西修編(横手逸男・松浦一夫・山中倫太郎・大越康夫・浜谷英博共著)・エレメンタリ憲法〔新訂版〕(成文堂、1998)における、憲法九条解釈の叙述を簡単に見てみよう。九条関係の「第4章・戦争の放棄」の執筆者は松浦一夫・防衛大学校教授。
 九条第一項で否認(禁止・放棄)される対象につき、まず「侵略戦争限定放棄説(A説)」と「全戦争放棄説(B説)」とがあるとされる。どちらが通説又は多数説かの明確な叙述はないが、執筆者は「A説」のようにみえる(p.49-50)。少なくとも、まず最初に「侵略戦争限定放棄説(A説)」が取り上げられているように、「自衛」戦争を含む「全戦争」が九条第一項によって否認されているとほぼ一致して「解釈」されている、のではないことは、明らかだ。
 なお、前回に同じ意味で「A説」・「B説」という呼称を用いたが、前回執筆の際には上記の本は見ておらず、偶然の一致。
 ところで、上の本で松浦一夫は第三の説も説明しており、これを「戦争違憲・自衛行動合憲説(C説)」と称している。
 説明によると、この説は、九条第一項の「国際紛争を解決する手段としては」は「…戦争」にはかからず、「武力による威嚇又は武力行使」にのみかかると解する。従ってこの条項により「自衛」のための「戦争」は放棄されているが(違憲だが)、「自衛」のための<武力威嚇・行使>は許される(合憲だ)、との解釈がなされる。
 戦争と<武力威嚇・行使>を明確に区別することなく主として前者に焦点を当てて書いたため前回には十分に正確には言及していない。だが、この説は、松浦一夫による明示的な氏名・著書の掲記はないものの、明らかに、前回に触れた佐藤幸治(元京都大学教授)説だ。
 仔細に立ち入らないが、この説は当初のGHQ案や日本国憲法の英文テキストを論拠とする(上記の本・松浦p.50、佐藤幸治・憲法〔新版〕(青林書院、1990)p.567-7)。たしかに、英文テキストによると「国権の発動たる」は「戦争」のみを形容し、「国際紛争を解決する手段として」は「武力による威嚇又は武力の行使」(としての)にのみかかるようだ(佐藤幸治p.567)。佐藤によると、「総司令部案によれば、この点は一層明確」だ、という(同上)。
 だが、最終的な九条第一項は次のとおり。
 九条第一項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。
 佐藤幸治説=「戦争違憲・自衛行動合憲説(C説)」には、「自衛」目的の<武力威嚇・行使>を憲法上容認し正当化するという機能もあって、俄に無視することもできないだろう。だが、上の条文の文理からすると、常識的な日本語の文章の読み方として、「国際紛争を解決する手段としては」は、その対象として「武力による威嚇又は武力の行使」も含んでいると理解せざるをえないものと思われる。つまり、制定経緯やGHQの意向はどうであれ、C説は最終条文の文理からあまりに離れすぎている(=矛盾している)という大きな(致命的な?)難点があるように思われる。
 つぎに、西修編・上掲書(松浦)は、九条第二項の「前項の目的を達するため」(芦田修正)の解釈の違いにより、上でいう「侵略戦争限定放棄説(A説)」も次の二つに分かれる、と説明する。
 「不保持目的規定説(①説)」-前項の目的をその「精神」=「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と理解し、第一項は「自衛戦争」を否定しないとしつつ、<自衛・制裁>目的であっても「軍その他の戦力」は保持できない、と解釈する。「自衛」目的であれ「戦力」保持が禁止されるため、全ての「戦争」が結果的には遂行できなくなる。この説は前回主として言及した本にいう、b説=「遂行不能説」だ。
 「不保持目的限定説(②説)」-前項の目的を「侵略的な戦争・武力使用の禁止」と理解し、「自衛」戦争のための「戦力」保持は否認されていない(合憲だ)、と解釈する。これは前回に紹介したa説=「限定放棄」説だ。
 この後者の説に立つと、<自衛隊>は「陸海空軍その他の戦力」であっても、「自衛」目的の組織であれば、違憲ではないことになる。但し、日本政府はそのような説明をしてきていないので(「戦力」ではないとの説明をしているので)、政府はこの「限定放棄」説(上の本にいう②説)を採用していないことは明らかだ。
 再度書いておくが、ごく簡単に以上を紹介しても明かなように、「第二項は…第一項の規定をより確実なものにするための条項である」(坂元一哉)などと簡単・素朴には言えない。
 通説ないし多数説と見られる解釈によると、第一項では「自衛戦争」は否認されていないが、第二項によって全ての目的のための「戦力」保持(・「交戦権」)が否認されているがゆえにこそ、結果として自衛目的であれ「戦争」を遂行できない、ということになっているのだ。それだけ第二項のもつ意味は大きいものと理解されていることになる。
 そして、「侵略的な戦争・武力使用の禁止」こそが「前項の目的」だと解釈するのが最も自然だとすると、芦田修正(追加)文言は実質的には「無視」されていることになる。この「前項の目的を達するため」に関する「最も自然」な解釈を採ったからこそGHQは<文民条項>の追加を要求したのだったが、この点には今回は立ち入らない。
 「戦力」概念やそれの実際の自衛隊との関係等についての学説・政府解釈にも、別の機会に触れるかもしれない。