秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

杉原泰雄

1652/松竹伸幸-2004年・日本共産党政策委員会外交部長。

 一昨日(7/15)夕方に、つぎの著に言及した。
 松竹伸幸・レーニン最後の模索-社会主義と市場経済(大月書店、2009)。
 見慣れない人物名だったので、推測もしたが、間違っていた点があった。
 松竹には、以下の本もある。
 松竹伸幸・ルールある経済社会へ(新日本出版社、2004)。
 そして、この書での松竹伸幸の「肩書」は、日本共産党中央委員会政策委員会外交部長。この時点で、「外交政策」の党内部での責任者のようで、専従の立派な幹部職員だ。
 もちろん、党員だとの推測は誤っていない。
 但し、松竹伸幸は現在、かもがわ書房(京都市)の編集長だと分かった。党の専従幹部職員ではなくなっている。党籍があるかどうかは不明。
 しかし、この出版社の名前からして「左翼」系だとは分かる。
 ともあれ、党籍があるかどうかとは関係がなく(共産党専従職員に年齢による定年制のようなものがあるかどうかは知らない)、レーニンが「市場経済を通じて社会主義へ」という途を示したなどと書いている者は不破哲三ら幹部しかいないので、いずれにせよ、日本共産党員またはほとんどそれに近いことは明白だ。
 何しろ、ロシア革命・レーニンを擁護しているとみられる溪内謙(ロシア史)や藤田勇(社会主義法)といった学者・研究者ですら、レーニンによる「市場経済を通じて社会主義へ」の明確化などとは書いていない。
 溪内謙・上からの革命-スターリン主義の源流(岩波書店、2004)。
 藤田勇編・権威的秩序と国家(東京大学出版会、1987)。
 そうした中で、レーニンのもの以外の細かい文献を示すことなく、基本的に日本共産党の中央、つまり不破哲三や志位和夫と同じ趣旨の本を出す「気概」・「根性」があるのだから、形式的な組織帰属の有無は実質的には関係がないだろう。但し、不破哲三らが書いていないことも書くという「自由」は一定範囲内でもっているようだ。
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 松竹伸幸・ルールある経済社会へ(新日本出版社、2004)。
 この本が最初の方で述べていることには、疑問がある。
 この書物は1961年以降の日本共産党の基本方針を大賛美しているが(党員で、それを明らかにした本を書くのだから当然だろう)、その「民主主義革命」先行論の理解は、かなり怪しい。幹部職員でもこの程度かと思わせるところがある。以下、これに触れる。
 「民主連合政府」による大企業に対する「民主的規制」という2004年党綱領の立場に立つ。p.12。「民主」、「民主的」、「民主主義」がいっぱい出てくるので、独特の用語法に慣れないと日本共産党関係文献は読めない。
 さて、この著が言うには、1960年代初めに党が「社会主義をかかげるのではなく民主主義革命を打ち出した」という「先駆性、勇気」に「驚きを禁じ得ない」。p.22。
 こんなことを書かれて、「驚きを禁じ得ない」。
 なるほど、つい最近にフランスやイタリアの共産党に言及したのだったが、それらは「ユーロ・コミュニズム」とか称して議会制度重視ではあったものの、すでにブルジョア革命=市民革命は終わっているとして、つぎの「革命」は社会主義革命だと考えていただろうことを容易に推定できる。輝かしい「フランス革命」はとっくに18世紀後半に完了していたのだ。
 これらに対して、日本共産党は先ずは「民主主義革命」を選択するという「先駆性、勇気」があったと、松竹は書く。
 バカではないか。
 1961年綱領を作り上げるまでの宮本顕治や不破哲三が<偉かった>のではない。
 もともと日本共産党の歴史観は<講座派マルクス主義>と言われたもので、明治維新を<絶対主義天皇制国家>への画期と捉えていたから、ブルジョア革命=市民革命=「民主主義革命」はまだ完遂されていないのだ。
 労農派マルクス主義の立場にたてば、つぎの目標は「社会主義革命」なのかもしれない。
 しかし、日本共産党の発生史的・歴史的沿革からして、先ずは民主主義>革命という路線を選択せざるを得ない。これは1960年頃の日本共産党の幹部たちの判断を超えたものだ(宮本顕治の獄中~年を完全無視しないかぎりは)。
 杉原泰雄(一橋大学・憲法)のように戦後改革を<外見的市民革命>と理解すれば、つぎの革命は<社会主義的>なそれになるだろう。
 しかし、日本共産党は、そのような性格づけを戦後改革についてしていない。
 戦前・戦中にコミンテルン等から送られた<テーゼ>類には触れない。そして私の推論で書くのだが、コミンテルンとその支部・日本共産党は日本天皇制をロシア・ツァーリ体制と類似のものと見て、ロシアでの二月・十月の「革命」のようなものを日本で連続させることを意図していた。
 もともと二月・十月というのは間隔が短かすぎて、その間に<下部構造>がいったいどれだけ変質したのか?と素朴には思うが、ロシアでの<成功>体験からして、日本でも、A・パルヴゥス→L・トロツキーの「永続革命論」と同じではなくとも、<天皇制打倒>と<私有財産否定>の民主主義的変革と社会主義的変革とを連続して一気に遂行しようというのが、日本共産党の根本戦略だったのではないかと推論している(いずれきちんと資料を読みたい)。
 そうではなくとも(<一気に>ではなくとも)、明治維新が<ブルジョア(市民・民主主義)革命>でないかぎりは、そしてマルクスの社会発展史観に教条的に従えば、つぎは「民主主義革命」にならざるを得ない。
 1961年綱領が<先ずは民主主義>の旨を書いているのは、それだけのことだ。
 これに「先駆性、勇気」を見出すというのは、よほど宮本顕治・不破哲三を<崇拝>するものだろう。
 とはいえ、これは2004年の著。その後にほんの少しは変化したのかについては、松竹伸幸の著をもっと読む必要がある。

1231/秘密保護法反対の「憲法・メディア法」研究者の声明。

 一 潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007)p.250には「前頭葉を左翼イデオロギーに汚染された『進歩派』学者の巣窟というべき日本の憲法学界」という日本の憲法学界についての評価が示されている。
 その憲法学界に属するが少数派と見られる阪本昌成は、主流派憲法学者たちがマルクス主義または親マルクス主義の立場に立っている(中にはそのように自覚していないものもいるだろうが)立っていることをおそらくは想定して、2004年刊行の本の中で、マルクス主義はもはや「論敵」ではないとしつつ、次のように書いていた。「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと、そして、それに同調してきた人びとの知的責任は重い。彼らが救済の甘い夢を人びとに売ってきた責任は、彼らがはっきりととるべきだ」と明記していた。
 だが、2013年の今日においても、「左翼イデオロギーに汚染された」、少なくともマルクス主義を敵視しない(警戒しない)憲法学者はまだきわめて多いようだ。以下に、2013年10月11日付の「秘密保護法の制定に反対する憲法・メディア法研究者の声明」の内容と呼びかけ人・賛同人の氏名リストを掲載しておく(出所-ウェブサイト)。コメントは別の機会に行うが、これまでこの欄で言及してきた、水島朝穂(早稲田大学教授)、浦部法穂(神戸大学名誉教授)、奥平康弘(九条の会呼びかけ人)、愛敬浩二(名古屋大学教授)、杉原泰雄(一橋大学名誉教授)、浦田一郎(民科法律部会現理事長、明治大学法学部教授)らが「呼びかけ人」になっており、先日に反対声明を紹介した「刑事法」学者たちと同様に、日本共産党系または少なくとも日本共産党に反対しない<容共>の学者たちであると思われることだけさしあたり記しておく。「賛同人」の中には、樋口陽一や<反天皇制>論者として言及したことのある横田耕一らの名もある。
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 秘密保護法の制定に反対する憲法・メディア法研究者の声明
 安倍政権は、9月26日、かねて準備を進めてきた 「特定秘密の保護に関する法律案」を示し、臨時国会への提出を目指している。しかしながら、この法案には憲法の基本原理に照らして看過しがたい重大な問題点があると考えるので、私たちは同法案の制定に強く反対する。
 1 取材・報道の自由、国民の知る権利などさまざまな人権を侵害する
 取材・報道の自由は、国民が国政に関与することにつき重要な判断の資料を提供し、国民の知る権利に奉仕するものであって、憲法21条が保障する表現の自由の保護が及ぶものであることは言うまでもない(博多駅事件最高裁大法廷決定など)。ところが、本法案は、防衛・外交・特定有害活動の防止・テロリズム防止の4分野の情報のうち特に秘匿が必要なものを行政機関の長が「特定秘密」として指定し、その漏えいに対して懲役10年以下の厳罰でもって禁止するだけでなく、特定秘密保有者の管理を害する行為により取得した場合も同様の処罰の対象とし、さらに漏えいや取得についての共謀・教唆・扇動にも罰則を科し、過失や未遂への処罰規定も置いている。
 以上のような仕組みが導入されてしまうと、まずなによりも、重要で広範な国の情報が行政機関の一存で特定秘密とされることにより、国民の知る権利が制約される危険が生じる。また、特定秘密を業務上取り扱う公務員や民間の契約業者の職員が萎縮することにより情報提供が狭められるのに加えて、漏えいへの教唆や取得なども犯罪として処罰されることにより、ジャーナリストの取材活動や市民の調査活動そのものが厳しく制限され、ひいては報道の自由や市民の知る権利が不当に侵害されかねない。なお、法案には、「報道の自由に十分配慮する」との規定も置かれているが(20条)、この種の配慮規定により、法案そのものの危険性を本質的に取り除くことはできない。
 このほか、本法案は、特定秘密を漏らすおそれがないよう秘密を取り扱う者に対する適性評価制度を導入し、評価対象者の家族関係や犯罪歴、病歴、経済的状態などを詳細に調査しようとしているが、これは個人のプライバシーを広範囲に侵害するものであり、不当な選別、差別を助長し、内部告発の抑止にもつながりかねない。また、秘密とされる範囲は広範囲に及び、かつ、漏えい等が禁止される事項も抽象的に書かれており、漠然としていて処罰の範囲も不明確であり、憲法31条が要求する適正手続の保障に反する疑いも強い。さらに、本法案が実現すると、秘密の中身が明らかにされにくく公開裁判が形骸化するおそれがあり、憲法37条が保障する公平な裁判所による迅速な公開裁判を受ける権利が脅かされかねない。
 2 憲法の国民主権の原理に反する
 憲法の国民主権の原理は、主権者である国民の意思に基づいて国政のあり方を決定していく政治のあり方を指しているが、これが十分に機能するためには、一人ひとりの国民が国政に関する事項について十分な情報にアクセスでき、その提供を受けられ、自由な表現・報道活動が行われ、これらによって主権者の意思が形成されることが前提である。
 ところが、本法案が提示しているのは、そのような国民主権の前提に反して、1にも記したとおり、防衛、外交、有害活動防止やテロ防止など国民が大きな影響を受ける重要な情報について、その入手、取材、伝達、報道、意見交換がさまざまな形で制限される仕組みとなっている。これでは、国民主権が拠って立つ基盤そのものが失われてしまうことになろう。
 そもそも、本法案の準備過程そのものが秘密の闇に包まれ国民に明らかにされないまま進められてきた経緯がある(NPO法人「情報公開市民センター」が、情報公開法によって本法案に関する情報の公開を請求したところ、内閣情報調査室は、「国民の間に不当に混乱を生じさせる」との理由で公開を拒否したと報告されている)。また、本法案が制定されることになれば、国会議員の調査活動や議院の国政調査権なども制限を受ける可能性が高く、国民主権の原理はますます形骸化されてしまいかねない。現に法案では、秘密の委員会や調査会に特定秘密が提供された場合、それを知りえた議員も漏洩等の処罰対象とされているからである。
 3 憲法の平和主義の原理に反する
 憲法は、戦争の放棄と戦力の不保持、平和的生存権を定める平和主義を宣言している。これからすれば、軍事や防衛についての情報は国家の正当な秘密として必ずしも自明なものではなく、むしろこうした情報は憲法の平和主義原則の観点から厳しく吟味し、精査されなければならないはずである。
本法案は、防衛に関する事項を別表で広く詳細に列記し、関連の特定有害活動やテロ防止活動に関する事項も含め、これらの情報を広く国民の目から遠ざけてしまうことになる。秘密の指定は行政機関の一存で決められ、指定の妥当性や適正さを検証する仕組みは何も用意されていない。しかも、本法案により、現在の自衛隊法により指定されている「防衛秘密」はそのまま「特定秘密」に指定されたものと見做され、懲役も倍化されるという乱暴なやり方が取られている。本法案のような広範な防衛秘密保護の法制化は憲法の平和主義に反し、許されないと言わなければならない。むしろ、防衛や安全保障に関する情報であっても、秘密を強めるのではなく、公開を広げることこそが現代民主国家の要請である。
 政府は、安全保障政策の司令塔の役割を担う日本版NSC(国家安全保障会議)の設置法案とともに本法案の制定を図ろうとしている。また自民党は先に「日本国憲法改正草案」を公表し、「国防軍」を創設するとともに、機密保持のための法律の制定をうたい、さらに、先に公表された「国家安全保障基本法案」では、集団的自衛権の行使を認めるとともに、秘密保護法の制定を示したが、本法案は、想定される武力の行使を見越して秘密保護をはかろうとするもので、憲法改正草案、国家安全保障基本法案と一体のものと見る必要がある。その背後には、GSOMIA(軍事情報包括保護協定)締結にも示されるように、日米の情報共有の進展を踏まえた秘密保護強化の要請がある。
 以上のように、本法案は基本的人権の保障、国民主権、平和主義という憲法の基本原理をことごとく踏みにじり、傷つける危険性の高い提案に他ならないので、私たちは重ねてその制定に強く反対する。
            2013年10月11日

 [呼びかけ人] (24人)
愛敬浩二(名古屋大学教授)、青井未帆(学習院大学法務研究科教授)、石村善治(福岡大学名誉教授)、市川正人(立命館大学教授)、今関源成(早稲田大学法学学術院教授)、上田勝美(龍谷大学名誉教授)、*右崎正博(獨協大学教授)、浦田賢治(早稲田大学名誉教授)、浦田一郎(明治大学法学部教授)、浦部法穂(神戸大学名誉教授)、奥平康弘(憲法研究者)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授)、阪口正二郎(一橋大学大学院法学研究科教授)、*清水雅彦(日本体育大学准教授)、杉原泰雄(一橋大学名誉教授)、*田島泰彦(上智大学教授)、服部孝章(立教大学教授)、水島朝穂(早稲田大学教授)、本秀紀(名古屋大学教授)、森英樹(名古屋大学名誉教授)、*山内敏弘(一橋大学名誉教授)、吉田栄司(関西大学法学部教授)、渡辺治(一橋大学名誉教授)、和田進(神戸大学名誉教授)
(*印は世話人)
 [賛同人](2013年11月5日現在、131人)
<現役と見られる国公立大学(法人)教員のみ太字化しておく-掲載者>
 青木宏治(関東学院大学法科大学院教授)、浅川千尋(天理大学人間学部教授)、梓澤和幸(山梨学院大学法科大学院教授・弁護士)、足立英郎(大阪電気通信大学工学部人間科学研究センター)、荒牧重人(山梨学院大学)、飯島滋明(名古屋学院大学准教授)、池端忠司(神奈川大学法学部教授)、井口秀作(愛媛大学法文学部教授)、石川裕一郎(聖学院大学准教授)、石塚迅(山梨大学生命環境学部准教授)、石村修(専修大学法科大学院教授)、井田洋子(長崎大学教授)、伊藤雅康(札幌学院大学法学部教授)、稲正樹(国際基督教大学教授)、井端正幸(沖縄国際大学法学部教授)、浮田哲(羽衣国際大学現代社会学部教授)、植野妙実子(中央大学教授)、植松健一(立命館大学教授)、植村勝慶(國學院大學法学部教授)、江原勝行(岩手大学准教授)、榎透(専修大学准教授)、榎澤幸広(名古屋学院大学講師)、大石泰彦(青山学院大学教授)、大久保史郎(立命館大学教授)、太田一男(酪農学園大学名誉教授)、大津浩(成城大学法学部教授)、大塚一美(山梨学院大学等非常勤講師)、大藤紀子(獨協大学教授)、大野友也(鹿児島大学准教授)、岡田健一郎(高知大学講師)、岡田信弘(北海道大学法学研究科教授)、緒方章宏(日本体育大学名誉教授)、奥田喜道(跡見学園女子大学マネジメント学部助教)、奥野恒久(龍谷大学政策学部)、小栗実(鹿児島大学教員)、柏崎敏義(東京理科大学教授)、加藤一彦(東京経済大学教授)、金澤孝(早稲田大学法学部准教授)、金子匡良(神奈川大学法学部准教授)、上脇博之(神戸学院大学大学院実務法学研究科教授)、彼谷環(富山国際大学准教授)、河合正雄(弘前大学講師)、河上暁弘(広島市立大学広島平和研究所講師)、川岸令和(早稲田大学教授)、菊地洋(岩手大学准教授)、北川善英(横浜国立大学教授)、木下智史(関西大学教授)、君島東彦(立命館大学教授)、清田雄治(愛知教育大学教育学部教授)、倉田原志(立命館大学教授)、古関彰一(獨協大学教授)、越路正巳(大東文化大学名誉教授)、小竹聡(拓殖大学教授)、後藤登(大阪学院大学教授)、小林武(沖縄大学客員教授)、小林直樹(東京大学名誉教授)、小松浩(立命館大学法学部教授)、笹川紀勝(国際基督教大学名誉教授)、佐々木弘通(東北大学教授)、笹沼弘志(静岡大学)、佐藤潤一(大阪産業大学教養部)、佐藤信行(中央大学教授)、澤野義一(大阪経済法科大学教授)、志田陽子(武蔵野美術大学教授)、清水睦(中央大学名誉教授)、城野一憲(早稲田大学法学学術院助手)、鈴木眞澄(龍谷大学法学部教授)、隅野隆徳(専修大学名誉教授)、芹沢斉(青山学院大学教授)、高作正博(関西大学教授)、高橋利安(広島修道大学教授)、高橋洋(愛知学院大学大学院法務研究科)、高見勝利(上智大学法科大学院教授)、高良鉄美(琉球大学教授)、田北康成(立教大学社会学部助教)、竹森正孝(大学教員)、多田一路(立命館大学教授)、只野雅人(一橋大学教授)、館田晶子(専修大学准教授)、田中祥貴(信州大学准教授)、塚田哲之(神戸学院大学教授)、寺川史朗(龍谷大学教授)、戸波江二(早稲田大学)、内藤光博(専修大学教授)、永井憲一(法政大学名誉教授)、中川律(宮崎大学教育文化学部講師)、中里見博(徳島大学総合科学部准教授)、中島茂樹(立命館大学法学部教授)、永田秀樹(関西学院大学教授)、仲地博(沖縄大学教授)、中村睦男(北海道大学名誉教授)、長峯信彦(愛知大学法学部教授)、永山茂樹(東海大学教授)、成澤孝人(信州大学教授)、成嶋隆(獨協大学法学部教授)、西原博史(早稲田大学教授)、丹羽徹(大阪経済法科大学)、根本博愛(四国学院大学名誉教授)、根森健(新潟大学法務研究科教授)、野中俊彦(法政大学名誉教授)、濵口晶子(龍谷大学法学部准教授)、韓永學(北海学園大学法学部教授)、樋口陽一(憲法研究者)、廣田全男(横浜市立大学都市社会文化研究科教授)、深瀬忠一(北海道大学名誉教授)、福島敏明(神戸学院大学法学部准教授)、福島力洋(関西大学総合情報学部准教授)、藤野美都子(福島県立医科大学教授)、船木正文(大東文化大学教員)、古川純(専修大学名誉教授)、前原清隆(日本福祉大学教授)、松田浩(成城大学准教授)、松原幸恵(山口大学准教授)、丸山重威(前関東学院大学教授)、宮井清暢(富山大学経済学部経営法学科教授)、三宅裕一郎(三重短期大学)、三輪隆(埼玉大学特別教員・名誉教授)、村田尚紀(関西大学法科大学院教授)、元山健(龍谷大学法学部)、諸根貞夫(龍谷大学教授)、森正(名古屋市立大学名誉教授)、山崎英壽(都留文科大学非常勤講師)、山元一(慶応義塾大学教授)、横田耕一(九州大学名誉教授)、横田力(都留文科大学)、吉田稔(姫路獨協大学法学部教授)、横山宏章(北九州市立大学大学院社会システム研究科教授)、吉田善明(明治大学名誉教授)、脇田吉隆(神戸学院大学総合リハビリテーション学部准教授)、渡辺賢(大阪市立大学大学院法学研究科教授)、渡辺洋(神戸学院大学教授)

1009/国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権、高橋彦博著。

 高橋彦博・左翼知識人の理論責任(窓社、1993)の著者自身は<左翼>のようだ。だが、左翼内部での批判(とくに対日本共産党?)を含んでいるようで、興味がわく。
 この本のp.151以下の「『国民主権(人民主権)』論」によると、日本共産党の見解と見てよい新日本出版社刊行の『社会科学辞典』の中の「国民主権」の説明はつぎのように変化した、という。
 ①1967年版-「主権は資本家階級や大地主、独占資本家をふくむ国民全体にあるとされるが、事実上の権力は特権的支配層によってにぎられている」。
 ②1978年版-日本国憲法の国民主権規定は「不徹底な面をのこしている」が、「人民が主権を直接に行使するという意味の人民主権の実現の可能性を排除していない」。
 ③1989年版-「主権は国民にあるとされるが、国家権力は支配層によってにぎられている」。
 その後、④1992年版では、国民主権概念に対する「批判的視点が払拭」された、という。そして、人民主権は国民主権と同義とされ、日本共産党は「国民主権の戦前からの担い手」だったと主張されるに至っている、とされる。
 このような変化を、高橋は批判的に見ている。そして次のように書く。
 「国民主権をナシオン主権とし、人民主権をプープル主権として、両者の違いを強調する」のが「従来のマルクス主義憲法学の力点」で、この両者の峻別こ「戦術的護憲」論の「立脚点」があったはずではないか(p.155)。
 上の指摘自体もじつに興味深いのだが、国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権といえば、憲法学者・辻村みよ子(東北大学)がフランス憲法(思想)史に依拠しつつ日本国憲法における両者の採用の仕方に着目した研究をしていたことを思い出す。樋口陽一(前東京大学)や杉原泰雄(前一橋大学)もこの議論に加わっていたはずだ。

 ブルジョア民主主義憲法は「国民主権」で、「プロレタリアート独裁権力の樹立を目指す」(高橋上掲書p.153)のが「人民主権」論だとの基本的なところでは合致しつつ、日本国憲法がどの程度において(どの条項に)「人民主権=プープル主権」的要素を包含しているのかが、おそらく論争点だったのだろう(過去ではなく現在でも少しは議論されているのかもしれない)。
 辻村みよ子は七〇年代に上の区別に着目して研究を開始し、八〇年代末に著書としてまとめて刊行したが、それはソ連崩壊の直前だった。日本共産党との組織的関係は不明だが、せっかくの峻別も、上の高橋によると、政治党派(政治運動)レベルでは厳密には生かされていないようだ。

 それとともに感じるのは、辻村みよ子、樋口陽一、杉原泰雄のいずれも、現憲法解釈論には違いがあったかもしれないが、<人民主権=プープル主権>の方向に向かうべきだ、との実践的意欲をもっていたにもかかわらず、それを隠してきた、ということだ。高橋は「従来のマルクス主義憲法学」という表現を簡単に使っているが、辻村みよ子らは自分たちが「マルクス主義」に立つ「マルクス主義憲法学」者であることを、決して公言はしなかっただろう。
 ソ連崩壊=有力または最大の「社会主義」国家の解体の後に、辻村みよ子は「人民主権」ではなく(むろん「国民主権」ではない)「市民主権」ということを言い始め、男女共同参画やジェンダー・フリー(憲法学)へと表向きの関心を変えているようだ。

 こうした一人の(少なくとも従来の)マルクス主義者または「左翼」(学者・知識人)の動向は、中西輝政・強い日本をめざす道―世界の一極として立て(PHP、2011)p.150以下の、「粧いを新たにした」左翼の「見えない逆襲」に関する叙述に、完全に符合している。
 中西輝政のこの本には別の機会に言及する。なぜ、マルクス主義者を中核とする<左翼>は生き延び、日本の多数派を形成してしまっているのか?

0616/杉原泰雄の日本国憲法=「外見的市民革命」論。

 一 岩波からシリーズ・法律学への第一歩というのが出版されていた。全5巻で、二つ目が、杉原泰雄・憲法-立憲主義の創造のために-(1990)。
 第一巻が渡辺洋三・法律学への旅立ち(1990年時点で既刊)で、この人は日本共産党党員だったと確実に推測できる人(故人)。
 その他の執筆者は、第三巻の民法は田山輝明、第四巻の刑法は村井敏邦、第五巻の外国法(イギリス・ドイツ)は戒能通厚・広渡清吾。
 戒能通厚(前名古屋大学)の名はマルクス主義法学講座にもあったと思うが、このシリーズの執筆者たちは、杉原泰雄も含めて、日本共産党員か親日本共産党の者か、少なくとも反日本共産党ではない者であることは確実だろう。マルクス主義者・親マルクス主義であることは勿論。さすがに岩波書店だ。
 二 第二巻の上の杉原泰雄の本には教条的な日本共産党の主張・理解とは同じではない<歴史理解>もある。
 とりあえず気がついたのは、明治憲法から現憲法への「転換」を「日本の市民革命ともいうべきものであった」と述べつつ、しかし「革命としての実体を欠いていた」と叙述していることだろう(p.21)。
 戦後への「転換」につきかかる「市民革命」概念を日本共産党は用いない。
 だが、日本の「反立憲主義的政治の原因論」をふまえれば「日米安保体制が、軍事的に、経済財政的に国民生活にどのような危険性をもっているか、…を解明し、認識すること」ず重要だ旨の指摘(p.23-24)などは、<憲法体制と安保体制の矛盾・対立>という、長谷川正安(元名古屋大学法学部)がしばしば書いていたような日本共産党的な基本的法状況の認識の枠内にある。
 三 「市民革命」関係の上の叙述は、杉原泰雄・平和憲法(岩波新書、1987)でより明瞭に、かつ詳しく語られている。
 ・「明治憲法から日本国憲法への転換は、日本の市民革命ともいうべきものであった。しかし、外見上はそうではあっても、それは市民革命としての実体を欠いていた」(p.134)。
 ・「近代市民革命」の場合、「民衆」の他に「ブルジョアジー」が参加して、彼らも「新しい憲法原理」に敵対的ではなく、「新しい憲法原理」は「権力担当者と民衆」のいずれの「意識にも根」をおろす。だが、「日本国憲法は、その市民革命的類似の外形にもかかわらず」、このような「市民革命としての『実体』をもつことができなかった。その意味で、それは外見的市民革命ともいうべきものであった」(p.141-2)。
 ・「日本国憲法の制定は、徹底した意識変革の過程としての市民革命の内実を、支配層においても、一般国民の段階においても、伴っていなかった」(p.172)。
 上のための例証的叙述は省略する。「外見的市民革命」とは、ほとんど一般化していないが、面白い概念ではある。
 なお、杉原において、日本の<特殊性>も意識されてはいる。p.141の小活字部分にはこうある。
 「市民革命」は「もともと、資本主義の草創期における現象」だが、日本の戦後改革は「一応発達した資本主義社会における二〇世紀中葉の変革として、資本主義的生産関係の変革をも」視野に収めうるものだった。だが、占領軍の性格や日本の権力担当者の「巧みな対応」によって、その可能性は「憲法問題としては、現実化されなかった」。
 ここで視野に入り得たとされ、かつ現実化しなかったとされる「資本主義的生産関係の変革」とは、<社会主義化>又は<社会主義革命>に他ならないだろう。
 四 上の小活字部分についての「留保」は必要だが、杉原泰雄において刮目されるのは、第一に、どの国も、日本も、「市民革命」を経る必要がある、「市民革命」を経るはずだ、という強い、<宗教じみた>思い込みがあることだ。
 第二に、日本は<真の>「市民革命」ではなく「外見的市民革命」を経たにすぎない、という<歴史理解>は、<真の>「市民革命」を将来に経る必要がある(その筈だ)との理解につながっているはずだ。
 これを前提にすると、日本は「戦後改革」後も(現在も!)、フランスにおける<真の>「市民革命」以前の状態にあると理解されていることになる。日本の1945年頃は(そして現在も!)、フランスにおける1789年以前の状態なのだ-少なくとも「(真の)市民革命」の欠落のかぎりでは。
 また、小活字部分も併せて読むと、「市民(ブルジョア民主主義)革命」と「社会主義革命」とがすみやかに連続して起こる必要がある、起こるだろう、と考え、想定しているものと思われる。
 ここまで分析?すると、この杉原泰雄の考え方は日本共産党的・<講座派>マルクス主義のそれだ。
 以上をふまえて思うのだが、マルクス主義的歴史発展段階論、つまり封建制→絶対主義(絶対王制)→<市民革命>→資本主義→<社会主義革命>→社会主義、というシェーマに杉原がどっぷりと浸っていることは明らかだ。日本の状況を、なぜ外国産の理論でもって、かつなぜフランスの「市民革命」を範型として把握する必要があるのか。
 上に言及の二つの杉原の本はソビエト連邦・東欧社会主義諸国の崩壊・解体の前に書かれている。<市民革命>→資本主義→<社会主義革命>→社会主義、というシェーマ(図式)自体が狂人の戯言のごとく受けとめられるようになっている今日でも、杉原はなお、日本の「外見的市民革命」を語るのだろうか。「資本主義的生産関係の変革」などという言葉を使うのだろうか。ある意味では、憐憫の情も湧く。

0609/フランス・ジャコバン独裁と1793年憲法再論-河野健二と樋口陽一・杉原泰雄。

 フランス「革命」時のジャコバン派(モンターニュ派、ロベスピエールら)独裁、又はその初期を画した1793年憲法(但し、未施行)について、何回か書いてみる。

 一 すでにいく度か言及している。例えば、
 A 憲法学者の杉原泰雄・国民主権の研究(岩波書店、1971)にも触れた。
 より短縮して再紹介するが、杉原は、ルソーの「人民主権論」はとくに「『プロレタリア主権』論として、私有財産制の否定と結合させられながら存続していることは注目されるべき」で、「国民主権と対置して、それを批判・克服するためにの無産階級解放の原理として機能している」と述べたのち、次のようにつなげる。「『ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制』という一つの歴史の潮流、…二〇世紀…普通選挙制度・諸々の形態の直接民主主義の採用などに示される人民主権への傾斜現象さらには人民主権憲法への転化現象は、このことを明示するものである」。以上、p.181-2にあり、「」内は直接引用で、私・秋月の要約ではない。
 杉原において、「ルソーは民衆の解放を意図していたために、ブルジョアジーのための主権原理(「国民主権」)を本来構想しえなかった」とされる(p.92)。すでに書いたように、杉原において<ルソーは、早すぎたマルクスだった>のだ。
 また、これも既述だが、1971年には「ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制」という歴史的必然?を杉原は語り得たが、今となってみれば、<夢想>であり<幻想>であり、あるいは<妄想>にすぎなかった。
 杉原泰雄の上の著は、むろんジャコバン憲法=1793年憲法にも論及している。例えば、次のように。  ・p.82-「一七九三年憲法」による「『人民主権』の樹立に一応賛成する態度をとりつつ…封建地代の無償廃止に踏み切ったことも、民衆革命の高揚と…反革命に対処するためにブルジョアジーがそれに頼らざるをえない状況」にあったことを前提としてはじめて「合理的に理解」できる。。
 ・p.83-「民衆」は「人民主権」を、「ブルジョアジー」は「国民主権」を要求する。「民衆の革命的エネルギー」に頼らざるを得ない状況下では、「ブルジョアジー」は「『国民主権』の主張を自制」し、留保を付しつつ「『人民主権』に賛成するポーズ」をとった。「その事例」は、「一七八九年人権宣言、一七九三年憲法」である。
 1793年憲法(とくにその「主権論」)それ自体(但し、繰り返すが、施行されなかった!)の<急進的>・<民衆的>・<直接民主主義的>内容には、とりあえず、ここでは立ち入らない(杉原p.273~など)。

 B 憲法学者の樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)にも触れた。
 樋口陽一は、「一七八九年を完成させた一七九三年」と捉える立場に依って「ルソー=ジャコバン主義」を理解する旨を述べ(p.122)、次のように明言していた。再紹介する。p.170だ。

 日本(の一部)では「西洋近代立憲主義社会の基本的な約束ごと(ホッブズからロックを経てルソーまで)」が見事に否定されている。「そうだとしたら、一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」。

 樋口において、「ルソー=ジャコバン主義」、そして1793年憲法が肯定的・積極的に評価されていることは明らかだろう。そして、日本(人)はフランスの1793年の時期を、「ルソー=ジャコバン型個人主義」を「そのもたらす痛みとともに追体験」せよ、と(1989年、ソ連「社会主義」体制の崩壊の直前に)主張していたのだ。

 二 杉原泰雄は「『ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制』という一つの歴史の潮流」を明言していたが、樋口陽一も含めて、口には出さなくとも、戦後の所謂<進歩的>知識人・文化人は、ルソー→マルクス→レーニン、あるいはフランス革命(のような「ブルジョア革命」)→ロシア革命(のような「社会主義」革命)という、普遍的で必然的な?<歴史の流れ(発展法則)>を意識し、そのような観念・尺度でもって日本の国家・社会を観察していた(場合によっては何らかの実践活動もした)と思われる。

 そのような歴史観の形成に少なからず寄与したと思われるのは桑原武夫らのグループのフランス「革命」史研究であり、河野健二・フランス革命小史(岩波新書、1959。1975年に19刷)もその一つだろう。

 概読してみると、ジャコバン独裁(・1793年憲法)の位置づけ・性格づけなどについて、杉原泰雄や樋口陽一が前提とし、イメージしているような、マルクス主義的「通念」が<見事に>叙述されている。以下は、その概要又は断片のメモだ。「」は直接引用。

 ・フランス革命は「ブルジョア革命の模範」であるのみならず「歴史上の一切の革命の模範」とされる(「はしがき」)。
 ・1792年8-9月頃、ロベスピエールはこう書いた。「自分たち自身のため」の共和国を作ろうとする「金持ちと役人の利益」だけ考える者たちと、「人民のために」、「平等と一般利益の原則」の上に共和国を樹立しようとする者たちの二つに、これまでの「愛国者」は分裂する、後者こそ「真の愛国者」だ、と。「ロベスピエールが目ざしたのは、後者」だった(p.131)。
 ・1792年の時点で、「ジロンド派」と「モンターニュ派」の議会内対立は封建制・資本主義、資本家・労働者、反革命・革命の対立ではなく、両派ともに「ブルジョア・インテリたち」だったが、「ジロンド派」はチュルゴら百科全書派の弟子で「経済的自由主義」者だったのに対して、「モンターニュ派はルソーの問題意識と理論の継承者だった」。ロベスピエールもマラーもサン=ジュストも後者だった(p.133)。
 ・「モンターニュ派」は「…農民や手工業者を中核として、平等で自由な共和国をつく」ることを理想とし、その実現のための解決を、「政治の上では独裁と恐怖政治、道徳の上では美徳の強調と国家宗教(最高存在の崇拝)の樹立」のなかに求めた(p.134)。
 ・対外国戦争敗北等により1793年春以降、「政治情勢は急速に進んだ」。主流派の「ジロンド派」は抵抗し、「私有財産擁護」や「地方自治体の連合主義」を主張したが、5/31に「モンターニュ派」支持者による「蜂起委員会」の成立等により、6/02にパリでは「モンターニュ派」が勝利した(p.144-6)。
 ・1793年の6/24に議会が1793年憲法を採択、「人民投票」により成立した(但し、緊急事態を理由に施行延期)。この憲法は「ルソー的民主主義を基調」とし、「『人民』主権」を採り、議員は選挙民に「拘束」された。この最後の点は「『一般意思』は議員によって代表されないというルソーの理論の適用」だ(p.148)。
 ・実施されなかったこの憲法を、のちの「民主主義者たち」や「二月革命期の共和派左翼」は「福音書」扱いし、「革命の最大の成果をこの憲法のなかにみた」(p.148-9)。

 ・だが、「あまりにも美しく、あまりにも完全な」この憲法は、「一七九三年の条件のもとでは、まったく実現不可能なものだった」。「モンターニュ派」の「理想」ではあっても「現実政策」の表明ではなかった(p.149)。
 ・「都市の民衆暴動」に「モンターニュ派」は苦しみ、妥協して急進的法律をいくつか作りつつ、「過激派」の逮捕・裁判も強行した。そして、「公安委員会の独裁と恐怖政治がはじまった」(p.149-150)。

 ・公安委員会は「王党派、フイヤン派、ジロンド派」を追及し「処刑」した。だが、「ブルジョア的党派と、プロレタリア党派が排除されると」、「モンターニュ派」自体が左右に分裂し始めた。ロベスピエールら公安委員会は「反対派の生命をうばう」「個人的暴力」を用いた。これが「残された唯一の道」だった。1994年4月以降、公安委員会の独裁というより、「ロベスピエール個人、あるいは…を加えた三頭政治家の独裁」だった(p.155-7)。

 ・三人の一人、サン=ジュストは「反革命容疑者の財産を没収」し「貧しい愛国者たちに無償で分配」することを定める法令を提案し制定した。「ルソーが望んだように『圧制も搾取もない』平等社会を実現」することを企図したものだが、「資本主義が本格的にはじまろう」という時期に「すべての人間を財産所有者にかえようとする」ことは「しょせん『巨大な錯覚』(マルクス)でしかなかった」(p.157)。
 (河野健二による総括的な叙述の紹介を急ごう。)
 ・経済的には「ブルジョア革命」は1793年5月に終わっていた。その後に「ロベスピエールが小ブルジョア的な精神主義」に陥ったとき、「危機が急速度にやってきた」。
 ・だが、「ロベスピエール派」の「政治的実践」は「すべて無効」ではない。「モンターニュ派」による国王処刑・独裁強化は「一切の古い機構、しきたり、思想を一挙に粉砕し、…政治を完全に人民のものにすることができた」。「この『フランス革命の巨大な箒』(マルクス)があったからこそ、人々は自由で民主的な人間関係をはじめて自分のものとすることができた」(p.166-7)。
 ・「モンターニュ派」独裁の中で、「私有財産にたいする攻撃、財産の共有制への要求があらわれた」。とくにロベスピエールは、「すべての人間を小ブルジョア的勤労者たらしめる『平等の共和国』」を樹立しようとした。しかし、戦争勝利とともに「ロベスピエール派」は没落し、上の意図は「輪郭がえがかれたままで挫折した」(p.190)。
 ・「資本主義がまさに出発」しようとしているとき、「すべての人間を小ブルジョアとして育成し、固定させようとすることは、歴史の法則への挑戦であった」。「悲壮な挫折は不可避であった」(p.190)。
 ・ロベスピエールが「独裁者」・「吸血鬼」と怖れられているのは彼にとって「むしろ名誉」ではないか。彼こそ、「民衆の力を基礎として資本の支配に断乎たるたたかいを挑み、一時的にせよ、それを成功させた最初の人間だから」だ(p.191)。

 ・今世紀、ロシア・中国で、「ブルジョア革命のもう一歩さきには、社会主義社会をめざすプロレタリア革命が存在することが…実証された」(p.193)。
 ・レーニンは1915年に書いた。「マルクス主義者」は「偉大なブルジョア革命家に、最も深い尊敬の念をよせ」る、と。その際、「彼はロベスピエールの名前をあげることを忘れなかった」。レーニンは「ブルジョア革命と社会主義革命」との間の「深いつながり」を見ていた。
 ・「事実、ロシア革命の一歩一歩は、フランス革命におけるジャコバンのたたかいと、公安委員会とパリ・コミューンの経験を貴重な先例として学びつつ進められた」(p.193)。
 ・すべての「民族・民衆が『自由、平等、友愛』をめざすたたかいをやめないかぎり」「フランス革命は、…永久に生きつづけるにちがいない」(p.193)。
 三 以上の河野健二著の紹介は、むろん<(肯定的に)学ぶ>ためにメモしたのではない。現在はフランス、アメリカ等で<修正主義>が有力に主張されるなど、フランス革命の「革命」性自体が問題になっている。そして、細かな部分は別として、河野の叙述もじつに教条的なテーゼらしきものを前提としていることが分かる。最後の方の「まとめ」的部分などは、むしろ冷笑と憐れみをもって読んだ。
 <進歩的>知識人・文化人が共有したと見られる<フランス革命観>からもはや離れなければならない。
 <ジャコバン独裁>の中に、ロベスピエールの思考の中に、ロシア革命<「社会主義革命」の「先取り」>を見て、あるいは<早すぎたがための失敗・挫折>を見て、(いかほどに正直に書くかは別として)肯定的側面を見出すような思考をもはや止めなければならない。
 河野健二もまた、(明言はたぶんないが)日本にも徹底した「民主主義」化と「社会主義革命」がいずれ不可避的に生じるだろうと「夢想」していたのだろう(フランス革命の経験が<日本革命>にとってどのように「貴重な先例」として「学び」の対象になると考えているのかは全く不明だが)。
 四 1950年代末に書かれ、長く出版され続けた河野のような本を、杉原泰雄も樋口陽一も読んで、脳内に蓄え込んだものと思われる。そこでのフランス革命観と基本的な歴史発展の認識が誤っているとすれば、彼らのいかなる憲法関連の議論も、どこかが狂っているものになっているだろう。

0525/フュレ・フランス革命を考える(岩波、1989)を少し読む-主流派はマルクス主義。

 外国人の本は、翻訳という作業を媒介とするために、読みにくい、理解し難いところがあるものだ。という思いをあらためてもちつつ、フランス革命<解釈>に関する、フランスの「修正主義」派の代表者の一人の本、フランソワ・フュレ(大津真作訳)・フランス革命を考える(岩波、1989)を少しだけ読んでみた。
 日本に比べて、フランスでは自国の歴史(の見方)についての対立は少ないのだろうという何となくの想定があったが、実際にはそうではなく、フランス革命の位置づけ・性格づけも含めてかなりの対立・議論があるようであることは興味深い。かかる一般的な感想を生じさせる部分は省略して、すでにいくつか、興味を惹く文章がある。以下の引用は、フュレの上記の本。
 ①「フランス革命の歴史家たち〔従来の主流派-秋月〕は、自分たちの一九一七年にたいする感情とか判断とかを過去にも投影し、第二の革命を予告し予示すると見なされるものを、第一の革命のなかで特権的な地位にまで高める方向に傾いた」(p.11)。
 面白い指摘だ。「一九一七年」とはロシア革命、第二の革命とは「社会主義」革命のこと。つまり、従来の主流派のフランス革命「解釈」は、フランス革命の過程の中で将来の「社会主義」革命を「予告し予示する」と見なしたものを重視した(「特権」化した)、という。そして、将来の「社会主義」革命を「予告し予示する」ものとは、まさに<ジャコバン独裁>期(ジャコバン主義が支配した「革命政府」期)に他ならない。
 「一九一七年」=ロシア革命に関する「感情とか判断」は、むろん肯定的評価を意味する。そして、そういう<感情・判断>からすると、ロシア革命のような「社会主義」革命を「予告し予示する」<ジャコバン独裁>期はとくに重視される、という意味になる。
 むろんこれは、フュレの従来の主流派に対する批判であり、皮肉だ。つぎの②も主流派的フランス革命「解釈」への批判・皮肉。
 ②「二つの革命にかんする歴史学の弁舌はおたがいにのりこみあい、汚染しあう。ボリシェヴィキはジャコバン派を先祖とし、ジャコバン派は共産主義の予想図をもった」(p.11-12)。
 フランス革命(ジャコバン派)とロシア革命(ボリシェヴィキ)の二つをこのように明確に関係づける、このようなフランス人の(邦訳された)文章を読むと、新鮮な感動すら生じる。まさに<フランス革命(ジャコバン派)がなければロシア革命(ボリシェヴィキ)もなかった>、と言えるのだ。
 ③私たち〔フュレとドゥニ・リシュ-秋月〕の本(1965-66)は「アルベール・ソブールとその門下が採用したマルクス主義的解釈のひとつに背いているとの疑いを受けている」。二人は「『ブルジョワ・イデオロギー』のために利敵行為を働いている、と非難されている」(以上、p.156)。
 つまり、従来の主流派とはフランスの<マルクス主義歴史学>(の一つ)だという旨が、これらによって明言されている。すでに、上の①や②からでも容易に明らかになることだが。
 ④従来の主流派の一人であるクロード・マゾリクは(フュレらが)「ジャコバン的拡張主義にたいして煮え切らない態度をとっている」と疑っているが、長い叙述のあげく、次のように述べて「彼の明敏さの秘密」を暴露した。「歴史家の方法は、レーニン主義的労働者党の方法と理論的には同一のものである」(p.156-7)。
 上の最後の「」はフュレではなく従来の主流派の一人(マゾリク)の文章の引用。
 このくらいにしておくが(なお、以上はすべて、1991年=ソ連解体前の文章)、以上で明らかなのは、フランス革命を典型的「ブルジョア革命」と捉え、かつ<ジャコバン独裁>期を不可欠のものとして重視する<従来の主流派>とは、<マルクス主義(歴史学)>者たちだ、ということだ。従って、単純に言って、<修正主義>派とは反・マルクス主義(=反・共産主義)者たちだ、ということになる。
 高橋幸八郎大塚久雄らが自らの立場をどのように<正直に>語っていたかは知らないが、日本の<主流派>的なフランス革命「解釈」もまた、マルクス主義又は少なくとも親マルクス主義のそれだ、と言ってよい。ということは、樋口陽一のフランス革命「解釈」もまた、それを当然に継承している、ということになる。前回又は前々回に触れたように「一九一七年」=ロシア革命に対する批判的意識・感覚が樋口陽一には欠落しているようであることも、このことを証明又は示唆しているだろう。
 今後もこのフランス革命・<ジャコバン独裁>問題に言及するが、樋口陽一一人にかかわりたいためでは勿論ない。樋口陽一のような人々、樋口陽一(のような人々)の「教育」を受けた人々、樋口陽一(のような人々)の「指導」を受けた現在の大学教授たち(例えば、直接の指導教授は樋口陽一ではなくすでに「マルクス主義」憲法学者としてこの欄で論及した杉原泰雄ではないかと思われるが、現在は東北大学教授の辻村みよ子)が多数おり、「マルクス主義」的なフランス革命「観」を日本人に撒き散らしている、と思われるからだ。

0424/大月隆寛、辻村みよ子、保阪正康。

 1.産経新聞3/19の「断」というコラムで、大月隆寛が、福田康夫首相も用いた「生活者」という言葉に(「オルタナティブ」や「自立」と同様に)警戒する必要がある旨を書いている。<生活者(市民)の目線で>などと言っている政治家は信用できない旨をこの欄で書いたことがあり、大月には全く同感だ(大月の文章は愉快でもある)。
 大月は「プロ市民系のお札みたい」な言葉の筈なのに福田首相までが何故?、という叙述をしていたので、「市民」という言葉自体が「プロ市民系」の用語であることがあることを思い出した。いわく<市民運動>・<市民参加>・……。
 2.ここでさらに連想したのだが、憲法学者・辻村みよ子(現在、東北大学)は2002年に『市民主権の可能性-21世紀の憲法・デモクラシー・ジェンダー』という著書を刊行している(有信堂高文社)。「デモクラシー・ジェンダー」という概念の並び、すでにマルクス主義(但し、非共産党系と見られる)憲法学者としてその本の一部に言及した杉原泰雄(元一橋大)が指導教授だったらしいこと、と併せて推測すると、この「市民主権の可能性」というタイトル自体が、「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」(大月の上のコラム内の言葉)の概念である可能性があるだろう。
 安い古本が出れば、この辻村の本を読んでみたい。なお、
辻村みよ子には(これまた所持しておらず安い古本待ちだが)『人権の普遍性と歴史性―フランス人権宣言と現代憲法 』(1992)という本もある。ルソー・フランス革命・「人権宣言」に親近的な者であることにたぶん間違いない(かりに「賛美者」とは言えなくとも)。
 ついでにさらにいうと、辻村みよ子は小森陽一と岩波ブックレット・有事法制と憲法(2002)を書いてもいる。「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」の精神世界に居住する(と見られる)れっきとした憲法学者が国立大学(法人)に現にいらっしゃることを忘れてはならない。
 3.言葉、ということでさらに連想したのだが、かつては「左翼」又は進歩的文化人・知識人に馴染みだった筈の言葉に、<ファシズム>がある。この言葉自体はよいとしても(つまりドイツやイタリアについては使えるとしても)、少なくともかつては、日本も戦前(・戦中)は「ファシズム」国家だったという認識が、意識的に又は暗黙裡に表明されていたと思われる。何といっても、先の大戦は、<民主主義対ファシズム>の戦争で、道義的・倫理的にも優る前者が勝利した、と(GHQ史観の影響も受けて)語られてきたのだ。
 しかるに、丸山真男が典型だったが、戦前日本をファシズムと規定するかかる用語法は近年はあまり用いられなくなった、と思われる。
 ところが、この語を2006年の夏に平然と用いていた者に、評論家・保阪正康がいる。以下の記事にはこれまでも別の角度から言及したことがあるが、保阪正康は2006年8月の朝日新聞紙上で、次のように明記した。
 「…昭和10年代の日本は極端にバランスを欠いたファシズム体制だった…」、「無機質なファシズム体制」が2006年08.15に宿っていたとは言われたくない(「ひたすらそう叫びたい」)。
 さて、保阪正康は具体的には又は正確には「ファシズム(体制)」をどのようなものと理解し又は定義したうえで、日本はかつてその「体制」にあり、その再来を憂える、と主張しているのか。歴史家又は歴史評論家(とくに昭和日本に関する)を自認するのなら、この点を揺るがせにすることはできない筈だ。どこか別の本か何かに書いているのかもしれないが、かりに平然と又は安易に戦前日本=ファシズムというかつての(左翼に主流の)図式に現在ものっかっているだけならば、昭和日本に関する歴史家又は歴史評論家と自称するのはやめた方がよい。かりに「作家」の資格で文章を書いているとしても、かつての「プロ市民系」、<社会党共産党界隈>の概念を、その意味を曖昧にしたままで安易に用いるべきではなかろう。

0364/久しぶりにフランス革命について。

 フランス革命という「市民(ブルジョア)革命」やルソーについてはこれまでも、関心を持ってきた。
 そして、フランス革命がなければマルクス主義もロシア革命もなく、「社会主義」国内での1億人以上の(?)の自国民の大量殺戮もなかった、あるいは、ルソー(ルソー主義)がいなければマルクス(マルクス主義)も生まれず、(マルクス=レーニン主義による)レーニンの「革命」もなかった、という結論めいたことを示してもきた。
 その際、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)にかなり依拠したし、<化石>のごとき杉原泰雄の本、<化石部分をまだ残している>ごとき辻村みよ子の論述にも触れた。
 10回以上に及んでいると思うが、例えば、2007.07.04、2007.06.27、2007.03.20。
 伊藤哲夫・憲法かく論ずべし-国のかたち・憲法の思想(日本政策研究センター・高木書房発売、2000)の第三章「市民革命神話を疑う」(p.124~p.157)は、フランス革命について書いている。
 研究書でないため詳細でもないし、ルソーらとの関係についても詳細な叙述はない。しかし、フランス革命の経緯の実際-その<残虐な実態>-については、初めて知るところが多かった。
 逐一の引用・紹介はしない。実態ではない理論・思想問題についての叙述の引用・紹介も省略するが、三箇所だけ、例外としておこう。
 ①「革命の過程で生まれる『人民主権』といった観念こそが、実は『全体主義の母胎』なのであり、例えば民主主義の父・ルソーは、いわば『一般意思』と『人民主権』の概念を提唱したことによってかかる全体主義の父ともなった、と彼は告発しもする」(p.138)。
 ここでの「彼」とは、サイモン・シャーマ(栩木泰・訳)・フランス革命の主役たちの著者だ。
 ②「今日なおこの大革命『聖化』の大合唱に余念がないのが、わが国の知識人たちであり憲法学者たちだといえる」(p.140)。なお、冒頭には、樋口陽一、杉原泰雄という二人の憲法学者の名と叙述が紹介されている。
 ③フランス革命が「わが社会の目指すべきモデルだと、永らく説き続けてきたのがわが国の知識人でもあった。/…国民は、こうしたマインド・コントロールされた<痴呆状況>から解放されるべき」だ(p.157)。
 さらにフランス革命について知りたいという関心が湧いてくる。サイモン・シャーマの上記の本の他、フランソワ・フュレフランス革命を考えるや、二〇世紀を問う、という本などを、伊藤は使っているようだ。
 残念ながら詳細な参考文献リストはない。これらの本が容易にかつ低廉に入手できればよいのだが。

0262/辻村みよ子はなぜ<人民主権>の方を選好するのか。

 先日言及した棟居快行ほか編・いま、憲法学を問う(日本評論社、2001)には、「主権論の現代的展開」と題する、棟居快行と辻村みよ子の対談がある。
 辻村はフランス革命期の分析をふまえて近代以降の主権論にも<ナシオン(国民)主権><プープル(人民)主権>があるとする論者で著名らしい(詳しくは知らない)。前者についてこう説明する。
 「ナシオン主権論は、歴史上、もともとフランス革命時に一握りのブルジョアジーが権力を独占するために抽象的・観念的な建前としての全国籍保持者を主権主体としつつ、実際には自分たちだけが国民代表となって主権を行使するために構築した理論です」(p.58)。
 ほう、<ナシオン(国民)主権>とは歴史的限界のある理論なのかという気がするが、それにしても、「一握りのブルジョアジー」などというマルクス主義的言葉をいとも簡単に使えるのはこの人らしいのだろう。また、ここで言っている趣旨は、この人の指導教授らしい杉原泰雄の1971年の本にも書いてあった。
 そのあと「プープル(人民)主権」の説明もあり、日本国憲法は「両者に適合的な規定の両方が混在している」とする。
 だが、基本的な疑問は、日本の<主権>構造あるいは<代表制>のありようを、なぜフランスでの概念を使って説明する必要があるのか、だ。欧米諸国の全て又は殆どが上記の二種の主権概念を知っており、それらを使って議論しているのならは別だが、フランスだけだとしたら、何故日本の問題をフランスの議論を使って説明する必要があるのか。この人に限らないだろうし、憲法学/法学にも限らないだろうが、外国の法制又は法理論によって日本のことを説明したり議論するのはもうやめた方がよいのではないか。
 もともと、上の二つの区別は、私には、<間接民主主義>と<直接民主主義>という語を使って説明し議論もできるように感じる。
 次の叙述も私にはきわめて疑問だ。
 日本国憲法を「どちらの方向に解釈してゆくのか、という解釈論の問題」については、「現代憲法として、より民主的な制度を採用しうるプープル主権の方向に解釈することが望ましいと考えます」(p.60)。
 杉原泰雄の国民主権の研究(1971)でも<人民主権>は「民衆」、<国民主権>は「ブルジョアジー」という対置があり、前者がより<進歩的>に理解されていたと思うが、この点でも、辻村は指導教授を継承しているようだ。
 基本的な問題は、なぜ、「プープル主権の方向」の方が「より民主的な制度を採用しうる
」のか、だ。これは間接民主主義よりも直接民主主義の方が「より民主的」と言っているに等しい。第一に、そもそも「民主的」ということの意味に関係するが、なぜ、このように簡単に言えるのか
 第二に、かりに間接民主主義よりも直接民主主義の方が「より民主的」だと言えるとしても、そのことのゆえに直接民主主義の方が制度として<より優れている>と、なぜ言えるのか<民主的>であればあるほど<より優れて>いるなどというのは、ただの<思い込み>ではないのか
 こんなふうに「プープル(人民)主権」を私が警戒するのも、その淵源がルソーにある、「人民」の名による(「人民民主主義」の下での)圧制・専制政治を実際の歴史は経験しているからだ。
 辻村の憲法教科書は序章で特段の定義も説明も限定もなく「平和憲法」という語を登場させていることに気づいたくらいで、未読のままだ。また、岩波ブックレット・有事法制と憲法(2002)計54頁のうち32頁を執筆して「有事法制」批判をしているのは知っているが、これもまだ読んでいない。
 <憲法再生フォーラム>の会員(少なくとも2001年時点)であることも含めて見れば、辻村が相当に固い九条護持論者であることは容易にわかる。
 さらには、おそらくは浦部法穂と同様に、あるいは少なくともかつての杉原泰雄と同様に、日本における「民主主義」の徹底→<社会主義革命>という歴史的推移を予想していたマルクス主義者又はマルクス主義シンパではなかろうか。この人が説いているという「市民主権」論の内容とともに、そのような徴表・痕跡がないかどうかにも関心をもって、辻村みよ子の文献を今後読んでみたい。

0261/憲法再生フォーラム、2001年11月現在の全会員の氏名。

 憲法再生フォーラムなる組織(団体)について、4/08に、「2001.09に発足した団体で2003.01に会員35名、代表は小林直樹高橋哲哉(以上2名、東京大法)・暉峻淑子、事務局長・小森陽一(東京大文)だったようだ」、同編・改憲は必要か(岩波新書、2004)によると2005年6現在「会員39名、代表は辻井喬桂敬一水島朝穂(早稲田大法)、事務局長・水島朝穂(兼務)、のようだ」と書いた。
 岩波ブックレット・暴力の連鎖を超えて(2002.02)も実質的には同フォーラム関係の出版物のようで、この冊子には、2001年11月現在の、従っておそらくは発足当時の、会員全員の氏名・所属・専門分野が掲載されている。
 資料的意味があると思うので、以下に転記しておく。
 代表名-加藤周一(評論家)、杉原泰雄(一橋大→駿河台大/憲法学)、高橋哲哉(東京大/哲学)、会員29名-石川真澄(元マスコミ/政治学)、井上ひさし(作家)、岡本厚(「世界」編集長)、奥平康弘(元東京大/憲法学)、小倉英敬(/思想史)、加藤節(成蹊大/政治学)、金子勝(慶応大/経済学)、姜尚中(東京大/政治学)、小林直樹(元東京大/憲法学)、小森陽一(東京大・文学)、坂本義和(元東京大・政治学)、佐藤学(東京大/教育学)、新藤栄一(筑波大/政治学)、杉田敦(法政大/政治学)、隅谷三喜男(元東京大/経済学)、辻村みよ子(東北大/憲法学)、坪井善明(早稲田大/政治学)、暉峻淑子(元埼玉大/経済学)、豊下楢彦(関西学院大/政治学)、長谷部恭男(東京大/憲法学)、樋口陽一(元東京大/憲法学)、古川純(専修大/憲法学)、間宮陽介(京都大/経済学)、水島朝穂(早稲田大/憲法学)、最上敏樹(国際基督教大/国際法)、持田希未子(大妻女子大/芸術大)、山口二郎(北海道大/政治学)、山口定(立命館大/政治学)、渡辺治(一橋大、憲法学)
 以上のうち、加藤周一、井上ひさし、奥平康弘の3氏は、「九条の会」呼びかけ人でもある。
 岩波書店が会合場所・事務経費等をサポートしている可能性が高い。そして、名簿を見て感じる一つは、現・元の東京大学教授の多さで、上の計32名のうち10名がそうだ。東京大学出身者(例、山口二郎)を含めると、半数程度を占めるのではないか。朝日新聞社もそうだが、岩波書店も「東京大学」という<権威(らしきもの)>が好きなようだ。<左翼>ではあっても決して<庶民的>ではない印象は、雑誌「世界」でも歴然としている。
 憲法学者は、小林直樹、奥平康弘、杉原泰雄、樋口陽一、渡辺治、水島朝穂、辻村みよ子、古川純、長谷部恭男。いずれもよく見る名前だ。
 ハイエクについての本も多い経済学者の間宮陽介が入っているのに驚いた。

0260/自由と民主主義との関係をほんの少し考える。

 芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.17は、「立憲主義と民主主義」との見出しの下でこう書いている。
 「①国民が権力の支配から自由であるためには、国民自らが能動的に統治に参加する民主制度を必要とするから、自由の確保は、国民の国政への積極的参加が確立している体制においてはじめて現実のものとな」る。
 「②民主主義は、個人尊重の原理を基礎とするので、すべての国民の自由と平等が確保されてはじめて開花する、という関係にある。民主主義は、単に多数者支配の政治を意味せず、実をともなった立憲民主主義でなければならない」。
 以上には、「自由」・「民主制度」・「国民の国政への…参加」・「民主主義」・「個人尊重の原理」・「平等」等の基礎的タームが満載だ。そして、それらが全て対立しあうことなく有機的に関連し合って一つの理想形態を追求しているような書き方だ。
 阪本昌成の本の影響を受けて言えば、上の文は、諸概念の「いいとこ取り」であり、「美しいイデオロギー」であって、とりわけ「自由」・「平等」・「民主」それぞれが互いに本来内包している緊張関係を無視又は軽視してしまっているのではないか(ついでに、上にいう「立憲民主主義」とは一体どういう意味なのだろうか)。
 上の①は<権力からの自由>のためには<民主制度が必要>と言うが、<権力からの自由>のためには<民主制度のあることが望ましい>とは言えても、<必要>とまで断言できるのだろうか。
 上の②は<民主主義の開花>のためには<国民の自由と平等の確保>が前提条件であると言うが(「…されてはじめて開花する」)、国民に<自由と平等>のあることが<民主主義の「開花」のためには望ましい>と言えても、前者は後者の不可欠の条件だと断言できるのだろうか。
 <有機的な関連づけ合い>がなされているために、却って、それぞれの固有の意味が分からなくなっている、又は少なくとも曖昧になっているのではないか。
 それに次のような疑問が加わる。
 消滅した国家に、ドイツ「民主」共和国、ベトナム「民主」共和国、現存する国家(らしきもの)に朝鮮「民主主義」人民共和国というのがある。これらは国名に「民主(主義)」を書き込むほどだから、自国を「民主的」な又は「民主主義」の国家だと自認し、宣言している(いた)ことになる。
 しかるにこれらの国々において、上の②のいう「
すべての国民の自由と平等が確保されてはじめて…」という条件は充たされていた(いる)のだろうか。これらの国々の国民に「自由」がある(あった)とはとても思えない。
 とすると、これらの国々の資本主義諸国又は自由主義諸国に対抗するために本当は「民主主義」は存在しないことを知っていながら僭称していた(ウソで飾っていた)のだろうか。
 私はそうは考えていない。彼らには彼らなりの「民主主義」観があり、「民主主義」もあると考えていた、と思っている。
 唐突だが、日本共産党は、同党の運営は<民主主義的ではない>とはツユも考えてはいないと思われる。つまり、一般党員(支部所属)→党大会代議員選出→党大会・中央委員選出→中央委員会設立(議長選出)→幹部会委員選出→幹部会委員会設立(委員長等選出)→常任幹部会委員選出→常任幹部会設立という流れによって、究極的には一般党員の意思にもとづいて、中央委員会も幹部会委員会も(委員長も)常任幹部会も構成されており「民主(主義)」的に決定されていると説明又は主張しているだろう(地区・都道府県レベルの決定については省略した)。
 だが、上の過程に一般党員から始まる各級の構成員に、上級機関の担当者を選出する本当の「自由」などあるのだろうか。
 筆坂秀世・日本共産党(新潮新書、2006)p.84-によると、定数と同じ数の立候補者がいて中央委員の選出も「実態は、とても選挙などといえるものではない」。また、p.89-によると中央委員選出後の第一回中央委員会では、仮議長選出→正式議長選出→幹部会委員長・書記局長の推薦することの了承(拍手で確認)→同推薦(拍手で確認)→その他の幹部会員も同様という過程を経るらしい。
 ある大会(22回)のときの具体的イメージとしては、「大会前に…人事小委員会が設置され、大会前に…四役の人事案がすでに作成され、常任幹事会で確認されていた。/一中総では幹部会委員、第一回幹部会では常任幹部会員が選出される。このときの第一回幹部会などは、一中総の会場の地下通路に五五人の新幹部会委員が集まり、全員が立ったままで、不破氏が二〇人の常任幹部会員の名簿を読み上げ、拍手で確認して決まった」(p.90-91)。
 かかる過程のどこに「自由」はあるのだろう。だが、一般党員・一般中央委員等の意思に基づいているかぎりで「民主主義」は充たされている、とも言える。
 日本共産党の話をしたが、同じ事は、旧東独・旧ベトナムでも基本的には言えたのだろう(北朝鮮については現在は形式的にすら「民主主義」が履践されていない可能性がある)。
 言いたいのは、「民主主義」とは「自由」や「平等」の条件がなくても語りうるし、そのような意味での「民主主義」の用法も誤りではない(むしろ純化されていて解りやすい)ということだ。
 マルクス主義憲法学者の杉原泰雄・国民主権の研究(岩波、1971)は<ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制>という歴史の潮流を語り、現に見られる「人民主権憲法への転化現象」についても語っていたのだが(p.182、6/21参照)、「人民主権憲法」とは「人民民主主義」憲法(=社会主義憲法)の意味ではないかと推察される。
 すなわち、民主主義にも、マルクス主義によれば、あるいは現実に社会主義国が使った語によれば、「ブルジョア民主主義」と「人民民主主義」とがある。旧東独等での「民主」とは日本共産党内部の「民主主義」と同様の「人民民主主義」又は「民主集中制」だったのだろう。
 こうしたマルクス主義的用語理解の採用を主張したいわけではない。ただ、現実には「自由」とは論理的関係なく「民主主義」という語は使われてきたことがあることを忘れてはならないだろう。
 「自由」と「民主」の双方を語るのは良いし、双方ともに追求するのも構わないだろう。だが、上の芦部信喜氏が説くようには、両者は決して相互依存関係にはない、と理解しておくべきだ、と考える。それぞれに固有の価値・意義が、区別して、より明瞭に語られるべきだ。
 以上、阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー第二版(有信堂、2004)p.90のあたりに刺激を受けて書いた。阪本の主張を紹介したのでは全くない。但し、阪本は芦部信喜氏の上の②につき「若い憲法研究者がこの民主主義観にはもはや満足することはないものと、私は期待する」とコメントしている。

0243/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す(2000)のフランス革命論。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)は副題に「フランス革命」が付いているし、第Ⅱ部のタイトルは「立憲主義の転回―フランス革命とG・ヘーゲル―」なので、全篇がフランス革命に関係していると言える。そのうち、第Ⅱ部第6章「立憲主義のモデル」からフランス革命に直接関係がある叙述を、私が阪本昌成氏になったつもりで、抜粋的・要約的に以下にまとめてみる。
 フランス人権宣言16条が「憲法」の要素(要件)として「権利の保障」と「権力分立」の二つを挙げるていることは誤った思考に陥りやすく、要警戒だ。同宣言はいくつかの「権利」を明記しているが、それらのうちの「自由」・「平等」・「財産権」はフランスと米国ではニュアンスが異なる。とくに、「自由」の捉え方が根本的に違う。
 いま一つの「権力分立」は、フランス革命期には権力分立の亜種すらなく、ルソー主義の影響で、立法独占議会・「一般意思」表明議会の下での司法・行政だった。建国期アメリカの権力分立論は、人間に対する不信・権力への懐疑・民主制の危険等々<保守>の人びとの構想だった。
 今日では民主主義の統治体制を統制する思想体系が必要だ。
 フランス革命の意図は、1.王権神授説→理性自然法の実定化、2.民主主義と中間団体の排除、3.君主の意思が源泉との見方の克服、4.人間の自律的存在の条件保障、にあったが、1978年の封建制廃止・人権宣言による国民主権原理樹立後数十年間も変動したので、「近代の典型でもなければ、近代立憲主義の典型でも」ない
 フランス革命が安定をもたらさなかったのは、それが政治現象(=下部経済構造の変化に還元不可、=宗教対立でもない)で、<法と政治を通じて、優れた道徳的人間となるための人間改造運動>、<18世紀版の文化大革命>だったから。
 プープル(peuple)とは政治的には人民の敵を排除し、道徳的には公民たりえない人々を排除するための語だった。
 だが、人間改造はできなかった。「人間の私利私欲を消滅させようとする革命は失敗せざるをえ」ない。「偉大な痙攣」に終わった。
 フランス革命は均質の国民からなる一元的国民国家、差別なき平等・均質社会の樹立を目指したが、諸理想は「革命的プロパガンダ」に終わり、「結局、中央集権国家をもたらしただけで失敗」した。
 ブルジョア革命との高橋幸八郎ら歴史学者の定説やフランスでの「ジャコバン主義的革命解釈」はあるが、一貫性のないフランス人権宣言との思弁的文書、その後の一貫性のない多数の成文憲法、ジャコバン独裁、サン・キュロット、テルミドール反乱、ナポレオン、王制復古という流れには「構造的展開」はない。<フランス革命は民主主義革命でもなければ、下部構造の変化に対応する社会法則を体現したものでもない>。
 フランス革命の後世への教示は、自由・平等、自由主義・民主主義を同時に達成しようとする「政治体制の過酷さ」だった。ヘーゲルはこれを見抜いていて、「市民社会」の上に「国家」を聳え立たせようとした。これはマルクスによってさらに先鋭化された。
 フランス革命時の「憲法制定権力」との基礎概念は「革命期における独裁=過酷な政治体制を正当化するための論拠」で、「人民(プープル)主権論」こそが「代議制民主主義を創設」しなかったために「全体主義の母胎」になった。
 辻村みよ子は「近代市民社会」と「人権」との基礎概念を生み出した1789年の重要性にはすでにコンセンサスがあると反論するだろうが、1.1789年以降の諸憲法は「どれほどの自由を人びとにもたらした」のか、2.フランス人権宣言は政治的PR文書だ、3.91年憲法も93年憲法も「人為的作文(…法学者が頭の中で考えたデッサン)」で、ナシオン主権→間接民主制、プープル主権→直接民主主義原則というロジックは、「タームの中に結論を誘導する仕掛けを用意しているからこそ成立」する。
 91年憲法か93年憲法かとの論争は、ある憲法が<実際、どれだけの自由保障に貢献したか>で評価する必要がある。マルクス主義的階級・経済概念を用いてフランス革命を分析すべきでない。<人民主権原理が徹底するほど民主的で望ましい>とか<自由よりも本質的平等を謳う人権宣言が進歩的>などと断定すべきでない。
 ヘーゲルはフランス革命に「市民社会」作出を見たが、ヘーゲルの「市民」とフランスの「公共善を目的として活動する活動するシトワイアン」とは同じではない。
 後世の歴史家はフランス革命を二項対立図式で捉えて旧体制との「非連続性」を強調するが、トクヴィルルフェーブルは「連続性」を指摘した。
 「市民社会」=「ブルジョア社会」とし人間の労働が「プロレタリア階級」を不可避的に生むと論じたのがマルクスだ(ヘーゲルにおける「ブルジョア」概念はこうではなかった)。
 フランス革命による「第三階級」の解放に続く「第四階級=プロレタリア階級」の解放、フランス革命のやり遺しの実現を展望する者もいたが、フランス革命中の「恐怖政治」を「過渡的現象として不可避なこと」と見る脳天気な者は「歴史に対して鈍感すぎる」か「政治的に極端なバイアス」をもっている
 「均質化された大衆の権力ほど、自由にとって危険なものはない」。「実体のない国民が人民として実体化され、ひとつの声をもつかのように論じられるとき、全体主義が産まれ出ます」。フランス革命中の「一般意思」、「人民主権」、「人権思想」は「合理主義的啓蒙思想の産み落とした鬼子だ」。
 教科書でロックとルソー、フランス革命とアメリカ革命が同列に論じられるのは「私からすれば論外」だ。
 マルクス主義の強い日本では、イギリスが資本主義誕生国だったので、イギリスを乗り越えようとしたフランスを「モデル」にしたのでないか。
 以上、阪本昌成のフランス革命の見方・評価は明確だ。近代の典型でもなければ、近代立憲主義の典型でも」ないと言い、ルソーの人民主権論」こそが「全体主義の母胎」になったとも明言している。また、すでに言及した、杉原泰雄が前提としている歴史の「構造的展開」を否定し、
ナシオン主権→間接民主制、プープル主権→直接民主主義原則という単純化も否定している。「民主主義」を無条件に受容してはならない旨も繰り返されている。
 ヘーゲルの意図と違うとはいえ、フランス革命(「市民社会」作出)がマルクス主義につにながったことも明記している。総じていうと、わが国のマルクス主義的フランス革命理解を公然と批判している、と言ってよい。
 ルソーやフランス革命を肯定的に理解するかどうかが親共産主義(<全体主義)と親自由主義を分ける、といつか書いたことがある。また、マルクス主義自体は公然とは語られなくともルソーの平等主義によってそれは容易に復活する旨の中川八洋の言葉を紹介したこともある。
 桑原武夫をはじめとして、戦後の「進歩的」文化人・知識人はフランス革命を賛美し、民主主義革命の欠如した・又は不十分な日本を批判し、「革命」へと煽るような発言をし論文を書いてきた。
 今やフランスでもフランス革命の「修正主義」的理解が有力になりつつあるとも言う。
 フランス革命がなければマルクス主義もロシア革命もなく、1億人以上の?の自国民の大量殺戮もなかった(ソ連、中国、北朝鮮、カンボジア等々)。一般の日本人もフランス革命のイメージを変えるべきだろう、と思う。

0237/マルクス主義憲法学、杉原泰雄・国民主権の研究(岩波、1971)を少し読む。

 杉原泰雄・国民主権の研究(岩波書店、1971)という専門書らしき本がある。函なしの古書で入手している(1976の第5刷)。
 杉原泰雄氏は1930年生まれ、1961~94年は一橋大学法学部の講師・助教授・教授だったようだ。上の本はこの人41歳(教授になる直前)のときの著。
 なぜこの本に言及するかというと、見事に<マルクス主義的>だからだ。
 それを証明?できる箇所はいくらでもあるが、典型的には、次のような叙述はどうだろう。
 杉原はルソーにおける<人民主権とその経済的基礎の関係>には不明点がいくつかあるとしつつも、「彼の人民主権論は…解放の原理としての役割を失うことがない。とりわけ、…『プロレタリア主権』論として、私有財産制の否定と結合させられながら存続していることは注目されるべき…。国民主権と対置して、それを批判・克服するためにの無産階級解放の原理として機能していることである。<ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制>という一つの歴史の潮流、…二〇世紀…普通選挙制度・諸々の形態の直接民主主義の採用などに示される人民主権への傾斜現象さらには人民主権憲法への転化現象は、このことを明示するものである」(p.181-2)と高く評価している。
 上のうち「人民主権憲法への転化」とはどうやら社会主義(「人民民主主義」)憲法のことと推察されるのだが、それはともかく、<ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制>という「歴史の潮流
」を堂々と憲法学者が語れたとは、まだ1971年だったからだろう。なお、一七九三年憲法とは直接民主主義条項を含むジャコバン憲法のことだ。
 また、杉原は、1.「人民主権の基礎にどのような経済関係を措定していたのか」、2.人民主権と「私有の肯定」とは両立し難いが、説明不十分(「私有の肯定」→「経済的不平等は原則として人民主権と両立し難いはず」)、3.「政治と経済の関係が原理的に解明されていない」、「政治自体がその基礎に持っている経済的諸条件によって大きく規定されているという観点は、…体系化されていない」などとコメントをしている(p.180-1)。だが、これらは<上部構造(政治等)は下部構造(経済)に規定される>とのマルクス主義の公式を当てはめ、ルソーに対して無いものねだり的な要求をしているようだ。
 そして、杉原においては、どうやら国民主権論=ブルジョアジーのための理論、人民主権論=「民衆」解放の理論という仮説又はテーゼがあるようで、一七八九年人権宣言・一七九三年憲法はブルジョアジーが「民衆」と共闘せざるをえなかった時期のもの、人民主権原理を否定する法律の制定やジャコバン憲法の施行延期等々の「国民主権」に立つ動向はブルジョアジー独自のもの、という叙述もしている(p.74-)。
 上のような分析をする際に「ブルジョアジー」又は「ブルジョア的」との概念が使われるのは勿論だが、「民衆」として意味させるのは「資本主義の発展に伴って解体しつつあった農村共同体の…離農した無産者、資本主義的分解の淵に立たされていた都市の…職人と徒弟等、一般的にいって、農村と都市の働く庶民」(p.167)である。
 こうして見ると、杉原によれば、ルソーとは、ブルジョアジーではなく「民衆」の解放を意図した思想家だ。杉原自身がこう書く-「ルソーは民衆の解放を意図していたために、ブルジョアジーのための主権原理(「国民主権」)を本来構想しえなかった」(p.92)。
 ということは、「民衆」=労働者・プロレタリアートと理解するならば、ルソーとは<早すぎたマルクス>だったわけだ。時代的に早すぎたために彼の理論は現実には部分的にしか採用されなかったのだ、ということになろう。  杉原のこんな文もある-ルソーは「不平等の根源に私有財産制を見出していたので、それを神聖視することを基本課題とする…自然法学説を支持することができなかったのだと思われる」。 
 そして、マルクス主義者にとってルソーが輝かしい思想家として讃えられることも納得がいく。
 もっとも、<主権論>にここで立ち入るつもりも能力もないが、「国民主権」(自由な代表者肯定・投票者は国民全員ではない)と「人民主権」(代議制=間接民主主義の原理的否定・人民全員が投票者)という考え方の違いが、そもそも「ブルジョアジー」と「民衆」の違いに対応するという仮説又はテーゼはいかにして論証されているのか、はなはだ疑問ではある。また、「ブルジョアジー」・「民衆」概念についても議論し始めればキリがなさそうでもある。
 しかして、「民衆」解放のための人民主権論というのは、今日的には直接民主主義的とも説明されるが、そもそもいかなるものだったのか。杉原はルソー・社会契約論の原書に依りつつ紹介・分析しているが(p.142~)、そもそも「体系的理論・思想」とまで評価できるものではない、要するに相当にイイカゲンなものなのではなかろうか。
 6/05に阪本昌成の本のルソーに関する部分の一部を紹介した。動物の生きる自然状態とは違って私的所有を認めたことが起源となった「不平等」状態をなくし平等になるために、「公民としての政治的徳」のある「個々人」の「合理的意思」により全契約参加者が「平等」な共同体=国家を樹立すること、個々人の意思の集合としての「一般意思」を想定しそれに服従すること等を説いたのだが、杉原の本が訳しているように、社会契約は「誰であっても一般意思への服従を拒むものは、団体全体によってそれに服従することを強制されるという約束を暗黙のうちに含んでいる」、かかる強制は「自由であるように強制されるということ以外のいかなることをも意味しない」とされる(p.146)。
 このような「自由」概念の用い方は私にでも奇妙又は倒錯しているように感じられる。また、いったん成立した無制約の「一般意思」への絶対的服従の説示は、「専制政治」、「絶対政治」、「民主主義」という名前・形式又は手続だけは通しての<全体主義>、そして<社会主義・共産主義>思想の萌芽だとの指摘はすでに(教科書に書かれるほど一般化していないが)すでにかなり指摘されている(中川八洋も然り)。
 とするならば、杉原は上記のようにルソー思想に「民衆」解放理論・「無産階級解放の原理」を、そして<
社会主義の政治体制>への歴史的潮流の出発点を認めたのかもしれないが、30年以上経過した今となっては、すべてが<夢想>であり<幻想>であったのではないか。
 40歳台初めだった、1971年の杉原は、おそらく日本もいずれ<
社会主義の政治体制>になると予想していたと思われる。その上で憲法学の「社会科学」化を意図し、「市民憲法原理を樹立した」「市民革命がいかなる階級構造をもち、いかなる階級関係――所有関係、支配関係――を否定しかつ樹立するために、いかなる階級の指導によって行われたか」を分析する必要がある、等と「はしがき」に勇ましく?書いたのだろう。
 1971年から35年以上経った。かかる杉原氏の研究書はいかなる意義を現在や今後に持ちうるのだろう。基本的な出発点が「間違って」いたとすれば<壮大な学問的ムダ>ではなかっただろうか。ソ連等の「社会主義」国が崩壊し、フランスも日本も<
社会主義の政治体制>にはなりそうもない現実を、杉原泰雄は現在、どう受けとめておられるだろうか。
 なお、辻村みよ子(一橋大学出身・東北大学教授、1949?-)の指導教授はこの杉原泰雄のようだ。

0147/樋口陽一の愛弟子・現東京大学教授、「痴漢」容疑で現行犯逮捕される。

 読売5/15夕刊によると某大学教員が電車内での20歳の女性に対する「痴漢」により東京都迷惑防止条違反の現行犯で新宿警察署に逮捕された。容疑者は容疑を認めており、「好みの女性だったので…」などと供述している、という。
 大学教員であってもこんなことはありうる事件なので珍しくもない、従って大した関心を持たないのだが、今回はかなりの興味をもった。
 それは、大学教員が東京大学大学院法学政治学研究科の教授で、かつ憲法学専攻らしいからだ。
 容疑者は、蟻川恒正、42歳。
 ネット情報によると、万全ではないが、さしあたり次のことが分かる。
 1.おそらくは東北大学法学部・同大学院出身で、指導教授は「護憲」派で著名な樋口陽一と思われる。(5/20訂正-樋口氏が東北大学から東京大学に移ったあとの「弟子」で、東京大学法学部卒、ただちに助手となったらしい)。
 8年前の1999年(蟻川氏は34歳か)の東北大学法学部の「研究室紹介」に次のように書かれている。
 「蟻川恒正助教授/
東京都出身。専門は憲法。東北大学名誉教授である樋口陽一先生の憲法学の正当な継承者である。その高貴な顔立ちとは裏腹に気さくな人である。意外にも落語好き。また、独身貴族でもある。
 2.東北大学(法学部)は、文科省からの特別の予算を受けられる21世紀COEプログラムとして怖ろしくも「男女共同参画社会の法と政策」なる総合研究を行っており、仙台駅前に「ジェンダー法・政策センター」なるものまで設置し、専任の研究員まで置いているようだ。このCOEの代表(拠点リーダー)はやはり憲法学者の辻村みよ子(1949-)。この人は一橋大学出身で、指導教授は杉原泰雄、2005年~2008年民主主義科学者協会法律部会理事。
 上の研究の一環として東京から上野千鶴子(2006.02.10)や大沢真理(2005.11.26)を呼んでのシンポジウム等も行っているが、少なくとも2005年度は蟻川も法学部教授として上のCOEプログラムの「事業推進担当者」の一人だった。2005年の12.19には「身体性と精神」と題して研究会報告を行っている。「アメリカ合衆国における女性の人工妊娠中絶の自由に関連する連邦最高裁の主要な裁判例を跡づけながら、自己決定権という権利概念が憲法理論上において持つ意義を探ろうとしたもの」らしい(→
http://www.law.tohoku.ac.jp/COE/jp/newslatter/vol_10.pdf)。
 3.樋口陽一=森英樹高見勝利=辻村みよ子編・国家と自由-憲法学の可能性(日本評論社、2004)という本が出版されているが、これらの編者および長谷部恭男愛敬浩二水島朝穂らとともに一論文「署名と主体」を執筆しているのが、蟻川恒正。
 編者4名や上記3名の名前を見ていると、辻村が「民科法律部会」(日本共産党系の法学者の集まりといわれる)の理事だつたことも併せて推測しても、蟻川恒正は、「左翼」的、<マルクス主義的>憲法学者だと思われる。上記のように、ジェンダーフリー・フェミニズムに特段の抵抗がないようなのも、このことの妥当さを補強するだろう。
 従って、憲法改正問題についていえば、樋口陽一らともに九条二項護持論者だろうとほぼ間違いなく断定できる。
 護憲論(又は「改悪」阻止論)者に「痴漢」がいても何ら不思議ではない(改憲派の中にもいるだろう)。ただ、東京大学の憲法学の「改悪」阻止派の教授が、しかも親フェミニズムらしき教授が「痴漢」をした、というのはニュース価値は少しは高いだろう。

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  • 0772/中学歴史教科書の分析・評価。
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