秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

本郷和人

2119/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史13①。

 先月から今月、全部を読み終えた書に、以下がある。早いもの順。
 1.本郷和人・権力の日本史(文春新書、2019/2010)。
 2.大津透・神話から歴史へ/天皇の歴史01(講談社、2010)。
 3.小倉慈司・山口輝臣・天皇と宗教/天皇の歴史09(講談社、2011)。
 最初の二つに関しても、感想・メモを記せば何回もにかはなる。
 すこぶる面白くて勉強になったのは、3.だ。
 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(英訳初版・計三巻、1978)の邦訳書がないことを知って衝撃を受け、日本の<文科系>ないし<人文社会系>情報界・学界への諦念を持ったのが2017年だった(諦念、「そんなものだろう」という気分は変わっていない)。
 上の小倉・山口・天皇と宗教(講談社、2011)は、「衝撃」となったというよりも自分の無知・不勉強を感じた。そして、現在の「右翼」・一部「保守」の言い分の単純さ・幼稚さ・誤謬をあらためて強く思い知らされる。
 とりあえず、備忘のために目次構成をメモしておく。
 小倉慈司・山口輝臣・天皇と宗教/天皇の歴史09(講談社、2011)。
 第一部/小倉慈司(1967-)・「敬神」と「信心」と-古代~近世。
  第1章・国家装置としての祭祀。
   1/大嘗祭の成立、2/令制前の大王の祭り、3/律令制と地方神祇制度の整備、4/伊勢神宮と斎宮、5/神社制度の変化、6/宮中祭祀の諸相。
  第2章・鎮護国家と玉体安穏。
   1/新たなイデオロギーの導入、2/王法と仏法、3/天皇と出家
  第3章・「神事優先」と「神仏隔離」の論理。
   1/「神事優先」の伝統、2/「神仏隔離」の成立、3/神祇から仏教へ
  第4章・天皇の論理-象徴天皇制の原像。
   1/内省する天皇、2/皇室宗教行事の変容。
  第5章・皇室の葬礼と寺院。
 第二部・山口輝臣(1970-)・宗教と向き合って-19・20世紀。 
  第1章・祭政一致の名のもとに-19世紀。
   1/天皇とサポーター、2/祈りの力、3/学者の統治、4/維新と、その後。
  第2章・宗教のめぐみ-19世紀から20世紀へ。
   1/キリスト教との和解、2/第三の道、3/明治天皇の「御敬神」、4/天皇のいる国家儀礼。
  第3章/天皇家の宗教。
   1/皇族に信教の自由はあるのか?、2/宮中に息づく仏教、3/天皇に宗教なし?。
  第4章・国体の時代-20世紀前半。
   1/天皇に絡みつく神社、2/天皇制vs.国体、3/兄の格律、弟たちの反抗、4/国体を護持し得て。
  第5章・天皇制の果実-20世紀後半。
   1/国体の行方、2/象徴を探して。
 以上。
 このように紹介してもすでに、中身が単純ではないこと、もっぱら「神道」に焦点を当てたものでもないこと、は分かる。
 神道または仏教に関するのみの歴史書、天皇を中心とする政治の歴史書や概観書では得られない、概略的な知識が得られる。二人の厳密な意味での共著ではなくいわば「連著」だが、大きな断続感はないのが不思議だ。
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 以下の叙述は、本当に<あほ>であるか<無知>だろう。
 ①櫻井よしこ・週刊新潮2019年1月3日=10日号。
 「神道の価値観」は「穏やかで、寛容である。神道の神々を祭ってきた日本は異教の教えである仏教を受け入れた。
 **既述のように、「仏教伝来」以前の「神道」とは何か。日本の「神々」はなぜ「神道の神々」なのか。また、神道は「穏やかで、寛容」という形容は、西尾幹二によると<新しい教科書をつくる会>分裂時直前に日本会議の誰かが言ったらしい、<八木(秀次)くんはイイやつですよ>という形容と、いかほどに違うのか。なお、荒ぶる、怒れる、あるいは「祟る」神もある、ということは、常識的なのだが。
 ②櫻井よしこ・月刊正論2017年3月号、p.85。
 「古事記」は「日本が独特の文明を有することや、日本の宗教である神道の特徴」を明確に示している。
 **「古事記」が示す「神道の特徴」とは何か。古事記編纂時代に意識されていた<神話>は「神道」なのか? 既述のように、なぜ日本書記ではなく古事記なのか?
 ③櫻井・同上p.85。
 「神道には教義がありませんから、神道は宗教ではないという人もいます。しかし神道は紛れもなく日本人の宗教です」。
 **櫻井のいう「宗教」とは何か。日本書記・古事記編纂時点でもよいが、「宗教」の意味するところは何だったのか。なぜ、<日本化した仏教>をいっさい無視するのか。
 ③平川祐弘・新潮45-2017年8月号。
 「日本では古代から天皇家」は「祭祀」、すなわち「民族宗教のまつりごと」を司どってきた。「天皇家にはご先祖様以来の伝統をきちんと守って、まず神道の大祭司としてのおつとめを全うしていただきたい」。
 **天皇が歴史上一貫して「神道の大祭司」だったかのごとくだが、その際の「神道の大祭司」または「神道」とは何か。
 櫻井よしこや平川祐弘らが「神道」、「宗教」といった基本語彙・概念の意味を探求することなく、勝手に?論述していることは明瞭だ。
 上の小倉=山口著への言及は今回はできるだけ避けるが、小倉著部分には、櫻井や平川らにとっては刺激的な叙述がある。以下は、わずかな例にすぎない。
 1.「天神地祇」=「神祇」(神=天神、祇=地神)」という言葉は中国古文献や「百済本紀」等にも出てくる。「古代朝鮮」にも「神祇信仰」はあった。2.七世紀以降に(大宝令>「神祇令」等により)「神祇信仰」を核とする国家構想が生じた。3.仏教上の「仏」は当時の日本人にとって新しい「神」だった。4.律令国家時代、まだ「神道」という語はない。
 そもそもが「神道」の意味の確定・探求なくして、「蕃神」=仏教との違いやその「大祭司」の意味も全く明からにならない。天皇・皇室と「仏教」との関係の濃淡は時代により異なるが、仏教との関連(仏教による国家鎮護・玉体安穏等)が一切否定された時代はなかっただろう(あるとすれば、これに近いのが戦後の現在かと思われる)。
 既述のことだが、櫻井よしこの「無知」ぶりは、以下にも歴然としている。
 ④櫻井よしこ「発言/有識者リアリング」2016年11月14日<天皇の公務負担軽減に関する有識者会議第4回>。
 ・現行憲法とその価値観が「祭祀」を「皇室の私的行為」と位置づけたのは、「祭祀」は「皇室本来の最も重要なお役割であり、日本文明の粋」であるにもかかわらず、「戦後日本の大いなる間違いであると私はここで強調したい」。
 ・「国事行為、公的行為の次に」に来ている「優先順位」を、「実質的に祭祀を一番上に位置づける形で」整理し直すべきだ。
 上の山口著部分でも触れられているが、天皇・皇室の祭祀を天皇の国事行為の列挙(7条)の中の「儀式を行ふこと」(第10号)に含めず、かつ「神道」=「宗教」の一つと解して20条(とくに3項-<政教分離>を前提にすれば、櫻井よしこがいかに「大いなる間違い」だと喚いても、上のようにならざるを得ない。おそらく間違いなく、櫻井は現行憲法7条10号や20条の条文すら見ていない。
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 日本会議派諸氏のアホぶりはともかくとして、多くの感想が生じ、多くの知的刺激が得られる。
 第一に、山口輝臣の最後あたりの述懐・「好奇心」にも共感するところが大きい。
 <権威>的だけだったとしても江戸時代の天皇には一定の権能があり(それ以前も応仁の乱期を除けば同様だろう)、奈良時代はもちろん、<院制>期にも天皇や前天皇には「権力」そのものがあった。明治憲法下では「統治権の総攬」者だった。現憲法下では、国事行為以外の「国政に関する権能」を持たず、かつ「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ」。先だっての外国賓客等を前にしての「即位礼」での新天皇の言葉も、内閣が承認したもので、内閣が作成したと言って過言ではないだろう。「即位」式は「国事行為」だったのだ。なお、従って、<古式>・<伝統的>ではあっても、「神道」式には(可能であっても)法的にはできない。
 国家と国民統合の「象徴」である(にすぎないこと)は古来からの天皇の本来的な地位と意味として、ずっと一貫してきた、とはとても思えない。<万世一系の天皇>と称揚して、いかほどの意味があるのだろうか。天皇条項の積極的・能動的な改正案を提示するならば別として。
 第二に、(律令制前の素朴信仰-)長い神仏両立・習合体制-明治期に入っての「神道」への純化(-「国家神道」)-戦後の公的な「神道」行為の否定(「私的行為」化)、というのはきわめて単純な理解の仕方だ、誤りだ、ということがよく分かる。
 とくに明治改元後の「神仏判然」・「神仏分離」が徹底せず、現在以上にはるかに、天皇・皇室は「仏教」との関係が深かったことが、山口著部分で分かった。このことは、別途紹介するに値する。
 八幡和郎がかつて存したと理解しているらしき<皇国史観>とはいったい何だったのか。存在していても1937年の文部省<国体の大義>以降だろうが、山口によると、この文書自体がなおも「仏教」を排除・否定していない。
 なお、現在でも、①「後七日御修法」という仏事は現在も行われ、②泉涌寺等への「下賜」は継続し、④「師号宣下」も同様で、法然800年「遠忌」の2011年には「法璽大師」が新たに贈られた、という。p.350。
 第三に、天皇・皇室制度に関する政治家の意識として興味深いのは、つぎの記述だ。旧憲法28条(「信教ノ自由」の原則的保障)に関する枢密院での議論を、伊藤博文はこう述べて終結させた、という。これは山口による原文引用ではなく、要旨紹介だろう。p.241。
 <人は100年も生きられないのだから、そんなことはその時々の政治家が考えればよい!>
 「明治の元勲」すらこうなので、政治家ですらない現在の日本の政治運動の活動家や「評論家」類が、自分または自分たちの「利益」のためにだけ<天皇・皇室>に関して論じても、何ら不思議ではない。

2100/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史09。

 現上皇の「おことば」(2016年)を契機とする退位・譲位に関する議論について、本郷和人はこう書いた。
 「じつは、いわゆる右といわれている思想家や研究者のなかには平気でウソをついている人がたくさんいます。
 歴史的な背景や前提に対して無知なためにウソをついている人もいれば、なかには知っていてわざとウソをついているのでは、という人もいます。」
 本郷和人・天皇にとって退位とは何か(イースト・プレス、2017)。
 また、小島毅は、下の書物を執筆し始めた動機を、こう書いた。
 「一部論者によって伝統的な天皇のあり方という、一見学術的・客観的な、しかしそのじつきわめて思想的・主観的な虚像が取り上げられ、『古来そうだったのだから変えてはならない』という自説の根拠に使われた。
 そうした言説に対する違和感と異論が、私が本書を執筆した動機である。」
 瞥見のかぎりで、渡部昇一(故人)は明示的に批判されている。
 小島毅・天皇と儒教思想-伝統はいかに創られたのか?-(光文社新書、2018)。 
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 1465年~1615年、150年間。応仁の乱勃発二年前~江戸時代初頭・大阪夏の陣。
 1615年~1865年、250年間。大阪夏の陣~明治改元3年前・第二次長州征討。
 1865年~1915年、50年間。明治改元3年前~第一次世界大戦2年め・対中21箇条要求。
 1865年~1945年、80年間。明治改元3年前~敗戦。
 1889年~1945年、56年。明治憲法発布~敗戦。
 1868年~2018年、150年。明治改元~2019年の前年。
 1889年~2019年、130年。明治憲法発布・旧皇室典範~2019年(令和1年)。
 1947年~2017年、70年。日本国憲法施行~2019年の前々年。
 日本の現在の「右翼」や一部「保守」は、①明治改元(1868年)~敗戦(1945年)の77年間、または②旧憲法・旧皇室典範(1889年)~敗戦(1945年)のわずか56年間、あるいは③皇位継承を男系男子だけに限定する旧皇室典範(1889年)~現皇室典範(~2019年)の130年(明治-令和の5元号にわたる)が、<日本の歴史と伝統>だと勘違いしているのではないか?
 古くから続いているのならば変えなくてよいのではないか、というウソに嵌まって<女系容認論>を遠ざけていた、かつての私に対する自戒の想いも、強くある。
 江戸幕府開設(1603年)~明治改元(1868年)は、265年。上の②56年、①77年、③130年よりもはるかに長い。この期間もまた日本(・天皇)の歴史の一部だ。
 応仁の乱勃発(1467年)~本能寺の変・天王山の闘い(1582年)、115年。この期間も長い。そして、天皇・皇室の諸儀礼等はほとんど消失していた(江戸時代になって<復古>する)「空白」の時代だったことも忘れてはならないだろう。
 あるいは、1221年の承久の乱(変)や1333年の後醍醐天皇・建武新政(中興)から数えて、江戸幕府開設までの約380年、約270年を挙げてもよいかもしれない。江戸時代を含めていないが、上の①~③よりもはるかに長い。これまた、日本の歴史の重要な一部だ。
 もちろん、1221年までにでも、おそらくは1000年ほどの<ヤマト>または<日本>の時代がある。
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 日本の現在の「右翼」や一部「保守」論者は、無知・無能者かまたは「詐話師たち」なのだろう。
 明治維新により<神武創業の往古>に戻った? 笑わせてはいけない。
 2017年初めの月刊正論編集部によると、「保守」の4つの「指標」のうちの第一は「伝統・歴史的連続性」だつた。
 月刊正論2017年3月号(産経新聞社、編集代表・菅原慎太郎)、p.59。
 上でも少しは示したが、明治維新と明治憲法体制は、それまでの日本の「伝統・歴史的連続性」を断ち切ったものではないか? 明治期以前にも、歴史の(例えば<神仏習合>の)はるかに長い「伝統・歴史的連続性」があったのではないか? 明治期に戻ることが「伝統・歴史的連続性」の確保なのか?
 2017年9月の西尾幹二著によると、「保守」の「要素」には4つほどあるが、「ひつくるめて」、「歴史」なのだそうだ。そして、「歴史の希薄化」を西尾は嘆いている。
 西尾幹二・保守の真贋(徳間書店、2017)、p.16。
 西部邁・保守の真髄(講談社現代新書、2017)に意識的に対抗するような書名や、この時点での「歴史」なるものの評価、つまり上から1年半後に2019年になってからの「可視的歴史観」に対する「神話」優越論についてはさておき、「歴史の希薄化」を行って単純化し、ほぼ明治期以降に限定しているのは、西尾がこの著で批判しているはずの、安倍晋三内閣を堅く支持する「右翼」・日本会議派ではないか。
 以上は、西尾幹二に対しても、八幡和郎に対しても向けられている。
 八幡和郎は2019年になってからも、月刊正論(産経)の新編集代表の写真を自らのブログサイト(アゴラ)に掲載したりして、月刊正論等の<いわゆる保守系>雑誌に身をすり寄せている。例えば、下の著もひどいものだ。いずれより具体的に指摘する。
 読者層のウィングを「右」へと広げたつもりなのか。下の著は「保守」派の「理論的根拠」を提供するというのだから、これまた笑ってしまった。
 八幡和郎・皇位継承と万系一世に謎はない-新皇国史観が日本を中国から守る-(扶桑社新書、2011)。

1613/理性・理念・理論と感性・情念・怨念-現実の歴史。

 人が何か行動するときの<衝動>・<駆動力>といったものについて考えている。
 例えば、本郷和人が、つぎの本を書いて刊行したのは、たんなる学究意欲ではないだろう。
 本郷和人・天皇にとって退位とは何か(イースト・プレス、1917年01月)。
 執筆依頼があったのかもしれないが、「いわゆる右といわれている思想家や研究者のなかには平気でウソをついている人がたくさん」いて、中には「知っていてわざとウソをついているのでは」という人もいる、という現状に抗議したい気持ちが強かったのが一つの動機だったのではないだろうか。
 文章や原稿の執筆、書物の刊行、人はなぜこんなことをするのか。
 「食べて生きていく」本能がそうさせている場合もありうる。当然ながら、原稿料・印税等に魅力がある(こんなものは、この欄の秋月瑛二には全くない)。
 自分の<思想>・<考え方>を広く知ってもらいたいとの動機の場合もありうる(大洋の海底に生息する秋月瑛二にもほんの少しだけある)。
 いろいろな衝動・駆動力が混じっているように思われる。
 青少年期に、親その他の肉親・親族、あるいは親しいまたは敬愛する人の死を体験し、かつその死後の遺体を見てしまった若者たちは、その後の人生への影響を何ら受けないだろうか。
 もちろん、人間関係の近さにもよるし、死の原因にもよるし、遺体の処理は時代によって異なるので、時代にもよる。
 いま関心を持っているのは、レーニンの人生とその若年期における実兄の帝制下での刑死との関係だ。
 知りうる情報を増やして、また触れる機会があるかもしれない。
 吉田松陰(1830~1859)。
 子細に立ち入らない。テロルではなく、少なくとも当時においては、「合法的に」処刑された。死罪。井伊直弼、坂本龍馬、大久保利通らがのちに<テロル>に遭って殺されたのとは異なる。しかし、<殺された>ことに変わりはないとも言える。
 この松陰の遺体・死体を現に見て、埋葬した者も当然にいた。
 秋月瑛二でも知っている、のちの著名人、明治維新の功労者とされる者が二人いた。
 おそらくは当然に、松陰と同じ長州藩の者になる。
 桂小五郎(木戸孝允)と伊藤博文(-俊輔)。
 瀧井一博・伊藤博文-知の政治家(中公新書、2012)は、松陰の処刑後について、伊藤を中心において、こう書いている。
 「たまたま木戸孝允の手附として江戸に在勤」していて、「木戸とともに遺骸を引き取る」ことになった。/「変わり果てた師の姿が多感な青年の心に大きな衝撃を与えたことは想像に難くない」。
 伊藤博文、1841~1909年。この年に、満18歳になる。
 但し、瀧井によると、松陰と伊藤はタイプが違い、「松陰の影響から脱した時点」から伊藤の伊藤たる所以が始まるともいえる、とする。
 泉三郎・伊藤博文の青年時代(祥伝社新書、2011)は、根拠史料は分からないが、虚構ではなくして、つぎのように書く。
 伊藤は木戸らとともに、松陰の「遺体の受取」に行く。
 「桶に入れられた遺体は丸裸で、首は胴から離れ髪は乱れて顔には血がついており、見るも無惨な姿だった」。二人らは、「憤慨し、涕泣した」。
 そして、「顔を洗い、髪を整え、桂〔木戸〕の着ていた襦袢で遺体をくるみ、伊藤の帯を使って結び、首を胴体にのせて棺に収めた」。同じく処刑された橋本左内の墓の傍らに「埋葬」した。
 「幕府への憤り、その理不尽な酷刑への憤慨は、十九歳の伊藤に強烈なインパクトを与えた」。
 古川薫・桂小五郎(上下/文春文庫、1984/原書1977)は、小説だ。上の場面をつぎのように描写している。
 「粗末な棺桶」に役人が案内して、「吉田氏の死体です」と言った。一人(尾寺新之丞)が「走り寄ってその蓋をとった」。
 「首と胴の離れた人間の遺体が、無造作に投げこまれている。全裸にされていた」。
 「先生!」。尾寺が「泣き声で首を取り出し、乱れた髪を束ねた」。
 桂が「松陰の顔や身体を丁重にぬぐい清め」、伊藤が「首と胴をつなごうとすると」、役人に制止された(後日の検視の際に叱られると)。
 「小五郎は襦袢を」脱ぎ、遺体に着せて「伊藤は帯を解いてそれを結んだ」。
 「ようやく衣類にくるまれた松陰の胴体を、小五郎がかかえあげ、甕の中におさめた」。
 「まるで子供のような松陰の軽い体重に、強い衝撃を覚えて」、桂は思わず「ああ」と声を洩らす。<中略>
  「松陰の体重の、あまりにも軽すぎる感触が、いつまでも小五郎の手にのこった」。それは「人の命のはかなさ」に驚いたというよりも、そんな「矮小な肉体しか持ち得ない人間が抱く巨大な思想のふしぎさ」に心打たれたのだろう。上巻p.175-177。
 木戸孝允=桂小五郎、1833~1877年。この年に、満26歳だった。
 とくに結論を導こうとしているのではない。
 ただ、人は理念・理屈・理想だけでは動かないだろう。木戸孝允(桂小五郎)や伊藤博文にとって、一時期であれ「師」だった吉田松陰の<死に様>を見たことは、その後の彼らの人生に何らかの影響を与えたに違いないだろう、と推測できる、またはそう推測できるのではないか、というだけのことだ。
 吉田松陰に限らず、他のとりわけ長州藩の仲間たちの「死」を体験してきたに違いない。そのような桂や伊藤たちは、いったいどのような<情念>らしきものを抱くいたのだろうと、想像してみる。
 別に彼らに限らない。幕末・維新時の記録に残る全ての者たちが、理想・理念で全て動いていたわけではなくて、何らかの感情・執念・情念・怨念で行動していたに違いない、と思っている。
 西郷隆盛も、徳川(一橋)慶喜も、等々々、みんなが。
 表向きの、<声明文>とかの公式文書類だけに頼って、歴史が叙述できるはずはない。
 もっとも、例えば、日本共産党・不破哲三のように、もっぱらレーニンの文献だけ(たぶん全集だけ)を読んで、<レーニンの時代>を理解しようとしている者もいる。
 あるいはまた例えば、<五箇条の御誓文>のような(権力所在未確定の時期も含めて)薩長・新政府の公式発表文を読むだけで、<明治維新>の意味が分かるはずがないだろう。伊藤哲夫や櫻井よしこらの明治維新理解に、その弊はないか。

1571/2017年2月末以降に読んだもの・入手したものの一部。

 2017年02月末以降の文献。
 この欄の意味について疑問をもったときにかつては「読書メモ」の意味だけでも持たせようと思ったが、昨年以降はそれも虚しいようで、できるだけ自分の文章を残すようにしてきた。
 そうなると、元来の「読書メモ」の機能は失う。
 最近にあれこれと書いていても、読んだり入手したりした書物類は、記載・言及するよりもはるかに多い。
 たまたまタイミングを逸したりして、記載し忘れのものも多い。
 二月末以降に一部でも読んだもの、入手して今後に読みたいと思っているもの(でこの欄で触れていないと記憶するもの)、を以下に掲載しておく。
 レーニン・ロシア革命に直接に関係するものは依然として増えつつあるが、一部しか載せられない。以下は、上の趣旨のものの全てではない。読み終わった記憶があるものは、/了、と記した。昨年以前のものには、触れていない。
 この欄に書くのは「作業」のようなもので、気侭に読んでいる方が、「生きていること」、「意識(脳)を働かせていること」を感じて、愉しい。しかも、意識を多少とも刺激する情報が大量に入ってくる。「作業」は、反応結果の一部をただ吐き出すだけだ。
 しかし、この欄での「作業」をしておかないと、せっかくの意識や記憶がますます消失してしまうので、「作業」もときには必要だ。
 ・天皇譲位問題
 今谷明・室町の王権(中公新書, 1990)。/了
 今谷明・象徴天皇の発見(文春新書, 1999)。
 高森明勅・天皇「生前退位」の真実(幻冬舎新書, 2016)。/了
 所功・象徴天皇「高齢譲位」の真相(ベスト新書, 2017)。
 本郷和人・人物を読む/日本中世史(講談社選書メチエ, 2006)。
 本郷和人・天皇の思想-闘う貴族北畠親房の思惑(山川出版社, 2010)。
 ・北一輝
 岡本幸治・北一輝-転換期の思想構造(ミネルヴァ, 1996)。
 ・明治維新等
 井上勲・王政復古(中公新書, 1991)。
 毛利敏彦・幕末維新と佐賀藩(中公新書, 2008)。
 原田伊織・明治維新という過ち/改訂増補版(毎日ワンズ, 2015)。
 山口輝臣・明治神宮の出現(吉川弘文館, 2005)。
 伊藤哲夫・明治憲法の真実(致知出版社, 2013)。
 ・政教分離
 杉原誠四郎・理想の政教分離規定と憲法改正(自由社, 2015)。/了
 杉原誠四郎・日本の神道・仏教と政教分離-そして宗教教育/増補版(文化書房博友社, 2001)。
 ・歴史
 安本美典・古代史論争最前線(柏書房, 2012)。
 今谷明・歴史の道を歩く(岩波新書, 1996)。
 西尾幹二全集第20巻/江戸のダイナミズム(国書刊行会, 2017)。
 山上正太郎・第一次世界大戦(講談社学術文庫, 2010. 原1985)。
 木村靖二・第一次世界大戦(ちくま新書, 2014)。
 ・保守主義
 宇野重規・保守主義とは何か-反フランス革命から現代日本まで(中公新書, 2016)。
 ・現代
 宮家邦彦・日本の敵-よみがえる民族主義に備えよ(文春新書, 2015)。/了 
 ・左翼
 中沢新一・はじまりのレーニン(岩波現代文庫, 原1994)。
 白井聡・永続敗戦論(太田出版, 2013)。
 ・外国人
 Donald Sassoon, Looking Left -Socialism in Europe after the Cold War (1997). <左を見る-冷戦後のヨーロッパ社会主義>
 Roger Scruton, Fools(あほ), Frauds(詐欺師k) and Firebands (つけ火団)-Thinkers of the New Left (2015).<新左翼の思考者>
 Tony Judt, Dem Land geht es schlecht (Fischer, 2014. 2010).
 Leszek Kolakowski, 藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房, 2014)。
 Leszek Kolakowski, Metaphysical Horror (1988, Penguin 2001).
 Anna Pasternak, Lara -The untold Love Story and the Iispiration for Doctor Zhibago (2016).
 ・その他
 L・コワコフスキ「こぶ」沼野充義編・東欧怪談集(河出文庫, 1994)。/了
 原田伊織・夏が逝く瞬間(毎日ワンズ, 2016)。/了*小説
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 1.せっかくの機会だから、つぎの本のp.4からまず引用する。
 本郷和人・人物を読む/日本中世史(講談社選書メチエ, 2006)。
 「…皇国史観は、天皇が至高の存在であることを学問の大前提とし、また人物を歴史叙述の基礎単位にしていた。天皇に忠義であったか否か、忠臣か逆臣かで人物を評価し、その人物の行動をあとづけることによって歴史物語を描写したのである。こうした歴史認識が軍国主義を支える理念として機能したことは、疑いようのない事実であった。」
 戦後の日本共産党や日本の「左翼」はかくして、「軍国主義」を支えた「皇国史観」を厳しく批判した。
 その日本共産党・「左翼」に反対する良心的な、誠実な日本人は、では「皇国史観」へと立ち戻る必要があるのか??  (しかも「皇国史観」とは、維新以降の日本をずっと覆ってきたのでは全くなく、とくに昭和戦前期の<公定>史観だ。)
 本郷も言うように、そんなことは、論理的にも、決して、ないんだよね。
 2.今谷明・本郷和人というと、黒田俊雄の<権門体制>論にかかわりがある。
 素人論議だが、マルクス主義者(・日本共産党員?)の黒田は(以下、たぶん)、<国家(権力・支配者)-人民>の対立が当然にあるものとして、その前提で<国家>の構造を考え、かつその一部を「天皇・皇室」がきちんと担っていた、と考える。
 第一に、<権力-人民>は、どの時代にもきれいに二つまたは二層に分けられるのだろうか?
 第二に、<天皇>はつねに、国家権力の少なくとも一部を握っているものなのだろうか? または、そうだとしても、「中世」に関する黒田による天皇の位置づけは高すぎるのではないだろうか。
 第一は素朴かつ観念的な階級対立論、第二は素朴かつ観念的な<天皇制>批判論-そのための逆説的意味での天皇重視論(天皇が国家権力の一部かつ重要位置にいなかったはずはない)-を前提にしているような印象もある。
 本郷和人は、黒田<権門体制>論には批判的だ。専門家にお任せしますけど。 

 

1445/天皇譲位問題-「観念保守」派の誤り・無知、つづき①。

 天皇生前譲位問題について。
 一 基本的論点の一つは、日本の天皇(の歴史)をどう見るかだろう。
 <摂政活用>派または生前譲位否定論は、これを根拠にしているからだ。
 しかし、前回も触れたように、この論を<歴史>でもって正当化することはできない。
 また、「観念保守」派の多くが-たぶん産経新聞社の菅原慎太郎も桑原聡も-抱いてるようにみえる、つぎのような<権力・権威>論も日本の歴史の事実に即していない、と考えられる。
 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号。
 「鎌倉幕府も徳川幕府も、時の権力者といえども、皇室の権威には服せざるをえませんでした。俗世の権力は常に皇室の権威の下にあり、……は実権を握りながらも、究極の権威は彼らの手にはありませんでした。一方、皇室には権威はあっても権力はなかったのです」。p.86。
 よくぞこんなに簡単に言えるものだ。しかも「常に」と断定しているのは、相当にアホだと言える。
 ここにあるのは、<思い込み>であり、<観念>だ。
 勝手に思い込むのはよいが、歴史の事実であるかのような書き方をしてはいけない。あるいは、<こうであってほしい>という願望や<こうであったはずだ>というはず・べき論と歴史的事実を混同してはいけない。少なくとも、自らの言明の「真実」性・事実性を疑ってみる謙虚さが必要だ。
 すでに前回に本郷和人著に言及した。
 既読だが、本郷和人「天皇を知れば日本史がわかる」文藝春秋スペシャル2017冬・皇室と日本人の運命(2017)もある。なお、本郷は、黒田俊雄のような<マルクス主義史観>のもち主ではない。
 ○「権門体制論」は形式はともかく実態を示さず、後鳥羽の承久の変以降「次の天皇を誰にするか」を朝廷の一存で決められず「鎌倉幕府の承認」が要った。
 ○四条天皇後、朝廷の意向とは違った後継者を鎌倉幕府は立てた(後嵯峨天皇)。
 ○鎌倉幕府は後鳥羽本流の皇子の即位を「認めなかった」。
 ○天皇・朝廷は「鎌倉幕府を利用するどころか、それに依存して」いた。
 ○元寇の際に戦ったのは幕府で、「何もしてい」ない朝廷が「国家権力を担っていると言える」のか。
 なお厳密な議論を要するのだろうが(<権門体制論>等について)、世俗権力と天皇の関係は、櫻井よしこが単純に描く上のようなものではないことを、示しているだろう。
 鎌倉時代の<例外>ということはできない。前回した紹介でも上でも本郷は江戸時代にも触れている。
 問題はそもそもは「権力」・「権威」という概念の意味なのだが、櫻井よしこは、これを明らかにした上で、少なくとも、平安時代および鎌倉時代以降幕末までの、上の理解の適正さを歴史的に論証・実証すべきだ。
 また、明治憲法下の天皇・政府関係についても、<権力と権威>如何・これの関係をどう理解すべきかの問題はある。櫻井よしこはこれに厳密に論及はしていない。例えば、戦前の昭和天皇に「権力」は(全く)なかったのか。例えば、<ご聖断>とは何なのか。
 二 つぎに、引用を省略するが、アホ4人組の多くは、生前譲位を認めると、新天皇と前天皇の二つの<権威>の並立・衝突が生じるので、避けるべきだ、と主張して、根拠づけている。
 しかし、こんなバカバカしい、いやアホらしい議論・論拠はない。
 すなわち、では<摂政>を置けば、これを回避できるのか。
 天皇在位のままでいる現天皇と「摂政」就任者との間で、二つの<権威>の並立・衝突もまた生じうる。
 いや、現皇室典範上の摂政就位の要件ならばまだよいが、<摂政制度活用派>はこの要件を緩和することを明示的に主張・提案しているので、(現皇室典範が想定していると解される)ほとんど意思表明能力を失った天皇ではなく、まだなお(意思表明はもちろん)ある程度の行為・活動の能力のある現天皇と新設置される摂政との間に、現実的な<権威>の並立・衝突がより発生する可能性がある。
 また、「上皇」=前天皇の存在を認めると、制度的・財政的手当ての問題が生じるなどと立論する者もいるが、同じ問題は、摂政を置いた場合でも全く同じように生じる。
 現憲法・現皇室典範のもとでは摂政設置の例はなく、そのための具体的な制度的・財政的しくみは、きちんと詰められては全くいないのだ。 
 アホな<脅迫>は、しない方がよい。
 三 あまりつきあいたくないが、明らかに書き残しがあるので、回を改める。

1443/天皇譲位問題ー「観念保守」というアホの4人組。

 一 天皇譲位問題は、現在の私には最優先の論題、思考テーマではない。
 しかし、日本の<伝統と歴史>を守るためにとか言いながら、じつはデタラメな歴史観と歴史知識をもったままで単純かつ<観念的>な議論をする者がいて、しかも首相のもとでの検討会に専門家として見解・意見まで述べる機会が与えられたというのだから、ヒドイものだ、ますます<保守>派の印象は悪くなる、と憂いていた。
 といっても、いくつかの論考や文章にきちんと目を通して、精確に批判しておくことは、むろん不可能ではないが、それだけの手間と労力をかける意味があるのかと思うと、大いに躊躇するところがあった。
 本郷和人・天皇にとって退位とは何か(イースト・プレス、2017)を入手して読んで、やれやれやっと、私が言いたかったこと、論じたかったことの8割ほどは書いてくれている書物が出てきた、と思った。
 すでに昨年8月に、生前譲位を認める何らかの<改正>をせざるをえないだろうと簡単に記した。また、昨年12月頃には<観念保守>の主張らしきものを批判的にコメントしている。その中で、明治期以降だけが日本や天皇の歴史ではない、とも書いた。
 上の本郷著を概読して、あるいは冒頭の数頁をひもといても、やはり、(たぶん年齢順に)渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ、八木秀次の4人はバカなのだと思う。
 いや、最近読んだ西部邁の文章によると、「バカ」なのは左翼で、右翼・保守は「アホ」なのだそうだ。
 本当に上の4人は、「アホ」らしいことを真面目に書ける、主張できるものだ。恥ずかしい。また、これらの人々の言論のために、政府や出版社も含めて、多くの時間・コストを要していることを、何と無駄なことをしているのか、と感じる。
 二 さて、本郷和人著から、ほぼ首肯できる文章を、ほとんどが以前から私が感じてきたことや知っていることだが、抜き出して引用する。
 「じつは、いわゆる右といわれている思想家や研究者のなかには平気でウソをついている人がたくさんいます」。/歴史に「無知なためにウソをついている人もいれば、なかには知っていてわざとウソをついているのでは、という人もいます」。p.11。
 「摂政のあり方や摂政としての制度の運用のしかたというのは、まだ固まっていません。戦後の象徴天皇制のもとでは、もちろん一度も置かれていません」。p.33。
 「皇室典範を金科玉条のように思い、改正することに対して否定的な考えの人たちも多い」。だが、私が思うに、「じつは天皇陛下は、そういう人たちの動き、いうなれば硬直的というか、極度に保守的な考え方を快く思っていないのではないでしょうか」。p.38。
 「ただ疲れたからやめたい、体力的にキツいというだけで提案したわけではないでしょう。それ以上の意味合いをもっての行動だったのではないでしょうか」。p.45。〔本郷の推測する意味づけは省略。〕
 旧皇室典範が終身在位を定めたのは-「死ぬまで天皇をやってください」と決めたのは-、「天皇の後継者への任命権を制限する行為ともいえる」。天皇の「絶対的な存在」を規定しつつ、「伊藤博文をはじめとする元勲たちは、どこか冷めた目も持っていた」。p.51。
 明治政府は、「もう一度、朝廷の力や権限を担ぎ出されたくはない」。自分たちが成功したのと「同様のことを行われたくはないから」だ。天皇の「政治利用」を極端に恐れたはずだ。「旧幕府軍側が、[奥州戦争で]…皇族の北白川宮能久親王を先頭に押し立てて戦おうとした」ような政治利用の再現を恐れた。「終身天皇という形を制定したことはそういう政治利用の場に引っ張り出される危険性を未然に防ぐ効用もあったはずです」。p.53。
 「明治時代の元勲たち」は、「天皇が絶対であると一般大衆には布告しながら、本音としてはそれは方便でした」。p.54。
 のちの指導者たちは「明治の元勲たちの持っていた冷めた視点を失ってしまった」。「第二世代、第三世代になると建前を盲信してしまい、あやまちを犯す」。p.58。〔この最後の辺りの評価と原因分析は議論の余地があるだろうが、立ち入らないでさらに続ける。〕
 「実在が確認されている天皇のほとんどは生前退位しています。現在のような終身在位の方がめずらしいケースでした」。p.66。
 「第50代くらいまでの歴代の天皇」では「生前退位が行われているケースは、やはり女性と高齢天皇の場合が多いのです。しかるべき人が無事に即位できる時期になれば生前退位をして譲位をすることが前提に近い状態で即位した」。p.69。
 「桓武天皇以降からは生前退位が当たり前になってきます」。p.70。
 「後三条天皇」以降で「死ぬまで天皇でいた人は、若くして亡くなったり、不慮の死で急逝したりした場合と、経済的に苦しかった戦国の天皇たちにかぎられていきます」。p.74。〔経済的に苦しいとなぜ生前譲位できないのか。それは、新天皇の践祚・即位の儀礼等に多大の費用がかかるからだ-秋月瑛二。〕
 「院政の時代」は、「権力を握った上皇のほうが天皇より偉い」。p.77。
 「家康は…、天皇や公家のやることは学問であると『上から』規定して役割を与えて」いった。天皇の存在を重視せず、公家・貴族は、将軍-大名-旗本-御家人の、御家人クラスの「必要最低限の援助」しか受けられなかった。p.85。
 この時代には「天皇の権力は無力化され、江戸幕府がすべての権力を集中して持っていた」。天皇は「領地」も将軍家から与えられて「経済的にもまったく自立していません」。但し、改元と暦に関する権限だけは別だった。p.86。〔但し、これは近世・江戸時代のことで、少なくとも室町時代には改元権は幕府・将軍にあったことがある-秋月。〕
 「天皇というのは、そのときそのときで性格を変えてきた」。地域首長・首長連合の筆頭・院政・武家政治、等々。p.126-7。[武士幕府政治のもとでも、後鳥羽・後醍醐のように「親政」へと挑戦した天皇・上皇はいたし、そうでなくとも、個々の天皇等ごとに幕府と朝廷・公家の関係は一様ではないとみられるー秋月。]
 天皇・武士の関係について「よく耳にする言葉に『天皇は権力は失った、だが権威だった』という言葉があります」。しかし、私は「それはあくまでも言葉の遊びにすぎないと思っています。権力も何も持っていない権威なんてものが存在するのかと考えるからです」。p.128。
 今の社会ならば「権力はなく、権威として存在することは可能」かもしれないが、昔、たとえば「中世社会において権力=力のない権威というものが存在したでしょうか」。同上。
 「そもそも将軍が天皇からお預かりしているという思想自体が、江戸時代の後期になって尊王とともに登場してきた概念にすぎません」。「朝廷の命によって征夷大将軍に任じられて」いるのは、「それこそ形式的なもの」です。p.135。
 「万世一系」を「日本の皇室がもつ特徴のひとつ」と思うのは問題はない。しかし、「だから日本人は偉い」・「日本人は特別の民族」とかの「優越意識や選民思想と結びつくと非常に問題があります」。日本・日本人を誇るときに「『天皇』を引き合いに出して自尊心を満たしたい」という心理はある。p.144。
 三種の神器の存在、前天皇又は上皇の承認の二つを欠いたまま即位した、「かなりグレーというか、いい加減な対応」による、後光厳天皇もいた。p.147-9。
 武家政治は鎌倉時代から江戸時代で「700年」続いたが、「軍事力をほぼ独占した武士たちによる政府ができたからこそ、天皇家は続いた」といえるかもしれない。「天皇が軍事も政治も意欲的に」行えば、とって代わろうとする勢力によって滅ぼされた「かもしれない」。古代の天皇のように自ら軍事行動をすれば、「どこかで戦いに敗れ、滅ぼされていた可能性は高い」。p.150-1。
 「怠惰な国民のもとに独裁者が生まれるし、怠惰な国民が独裁者をつくりだす」。「生臭いものから皇室は距離を保っておくべきだ」との意見が大勢であるようで国民はさほとどバカではない。「日本の場合、独裁者が生まれるとするなら、皇室もしくはその周辺からしか生まれないでしょうから」。p.156。〔この部分の言明は興味深い。「皇室の周辺」等についてさらに発展させて議論したいが、省略。〕
 生前退位による「政争の具」化、「政治的な混乱」の発生は「もはや難しい気がします」。皇室も含めて「絶えず可視化」されている情報化社会はそれを許さないだろう。p.159-160。
 「外部勢力が生前退位というシステムを使って」「手を突っ込んでくることはほぼ考えられません」。「あるとしたら、天皇家のなかでそういう動きがある場合でしょう」。p.162。〔この部分も興味を惹く。別に話題にしたい。〕
 「時の内閣の政治的駆け引きに利用される」という危惧が再三提起されるが、これは「天皇の人格の問題」、「どんな人が天皇になるのかという問題」だろう。p.162。 
 三 以上のすべてではないが、アホの4人組の見解・主張に対する反論や無知の指摘になっているところが多いだろう。
 <観念保守>の思考方法自体に最近は関心があるが、日本共産党による<明治維新以来ずっと日本は悪いことをしてきた-「帝国主義」化と「侵略」戦争>という歴史観を裏返しにした、しかも明治当初の元勲たちにはあった冷静な視点すら失った、戦前の一時期の<皇国史観>に立ち戻れ、というだけではないだろうか。
 本郷も指摘するし、産経新聞・「正論」欄で秦郁彦も述べていたように、明治期の旧皇室典範の内容こそがむしろ長い日本の歴史、天皇の歴史からすると<異例>だったのだ。
 誰も書いていないようだからあえて書いておくが、明治新政府の誕生時(1868年)、明治天皇は16歳で、明治憲法発布・旧皇室典範(勅令ですらない)制定時には38歳だった。かつまた、すでにのちの大正天皇は生まれていた(12年後にはのちの昭和天皇も生まれた)。そのような、40歳にもなっていない若い又は壮年の天皇がいた時期に、言うまでもなく、そのことや当時の後嗣を含む皇室の具体的状況も考慮して、あるいは具体的なそれを背景として、旧皇室典範により終身皇位制度が採用されたのだ-反対論もあったことが知られている-。この当時と大きく具体的な事情が異なる(むろん法的な位置づけも異なる)現在において、旧皇室典範の<精神>を持ち出すのは、狂気であるか、あるいはたんにアホであるとしか思えない。
 旧皇室典範以降で、わずか三代の代替わりしか行われていない(大正・昭和・今上)。これがなぜ、「日本の伝統と歴史」と言えるのか。昨年12月に触れたことだが、(<保守>派ならば神武天皇にまでさかのぼって ?)天皇の歴史に関する知識を持たなければならない。欽明まで遡らなくとも、平安直前の光仁、そして桓武あたり以降の歴史をすべて(概略でもよいが)知っておかないと、いかなる発言もマトモにはできないのではないか。
 本郷和人は、平川祐弘・月刊Hanada4月号(飛鳥新社)が嫌味を言っているような「法学」者ではなく、東京大学史学科出身の(中世が専門の)歴史学者だ。平川は、自らの視野の狭さ、思い込みとそれからくる「無知」、そして<観念論>ぶりを自ら嘆くべきだろう。
 また、平川は源氏物語という<文学>作品を読んでいない「法学」者を批判しているようだが、そんなものを持ち出さなくとも、いくらでも多数、より実際の<歴史>に近い書物・文献・史書はある(すべてが100%信用できるとは言わない)。
 櫻井よしこ、八木秀次らの具体的叙述も、かりにきちんと読めば、いくらでも、反駁あるいは無知の指摘をすることができる。
 こうしたアホたちがなぜ生まれて、出版界等で生きておれるのか。その理由、背景に最近は興味をもっている。アホたちを生息させている産経新聞等にもかつてよりはるかに批判的になっている。
 天皇・皇室制度それ自体について、種々書き残しておきたいことはあるが、今回はこれくらいにしよう。
 なお、本郷の長くはない叙述のすべてに同意しているのではない。例えば、明治新政権を世襲否定として肯定的な見方を示しているが、薩長中心の、藩閥的・門閥的な政府でもあっただろう(それは昭和期にも影響を与えた)。
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