日本47都道府県すべてに宿泊したことがある。10年ほど前は、列車・電車で通過したことすらない県が三つあった。
 但し、県庁所在都市には宿泊したことがない県が、今のところ三つある。
 山口(山口県)、徳島(徳島県)、青森(青森県)の各市だ。30歳のとき以降を旅行に関する記録のすべての基準にしているので、乳幼児時代や学生時代に宿泊したことがあるようであっても、記憶が不鮮明であることもあり除外する。
 山口県には防府市・下関市、徳島県では鳴門市、青森県では弘前市に泊まったことがある。
 全都道府県をこのようなかたちでも「知って」いる日本人は、それほど多くはないのではないだろうか。四分の三以上は、まったく<私的に>訪問している。つまり(私的)旅行中に、ということだ。
 小中学生時代に日本地図・各県地図を見たりして(また旧国鉄全国時刻表を眺めたりして)空想・想像していた都市を実際に訪れる、中心駅に降り立つ、というのは、じつにワクワクする、かつ感慨深い体験だ。
 一部地域は「知っている」とは言えないが、日本は美しい国だ、と思う。
 海、海岸、丘陵、山岳、湖、渓谷、河川、島々。なんと変化に充ちた、多様な自然環境をもつ国だろう、と思う。初めての地方の車窓の風景は、少年のときに珍しく鉄道に乗ったときと同じように、飽きさせない。
 上に、海、海岸、丘陵、山岳、湖、渓谷、河川、島々と並べて書いたが、一つの鉄道路線ですべてを眺め入ることができる地域も、日本にはある。フランスやドイツでは、信じられないことではないかと思われる。<今は山中(やまなか)、今は浜>、というのは、フランスやドイツでは(海がない国ではもちろん)生まれない唱歌だろう。
 北海道・根室市の中心部から納沙布岬を往復したとき、途中でバス道路の北方に鳥居を二、三見つけた。神社がある、ということだ(寺院の所在は必ずしもよく分からない)。
 きっと明治初期以降なのだろう、こんな東北端地域にもけっこうな密度で神社が建立されている、ということに、何やら感じ入った。
 追想を逆の南の方に持っていけば、鹿児島市の南洲神社というのも印象に残る。正確には、その神社に接した、西郷隆盛らの西南戦争「薩摩軍」兵士の墓地(南洲墓地)だ。
 西郷の最も大きい墓石柱の左右に桐野利秋(中村半次郎)と篠原国幹のほぼ同じ大きさの墓石柱があり、それらの左右と後方に、100ほどの墓石がすべて、同じく海(・桜島)に向かって立っている。それらの大きな石は磨かれず粗々しいままで、西南戦争後ほどなくして墓碑用に使われたかのように見える。
 これらの下に、それぞれの遺骨が本当に納められているのかどうかは知らない。
 しかし、じっとたたずむことができず、逃げるように立ち去りたくなる「霊的な」雰囲気が漂っている。(日本最後の)内戦・闘いに敗れた者たちの「無念さ」を感じてしまうのかどうか。
 振り返れば見える海峡のような海(錦江湾)は美しい。噴火さえしていなければ、穏やかな白い煙とともにある桜島の特徴ある姿も。
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 読書メモ-7/02-03で、福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2006)を全て読了。感想は、疑問(といってもほとんどは文献上の根拠)も部分的に含めて多いので、しばらくスルーする。