秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

朝日新聞出版

1164/2012.11.09朝日新聞社報道と人権委員会見解-週刊朝日橋下徹記事。

 資料・史料
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 週刊朝日の橋下徹・大阪市長についての連載記事に関する、朝日新聞社・報道と人権委員会の見解
 2012年11月9日  朝日新聞社報道と人権委員会
 委員 長谷部恭男
 委員 藤田 博司
 委員 宮川 光治

 1.当委員会の調査の経緯と見解の要旨
  当委員会に対し委員藤田博司から,本年10月20日,週刊朝日10月26日号掲載の標記記事(以下「本件記事」という。)に関して,重大な人権侵害,及び朝日新聞出版記者行動基準に触れる行為があると判断されるので当委員会で取り上げることが相当であるとする問題提起があった。また,株式会社朝日新聞出版(以下「朝日新聞出版」という。)から,10月24日,今後の再発防止策等を検討するため記事の内容や作成過程,批判を招いた事態などについて見解を示すよう要請があった。当委員会は調査を開始した。まず,朝日新聞出版より企画段階から取材・報道,連載中止に至るまでの経緯について報告書の提出を受けた。次に,本件記事の取材・報道に関わった週刊朝日編集部(以下「編集部」という。)の河畠大四編集長(以下「編集長」という。),デスク,記者,雑誌部門の責任者である雑誌統括ら及び筆者であるノンフィクション作家・佐野眞一氏から聞き取りを行った。11月3日,委員会を開催し,朝日新聞出版から詳細な説明を受けたうえで,編集長,デスクらのほか佐野氏からもあらためて説明を聞いた。そして,以上の調査の結果を踏まえて審議し,以下の通り本見解をまとめたものである。

  (当委員会の見解の要旨)
  本件記事は,橋下徹・大阪市長(以下「橋下氏」という。)についての人物評伝を意図したものであり,10回から15回を予定した連載の第1回分であるが,見出しを含め,記事及び記事作成過程を通して橋下氏の出自を根拠にその人格を否定するという誤った考えを基調としている。人間の主体的尊厳性を見失っているというべきである。そして,部落差別を助長する表現が複数個所あり,差別されている人々をさらに苦しめるものとなっている。また,各所に橋下氏を直接侮辱する表現も見られる。さらに記事の主要部分が信憑性の疑わしい噂話で構成されており,事実の正確性に関しても問題がある。
  以上は,報道を通じて差別や偏見などの不当な人権抑圧と闘うことを使命の一つとし,正確で偏りのない報道に努めなければならない報道機関として,あってはならない過ちである。本件記事の作成及び掲載に携わった者たちは差別に対する認識及び人権への配慮を欠いていたというべきで,編集部におけるチェック体制が的確に機能していないという問題も存在している。
  また,企画段階からタイトルの決定,表紙の作成,情報収集,原稿チェック,おわびの掲載まで編集部が主体になり,佐野氏は編集部の意向を受けて取材・執筆活動をしており,問題の責任は全面的に編集部側にある。ただし,佐野氏も人権や差別に対する配慮の足りない点があったと思われる。
  以下,企画から掲載後の対応に至る経緯を検討し,そこにおける問題点を指摘する。

  2.企画段階での問題
  この連載企画は,本年春頃,編集部において,編集長の提案により将来の首相候補とも言われる橋下氏の人物評伝として検討され,編集部の「目玉企画」として部数増対策の一環にも位置づけられた。編集長は外部の作家に執筆を依頼した方がよりインパクトの強い記事ができると考え,ノンフィクション作家として多くの実績があり孫正義ソフトバンク社長の評伝『あんぽん』を上梓した佐野氏が適任であると判断し,同氏と親交があるデスクに本企画を担当させた。担当デスクは,『あんぽん』と同様の手法で,橋下氏の人物を描くことはもちろんのこと,家族の視点で日本の社会史を描くというスケールの大きい作品をイメージした。
  デスクは佐野氏と話し合い,企画の狙いとして概ね次の3点を説明し,単なる人物評伝にとどまらず,各視点を総合した作品とすることに関して佐野氏の同意を得た。①橋下氏を知る多くの人たちの証言を得て橋下氏の人物像に迫り,それが彼の政治姿勢や政治思想とどう関わるのかを探る。②橋下氏の巧みなマスコミ操作を検証し,他方,メディアに今何が起きているのかを考える。③ツイッターを多用する橋下氏の手法を通じて,政治とネット社会を探る。担当デスクは,①との関連で,橋下氏の政治信条や人格に出自が投影しているであろうとの見方に立ち,出自について書くべきだと考えていた。それが差別を助長することにならないかという点に関しては,橋下氏は公人中の公人であり,知る権利,表現の自由からもその名誉及びプライバシーは制限されること,その人物の全体像を描くこととの関連で取材の対象に家系を構成する人々を入れることは必然であることから,表現することは可能であると考えた。
  6月末頃から,記者2人が取材活動を開始した。9月半ばまでに,橋下氏の親戚,各地の知人,維新の会議員,関西政界関係者,部落解放同盟関係者,郷土史家ら,60人近い人々に取材した。9月中旬には数日,佐野氏も取材に出向いた。9月20日頃,デスクは佐野氏から構想について書かれたペーパーを受領し,説明を受けた。2回目までは父親の話,3回目,4回目は母親の話,5回目以降は橋下氏の中学・高校時代,弁護士時代,知事時代,市長時代と続き,各回においてマスコミ論やツイッター社会論に触れるという構想であった。10月初め,10月16日発売の10月26日号から連載を開始することが決定した。
  以上の経緯によれば,本企画は,多様な視点を含みつつも,差別や偏見を助長する危険の伴う極めてセンシティブな内容であったことが認められる。したがって,本企画については,その狙いの当否,各視点の相互関係,手法,表現のあり方等について,社内において慎重に議論すべきであった。しかし,これらを検討する資料となる企画書はなく,レジュメもコンテもない。佐野氏が示した連載展開の概要像も編集部で検討した事実はない。本件は,企画の段階において,慎重な検討作業を欠いていたというべきである。

  3.タイトルの決定及び本件記事の問題
  9月23日頃,担当デスクと佐野氏が打ち合わせる中で,デスクは孫正義氏に関する評伝が,孫氏の通名であった「安本」からとった「あんぽん」というタイトルであることにも影響され,また,すでに週刊朝日(8月17日,24日合併号)で,橋下氏の父が「ハシシタ」姓を「ハシモト」に変えたと報じていたこともあり,連載のタイトルをもともとの呼び名である「ハシシタ」とすることを思いつき,佐野氏に提案した。佐野氏はこれを了承した。
  氏名はその人の人格を表象するものであり,氏名権は人格権の一つとされている。一般に,氏名と異なる呼称をことさらに用いることは,人格権を侵害することにもなりかねない。本件では 
,「ハシシタ」とことさら呼称することに,読者は橋下氏に対する侮蔑感情を読み取ると思われる。また,「奴の本性」というサブタイトルの「奴」「本性」という言葉にも橋下氏への敵対意識,侮蔑意識を窺うことができる。それらが大きなタイトル文字として表紙を飾っていることが,一層,敵対・侮蔑の度合いを強めている。なお,表紙の作成には佐野氏は関与していない。
  表紙の「DNAをさかのぼり 本性をあぶり出す」といった表現を含め,本件記事全体の論調から,いわゆる出自が橋下氏の人柄,思想信条を形成しているとの見方を明瞭に示している。人物像を描く際に,出自をたどる取材をすることはあり得る。しかし,極めて慎重に報道することが求められる。出自が人格と何らかの関連を有することがあり得るとしても,それは人格を形成する非常に多くの要因の一つにすぎないのであって,決定的要因とはなり得ないものである。出自と人格を強く関連づける考えは,人間の主体的な尊厳性を見失っており,人間理解として誤っているばかりか,危険な考えでもある。なお,家系図を掲載しているが,こうした流れに照らすと橋下氏が家系(血筋)に規定されているという前提での参考図と位置づけられているとも理解でき,極めて問題である。
  本件記事の主要部分は,「大阪維新の会」の旗揚げパーティーに出席していた正体不明の出席者と,縁戚にあたるという人物へのインタビューで構成されている。彼らの発言内容は,橋下氏の親族に関する話であり,橋下氏の出自につながる部分であるが,噂話の域を出ていない。前者は発言自体から信憑性がないことが明白である。後者はその信憑性を判断する手がかりが読者にはまったく提供されていない。人権に関わる伝聞事実については裏付け取材をすることが基本であるが,本件記事ではそうした裏付け取材がなされていることを読み取ることができない。
  本件記事には被差別部落の地区を特定する表現がある。朝日新聞出版記者行動基準には「報道を通じて,民族,性別,信条,社会的立場による差別や偏見などの人権侵害をなくすために努力する。」とあるほか,報道の取り決めにも「人権を守る報道」に関する基本的な考えが示されている。また,取り決めには,具体的に「被差別部落の場所が特定されないよう十分配慮する。」と明記されてもいる。本件記事は,これらに明白に違反している。

  4.記事チェック段階での問題
  10月9日夕刻,本件記事の原稿が佐野氏から担当デスクの手元に届いた。デスクと2人の担当記者は読んだが,編集長の手元に原稿が届いたのは12日昼頃であった。遅れた理由について,デスクは「原稿には秘匿すべき情報提供者らの名前が入っており,そのままでは渡せなかった」と言っている。しかし,編集長は当然すべての情報源を知るべき立場にあり,編集部の責任者にデスクが情報源を伝えないという考えは誤りである。
  原稿を読んだ編集長は,部落差別に関連する文章上の問題点をデスクにいくつか指摘し,同時に,雑誌統括に当該原稿をメールで転送した。折り返し雑誌統括は「こんなことを書いていいと思っているのか。掲載できると思っているのか」と編集長と電話で激しくやり合った。雑誌統括からの依頼で原稿を読んだ他部門の社員からも,原稿には多数の問題があるという指摘があった。12日夕刻にも雑誌統括の依頼で原稿を読んだ雑誌編集の経験が長い社員は,「出自が悪い者はろくなやつがいないという考えそのものが誤りだ。完全な差別表現であり,これはダメだ。」という意見を述べている。雑誌統括はこうした意見を編集長に伝え,編集長は,デスクに佐野氏と交渉して直しを検討するよう求めた。佐野氏は当日,テレビのゲストコメンテーターとしての仕事があり,検討が遅れたが,締め切り日である13日夕刻,数点の修正を行った。雑誌統括は,さらに被差別部落の地区の特定その他の削除を強く求めたが訂正されなかった。最後は,編集長が「これは佐野さんの原稿です。これで行かせてください」と押し切った。表紙が12日に校了しており,この段階では掲載中止は困難であった。掲載するか雑誌自体の発行を停止するかという選択であったが,発行停止が検討された形跡は見られない。 
 こうして16日発売に至った。
 編集部内ではこれまで,このようなセンシティブな問題に関する記事掲載の際には,顧問弁護士に助言を求めるリーガルチェックを行うことがあった。しかし,締め切り間際に表現の手直しに追われたため,今回はリーガルチェックを受けることもなく,最後は「時間切れ」の状況で,掲載に至っている。出自が人格を規定しているという誤った考え方を基調とし,主要部分を信憑性が乏しいインタビューで構成していることが問題なのであって,表現の手直しでは解消できる問題ではなかった。編集部としては,その点にいち早く気づき,本件記事の掲載を止めるべきであった。佐野氏から本件記事の原稿が編集部に届いたのは9日夕刻であり,デスクが原稿を直ちに編集長に示していれば,編集長は社内の意見を聞くとともにリーガルチェックを受けることが可能であった。
 なお,社内では差別的表現や侮蔑的表現に関し多くの点が指摘されている。編集部はデスクを通じて佐野氏にすべて伝えたとしているが,佐野氏は「指摘があったところで飲めないところはなかった」といい,言い分が食い違っている。社内の指摘が担当デスクを通じて佐野氏に的確に伝えられていたかどうか疑問である。また,編集部は筆者のオリジナリティーを大切にしたいという思いがあったとしているが,そのような範疇の表現ではなく,事柄の重大性に対する認識が欠けていたといわなければならない。
 本件記事と同内容に近い記事が既に他の月刊誌・週刊誌等に複数掲載されている。編集部や記事をチェックした者たちは,それらについては橋下氏からの特段の抗議はなく,社会問題ともなっていないと即断し,こうしたことから本件記事も許されるものと考えたとしている。しかしながら,仮にそうだとしても,人権侵害を拡散し,再生産した責任を免れることはできない。

 5.掲載後の対応の問題
 掲載後の対応にも問題があった。橋下氏が記者会見をした10月18日前日の17日夜に朝日新聞出版が発表した「今回の記事は,公人である橋下徹氏の人物像を描くのが目的です。」などとするコメントは,発行から2日経っていながら,本件記事の正当化とも受け取れるものである。また,18日夜に発表したおわびコメントや,週刊朝日11月2日号に掲載した編集長名での「おわびします」でも,タイトルや複数の不適切な記述に関するおわびにとどまっていた。この段階においても,問題の本質に気づいていなかった
  連載中止については,佐野氏は「1回目だけを読んで判断すべきではない。中止は言論機関の自殺行為だ」としている。また,この問題に関する新聞等の報道では,中止は読者の期待を裏切り,知る権利を損なうことを意味すると指摘する識者もいた。しかし,連載を続けるためには,この問題についての検証,編集態勢の見直し,企画の狙いや記事執筆の基本的な考え方などの再検討,タイトルの変更などが必要だった。さらに,2回目以降も橋下氏の親族を取り上げることが予定されており,過ちを繰り返さないためには一層の慎重さが求められた。以上の点を考えると,継続は困難であり,連載中止はやむを得なかった。

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 <出所-朝日新聞出版ウェプサイト。太字化・下線は掲載者>

0789/朝日新聞系出版社と「共闘」する月刊WiLL・花田紀凱。週刊文春8/13・20号の友納尚子は違う。

 週刊文春8/13・20号(文藝春秋)に友納尚子「『離婚・別居・廃太子』論・皇太子と雅子さまは何を思われたのか」という文章がある(p.168-171)。
 これで初めて知ったが、橋本明は月刊WiLL9月号(ワック)で初めて<廃太子>論を述べたのではなく、橋本明・平成皇室論-次の御代にむけて(朝日新聞出版、2009)という本を出している。月刊WiLLの彼の文章はこの本のいわば要約・反復あるいは<ついで>の作品だったようだ。
 友納はこの橋本明の議論を批判している。すべてに言及しないが、例えば、①「根本的にいえる」のは橋本には「精神疾患に対する知識と理解が足りないのではないか」、②橋本は天皇・皇后<一体>論(この名称は私による)を説くが、それならば、皇太子ご夫妻は「多くの場合おひとりで公務にのぞまれた昭和天皇と、香淳皇后のあり方を否定したというのだろうか」。
 そしてタイトルに見られるように、皇太子・同妃両殿下に対して友納は同情的だ。西尾幹二も述べなかった(西尾は基本的には<離婚>論だろう)<廃太子>論を含む議論を明言する著書が出版されていること、そしてその内容を両殿下が全くお知りにならないとは考え難い。こんな本と議論の存在を知って、両殿下、そして今上天皇・皇后両陛下のご心情はいかばかりか。
 ついでに書いておくと、昨年に八木秀次が述べた(少なくとも示唆した)のは現皇太子の皇位継承不適格論で、直接の(現時点での)<廃太子>論とは少し異なる。中西輝政が述べたのは現皇太子妃殿下の皇后就位疑問論で、やはり現皇太子についての<廃太子>論とは同一ではない。
 だが、月刊WiLL(ワック)の編集長・花田紀凱は当然にこの友納尚子記事に不満なようで、産経新聞8/08の週一連載「週刊誌ウォッチング」を利用して「雅子妃べったりが目に余る」と述べる。そして、問題意識や結論が彼と同じらしい週刊新潮8/13・20号(新潮社)の記事については紹介するだけで、批判的コメントはない。
 「細かいことだが」として、花田紀凱はこう結ぶ。「橋本氏は『別居、離婚、廃太子』と言っている。『文春』が『離婚・別居・廃太子』と順番を変えたのは何か意図があるのか」。
 以下は上の点よりは細かいこととは思えないので、指摘しておこう。花田の述べるとおり「橋本氏は『別居、離婚、廃太子』と言っている」のだとすれば、花田紀凱が編集長の月刊WiLL9月号(ワック)の橋本明の文章のタイトルは、いったいなぜ、「『廃太子』を国民的議論に」になっているのか。この点に編集長・花田の意向が全く働いていないとは言い難いように思われる。内容的にも橋本は「別居、離婚、廃太子」に触れているが、なぜタイトルは「『廃太子』を国民的議論に」なのか
 花田紀凱によるこの簡略化には「何か意図があるのか」。
 ところで最後に、橋本明の上の本の出版元は掲記のとおり朝日新聞出版。これは元は朝日新聞社の一部(出版関係)だったものが別会社になったもので、週刊朝日アエラは現在は朝日新聞社ではなく朝日新聞出版によって刊行されている。また、<朝日新書>シリーズも朝日新聞社ではなく、この朝日新聞出版が発行元だ。
 本多勝一・中国の旅(朝日文庫)等々の明瞭な「左翼・反日」本も、現在はこの朝日新聞出版が発行しつづけている。
 ついでに書くと、朝日新聞出版のウェブサイトのトップには朝日新書等の執筆者だからだろう、「保阪正康さんサイン会」、「姜尚中サイン会」の案内へのリンクもある。
 上でほとんど明らかなように朝日新聞出版とは実質的に朝日新聞社と同一で、かつ明瞭な「左翼」出版社だ。新潮社や(株)文藝春秋が「左翼」から「保守」までかなり幅広く出版しているのとは異なる。
 そんな出版社が刊行・発売する本を書いた者に月刊WiLLは同様の内容の原稿執筆を依頼した。<反雅子妃殿下>において、少なくとも皇室に混乱をもち込む又は混乱を過大にする目的において、月刊WiLL・花田紀凱と朝日新聞社は<共闘>していると評してよい。
 月刊WiLLと朝日新聞系出版社発行の本の一つは同じ論調だ-この指摘を花田紀凱は否定できないだろう。正しい又は妥当な内容であれば<朝日新聞>出版の本の執筆者でも<利用>する、と釈明する他はないものと思われる。
 ともあれ、奇妙な構図だ。  

0726/そろそろ「謀略」を仕掛ける朝日新聞と<週刊昭和>。

 〇総選挙告示まで三ヶ月を切った、とも言われる。
 2007年7月末投票の参院選の場合、マスコミ、とくに朝日新聞および同グループが<年金が消えた>キャンペーンを本格的に始めだしたのは、同年5月くらいからではなかったか。今はどのマスコミも全くとり挙げなくなった政治家の事務所経費問題(最初は日本共産党の指摘がきっかけだった。そして、一人の現職大臣が生命を絶った)を取り上げ始めたのも5月頃ではなかったか。そしてそれは、下らないことに、別の後継大臣の顔のバンソウコーまで行き着いたのだった。
 朝日新聞(+同グループ)は、そろそろ何かを仕掛けてくるだろう。もともと民主党支持の方向で、民主党を叱咤激励する立場での社説を書き、報道してきた。
 週刊朝日の5/12号(朝日新聞出版)の表紙の文字は「民主党・鳩山新代表誕生!」で鳩山由紀夫の顔が大きく出ている。昨年秋の月刊世界(岩波)の「政権交代選挙へ!」という露骨な見出しとともに、この週刊朝日も、朝日新聞グループ挙げての<策略>(あるいはよく言っても<世論誘導>)の始まりの一つかと思われる。
 こんな週刊誌に西尾幹二は寄稿していたのだ。もっとも、民主党・自民党いずれも「(真の)保守」ではなく、似たようなもの、同類、五十歩百歩と西尾は見ているのかもしれないが。
 マスコミ(とくに大新聞・テレビ)の主張や報道ぶりあるいはそれらが行う世論調査に国民の多くが大きな影響を受けるわけではない。しかし、有権者の10%でも、投票率を考えれば6%でも、投票先政党を逆にすれば、かりに前回選挙又は現状が3対2だったとしても、同程度の1対1になりうることは既に書いたとおりだ。
 マスコミ(とくに大新聞・テレビ)の影響力を無視できない。それが<大衆民主主義>の時代であり、とくに近年は目立つ<ポピュリズム>の手段になっている。
 〇朝日新聞主筆(!)・船橋洋一の<左翼>かつ<(第三者的)評論家>ぶりは、依然として維持されている。週刊昭和№24・1947年の号の巻頭では、この年に施行された日本国憲法につき、<押しつけ>論を批判・揶揄するかと思ったらそうではなく、「憲法改正は戦後、ついぞ成功しなかった」等と書いたのちこうまとめる。
 マッカーサーの占領期の改革の中で「憲法はもっとも生命力のある改革理念であり続けた」。T・ジェファーソンは<各世代は「自らの憲法を選ぶべきだ。死者が生者をとらえる理由はない」>と「喝破した」が、「日本の戦後世代は、…死者の思いを背負って生きてきたのであろう。憲法は日本の戦後の骨格そのものだった」。
 これが朝日新聞の社是たる現憲法護持の観点から書かれているだろうことは言うまでもない。「日本の戦後の骨格」を否定又はそれから離反するような、<戦後レジームからの脱却>論を、朝日新聞と船橋洋一は断乎として許すことができないのだ。
 それにしても、改憲論者に有利に援用されそうなT・ジェファーソンの言葉を使うとは勇気がある。
 船橋洋一によると、戦後に生きた日本人は「死者の思いを背負って」きたのだ。この「死者」が日本人同朋・先輩のみだったらまだよいかもしれない。
 だが、1945~1946年の当時のアメリカ(・GHQ)の政策という「死者」が今も日本人を拘束しているとすれば、それは<異様・異常>だとは、船橋は少しも感じないのだろうか。
 ジェファーソンの言葉どおり、「それぞれの世代は自らの憲法を選ぶべきだ」。かりに万が一制定過程に問題はないとしても、内容の面だけでも、既にその時期に来ている。
 週刊昭和№25・1945年の号の「竹馬依存」と題する巻頭で船橋は最後に書く。-「しかし、日本はその後も長い間、米国市場と米国の安保という二本足の竹馬に乗り続けたのである」。
 ①日本国憲法を「骨格」とし、②「米国市場と米国の安保という二本足の竹馬に乗り続けた」、というのが、船橋洋一の日本戦後史の基本的な認識のようだ。
 問題は、①は肯定的に見ているようであるのに対して、②をどう評価しているのか不明確なことだ。
 もともと「左翼」は日米安保条約に批判的で、日本社会党等の「革新」勢力は<安保廃棄>の立場だったはずだ。だとすると、朝日新聞も「米国の安保」を批判的に見ていなければおかしい。そうではないとすれば、A・日本の(とくに軍事の)対米自立に反対するために、それを制約してくれる米軍駐留を伴う日米安保条約支持へと態度を変更したか、B・この点を曖昧にして、<(第三者的・ヤジ馬的)評論家>の立場に逃げている、のいずれかだろう。
 上の②の点をアメリカに対する批判的視点を全く含めないままで、もっぱら日本(歴代政府)の対米<従属性>を批判するために使っているとすれば、まさしく<自虐的>だ。
 いつも感じるのだが、船橋洋一や朝日新聞の社説等には、日本人又は日本国内にいる者の立場ではなく、東シナ海の中空上に浮かんで日本を見ているような、国籍不明の(むしろ場合によって中国やアメリカへとなびく)視点があるのではないか。
 朝日新聞好みの研究者・大学教授も依然として育っており、あるいは健在なようだ。
 1947年の号で、大内裕和(松山大学、教育社会学。1967~)はこの年に制定された教育基本法を高く評価し、「教育における国家管理や中央集権支配が強化されるのは、1950年代以降のことである」等と書く(p.6-7)。この人は『教育基本法改正批判』との著があるらしいが、安倍晋三内閣のそれに反対したのだろう。
 40歳代前半の者が、もはや<化石>のような<左翼教条>文章を今だに書いて公にしているのだから、怖ろしい。日教組(民主党系)や全教(日本共産党系)の学校教師たちが、1950年代の「革新」思想をそのまま維持しているのだとすれば、現実にはもっと怖ろしいことだ。
 同号にはまた、雨宮昭一(獨協大学、日本近現代政治史。1944~)の日本国憲法関係の文章もある(p.24-25)。雨宮は日本国憲法は「自由民権運動以来、日本で芽吹いた民主主義の内容も入った産物」だとし、あるいは「内容は決して押しつけではないが…」と書いて、<押しつけ>論を批判又は回避している。この論点にはここでは触れない。再び論及することがあるだろう。
 問題は、日本国憲法についての次の叙述だ。-「(決して押しつけではないが、)いずれにしても国内外の諸力の複合した産物であり、制度は多かれ少なかれそうして作られる」。
 この文章はあまりにも、日本と日本国民自身が作るべきだった基本的「制度」(日本国憲法)の意味を看過している。「制度は多かれ少なかれ」、「国内外の諸力の複合した産物」だなどと言って正当化できるのならば、憲法を含む国内の諸制度がいかに「外国」による内政干渉的介入によって創出・変更されたとしても批判できなくなる。日本人の一部によく見られる、一種の<奴隷>根性が書かせた文章だろう。
 また、上の文章は日本国憲法制定過程の日本の「自主性」に疑問があるからこそ敢えて書かれているのであり、別の問題だと、雨宮はこのようには書かない可能性もある。そうだとすれば、この大学教授もまた、<左翼・ご都合主義>者なのだ。
 ともあれ、前にも一度触れたように、朝日新聞社系の週刊昭和(週刊ムックの一つ)には、巻頭コラムとともに、<左翼>が色濃く滲んでいる。

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