秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

村越進

1303/日本共産党の安全保障(防衛)政策は?

 一 日本共産党は同党の安全保障(防衛)政策として、2014年の党大会以降、「北東アジア規模」の「友好協力条約」締結などから成る「北東アジア平和協力構想」という提唱しているらしい。
 この条約はアセアンに現在あるものを真似ようというものらしいが、その具体的内容は明らかではない。北東アジアの国家・地域には日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾それにモンゴルがあるが、現状を前提にすれば、これらの国々等が「友好協力条約」を締結することは夢想にすぎない。可能性があるすれば、北朝鮮と中国共産党支配の中国の崩壊があってからだろう。あるいは、親中国・親社会主義の方向で朝鮮半島が統一され、日本にも日本共産党を政権与党とする政府が誕生していれば、不可能ではないかもしれない。だが、そのような朝鮮統一や日本政府の変化を想定することはほとんどできず、したがってこれまたほとんど「夢想」になってしまう。
 要するに、<お互いよく話し合って、仲良くしましょう>という程度の、吉永小百合さまならば思い浮かべるかもしれないような、幼稚な「政策」しか日本共産党は持ち合わせていない、と考えられる。
 そもそもこの政党は、日本の国土と国民の安全を守る、という気概を持っているかどうかが疑わしい。日本共産党の綱領上、「敵」はアメリカと日本の<アメリカ追随>勢力なので、日本の国土と国民の安全を危険なものにしているのはアメリカと日本(内部の一部勢力)だと見なされることになる。したがって、これら以外の諸国からの危険の発生などは想定していないし、多少の知識はあったとしても<見て見ないフリ>をしている、といって過言ではないだろう。
 したがって、この政党が国会論戦等で何を質問し何を主張したところで、<客観的な安全保障環境>の認識、だれが「敵」であるのかの認識が全く異なるのだから、噛み合った、生産的な議論になるはずはない。
 日本共産党と社民党は民主党らが最終的には賛成した場合であっても、これまでのいわゆる有事法制法案等々について、つねに反対投票をしてきた。今次の安保法制の整備についても、いかに丁寧に議論し回答したところで、彼らはすでに結論を用意しているので、ほとんど無意味なことになるだろう。
 二 1970年代に日本共産党は「民主連合政府」なるものを構想していたが、その政権構想の一部として「真に日本の平和と安全の道」、「非同盟・中立」を語っていた。
 その際、日本に対する「侵略」があった場合の「自衛」の方策について、日本共産党もまた何らかのことを語らざるを得なかったようだ。1975年の12回党大会で不破哲三の実兄・上田耕一郎(この時点での政策委員長)は、つぎのように述べた。
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 「万一、中立日本の国際的保障をも無視して侵略があった場合はどうするかという問題が提出されえます。仮定の問題ですが、そうしたさい、すべての民族、国家がもっている自衛権にもとづいて、民主連合政府は、日本の中立をを保障している諸国民と政治的に連帯し、国民とともに侵略者に断固抵抗するでしょう。/このような事態は、現行憲法があまり予定しない事態ではありますが、自衛権が、国家が自国の主権または自国民にたいする急迫不正の侵略をとりのぞくためにやむをえず行動する正当防衛の権利であり、主権国家の基本権の一つとして自衛権が憲法第九条によっても否定されていないことは、すべての憲法学者や国際法学者もみとめているところです。このような急迫不正の侵略にたいして、国民の自発的抵抗はもちろん、政府が国民を結集し、あるいは警察力を動員するなどして、その侵略をうちやぶることも、自衛権の発動として当然であり、それは憲法第九条が放棄した戦争や武力行使でもなく、同条で否認した交戦権の行使や戦力保持ともまったくことなるものです。/憲法第九条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然のことであります。この立場は自民党の解釈改憲の立場とはまったく無縁のものです」。(/は改行)
 以上、吉岡吉典・有事立法とガイドライン(新日本出版社、1979)p.286-7による。
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 自衛隊設立時の政府解釈の言明ともよく似て、最後の一文を除いて、日本共産党もなかなか立派なことを述べているではないか。「憲法第九条をふくむ現行憲法全体の大前提である国家の主権と独立、国民の生活と生存があやうくされたとき、可能なあらゆる手段を動員してたたかうことは、主権国家として当然のこと」なのだ。「自衛権」は、「国家が自国の主権または自国民にたいする急迫不正の侵略をとりのぞくためにやむをえず行動する正当防衛の権利であり、主権国家の基本権の一つとして…憲法第九条によっても否定されていない」のだ。
 もっとも、国民のゲリラ的活動に任せるという無責任なことは言っていないのはよいが、「警察力を動員するなどして」とか「可能なあらゆる手段を動員して」とか述べるだけで、どのような組織・手段を国家があらかじめ用意しておくかについては具体的に述べているわけではない。九条2項にいう「戦力」ではない実力組織の保持の明確な容認まであと一歩まで近づいているが、そこまで立ち入っていない。
 これらのことよりも興味を惹くのは、上のような見解においても、合憲的な「自衛権」の行使か、憲法上許されない実力の行使かという問題が当然に生じうる、ということだ。
 日本共産党は近年、「海外で戦争できる国家」うんぬんと安倍政権が進める安保法制の整備に反対し、そして一般国民からすれば細かいあれこれを政府に糺して批判したりしている。しかし、かりに日本共産党が今日でも上の上田耕一郎(当時の政策委員長)の見解を維持しているとすれば、日本共産党の考え方においても、つねに<自衛権の行使>かそれを超える実力の行使(あるいは「戦闘」行為)かという問題は生じるのであり、この問題についての詳細な回答を、日本共産党自身は用意しているのだろうか。これは同党に対する基本的な疑問だ。
 安倍政権が進める安保法制整備に反対するのならば、「国家の主権と独立、国民の生活と生存」を守るための対案が必要なのではないか。自民党中心政権、安倍晋三内閣がしていることだから反対する、では合理的で正当な理由にならないのではないか。
 それとも、「戦争・武力行使・武力による威嚇と軍事力を根底から否認する」立場(日本共産党・森英樹)、あるいは「徹底した恒久平和主義」の堅持(日弁連会長・村越進)とは、「自衛権」の行使という<実力の行使>をもいっさい否認するものなのだろうか。そうだとすれば、上田耕一郎の上の叙述は今日の日本共産党には継承されていないことになる。日本共産党や日弁連会長には答えていただきたいものだ。

1298/「左翼」団体・日弁連の会長・村越進の2014.07.01声明の異様。

 宇都宮健児が会長だったことでも示されているように、まるで公正・中立でかつ法律関係については専門家の集団であるかのように見えなくもない日本弁護士連合会は、むろん弁護士の全員がそうではないにせよ、幹部あるいは役員たちは明確な「左翼」であり、「左翼」活動家弁護士たちが牛耳っている「左翼」団体に堕している。
 2014年の集団的自衛権行使容認の閣議決定後に発せられた日弁連会長・村越進の「集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定に抗議し撤回を求める会長声明」を読んでも上のことは明らかだ。
 さらに、この声明の内容は、弁護士が、しかもその自主団体・個別弁護士会の連合団体・日弁連のトップである弁護士が発したものとして、信じがたいほどに異様で、ずさんでもある。
 以下にそのまま引用して掲載する。
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 <集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定に抗議し撤回を求める会長声明>
 本日、政府は、集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定を行った。
 集団的自衛権の行使容認は、日本が武力攻撃をされていないにもかかわらず、他国のために戦争をすることを意味し、戦争をしない平和国家としての日本の国の在り方を根本から変えるものである。
集団的自衛権の行使は、憲法第9条の許容するところではなく、そのことはこれまでの政府の憲法解釈においても長年にわたって繰り返し確認されてきたことである。
 このような憲法の基本原理に関わる重大な変更、すなわち憲法第9条の実質的な改変を、国民の中で十分に議論することすらなく、憲法に拘束されるはずの政府が閣議決定で行うということは背理であり、立憲主義に根本から違反している。
 本閣議決定は「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」等の文言で集団的自衛権の行使を限定するものとされているが、これらの文言は極めて幅の広い不確定概念であり、時の政府の判断によって恣意的な解釈がされる危険性が極めて大きい。
 さらに、本閣議決定は、集団的自衛権の行使容認ばかりでなく、国際協力活動の名の下に自衛隊の武器使用と後方支援の権限を拡大することまで含めようとしている点等も看過できない。
 日本が過去の侵略戦争への反省の下に徹底した恒久平和主義を堅持することは、日本の侵略により悲惨な体験を受けたアジア諸国の人々との信頼関係を構築し、武力によらずに紛争を解決し、平和な社会を創り上げる礎になるものである。
 日本が集団的自衛権を行使すると、日本が他国間の戦争において中立国から交戦国になるとともに、国際法上、日本国内全ての自衛隊の基地や施設が軍事目標となり、軍事目標に対する攻撃に伴う民間への被害も生じうる。
 集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定は、立憲主義と恒久平和主義に反し、違憲である。かかる閣議決定に基づいた自衛隊法等の法改正も許されるものではない。
 当連合会は、集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定に対し、強く抗議し、その撤回を求めるとともに、今後の関係法律の改正等が許されないことを明らかにし、反対するものである。
 2014年(平成26年)7月1日
  日本弁護士連合会/  会長 村越  進
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 異様さ・杜撰さ-これらは「左翼」であるがゆえの政治的偏向の結果に他ならないだろうが-は、以下に認められる。
 第一に、安倍晋三内閣による閣議決定の正確な内容に言及することなく、「集団的自衛権の行使容認」は、「日本が武力攻撃をされていないにもかかわらず、他国のために戦争をすること」を意味する、と何とも安直に理解してしまっている。この文章が日弁連会長のものであるとは、その地位・職からすると-通常の感覚では-ほとんど想像もし難いほどだ。
 国際法上はまたは国連憲章の理解としては、集団的自衛権の行使とは、大雑把には、同盟国・友好国に対して第三国から武力攻撃があった場合に、自国は直接の武力攻撃の対象になっていなくとも、その友好国を助けてその第三国の攻撃に共同で対処することのようだ。しかし、集団的にせよ<自衛権>の行使であることに変わりはない。これをただちに「他国のために戦争をすること」と言い切ってしまえる神経は、-何度も使うが-<ほとんど信じがたい>。
 また、昨年の閣議決定を正確に読めば-きちんと理解しようとすれば-簡単に分かるように、閣議決定が容認した集団的自衛権の行使とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」た場合に、①「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」において、②「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき」に、かつ③「必要最小限度の実力を行使すること」という、いわゆる新三要件の充足のもとで容認されるものであり、国際法上のまたは国連憲章の理解としての集団的自衛権の行使の意味よりも相当に厳格に限定されたものだ。
 このような容易に知り得ることに目を瞑り、日本共産党と同様に<戦争>に道を拓くものという、レッテル貼りをしているか、悪罵を投げつけているにほとんど等しい。これでも日弁連の会長の声明なのか。
 第二に、専門法曹あるいは法律家ならば、もう少しは丁寧に概念の意味を明確にして諸概念を用いるべきだろう。
 すでに「戦争」という言葉が特段の定義なく使われているが、「戦争をしない平和国家」とか「徹底した恒久平和主義」などという言葉・概念がほとんど情緒的に使われている。
 日弁連は、あるいは日弁連会長・村越進は、現憲法九条のもとで、「戦争をしない平和国家」・「徹底した恒久平和主義」のゆえに、現在の自衛隊の存在そのものが違憲だと解釈(・適用)しているのだろうか。かりにそうであるならば、その旨を明確に記して、違憲の組織の行動範囲・要件を論じること自体が憲法違反だと断じるべきだろう。そうではなく、自衛権・自衛力を行使する実力組織としての(「戦力」ではない)自衛隊は合憲的に存在していると解釈(・適用)するのならば、自衛権の行使としての武力行使を簡単には「戦争」と称することはできないはずであり、簡単に「徹底した恒久平和主義」に反するなどと断じることはできないのではないか。
 第三に、「憲法に拘束されるはずの政府が閣議決定で行うということは背理であり、立憲主義に根本から違反している」と述べるが、「憲法に拘束される」という場合のその憲法の規範的意味内容が問題になっているのだから、憲法違反という前提を先に置くのは背理であって、何の意味も持たない。法律家ならば、このくらいのことは分かるだろう。「立憲主義」違反という点も同じだ。
 また、内閣が憲法解釈の変更を行うことを捉えて「立憲主義」違反と言っているようだが、最近にもこの欄で述べたように、裁判所・司法部による確定した憲法解釈が存在しない論点については、内閣は憲法解釈を行なって当然だし、また戦後何度か見られたように、その変更も実際には行われてきた。
 さらに、昨年の閣議決定時にも語られていたが、限定された集団的自衛権の行使を実際に容認するためには法律の制定・改正が必要だ。そして、かりに内閣提出の法案が国会で成立したとすれば、集団的自衛権行使は現憲法下で許容されるという憲法解釈は、もはや内閣どまりのものではなく、国民代表議会である国会の解釈になることを意味する。あくまでかりの話だが、その場合でも、すなわち国会が内閣・閣議決定の解釈を支持して、その解釈にもとづく法律案を成立させた=法律を制定・改正したとしても、日弁連は、あるいは同会長・村越進は、なお「立憲主義に根本から違反」すると主張するのだろうか。かりにそうだとすれば、それこそが国会軽視・(議会制)民主主義の軽視であって、<立憲主義>を逸脱するものだろう。
 第四に、新三要件の一部に触れつつ「これらの文言は極めて幅の広い不確定概念であり、時の政府の判断によって恣意的な解釈がされる危険性が極めて大きい」と述べるが、これはしばしば見受けられる陳腐な批判の仕方だ。
 国会により指名された内閣総理大臣等により構成される内閣を信頼していない書きぶりだ(日本共産党・社民党の連立内閣ならば信頼するのだろうか?)。その点はともかくとしても、とくに安全保障の領域では、ことの性質上、あらかじめ詳細で具体的な定めをしておくことの困難性の程度は高いものと思われる。「恣意的」な解釈というが、だからこそ、しっかりとした(例えば鳩山由紀夫や菅直人ではない首班を戴く)内閣を作っておかなければならない、とも言える、また、この部分の批判は、国会による(昨年の段階では「原則」として)事前の承認が必要とされていることを無視している。具体的認定については国会による事前チェックがかかるのだ。自民党等が与党だからそれは無意味だ、とか日弁連が言い始めたら、きっときわめて恥ずかしいことになるだろう。
 まだあるが、長くなったので、この程度にする。
 この声明は会長名だが、中身では「当連合会は、集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定に対し、強く抗議し、その撤回を求めるとともに、今後の関係法律の改正等が許されないことを明らかにし、反対するものである」と、日弁連を主体とする表現で終えている。
 弁護士たちが、安全保障・軍事に関する知見をいかほど有するかは、もともときわめて疑わしい(ついでに言えば、日本の歴史における<天皇制度>の伝統についての関心も知識もおそらくほとんどないのだろう)。そして、日本弁護士連合会とは、現実を直視することのできない<幻想と妄想>をもって、そして狭く固定した<観念>に縛られて活動している「左翼」団体に他ならないようだ。むろん、このような言い方に反発を覚える弁護士たちも少なくないだろうが、しかし、会を代表する会長の声明を読むかぎり、そのように判断せざるをえない。
ギャラリー
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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