秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

松本清張

2038/江崎道朗2017年8月著の悲惨と無惨21。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)
 編集担当者はPHP研究所・川上達史。「助けて」いるのは、自分の<研究所>の一員らしい山内智恵子。
 聖徳太子関連は次回の22以降とする。
 江崎道朗は、日本の戦前史を扱う中で、北一輝に論及する。
 その場合に、参照・参考文献として少なくとも明示的に示しているのは、以下だけだ。
 渡辺京二・北一輝(朝日新聞社、1985 /ちくま学芸文庫、2007)。
 この渡辺京二はたぶん戦後に日本共産党に入党し、宮本・不破体制発足以前に離党してはいるようだ。戦前からイギリス共産党員だったCh. ヒルがハンガリー「動乱」の後で離党したのと同じ頃に。この、日本共産党員だった、ということはここでは問題にしないことにしよう。あるいは、全く問題がないのかもしれない。
 江崎はまた、明治の日本はエリートと庶民に二分されていた(これはある程度は、又はある意味では、明治以前も、戦後日本でも言えると思われるのだが)、と単純にかつ仰々しく述べる中でなぜかその論拠としている外国人の文献とその内容等についても、この渡辺京二のつぎの書物を重要なかつ唯一の参照・参考文献としている可能性が高い。
 渡辺京二・幻影の明治-名もなき人びとの肖像(平凡社、1998)。
 この点も、深くは立ち入らないことにしよう。
 参考・参照文献の使い方や処理の仕方の幼稚さ・単純さあるいは間違いはレーニン・コミンテルン等に関する叙述でしばしば見られたことで、日本に関する叙述でも、そのまま継承していることは確実だろう。そもそもは、参考にして「勉強」している文献がきわめて少ないというほぼ絶対的な欠点もあるのだが。
 可能なかぎり網羅的にとは決して思わずに、自分で適当にいくつか(または一つだけ)選択した、彼にとって<理解しやすい>文献にもとづいて(直接引用したり要約したりして)、最初から設定されている自分の<図式>に合わせてこれまた適当に散りばめていく、そして、複数の論点を扱うために対応する諸文献の間での矛盾・一貫性の欠如が生じても、何ら気にしない。または、気づかない。
 このような、大学生の一・二年生によく見られるような<レポート>であって、いくら書物の体裁をとっていても、いくら「活字」で埋まっていても、一定の簡単かつ幼稚な<図式>以外には、実質的な、この人自身の詳細な主張・見解の提示などはほとんどない、というのが、江崎道朗が執筆・刊行している書物だ。
 学界・アカデミズム内であれば、すぐに「アウト」だ。すぐさま排除され、もはや存在することができない。そもそもが、加わることができるレベルにない。しかし、なぜか、日本の出版産業界と月刊正論(産経)・文章情報産業界では、存在し、「生きて」いけるようだ。
 「オビ」に名を出して称賛した中西輝政にはすでに触れたが、好意的書評者となっていた「京都大学名誉教授」竹内洋のいいかげんさにも、別途触れる。
 さて、長々と書くのも勿体ない。
 江崎道朗は北一輝について、上の渡辺著のほかには、私でも所持するつぎの諸文献を、いっさい参照していないようであることを、まずは指摘しておく。北一輝に関係する「内容的」な問題には、別の回で触れる。
 ***
 G・M・ウィルソン/岡本幸治訳・北一輝と日本の近代(勁草書房、1971)。
 松本清張・北一輝論(講談社文庫、1979)。
 岡本幸治・北一輝-転換期の思想構造(ミネルヴァ書房、1996)。
 松本健一・北一輝論(講談社学術文庫、1996/原書、1972)。
 松本健一・評伝北一輝/Ⅰ~Ⅵ(中公文庫、2014/原書・岩波書店2004)。
 所持はしていないが、他にもあるだろう。
 松本清張のものを見ても迷路に入って混乱するばかりだが、岡本幸治著・本文計360頁を見ると、北一輝の思想と行動は、江崎道朗が渡辺京二の本に即して描くような単純なものではなかったことが、よく分かる。江崎道朗、<ああ恥ずかしい>。

0230/半藤一利とはいかなる人物なのか。

 半藤一利(1930-)という人を、私は信用していない。
 まず、正直、いや率直な人ではない、と思っている。というのは、半藤には清張さんと司馬さん(文春文庫、2005)という本があるが、松本清張の親社会主義・親日本共産党スタンスと司馬遼太郎の反社会主義感情との違いに全く又は明確には触れていないからだ。
 文藝春秋社の元編集者としての同社の営業政策への配慮は理解できるが、個人的に接し、多くの文章を読んでいれば、「戦後の偉大な国民的作家」二人の違いに気づかない筈がない、と思う。
 松本清張は途中から朝日の正社員(広告意匠担当)になり、弱者・下層又は庶民の視覚から高級官僚等の上層・強者・大組織・「権力」を陰に陽に批判するモチーフの小説を書いた。講読紙は第一には朝日だったと確実に推測でき、同・日本の黒い霧は占領軍陰謀史観とでもいえる立場に立つものだったし(推測・結論が誤っていたと主張しはしない。むしろ同意したい点が多い。「占領軍」とはそういう性格のものだとも言える)、日本共産党支持者であることを隠していなかったと思うし、晩年には「創共協定」なるものの締結の立役者だった。
 一方、司馬遼太郎は同全集月報57(文藝春秋、1999)で鶴見俊輔が、若い頃に新聞記者として京都大学回りを続けながら、「京大をひたしていた科学的社会主義の史観からどうして…自由でいられたのだろう」、「イデオロギーを身につけなかったこと」が「珍しい」と書いているくらいだから、鶴見は「イデオロギー」という語を社会主義・共産主義の意味で用いているかもしれないことは別として、司馬の「イデオロギー」は判りにくいのは確かだろう。
 だが、文藝春秋2006年2月臨時増刊号・司馬遼太郎ふたたびp.100-101に紹介されている文藝春秋・この国のかたち編集長あて手紙に次の言葉がある。1.「左翼、疑似左翼猖獗のときに、…水準器の泡のような役割をはたしてきたのが文藝春秋でした。いま相手が消滅して、文春が残ったのです」。2.「岩波のイデオロギー(ドイツ観念論哲学からマルクス主義へ)文春の……」。
 これらでほぼ想像はつき、司馬にしては珍しく「反左翼」心情を示唆していると言えるが、そのような心情形成の背景の一端は、半藤自身の上の本のp.258-9で判る。簡単にいうと1948-49年頃の京都大学の学生・教授たちの「左翼」思想による運動(発言・行動)に対する不信、だ。
 また、司馬は「思想」なるものにつき、現実ではなく「架空の一点」から生まれる等々とも述べている(p.255)。それは殆ど「狂気」と同義でもあるようだ。このような人が、共産主義・マルクス主義に共感できたはずはない。狂信的「皇国主義」にもそうだったかもしれないが。
 というわけで、半藤自身の叙述からも、司馬遼太郎のもつ反共産主義(・反マルクス主義)的感覚を半藤氏が知らなかった筈はなく、松本清張と対比できない筈もない、と考えられるのだ。
 つぎに、半藤一利という人は歴史の観方・視点の明確でない人だ、と思っている。
 同・昭和史-戦後篇(文藝春秋、2006)を既に読んだが、戦後史を一つの又は複雑な「流れ」の物語として語るには「定見」、つまり自分なりの独自の視点からの価値判断がなく、表面的な事象の羅列に終わっているようだ。
 戦前についての同氏の本は未読だが、戦前については「失敗」又は「間違い」の歴史として、問題点・反省点を探る如き観点からそれなりの「流れ」を掴みやすいかもしれない。しかし、戦後については、一定の観方・視点を彼は定立できていないように思う。
 例えば、1.「左翼」勢力の勃興と衰退の歴史として把握することも可能だし、逆に2.「保守」勢力の動向に着目して「危険な」憲法改正への途に向かう歴史と捉えることも不可能ではない。
 半藤は「九条の会」の賛同者の一人だが、勝手に憶測すれば、1.のように描くのは忍び難いし、2.のように明確に書くのも躊躇する、というところではないか。だからこそ、彼の戦後史の叙述は、基本的にこの時代全体をどう評価しているか自体が判りにくいのだ。この点、戦後史をまとまっては叙述していないが、西尾幹二、中西輝政、佐伯啓思らとは違うように思う。これらの人々には、「骨」、「筋」又は「理論」がある。むろん日本共産党には独自の戦後史把握があるが、半藤はたぶんこれにも全面的には寄り掛かれないのだろう。

0152/朝鮮戦争に関するマルクス主義歴史家の「哀れ」。

 朝鮮戦争は南北どちらが先に攻撃を仕掛けて開始したかという問題につき、松本清張・日本の黒い霧「謀略朝鮮戦争」(松本清張全集30のp.386以下、初出、1962?)は曖昧にしつつ、南による北侵説の余地を多分に残している。
 だが、中国共産党の影響を受けている可能性を否定できない、朱建栄・毛沢東の朝鮮戦争(原著1991、岩波現代文庫、2004.07)すら、p.22で、朝鮮戦争は「北朝鮮が発動したことについて、もはや疑問を挟む余地はなくなった。そして金日成が スターリンの支持を取り付けて、その軍事的援助を得て、…開戦計画を練っていたことも明らかになった」と記すに至っている。
 また、児島襄・朝鮮戦争1(文春文庫、1984。初出1977)は明瞭に「北」による「南侵」説だったが、元赤旗平壌特派員で2005年に共産党を除籍された萩原遼・朝鮮戦争(1993、文藝春秋)刊行の頃までには、この戦争が、朱建栄の言うように、米国・韓国軍の北侵によってでなくスターリンと毛沢東の了解のもとで北朝鮮軍の南侵により始まったことは関係史料から明らかになっていたと思われる。
 しかるに、第一に、マルクス主義歴史学者の井上清・昭和の50年 -新書日本史8(講談社現代新書、1976.09)p.139-140は、「米軍が、日本を基地として朝鮮戦争をおこした」、「6月25日、李承晩軍は38度線で北側を攻撃し、北は大反撃に出た。こうして朝鮮戦争がはじまった」と述べ、著者と講談社は1992.12の第9刷になってもこれをそのまま発売している(私の所持している範囲で指摘する)。
 第二に、亀井勝一郎との間で<昭和史論争>を引き起こした遠山茂樹=今井浩一=藤原彰・昭和史(新版、岩波新書、1959)の56刷は1995.05に出ているのだが、同p.276も「6月22日」アメリカは「極東において積極的行動に出ることを決定した」、「25日、北朝鮮軍が攻撃してきたという理由で、韓国軍は38度線をこえて進撃を開始した」と記述している。
 上述のように、1990年代初頭には(旧ソ連の関係史料が公開されたことにより)朝鮮戦争は<北朝鮮による侵略>により始まったことは明らかになっていたのに、上の二つの本の著者たちと講談社、岩波書店という日本有数の?出版社は、歴史の真実を歪曲した、端的には「ウソ」を書いている歴史本を90年代の前半以降も販売し続けたのだ(ひょっとして2007年の現在でも?)。執筆者は勿論だが、出版社にも「良心」又は(大多数の研究者等が承認する又は史料により疑いがなくなった)歴史的事実への「謙虚さ」が必要だろう。名誉毀損等の具体的な被害者はいないとしても、歴史の「偽造」は、長期的には、又は国家的観点からは、遙かに<罪深い>ものだ、と考えられる。
 ところで、出版元や内容から日本共産党員だろうと推測される鈴木正四・戦後日本の史的分析(青木書店、1969)を古書で持っているが、その「まえがき」は「もっとも全面的な、もっとも客観的な学問の立場であり方法であると思うから」、「労働者階級の立場、マルクス主義の方法と観点にもとづいて書かれている」と勇ましく宣言している。そして、p.114で朝鮮戦争について次のように言う。-「絶対」と言いたいところを学問的な表現で「少なくともいわば1万中の9999まで、アメリカが戦争をおこした疑いがきわめてこいという結論にたっした」。
 同じく古書で買った、藤原彰・日本帝国主義(1968、日本評論社)も結論は同じだ。
 出版された時期、当時は旧ソ連の史料を知ることは困難だったことを考慮しても、今から見るとこれらマルクス主義歴史家の叙述は、何やら<哀れ>を誘う。<取り憑かれ>とは怖ろしいものだ。

-0032/鷲田小弥太他二名・大江健三郎とは誰か(1995)。

 大江健三郎については鷲田小弥太他二名・大江健三郎とは誰か(三一新書、1995)という本がある。
 雑読?したが、鷲田以外は文学系の人のためか目次にある天皇制・戦後民主主義との関係等は内容が貧弱だ。同じ年刊行の昨日も言及した谷沢の本の方が大江を広く読んでいて、論評として勝れている。但し、鷲田の大江への厭味は十分に伝わり、大江が天皇制に批判的であることも明記してある(p.259)。
 それにしても鷲田によれば-私自身の経験と印象ともほぼ合致するが-大江の小説は「ある時期から特定の文学評論家や研究者以外には、読まれなくなった…。特殊のマニア以外には、買われなくなった…。難解なのか、つまらないのか。私にいわせれば、その両方である」。ノ-ベル賞で重版が続いたらしいから「売れない、というのは当たっていないだろう。しかし、売れたが、読まれなかった、読もうとしたが、冒頭…で断念した、という人がほとんどだった、といってよい」(p.261)。
 これらが事実だとしたら(そのように思えるが)、そもそも大江にノ-ベル文学賞の資格はあったのか、「文学」とは何かという疑問も生じる。ふつうの自国々民に愛読者が少なくて、何が世界の文学賞様だ、とも思える。
 司馬遼太郎や松本清張等々の方がふつうの日本国民にはるかに多く読まれ、かつ意識に大きな影響を与えたことに異論はないだろう。この二人については、生前から「全集」が刊行されていた。三島由紀夫にもある。大江作品・エッセイを網羅した個人全集はなぜかまだない。大江は実質的には将来に影響を与えない、名前だけ形式的に記憶される作家になる可能性があるのでないか。
 大江は東京大学文学部入学・卒業を「誇り」にしていただろうが、いわゆる現役ではなく一浪後の合格だったことにコンプレックスを持っていたようだ。というのは、手元に元文献はないが間違いない記憶によれば、一年めに数学(か英語、たぶん数学)ができなくて途中で放棄して不合格だったがその年は例年より数学がむつかしくそのまま最後まで受験していたら合格した可能性が十分にあった旨をクドクドと書いてあるのを何かで読み、何故こんなにこだわっているのか、何故長々と釈明するのか、自分の「弱味」意識が強く内心の翳にある、と感じたことがある。意外に、いや平均人以上に、「世間」を強く意識している自意識過剰の人物かもしれない。
ギャラリー
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