秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

橋本五郎

1179/憲法改正に関するTBS・NHKの「デマ」報道-2013年5月。

 〇5/03だったと思うが、NHKのニュース9は、外国の憲法改正手続の例としてアメリカ、ドイツ、韓国の三国のみを紹介していた。いずれも、現在の日本と同様かそれ以上に厳しい手続を用意している(そして、にもかかわらず頻繁に改正されている)例としての紹介だった。
 諸外国の憲法改正手続について詳しくはないのだが、アメリカとドイツは連邦国家で、各州の意向の反映方法という問題があるので、日本と直接に比較するのは適切ではない。残る韓国一国だけで、世界の趨勢などを知ることができるわけがない。
 と感じていたら、読売新聞5/11朝刊橋本五郎がこう書いていた。
 「改正条項を変えることに反対する人は、米国では両院の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会の承認がなければ修正できないと強調する。フランスでは両院の過半数の賛成と国民投票で改正が可能であることを決して言わない」。
 念のために高橋和之編・新版世界憲法集(岩波文庫、2007)を見てみると、フランス1958年憲法89条2項が定める憲法改正手続は、政府・議員提案の場合の両院の議決につき2/3以上の要件を課しておらず、国民投票による承認が必要とのみ定める(どちらについても数字ないし割合の定めはなく過半数による議決と承認を意味していると解される)。なお、大統領が憲法改正議会に提案する場合には議会による3/5以上での承認が必要であり、かつこの場合は国民投票に付されない、とも定めている(89条3項)。
 要するに、基本的には、フランスでは両院議員の過半数で発議され、国民投票による過半数の承認で憲法が改正されることになっているようで、橋本五郎の言及内容は誤ってない。
 そうだとすると、なぜ大越健介らのNHKのニュース9はなぜフランスの例を紹介しなかったのだろう、という疑問が生じる。そして、答えは、NHKニュースは橋本のいう「改正条項を変えることに反対する人」によって作られている、そういう特定の立場に立っているということですでに<偏向>している、ということだ。
 くれぐれも注意する必要がある。すなわち、NHKの報道を信頼してはいけない。

 〇5/11夕方のTBS「報道特集」の憲法改正問題に関する取り扱い方は、自民党「日本国憲法改正草案」中の「表現の自由」に関する条項、より正確には現行の21条に2項として「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは認められない」を追加していることを批判することだった。
 キャスターやレポーターは次のように言って論難していた。<表現の自由の保障は大切だ、「公の秩序を害する」の意味が不明確だ、誰がそれを決めるのか>等。
 自民党の上の案が最善だとはまったく思わないが、しかし、TBS「報道特集」による上のような批判は適切ではなく、憲法についての無知をむしろさらけ出すものだ。
 わざわざ書くのも恥ずかしいようなことだが、TBS「報道特集」は、現行憲法のもとでは(自民党改憲案とは違って)「表現の自由」は無条件・無制約に保障されている人権だと思っているのだろうか。
 そんなことはない。直接に関係する21条だけではなく、包括的な「人権」規定とも言われる(従って「表現の自由」についてもあてはまる)12条・13条をきちんと読んでみたまえ。
 12条「国民は」「この憲法が国民に保障する自由及び権利」を「濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のために利用する責任を負ふ」。13条「…幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、…国政の上で、最大の尊重を必要とする」。
 現行憲法のもとでも、「表現の自由」は「公共の福祉」による(内在的な)制約を受けていることは明らかなのだ。この点をより明確に、やや異なる表現で21条自体に追記しようとするのが、自民党案だろう。
 現行憲法21条についても<表現の自由の保障は大切だ、「公共の福祉」の意味が不明確だ、誰がそれを決めるのか>という批判はいちおうは成り立つのであり、自民党改憲案についてだけ言えることではまったくない。なお、最高裁を頂点とする司法部が最終的には法律制定その他の国家活動の合憲性を審査して「決める」ことは常識的なことで、「誰がそれを決めるのか」という疑問を発すること自体も、担当者の無知または「幼稚さ」を示している。
 要するに、TBS「報道特集」は、さすがにTBSらしく、何やら深刻ぶりつつ自民党による憲法改正の動きに対していちゃもんを付けておきたかったのだろう。かりにそれはよいとしても、もう少し憲法についてきちんとした知識・素養にもとづいて「報道」しないと嗤われるだけだ。<陰謀・謀略のTBS>は、しかし、そうした姿勢を正すことはないのだろう。
 〇6年前にこの欄に書いたことを読み返していて、憲法学者・阪本昌成の言説を次のように紹介していたことを思い出した。元の雑誌(ジュリスト1334号)で再確認することなく、もう一度掲載しておく。  平和主義」ではなく「国家の安全保障体制」と表現すべき。九条は「主義・思想」ではなく国防・安全保障体制に関する規定だからだ(p.50)。/「平和主義」という語は「結論先取りの議論を誘発」するが、「平和主義」はじつは「絶対平和主義」から「武力による平和主義」まで多様だ。
 「平和主義」という言葉を単純に使っている朝日新聞等の護憲派(九条2項削除反対派)の人々は、上の短い部分だけでもきちんと読みたまえ。
 「平和主義」の中には現九条2項も入るのかを明確にすべきだし、武力・軍隊の保持による「平和」追求もまた「平和主義」であることを知らなければならない。

 阪本昌成はまた自らの著書の中で次のようにも書いていた。「平和主義」を現憲法の三大原理の一つなどと単純に理解してはいけない。

 <阪本は、「日本国憲法の基本原則は、「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」といった簡単なものではな」く、次の6つの「組み合わせ」となっている、とする。/1.「代議制によって政治を行う」(代議制・間接民主主義)、2.「自由という基本的人権を尊重する」(自由権的基本権の尊重)、3.「国民主権を宣言することによって君主制をやめて象徴天皇制にする」(国民主権・象徴天皇制)、4.「憲法は最高法規であること(そのための司法審査制)を確認し、そして、「よくない意味での法律の留保」を否定する」(法律に対する憲法の優位・対法律違憲審査制)、5.「国際協調に徹する安全保障をとる」(国際協調的安全保障)、6.「権力分立制度の採用」(権力分立制)。> 

0557/<言挙げ>したくはない、しかし。-八木秀次とは何者か・3。

 一 今年の2/04にすでに言及したが、小林よしのり責任編集長・わしズム25号(2008冬号)は「デマと冷笑の『テレビ』」を特集テーマとしていて、八木秀次は、「テレビキャスター&コメンテーター『思想チェック』大マトリックス」という論稿を寄せている(p.56-p.61)。
 そこではテレビのキャスター・コメンテイターを、ヨコ軸をリベラル←→保守、タテ軸を自立←→国際協調に置いて、「思想」によって大きく四グループに分けて図示している(「程度」の数値化を含む。p.58-59)。
 上の2/04ではさほど強くは指摘しなかったが、「表を見ていてスッキリしないところが残るのは、『国際協調』の意味の曖昧さ」で、<保守>についてはこれの強いのが<親米・日米同盟堅持>であるのに対し、<リベラル>についてはこれの強いのが<アジア外交重視>とされている。同じ「国際協調」と言っても全く異質なものを、同じであるかの如く捉えて「マトリックス」を作っているのだから、率直に言ってデキはあまりよくない(余計ながら、「保守思想」の理論化・体系化をしようとする者がこんな<遊び>仕事をしていてよいのだろうか)。
 また、録画して見ているのかも知れないが、このように表にできるまで、多くの番組のキャスター・コメンテイターの諸発言をチェックする「ヒマ」があったものだと妙な点に関心しもする。
 二 さて、今回述べたいのは、上の「大マトリックス」に関する細かなことではない。まず、四つのうち、あるいは八木は<保守>の筈だから<保守+反米・自主防衛>(第一群)と<保守+親米・日米同盟堅持>(第四群)の二つのうち、八木自身はいずれのグループに属すると自分を位置づけていたか、ということだ。
 このように<保守>を単純に二分すること自体に問題がある可能性はある。しかし、八木自身が行っている分類なので、さしあたりこれによる。
 結論的に言って、八木秀次は<保守+親米・日米同盟堅持>グループに自らを位置づけているようだ(以下、たんに<親米保守>)。その根拠は次のとおり(以下、すべてp.61)。
 ①この<親米保守>を「現実的な保守の立場」と説明する。
 ②この<親米保守>グループに入れている辛坊治郎(日本テレビ系)につき、「その発言は常に共感をもって聞くことができる」、辛坊は「朝日新聞を批判し、…産経新聞を好意的に取り上げる」、と明記して支持・同調の姿勢を露わにしている。
 ③同じく<親米保守>とする橋本五郎(読売新聞)の発言を肯定的に引用する。
 ④櫻井よしこを<保守+反米・自主防衛>(第一群)の中の<親米保守>に近い所に位置づけ、「『闘う保守言論人』の第一人者だが、近年は自立を志向する感もある」とコメントする。「…だが、…自立…感もある」という書き方は、やや距離を置いている印象を与える。
 三 これに対して、中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008)では、八木は巧妙に(?)<親米・日米同盟堅持>の立場を強く表明することを避けている。八木自身の考え方が変わったか(微調整をしているか)、対談相手の中西輝政に(そのときだけ?)<合わせている>か、のいずれかではないだろうか。
 興味深いのは、上の対談本のp.142-151だ。この10頁の間、喋っているのは殆どか中西輝政で、かつ中西は<反米>的または<侮米>心情を述べている。そして、八木秀次はとくに反論しようとはしていない。
 これ自体興味あるテーマだが、中西輝政は、西部邁や佐伯啓思が何故アメリカを徹底的に問題視してアメリカに対抗する議論をするのかよくわからなかったが、「ようやくわかってきた」、問題視するのは「間違っていない」と理解するようになった、と発言している(p.146。かかる疑問は私も佐伯啓思についてもったことがある)。
 そして、中西は、「価値観では『侮米』、戦略的には『親米』」だと明言する(p.147)。「価値観」次元の問題と「戦略」とを区別しているのだ。そしてそもそも中西が「戦略的」という言葉を使ったのは、八木の「現実政治の国際政治を見た場合、とりあえず日米同盟が有効であるという……〔原文ママ〕」との発言に対して「まったく戦略的なものですね」と反応したことに始まる(p.144)。
 以降の八木はほとんど聞き役で、西部邁は「価値観でも反米、戦略的な発想でも反米」だ旨の、中西に迎合するような(?)西部邁批判を挿んでいるのが目につく程度だ(p.147)。
 やや反復になるが、八木秀次が上のわしズム25号に見られるように<親米・日米同盟堅持>を「現実的な保守の立場」と考えているのなら、中西輝政に少しは抵抗してでも積極的にその旨を述べるべきではなかったのだろうか。あるいは、わしズム25号で、「価値観」(「思想」)次元の問題と「戦略」とを区別しないで、<保守>を<反米・自主防衛>と<親米・日米同盟堅持>に単純に分けてしまったことを反省的に自覚して<沈黙>していたのだろうか。
 ともあれ、八木秀次の対米姿勢は、<保守>派の中でも曖昧なのではないか、と思う。また、八木の「経済の問題も、日本の保守としては、経済学者に任せておけばすむ話では、どうもなくなってきていますね」(p.154)との発言は、<規制緩和>・<構造改革>の問題を「経済学者に任せて」、<保守>としての自分は問題関心をもって考察・検討してこなかったことの告白に他ならない、と思われる。
 私自身がどうなのかは、ここでは問題ではない。八木秀次に、「保守思想」の理論化・体系化をする資格・能力があるのか、八木は将来の<保守>のリーダーの一人になれるほどの人物なのか、<保守>の立場から適切に「教育再生」を議論できる能力・知見がある人物なのか、私は相当に疑問に思っている。

0306/朝日等マスコミにより操作された投票行動-参院選結果をうけて。

 2007年7月の参議院選挙は、「安倍改革」と日本の国家的自立を妨害し、遅らせ、どの程度になるかは今は解らないが、日本の政治に大きな混乱をもたらした結果を生んだものとして、歴史に残るだろう。
 一年半前に自民党に衆院で300以上/480の議席を与えたのと(ほとんど)同じ有権者が今度は自民党を「大敗」させる。大衆民主主義とは、そして「衆愚政治」とは、かくも<気まぐれな>有権者を主人公にしているのだ。
 <無党派層>といえば少しは格好がよいが、要するに<浮動層>であり、<定見がない>層だ、と言ってもよい。もっとも、<定見>を持てないのは有権者にのみ責任があるのではなく、<政治の対立軸>を明瞭に示すことのできない政党・政治家の責任も大きい。
 自民党もある程度はそうだが、民主党とはそもそも基本的にいかなる理念をもつ政党なのか。この<寄せ集め>政党は統一的に何を目ざしているのかがさっぱり分からない政党だ。この党の勝利は自民党>安倍政権への<不満・怒り>の受け皿になったということだけが理由で、民主党の何かの基本的政策が積極的に国民多数の承認を受けた、などと今回の選挙結果を理解することは大間違いだろう。
 次の衆院選で民主党は政権交代を目指すのだという。開票時にテレビに出てこれない健康状態の小沢一郎がそのときまで代表を務めていることはおそらくないだろう。それどころか、この政党はそれまでに、分裂・瓦解するように思われる。たんに<反自民党>という性格だけでは、長く維持・継続できる政党だとは思われない。安保防衛・憲法問題で全体が一致できる基本的政策を立てられる筈がない。ということは、いずれ、内部に種々の亀裂が走り始める、ということだ。それなくして、万が一にでもたんに<反自民党>というだけの政権ができてしまえば1993年の細川護煕政権の二の舞で、再び<空白の~年>を経験しなければならなくなる。日本にそんな時間的余裕はない。
 さて、とりわけ<気まぐれな無党派層>による投票をプラスして民主党が勝利した原因は、<気まぐれな無党派層>を対象とした周到な<策略>にあった、と思われる。
 それは簡単には、朝日新聞+民主党・小沢一郎+社会保険庁労組(2007.04前後で名称は異なる)による策略だ。
 朝日新聞が、自民党というだけではなく安倍晋三率いる内閣だからこそ<私怨>をもって、安倍退陣に追い込むほどに自民党を大敗させてやろうと考えていたのは明瞭なことだ(この点はこれまで何度も書いた)。これに、安倍氏個人への<私怨>はないものの、仲間の毎日・日経や東京新聞、地方の県紙を支配する共同通信も結果として協力したものと思われる。
 小沢一郎は見事に<年金問題>を最大の争点化した。これに呼応して「消えた年金」という不正確なフレーズを用いて有権者大衆を惑わせたのは朝日新聞を筆頭とするマスコミだった。消えたのは年金そのものではなく、年金関係文書(記録)だった。
 また、民主党は社会保険庁労組から情報が入手できるという有利な立場にあった。民主党の長妻某議員が熱心に調査してうんぬん…という記事又は主張もあるようだが、社会保険庁労組内部の民主党を支持する活動家民主党員そのものである可能性も高い)から、政府・厚労省・社会保険庁上層部も知らないような具体的・詳細な情報が入手できたのだ。だからこそ、細かい数字に関する国会質問も可能で、政府側の方が遅れをとっている印象(事実そうだったかもしれない)を与えることができた。
 そのような情報を民主党に流した社会保険庁労組から見れば、屋山太郎が指摘していたように、選挙結果までの一連のできごとは(但し、安倍首相は退陣しないだろうが)、社保庁労組による<自爆>と表現してよい面がある。より正確には<安倍内閣道連れ自爆>であり、<安倍内閣との無理心中>の試みだ。
 所謂<年金問題>の発生前に、すでに安倍内閣は社会保険庁解体・職員非公務員化「日本年金機構」法案を国会に提出していた。昨年までにとっくに社会保険庁の金の使い方・仕事ぶりには<すこぶる>付きのヒドさがあることが明らかになっていたからだ。
 いったん解体され、新機構に再雇用される可能性が疑わしい労組活動家は焦ったに違いない。どうせ解体され、あるいは少なくとも公務員としての「甘い」仕事ぶりを続けられなくなることが必至と悟った彼らは、自分たちの仕事ぶりのヒドさをさらに暴露すると共に(あれほどとは殆どの人が気づいていなかった)、それと引き替えに国民の批判を行政権の長=安倍首相→自民党に集中させることを策略したのだ。
 この策略に朝日新聞が飛びついたのは言うまでもない。
 むろん、安倍内閣の側にもつつかれてよい問題はあった。閣僚の諸失言、事務所経費問題などだ。だが、こうした(本質的でない些細な)問題を大きく取り上げたのは朝日新聞等のマスコミだ。閣僚の講演会・演説会には、問題発言が出ないかと待ち受けている朝日新聞の記者又は朝日新聞に頼まれた者が<常在>していたのではなかろうか。
 税金が出所でもない事務所経費の問題は異常な取扱い方だった。政治家の活動の中には公にはしたくない形でかつて地方公務員について問題になったような食糧費・交際費支出にあたるものを伴うものもあると思われる。一円以上の領収書を全て公開することにして、いつどこの店にいた、場所にいた、ということが分かってしまえば政治家としての活動はしにくくなるのは目に見えているのではないか。この後援団体代表等(政策・情報提供者でもよい)にはこれだけの金銭を、別の後援団体代表等(政策・情報提供者でもよい)には異なるこれだけの金銭を使った、ということがすべて明らかになって、政治家・国会議員として円滑に仕事ができるのだろうか。地方自治体の行政公務員について以上に、そうした側面があることに留意すべきだろう。
 朝日新聞は、橋本五郎のいる読売新聞でもよいが、自社の記者の情報収集のための経費支出について、一円以上の領収書をすべて国民に開示することによって、すべて明らかにしてみせることができるだろうか。
 一方で、民主党に不利になるような情報は大きくは取り上げられなかったと思われる。某議員への朝鮮総連からの献金問題小沢一郎の政治資金による不動産保有問題小沢一郎の国会出席(記名投票参加の程度)の少なさ問題等々だ。この最後の問題は、かりに朝日新聞が反小沢の立場・政略を採っていれば、第一面に大きく載せて批判的に取り上げたのは間違いないのではないか。
 かくして年金・政治とカネ・格差等の民主党が争点としたいテーマがそのまま新聞に大きく取り上げられ、テレビニュースで語られるようになった。
 朝日新聞は選挙前の少なくとも二ケ月間、反安倍の<政治ビラ>を毎朝・毎夕、700万枚も蒔き続けた。毎日・東京等、共同通信支配の地方紙も合わせれば、その倍はあっただろう。毎日千数百万枚である。これにテレビ報道が加わる。
 産経新聞は他マスコミの報道ぶりの異様さを感じたのだろう。終盤で<何たる選挙戦>との連載記事を1面上に持ってきた。
 読売新聞はどうだったか。投票日7/29の1面左には橋本五郎・特別編集委員の「拝啓有権者の皆さんへ」を載せていちおうまともなことを言わせている。社説も朝日に比べればはるかに良い。だが、1面右を見て唖然とする。大きく「参院選きょう投開票」とあるのは当然だろうが、そのすぐ右に白ヌキで大きく「年金」「格差」「政治とカネ」と謳っているのだ。これをこの三つが(最大の)争点なのだと(読売は考えている)と理解しない読者がいるだろうか
 橋本五郎が何を書こうと、社説で何を主張しようと、文章をじっくりと読む読者と、1面は見出しを眺めた程度の読者とどちらが多かっただろうか。少なくとも過半は、「参院選きょう投開票」のすぐ右に白ヌキの「年金」「格差」「政治とカネ」の三つの言葉のみを見たかそれの方に影響を受けたのではないかと思われる。そして、読売新聞の読者でも民主党に投票した者は相当数に上るだろう。
 読売7/30社説で「国政の混迷は許されない」と主張している。読売の社説子や論説委員に尋ねてみたいものだが、読売新聞自体が「国政の混迷」を生み出すような、少なくともそれを阻止する意図のない、紙面づくりをしたのではないか。もう一度書くが、投票日の読売の1面最右端の見出し文字は白ヌキの「年金」「格差」「政治とカネ」の三つの言葉だったのだ。
 よくもまぁ翌日になって、「国政の混迷は許されない」などと説教を垂れることができるものだ、という気がする。
 読売は、いったい何を考えているのか。官僚界・一部知識人を通じて<反安倍>気分が少しは入っているのではなかろうか。何と言っても1000万部を誇る新聞紙だ、その影響力は大きいと思うが、結果としては、朝日新聞と似たような役割を(少なくともかなりの程度は)果たしてしまったのではないか。この新聞社が安倍内閣をどう位置づけ・評価し、日本国家・社会をどういう方向に持って行きたいと考えているのか、私には、少なくとも極めて分かりにくかった。まっとうな<保守>路線と<大衆迎合>路線とが奇妙に同居しているのではないか。
 昨夜の開票作業に伴う各放送局・マスメディアの報道・コメントぶりを一部ずつ観ながら、ある種の滑稽さを感じざるをえなかった。自分たちこそが醸成した雰囲気によって大まかなところでは予想していた結果を、たんに確認し、なぞっているだけではないか。まるで、シナリオ・脚本のある芝居のようだった
 事実はマスコミによって大きくも小さくも伝えられ、場合によっては全く報道されず、あるいは歪曲して伝えられる
 朝日新聞が報道している<事実>を<朝日新聞的事実>と称するならば、<朝日新聞的事実>の報道が全くなされなくなるか、又は<朝日新聞的事実>を無視し信用しない有権者が大多数を占めるようにならないと、似たようなことが繰り返される可能性がある。
 そもそも国政選挙とは<タレントの好感度(「イメージ」の良さの順位による)投票のようなもの>なのか。そのような投票行動に国民を煽り立てたのは誰なのか。
 とりあえず、選挙後第一回はこのくらいに。

0303/参院選投票1日前-伊藤哲夫発言に寄せて。

 日本政策研究センター(「歴史と国益の視点から日本再生を目指す、戦うシンクタンク)」のサイトの7/11上に、「安倍晋三か?小沢一郎か? これが参議院選挙の焦点だ①~③」が掲載されている。発言者は所長の伊藤哲夫(よくは知らない)のようだ。
 私の理解に近いと思われるので、私自身の頭の整理も兼ねて要約しておく。
 1.「今度の選挙が本当に「政権選択」の性格を帯び」ているなら、争点は<安倍か小沢か>になるはずだ。「農水相の事務所費問題や、防衛相の不適切発言」、「政治とカネ」の問題は「本質的な問題なのだろうか」。「年金問題は本質的問題だと言う人がいるかもしれない。だが、政権を選ぶということは「日本の将来を選ぶ」ということで、「小沢民主党に日本の将来を任せて大丈夫なのか。小沢民主党が安倍自民党のしていることよりも間違いなく日本を良くできる保証があるのか。そういうことをもっと議論しなくてはならない」。
 2.「
少なくない人々が「自民党にお灸をすえてやらなきゃいかん」と感情的になっているのかもしれない」が、「「将来の日本」ということを考えた場合に、感情にまかせて「今度は民主党だ」ということで本当にいいのか」。
 3.「安倍政権の評価については、評論家の宮崎哲弥氏が…朝日新聞にコメントを寄せている」。彼は「要するに、今は非常に不評判だけれども、後になって振り返ってみると安倍政権の評価の方が高くなるに違いない。実際それだけのことをしている」と言っている。
 4.「9カ月、客観的に安倍政権が何をやってきたのか」をみると、「改正教育基本法を成立させ、防衛庁を防衛省に昇格させ」、「海洋基本法国民投票法教育改革関連3法を成立させ」、「社会保険庁改革関連法年金時効停止特別措置法公務員制度改革関連法を成立させた」。
 「
これら一連の重要法案はいずれも歴代政権が先送りにしてきたものだ。まず教育基本法は、昔からずっと改正が言われてきたが六十年間棚上げされたままだった。国民投票法も、憲法制定以来六十年、必要な法整備を完全に怠ってきた。防衛省への昇格は、昭和30年代から言われてきたことだがこれも先送りにされてきた。海洋基本法にしても、他国は94年に国連海洋法条約が発効したのを契機に国内法を整備したにもかかわらず、日本は必要な法整備を怠って完全に後れをとっていた。このように、安倍政権は歴代政権が先送りしてきた課題に真正面から取り組み、必要な法整備を成し遂げた」。
 5.「年金問題は、直接的には安倍政権が引き起こした問題ではない」。「一番の問題はずさんな事務を生み出してきた社会保険庁の体質」だ〔このテーマについては別に<年金騒動の本質は改革潰しにある>との特集が組まれている-秋月〕。
 「民主党は、この年金問題で具体的提案をするよりも、とにかく抵抗して法案〔「社会保険庁解体」法案・公務員制度改革関連法案-秋月〕を葬り去ろうとした」。これは「「改革潰し」で、その裏には改革に反対する自治労という労働組合(民主党の有力な支持団体)の意を迎えようとして、そういう行動をとったとしか思えない部分がある」。
 7.外交面では、「拉致問題を最重要課題と位置付けて北朝鮮に圧力をかけ」、「就任直後中国を訪問」して「「主張する外交」を積極的に展開」した。
 「より重要なのは、…「自由・人権・民主主義・法の支配」という価値観を前面に押し立てた「価値観外交」を展開していることだ」。
 8.安倍首相は、「ハイリゲンダム・サミットの時も、一月の欧州歴訪の時も、欧州各国の首脳に対して」、中国に自由・民主主義・人権はあるのかと問うた。「そのような国が、本当にアジアの中心的な指導国家になれるのか、いったい何を指導するのか」というふうに問い掛けた。「首脳たちは…アジアで最も重んじなければならないのは日本であるということに気付いたのだ」。また、安倍首相は「EUの対中武器禁輸の緩和に釘を刺し」、「拉致問題の解決に、より一層の協力を訴え、支持を取り付けた」。
 9.「価値観外交の二番目の眼目」は、麻生外相がの言う「自由と繁栄の弧」だ。この「「自由と繁栄」のモデルは日本であって、中国ではないという意味も」込められている。また、「オーストラリアやインドとの関係強化にも積極的に乗り出している」(「日豪安保共同宣言」締結、初の「日米印の海軍共同演習」)。
 10.三番目に、「価値観外交は」、「13億の中国人民全体を視野に入れた関係でなければならない」という認識にもとづく「中国共産党一党独裁政治の下で悲惨な状況に置かれている中国人民に対するメッセージであり、中国共産党政権に対する無言の圧力」なのだ。
 「謝罪していればそれで事が済むとしてきた日本外交にとって、これは革命的転換」だ。
 11.「安倍政権の内政の特徴は、二つある」。「
一つは「古い自民党をぶっ壊す」と言った「小泉構造改革路線」の継承・発展」だ。
 「もう一つは、これはより重要なことだが、…価値観を基礎に置いた政治、価値観を基軸とした国造りをやろうとしているということだ。…
そのことが一番はっきりと現れているのが、憲法改正を堂々と打ち出したことだ」。「何よりも重要なのは、教育改革を重要政策と位置付けていることだ」。さらに安倍首相は、「「国益を重視する」…「官僚制民主主義」から本来の「議会制民主主義」へ。さらに官邸がリーダーシップを発揮する民主主義に変えようとしている」。「安倍改革は価値観のない改革ではなく、国益を柱に据えた改革を指向している」。
 12.マスコミはある時期まで安倍政権を「タカ派政権」「危険な安倍政権」というイメージで伝えていたが、「昨秋の訪中以降は」、「経験不足の無力な政権」「指導力のない安倍首相」という「イメージで伝えるようにシフトしてきた」。「マスコミは、そういう形でアピールした方が政権の弱体化に効果的だとして、戦略的にそういうイメージを伝えていると思う。これまではそれが一応の成功を収めている」。
 しかし、「安倍首相は指導力を発揮している」。「普通の政権ならば、教育基本法を通したところでもうヤレヤレ」だが、「教育改革関連3法」を「間髪入れず」に提出・成立させた。また、「公務員制度改革にあたって安倍首相は、事務次官会議を飛び越して〔=この会議での全員合意なくして-秋月〕この案件を閣議決定してしまった」。「屋山太郎氏は「ここを打破したことは歴史的な重大事。官僚たちは真っ青になっている」と評価している」。
 安倍首相は「官僚内閣制」を破り、「有権者に選ばれた政治家主導の政治、真の民主主義政治の実現に向かって、首相はリーダーシップを発揮している」。「指導力がない」というイメージは、「所詮マスコミが作り上げた虚像」だ。
 13.「拉致問題」につき「手詰まり感」とか「目に見える成果がない」とかの評価もあるが、「じゃあ、どうすればいいのか」、「またコメを送ればいいのか」。
 「昨年7月、北朝鮮のミサイル発射を受けて、日本政府は当時の安倍官房長官の主導で、万景峰号の入港禁止という独自の経済制裁を発動した。また安倍政権発足直後の昨年10月には、北朝鮮の核爆発実験を受けて経済制裁を強化し、万景峰号だけでなく北朝鮮籍船舶の入港禁止措置をとった。これらの措置により、ミサイル部品などの持ち出しの大半は阻止できるようになった。また、…昨年11月からは、ぜいたく品24品目の禁輸措置をとっている。それと同時に、安倍首相が官房長官の時代から始めた厳格な法執行により、朝鮮総連の脱税行為をはじめとした不正行為を厳しく取り締まっている」。
 14.「ここで安倍改革をストップさせ、小沢民主党に交代して何かいいことがあるのか」。「小沢民主党は改革の方向性すら決められない。憲法改正にしても、教育改革にしても、本気で議論したら民主党そのものが壊れてしまう」。
 「参議院副議長を務めていた民主党議員は朝鮮総連傘下団体からヤミ献金を受けていた。また、民主党の参議院議員会長は日教組に強制カンパをさせて当選している。さらに、ナンバー2の代表代行は「南京大虐殺」を積極的に認めているし、女性議員たちは「従軍慰安婦」への国家賠償を先頭に立って要求し、朝鮮総連を議員会館に招き入れ抗議集会を開かせていたこともある。こういう政党に、果たして日本の国益を担うことができるのか」。
 15.「保守層の中には、慰安婦問題、歴史認識問題、拉致問題等々について、安倍首相の対応が気に入らないと批判する人がいる」。「けれども、そういう人たち聞いてみたいことがある。「じゃあ、あなたは小沢さんでいいんですか。小沢さんが政権を握った方が日本がよくなる。慰安婦問題でも前進する、拉致問題も解決する、歴史認識も小沢さんの歴史認識の方がいい。そういう保証があるんだったら示していただきたい」と」。
 16.「日本は…一夜にして変わることはない。現に自民党の中は抵抗勢力の方が未だに多い。それが表面化していないのは、参議院選挙が終わるまでは抵抗を止めておこうというだけ…。また、官僚の世界は自民党内よりももっとひどい。…社保庁は自治労に牛耳られてきた。それに象徴されるように、霞ヶ関や地方自治体といった日本の行政実働部隊を握っているのは、いまだ共産主義・社会主義勢力だ。その現実に目を開いて、…「日本のための構造改革」を進めなければならない」。
 以上。少しは解らないところもあるが、あらためて安倍内閣は<ただものではない>内閣であることが解る。これらをきちんと報道していないマスコミは、何らかの政治的意図・謀略をもっているか、安倍内閣の政治的意義・価値を理解できない<無知蒙昧>かのいずれかだろう。
 ただ、私は100%安倍内閣の政策を理解できているわけではない。とくに、米国下院での慰安婦決議問題についての政府の対応はあれでよかったのかとの疑問を今も持っている。
 だが、小沢・民主党よりも遙かに優れていることは明々白々だ。これだけは100%明瞭だ。
 民主主義(民主制)とは大衆政治であり「衆愚」政治だと言うが、思い出すと、記者クラブでの立派な会場での7党党首討論会における、記者たちの質問はひどかった。
 読売新聞橋本五郎は最初の質問で何と赤城農相の事務所経費問題を話題にしたのだ。その他、「ニュース性」に重点を置いた質問を3-4人がしていたが、誰一人、日本国家を基本的にどのようにしたいのか、どういう基本的方向に導きたいのか、という質問をしなかった。「大きな政府」か「小さな政府」かも問題にしなかった。憲法問題を重要視した質問もなかった。
 小沢民主党代表に対して、かつて所属した政党かつかつて連立した政党と対決する気持ちはどのようなものかと尋ねた記者はいなかった。
 すでにマスコミ、この場合は新聞社の記者クラブの記者自体が、<衆愚>の一部になり下がっているのだ。
 こうしたマスコミを見ると日本の未来は決して明るくない。だが、絶望する必要もない。心ある国民、「日本」を守り抜こうとする国民が多数いることを信じる

0140/読売2007.05.12の橋本五郎記事による憲法学界の状況に寄せて。

 読売5/12朝刊の橋本五郎・特別編集委員の記事はなかなか面白い。この人は今年の1月に、東京大学の憲法学者の長谷部恭男と読売紙上で対談していた。
 憲法改正手続法成立見込みの時点で、「「抵抗の憲法学」を超えて」という大見出しのもとで、現在の憲法学界の状況を紹介・コメントするもののようだ。
 1.現在岩波書店が出版している講座・憲法全6巻のうちの第一巻の「はしがき」にこう書いてある(直接の引用ではない)のを読んで、「違和感を覚えた」という。
 <「戦後憲法は紙屑だ」と言い放っている人たちが「押し付け憲法」であることを根拠に現憲法を葬り去ろうとしている>。
 こんなふうに書かれれば、改正試案を発表している読売の立場もなかろう。従って、改正試案を世に問うたのは「「押し付け憲法」だからというのではない。「紙屑」だと思ったからでもない」、と橋本は反論?している。
 上の<>を「はしがき」を書いたのは第一巻の編者だと思われ、そうだとすると、東京大学の法哲学の教授の井上達夫、ということになる。
 岩波書店(および日本評論社)が出す憲法の講座ものが<公平>・<客観的>である筈がない雑誌『世界』の出版社らしく当然に<偏向>している、と私は思っているので特別の驚きはなく、やっぱりと感じるのだが、本当に法学部の(しかも東京大学の)教授が上のようなことを書いているのだとすれば、空怖ろしいことだ。まともな神経ではない。まともに現実が見えていない(安い古書になれば購入を考えよう。なお、長谷部恭男もいずれかの巻の編集者の筈だ)。
 2.1966年に故芦部信喜東京大学教授(憲法学、1923-99)は、自衛隊違憲論+改正反対論は「政治に対しても国民に対しても、訴える力が非常に弱くなってきている。学説と国民意思が離れすぎてしまっているのではないか」と書いたらしい。
 東京大学法学部には自衛隊についての<違憲合法論>を示した、旧日本社会党ブレイン(と思われる)小林直樹(1921-)がいて、こちらの方は明確な「左翼」だった。世間的には小林直樹ほどは目立っていなかった芦部信喜も、最近に代表的な憲法概説書ということで彼の本の憲法九条の部分を読んでみると明らかに「左翼」だ(いずれ、彼の議論も俎上に乗せるつもりだ)。
 晩年に書いたもののようだが、芦部信喜氏は、評論家ふうに「訴える力が非常に弱くなってきている。学説と国民意思が離れすぎてしまっている」
などと書ける立場の人物ではなかったのではないか。すなわち、訴求力をなくし、学説と国民意思を乖離させた責任の一半は、東京大学教授だった自らにこそあるのではないか。
 同じ1996年に、よくは知らないが芦部の「弟子」(芦部を指導教授とした)らしい高橋和之(現在、東京大学法学部教授・憲法学、1943-)は、自衛隊違憲論を唱えた「大きな代償」として次の2点を挙げた、と橋本は書いている。
 1.<憲法学者は非現実的すぎるという印象を国民に与え、憲法学者の発言の説得力を低下させた>、2.<現実が憲法規範通りにいかないのが通常のことだという意識を国民の間に蔓延させた>。
 私も橋本とともに、「その通りだと思う」。私は日本の憲法学者の殆どを信用していない。おそらくは殆どの憲法学者がフランス革命を平等・人権等のための「素晴らしき市民革命」と理解しているはずだ(あるいは、そういう「囚われ」から抜け出ていない筈だ)。
 3.「特別編集委員」というのは専門雑誌も読むようだ。ジュリスト最新号(有斐閣)で、佐藤幸治・京都大学名誉教授(1937-)は、<憲法学の役割は「批判」・「抵抗」だけでなく「創る」・「構築」も重要だ>旨書いているらしい。高橋和之も、「制度設計」を議論しないで他人の創った制度を「批判」するだけでは「憲法学として半分しかやっていないような気がする」と、「抵抗の憲法学」からの脱却を述べているらしい。
 これらは誤りではなく、適切だ。しかし、私に言わせれば、今頃にこんなことを言っていたのでは遅すぎる。それに高橋の「…しかやっていないような気がする」とは一体何だろう、「ような気がする」とは。
 ジュリスト最新号を購入して、全体をきちんと読んで、再び触れるかもしれない。
 橋本は読売の改正試案発表の動機のようなものを次のように述べている。
 ア「国民の大多数が認知している自衛隊を憲法学者の多くが違憲…と学生に教え」、「政府は自衛隊を…「実力は持っているが…戦力ではない」などと、綱渡りのような解釈でしのいできたのはおかしいのでないか」。
 イ「国連平和維持活動」等の果たすべき国際的責務を「憲法9条があるからできないというのは本末転倒で」、「憲法上きちんと位置づけるべきではないのか」。
 これらはまことに尤もなことだ。ふつうの人間の「常識」・「良識」に合致するのではないか。
 しかるに、過日と同じことの繰り返しになるが、自衛隊は憲法上の「戦力」ではないとの「大ウソ」をつき続けて、<現実が憲法規範通りにいかないのが通常のことだという意識を国民の間に蔓延させた>ままにしようとしているのが、朝日新聞社(若宮啓文)・九条の会等々の面々に他ならない。憲法学者の多くは、正気に戻って、こうした面々を応援・支持することを即刻止めるべきだ。

0121/長谷部恭男・東京大学教授の「志の低い」護憲論。

 護憲派(とくに九条護持派)憲法学者の議論を知る必要があり、すでに水島朝穂と樋口陽一には簡単に触れたが、東京大学の現役教授・長谷部恭男についてはまだだ。
 長谷部の教科書も新書本も入手はしているが、未読だ。その他の彼の考え方を窺わせるものを紹介しつつ、コメントしよう。
 長谷部の講演録冊子「憲法を改正することの意味―または、冷戦終結の意味」(自由人権協会、2005)も所持している。これもまともに読んでいないが、講演冒頭と九条改正論に関する質問への回答部分だけは見た。
 それによると、少なくとも考え方の一つとして、長谷部は今の政府解釈(自衛目的の最小の実力保持は可能)を前提とすると、改正しても現状は全く又は殆ど変わらず、時間・エネルギーを無駄にするだけだ、旨を述べている。これも護憲論だろうが、興味深いことに(同じ大学だと<伝染>するのか?)、すでに言及した樋口の「解釈改憲」容認論(と私は理解する)と似ている。
 より正確に長谷部氏の議論が分かったのは、読売新聞の今年1/10と1/17の「憲法学の今」と題する対談記事によってだ。
 1/10で彼曰く、自衛隊の存在は憲法九条違反という「主張は間違いだと思う。そして、1.「非武装こそ人類の理想」 等を主張する人は「特定の価値観で公的領域を占拠しようとして」いる、2.国家が「常備の実力組織をもつのは当然」、九条は「実力組織はなるべく小さくする」という原理だ。
 「価値多元説」に立って「立憲主義の大前提と矛盾する」とする1.は、「公的領域」に関する「特定の価値観」による主張を全て非難・排斥するもので、憲法関連事項も含む「公」的主張は全て許されなくなりそうだ。「特定の価値観」を自分は表明しないとの逃げ道でなければよいのだが。
 護憲派と目されている筈の長谷部が公然と自衛隊合憲の旨を語っているのに驚いたが、上の2.で「なるべく」などと言っていては憲法の法規範的効力を殆ど否定している(又は持たせることを諦念している)に等しいのではないか。
 この人はやはり「解釈改憲」で十分との立場のようだ。そうだとしたら、改憲でも積極的護憲でもない、どちらかというと「志の低い」グループに入る、と考えられる。
 1/17と併せて読んで、長谷部の「理論」はほぼ解った。
 1.「9条を変えたからといって実体が何か変わるわけではない」。
 2.「改憲のために必要とされる審議時間や国民投票などのコストと利益を比較すれば、変える必要があるといえるか」。
 3.憲法には「原理」と「準則」があり、頻繁にでも変えてよいのは後者だ。
 これらのうち1.は明確な誤りだ。解釈改憲には限界がある。軍隊のようで軍隊ではない、という「大ウソ」から訣別し、ヌエの如き組織を正規軍にするだけでも「実体が何か変わる」と言うべきだ。
 2.も誤りだし、不適切だ。長谷部は条文改憲論者でないという意味では護憲論者の一人なのだろうが、反対論というよりもかかる不要論では、既述のように「志が低い」。
 それに、国家の基本問題の審議・国民投票に「コストと利益」の比較分析をするなどはとんでもない間違いだ。かりに利益がどうであれ、民主主義には「コスト」が要る。長くとも3年に一度は参院議員選挙と衆院議員選挙がある(今年も参院選がある)。「コストと利益を比較」してこれらは止めるべき又は再検討すべきと長谷部は主張するのだろうか。長谷部は同じ欄で、逆に「コストと利益を比較」すれば疑問視できる空想的提案をしている。
 長谷部は言う。「国家が費用を出し、国政選挙の前に人々が地域の公民館や学校に集まって「選挙の争点は何であるべきか」を一日かけて討論する、といった制度を作ることも考えられる」。
 かかる討論会?の全国的・全国民的開催は、憲法改正国民投票よりも多大のコストを必要とし、利益はより少ないのではなかろうか。
 穿ち過ぎかもしれないが、長谷部のコストを持ち出しての改憲不要論は、どうしても条文改憲させたくないための苦し紛れの理屈のように見える。憲法改正につき「コストと利益を比較」するという発想自体が率直に言って「想像を絶する」
 3.も疑問だ。かりに「原理」と「準則」に分けられるとして、平和主義(侵略戦争否定)は前者かもしれないが、「軍隊」の扱いはどちらなのかを長谷部は明確に語っていない。かりに前者であるとしても、一切変更してはならない論拠も述べていない(憲法改正の「限界」内のもののみを「原理」と称しているのではあるまい)。
 さらに、現憲法には例えば69条による場合以外に内閣総理大臣は7条(の天皇への助言)を利用して衆院を解散できるのかという解釈上の議論がある不明瞭な問題もある。他にもありうる。これらが全て例えば「権力分立」に関する「原理」上の問題で改正を避けるべき、という結論にはならない筈だ。
 こうして見ると、長谷部は要するに条文改憲をさせたくないのであり、そして条文改憲の内容に関する自己の意見を表明することを避けたいのではないか。つまりは、あれこれとときに難渋な表現を使いつつ「逃げている」のではないか
 上の方で言及した自由人権協会発行の冊子の中で長谷部は、今のままの9条では「わかりにくい」との意見はあろうがそれは9条に限らず21条の表現の自由でも同じだ、などと言っている。今回の座談中でも「国家のやるべき事」は「たくさんある。それを全部憲法に書かねばならないのか」と似たようなこを言っている。
 だが、人権と「公共の福祉」の関係を具体的に又は詳細に憲法に書けないのは当然だが、自衛のための「軍隊」という正規の「戦力」を保持するか否かは憲法に書ける事項だし、むしろ明記しておくべき事項だ。
 頭が良さそうで「良心的」でもありそうな?この長谷部という東京大学の先生、しかも憲法学の教授は一体何を考えているのだろうか。
 対談相手の読売新聞の橋本五郎によると、同じ東京大学の憲法専攻教授・高橋和之は日本の「憲法学者は非現実的である」等と述べているらしい。さらにその他の憲法学者の発言(とくに憲法改正に関する)に関心を持つことにしよう。
ギャラリー
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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