秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

樋口陽一

2324/H.J·バーマン/宮島直機訳・法と革命I(2011)②。

 ハロルド·J·バーマン/宮島直機訳・法と革命I-欧米の法制度とキリスト教の教義(中央大学出版部、2011/原書1983)。
 つづき
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  L·コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(ポーランド語版、1976)の英訳書は1978年に三巻揃って刊行された(なお、第一巻のドイツ語訳書は1977年に出ている)。
 そして第三巻はなぜか?フランスでは出版されなかったというが、それを除くフランス語訳書も含めて、英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語等々の翻訳書が世界中で広く刊行された。
 しかし、この欄でしきりと書いたことだが、L·コワコフスキの大著の日本語訳書(邦訳書)は出版されなかった。
 英語が読める関係学界の学者、とくに1970年代後半以降にヨーロッパに留学経験のある者はポーランドを出てOxford にいたコワコフスキとその大著を全く知らなかったとは考え難い。しかし、それでも、邦訳書は出なかった。今後も永遠に出版されないかもしれない。
 今後のことはともかく、1978年以降の日本で、なぜ邦訳書が出なかったのか。
 要するに、その<反マルクス主義>性・<反共産主義>性によって、日本の出版社・出版業界、関係学者(とくにアカデミズム内にいる者)は、国家による<検閲>ではなく、<自主検閲>をしたのだと考えられる。その内容を、日本の学界や読者に知らせたくなかったのだ。
 なお、<反マルクス主義>等と書いたが、一片の「反マルクス」の呼号をしているのではなく、第一巻のほとんどはマルクスに充てられているなど、コワコフスキはマルクスを読んで、マルクス主義研究をしている。彼は、若いときはワルシャワ大学の「思想史」講座の正教授だったのであり、当然にマルクスやレーニン等を読んで、それらを用いて<正統な>?講義もしたことがあったと思われる。それだけの蓄積が早くからあったのだ。
  かなり似た感想をもつのは、上掲のハロルド·J·バーマンの著だ。
 1983年には母語・英語で刊行されたようだが、すみやかに邦訳書が出たわけではない。上の邦訳書は2011年刊行で、30年近く経過している。
 コワコフスキの著もバーマンの著も1991年のソ連解体前に出版されている。
 その時代に、明確な<反共産主義>の書物を日本で日本語訳として出版するのがいかに困難で、危険?だったかが、分かろうというものだ。
 むろん、<反ファシズム>・<反ナツィス>・<ヒトラー批判>の書物ならば、岩波書店のものを中心に多数刊行されていただろう(日本共産党系出版社ではもちろん)。
 上の邦訳書の訳者である宮島直機(1942〜)は、マルクス主義・共産主義というよりも、むしろ「キリスト教」との関係に着目して(この方がこの書の読み方としてはおそらく適切だろう)、「訳者あとがき」で、こう書いている。キリスト教との関係という意味では、秋月瑛二もまたきわめて納得でき、了解することのできる感想だ。一文ごとに改行。p.709。
 「再度、強調しておきたいのは、30年近くまえに出版された本書が、ヨーロッパ各国語のみならず中国語にまで訳されながら、日本語に訳されなかったことである。
 我々はキリスト教の教義に無関心なのだろうか。
 それとも、欧米の法制度がキリスト教の教義を前提にしていることを認めたくないのだろうか迷信としか思えないものが自分たちの継受した法制度を作ったなんて !!)。」
  じつに重たい主題だ。
 池田信夫が最近、「個人主義」発生の基礎には「キリスト教」や欧州領域内での長い「戦争」があった、日本では欧米的「個人主義」は根づかなかった旨を数回書いていることにもかかわる。
 上の著や池田の指摘は、日本の(とくに戦後の)法学界・法学者に重要なかつ厳しい批判を含むことになると考えられる。
 しかし、何と言っても、日本国憲法自体が、直接にはアメリカかもしれないが、その背景にある<ヨーロッパ>の法思想を基礎にしていることの影響は甚大だ。
 「西欧近代立憲主義の基本的約束ごと」をキリスト教には触れることなく無条件に擁護したいらしい樋口陽一(元東京大学教授、元日本公法学会理事長)は、1989年の岩波新書で、日本人は「…力づくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、その痛みとともに追体験する」必要がある、と明言した(No.0524/2008.05.30)。→No.0524
 つぎの現行憲法の条項は、秋月が(理論的には)最も改正・削除すべきものとして、この欄で何回か書いたことがある。こんなに単純には語りえない、と考えるからだ。むろん、憲法の一条項でありながら、「法的」意味の希薄性も問題だ(この条項が現在の人権条項の「改正」をいっさい認めない趣旨だとは一般には解釈されていないと思われる)。
 日本国憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」。
  現在も残る<自主検閲>とその主謀?学者、一方で、共産主義・「宗教」についてまるできちんとした知識・素養がなく(「左翼」も似たようなものかもしれないが)、まともな議論をする能力のない、とくに(西尾幹二を含む)「いわゆる保守」の悲惨さ、といった論点もある。
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1885/池田信夫ブログ-主として2018年11月から。

 池田信夫のブログのうち、日々の話題に関するコメント類も興味深いが、とくに急いで掲載する必要はないように見える、ヒト・人間の「進化」や「本性」、これらを「歴史」と関連づけるような主題の叙述も面白い。
 と言って文献紹介が主で詳細に論じられているわけでもないが、適度に思考を刺激してくれる。近時にこんなテーマを書き続けることのできる、もともとは「文科系・経済学」出身の人物は稀有だろう。
 前回に触れて以降、以下のようなものがあった。
 ①2018/11/01「江戸時代化する日本」ブログマガジン11/05。
 ②2018/11/04「言語はなぜ進化したのか」同11/05。
 ③2018/11/08「文化の進化をもたらした『長期記憶』」同11/12。
 ④2018/11/10「人類は石器時代から戦争に明け暮れてきた」同11/12。
 ⑤2018/11/14「新石器革命は『宗教革命』だった」同11/19。
 ⑥2018/11/17「文化は暇つぶしから生まれた」同11/19。
 ⑦2018/11/23「猿や動物にも『公平』の感情がある」同11/26。
 ⑧2018/11/26「感情にも普遍的な合理性がある」同12/03。
 ⑧2019/11/29「退屈の小さな哲学」同12/03。 
 ⑨2018/12/01「人はなぜ強欲資本主義を嫌うのか」同12/03。
 いちいちの感想、湧いた発想等はキリがないので省略する。
 いくつか、感じた、少しばかりは思考したことがある。
 個人と「共同体」または「集団」の関係。
 もともとはヒト・個人の一個体としての生存本能最優先で、その一個体の生存本能が充たされる、または守られるかぎりで、「集団」や「共同体」に帰属する、帰属してきた、あるいは、これらを個体のための必要に迫られて、作ってきた、というイメージを持ってきた。
 これは憲法学等の法学がいう<近代的な合理的人間(個人=自然人)>というイメージと合致するもので、経済学的な<自己の利益を最大化しようとする合理的個人>という近代資本主義の人間像とおそらく重なるところがあるだろう。
 そしてまた、「個人の尊重」(日本国憲法13条)や「人間の尊厳」(ドイツ憲法1条)も、それだけがあまりに強調されるのは困るが、理念としてのそれはかなり普遍的なものではないかとも考えてきた。ヒト・人間・一個体の究極的本性とも合致しているのだから。
 しかし、池田の叙述には、これを動揺させるものがある。
 ヒトはもともと「集団」帰属本能を有している、「他集団」と闘って「自集団」が勝たないと生きていけない(いちいち元の文章は探さない)、といった記述だ。
 そうすると、上の「合理的人間」イメージも、近代以降に限定された、歴史的制約をもつことになるだろう。
 樋口陽一(憲法学、元東京大学)は1989年(ソ連解体の前々年)に「個人主義」の大切さを説きつつ、つぎのようにまで主張した(同・自由と国家(岩波新書、1989))。
 「1989年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」。
 <ルソー=ジャコバン型個人主義>を称揚するという点で社会主義・共産主義に親近的な「個人」主義、つまり日本はまだ「真の個人主義」を確立していない、日本人は「真の個人」を経験していないという近代西欧に比べて日本は…、という「左翼的」論じ方には反発を覚えた。
 だが、池田信夫の示唆をふまえると、そうした点をさらに超えて、樋口陽一が井上ひさしとの対談本で、日本国憲法で一番大切なのは13条の「個人の尊重」です、などと説くこと自体が、そもそもヒト・人間の本性・本質に迫っているのか、という大きな疑問が出てくるだろう。
 ついでに余計なことを書くと、日本の(欧米のも?)憲法学者たちは、個人の「内心の自由」こそが基底的な個人の「自由」であって侵犯されてはならないと、しばしば説く。教科書類にそう書かれているかもしれない。
 しかし、そういう憲法学者やそうしたことを論じる最高裁を含む裁判所の裁判官や法曹たちは、そもそも個人・人間の「内心の自由」なるものはいかにして形成されるのか、を思考しているのか、思考したことがあるのだろうか、という感想を持ってきた。
 ヒト・個人に「内在的に」、つまりその個人の精神または「頭脳」の中に「内心」なるものが存在する、ということを前提としているが、「内心」が生まれつきで存在しているわけはないだろう、生後の環境・教育等々々によって形成されていくものであって、そのことを無視した議論は空論または観念論・「建前」論だろう、と感じてきた。
 もう一点だけ触れると、池田信夫の説明等ではなお、(生物として継承される)生物的遺伝子と社会的遺伝子の区別はいま一つまだ分からない。そもそも「進化生物学」なるものを知らないからだが、後者が形成するのは宗教・国家等々と語られて「社会的に」継承されると言われても、いま一つよく分からない。
 広義の文化、宗教等が国家・民族等々によって異なるのは当たり前のことだ。国家・地域・民族等々ごとに異なる文化が形成されていて、ヒト・人間は生まれ落ちた後でそうしたものに無意識であれ影響を受けていく、という程度のことであれば、しごく当然のことで社会的遺伝子・ミームという言葉を使う必要もないとすら感じられる。
 「集団帰属」感情あるいは「不平等に反発する」感情が生物的遺伝子の中に組み込まれているのかどうか、という問題であるとすると、きわめて興味深い。ヒト・人間の本性・本質にかかわる問題だ。もっとも、「生物的」・「社会的」の区別自体の意味を私が理解していない可能性もある。

1545/『自由と反共産主義』者の三つの闘い②。

 「恋でもいい、何でもいい。他の全てを捨てられる、激しいものが欲しかった」。
 1971年/小椋佳・しおさいの詩(歌詞・小椋佳)。
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 1) 「民主主義対ファシズム」という幻想。
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」。
 3) 反「自由・民主主義(liberal democracy)」-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
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 <神道・天皇主義>とは何なのか。
 平川祐弘・日本人に生まれて、まあよかった(新潮新書)、櫻井よしこ・日本人に生まれて良かった(悟空出版)、というタイトルの本があるらしい。たぶん、読んでいない。
 日本の「左翼」の<自虐>さに堪えかねて、このようなタイトルの本を書いたのかもしれない。
 しかし、私にはなぜか、しっくりこない。
 なぜかと言うと、「日本」をこのように対象化または客観化できそうにないからだ。
 あるいは、<日本に生まれてよかったか(どの程度よかったか)>などいう問いかけをしたことはおそらくないからだ。
 この二人は何と、おそろしいことをしている、本のタイトルにまでしている、と感じる。
 もう少し書けば、日本とは対象化・客観化できるものではなく、私自身の一部ですらあるからだ。日本に生まれたことがどうだったかを問うことは、他ならない自分自身の一部に問いを投げかけることに他ならない。
 自分の血肉の一部になっているものを、どうやって評価するのか ?
 あるいは、日本人として生まれたことは、自分で選択したことではなく、生まれたときからの宿命・運命だ。
 そういう運命・宿命を、どうやって、<よかった>かどうか、などと問えるのか ?
 樋口陽一(左翼・憲法学者)はかつて、人間として生まれたのは必然だが、日本人として生まれたのは偶然にすぎない、と語った(この欄で触れたことがある)。
 必然とか偶然とかを問題にすること自体が、おかしい。
 あえて言えば、日本人は、通常は、日本「国家」によって、「人」として認知されてはじめて「人」になる。出生届-戸籍-住民票作成・記載のことを意味している。
 人間が生まれて特定の「人」として認めるのは、国際連合(国連)等の国際機関ではない。地球的・世界的には自分の存在を「人」としてまたは「国民」として認めてくれて、その存在を確証してくれるのは、国連等の国際機関ではないし、むろん日本国以外の第三国でもない(外国滞在・旅行中に生まれた場合とか両親の国籍が違う場合には立ち入らない。あくまで多数ないし「通常」の場合を語っている)。 
 このような意味では、人間に生まれたかどうかではなく、「日本人」として生まれたこと自体が必然でかつ宿命的・運命的なことなのだ。
 日本という「(国民)国家」あるいはナショナリズムに対する嫌悪感をもつのだろう樋口陽一には、ではいったいどの国家が、貴方の人間としての存在を記録して、確証するのかと、問わなければならない。
 元に戻るが、日本に日本人として生まれたことを対象化できるのは、もはや「日本」とは別のところにいて自分を第三者的に眺めている天空の仙人のような人物だろう。
 櫻井よしこにも、平川祐弘にも、上のようなその「立場」自体に共感することはできない。
 秋月瑛二は日本人としてのナショナルな感覚を持っていることを、否定しない。
 延々と日本列島で生きてきた先祖たちの後裔だと自覚している。
 その場合の「日本」とは何か。
 これを簡単に表現することはできない。これまで多数の著名・無名の日本人がこれを考えてきた。感じてきた。その中にはもちろん、美しい四季、瑞々しい山河も入ってくる。
 これを「天皇・皇室」に凝縮させる人もいるのだろう。
 「2000年以上」と簡単に語るのは完璧に虚偽だが、3-4世紀頃に(まだ「日本」とは称していなかったが)「天皇・皇室」の祖を中心にした日本国家の端緒に近いまとまりができたのはおそらく間違いない。
 しかし、だからと言って、「天皇主義」と前回に称したが、日本人にとって「天皇・皇室」敬愛の気持ちが、あるいは天皇(家)の継続が最高・至高の価値と見なすことが絶対の、最善・最優先の「主義」だとは考えない。
 二つの意味がある。一つは、はるか悠久の昔から長々と続く家系の後裔者、ということにかかわる。たぶん「王朝交替説」に立ち入る必要もなく、「はるか悠久の昔から長々と」続く、歴史上も種々の重要な位置・意味をもった人々であるだろう。
 しかし、そんなことを言えば、秋月瑛二だって、家名も人名も辿れないにしても、3-4世紀、いやもっと前からおそらくは日本列島に生きて死んだ先祖たちの立派な後裔なのだ。
 涙をこぼすほどに感じる。自分と血のつながる誰かが、1000年も2000年も、そして3000年も前にちゃんといたのだ。だからこそ、自分も、いま、ある。
 「天皇・皇室」への敬愛の情は、決して本能的なまたは自然的なものではない、と思われる。「天皇」家以外にも、長々と系譜をたどれる一族があることによっても、多少はすでに相対化される。
 もう一つは、最近の櫻井よしこが示していることかもしれないが、また「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたい」と考えるのが<保守>だ、という主張もあるのかもしれないが、そのいわば「天皇(・皇室)主義」を説くことの意味は、実際的な意義は、いったい何にあるのだろうか。
 つまり、何のために、ことさらにそういう主張をする必要があるのだろうか。
 ここまでくると、そういう「主義」の主張が現在の日本の歴史的状況、つまり「戦後日本」と関係があることが分かる。
 そうしてまた、「戦後」または現在の<天皇・皇室>の問題は、「戦後」または現在ではない、「戦前」の、あるいは明治憲法下の<天皇・皇室>との同質性や差違等をも論じないといけないことにもなる。
 しかし、「戦前」あるいは明治憲法下との比較だけをしても十分ではないことは、一目瞭然としている。
 <天皇>の存在とそれにかかわる制度は、明治維新後に新たに発生したのでは、自明のごとく、ない。それ以前に、それこそ長々とした、「悠久の歴史」がある。
 ここですでに、櫻井よしこや平川祐弘や、あるいは「皇室」敬慕こそが<保守>だとする考え方の破綻の一端が現われているだろう。
 典型的には櫻井よしこに見られるように、このような人々がいったいどの程度に、<日本の悠久の歴史>・<日本人とその精神の歴史>を、仏教や儒教のそれも含めて、知っているのか自体、相当に疑わしいからだ。
 明治維新はまだ150年ほど前の事象にすぎない。明治維新についてすら、櫻井よしこのごとくすでに観念的・抽象的にしか捉えることのできていない人がいるのだから、その他の「天皇主義」の<保守>派がどの程度にそれこそ深刻に日本の歴史・日本人の歴史を懐古して、自分のものにしているかは、相当に疑わしい。
 あらためて問う必要がある。「天皇」主義とは、およびこれに関係する「神道・天皇主義」とは、いったい何を目的として、主張されているのか。
 <民主主義対ファシズム>という幻想の打破、反「共産主義」や反「リベラル・デモクラシー」の闘いなどに言及する以前に、初歩的または基礎的な問題に、日本の、とりわけ<保守>派の<論壇>らしきものの幼稚さについて、論及せざるをえないのだ。

1317/資料・史料-2015.06.05安保関連法案反対憲法研究者声明。

 日本の歴史の特定一時期における「憲法研究者」なるものの異常な実態を記録にとどめておく必要がある。
 なお、「法案の内容が憲法9条その他に反する〕と言いつつ、法案における「憲法9条違反の疑いがとりわけ強い主要な3点について示す」という表現を使って縷々述べていることは興味深い。
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 安保関連法案に反対し、そのすみやかな廃案を求める憲法研究者の声明
   2015.06.05

 安倍晋三内閣は、2015年5月14日、多くの人々の反対の声を押し切って、自衛隊法など既存10法を一括して改正する「平和安全法制整備法案」と新設の「国際平和支援法案」を閣議決定し、15日に国会に提出した。
 この二つの法案は、これまで政府が憲法9条の下では違憲としてきた集団的自衛権の行使を可能とし、米国などの軍隊による様々な場合での武力行使に、自衛隊が地理的限定なく緊密に協力するなど、憲法9条が定めた戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認の体制を根底からくつがえすものである。巷間でこれが「戦争法案」と呼ばれていることには、十分な根拠がある。
 私たち憲法研究者は、以下の理由から、現在、国会で審議が進められているこの法案に反対し、そのすみやかな廃案を求めるものである。
 1.法案策定までの手続が立憲主義、国民主権、議会制民主主義に反すること
 昨年7月1日の閣議決定は、「集団的自衛権の行使は憲法違反」という60年以上にわたって積み重ねられてきた政府解釈を、国会での審議にもかけずに、また国民的議論にも付さずに、一内閣の判断でくつがえしてしまう暴挙であった。日米両政府は、本年4月27日に、現行安保条約の枠組みさえも超える「グローバルな日米同盟」をうたうものへと「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を改定し、さらに4月29日には、安倍首相が、米国上下両院議員の前での演説の中で、法案の「この夏までの成立」に言及した。こうした一連の政治手法は、国民主権を踏みにじり、「国権の最高機関」たる国会の審議をないがしろにするものであり、憲法に基づく政治、立憲主義の意義をわきまえないものと言わざるを得ない。
 2.法案の内容が憲法9条その他に反すること 以下では、法案における憲法9条違反の疑いがとりわけ強い主要な3点について示す。
 (1)歯止めのない「存立危機事態」における集団的自衛権行使
 自衛隊法と武力攻撃事態法の改正は、「存立危機事態」において自衛隊による武力の行使を規定するが、そのなかでの「我が国と密接な関係にある他国」、「存立危機武力攻撃」、この攻撃を「排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使」などの概念は極めて漠然としておりその範囲は不明確である。この点は、従来の「自衛権発動の3要件」と比較すると明白である。法案における「存立危機事態」対処は、歯止めのない集団的自衛権行使につながりかねず、憲法9条に反するものである。
その際の対処措置を、国だけでなく地方公共団体や指定公共機関にも行わせることも重大な問題をはらんでいる。
 (2)地球のどこででも米軍等に対し「後方支援」で一体的に戦争協力
 重要影響事態法案における「後方支援活動」と国際平和支援法案における「協力支援活動」は、いずれも他国軍隊に対する自衛隊の支援活動であるが、これらは、活動領域について地理的な限定がなく、「現に戦闘行為が行われている現場」以外のどこでも行われ、従来の周辺事態法やテロ特措法、イラク特措法などでは禁じられていた「弾薬の提供」も可能にするなど、自衛隊が戦闘現場近くで外国の軍隊に緊密に協力して支援活動を行うことが想定されている。これは、もはや「外国の武力行使とは一体化しない」といういわゆる「一体化」論がおよそ成立しないことを意味するものであり、そこでの自衛隊の支援活動は「武力の行使」に該当し憲法9条1項に違反する。このような違憲かつ危険な活動に自衛隊を送り出すことは、政治の責任の放棄のそしりを免れない。
国際平和支援法案の支援活動は、与党協議の結果、「例外なき国会事前承認」が求められることとなったが、その歯止めとしての実効性は、国会での審議期間の短さなどから大いに疑問である。また、重要影響事態法案は、「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」というきわめてあいまいな要件で国連決議等の有無に関わりなく米軍等への支援活動が可能となることから国際法上違法な武力行使に加担する危険性をはらみ、かつ国会による事後承認も許されるという点で大きな問題がある。
 (3)「武器等防護」で平時から米軍等と「同盟軍」的関係を構築
 自衛隊法改正案は、「自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している」米軍等の武器等防護のために自衛隊に武器の使用を認める規定を盛り込んでいるが、こうした規定は、自衛隊が米軍等と警戒監視活動や軍事演習などで平時から事実上の「同盟軍」的な行動をとることを想定していると言わざるを得ない。このような活動は、周辺諸国との軍事的緊張を高め、偶発的な武力紛争を誘発しかねず、武力の行使にまでエスカレートする危険をはらむものである。そこでの武器の使用を現場の判断に任せることもまた、政治の責任の放棄といわざるをえない。
領域をめぐる紛争や海洋の安全の確保は、本来平和的な外交交渉や警察的活動で対応すべきものである。それこそが、憲法9条の平和主義の志向と合致するものである。
 以上のような憲法上多くの問題点をはらむ安保関連法案を、国会はすみやかに廃案にするべきである。政府は、この法案の前提となっている昨年7月1日の閣議決定と、日米ガイドラインをただちに撤回すべきである。そして、憲法に基づく政治を担う国家機関としての最低限の責務として、国会にはこのような重大な問題をはらむ法案の拙速な審議と採決を断じて行わぬよう求める。
 2015年6月3日

 呼びかけ人
 愛敬浩二(名古屋大学大学院法学研究科教授) 青井未帆(学習院大学大学院法務研究科教授) 麻生多聞(鳴門教育大学大学院学校教育研究科准教授) 飯島滋明(名古屋学院大学准教授) *石川裕一郎(聖学院大学教授) 石村修(専修大学教授) 植野妙実子(中央大学教授) 植松健一(立命館大学教授) 浦田一郎(明治大学教授) 大久保史郎(立命館大学名誉教授) 大津浩(成城大学教授) 奥野恒久(龍谷大学教授) *小沢隆一(東京慈恵医科大学教授) 上脇博之(神戸学院大学教授) 河上暁弘(広島市立大学平和研究所准教授) 君島東彦(立命館大学教授) 清末愛砂(室蘭工業大学准教授) 小林武(沖縄大学客員教授) 小松浩(立命館大学教授) 小山剛(慶應大学教授) 斉藤小百合(恵泉女学園大学) *清水雅彦(日本体育大学教授) 隅野隆徳(専修大学名誉教授) 高良鉄美(琉球大学教授) 只野雅人(一橋大学教授) 常岡(乗本)せつ子(フェリス女学院大学) *徳永貴志(和光大学准教授) 仲地博(沖縄大学教授) 長峯信彦(愛知大学法学部教授) *永山茂樹(東海大学教授) 西原博史(早稲田大学教授) 水島朝穂(早稲田大学教授) 三宅裕一郎(三重短期大学教授) 本秀紀(名古屋大学教授) 森英樹(名古屋大学名誉教授) 山内敏弘(一橋大学名誉教授) 和田進(神戸大学名誉教授) 渡辺治(一橋大学名誉教授) 以上38名  *は事務局
 賛同人
 鮎京正訓(名古屋大学名誉教授)  青木宏治(関東学院大学法科大学院教授)  青野篤(大分大学経済学部准教授) 赤坂正浩(立教大学法学部教授) 穐山守夫(明治大学)  阿久戸光晴(聖学院大学教授)  浅川千尋(天理大学人間学部教授)  浅野宜之(関西大学政策創造学部教授)  足立英郎(大阪電気通信大学教授)  阿部純子(宮崎産業経営大学准教授)  新井信之(香川大学教授) 淡路智典(東北文化学園大学講師)  飯尾滋明(松山東雲短期大学教授) 飯野賢一 (愛知学院大学法学部教授)  井口秀作(愛媛大学法文学部総合政策学科) 池田哲之(鹿児島女子短期大学教授) 池端忠司(神奈川大学法学部教授)  石川多加子(金沢大学) 石埼学(龍谷大学)  石塚迅(山梨大学)  石村善治(福岡大学名誉教授) 井田洋子(長崎大学)  市川正人(立命館大学教授) 伊藤雅康(札幌学院大学教授)  稲正樹(国際基督教大学客員教授)  稲葉実香(金沢大学法務研究科) 猪股弘貴(明治大学教授) 井端正幸(沖縄国際大学教授)  今関源成(早稲田大学法学部教授)  岩井和由(鳥取短期大学教授)  岩本一郎(北星学園大学経済学部教授)  植木淳(北九州市立大学) 上田勝美(龍谷大学名誉教授)  植村勝慶(國學院大学法学部教授)  右崎正博(獨協大学教授)  浦田賢治(早稲田大学名誉教授) 浦部法穂(神戸大学名誉教授) 江藤英樹(明治大学准教授)  榎澤幸広(名古屋学院大学准教授) 榎透(専修大学教授)  榎本弘行(東京農工大学教員)  江原勝行(岩手大学准教授)  蛯原健介(明治学院大学教授) 遠藤美奈(早稲田大学教授)  大内憲昭(関東学院大学国際文化学部)  大河内美紀(名古屋大学大学院法学研究科教授)  大田肇(津山工業高等専門学校教授)  大野拓哉(弘前学院大学社会福祉学部教授) 大野友也(鹿児島大学准教授)  大藤紀子(獨協大学) 小笠原正(環太平洋大学名誉教授)  岡田健一郎(高知大学准教授) 岡田信弘(北海道大学特任教授)  緒方章宏(日本体育大学名誉教授)  岡本篤尚(神戸学院大学法学部教授)  岡本寛(島根県立大学講師)  奥田喜道(跡見学園女子大学助教)  小栗実(鹿児島大学法科大学院教員)  押久保倫夫(東海大学)  片山等(国士舘大学法学部教授) 加藤一彦(東京経済大学教授)  金井光生(福島大学行政政策学類准教授)  金子勝(立正大学名誉教授)  柏﨑敏義(東京理科大学教授) 彼谷環(富山国際大学) 河合正雄(弘前大学講師)  川内劦(広島修道大学教授)  川岸令和(早稲田大学)  川崎和代(大阪夕陽丘学園短期大学教授)  川畑博昭(愛知県立大学准教授)  菊地洋(岩手大学准教授)  北川善英(横浜国立大学名誉教授)  木下智史(関西大学教授)  清田雄治(愛知教育大学教育学部地域社会システム講座教授)  久保田穣(東京農工大学名誉教授)  倉田原志(立命館大教授) 倉田玲(立命館大学法学部教授)  倉持孝司(南山大学教授)  小竹聡(拓殖大学教授) 後藤光男(早稲田大学) 木幡洋子(愛知県立大学名誉教授)  小林直樹(姫路獨協大学法学部) 小林直三(高知県立大学文化学部教授)  小原清信(久留米大学)  近藤敦(名城大学)  今野健一(山形大学)  齋藤和夫(明星大学)  斉藤一久(東京学芸大学) 齊藤芳浩(西南学院大学教授) 榊原秀訓(南山大学教授) 阪口正二郎(一橋大学大学院法学研究科教授) 佐々木弘通(東北大学) 笹沼弘志(静岡大学教授)  佐藤修一郞(東洋大学)佐藤信行(中央大学)  佐藤潤一(大阪産業大学教養部教授)  澤野義一(大阪経済法科大学教授) 志田陽子(武蔵野美術大学造形学部教授)  實原隆志(長崎県立大学准教授)  嶋崎健太郎(青山学院大学教授)  神陽子(九州国際大学)  菅原真(南山大学法学部)  杉原泰雄(一橋大学名誉教授) 鈴木眞澄(龍谷大学教授) 鈴田渉(憲法学者) 妹尾克敏(松山大学法学部教授) 芹沢斉(憲法研究者) 高佐智美(青山学院大学) 高作正博(関西大学法学部)  高橋利安(広島修道大学教授) 高橋洋(愛知学院大学教授)  高橋雅人(拓殖大学准教授) 高良沙哉(沖縄大学人文学部准教授)  瀧澤信彦(北九州市立大学名誉教授)  竹内俊子(広島修道大学教授) 武川眞固(南山大学)  武永淳(滋賀大学准教授) 竹森正孝(岐阜大学名誉教授)  田島泰彦(上智大学教授)  多田一路(立命館大学教授) 建石真公子(法政大学教授) 館田晶子(北海学園大学法学部)  玉蟲由樹(日本大学教授)  田村理(専修大学法学部教授) 千國亮介(岩手県立大学講師) 長利一(東邦大学教授) 塚田哲之(神戸学院大学教授)  寺川史朗(龍谷大学教授)  徳永達哉(熊本大学大学院法曹養成研究所准教授) 内藤光博(専修大学教授)  仲哲生(愛知学院大学法学部)  長岡徹(関西学院大学法学部教授)  中川律(埼玉大学教育学部准教授) 中里見博(徳島大学准教授)  中島茂樹(立命館大学教授)  中島徹(早稲田大学)  中島宏(山形大学准教授) 中谷実(南山大学名誉教授) 永井憲一(法政大学名誉教授) 永田秀樹(関西学院大学教授) 中富公一(岡山大学教授) 中村安菜(日本女子体育大学)  中村英樹(北九州市立大学法学部法律学科准教授)  成澤孝人(信州大学教授)  成嶋隆(獨協大学) 西土彰一郞(成城大学教授)  西嶋法友(久留米大学) 丹羽徹(龍谷大学教授)  二瓶由美子(聖母学園大学教授) 糠塚康江(東北大学)  根本猛(静岡大学教授)  根森健(埼玉大学名誉教授)  畑尻剛(中央大学法学部教授)  濵口晶子(龍谷大学法学部)  樋口陽一(憲法学者)  廣田全男(横浜市立大学教授)  福岡英明(國學院大学教授) 福嶋敏明(神戸学院大学法学部准教授)  藤井正希(群馬大学社会情報学部准教授)  藤井康博(大東文化大学准教授) 藤田達朗(島根大学) 藤野美都子(福島県立医科大学教員) 船木正文(大東文化大学教員)  古川純(専修大学名誉教授)  前田聡(流通経済大学法学部准教授)  前原清隆(日本福祉大学教授)  牧本公明(松山大学法学部准教授)  又坂常人(信州大学特任教授) 松井幸夫(関西学院大学教授) 松田浩(成城大学教授)  松原幸恵(山口大学准教授)  宮井清暢(富山大学) 宮地基(明治学院大学法学部教授)  宮本栄三(宇都宮大学名誉教授) 村上博(広島修道大学教授) 村田尚紀 (関西大学教授)  毛利透 (京都大学教授)  元山健(龍谷大学名誉教授) 守谷賢輔(福岡大学法学部准教授)  諸根貞夫(龍谷大学教授)  門田孝(広島大学大学院法務研究科) 柳井健一(関西学院大学法学部教授)  山崎栄一(関西大学社会安全学部教授)  山崎英寿(都留文科大学)  山田健吾(広島修道大学法務研究科教授)  結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授) 横尾日出雄(中京大学)  横田力(都留文科大学)  横田守弘(西南学院大学教授) 横藤田誠(広島大学教授)  吉川和宏(東海大学)  吉田栄司(関西大学法学部教授)  吉田仁美(関東学院大学法学部教授)  吉田稔(姫路獨協大学法学部特別教授) 若尾典子 佛教大学教授)  脇田吉隆(神戸学院大学総合リハビリテーション学部准教授)  渡邊弘(活水女子大学文学部准教授)  渡辺洋(神戸学院大学教授)
  以上197名 (2015年6月29日15時現在) 

1247/日本評論社・法律時報という「容共」・「護憲」雑誌。

 現物を手にしていないが、別の某雑誌に載っている広告によると、日本評論社という出版社発行の専門分野の雑誌らしき「法律時報」の編集部は、法律時報編集部編・「憲法改正論」を論じる(法律時報増刊)という書物(又は雑誌の特別号)を刊行している。そして、広告に謳われた惹き文章は次のとおりだ。
 安倍政権下で進行している『憲法改正』論に警鐘を鳴らし、理論的な対抗軸を示す。憲法学はもとより、隣接領域や諸外国からの知見をも盛り込む」。
 この日本評論社がかつて1970年代に<マルクス主義法学講座>という講座もの、たぶん全8巻程度、を刊行していたことはこの欄ですでに何度か触れた。その際に触れたかどうかは忘れたが、そのときの同講座の編集担当者だった林克行は、のちに同社の社長になった。「左翼」性の明らかな浦部法穂および辻村みよ子の憲法(学)教科書は日本評論社から発行されている。上記の法律時報編集部編・「憲法改正論」を論じるを含む広告欄の隣に掲載されている同社刊行の書物のタイトルは、家永三郎生誕一〇〇年で、誕生100年記念実行委員会編だから、家永三郎に批判的な本であるはずはない。
 日本評論社には、少なくともかつて、家永三郎の子息も勤務していた。
 家永三郎に関する書物の隣で広告されているのは、樋口陽一・森英樹・辻村みよ子ら編の国家・自由・再論、だ。
 したがって、この出版社発行の雑誌編集部が「『憲法改正』論に警鐘を鳴らし、理論的な対抗軸を示す」ことを図ることは当然かもしれないし、そのことをここで批判するつもりもない。改憲派の雑誌もあるし、護憲(又は憲法改悪阻止)派の雑誌もある。
 だが、朝日新聞社や岩波書店以外に、明確に憲法改正反対の方針をもつ法学関係の雑誌、そして出版社があることは広く知られておいてよいと思われる。いつか触れたが、日本共産党系又は親日本共産党の(当然に日本共産党員学者を含む)「民主主義科学協会法律部会」(民科・みんか)という学会の機関誌を発行しているのも、この日本評論社だ。
 関西系のテレビで夕方に「反安倍」の立場でコメントしていて今春頃に降りた(その理由は知らない)森田実は東京大学学生時代に日本共産党→ブントの活動家だったはずだ。
 森田実は、ネット情報によると2007年5月の自著出版記念会で、こう挨拶している。「来る7月22日の参院選を、日本国民が過去を反省し、国民の多数が誤った政治を支持してきたという過去の過ちを正し、再出発する日にしたい」、「そのためには、日本国民が安倍自公連立政権の側に立つ政治家を拒否すること、安倍自公連立政権の対極に立つ野党(民主党、社民党、国民新党)の候補者を当選させることが必要である」。
 そして、この会に出版社社長の中でただ一人メッセージを寄せたのは、日本評論社社長・林克行だった。
 どうやら、森田実は、少なくとも一時期、日本評論社で働いていたようだ。
 このような「政治的」立場の明確な出版社であることを知ってこの社から本を出している者もいるだろうし、また法学界には、日本評論社的な<親共、反・反共>の者が多いのかもしれない。
 だがもちろん、このような立場・考え方が<親中国・親北朝鮮>のそれでもあることを、とくに定見もなくこの出版社から本を出したり、この社の雑誌に執筆している(脳天気な)者たちは知らなければならない。

1231/秘密保護法反対の「憲法・メディア法」研究者の声明。

 一 潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007)p.250には「前頭葉を左翼イデオロギーに汚染された『進歩派』学者の巣窟というべき日本の憲法学界」という日本の憲法学界についての評価が示されている。
 その憲法学界に属するが少数派と見られる阪本昌成は、主流派憲法学者たちがマルクス主義または親マルクス主義の立場に立っている(中にはそのように自覚していないものもいるだろうが)立っていることをおそらくは想定して、2004年刊行の本の中で、マルクス主義はもはや「論敵」ではないとしつつ、次のように書いていた。「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと、そして、それに同調してきた人びとの知的責任は重い。彼らが救済の甘い夢を人びとに売ってきた責任は、彼らがはっきりととるべきだ」と明記していた。
 だが、2013年の今日においても、「左翼イデオロギーに汚染された」、少なくともマルクス主義を敵視しない(警戒しない)憲法学者はまだきわめて多いようだ。以下に、2013年10月11日付の「秘密保護法の制定に反対する憲法・メディア法研究者の声明」の内容と呼びかけ人・賛同人の氏名リストを掲載しておく(出所-ウェブサイト)。コメントは別の機会に行うが、これまでこの欄で言及してきた、水島朝穂(早稲田大学教授)、浦部法穂(神戸大学名誉教授)、奥平康弘(九条の会呼びかけ人)、愛敬浩二(名古屋大学教授)、杉原泰雄(一橋大学名誉教授)、浦田一郎(民科法律部会現理事長、明治大学法学部教授)らが「呼びかけ人」になっており、先日に反対声明を紹介した「刑事法」学者たちと同様に、日本共産党系または少なくとも日本共産党に反対しない<容共>の学者たちであると思われることだけさしあたり記しておく。「賛同人」の中には、樋口陽一や<反天皇制>論者として言及したことのある横田耕一らの名もある。
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 秘密保護法の制定に反対する憲法・メディア法研究者の声明
 安倍政権は、9月26日、かねて準備を進めてきた 「特定秘密の保護に関する法律案」を示し、臨時国会への提出を目指している。しかしながら、この法案には憲法の基本原理に照らして看過しがたい重大な問題点があると考えるので、私たちは同法案の制定に強く反対する。
 1 取材・報道の自由、国民の知る権利などさまざまな人権を侵害する
 取材・報道の自由は、国民が国政に関与することにつき重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するものであって、憲法21条が保障する表現の自由の保護が及ぶものであることは言うまでもない(博多駅事件最高裁大法廷決定など)。ところが、本法案は、防衛・外交・特定有害活動の防止・テロリズム防止の4分野の情報のうち特に秘匿が必要なものを行政機関の長が「特定秘密」として指定し、その漏えいに対して懲役10年以下の厳罰でもって禁止するだけでなく、特定秘密保有者の管理を害する行為により取得した場合も同様の処罰の対象とし、さらに漏えいや取得についての共謀・教唆・扇動にも罰則を科し、過失や未遂への処罰規定も置いている。
 以上のような仕組みが導入されてしまうと、まずなによりも、重要で広範な国の情報が行政機関の一存で特定秘密とされることにより、国民の知る権利が制約される危険が生じる。また、特定秘密を業務上取り扱う公務員や民間の契約業者の職員が萎縮することにより情報提供が狭められるのに加えて、漏えいへの教唆や取得なども犯罪として処罰されることにより、ジャーナリストの取材活動や市民の調査活動そのものが厳しく制限され、ひいては報道の自由や市民の知る権利が不当に侵害されかねない。なお、法案には、「報道の自由に十分配慮する」との規定も置かれているが(20条)、この種の配慮規定により、法案そのものの危険性を本質的に取り除くことはできない。
 このほか、本法案は、特定秘密を漏らすおそれがないよう秘密を取り扱う者に対する適性評価制度を導入し、評価対象者の家族関係や犯罪歴、病歴、経済的状態などを詳細に調査しようとしているが、これは個人のプライバシーを広範囲に侵害するものであり、不当な選別、差別を助長し、内部告発の抑止にもつながりかねない。また、秘密とされる範囲は広範囲に及び、かつ、漏えい等が禁止される事項も抽象的に書かれており、漠然としていて処罰の範囲も不明確であり、憲法31条が要求する適正手続の保障に反する疑いも強い。さらに、本法案が実現すると、秘密の中身が明らかにされにくく公開裁判が形骸化するおそれがあり、憲法37条が保障する公平な裁判所による迅速な公開裁判を受ける権利が脅かされかねない。
 2 憲法の国民主権の原理に反する
 憲法の国民主権の原理は、主権者である国民の意思に基づいて国政のあり方を決定していく政治のあり方を指しているが、これが十分に機能するためには、一人ひとりの国民が国政に関する事項について十分な情報にアクセスでき、その提供を受けられ、自由な表現・報道活動が行われ、これらによって主権者の意思が形成されることが前提である。
 ところが、本法案が提示しているのは、そのような国民主権の前提に反して、1にも記したとおり、防衛、外交、有害活動防止やテロ防止など国民が大きな影響を受ける重要な情報について、その入手、取材、伝達、報道、意見交換がさまざまな形で制限される仕組みとなっている。これでは、国民主権が拠って立つ基盤そのものが失われてしまうことになろう。
 そもそも、本法案の準備過程そのものが秘密の闇に包まれ国民に明らかにされないまま進められてきた経緯がある(NPO法人「情報公開市民センター」が、情報公開法によって本法案に関する情報の公開を請求したところ、内閣情報調査室は、「国民の間に不当に混乱を生じさせる」との理由で公開を拒否したと報告されている)。また、本法案が制定されることになれば、国会議員の調査活動や議院の国政調査権なども制限を受ける可能性が高く、国民主権の原理はますます形骸化されてしまいかねない。現に法案では、秘密の委員会や調査会に特定秘密が提供された場合、それを知りえた議員も漏洩等の処罰対象とされているからである。
 3 憲法の平和主義の原理に反する
 憲法は、戦争の放棄と戦力の不保持、平和的生存権を定める平和主義を宣言している。これからすれば、軍事や防衛についての情報は国家の正当な秘密として必ずしも自明なものではなく、むしろこうした情報は憲法の平和主義原則の観点から厳しく吟味し、精査されなければならないはずである。
本法案は、防衛に関する事項を別表で広く詳細に列記し、関連の特定有害活動やテロ防止活動に関する事項も含め、これらの情報を広く国民の目から遠ざけてしまうことになる。秘密の指定は行政機関の一存で決められ、指定の妥当性や適正さを検証する仕組みは何も用意されていない。しかも、本法案により、現在の自衛隊法により指定されている「防衛秘密」はそのまま「特定秘密」に指定されたものと見做され、懲役も倍化されるという乱暴なやり方が取られている。本法案のような広範な防衛秘密保護の法制化は憲法の平和主義に反し、許されないと言わなければならない。むしろ、防衛や安全保障に関する情報であっても、秘密を強めるのではなく、公開を広げることこそが現代民主国家の要請である。
 政府は、安全保障政策の司令塔の役割を担う日本版NSC(国家安全保障会議)の設置法案とともに本法案の制定を図ろうとしている。また自民党は先に「日本国憲法改正草案」を公表し、「国防軍」を創設するとともに、機密保持のための法律の制定をうたい、さらに、先に公表された「国家安全保障基本法案」では、集団的自衛権の行使を認めるとともに、秘密保護法の制定を示したが、本法案は、想定される武力の行使を見越して秘密保護をはかろうとするもので、憲法改正草案、国家安全保障基本法案と一体のものと見る必要がある。その背後には、GSOMIA(軍事情報包括保護協定)締結にも示されるように、日米の情報共有の進展を踏まえた秘密保護強化の要請がある。
 以上のように、本法案は基本的人権の保障、国民主権、平和主義という憲法の基本原理をことごとく踏みにじり、傷つける危険性の高い提案に他ならないので、私たちは重ねてその制定に強く反対する。
            2013年10月11日

 [呼びかけ人] (24人)
愛敬浩二(名古屋大学教授)、青井未帆(学習院大学法務研究科教授)、石村善治(福岡大学名誉教授)、市川正人(立命館大学教授)、今関源成(早稲田大学法学学術院教授)、上田勝美(龍谷大学名誉教授)、*右崎正博(獨協大学教授)、浦田賢治(早稲田大学名誉教授)、浦田一郎(明治大学法学部教授)、浦部法穂(神戸大学名誉教授)、奥平康弘(憲法研究者)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授)、阪口正二郎(一橋大学大学院法学研究科教授)、*清水雅彦(日本体育大学准教授)、杉原泰雄(一橋大学名誉教授)、*田島泰彦(上智大学教授)、服部孝章(立教大学教授)、水島朝穂(早稲田大学教授)、本秀紀(名古屋大学教授)、森英樹(名古屋大学名誉教授)、*山内敏弘(一橋大学名誉教授)、吉田栄司(関西大学法学部教授)、渡辺治(一橋大学名誉教授)、和田進(神戸大学名誉教授)
(*印は世話人)
 [賛同人](2013年11月5日現在、131人)
<現役と見られる国公立大学(法人)教員のみ太字化しておく-掲載者>
 青木宏治(関東学院大学法科大学院教授)、浅川千尋(天理大学人間学部教授)、梓澤和幸(山梨学院大学法科大学院教授・弁護士)、足立英郎(大阪電気通信大学工学部人間科学研究センター)、荒牧重人(山梨学院大学)、飯島滋明(名古屋学院大学准教授)、池端忠司(神奈川大学法学部教授)、井口秀作(愛媛大学法文学部教授)、石川裕一郎(聖学院大学准教授)、石塚迅(山梨大学生命環境学部准教授)、石村修(専修大学法科大学院教授)、井田洋子(長崎大学教授)、伊藤雅康(札幌学院大学法学部教授)、稲正樹(国際基督教大学教授)、井端正幸(沖縄国際大学法学部教授)、浮田哲(羽衣国際大学現代社会学部教授)、植野妙実子(中央大学教授)、植松健一(立命館大学教授)、植村勝慶(國學院大學法学部教授)、江原勝行(岩手大学准教授)、榎透(専修大学准教授)、榎澤幸広(名古屋学院大学講師)、大石泰彦(青山学院大学教授)、大久保史郎(立命館大学教授)、太田一男(酪農学園大学名誉教授)、大津浩(成城大学法学部教授)、大塚一美(山梨学院大学等非常勤講師)、大藤紀子(獨協大学教授)、大野友也(鹿児島大学准教授)、岡田健一郎(高知大学講師)、岡田信弘(北海道大学法学研究科教授)、緒方章宏(日本体育大学名誉教授)、奥田喜道(跡見学園女子大学マネジメント学部助教)、奥野恒久(龍谷大学政策学部)、小栗実(鹿児島大学教員)、柏崎敏義(東京理科大学教授)、加藤一彦(東京経済大学教授)、金澤孝(早稲田大学法学部准教授)、金子匡良(神奈川大学法学部准教授)、上脇博之(神戸学院大学大学院実務法学研究科教授)、彼谷環(富山国際大学准教授)、河合正雄(弘前大学講師)、河上暁弘(広島市立大学広島平和研究所講師)、川岸令和(早稲田大学教授)、菊地洋(岩手大学准教授)、北川善英(横浜国立大学教授)、木下智史(関西大学教授)、君島東彦(立命館大学教授)、清田雄治(愛知教育大学教育学部教授)、倉田原志(立命館大学教授)、古関彰一(獨協大学教授)、越路正巳(大東文化大学名誉教授)、小竹聡(拓殖大学教授)、後藤登(大阪学院大学教授)、小林武(沖縄大学客員教授)、小林直樹(東京大学名誉教授)、小松浩(立命館大学法学部教授)、笹川紀勝(国際基督教大学名誉教授)、佐々木弘通(東北大学教授)、笹沼弘志(静岡大学)、佐藤潤一(大阪産業大学教養部)、佐藤信行(中央大学教授)、澤野義一(大阪経済法科大学教授)、志田陽子(武蔵野美術大学教授)、清水睦(中央大学名誉教授)、城野一憲(早稲田大学法学学術院助手)、鈴木眞澄(龍谷大学法学部教授)、隅野隆徳(専修大学名誉教授)、芹沢斉(青山学院大学教授)、高作正博(関西大学教授)、高橋利安(広島修道大学教授)、高橋洋(愛知学院大学大学院法務研究科)、高見勝利(上智大学法科大学院教授)、高良鉄美(琉球大学教授)、田北康成(立教大学社会学部助教)、竹森正孝(大学教員)、多田一路(立命館大学教授)、只野雅人(一橋大学教授)、館田晶子(専修大学准教授)、田中祥貴(信州大学准教授)、塚田哲之(神戸学院大学教授)、寺川史朗(龍谷大学教授)、戸波江二(早稲田大学)、内藤光博(専修大学教授)、永井憲一(法政大学名誉教授)、中川律(宮崎大学教育文化学部講師)、中里見博(徳島大学総合科学部准教授)、中島茂樹(立命館大学法学部教授)、永田秀樹(関西学院大学教授)、仲地博(沖縄大学教授)、中村睦男(北海道大学名誉教授)、長峯信彦(愛知大学法学部教授)、永山茂樹(東海大学教授)、成澤孝人(信州大学教授)、成嶋隆(獨協大学法学部教授)、西原博史(早稲田大学教授)、丹羽徹(大阪経済法科大学)、根本博愛(四国学院大学名誉教授)、根森健(新潟大学法務研究科教授)、野中俊彦(法政大学名誉教授)、濵口晶子(龍谷大学法学部准教授)、韓永學(北海学園大学法学部教授)、樋口陽一(憲法研究者)、廣田全男(横浜市立大学都市社会文化研究科教授)、深瀬忠一(北海道大学名誉教授)、福島敏明(神戸学院大学法学部准教授)、福島力洋(関西大学総合情報学部准教授)、藤野美都子(福島県立医科大学教授)、船木正文(大東文化大学教員)、古川純(専修大学名誉教授)、前原清隆(日本福祉大学教授)、松田浩(成城大学准教授)、松原幸恵(山口大学准教授)、丸山重威(前関東学院大学教授)、宮井清暢(富山大学経済学部経営法学科教授)、三宅裕一郎(三重短期大学)、三輪隆(埼玉大学特別教員・名誉教授)、村田尚紀(関西大学法科大学院教授)、元山健(龍谷大学法学部)、諸根貞夫(龍谷大学教授)、森正(名古屋市立大学名誉教授)、山崎英壽(都留文科大学非常勤講師)、山元一(慶応義塾大学教授)、横田耕一(九州大学名誉教授)、横田力(都留文科大学)、吉田稔(姫路獨協大学法学部教授)、横山宏章(北九州市立大学大学院社会システム研究科教授)、吉田善明(明治大学名誉教授)、脇田吉隆(神戸学院大学総合リハビリテーション学部准教授)、渡辺賢(大阪市立大学大学院法学研究科教授)、渡辺洋(神戸学院大学教授)

1217/撃論による「トンデモ憲法学者」-奥平康弘・樋口陽一・木村草太・長谷部恭男。

 撃論シリーズ・日本国憲法の正体(オークラ出版、2013)がその名のとおり、憲法改正問題を取りあげている。
 その中に「法学研究家」との奇妙な、初めて見る肩書きの人物による松葉洋隆「トンデモ憲法学者-その珍説の数々」がある(p.104-109)。
 そこで対象とされている「トンデモ憲法学者」は奥平康弘、樋口陽一、木村草太(首都大学)、長谷部恭男でいずれも東京大学関係者(所属または出身)だが、いかんせん字数が少なすぎる。とても「珍説の数々」を紹介した(かつ批判した)ものにはなっていない。松葉洋隆とはたぶんペンネイムだろうが、わざわざそうするほどでもないような文章だ。
 樋口陽一と長谷部恭男に限れば、秋月がこの欄で紹介しコメントしてきたものの方が、はるかに詳しいだろう。
 産経新聞や月刊正論とは違って、特定の現存の「トンデモ憲法学者」を対象にして批判しておくことは重要なことで、編集意図は立派だが、内容はそれに伴っていないようだ。
 上の4名のほかにも、愛敬浩二(名古屋大学)、水島朝穂(早稲田大学)、辻村みよ子(東北大学)、石川健治(東京大学)等々、有力な憲法改正反対論者は数多いし、青井三帆(学習院大学)等々のより若い「左翼」護憲学者が大学教員の地位を占めるに至っている。
 憲法改正の必要性を説き、一般的に護憲派を批判する論考や記事は多いかもしれないが、朝日新聞等の社説等ではなく、「九条の会」の呼びかけに賛同している大学所属の憲法学者の護憲の「理屈」を批判する雑誌論文等は少ないだろう。
 現在のマスコミ従事者や行政官僚(司法官僚=裁判官を除外する趣旨ではないが)等々の「日本国憲法」観を形成したのは圧倒的に樋口陽一らの「護憲」学者に他ならないから、理想的には、憲法改正を目指す者たちや団体は、そのような学者の論考を個別に検討し批判しなければならない。
 今の憲法学界の雰囲気を考慮すると、西修や百地章らにだけそのような仕事を負わせることは無理かもしれない、と想像はするけれども。

1185/「絆」と「縁」の区別、そして「血縁」ー民主党・菅直人と自民党。

 菅直人が首相の頃、自民党の記者発表の場の背景にも「絆(きずな)」という言葉が書かれてあったのでこの欄に記す気を失ったのだったが、当時、菅直人は好きな、または大切な言葉として「絆」をよく口に出していたように思う。あるいはテレビ等でも、大震災の後でもあり、人間の「絆」ということの大切さがしばしば喧伝されていたように思う。
 だが、少なくとも菅直人が使う「絆」については、次のような疑問を持っていた。すなわち、彼がいう「絆」とは主としては自らの意思で選びとった人間関係を指しており、市民団体やNPO内における人間関係や、これらと例えば被災者との間の「絆」のことを主としては意味させようとしているのではないか、と。
 そして、「絆」とは異なる別の貴重な日本語があることも意識していた。それは、「縁」だ。「縁」とはおそらく(辞典類を参照したことはないが)、個人の「意思」とは無関係に、宿命的なまたは偶然に生じた人間関係のことで、例えば、<地縁>、<血縁>などという言葉になって使われる。これらは菅直人が好みそうな「絆」とは違うものではないか。「縁」による人間関係も広義には「絆」なのかもしれないが、後者を狭く、個人の意思による選択の要素が入るものとして用いれば、「絆」と「縁」は別のものなのではないか。
 そして、かなり大胆に言えば、「左翼」はどちらかというと個人の意思の介在した「絆」を好み、血や居住地域による、非合理的な「縁」という人間関係は好まないのではないか、「保守」の人々ははむしろその逆に感じる傾向があるのではないか、と思ってきた。
 さて、被災地において「地縁」関係が重要な意味を持ったし、今後も持つだろうということは明らかだが、戦後日本で一般に「血縁」というものが戦前ほどには重要視されなくなったことは明らかだろう。
 戦前の「家族」制度に対する否定的評価は-それは「悪しき」戦前日本を生んだ温床の一つとされた-「個人の(尊厳の)尊重」と称揚と対比されるものとして幅広く浸透したし、現にしている、と思われる。
 「個人の尊重」は書くが「家族」にはいっさい言及しない日本国憲法のもとで-樋口陽一は現憲法の中で最重要なのは13条の「個人の尊重」だとしばしば書いている-、「血縁」に重要な意味・位置を戦後日本と日本人は与えてこなかったのではないか、広義での「絆」の中に含まれる基礎的なものであるにもかかわらず。
 もちろん、親(父または母)と子の間や「家族」の中の<美しい>人間関係に関する実話も物語も少なくなく紹介されたり、作られたりしている。
 だが、本来、基本的な方向性として言えば、樋口陽一ら<左翼>が最重要視する「個人の(尊厳の)尊重」と「血縁」関係の重要性を説くことは矛盾するものだ。親子・家族の<美しい>人間関係を語ることには、どこかに上の前者と整合しない要素、または<きれいごと>も含まれているのではないか。こんな関心から、さらに何がしかを追記していこう。

1093/産経新聞と現憲法九条1項-「侵略」戦争のみを放棄。

 一 あらためて現憲法九条の解釈問題に触れる。
 というのは、産経新聞社の憲法九条関係の「専門」記者または論説委員の知識・勉強不足を、再び感じることがあったからだ。
 先月の2/05と2/20の二回、<芦田修正>にかかる石破茂と田中某防衛大臣のやりとりに関連したコメントを記した。
 そのときはあえて立ち入らなかったのだが、産経新聞の2/09社説「芦田修正/やはり9条改正が必要だ」には、九条1項と2項の関係についての、不思議な文章もあった。
 すなわち、「歴代内閣は自衛隊は『戦力』ではなく必要最小限度の『実力』とみなしてきたが、極めて分かりにくい解釈である。/芦田解釈を認めないまでも、このような考え方を政府は一部受け入れており、安全保障の専門家ですら合憲の根拠が奈辺にあるかを把握するのは容易でない。/戦後日本はこうした解釈により、『武力による威嚇又は武力の行使』の放棄と『陸海空軍その他の戦力』の不保持を規定する9条の下で自衛隊の存在について無理やりつじつまを合わせてきた」。
 「…政府は一部受け入れており」も、意味が不明だ。とくに
奇妙なのは最後の一文で、自衛隊に関して、1項の「武力による威嚇又は武力の行使」の放棄と2項の「陸海空軍その他の戦力」の不保持を「無理やりつじつまを合わせてきた」という説明の仕方は、私には趣旨が理解できない。自衛隊の存在は、九条1項とは関係がない、あるいはそれと抵触しておらず、もっぱら九条2項の「軍その他戦力」概念との関係が問題になるにすぎないからだ。
 1項は「戦争」放棄条項と称されることが多い。この社説の言うような、「武力による威嚇又は武力の行使」の放棄を少なくとも第一義的な目的としたものではない。そして、これと2項の矛盾?を「無理やりつじつまを合わせてきた」とはいったいいかなる意味なのだろうか、社説執筆者は憲法九条(1項と2項の関係も含む)の「政府解釈」をきちんと理解しているのだろうか、という疑問をもった。
 この点では、翌日の読売新聞社説の方がはるかにマシで、簡潔ながら要点をおさえていた。すなわち、「原案は9条1項で侵略戦争を放棄し、2項で戦力不保持を明記していた。2項の冒頭に「前項の目的を達するため」を挿入した。/これにより、自衛の目的であるならば、陸海空軍の戦力を持ち得るとする解釈論が後年、生まれることになる。/だが、政府解釈は、芦田修正を自衛隊合憲の根拠としてこなかった」。詳細にここで立ち入らないし、ある程度はのちに述べるが、この読売社説の文章は奇妙ではない。
 問題はおそらく、端的に言って、現憲法九条1項の理解にある。読売社説はすでに原案で「侵略戦争を放棄し」と書いているが、産経新聞においては、この点自体があやしい。すなわち、九条1項は「すべての」戦争を放棄していると、とりあえずは読んで(解釈して)しまっているのではないか。あるいは、表面的な字面に惑わされて、九条1項にいう「武力」概念と自衛隊の存在との間に問題がある、とでも安直に読んで(解釈して)いるのではないか。
 二 九条1項は自衛目的の戦争を含むいっさいの戦争(等)を放棄している、という理解(解釈)は憲法学者の中にもあるし、吉永小百合もまた、これを前提とする文章を、岩波書店刊行のブックレットに書いている。
 月刊WiLL4月号(ワック)の雑談話中の久保紘之も、ある意味では通俗的解釈については正確に、「前項の『戦争放棄』を補強して、そのために『戦力放棄』をすると読まれた」、芦田修正の含意は一部の者の「密教」となり、「民衆レベルでは『戦争も戦力も放棄』が顕教となっ」た、と語っている(p.100)。九条1項の意味や政府解釈等をどの程度正確に理解しているかは疑わしいが。
 また、産経新聞3/14付の投書欄には、「民衆」の一人の次のような主張が掲載された。じつは、この投書の内容を読んで、この文章を書きたくなった。
 投書者は、次のように言う。―自民党の憲法改正原案が「『国権の発動としての戦争を放棄する』との現行憲法第9条を維持している」のは残念だ、これを残すと「自衛のための戦争さえも」否定する根拠になりはしないか。現9条の「戦争放棄条項」を破棄すべきだ。
 こういう主張の投書を産経新聞が掲載したということはおそらく、投書欄担当者は<一理ある>と考えたからだろう。
 この投書者も(産経新聞の担当者も?)、9条の「戦争放棄条項」によって「すべての」・「いっさいの」(自衛戦争を含む)戦争が放棄されている、またはそのように解釈される可能性がある、ということを前提にしている。
 三 この欄にすでにいく度か書いてきたことなのだが、憲法学界の「通説」らしきもの、及び「政府解釈」をいちおうはきちんと知っておく必要があるだろう。
 現在の東京大学の憲法学教授・長谷部恭男の教科書はつぎのように叙述している。-9条1項について「通説は主として国際法上の慣用に基づいて、『国際紛争を解決する手段として』の戦争、〔…武力威嚇・武力行使〕の放棄は、侵略目的による戦争〔等〕の放棄を意味するにとどまるとする」(第4版、p.61)。
 ここにいう「国際法上の慣用」を含めて、現役教授4名による現憲法注釈書である別の本は次のように書いている。-「通説によれば、九条一項が『国際紛争を解決する手段としては』永久に放棄するとした戦争は、一九二八年の不戦条約が『国際紛争解決ノ為戦争に訴フルコトヲ非トシ』て放棄した『…戦争』を意味する」、従って「少なくとも」「自衛戦争・自衛行動や軍事的制裁措置までは放棄していないということになる」(高見勝利執筆、同ら・憲法Ⅰ第4版(有斐閣、2006)p.165)。
 これらにいう「通説」と(憲法制定時は別としても)警察予備隊や自衛隊設置等のあった一九五〇年代以降の「政府解釈」とは同じだ、と理解して差し支えない。なお、かつての宮澤俊義や現在の樋口陽一は「すべての」戦争放棄と解釈した、または解釈したがっているので、「通説」と同じではない。
 以上のように、九条1項におけるキーワードは「国権の発動としての戦争」ではなく(これは「戦争」と同義かほとんど等しい)、「国際紛争を解決する手段としては」にある。そして、この語句による<限定>があるがゆえに、自衛戦争(自衛のための戦争)を九条1項は放棄(否認)していない、とするのが学界の「通説」であり(といっても厳密には諸説があるのだが、上の二著はあえて「通説」と言い切っているので従っておく)、「政府解釈」でもある。
 ではなぜ「自衛(目的の)戦争」も否定されるかというと、それは九条2項の存在による。すなわち、1項のみでは「自衛戦争」は否定されていないが、2項によって「…軍その他の戦力」の不保持が明記されているために、自衛目的であれ「戦争」を行うための「戦力」を保持できず、従って「自衛戦争」を行うことが実際には不可能だ(否定されている)、ということにになっているのだ。

 <芦田修正>の語句は、結果としてはまたは実質的には無視されて解釈されている、と言ってよいと思われる(この点は詳論を要するが、省略する)。そして最近に書いたことを繰り返せば、「自衛」のための「戦力」も保持できないが、自衛権はあり、「自衛」のための最小限度の<実力行使>はできる、そのための組織が(「戦力」ではない)自衛隊だ、ということに、「政府解釈」によれば、なっている。
 国民・「民衆」レベルで、「国際紛争を解決する手段としては」という語句に着目することを期待するのは無理かもしれない。しかし、天下の大新聞?・産経新聞の社説等の執筆者あたりだと、上の程度くらいの知識を持っておくべきだろう。アホ丸出しとまでは書かないが、産経新聞2/09社説は、上のような趣旨を理解して書かれたのだろうか。また、3/14の投書欄担当者は、上のようなことを理解したうえで、一読者の投書を掲載しているのだろうか。
 四 数年前に桝添要一が責任者またはまとめ役となって作成された自由民主党の改憲案においても、現憲法九条1項はそのまま残されていた。現九条2項は削除され、現在の九条1項が「九条」全体に変わり、そのうえで、新たに「九条の二」が設けられて「自衛軍」の保持が明記されていた。今回の自民党の憲法改正原案もまた、これを継承していると考えられる。
 すなわち、<侵略戦争>はしない(放棄する)、という意味で、(自民党においてすら?)現九条1項はそのまま残されるのだ。
 この点を正確に理解したうえで、改憲案に関する報道もなされるべきだろう。
 すでにこう書いたことがある―「九条を考える会」という呼称はゴマカシだ、正確に<九条2項を考える(護持する)会>と名乗るべきだ、と。岩波書店あたりを実質的に事務局としていると推察される「九条を考える会」は(むろん奥平康弘という憲法学者を含む呼びかけ人たちは)、上のような「通説」や「政府見解(解釈)」を知っているにもかかわらず、九条1項の意味をあえて曖昧にし、九条1項がすでに「すべての」戦争を放棄し、そのための具体的な手段として九条2項がある、という(九条1項だけですでに「戦争」一般が放棄されているという)通俗的な、「民衆」レベルでの<美しい?誤解>によりかかって、会の名称とし、運動をしているのだ。
 改憲政党の自民党ですら、現九条全体の破棄・削除を主張しているのではない。改憲政党の自民党ですら?「侵略戦争」を是としているのではない。自民党が主張しているのは、現九条の全体ではなく、後半・2項の削除(と「自衛戦争」可能な自衛軍保持の明記)だ。少なくとも大手新聞社の憲法担当の関係者は、この程度のことは<常識として>知っておくべきだろう。
 産経新聞には、古森義久、黒田勝弘、湯浅博等々の、「正論」欄メンバー以上に博学でかつ現実的な議論のできそうな人物が少なからずいることを知っている。それにしては、憲法あるいは憲法九条関係の記事は、どうもあやしく、お粗末であるような気がする。
 投書者に責任はないだろう。だが、上のような投書を投書欄の最右翼に掲げる感覚は、必ずしも適切ではないように思われる。現憲法九条の解釈論議をまき起こしたいという趣旨ならば理解できなくはないが、自民党の改憲原案への疑問としては正鵠を射ていない。産経新聞社には、憲法九条を含む憲法諸条項の「政府解釈」(多くは内閣法制局見解)をまとめた本(刊行されている)や少しは分厚い憲法の注釈書・教科書のいく冊かも置かれていないのだろうか。そうであるとすれば、まことに空怖ろしい。
 お分かりかな? 産経新聞社の関係者のみなさん。一ブロガーにこんな書き方をされるとは、少しは恥ずかしいのではないか?

1019/西尾幹二による樋口陽一批判②。

 前回のつづき。西尾幹二は、「ルソー=ジャコバン型モデルの意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が重要」という部分を含む樋口陽一の文章を20行近く引用したあと次のように批判する。
 ・「まずフランスを上位に据えて、ドイツ、日本の順に上から序列づける図式的思考の典型例」が認められる。「後進国」ドイツ・日本の「劣等感」に根拠があるかのようだった「革命待望の時代にだけ有効な立論」だ。革命は社会の進歩に逆行するという実例は、ロシア・中国で繰り返されたのだ(p.73-74)。
 ・中間団体・共同体を破壊して「個人を…裸の無防備の状態」にしたのが革命の成果だと樋口陽一は考えているが、中間団体・共同体の中には教会も含まれる。そして、王制だけではなく「カトリック教会」をも敵視した「ルソー=ジャコバン型」国家は西欧での「一般的な歴史展開」ではなく、フランスに「独自の展開、一つの特殊で、例外的な現象」だ。イエ・家族を中間団体として敵視するフランス的近代立憲主義は「日本の伝統文化と…不一致」だ(p.74-75)。
 ・日本では「現に樋口陽一氏のようなフランス一辺倒の硬直した頭脳が、国の大元をなす憲法学の中心に座を占め、若い人を動かしつづけている」。「樋口氏の弟子たちが裁判官になり、法制局に入り、…などなどと考えると、…背筋が寒くなる思いがする」(p.75)。
 ・オウム真理教の出現した戦後50年めの椿事は、「『個人』だの『自由』だのに対し無警戒だった戦後文化の行き着いた到達点」で、「解放」を過激に求めつづけた「進歩的憲法学者に煽動の責任がまったくなかったとは言いきれまい」。「解放と自由」は異なる。何ものかへの「帰依」なくして「自我」は成立せず、「信従」なくして「個性」も芽生えない。「共同体」をいっさい壊せば、人間は「贋物の共同体に支配される」(p.75)。
 ・「樋口氏の著作」を読んでいると、「社会を徹底的に『個人』に分解し、アトム化し、その意志をどこまでも追求していく結果、従来の価値規範や秩序と矛盾対立の関係が生じた場合に、『個人』の意志に抑制を求めるのではなく、逆に従来の価値規範や秩序の側に変革を求めるという方向性」が明確だ。「分解され、アトムと化した『個人』の意志をどこまでも絶対視する」結果、「『個人』はさらに分解され、ばらばらのエゴの不毛な集積体と化する」(p.75-76)。
 ・「『個人』の無限の解放は一転して全体主義に変わりかねない。それが現代である。ロベスピエールは現代ではスターリンになる可能性の方が高い」。実際とは異なり「概念操作だけはフランス的で…『個人』を無理やり演出させられていく」ならば、東北アジア人としての「実際の生き方の後ろめたさが陰にこもり、実際が正しければ正しいほど矛盾が大きくなる」、というのが日本の現実のようだ(p.76)。
 以上。法学部出身者または法学者ではない<保守>論客が、特定の「進歩的」憲法学者の議論(の一部)を正面から批判した、珍しいと思われる例として、紹介した。  樋口陽一らの説く「個人主義」こそが、個々の日本人を「ばらばらのエゴの不毛な集積体」にしつつある(またはほんどそうなっている)のではないか。
 本来は、このような批判的分析・検討は、樋口陽一に対してのみならず、古くは宮沢俊義や、新しくは辻村みよ子・浦部法穂や長谷部恭男らの憲法学者の議論・主張に対して、八木秀次・西修・百地章らの憲法学者によってこそ詳細になされるべきものだ。  「国の大元をなす憲法学の中心」が<左翼>によって占められ続けているという現実を(そしてむろんその影響はたんに憲法アカデミズム内に限られはしないことを)、そして有効かつ適切な対抗が十分にはできていないことを、少数派に属する<保守>は深刻に受けとめなければならない。

1018/西尾幹二による樋口陽一批判①。

 一 フランス革命やフランス1793年憲法(・ロベスピエール)、さらにはルソーについてはすでに何度か触れた。また、フランスの「ルソー=ジャコバン主義」を称揚して「一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」(自由と国家p.170)とまで主張する樋口陽一(前東京大学・憲法学)の著書を複数読んで、2008年に、この欄で批判的にとり上げたこともある。以下は、その一部だ。
 ・「憲法学者・樋口陽一はデマゴーグ・たぶんその1」
 ・「樋口陽一のデマ2+……」

 ・「憲法デマゴーグ・樋口陽一-その3・個人主義と『家族解体』論」
 ・「樋口陽一のデマ4-『社会主義』は『必要不可欠の貢献』をした」
 ・「憲法学者・樋口陽一の究極のデマ-その6・思想としての『個人』・『個人主義』・『個人の自由』」
 二 西尾幹二全集が今秋から刊行されるらしい。たぶん全巻購入するだろう。
 西尾『皇太子さまへのご忠言』以外はできるだけ西尾の本を購入していたが、西尾幹二『自由の恐怖―宗教から全体主義へ』(文藝春秋、1995)は今年になってから入手した。
 上の本のⅠの二つ目の論考(初出、諸君!1995年10月号)の中に、ほぼ7頁にわたって、樋口陽一批判があることに気づいた(既読だったとすれば、思い出した)。西尾は樋口陽一の『自由と国家』・『憲法』・『近代国民国家の憲法構造』を明記したうえで、以下のように批判している。ほとんど全く異論のないものだ。以下、要約的引用。
 ・「善かれ悪しかれ日本は西欧化されていて、国の基本をきめる憲法は…西欧産、というより西欧のなにかの模造品」だ。法学部学生は「西欧の法学を理想として学んだ教授に学んで、…日本人の生き方の西欧に照らしての不足や欠陥を今でもしきりに教えこまれている。……西欧人に比べて日本人の『個』はまだ不十分で…たち遅れている、といった三十年前に死滅したはずの進歩派の童話を繰り返し、繰り返しリフレインのように耳に注ぎこまれている」(p.70)。
 ・「例えば憲法学者樋口陽一氏にみられる…偏光レンズが『信教の自由』の憲法解釈…などに影響を及ぼすことなしとしないと予想し、私は憂慮する」(同上)。
 ・「樋口氏の文章は難解で読みにくく…符丁や隠語を散りばめた閉鎖的世界で、いくつかの未証明の独断のうえに成り立っている。それでも私は……など〔上記3著-秋月〕、氏の著作を理解しよう」とし、「いくつかの独断の存在に気がついた」(p.71)。
 ・「『日本はまだ市民革命が済んでいない』がその一つ」だ。樋口によると、「日本では『個人』がまだ十分に析出されていない」。「近代立憲主義を確立していくうえで、日本は『個人』の成立を阻むイエとか小家族とか会社とか…があって、今日でもまだ立ち遅れの著しい第一段階にある」。一方、「フランス革命が切り拓いたジャコバン主義的観念は『個人』の成立を妨げるあらゆる中間団体・共同体を否定して、個人と国家の二極のみから成る『ルソー=ジャコバン型』国家を生み出す基礎となった」。近代立憲主義の前提にはかかる「徹底した個人主義」があり、それを革命が示した点に「近代史における『フランスの典型性』」がある。―というようなことを大筋で述べているが、「もとよりこれも未証明の独断である。というより、マルクス主義の退潮以後すっかり信憑性を失った革命観の一つだと思う」(同上)。
 ・フランス本国で「ルソー=ジャコバン型」国家なる概念をどの程度フランス人が理想としているか、「私にははなはだ疑わしい」。「ジャコバン党は敬愛されていない。ロベスピエールの子孫の一族が一族の名を隠して生きたという国だ」。ロベスピエールはスターリンの「先駆」だとする歴史学説も「あると聞く」。それに「市民革命」経ずして「個人」析出不能だとすれば、「革命」を経た数カ国以外に永遠に「個人」が析出される国は出ないだろう。「樋口氏の期待するような革命は二度と起こらないからである」。「市民革命を夢みる時代は終わったのだ」(p.71-72)。
 ・樋口陽一の専門的議論に付き合うつもりはない。だが、「どんな専門的文章にも素人が読んで直覚的に分ることがある。氏の立論は…今述べた二、三の独断のうえに成り立っていて」、その前提を信頼しないで取り払ってしまえば、「立論全体が総崩れになるような性格のもの」だ(p.72)。
 ・樋口陽一「氏を支えているのは学問ではなく、フランス革命に対する単なる信仰である」(同上)。
 まだあるが、長くなったので、別の回に続ける。  

1009/国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権、高橋彦博著。

 高橋彦博・左翼知識人の理論責任(窓社、1993)の著者自身は<左翼>のようだ。だが、左翼内部での批判(とくに対日本共産党?)を含んでいるようで、興味がわく。
 この本のp.151以下の「『国民主権(人民主権)』論」によると、日本共産党の見解と見てよい新日本出版社刊行の『社会科学辞典』の中の「国民主権」の説明はつぎのように変化した、という。
 ①1967年版-「主権は資本家階級や大地主、独占資本家をふくむ国民全体にあるとされるが、事実上の権力は特権的支配層によってにぎられている」。
 ②1978年版-日本国憲法の国民主権規定は「不徹底な面をのこしている」が、「人民が主権を直接に行使するという意味の人民主権の実現の可能性を排除していない」。
 ③1989年版-「主権は国民にあるとされるが、国家権力は支配層によってにぎられている」。
 その後、④1992年版では、国民主権概念に対する「批判的視点が払拭」された、という。そして、人民主権は国民主権と同義とされ、日本共産党は「国民主権の戦前からの担い手」だったと主張されるに至っている、とされる。
 このような変化を、高橋は批判的に見ている。そして次のように書く。
 「国民主権をナシオン主権とし、人民主権をプープル主権として、両者の違いを強調する」のが「従来のマルクス主義憲法学の力点」で、この両者の峻別こ「戦術的護憲」論の「立脚点」があったはずではないか(p.155)。
 上の指摘自体もじつに興味深いのだが、国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権といえば、憲法学者・辻村みよ子(東北大学)がフランス憲法(思想)史に依拠しつつ日本国憲法における両者の採用の仕方に着目した研究をしていたことを思い出す。樋口陽一(前東京大学)や杉原泰雄(前一橋大学)もこの議論に加わっていたはずだ。

 ブルジョア民主主義憲法は「国民主権」で、「プロレタリアート独裁権力の樹立を目指す」(高橋上掲書p.153)のが「人民主権」論だとの基本的なところでは合致しつつ、日本国憲法がどの程度において(どの条項に)「人民主権=プープル主権」的要素を包含しているのかが、おそらく論争点だったのだろう(過去ではなく現在でも少しは議論されているのかもしれない)。
 辻村みよ子は七〇年代に上の区別に着目して研究を開始し、八〇年代末に著書としてまとめて刊行したが、それはソ連崩壊の直前だった。日本共産党との組織的関係は不明だが、せっかくの峻別も、上の高橋によると、政治党派(政治運動)レベルでは厳密には生かされていないようだ。

 それとともに感じるのは、辻村みよ子、樋口陽一、杉原泰雄のいずれも、現憲法解釈論には違いがあったかもしれないが、<人民主権=プープル主権>の方向に向かうべきだ、との実践的意欲をもっていたにもかかわらず、それを隠してきた、ということだ。高橋は「従来のマルクス主義憲法学」という表現を簡単に使っているが、辻村みよ子らは自分たちが「マルクス主義」に立つ「マルクス主義憲法学」者であることを、決して公言はしなかっただろう。
 ソ連崩壊=有力または最大の「社会主義」国家の解体の後に、辻村みよ子は「人民主権」ではなく(むろん「国民主権」ではない)「市民主権」ということを言い始め、男女共同参画やジェンダー・フリー(憲法学)へと表向きの関心を変えているようだ。

 こうした一人の(少なくとも従来の)マルクス主義者または「左翼」(学者・知識人)の動向は、中西輝政・強い日本をめざす道―世界の一極として立て(PHP、2011)p.150以下の、「粧いを新たにした」左翼の「見えない逆襲」に関する叙述に、完全に符合している。
 中西輝政のこの本には別の機会に言及する。なぜ、マルクス主義者を中核とする<左翼>は生き延び、日本の多数派を形成してしまっているのか?

0965/遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)における三島・福田対談。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(麗澤大学出版会、2010.04)p.264~は、持丸博=佐藤松男の対談著(文藝春秋、2010.10)が「たった一度の対決」としていた福田恆存=三島由紀夫の対談「文武両道と死の哲学」にも言及している。こちらの方が、内容は濃いと思われるにもかかわらず、すんなりと読める。
 遠藤浩一著の概要をメモしておく。
 「生を充実させる」前提の「死を引きうける覚悟」、「死の衝動が充たされる国家」の再建という編集部の企図・問題意識を福田・三島は共有していると思われたが、二人は①「例えば高坂正堯や永井陽之助あたりの現実肯定主義」 、②「現行憲法」には批判的または懐疑的・否定的という点では同じだったにもかかわらず、福田が現憲法無効化を含む「現状変革」は「結局、力でどうにもなる」と「ドライかつラジカルな現実主義」を突き付けるのに対して、三島は「どういうわけか厳密な法律論」を振りかざす。

 三島は「クーデターを正当ならしめる法的規制がない」、大日本帝国憲法には「法律以上の実体」、「国体」・「社会秩序」等の「独特なもの」がひっついていたために(正当性・正統性を付与する根拠が)あった、という。福田は「法律なんてものは力でどうにでもなる」ことを「今日の新憲法成立」は示しているとするが、三島はクーデターによって「帝国憲法」に戻し、また「改訂」すると言ったって「民衆がついてくるわけない」と反論する。福田はさらに「民衆はどうにでもなるし、法律にたいしてそんな厳格な気持をもっていない」と反応する(この段落の「」引用は、遠藤も引用する座談会からの直接引用)。

 なるほど「力」を万能視するかのような福田と法的正当性を求める三島の問答は「まったく嚙み合っていない」。にもかかわらず、(遠藤浩一によると)「きわめて重要なこと」、すなわち両人の「考え方の基本――現実主義と反現実主義の核心」が示されている。
 現憲法は「力」で制定されたのだから別の「力」で元に戻せばよいとするのが福田の現実主義と反現実肯定主義だ。天皇を無視してはおらず、「法」を超越したところに天皇は在る、「憲法は変わったって、天皇は天皇じゃないか」と見る。
 一方で三島が拘泥するのは「錦の御旗」=正統性であり、正統性なきクーデターが「天皇の存立基盤を脅かす」ことを怖れる。

 福田の対「民衆」観は「現実的で、醒めている」が、三島にとっての「秩序の源泉」は「力」にではなく「天皇」にある。ここに三島の「現実主義と反現実肯定主義」があった。

 このような両者の違いを指摘し、「対決」させるだけで、はたして今日、いかほどの建設的な意味があるのか、とも感じられる。しかし、遠藤浩一は二人は「同じところに立っているようでいて、その見方は決して交わることがない」としつつ、「現実肯定主義への疑問においては完全に重なり合う」、とここでの部分をまとていることに注目しておきたい。三島が「それは全く同感だな」、「そうなんだ」とも発言している二人の若干のやりとりを直接に引用したあと、遠藤は次のように自分の文章で書く。

 福田恆存の「理想に殉じて死ぬのも人間の本能だ」との指摘は三島由紀夫の示した「死への衝動」に通じる。「理想に殉じて死ぬ」のは人間だけの本能だというまっとうな「人間観」に照らすと、「戦後の日本人がいかに非人間的な生き方をしてきたか」と愕然となる。戦後日本人は「現実肯定主義という観念を弄び、あるいはそれに弄ばれつつ、もっぱら生の衝動を満たすことに余念がない」。/「現実肯定主義は個人の生の衝動の阻害要因ともなりうる。生命至上主義に立つ戦後日本人の生というものがどこか浮き足立っていて、『公』を指向していないことはもちろんのこと、『私』も本質的なところで満足させていないのは、福田が言う『人間だけがもつ本能』を無視し、拒絶しているからである。私たちは自分のためだけに、自分の生をまっとうするためだけに生きているようでいて、その実、それさえ満足させていない、それは『私』の中に、守るべき何者も見出せていないからである」(p.269)。

 なかなか見事な文章であり、見事な指摘ではないか。樋口陽一らの代表的憲法学者が現憲法上最高の価値・原理だとして強調する「個人(主義)」、「個人の(尊厳の)尊重」に対する、立派な(かつ相当に皮肉の効いた)反論にもなっているようにも読める。

 なお、このあと「官僚」にかかわる福田・三島のやりとりとそれに関連する遠藤の叙述もあるが省略。また、歴史的かな遣いは新かな遣いに改めた。

 遠藤浩一は、上の部分を含む章を次の文章で結んでいる。

 「三島由紀夫は…『日本』に殉じて自決した。少なくとも彼だけは『死の哲学』を再建したのである」(p.275)。

 以上に言及した部分だけでも、持丸=佐藤の対談著よりは面白い。

 だが、遠藤浩一の著全体を見ると、引用・メモしたいところは多数あり、今回の上の部分などは優先順位はかなり低い。

 櫻井よしこは、どこかの雑誌・週刊誌のコラムで、遠藤浩一の上掲書を「抜群に面白い」と評しているだろうか。
 追記-「生命尊重第一主義」批判・「死への衝動」に関連する、三島由紀夫1970.11.25<檄>の一部。

 「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」。

0956/マルクス・レーニンとフランス・ジャコバン独裁。

 河野健二・フランス革命小史(岩波新書、1959)によれば、レーニンは1915年に、「ロベスピエールの名前をあげ」つつ、「マルクス主義者」は「偉大なブルジョア革命家に、最も深い尊敬の念をよせ」る、と書いたらしい。また、「ロシア革命の一歩一歩は、フランス革命におけるジャコバンのたたかいと、公安委員会とパリ・コミューンの経験を貴重な先例として学びつつ進められた」とされる(p.193)。

 実際のところ、レーニンは、ジャコバン派・ジャコバン独裁あるいはフランスの1793年の時期について、どのように語って、または書いていたのだろうか。

 平野義太郎編・レーニン/国家・法律と革命(大月書店、1967)という450頁を超える書物がある。これは、日本共産党員だったと見られる平野義太郎が、ほぼロシア革命の段階の順に、およびテーマ・論点ごとにまとめて、レーニンが種々の論文(・演説)等で記した(・語った)ことを整理して紹介したものだ。ある程度は、レーニン自身の言葉・文章の辞典的な役割も果たし、便利だ。

 この書物から、索引を主として手がかりにして、上記の関心に応えてみよう。レーニンは次のように述べた(「」は各論文等からの平野による抜粋的引用の部分。「…」はこの欄での省略部分。引用部分自体には平野による簡潔化・修正は加えられていないと見られる)。

 ①「ジロンド派は、フランス大革命の事業の裏切り者であったろうか? そうではない。しかし彼らは、この事業の、一貫しない、不決断な、日和見主義的な擁護者であった。だから、革命的社会民主主義者が、二十世紀の先進的階級の利益を首尾一貫してまもりぬいているのと同様に、十八世紀の先進的階級の利益を首尾一貫してまもりぬいたジャコバン派は、彼らとたたかったのである。だから、…あからさまな裏切り者・王党派・立憲主義的僧侶等々は、ジロンド派を支持し、ジャコバン派の攻撃にたいして、彼を弁護したのである」(1905.03.08)。

 ②「国民の大多数の利益のために革命的暴力を用いることに、反対するものではない。…/問題はただ『ジャコバン派』にも、いろいろあるということだ」。「機知に富んだフランスの格言は『人民ぬきのジャコバン派』をあざわらっている。/真のジャコバン派、一七九三年のジャコバン派の歴史的偉大さは、彼らが『人民とともにあるジャコバン派』、人民の革命的多数者、…とともにあるジャコバン派だったことにあった。/…ただジャコバン派ぶっているだけの連中、…はこっけいであり、みじめである」。「プレハーノフらの諸君。…一七九三年の偉大なジャコバン派が、…当時の国民の反動的・搾取者的少数者の代表を…人民の敵と宣言するのを、恐れなかったことを、諸君は否定できるか?」(1917.06.10)

 ③「民主主義的独裁は、…『秩序』の組織ではなくて、たたかいの組織である。…ペテルブルクを占領して、ニコライをギロチンにかけたとしてさえ、われわれは若干のヴァンデーに当面するであろう。マルクスも、一八四八年に…ジャコバン派のことを回想したとき、このことをみごとに理解していた。彼は、『一七九三年のテロルは、絶対主義と反革命とを片づける平民的なやり方にほかならなかった』と言っている。われわれも『平民的』なやり方でロシアの専制をかたづけるほうをえら」ぶ(1905.04.08。「ヴァンデー」とは、抵抗した農民に対する革命軍の大虐殺があった地域名-秋月。以上、p.44-45)。

 ④1849年のドイツでの「反動」期に、「マルクスは、…労働者が自主的に自分自身の組織をつくるように勧告し、とくに全プロレタリアートの武装が必要であること、プロレタリア衛兵を組織すること、『武装解除の試みは、すべてこれを必要とあれば暴力を用いても、阻止しなければならないこと』を主張している」。「マルクスは、一七九三年のジャコバン党のフランスを、ドイツ民主主義派の模範としている」(1906.03.20。p.82)。

 以上を、平野義太郎編著を使ってのレーニンの叙述紹介の第一回とする。

 レーニンやマルクスが、「1793年のジャコバン派」をどのように評価していたかは、すでに明瞭だろう。

 くり返しておくが、そしてまた再度述べるだろうが、フランス1793年憲法・ジャコバン派を研究した辻村みよ子が、このようなマルクス、レーニンによる評価にまったく(ほとんど?)言及することがないのは一体なぜなのか? 全く知らなかったはずはないのだ。

 付記すれば、既述のように、樋口陽一も、ルソーやジャコバン派を肯定的に評価していた憲法学者だ。樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)p.170は、「一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験すること」が「重要なのではないだろうか」とすら書いていた。樋口陽一も、マルクスやレーニンがジャコバン独裁(・テロル)を肯定的に評価し、実践的な「模範」としていたことに言及していない。一体なぜなのか?

0912/中西輝政・ウェッジ2010年10月号を読む①。

 WEDGE(ウェッジ)2010年10月号。佐伯啓思の連載の他に、中西輝政「保守結集で政党の宿痾と決別せよ」がある。なかなか<豪華>だ。

 中西輝政はタイトルに即しては、「自立した安全保障政策、経済成長戦略を前面に掲げた保守勢力」による「政界の大再編、保守新党の結成」に「賭ける」しか日本に残された可能性はない、と述べる(p.31)。政界再編への期待は数年前からとくに中西において目立った主張だが、その「再編」への道筋や戦略についての具体的な提言や展望は、この論稿でも示されていない、というのが残念なところだ。中西輝政が期待?しているようには、民主党も自民党も分裂する気配がない…。

 私の印象に残った中西の叙述に以下がある。-「平成日本のように、……にもかかわらず、モラル、責任感、国家意識が大きく劣化した国は、世界の歴史でも珍しい」。その大きな「背景には」、①政治家や官僚のみならず、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまったこと」、②「団塊の世代以降の、学校教育に起因するアナーキーな『民主主義』意識」がある(p.30)。

 それぞれに深い意味があり、諸問題と連関していると思われる。大意に異論はない。

 別の機会でも触れたいが、三島由紀夫が1970年に剔抉していたように、<昭和元禄>などと称して浮かれていた頃からすでに、日本は<腐って>いっていた、のだと考えている。上の表現を借りれば、むろん<大勢として>はとか<基本的には>とかの限定を付すべきだろうが、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまった」のだ。反面としての「精神的な豊かさ」を日本国民は追求しなかったし、むしろそのようなものを蔑視したのではないのではないか、とすら思われる。

 自分と自分の家族(しかも兄弟姉妹・両親とは無関係の、自分・配偶者と子どもだけ)が物質的な面で快適に生活してゆけさえすれば、日本国家(・その将来)も東アジアの軍事情勢等も<関係がない>、というのが大方の国民の意識だったのではないか。

 そこにはむろん、日本国憲法が標榜する<個人主義>(とそれに付随した男女対等主義)が伴っており、「国家」・「公共」への関心や意識はまっとうには形成されなかった。むろん直接には日本列島が「戦場」にならず、これまた日本国憲法が標榜する<平和主義>をおおまかに信じておればよかった、という事情も加わる(<平和ボケ>だ)。

 上は中西のいう①からの連想だが、②にも関連する。日本国憲法の標榜する<自由主義>のもとで、見事に<価値相対主義>が日本で花開いた、と思われる。つまり、絶対的な「価値」、あるいは相対的にでもましな「価値」を否定し、何をしようと、何を考えようと<個人の自由だ、勝手だ>という意識が蔓延した、それは現在も強いままで継続している、と思われる。ちなみに、支持はしないが安易に共産主義政党=日本共産党の存在・存続を<寛大に>認めてしまっていることもまた、<何でもアリ>の戦後の国民意識と無関係ではない。

 中西のいう<アナーキーな民主主義>とはむつかしい概念だが、佐伯啓思も近年の本で論及しているらしい、<ニヒリズム>にも近いだろう。日本人は、<信じることができる>何ものかを喪失しまっているのだ。

 憲法学者・樋口陽一が大好きな、現憲法の最大のツボ(最も重要な条項)らしい<個人の尊重>(個人の尊厳。13条)を利用して何をするか、どのように諸個人が生きるかは<個人の尊重>からは何も解らない。諸<自由>が保障されても、その<自由>を使って何をするか、どのように生きるかは<自由主義>からは何も分からない。同じく、<民主主義>も手段にすぎず、追求すべき実体的「価値」を民主主義が示している筈がないのだ。そしてまた重要なことは、<民主主義>的に決定されたことが(いかに「真の民主主義」などと呼号しようと)最も<正しい・適切な・合理的な>ものである保障は何一つないのだ。

 かくして日本国民とその<世論>は浮遊している。

 この辺りについては、今後も何度も書くだろう。

 中西輝政は言う-「日本の世論の問題点」の背景には「日本人全体に関わる問題があり」、それは「現在の政治」の「これほどの惨状」と「全く無関係ではない」(p.30)。
 このような文章を読んでも何も感じず、能天気に、<まだ1年少し経っただけだ、民主党に任せておけば、「古い」自民党とは違う「新しい」政治をしてくれるだろう>と漫然と夢想している国民がまだ過半ほどはいるのだろう。「国民を超える政治はない」(p.30)。大新聞とテレビだけでしか世の中・政治・国際環境を知らない、知ろうとしない国民が、国家を<溶解>させていっている。

0817/月刊中央公論10月号(中央公論新社)の一部を読む。

 一 読売系とされている月刊中央公論10月号(中央公論新社)の編集後記は衆院選の結果をふまえて書かれている。
 編集長・間宮淳はこう書く。
 <自民党組織を「政党と呼ぶべきかは…疑問」だった。「一旦、五五年体制の終焉にまで漕ぎ着け」たが、「今回の選挙まで政権与党として生き残ってしまいます。/そのお陰で日本は、経済が限りなく破滅に近い状態に陥り、グローバル化にもポスト冷戦にも乗り遅れ、明らかな没落の中に。/事ここに至って、ようやく日本人は自民党を見限りました。…」>
 間宮淳は、2009年まで自民党が政権与党だった「そのお陰で」経済が破滅に近くなり、「グローバル化」や「ポスト冷戦」に「乗り遅れ」た、と言っている。
 「ポスト冷戦」と簡単に書くあたりにも、まだ「冷戦」は終わっていない東アジアに関する状況認識の薄さを感じることもできる。
 また、選挙結果を<大>歓迎していることについても、むろん異論はある。
 だが、もっと怖ろしいのは、自民党政権が原因となって「経済…破滅」があり、「グローバル化」や「ポスト冷戦」に「乗り遅れ」た、といとも簡単に原因・結果を叙述していることだ。
 字数に限界があるなどという言い訳は成立しない。「経済が限りなく破滅に近い状態に陥り、グローバル化にもポスト冷戦にも乗り遅れ、明らかな没落の中に」、ということの意味はより詳細にはどういうことなのか? それらの原因は1993年以降も自民党が「政権与党」だったことにある、とする根拠は一体どこにあるのか?。
 この人によると、リーマン・ショックも昨秋以降の経済不況も自民党政権に原因があるのだろう。この人はまともな常識・感覚・経験をもっているのか?
 こんな人が著名な?月刊雑誌の編集長である、ということにこそ、日本の「明らかな没落」の証左がある、と思われる。
 二 同誌同号の巻頭、北岡伸一=御厨貴(対談)「政権交代で始まる不可逆的な地殻変動」もひどいものだ。
 二人とも、東京大学の現役の「政治学」の教授。
 すでに指摘されてはいるが(月刊正論11月号、東谷暁「寸鉄一閃」p.160)、とくに御厨貴のひどさは、著しい。
 細かい、具体的なことを捨象して感じるのは、この二人、とくに御厨貴の視野の<狭さ>だ。
 第一に、「政治学」者ならば、個別の専門ではなくとも、政治「思想(史)」の観点からの分析・総括もあってよいと思うが、何もない。表象的な日本政治・日本人の政治意識に関する言葉だけだ。
 第二に、アメリカには若干の言及はあるが、中国・北朝鮮には何の言及もなく、民主党と<東アジア共同体>構想に関する言及もない。
 御厨貴の民主党に対するヨイショぶりは、「学者」の域を超えている。
 怖ろしいのは、こんな人物が、現役の東京大学教授だということだ。行政官僚にしろ裁判官・弁護士等の専門法曹にしろ、少なくとも教養としての「政治」を、こういう人に教えられて育っていっているのだから、日本のいわば<エスタブリッシュメント>的なものが、戦後<平和と民主主義>思考に浸されるのは当然だ、という気がする。
 三 さらに言うと、国際法の横田喜三郎、憲法の宮沢俊義、政治学(広義)の丸山真男らのDNAを継承していないと、あるいはこれらの戦後の先達たちを直接にせよ間接にせよ<批判する>ような研究を決してしない、そういう論文等を決して書かない人物ではないと、東京大学教員には残れない、又は他大学から東京大学に戻れない(招聘されない)という、牢固とした<慣習>のようなものが、東京大学(とくに)法学部にはあるのではなかろうか。
 上はたんに憶測にすぎない。憲法学者にせよ政治学者にせよ、明瞭に<戦後を疑う>、<戦後民主主義を疑う>者は(社会・人文系の)東京大学教員にはなっていないのではないか。
 東京大学(社会・人文系)がアンシャン・レジームとしての<戦後>(1947年憲法体制ともいえる)の擁護者、司祭者たちの集まりでないとよいのだが…。
 樋口陽一、上野千鶴子……。なぜ、東京大学卒業でもないこの人たちは、、東京大学教授になれたのか…?。研究「業績」以外の何かがあるような気がしてならない。

0761/阪本昌成におけるフランス革命-1。



 阪本昌成・新・近代立憲主義を読み直す(成文堂、2008)において、フランス革命はどう語られるか。旧版に即してすでに言及した可能性があり、また多くの箇所でフランス革命には論及があるが、第Ⅱ部第6章「立憲主義のモデル」を抜粋的・要約的に紹介する。
 マルクス主義憲法学を明確に批判し、ハイエキアンであることを公然と語る、きわめて珍しい憲法学者だ。
 現役の憲法学者の中にこんな人物がいることは奇跡的にすら感じる(広島大学→九州大学→立教大学)。影響を受けた者もいるだろうから、憲法学者全体がマルクス主義者に、少なくとも「左翼」に支配されているわけではないことに、微小ながらも望みをつなぎたい。
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 第Ⅱ部第6章〔1〕「フランス革命の典型性?」(p.182~)
 A 近代憲法史にとっての「フランスの典型性」を樋口陽一らは語り、それを論証するように、<権利保障・権力分立がなければ憲法ではない>旨のフランス人権宣言16条が言及される。
 このフレーズは誤った思考に導きうる。16条の「権利」の中には「安全」への権利も含まれているが、これが立憲主義の要素として語られることは今日では稀。また、「自由と権利における平等」と「平等な生存」の並列はいかにも羅列的だし、「所有権」まで自然権と割り切っていることも奇妙だ。
 「自由、平等、財産権」の差異に無頓着ならば、フランス人権宣言はアメリカ独立宣言と同じく立憲主義の一要素に見事に言及している。しかし、アメリカとフランスでは「自由・平等」のニュアンスは異なる。「自由」の捉え方が決定的に異なる。
 B 革命期のフランスにおいて人民主権・国家権力の民主化を語れば「一般意思」の下に行政・司法を置くので、モンテスキューの権力分立論とは大いにずれる。<一般意思を表明する議会>とは権力分立の亜種ですらなく、「ルソー主義」。
 アメリカ建国期の権力分立論は「人間と『人民』に対する不信感、権力への懐疑心、民主政治への危険性等々、いわゆる『保守』と位置づけられる人びとの構想」だった〔青字部分は原文では太字強調〕。
 立憲主義に必要なのは、国家権力の分散・制限理論ではなく、国家にとっての憲法の不可欠性=「国家の内的構成要素」としての憲法、との考え方だろう。これが「法の支配」だ。立憲主義とは「法の支配」の別称だ。
 <立憲民主主義>樹立が近代国家の目標との言明は避けるべき。「民主的な権力」であれ「専制的なそれ」であれ、その発現形式に歯止めをかけるのが「立憲主義」なのだ。
 近代萌芽期では「立憲主義」と「民主主義」は矛盾しないように見えた。だが、今日では、「民主主義という統治の体制」を統制する「思想体系」が必要だ。(つづく)

0727/安藤昌益、佐藤信淵、そしてルソー(さしあたり辻村みよ子における)。

 一 渡部昇一=谷沢永一・こんな「歴史」に誰がした(文春文庫、2000。単行本初版1997)の第六章によると、日本の中学歴史教科書に江戸時代の安藤昌益が取り上げられるのは、E・H・ノーマンの忘れられた思想家(岩波新書、1950)の影響が大きいらしい。ノーマンはマルクス主義者で、米国でのマッカーシーイズム高揚時に米国から逃亡したが、エジプトで自殺した。
 安藤昌益は、谷沢によると、人間は平等に全員が「直耕」、すなわち農作に従事していれば「徳」を持った「上」(独裁権力者・超絶対権力者)が現れて社会をうまく治めてくれる、と説いたらしい。平等主義と独裁権力者(超絶対権力者)への期待が安藤「思想」のポイントのようだ。他に、農業のみを論じて商業・金融・流通等の<経済>は無視した(考慮外とした)こと。
 同様に、江戸時代の佐藤信淵が取り上げられるのは、マルクス主義歴史学者による羽仁五郎・佐藤信淵に関する基礎的研究(1929)の影響によるところらしい。谷沢によると、この佐藤も「絶対権力者崇拝」。かつ、佐藤信淵という人物と仕事(著作物)には不明瞭なことが多く、森銑三・佐藤信淵―疑惑の人物(1942)は「彼の業績を示すものは何もない」ことを明らかにした、という。
 にもかかわらず、岩波の日本思想体系のうち一巻は安藤昌益と佐藤信淵の二人の「思想」にあてられ、佐藤に関する森銑三の研究業績はほとんど無視されている、という。
 これらが適切な叙述であるとすると怖ろしいことで、戦後「左翼」教育の一端を示していることにもなるし、それに対するマルクス主義者(共産主義者・親共産主義者)の強い影響力も見てとれるし、さらに、世俗的には<偉い>「思想家」(の一人)と見られているような人物であっても、じつは荒唐無稽の、「狂人」のような考え方の持ち主でありうる、ということも示している。
 この二人への言及ののち、渡部昇一は「この教科書〔教育出版、1997年時点のもの〕は『平等大好き、絶対的権力者大好き』という考えの持ち主」で、とつなげていくが、「自分の嫉妬心を理屈で捏ね上げたのが、平等論」(渡部)、「平等主義とは要するに、一番下のレベルに揃えようという発想」(谷沢)と各々述べたのち、「嫉妬心を平等心と言い換えるという悪魔的な知恵」を捻り出した人間を二人の対談の俎上に載せる。<J・J・ルソー>だ。
 二 辻村みよ子・憲法(第三版)(日本評論社、2008)は、索引を手がかりにすると、以下のように六箇所で、J・J・ルソーに言及している。
 ①社会契約論(1762)の著者で「フランス革命にも多大な影響を与えた」。「人民の主権行使を徹底させて民主的な立法(一般意思形成)手続を確立することにより、人民主権の理論を導いた」(p.9)。
 ②フランスの「人民(プープル)主権」論は「代表制を否定し直接制の可能性を追求したルソー等」の理論に依拠している(p.70)。
 ③ロックやルソー等は「自然状態における人間の平等を前提にして、人間は生まれながらに自由であり平等であるという考えを理論化」した。これに従い、1776アメリカ独立宣言、1789フランス人権宣言は「平等」を謳った(p.180)。
 ④1.人権保障のあり方、2.国民主権・統治のあり方、の二点につき、「西欧の憲法伝統」は大まかには「英米流」と「フランス的」の二つに分かれる。2.の「統治の民主的手続のあり方」についても、英米とフランスの区別を「ロックとルソーの対抗」として理解する向きがあり、また、「トクヴィル・アメリカ型」(多元主義モデル)と「ルソー・ジャコバン型」(中央集権型「一般意思モデル)を対置させる見方もある(これが辻村も明記するように、この欄でも紹介したことのある樋口陽一の捉え方だ)(p.356)。
 ⑤ルソーはイギリスの「近代議会における代表制」を批判した。「自由なのは、…選挙する間だけ」だと。かかる古典的代表制はフランスでは1791年憲法の「国民(ナシオン)主権」と結びついた。これに対抗する「人民(プープル)主権」論というもう一つの系列も存在した(p.363)。
 ⑥違憲立法審査制は、「法律を主権者の一般意思の表明とみなすルソー的な議会中心主義が確立していた第三共和制期には、明確に…否定されていた」(p.474)。
 三 辻村みよ子は「人民(プープル)主権」説を少なくともベースにして日本国憲法の解釈やあるべき運用を論じているので、当然のごとく、J・J・ルソーに<親近的>だ(と言い切ってよいだろう)。「平等」主義の(重要な)淵源をルソーに求めてもいる。
 一方、渡部昇一=谷沢永一の上掲書が言及するように(p.216)、そしてこの欄でも紹介したことがあるように、ルソーの「思想」を「異端の思想」・「悪魔の思想」と断じる中川八洋のような者もいる。渡部昇一と谷沢永一も反ルソーだ。
 同じ人物の考え方(「思想」)について、どうしてこう正反対の評価・論評が出てくるのだろう。いま少し、J・J・ルソーの「思想」に立ち入る。

0704/フランス・ジャコバン派(ロベスピエール)とレーニン・マルクス。

 〇 1.あらためて書くが、河野健二・フランス革命小史岩波新書、1959)は、ロベスピエールをこう称揚した。
 「彼(ロベスピエール)こそは民衆の力を基礎にして資本の支配に断乎たるたたかいを挑み、一時的にせよ、それを成功させた最初の人間だからである」(p.191)。
 この河野の本はまた、レーニンは1915年に次のように述べ、「とくにロベスピエールの名前をあげることを忘れなかった」という。
 「偉大なブルジョア革命家に、最も深い尊敬の念をよせないようでは、マルクス主義者ではありえない」(p.193)。
 ジャコバン(モンターニュ派)独裁については、上の河野の本は次のように叙述する。
 「モンターニュ派、とくにロベスピエールは、こういう運動〔「私有財産に対する攻撃、財産の共有制への要求」-秋月補足〕の背後にある要求をくみとりながら、すべての人間を小ブルジョア的勤労者たらしめる『平等の共和国』をうちたてようとした」(p.189)。
 モンターニュ派の夢見た「第三の革命」は「輪郭がえがかれたままで挫折した。資本主義がまさに出発しようとしているとき、…とすることは歴史の法則そのものへの挑戦であった。悲壮な挫折は不可避であった」。
 これらの文章をもう少しわかりやすく言えば、ジコバン派=ロベスピエールは「ブルジョア(市民)革命」を超えて、さらに「第三の」、すなわち「社会主義革命」まで進もうとしたのだが、それはまだ<早すぎて>「歴史の法則」に反し、「悲壮な挫折は不可避」だった、ということだ。
 2.ところで、のちのマルクスやレーニンが「ジャコバン独裁」に注目しかつそれに学ぼうとしたことは疑いを入れない。
 平野義太郎・レーニン/国家・法律と革命(大月書店、1967)は、日本共産党党員(故人)の平野義太郎がレーニンの「国家・法律と革命」に関する文章・命題を抜粋してそのまま掲載している(体系・順序の編集のうえで)ものだが、事項索引に「ロベスピエール」はないが「ジャコバン」はあり、4箇所の頁数が示されている。それを手がかりに読むと、レーニンおよびマルクスが「ジャコバン独裁」を肯定的にかつ高く評価していたことが明瞭だ。以下、そのまま一部引用する。①~④は、レーニン自身の文章だ。
 ①「ジロンド派は…一貫しない、不決断な、日和見主義的な擁護者であった。だから、…十八世紀の先進的階級の利益を首尾一貫してまもり抜いたジャコバン派は、彼らとたたかったのである」(p.44、1905.03=レーニン執筆の年月、以下同)。
 ②「真のジャコバン派の歴史的偉大さは、彼らが『人民とともにあるジャコバン派』、人民の革命的多数者、当時の革命的な先進的諸階級とともにあるジャコバン派だったことにあった」。「…プレハーノフらの諸君。…一七九三年の偉大なジャコバン派が、ほかならぬ当時の国民の反動的・搾取者的少数者の代表を、ほかならぬ当時の反動的諸階級の代表を、人民の敵と宣言するのを、恐れなかったことを、諸君は否定できるか?」(p.44-45、1917.06)。
 ③「マルクスは、…とくに全プロレタリアートの武装が必要であること、プロレタリア衛兵を組織すること、…を主張している。…マルクスは、一七九三年のジャコバン党のフランスを、ドイツ民主主義派の模範としている」(p.82、1906.03)。
 ④「一七八九年の上向線〔立憲派―ジロンド党―ジャコバン党〕は、人民大衆が絶対主義に勝った革命の形態であった。一八四八年の下向線〔プロレタリアート―小ブルジョア民主主義派―ブルジョア共和派―ナポレオン三世〕は、小ブルジョアジーの大衆がブロレタリアートを裏切って革命を敗北させた革命の形態であった」(p.115、〔〕は前後の文脈からする平野による補足と見られる。1915.11)。
 ⑤〔平野義太郎の「解題」の中〕レーニンは「…革命人民の歴史を述べる必要があり、とくにマルクスと同じように、フランス大革命のジャコバン党の歴史、それから一八四八年のドイツ・フランスの革命、一八七〇年のパリ・コミューンからまなんで革命の歴史を述べるときがきた。…」(p.401)。
 3.以上のとおり、(ルソー→)ロベスピエール(ジャコバン派)→マルクス→レーニンという<系譜>があることは明瞭だ。(ロベスピエールはルソーの思想的弟子。)
 だが、日本のとくに最近の学者たちは、マルクスやレーニンの名を出すことなく(換言すればマルクス(・レーニン)主義の擁護・支持を<隠したままで>)、ルソー、フランス革命、ロベスピエール(ジャコバン派)賛美・称揚を行っている。
 「ルソー・ジャコバン型」民主主義・個人主義を近代原理の典型的な一つとする樋口陽一や、施行もされなかった1793年(ジャコバン)憲法に憲法(思想)史上の重要な位置を与える辻村みよ子も、憲法学者の中でのそうした者の例だ。
 あらためて述べておくが、フランスのジャコバン派や1793年憲法に肯定的・親近的な文章を書いている者は、冒頭の河野健二はもちろんのこと、マルクス主義者又は少なくとも親マルクス主義者であることは疑いないと思われる。「マルクス主義」専門用語をできるだけ使わないようにしつつ、その実は、マルクス主義の骨格部分をなお支持して学者・研究者生活をおくっている者は少なくないと思われる。そのような者たちが少なくないからこそ、日本の「左翼」は他の<先進・自由主義>諸国の「左翼」とは異質で、かつ異様なのだ。
 〇田母神俊雄=潮匡人・自衛隊はどこまで強いのか(講談社+α新書、2009)を4/18に全読了。

0691/フランス1793年憲法・ロベスビエール独裁と辻村みよ子。

 一 「フランス・ジャコバン独裁と1793年憲法再論-河野健二と樋口陽一・杉原泰雄」とのタイトルで簡単にまとめたことがあった(2008/11/02)。
 河野健二・フランス革命小史(岩波新書、1959。1975年に19刷)は、これまでの「体制派」=「進歩派」=「左翼」のフランス革命史・フランス革命観を叙述していると見られる。重複部分があるが、フランス1793年憲法・ジャコバン(=ロベースピエール)独裁については、以下のごとし。
 「ロベスピエール派」の「政治的実践」は失敗したが、「すべて無効」ではなかった。「モンターニュ派」による国王処刑・独裁強化は「一切の古い機構、しきたり、思想を一挙に粉砕し、…政治を完全に人民のものにすることができた」。「この『フランス革命の巨大な箒』(マルクス)があったからこそ、人々は自由で民主的な人間関係をはじめて自分のものとすることができた」(p.166-7)。/「モンターニュ派」独裁の中で、「私有財産にたいする攻撃、財産の共有制への要求があらわれた」。とくにロベスピエールは、「すべての人間を小ブルジョア的勤労者たらしめる『平等の共和国』」を樹立しようとした。しかし、戦争勝利とともに「ロベスピエール派」は没落し、上の意図は「輪郭がえがかれたままで挫折した」(p.190)。/「資本主義がまさに出発」しようとしているとき、「すべての人間を小ブルジョアとして育成し、固定させようとすることは、歴史の法則への挑戦であった」。「悲壮な挫折は不可避であった」(p.190)。/ロベスピエールが「独裁者」・「吸血鬼」と怖れられているのは彼にとって「むしろ名誉」ではないか。彼こそ、「民衆の力を基礎として資本の支配に断乎たるたたかいを挑み、一時的にせよ、それを成功させた最初の人間だから」だ(p.191)。
 ロベスビエールは失敗したが、しかし、それは時代を先取りしすぎていたからで、彼らが指し示した歴史的展望は不滅のものだ、とでもいいたげだ。マルクス主義者又は親マルクス主義者にとって、ロベスピエール独裁とは、<ブルジョア(市民)革命>に続く、<社会主義革命>(プロレタリア独裁?)の萌芽に他ならなかった。
 かかる「ジャコバン(モンターニュ)独裁」観に、樋口陽一も立っていたといってよい。樋口は同・自由と国家(岩波新書、1989=ソ連解体前)p.170で、日本人はフランスの1793年の時期を、「ルソー=ジャコバン型個人主義」を「そのもたらす痛みとともに追体験」せよ、と主張していた。
 二 日本国憲法の教科書・概説書の中に、索引によると、フランス1973年憲法に6カ所で言及しているものがある。
 辻村みよ子・憲法/第3版(日本評論社、2008)だ。なお、日本評論社から憲法(日本)の教科書・概説書を出版しているのは、この辻村みよ子と、浦部法穂の二人かと思われる。日本評論社の<法学>系出版物の「左翼」傾向はこの点でも例証されていると考えられる。
 以下、辻村みよ子の上の著がフランス1973年憲法をどう記述しているかをメモしておく。
 ①「ブルジョアジー」が狭義の「国民主権」を定めた1791年憲法に対して、「王権停止後に初の共和制憲法として成立した1793年憲法は、平等権や社会権の保障のほか、市民の総体としての人民を主体とする『人民(プープル)主権』原理に基づく直接民主主義的な統治原理を採用した。しかし、この急進的な憲法は施行されず、1795年憲法が制定されて、…<以下、略>」(p.22)。
 この部分は諸外国における「近代憲法の成立」の説明の中にある。諸外国とはイギリス、アメリカ、フランスで、ドイツに関する記述はない。
 ②日本の「私擬憲法草案」の中では、植木枝盛起草の『東洋大日本国国憲按』(1881)には、「フランス1789年人権宣言のほか、急進的な1793年憲法の人権宣言の抵抗権や蜂起権の影響が認められる」(p.34)。
 この部分は、明治憲法の制定過程に関する叙述の中にある。
 くり返しておくが、フランス1793年憲法とは、現実には<施行されなかった>憲法だ。つづく。

0659/自由主義・「個人」主義-佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)から・たぶんその1

 一 <民主主義>とは「国民」又は「人民」の意向・意思に(できるだけ)即して行うという考え方、というだけの意味で(「民主政治」・「民主政」はそのような「政治」というだけのこと)で、「国民」・「人民」の意思の内容・その価値判断を問わない。従って、「国民」・「人民」の意思にもとづいて<悪い>又は<間違った>又は<不合理な>決定が行われることはありえ、そのような「政治」もありうる。民主主義にのっとった決定が最も「正しい」とか「合理的」だとは、全く言えない。
 また、「国民」・「人民」の意思だと僭称するか(各国共産党はこれをしてきたし、しているようだ)、しなくとも実際に多数「国民」・「人民」の支持・承認を受けることによって、ドイツ・ワイマール民主主義のもとでのナチス・ヒトラー独裁のように、民主主義から<独裁>も生じうる。また、民主主義の徹底化を通じた<社会主義・共産主義>への展望も、かつては有力に語られた。
 <民主主義>に幻想を持ちすぎてはいけない。
 <自由>が国家(・および「因習」等)による拘束からの自由を意味するとして、それは重要なことかもしれないが、このような<自由>な個人・人間が目指すべき目標・価値を、あるいは採るべき行動・措置を、何ら指し示すものではない。<自由>を活用して一体何をするか、何を獲得するかは、<自由>それ自体からは何も明らかにならない。
 とくに<経済的自由主義>はコミュニズムに対抗する意味でも重要なことだろうが(むろん「自由」にも幅があるので又は内在的制約があるので、<規律ある自由>とかが近時は強調されることもある)、しかし、「自由主義」に幻想を持ちすぎてもいけない。
 <個人主義>も同様だ。人間が「個人として尊重」されるのはよいし、その個人の「生命、自由及び幸福追求に対する…権利」が尊重されるのもよいが(日本国憲法13条)、「生命、自由及び幸福追求」というだけでは、「自由な」尊重されるべき「個人」が、一体何を目指し、何を獲得すべきか、いかなる行動を執るべきか、いかなる具体的価値を大切にすべきか、等々を語るには、なおも抽象的すぎる。要するに、各個人の「自由な」又は勝手気侭な選択はできるだけ尊重されるべし、というだけのことだ。
 <平等>主義も重要だろうが、これまた具体的<価値>とは無関係だ。適法性を前提としても(法の下の平等)、平等な貧困もあるし、平等に国家的・社会的規制を受けることがあるし、平等に「弾圧・抑圧」されることもありうる。<平等>原理だけでは、特定の<価値>を守り又は獲得する手がかりには全くならない。
 二 というようなことを思いつつ、佐伯啓思のいくつかの本を見ていると、なるほどと感じさせる文章に遭遇する。
 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)の、80年代アメリカ経済学・「グローバリズム」・「新自由主義」批判は省略。
 ①「リベラリズム」(自由主義)の「基礎を組み立てている」のは「消費者」ではなく、しいて名付ければ「市民」だとしたあと(上掲書p.56)、次のように書く。
 ・「市民」はその原語(ブルジョアジー)の定義が示すように何よりも「財産主」であり、「財産主」であることを守るためには「安定した社会秩序」を必要とした。さらに「社会秩序」の維持のためには「公共の事柄に対する義務と責任」を負い、この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」・「日々の経験」・「人々との会話」・「読書」・「芸術」によって培われる。
 ・「公共の事柄に対する義務と責任」を負うために必要な「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を、人は、「いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として」身に付けることはできない。人は「近隣、家族、友人たち、教会、それに国家」、こうした「様々なレベルでの」「広義の『共同体』」と一切無関係に「価値や判断力」を獲得できない。
 ・「近代社会」による「封建的共同体からの個人の解放」は「個人主義」の成立・「近代リベラリズムの条件」だと理解されている。しかし、これは「基本的な誤解」か、「すくなくとも事態の半面を見ているにすぎない」。「一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえない」。仮にありえたとして、彼はいかにして、「社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在」を学ぶのか。
 ・「通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の権利をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」。(以上、p.57-58)。
 昨年に憲法学者・樋口陽一の「個人」の尊重・「個人主義」観をこの欄で批判的に取り上げたことがある。樋口陽一や多くの憲法学者の理解している又はイメージしている「個人」とは、佐伯啓思は「ロックなどの社会契約論が思想の端緒を開き…」と書いているが、ロック・ルソーらの(全く同じ議論でないにせよ)社会契約論が想定しているようなものであり、それは「誤り」を含む「通俗的な近代リベラリズム」のそれなのではないか。
 ②次のような文章もある。
 ・80年代に「リベラリズム批判」と称される四著がアメリカで出版され、話題になった(4名は、ニスベット、マッキンタイアー、ベラー、サンデル)。これらに共通するのは、「支配的なリベラリズム」が想定する「何物にも拘束されない自由な個人という抽象的な出発点」は「無意味な虚構だ」として排斥することだ。「抽象的に自由な個人」、サンデルのいう「何物にも負荷されない個人」という前提を斥けると「個人とは何なのか」。マッキンタイアーが明言するように、「何らかの『伝統』の文脈と不可分な」ものだ。
 ・人は「書物や頭の中で考えたこと」によって「価値」・「行動基準」を学習・入手するのではなく、「日々の経験や実践」の中で学ぶ。ここでの「実践」も抽象的なものではなく、それは「必ず歴史や社会の個別性の中で形成される」。つまり、「実践」は必ず「伝統」によって負荷されている。従って、「実践」とは先輩・先人・先祖との関係に入ることも意味する。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、残るのは「極めて貧困な実践」であり、そこから「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ(以上、p.58-59)。
 ・まとめ的にいうと、「確かに、リベラリズムは…、かけがえのない個人という価値に固執する」。「個人的自由」はリベラリズムの「基底」にある。しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえない」。つまり、「特定の『実践』や『伝統』から無縁ではありえない」(p.60)。
 今回の紹介は以上。
 上の一部にあった、「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ、ということは、わが国の戦後に実際に起こったことではないか。
 日本の戦前との断絶を強調し(八月革命説もそのような機能をもつ)、戦前までにあった日本的「伝統」・「価値」 を過剰に排斥又は否定した結果として、「伝統」・「歴史」の負荷を受けて成長すべき、戦後に教育を受けた又は戦後に社会的経験・「実践」をした者たちは(現在日本に生きている者のほとんどになるだろう)、まっとうな感覚をもつ「豊かな個人」として成長することに失敗したのではないか(私もその一人かも)。そのような「個人」が構成する社会が、そのような「個人」の総体「国民」が「主権」者である国家が、まともなものでなくなっていくのは(<溶解>していくのは)、自然の成り行きのような気もする。

0611/宮沢俊義・憲法講話(岩波新書、1967)の憲法九条論と不思議な樋口陽一の主張。

 一 <戦後・進歩的知識人>の一人による宮沢俊義・憲法講話(岩波新書、1967)の憲法九条・自衛隊関係の叙述に以下のようなものがある。
 ・九条(2項)が禁止するのは「戦力」の保持であり、「戦力」とは「近代戦争を有効に遂行するに足りる武力」のことであるところ、「現在の自衛隊程度の武力」は「戦力」にあたらない。これが「現在政府のとっている解釈」だ。だが、かかる解釈、そして自衛隊を最高裁判所が「違憲」とすることは「まず予想できない」(p.205)。
 ・政府解釈によると、「戦力」に至らない程度の武装であれば、核兵器の保有が憲法九条によって禁止されてはいない。こうなると、「第九条は、実質上、完全に抹殺されてしまう」(p.209)。
 ・現在の政府の解釈を「国会が承認し、さらに、裁判所が支持する」となればその解釈は「公権的なものとして確定する」。そして、そうなれば、いかに学説が批判しても、そのような「公権解釈」で示された内容こそが、「生きている憲法、すなわち、現実に行なわれている実定憲法」であると言わざるを得ない(p.209)。
 以上を読んでの感想は、①宮沢がこれを書いた時期よりも自衛隊の武力の程度が縮小・弱体化しているとは思えず、かつ②政府は叙上のような憲法解釈をずっと維持してきているはずだ、そして、③法制度等から見て「国会」や「裁判所」が政府解釈を<追認>することはないのではないか、だとすれば事実上は政府解釈が「公権解釈」になっている、④国会による憲法解釈にしても、叙上の政府解釈を支持する(少なくとも否定しない)党派が一貫して多数派を占めてきていることは、国会は自衛隊を(そしてその基礎にある憲法解釈を)「違憲」と判断しているとは言えないことが明らかだ。
 以上の最終的な結論的感想は、憲法九条2項についていうと、自衛隊は憲法違反ではなないとする憲法解釈こそが、宮沢の表現を借りると、「生きている憲法、すなわち、現実に行なわれている実定憲法」であると言わざるを得ないのではないか、ということだ。
 こう書けば自衛隊を違憲とする憲法学者は、最高裁による判断はまだ示されていない、違憲なものは違憲だと反論するかもしれない。
 だが、かりに多くの憲法学者が考えるように自衛隊は客観的には違憲(憲法九条2項違反)だとすれば-そう解するのに十分な根拠はあると思うが-、そのような憲法学者たちは、実質的には憲法九条2項は空文化し、「生きている」又は「現実に行なわれている」憲法条項ではなくなっていることを率直に認めるべきなのではないか。
 その点で、上の宮沢俊義の言明は率直かつ正直な感覚を示していると感じられる。
 二 だが、現今の憲法学者の考えていることは、なかなか複雑で、上のことを素直に承認することもなく、かと言って自衛隊違憲論を大々的に主張してその縮小・解体を強く説いているわけでもない。
 どこかおかしい。素直でないし、ある意味では<卑劣>ではないか。
 既に触れたが、樋口陽一は、憲法再生フォーラム編・改憲は必要か(岩波新書、2004)の中で、次のように主張する。
 「正しい戦争」をするための九条改憲論と「正しい戦争」自体を否認する護憲論の対立と論争が整理され、そのような選択肢がきちんと用意される「それまでは、九条のもとで現にある『現実』を維持してゆくのが、それこそ『現実的』な知慧というべきです」、改憲反対論は「そうした『現実的』な責任意識からくるメッセージとして受けとめるべき」だ(p.23-24)。
 この<護憲論者>の主張はいったい何なのか。見方によれば、「現実」がどうなっても、どう変わっても、それはそれとして、憲法九条(2項)の条文だけが不変であればそれでよい、と考えているように見える。
 自衛隊(・防衛省)の存在を前提としてもなお憲法九条(2項)がその活動に制約を課す法的根拠として働いていることを否定はしないが(だからこそ九条2項廃止論も正当な根拠をもって出てくる。なお、集団的自衛権行使否定がなぜ九条2項等から解釈上生じるか等自体にもよく分からないところがある)、上のような<わかりにくい>主張は、「現実」を認めたくないためにすぐにその心理の裏側から出てきている「開き直り」とでも言うべきものではないか。
 1960年代後半の宮沢俊義の見解の方がはるかに率直で素直で、また憲法学者として誠実だと考えられる。

0610/実教出版『世界史B・新訂版』(2007.01)は仏革命期の「恐怖政治」がロシア革命でも、と。

 一 樋口陽一は「ルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」と記した。同・自由と国家(岩波新書、1989)p.170。
 あらためてきちんと引用すると、河野健二は同・フランス革命小史(岩波新書、1959)p.167でこう書いていた。
 「モンターニュ派は、王を処刑し、公安委員会をつくり、独裁を強化することで、旧制度からひきついだ一切の古い機構、しきたり、思想を一挙に粉砕し、超越的であった政治を完全に人民のものとすることができた」。
 モンターニュ派(=ジャコバン派)は国王処刑・公安委員会設置・独裁強化によって、「政治を完全に人民のものとすることができた」、と書いている。
 これは史実か? ここでの「政治」とは、「人民」とは、「人民のものにする」とは、いったいいかなる意味なのか。
 ロベスピエールらモンターニュ派(ジャコバン派)のしたことは「恐怖政治」(テルール)との言葉でも形容されるがごとく、反対派の暗殺等の<大量殺戮>でもあった。
 それを上のように讃えることのできた京都大学教授・河野健二は、そこに、日本でも将来に行われるかもしれない、<プロレタリア独裁>による反対派・「反動」派の<正当な>殺害を見たのではないか、という気がする。「革命」遂行のための<正当な>暴力行使(殺戮>虐殺を含む)、これを(ひそかに?)肯定していたのではないか、と想像する。

 そのような河野において、「献身的な革命家」が「革命の殉教者」として葬られたのが、「テルミドールの反動」だった(上掲書p.167)。
 かつて学習した教科書にも、「テルミドールの反動」という言葉が載っていた。なるほど、<進歩>・<前進>に対する逆流と理解されたゆえにこそ、「反動」という言葉が選ばれていたのだと思われる。
 だが、それは当時の主流派的(マルクス主義的)フランス革命解釈によるもので、客観的にはそれは、<テルミドールの「正常化」>(<狂気の終焉>)に他ならなかっただろう。なおも混乱は続いたが、「正常化」又は「再秩序化」への第一歩ではあったと考えられる。

 二 中学校・高校用のすべての歴史・世界史の教科書を見たわけではないが、実教出版『世界史B・新訂版』(2007.01発行、2006.03検定済)のフランス革命関連の叙述はなかなか面白い(具体的な特定の執筆者名は不明)。少なくとも従来の主流派的(マルクス主義的)フランス革命解釈に依っていないことは明らかだ。
 ①ロベスピエールの「恐怖政治」について書いたあと、こう続ける。「経済統制をきらうブルジョアジーは、革命の徹底化に強い不安を感じはじめ…、戦況の好転によって独裁権力そのものが不必要になったとき、1794年夏、テルミドールのクーデタによってロベスピエールは即決裁判にかけられ処刑された」。
 この教科書には「テルミドールの反動」という言葉は出てこない。
 ②「フランス革命」となお称しつつ、これの「意義」を次のように書いている(p.238-9。以下は全文ではない)。
 フランス革命は「民主主義をめざす革命であったといってよい」。「しかし同時に深刻な問題もあった。不平等の是正については社会各層の利害が鋭く対立したため、反対派を暴力で排除しようとする恐怖政治がうまれたからである。同じような状況は、20世紀のロシア革命でくりかえされることになる」。
 ここではフランス革命が随伴した「問題」の指摘(=「恐怖政治」への言及)があり、同様のことが「20世紀のロシア革命でくりかえされ」た、とまで書かれている。
 かつてフランス革命の未完の部分を完成させたロシア革命という積極的評価が主流派・マルクス主義派のそれだったが、ロシア革命によって生まれたソ連「社会主義」が崩壊してみると、ロシア革命に伴った「悪」はフランス革命に由来する(少なくとも似ている)、とでも言っているような叙述が登場しているのだ。
 こうしてみると、多少は勇気づけられる。明らかに、(部分的かもしれないが)マルクス主義的な「フランス革命」理解は後退し、別の歴史の見方に変わっている。
 あと50年先、100年先、「戦後民主主義」なるものと「昭和戦後進歩的知識人・文化人」(丸山真男、大江健三郎、樋口陽一ら)については消極的・弊害的部分がきちんと総括され、「昭和戦後進歩的知識人・文化人」の活躍(跳梁?)の舞台を提供し、彼らを育成した岩波書店や朝日新聞は一時期の<流行>に影響されただけだという、基本的には消極的・否定的評価が下されているだろう、と確信したいものだ。

0609/フランス・ジャコバン独裁と1793年憲法再論-河野健二と樋口陽一・杉原泰雄。

 フランス「革命」時のジャコバン派(モンターニュ派、ロベスピエールら)独裁、又はその初期を画した1793年憲法(但し、未施行)について、何回か書いてみる。

 一 すでにいく度か言及している。例えば、
 A 憲法学者の杉原泰雄・国民主権の研究(岩波書店、1971)にも触れた。
 より短縮して再紹介するが、杉原は、ルソーの「人民主権論」はとくに「『プロレタリア主権』論として、私有財産制の否定と結合させられながら存続していることは注目されるべき」で、「国民主権と対置して、それを批判・克服するためにの無産階級解放の原理として機能している」と述べたのち、次のようにつなげる。「『ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制』という一つの歴史の潮流、…二〇世紀…普通選挙制度・諸々の形態の直接民主主義の採用などに示される人民主権への傾斜現象さらには人民主権憲法への転化現象は、このことを明示するものである」。以上、p.181-2にあり、「」内は直接引用で、私・秋月の要約ではない。
 杉原において、「ルソーは民衆の解放を意図していたために、ブルジョアジーのための主権原理(「国民主権」)を本来構想しえなかった」とされる(p.92)。すでに書いたように、杉原において<ルソーは、早すぎたマルクスだった>のだ。
 また、これも既述だが、1971年には「ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制」という歴史的必然?を杉原は語り得たが、今となってみれば、<夢想>であり<幻想>であり、あるいは<妄想>にすぎなかった。
 杉原泰雄の上の著は、むろんジャコバン憲法=1793年憲法にも論及している。例えば、次のように。  ・p.82-「一七九三年憲法」による「『人民主権』の樹立に一応賛成する態度をとりつつ…封建地代の無償廃止に踏み切ったことも、民衆革命の高揚と…反革命に対処するためにブルジョアジーがそれに頼らざるをえない状況」にあったことを前提としてはじめて「合理的に理解」できる。。
 ・p.83-「民衆」は「人民主権」を、「ブルジョアジー」は「国民主権」を要求する。「民衆の革命的エネルギー」に頼らざるを得ない状況下では、「ブルジョアジー」は「『国民主権』の主張を自制」し、留保を付しつつ「『人民主権』に賛成するポーズ」をとった。「その事例」は、「一七八九年人権宣言、一七九三年憲法」である。
 1793年憲法(とくにその「主権論」)それ自体(但し、繰り返すが、施行されなかった!)の<急進的>・<民衆的>・<直接民主主義的>内容には、とりあえず、ここでは立ち入らない(杉原p.273~など)。

 B 憲法学者の樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)にも触れた。
 樋口陽一は、「一七八九年を完成させた一七九三年」と捉える立場に依って「ルソー=ジャコバン主義」を理解する旨を述べ(p.122)、次のように明言していた。再紹介する。p.170だ。

 日本(の一部)では「西洋近代立憲主義社会の基本的な約束ごと(ホッブズからロックを経てルソーまで)」が見事に否定されている。「そうだとしたら、一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」。

 樋口において、「ルソー=ジャコバン主義」、そして1793年憲法が肯定的・積極的に評価されていることは明らかだろう。そして、日本(人)はフランスの1793年の時期を、「ルソー=ジャコバン型個人主義」を「そのもたらす痛みとともに追体験」せよ、と(1989年、ソ連「社会主義」体制の崩壊の直前に)主張していたのだ。

 二 杉原泰雄は「『ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制』という一つの歴史の潮流」を明言していたが、樋口陽一も含めて、口には出さなくとも、戦後の所謂<進歩的>知識人・文化人は、ルソー→マルクス→レーニン、あるいはフランス革命(のような「ブルジョア革命」)→ロシア革命(のような「社会主義」革命)という、普遍的で必然的な?<歴史の流れ(発展法則)>を意識し、そのような観念・尺度でもって日本の国家・社会を観察していた(場合によっては何らかの実践活動もした)と思われる。

 そのような歴史観の形成に少なからず寄与したと思われるのは桑原武夫らのグループのフランス「革命」史研究であり、河野健二・フランス革命小史(岩波新書、1959。1975年に19刷)もその一つだろう。

 概読してみると、ジャコバン独裁(・1793年憲法)の位置づけ・性格づけなどについて、杉原泰雄や樋口陽一が前提とし、イメージしているような、マルクス主義的「通念」が<見事に>叙述されている。以下は、その概要又は断片のメモだ。「」は直接引用。

 ・フランス革命は「ブルジョア革命の模範」であるのみならず「歴史上の一切の革命の模範」とされる(「はしがき」)。
 ・1792年8-9月頃、ロベスピエールはこう書いた。「自分たち自身のため」の共和国を作ろうとする「金持ちと役人の利益」だけ考える者たちと、「人民のために」、「平等と一般利益の原則」の上に共和国を樹立しようとする者たちの二つに、これまでの「愛国者」は分裂する、後者こそ「真の愛国者」だ、と。「ロベスピエールが目ざしたのは、後者」だった(p.131)。
 ・1792年の時点で、「ジロンド派」と「モンターニュ派」の議会内対立は封建制・資本主義、資本家・労働者、反革命・革命の対立ではなく、両派ともに「ブルジョア・インテリたち」だったが、「ジロンド派」はチュルゴら百科全書派の弟子で「経済的自由主義」者だったのに対して、「モンターニュ派はルソーの問題意識と理論の継承者だった」。ロベスピエールもマラーもサン=ジュストも後者だった(p.133)。
 ・「モンターニュ派」は「…農民や手工業者を中核として、平等で自由な共和国をつく」ることを理想とし、その実現のための解決を、「政治の上では独裁と恐怖政治、道徳の上では美徳の強調と国家宗教(最高存在の崇拝)の樹立」のなかに求めた(p.134)。
 ・対外国戦争敗北等により1793年春以降、「政治情勢は急速に進んだ」。主流派の「ジロンド派」は抵抗し、「私有財産擁護」や「地方自治体の連合主義」を主張したが、5/31に「モンターニュ派」支持者による「蜂起委員会」の成立等により、6/02にパリでは「モンターニュ派」が勝利した(p.144-6)。
 ・1793年の6/24に議会が1793年憲法を採択、「人民投票」により成立した(但し、緊急事態を理由に施行延期)。この憲法は「ルソー的民主主義を基調」とし、「『人民』主権」を採り、議員は選挙民に「拘束」された。この最後の点は「『一般意思』は議員によって代表されないというルソーの理論の適用」だ(p.148)。
 ・実施されなかったこの憲法を、のちの「民主主義者たち」や「二月革命期の共和派左翼」は「福音書」扱いし、「革命の最大の成果をこの憲法のなかにみた」(p.148-9)。

 ・だが、「あまりにも美しく、あまりにも完全な」この憲法は、「一七九三年の条件のもとでは、まったく実現不可能なものだった」。「モンターニュ派」の「理想」ではあっても「現実政策」の表明ではなかった(p.149)。
 ・「都市の民衆暴動」に「モンターニュ派」は苦しみ、妥協して急進的法律をいくつか作りつつ、「過激派」の逮捕・裁判も強行した。そして、「公安委員会の独裁と恐怖政治がはじまった」(p.149-150)。

 ・公安委員会は「王党派、フイヤン派、ジロンド派」を追及し「処刑」した。だが、「ブルジョア的党派と、プロレタリア党派が排除されると」、「モンターニュ派」自体が左右に分裂し始めた。ロベスピエールら公安委員会は「反対派の生命をうばう」「個人的暴力」を用いた。これが「残された唯一の道」だった。1994年4月以降、公安委員会の独裁というより、「ロベスピエール個人、あるいは…を加えた三頭政治家の独裁」だった(p.155-7)。

 ・三人の一人、サン=ジュストは「反革命容疑者の財産を没収」し「貧しい愛国者たちに無償で分配」することを定める法令を提案し制定した。「ルソーが望んだように『圧制も搾取もない』平等社会を実現」することを企図したものだが、「資本主義が本格的にはじまろう」という時期に「すべての人間を財産所有者にかえようとする」ことは「しょせん『巨大な錯覚』(マルクス)でしかなかった」(p.157)。
 (河野健二による総括的な叙述の紹介を急ごう。)
 ・経済的には「ブルジョア革命」は1793年5月に終わっていた。その後に「ロベスピエールが小ブルジョア的な精神主義」に陥ったとき、「危機が急速度にやってきた」。
 ・だが、「ロベスピエール派」の「政治的実践」は「すべて無効」ではない。「モンターニュ派」による国王処刑・独裁強化は「一切の古い機構、しきたり、思想を一挙に粉砕し、…政治を完全に人民のものにすることができた」。「この『フランス革命の巨大な箒』(マルクス)があったからこそ、人々は自由で民主的な人間関係をはじめて自分のものとすることができた」(p.166-7)。
 ・「モンターニュ派」独裁の中で、「私有財産にたいする攻撃、財産の共有制への要求があらわれた」。とくにロベスピエールは、「すべての人間を小ブルジョア的勤労者たらしめる『平等の共和国』」を樹立しようとした。しかし、戦争勝利とともに「ロベスピエール派」は没落し、上の意図は「輪郭がえがかれたままで挫折した」(p.190)。
 ・「資本主義がまさに出発」しようとしているとき、「すべての人間を小ブルジョアとして育成し、固定させようとすることは、歴史の法則への挑戦であった」。「悲壮な挫折は不可避であった」(p.190)。
 ・ロベスピエールが「独裁者」・「吸血鬼」と怖れられているのは彼にとって「むしろ名誉」ではないか。彼こそ、「民衆の力を基礎として資本の支配に断乎たるたたかいを挑み、一時的にせよ、それを成功させた最初の人間だから」だ(p.191)。

 ・今世紀、ロシア・中国で、「ブルジョア革命のもう一歩さきには、社会主義社会をめざすプロレタリア革命が存在することが…実証された」(p.193)。
 ・レーニンは1915年に書いた。「マルクス主義者」は「偉大なブルジョア革命家に、最も深い尊敬の念をよせ」る、と。その際、「彼はロベスピエールの名前をあげることを忘れなかった」。レーニンは「ブルジョア革命と社会主義革命」との間の「深いつながり」を見ていた。
 ・「事実、ロシア革命の一歩一歩は、フランス革命におけるジャコバンのたたかいと、公安委員会とパリ・コミューンの経験を貴重な先例として学びつつ進められた」(p.193)。
 ・すべての「民族・民衆が『自由、平等、友愛』をめざすたたかいをやめないかぎり」「フランス革命は、…永久に生きつづけるにちがいない」(p.193)。
 三 以上の河野健二著の紹介は、むろん<(肯定的に)学ぶ>ためにメモしたのではない。現在はフランス、アメリカ等で<修正主義>が有力に主張されるなど、フランス革命の「革命」性自体が問題になっている。そして、細かな部分は別として、河野の叙述もじつに教条的なテーゼらしきものを前提としていることが分かる。最後の方の「まとめ」的部分などは、むしろ冷笑と憐れみをもって読んだ。
 <進歩的>知識人・文化人が共有したと見られる<フランス革命観>からもはや離れなければならない。
 <ジャコバン独裁>の中に、ロベスピエールの思考の中に、ロシア革命<「社会主義革命」の「先取り」>を見て、あるいは<早すぎたがための失敗・挫折>を見て、(いかほどに正直に書くかは別として)肯定的側面を見出すような思考をもはや止めなければならない。
 河野健二もまた、(明言はたぶんないが)日本にも徹底した「民主主義」化と「社会主義革命」がいずれ不可避的に生じるだろうと「夢想」していたのだろう(フランス革命の経験が<日本革命>にとってどのように「貴重な先例」として「学び」の対象になると考えているのかは全く不明だが)。
 四 1950年代末に書かれ、長く出版され続けた河野のような本を、杉原泰雄も樋口陽一も読んで、脳内に蓄え込んだものと思われる。そこでのフランス革命観と基本的な歴史発展の認識が誤っているとすれば、彼らのいかなる憲法関連の議論も、どこかが狂っているものになっているだろう。

0600/伊藤謙介による山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)の書評(産経新聞)。

 産経新聞10/04の「書評倶楽部」で、伊藤謙介(京セラ相談役)が山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)を紹介・論評している。
 この本の引用又は要約的紹介なのか評者自身の言葉なのかを自信をもって区別できないが、おそらくは前者の中に、印象的な叙述がある(それ自体はほとんどは評者の文章だ)。
 山折哲雄のこの本によると、次のように整理されるらしい。
 ①A「信じる宗教」は<一神教>で、B「感じる宗教」は<多神教>。
 ②A一神教は「砂漠」の産で、B多神教は「緑なす山野」のもの。
 ③A「信じる宗教」は「天上の絶対的存在」を信じることで、「自立する声高に主張する『個』がキーワード」。
 一方、B「感じる宗教」は「地上の豊かな自然の中に神や仏の気配を感じること」で、「寂寥のなかで静かに耳を澄ます『ひとり』がキーワード」。
 私が挿入するが、日本の神道・仏教が(とくに神道が)Bであることは明らかだ。日本人の殆どは無宗教ではなく、本来は、「信じる」<一神教>ではない、「緑なす山野」の、「感じる」<多神教>の宗徒ではないか。
 山折哲雄はさらに次のように主張・警告しているらしい。
 <現代は「信じる宗教」にのみ「憧れと脅威の眼差しを注ぐ」「個の突出した時代」なのだが、「人間を越えた存在の気配を感じ取ることこそが必要」だ。それが「個、自己中心主義の抑圧に繋がるから」。
 以下は私の文による書き換えだが、欧米の一神教を背景とする「個の突出した時代」が現在日本の中心・本流にあるようだが、「個、自己中心主義の抑圧」のために、「感じる」<多神教>をもとに、「人間を越えた存在の気配を感じ取る」ことが必要だ、と主張しているようだ。
 多分の共感をもって読んだ。「信じる」<一神教>を背景とする、欧米的「個」は、本来、日本人にはふさわしくないのではないか。そして「自立する声高に主張する『個』」、「個の突出」、「個、自己中心主義」こそが、戦後の日本と日本人をおかしくしてしまったのではないか。
 樋口陽一を引き合いに出して語ってきたこともある欧米的「個人主義」批判と通底する部分が、山折の本にはありそうだ(まだ入手していないのだが)。
 以下は、評者・伊藤謙介の文章だと思われる。なかなかに<美しい>。
 「私たちは今、個が我が物顔に振る舞う、喧騒と饒舌の時代を走り続けている。/だからこそ、ときにたち止まり、星月夜を眺めつつ、悠久の時の流れに身を投じ、生きることと死ぬことに思いをはせたい」。

0594/勢古浩爾・いやな世の中―<自分様の時代>(ベスト新書、2008)を読了。

 二夜ほどかけて一昨日(15日)に、勢古浩爾・いやな世の中―<自分様の時代>(ベスト新書、2008.04)を全読了。この人のものはたぶん初めて。
 8割程度に異論はない。あるいは、8割程度の叙述に同感する。
 <ミーイズム>と表現した者もいたが、―著者・勢古浩爾(1947年生)は明確に論じているいるわけではないものの―「戦後民主主義(個人主義)」の生み出したのは、<自分教>・<自分病>・<自分様の時代>だったと思われる。
 勢古が「権利と自由」との関係に言及しているのはおそらく次の部分だけだ。
 <「弱肉弱食」の時代になっている。「『食う』弱い者は、自分病の人間である。『食われる』弱い者はまともに暮らそうとする人間…。近代的権利と自由が、前近代的人情と和を求めるこころを食うのである。自分様はのさばり、まともな人間はうつになる…」>(p.121)。この部分は「近代」(主義)批判とも読める。
 こんな文も「あとがき」の中にある。
 「筋金入りの『自分様』たちは、信用や信頼など歯牙にもかけない。それゆえ怖いものなし…。かれらの行動原理は自分の感情の快不快とごね得と損得勘定である」(p.207)。
 かかる「自分様」たちを大量に生み出したのは、憲法学者・樋口陽一が現憲法上の最大の価値理念だとする「個人の尊重」→「個人主義」に他ならないだろう。
 繰り返しているように、樋口陽一を代表者とする戦後の「民主(主義)的」・「進歩(主義)的」憲法学者たちの<罪>はきわめて大きい。そのような憲法理念を学んだ者たちが学校教員になり児童・生徒を教育しているのだ。公務員もまた「戦後憲法学」を学んで仕事をしているのだ。マスコミ人間も同様。

 もっとも、勢古浩爾は、「自分」中心主義→「自分の家族」・「自分の会社」中心主義の「果ては『自分の国』にまで広がる」と書いているが(p.37)、最後の点は留保が必要だ。
 『自分の国』意識=ナショナリズムの希薄さこそが戦後日本の特徴だ、とも言えるからだ。
 但し、必要な国際協力をしない、<自分の国さえよければ(平和であれば)よい>という考え方の広がりも<自分病>の一種だと言えるのかもしれない。

 なお、ついでに書くと、「思い上がった」、「八ケ岳南麓」に「60m2ワンルームの生活空間」たる「仕事部屋」をもつ、単著「おひとり様の老後」で「老後の資金はまたさらに潤沢になった」、「女森永卓郎」らしき(p.78~p.83)、「自分様」上野千鶴子に対する皮肉と批判をもっと多くかつ体系的に叙述してほしかったものだ。

0589/西尾幹二の2007年の本による八木秀次批判。ついでに新田均。

 一 憲法学者・樋口陽一はしばしば元ドイツ大統領のワ(ヴァ)イツゼッカーの<有名な>演説に言及している。ドイツはきちんと謝罪している、それに比べて日本は、という文脈で語られることが多い。これもまた<デマ>であることを確認的にいつかメモしておこうと思うが、西尾幹二・国家と謝罪-対日戦争の跫音が聞こえる(徳間書店、2007.07)を手にしたのも、題名からして<謝罪>問題をテーマとする本だろうと思ったからだった。
 実際に見てみると、全く無関係ではないが、発刊日近く(「あとがき」は2007年6月下旬)以前の西尾幹二の雑誌掲載諸論稿をまとめたものだった。
 二 新しい教科書をつくる会の組織問題については西尾のプログで何か読んだ記憶はあったが、安倍晋三内閣をめぐる動きの方に関心が強く、また同問題は自分とほとんど(あるいは全く)関係がないと思っていた。
 現在でもほとんど(あるいは全く)関係がないのだが、西尾幹二による、上掲本の中の八木秀次批判はスゴい。p.73~p.165は「つくる会」問題で八木秀次批判が中心になっている(他の箇所にも八木秀次(ら)批判の文章はある)。
 混乱を大きくする意図はないが(いや、一般論として、かりに意図はあったとしてもこんなブログメモにそんな実際の力はない)、若干の引用メモを残しておこう。
 ・(2005年)11月半ばからの八木秀次の「会長としての職務放棄、指導力不足は意識的なサボタージュで、彼によってすでに会は…分裂していた」。
 ・八木は自分で2副会長(工藤美代子、福田逸)を指名した。この二人と遠藤浩一(つまり5人中、西尾幹二と藤岡信勝以外)に「背中を向け、電話もしな」かった。5人の副会長の中で「孤立した」のではなく、「自らの意志で離れて」別のグループに擦り寄った。だが、何の説明もなかったので3副会長(遠藤、工藤、福田)は「怒って辞表を出した」。
 ・それでも八木は「蛙の面に水」。「都合が悪くなると情報を閉ざし、口を緘するのが彼の常」だ。
 ・「彼は黙っている。語りかける率直さと気魄がない」。
 ・「自分がしっかりしていないことを棚に上げて、誰かを抑圧者にするのはひ弱な人間のものの言い方の常である」。
 ・要するに八木は「思想的にはどっちつかずで、孤立を恐れずに断固自分を主張する強いものがそもそもない人」だ。(以上、p.79-p.80)
 ・八木秀次は某の日本共産党在籍歴というガセ情報を流して「反藤岡多数派工作と産経記者籠絡」に利用した。また、八木の周辺者(又は八木本人)から奇怪なファクスが送られてきた。
 ・八木の「藤岡排除」の「執念には驚くべきものがあった」。(以上、p.81-82、p.84)
 ・「他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。/…言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」。
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す。今度の件で保守言論運動を薄汚くした彼〔八木秀次〕の罪はきわめて大きい」。
 ・そうした八木をかついで「日本教育再生機構」を立ち上げる人々がいるらしいが、「世の人々の度量の宏さには、ただ感嘆措く能わざるものがある」。(以上、p.89-90)
 とりあえず今回はこの程度にしておく。八木秀次はこうした西尾による批判に対して反論又は釈明をきちんとしたのだろうか。こうまで書かれるとはタダゴトではない(と常識的には感じる)。
 西尾幹二をこの問題で全面的に支持するつもりはないし(判断材料が私にはたぶん欠けている)、西尾「思想」の全面的賛同者でもないのだが、西尾による八木秀次評、すなわち、「言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」という文章には同感するところが大きい。
 八木秀次の本も文章もいくつかは読んでいるし、月刊正論中のコラムも読んでいるが、「確かな存在感」はない。また、ハッとするような論理の鋭さも、広くかつ深い思想的造詣も感じることはできない。
 すでに書いたことだが、その八木秀次が中西輝政との対談本『保守はいま何をなすべきか』(PHP、2008)で<保守の戦略>を語ろうとしたり、<保守思想の体系化>をしたい旨を語っているのを読んで、とてもこの人の力量でできることではないと思った(そして、内心では嗤ってしまった)。また、八木秀次の問題性にはこのブログで何回かつづけて触れた(「言挙げしたくはないが-八木秀次とは何者か」というタイトルだったと思う)。
 そのような意味との関係でも、上の西尾幹二の八木秀次に関する文章も興味深く読んだ。
 三 ところで、最近の月刊正論9月号(産経新聞社)誌上の論稿に言及した新田均に対しても、西尾幹二は上掲の本で批判している(p.89)。そして、「つくる会」問題にかかわっても、新田均はどうやら八木秀次を支持する、そして西尾幹二に反対する立場にあったようだ(p.86)。ということは、今回の皇室・皇太子妃問題よりも以前から、西尾幹二と新田均は対立していたようだ。 
 それはそれでもよいのだが、だとすると、新田均は、皇室・皇太子妃問題にかかわって西尾幹二のみを批判するのは公平ではない。大仰に言えば<党派>的だ。何回か言及したように、八木秀次も(中西輝政も)「君臣の分限」をわきまえないような、西尾幹二と類似の主張をしているのだから。

0586/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その4

 四 佐伯啓思・アダム・スミスの誤算-幻想のグローバル資本主義(上)(PHP新書、1999)より。
 本筋の中の枝葉的記述の中で佐伯啓思は「個人」に触れている。ヨーロッパ的と限るにせよ、ルソー的「個人」像を、ましてやルソー=ジャコバン型「個人」を理念又は典型としてであれ<ヨーロッパ近代に普遍的>なものと理解するのは危険であり、むしろ誤謬かと思われる。
 「スミスにとっては、たとえばカントが想定したような『確かな主体』としての個人というようなものは存在しない」。「確かな」というのは「自らのうちに普遍的な道徳的基準をもち、個人として自立し完結した存在としての」個人という意味だが、かかる「主体としての個人」が存在すれば「社会はただ個人の集まりにすぎなくなる」。「だが、実際にはそうではない」。「個人が決して自立した『確かな存在』ではありえないからだ」。/
 「自立した責任をもつ個人などという観念は、せいぜい近代的主体という虚構の内に蜃気楼のように浮かび上がったものにすぎないのであって、それは永遠の錯覚にしかすぎないだろう。だが、だからこそ、つまり…、個人がきわめて不確かなものだからこそ社会が意味をもってくるのだ」。/(以上、p.68)
 スミスの友人・「ヒュームが的確に述べたように、『わたし』というような確かなものは存在しない」。「わたし」は、絶えずさまざまなものを「知覚し、経験し、ある種の情念をも」つことを「繰り返している何か」にすぎない。われわれは外界から種々の「刺激をえ、それを一定の知覚にまとめる」のだが、それは「次々と継続的に起こること」で、「この知覚に前もって確かな『自我』というものがあるわけではない」。/(p.69)
 以上。樋口陽一およびその他の多くの憲法学者のもつ「個人」像、憲法が前提とし、最大の尊重の対象としていると説かれる「個人」なるものは、「近代的主体という虚構の内に蜃気楼のように浮かび上がったものにすぎない」、そして「永遠の錯覚にしかすぎない」のではないか。錯覚とは<妄想>と言い換えてもよい。
 イギリス(・スコットランド)のコーク、スミス、ヒュームらを無視して<ヨーロッパ近代に普遍的な>「個人」像を語ることができるのか、語ってよいのか、という問題もある。樋口陽一は(少なくともほとんど)無視しているからだ。

0585/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その3

  三 ふたたび、佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)から。
 「『何にも負荷されない個人』という前提をしりぞけると、個人とは何なのか。実際には、個人は…、何らかの『伝統』の文脈と不可分」だ。「人は、ただ書物や頭の中で考えたことによって価値を学び、行動の基準を手に入れるのではな」く、「日々の経験や実践の中で学んでゆく」。「『個人』と同様、…抽象的で一般的な『実践』などというものを想定」はできず、「『実践』は必ず歴史や社会の個別性の中で」形成され、「必ず『伝統』によって」負荷されている。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出すなどということを期待することを不可能」だ。/(p.59)
 西洋史の中に「古典ギリシャ的伝統、中世的・キリスト教的伝統それに近代的伝統」の三者を区別する者もいるように、西洋人ですら「いくつかの伝統の折り重なりあいの中に生きている」。人間は「伝統負荷的な存在」であり、「『共同の偏見』をとりあえずは引き受けざるをえない」。「リベラリズムは、あくまで、かけがえのない個人という価値に固執する」が、しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえないのである」。/(p.60)
 「リベラリズムは個人という価値にこだわるからこそ、…ある社会の『伝統』にもこだわらなければならない」。「伝統」とは「われわれをほとんど無意識のレベルで拘束し枠づけている思考形式、価値判断の母体」だ。この「伝統」の中には「国家」も含まれ、従って、「『国家』と『個人』の関係について…もう一度考え直さなければならない」。/(p.60-61)
 「通俗的なリベラリズム、すなわち抽象的な個人、本来何物にも拘束されない個人から出発すると、国家はもっぱら個人の自由の対立物とみなされる」。しかし、「個人が『伝統負荷的』であるということは、個人が『国家負荷的』でもあるということだ」。「有り体に言えば、日本人は、とりあえず、日本人であることの宿命を引き受けざるをえない」ということだ。「国家が解体したり衰退すれば、個人も空中分解してしまう」。このことのロジカルな帰結は、「個人は個人を保守するためにも国家を保守しなければならない」ということ。つまり、「私」は同時に「公的」な存在でもある必要がある。「『公的な』(国家的な)存在としてのわたしがあって初めて『私的な』存在としてのわたしが生ずる」のだ。/(p.61-62)
 以上。佐伯啓思は「個人」・「個人主義」を直接に論じているのではなく「リベラリズム」に関する議論の中でおそらくは不可避のこととして論及している。憲法学者・樋口陽一の「思考」・「観念」と比べて、どちらがより真実に近く、どちらがより適切だろうか。

0584/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その2

 二 月刊正論8月号(2008、産経新聞社)の小浜逸郎「死に急ぐ二十代女性の見る『世界』」は若い女性の自殺率の高まりの原因等を分析するものだが、最後の文章は次のとおり(p.285)。
 「人間は一人では生きられない。戦後、日本人は欧米との戦争の敗北をふまえて、『欧米並みの近代的な個の確立』という課題をやかましく叫んできた。しかし、気づいてみると、そういう心構えの問題を通り越して、社会(ことに企業社会)の構造そのものが、ばらばらな個として生きることを強いるようになってしまった。若い女性の一部にそのことの無理を示す兆候が顕著になってきた」のかもしれない。/
 そうだとすれば、「私たちは、個の単なる集合として社会を捉えるのではなく、あくまでもネットワークとしてこの社会が成り立っているのだということを、もう一度根底から捉え直す必要があるのではないのだろうか」。以上。
 <欧米並みの近代的な個の確立>を説く樋口陽一において、企業・法人は国家とともに「個人」を抑圧するものとして位置づけられていた。
 しかるに小浜逸郎は「企業社会」の「構造そのものが、ばらばらな個として生きることを強いるようになってしまった」という。これを樋口陽一は当然視して歓迎しても不思議ではないのだが、樋口本人はどう理解・評価するのか。
 いずれにせよ、<欧米並みの近代的な個の確立>などという(日本の進歩的文化人・「左翼」知識人が唱えてきた)お説教が日本と日本人にとって適切なものだったかどうか自体を、小浜の指摘のとおり、「根底から捉え直す必要がある」だろう。<欧州近代>を普遍的なもの(どの国も経る必要があり、かつ経るはずの段階)と理解する必要があるか否か、という問題でもある。
 また、自信をなくしての自殺も自尊心を損なっての行きずり(無差別)殺人も、戦後日本の<個人(の自由)主義>の強調・重視と無関係ではない、と感じている(仮説で、面倒な検証と議論が必要だろうが)。
 (この項、つづく。)

0583/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ―その6・思想としての「個人」・「個人主義」・「個人の自由」

 樋口陽一の文章をあらためていつか再引用してもよいが、樋口陽一その他大勢の憲法学者の「人権」 論の基礎にはその主体としての(自由なかつ自律した)「個人」があり、それを(又はその「尊厳」を)尊重するということが憲法の最も枢要な原理とされる。だが、そのような、個々の自然人たる(アトムとしての)「個人」が(社会)契約によって国家を構成しそれと対峙する、というイメージ自体が、一つの「思想」であり、一つのイデオロギーだろう。
 以下、何回か、<個人主義>を批判又は疑問視する文章の引用のみを続ける。
 一 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)。
 欧州の元来の定義「ブルジョアジー」がそうであるように「市民」は「まず財産主」であり、それを守るための「安定した社会秩序」を必要とし、「社会秩序の維持」のためには「公共の事柄」への義務・責任を負った。この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」、「日々の経験」、「人々との会話」、「読書」、「芸術」が与えた。/
 「人は、こうしたものを、いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として、身につけることはできない。近隣、家族、友人たち、教会、それに国家、それらを広義の『共同体』と呼んでおくと、様々なレベルでの『共同体』と一切無縁に、人は価値や判断力を身につけることはできない」。/
 近代社会は「封建的」共同体からの「個人の解放」を促し、「通俗的には、共同体からの個人の解放こそが『個人主義』の成立であり、それこそが近代リベラリズムの条件だ」と理解されている。「しかし、これは基本的な誤解であるか、あるいは少なくとも事態の半面を見ているにすぎない。事実上、一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえないし、また仮にありえたとしても、彼は、どのようにして、社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在を学ぶのだろうか。通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の『権利』をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」/
 「しかし、ロジカルにいっても、何の価値や判断力も、さらには恐らく理性さえまだ学んでいない、『無』の個人からどのようにして権利をもち、社会のルールについて判断力をもった個人が生まれるというのだろうか」。
 以上、上掲書p.57-58。
 樋口陽一における<視野狭窄>性・<観念>性・<通俗>性の指摘は、ほとんど上で尽きている。
 (この項、つづく。)

0577/憲法学者・樋口陽一のデマ5-神道は多神の「自然信仰」。

 憲法研究者の多くは、日本国憲法上の政教分離原則に関して、津地鎮祭訴訟最高裁判決が示した<目的効果基準>を説明し、その後の諸判決が事案の差違に応じてどのようにこの一般論を厳格にあるいは緩やかに適用しているかを分析したりするのに忙しいようだが、そもそも政教分離関係訴訟で問題になることの多い-それ自体から訴訟の提起の「政治」性も感じるのだが-<神道>なるものについて、いかほどの知見を有しているのだろうか。
 樋口陽一・個人と国家―今なぜ立憲主義か(集英社新書、2000)には、神道に関する次のような叙述がある(p.147)。
 ①明治政府は天皇・皇室を「社会の基軸」にしたかったが、「後ろ楯になる権威」がなかった。「そこでつくられたのが、国家神道」だ。
 ②「神道といっても、日本の従来の神道というのは多神教で、山の神様があったり、川の神様があったり、お稲荷さんがあったり、つまり自然信仰でしょう」。
 ③神道は「そのままでは皇室を支えるイデオロギーになりそうもない」。それで、「従来の自然信仰の神道」を「国家神道として再編成」した。
 神道に関する知識の多さ・深さについて自慢できるほどのものは全く持っていないが、その私でも、とくに上の②には驚愕した。
 神道=「自然信仰」だって?? このことが上の③の前提になっている。
 たしかに「自然」物を祭神とする神社もある(代表例、奈良県の大神神社)。また、基礎的には<太陽>こそが神道の究極の崇敬・祭祀の対象だったと思えなくもないし(素人談義なので許されたい)、その他の自然(・自然現象)に<神>を感じてきたことも事実だろう。それが日本人の<心性>だ。
 だが、絶対に神道=「自然信仰」と=で結ぶことはできないことは、常識的なことで、日本国民のほとんどが知っていることではないか。
 第一に、神道は皇室の祖先をも皇祖神として<神>と見なしている。記紀の<神代>との言葉ですでに示されているかも知れない。代表的には、現在の天皇・皇室の皇祖とされる天照大御神こそが<信仰>等の対象であり、<八幡さん>で知られる応神天皇も、神功皇后も、現在の天皇・皇室の祖先であり、かつかなり多くの神社の祭神とされている(樋口陽一は、知っている神社の祭神を調べて見ればよいだろう)。
 第二に、現在の天皇・皇室の祖先とされているかは明瞭ではないが、記紀に出てくる多数の<神>を祭神とする神社も少なくない。なお、各神社の祭神は、通常は複数だ。
 第三に、皇室関係者以外の<傑出した>人物が祭神とされ、<信仰>等の対象になっている場合がある。
 天満宮(天神さん)は菅原道真を祀る(怨霊信仰と結びついているとも言われる)。日光東照宮は徳川家康を神として祀る(「東照」という語は「天照」を意識しているとも言われる)。豊臣秀吉を祀る豊国神社もある。
 念のためにいうが、以上は、すでに江戸時代以前に存在したことで、「国家神道」化以降のことではない。
 神道における又は日本語としての「神(カミ)」とは<何か優れたものを持つもの>又は<何か特別なことをすることができるもの>とも理解されているらしい(本居宣長の説だっただろうか。何で読んだかの記憶は不明瞭だが、井沢元彦も何かに書いていた)。
 というわけで、さしあたり<神社神道>に限っても、樋口陽一の、神道は、山も川も神様とする多神教の「自然信仰」だ、という理解は明らかに誤っており、完全な<デマ>だ
 神道の理解がこの程度だと、かつての国家神道についても、現在まで続く天皇制度の由来・歴史についても、<宮中祭祀>(神道による)についても、不十分な、かつ誤った知識を持っている可能性が高い。この程度の前提的知識しかなくて、よくも憲法上の政教分離原則について滔々と?語れるものだ。この点に限られないが、ちょっとした知識・知見で大胆なことを断言する樋口陽一の「心臓」には驚くことが多い。

0576/阪本昌成の反マルクス主義と樋口陽一「推薦」の蟻川恒正・石川健治・毛利透・阪口正二郎・長谷部・愛敬浩二

 一 樋口陽一について前回書いたこととの関係でいうと、すでに紹介したことはあるが、同じ憲法学者でも樋口よりも若い世代、1945年生まれの阪本昌成(広島大学→九州大学)は相当に勇気があるし、エラい。
 阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(有信堂、1998)p.22は、次のように明言した。第二版(2004)も同じp.22。
 「マルクス主義とそれに同情的な思想を基礎とする政治体制が崩壊した今日、マルクス主義的憲法学が日本の憲法学界で以前のような隆盛をみせることは二度とないはずだ(と私は希望する)。/マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと、そして、それに同調してきた人びとの知的責任は重い。彼らが救済の甘い夢を人びとに売ってきた責任は、彼らがはっきりととるべきだ、と私は考える」。
 「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと」や「それに同調してきた人びと」の具体的な氏名を知りたいものだが、多数すぎるためか、区別が困難な場合もあるためか、あるいは存命者が多い場合の学界上の礼儀?なのか、残念ながら、阪本昌成は具体的な固有名詞を挙げてはいない。
 また、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(成文堂、2000)のp.7は、こうも明記していた。
 「戦後の憲法学は、人権の普遍性とか平和主義を誇張してきました。それらの普遍性は、国民国家や市民社会を否定的にみるマルクス主義と不思議にも調和しました。現在でも公法学界で相当の勢力をもっているマルクス主義憲法学は、主観的には正しく善意でありながら、客観的には誤った教説でした(もっとも、彼らは、死ぬまで「客観的に誤っていた」とは認めようとはしないでしようが)」。
 二 樋口陽一が「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと」又は「それに同調してきた人びと」の中に含まれることは明らかだ。その樋口は、樋口陽一・「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房、2006)の最後の「読書案内」の中で、「ここ一〇年前後の公刊された単独著者の作品」としてつぎの6人の書物を挙げている。
 樋口陽一が気に食わないことを書いている本を列挙する筈はなく、樋口にとっては少なくとも広い意味での<後継者>と考えている者たちの著書だろう。その六名はつぎのとおり(p.176-7)。
 ①蟻川恒正(東京大学→退職)、②石川健治、③毛利透、④阪口正二郎(早稲田→東京大学社会科学研究所→一橋大学)、⑤長谷部恭男(東京大学。ご存知、バウネット・NHK・政治家「圧力」問題で朝日新聞の報道ぶりを客観的には<擁護>した「外部者」委員会委員の一人)、⑥愛敬浩二(名古屋大学。憲法問題の新書を所持しているが、宮崎哲弥による酷評があったので今のところ読む気がしない)。
 樋口陽一がその著書を実質的には<推薦>しているこのような人物たちは-阪本昌成よりもさらに若い世代の者が多そうだ-、日本の国家と社会にとって<危険な>・<害悪を与える>、例えば<リベラル>という名の<容共>主義者である可能性が大きい。警戒心を持っておくべきだろう。

0575/樋口陽一のデマ4-「社会主義」は「必要不可欠の貢献」をした(1989.11)。

 樋口陽一が自らマルクス主義者又は親マルクス主義者であることを明らかにしていなくとも、実質的・客観的にみて少なくとも親マルクス主義者・「容共」主義者であることはすでに言及したことがある。今後も、その例証は少なくないので、紹介していく。今回もその一つだ。
 1989年11月という微妙な時期に刊行されている樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)は、ルソー=ジャコバン型個人主義モデル(=「一七九三年」)(例えば、中間団体の保護なしに国家と裸で=直接に対峙できる「強い」個人)を経由する必要性を強調し、マルクス主義的概念を使ってフランス革命期の社会を説明し、またマルクスの文献の一部を肯定的に言及していた。
 この本の中に、看過できない叙述があることに気づいた。執筆時点ではソ連はまだ解体していないが、東欧諸国の<民主化>は進み、変化の予兆が明確に現れてきていたと思われる。樋口陽一は次のように「社会主義」について書いている(以下、p.191)。
 西欧の資本主義は「社会主義という根本的な異議申立ての思想と運動を自分のなかに抱えることによって、結果として自分自身を強いものにしてきた。/『社会主義とは、資本主義から資本主義に至る、長い道のり…』との警句がある。この言葉は…〔こう言った人の意図を超えた-秋月〕意味をもつだろう。西側の国々で、社会主義は、かつての『資本主義』が、もう一つの『資本主義』に変わってくるのに、必要不可欠な貢献をしたのだから」。
 あまりに明瞭な「社会主義」親近感の吐露に唖然とするばかりだ。樋口陽一において、社会主義とは、西欧資本主義を「強いもの」にするのに役立ち、新しい(もう一つの)資本主義に変化するのに「必要不可欠の貢献」をしたものとして把握されている。
 ソ連の解体、ロシアの資本主義国として再出発のあとではひょっとして異なる書き方になったとも思われるが、それにしても1989年11月の時点で、「社会主義」に対する批判的・消極的な評価が樋口陽一においては何もないのだ。しかもこの本は、ソ連の解体、ロシアの資本主義国として再出発、東西ドイツの統合(資本主義・西ドイツによる社会主義・東ドイツの吸収)のあとでも(つまり欧州での<冷戦>終了後でも)、出版され続けた(私が所持しているのは、14刷、1996年)。
 恥ずかしいとは感じないのだろうか。ソ連圏の人びとに対する1917年から70年以上の間の<人権抑圧>、場合によっては政府による<反体制分子>とのレッテル貼りによる<生命剥奪>は、人類の歴史にとって「必要不可欠」だった、と書いているのと殆ど同じだ(なお、アジアも含めると、既述のとおり、<共産主義>の犠牲者=被殺戮者は1億人程度になる)。
 こういう人が憲法学界の代表者の一人だったことをあらためて確認しておく必要があり、かつまた<怖ろしく>感じる必要がある。

0574/憲法デマゴーグ・樋口陽一-その3・個人主義と「家族解体」論。

 一 産経新聞7/05山田慎二「週末に読む」の中に、<家族>に関する次のような短い文章がある。
 「人類は、家族というものを発明した。とりわけ仲間といっしょに食事をしたり、育児を共同でするのは、人間だけである。/こうした人類だけの能力の深い意味を現代人は見失っている」。
 子どもが自立して生きていけるまで母親又は両親(つまり家族)が<育児>をする動物は「人類だけ」かとは思うが、人間の子どもの健全な成長にとって<家族>が重要であることは論を俟たないように思える(もちろんフェミニスト等による異なる議論はある)。
 今年の秋葉原通り魔連続殺害事件やかつての「酒鬼薔薇事件」の犯人は同じ年で、その両親たちも同世代であるに違いない。秋葉原事件のあとで<専門家>らしき者たちのいろいろなコメントが出ていたが、彼ら犯罪者を生んだ<家族>(や学校教育)環境にまで立ち入らないと、原因も解決策も適切には論じられないのではないか。
 二 林道義・母性崩壊(PHP研究所、1999)を一気に殆ど読んでしまったが、この本は酒鬼薔薇事件やこの事件の犯人ととくに母親の関係にも言及しており、幼児期(とくに3歳まで)の(父親ではなく―父親は2・3割程度重要だという―)母親の役割(<母性>)の重要性を強調しつつ、この犯人の母親(・両親)の手記の中に書かれてあることの中から具体的に問題点を指摘している。
 重要なテーマなので別の回に余裕があれば書きたいが、<母性崩壊>による(非婚化や晩婚化も経由しての)少子化という明瞭な現象は、林道義が指摘するような国家・社会を自壊させる<危険性>どころか、すでに国家・社会の活力を奪い、老年者福祉の財政問題等をも発生させて、日本を<自壊>させ始めている、と思える。明瞭にその過程に入っている、という感想を持たざるをえない。中国・北朝鮮による<侵略>によらずして、日本は自ら崩れていっている、ように見える。
 <母性崩壊>は、ではなぜ生じたのか。むろん簡単には論じられない。
 留意されてよい一つは、マルクス主義は<家族>を解体・消滅させようとする理論だった、ということだ。ウソのようだが、いつか引用したことがあるように、エンゲルスはその著の家族・私有財産及び国家の起源の中で、家族(家庭)内のブルジョアジーは男でプロレタリアートは女だ、と本当に書いている。いうまでもなく、「私有財産及び国家」とともに「家族」もまた、マルクス主義者(・共産主義者)の怨嗟の対象であり、将来は解体される・消滅するはずのものだった。
 もう一つは、<西欧近代>に発する<個人主義>だ。個人主義の強調は<家族>の安定的維持と矛盾・衝突しうる。<家族>の中で、親が子が、男が女がそれぞれの<個人>としての尊重などを口にし始めたら<家族>は維持できない。協力、譲り合い(ある意味では応分の負担と「犠牲」の分け合い)なくして<家族>のまとまりが継続してゆける筈がない。
 マルクス主義によるのであれ、西欧近代的<個人主義>によるのであれ、日本における<家族解体>化現象は進んでいる、と思われる。そしてそれは、一定の年齢以下の者たちによる近親者に向けられた、又は気持ち悪い犯罪の発生と無関係だとは思われない。
 (宮崎哲弥は何かの本―たぶん宮崎=藤井誠二・少年をいかに罰するか(講談社α文庫、2007)―で「少年」犯罪は統計上は増えていないと書いていたが、自分より弱者を攻撃したり、祖父母を含む肉親を攻撃したりする、若しくは殺害・傷害等の方法が<気味の悪い>犯罪に限っていえば、数量的にも増えているのではないか、と思われる。単純に何らかの犯罪者が「少年」である場合の統計だけを見ても大した意味はないだろう。)
 三 さて、憲法学者・樋口陽一の<個人主義>の問題性についてはあらためて何度でも触れたいが、彼も指摘するように、樋口の好きな<個人主義>又は<個人の尊厳>については、日本国憲法上の明文規定があるのは、13条と24条に限られる。24条2項は次のように定める。
 「……婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」。
 樋口陽一はこれを含む24条の素案を作ったベアーテ・シロタについて、同・個人と国家(集英社新書、2000)p.139で「なんと公募で選ばれた若い女性」としか書いていないが、日本語ができたことがメンバーになれた最大の理由だったと思われる、かつソ連と同憲法に憧れていた親コミュニストだった(コミンテルン又はアメリカ共産党から実質的に派遣されていた可能性もあり、何らかの資料も出てきているのかもしれないが、今回はこの程度で止める)。
 婚姻と家族に関する憲法条項の中に「個人の尊厳と両性の本質的平等」をふまえて婚姻や家族に関する法律は制定されるべし、との条文が入ったのは、「社会主義」ソ連では アメリカなどよりもはるかに又は徹底的に男女対等(平等)が実現されている(又は実現されようとしている)という、シロタの対ソ連又は対「社会主義」幻想が大いに影響したものと考えられる。
 樋口陽一のいくつかの本を見ていて印象に残った一つは、この人は日本国憲法24条の中に「家族解体の論理」が含まれている(少なくとも)可能性がある、と指摘し、かつそのことを疑問視・問題視はしていない、ということだ。
 ①樋口陽一・憲法と国家(岩波新書、1999)p.110-13条以外の個別条項では24条だけが「個人の尊厳」を謳っているのは、「家族」が近代「個人」主義が「貫徹しない飛び地」だったことへの「批判的見地」を示しているのではないか。「家族にかかわる領域で『個人』を本気でつらぬこうとする見地からすれば、憲法二四条は…家族解体の論理をも―もちろん必然的にではないが―含意したものとして、読むことができるだろう」。
 ②樋口陽一・「日本国憲法」-まっとうに議論するために(みすず書房、2006)p.70-「憲法二四条…がいちはやく『個人』を掲げたということは、…『個人』を徹底的につらぬくことによって、場合によっては家族を解体させる論理につながってゆく可能性をも、内に含んでいるのではないでしょうか」。
 ベアーテ・シロタが「家族」内に<個人主義>・<個人の尊厳>を(憲法条文上も)もち込もうとしたとき、<家族解体>論まで意識していたかどうかは(少なくとも現時点での私には)分からない。だが、コミュニズムの実際が育児(子育て)の0歳児の時点からの早期の<社会化>、幼児に対する早期の<洗脳>教育等を内容としていたことを考え合わせると、樋口の言うとおり「法の論理が含んでいる可能性」としてであれ、24条2項は客観的には、<家族解体>の方向に親近的な条項である、と言えるだろう。
 そのかぎりで、樋口陽一は、憲法制定者の意図を<正しく>把握(解釈)している、と言えなくもない。
 だが、上のような「法の論理が含んでいる可能性」を語るだけで、それに対する警戒的・批判的な(憲法政策論にも関係する)言辞が全く出てこない、というところに樋口陽一らしさがある。
 家族解体論者・フェミニストが喜びそうなこと(そのような憲法条項があること)を指摘し紹介することによって、客観的・結果的には家族解体論者・フェミニストに手を貸している。そういう意味のかぎりで、樋口陽一の<デマゴーグ>としての面目躍如たるところがある、と言えるだろう。
 なお、樋口はソ連等の欧州的「社会主義」の終焉後は明らかに、近代的「人権」論に対する批判的視覚を提起している一つがフェミニズムだと語り、それに関連する事柄に言及することが多くなっている。そして、憲法改正ではなく法律改正で済むのに夫婦別姓法案に「改憲」論者は反対している等とも述べて、この夫婦別姓法案に明確に賛成している(樋口陽一・個人と国家(上掲)p.194等)。
 あえて簡単に再言又は概括すれば、樋口陽一のいう<個人主義>は<家族>と対抗しうるものであり、<家族>を、そして<母性>を含む<子に対する親の役割>を軽んじるものだ。少なくともそのような<風潮>の形成に役立つ議論を、<左翼>樋口陽一はしてきている。
 少なくない若年者(10歳代・20歳代)の犯罪の犠牲者は、戦後日本を覆い続けた<左翼・個人主義>の被害者ではないのか。ごく簡単には、直感的にせよ、そういう想い・感慨をもつ。長々と書かないだけで、もう少しは論理的にかつ長く論旨展開できるつもりだ。そして、この感覚はたぶん基本的なところでは間違ってはいないだろう、と思っている。

0572/樋口陽一のデマ2+櫻井よしこの新しい本+小林よしのり編・誇りある沖縄。

 〇櫻井よしこ・いまこそ国益を問え―論戦2008(ダイアモンド社、2008.06)はたぶん半分程度は既読のものをまとめたもの。数えてみると70ほどの項目があったが、見出しに「皇室」・「皇太子妃」を含むものは一つもない。
 この1年間の<国家基本>問題又は「国益」関係問題としては、対中国、対北朝鮮、これらにかかわる対アメリカや台湾問題の方がはるかに重要で、福田首相問題、(日本の)民主党問題もこれらに関係する。地球温暖化防止のための日本の負担の問題、公務員制度改革問題、さらに「道路改革」、集団自決・大江「沖縄ノート」等々と、櫻井よしこの関心は広い(にもかかわらず、「皇室」・「皇太子妃」に言及がないのは<静かにお見守りする>姿勢なのだろうと思われる)。
 〇小林よしのり・誇りある沖縄へ(小学館、2008.06)の最終章「『沖縄ノート』をいかに乗り越えるか」とまえがき・あとがきを読了。
 曽野綾子の本が初版は「巨塊」で増刷中に「巨魁」になった(p.189)というのは本当だろうか。私の持っているものは「巨塊」だ。小林はサピオ(小学館)では山崎行太郎を無視しているが、ここでは「オタク的言い掛かり」などと言及している。
 まえがきで小林よしのりが、大江健三郎の「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」との文(大江・沖縄ノート)に「しびれる~~」と書いているが、似たような趣旨の文章をどこかで読んだ気がした。
 思い出した。樋口陽一の、同・自由と国家(岩波新書、1989.11)の最後のつぎの文章だ。
 「その名に値しようとする憲法研究者=立憲主義者は、立憲主義―その起源は西欧にあるが、しかし、くり返すが、その価値は普遍的である―を擁護するためには、彼の、あるいは彼女のナショナル・アイデンティティから自分自身を切りはなすだけの、勇気とヴィジョンを持たなければならない」(p.215)。
 「普遍的」な「立憲主義」を擁護するために、憲法学者は、自らの「ナショナル・アイデンティティ」を捨てる(「自分自身から切りはなす」)「勇気とヴィジョン」をもつ必要がある、つまりは、式上は日本国民であっても<日本人>たる「アイデンティティ」を捨てよ、と樋口は主張している。
 これは、大江健三郎のいう「このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえること」ではないだろうか。
 だとすれば、反日・亡国・日本国家「帰属」嫌悪者は、似たようなことを(いずれも相当にわかりにくく)言うものだ。
 すでに触れていることだが、「ナショナル・アイデンティティ」(日本国民意識・日本国家帰属意識)を「勇気とヴィジョン」を持って「切り離す」こと求めるこの樋口陽一の主張を、<樋口陽一のデマ2>としておこう。

0571/憲法学者・樋口陽一はデマゴーグ-たぶんその1。

 デマというのは、扇動的・謀略的な悪宣伝や自己(又は自分たち)のための虚偽の悪口・批判を意味するのだろう。かかる行為をする者のことをデマゴーグという。
 憲法学者・樋口陽一(1934年生。東北大学→東京大学→早稲田大学)の言説の中には、ここでの「デマ」に当たると見られるものがある。
 上の意味よりはもっと緩やかに、従って厳密さは欠くが、虚偽の事実を述べたり、誤った見解を適切であるかの如く主張することも<デマ>と理解し、そのようなデマを発する者を<デマゴーグ>と呼ぶとすると、樋口陽一は立派な<デマゴーグ>だ。
 樋口陽一が書いたものへの批判的言及はこれまでに何度もしてきた。今後は、重複を避けつつ、<デマ>・<デマゴーグ>という言葉を使って、この人の奇妙又は奇矯な言い分を紹介的にメモ書きする。
 <デマ1> ①樋口陽一・ほんとうの自由社会とは-憲法にてらして-(岩波ブックレット、1990.07)p.33-「戦前の日本では、天皇制国家と家族制度という二つの重圧(『忠』と『孝』)が、…個人の尊厳を、がんじがらめにしてしまいました」。
 ②樋口陽一・自由と国家-いま「憲法」のもつ意味-(岩波新書、1989.11)p.168~9-明治憲法下の日本では「『家』が、国家権力に対する身分制的自由の楯としての役目を果たすよりは、国家権力の支配を伝達する、いわば下請け機構としてはたらくことになった」。「ヨーロッパの近代個人主義が家長個人主義として出発し、家が公権力からの自由を確保する楯という役割をひきうけたのと比べて、日本の『家』の極端なちがいは、どう説明できるのだろうか」。
 日本の戦前の家(家族)制度とそれのヨーロッパ近代のそれとの差違をかくも単純に言い切ってしまっている、ということ自体に、すでに<デマ>が含まれている、と理解して殆ど間違いない。
 樋口陽一は、本来は各分野かつ各国に関する専門家の研究の蓄積をきちんとふまえて発言すべきところを、ブックレットや新書だから構わないと思っているわけでもないだろうが、じつに簡単に断定的な決めつけを-上の点に限らず随所で-行っている。憲法学者とは殆どが、かくも傲慢なものなのか。

0568/古田博司・新しい神の国(ちくま新書、2007)より-マルクス主義と戦後「左翼」インテリ。

 古田博司・新しい神の国(ちくま新書、2007.10)の最初の方からの一部引用。
 ①「要は反体制ならばハイカラで格好良いという軽薄さは、今日の左翼インテリまで脈々と繋がっており、ソビエトが解体し、中国が転向し、北朝鮮が没落してもなお、資本主義国家に対抗することこそがインテリの本分だと解している向きが跡を絶たない。/『天皇制』を絶対王政に比すの論はさすがに影を潜めているが、『天皇制打倒』の心性はいまだに引き継がれており、日本の左翼人士は『天皇制』が日本の後進性であり、日本人の主体的な自立を妨げてきたのではないかという議論をずっと続けてきた」(p.35)。
 ②1.2000年以降「マルクス主義に対する信仰」は着実に壊れた。大学の科目から「マルクス経済学」に関するものは次第になくなり「日本のインテリ層が徐々に呪縛から解き放たれていった」。
 2.「しかし何という壮大なる洗脳機構だったのだろうか 。価値・史観・階級の論を柱とし、それらが複雑に絡み合うさまは天上の大神殿を思わせた」。
 3.「今日ではすべて塵と化した大社会科学者たちの生涯の業績は、ひたすらその祭司たらんとする献身の理想に満ちあふれていた。だが、その神殿の柱は今やぶざまにも折れ、廃墟の荒涼を白日の下に曝しているではないか。なぜこのような無駄をし、屑のごとき書物を図書館に積み上げていったのだろうか。日本のインテりは一体何をやっていたのだろうか。結局、慨嘆が残っただけではなかったのか」(p.40)。
 ③韓国人や中国人は日韓基本条約・日中友好条約のときに「日本からの援助が欲しかっただけ」で、当時は「嫉妬も押し隠して笑顔を向けた」が、その「微笑みが本物でないことは、やがて露わになっていった」。/「そして戦後からずっと、『東アジアの人々は良い人ばかりで話し合えばわかる』といい続けたのは、実は共産主義者であり、社会民主主義者であり、進歩的文化人であり、良心的な知識人たちであった。伝統的なことには、右も左もない。日本では『伝統的な善人』や『国際的な正義派』がいつも国を過つのである」(p.45)。
 以上。上の②2.の「祭司」たらんとした者は、歴史学、経済学、法学等々の分野に雲霞のごとく存在した。非日本共産党系研究者でも、大塚久雄、井上清は入るし、丸山真男も立派な「祭司」だった。法学分野では日本共産党系の渡辺洋三、長谷川正安を挙げうる。だが、こうした者たちが築いた「神殿の柱は今やぶざまにも折れ、廃墟の荒涼を白日の下に曝しているではないか。なぜこのような無駄をし、屑のごとき書物を図書館に積み上げていったのだろうか。…結局、慨嘆が残っただけではなかったのか」。
 だがなお、マルクス主義の影響を受けた<左翼>インテリは数多い。例えば、樋口陽一よ、かつては「献身の理想に満ちあふれて」仕事をしていたかもしれないが、フランス革命が「理想」・「範型」ではなくなり、社会主義(・共産主義)社会への展望が見出せなくなった現在、かつての仕事は「廃墟の荒涼を白日の下に曝」している筈なのに、(ソビエト「社会主義」崩壊の理論的影響が出にくい法学界であるがゆえに)巧妙にシラを切って、惰性的に似たようなことを反復しているだけではないのか。そういう者たちを指導者として、さらに若い世代に<左翼>インテリが性懲りもなく再生産されていく。壮大な社会的無駄だし、害悪でもある。個人的に見ても、一度しかない人生なのに、せっかくの相対的には優れた基礎的能力をもちながら、気の毒に…。

0560/「人間」であることは必然か-樋口陽一の謬論。産経新聞・潮匡人のコラム。

 一 産経新聞6/15潮匡人のコラム「断」(何故か電子情報になっておらず「関連づけ」できない)によると、結構な各界トップが名を連ねた「地球を考える会」が、5/21に福田首相に対して「日本国内で地球愛確立の国民運動を起こす」等を提言した。また、その1週間後の政府広報は、「【日本人=地球人】として誠実に」という見出しの福田首相発言を掲載した。
 潮匡人が指摘するように、「地球人」も「地球愛」も意味がよく分からない。潮いわく-「地球愛も地球人も無意味で軽薄な偽善である」。
 二 不誠実で軽薄な偽善であるくらいならよいが、日本人・日本国民を素通りさせた「地球人」・「地球市民」・「世界市民」等の強調は、<日本人・日本国民>意識の涵養を抑制し又は軽視・否定するための<左翼>の戦術であることに注意しなければならないと思われる。上の潮の叙述のとおりならば、政府広報もこの戦術にひっかかっている。
 樋口陽一・ほんとうの自由社会とは(岩波ブックレット、1990)は、ロマン・ロランが言ったという次の言葉を肯定的に引用している(p.60)。
 「私がフランス人であることは偶然だが、私が人間であることは必然だ」。
 樋口は、<私が日本人であることは「偶然」だが、人間(=地球人=地球市民)であることは「必然」だ>とでも言いたいのだろう。
 しかし、これらの言葉は誤っている。
 フランス人として生まれるか日本人として生まれるかは、たしかに「偶然」かもしれない。しかし、「人間」として生まれてくるのかどうか、他の生物として生まれてくるのか、それそも何としても<生まれてこない>のかも、全くの偶然にすぎない。
 「私が人間であることは必然だ」というのは人間として生まれた者だからこそ言えるのであって、そうでない者(?)も含めれば、全くの偶然にすぎない。人間に限っても、何かの偶然で生まれなかった人間は生まれた者の何億倍も無数に存在しているはずだ。
 樋口の人間観は、けっこう底の浅いものだ。
 人間、そして「人権」というものの<普遍性>を語るために、「人間」であることの「必然」性などを語るべきではない。
 三 そもそも私は樋口陽一という人物の基本的発想を疑問視、危険視しているので、上の点だけに限りはしない。これまでも書いたし、今後も書きつづけていくだろう。戦後日本の<風潮>を形成した「左翼」憲法学者の代表的一人と目されるからだ。

0542/樋口陽一-この人が日本の憲法学界を代表している(いた)ならば、悲劇。

 樋口陽一・ほんとうの自由社会とは(岩波ブックレット、1990)について、前回(6/09)のつづきの最終回。
 ①樋口は、「人類普遍の原理」(日本国憲法前文)は所詮西欧近代のものだという反発はあるが、西欧近代に問題があったとしても(植民地支配等)、「それ自体は普遍的な価値をもつ」ことを「やはりためらうことなく主張すべきだ、というのが私の考え」だ、と明言する(p.57)。
 憲法前文に書いていること自体もなお抽象的なので、じつはこの「普遍的な価値」なるものの理解自体にも具体的には分かれが生じうると考えられるが、この点は措く。
 奇妙だと思うのは、上の主張(考え)を、樋口が、「丸山先生のご指摘のとおりです」と言って、丸山真男の次のような言葉によって正当化しようとしていることだ(p.60-2、樋口の文章自体が丸山のそれのそのままの引用ではない)。
 <西欧本籍で普遍的ではないと主張する者は、思想・価値の「生まれ」・「発生論」の問題と「本質」の問題を混同している。「何よりもいい」例は、西欧社会の中軸にある「キリスト教」は「非西欧世界」から生まれてきた、ということだ。>
 この理屈又は論理は誤っている。いくら「何よりもいい」例があったとしても、ある地域・圏域に「生まれた」ものが世界的に又は「人類」に普遍的なものに必ずなる、という根拠には勿論ならない(しかもそこでの例は「西欧」社会に普遍的になったというだけのことで、「世界」・「人類」に対してではない)。せいぜい、なりうる、なることがある、ということに過ぎない。従って、樋口の主張(考え)は一つのそれであるとしても、むろん<普遍的に>主張でき相手方を説得できるものでは全くない。内容というよりも、丸山真男の名前を持ち出せば少しは説得力が増すかのごとく考えているいるような、<論理>の杜撰さをここでは指摘しておきたい。
 ②樋口は、「べトナム民主共和国」の1945年の独立宣言がフランス人権宣言とアメリカ独立宣言を援用していると指摘して、欧米に「普遍的」なものがアジアでも採用された、と言いたいようだ(p.57)。
 社会主義ベトナムの建国文書がフランスやアメリカの文書に言及していても何の不思議もない。一つは、文書上、言葉上なら、何とでも言えるからだ。樋口陽一はこの国が「ほんとう」に「民主」共和国だったのかに関心を持った方がよかったのではないか。二つは、これまで何度も触れたように、フランス革命と「社会主義」(革命)には密接な関係があるからだ。
 樋口は何気なく書いているだけのようなのだが、じつは、樋口が「べトナム民主共和国」という社会主義国の存在を何ら嫌悪していない、ということも上の文章の辺りは示している。
 「べトナム民主共和国」の人権・自由・民主主義の実際の状況には関心を寄せず、あれこれと知識を披瀝し最高裁判決等の情報も提供しつつ、日本を<自虐的に>批判しているのがこの冊子だ。
 ③樋口は、イランの事例に言及したあとで、「昭和天皇に戦争責任がある」と議会答弁した長崎・本島市長が銃撃された事件等を念頭に、「異論をゆるさない風土という点で似通っているのではないか」、と日本(社会)を批判している。
 なるほど異論を持つ者に対する暴力行使は許されないことだろう(その例として「右から」のそれのみを挙げるのはさすがに樋口らしいところだ)。だが、やはり、<何を寝呆けたことを言っているのか>という感想をもつ。
 樋口がその名で刊行している岩波ブックレットそのものもそうだが、日本ほどに「異論」を表明することができる国家は数少ないのではないか。ドイツ・イギリス・アメリカには共産党自体が存在しない(その系統を引く政党はあるかもしれないが、マルクス=レーニン主義をそのまま謳ってはいない)。日本には日本共産党が存在し、またかつてはマルクス主義派を「左派」とする日本社会党も存在して、西欧・米国では考えられないような「異論」を述べていた。フランス「社会党」もドイツ「社民党」もアメリカとの軍事同盟に賛成しているし、フランス「左翼」は自国の核保有にも賛成している。欧米に見習うべきと強く主張している樋口陽一ならば、そういう欧米の「左翼」にも学ぶべきだろう。ともあれ、日本の「左翼」は欧米の「左翼」ならば主張しないだろうような「異論」を自由に述べてきている。日本の一部に見られる暴力的「自由」侵害の例を持ち出して、日本の「異論をゆるさない風土」を語るとは、何とも錯乱的な認識であり、自虐的な日本観だ。
 「異論」の表明自体によってただちに、国家権力によって生命を剥奪される危険性が充分にある「社会主義」国家が現に存在していることを、樋口陽一は全く知らないのだろうか。「異論」の表明に至らない、「不服従」の態度だけで家族ぐるみで<政治犯収容所>に入れられて餓死の危険と闘わなければならない人びとが現にいる国もあることを、樋口陽一は全く知らないだろうか。
 自分は「自由な」日本にいて、書斎の中で「異論」を書き散らし、あるいは安全な施設の中で「異論」を講演したりしておいて、よくぞまぁ日本は「異論をゆるさない風土」だなどと気易く言えるものだ。呆れる。こんな人が日本の憲法学界の代者の一人だ(だった)とすれば、日本の憲法学界は殆どが<狂って>いるのではないか、というじつに悲しい感想を持ってしまった。

0541/樋口陽一・ほんとうの自由社会とは(岩波ブックレット)を読む-2回め。

 樋口陽一・ほんとうの自由社会とは(岩波ブックレット、1990)について、前回(6/04)のつづき。
 「ほんとうの自由社会」を論じるならば、対象は1990年にまだ存在した<社会主義>ソ連おける個人的「自由」や中国・北朝鮮の「自由社会」度であっても奇妙ではない。しかし、この冊子が批判の対象としているのは、日本だ。日本は「ほんとうの自由社会」ではない、と全体を通じて罵っているわけだ。
 ①樋口にとって1989年は『自粛』でもって陰うつに重苦しく明けた」らしい(p.24)。「陰うつに重苦しく」と表現する辺りには、この人の(昭和?)天皇に対する感情が現れているだろう。この1989年の、日本社会党が第一党になった参院選挙では日本人は「自分の考えで」投票所へ行き投票した、と樋口が積極的に評価していることは前回(6/04)に記した。
 ②この「自分の考えをもつ」ということは「自由社会」の基本らしい(p.28)。それはそれでよいとして、樋口は次のように続ける。
 だが、自分の考えによらない「みんなで渡ればこわくない」が「日本社会のひとつの美徳」とされてきた。「渡れば…」くらいならいいが、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」などというものもあるように、「自由社会」の基本=「自分の考えをもつ」ことと「うまく折り合わない」(p.28)。
 樋口陽一は上の文章を<正気で>書いたのだろうか。「自分の考えをもつ」ことに反対の例として、なぜ、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のみを挙げるのか?
 「みんなで…」という名を付けていなくとも、実質的にみて<みんなで教育基本法改悪に反対する会>、<みんなで自衛隊基地増強に反対する会>、<みんなで憲法(9条)改悪に反対する会>等々はいくらでもある。もともと、目的を共通にするグループ、集団というものは「みんなで…」という性格をもっている。樋口陽一自身が、そのような、<みんなで…会>に該当するものの中心メンバーだったり、一員であったりしているだろう。樋口が殊更に「みんなで靖国神社に参拝する…の会」のみを例示するのは、その<歪んだ>心性によるとしか思えない。
 ③樋口はまた言う-「戦前の日本では、天皇制国家と家族制度という二つの重圧(「忠」と「孝」)が、…個人の尊厳を、がんじがらめにして」しまった(p.33)。
 樋口の世代の一つくらい上の世代から始まる戦後<進歩的知識人・文化人>の合言葉のようなもので、珍しくもなく、まともに扱う気もないが、いかに小冊子とはいえ、戦前の「天皇制国家」と「家族制度」についてこんなに簡単に総括してもらっては困る。なお、樋口は、別の本で、(「家族制度」解体に導く)フェミニズムに肯定的に言及していた。
 ④樋口は、カレル・ヴァン・ヴォルフレンの、日本による1930年代の諸問題の再現の怖れという文章を肯定的に引用している(p.40)。
 ヴォルフレンの立脚点を詳細には知らないが、欧米「普遍」主義又はアメリカ・グローバリズムの観点から、日本の政治・社会的システムの「特殊」性(>「閉鎖」性)を、かなり厳しく(見方によれば「悪意をもって」と感じるほどに)批判している人物だ。日本を批判するためには、欧米の<日本叩き>主義者の言説も利用する-これは<自虐>者というのではないか。
 ⑤樋口はまた、奇妙なことも書いている。まず、1987年12月の中国「人民日報」が南京での追悼集会の記事で「三十多万遭難同胞」に言及していることにも「センシティブでなければ」ならない、と言う(p.41)。
 日本に対する「アジアの国ぐにの対応」に留意せよとの趣旨の段落の中でのものだが、「センシティブでなければ」ならない、とは一体いかなる意味か? 南京「大虐殺」遭難者数「三十多万」説にそのまま従っているかの如き文章だ。
 つぎに、「…なにがしかの良心をもつ日本人ながら意識せざるをえなかった…中国政府というものが、正義とのかかわりをやめてしまって、日本に経済援助を求めるふつうの政府になってしまった」、「日中国交回復以来、中国政府は日本にとって、日本の戦中戦後の思想、歴史を問う道義の物差しであることをやめて、日本に経済援助を求めるふつうの政府になった」、とも言う(p.41)。
 なかなか理解し難いが、樋口陽一はどうやら再び<怖ろしい>言葉を吐いているようだ。こうした文章は、中国政府が「経済援助を求めるふつうの政府」になったことを<残念がって>いる、と読める。そしてなんと、中国(政府)は「日本の戦中戦後の思想、歴史を問う道義の物差し」だった(のに…)、と主張しているのだ。<左翼>・<反日自虐派>ならば当然のことかもしれないが、「日本の戦中戦後の思想、歴史を問う」基準(「道義の物差し」)は中国(政府)にある筈だ、と言っているのだ。ここまで樋口陽一が親中国、いや屈中国だとは知らなかった。
 なお、1990年頃の中国政府の対日本姿勢がどうだったかを確認・調査することはしないが、江沢民体制になってから再び?、<歴史認識>問題(従軍慰安婦・南京大虐殺問題等々)でしきりと日本を攻撃したことは記憶に新しい。とすれば、やはり中国(政府)は「ふつうの政府」ではなく、「日本の戦中戦後の思想、歴史を問う道義の物差し」たる役割を果たしていることになり(今年5月に来日した胡錦涛はさほどでもなかつたようだが)、樋口陽一はさぞや喜んだことだろう。
 今回で終えるつもりだったが、もう一回だけ続ける(予定)。憲法(学)の教科書・概説書よりも、こうした冊子にこそ「本音」が出ていることはありうる。この樋口の岩波ブックレットもそのようで、樋口の<怖ろしい>思想(と敢えて言っておく)がときどき顔を覗かせているようだ。

0539/樋口陽一・丸山真男らの「個人」主義と行政改革会議1997年12月答申。

 樋口陽一らの憲法学者が最高の価値であるかに説く「個人主義」又は「個人の(尊厳の)尊重」について疑問があることは、私自身が忘れてしまっていたが、振り返ると何度も述べている。
 この欄の今年(2008年)1/12のエントリーのタイトルは「まだ丸山真男のように『自立した個人の確立』を強調する必要があるのか」で、こんなことを書いていた。以下、一部引用。
 佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)p.197-8によると、「日本社会=集団主義的=無責任的=後進的」、「近代的市民社会=個人主義的=民主的=先進的」という「図式」を生んだ、「『市民社会』をモデルを基準」にした「構図」自体が「あらかじめ、日本社会を批判するように構成され」たもので、かかる「思考方法こそ」が戦後日本(人)の「観念」を規定し、「いわゆる進歩的知識人という知的特権」を生み出す「構造」となった。
 佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス、1997)p.74-75によると、丸山真男らにおいて、「日本の後進性」を克服した「近代化」とは「責任ある自立した主体としての個人の確立、これらの個人によって担われたデモクラシーの確立」という意味だった。
 憲法学者の樋口陽一佐藤幸治も、丸山真男ら<進歩的>文化人・知識人の上記のような<思考枠組み>に、疑いをおそらく何ら抱くことなく、とどまっている。
 文字どおりの意味としての<個人の尊重>・<個人の尊厳>に反対しているのではない。だが、<自立した個人の確立>がまだ不十分としてその必要性をまだ(相も変わらず)説くのは、もはや時代遅れであり、むしろ反対方向を向いた(「アッチ向いてホイ」の「アッチ」を向いた)主張・議論ではなかろうか。少なくとも、この点だけを強調する、又はこの点を最も強調するのは、はたして時代適合的かつ日本(人)に適合的だろうか。
 有数の大学の教授・憲法学者となった彼らは、自分は<自立した個人>として<確立>しているとの自信があり、そういう立場から<高踏的に>一般国民・大衆に向かって、<自立した個人>になれ、と批判をこめつつ叱咤しているのだろう。
 かりにそうだとすれば、丸山真男と同様に、こうした、<西欧市民社会>の<進んだ>思想なるものを自分は身に付けていると思っているのかもしれない学者が、的はずれの、かつ傲慢な主張・指摘をしている可能性があるのではないか。
 憲法学者が戦後説いてきた<個人主義>の強調こそが、それから簡単に派生する<平等主義>・<全国民対等主義>と、あるいは個人的「自由」の強調と併せて、今日の<ふやけた>、<国家・公共欠落の・ミーイズムあるいはマイ・ホーム型思想>を生み出し、<奇妙な>(といえる面が顕著化しているように私には思える)日本社会を生み出した、少なくとも有力な一因だったのではなかろうか。
 以上。すでに1月に書いていたこと。
 同じようなことは繰り返し書いているもので、上に出てくる佐藤幸治にかかわることも含めて、<個人主義>の問題に1年半前の昨年(2007年)1月頃には、別の所で、こんなことを記していた。再構成して紹介すると、つぎのとおり。
 八木秀次・「女性天皇容認論」を排す(清流出版、2004)は皇位継承問題だけの本かと思っていたら、1999-2004年の間の彼の時評論稿を集めたものだった(07.1/06)。この本のp.167-171は、1府12省庁制の基礎になった橋本内閣下の行政改革会議の1997.12.03最終答申に見られる次のような文章を批判している。
 行政改革は「日本の国民になお色濃く残る統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別し、自律的個人を基礎とし、国民が統治の主体として自ら責任を負う国柄へ転換すること」 に結びつく必要がある。「日本の国民がもつ伝統的特性の良き面を想起し、日本国憲法のよって立つ精神によって、それを洗練し、『この国のかたち』を再構築」することが目標だ。戦後の日本は「天皇が統治する国家」から「国民が自らに責任を負う国家」へと転換し、「戦時体制や「家」制度等従来の社会的・経済的拘束から解放され」たが、今や「様々な国家規制や因習で覆われ、…実は新たな国家総動員体制を作りあげたのではなかったか」。
 類似の認識は2003.03.20の中教審答申にもあるらしいが、八木によると行革会議の上の部分の執筆者は、「いわゆる左翼と評される人物ではない」、「近代主義者」の京都大学法学部の憲法学者・佐藤幸治らしい(07.1/12)。
 上のように、1997.12の行革会議最終報告は「自律的個人」を基礎に「統治客体意識に伴う行政への過度の依存体質に訣別」して「国民が統治の主体として自ら責任を負う」国のかたちへ変える必要を説いた。「様々な国家規制や因習で覆われ」た、「新たな国家総動員体制」のもとで、「自律的個人」が創出されていない、という認識を含意していると思われる。また、上の報告書は「個人の尊重」をこう説明している。-「一人ひとりの人間が独立自尊の自由な自立的存在として最大限尊重」されるべきとの趣旨で、国民主権とは「自律的存在たる個人の集合体」たる「われわれ国民」が統治主体として「個人の尊厳と幸福に重きを置く社会を築」くこと等に「自ら責任を負う理を明らか」にしたものだ(八木p.168-9)。
 「自律的個人」の未創出という認識は、日本では<近代的自我>が育っていない、と表現されてもきた。加賀乙彦・悪魔のささやき(2006、集英社新書)は「『個』のない戦後民主主義の危険性」との見出しの下で戦争中も現在も日本人には「流されやすいという危うさ」があり(p.78)、「自分の頭で考えるのが苦手な国民」だ(p.82)等と言う。これは日本人の「自律的個人」性の弱さの指摘でもあろう。
 だが、加賀のように、「人権」も「個人の自由」も闘いとったのではない「ガラスの民主主義のなかで」は「個は育ちません」(加賀p.79-86)と言ってしまうと、日本人は永遠に「自律的個人」、自分の頭で考え自分の意見を言える「個人」にはなれない。日本人の長い歴史の変更は不可能だからだ。
 丸山真男等の「戦後知識人」の多くも日本社会の脆弱性を「個人主義」の弱さに求め、「個人の確立」あるいは「自律的個人」の創出の必要性を説いていたように思う。そのかぎりで行革会議最終報告の文章は必ずしも奇異なものではない。
 しかし、思うのだが、日本人は本当に「自律的個人」性が弱く、かつそれは克服すべき欠点なのだろうか。<特徴>ではあっても、「克服」の対象又は「欠点」として語る必要はないのではないか。行革会議最終報告は、「自律的個人」をどのように創出するかの方法又は仕組みには全く触れていないと思われる。弱さ・欠点の指摘のみでは永遠の敗北宣言をするに等しくないか(07.1/11)。
 八木秀次は、行革会議報告の既引用部分等を、今日でも「様々な国家規制や因習で覆われ」た「新たな国家総動員体制」のもとで「自律的個人」が創出されていない、かかる「個人」を解放すべく「『国のかたち』を変革する」必要がある旨と理解する。そして、これは「有り体に言えば、市民革命待望論」だ、今からでも「市民革命を起こして市民社会に移行せよ、という主張」だと批判し、佐藤幸治氏のような「いわゆる左翼」ではない人物でさえ「結局はマルクスの発展段階説の虜となり、無自覚なマルクス主義者」になってしまうことに注意が必要だとする。
 たしかに、伝統・因習から解放された「個人の自立」や民主主義・国民主権の実質化の主張は、日本共産党の考え方、ひいては戦前の、コミンテルンの日本に関する「32年テーゼ」と通底するところがある。日本は半封建的で欧米よりも遅れており、フランス等のような「市民革命(ブルジョア民主主義革命)」がまだ達成されていないことを前提として、民主主義の成熟化・徹底化(そのための個人の自立・解放)を主張し、「社会主義革命」に急速に転化するだろう「民主主義革命」を当面は目指す、というのは、日本共産党の現在の主張でもある(フランスの18世紀末の状態にも日本は達していないとするのが正確な日本共産党の歴史観の筈だ)。
 佐藤幸治等の審議会関係者が「革命」を意識して自覚的に「自律的個人を基礎に」と記したとは思えない。そして、おそらくは日本共産党というよりもマルクス主義の影響を受けた社会・人文諸科学の「風潮」を前提として政府関係審議会類の文書が出来ていることを、八木は批判したいのだろう(ちなみに、行革会議答申後に内閣府にフェミニスト期待の「男女共同参画局」が設置された)。八木秀次は、所謂「体制」側も所謂「左翼」又はマルクス主義の主張・帰結と同様のものを採用している、との警告をしていることになる(07.1/13)。
 まだ続くが、長くなったので省略。
 この欄でも上の今年1/12の他に、佐伯啓思の他の書物等に言及する中で<個人主義>(「自立的個人」)問題には何度も触れてきた。だが、飽きることなく、樋口陽一らの単純な<西欧的>図式・教条への批判は今後も続ける。

0537/中西輝政、佐藤愛子、曽野綾子、佐伯啓思そして樋口陽一。

 前々回紹介の中西輝政の文章はまだ元気があるが、文藝春秋スペシャル・2008季刊夏号の巻頭エッセイで「身動きのとれないジレンマに陥っている」(p.14)と書いている。
 そして、ウソつきが神に対する罪ではなく(おのが心の清浄さを汚す)自分の心の「つみ」になるのだとしたら、日本人と日本は「到底、外交や国際政治の世界では生きてゆけない」とし、①「外交も下手」、②心も「日本人離れ」、という日本人だらけの日本が「最もありうる」。この際、「外交下手、万歳」で「国際国家・日本」など切って捨てるべき、という(p.15)。つまりは、「日本人」の心(の仕組み)を残すことを優先しよう、という主張と思われる。日本の外交、日本の国際戦略(の能力)についての諦念のようなものが感じられる。それでよいのか、中国、そして米国に対抗しなければ、と思うが、気分だけは何となく分かる。
 四つの巻頭エッセイのうち三つは、中西輝政の上も含めて日本人の「心」・「精神」に関するものだ。
 佐藤愛子は、「今は日本人の中に眠っている強い精神力が蘇ることを念じるばかりである」で終えている。
 曽野綾子は、教育が必要→国家関与→戦争への伏線と主張する人(要するに反権力の「左翼」)が必ずいるので「まず実現できない」としつつ、国が「人々に徳も個性も定着させる」こと(p.17)、(日本が「職人国家」として生きられる)「政治、外交的な力はなくとも、律儀さと正直さと勤勉さに現れるささやかな徳の力」(p.16)の重要性を指摘している(と読める)。
 これは何かを示唆しているだろうか。日本人の「心」・「精神」がかつてよりも崩れてきている、強靱でなくなってきている、「律儀さと正直さと勤勉さ」を失ってきている、ということなのだろう。そして、反論できそうにないように見える(「最近の若い者は…」と年寄りくさく言いたくなることもある)。
 ところで「心」・「精神」の仕組み・あり様は日本人と欧米人とで同じではないことはほとんど常識的であると思われる。産経新聞6/04の報道によれば、佐伯啓思は「正論」講演会で「日本独自の文明を取り戻し、日本の言葉で世界に発信していくことが重要」と強調したらしい。「日本独自の文明」が日本人独特の「心」・「精神」の仕組み・あり様と無関係とは思えず、「日本の言葉で」とは日本語によってというよりも、日本の独特の概念・論理・表現方法で、といった趣旨なのだろう。
 第一に、日本人独特の「心」・「精神」とか「日本独自の文明」の具体的内実は何かとなると、きっと論者によって議論が分かれうる、と思われる。佐伯啓思のいうそれも完璧に明瞭になっているわけではない(最近の著書・論文で書かれているものを参照しても)。
 しかし第二に、樋口陽一らのごとく、西欧近代的な「個人」をつかみ出せ、中間団体によって守られない、国家権力と裸で対峙する「強い個人」の時代を一度はくぐれ、という主張が、日本人には全く適合しておらず、ある意味で教条的でもあり時代錯誤的でもあることも明らかだと思われる。
 欧米人と日本人に共通性がないとは言わない。しかし、永遠に日本人は樋口が理解する<西欧近代>を通過した<普遍的>な人間になるはずはない
 上で言及した人びとはすべて、日本人「独特」のものがあると考えており、それはごく常識的なことに属するように思う。だが、樋口陽一たちは、日本人は早く徹底的に欧米的な(>西欧的な)<自立した自律的で自由な個人>になれ(個人主義)、という(「左翼」にとってはまだ一般的・常識的?)な主張を依然としてしているようだ。
 こんな点にも大きな国論の分裂があり、日本人の「心」・「精神」が歪められてきている一因もありそうだ。

0536/西部邁における近代主義・左翼・価値相対主義-別冊宝島・左翼はどこへ行ったのか!

 一 別冊宝島・左翼はどこへ行ったのか!(宝島社、2008.05)の中の西部邁へのインタビュー記事(「60年安保の東大委員長が語る『左翼』」-取材・文/高山数生)を読んで、西部邁はさすがになかなか鋭いなぁと感じた。
 ①近代主義・「左翼」につき-「近代主義とは、要するに大して教養もない、経験もない、人間ごときの存在が思いついたものを、普遍性があるように見せかけ、抽象的概念に基づいて、この社会に大がかりな変革を仕掛ける。それを左翼は『革命』って言っているだけ」。「そういう近代主義のことを実は『左翼』っていうわけ」。「左翼って言葉はフランス革命のときの言葉です。ジャコバン党ですよ。…自由だ、平等だって叫んでた奴らですよ。理性だ、合理だ、啓蒙だって」(p.44)。
 ②価値相対主義につき-「価値相対主義とか、個人の自由とか、あれは全部嘘話なわけです」。「価値相対主義っていうのは、他人になんの関心もない変な奴らの思想です」。「価値相対主義なんていってるのは、他人に対して、外国に対してでもいい、本格的関心を持たない奴らが価値の多様性とか個人の自由とかってほざいてるだけのもの」。「あいつらの精神、さらにいうと現代人の精神は、おそろしく衰弱し退歩している。その…衰弱とか退歩に有力な貢献をしたのが、いわゆる『左翼』だっていうことだね」(p.47)。
 上の①は樋口陽一やその追随者、いや多くの憲法学者に対する批判になっているだろう。もっとも、近代主義=「左翼」という用語法が一般的かどうかは知らない。
 いずれにせよ、書いた論文ではなく、質問に対する話し言葉で上のようなことを瞬時に語れるというのは、さすがの能力だ。
  いくつかのたぶん偏見があって西部邁は殆ど読んでいない。西部邁・六〇年安保-センチメンタル・ジャーニー(文藝春秋、1986)も持っているだけで、未読。他にも同様なのがある。何かを本格的に読むと面白いかもしれない。
 ところで、<左翼はどこへ行ったのか!>という雑誌?タイトルは妙だ。「左翼」と自称はしていなくとも、朝日新聞を筆頭に、大学教授の中も含めて、世間・巷に溢れているではないか。
 二 最近の書き込みはほぼいくつかのテーマに限定されている。一つは天皇・皇室・政教分離問題。大原康男・象徴天皇考(展転社、1989)と中西輝政=福田和也・皇室の本義-日本文明の核心とは何か(PHP、2005)は、かなり読み進んだ。月刊・諸君!の特集の中の文章についてもまだ書きたいことがある。
 二つは、フランス革命・ジャコバン主義・一七九三年憲法の評価の問題。樋口陽一辻村みよ子等の批判的検討(大袈裟か?)はさらに続ける。
 三つは、共産主義・コミンテルン等の「謀略」。日本国憲法の制定過程もこれと無関係ではなく、何回か書いてみたい。/その他、朝日新聞や日本共産党の個別問題。
 書きたいことはたくさんあるが、時間はたくさんはない。

0533/堀田力「戦争だけはいけない」文藝春秋スペシャル・2008季刊夏号は「いけない」。

 1 報道によると、北朝鮮は5/30に、黄海南道沖の黄海で、短距離ミサイル1発を発射した。これは中国と朝鮮半島の間の海域だが、対日本に照準を合わせたミサイル基地があり、日本海で、また日本列島を越える、ミサイル発射(実験)を行ったことがあることは衆知のこと。
 報道によると、中国は5月下旬、最新鋭潜水艦に搭載予定の弾道ミサイル(SLBM)の発射実験を朝鮮半島西方の黄海で行ったらしい。この国も日本に向けたミサイル発射台を設置している。また、朝鮮半島、ベトナム、インドで実際に「戦争」をしたことがあるのは衆知のこと。チベット、ウィグル等の支配はかりに「戦争」の結果ではないとしても<武力>行使によることは明らかだろう。
 2 ところで、日本語には、英語の定冠詞・不定冠詞にあたるものがない。また英語には名詞に冠詞をつけない場合もある。
 日本で、<戦争だけはいけない>、<戦争はしてはならない>、<戦争を繰り返してはいけない>等々の言葉をしばしば読んだり聴いたりするが、この場合の「戦争」とは、the のついた<特定の>戦争なのだろうか、a の付いた漠然とした一つの(結局はすべての)戦争なのだろうか、冠詞のない一般的に戦争そのものを指しているのだろうか。
 戦争体験者が<二度とごめんだ>、<もう繰り返したくない>とか発言している場合の他に<戦争反対>の旨をより一般的な形で述べていることは多いのだが、厳密には、その場合の「戦争」とは<あのような>戦争、つまり昭和20年までの昭和時代に行われた特定の戦争のことを指しており、絶対的な反戦感情の吐露ではなく、一般的な<戦争反対>論を述べているのではない、ということが多いのではないか、と感じてきた。
 そのような<特定の(自分たちがかつて経験したような戦争>(の反復)に反対という意思や感情を、一般的な反戦感情として報道してきたのが戦後のマスメディアであり、利用してきたのが<反戦>を主張する<左翼たち>ではなかっただろうか。
 <反戦>それ自体は殆どの人が合意できるかもしれない。誰も戦争勃発、戦争として攻撃されることを望んではいない。
 だが、戦争を仕掛けられたら、つまり日本列島が何らかの軍事力によって攻撃されたら(又はされようとしたら)どうするのか? 国土・人命・財産に対する莫大な損失の発生を座視して茫然と見ているだけなのか。国家としての任務はそれでは果たされ得ないのではないか。
 3 文藝春秋スペシャル・2008季刊夏号(2008.07)の<大特集・日本への遺言>の中にある堀田力「戦争だけはいけない」(p.139~140)は、基本的に誤っている。
 タイトルや第一文の「絶対に、戦争はしないでほしい」は、何となく肯定的に読んでしまいそうだが、上記のとおり、ここで堀田のいう「戦争」とはいったいいかなる意味のそれなのか、という問題がある。
 堀田はまた最初の方で、第二次大戦敗戦のとき「もう日本人は二度と戦争をしようとは思うはずがないと確信した」と書いていている。元検察官・現弁護士の堀田ならば、「第二次大戦」の際の日本の「戦争」のような「戦争」のことなのか、「戦争」一般のことなのかを明確にしておいてほしいものだが、どうやら<特定の>戦争から出発して、「戦争」一般、つまりすべての「戦争」へと拡げているようだ。
 上のことの根拠を、堀田は「世界に、もう戦争は要らない」ことに求めているようだ。堀田は言う。
 ①「体制の優劣を決する冷戦は、共産主義体制の敗北が決まり、もはや体制間の戦いを暴力で決着する必要性は消滅した」。
 また、こうも書く-②「独裁国であっても、その経済発展がある段階に達すれば、体制は必然的に民主主義、自由主義体制に移行するという、歴史によって証明された法則がある」。
 この二つの認識又は理解・主張はいずれも間違っている。又は、何ら論証されていない。
 ①について-欧州における「共産主義体制の敗北が決ま」ったとかりにしても、アジアではまだ決着がついていない。専門家・中西輝政も書いているし、私も何度も書いた。冷戦終了こそは、まさに中国の(陰謀的)主張でもあることを知っておく必要がある。第二次大戦後も実際に「侵略」戦争をし、また軍事費を膨張させながら、60年以上の過去の日本の「軍国主義」の咎をなおも政略的に言い立てているのが、中国だ。
 ②について-ソ連・東欧のことを指しているのかもしれないが、それが何故「歴史によって証明された法則」なのか。北朝鮮も中国も、「経済発展がある段階に達すれば、体制は必然的に民主主義、自由主義体制に移行する」というのか? その根拠はいったいどこにあるのか。細かく言うと、「経済発展がある段階に達すれば」という「ある段階」とはどのような段階なのか。そして、中国はその段階なに達しているのか、いないのか。北朝鮮がその段階に達していないとすれば「民主主義、自由主義体制に移行する」筈がないのではないか。等々の疑問ただちに噴出してくる。
 堀田はもう少し冷静に、客観的に世界をみつめ、かつ元検察官・現弁護士ならば、論理的に文章を綴ってもらいたい。
 「絶対に、戦争はしないでほしい」という言葉を<遺言>にしたい、ということは、おそらく日本又は日本人の中に「戦争」をする危険性にあると感じているからだろう。この点についてもまた、その根拠は?と問い糾さなくてはならない。
 私は上述のように<戦争を仕掛けられる>=<日本列島が何らかの軍事力によって攻撃される>危険性の方が圧倒的に(絶対的に)大きいと考えている。その場合、<正しい>戦争=<自衛>戦争はありうる、国土・人命・財産の保全のためにはやむを得ない戦争というものはありうる、と考えている。
 アジアでは冷戦は終わっておらず、現に、中国・北朝鮮という<共産主義体制>又は<共産(労働)党一党独裁の国>は残っていて(ベトナム、ラオスも。ネパールが最近これに加わろうとしている可能性が高い-中国の影響がない筈がない)、日本に対する軍事的攻撃力を有している。
 堀田力は刑事法を中心とする国内法や基本的な国際法の知識はあっても(また福祉問題には詳しくても)、国際情勢を客観的に把握する能力は不十分なのではないか。また、弁護士・裁判官等の専門法曹のほとんどがそうであるように、<共産主義の怖ろしさ>というものを知らない、のではないか
 堀田力の、このような文章がたくさん出ることこそが、コミュニスト、中国や北朝鮮が望んでいることだ。共産主義の策略(それは戦後日本の中に空気のごとく蔓延してきているものだが)、その中に堀田もいる。
 堀田力、1934年生まれ。樋口陽一も1934年生まれ。大江健三郎は1935年生まれだが、いわゆる早生まれなので、小・中の学年は樋口や堀田と同じ。すでに書いたことがあるが(人名もリストアップした)、1930年代前半生まれは<独特の世代>、つまり最も感受性の豊かな頃に<占領下の教育>を受けた世代だ。感受性が豊かで賢いほど、戦前日本=悪、戦後の「民主主義」=正、という<洗脳>をうけやすい傾向があると思われる(あくまで相対的<傾向>としてだが)。

0532/樋口陽一・岩波ブックレット1990を読む-佐高信・辻元清美レベルの反自民党心性。

 樋口陽一・ほんとうの自由社会とは―憲法にてらして―(岩波ブックレット、1990)という計60頁余の冊子は、1990年7月という微妙な時期に出版されている。
 1989年11月-ベルリンの壁崩壊(8月に東独国民がオーストリアへ集団脱出)、同12月-ルーマニア・チャウシェスク政権崩壊(12/25同大統領夫妻処刑)、その他この年-ハンガリ-やポーランドで「民主化」が進む。
 1990年2月-ソ連・ゴルバチョフ大統領に、同月~3月-バルト三国がソ連から離反・独立、1991年1月-湾岸戦争開始、6月-イェルツィンがロシア大統領に、7月-ワルシャワ機構解体、8月-ソ連のクーデター失敗・ゴルバチョフ辞任、12月-ソ連解体・CIS(独立国家共同体)会議発足。
 このような渦中?で書かれていることに留意しつつ、樋口の上の本に目を通してみよう。
 1 樋口は1989-90年の東欧について<「東」の「憲法革命」>という言葉を使う(p.2)。そしてベルリンの壁除去の「祝祭的な気分」だけで東欧を見てはいけないとし(p.2)、東独を含む東欧に「反コミュニズムと反ユダヤ主義が…また出てきた」という指摘もある、この二つは「ナチス登場の土壌だった」のだから、と書く。
 これはいったい何を言いたいのだろうか。曖昧、趣旨不明とだけ記して次に進む。
 2 樋口は、東欧の変動は「ヨーロッパで、理性と議論と骨格にした社会」という「共通の理念が、あらためて再確認されようとしている」という(p.4)。
 そして、「東欧の大変動」から日本人が「引き出すべき教訓」はつぎの二つだという。一つは、「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」ということ。「ノメンクラトゥーラ」という特権層の支配体制の崩壊から、<企業ぐるみ選挙>とかの政治・企業の癒着、利益配分集票構造といった日本の「体制」はこれでよいのかという「教訓」を引き出す必要がある(p.6)。二つは、「体制選択」を(1990年2月の)総選挙で主張した人々〔=自民党〕は「自由」のよさを強調するが、日本は本当に「自由社会」なのか、その人々は本当の「自由社会」を理解していないのではないか(p.6-8)。
 以上の1、2を併せてみても、趣旨は解りにくい。この冊子を書いた翌年にはソ連が明確に解体し、東欧諸国も<社会主義>を捨てて<自由主義(資本主義)>に向かう(いや、この時点ですでに向かっている)のだが、そうした観点からみると、樋口陽一は<いったい何を寝ぼけたことをいっているのか>、というのが端的な感想になる。
 「東欧の大変動」から得るべき教訓は、上のようなことではなく社会主義(・共産主義)の失敗であり、たんなる「権力の腐敗」や「ノメンクラトゥーラ」による支配崩壊ではなく、共産党一党独裁権力の腐敗と崩壊だろう。
 樋口陽一は何と、「社会主義」(共産主義)・「共産党」という言葉を一度も使っていない。これらの語を使わずして「東欧の大変動」から教訓を引き出しているつもりなのだから、何とも能天気だ。ひょっとして、ソ連という社会主義(・共産主義)・共産党の「総本山」までが崩壊・解体するとは予想していなかったのかもしれない。だとするとやはり<甘い>のではないか。
 それに、「体制選択」という言葉を使いながら、、「社会主義」(共産主義)・「自由主義」(資本主義)という骨格的概念を使うことなく、日本は本当に「自由社会」なのか、日の丸・君が代の掲揚・斉唱の学校行事での強制化は「自由社会」にふさわしいのか(p.7)、というレベルでの議論をしているのだから、まさしく<寝ぼけている>としか言い様がない、と思われる。
 3 「八月一五日」の昭和天皇の「御聖断」に言及しつつ、「八月五日」だったなら…、と書いている(p.12)。他の言葉も併せて読んでも、明言はないが、「八月五日」に「御聖断」があれば広島・長崎への原爆投下はなかった、もっと多くの人が助かっていた、という趣旨であることは間違いない。そのような条件関係(因果関係)にあるかもしれないが、かかる議論は原爆投下を行いたかったアメリカをほとんど免責してしまうものだ。非戦闘住民の大量殺戮というアメリカの罪を覆い隠してしまう議論だ。吉永小百合さまも同旨のことを言っていたが、樋口陽一もそういう発言者であることを忘れないでおきたい。
 4 樋口陽一によると、1989年7/23の参議院選挙は高く評価されるものらしい。この「消費税」が争点となった選挙で日本社会党は前回当選(非改選)22→52と躍進し、自民党は前回当選(非改選)73→38と「敗北」した(ちなみに日本共産党は9→5)。
 樋口は、どの党・候補者が勝った負けたというよりも「自分の考えで投票所へ行って、自分の考えで投票してくるという本来あたりまえのことを、…少なからざる人が経験した」のではないか、「これはたいへんなことだと思います」、と<感動したかの気分で、喜ばしげに>書いている。
 だが、奇妙に思わざるをえないのは、この人は、日本社会党が躍進した場合にのみ国民が「自分の考え」で投票所へ行き投票した、と理解しているのではないか、ということだ。翌年(1990年)2月には(樋口が期待した?)与野党逆転は起こらなかったのだが、この衆議院選挙については「少なからざる人」が「自分の考え」で投票所へ行き投票した、とは樋口は書いていない。
 樋口の論評というのは、この辺りになると憲法学者とか憲法「理論」とかとは無関係の、単純な日本社会党支持者のそれに<落ちてしまっている>。佐高信や辻元清美と同じレベルだ。そして「自分の考え」で投票…というのが樋口のいう正しい「個人主義」の現れの一つだとするならば、樋口のいう「個人主義」とはいいかげんなものだ、とも思う。単純に言って、樋口においては、日本社会党投票者=自立的・自律的「個人」、自民党投票者=「空前の企業選挙」に影響を受けた自立的・自律的ではない「個人」ではないのか。樋口の語る「個人」(主義)というのは、随分と底の浅いもののような気がする。
 なお89年参院選挙で土井たかこ・社会党が<躍進>したのは、<(消費税)増税はイヤだ>との国民大衆の直感的・卑近な皮膚感覚によるところが大きく、まさしく<大衆民主主義>の結果なのであり、樋口が言うほどに「自分の考えで」投票した人々が増えたからだ、とはとても思えない。
 5 樋口は、日本は本当の「自由社会」ではないと縷々述べたあと、日本は「西側の一員」、「軍事費の増強」と「アメリカとの軍事同盟」の強化、を強調する人々は「西側諸国の基本的な価値観、個人の良心の自由、信教の自由、思想表現の自由にたいしてまったく関心がなければいいほうであって、それらに対して系統的に敵意をもっている人びとだ」というパラドックスがあると指摘している(p.36)。全く同旨の文章が、樋口・自由と国家(岩波新書、1989)p.212にもある。
 上で樋口は日本国憲法に規範化されている西欧近代的「価値観」を正しく理解し継承しているのは自分たち(=「左翼」)であり、日本は「西側の一員」と強調したり日米安保を支持・強化している人びとではない、後者の人びとはむしろ諸自由に<敵対している>と言いたいのだろう。
 この点は、西欧近代又は「西側」(とくにアメリカ)の思想・理念は<左翼>だとする佐伯啓思の指摘もあって興味深い論点を含んではいる。
 だが第一に、自分たちこそ<自由と民主主義>の真の担い手であり、自民党・「反動」勢力はつねに<自由と民主主義>を形骸化しようとしている、という<戦後左翼>の教条的な言い分と全く同じことを大?憲法学者・樋口陽一が言っていることを、確認しておく必要があろう。
 第二に<日本は「西側の一員」と強調したり日米安保を支持・強化している人びと>は「西側諸国の基本的な価値観」・諸「自由」に無関心か<系統的な敵意>をもつ、という非難は誤っているか、行き過ぎだろう。具体的な問題に即して議論するしかないのかもしれないが、上のような言い方はあまりに一般化されすぎており、「西側」陣営の一員であることを強調し日米安保条約を支持している者に対する、いわれなき侮辱だ、と感じられる。
 第三に、では西欧的「価値」と「自由」を尊重するらしい樋口は、本当に「自由主義」者なのか(あるいは「人権」尊重主義者、「民主主義」者なのか)、と反問することが可能だ。
 1990年頃にはすでに、北朝鮮による日本人の拉致は明らかになりつつあった((1977.11横田めぐみ拉致、)1980年-産経新聞が記事化、1985年-辛光洙逮捕、1988年1月-金賢姫記者会見、同年3月-国家公安委員長梶山静六は某氏失踪につき「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と国会で答弁)。
 樋口陽一は北朝鮮という国家の日本人に対する<仕打ち>についてこの頃、および金正日が拉致を認めた2002年9月以降、どのような批判的発言を北朝鮮に対して向けて行ったのか? また、中国共産党が支配する中国は国民の「自由」を尊重しているのか。この当時において、樋口は、中国の「人権」状況に関してどのような批判的認識を有していたのだろうか。そして今日、チベット(人)への侵略と弾圧について、樋口はいかなる発言・行動を実際にしているのか
 一般に社会主義(・共産主義)者が<自由・民主主義>を主張し擁護するとき、それは往々にして社会主義(・共産主義)を守るため、少なくともそれに矛盾しない場合になされることが多い
 樋口陽一は真に「西側諸国の基本的な価値観、個人の良心の自由、信教の自由、思想表現の自由」を守り、実現しようとしているのだろうか。「ほんとうの自由社会とは」などと語る資格があるのだろうか。北朝鮮や中国に対する批判的言葉・発言の一つもないとすれば(なお読んで確認したいが)、その「自由」主義・「人権」論は歪んでおり、二重基準(ご都合主義)の「自由」主義・「人権」論なのではなかうか。
 この樋口陽一の冊子の検討(読書メモ)もここでいったん区切る。回をあらためて、もう一度くらい続けよう。

0528/樋口陽一の「西洋近代立憲主義」理解は適切か。<ルソー=ジャコバン型>はその典型か。

 一 樋口陽一は、<ルソー=ジャコバン型個人主義>を<西欧近代に普遍的な>個人主義と同一視はしていない筈だ。樋口・自由と国家(岩波新書、1989)で、<ルソー=ジャコバン型個人主義>には「イギリスの思想」が先行していたとして、ホッブズやロック等に言及しているし(p.125)、別に「トクヴィル=アメリカ型国家像」に親和的な民主主義や個人主義観にも触れている(p.149~)。もっとも、「ホッブズ→ロック→議会主権」という系列のイギリス(思想)は「フランス」(「一般にヨーロッパ」)の方に含められて然るべきとして一括されており(p.153)、<ルソー=ジャコバン型>と<トクヴィル=アメリカ型>は「『個人主義』への態度決定」には違いはなく、「反・結社的個人主義」と「親・結社的個人主義」という(身分制アンシャン・レジームのあった旧大陸とそうではない新大陸の)「対比」なのだという(p.164)。
 樋口は上に触れたよりも多数の<個人主義>に言及しつつ、大掴みには上のように総括している、と理解できる。だとすると、<ルソー=ジャコバン型>個人主義は、<西欧に>、又は基本的にはそれを継承した?アメリカを含む<欧米に普遍的な>個人主義だと理解することはできないはずだ。
 だが、そういう観点からすると、樋口陽一は奇妙な叙述をしている。
 ①<ルソー=ジャコバン型>個人主義の諸問題への言及は重要だが、しかし、「身分制的社会編成の網の目をうちやぶって個人=人一般というものを見つけ出すためには、個人対国家という二極構造を徹底させることは、どうしてもいったん通りぬけなければならない歴史の経過点だったはず」だ(p.163)。
 このあとで1789年フランス人権宣言には「結社の自由」がないことへの言及が再び(?)あるが、個人対国家という二極構造の「徹底」が普遍的な?「歴史の経過点」(<歴史の発展法則>?)というこのような指摘は、少なくとも潜在的には<ルソー=ジャコバン型>こそを(とりあえずアメリカを除いてよいが)<西欧近代の典型・かつ普遍的なもの>と見なしているのではないか。
 次の②はすでに紹介したことがある。
 ②「西洋近代立憲主義社会の基本的な約束ごと(ホッブズからロックを経てルソーまで)」を見事に否定する人々が日本にいるようなら、「一1989年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」(p.170)。
 ここでは「西洋近代立憲主義社会の基本的な約束ごと(ホッブズからロックを経てルソーまで)」の話が、いつのまにか?、「ルソー=ジャコバン型個人主義」に変わっている。「西洋近代立憲主義社会の基本的な約束ごと」=「ルソー=ジャコバン型個人主義」というふうに巧妙に?切り替えているのではないか?
 以上は要するに、<西欧近代>あるいは「西洋近代立憲主義」等々と言いつつ、樋口はその典型・模範としてフランスのそれ、とくに「ルソー=ジャコバン型」を頭に置いているのではないか。そしてそれは論理的にも実際にも正しくはないのではないか、という疑問だ。
 二 また、そもそも樋口陽一の<西欧近代>あるいは「西洋近代立憲主義」の理解は正しい又は適切なものなのだろうか。決してそうではなく、あくまで、<樋口陽一が理解した>それらにすぎないのではないか。
 例えば、樋口はイギリス思想にも言及しているが、いわゆる<スコットランド啓蒙派>への言及はなく、せいぜいエドマンド・バークが3行ほど触れられているにすぎない(p.130)。樋口にとって、「イギリス」とは基本的に「ホッブズ→ロック」にとどまるのだ。
 そのような理解は、典型的には、樋口が上の如く「西洋近代立憲主義の基本的な約束事」を「(ホッブズからロックを経てルソーまで)」と等置していることに示されている、と思われる。
 樋口陽一のごとく<西欧近代>を単純化できないことを、たぶん主としては佐伯啓思のいくつかの本を参照して、じつはこれまでもこの欄で再三紹介してきたように思う。樋口が理解しているのは、端的に言ってマルクス主義の立場から観て優れた<西欧「近代」思想>と評価されたもの、そこまでは言わなくとも、せいぜいのところ雑多な<西欧近代>諸思想潮流の中で<主流的なもの>にすぎない、のではないか。
 ここでは坂本多加雄・市場・道徳・秩序(ちくま学芸文庫、2007)の「序」に興味深い叙述があるので、紹介してみよう。なお、日本「近代」の四人の「思想」を扱ったこの本は1991年の創文社刊のものを文庫化したものだ(「序」も1991年執筆と思われる)。故坂本多加雄(1950~2002)は、次のようなことを書いていた。
 ①<従来は多くは何らかの完全な意味での「近代」性を措定して、思想(史)の整理・分析がなされてきた。「近代」性の限界を発見して完全な「近代」性探求が試みられたり、「マルクス主義的な段階論」に依って「ブルジョア民主主義思想から社会主義思想への発展過程」の検出がなされたりした。しかし必要なのは「あるひとつの基準」で「近代」性の程度・段階を検証することではない。「過去」を「現在」に至る「直線的な評価のスケール」の上に並べての研究は、「現在」のわれわれ自身の思想・言語状況に関する「真剣な反省の意識をかえって曇らせる」(p.13-14)。
 ②いくつかの留保が必要だし、再検討の余地もあるが、ハイエクは、「近代の社会思想」は、第一に、「モンテスキュー、ヒューム、〔アダム・〕スミス、そして一九世紀のイギリスの自由主義、トクヴィル、ギゾー等に受け継がれていく」「スコットランド啓蒙派」に代表される立場と、「ホッブズや、フランスの啓蒙主義、ルソー、またサン・シモン主義、そして、マルクスのなかにその担い手を見出していく」「デカルト的」な「構成的合理主義」、という「二つの系譜を異にするもの」が存在する、と述べた(p.18)。
 上の二点について、とくにコメントを付さない。いずれも<西欧近代>・「西洋近代立憲主義」の理解の単純さについて、および普遍的「近代」を措定しようとすること自体について、樋口陽一に対する批判にもなっている文章だと感じながら、私は読んだ。

0525/フュレ・フランス革命を考える(岩波、1989)を少し読む-主流派はマルクス主義。

 外国人の本は、翻訳という作業を媒介とするために、読みにくい、理解し難いところがあるものだ。という思いをあらためてもちつつ、フランス革命<解釈>に関する、フランスの「修正主義」派の代表者の一人の本、フランソワ・フュレ(大津真作訳)・フランス革命を考える(岩波、1989)を少しだけ読んでみた。
 日本に比べて、フランスでは自国の歴史(の見方)についての対立は少ないのだろうという何となくの想定があったが、実際にはそうではなく、フランス革命の位置づけ・性格づけも含めてかなりの対立・議論があるようであることは興味深い。かかる一般的な感想を生じさせる部分は省略して、すでにいくつか、興味を惹く文章がある。以下の引用は、フュレの上記の本。
 ①「フランス革命の歴史家たち〔従来の主流派-秋月〕は、自分たちの一九一七年にたいする感情とか判断とかを過去にも投影し、第二の革命を予告し予示すると見なされるものを、第一の革命のなかで特権的な地位にまで高める方向に傾いた」(p.11)。
 面白い指摘だ。「一九一七年」とはロシア革命、第二の革命とは「社会主義」革命のこと。つまり、従来の主流派のフランス革命「解釈」は、フランス革命の過程の中で将来の「社会主義」革命を「予告し予示する」と見なしたものを重視した(「特権」化した)、という。そして、将来の「社会主義」革命を「予告し予示する」ものとは、まさに<ジャコバン独裁>期(ジャコバン主義が支配した「革命政府」期)に他ならない。
 「一九一七年」=ロシア革命に関する「感情とか判断」は、むろん肯定的評価を意味する。そして、そういう<感情・判断>からすると、ロシア革命のような「社会主義」革命を「予告し予示する」<ジャコバン独裁>期はとくに重視される、という意味になる。
 むろんこれは、フュレの従来の主流派に対する批判であり、皮肉だ。つぎの②も主流派的フランス革命「解釈」への批判・皮肉。
 ②「二つの革命にかんする歴史学の弁舌はおたがいにのりこみあい、汚染しあう。ボリシェヴィキはジャコバン派を先祖とし、ジャコバン派は共産主義の予想図をもった」(p.11-12)。
 フランス革命(ジャコバン派)とロシア革命(ボリシェヴィキ)の二つをこのように明確に関係づける、このようなフランス人の(邦訳された)文章を読むと、新鮮な感動すら生じる。まさに<フランス革命(ジャコバン派)がなければロシア革命(ボリシェヴィキ)もなかった>、と言えるのだ。
 ③私たち〔フュレとドゥニ・リシュ-秋月〕の本(1965-66)は「アルベール・ソブールとその門下が採用したマルクス主義的解釈のひとつに背いているとの疑いを受けている」。二人は「『ブルジョワ・イデオロギー』のために利敵行為を働いている、と非難されている」(以上、p.156)。
 つまり、従来の主流派とはフランスの<マルクス主義歴史学>(の一つ)だという旨が、これらによって明言されている。すでに、上の①や②からでも容易に明らかになることだが。
 ④従来の主流派の一人であるクロード・マゾリクは(フュレらが)「ジャコバン的拡張主義にたいして煮え切らない態度をとっている」と疑っているが、長い叙述のあげく、次のように述べて「彼の明敏さの秘密」を暴露した。「歴史家の方法は、レーニン主義的労働者党の方法と理論的には同一のものである」(p.156-7)。
 上の最後の「」はフュレではなく従来の主流派の一人(マゾリク)の文章の引用。
 このくらいにしておくが(なお、以上はすべて、1991年=ソ連解体前の文章)、以上で明らかなのは、フランス革命を典型的「ブルジョア革命」と捉え、かつ<ジャコバン独裁>期を不可欠のものとして重視する<従来の主流派>とは、<マルクス主義(歴史学)>者たちだ、ということだ。従って、単純に言って、<修正主義>派とは反・マルクス主義(=反・共産主義)者たちだ、ということになる。
 高橋幸八郎大塚久雄らが自らの立場をどのように<正直に>語っていたかは知らないが、日本の<主流派>的なフランス革命「解釈」もまた、マルクス主義又は少なくとも親マルクス主義のそれだ、と言ってよい。ということは、樋口陽一のフランス革命「解釈」もまた、それを当然に継承している、ということになる。前回又は前々回に触れたように「一九一七年」=ロシア革命に対する批判的意識・感覚が樋口陽一には欠落しているようであることも、このことを証明又は示唆しているだろう。
 今後もこのフランス革命・<ジャコバン独裁>問題に言及するが、樋口陽一一人にかかわりたいためでは勿論ない。樋口陽一のような人々、樋口陽一(のような人々)の「教育」を受けた人々、樋口陽一(のような人々)の「指導」を受けた現在の大学教授たち(例えば、直接の指導教授は樋口陽一ではなくすでに「マルクス主義」憲法学者としてこの欄で論及した杉原泰雄ではないかと思われるが、現在は東北大学教授の辻村みよ子)が多数おり、「マルクス主義」的なフランス革命「観」を日本人に撒き散らしている、と思われるからだ。

0524/樋口陽一は<ジャコバン独裁>の意義を「痛みとともに追体験」せよ、と主張した。

 一 樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)は、「ジャコバン主義」には次の二つの異なる含意がある、とする。①「一七九三年」を「一七八九年を否定する」、「『市民=ブルジョア革命』からの逸脱」と捉える、②「一七八九年を完成させた一七九三年」と捉える。そして、樋口は後者②の意味で「ルソー=ジャコバン主義」を理解する旨を明記している(p.122)。これは、前回言及したフランスの一七八九年と一七九三年の関係の「理解」に関する第二の説に他ならない。そして、「ルソー=ジャコバン主義」とは彼において、「フランスの近代国家のあり方の象徴」たる表現なのだ(p.122)。
 ところで、樋口は上の二つの含意に触れる直前に、「『ギロチンと恐怖政治』というひとつのステロタイプ化された『ジャコバン主義』像はここで問題にしなくてよい」と書いている(p.122)。本当に「問題にしなくてよい」のだろうか。そして「問題にしなくてよい」のはいったい何故なのだろうか。「ステロタイプ化され」ているか否かが争点ではないだろう。だとすると、おそらく樋口は、「ギロチンと恐怖政治」は革命過程のやむを得ない必要な一環だったと理解しているか、「ギロチンと恐怖政治」の実態を知らない(又は知ろうとしていない)かのいずれかなのだろう。そのどちらにせよ、それでよいのか?
 二 前回に紹介してもよかったことだが、柴田三千雄・フランス史10講(岩波新書、2006)は、フランス革命は「ブルジョワ革命の典型」だったとする従来一般的だったかに見える理解は「今日」では「成り立ちにくい」と明言する。その理由として挙げられているのは、①封建制→資本主義→社会主義という「発展段階理論」自体がソ連の解体によって崩壊した、②「一九六〇年代から、貴族とブルジョアジーは必然的に対立するものではなく、またフランス革命はブルジョアジーが資本主義の支配を目的にしたものではない、とする『修正主義』が有力となった」、ということ。
 さて、この柴田の本は、学問分野や関心の違いからして当然かもしれないが、「ジャコバン主義」を、又はそれにかかわる歴史的経緯を、樋口陽一とは異なってつぎのように説明している(理解しやすい、定義的な文章はない)。
 1792年9月発足の国民公会で「ジャコバン派(=山岳(モンテーニュ)派)」に同調する議員が増え、1793年6月に対立する「ジロンド派首脳」を国民公会から「排除」した。その後同公会は1793年憲法を採択したが、10月に「憲法の施行を停止して公会に全権力を集中する『革命政府』体制をとることを宣言」し、とくに「公会内の公安委員会の権限」を大きくした。これが「恐怖政治」(テルール)体制と呼ばれるもので、その理念は「ジャコバン主義」とも言われた。代表するのはロベスピエール。
 ロベスピエールにおいて、民衆への所有権の配分と「習俗の全面的刷新」による(民衆たちの?)「新しい人間」創出が重要だった。「テルール」とは「『徳と恐怖』を原理にもつ戦時非常体制」のことで、「徳」=「公共の善への献身」、「恐怖」=「それに反する者への懲罰」だ。
 「革命政府」は「反革命勢力にたいする仮借のない戦い」とともに「独走する民衆運動のコントロール」も重視した。「ジャコバン派(=山岳派)」は鉄の団結をもつ派ではなく、1794年春にロベスピエールは、ジャコバン派内の右派「ダントン派首脳」と民衆運動へり影響力をもつ左派「エベール派」を「粛清」した(以上、p.127-9)。
 その後ロベスピエールは「独善的な精神主義」に傾斜していくとされる(p.129。元来からそうだったのだろう)。以上に簡単に触れられているロベスピエールの思想又は「理念」は、なるほど、この欄でも何度か言及した(「狂人」とすら呼ぶ人すらいる)ルソーのそれと同じか、近い。
 三 柴田三千雄・フランス革命(岩波現代文庫、2007。初出1989、2004)は、「ジャコバン主義」につき、ジロンド派の殆どを排除した議会(国民公会)の「革命路線」は、「九三年から九四年にかけてのジャコバン・クラブが、この路線をとる革命家たちの中核的機関だった」ために、一般に「ジャコバン主義」と言われる、と説明している(p.169)。そして、「もっとも指導的な立場」にあったのはロベスピエールだったとしつつ、上の岩波新書よりも、歴史的・時間的経緯等を詳細に叙述している。
 反復と詳細な紹介を避けて、三点だけメモしておく。
 ①1792年に「九月の虐殺事件」が起きた。パリの牢獄内で反革命陰謀ありとの噂が立ち、「群衆」が複数の牢獄に侵入して「即決裁判」にかけ、2800人の囚人のうち1100~1400人が「殺され」た。囚人のうち政治(思想)犯だった者は約1/4(以上、p.157-8)。これは「革命政府」成立前のことだが、柴田によると「のちのジャコバン独裁は、この九月の虐殺の経験と関連がある」。すなわち、「反革命に対する民衆の危惧を盲目的に暴発させてはならず、…コントロールする必要がある」ために、「内部に妥協分子を含む二重権力ではなく、民衆の正当な要求を先取りしてゆく強力な革命的集中権力の樹立が前提条件になる」、これが「のちの恐怖政治の論理」だ(p.159)。
 ②「恐怖政治」(テルール)には「反革命の容疑者を捕えてどんどんギロチンにかける」という狭義の「司法的」一面の他に、「自由経済に対する統制」という「経済統制の面」もある(前者の「一面」を否定していないことが、確認的にではあれ関心を惹いた)。
 ③「革命政府」とは当時使われた言葉で、「憲法に基づかない」政府という意味だ。1993年憲法は国民公会の10月10日の宣言により施行が停止され、12月4日の法令により「全権力」が国民公会に集中された。とくに国民公会内の公安委員会と治安委員会に権力が集中し、行政府(大臣等)は「公安委員会に従属」した(p.176-7)。
 四 <ジャコバン独裁>期の殺戮等の実態については、さらに関係文献を渉猟し参照して紹介する。また、フランス的又はルソー=ジャコバン的<個人>観についても触れたいことはある。
 上の二テーマについては、ある程度の用意はある。だが、後回しにして、今回は、最後に、樋口陽一・自由と国家(1989)の中の次の文章を紹介しておきたい。
 日本(の一部)では「西洋近代立憲主義社会の基本的な約束ごと(ホッブズからロックを経てルソーまで)」が見事に否定されている。「そうだとしたら、一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」(p.170)。
 これは、樋口陽一のきわめて<歴史的>な発言で、<歴史>に永く記憶されるべきだ、と考える。
 「中間団体」の問題には立ち入らない(まだ言及していないから)。また、「西洋近代立憲主義社会の基本的な約束ごと(ホッブズからロックを経てルソーまで)」を日本と日本人が何故守り、実現しなければならないのか?という基本的に重要な論点・問題もある。  だが、それよりも重要なのは、樋口が、日本人に対して、「ルソー=ジャコバン型個人主義の意義」を「追体験」せよ、と主張していること、しかも、「そのもたらす痛みとともに」追体験せよ、と主張していることだ。
 端的にいえば、これは、<ジャコバン独裁>期の(思想の違いを理由とする)<殺戮・虐殺>を伴うような<革命>を経験せよ、<殺戮・虐殺>も「追体験」して、(それに耐えられるような?)「中間団体」に守られない<強い>「個人」になれ、という主張だ、と考えられる。少なくとも、かかる解釈を許すことを否定できないものだ。この人は、1989年に、何と怖ろしい主張をしていたものだ。こういう主張・考え方は<左翼・全体主義>と形容することもできる。<共産主義>の萌芽をそのまま承認している、と言ってもよい。
 大雑把に書くが、国家の「一般意思」に全面的に服従する(献身する=犠牲になる)ことによって人民は「自由」になる、というルソー的考え方、個人(人民)の「自由」意思=人民の(直接民主主義的)代理人(の集合体たる議会)の意思=「一般意思」というルソー的観念結合は、実際には容易に一部の者の「独裁」、あるいは「全体主義」を導くものであり、上に引用にしたロベスピエールの考え方の一端にも垣間見えるように、思想の違いを理由とする(「一般意思」に違反するとの合理化による)<粛清>を正当化するものだ。
 樋口陽一は、この著名らしい元東京大学の憲法学者は、まさに上のような考え方を持っていたのだ、と判断できる。そういう人が(むろん「左翼」で「親マルクス主義」者で、そして憲法九条護持論者だが)多数の本を出しており、社会的影響力もおそらく持っている。日本は怖ろしい社会になってしまった、と思わざるをえない。まだ、紙の上、言葉だけにとどまっているのが幸いではあるが、むろん人々の種々の政治行動(投票活動等)に影響を与え、現実化していく可能性はある(すでにある程度は現実化している?)。
 あらためていう。樋口陽一の上の文章は<怖ろしい>内容をもつ。
 付記-大原康男・天皇-その論の変遷と皇室制度(展転社、1988)は、数日前に全読了した。

0523/樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)とフランス革命・ロシア革命。

 一 樋口陽一の<ルソー=ジャコバン型国家>なる表現及びその肯定的評価に関するコメントは終えたわけではない。そして、今回でも終わらないだろう。
 フランス革命については、少なくともその一過程に見られる<狂熱的残虐さ>やロシア革命を導いたものとの性格づけ(フランス革命なくしてロシア革命(社会主義・共産主義へ)はない)について、いろいろな人の著書等に触れながら、たびたびこの欄でも論及してきた。  すでに紹介した可能性はあるが(有無を確認するには時間を要しすぎる)、中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)は、その「はじめに」で次の旨を述べていたことを、むろん、一人の研究者の発言としてでよいのだが、確認しておきたい。
 
<1991年以降も、マルクス主義・共産主義・全体主義という「悪の思想ウィルス」は、スタイルを変えてでも、除毒されず、伝染力を温存したままだ。「スタイルの変更」の「代表的なもので、また最も効果的」なものは、「ルソーヘーゲルの温存ならびにフランス革命の賛美をすること」だ。そして「現実にそのとおりのことが集中的になされている」>(p.3)。
 次の中川の文もそのまま引用しておきたい。
 「ルソーとヘーゲルとフランス革命を次世代の青年に教育すれば、もしくはこれに対する親近感を頭に染みこませれば、それだけで全体主義のドグマは充分に生き残ることができる。『マルクス』は何度でも蘇生する」(p.3)。
 また、フランス革命の解釈・理解については<旧い封建制又は絶対王政をブルジョアジーが実力をもって打倒して支配階級にとって代わり、資本主義を準備した「市民(ブルジョア)革命」だ>といった旧来の又は伝統的な主流派解釈に対して、「修正主義」という新しい解釈・理解も有力になっていることも記したことがあるかもしれない。
 「修正主義」解釈の中身にさしあたりここでは立ち入らないが、その内容を紹介しつつ、柴田三千雄・フランス革命(岩波現代文庫、2007.12)は次のようにすら語っている。
 <「修正主義」はフランスでも別途出てきたが、その「潮流はまずイギリスからおこってアメリカにゆき、アングロ=サクソン系の歴史家の間ではこれが主流にさえなっている」(p.41)。
 二 日本で<従来の主流派的解釈>を明瞭にそのまま採用していたのが、桑原武夫や、樋口陽一が「あえて何度でもしつこくたちもどる必要がある」としていた三人の学者のうち、西洋史学者の大塚久雄高橋幸八郎だった(あとの一人は丸山真男樋口陽一・比較の中の日本国憲法(岩波新書、1979)p.9参照)。
 ちなみにやや先走っていえば、上記の柴田三千雄・岩波現代文庫は、高橋幸八郎の「理論」を1頁ほどかけて紹介したあと、「この考え方には無理があると思われます」とこの文自体は素っ気なく述べ、そのあとで理由をかなり詳しく書いている(p.34~p.39)。
 さて、樋口陽一は長谷川正安=渡辺洋三=藤田勇編・講座・革命と法第一巻の「フランス革命と近代憲法」の中で、「修正主義派」の存在に言及しつつ、「そこで提起されている諸論点の意義、などについて、ここではコメントをくわえる紙幅も能力もない」と述べている(p.124)。そして、「右のような論争的争点に直接に立ち入ることなしに」、フランス革命は「『ジャコバン的理想』=一九九三年の段階」を不可欠とする高橋幸八郎「史学」と基本的には全く同様に、「フランスの法・権力構造の基本は、一七八九年が一七九三年によってフォローされたことによって決定づけられた」という前提で、「以下の叙述をすすめる」と書いている。
 この論旨の運びはいささか、いや多分に奇妙だ。  第一に、「高橋史学」等による<従来の主流派的解釈>にそのまま従っている、と見てよいにもかかわらず、その根拠・理由は述べていない。  第二に、論争について「コメントをくわえる紙幅も能力もない」と釈明しながら、「右のような論争的争点に直接に立ち入ることなしに」、上のように<従来の主流派的解釈>に従って叙述をすすめることが「許されると考える」、と書いているが、本当に「許される」のか。まさしく「論争的争点に…立ち入」っていることになるのではないか。そして、基本的には<従来の主流派的解釈>に従うことを選択しているにもかかわらず、その理由は一切述べておらず、<逃げて>いるのだ。  ここには、かつて高橋幸八郎(や大塚久雄ら)を読んで身につけたフランス革命のイメージを壊されたくない、という<情念>の方が優っているのではあるまいか。
 三 先日この問題に言及したときには手元になかった、樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)を入手した。その「あとがき」によると、この新書の一部(第三章)は上で言及した講座・革命と法第一巻の中の論文での「記述を骨組みとして」いるらしい。
 そして、若干部分の比較的読み方をしてみると、①冒頭での「修正(主義・論)」の存在への言及や「コメントをくわえる紙幅も能力もない」という釈明は、表現を変えて別の箇所に移されている(p.113-「歴史家ならぬ私の役まわりではない」等)。
 ②その代わりに、フランス革命「理解」、とくに1789年と1793年の関係について三説があるとし(そのまま正確に引用したいが省略)、高橋幸八郎の、フランス革命は「『ジャコバン的理想』=一九九三年の段階」を不可欠とする(正確には、つづけて、「…段階を経過することによってこそ、『新たな資本制生産の自由な展開を孕む母胎が形成された』」との文章を引用しつつ、「八九年が九三年によってのりこえられることで革命が完成したと見る―さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」第二の説に立って(と解釈できる)、講座・革命と法の中の論文と同様又は類似のことを書いている。
 要するに、特段の詳細な理由づけをすることなく、当時すでに現れて有力にもなっていた「修正主義」をきちんと検討することもなく、やはり<従来の主流派的解釈>に従っている、と見られる。「かつて高橋幸八郎(や大塚久雄ら)を読んで身につけたフランス革命のイメージを壊されたくない、という<情念>の方が優っているのではあるまいか」との疑念は消えない。
 しかも驚くべきことなのは、上の第二の説というのは、革命は「さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」という考え方を含んでいるらしい、ということだ。「一九一七年」とは言うまでもなく、「ロシア革命」のこと。この点は、講座・革命と法第一巻の中では明記されていなかっていなかった、と思われる。また樋口は、高橋幸八郎の発したメッセージは「こだわるに値するはず」だとして、高橋の1950年の「われわれ」〔日本人?〕は西欧では100年前に提起・解決された問題を「世界史の法則として直接確認しようとしている」という文章を肯定的に引用している。樋口もまた、「世界史の法則」なるものの存在を信じて(信仰して?)いたのだろう。
 出典は省略するが(確認していると時間がかかる)、大塚久雄は、「近代化」とは「社会主義化」を含むものだ旨を晩年の方の本の中で明記したらしい。上で触れたように、樋口陽一もまた、フランス革命によって残された部分を「社会主義革命」が補充して完成させる(又はロシア革命によって実際に完成された)という理解・考え方に立っていたことを充分に示唆することを、述べていたことになる。いわば、有名な<発展段階>史観でもある。
 しかして、上の岩波新書が刊行されたのは1989年年11月で、講座・革命と法第一巻と殆ど同じ頃。原稿執筆中はベルリンの壁は崩壊しておらず、東ドイツもソ連もまだ表向きは健在だっただろう。しかし、1991年以降になってみれば、「本当に完成した」筈の「革命」は瓦解してしまったのではないか
 そして感じるのだが、ソ連・東欧諸国等の「社会主義」諸国の存在(それも可能ならば健康的な存在)があって初めて成り立つような議論・論旨部分を一部にせよ含む本を、樋口陽一がその後も刊行させ続けていることに驚かざるをえない。私が入手したのは、1996年2月の第14刷の本。
 ソ連解体後も、とっくに破綻が明らかになっていた<朝鮮戦争=韓国軍の北侵による開始>説を述べている井上清・新書日本史8講談社現代新書、1976。1992第9刷)等が発売されていたことにこの欄で批判的に触れたことがある。樋口陽一はソ連解体前のこの岩波新書・自由と国家を一部なりとも訂正・修正することなく発売し続けているようだ。
 樋口は「八九年が九三年によってのりこえられることで革命が完成したと見る―さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」説は自説だと明記してはいないとでも釈明又は反論するだろうか。だが、あとの二つの説は「九三年=恐怖政治=闇」とする説と「九三年=一九一七年=スターリニズム説」なので、樋口がこれらに依拠していないことは、「ルソー=ジャコバン型国家像」や「ルソー=ジャコバン主義」という語をフランス革命やフランスの「近代」的国家像を表現するために用いていることでも明らかなのだ。また、歴史学上の「修正派」とは反対に「『九三年』がかならずしも『ブルジョア革命』の軌道から外れてしまったものとはいえない」との見地を「憲法学のほう」から提供できる、とも書いているのだ(p.120-1)。
 一度岩波新書で書いたものを一部でも訂正すると、自説を変えるようで恥ずかしいのだろうか。一部訂正では済まないので(恥ずかしげもなく)発売し続けているのだろうか。有名な憲法学者らしいが(何といっても元東京大学教授)、本当に<学問的>・<良心的>だろうか。<情念>あるいは<信仰>がつきまとってはいないだろうか。
 四 まだ、このフランス革命又は「ジャコバン独裁」に関係する<つぶやき>は続ける。

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