秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

東谷暁

1079/藤井聡と加地伸行と「西部邁・佐伯啓思グループ」。

 〇産経新聞1/24の「正論」欄、藤井聡「中央集権語ること恐るべからず」は、大阪維新の会・橋下徹・上山信一を批判している。
 だが、揚げ足取りと感じられる部分、橋下らの真意を確定する作業をしないままで批判しやすいように対象を変えている部分が見られ、まともなことを書いている部分が多いにもかかわらず、後味が悪い。
 藤井は「『中央政治をぶっ壊す』とはいかがなものか」として上記のタイトルの旨を指摘し、『』内の上山の記述に依拠しているという大阪維新の会や橋下徹の主張を疑問視している。
 上山の著を読んではいないが、藤井の文章中に「現状」という語があるように、一般論として中央政府の破壊・解体を主張しているのではなく、<現在の日本の>中央政府(中央政治)を上山・橋下が問題にしているのは明らかなことだろう。
 また、藤井は、中央(政府・政治)の重要性や中央・地方の相互補完・適正な協調を主張しているものの、その主張・指摘はそのとおりではあるとしても、上山らにおける「ぶっ壊す」が中央(政治・政府)全面的な破壊を意味していることが何ら論証されていないかぎり、橋下徹らに対する有効な批判になっているとは思えない。「ぶっ壊す」とは大きな改革または変革を意味しているだけで(実質的にはそのような趣旨で)、これを「全面的破壊」を意味していると藤井が理解しているとすれば、ひょっとすれば、悪意が素地にあるのではないか。あるいは、批判してやろうという感情の方を優先させている可能性があるのではないか。
 上山信一の著が正しく読まれているとすれば、藤井の、「現下の喫緊の政治課題は教育、医療、福祉の充実だけではない」以下の叙述にはほぼ同感だ。但し、上山が地方政治・地方行政に焦点をあてて「日本における政治の課題は今や社会問題の解決、つまり教育・医療・福祉の充実が最大のテーマ」である、と書いているのだとすると、上山には、藤井のような批判には反論または釈明したいところがあるに違いないと思われる。常識的にいって、災害対応・外交・軍事等における「国」(中央)の役割を否定する公共政策学・行政学等の「総合政策」学部所属の学者がいるはずはないのではないか(上山信一は国家公務員試験を経た運輸省官僚でもあった)。
 というようなわけで、藤井は国・地方関係等についてとくに奇妙なことを書いているわけではないが、それを大阪維新の会・橋下徹らに対する批判として用いるのは疑問で、その点に奇妙さ・不思議さを感じる。
 産経新聞1/29の連載コラム中の加地伸行のタイトルは「『破壊的改善』望んだ民意」で、橋下徹に好意的だ。
 例えば、加地伸行いわく-「橋下市長は偽悪的に<破壊>と言うが、それが実は<改善>であることを大阪府民は百も承知。あえて言えば<破壊的改善>であろう」。
 同じ「破壊」あるいは「ぶっ壊す」についても、このように、つまり藤井聡と加地伸行のように、理解または寛容性?が異なるのは面白い。
 前々回と同じ表現を使えば、こういう違いが同じ産経新聞紙上で見られるのは興味深いことだ。そして、加地伸行の感覚の方が、私はまっとうだと思っている。
 〇ところで、さらに興味深いことがある。
 藤井聡とは、<西部邁・佐伯啓思グループ>(雑誌・表現者の編集顧問はこの二人とされているので、こう称して誤っていないと思われる)の一員と見られ、前回に言及した書物(NTT出版・「文明」の宿命)においても9人の執筆者の一人だということだ。
 この書物の9人の著者のうち(編者は西部邁・佐伯啓思ら三人)、これで、中島岳志、東谷暁、藤井聡と、じつに3人が、橋下徹(維新の会)を批判的に見ていることを明らかにしていることになる(中島岳志は「批判的」どころか真正面から攻撃している)。
 じつに興味深いことだ。再び、西部邁らは本当に「保守」派なのか、という疑問が首をもたげてくる。
 橋下徹を厳しく批判・攻撃している上野千鶴子、(先日某テレビ番組の中で中島岳志らとともに「現場・現実を知らない学者」と橋下徹に揶揄されていた)山口二郎香山リカ野田正彰、日教組、自治労そして日本共産党等が「左翼」だとすれば、藤井聡をも含む<西部邁・佐伯啓思グループ>は、じつは、少なくとも「左翼」と通底しているのではないか? 極端にあえていえば、「保守」のふりをした「左翼」、あるいは「左翼」心情をもった「保守」なのではあるまいか。
 西部邁、佐伯啓思、そして上記グループの全体について断定することはむろん避けるが、そのように指摘したい人物(「雑菌」)が含まれているのは、ほとんど間違いのないことのように思われる。
 このように指摘して愉快がっているのではない。深刻に憂慮しているのだ。 

1075/東谷暁・南木隆治・遠藤浩一と橋下徹。

 〇東谷暁は月刊正論2月号(産経)の連載「論壇時評」で、2頁を使って、橋下徹を批判している、または、警戒視している(p.196-)。後半は産経新聞に書いていたのと同じ内容で、<一粒で二度おいしい>(同じことを書いて2回原稿料を稼ぐ)とはこのことを言うのだろう。
 橋下徹を無条件に支持はしないし、彼の勝利はある程度は一種の「ポピュリズム」の結果だとも思うが(なお、対立候補も民放のローカルニュース・キャスターの経歴を持っていた)、有権者は、当選者が一人の場合、候補者が2人の場合は<どちらがよりましか>で、3人以上の場合は<いずれが最もましか>で判断せざるをえない。
 当選者を批判するのはよいが、では対立候補(大阪市の場合は平松某)が当選した方がよかったのか、対立候補だった者(平松某)についてはどう評価し、論評するのか、と東谷暁には問いたいものだ。

 〇同じ月刊正論2月号の南木隆治「橋下前知事が教育改革で見せた凄み」の中に、―この論考全般への言及は省略する―興味深い記述がある。
 ほとんど報道されていないと思うが、これによると、橋下徹は知事辞任直前の2011年10月20日に、「大阪護国神社秋季例大祭」に「公式参拝」している(p.77)。
 福岡政行は隔週刊・サピオ1/11・18号で「次の次の」総選挙に橋下徹は出馬して「橋下政権」が「誕生する可能性さえある」という(p.34)。こんな予測のが当たるかどうかは全く不明だが、万が一(?)橋下徹が首相になったとすれば、この人物は靖国神社「公式参拝」をするのではないか。
 〇再び月刊正論2月号に戻ると、遠藤浩一「維新前夜―英雄の条件」は、次のように橋下徹に言及している。
 「口が達者らしいことを除いて橋下氏について判断材料を持ち合わせていない小生としては、英雄に大化けするかの判断は留保」する(p.55)。
 <英雄に大化け>するかどうかは「英雄」の意味も含めてこの欄の筆者にも分からないが、橋下徹について「口が達者らしいこと」しか知らないとは、(政治)評論家としてはお粗末だろう。但し、おそらくはそれ以上の知識は持ちつつも、(櫻井よしこと同様に?)評価を「逃げて」いる、という方が正確だろう。

 判断材料が乏しいのはこれまでの橋下の経歴からしても仕方がなく、従って確定的な評価をし難いのはやむをえない、とは言える。天皇・憲法(九条)・防衛(・中国)等について、橋下徹は明言したことがないのは確かだ。
 だが、かなりの程度の想像はできる。例えば、朝鮮学校無償化に反対する動きを迅速に見せたのも自治体首長の中では橋下徹だった。上の「護国神社」参拝も一つの材料にはなるだろう。

1070/花田紀凱・橋下徹・東谷暁・西部邁(「表現者」)。

 〇前回に続いて花田紀凱の産経新聞連載「週刊誌ウォッチング」に触れると、12/17付(341回)は2011年前半の各月平均雑誌販売部数を紹介している。それによると、以下(100以下四捨五入)。
 ①週刊文春47.7万、②週刊現代38.4万、③週刊新潮38.4万、④週刊ポスト30.3万。
 私は週刊文春よりも同新潮派だったし、週刊現代よりも同ポスト派だったので、世間相場からすると<少数派>であることをあらためて(?)実感する。
 その他では、⑦週刊朝日15.1万、⑨アエラ9.5万、⑩サンデー毎日7.7万。
 これらの中間で経済誌が奮闘?していて、①日経ビジネス23.5万、②プレジデント17.5万、③週刊ダイヤモンド10.5万、④週刊東洋経済7.5万、らしい。
 月刊誌では月刊文藝春秋が42.1万とされる。
 なお、この欄の10/26で触れたが、撃論3号は、月刊WiLLは19万、月刊正論(産経)は実売2万以下、としている。

 〇人口あたりの読者数でいうと、大阪府や大阪市では週刊文春や週刊新潮は全国平均よりは多く読まれたとは思うが、これら二誌の橋下徹批判は選挙結果(当選者)に影響を与えなかった。

 だが、例えば大阪市長選での対立候補は前回よりも絶対得票数は増加させたらしいので、これら二誌の記事や日本共産党を筆頭とする「独裁」批判(あるいは自・民・共の共闘)は、ある程度は効を奏したというべきだろう。換言すれば、これらがなければ、橋下徹と平松某の得票数との間には、もっと差がついていたことになる。
 阿比留瑠比の最近の11/27の
文章(新聞記事に世論・社会を誘導する力はなく、逆に世論・社会の動向が新聞記事に反映されるとかの旨)にもかかわらず、マス・メディアの力を無視・軽視してはいけないと考えられる。書店・キオスク等で並ぶ週刊誌・新聞の表紙・一面等の見出しだけでも<雰囲気>・<イメージ>はある程度は変わる、と言うべきだ。
 〇橋下徹・大阪維新の会の主張・政策を無条件に支持しているわけでは、むろんない。
 <大阪都>構想自体曖昧なところがあるし、また曖昧ではなかったとしても議論・検討の余地は十分にあるものと思われる。<大阪都構想>という語自体にミス・リーディングを生むところがあり、より正確には<新大阪府・市関係構想>(全国一般論でいうと<新都道府県・政令市関係構想>)とでも言うべきなのだろうと思われる。
 また、すでに指摘があるように、大阪都構想は現在の都道府県制度を一つの前提にしているはずなのだが、橋下徹が次の総選挙の争点は<道州制>だ、というのも趣旨がはっきりしない。広域自治体としての都道府県制度を道州制に変えることを目指しているのだとすれば、<大阪都構想>とは矛盾していることになるだろう。
 もっとも、<大阪都構想>を実現したあとで<道州制>を、という時系列的な差異がイメージされているのだとすると、両立しないわけではない。
 だが、ともあれ、橋下徹を公務員労働組合や日教組・全教(教員の職員団体)がそろって攻撃し、労組(・連合)の支持を受けた民主党幹部(の例えば平野博文や輿石東)の橋下対応が他の政党幹部に比べて冷たかった、と報じられているように、橋下徹が反「左翼」の人物・政治家であることは疑いえない。そのことは、訪問先に社民党や日本共産党を選択していないことでも明らかだ。
 また、<地方主権>を謳っていた民主党支持を表明したことがあったり、民主党・小沢一郎と親しそうに?対談をするなど、教条的な<反左翼>主義者でもない柔軟さを持ち合わせていることも肯定的に評価されてよいものだろう(最後の点は無節操・融通無碍と批判する者もいるかもしれないが)。
 〇東谷暁は産経新聞12/14付で「地域独裁がもたらす脅威」と題して、実質的に橋下徹を批判している。あるいは、橋下徹を危険視して警戒すべき旨を書いている。
 東谷暁は、文藝春秋の「坂の上の雲」関係の臨時増刊号で年表作りを「監修」しているなど、器用?な人物だ。
 だが、そのことよりも興味深いのは、東谷暁とは、中島岳志と同じく、西部邁らを顧問とし、西部邁事務所が編集している隔月刊・表現者(ジョルダン)にしばしば登場して執筆している、「西部邁グループ」の一人だと目される、ということだ。
 中島岳志が(一面では朝日新聞・週刊金曜日と関係をもちつつ、「保守」の立場からとして)橋下徹を批判していたことはすでに言及した。
 この中島岳志という得体の知れない人物と同じく、東谷暁もまた橋下徹を(少なくとも)支持・歓迎できないことを明瞭に述べているわけだ。
 雑誌「表現者」または「西部邁グループ」は<保守か?>と題した文章を書いたことがたぶん数回あるだろう。
 あらためて思わざるをえない。雑誌「表現者」グループは(佐伯啓思も一員のようだが)はたして<保守なのか?>、と。
 西部邁はかつて共産党宣言を読むこともなく、東京大学入学後にすみやかに日本共産党入党を申込みに行ったらしい。
 そんなことは関係がないとしても、一般論として言うのだが、「保守主義」に関する知識を十分にもち、「保守」思想を上手に語れる<左翼>もいる、と考えておかねばならない。
 かつてコミンテルンのスパイだった者、あるいは二重スパイと言われたような者たちは、コミュニズムを信奉しつつも、その他の種々の思想・主義・考え方にも通暁していたものと思われる。
 だからこそ、相手にコミュニスト(共産主義者)だと微塵も気づかれることなく接近し、信頼を獲得でき、情報を入手・収集できたのだ。
 似たようなことは、現代の日本でも生じている、行われているはずだ。西部邁グループについて断定するつもりはないが、警戒・用心しておくにこしたことはない。

1069/花田紀凱・三重博一(新潮45)と大阪市長選・橋下徹

 〇週刊新潮(新潮社)と週刊文春(文藝春秋)がともに二週続けて、橋下徹の個人攻撃記事を載せたのは、10月下旬・11月上旬だった(11/03号、11/10号)。
 この連載を疑問視したのは、産経新聞紙上での花田紀凱「週刊誌ウォッチング」の連載で、花田の正当な感覚はきちんと記録され、記憶されてよいと思われる。
 花田紀凱は産経10/29付で「なぜ今?橋下徹大阪府知事の出問題特集」と題して、こう書いた。
 「『週刊文春』と『週刊新潮』(ともに11月3日号)が揃(そろ)って橋下徹大阪府知事の出自の問題を特集している。…/両誌ともほとんど同じ内容で、…というもの。/これまで書かれなかった出自のことが、なぜ今? なぜこのタイミングで?/府知事辞任、市長選出馬表明というこの時期を考えると、明らかにネガティブキャンペーンの一環としか見えないだいたい橋下知事の出自を問題にすることに何の意味があるのか。/しかも、この件は両誌に先行して『新潮45』11月号で、…ノンフィクション作家、上原善広氏がレポートしているのだ。/月刊誌署名記事の後追いという形でしか記事にできなかったところに週刊誌ジャーナリズムの衰弱を感じる。『文春』が上原レポートに一切触れていないのはフェアじゃない。…/両誌とも後味が極めてよくない。」

 花田は11/12付でもとくに週刊新潮を疑問視し、選挙後の12/03付でも、「未練がましく」橋下徹批判を続ける週刊新潮(12/08号)を皮肉っている。
 産経新聞その他の活字メディアは両週刊誌の(選挙直前の)報道ぶり・記事作りを明示的には何ら問題視せず、産経新聞ですら、対橋下「反独裁」キャンペーンに影響を受けた見出し・記事作りをしていたのだから、花田紀凱のジャーナリストとしての感覚は相当に鋭く、かつ、まっとうだ。マスコミにあった特定の雰囲気(空気)の中で、勇気があった、とも言える。
 〇情けなく、そしてヒドいのはとくに週刊新潮と新潮45(新潮社)だ。

 なかでも新潮45の12月号の「記者匿名座談会」(p.239-)は、いつか言及したマスコミ関係者の「うけねらい」意識を露骨に示している。「匿名」の内輪話?として、以下のようなことが活字にされている。
 ①新潮45の11月号は「増刷」になったので「乾杯」。②橋下徹伝は読ませた。③週刊新潮と週刊文春は「大特集ですぐに続いた」、「週刊誌らしい熱狂を久々に見た」、④だが、テレビのワイドショーは続かず、新聞も似たようなもの。⑤「橋下特集で『45』が増刷になったことを取り上げた新聞・テレビさえ、ほとんどなかった」。
 ①は「雑誌」記者らしいので、月刊新潮45の記者または編集長そのものの言葉だろう。「増刷」を他愛なく喜んでいるのだ。また、③・④のような<恨み節>を語らせて活字にしているのも、異様な感覚だろうと思われる。
 こんなことを語るか、語らせている新潮45の「編集兼発行者」・三重博一という人物は、(正義とか善とかにまるで関係なく)<売れればよい>・「うければよい」と考えていることを恥じも外聞もなく吐露している。新潮社にこんなことを明言してしまう編集者がいることは怖ろしいことだ。

 このような雑誌作りをしても、次号以降が従来よりも売れなかったら、一年・二年と長期的に見るとマイナスになるだろう。一冊の(一時的な?)「増刷」によって、「乾杯」と活字に残すほど喜んでいるとは驚いた。
 明確な政治的信条をもって、断固として橋下徹の市長選当選を阻止する方向で誌面作りをするのも一つの立場ではあろう。
 だが、上の座談会では、橋下が負けた場合は「半生記」を出せばよい、当選したら「ザ・ラストメイヤー(市長)」を書いてもらえる、などという無責任な発言を掲載しているくらいだから(p.240-241)、朝日新聞や岩波書店(の編集者)ほどの<信条>にもとづく橋下徹批判特集連載でもなかったようだ。
 要するに、<うけて>・<話題になる>、そして売れればよかったのだ。
 こんないいかげんな雑誌・出版社は「後味が悪い」(花田)し、気持ちが悪い。
 〇東谷暁は産経12/14付に、橋下徹批判(・警戒)と明確に読める一文を載せている。同日の遠藤浩一の「正論」は大阪市長選にも言及しているが、こちらはほとんど違和感なく読める。

 なお、櫻井よしこは週刊新潮誌上での連載や産経新聞紙上の「首相にもの申す」欄等で橋下徹(または大阪、「維新の会」)に論及する機会が最近にいくらでもあったと思われるにもかかわらず、いっさい触れていない。
 櫻井よしこは「日和見」していて、橋下徹に対する評価・判断をまだ下していないのだろう。この人の政治的感覚は、残念ながら(惜しいことに)信頼できない場合がある。
 以上の三点(三人)については、機会があれば、再び言及する。

0621/東谷暁はひょっとして<恥ずかしい>ことを月刊正論に書いたのではないか。

 一 東谷暁が、月刊正論(産経新聞社)12月号で妙な、恥ずかしいことを書いている。
 「論壇時評・寸鉄一閃」の最後から二つめの文にいわく-「そもそも、パールに政治的意図がなければ『意見書』として提出している文書に『判決書』と記すわけがない」(p.165)。
 東谷はパールは日本語で「意見書」を書き、日本語でタイトルを付けたとでも錯覚しているのだろうか。そうだとすれば「恥」だ。次号には登場しないでいただきたい。
 小林よしのりもサピオ誌上で明記しているし、某ネット書籍等販売サイト上でも表紙写真が出ているが、パール意見書(判決書)は、Dissentient Judgement という表紙題名が付けられている。実際の所謂東京裁判の際にどのような言葉(英語)で表現したのかは知らないが(本来はそれを確認しておかなければならない)、上の英語は「反対の(同意しない)判決」が一番の直訳だろう。だが、裁判官一人が「判決」を書けるはずはなく多数意見が「法廷意見」、すなわちその事件についての「判決」になるのだから、パールの「Dissentient Judgement」は―小林よしのりもサピオのどこかに書いていたと思うが―戦後の日本の通例の用語法によれば、実質的には「少数意見書」又は「反対ー」というのが適切な訳になるものと思われる。「意見」とか「少数意見」・「補足意見」とかの日本の用語法に東京裁判が拘束されるいわれはないとも言えるのだが、しかし、少なくともパールの長い文章を「判決書」と訳すのだけは誤りで、<パール判決(書)>という言い方は便宜的な、一般的・慣例的用語にすぎないのは常識的なことにすぎないのではないか。
 ちなみに、東京裁判研究会・共同研究パル判決書(講談社学術文庫、1984)p.142-3は、一又正雄の次の文を載せる‐「このJudgementには二種の意味があ」り、一つは普通の理解での「判決」で、もう一つは「その裁判に参加した判事が、その判決について述べる『意見』」だ。パル判事のそれはまさに「後者の意味」だ。
 従って、『意見書』を『判決書』と書いて提出したという前提自体に誤りがあると思われる。ああ、恥ずかしい。なお、Judgementの訳は「判決」だけではない。「判断」も「決定」も(そして上の説明にもあるように「意見」も)入りうるものだ。
 なお、「意見書」=政治的、「判決書」=法的、という理解の仕方を(も)東谷はしているようにも読めるが、これも誤り。こう理解しているのだとすると、ああ、恥ずかしい。
 二 その東谷と八木秀次が、<パール判決書>は(少なくとも「法理」を示した文章は)法的文書か「政治文書(思想書)」かで論争をしているようだ。
 これについては、
10/06に、「さほど重要だとは思われない」、「この議論の意義自体が判りにくい」と書いておいた。
 現在でも変わりはなく、お二人はエネルギーと時間と雑誌誌面を無駄に費しておられる。
 そもそも一般論として、「法」と「政治」はいちおう別の概念であり別の対象をもつが、厳密に区別できないことは常識的なところだ。対大江・岩波名誉毀損訴訟にかかる判決はむろん「法的」なものだろうが、それは別の観点からすれば「政治」的文書でもあるだろう。少なくない裁判と判決が、何らかの意味で「政治」性をも持ちうるのではないか。ちなみに、第一法規という出版社から、1980年に、『戦後政治裁判史録』全5巻が出ている。扱われている対象はすべて(事件の経緯と)「判決」だが、何らかの「政治」性を認めるからこそ「政治裁判」という語も使われるのだ(扱われているか確認していないが、ロッキード事件判決、リクルート事件判決に「政治」性がないはずがないだろう。民事事件でも当事者が政治家や著名な「政治的」作家や出版社だと、当然に「政治」性を持ちうる)。
 従って、「法理」の提示か「政治文書」かという問いかけ自体がナンセンスだ。とりわけ、何が「法」か自体が不明瞭な戦争、そして国際法にかかわる裁判と判決に「政治」性が紛れ込まないと考える方がどうかしている。
 なお、上の東谷の文章によると、八木秀次は、<パール判決書>における「法理そのもの」には「政治性」がなく、「事実認定」が「政治性を帯びていた」と、東谷に対する回答として説明したらしい(その雑誌も所持はしているが確認の労を厭う)。
 私は、上の八木の説明も正しくはない、と考えている。いかなる「法理」を発見(又は創出)し、事案に適用するかは、(事件によっては)十分に「政治」性をもちうる、「政治」的機能を果たす、と考える。そして、パール「判決書」もまた「政治」性を帯びざるを得ないものと理解している(だからといって、私は「法理」の提示がない、法的文書ではない、と主張しているのではない)。
 要するに、ほとんど生産的ではない議論を東谷らはしている。ほとんど、恥ずかしいレベルだ。<保守>論壇の「衰退」の一例だろうか。
 二 ところで、東谷暁の先月号の文章について10/06に「もともとケルゼンを持ち出して議論を始めたのは西部邁・中島岳志だった。だとすると、西部邁・中島岳志によるケルゼン理解が適切かどうかにも論及しないと、『論壇時評』としてはアンフェアなのではないか。東谷暁は、だが、西部邁・中島岳志によるケルゼン理解については一言も触れていない」と書いた。
 今でもこう思うが、小林よしのりがサピオ誌上で、東谷暁について、「西部邁グループ」とか「親分を守るため」とか書いているのを見て(後者はサピオ11/12号p.62)、謎(?)が解けた。ヘーゲル理解の真否を問題にしていったい何の役に立つのだろうと怪訝に感じていたのだが、東谷が西部邁の仲間又は「弟子」?だとすると、西部邁を擁護することとなる文章を書いているのも納得がいく。
 <保守派>評論家たちは、いったいいくつに分解しているのだろうか。嘆かわしい。もっとも、小林よしのりによると、西部邁は「左翼」に回帰している。
 三 さて、もともとのパールにかかわる論争は、「パール判決(書)」の理解の仕方にある。中心的論争は中島岳志と小林よしのりの間で行われている。そして、この論争は、いずれかが正しく、残る一方は誤っている、という性格のものだろう。つまり、「パール判決(書)」はいろいろな読み方ができる、いろいろに解釈できる、というものではない、と考えられる。
 要するに、いずれが原文のテキストを正確に理解しているか、という勝負だろう。
 この点については、西部邁ですら最初の関係論文で小林よしのりに「分がある」ことを認めていた(月刊正論の今年の2月号だったかな)。
 パールの原文を読む余裕はないので断言できないが、直感的には、小林よしのりの勝ち、だろう。
 そうだとすると、小林が明示的に列挙しているアカデミズム(バカデミズム?)界の大学教授たち、中島の本を肯定的・積極的に評価又は紹介した者たちの<責任>が当然に問われる。
 中島岳志(北海道大学)本人はもちろん、御厨貴(東京大学)、加藤陽子(東京大学)、赤井敏夫(神戸学院大学)、原武史(明治学院大学)、長崎暢子(龍谷大学)は戦々恐々として日々を送るべきであるような気がする。

0598/中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書)は駄書。

 中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社現代新書、2008.07)はひと月以上前に通読している。

 あらためて精読したわけでもないが、昨日ケルゼンを最初に持ち出したのはたぶん西部邁と書いたのは誤りで、中島岳志。
 中島はp.23で言う-「法」の「背景」には「自然法」や「慣習法」がある。「保守派」なら「実定法至上主義、あるいは制定法絶対主義」の立場は「本来、手放しではとれないはず」なのに、「東京裁判や戦争犯罪をめぐっては、きわめて純粋法学のハンス・ケルゼンの立場、あるいは法実証主義と言われる立場で東京裁判批判を展開するという転倒が起きている」。
 きわめて不思議に思うのだが、中島は法学または法理論なるものについて、これまでにどれだけの基礎的素養を身に付けているのだろうか(まさかウィキペディアで済ませていると思ってはいないだろう)。
 経歴を見ると、中島岳志は法学部又は大学院法学研究科で「法学」の一部をすらきちんと勉強してはいない。むろんそのような経歴がなければ法学・法理論について語ってはいけないなどと主張するつもりはない。
 しかし、上のような論述を平気で恥ずかしげもなく公にできる勇気・心臓には敬服する。

 そもそも、第一に、少なくとも「慣習法」は「法」の「背景」にあるものではなく、すでに「法」の一種だ。「自然法」となると「法」の一種かについて議論の余地があるが、「法」の「背景」につねに「自然法」があるとは限らないことは-中島は別として-異論はないものと思われる。
 第二に、「きわめて純粋法学のハンス・ケルゼン」という言い方は奇妙な日本語文だ。「純粋(法学)」に「きわめて」という副詞を付ける表現自体に、法学やそもそものケルゼンについて無知なのではないか、という疑問が湧く。
 上に続けて中島は言う-「保守派」なら「道徳や慣習、伝統的価値、社会通念は『法』と無関係であるという法実証主義をこそ批判しなければなりません。…しかし、パールを援用した自称保守派の東京裁判批判は、全面的に法実証主義に依拠している」。
 この中島岳志は、①「法実証主義」(Rechtspositivismus)というものの意味をきちんと理解しているのだろうか。②「保守派」は、「法実証主義」を批判する(すべき)というが、では「左翼」は「法実証主義」者たちだ、ということを含意しているのだろうか。③そもそも「(自称)保守派」は「全面的に」「法実証主義」の立場で東京裁判を批判している、という論定は正しいのだろうか。
 じつはこの二人のこの本はほとんど読むに値しないと私は感じている。法学や国際法のきちんとした又は正確な知識・素養のない二人が、適当な(いいかげんな)概念理解のもとに適当な(いいかげんな)議論・雑談をしているだけだ、と思っている。講談社が月刊現代を休刊させるのも理解できるほど(関係はないか?)、講談社現代新書のこの企画はひどい。
 (朝日新聞社と毎日新聞社が授賞したという、もともとの中島岳志の本もじつは幼稚で他愛ないもので、授賞は<政治的>な匂いがある。)

 中島岳志に尋ねてみたいものだ。①現在の日本において、つまり現行日本国憲法のもとで「法実証主義」は採用されるべきものなのか、そうではないのか? 「法実証主義」なるものは、一概にその是か非かを答えることができないものであるのは常識的ではないのか(従って、その賛否が左翼-保守に対応するはずもない)。
 ②現憲法76条3項は
「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」と規定する。この裁判官は「良心」と「憲法及び法律」に拘束される(~に「従う」べき)という規定を、中島岳志は、「法実証主義」という概念を使ってどのように説明・解釈するか?

 幼稚な理解に立った(この人は誰から示唆・教示を受けたのか知らないがケルゼンを理解できていないと思う)、長講釈など読むに耐えない。
 上の中島の文章は東京裁判にまだ関係させているが、のちに西部邁はp.160で次のように言って論点をずらしている、あるいは論点を拡大させている。
 「日本の反左翼」は「ケルゼンにおける価値相対主義、法実証主義」を「受け入れるのか否かはっきりしていただきたい」。「法と道徳は全く別物だ、法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義」を「自称保守派」が採るというなら、「保守」ではなく「純粋の近代主義(左翼)」に与していることが明瞭になる。
 東京裁判批判者が「法実証主義」に立っているという前提的論定自体に議論する余地があるが、それは措くとしても、「法実証主義」とは「法に道徳や慣習が関与する余地がないという形式主義」であるかの如き表現・理解だが、そもそもこの立論又は理解自体が適切なのだろうか。例えば、「法」(「実定法」でもよい)の中に「道徳や慣習」が(一部にせよ)含まれていることは当然にあり、そのことまで「法実証主義」は否定しないだろう。

 60年安保前にマルクスの一文も読まないまま日本共産党入党を申し込んだらしい西部邁は法学部出身のはずだが、まともに法学一般をあるいはケルゼンを理解しているのだろうか。平均人以上には幅広い知識・素養にもとづいて、しかし、厳密には適当ではないことを語っているように見える。
 それに何より、「ケルゼンにおける価値相対主義、法実証主義」に賛成するのか否かという問題設定・問いかけを(「反左翼」に対して)するようでは、パール意見書にかかわるより重要な論争点から目を逸らさせることになるだろう。こんな余計なことを書いて(発言して)いるから、小林よしのりや、さらに東谷暁による、瑣末な論点についての時間とエネルギーを多分に無駄にするような文章が書かれたりしているのだ。
 もっと重要な論点、議論すべき点が、現今の日本にはあるのではないか。
 八木秀次や西尾幹二のような者たちが、皇室に関する(しかも現皇太子妃に相当に特化した)議論に<かなり夢中に>なっているのも、気にかかる。
 中島岳志=西部邁・パール判決を問い直す(講談社)のような駄書が出版されたのも、日本にまだ余裕があることの証左だと、納得し安心でもしておこうか。

0597/ケルゼンの理解は東京裁判・「パール判事意見」に関する論争の重要テーマか。

 一 東谷暁について、一般的な嫌悪感はない。
 だが、月刊正論11月号(産経新聞社)の論壇時評「寸鉄一閃」(p.172-)の4頁にわたる小林よしのり批判は少しおかしい。
 おかしい、というのは内容それ自体ではなく、むしろテーマの取り上げ方だ。
 小林よしのりがパール真論(小学館)を出版する一方で、西部邁=中島岳志の対談本が二つ出たりして、東京裁判・パール判事の少数意見書の理解の仕方について論争が生じている(又は続いている)。
 月刊正論10月号で小林よしのりも執筆して、西部邁らを批判していた。
 そもそもの最大の争点はパール意見書の正確な内容・趣旨の理解だ。そして、基本は、「あの」戦争をどう理解するかにある(はずだ)。
 この観点から見ると、①日本<国家>「無罪」論かA級戦犯<個人>「無罪」論か、②判決意見書(<法的>文書)か<政治>文書か、という議論はさほど重要だとは思われない(とくに後者の論争?は、この議論の意義自体が判りにくい)。全く無意味だとは思わないし、多少の差異はもたらすのだろうが、これらは本質的な問題ではないだろう。
 ましてや、西部邁・中島岳志がパール意見書を読む(理解する)際に又はその結果として用いた、かつまた小林よしのりが読み方を誤っていると上記論文(サピオにも書いてあったか?)で西部邁らを批判した、ケルゼンの「純粋法学」や「法実証主義」の理解につつき、両陣営?のどちらが正確かどうかなどという問題は、基本的な問題からすると末端の、瑣末な問題だ。
 ケルゼンの所論の理解の仕方が現代日本にとって、あるいは直接には東京裁判やパール意見書に関する論争にとっていかほどの重要性をもつのか。
 東谷暁はしかるに、4頁にわたって小林よしのりのケルゼン理解は誤っていると指弾している。
 たしかに小林によるケルゼンの「根本規範」(Grundnorm)の理解は、「聖徳太子の十七条憲法」に論及するなど奇妙に思うところがないではない。
 だが、もともとケルゼンを持ち出して議論を始めたのは西部邁・中島岳志(たぶん西部邁が先)だった。だとすると、西部邁・中島岳志によるケルゼン理解が適切かどうかにも論及しないと、「論壇時評」としてはアンフェアなのではないか。
 東谷暁は、だが、西部邁・中島岳志によるケルゼン理解については一言も触れていない。小林よしのりのケルゼン理解を誤りと批判することが西部邁・中島岳志によるケルゼン理解の正しさ・適切さを論証することになるわけではないし、そのような趣旨を東谷暁は書いているわけではない。小林よしのりのケルゼン理解を誤りと批判することはいったい何を目的としているのか?
 純粋にケルゼン理解の問題なら、ケルゼンに関する専門家に委ねるがよい。東谷はケルゼンの書物の一部をいくつか引いているが、小林よしのりがそうであるように、また西部邁・中島岳志もそうであるように、ケルゼンに関する「専門的」研究者ではないだろう。
 「専門的」研究者を一般的に尊重するつもりは全くないが、純粋にケルゼン理解の問題なら、ケルゼンに関する専門家に委ねた方がよい。
 だが、今日(論壇?の一部で)議論されているのは、純粋にケルゼン理解の問題なのではない。東京裁判・パール判事意見書、そして「あの」戦争に関する歴史認識、なのだ。これらに全く触れずして、小林よしのりのケルゼン理解を誤りと批判し、その「知的不誠実さ」を指摘することによって、東谷は何を意欲しているのか? 西部邁・中島岳志を支持し応援するつもりなのか、というと、そうでもなさそうだ(一切こちら側には言及していない)。
 首を傾げたくなる「時評」類は多いが、最近よく目にする名前の東谷暁の文章であることもあり、久しぶりにこの欄に書く気になった。
 二 この数ヶ月に限っても読んだ本、雑誌・新聞記事は数多いし、それぞれ何らかの感想・印象をもったが、いちいちこの欄に書いてはいないし、その気もない。
 三 この機会についでに一言触れておこう。
 月刊正論11月号には牛村圭「小林よしのり氏に答える-やはり『パール判決』は『日本無罪論』ではない」も掲載されている。
 この議論に立ち入るつもりはないし、その余裕もない(たぶん能力・資格も乏しいだろう)。
 だが、一部に限定するが、牛村圭が最後のp.117で、パールの(私人としての)1966年の「日本は道徳的責任はあっても、法律的には責任はないという結論に達しました」という発言を有力な(またはこの論文では最大の)論拠として、「『パール判決』は『日本無罪論』ではない」と主張又は理解しているのは奇妙だ。
 パールの原文(英語?)を知らないで書くが、「日本は道徳的責任はあっても」という日本語の唯一の意味は、日本には<道徳的責任がある>ということではない。その意味である可能性もなくはないだろうが、通常の読み方からすると、<かりに(万が一)日本に道徳的責任があったとしても>という意味で、<道徳的責任がある>か否かを断定・論定していない、とも理解できるはずだ。
 牛村はこの発言をパールは「日本の道義的有罪論」だったとする根拠としている(としか読めない)。
 問題はそもそものテキストの読み方だ。<かりにA的責任はあってもB的責任はない>というテキストは、論理的に見て、<A的責任はある>という意味を絶対的に含んでいるのか? 私の日本語理解だと、そのように<絶対的>には読めないのだが。

0332/坂本多加雄、杉原志啓、東谷暁、富岡幸一郎。

 諸君!11月号(文藝春秋)の坂本多加雄を偲んでの座談会はなかなか面白い。杉原志啓、東谷暁、富岡幸一郎(年齢順)が発言者。全て私より若い(順に1951生、1953生、1957生)。この三人の本をいくつか探してみよう。
 この号の草野厚は予想どおり、ヒドい。というか、ひどく浅い。

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  産経新聞社の中にもいるようである馬鹿を相手にしていてはそれこそ馬鹿ゝゝしいし、日本国憲法無効論を掲げて自民党や「産経文化人」を<右から>攻撃する者の一部を相手にすれば、不快になるだけだ。
 自分のための覚書、という基本を押さえて、このブログを利用する。
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