秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

本田雅和

1235/「左翼」メディアと特定秘密保護法-月刊WiLL2月号。

 〇別冊正論Exttra20(2013.12、産経新聞社)が「NHKよ、そんなに日本が憎いのか」と題する一冊丸ごとNHK批判の雑誌を出し、月刊WiLL2月号(ワック)も櫻井よしこと高池勝彦の対談「NHK偏向報道判決と秘密保護法」などを掲載している。
 上の対談の中で櫻井は、「NHKや朝日新聞」ととくに名指ししたうえで、秘密保護法反対の煽り方は「もはや報道機関ではなく運動体であり、新聞はプロパガンダ・ペーパーと化している」と述べ、高池は「秘密保護法反対派は『言論の自由』や『知る権利』が制限されると言いますが、では報道機関は本当に国民の権利に応えてきたのか」と、正当な疑問を示している。
 〇NHK固有の問題は別にまた触れるとして、秘密保護法とNHKを含むメディアとの問題については、月刊WiLL2月号の表表紙には記載されていない、つぎの二つの小稿が興味深かった。
 西村幸祐の連載コラムの今回の「加速する報道テロの防止策」は、「鳩山政権で九回、菅政権で八回、野田政権で四回の強行採決があった」し、2010年の公務員国籍条項削除の国家公務員法改正案の強行採決の際には「三宅雪子の転倒演技に」報道を集中させ、法案の危険性や強行採決の問題性もが当時のメディアは問題にしなかった、しかるに……、と説く。朝日新聞等の「左翼」メディアが民主党政権時と自民党等の安倍政権時ではまるで異なる報道姿勢をとっていることを気づかせてくれる。<審議が十分でない。なぜ急ぐのか>というキャンペーンはある程度は効を奏したようで、これを肯定する世論調査結果もあったと思われる。しかし、上の民主党政権時の「強行採決」の回数は知らなかった。朝日新聞等のメディアは、その当時、強行採決を「多数の暴挙」等々と厳しく批判したのか。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の、朝日新聞を中心とする「左翼」メディア。「プロパガンダ」団体であり、政治団体であることはますます明確になってきている。
 上の一文と同じことをまた書かなければならないが、門田隆将の連載コラムの今回の「『秘密保護法』と『人権擁護法』どちらが怖い」は、(国会に上程までされたかは確認していないが)2012年9月に野田内閣が人権擁護法案(人権委員会設置案)を閣議決定したとき、強大な権限をもつ「人権委員会」が「人権擁護」の名のもとに「裁判所の令状なしでジャーナリストたちに『出頭命令』や『家宅捜索』、『押収』等をできることにメディアは反対しなかった、しかるに……、と書く。
 鳥越俊太郎、金平茂紀らは昨年に人権擁護法案に反対する運動をし、記者会見等をしたのか。現役の放送会社員・TBSの金平茂紀も含めて<政治活動家>であることははっきりしているから、もはや驚きはしないのだが。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の意識の一片もなく、真面目に(安倍内閣提出の)特定秘密保護法案には反対したのだとすれば、これらのメディアの人々の「神経」を疑うし、そのような人々が平然とテレビ画面に出てくる現実に恐怖を覚える。
 なお、上の西村幸祐のものを読んで、前回に記した「朝日新聞」の<犯罪>の中に、2005年1-2月の、安倍晋三・中川昭一の政治的生命を奪おうとする、<女性戦犯法廷放映政治家圧力>事件も加えておくべきだった、と思い出した。朝日新聞の本田雅和らNHKの長井暁らが「共犯」の事件だった。

1230/特定秘密保護法反対の朝日新聞社説10-11月のいくつか。

 朝日新聞は特定秘密保護法の成立まで、ほとんど毎日のように法案に反対する社説を掲載し続け、同法案の問題点等を示唆・指摘する、いったい何事が起きたかと思わせるような「狂った」紙面づくりをしてきた。
 衆院通過後の朝日11/27社説は「国の安全が重要なのは間違いないが、知る権利の基盤があってこそ民主主義が成り立つことへの理解が、全く欠けている」とほざいている。この新聞はそもそも、はたして「国民の知る権利」に奉仕してきたのか?
 必要な情報をきちんと報道しないどころか、種々の「捏造」記事を書いて、日本の国家と国民を欺し、名誉も傷つけてきた。<従軍慰安婦>問題のニセ記事もそうだし、教科書の<近隣諸国条項>誕生のきっかけとなった、<侵略→進出書換え>という捏造報道もそうだった。2005年には本田雅和らが<NHKへの政治家の圧力>報道問題を起こした。尖閣・中国船衝突事件ではビデオを隠す政府側を擁護したことは先日に触れた。
 朝日11/12社説は「何が秘密かの判断を事実上、官僚の手に委ねるのが、法案の特徴だ。そこに恣意的な判断の入り込む余地はないか」と、奇妙なことをほざいている。第一次的には行政「官僚」が判断しないで、いったい誰が、どの機関がそれをするのか? 国会か、裁判所か、それとも朝日新聞社か。首相・内閣の指揮監督・調整をうけつつ関係行政機関の長が補助機関たる「官僚たち」の専門的知見を参照しつつ指定せざるをえないものと思われる。また、「恣意的な判断」についていえば、法律が行政権・行政機関に何らかの「権限」を授権する場合に、その権限の「恣意的」行使あるいは濫用のおそれはつねにあることで、この法律に限ったことではない。
 実質的に行政官僚が判断に相当に支えられつつ政治家でもある担当大臣等が「規制」権限を行使することとしている法律はおそらく千本以上ある。朝日新聞は、上の主張を貫くならば、そうしたすべての法律に反対すべきだ。幼稚なことは書かない方がよい。
 朝日11/26社説は地方公聴会での、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報が適切に公開」されなかった問題を指摘した意見を法案と関係があると擁護している。だが、この問題は、この社説のいうような、「危急の時にあっても行政機関は情報を公開せず、住民の被曝につながった」ということではないだろう。
 「SPEEDIの情報」の「公開」とは何を意味しているのか。朝日新聞が擁護し応援した民主党政権が、政府が<知り得たはずの情報を有効に利用(活用)できなかったことにこそ問題があったのであり、法案とはやはり無関係だったと考えられる。公開・非公開、秘密にするか否かではなく、政府内部で「非公開」でも「秘密」でもなかった情報を民主党政権が適切に利用できなかった、というのというのが問題の本質だっただろう。朝日社説は民主党政権の「責任」につながるような論点であることを回避し、強引に一般国民との関係の問題にスリカエている。
 朝日新聞がまともな新聞ではないことは、今次の報道ぶりでもよく分かる。結局のところ、あれこれの改正・改善がなされたとしても、いわゆる四分野、①防衛、②外交、③スパイ等の「特定有害活動」の防止、④テロ防止、について「特定秘密」を設ける法律は許さない、いかに個々の論点・問題点を指摘して、それらが解明または改善されれば問題がなくなったとしても賛成するつもりは全くない、というのが朝日新聞の最初からの立場だったと思われる。
 国会上程時の10/26朝日社説は「特定秘密保護―この法案に反対する」という見出しになっている。それ以降、報道機関ではなく、政治的運動団体として、その機関紙を毎日(地域によっては毎朝と毎夕)政治ビラのごとく配布してきたわけだ。朝日新聞(会社・記者)はおそらく、自分たちが<スパイ等の「特定有害活動」>という「反日」活動ができにくくなることを本音では怖れているのだろう。
 「反日」と共産主義に反対する政治家たちは、もっと勇気をもって、堂々と朝日新聞と対決し、同新聞を批判してもらいたい。

1094/朝日新聞を応援する「産経抄」と産経・憲法改正起草委員会。

 一 産経新聞3/20の「産経抄」が、朝日新聞にエールを送っている。
 例の巨人軍契約金問題に触れ、巨人軍の「有望選手を獲得するための、なりふりかまわぬやり口は、野球ファンには常識だ」と断定したあと、「報道のメスは高校野球にも及ぶのか。夏の甲子園大会を主催する、朝日ならではの追及に期待したい」、と締めくくっている。
 読売巨人軍を擁護する気はないし、問題もあるかもしれないが、上のような書き方は、あまりにも一方に偏った、不公正なものだろう。
 朝日新聞が、巨人軍の親会社がライバル社である読売新聞社であるがゆえにこそ、この問題を大きく取り上げたのは、ほとんど明瞭なことなのではないか?
 それに、朝日新聞が執拗な「政治団体」でもあって、例えば2005年には安倍晋三・中川昭一という二人の政治家に打撃を与えるために<NHKへの圧力>という捏造報道を―NHK内の「極左」活動家ディレクターの告発をきっかけとして(ひょっとすればそれを誘導して)し続けた―関係記者・本田雅和は解雇されなかったし、NHKもそのディレクター・長井暁を馘首しなかった―、等々の<デマ>を撒き散らしてきたのは、少なくとも産経新聞の読者には「常識だ」ろう。

 産経抄子は朝日・読売の対決という、どう見ても少なくとも五分五分の言い分はそれぞれにありそうな問題について、何と、あっけらかんと、朝日新聞の側に立つことを明らかにしたのだ。
 呆れる。
 二 上の小記事が原因ではないが、3月末で産経新聞の購読を止めた。
 「よりましな」新聞であることは分かっているが、重要な文章はネット上で無料でコピーできることが大きい。他の新聞に比べて、数年前までの、例えば「正論」や「昭和正論座」その他の論説委員執筆コラム等々がネット上で追いかけられるのは有り難い。
 朝日新聞などは、若宮啓文の重要なコラムを読み逃しても、遅れればネットで(無料では)読めないし、そもそもネット上に掲載していない可能性もある。
 というわけで、3月末と決めていたのだが、産経新聞が<憲法改正起草委員会>を組織したとの報道があって、ややぐらついた。毎日の紙面で、その動向を知っておく必要があるのではないか、と。
 話題を憲法改正案起草に変えれば、「委員」5人の顔ぶれを見て、感じることもある。
 法学者・法学部出身者が多い(全員?)のはよいのだが、79歳、77歳、71歳、69歳、65歳では、あまりにも「年寄り」しすぎではないか?
 しかし、これは現在の法学界、とくに憲法学界の反映かもしれない。50歳代であれば十分に、しっかりした憲法改正論を語れる者がいても不思議ではないのだが、そのような適材がいないのだろう。少なくとも、産経新聞社の求めに応じて「委員」になるような適当な学者がいないのだろう。
 憲法改正に賛成することが、あるいは憲法改正を語ることすら、はばかられるような学界の雰囲気があるに違いない、と思われる。
 産経新聞紙上にもかつての改憲案の作成機関等が紹介されていたが、「憲法学界(学会)」こそがそのような検討をしていたとしても不思議ではないにもかかわらず、そのようなテーマで議論したことは一度もないのだろう。ついでに言うと、日本弁護士連合会(日弁連)もまた<よりよい憲法>を目指した案を作成してもまったく不思議ではない団体だが、日弁連が憲法改正を(それに反対はしても)議論したという話は聞いたことがない。
 (憲法等の)法学界も専門法曹・弁護士会も、憲法改正を一種のタブーにしてきた、という、まことに見苦しく情けない現状がある。それを話題にすること自体が、憲法九条を改正したがっている<保守・反動派>を助けることになる、という意識が、論壇やマスコミ界以上に強いものと思われる。「黒い羊」と断定されれば、就職もできず、あるいはまともな?法学部には就職(・転職)できない、という<経済・生活>にかかわる、サンクションも機能していると思われる(これは「左翼ファシズム」がほとんど成立してしまっている、ということでもある)。
 そのような怖ろしい「部分」・業界?もある中で産経新聞社が憲法改正へと棹さすのは結構なことだ、ととりあえず言っておこう。
 前回に触れたように現九条1項にはそれなりの由来・歴史が伴っているのだが、<侵略戦争はしない>ことはもはや当然のこととして、せいぜい前文で抽象的かつ簡単に触れるくらいにして、現九条1項のような(たしかに紛らわしくはある)条項は残存させないのも、一つの案かもしれない。
 なお、橋下徹・大阪維新の会は憲法改正を「タブー」視していないことは明らかだ。自民党等の中にいるだろう「保守」派は、差異・不明部分のみを強調するのではなく、共通している部分にも目を向けておく必要があるだろう。
 元に戻れば、やはり産経新聞の購読は止めている。したがって、「産経抄」の文章に言及したのは、今回が最初で最後になる可能性が高い。

0713/憲法(九条2項)改正阻止の策略・陰謀?-BPO・放送倫理検証委員会「意見書」とNHKスペシャル。

 一 憲法改正国民投票法は来年(2010年)5月18日に施行される。現在のところでは2007年参院選自民党敗北=野党の多数派化(<ねじれ国会>化)もあって憲法改正への具体的展望は開けないが、来年の上記法律の施行によって憲法改正に関する関心が少しは高まるだろう。そして、<政界再編>の態様によっては、改正案の具体的検討が国会で始まる可能性を排除することはできないと思われる。
 憲法改正の中心的争点は、現憲法九条2項を削除するか(そして「軍」保持を明確にするか)否かだ。現九条全体では決してなく、問題になるのは九条2項であることをあらためて書いておく。
 「左翼」は、憲法改正への関心の高まりと九条2項削除を恐れており、後者を断乎として阻止しようと考えているだろう。安倍晋三内閣を「右派政権」と社説で呼んだ朝日新聞はその先頭又は中核部隊の一つにいる「政治団体」だ。
 二 上のような、憲法改正を阻止するための策略・陰謀は、現在も多少の衣を被って進行しているのではないか。
 NHKスペシャル「JAPANプロジェクト-戦争と平和の150年」は、第一回は「台湾統治」を主題にしていたが、既述のように、その前日の「プロローグ」は現九条の理念や存在意義を積極的・肯定的に主張することを主眼にしていた。また、第2回では憲法問題を扱うことも予告されている。
 「台湾統治」に関する4/05放送については、この欄に既述のほか、産経新聞報道(4/29)によると、自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・中山成彬)は4/28にNHK会長に対して13項目の質問状を発した。当然に上の番組を問題視しての行動だ。
 だが、ネット情報によるかぎりは、朝日・毎日・日経・読売の4紙は、NHKの上の番組に対して「偏向」等の抗議・批判の声があがり、日本李登輝友の会や上の議員連盟による抗議・質問状がNHKに対して発せられたという<事実>をも、いっさい報道していない。この点を扱っているのは、見事に(?)産経だけだ。
 だがしかし、奇妙なことに、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が対NHK質問状を発した同じ日(4/28)に、放送倫理・番組向上機構(BPO)の中に設けられている「放送倫理検証委員会」は、8年前(!)の2001年1月放送の<問われる戦時性暴力>とか題する<従軍慰安婦>問題を扱った(バウネットら主催の「戦時性犯罪国際戦犯女性法廷」なる集会の紹介)番組に関して、直前の改編は「公共放送の自主・自律を危うくし、視聴者に重大な疑念を抱かせる行為」だったとする意見書を公表した(この引用は読売新聞。改編に「政治的圧力が実際に影響したかどうかの判断」はしていない)。そして、この事実は、ネット上でも、朝日・毎日・日経・読売のすべてが取り上げている(産経も)。4/29朝刊でこれら全紙が報道している筈だ。
 ネット上での朝日新聞によると、BPO「放送倫理検証委員会」意見書は、上記のことのほか、「
『国会対策部門と放送・制作部門は明確な任務分担と組織的な分離がなされていなければならない』と指摘し、『経緯から教訓を引き出し、慣習を点検し、場合によって制度設計をやり直す仕事は、NHKで働く人々に委ねられている』と変革を促した。番組の改変については『質の追求という番組制作の大前提をないがしろにした』と判断した」、という。
 また、ネット上での日経新聞によると、「『番組は完成度を欠き散漫。質より安全を優先することを選んだ』と厳しく指摘した」、また、NHK幹部が与党の有力政治家(要するに安倍晋三と中川昭一だ)と面会したことを「『強い違和感を抱く。政治と放送との適正な距離に気を配るべきは放送人の側』と批判」した、という。
 また、ネット上での読売・朝日によると、「制作部門の幹部が政治家と会って番組を説明すること」自体が「自ら政治的関与を招く行為で、視聴者の疑念を招き、信頼を裏切る」、「NHKは現在も制作部門が事前に政府高官に説明する可能性を排除していない。やめて欲しいと申し上げることにした」とも、「放送倫理検証委員会」会長・川端和治(弁護士)は記者会見で述べたらしい。
 三 つい最近の「偏向」(と批判されている)番組に関しては一切報道せず、八年前の番組に関して今頃になって行ったBPO「放送倫理検証委員会」の(結果的又は間接的には安倍晋三らを批判し、元の<極左偏向>番組を擁護することとなる)意見書公表については報道する、という点自体にも新聞業界の大勢の<不公平さ・不公正さ>又は<偏り>があるだろう。
 上の点は別としても、この意見書は内容的にも奇妙で、適切なものではないのではないか。
 第一に、会長発言のように、事前に「制作部門の幹部が政治家と会って番組を説明すること」自体が一般的に許されない、とすることは誤りだろう。こんな見解が一般的に正しいこととされると、NHK幹部は政治家と会見する・面談する、といったことが一切できなくなるのではないか。毎日、又は毎日の如く<政治>と関係のある放送をNHKは行っているのであり、上のように言われると、「会う」こと自体が(実際にはそうではなくとも)近日に放送される予定の番組・放送内容の説明と勘ぐられてしまいかねないからだ。
 より大きな、基本的なことだが、第二に、BPO「放送倫理検証委員会」は、改編された、又は改編前の(幹部が介入する前の)放送内容を「放送倫理」の観点から、いったいどう判断しているのか??
 改編を指示した幹部らを批判することとなる意見を出す前に行うべきことは、改編後の又は改編前の(放映されようとしていた)放送内容の「放送倫理」の観点からの評価なのではないか。
 すでに上で<極左偏向>と書いたが、<自主・自律>に疑問があるとの判断は、当該放送・番組内容の評価と全く無関係にはできない筈だ
 しかるに、BPO「放送倫理検証委員会」は、この点については完全に口を噤んでいる。これは異常というほかはない。最終的には昭和天皇を<性犯罪>者として「有罪判決」を下す集会のほとんどそのままの放映は放送法等にも違反する<極左偏向>ではないのか。いったい、BPO「放送倫理検証委員会」メンバーは何を考えているのか。まともな精神・神経を持っているのだろうか。
 放送倫理・番組向上機構(BPO)も上の委員会も名称のとおり「放送(番組)」のみを対象にしており、新聞(報道)は対象としていない。
 したがって朝日新聞の報道の仕方を審議する性格の機構ではないが、もともとあの8年前の<事件>は、<NHKと政治家>の「距離の近さ」ではなく、<朝日新聞と取材対象者(バウネットら)>の「距離の近さ」をこそ問題にすべき事案だったと思われる。
 かつて朝日新聞記者だった者(松井やより-故人)が代表を務めたことのある女性団体等と現役記者・本田雅和がほとんど一体になっていたからこそ(そして、のち2005年のNHKディレクター・長井暁の「告発」を契機にして)、自民党政治家の<政治的圧力>による改編、という朝日新聞作成(捏造)の基本的構図ができあがったのだ。
 今回のBPO「放送倫理検証委員会」意見書は、結果としては、朝日新聞や本田雅和を免罪する、朝日新聞・本田雅和が描いた構図上での動きに他ならない。
 四 BPO「放送倫理検証委員会」のこの問題についての議論は今年1月に始まった、とされている(BPOのHPには簡単な議事録もある)。
 いったいなぜ、今年1月になって議論を開始し、この4月に意見書をまとめたのだろうか。
 以下は、推測又は憶測だ。
 NHKの一部の者たちはNHKスペシャル「JAPANプロジェクト-戦争と平和の150年」の制作をすでに開始していた。それは護憲=憲法改正反対(九条護持)の立場・主張につながるように日本の近現代史を描く番組だった。そして、彼らの意向どおりに番組を制作すると、実際に生じたように、<偏向>・<不公平・不公正>と批判される可能性があるものだった。批判者の中には国会議員・政治家も入ってくる可能性があり、組織・団体としての抗議・批判もありえた。
 そういう状況を想定すると、NHKの番組・放送内容に対する政治家・国会議員の何らかの形での<介入>(批判・抗議・質問状交付等)を防止する、又はその<介入>は不当なものだという印象を与える、という目的のためには、別の案件を利用してでも、政治家・国会議員の何らかの形でのNHKへの<介入>を疑問視する=NHKの「自主・自律」性維持を要求する<公的な>意見が出ていることが、彼らにとっては有利なことだった。
 つまり、八年前の放送に関しての今年4月のBPO「放送倫理検証委員会」意見書は、今年のNHKスペシャル「JAPANプロジェクト-戦争と平和の150年」を守るために、(「保守」派・「ナショナリズム」派・<改憲派>の)政治家に対するNHKの「自主・自律」性の確保を迫るために、出されたものではないだろうか。そのためには「再発防止計画」の提出につながる「勧告」・「見解」という大げさなものではなく、たんなる「意見」であっても有効だった。
 上記委員会のメンバー全員が上のような意図をもっていたとは思わないし、あるいは全員が4月以降の放送との関係を意識していなかった可能性もある。しかし、八年前の放送の件を議論するように第三者が働きかけることはできるはずだ。そして、特定の内容の意見書へと結果として誘導することも、委員の構成次第では不可能ではない、と<策謀>した者が存在したとしても、不思議ではないと思われる。
 五 意見書を出したBPO「放送倫理検証委員会」のメンバーは次のとおり。計11名。
 川端和治(委員長・弁護士)、上滝徹也(日本大学教授)、小町谷育子(弁護士)、石井彦壽(弁護士)、市川森一(脚本家)、里中満智子(漫画家)、立花隆(評論家)、服部孝章(立教大学教授)、島久光(東海大学教授)、吉岡忍(作家)、高野利雄(弁護士)。
 上のうち、市川森一・里中満智子・立花隆・服部孝章・吉岡忍、計5名は明確な<護憲派>又は「左翼」だ。また、概して、弁護士界は(とくに「公的」な仕事をしている弁護士は-稲田朋美・橋下徹等を除いて)「左翼」的だ。一概にはいえないが、「大学教授」も相対的には「左翼」的傾向の者が多い。
 六 改憲阻止に向けた執拗な<策略・陰謀>が、NHKをも巻き込んで、静かに、深く進行しているのではないか? そんな恐怖を感じるのだが、気のせいか。  

0703/朝日新聞にエラそうに語る資格があるのか(週刊新潮問題)+辻村みよ子・ロベスピエール追記。

 〇 某新聞の4/17付社説の一部。週刊新潮「事件」に関するもの。
 「一般に大手出版社は、社内の週刊誌編集部の独立性を尊重しつつも、法務など別のセクションと日常的に意見交換して、問題記事が出るのを防ぐ工夫をしている。
 だが、新潮社では編集部に取材や記事づくりほぼすべてを任せていると同社は説明している。それほどの権限があるのであれば、編集部にはなおのこと厳しい自己点検が必要だ。
 報道機関も間違いを報じることはある。だが、そうした事態には取材の過程や報道内容を検証し、訂正やおわびをためらわないのがあるべき姿だ。事実に対して常に謙虚で誠実であろうと努力をすること以外に、読者に信頼してもらう道はないからだ。
 今回の週刊新潮と新潮社の態度からは、そうした誠実さが伝わってこない。この対応に他の出版社や書き手たちから強い批判の声があがっているのは、雑誌ジャーナリズム全体への信頼が傷ついたことへの危機感からである」。
 某新聞とは朝日新聞。呆れている。 
 1.この引用の冒頭に「大手出版社」とあるが<大手全国(新聞)紙>では、各部(政治部・社会部等)や「編集部の独立性を尊重しつつも、法務など別のセクションと日常的に意見交換して、問題記事が出るのを防ぐ工夫をしている」のか、自社のことも述べてほしいものだ。記事を書いた記者・その属する部(政治部・社会部等)と最終的に掲載するかどうかを判断する(権限があるとすれば)<編集>部との関係も知りたい。ついでに、2005年1月の際の本田雅和らの記事はどのように社内を「通過」したのかも具体的に。
 2.「報道機関も間違いを報じることはある。だが、そうした事態には取材の過程や報道内容を検証し、訂正やおわびをためらわないのがあるべき姿だ。事実に対して常に謙虚で誠実であろうと努力をすること以外に、読者に信頼してもらう道はないからだ」-よくぞこう言えたものだ。
 朝日新聞はこれまで、何度「間違い」を犯し、そのうち何度、「ためらわない」態度で「訂正やおわび」をしてきたのか??
 北朝鮮祖国帰還運動をどれほど煽ったのか。警察・公安当局は北朝鮮によるとの「疑問」を明確に表明していたにもかかわらず、そして「疑い」を当局は示したといくらでも<客観報道>できたにもかかわらず、全くといいほど言及・報道しなかったのは何故か。教科書検定による「侵略」→「進出」への書き換えという誤報について「訂正やおわび」をしたのか。特定政治家によるNHKに対する政治的「圧力」という「間違い」の捏造記事について「訂正やおわび」をしたのか。
 <天に唾する>あるいは<厚顔無恥>あるいは<どの面下げて>とは、上のような文章を言うのではないか。
 〇 前回紹介の辻村みよ子の記述についてコメントを補足。
 ロベスピエールに言及する日本国憲法の教科書・概説書も珍しいとは思うが、「財産権」のところで、それを「社会的制度」として把握した者として(のみ)登場させるのは一種の<偏向>だろう。
 すでに平民の階級になっていた旧国王夫妻がコンコルド広場で処刑(ギロチンによる斬首)された後に、<ジャコバン独裁>とか<恐怖政治>とか称される時代を築き、思想信条の差異を理由として同胞国民(・「市民」)を数万人(数十万人?)も殺戮し、のちのスターリン、毛沢東、金日成、ポル・ポトらの<さきがけ>となった人物こそロベスピエールではないか。
 ロベスピエールは<生命>(<「個人」)の尊さの箇所で、あるいは「思想・信条の自由」の箇所で(その侵害者として)登場させる方が適切だろう。
 あるいは、やや専門的かもしれないが、<宗教・信教の自由>の箇所はどうだろう。キリスト教式ではない「理性の祭典」=「最高存在の祭典」の挙行は、キリスト教に対抗した「理性」を一種の神とする新<宗教>の樹立をしようとしたものとして、<宗教活動(の自由)>を考察する場合でも興味深い素材ではないか。
 いずれにせよ、辻村みよ子はロベスピエールに<肯定的>文脈において言及する(ルソーについても全く同様)。それはいったい何故か。ルソー(・フランス革命)を呼び覚ませば、マルクスは何度でもよみがえる、との旨の中川八洋の言葉は聞くべきところがある。
 ルソー→ロベスピエール→バブーフ/サン・シモンやフーリエ→マルクス、という思想系譜が一つの流れとしてはある。その後、マルクス→レーニン→スターリン・毛沢東・金日成(・宮本顕治)らと続く。この怖ろしい、<共産主義>そして<全体主義>の系譜にロベスピエールも位置するということを(少なくともこのような理解もあるということを)知った上で、教科書・概説書は慎重に書かれるべきだ(特定のイデオロギーを宣伝したいならば別だが)。

0701/週刊新潮4/23号におけるNHK4/05番組批判と「お詫び」。

 〇4/05のNHK番組「JAPANデビュー・第1回」につき、「少なくとも<一面的>」と前回に評した。週刊新潮4/23号(新潮社)によると、やはりその程度では済まないようだ。
 上の番組を「歴史歪曲と『台湾人』も激怒したNHK『超偏向』番組」と評する同号の巻頭記事によると、「人間動物園」との表現、台湾での「改姓名」、「宗教弾圧」につき、誤り又は歪曲等がある、という。また、番組に登場した台湾人・某氏はNHKの取材に対して日本の台湾統治は「プラスが50%、マイナスが50%」というスタンスで答えたが、放送を観たら「悪口ばかり使われているので、大変驚きました」との感想を述べた、という。以下は省くが、これらによると、「一面的」は柔らかすぎる表現で、むしろ<捏造>に近いのではないか。
 上の某氏はNHKのこの番組の背後には「日台の関係を引き裂こうとする中共の意向があるのではないか」とも「邪推」しているというが、「邪推」ではないかもしれない。
 NHKは<戦時性犯罪国際女性法廷>とやらの番組で少しはコリたかと思っていたが、確信犯的な「左翼」制作者グループがまだ残っているようだ。
 なお、同誌同号の高山正之連載コラムも結果としては全体を、上のNHK番組批判にあてており、番組制作者として、「田辺雅泰」の名前のみを出している(p.142)。
 〇週刊新潮上掲号には、朝日新聞阪神支局事件に関する同誌掲載手記が「誤報であったことを率直に認め、お詫びする…」編集長名の長い文章も載っている(p.130-)。
 これに関係して不思議に思うことがある。すなわち、2005年1月頃以降に話題になった、上でも言及した<戦時性犯罪国際女性法廷>とやらの番組放送に対する政治家(自民党)の圧力問題に関していうと、今回の週刊新潮記事(編集部)にあたるのが朝日新聞・本田雅和ら二人の記者であり、今回の件の島村征憲にあたるのが、自分自身が直接に接触をした(を受けた)わけでもないのに上司・幹部が<安倍晋三・中川昭一から「圧力」を受けた>ために改編を迫られた旨を記者会見して(涙ながらに)述べた長井暁(チーフディレクター)なのではないのだろうか。長井暁は(少なくとも中核部分では)「嘘」を述べたにもかかわらず、それを信じて取材を十分にしないまま記事にしてしまったのが朝日新聞・本田雅和らではないのだろうか。
 そうだとすると、朝日新聞は誤りを認め謝罪するべきだったと思われるが、<取材不十分>を外部委員会に指摘させただけで、訂正も「詫び」もしていない。この<開き直り>と比べれば、新潮社の方がまだマシだ。
 亡くなられた朝日新聞記者にはやや気の毒かもしれないが、彼に関する事件と自民党による<政治圧力>問題は、少なくとも同等の又は後者の方がより大きな重要度をもっていたと思われる。やや別言すれば、今回の週刊新潮には特段の<政治的>意図はなかったと見られるのに対して、朝日新聞・本田雅和には、特定の(反朝日スタンスの)政治家を貶める方向へと世論を誘導しようとする明確な<政治的>意図があったと思われる。朝日新聞はなぜ、<取材が不十分でした>程度で済ますことができたのだろう(まともな・ふつうの新聞社ではないからだ)。
 最近、某芸能人・タレントがラジオで「不適切」発言をして番組が終了し、出演停止措置が執られたとか報道されている。
 このタレントは経済的な制裁も結果として受けるわけだが、朝日新聞のとくに本田雅和、NHKの長井暁はいずれも「不適切」な仕事をした(記事を書き、あるいは「異常な」番組作成しかつ虚偽の記者会見をした)にもかかわらず、それぞれ朝日新聞とNHKを辞める又は辞めさせられることもなくのうのうと給料を貰いつづけた。これはどう考えても、不衡平・不均衡ではないか。新潮社は週刊新潮編集長を交代させるようだが、朝日新聞とNHKはそれぞれ、本田雅和と長井暁に対して、「不適切」な仕事との関係が明確に判る形でのいかなる人事的措置を行ったのか。
 朝日新聞やNHKについては、どうも腑に落ちないことが多すぎる。

0549/相変わらず<異様な>朝日新聞6/13社説-バウネット期待権・最高裁判決。

 被取材者の「期待権」の有無等を争点とする最高裁判決が6/12に出て、当該権利の侵害を主張してNHKに損害賠償を請求していた団体側が敗訴した(確定)。
 産経新聞6/13社説は言う-「この問題では、訴訟とは別に、朝日新聞とNHKの報道のあり方が問われた。/問題の番組は平成13年1月30日にNHK教育テレビで放送され、昭和天皇を『強姦と性奴隷制』の責任で弁護人なしに裁いた民間法廷を取り上げた内容だった。〔二段落省略〕/朝日は記事の真実性を立証できず、「取材不足」を認めたが、訂正・謝罪をしていない。/NHKも、番組の内容が公共放送の教育番組として適切だったか否かの検証を行っていない。/朝日とNHKは最高裁判決を機に、もう一度、自らの記事・番組を謙虚に振り返るべきだ」。
 しごく当然の指摘で、朝日新聞をもっと批判してもよいし、北朝鮮の組織員が検事役を務めていた等の「民間法廷」の実態をもっと記述してもよかっただろう。配分された紙幅・字数に余裕がなかったのだろうが。
 一方の朝日新聞の6/13社説。相変わらずヒドい、かつ<卑劣な>ものだ。
 第一に、原告のことを「取材に協力した市民団体」とだけしか記していない。正確には「『戦争と女性への暴力』日本ネットワ-ク」で、略称「バウネット」。第一審提訴時点での代表は松井やより(耶依)で、元朝日新聞記者(故人)。この団体主催の集会に関する番組を放送したNHKに対して安倍晋三と中川昭一が<圧力>をかけたとして、4年も経ってから政治家批判記事を朝日新聞に書いた二人のうち一人は本田雅和で、この松井やよりを尊敬していたらしく、松井の個人的なことも紙面に載せたりしていた。「訴訟とは別に」問われた朝日新聞の「報道のあり方」の重要な一つは、この記者と取材対象(団体代表者)の間の<距離>の異常な近さだった。
 第二に、原告ら主催の集会の内容について、朝日新聞は直接には説明しておらず、「旧日本軍の慰安婦問題を取り上げたNHK教育テレビの番組」と、番組内容に触れる中で間接的に触れるにすぎない。昭和天皇を「性奴隷」の犯罪者として裁こうとする(そして「有罪」とした)異常な(むしろ「狂った」)集会だったのだ。
 上の二点のように、朝日新聞は自分に都合が悪くなりそうな部分を意識的に省略している。
 第三に、「勝訴したからといって、NHKは手放しで喜ぶわけにはいくまい」と書いて、広くはない紙面の中で異様に長くかつての高裁判決に言及して(「安倍晋三」の名も出している)、「政治家」の影響に注意せよとの旨を述べている。
 「勝訴したからといって、NHKは手放しで喜ぶわけにはいくまい」というのはそのとおりだと思うが、NHKが反省すべきなのは、北朝鮮も関与した<左翼>団体による<昭和天皇有罪・女性国際法廷>の集会の内容をほとんどそのまま放映するような番組製作とそれを促進したディレクターを放映直前まで放置してしまったことだ。朝日新聞社説は全く見当違いのことを主張している。
 第四。朝日社説は最後にNHKについてこう書いた。-「NHKは予算案の承認権を国会に握られており、政治家から圧力を受けやすい。そうであるからこそ、NHKは常に政治から距離を置き、圧力をはねかえす覚悟が求められている。/裁判が決着したのを機に、NHKは政治との距離の取り方について検証し、視聴者に示してはどうか。/『どのような放送をするかは放送局の自律的判断』という最高裁判決はNHKに重い宿題を負わせたといえる」。
 よくぞまぁ他人事のようにヌケヌケと語れるものだ。自社について、次のように書いてもらいたい。
 <朝日新聞(社)は幹部・論説委員等を<旧マルクス主義者又は左翼>に握られており、<左翼>から圧力を受けやすく、また自らが<左翼>団体そのものになる可能性がつねにある。そうであるからこそ、朝日新聞(社)は常に<左翼>的「市民団体」から距離を置き、圧力をはねかえす覚悟が求められている。/裁判が決着したのを機に、朝日新聞(社)は<左翼>的「市民団体」を含む<左翼>との距離の取り方について検証し、読者に示してはどうか。/『どのような報道をするかは報道機関の自律的判断』という旨の最高裁判決は朝日新聞(社)に重い宿題を負わせたといえる。
 以上、とくに珍しくもない、相変わらず<異様な>朝日新聞社説について。

0400/朝日新聞・本田雅和はまだ「反動的」という語を使う。

 週刊新潮桜井よしこ・高山正之のコラムはほとんどきちんと読む。今はなくなったようだが、野口悠紀夫のそれもかなり読んでいた。福田和也のそれは文体・中身が分かりづらいこともあって、これら三者ほどには読んでいない。渡辺淳一のそれは目を通しているかもしれないが、殆ど記憶に残らない。文学や医療と関係のない、政治・国家・一般社会のこととなると、この人には書く資格がほとんどない(つまり一般読者と同じレベル)と思うのだが、さも立派なことを言っているかの如く書いていたりすることもあって、むしろどちらかというと嫌いなコラム・ページだ。
 コラムではないが、週刊新潮2/21号p.50のある部分が目を惹いた。朝日新聞・本田雅和に関する記事だが、記事の主題(同が「夕張はパレスチナと同じ」と講演)よりも、この記事の括弧つき引用による、本田雅和が「…そういう記事を送っても札幌のデスクが反動的で載せてくれない」と講演(発言)した、という部分だ。
 目を惹いたのは、この人はまだ「反動的」という語を使っているのか、という驚きと呆れによる(「」付き引用なので、週刊新潮関係者が勝手に使ったのではないだろう)。
 かつて1970年代、あるいは1980年代くらいまでは、<保守・反動>とか<日米(米日)反動勢力は…>という表現はかなり耳(と目)にはしたが(それでも一部の世界で、であっただろう)、遅くとも日本社会党消滅時までには、この<反動>という言い方は消えたのではないかと思っていた。
 まだこの言葉が何かしらの意味をもつ有効性ある(つまりは「進歩」・「革新」に対して<時代逆行>を意味する)概念だと思いこんで使っているのは本田雅和のほか、佐高信、上野千鶴子、そして熱心な日本共産党員、社民党員くらいではないか。ズバリ皮肉だが、<なつかしい>。

0338/日本新聞協会は「説明責任」を果たせ-朝日・中江利忠へ授賞。

 中江利忠。1953-朝日新聞社入社、1982-同取締役、1987-専務、1989-代表取締役(編集担当・国際担当・アエラ編集室長)、サンゴ落書き(擦傷)捏造事件で責任をとった前社長(一柳東一郎)の退任のあと、社長。1992-松本清張葬儀に際し、代表して弔辞を読む。1993-「週刊朝日」の揶揄に抗議し、のち自殺した野村秋介と役員応接室で対談。
 ネット情報によると、野村秋介の最後の言葉-「朝日は最後まで逃げた。ここまでくれば、民族派として、また一日本男児として節義をまっとうする以外にない。また、私の闘いの人生もこの辺が潮時だろう。さらばです」。
 2000-来日した中国の報道関係者を前に、前社長として、「日中の報道界が交流を強化するとともに、朝日新聞と人民日報の協力関係もより深まってほしい」と語った(ウェブ上の人民日報による)。
 2007-井上ひさし、栗原小巻、鳩山由紀夫らとともに、ロシア文化フェスティバル日本組織委員会委員。
 以上、ネット上で知り得たものの一部。朝日の「反日左翼」路線を定着させた人物との評もあった。
 さて、読売2007年10/16夕刊-日本新聞協会は中江利忠(78歳)に「新聞文化賞」を(渡辺恒雄へとともに)授賞。記事によると、「言論の自由の確保と新聞倫理の向上に尽力した点などが認められた」。
 朝日新聞は中華人民共和国や北朝鮮との関係において真に「言論の自由」を「確保」しているだろうか。サンゴ落書き捏造事件を契機に社長になった人物、元朝日関係者と異常に「近い」距離を保った本田雅和の捏造記事が社長退任後に出たりした朝日新聞の元社長が、「新聞倫理の向上に尽力した」と言えるのだろうか(中江が編集責任者又は社長時代の朝日の「業績」は上にどまらないことは無論)。
 ちゃんちゃらおかしい。日本新聞協会は腐っている。いつか既述のとおり、「談合」はやめ給え。
 日本新聞協会は中江利忠に「新聞文化賞」を(12年ぶりに)授賞した理由・根拠について、十分に<説明責任>を果たせるのか?
 それをすることなく、加盟各社は、政府等々の<説明責任>を語るな。噴飯ものだ。

0291/古森義久「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」に寄せて。

 産経古森義久が氏のブログで7/11に、「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」というタイトルで、その題のとおりのことを批判的に指摘している。
 朝日新聞の記事を全て読んでいないが、古森の感想・考えが正しいだろうことは容易に想像がつく。
 安倍内閣を支持している読売又は産経自体はどうなのかと問題をずらしている、又は公平に論じろとの旨の意見もあるようだが(読売は安倍内閣支持で明確なのか私には分からない)、それは、安倍晋三と朝日新聞の長い<敵対>関係を知らない無邪気な人だからこそ言えることだ。
 朝日新聞は、安倍が中川昭一等とともに若手の「保守派」の会である日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会の要職・事務局長を務めて以来(中川昭一が代表)、警戒すべき政治家だと注意を向け、事あらば批判し、政治的に打撃を与え、うまくいけば失墜させてやろう(政治生命を奪ってやろう)と考えてきた「左翼政治団体」だ。
 2005年になって4~5年前のできごとについて<政治家がNHKに圧力>という本田雅和ら執筆の虚報(捏造記事)を放ったのも、そうした<戦略>の一環だった。この件につき、安倍、中川およびNHK幹部にも毅然と反論されて窮地に陥ったのは、朝日新聞だった。
 その後この件について朝日新聞は訂正も謝罪もせずに勝手に<幕を引いて>いるが、朝日新聞の<挑戦>を堂々と受けて立ち、活字によっても朝日新聞を名指しで批判した安倍晋三は、朝日新聞の<私怨>の対象とすらなったのだ。 
 思い出すがよい。一年前、朝日新聞は安倍以外の者、例えば、福田康夫が自民党総裁→内閣総理大臣になるように必死の紙面づくりをし、福田の氏名を挙げて<さぁ、立て>とまでけしかけたのだった。今でもそうだが、当時も、加藤紘一のコメントを「愛用」したのは朝日新聞だった。(それにしても、加藤紘一は自分が属する政党の党首を「危ない」とか等々々々よくもまぁマスコミ上で批判できるものだ。いつも呆れている。日本共産党なら、即刻除名)。 
 その安倍は、今や内閣総理大臣になった。彼が朝日新聞発行の週刊誌(週刊朝日)の記事にでも敏感に反応するのは当然のことだ。一方、現在の朝日新聞が何とか<安倍退陣>まで持っていこうとの<戦略>を立て、個々の<戦術>を繰り出しているのも分かる。安倍関係になるととりわけ、朝日新聞は報道機関ではなく<政治団体>に姿を変える。
 朝日新聞には2000万人の読者がいるから影響は大きいだろう。また、もともと今回の選挙は自民党が議席を減少させることが容易に想定された選挙だった(6年前が勝ち過ぎだった)。だが、安倍首相が退陣を余儀なくさせられるほどに自民党を大敗させてはならない。朝日新聞の本田雅和、若宮啓文、元朝日の本多勝一、さらには週刊金曜日の佐高信、石坂啓らに<勝利の哄笑>をさせてはなせらない
 朝日新聞の紙面に問題があるなら(そうだと思うが)、産経新聞はその旨を紙面で堂々と批判すべきだ。一般常識のほか新聞倫理綱領等々に朝日新聞も拘束されているはずで、同業だから批判できないというのでは情けない。古森のブログのみでお茶を濁すような情けないことを産経新聞はするな、とむしろ言いたい。


0171/山崎行太郎は自分の安倍晋三批判を赤面することなく読めるか。

 産経5/23によると、韓国の盧武鉉大統領が政府内等の記者クラブ数の縮小を発表してマスコミの反発を買っているらしいが、その記事の中にこんな文章がある。
 「盧政権は、大手紙などの反政府的報道に対してはそのつど誤報訂正要求や告訴、取材拒否で対応してきた…」。
 坂真・韓国が世界に誇るノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録(飛鳥新社、2007.01)p.63以下によると、盧武鉉は2005年の5月、ソウルでの世界新聞協会総会の祝賀演説でこう言ったそうだ。
 「権力と言ってもいい。言論権力の乱用を防ぐ制度的装置と言論人の倫理的姿勢、および節制がきわめて重要だ」。
 同書によるとまた、韓国では、最大発行部数の新聞は市場占有率が30%を超えてはならず、上位3紙も合計60%までと制限し、中小新聞には支援を行う「新聞法」(新聞等の自由と機能の保障に関する法律)が2005年07.28に施行されている。
 坂真氏は「文字通りの「権力による言論への介入」と言わざるをえない」とまとめている。
 いちおうの自由主義国・韓国ですらこうなのだから、中国や北朝鮮では果たして「言論の自由」が存在するのかどうか自体が疑わしいだろう。政府又は言論警察機関が許容した範囲内でのみの「言論」行使ができるらしいことは、逐一関係資料を確認しないがこれまでの日本の中国等に関する報道によっても明らかだと思われる(これらの国の「憲法」がどうなっているのかは知らないが、少なくとも現実には、憲法で保障された人権としての表現の自由という意識・観念が恐らく存在しない)。
 ところで「山崎行太郎」という人は、自ら書くところによると、「文藝評論家(or哲学者)。 慶応大大学院(哲学専攻)修了。東工大講師を経て、現在埼玉大学講師、日大芸術学部講師、朝日cc「小説講座」講師」らしい。
 もともと小説又は文学作品を書かない文評論家とか、小説を書かないで(又は売れた小説を書いたこともなく)「小説の書き方」とかを講じている人は何となく胡散臭く感じてきたし、自ら「or哲学者」などと名乗る人にロクな人はいないだろうとも思うのだが、この山崎行太郎という人も、失礼乍ら、やはり<胡散臭い>人で、<ロクな人>ではないように見える。
 この人は言論統制・言論弾圧に関心を持っている(研究対象としている?)らしいのだが、過日すでに一部紹介したように、安倍首相について、5/18にこんなふうにブログ上で公言している。
 「安倍が総理就任以前から言論統制や言論弾圧にこだわっていることは明らかだが、総理総裁に就任後も、相変わらずマスメディアの情報に敏感に反応し、新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」→「誠に情けないというか、なんというか、馬鹿丸出しの体質がミエミエで哀れ」。
 「安倍シンゾーは、どうした風の吹き回しか知らないが、総理総裁に就任する以前から言論弾圧に異常に固執している政治家である。女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝したのもこの人だ。「ボクは言論弾圧なんかやってないよ…」と言うが、「やった」に決まっている。」→「言論弾圧や言論統制を武器にして政権維持を画策するような、こんな低レベルのチンピラ政治家を総理総裁として持たざるをえない日本国民の一人として、かなり恥ずかしいと思うだけだ。
 「安倍は、これまでもNHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた」→「そのことの喜劇性と非常識をまったく自覚できていないという時点で、政治家失格というより、人間失格である。これぞまさしく「キチガイに刃物」である。
 山崎行太郎なる人物は、1.安倍晋三氏による総理就任以前からの「言論統制や言論弾圧
とは具体的にどのような行為で、かつなぜそれが「言論統制や言論弾圧に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 2.安倍氏が総理就任後も「新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」とは具体的にどういう行為で、かつなぜそれが「
脅迫と恫喝」に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 3.安倍氏が「
女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝した
ということのうち、とくに下線部分を、朝日新聞の記事や同社記者・本田雅和らおよびNHKの長井暁の発言以外の資料又は記録文書を使って、きちんと通常人ならばなるほどそうだっただろうと納得できるように十分に説明していただきたい。
 関連してついでに、言論弾圧を「
「やった」に決まっている。
」とは断定的文章ではなく強く推測しているとの趣旨だと思われるが、そう「強く推測」する根拠を示していただきたい。
 4.なお、安倍氏が「NHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた
という部分については、上の2.の質問によって代える。
 以上の問いに具体的に回答できないとすれば、山崎行太郎なる人物は、確たる根拠もなく、いわば「思いこみ」に近い心理にもとづいて、安倍晋三を、「
誠に情けない」・「馬鹿丸出し」・「低レベルのチンピラ政治家」・「政治家失格というより、人間失格」、キチガイ(に刃物
)」と罵倒していることになる。文芸評論家(+哲学者)だから許される又は甘く見てもらえる、ということはなく、むしろ逆であることは当然のことだ。
 再度簡単に繰り返しておくが、安倍晋三のどの行為が「言論統制や言論弾圧」で、どの行為が「脅迫と恫喝
」なのか。
 加えていえば、この山崎某なる人物は、次のような奇妙なことも書いている。
 1.「政治家や権力者にとってマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒は、不可避である。有名税というようなレベルの問題でもない。マスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるかどうかが、政治家としての資質の有無を判別する基準である。安倍シンゾーにマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるだけの人間的包容力がないことは明らかだ」。
 この人は何を言っているのか。「
マスメディアや一般大衆」からの批判をいわば「有名税」として甘受又は無視する必要がある場合もむろんあるだろうが、この文章は、何を書かれても、どんなひどいことを書かれても「人間的包容力」をもって「許容」しろ、それが「政治家としての資質
」だ、旨を言っている。
 そんな馬鹿なことはない。常識と「理性」を持った「マスメディア
」の批判等だけならよいが、十分な根拠を持たないままの、政治的影響力減少・政治家失墜を狙った、表向きだけは報道機関らしきものの記事もありうるし、秘書等が殺人犯の所属する団体の関係者だと書かれてしまうこともありうる。それらに<十分な根拠>があれば別だが、そうでない限り、「人間的包容力」をもって「許容」
できない場合もあるのは当然ではないか。
 上の方で紹介した韓国・盧武鉉大統領の対マスコミ言動に比べれば、安倍首相の対応は、遙かに穏便だ(穏便すぎるかもしれない)。
 こんなまともと思われる議論も、自称「文藝評論家(or哲学者)」の方には通用しないのかもしれない。国際女性戦犯法廷NHK問題につき、「山岡俊介」という人のブログの次の文章をそのまま引用している。山崎某自身のそのままの理解でなくとも、肯定していると思われる。
 「疑惑の中川昭一代議士と違い、安倍氏の場合、放送直前にNHK幹部に会い、「公正な報道を」と番組に関する発言を行っていることを自ら認めているのだから、完全に真っ黒と言わざるを得ない。/例え、恫喝しなくても、また、NHK側から出向いたのが本当だとしても、そんなことは本質論からいえば些末なこと。番組の件で、放送直前に会ったこと自体が大問題なのだ。
 これまた、馬鹿ではないか。こんなふうに批判されるのであれば、NHK等の放送局、さらにはいかなるマスメディアの人物とも「会う」ことができなくなる。
 放送局であれ、新聞社であれ、それらの関係者と「会う」ことは、全てが、何らかの番組放送又は記事の公表(新聞配送)の「直前」になってしまうのだ。お解りかな?
 そして何らかの番組放送・記事公表の「直前」に「会った」ということだけで、<政治家の圧力>があったと言われてしまうのであれば、たまったものではなかろう。
 具体的にNHK問題について言えば、既に何度もいろいろとネット上でも話題にされた筈なので、詳しく繰り返さないが、当時において安倍の耳にも入っていた<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、放送上の規定に即した一般的な発言をするのはむしろ当然のことだ。上坂冬子等もどこかで書いていたが、あの<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、何も言わない方がむしろおかしく、その方が政治家としての良識・見識が疑われる。
 山崎某あるいは上の山岡某は、見事に、朝日新聞と全く同じく、<国際女性戦犯法廷>に関する番組がどういう内容のものだったかには全く触れていない
 そして、山崎某はNHKの松尾に対する安倍の発言を、大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ。
 あるいはまた、<政治家が圧力>との旨の記事を書いた本田雅和等や朝日新聞社に抗議し批判したことを、同じく大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ(「脅迫」とは刑法犯罪になる行為を示す言葉でもある)。
 これで「文芸評論家(+哲学者)」か? いや、だからこそ、上に紹介してきているような粗雑な文章を書けるのかもしれない。
 つまり、基本的には大江健三郎と類似しているとも思うが、この人にとって<真実>・<事実>がまず第一に重要なのではない(社会系の学者・評論家とは違うところがあるようだ)。そうではなく、自分の描いているこの世のイメージに現実を合わせる(そして満足する)ことの方が大切なのだ、と思われる。
 そして、山崎行太郎は、上に紹介したようなことを公然と書いて公表したままにしておける、日本の「言論の自由」の保護の状況を直視すべきだ。そして、有り難いものと感謝すべきだ。
 私は、この人の上のような叙述は「言論の自由」の枠を超えており、<侮辱罪>の構成要件は充足していると思うが、「言論の自由」に対する恣意的な規制になるおそれを回避するために、実際には警察が動くことなどありえず、言論の一つとして、ネット上に残したままにしておける。日本は何と「自由」な国だろう。
 言論統制・言論弾圧に関心がおありならば、ソ連・東独等の旧「社会主義」国、そして中国や北朝鮮等の現存「社会主義」国の言論統制・言論弾圧の状況にも関心をもち、日本の状況と比較して欲しいものだ。産経5/22には、「露、強まる言論統制/大統領選控え/反政権派”排水の陣”」という見出しの記事もある。
 「文芸評論家(or哲学者)」という肩書きで、安倍首相を罵倒し、あるいは私は知らない某々等の人物への個人的な批判のようなことを書き連ねて生活していけるのだから、結構なことだ。
 最後に「政治ブログ」とやらに参加しているようだが(だからこそこの人のブログの存在を知ったのだが)、たしかに「政治」に関する文もあるが、<文芸>に関することの方が多そうだ。私の上の質問にきちんと答えたあとで、「政治ブログ」エントリーは止めたらいかがか。その方が、私の精神衛生にはよろしい。
 こんな、今回のような内容の文章を本来は書きたくないのだが、山崎某の、無責任な、好き勝手な言いぐさを読んでいると、何やら腹が立ってきて、<義憤>らしきものも湧いてきたのだ。山崎某に関心のない方は、許されたい。

0155/週刊文春5/24-「おかしな記事」を書いても「いきり立」たないでという<甘え>。

 週刊文春5/24号(文藝春秋)の「週刊朝日vs安倍晋三/どっちもどっち/「落ちた犬」を訴えた首相の「品格」」(p.150-1)はミョウなことを書いている。さすがの文藝春秋も、同業週刊誌となれば朝日新聞社発行のものについても「仲間うち」意識が働くのだろうか。
 安倍事務所の現・元の秘書3人が朝日新聞社、週刊朝日編集長山口一臣らを被告として損害賠償請求等の訴訟を提起したことにつき、最後にこう締め括っている。
 「おかしな記事にまともにいきり立っているようでは、…狭量な政治家に見られてしまいますよ」。
 この文は、当然に、次のような意味と解される。<「おかしな記事にまともにいきり立」つ「政治家」は「狭量」だ>。あるいは、<「狭量」ではない「政治家」は、「
おかしな記事」を書かれても「まともにいきり立」つべきではない。
 こうした認識は、誤っている。
 <週刊誌がおかしな記事」を書いても(記事の関係者であっても「まともにいきり立」たないで下さいよ>という、<甘え>が丸見えの認識とそれにもとづく言明だ
こんな<甘え>で「週刊文春」全体が成り立っているならば、マスコミ又はジャーナリズムを名乗る資格は「週刊文春」にはない。こんな文章を容認した、文藝春秋社員・週刊文春編集人の鈴木洋嗣、同発行・松井清人の見識を疑う。
 むろん「どっちもどっち」などという見出しも問題で、週刊文春のこの記事は「歪んで」いる。「おかしな記事」(正確には、「おかしな」どころではなく名誉毀損の記事だ)を書くこととそれに対して
「まともにいきり立」つことの、一体どこが「どっちもどっち」なのか?
 以上でほぼ十分だが、なおも続ける。
 
この記事は、週刊朝日の記事が「お粗末だった」ことを認めている。しかし、「言論によるテロ」や「政治運動ではない」、とする。また、服部隆章・立教大学教授や田中辰巳・危機管理コンサルタントとやらを登場させて、前者に安倍首相側の行動こそが「政治行動」だ、後者に「大人げない」と語らせている。
 朝日新聞シンパかもしれないこの二人の氏名を記憶しておくが、相手が朝日新聞社だから安倍首相側が過敏に反応したのだとかりにしても、また「全国紙政治部デスク」が語っている「総理の”朝日”憎し」が事実だとしても、それには相当の根拠・背景が厳然としてある。
 そのことを、雑誌諸君!や月刊・文藝春秋を刊行している会社の週刊誌部門の者が知らない筈はないだろう。
 朝日新聞社は安倍首相(および中川昭一)が当選ホヤホヤの議員だった頃から警戒すべき「右派」と看做したと思われ、安倍らが<保守派>的とされる若手議員の会だった「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の要職(事務局長・会長は中川昭一)についた頃からは明確に批判の対象にしてきた。そして、2005年1月の本田雅和らの記事が、その4年前の安倍・中川による<NHKへの圧力>を捏造することによってこの二人の政治的地位又は影響力を大きく損なおうとしたものであることは明らかだと思われる。
 朝日新聞は特定の政治家をターゲットにして政治的な失墜を狙ったのであり、その限りで、<(政治)運動団体>に他ならない。
 他にもきっとあるだろうが、上のような体験をもつ安倍晋三が、朝日新聞社の出版物の記事の内容に他社のそれに対するよりも過敏になり、<またか>と感じても当然のことだ。
 問題は、安倍首相が「朝日には厳しい」(某政府関係者)ことが批判されるべきことなのか否か、だ。私は、安倍首相が「朝日には厳しい」ことは当然のことだ、と考えている。
 週刊文春のこの記事の書き手は、上のような安倍vs朝日の歴史についての認識・評価が私とは違うのかもしれない。それならある程度は仕方がないとも言えるが、認識自体がない、すなわち「無知」にもとづいているのだとすれば、週刊誌の記者としては完全に<失格>だ。また、服部隆章や田中辰巳なる人物も、朝日新聞の<本質>を知らないお人好しに違いない。
 上述のことからしても、「きっこのブログ」5/11が書く<「週刊朝日」だけを訴えて「週刊ポスト」を訴えないということは、「週刊ポスト」に書いてある内容は「事実無根」ではないのでしょうか?>なんていう疑問には何の根拠もない。
 さらにまた、次の、山崎行太郎
という文芸評論家の5/10のブログの文章はまさしく書き手こそが<狂気>の持ち主(すなわち、-<キ--->という言葉を私は使うのに慣れていないので-<狂人>)であることを明瞭に示している。
 <「キチガイに刃物」という言葉があるが、この言葉から「安倍に言論弾圧」という言葉を連想する…。総理総裁に就任後も、相変わらずマスメディアの情報に敏感に反応し、新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している様は、誠に情けないというか、なんというか、馬鹿丸出し…。女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝したのもこの人だ。「ボクは言論弾圧なんかやってないよ…」と言うが、「やった」に決まっている。…安倍は、…政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきたわけだが、そのことの喜劇性と非常識をまったく自覚できていないという時点で、政治家失格というより、人間失格である。これぞまさしく「キチガイに刃物」である。
 こんな文章を書く者が、そして一国の総理大臣を「馬鹿丸出し」、「人間失格」、「キ---」という言葉を使って平気で罵る者が、かつまた、訴訟の提起それ自体を「言論弾圧」だと理解してしまう知能の低そうな者「文芸評論家」でかつ「哲学者」とも名乗っているとは驚いた。
 この人がもっと有名人でかつより広く多数人に読まれる機会がある文章なら、間違いなく名誉毀損等で訴訟を起こされ、謝罪の文章を新聞に掲載すべきことになろう。また相手が首相でなければ、刑法犯として立件される(逮捕され取り調べられる)可能性がある。
 cf.「刑法230条1項(名誉毀損罪) 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
 「刑法230条の2第1項(特例) 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
 「刑法231条(侮辱罪) 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。
 日本の現在と将来に、それこそ薄ら寒い恐怖を覚える。こんな感覚の持ち主(「きっこ」?を含む)が多数派を占めてしまったら、それこそ「日本」はおしまいだ。

0120/中西輝政・日本の覚悟(2005)でも安倍晋三は朝日を批判。

 中西輝政・日本の「覚悟」(文藝春秋、2005.10)の第14章は「「朝日」の欺瞞を国民は見抜いている」で、その初出は、諸君!2005年3月号の「慰安婦も靖國も「朝日問題」だ」と題する安倍晋三との対談だ。現首相の当時の発言を要約し又は一部引用して記録にとどめる。
 1.「A級戦犯分祀」論批判-「A級戦犯」で有罪判決を受けた人は25名で、死刑でなく禁固刑でのちに釈放された重光葵元外相も含む。「中国側の言い分に従って、東京裁判の正当性を認め、A級戦犯の責任を改めて鮮明にするのであれば、重光さんからも勲一等を剥奪しなければ筋が通りません」。
 (なお、重光の他にのちに法相となった賀屋興宣もいる。この旨を安倍は2005年9月にも民主党・岡田克也に答えて述べたが、岡田は有効な反論をできなかった。この対談でのかなり詳しい安倍発言の内容を岡田はおそらく知らないままだったのだろう。)
 2.対NHK「政治圧力」問題a-2001年にNHKが報道した「元朝日新聞記者・松井やよりなる人物が企画した…イベント」である「女性国際戦犯法廷」は昭和天皇を「性犯罪と性奴隷強制」の責任で「有罪」とした異常な「疑似法廷」で、「検事席に座っていたのは、なんと北朝鮮の代表二人。いずれも対世論工作活動を行っているとされ」、日本再入国を試みたときは政府はビザ発給を拒否したような人物たちで、うち一人は「黄虎男」という。2005年01/13のテレビ朝日・報道ステーションでこの旨指摘すると、朝日新聞編集委員・加藤千洋は不審そうに彼は金正日の「首席通訳」なのに「工作員なんですか?」と質問し、かつ自分は彼と「面識があります」とも言った。加藤は「工作」の意味が分からず、かつ「工作」の対象になっていたのでないか。
 (朝日・加藤千洋の「お人好し」ぶりを安倍は皮肉っている。)
 3.対NHK「政治圧力」問題b-「松井氏らの茶番法廷」につき「主催者の意向通りの番組が放送されるらしいというのは、当時、永田町でも話題」だったが「この件について私がNHKを呼びつけたという事実はまったくありません」、幹部が「予算・事業計画の説明に来訪した折、向こうから自発的に内容説明を始めた」のだが、「良からぬ噂は私の耳にも届いて」いたので「私は「公平、公正」にやってくださいね」という程度の発言」はしたが「与党議員、官房副長官として、圧力と受け取られるような発言をしてはならないという点は強く自覚して対処」した。しかし、「朝日は、私の反論、回答要求に、何ら新たな根拠や資料を示すこと」がなかった。
 (周知のとおり、にもかかわらず朝日は謝罪も訂正もしなかった。外部者から成る委員会が「真実と信じた相当の理由はある」などと言ってくれたのを受けて、取材不足だが真実でないとはいえない、と結論づけて自ら勝手に幕を閉じた。外部者の委員会(「「NHK報道」委員会」)の4委員名は、丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長、原寿雄・元共同通信編集主幹、本林徹・前日弁連会長、長谷部恭男・東京大学(法)教授、だ。)
 4.「女性戦犯法廷」と朝日の安倍攻撃の背景-2001年頃には拉致問題が注目され始めたので、北朝鮮は被害者ぶることで「日本の世論における形勢を立て直そうとしていた」。そこで、「日本の過去の行状をことさらに暴き立てる民衆法廷のプランが浮上したのでしょう」。2005年の1/12に朝日は中川経産相とともに「事前検閲したかのような記事を載せた」が、「4年も前の話を、なぜいまこの時期に?」。 かの「法廷」に「北朝鮮の独裁政権が絡んでいたことを考えると、私がいま経済制裁発動を強く主張していることと無関係とは思われません」。
 (この指摘は重要だ。安倍は、2005年01月の朝日の(本田雅和らによる)記事と安倍が「いま経済制裁発動を強く主張していることと無関係とは思われません」と明言している。正しいとすると朝日の本田雅和らは北朝鮮と何らかの密接な関係があることになる。もともとの「女性戦犯法廷」が北朝鮮と関連があったことはほぼ明白だが。)
 5.朝日への姿勢-中西の「従来から朝日の安倍さんへの個人攻撃はどう見ても常軌を逸しているとしか思えません」との発言をうけて、「こうした報道姿勢がいかに薄っぺらな、欺瞞に満ちたものであるか」を「国民は見抜いている」、「いままで朝日新聞が攻撃した人物の多くは政治的に抹殺されてきた経緯があり、みな朝日に対しては遠慮せざるを得なかった。しかし、私は…朝日に対しても毅然とした態度をとります。自分は、国家、国民のために行動しているんだという確信があれば決してたじろぐことはない
」。
 以上

0100/池津洋一・虚報-朝日新聞「NHK番組改編」報道-(新風舎文庫)に接して。

 すでに旧聞に属するが、NHKを被告として2001.01.30にNHK教育テレビが放映した「女性国際戦犯法廷」を報道する番組の「取材協力団体」が起こした損害賠償(慰藉料)請求訴訟の東京高裁判決が2007.01.29に出て、NHKの敗訴だった。
 その結論はともかく、傲慢さと欺瞞に満ちていて、怒りを覚えるほどだったのは翌2007.01.30の朝日新聞社説だった
 そもそもNHKが放送しようとしていた内容は、例えば天皇の戦争責任を肯定する某過激派団体の集会を、あるいは昨秋の佐高信らの週刊金曜日の集会をそのまま、何ら批判的コメントもなく放映するようなものだった。そして、元朝日新聞記者=松井やよりも含む主催民間団体(その集会には北朝鮮関係者も登場した)に親近感を持っていたに違いないNHKの担当ディレクター=長井暁が制作していたものだった。
 最終的には昭和天皇に対して一般的な戦争責任の故ではなく「対女性性犯罪」者として「有罪判決」を下すという偽法廷のやりとりの内容がそのまま放映されれば、客観的または常識にみて放送法3条2項に違反するもので(「政治的に公平」違反、「事実をまげない」違反、意見対立問題には「できるだけ多くの角度から」論点明確化違反)、NHKの、一般的には放送局、さらには報道機関の「政治的中立」性を著しく侵すものだった。
 上のごとき内容を知ったNHK幹部=松尾武放送総局長等が事前に是正・改変しようとしたのは当然のことだ。朝日の社説は松井やより等が主催・参加した「女性国際戦犯法廷」との集会がどのようなものだったかには全く触れていない。
 朝日社説は「NHKは国会議員らの意図を忖度し、当たり障りのないように番組を改変した」と冒頭に書いて、NHKの「政治への弱さ」をさも得意そうに批判している。だが、この件でのNHKの問題は、昭和天皇に有罪判決を下す偽法廷集会を放送しようとした長井暁というディレクターがいたこと、上層部が放映直前になるまで内容を知らず是正(改変)が遅れたこと、にある。その限りでは、当然にNHKは批判されるべきだ。
 そして、その遅れた是正(改変)の時期が安倍晋三・中川昭一両氏とNHK幹部が会った時期に近いことに着目して、両政治家の「圧力」によりNHKの番組が「改変」されたとのストーリーを4年後に考え出し、二人を批判し政治的に失墜させようと図ったのが朝日新聞だったのだ。朝日は2001年1月以降の頃には、政治家による政治的「圧力」の存在には何ら言及していなかった。本田雅和は01.03.02に「直前に大改編」と批判する記事を書いたが、この時は<政治家の介入>には全く触れていなかった。
 朝日社説は「NHK幹部は番組への強い批判を感じ取ったのだろう。…予算案の承認権を国会に握られている。それが番組改変の動機になったと思われる」と書く。「思われる」としか書けないのは自信がないからで、判決の認定によるわけではなく、当該NHK幹部も否定している。
 この朝日1/30社説の最大の欺瞞は次の文だ。
 朝日の報道につき「政治家とNHK」から事実につき反論があったので「検証を重ね…一昨年秋、記事の根幹部分は変わらないとしたうえで、不確実な情報が含まれてしまったことを認め、社長が「深く反省する」と表明」した。
 今回の判決の要点の一つは、「政治家による圧力」の存在を認定しなかったことだ。にもかかわらず、上の文はこの点を曖昧にしつつ、「記事の根幹部分は変わらない」との見解を確認的に述べて、実質的に判決の事実認定に反する主張をしている。自分たちに都合の悪い事実の隠蔽・誤魔化しがここにもある。
 ネット情報に依拠しておくが、本田雅和高田誠両記者による2005.01.12の朝日の記事の政治家関係部分はこうだ。
 リード-「中川昭一・現経産相、安倍晋三・現自民党幹事長代理が放送前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘していたことが分かった」、「外部からの干渉を排した放送法上、問題となる可能性がある」。
 本文-2001年1月「29日午後、当時の松尾武・放送総局長…らNHK幹部が、中川、安倍両氏に呼ばれ、議員会館などでそれぞれ面会した」、「両議員は「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたという。NHK幹部の一人は「教養番組で事前に呼び出されたのは初めて。圧力と感じた」と話す」等。
 上の記事に中川・安倍両氏、NHK幹部・松尾氏は事実に反すると抗議したが、朝日は訂正も謝罪しなかった。今回の判決は上の事実を逆に否定しているにもかかわらず、その点を曖昧にしか触れず、再述になるが、朝日にとっては都合の悪い筈のことを巧妙に誤魔化しているわけだ。
 朝日社説は「社長が「深く反省する」と表明」したなどと書いて、さも潔かったかの如き印象を与えているが、社長がのちに詫びたのは取材方法や「不確実な情報」も含んでいたことに対してである。「記事の根幹部分」については訂正も謝罪もしておらず、むろん「反省」もしていない。
 多少は関心を持っている人なら知っているこの辺りを明瞭に書かないまま、「この問題は朝日新聞が05年1月に取り上げ」などと社説に自慢げに書ける神経の人物がいるとは信じ難い。
 政治家二人が「放送前日にNHK幹部を呼んで…と指摘していた」というのは事実ではないだろう。この事実が判決によって認定されなくともヌケヌケと「記事の根幹部分は変わらない」と強情になお言い張り、まるで朝日が潔い態度をとったかの如く偽装しているのが、今回の社説だ。騙せるかもしれないのは、朝日新聞のみを講読し、かつ社説の<雰囲気>のみを感じている読者だけだろう。
 多少は多面的・総合的にこの問題に関心をも持っていた読者を、そして歴史の真実を、瞞着することはできない。何度でも言う、朝日新聞よ、恥ずかしくないのか
 そのような朝日のもともとの記事について、「真実と信じた相当の理由はある」等として一昨年秋の検証を実質的に支えた外部者の委員会メンバーは、次の4名だった。
 丹羽宇一郎・伊藤忠会長、原寿雄・元共同通信編集主幹、本林徹・前日弁連会長、長谷部恭男・東京大学法学部教授(憲法学)。
 この人たちは自らに疚しさを感じるところはないのだろうか。「真実と信じた相当の理由はある」としても、結果的には「真実」でないことが明らかになったことを書いてしまっているのであれば、それは訂正され、謝罪されるべきではないのか。
 朝日1/30社説には他にも奇妙な点がある。
 「今回の判決は政治家の介入までは認めるに至らなかったが、NHKの政治的な配慮を厳しく批判したものだ」。このように理解したいのだろうが、今回の訴訟はNHKと「取材協力者」間のもので、後者の法的地位こそが主たる争点だ。朝日は訴訟の第一の争点が何だったか自体を誤魔化している。
 「政治家の介入までは認めるに至らなかったが」と副文でさりげなく自社に都合の悪い部分に触れ、「NHK-裁かれた政治への弱さ」との見出しとともに、「NHKの政治への配慮」の有無が最大の争点だったと言わんばかりだ。これは朝日の主観的かつ「政治的」な理解の仕方に他ならない。
 一方で、読売社説と比べるとよく解るが、法的争点だった編集権と「取材協力団体」との関係、後者の「期待権」の存否及び侵害の有無については、言及が少ない。
 読売は冷静に、「政治家の介入」否定の旨の事実に二次的に触れてはいるが、一次的には、「メディアが委縮してしまわないか心配だ」、「報道の現場では、番組や記事が取材相手の意に沿わないものになることは、しばしばあ」り、「編集幹部が手を入れたり、削ったりする」のは「「編集権」の中の当然の行為だが、それすら、「期待権」を侵害する」のか、今回の判決では「期待権」の「範囲が…NHK本体にまで拡大された」等と疑問視し、最高裁の判断を持つ姿勢を示している。
 どちらが報道機関らしく、どちらが「政治運動団体」らしいだろうか。朝日は、自社に都合のよい部分を強調し悪い部分を巧妙に隠蔽しようとする「政治運動団体」だ。
 ……上のようなことを改めて書きたくなったのも、池津洋一・虚報-朝日新聞「NHK番組改編」報道-(新風舎文庫、2006.04)に接したからだ。
 この本は事実関係に関する資料として役立つとともに、内容も説得的、論理的でもあるように思える。
 上で書いた以上にNHK幹部と政治家二人の関係・会話や本田雅和の取材方法等々が詳細に叙述されている。改変開始の時期とNHK幹部と政治家の接触の時期(前者の方が早いこと)も指摘して、上で紹介した社説の、「NHKは国会議員らの意図を忖度し」とかNHK幹部は番組への強い批判を感じ取ったのだろう」とかの勝手な<推測>が成立し得ないことも示している。
 上記の4人の委員会の「検討」作業には全く言及がないのは残念だが、その代わりに、上では言及しなかった、2005.08.01発売の月刊現代誌上の「魚住昭レポート」のかなり長い批判的分析もある。
 著者・池津もまた、私と同様、朝日新聞の姿勢はジャーナリズムではなく「運動家」のそれだと言い切っている。
 「朝日新聞の態度にこそ現在のジャーナリズム、マスメディアの深刻な病理と頽廃を見ざるを得ない。…事実を伝えるよりも報道する側の価値観、信条から見て好ましいもの、正しいものを流布し、その結果、産み出された世論の力で彼らの価値観や信条に反する対象を否定し屈服させる…。その点は、…取材した側の思い込みの産物でしかなかったという事、…にもかかわらず朝日新聞は…自身にとって不利に展開するこをおそれ政治家が介入したという当の番組の内容は問題ではないと言うことによって読者の目をそらそうとしているところにはっきりと現れている。そして、…このような態度をとるのは、かつての従軍慰安婦問題の発端となった記事が全くの詐術であったことが暴露され、その結果、虚偽の報道を行って世論をミスリードしてでも自己の価値観、信条に反する対象はこれを否定し、あるいは屈服させるべきであるという誤った使命感にとらわれている事が…気づかれるのをおそれているからではないか。/…それはもはやジャーナリズム、マスメディアの態度ではなく、むしろある種の政治運動、社会運動の運動家のそれである」(p.199-200)。
 そう、そもそもが、NHKの番組の内容だった慰安婦問題=「戦時性犯罪」問題に火をつけたのも、吉田清治(「詐話師」)を少なくとも一時期は信用し、吉見某教授らの協力を得た朝日新聞そのものだった。
 池津洋一(1958-)の本は税込みでわずか682円(古書ではない)の、好著だ。

0099/朝日の「謝罪広告」は<新聞広告の見出し>についてのみ。それでよいのか。

 新聞紙上の報道では安倍首相自身が朝日新聞社に対して「法的措置」をとることを考えているように読めたが、4/26の阿比留瑠比のブログによると、正確には、安倍首相は4/25に、こう述べたようだ。
 「私は総理ですから、基本的には慎重でなければならないと思っていますが、私の(元)秘書は、それは本人や家族の名誉がかかっていますから、当然法的な処置をするとこのように思います。
 これでは、「私の(元)秘書」が「法的な処置をする」ように理解できる。そして、首相自身による場合も積極的に反対はしないが、元秘書の方が「法的処置」をとることにもむろん反対ではない。
 かかる安倍首相側の積極的な(戦闘的な!)姿勢に、さすがの朝日も「怯んだ」のだろうか、28日に謝罪広告を出す、という。
 しかし、イザ!の報道によれば、「週刊朝日が…とする見出しの新聞広告を掲載したことについて」の「謝罪」にすぎないようだ。
 問題は<広告の見出し>にすぎないのだろうか。本誌の記事自体に問題はないのだろうか。朝日新聞側は、本体に全く問題はないが、宣伝広告の一部に問題があったので…、と誤魔化しそうな気がする。むろん、安倍首相を<何とか批判してやろう>との姿勢を反省して改めるということはありえないだろう。
 周知のことだが、安倍晋三・中川昭一両氏を「攻撃」した、本田雅和らによる二年前のいくつかの記事について、朝日は、<取材が不十分だった>ことのみを認め、<訂正>も<謝罪>も全くしていないのだ。

0070/安倍晋三は2005年に朝日新聞を明瞭にかつ厳しく批判した。

 自民党中心内閣あるいは安倍内閣というよりも安倍晋三首相を私が強く支持しているのは、彼の明瞭な反朝日新聞姿勢、朝日新聞に対する確固たる対決的態度によるところが大きい。
 安倍は中公ラクレ編集部編『メディアの迷走-朝日・NHK論争』(中央公論新社、2005.05)p.180・p.181・p.186-187で、朝日新聞社と同社記者・本田雅和および元朝日の筑紫哲也の名前を明示して、批判をしている。引用すると、次のとおりだ。
 「時代の風潮に巧みに乗って迎合することと、過去の過ちをまるでなかったように頬被りする体質。…戦前の軍部といい、戦後まもなくのGHQといい、その後の『社会主義幻想』といい、朝日がしたたかに迎合してきたのは、まさに時代の主流を形成した風潮だったのです。『社会主義幻想』に迎合するように、朝日は、共産主義や社会主義体制が抱える深刻な問題点を隠蔽さえしてきました」。
 「従軍慰安婦問題を騒ぎにした、吉田清治」なる「『詐話師』への朝日の入れ込み方は、キャンペーンのさなかは、尋常ではないほどでした。にもかかわらず、朝日はこの点についての検証記事を一度も載せていません。それどころか、経済的貧困に追い込まれて慰安婦に応募した事情それ自体が『強制』であるという、見事なまでの論理のすり替えをしてきました」。
 「キャスターを務める元朝日の筑紫哲也氏は、私がNHKの関係者を呼び出したかどうかという決定的なポイントについて、『細かいところ』と言ってのけました。私は、朝日はこんな人でも記者が務まっていた新聞なのかと、ハッキリ言ってあきれました。…今回の朝日の記事には、やはり別の意図があったとしか思えないのです。私や中川氏を陥れようとする意図です。そのために捏造までしてきたわけです」。
 「今回の朝日報道の場合、朝日側の唯一の証言者は本田雅和という記者だけです。本田氏は『言った』としているが、…中川さんも、…松尾さんも私も、みな『そうは言っていない』と言っているのです。これほどのデタラメをやっていながら、訂正もせず捏造記事をそのままにしておくというのは、私には信じがたいことです」。
 こうした対朝日批判には、活字として明々白々な記録として残るだけに、かなりの勇気が必要だと思われる。やわな政治家(や職業的物書き又はジャーナリスト類)の中には、公然とかつ厳しく朝日や筑紫哲也を批判できず、多少は迎合的または抑制的言い方になる者もいるに違いない。
 むろん、一昨年のNHK・朝日問題の本質又は背景が、朝日新聞社による隠然とした安倍晋三・中川昭一攻撃あるいは両人の「追い落とし」を狙った<策謀>と見られるだけに、安倍も「政治生命」を賭けて強く抗議し、批判せざるをえなかったのだろう。

0065/本多勝一は、三島由紀夫追悼集会の発起人たちに憤った。

 人が亡くなると、とくに何がしかの業績を残した人については、追悼集会・お別れの会が開かれることがある。そうした会の発起人たちは、故人のすべてを「讃え」、故人の全ての行動・言葉に「賛同」しているだろうか。いくら立派な人だったとしても、そういうことは通常はありえないのではなかろうか。
 1970年に三島由紀夫が自裁したのち、文学者・作家を中心に42名が発起人となって「三島由紀夫追悼集会」が開かれた。発起人代表は林房雄、発起人の中には倉橋由美子、桶谷繁雄、水上勉らもいた。
 この追悼集会発起人全員の名を明記した上で、これらの人々に対して、1.「日本が朝鮮や中国などを侵略したこと」、2.「日本の侵略軍が…一般民衆を虐殺したこと」、3.「それらすべてが、最終的には『天皇』の名のもとに行われたこと」、これらの「事実に対して、あなた方はどう思っているのだろうか」との問いを発した人物がいた。
 この問いを発したのは、元朝日新聞の、本多勝一氏だ。同・殺される側の論理(朝日文庫、1982)p.298以下に収載されている。
 上の3点と三島由紀夫の「思想」との関係もさることながら、追悼集会の発起人として名を連ねただけでかかる質問を受けるとは、発起人たちには訳がわからなかったのではないか。それが、常識的な、普通の感情だろう。追悼集会の発起人になったことが三島の「思想」・言動の全てを肯定し賛同することになるとは通常は思えないからだ。
 本多勝一氏は「名を口にするのも不快な一小説家」、「あのハラキリ小説家」と言うくらいだから、余程三島由紀夫が「憎い」か「嫌い」だったのだろう。だが、死後に追悼集会が開かれることに、そして42名の発起人がいたことに、なぜこんなに憤ったのだろう。少なくとも私には、理解不能だ。神経が違うとでもしか言いようがない。
 朝日新聞にはかつてこんな人がいて、記者として中国・南京等に出向いて、聞いたことをそのまま新聞記事にし、本にまとめたりした。また、こんな人を尊敬して朝日新聞に入った、本田雅和という、今は現役の記者も生まれた。

0030/サピオ4/11号の井沢元彦コラムはさすがに鋭い。本田雅和記者の暗躍を阻止せよ。

 サピオ4/11号(小学館)で井沢元彦が慰安婦問題に関して朝日新聞を批判している。「朝日新聞の大誤報が米国の「慰安婦決議」のもとになったのをご存じですか」とのタイトルだが、さすがに井沢は、経緯も論点もきちんと判っていて、言いたいことを書いてくれている。2点、関心を惹いたことがある。
 一つは、朝日の早野透が「朝日新聞コラムニスト」という肩書で日刊スポーツ3/11付に書いた内容と、それへの井沢による批判だ。日刊スポーツの当該コラムは知らなかったが、朝日本紙と同様に卑劣この上ない。安倍首相を「安倍」と呼び捨てにしつつ、「安倍は河野談話を継承するというなら、「強制性はなかった」などと四の五の言うべきでない。日本政府の二枚舌になってしまう。一国も早く発言を撤回すべきだろう」などとよくも言えたものだ(発言とは、狭義の強制性否定と決議採択あっても謝罪しないの2つを指すようだ)。
 朝日本紙の星浩のコラムと同様に、まさしく「朝日新聞の大誤報が米国の「慰安婦決議」のもとになった」ことに一切触れず、頬被りしてダンマリを決めこんで、安倍首相を批判できる材料を探し出して、口先だけ恰好よいことを喋っているのだ。何度も言うが、朝日新聞は日本で最も卑劣・愚劣な新聞だ。
 二つは、では日本政府はどうすればよいかに関して、「河野談話は一新聞社をリーダーとする異常なキャンペーンで醸成された空気によって拙速に出されたもので、…極めてお気の毒に思うが、日本が強制連行したという事実は今のところ確認できないので修正する」とでも政府は言うへきだ、と提案している。
 河野談話は国会決議ではなく、内閣又は内閣総理大臣の判断で修正も取消しもできる。同じ日本政府のかつてとった措置の拙劣さを自認することにはなり、河野洋平らの抵抗はあるだろうが、現実性がどの程度あるかは分からないものの、こうした内容を基本とする明確でかつ丁寧な説明をする新しい談話を出すべきだろう。
 むろん混乱が予想される。朝日新聞は狂ったように騒ぐだろう。だが、現状のままで推移するよりははるかに良い。朝日新聞の虚報をきっかけにした歴史の改竄によって日本国家が国際的に名誉を侵害されることを断固として回避すべきだ。
 それにしても、井沢も指摘するように、2005年01月の本田雅和らによる「政治家(安倍晋三現首相と中川昭一現自民党政調会長)のNHKへの圧力があった」との虚報・捏造を訂正もせず謝罪もしない神経は並大抵のものではない。
 また、井沢の舌鋒も論理もなかなかのものだ。2005年01月政治家圧力虚報問題と関係記者の責任を曖昧に(=うやむやに)したまま、つまり自分自身の問題は批判的に点検することなく、「政府批判や官僚批判を堂々と書けるのか?」
 なお、このコラムによると、本田雅和はアスパラガスから抜け出して北海道夕張勤務の記者に復活する、そしてこの人事は「ほとぼりがさめて」の栄転なのだとか。彼はいつかまた何かで、「左巻き」の事件を起こすだろう。

-0066/安倍晋三内閣2006年誕生の意義。

 一 「安倍晋三首相の誕生は『歴史の必然』であった」と帯にある辻貴之・「保守」の復権(扶桑社、2006.10/二版)は日本人の国民性・政治・教育・社会の4章に分けての「保守」派の考え方又は「保守」というものの見方を教科書風に書いたような読み易そうな本で、既読の4章の最後の節(見出し)は「朝日新聞の悪」だ。
 その中で言及・引用されている中西輝政の予想(p.222~3)に微かな怯えを感じた。この欄の10/22に「もっぱら戦後教育のみを受けた者たちが指導的中心層となってどの程度適切・的確に国家・社会を運営していけるか、心配なくもない」と書いたのだが、中西は日本は冷戦後も安心できず「左翼」は日本社会の枢要部分に目立つことなく入り込んでいるので、「昭和10年代後半から団塊世代も含めて、35、6年以前生まれまでの世代が頂点に来たときこそ、この国が一番厄介な形で左傾化し、日本は深刻な崩れの時代に入ってゆくだろう」と書いていたようだ(初出は2002年9月)。
 <昭和10年代後半から…35年以前生まれまで>とは1945年~1960年生れで「もっぱら戦後教育のみを受けた者たち」であり、「頂点に来たとき」を55~65歳とすれば2000年~2025年だ。まさに現在、「一番厄介な形で左傾化し、…深刻な崩れの時代」にすでに入っていることになる。
 アジアでは冷戦は終わっていないと書いたことがあるが、日本国内にもまだコミュニズム及び「容共」勢力は存在している。基本的・根本的「対立」は終焉していないのであり、抽象的な言葉だが、中西の言うような(共産党・社民党といった目立つ存在以外の)巧妙な・隠れた「左翼」に注意する必要がある。「何となくの」反体制も朝日新聞の読者を中心にかなりいるだろう。
 上のように中西は書く一方で、2000年の時点で憲法改正を強く望み期待する発言もしていた。
 同・いま本当の危機が始まった(文春文庫、2004)によれば、「戦後の真只中で教育を受け、…すでに十代の半ばから、憲法の改正なくしては、どうもこの国は「まともな国」になり得ないのでは、と感じるようになっていた、…青年期に、この憲法九条という「大いなるウソ」に気づいた瞬間、私の人生は大きな意味で方向づけられた…。根本に大きな「ウソ」がある国が、いかなる理想やきれいごとを並べようとも、…結局「最後の破綻」を大きくしているだけではないのか」(p.196~7)。
 私とまるで違った、ほぼ同世代の中西の感受性に感心し、自らの知的怠惰を恥じるばかりだ。
 二 私の感慨は別として、中西は「ベルリンの壁が崩壊した瞬間、はっきり『九条改正は今や不可避になった』と感じた」と書き、当時は「2010年」頃までの「達成すべき目標とも考えていた」が、その後の中国の情勢・動向を見ると急ぐべき旨を強調している。それこそが「日本のサバイバルに不可欠な戦略の営みであり、国としての『生きようとする意志』の発露なのである」、と(p.230-2)。
 こうした中西からすると改憲を政策目標として明確に掲げる安倍内閣の発足は大々歓迎だったに違いない(反面では、この人が安倍のブレインの一人とされることがあるのも分かる)。
 と、こういう具合なので、中西は2000年以降を悲観的にのみ見てはいないと考えられる。但し、厳しい「左翼」との「闘い」が不可避なことは当然に予想しているだろう。
 私もまた、安倍内閣が何年続くか、憲法改正に少なくとも道筋をつけられるかどうかが将来の日本の姿を大きく変えるに違いない、と「感じて」いる一人だ。
 憲法改正を政策課題と明言する首相は安倍の祖父・岸信介以来だ。前回冒頭に触れた辻貴之の本は二人の間の空白を「失われた半世紀」と表現し、その間の「損失は、あまりにも大きい」と述べる(p.4)。
 1951年生れの辻ともほぼ同世代の私は、小学生時代から現在まで、この「失われた半世紀」を生きてきたことになる。この半世紀の間、経済成長と物質的生活の豊かさ以外に日本はいったい何を獲得したのか、と想起すると、この指摘は少なくとも全面的には誤っていないだろう。
 なぜ憲法改正が現実的問題にならなかったかについて簡単に書けはしないが、一つに旧社会党等の反対政党が国会議席の1/3以上を占め続けたこと、二つに自民党自身が結党の精神を忘れたかのごとく地元利益代表や派閥争い、ひどくは「金権政治」という経済主義の政治版を演じて、(党の大勢は)国家・国益を放念していたこと、を少なくとも挙げてよいだろう。
 前者に、あるいはひょっとして後者にも影響を与えたのは、コミュニズム・容共勢力(朝日新聞を含む)の似非又は戦術としての「平和」主義だった。筑紫哲也・本田雅和・加藤千洋といった人名を特定しつつ朝日新聞等を明示的に「毅然と」批判する安倍内閣の登場によって、時代は少しは転回しつつあるようでもある。
 この日記09/26で安倍は「小泉純一郎と同じではない」旨を記したが、歴史認識・時代認識の精度・深さでは、小泉
は安倍にとても敵わないように思う。安倍のもとで時代・社会はどう変わるか。

-0036/TBS様、筑紫哲也様、「やってくれた」ようですね。

 0909の中宮崇日記によると、6日の親王ご誕生につき、筑紫哲也News23は「生まれてくる子の性別を前もっては知りたくない。…そうおっしゃっていたというのは、いわゆるお世継ぎ問題以前に人の親であろうとする心情をうかがわせるエピソ-ドでありました。ですが!ア-今日ご誕生の男子はいやおうなしに皇位継承論議の中心に利用されることになります」で始め、「めでたい」旨の語は一言も発しなかった、という。
 かつ、放映した「市民」の声は次の3つだったとか。①「皇位継承とか色々問題あるし、雅子さまもほっとされるんじゃないかな」、②「女の子だったらいいねっていってたの。あっはっは。愛子さんがかわいそうだなって」、③「男の子だったら色々悩むこともあるかと思いますけどね」。
 親王誕生については、天皇制・皇室反対の立場や無関心=「どうでもよい」派からの、「興味なし」・「特別の感想なし」旨の回答もあったのではないかと推察されるし、上の3つのような回答もありえただろう。だが、祝意又は安堵の感想を一つも紹介しないというのは「公正」たるべき放送局のニュ-ス番組とは思えない。しかも、筑紫を筆頭に誰も慶祝の意を示さないのは、憲法上の存在でもある天皇と皇族に対して疑いなく非礼だ。TBS又は筑紫は、天皇・皇室の存在そのものに反対です、と断ってから報道せよ。
 数日前の朝日新聞の1面の、本田雅和が配転?された「アスパラ…」の宣伝記事中に、随筆連載(予定)者として名が出ていたのは、加藤登紀子と筑紫哲也。朝日はさすがにこんな末端にまで目を配っている。
 筑紫といえば、岩波新書赤版の、タイトルたて書きとなった1001番以上の最初の数冊の一つに「スロ-ライフのすすめ」(未読、購入予定なし)とやらを書いたようだが、中宮崇の文春新書によるマイナスイメ-ジを岩波が少しは消去せんとしているようで、出版社間の競争?が第三者的には面白く感じた。岩波新書のヒットは某教授の「会社法入門」くらいで、残りはそこそこの低迷ではないか。
 ところで、講談社DVD-BOOK昭和ニッポン全巻、激動の昭和を見る2-4(世界文化社)、ドキュメント昭和史全巻(平凡社)、中村隆英・昭和史1・2、升味準之輔・現代政治1955以後上・下、戦後史開封(産経)なども持ってはいるので、蔵書からすると私は相当の昭和史マニアに見えるはずだ。

-0009/規律正しい生活で長生きして、将来の日本を見たい。

 中公ラクレ編集部編・メディアの迷走-朝日・NHK論争(中央公論新社、2005.05)p.180・p.181・p.186-187で、安倍晋三は次のように活字で記している(抜粋)。
 「時代の風潮に巧みに乗って迎合することと、過去の過ちをまるでなかったように頬被りする体質。…戦前の軍部といい、戦後まもなくのGHQといい、その後の『社会主義幻想』といい、朝日がしたたかに迎合してきたのは、まさに時代の主流を形成した風潮だったのです。『社会主義幻想』に迎合するように、朝日は、共産主義や社会主義体制が抱える深刻な問題点を隠蔽さえしてきました」。
 「従軍慰安婦問題を騒ぎにした、吉田清治」なる「『詐話師』への朝日の入れ込み方は、キャンペーンのさなかは、尋常ではないほどでした。にもかかわらず、朝日はこの点についての検証記事を一度も載せていません。それどころか、経済的貧困に追い込まれて慰安婦に応募した事情それ自体が『強制』であるという、見事なまでの論理のすり替えをしてきました」。
 「キャスターを務める元朝日の筑紫哲也氏は、私がNHKの関係者を呼び出したかどうかという決定的なポイントについて、『細かいところ』と言ってのけました。私は、朝日はこんな人でも記者が務まっていた新聞なのかと、ハッキリ言ってあきれました。…今回の朝日の記事には、やはり別の意図があったとしか思えないのです。私や中川氏を陥れようとする意図です。そのために捏造までしてきたわけです」。
 「今回の朝日報道の場合、朝日側の唯一の証言者は本田雅和という記者だけです。本田氏は『言った』としているが、…中川さんも、…松尾さんも私も、みな『そうは言っていない』と言っているのです。これほどのデタラメをやっていながら、訂正もせず捏造記事をそのままにしておくというのは、私には信じがたいことです」。
 朝日批判サイト・欄は、10を優に超えるものと思われる。
 昨夜9時からのテレビ朝日に日本共産党の穀田とかが出ていたが、「宗教は阿片」として「科学的社会主義」を信奉すれば、神道という宗教の施設自体の存在を否定すべきで、靖国神社にかかわる具体的なアレコレを言う資格はないのでないか。「民主主義革命」までの「当面」の主張というなら予めその旨を。

-0004/朝日新聞の読者には「インテリ」が多いって本当か。

 昨晩は、もう今日の未明になってはいたが、深夜の住宅地内を「散歩」した。
 いつのまにかほぼ定期購読になっているが、文藝春秋9月号を買う。昭和天皇「靖国発言メモ」について半藤、秦、保阪の三氏が対談している。「昭和史」関係となると、このあたりの人々しか登場人物はないのかとも思ってしまう。戦争経験がないと、「昭和史」は適切には、あるいは実感をもっては?語りえないのか。経験と言っても個人的な狭い範囲のもので、それだけで全体を見渡せるものではあるまい。中身はともかく(まだ読んでいない)、これらの名前にはやや食傷気味なのだ。
 保阪正康は扶桑社から「日本解体」という文庫(扶桑社文庫、2004)を出し、朝日新聞社から「昭和戦後史の死角」という文庫(朝日文庫、2005)を出している。後者の中には、雑誌「世界」初出論稿も雑誌「諸君!」初出論稿も含まれている。扶桑社から朝日新聞社まで、あるいは岩波書店から文藝春秋まで、幅広い?活躍ぶりだ。
 文藝春秋9月号には安倍晋三の論稿というよりインタビュー記事的なものが載っているが(マスコミ戦略としての文春とこの人との関係の詳しいところに興味は湧く)、彼が昨年のある新書(中公新書ラクレ)の中で、朝日新聞社と同社記者・本田雅和および元朝日の筑紫哲也の名前を明示して、批判をしているのは、活字として明々白々な記録として残るだけに、勇気があると感じた。やわな政治家(や職業的物書き又はジャーナリスト類)なら、公然とかつ厳しく朝日や筑紫哲也を批判できず、多少は迎合的または抑制的言い方になっても不思議ではないからだ。むろん、昨年のNHK問題の本質又は背景が、朝日新聞社による隠然とした安倍晋三・中川昭一攻撃あるいは両人の「追い落とし」を狙った<策謀>と見られるだけに、安倍も「政治生命」を賭けて強く抗議し、批判せざるをえなかったのだろう。
 それにしても(と続けるのが多くなりそうだが)、安倍内閣総理大臣の実現を怖れ、福田等にハッパをかけて非・反安倍勢力に期待していたことが(隠そうとしても)明らかだった朝日新聞社のお歴々は、安倍当確の情勢に困っているだろう。「インテリ」加藤紘一がどこかの講演会で「事実上の敗北宣言」をしたらしいが、この人は自らの現在の力量・国民からの被信頼度を少し勘違いしているのではないか。新聞社や政治家についてなら、今回程度の批判と皮肉も許されるだろう。
ギャラリー
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
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  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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  • 1721/L・コワコフスキの「『左翼』の君へ」等。
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  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
  • 0775/総選挙と「左翼全体主義」、小林よしのり編・日本を貶めた10人の売国政治家(幻冬舎新書)。
  • 0773/ルソー・人間不平等起原論(1755)を邦訳(中公クラシックス)で読了。
  • 0772/中学歴史教科書の分析・評価。
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