議に思う。「慰安婦問題の本質を見失ってはならない」、「根本的な問題」の原因が河野談話にある、というならば、その旨を、なぜ、5/15の段階で強調しなかったのか。5/15社説の基調は橋下徹発言批判であって、「慰安婦問題の本質」を見失うな、河野談話にこそ「根本的な問題」の原因がある、というものではまったくなかった。なぜ、こうした旨を数日前の5/15に書けなかったのか。
 橋下徹発言に対する批判の高まりを考慮して多少は抑制しようと考えたのかもしれないが、そうであるとすれば、時機を失している。朝日新聞等々ともにさっそく足並みをそろえて橋下徹発言批判を始めたのは、5/15社説だったのだ。

 産経新聞5/28社説では橋下徹発言批判はさらにトーンダウンしている。日本外国特派員協会での橋下徹会見に関するものだが、橋下会見での発言につき、こう書いている。

 「橋下氏は『国家の意思として組織的に女性を拉致したことを裏付ける証拠はない』とも述べ、慰安婦問題に関する平成5年の河野洋平官房長官談話について『否定しないが、肝心な論点が曖昧だ』と指摘した。/河野談話は、根拠なしに慰安婦の強制連行を認めたものだ。橋下氏は以前、『河野談話は証拠に基づかない内容で、日韓関係をこじらせる最大の元凶だ』と主張していた。これこそまさしく正論だ。後退させる必要はない」。

 5/15段階での威勢の良い橋下徹批判はどこへ行ったのか? そして、「安倍政権はいわれなき日本非難には、きちんと反論すべきだ」と、橋下にではなく安倍政権に向けての注文を書いて、締めくくっている。

 こうして見ると、産経新聞の論調の中でも、むしろ5/15社説こそが異様だったような気もしてくる。 

 もっとも、冒頭の5/18鹿間孝一の叙述は「橋下流は『賞味期限切れ』か」と題するもので、上記5/15社説にさらに追い打ちをかけるように、橋下徹が「自身『あと数年たてば、賞味期限切れになる』と語っていたが、現実になるのは意外に早いかもしれない」と締めくくっている。

 こうして見ると、他の例は省略するが、産経新聞社の中には、間違いなく橋下徹に対する一種のアレルギー、嫌悪感のようなものが、少なくとも一部にはあるのは否定できないろう。それが5/15社説で噴出し、諸々の事情を配慮して橋下徹批判の論調を抑制する方向に変化したのだ、と思われる。

 〇今年8/08に別の文献を参照して書いたことだが、産経新聞も他紙と同じく「当時は」という限定を付けることなく、橋下発言について「慰安婦制度は必要」と見出しを付けて報道したようだ。また、その同じ書き込みの中で紹介したように、産経新聞の5/15付社説の論調は、櫻井よしこの週刊新潮5/30号での、橋下徹発言は「日本の国益を大きく損ないかねない…」という明記等と共通するところがある。

 〇その後、産経新聞は5/27付で、<橋下氏の慰安婦発言「不適切」75%/維新支持も急落>、日本維新の会支持率20・7%から10・7%へほぼ半減、という世論調査結果を発表するなど、<維新失速>という「客観」報道をし続けた。
 世論調査はマスメディアが自分たちの国民の意見に対する誘導の効果を立証し、確認するための道具くらいに思っているが、上のような結果の少なくとも原因の一つは、あるいはとりわけ<保守層>の中での維新の会支持率減少の原因の大きなものは、産経新聞自体の社説・社論にあるのではないか。
 日本維新の会代表の発言をそっけなく冷たく批判しておいて、<維新支持も急落>とあとで報道しているわけだ。そうした点では、朝日新聞も産経新聞もほとんど変わりはしない。
 経緯・理由は私と異なるが、月刊WiLL10月号(ワック)で、金美齢は今年7月末をもって産経新聞の定期購読者たることをやめた、ということを明らかにしている(p.230以下)。

 産経新聞は決して<保守派>国民全員が信頼し支持できる新聞ではない。相対的にはまだマシなのだろうが、奇妙な点、歪つな点もある。あたり前のことだが、読者は、「教条的信仰」に陥らず、産経新聞もまた批判的に読まなくてはいけない。

1189/櫻井よしこは民主党政権について当初は何と論評していたか。

 かつてのこの欄での記述の(各回のうちの)一部をそのまま再掲しておく。二つのいずれも、櫻井よしこに関するものだ。
 一 2010年5月14日

 「櫻井よしこは-この欄で既述だが-昨年の2009総選挙前の8/05の集会の最後に「民主党は…。国家とは何かをわきまえていません。自民党もわきまえていないが、より悪くない方を選ぶしかないのかもしれません」とだけ述べて断固として民主党(中心)政権の誕生を阻止するという気概を示さず、また、鳩山由紀夫内閣の誕生後も、「…鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする」(産経新聞10/08付)と書いていた。文字通りには「期待と懸念」を半分ずつ持っている、と言っていたのだ!。
 鳩山由紀夫の月刊ヴォイス上の論考を読んでいたこともあって、私は民主党と鳩山由紀夫に対しては微塵も<幻想>を持たなかった、と言っておいてよい。<総合的によりましな>政党を選択して投票せざるをえず、民主党(中心)政権になれば決して良くはならない、ということは明らかだったように思えた。外交・安保はともあれ<政治手法>では良い面が…と夢想した屋山太郎のような愚者もいただろうが、基本的発想において<国家>意識のない、またはより正確には<反国家>意識を持っている首相に、内政面や<政治手法>面に期待する方がどうかしている。
 しかし、櫻井よしこは月刊WiLL6月号(ワック)p.44-45でなおもこう言っている。
 「自民党はなすすべきことをなし得ずに、何十年間も過ごしてきました。その結果、国家の基本というものが虫食い状態となり、あちこちに空洞が生じています。/そこに登場した民主党でしたが、期待の裏切り方は驚くばかりです」。
 前段はとりあえず問題にしない。後段で櫻井よしこは、何と、一般<日和見>・<流動>層でマスコミに煽られて民主党に投票した者の如く、民主党・鳩山政権に「期待」をしていたことを吐露し、明らかにしているのだ!
 何とまあ「驚くばかり」だ。これが、<保守系シンクタンク>とされる「国家基本問題研究所」の理事長が発言することなのか!? そのように「期待」してしまったことについて反省・自己批判の弁はどこにもない。」

 二 2010年12月31日 

 「「左翼」政権といえば、櫻井よしこは週刊新潮12/23号(新潮社)の連載コラムの中で、「三島や福田の恐れた左翼政権はいま堂々と日本に君臨するのだ」と書いている(p.138)。
 はて、櫻井よしこはいつから現在の民主党政権を「左翼政権」と性格づけるようになったのだろうか?

 この欄で言及してきたが、①櫻井よしこは週刊ダイヤモンド11/27号で「菅政権と谷垣自民党」は「同根同類」と書いた。

 自民党ではなくとも、少なくとも「谷垣自民党」は<左翼>だと理解しているのでないと、それと「同根同類」のはずの「いま堂々と日本に君臨する」菅政権を「左翼政権」とは称せないはずだ。では、はたしていかなる意味で、「谷垣自民党」は「左翼」なのか? 櫻井よしこはきちんと説明すべきだろう。
 ②昨年の総選挙の前の週刊ダイヤモンド(2009年)8/01号の連載コラムの冒頭で櫻井よしこは「8月30日の衆議院議員選挙で、民主党政権が誕生するだろう」とあっさり書いており、かつ、民主党批判、民主党に投票するなという呼びかけや民主党擁護のマスコミ批判の言葉は全くなかった。

 ③民主党・鳩山政権発足後の産経新聞10/08付で、櫻井よしこは、「鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする」と書いた。「期待と懸念」を半分ずつ持っている、としか読めない。

 ④今年に入って、月刊WiLL6月号(ワック)で、櫻井よしこは、こう書いていた。-「「自民党はなすべきことをなし得ずに、何十年間も過ごしてきました。……そこに登場した民主党でしたが、期待の裏切り方は驚くばかりです」。期待を持っていたからこそ裏切られるのであり、櫻井よしこは、やはり民主党政権に「期待」を持っていたことを明らかにしているのだ。→ <略>

 それが半年ほどたっての、「三島や福田の恐れた左翼政権はいま堂々と日本に君臨するのだ」という櫻井よしこ自身の言葉は、上の①~④とどのように整合的なのだろうか。
 Aもともとは「左翼」政権でなかった(期待がもてた)が菅政権になってから(?)「左翼」になった。あるいは、Bもともと民主党政権は鳩山政権も含めて「左翼」政権だったが、本質を(迂闊にも?)見ぬけなかった。
 上のいずれかの可能性が、櫻井よしこにはある。私には、後者(B)ではないか、と思える。

 さて、櫻井よしこに2010年の「正論大賞」が付与されたのは、櫻井よしこの「ぶれない姿と切れ味鋭い論調が正論大賞にふさわしいと評価された」かららしい(月刊正論2月号p.140)。

 櫻井よしこは、「ぶれて」いないのか? あるいは、今頃になってようやく民主党政権の「左翼」性を明言するとは、政治思想的感覚がいささか鈍いか、いささか誤っているのではないか?」

 なお、屋山太郎については再掲しないでおく。この人物が靖国神社の総代会か崇敬奉賛会の役員に名を出している筈であるのは異様であると、靖国神社のためにも言っておきたい。

 以上は、先月の<民主党政権成立を許したことについての保守派の責任をきちんと総括すべきだ>旨のエントリーの続きの意味ももっている。

1188/橋下徹のいわゆる慰安婦発言をめぐって。

 一 「正論を堂々と臆することなく述べる人物に対する、メディアという戦後体制側の恐怖と嫌悪感」という表現を、撃論シリ-ズ・従軍慰安婦の真実(2013.08、オ-クラ出版)の中の古谷経衡「”橋下憎し”に歪むテレビ芸人の慰安婦論」は末尾で使っている。
 このタイトルと上の表現の直後の「防御反応としての橋下叩き」という表現でも分かるように、冒頭の表現は橋下徹のいわゆる慰安婦発言に対するマスメディア側の反応についてのものだ。
 二 古谷によると、橋下発言に対する大手メディアの反応はおおむね4・4・2の割合で次に分かれたという。①「強制性」を強調して日本に反省を求める、②一定の理解を示しつつ「タイミングや発言のニュアンス、つまり方法論」に異議を述べる、③平和・議論必要等の美辞麗句を伴う「無知を基底とする思考停止」の反応。
 小倉智昭、田崎史郎、古市憲寿、吉永みち子、みのもんた、等が「歪むテレビ芸人」としてそれらの発言とともに紹介されているが、宮根誠司は「じっくりと議論していく。ちゃんと勉強して、諸外国の方に謝るべきところは謝る。いつまでもこの話を堂々巡りでやっていては日中韓の信頼は築けない」と述べたようで(日テレ系列)、上の③に分類されるだろう。古谷は「手前の無勉強を棚にあげての高みの謝罪推奨説教の美辞麗句」と評している。
 感心し?かつ唖然ともしたのは、紹介されている次の菊川怜の発言だ(フジテレビ系列)。
 「従軍慰安婦の問題で傷ついている人がたくさんいて、私は根本的に戦争とかをなくしていくという方向が気持ちとしてあります。従軍慰安婦について、強制だったとか、日本以外の国もやっていたとか言うのではなくて、それを反省して二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちを持つことだと思います」。

 古谷によると「橋下氏は苦笑いで対応」したらしいが、この菊川怜の発言の仕方・内容は東京大学出身者にふさわしい、<二度と戦争を起こしてはいけない>ということだけはきちんと学んだ?、「戦後教育の優等生」のなれの果て、または「戦後教育の優等生」の、実際の日本が経験した戦争についての「無知蒙昧」のヒドさ、を示しているだろう。橋下徹発言に「戦争反対」とコメントとするのはバカバカしいほど論点がずれていることは言うまでもない。
 クイズ番組には登場できても、現実の歴史や日本社会の諸問題、政治的な諸思想・諸論争には関心を持たず、知らないままで、デレビ界で生き延びるためには、自分がそこそこに目立つためには、どうすればよいかをむしろ熱心に考えているのだろう「無知蒙昧」さを、「テレビ芸人」としての菊川怜は見事に示してくれた、と言うべきだ(むろんそのような者を使っているテレビ界自体により大きな問題があるのだが)。
 三 橋下徹のいわゆる慰安婦発言に対して<保守論壇>は、あるいは自民党はどう対応したのだっただろうか。
 詳細にはフォロ-していないが、橋下徹があとで批判していたように、自民党は<逃げた>のではなかっただろうか。自党の見解とは異なるというだけではなく、また政府見解は強制性を明示的には肯定していない等でお茶を濁すのではなく、橋下発言には支持できる部分もある、というくらいは明言する自民党の政治家・候補者が現れていてもよかったのではないか。
 自民党は公明党とともに<ねじれ解消>を最優先して、減点になりかねないとして重要な<歴史認識>問題の争点化を避けたのではないか。安倍晋三は密かには自民党だけでの過半数獲得を期待し、比例区での当選者が期待的予測よりも数名は少なかったことを嘆いたとも伝えられているが、その原因は<無党派層>を意識するあまりに確実な<保守層>の一部を棄権させたことにあったのではないか、とも思われる。

 四 <保守>派論者では、櫻井よしこは上記二の分類では明らかに②の立場を表明していた。テレビ界にも何人かは(決して「保守」派とは思えないが)存在はしていた、「タイミングや発言のニュアンス、つまり方法論」を批判する立場だった。

 櫻井よしこは、週刊新潮5/30号で橋下発言の要点を11点に整理した上で、7-11の5点を問題視し、自民党の下村博文文科大臣の、「あえて発言をする意味があるのか。党を代表する人の発言ではない。その辺のおじさんではないのですから」というコメントを「まさにそれに尽きる」と全面的に支持した。
 さらには、「歴史問題を巡る状況は本稿執筆中にも日々変化しており、これからの展開には予測し難い面がある。なによりも橋下氏自身が慰安婦問題をより大きく、より烈しく世界に広げていく原因になるのではないか。氏は日本の国益を大きく損ないかねない局面に立っている」と明記し、一部でいわれる「情報戦争」または「歴史認識」戦争の状況下で、橋下徹は「日本の国益を大きく損ないかねない」とまで批判(こきおろして)いる。
 興味深いのは、櫻井よしこは、問題がないとする(と読める)1-6の橋下徹発言については言及せず、正しいことを言ったとも明記せず、むろん褒めてもいないことだ。
 この櫻井よしこの文章は、実質的には<保守>内部での厳しい橋下徹発言批判だっただろう。
 このような櫻井よしこ的風潮が保守派内を覆っていたとしたら、<維新失速>も当然ではあっただろう。

 なお、何度か書いたように、櫻井よしこの<政治的感覚>は必ずしも適切ではない場合がある。
 産経新聞ははたしてどうだったのか。7/04付社説では(自民党は選挙公約には明記しなかったのに対して)憲法96条先行改正を明記した日本維新の会をむしろ肯定的に評価しているようだ。
 但し、先の古谷論考によれば、産経新聞もまた他紙と同じく「当時は」という限定を付けることなく橋下発言につき「慰安婦制度は必要」と見出しを付けたようだし、平然と<維新失速>または<第三局低迷>という客観的または予測記事を流し続けたのではなかったか。真に憲法改正のためには日本維新の会の(実際にそうだったよりも大きい)獲得議席の多さを望んでいたのだったとすれば、多少は実際とは異なる紙面構成・編集の仕方があったのではあるまいか。もっとも、定期購読をしていないので、具体的・実証的な批判または不満にはなり難いのだが。

1183/<保守>論者は「左翼」民主党政権成立を許したことをどう反省し、自己批判しているのか。

 〇元首相・鳩山由紀夫が中国で妄言を吐いている。「棚上げ」で一致していたとかも言っているようだが、万が一そうだったとしても、尖閣諸島を「中核的利益」と正規に位置づけ、同諸島を自国領土とする法律を制定して、さらには「公船」をときどき侵入させたりして、そもそも「棚上げ」していないのは、中国(政府・共産党)自身ではないか。日本政府や日本のマスコミはなぜ、この点を指摘または強調しないのだろう。
 〇ずっと書きたくて書かなかったことだが、2009年8月末総選挙による翌月の民主党政権の成立を許し、鳩山首相を誕生させたことについての、<保守>論壇の側の深刻な反省と総括が必要だと思っている。安倍・自民党中心内閣が昨年末に誕生したからよいではないか、ということにはならない。
 いずれ繰り返すかもしれないが、この欄に当時に書いたように、例えば屋山太郎は明確に民主党政権誕生を歓迎し、外交・安保問題も心配することはないだろう旨を明確に発言していた。この屋山に影響を受けたか、櫻井よしこは、民主党内閣に<期待と不安が相半ば>する、と明言していた。選挙前において、櫻井よしこは、決して民主党に勝利させてはならないとは一言も主張していなかった。
 過去のことにのみ関係するわけではない。上はわずかの例だが、<保守>論者の現在および将来の主張が決して適切なものであるとは限らないことを、2009年総選挙前後の<保守>論壇の状況は示している。

 〇月刊WiLL7月号(ワック)で、渡部昇一はこんなことを(相変わらず)発言している。-「筋としては理想的な憲法を創り、国民に示して、天皇陛下に明治憲法への復帰(一分間でよい)と新しい憲法の発布をしていただく。…憲法の継承問題が起こらないから…」(p.55)。

 渡部昇一ら一部論者の現憲法無効・破棄論の「気分」は理解できないわけではない。但し、この欄で何度も書いたように、この議論はもはや貫徹できない。
 上の渡部発言にしても、誰が、いかなる機関が、いかなる手続によって「理想的な憲法を創り」出すのか、何ら論及していない。こんな議論がやすやすと通用するはずがない。またそもそも(確かめるのを厭うが)、渡部の主張は「国会」が無効・破棄宣言をする、というものではなかったか。
 天皇陛下に「お出ましいただく」とする点に新味があるのかもしれないが、現天皇に「新しい憲法発布の宣言」をしていただくという場合の「新しい憲法」を誰がどうやって創るかという問題に言及していないことは上記のとおりだし、現憲法は昭和天皇の名において「裁可し、公布せしめ」られたこと、今上天皇は皇位継承・即位に際して「日本国憲法にのっとり」と明確に述べられたこと、等との関係をどう整理しているのか、という基本的な疑問がある。

 <保守>論壇の中の大物らしく扱われている渡部昇一ですらこの程度なのだから、現在の日本の<保守>論壇のレベルは相当に低い(あえて言えば、論理の緻密さが足りず、某々のような「精神」論で済ませている者もいる)と感じざるをえない。

 そして再び上記のことに戻れば、「左翼」民主党政権成立をかつて許したことについて、各<保守>論者はどのように反省し、自己批判しているのかを厳しく問いたいところだ。

1116/憲法・「勤労の義務」と自民党憲法改正草案。

 〇憲法や諸法律の<性格>について、必ずしも多くの人が、適確な素養・知識をもっているわけではない。
 憲法についての、「最高法規」あるいは<最も重要な法>・<成文法のうち国家にとって重要な事項を定めたもの>といった理解は、例えばだが、必ずしも適切なものではない。
 また、憲法に違反する法律や国家行為はただちに無効とは必ずしもいえない(そのように表向きは書いてある現憲法の規定もあるが)。そして、国民間(民間内部)の紛争・問題について、憲法が直接に適用されるわけでも必ずしもない。これらのことは、おそらく国民の一般教養にはなっていないだろう。
 塩野七生・日本人へ/リーダー篇(文春新書、2010)は「法律と律法」について語り(p.42-)、憲法はこれらのうちいずれと位置づけるのかといった議論をしているが、ボイントを衝いてはいないように思われる。失礼ながら、素人の悲しさ、というものがある。
 保守系の論者の中に、現憲法は国民の権利や自由に関する条項が多すぎ、それに比べて「義務」(・責務)に関する規定が少なすぎる、との感想・意見を述べる者もいる。櫻井よしこもたしか、そのような旨をどこかに書いていた。
 宮崎哲弥週刊文春5/17号の連載コラムの中で、「憲法の眼目は政府や地方自治体など統治権力の制限にあり、従って一般国民に憲法に守る義務はない」と一〇年近く主張してきたと書いている。この主張は基本的な部分では適切だ。
 もっとも、憲法の拘束をうける「統治権力」の範囲は、少なくとも一部は、実質的には「民間」部門へも拡大されていて、その境界が問題になっている(直接適用か間接適用かが相対的になっている)。
 上の点はともあれ、国家(統治権力)を拘束することが憲法の「眼目」であるかぎり、<国民の義務>が憲法の主要な関心にはならないことは自明のことで、「義務」条項が少なすぎるとの現憲法に対する疑問・批判は、当たっているようでいて、じつは憲法の基本的な性格の理解が不十分な部分があると言えるだろう。
 〇その宮崎哲弥の文章の中に、面白い指摘がある。この欄ですでに言及した可能性がひょっとしてなくはないが、宮崎は、現憲法27条の国民の「勤労の権利」と「勤労の義務」の規定はいかがわしく、「近代憲法から逸脱した、むしろ社会主義的憲法に近い」と指摘している。宮崎によると、八木秀次は27条を「スターリン憲法に倣ったもの」と断じているらしい(p.135)。
 現憲法24条あたりには、「個人」と「両性の平等」はあるが「家族」という語はない。上の27条とともに、現憲法の規定の中には、自由主義(資本主義)諸国の憲法としては<行きすぎた>部分があることに十分に留意すべきだろう。
 自民党の憲法改正草案の現憲法27条対応条項を見てみると(同じく27条)、何と「義務を負ふ」が「義務を負う」に改められているだけで、ちゃんと「勤労の義務」を残している(同条1項)。
 もともとこの憲法上の「勤労の権利・義務」規定がいかなる具体的な法的意味をもちうるかは問題だが、<社会主義>的だったり、<スターリン憲法>的だとすれば、このような条項は削除するのが望ましいのではないか。
 旧ソ連や北朝鮮のように<労働の義務>が国家によって課され、国家インフラ等の建設等のための労働力の無償提供が、こんな憲法条項によって正当化されては困る(具体化する法律が制定されるだろうが、そのような法律の基本理念などとして持ち出されては困る)。また、女性の子育て放棄を伴う<外で働け(働きたい)症候群>がさらに蔓延するのも―この点は議論があるだろうが―困る。
 自民党の憲法改正意欲は、九条関係部分や前文等を別とすれば、なお相当に微温的だ。<親社会主義>な部分、<非・日本>的部分は、憲法改正に際して、すっぱりと削除しておいた方がよい。

1106/橋下徹・大阪市長と原発再稼働問題。

 橋下徹に対する単純で性急な批判を批判してきているが、自民党を全面的に支持しているわけではないのと同様に、橋下徹のすること、言うことを、全面的に支持しているわけでは全くない。
 何かのきっかけで、橋下自身が政治に関係するすることをきっぱりと止めてしまうことがないとは言えないと思っている。それは、彼が恥ずかしいと思うくらいの、何らかの蹉跌を明らかにしてしまったときだろう。
 最近に気になるのは、<脱原発>への傾斜ぶり、大飯原発再稼働(現時点での)反対論だ。
 <保守>か否か、といった大上段の議論の対象になる問題ではない。だが、政策論として、きわめて重要な問題ではある。
 撃論第4号(オークラ出版、2012.04)に掲載されている田母神俊雄=中川八洋(対談)「避難県人を全員ただちに帰宅させよ」の他、中川八洋・脱原発のウソと犯罪(日新報道、2012)、池田信夫・原発「危険神話」の崩壊(PHP新書、2012)を多少は読んだことの影響によるのかもしれないが、安全性の確保=脱原発の方向に傾斜しすぎているのではないか。
 詳細な紹介は差し控えるが、池田信夫の分析・説明は、なかなかに冷静で、客観的のように感じられる。
 田母神俊雄や中川八洋らの指摘が正しいとすれば、菅直人を「反原発」始祖とする「左翼」民主党政権は、一部の(だが相当数の)福島県民から「ふるさと」を奪う、という大犯罪を敢行中であることになる。
 宮城県にあり、震源には福島第二よりも近かった女川原発は何ら支障なく存続し続けた、ということ、そしてそれは何故か(つまりなぜ福島第二では事故になったのか)について、テレビ等の大手メディアが全くかほとんど触れないのはいったい何故なのだろう。
 櫻井よしこ週刊ダイヤモンド3/31号の連載は、「放射線量の低い所から高い所に川内村の人たちは避難させられ」ていることを述べている。低い所とは、川内村いわなの里で0.178マイクロシーベルト(毎時放射線量)、高い所とは福島県の郡山駅で0.423マイクロシーベルト(同)、だ。
 こういう正確なデータに言及することなく、中島岳志「トポス喪失への想像力」西部邁=佐伯啓思ら編・「文明」の宿命(NTT出版)という「保守派」(??)の<反原発>論は書かれている。
 この生硬な「保守主義」に立つという<反原発>論の思考方法については別に言及したいが、ともあれ、中島岳志は、「原発という過剰な設計主義的存在」による、「トポス」、「生まれた土地や伝統、…歴史的・集合的価値観」の喪失の蓋然性を理由として脱原発論を説いている。だが、「生まれた土地」等の喪失の原因が原発にあるのではなく、政治的判断にあるのだとしたら、この中島岳志の論考は後世に残る「大嗤い」論文になるだろう。
 元に戻ると、橋下徹がいくら有能な人物でも、顧問等々の意見・見解に全く左右されない、ということはありえないだろう。
 この点で、特別顧問(のはず)の、民主党政権に冷や飯を食わされで有名になった、古賀茂明はやや気になる。古賀茂明・日本中枢の崩壊(講談社、2011)を半分くらい読んで止めたのだったが、それは、細かな動きはよく分かったものの、古賀の基本的な政治観・国家観がよく分からなかったからだ。それにそもそも、古賀茂明とは、民主党による「公務員制度」改革に期待していた人物なのであり、民主党という政党・同党の政治家がいかなる政党でありいかなる政治家たちであるかに無知な人物だったのではないか。要するに、民主党の「改革」に<幻想>を持った人物であったのだ。民主党の危険性に無関心だった者を、無条件に信頼することはできない。
 環境経済学者という触れ込みの植田和弘(京都大学教授)も、冷静できちんとした「保守」派であるか否かがよく分からない。原発について、正確な科学的知見にもとづいて判断するという「政治的・行政的感覚」を持っているだろうか。
 橋下徹自身についても、総選挙の争点化する、などの発言はまだ早すぎ、焦りすぎで、<前のめり>し過ぎている印象がある。
 せっかくの、可能性を秘めた人物を、<取り巻き>が誤らせないように、早まって腐らせてしまうことのないように、うまく誘導し、「盛り立てて」?ほしいものだ。
 参照、池田信夫ブログ→ http://ikedanobuo.livedoor.biz/

1077/産経新聞と櫻井よしこと遠藤浩一。

 〇「保守」概念、「保守主義」なるものの意味について考えている。これまでここで取り上げていない文献に言及したいこともある。だが、やや重たいテーマだ。あまり間隔を空けるのも問題なので(と勝手に感じている)、以下の程度でお茶を濁しておこう。
 〇産経新聞1/12櫻井よしこ連載「首相にもの申す」は、かなり興味深い。というのは、櫻井はこの文章の9割ほどをかけて、野田内閣の実績を評価し(「…評価すべき実績が見えてくる」)、同内閣に対する「期待」を語っているからだ。
 前者は①TPP交渉参加表明、②金正日死去の際の哀悼の意の不表明、後者は内閣改造によって「首相が税と社会保障の一体改革に伴う消費税増税に命運をかけた攻勢に出る」ということで、「党内の反対を考慮せず信ずるところを実行に移すのがよい」と述べている。「集団的自衛権の行使を決断」することへの期待も語っている。
 野田佳彦は民主党内「保守」派とされているようで、なるほどイメージとしては鳩山由紀夫や菅直人よりはましのようにも感じる。
 だが、こんなに評価し、期待してよいのだろうか。評価すべきとする①は論者によって(「保守」派論者の中でも)異なるだろうし、②は「当然といえば当然」なのではないか。
 また、もともと、産経新聞上での「期待」を野田はどれほど意識するだろうか、(消費税増税についても議論があるところだが)かりに妥当な内容であったとしても、どれほどの「応援」になるのだろうか、という気もする。産経新聞のスタンスとしては、民主党内閣に対しては、少なくとも<やや辛口>程度ではいるべきだろう。勝手な期待?だが、そうした期待?からすると、櫻井よしこの文章は、産経に期待するレベルを超えて民主党内閣に「甘い」。
 産経新聞1/16の「正論」欄の遠藤浩一の文章は、櫻井よしことはだいぶ論調が異なる。
 遠藤は、内閣改造による「社会保障と税の一体改革」への「不退転の決意」表明に(櫻井よしこの上記文章もあるが-秋月)世論も市場も冷たく、それは「こうした重要にして困難な政策を進めていく当事者能力および適格性が野田・民主党政権にあるのかという不信が払拭されていないからだろう」等と述べる。
 そして一番最後の文章は、「野田氏に期待するのは空しいということである」、となっている。
 櫻井よしこによる「期待」を意識して書かれたのではないだろうが(あくまで推測)、遠藤浩一のスタンスは櫻井とはかなり異なる。
 こういう違いが同じ産経新聞紙上で見られるのは興味深いことだ。そして、遠藤浩一の感覚の方が、私はまっとうだと思っている。 

1057/竹内洋・革新幻想の戦後史(2011)と「進歩的大衆」。

 〇二つの雑誌での連載をまとめた(大幅に加筆・補筆した-p.513)、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011.10)が刊行されている。
 その「はじめに」の中に以下。
 ・「『進歩的文化人』という用語は死語になったが、『進歩的大衆人』は増えているのではないか。や昔日の進歩的文化人はコメンテイターやニュースキャスターの姿で跋扈している」。
 「戦後」は終わったなどという妄言を吐いている東京大学の現役教授もいるようだが、<革新幻想の戦後史>は、現在もまだ続いている。著者・竹内もそのように理解していると思われる。
 親社会主義・<進歩>主義・<合理>主義を「知的」で「良心的」と感じる体制的雰囲気あるいは「空気」は、月刊WiLL(ワック)や月刊正論(産経)等の存在と奮闘?にもかかわらず、ましてや隔月刊・表現者(ジョルダン)という雑誌上でのおしゃべりにもかかわらず、決して弱くなっていないだろう。
 竹内洋の上掲書の終章の最後の文章は以下。
 ・「繁栄の極みにあった国が衰退し没落する例」をローマ帝国に見たが、「その再現がいま極東の涯のこの地で起こりかけていまいか。……『幻想としての大衆』に引きずられ劣化する大衆社会によって…。」(p.512)

 いかに問題があっても「日本」がなくなるわけがない、「日本」国家とその文化が消滅するわけがないと多くの人は無意識にでも感じているのだろう。しかし、歴史的には、消滅した国家、消滅した民族、消滅した文化というのはいくらでもある。緩慢にでも、そのような方向に紛れもなく向かっている、というのが筆者の決して明瞭で決定的な根拠があるわけでもない、近年の感覚だ。
 竹内によると、そのような「衰退と没落」は増大している<幻想としての・進歩的大衆>によって引き起こされる。
 〇最近、知人から、「在日」韓国・朝鮮人問題や日本のかつての歴史に関することを話題にしている、ある程度閉じられているらしい投稿サイトの関係部分のコピーを送ってもらった。
 元いわゆる「在日」で今は日本でも韓国でもない外国で仕事をしているらしき人物は、かつて(「併合」時代の)日本政府は「当時韓国でハングルの使用(読み書き話す)を禁止した」、という<歴史認識>を有している。
 この点もいつか問題にしてみたいが、とりあえず今回は省略する。
 興味深いのは、かつての朝鮮半島「併合」やかつての日本を当事者とする(大陸での)戦争に関するやりとりの中で、第三者にあたる人物が、つぎのように記していることだ。
 元「在日」の人物に対する純粋の?日本人をAをしておこう。女性らしき、「seko」または「せこ」をハンドル・ネームにしている人物は、次のように書いている。
 「A君の歴史的認識には納得できません。…。いろいろなブログで勉強しているそうですが、なんでも鵜呑みにしないで事実確認をして書き込んでほしいです。日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで年に7,8回行っていますが、反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見ています。最近、韓国ドラマが日本でもたくさん放映されていますので、A君もよかったら見てください。特に歴史ドラマは男性にはお薦めです。」 

 「私たちが生まれる前の出来事でしたが、日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実です。反日感情が大きいのも納得できますし、私たちが謝ってすむ問題でもありません。でも謝りたいです。大好きな韓国と仲良くしたいから・・・申し訳ありません。」
 こんな内容の書き込みは、私は全くといってよいほど閲覧してしていないが、このイザ!のサイトにもいくらでもあるのだろう。
 ただ、より<大衆レベル>のサイトで、今日の日本の多数派を占めるようにも思われる<大衆>の意識が示されているようで、興味をもち、引用してしまった。
 この女性は(紹介・引用をしていないが)Aの「歴史的認識」は誤っている旨を断言し、ほぼ同じことだが、「日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実」だと断言している。
 このような断定的叙述はいったいどこから生じているのか?
 村山談話(1995)、菅談話(2010)、NHKの戦争「歴史」番組等々からすると、これこそが体制的・公式的な、そして時代の「空気」を表現している見解・「歴史認識」なのだろう。
 そして、上に見られるように、生まれる前のことだが「謝りたい」とも明言している。
 これこそ、「左翼的」・「進歩的」な歴史認識そのものであり、そして過去の日本の「責任」を詫びて「謝る」のが「進歩的」で「良心的」な日本人だ(そして自分もその一人だ)、という言明がなされているわけである。いわゆる「贖罪」意識と「贖罪」史観が示されている、とも言える。
 そしてまたこれこそが、「進歩的文化人」はなくなったとしても増え続けている、竹内洋のいう「進歩的大衆人」の言葉に他ならない、と思われる。
 このような意識・認識・見解を持っている「進歩的大衆」は、どのようにすれば歴史に関する異なる見方へと<覚醒し>、<目覚める>ことができるのだろうか。
 上の人物が専門書や諸雑誌をしっかりと読んで、上のような「歴史的認識」と「謝り」の表明に至ったわけではないだろう。上で少しは触れたように、時代の「空気」、体制的な「雰囲気」なのだ。
 この人物とて、新聞広告や書店で、自らの「感覚」とは異なる見解・考え方をもつ者の本等もあることくらいは知っているだろう。
 しかし、<思い込んで>いる者は、<歴史に謙虚に向かい合わない>「右翼」がまだいる、日本人はもっともっと<反省>し、過去の「歴史」を繰り返してはならない、などと思って、そのような本や雑誌を手にしようとする気持ちを抱く可能性はまるでないのではあるまいか。
 月刊WiLL、月刊正論等々、あるいは産経新聞がいくら頑張っても届かない、<進歩的大衆人>が広汎に存在している。
 <保守>論壇や<保守>的マスコミの中にいて、仔細にわたると対立がないわけではないにしても、<閉鎖的>な世界の中であれこれと言論活動をしている人々は、<井の中の蛙>の中にならないようにしなければならない。自分たちは「進歩的大衆人」に囲まれた<少数派>であることをしかと認識しておく必要があるだろう。むろん、櫻井よしこに対しても、このことは言える。
 なお、上の女性(らしき、「seko」という人物)は「日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで…反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見てい」る、と書いて、自らの「歴史的認識」の妥当性を補強しているようでもある。
 だが、むろん、現在の韓国が、あるいは現在の日韓関係がどうであるかということの認識・見解と、かつての日本の行動の「歴史的」評価とはまるで関係がない。多少とも関連させているとすれば、「お笑い」だ。

1051/月刊WiLLと屋山太郎は「保守」か?

 〇先の日曜日(10/23)に手に入れた撃論第3号(オークラ出版、発行日付は2011.11.18)は、背表紙に「月刊誌『WiLL』は日本の国益に合致するか」とあって、凄まじい。
 但し、この背表紙に明らかに即した論考は、月刊WiLL誌上等で「脱原発」を主張する西尾幹二を批判する中川八洋のものくらい(p.86-)で、「月刊誌『WiLL』は、日本の国益に合致するか」と題する二頁の「編集部」の文章が最も即している(p.74-75)。この雑誌の編集人は「三田浩生」となっている(奥付p.184)。
 この文章によると、①月刊WiLLが「国益」を度外視した「商売至上主義の雑誌だとすれば」、「保守」でない。②月刊WiLLは「民族系の読者層をターゲットに絞っているだけ」でないか。③月刊WiLLは、菅直人・孫正義らの「脱原発」路線に編集方針をシフトさせ、「悪魔の脱原発」を批難しない。例として、西尾幹二・小林よしのりの論考・漫画の掲載、「マルキスト武田邦彦」の議論の「絶賛」、太陽光発電の欠陥を理解しない「超バカ」辛坊治郎の「もちあげ」等。④月刊WiLLは「反左翼イデオロギー」を持たない「日本の民族系」の欠陥に着目して(国家解体・亡国の)「アナーキズム」へと「巧みに誘導」している(p.74-75)。
 この文章の基本的主張およびこの雑誌の編集方針は「原発の推進」による「安定的で潤沢な電力供給」(→日本経済の発展・成長)のようだ。そしてこの観点から、菅直人・武田邦彦らを批判している高田純の論考(p.76-)も、<反月刊WiLL>特集?の一環と位置づけられているらしい。
 原発問題は私には「分からない」としか言いようがなく、従って脱原発=非保守とはただちに断じ難い。また、月刊WiLLが全体として「反左翼」性のない、非「保守」の雑誌だとは感じていない。
 だが、月刊WiLLに何やらいかがわしい部分、あるいは「非保守=左翼」的部分を感じてきたことはある。
 月刊WiLLだけではないが、反雅子皇太子妃の西尾幹二らの文章を掲載して大きく宣伝したのは月刊WiLLだった。小林よしのりを近年登場させているが、彼の最近の主張内容は「保守」か否か以前のレベルにあるように思える。
 何よりも、2009年に民主党支持を明確にしていた屋山太郎の文章を依然として巻頭コラムの一つとして使い続けているのは、きわめて疑問だ。月刊WiLL誌上で相も変わらず「天下り根絶」と叫び続けている屋山太郎は、もはや客観的状況の全体を見ることのできない、「非・保守」の論?者だと思われる。
 また、勝谷誠彦もそうなのだが、元文藝春秋グループの一人・花田紀凱(月刊WiLL編集長)は、「ジャーナリスティックな」勘は鋭いが、主義と商売とどちらを大切にするのだろうと不安にさせるところがある。商売上手、話題作りの巧さは「保守」派にも必要だが、商売上手・話題作りの巧さが「保守」性を証明するわけではむろんない。
 ところで、撃論「編集部」の上の文章によると、月刊WiLLの販売部数は月平均約10万部、産経新聞社の月刊正論は実売2万部以下、らしい。「保守」派雑誌の代表らしき月刊正論よりも5倍も売れているとは驚いた(事実とすればだが)。産経新聞社・月刊正論は、執筆者の選考等を再検討してみる必要があるのではないか。
 むろん、前回に書いたように40万部ですら有権者の1%程度にしか読まれていないのだから、10万や2万程度で、社会・政治全体が大きく変わることはありえない(これらの雑誌の全国紙への見出し等の大きな宣伝広告の方が影響力があるかもしれないとすら思う)。
 これは月刊WiLLについても同じだが、月刊正論の常連の執筆者だからといって、「保守」の世界での有名人だなどと威張っている者がいるとすれば、バカだ。
 〇櫻井よしこ代表の国家基本問題研究所は、依然として屋山太郎を「理事」として遇し続けている。この人物を「つまみ出す」ことができないような団体は、もはや<保守>派とは言えないのではないか。
 産経新聞は代表・櫻井よしこを重用し、「正論」執筆者グループの中に田久保忠衛(副理事長)や屋山太郎も加えている。産経新聞自体、その「保守」性は完全なものではない。広く「保守」を結集する(させる)のはよいが(西尾幹二も産経にときどき書いている)、屋山太郎の起用だけは大いに疑問だ。遅くとも2009年以降、自民党よりも(「左翼・反日」の)民主党を支持し続けている人物が「保守」と言えるのか?
 3/11以降の「正論」欄に憲法改正の必要性を(たぶん非常事態対処との関連で)主張する文章が載っていたが、いかほどの「現実」感覚があるのか、疑わしい。憲法改正の必要性は百も承知だが、それが可能な「現実」的政治状態(要するに国会内の状況)であるのか、そしてまた、憲法改正の必要性を論じるのではなく、重要なのは、いかにして国会内に2/3以上の憲法改正賛同勢力を創り出すか、だろう。その課題・戦略に触れない憲法改正必要論など、ほとんど無意味だと思われる。

 ところで、中山成彬を会長とする「国想う在野議員の会」のウェブサイトを見ていると、「文化人及び有識者の応援団」((2010年4月20日現在)として、青山繁晴、潮匡人、田母神俊雄、百地章、国家基本問題研究所の理事を辞めている中西輝政ら28人の名があった。
 屋山太郎が除かれているのは結構なことだ。但し、田久保忠衛と花田紀凱の名もある。とくに後者にやや驚く。花田紀凱とは、さほどに政治的・実践的な関与のできる人物なのか、と。花田が28名の中で違和感なく存在しているとすれば、月刊WiLLは「基本的には」、「保守」派の雑誌だと思うのだが、これは(撃論編集部に非難される)買いかぶりだろうか。
 八木秀次・渡部昇一の名もあり、やや気になるが、この二人については今回は省略する。 

1044/石井聡と櫻井よしこ論考+政治部記者の法的感覚。

 〇すでに批判的に言及した月刊正論9月号巻頭の櫻井よしこ論考(談)を、産経新聞8/21の「論壇時評」で、石井聡は、こう紹介している。
 「『菅災』が大震災や原発事故対応にとどまらず、外交面でも国益を大きく損なったと批判するジャーナリストの櫻井よしこは『希望がないわけではありません』という〔出所略〕。民主、自民両党の保守系議員らが『衆参両院の各3分の2』という憲法改正の高いハードルを2分の1に下げることを目指す『憲法96条改正を目指す議員連盟』で既成政党の枠を超えた活動を始めており、これが日本再生への起爆剤となると期待しているからだ。/同時に櫻井は『不甲斐ないのは自民党現執行部』と、菅の延命を見過ごした野党第一党の責任を問うている。谷垣禎一総裁の下で『相も変わらず、元々の自民党の理念を掲げていない』と憲法改正に取り組む熱意の薄さを批判し、民主党政権と『大差のない政策しか提示し得ていない』と言い切る」。
 以上が全文で、「時評」と掲げるわりには論評部分はない。
 この石井聡や最近に吉田茂の「軍事参謀」だった辰巳栄一に関する著書(産経新聞連載がもと)を刊行した湯浅博等々のように、産経新聞社内には、屋山太郎や某、某等々の知名度はよりあると思われる者たち以上の知見と文章力を持った論客がいると、とくに最近感じているのだが、上の後半部分、とくに櫻井よしこが自民党は「民主党政権と『大差のない政策しか提示し得ていない』と言い切」ったことについて石井聡は、あるいは産経新聞編集委員たちは、どう評価しているのかを知りたいものだ。
 産経新聞は民主党を厳しく批判してきたが、自民党を積極的に支持してきたわけでもなさそうだ。それは、産経新聞が自民党の機関紙のごとく世間的に印象づけられることが経営的にもマズいと判断しているからかもしれないが、よく分からない。
 だが、もともと産経新聞は自民党よりも「右」だという印象を持つ者も少なくはないだろう。一方また、西部邁や西尾幹二のように、産経新聞に対する批判を明言する「保守」派論者もいる。
 ともあれ、櫻井よしこに対する遠慮などをすることなく、個人名であるならば、自民党は民主党と「大差がない」という櫻井の理解が適切なものかどうかくらいにはもう少し立ち入ってみてもよかったのではないか。日本の今後にとっても基本的な論点の一つだろうから。
 〇産経新聞の8/14社説は「非常時克服できる国家を」等と題うち、菅直人政権の非常時対応について、こう書いた。
 「戦後民主主義者が集まる国家指導部は即、限界を露呈した。緊急事態に対処できる即効性ある既存の枠組みを動かそうとさえしなかったからだ。安全保障会議設置法には、首相が必要と認める『重大緊急事態』への対処が定められているが、菅直人首相は安保会議を開こうとしなかった。重大緊急事態が認められれば、官僚システムは作動し、国家は曲がりなりにも機能したはずである」。
 菅政権を「戦後民主主義者が集まる…」と規定していることも興味深い(誤りではないだろう)。さらに、菅首相(当時)の「不作為」として、安全保障会議設置法にもとづく同会議の招集の不作為のみを挙げ、一部?に見られた、①災害対策基本法による<緊急政令>発布の不作為、②武力攻撃事態等国民保護法の震災・原発事故への適用の不作為、を挙げていないのは、私と同じ適切な法的理解に立っているように思われる。このような社説(産経の「主張」)の中でこれらの①②も問責していれば、おそらく産経新聞は大恥をかいていただろう。
 さらに遡るが、但木敬一(元検事総長)は産経新聞7/27でこう論じていた(一部要約)。
 ・内閣法6条は「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、行政各部を指揮監督する」と定めるが、同法5条の1999年改正により閣議を内閣総理大臣が主宰する旨の規定に、「この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる」という文言が追加された。
 ・菅直人首相が「特に7月13日、官邸に記者を集め、脱原発を提唱したのは、内閣法の精神にもとるように思われる。エネルギー政策の転換は、国民生活、経済活動に幅広く、かつ深刻な影響を与える。従来の内閣の方針に明示的に反する政策の大転換は、まさに『内閣の重要政策に関する基本的方針』そのものではないのか。各国務大臣がそれぞれの観点から複眼的に閣議で論議すべき典型的事例であり、閣議を経ずして総理が独断で口にすべきことではない」。
 このように但木は、菅による「脱原発」との基本政策の表明を、内閣法(法律)違反ではないか旨を述べている。
 首相のあらゆる言動が(浜岡原発稼働中止要請も含めて)閣議による了解(または閣議決定)を必要とするかは、上の内閣法6条「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基づいて、行政各部を指揮監督する」の射程範囲の理解または解釈にかかわる議論が必要だし、すでにあるものと思われる。「内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議」する権限が、「重要政策に関する基本的な方針」の決定・表明に関する<義務>なのかどうかも議論する余地はなおあるだろう。
 むろん政治的・政策的な検討や議論はなされてよいのだが、上で指摘しているのは「法的」検討の必要性であり、「法的」論点の所在だ。
 菅直人による(閣議を経ない)浜岡原発稼働中止要請や(閣議を経ない)「脱原発」基本政策表明がはたして法的にあるいは法律上許容されるのか、という問題があるはずなのだが、産経新聞の阿比留瑠比も含めて、どの新聞社の政治部記者たちも、そうした法的問題があるという意識自体をほとんど欠落させたままで日々の記事を書いているのではないか。これはなかなか恐ろしい事態だ、というのが先日に書いたことでもある。

1043/屋山太郎は「恥を知れ」と指弾されるべき。

 民主党「たらい回し」野田政権成立にかかわって書きたいことも多いが、とりあえず書きやすいテーマでごぶさたを埋めておこう。
 産経新聞9/02の「正論」欄で岡崎久彦は「官僚を使えなかった教訓学ぶ」という見出しを立てて、こう書いている。
 「官僚の使い方を知らなかったことに気付いたということも大きい。〔中略〕/日本人は誰も任務をサボろうなどとはしない。そんな時に上から、思い付きで、チョロチョロ小知恵を出すのが一番いけない。政治家の決断は必要であるが、決断の必要は、緊急事態ほど、応接に遑ないほど後から後から、下から上がって来る。その都度、果断な決断を下し、その責任を取るのが上に立つ人の任務である。/事件が起きてから有識者の意見を求めるなどは本末転倒である。意見は普段からよく聞き、有事には決断しなければならない。忙しい時に有識者会議など人選して招集するなどは、部下に余計な事務の負担を強いることになる。/その点、今や全て反省されている。民主党政権ができて以来、現在までに国民が被った損害、負担は少なからぬものがあるが、それで教訓を得たというならば、将来の二大政党体制にとってはプラスとなったといえよう」。
 同じく産経新聞8/24に但木敬一(元検事総長)はこう書いていた。
 「わが国の危機を深めたのは、政治主導という無意味なスローガンによって官僚機能を破壊してしまったことである。憲法上も法律上も、行政権は内閣に属しており、各省の権限は大臣に集中している。政治主導はわが国の基本的システムであり、これをことさらに提唱することは、自らの統治能力のなさを独白するに等しい。/それによって何が起こっているか。大臣が壁となった省庁間の情報の切断と省庁を超えた官僚による解決策の模索の放棄である。極端な大臣は、省の重要な政策決定の場から官僚を排除し、副大臣、政務官とだけ協議するという手法を用いた。そこで決断できないときは、いわゆる有識者の意見で政策を決定することになった。官僚たちは、官僚の出すぎと叱責されることを嫌い、以前にも増してリスクをとることを避け、自主的に判断することを躊躇し、待ちに徹することになる。行政の意思決定は明らかに遅くなり、外交・内政を問わず、頓珍漢な大臣コメントが出され、朝令暮改されるケースも珍しくなくなった」。
 岡崎久彦のように将来のための良い教訓になったと楽観的に?見てよいかは疑問なしとしないが、民主党政権のもとで、<政治主導>(=官僚支配の打破)のかけ声の下で生じたことを、上の二人は、適確に述べていると思われる。外務・検察官僚OBで、より一般的な官僚OBではないが、さすがに事態を適切に把握している。
 一言でいえば、民主党内閣は、行政公務員を(行政官僚を)うまく使いこなすことができなかったのだ。それは自らの行政(・関係行政法令)に関する知識の足りなさを自覚することなく、議員出身というだけで行政官僚よりも<すぐれた>知見を持っている、というとんでもない「思い上がり」によるところが大きかっただろう。そんな、行政官僚に実質的には軽視・侮蔑される副大臣や政務官が何人いたところで、適切に行政(多くは法令の執行)がなされるはずはない。
 ところで、再述になるが、「政治主導の確立と官僚主導の排除」の問題を「公務員制度改革」の問題へと次元を小さくし、さらに<天下り禁止>の問題に矮小化しているのが、屋山太郎と櫻井よしこだ。
 最近に書いたように、屋山太郎の意見を紹介しつつ、櫻井は、菅政権のもとで<以前よりも官僚が強くなった(以前よりも「勝手を許」した)>のが問題だ、という事態の把握をしている。
 屋山太郎は産経新聞8/16の「正論」欄でこう書いていた。
 2009総選挙の際に(民主党が)「最も人心を捕らえたのは『天下り根絶』の公約だっただろう。〔中略〕/民主党は『天下り根絶』と『わたり禁止』を標榜(ひょうぼう)した。天下りをなくすということは肩たたきという役所の慣行を変えることである」。
 これが実践されなかったと嘆いた?のち屋山は、「『天下り根絶』の旗降ろすな」という見出しを立てて、こう続ける。
 「代表選に当たって、民主党はあくまで、『天下り根絶』の意思があるかどうかを争点にすべきだ。/公務員制度を改革し、政治主導の司令塔としての国家戦略局、独法潰しのための行政刷新会議を設置(立法化)できるかどうかで、民主党の真価が決まるだろう」。
 この屋山太郎という人物によると、現今の政治課題で最重要なのは、行政官僚の<天下り禁止>を実現するか否か、にあるようだ。
 同じようなことを月刊WiLL等々でも書いている。
 どこかズレているか、同じことだが焦点の合わせ方が違っているか、政治課題全体を広く捉えることができていないことは明らかだ。
 この人物によると<天下り禁止>さえできれば世の中はバラ色になるが如きだ。
 <政治主導>〔官僚支配の打破)なるかけ声の問題性は、上の二人が述べているように、<天下り禁止>の問題に矮小化されるようなものではない。
 やや離れるが、上の産経新聞「正論」で屋山太郎は「蠢く『小鳩』よ、恥を知れ」という見出しで小沢一郎らを批判している。しかし、屋山太郎こそ「恥を知れ」と言われなければならないだろう。
 2009年総選挙の結果について<大衆は賢明な選択をした>と明言し、自民党を批判しつつ民主党に期待したのは他ならぬ屋山太郎だったことを忘れてはならない(この点は当時に正確に引用したことがある)。
 そのような民主党への期待が幻想にすぎなかったことはほぼ明確になっているが、二年前の自らの期待・評価・判断が誤っていたということに一言も触れず、読者等を民主党支持に煽った責任があることについて一言も詫びの言葉を述べていないのが、屋山太郎だ。
 屋山は自らを恥ずかしいと思っていないのか? 無責任だと思わないのか? こんな人物が「保守」派面をして産経新聞等々の「保守」派らしき新聞・雑誌に登場しているのだから、日本の「保守」派もレベルは低いと言わざるをえない。
 政府の審議会の委員を何年か務めたくらいで、政治・行政、政権・行政官僚関係をわかったような気がしているとすれば大間違いだろう。冒頭の二人のように(佐々淳行もそうだが)、実務経験の長かった行政官僚OBの方が、はるかに、政治と行政公務員の関係をよく理解し、適切に問題把握している、と見て間違いはない。

1039/櫻井よしこの政治感覚は研ぎ澄まされているだろうか。

 一 月刊正論9月号(産経新聞社)の巻頭、櫻井よしこ「国家は誰のものか」(談)は主として菅直人批判に費しつつ、谷垣自民党批判と一定の議員グループへの期待をも語っている。
 7/15の民主党議員グループの行動に流れの変化を感じるとしつつ、櫻井は続ける。-「一方、不甲斐ないのは自民党現執行部」で、菅直人が延命できるのは「現在の自民党執行部の責任でも」ある。谷垣禎一を次期首相にとの世論が少ない「理由は明らか」で、「相も変わらず、元々の自民党の理念を掲げていないから」だ。「憲法改正、教育改革、国家の自立など」の点について、「民主党の菅、鳩山政権と大差のない政策しか提示し得ていない…」(p.60-61)。
 このような叙述には、首を傾げざるをえない。
 自民党(谷垣自民党でもよい)の「憲法改正、教育改革、国家の自立など」の「政策」は「民主党の菅、鳩山政権と大差のない」、という認識または評価は、いったいどこから、どのような実証的根拠をもって、出てくるのだろうか。谷垣「リベラル」自民党との距離感をずっと以前にも示していた櫻井よしこだが、櫻井もまた「相も変わらず」何らかの固定観念にとらわれてしまっているのではないか。
 自民党のしていることを無条件に擁護するわけではないが、親中・「左翼」の「菅、鳩山政権と大差のない」などと論評されたのでは(しかも上記のような基本的論点について)、さすがの自民党「現執行部」も文句の一つでも櫻井に言いたくなるだろう。
 この冷たい?自民党に対する態度は、2009年総選挙の前後にも櫻井よしこに見られたところだった。
 櫻井よしこが上の部分の後に書いているところによれば、彼女が期待するのは「谷垣自民党」ではなく、6/07に初会合があった憲法96条改正議員連盟に賛同しているような、「既成政党の枠を超えた」議員グループのようだ。
 櫻井よしこは、この議員連盟こそが「真に日本再生に向けた地殻変動の起爆剤になる」ことを期待し、「彼らの議論から党を超えた連帯意識が生まれ、真の意味で政界再編の機運が高まる」ことを願っている。その際、「民主党、自民党、そのほかどの政党に身を置」いていようと関係がない(p.61)。
 櫻井よしこが現自民党に対して<冷たい>のはこういう代替的選択肢を自らのうちに用意しているからだろう。
 しかし、思うのだが、かかる期待や願望を全面的に批判する気はないが、櫻井は見方が少し甘いのではないだろうか。
 2009年の時点でも、明言はなかったようでもあるが、自民党よりも<真の保守>に近いと感じていたのだろう、櫻井よしこには自民党ではなく「たちあがれ日本」や「創新党」に期待するような口吻があった。しかして、その結果はいったいどうだったのか?。
 反復にもなるが、当時に自民党への積極的な支持を明言しなかった保守論客は、客観的・結果的には、民主党への「政権交代」に手を貸している。現時点ではより鮮明になっただろう、民主党政権の誕生を断固として阻止すべきだったのだ。保守派は2009年に敗北したのだ。この二年前の教訓は、今年中にでも衆議院解散・総選挙がなされる可能性のある現時点で、生かされなければならないだろう。
 党派を超えた動き、それによる「真の政界再編」を夢見るのは結構だが、それらは次期総選挙までに間に合うのか??
 櫻井よしこは、とりあえずにでも現執行部の自民党を中心とした政権が成立するのがお好きではないようだ。そんな態度をとり続けていると、民主党「たらい回し」政権があと二年間も延々と(!)続いてしまうのではないか。
 二 櫻井よしこの週刊新潮8/25号の叙述の一部にも気になるところがある。
 民主党あるいは鳩山・菅政権の「政治主導」が失敗し、むしろ消極的で悪い効果をもたらしたことは、多言しないが、明らかだ、と思われる。政治主導あるいは官僚排除の姿勢によって、政治・行政運営に「行政官僚」をうまく活用することができなかったのだ。
 ところが、そういうより広い観点からではなく、櫻井よしこは「政治主導の確立と官僚主導の排除」を「公務員制度改革」の問題に矮小化し、「以前と比較にならない官僚の勝手を許す結果に陥った」と菅政権を総括している(p.139)。
 行政官僚をうまく使いこなせなかったことではなく、櫻井によると、<以前よりも官僚が強くなった(以前よりも「勝手を許」した)>のが問題だ、というのだ。
 このような事態の認識は、全体を見失っている。そして、このような認識と評価は、政官関係について「相も変わらず」屋山太郎から情報と意見を入手していることに原因があるようだ。
 「天下り禁止」の有名無実化を批判するのはとりあえず結構だが(なお、古賀利明の本にいつか言及する)、この問題に焦点を当てているようでは、議論の対象が「ちんまい」。問題把握のレベルが小さすぎ、視野狭窄があり、優先順位の序列化の誤りもある。
 すぐれた政治感覚と政治・行政実務に関するしっかりした知識をもった、信頼できる<保守>論客はいないものだろうか。憂うこと頻りだ。    

1008/櫻井よしこは不信任案の意味を知らない!

 日本国憲法69条「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」。
 産経新聞6/09の櫻井よしこの文章(菅首相に申す)の第一文はこうだ。
 「菅直人首相への不信任決議案は、首相ひとりではなく、菅政権そのものに突きつけられたものだ」。
 櫻井よしこは何を言っているのか? ずっこけるほどの、目を剥く文章だ。
 6/02に衆議院で議決されたのは内閣不信任決議案であって首相不信任決議案ではないことは憲法条項からも明らかだ。かりに厳密には「内閣」<「政権」だとしても、まさに「首相ひとりではなく、菅政権そのものに突きつけられたものだ」。このことすら知らないで、新聞の一面を飾る?文章を書き、国家基本問題研究所なるものの理事長でもあるらしいのだから、恐れ入る。
 かつてこの欄に書いた文章を確認する手間を省くが、櫻井よしこは2009年夏に、①民主党の詳細な政策がよく分からないので早く具体的なマニフェストを公表してほしい旨を書き、民主党内閣成立後には、②<期待と不安が相半ば>する旨を書いた、そういう人物だ。
 民主党の少なくとも幹部連中のこれまでの政党遍歴・諸発言を知っていれば、民主党の詳細な政策など知らなくとも、櫻井よしこが批判していた自民党よりも<よりましな>政権になるはずはないだろう、ということくらいはすでに判るのが、優れた評論家であり国政ウォッチャーであり、「国家基本問題」の研究者だろう。情けなくも、早く具体的で詳細な政策を明らかにせよ(そうでないと評価できない)と櫻井よしこは書いていたのだ(①)。
 また、ある時期からは明確に民主党や同党内閣批判の姿勢に転じたようだが、上記研究所理事の屋山太郎の影響を受けてか、民主党政権の成立当初は、櫻井よしこのこれへの姿勢は曖昧なままだった、ということも忘れてはならないだろう(②)。

 また、櫻井よしこはその後も、「谷垣自民党」と民主党は<同根同類>だ旨も強調して、自民党も期待できないという雰囲気を撒き散らしてきた。このような櫻井の認識では説明できなかったのが、(詳細は省くが)この間の政界・政局の動向だっただろう。要するに、櫻井は、残念ながら、適確に政治状況を把握し切れているわけでは全くない。また、反中国専門家ではあるようだが、しかし、反フェミニズムの専門家では全くない。
 ついでに。櫻井よしこには今年初めに、正論大賞が贈られた。産経ニュースから引用すると、「櫻井氏はシンクタンク・国家基本問題研究所を設け『日本人の誇りと志』を取り戻そうと活動。ぶれない姿勢、切れ味鋭い論調が評価され、正論大賞が贈られた」らしい。
 「ぶれない姿勢、切れ味鋭い論調」とは少し?褒めすぎではないか?? 産経新聞社自体が、「ぶれない姿勢、切れ味鋭い論調」では必ずしもないのだから、社の論調に近い原稿を寄せてくれる者に対する<内輪褒め>のようなものだろうか。
 と書きつつも、筆者の頭を離れないのは、(とりわけ憲法9条2項削除・自衛軍の正式設置のための)憲法改正に向けた<多数派>をいかに形成するか、という問題・課題だ。
 その目標に向けて櫻井よしこにも働いてもらわなければならず、櫻井を全面的に非難・批判しているわけではむろんない。但し、和服を着て母親とともに受賞式場に現れて、嬉しそうに微笑んで、<功成り名を遂げた>ような挙措をするのはやめてほしかったものだ。
 日本の全状況から見ると、櫻井よしこらは(私もだが)<反体制>派であり、<少数派>にすぎないことを、深刻に、悲痛な想いで、つねに自覚しておくべきだろう。ニコニコとしている場合では全くない。 

0990/<保守派>論客を出自・元来の専門分野から見ると…。

 〇西尾幹二・西尾幹二のブログ論壇(総和社、2010)という本は、その構成・編集の仕方が分かりにくい。渡辺望という目慣れない人の「はじめに」が延々と27頁も続くが、この本の趣旨・成り立ち等を西尾に代わって書いているわけではない。冒頭に、いわば<西尾幹二論>があるのだ。最後の方に唐突に「ブログ管理人/長谷川真美」による西尾幹二のブログの「歴史」が語られたりする。残りは西尾幹二のブログ(インターネット日記)の内容だとは推測されるところだが、ブログ内容に対する読者または知名人の感想等が挿入されていたり、西尾自身の出版直前のコメント等が挿入されていたりするので、いつの時点の文章のなのかもすこぶる分かりにくい。

 それでも、内容自体は興味深いテーマを扱っているので、読む人は読むだろうが、それにしても読者には不親切だ。関係する文章を時系列に関係なく、本文と解説等に分けることもなくごったにしてホッチキスで止めたような感じ。こんな本も珍しい。売れるとすれば、西尾幹二の名前によるところがほとんどではないか。

 〇上の渡辺望「はじめに」は、西部邁についてこう書いている。

 「福田恆存、江藤淳、竹山道雄、林健太郎、渡部昇一」らが「保守派」の論壇に存在していたが、「保守」という言葉を「現代日本に定着させた」のは西部邁の「論壇的功績」で、西部邁の1980年代の登場以降、「保守」という言葉を多くの人が使うようになった(p.19-20)。

 この西部邁論について大きな関心はないし、論評できる能力もない。興味を惹いたのは、そこで挙げられている「保守派」の論客の<出自>あるいは<(元来の)専門分野>だ。

 西部邁は経済学(・思想・歴史)だが、上の5人のうち林健太郎は歴史学・西洋史(とくにドイツ)で、あとの4人はいずれも<文学>畑だ。正確に確認しないが、渡部昇一は英語・英文学、そして西尾幹二もまた独語・独文学(・ドイツ思想・ドイツ哲学)という具合だ。

 福田恆存は英文学科卒、竹山道雄は独文学科卒、江藤淳は文学科英米文学専攻卒。

 このような<文学畑>または<文学部出身者(この場合は「歴史学」も含まれる)>によって<保守派>の論壇が形成されてきた、ということは、日本の<保守論壇>に独特の雰囲気・発想をもたらしているようにも見える。そしてそれは、必ずしもよいものばかりではないように見える。

 経済学部出身の西部邁、佐伯啓思、法学部(但し政治学系)出身の中西輝政あたりはむしろ少数派で、上記のような<文学畑>がなおも多数を占めているのではないか。櫻井よしこはハワイ大学で「歴史」を専攻したはずで、日本の大学でいうと文学部出身になる。

 どのような独特さをもたらしているかについて多少は書きたいこともあるが、ややこしいので別の機会にしよう。いつか言及した三島由紀夫と福田恆存の対談の中にも法学部出身者と文学部英文学科出身者の違いを感じさせる部分があった。

 <保守派>とはいえない屋山太郎は政治・行政に口を出しているので法学部出身かと思っていたら、文学部出身。経済についても法制についても<ドしろうと>なわけで、信頼できないことを書いている理由の一端も理解できる。政府の審議会委員をしていて見聞きして経験したことくらいで、政治・行政を「分かって」いると思っているとすれば、とんでもない勘違いだ。この人はまだ、民主党を1年半前に支持した不明を恥じる言葉を書いていない。

 〇先日の夜と翌朝にかけて、竹田恒泰・日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか(PHP新書、2011)を全読了。2/26~27に月刊WiLL4月号(ワック)の中のいくつかをすでに読了。

0988/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋・民主党大不況へのコメント1。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)、中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)はいずれも読んでいる。とりわけフランス革命やルソーについては、これらの本の影響を受けているかもしれない。

 これらの本についても感じることは、中川八洋は学術的な研究論文にして詳論すればそれぞれ数十本は書けるだろう、そしてその方が読者にはより説得的によく理解できるような内容を、きわめて簡潔に一冊の本にまとめてしまっている、ということだ。この人は、海外・国内のいずれの文献についても、(外国人の著についてはおそらくは英語のまたは英訳された原書で)すさまじいスピードで読み、理解できる能力をもつ人だと思われる。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)についても、ほぼ同様のことはいえるだろう。中川八洋のすべての本を読んできているならば少しは別かもしれないが、そうでないと、簡潔に言い切られている多数のことが、ふつうの?読者には容易には理解できないように思われる。それは、むろん、すでに紹介したように、「民族派(系)」の江藤淳・渡部昇一・西尾幹二等々は「保守」ではない、控えめに言っても「真正保守」ではない、という、中川ら(?)以外の者にとっては一般的ではない、独特の?見解・立場に立っていることにもよる。

 中川の上の著は「ハイパー・インフレと大増税」という副題をもち、「大不況」というメイン・タイトルをもつことから民主党の経済・財政政策批判の本との印象も生じるが、まるで異なる。「大不況」には「カタストロフィ」というフリガナがついていることからすると、<民主党による日本大崩壊(大破綻)>というのが基本的趣旨で、同時にそのような民主党政権誕生を許した自民党や<民族系>論者を批判することを目的としているように感じられる。その意味では<「民族派」(保守)大批判>というタイトルでも決して内容と大きく矛盾していないと思われる。

 にもかかわらず、実際のタイトルになっているのは、<「民族派」(保守)大批判>では売れない、<民主党批判>本なら売れる、という出版社・編集者の判断に従っているかにも見える。

 上のことはこの本の感想の第一ではまったくないが、中川八洋とて、<出版>そして<売文>業界という世俗と完全に無縁ではいられない、ということを示してもいるだろう。

 さて、中川八洋・民主党大不況(2010)への簡単なコメントはむつかしい。ここで触れられていることは、この欄であれこれと書いてきた多くのことに、あるいはマスメディアや多数の論者が議論してきた多くのことに関係している。

 とりあえずは二点だけ述べる。

 秋月瑛二の私見あるいはこの欄の基本的立場は昨年の7月に「あらためて基本的なこと」と題して書いたとおりだ。
 以下は一部のそのままの引用。 

 ・左右の対立あるいは<左翼>と<保守>の違いは、<容共>か<反共>かにある。<容共>とは、コミュニズムを信奉するか、あるいはそれを容認して、それと闘う気概を持たないことを意味する。<容共>と対立するのがもちろん<反共>で、<保守>とは<反共主義>に立つものでなければならない。コミュニズムを容認または放置してしまうのではなく、積極的に闘う気概をもつ立場こそが<保守>だ。
 ・米国との関係で、自立を説くことは誤ってはいない。<自主>憲法の制定も急がれる。その意味では<反米>ではある。だが、現在の最大の<溝>・<矛盾>は、コミュニズム(共産主義・社会主義)と<自由主義>(・資本主義)との間にある。<反共>をきちんと前提とするあるいは優先した<反米>でなければならない。<反共>を優先すべきであり、そのためには、米国や欧州諸国のほか韓国等の<反共>(・自由主義)諸国とも<手を組む>必要がある。以上のかぎりでは、つまり<反共>の立場を貫くためには、<親米>でもなければならない。
 ・日本と日本人は<反共>のかぎりで<親米>でありつつ、欧米とは異なる日本の独自性も意識しての<反米>(反欧米、反欧米近代)でもなければならない。そのような二重の基本的課題に直面していると現代日本は理解すべきものだ。

 こうした考え方からする中川八洋著に対する第一の感想は、<反共>主義の立場であること、<保守=反共>と完璧に理解すること、が鮮明で、他の多くの<保守>派とふつうは言われている人々の論調に比べて、共感するところ大だ、ということだ。

 述べたことがあるように、佐伯啓思の本は刺激的で思考誘発的で、かつ<西欧近代>への懐疑の必要性について教えられることが多い。だが、佐伯はコミュニズム(・共産主義)との対立は終わった、<社会主義対資本主義>という議論の立て方はもはや古い、というニュアンスが強く、結果として、現実の中国・北朝鮮に対する見方が甘くなっているのではないかという疑問も生じる。上記のような<親米>でも<反米>でもあるという立場は佐伯啓思の論じ方にも影響を受けているが、<反共>と<反米>のどちらをより優先させるべきか、と二者択一を迫られた場合、やはり<反共>(現実には反中国・反北朝鮮等)を選択すべきで、そのためには米国をも利用する(その限りでは<親米>になる)必要があると考えられる。そういう根本的な発想のレベルでは、佐伯啓思にはやや物足りなさも感じている。昨秋の尖閣問題の発生以降の佐伯の産経新聞紙上の論調は何となく元気がないと感じるのは、気のせいだろうか。

 櫻井よしこ渡部昇一がとの程度マルクス(・レーニン)主義を理解しているのかはかなり疑わしい。櫻井よしこはしきりと<反中国>の主張を書いていて、そのかぎりで<反共>だと言えると反論されそうだが、しかし、そのとおりではあるとしても、桜井の文章の中には、見事に、「共産主義」や「社会主義」という言葉が欠落している。

 櫻井よしこに限らず、中国について<中華思想>の国(・地域)だとか、日本と違う<王朝交代>の国(・地域)だとか、その<民族>性自体に対する批判は多く、桜井も含めて中国の帝国主義的(?)、覇権主義的(?)、領土拡張主義的(?)軍事力増大に対する懸念・批判は多く語られてきている。だが、中国の元紙幣には現在でも毛沢東の顔が印刷されているように、中国は毛沢東が初代の指導者であった中国共産党が支配する国家であり続けている。

 そして毛沢東・中国共産党はまぎれもなく、マルクス・レーニン(・スターリン)の思想的系譜をもっていること、中国は<現存する社会主義>国家であることを決して忘れてはいけない。その領土拡張主義的政策に大昔からの<中華思想>等をもって説明するのは本質を却って没却させるおそれなきにしもあらずだ。<中国的>な発展または変容を遂げていることを否定しないが、現在の中国は基本的にはなおもマルクス・レーニン(・スターリン)主義に依拠している国家だからこそ、日本にとっても害悪となる種々の問題を生じさせているのではないか。

 このマルクス主義(・共産主義・社会主義)自体の危険性への洞察・認識が櫻井よしこらにどの程度あるのかは疑わしいと感じている。田久保忠衛についても同じ。

 述べきれないが、以上のようなかぎりで、中川八洋の<民族系>批判は当たっている、と感じられるところがある。

 くり返すが、<ナショナリズム>を、あるいは<よき日本への回帰>を主張し称揚することだけでは<保守>とはいえないだろう。ナショナリスムに対する国際主義(グローバリズム、ボーダーレスの主張)に反対するだけでは<保守>とは言えないだろう。「グローバリズム」、朝日新聞の若宮啓文の好きな「ボーダー・レス」の主張の中に、ひっそりとかつ執拗に「共産主義」思想は生きていることをこそ、しっかりと見抜く必要がある。

 <万国の労働者団結せよ!>とのマルクスらの共産党宣言の末尾は、国家・国境・国籍を超えて<万国>のプロレタリアートは団結せよ、という主張であり、脱国家・ボーダーレスの主張をマルクス主義はもともと内包している。外国人参政権付与論も、上面は美しいかもしれない<多文化(・民族)共生>論もマルクス主義の延長線上にある。

 やや離れかけたが、<反共産主義>の鮮明さ、この点に中川八洋の特徴があり、この点は多くの論者が(ミクロな論点に過度にかかわることなく)共有すべきものだ、と考える。

 といって、中川八洋の主張を全面的に納得して読んだわけでもない。別の機会に書く。

0985/「民主主義」と「自由」の関係についての続き②。

 〇既に言及・紹介したのだったが、いずれも東京大学の教授だった宮沢俊義や横田喜三郎は、戦後当初の1950年代初めに、「自由」も「平等」も「民主主義」から、または「民主主義」と関連させて説明するような叙述をしていた。

 反復になるが、ある程度を再引用する。
 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1950年第1版、1954年改訂版、1973年新版)は結論的にこう書く。

 ・「自由主義も民主主義も、その狙いは同じ」。「いずれも一人一人の人間すべての価値の根底であるという立場に立って、できるだけ各個人の自由と幸福を確保することを理想とする主義」だ。

 これでは両者の差異がまるで分からないが、その前にはこうある。以下のごとく、「自由」保障のために「民主主義」が必要だ、と説明している。

 ・「自由主義」とは「個人の尊厳をみとめ、できるだけ各個人の自由、独立を尊重しようとする主義」あるいは「特に国家の権力が不当に個人の自由を侵すことを抑えようとする主義」のことだが、国家権力による個人の自由の不当な侵害を防止するには、「権力分立主義」のほか、「すべての国民みずからが直接または間接に、国の政治に参加すること」、「国家の権力が直接または間接に、国民の意思にもとづいて運用されること」が必要だ。このように国家が「運用されなければならないという原理」を、「特に、民主主義」という。
 横田喜三郎・民主主義の広い理解のために(河出書房・市民文庫、1951第一版)は、こう書いていた。

 ・「民主主義」とは、「社会的な」面では「すべての人に平等な機会を与え、平等なものとして扱う社会制度を、すべての人に広い言論や思想の自由を認める社会組織を」意味し、「政治的な」分野では、「人民主権」や「人民参政」の政治形態を意味する。もっとも、「人民主権」・「人民参政」は「結局においては、すべての人が平等だという思想」にもとづく。

 ここでは、上の宮沢俊義の叙述以上に、平等・自由・民主主義は(循環論証のごとく)分かち難く結びつけられている(こんな幼稚な?ことを書いていた横田喜三郎は、のちに最高裁判所長官になった)。

 今日までの社会科系教科書がどのように叙述しているかの確認・検討はしないが、日本において、「民主主義」は必ずしも正確または厳密には理解されないで、何らかの「よい価値」を含むようなイメージで使われてきたきらいがあると思われる。一流の(?)<保守派>(とされる)評論家にもそれは表れているわけだ。

 〇何回か(原注も含めて)言及・紹介したハイエクの「民主主義」・「自由主義」に関する叙述は、ハイエク・自由の条件(1960)の第一部・自由の価値の第7章「多数決の原則」の「1.自由主義と民主主義」、「2.民主主義は手段であって目的ではない」の中にある。

 これらに続くのは「3.人民主権」だ。

 余滴として記しておくが、この部分は、「教条的な民主主義者にとって決定的な概念は人民主権の概念」だと述べつつ(p.107)、「教条的民主主義者」の議論を批判している。

 ハイエクによると、例えば、この「人民主権」論によって、民主主義は「新しい恣意的権力を正当化するものになる」(p.107)、「もはや権力は人民の手中にあるのだからこれ以上その権力を制限する必要はない」と主張しはじめたときに「民主主義は煽動主義に堕落する」(p.151)。

 このような叙述は、原注には関係文献は示されていないが、フランス革命時の、辻村みよ子が今日でも選好する「プープル(人民)主権」論や、現実に生じていた<社会主義>国における(つまりレーニンらの)「民主主義」論を批判していると理解することが十分に可能だ。

 また、菅直人が言ったらしい言葉として伝えられている、<いったん議会でもって首相が選任されれば、(多数国民を「民主主義」的に代表する)議会の存続中は首相(→内閣)の<独裁>が保障される>という趣旨の<議院内閣制>の理解をも批判していることになるだろう(菅直人の「民主主義」理解については典拠も明確にしていつか言及したい)。

 ところで、横田喜三郎の書を紹介した上のエントリー(2009年)は、長尾龍一・憲法問題入門(ちくま新書、1997)のp.39~p.41の、こんな文章を紹介していた。

 ・民主主義=正義、非民主制=悪となったのは一九世紀以降の「価値観」で、そうすると「民主主義」というスローガンの奪い合いになる。この混乱を、(とくにロシア革命後の)マルクス主義は助長した。マルクス主義によれば、「封建的・ブルジョア的」意識をもつ民衆の教育・支配・強制が「真の民主主義」だ。未来世代の幸福のための、現在世代を犠牲にする「支配」だ。しかし、「未来社会」が「幻想」ならば、その支配は「幻想を信じる狂信者」による「抑圧」であり、これが「人民民主主義」と称されたものの「正体」だ。
 ・民主主義が「民衆による支配」(demo-cratia)だとすると、「支配」からの自由と対立する。「民衆」が全てを決定すると「自由な余地」はなくなる。レーニンやムッソリーニは、「民衆代表」と称する者による「徹底的な自由抑圧」を「徹底した民主主義」として正当化した。
 反復(再録)になったが、なかなか鋭い指摘ではないか。

 以上で、「民主主義」と「自由」の関係についての論及は終わり。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。