秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

有信堂

0639/宮沢俊義(1950)と阪本昌成(2008)における<アメリカ独立宣言>。

 一 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1993。第一版は1950)p.7は、「近代諸国のほとんどすべての憲法の基礎になっている政治原理の最も根本的なものを表明した」、世界史上「非常に重要な文書」(p.6)と前口上を述べたうえで、アメリカ独立宣言(1976.07)の一部の原文と邦訳文を掲載している。そのまた一部は次のとおり(邦訳文の中に原語を挿む)。
 「われわれは、次のような諸原理は自明だと考える。…すべて人間は平等に作られ(created eaqual)、それぞれ造物主(Creator)によって譲り渡すことのできない一定の権利を与えられている(endowed)」。
 endowは「賦与する」でもあるので、<天賦人権>論が宣明されている、と言える。
 このあと「一定の権利」として「生命、自由および幸福の追求」が例示される。現日本国憲法13条第二文の淵源はこれだ。13条第二文参照-「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。
 さらに、「これらの権利を確保するために、…政府(国家)が作られる(instituted)」。ここでは「権利(不可譲の人権)」→「国家(政府)」という論理関係を示す考え方が示されている。
 二 日本国憲法は「基本的人権」を「この憲法が(日本)国民に保障する」もの(11条・97条)と書いて「憲法」→「人権」という考え方に立つようでもあるが、一方では「基本的人権」は「現在及び将来の国民」の「侵すことのできない永久の権利」であるとも書いている(11条・97条)。ここには、<生まれながらの=憲法前の=自然権としての>人権という考え方の影響が看取できるだろう。
 だが、社会契約説的な、自然の「権利(人権)」→それを保護するための「国家」という考え方は日本人と日本「国家」にとって、たやすく理解し納得できるものだろうか。
 なお、フランス人権宣言(1789.08)の前文等には、「生まれながらの」、「自然」の(「市民」の)」「権利」が語られている。

 まわりくどくなったが、要するに書いておきたいのは、「造物主(Creator)」なる絶対神又は一神教を前提とすると見られる観念は日本に存在せず、「天」という概念で誤魔化してみても、一神教的「神」=「造物主」観念を前提とする、「造物主」により賦与された「権利」(人権)→「国家」という説明は、日本と日本人にはそもそも馴染まない、(厳密には大多数の)日本人にはそもそも理解不能な概念を用いた、理解不能の説明にしかならないのではないか、ということだ。
 戦後の<進歩的>憲法学者たちは、この点(要するに近代「欧米」の「人権」観念はキリスト教又はそこでの「神」が背景にあること)に目をつむって、<生まれながらの=憲法前の=自然法上の>権利という<美しい>?物語のみを語ってきたのではないか。そうだとすると、「人権」観念・意識が日本人の「古層」的意識のレベルでは浸透しないことになるのも至極当然だと思える。
 三 マルクス主義を擁護してきた憲法学者たちは「反省」すべきだとソ連解体後に明記した、勇気ある憲法学者・阪本昌成の教科書、阪本昌成・憲法2/基本権クラシック(有信堂、2008/全訂第三版)を見てみると、p.11にはこうある。
 アメリカ「独立宣言」は「人権思想の歴史的な流れ」からみたとき、「さほど重要な文書ではない」。「個々人」を「神の子」として想定しつつ「不可譲の人権の主体」との「自明の理」を「神学的様相」をもって述べた、「ピューリタニズムの人間像」の表明にとどまる、等々。
 (おそらくは)米軍(正確には連合国軍)占領下において(1950年に)、宮沢俊義はあえてアメリカ独立宣言について数頁を割いたのだったが、他の現在の憲法学の概説書類がどうかの詳細は知らないものの、阪本昌成に上のように書かれてしまうと、宮沢俊義がアメリカ独立宣言は「近代諸国のほとんどすべての憲法の基礎になっている政治原理の最も根本的なものを表明した」、世界史上「非常に重要な文書」だと書いたことが、白々しく感じられる。
 アメリカ独立宣言の位置づけはともかくとしても、「国家」・「国民」・「人権(基本権)」等の概念関係の問題はこの欄ではほとんど何も言及していないに等しい。<社会契約説>も含めて、この基本的問題に(も)関心をもって憲法等々に関する本を(も)読んでみたい。

0576/阪本昌成の反マルクス主義と樋口陽一「推薦」の蟻川恒正・石川健治・毛利透・阪口正二郎・長谷部・愛敬浩二

 一 樋口陽一について前回書いたこととの関係でいうと、すでに紹介したことはあるが、同じ憲法学者でも樋口よりも若い世代、1945年生まれの阪本昌成(広島大学→九州大学)は相当に勇気があるし、エラい。
 阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(有信堂、1998)p.22は、次のように明言した。第二版(2004)も同じp.22。
 「マルクス主義とそれに同情的な思想を基礎とする政治体制が崩壊した今日、マルクス主義的憲法学が日本の憲法学界で以前のような隆盛をみせることは二度とないはずだ(と私は希望する)。/マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと、そして、それに同調してきた人びとの知的責任は重い。彼らが救済の甘い夢を人びとに売ってきた責任は、彼らがはっきりととるべきだ、と私は考える」。
 「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと」や「それに同調してきた人びと」の具体的な氏名を知りたいものだが、多数すぎるためか、区別が困難な場合もあるためか、あるいは存命者が多い場合の学界上の礼儀?なのか、残念ながら、阪本昌成は具体的な固有名詞を挙げてはいない。
 また、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(成文堂、2000)のp.7は、こうも明記していた。
 「戦後の憲法学は、人権の普遍性とか平和主義を誇張してきました。それらの普遍性は、国民国家や市民社会を否定的にみるマルクス主義と不思議にも調和しました。現在でも公法学界で相当の勢力をもっているマルクス主義憲法学は、主観的には正しく善意でありながら、客観的には誤った教説でした(もっとも、彼らは、死ぬまで「客観的に誤っていた」とは認めようとはしないでしようが)」。
 二 樋口陽一が「マルクス主義憲法学を唱えてきた人びと」又は「それに同調してきた人びと」の中に含まれることは明らかだ。その樋口は、樋口陽一・「日本国憲法」まっとうに議論するために(みすず書房、2006)の最後の「読書案内」の中で、「ここ一〇年前後の公刊された単独著者の作品」としてつぎの6人の書物を挙げている。
 樋口陽一が気に食わないことを書いている本を列挙する筈はなく、樋口にとっては少なくとも広い意味での<後継者>と考えている者たちの著書だろう。その六名はつぎのとおり(p.176-7)。
 ①蟻川恒正(東京大学→退職)、②石川健治、③毛利透、④阪口正二郎(早稲田→東京大学社会科学研究所→一橋大学)、⑤長谷部恭男(東京大学。ご存知、バウネット・NHK・政治家「圧力」問題で朝日新聞の報道ぶりを客観的には<擁護>した「外部者」委員会委員の一人)、⑥愛敬浩二(名古屋大学。憲法問題の新書を所持しているが、宮崎哲弥による酷評があったので今のところ読む気がしない)。
 樋口陽一がその著書を実質的には<推薦>しているこのような人物たちは-阪本昌成よりもさらに若い世代の者が多そうだ-、日本の国家と社会にとって<危険な>・<害悪を与える>、例えば<リベラル>という名の<容共>主義者である可能性が大きい。警戒心を持っておくべきだろう。

0260/自由と民主主義との関係をほんの少し考える。

 芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.17は、「立憲主義と民主主義」との見出しの下でこう書いている。
 「①国民が権力の支配から自由であるためには、国民自らが能動的に統治に参加する民主制度を必要とするから、自由の確保は、国民の国政への積極的参加が確立している体制においてはじめて現実のものとな」る。
 「②民主主義は、個人尊重の原理を基礎とするので、すべての国民の自由と平等が確保されてはじめて開花する、という関係にある。民主主義は、単に多数者支配の政治を意味せず、実をともなった立憲民主主義でなければならない」。
 以上には、「自由」・「民主制度」・「国民の国政への…参加」・「民主主義」・「個人尊重の原理」・「平等」等の基礎的タームが満載だ。そして、それらが全て対立しあうことなく有機的に関連し合って一つの理想形態を追求しているような書き方だ。
 阪本昌成の本の影響を受けて言えば、上の文は、諸概念の「いいとこ取り」であり、「美しいイデオロギー」であって、とりわけ「自由」・「平等」・「民主」それぞれが互いに本来内包している緊張関係を無視又は軽視してしまっているのではないか(ついでに、上にいう「立憲民主主義」とは一体どういう意味なのだろうか)。
 上の①は<権力からの自由>のためには<民主制度が必要>と言うが、<権力からの自由>のためには<民主制度のあることが望ましい>とは言えても、<必要>とまで断言できるのだろうか。
 上の②は<民主主義の開花>のためには<国民の自由と平等の確保>が前提条件であると言うが(「…されてはじめて開花する」)、国民に<自由と平等>のあることが<民主主義の「開花」のためには望ましい>と言えても、前者は後者の不可欠の条件だと断言できるのだろうか。
 <有機的な関連づけ合い>がなされているために、却って、それぞれの固有の意味が分からなくなっている、又は少なくとも曖昧になっているのではないか。
 それに次のような疑問が加わる。
 消滅した国家に、ドイツ「民主」共和国、ベトナム「民主」共和国、現存する国家(らしきもの)に朝鮮「民主主義」人民共和国というのがある。これらは国名に「民主(主義)」を書き込むほどだから、自国を「民主的」な又は「民主主義」の国家だと自認し、宣言している(いた)ことになる。
 しかるにこれらの国々において、上の②のいう「
すべての国民の自由と平等が確保されてはじめて…」という条件は充たされていた(いる)のだろうか。これらの国々の国民に「自由」がある(あった)とはとても思えない。
 とすると、これらの国々の資本主義諸国又は自由主義諸国に対抗するために本当は「民主主義」は存在しないことを知っていながら僭称していた(ウソで飾っていた)のだろうか。
 私はそうは考えていない。彼らには彼らなりの「民主主義」観があり、「民主主義」もあると考えていた、と思っている。
 唐突だが、日本共産党は、同党の運営は<民主主義的ではない>とはツユも考えてはいないと思われる。つまり、一般党員(支部所属)→党大会代議員選出→党大会・中央委員選出→中央委員会設立(議長選出)→幹部会委員選出→幹部会委員会設立(委員長等選出)→常任幹部会委員選出→常任幹部会設立という流れによって、究極的には一般党員の意思にもとづいて、中央委員会も幹部会委員会も(委員長も)常任幹部会も構成されており「民主(主義)」的に決定されていると説明又は主張しているだろう(地区・都道府県レベルの決定については省略した)。
 だが、上の過程に一般党員から始まる各級の構成員に、上級機関の担当者を選出する本当の「自由」などあるのだろうか。
 筆坂秀世・日本共産党(新潮新書、2006)p.84-によると、定数と同じ数の立候補者がいて中央委員の選出も「実態は、とても選挙などといえるものではない」。また、p.89-によると中央委員選出後の第一回中央委員会では、仮議長選出→正式議長選出→幹部会委員長・書記局長の推薦することの了承(拍手で確認)→同推薦(拍手で確認)→その他の幹部会員も同様という過程を経るらしい。
 ある大会(22回)のときの具体的イメージとしては、「大会前に…人事小委員会が設置され、大会前に…四役の人事案がすでに作成され、常任幹事会で確認されていた。/一中総では幹部会委員、第一回幹部会では常任幹部会員が選出される。このときの第一回幹部会などは、一中総の会場の地下通路に五五人の新幹部会委員が集まり、全員が立ったままで、不破氏が二〇人の常任幹部会員の名簿を読み上げ、拍手で確認して決まった」(p.90-91)。
 かかる過程のどこに「自由」はあるのだろう。だが、一般党員・一般中央委員等の意思に基づいているかぎりで「民主主義」は充たされている、とも言える。
 日本共産党の話をしたが、同じ事は、旧東独・旧ベトナムでも基本的には言えたのだろう(北朝鮮については現在は形式的にすら「民主主義」が履践されていない可能性がある)。
 言いたいのは、「民主主義」とは「自由」や「平等」の条件がなくても語りうるし、そのような意味での「民主主義」の用法も誤りではない(むしろ純化されていて解りやすい)ということだ。
 マルクス主義憲法学者の杉原泰雄・国民主権の研究(岩波、1971)は<ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制>という歴史の潮流を語り、現に見られる「人民主権憲法への転化現象」についても語っていたのだが(p.182、6/21参照)、「人民主権憲法」とは「人民民主主義」憲法(=社会主義憲法)の意味ではないかと推察される。
 すなわち、民主主義にも、マルクス主義によれば、あるいは現実に社会主義国が使った語によれば、「ブルジョア民主主義」と「人民民主主義」とがある。旧東独等での「民主」とは日本共産党内部の「民主主義」と同様の「人民民主主義」又は「民主集中制」だったのだろう。
 こうしたマルクス主義的用語理解の採用を主張したいわけではない。ただ、現実には「自由」とは論理的関係なく「民主主義」という語は使われてきたことがあることを忘れてはならないだろう。
 「自由」と「民主」の双方を語るのは良いし、双方ともに追求するのも構わないだろう。だが、上の芦部信喜氏が説くようには、両者は決して相互依存関係にはない、と理解しておくべきだ、と考える。それぞれに固有の価値・意義が、区別して、より明瞭に語られるべきだ。
 以上、阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー第二版(有信堂、2004)p.90のあたりに刺激を受けて書いた。阪本の主張を紹介したのでは全くない。但し、阪本は芦部信喜氏の上の②につき「若い憲法研究者がこの民主主義観にはもはや満足することはないものと、私は期待する」とコメントしている。

0257/再び参院議員選挙について。

 前々回に「参院選の基本的争点」などという大口を叩いた。産経6/26の正論欄では、村田晃嗣が「選挙への思惑を超えて、取り組むべき長期的な課題し山積している」として、第一に地球環境(温暖化)問題-安倍首相の「美しい星」構想、第二に集団自衛権問題を挙げている。そして、与野党ともに選挙にかまけて「日本外交にとっての長期的な戦略的課題」をなおざりにするなと結んでいる。
 異論はないが、こうした課題に関する議論は選挙の争点又はテーマのいくつかの一つにしても何ら差し支えないものだろう。
 月刊正論8月号(産経)の中西輝政「「年金」を政争の具にする愚かさ」は、政治家の事務所経費問題は「本当は小さな問題」で、これが大きくなったのは「瑣末民主主義」という「日本政治の病理の更なる昂進」の証左であり、政治とカネの問題を軽視するのは怪しからんという「小児病的正論」が歴史的に何をもたらしたのか「マスコミや世論はじっくり考え」るべき旨を述べている(p.78)。まことに正論、と私は感じる。
 中西においてはタイトルどおり、「年金」もまた「政争の具」にされてはならない。同感だ。自民党は街頭演説会等でこの問題に殆どの時間を費やすような愚かなことはしなくてよいのではないか。他の問題も含めて、安倍内閣のこれまでの成果を堂々と訴え、今後の方向を年金問題も含めてこれまた堂々と自信をもって訴えたらよいのではないか。
 中西によれば、年金記録漏れ5000万件の事実は日経が2月に報道し、民主党も認識していたが、5/23の会合で、つまり参院選の時期が近づいてから、小沢一郎・民主党代表は「年金問題を参院選の最大の争点にせよ」と檄を飛ばした、という(p.81)。国家の理念も国益も忘れてもっぱら<選挙に勝つ>ことしか考えていない小沢一郎の戦術は果たして成功するのかどうか。
 再び中西によれば、年金制度は重たい問題で、その変革は超党派で取り組むことが求められるのがスエーデン、ドイツ、イギリスなどの例であり、教訓らしい。戦前のドイツで時の与党を年金問題で攻撃して大躍進したのがヒトラー・ナチスだという。中西によれば、にもかかわらず、日本では「与野党、特に野党の側に自己抑制が働いていない」。
 中西は言う-「ポピュリズムを煽ることしか念頭にないマスコミに煽動された国民の多くはあのずさんな社保庁を放置してきた責任は「与党にある」としかとらえない。マスコミは「政争の具にしてはならない」との声を、単なるレトリックとしてしか見ない。そこにこそ年金問題の本質がある」(p.82)。
 代表者(立法議会議員)を選出する自由な投票こそが「民主主義」の根幹だが、民主主義又は民主制はもともと<衆愚政治>の意味を内包している。「衆愚」というと印象の悪い言葉なので、「大衆民主主義」には弊害又は消極的側面がある、と言った方がよいかもしれない。
 「大衆民主主義」とは現代を表現する学問上の概念だ。阪本昌成の本によると、オルテガやオークショットは「大衆民主主義の影」を気遣い、懸念した、という(同・リベラリズム/デモクラシー第二版(有信堂、2004)p.93)。
 日々の生業・生活に忙しい国民(有権者)の全てが必要な全情報を得たうえで適切かつ合理的に政治的な判断・選択ができる訳がない(これは憲法改正以外の案件に関する国民投票制度や自治体レベルでの住民投票制度の設置や利用に私が消極的で、「代議制」=間接民主主義の方が優れていると考える理由でもある。この点はまた別の機会に)。
 もともとそういう限界があるところに、現代の選挙は「マスコミ」が作るイメージにかなり左右されてしまうという面もある。
 ということもあり、年金問題がなくとも自民党は敗北する(議席減少)予定の選挙だったのだから、敗北(議席減少)はやむをえない。
 だが、安倍首相の退陣だけは是非、何としても避けたいものだ。朝日新聞と日本共産党・社会民主党がこれまでの首相に対するのと比べても安倍首相攻撃・批判を強めてきたのは、安倍が彼らと正面から闘う人物だからだ。彼らにとっては、安倍は怖いのだ。安倍退陣は朝日新聞の若宮某を含む彼らを小躍りさせて喜ばせてしまうだろう。北朝鮮が喜ぶのも目に見えている。
 そのような首相を変えてはいけない。共社両党と妥協したり朝日新聞の主張に部分的にせよ<迎合>するような首相に変われば、近年の数年間の努力は無に帰してしまう。
 保守派からの不満は残ったのだろうが、内閣総理大臣による靖国神社への参拝をともかくも復活させたのは、小泉前首相だった。
 教育基本法も改正され、憲法改正手続法も制定されて、大きな変化の時代を乗り越える準備が現に着々となされ(社保庁解体・公務員制度改革もその一つ)、たんなる準備ではない成果も挙げてきているのだ。首相在任まだ10ケ月の安倍晋三を辞めさせるのは早すぎるし、日本のためにも絶対にならない

0198/ルソーの一般意思・社会契約論はまともな議論か-阪本昌成著を読む。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(有信堂、2000)の第Ⅰ部・第三章のルソーに関する叙述をまとめる。
 <人間の本性は自己の利害の最重視>という出発点ではルソーはヒュームと同じだったが、ルソーは人間の活動の放置→私利私欲・奢侈・道徳の忘去、と見た。そうならないよう、<市民社会>と<国家>の一致を追求し、「自然状態…に侵害を加えることなく…社会状態の一形態」を見出そうとした。そして辿り着いたのが、<個々人の意思が「一般意思」となり、諸個人が一般意思のもとで生活するこそが真の「自由」だ、という命題だ(p.38-39)。
 ルソーのいう「自然状態」とは心理学領域の状態で、「自然状態」の個々人の欲望又は「幸福は…食物と異性と休息だけ」とされる。彼においてホッブズ的戦争状態はなく、個人は「他の個人と交わることのない」アトム的存在だ。
 個人が他の個人と交わることとなり「自然状態」の均衡が破られ「不平等の起源」になった。「自然状態」には「自然的不平等」と「自己愛」のみがあったのだが、「社会状態」では「政治的不平等」と「自尊心・利己心」が跋扈する。ルソーは「自然状態」をロックの如く「文明開化社会」と対照したのではなく、「文明病状態」と対比した。
 従って、ルソーにおいて人間が「社会」を形成する契機は人間の本性(「自然状態」)の外に求めざるをえないが、それが「人びとの意思」・「人為」だ。つまり<自由意思による国家の樹立>ということになる。
 だが、自然と社会の対立を前提とするルソーにおいて、「たんなる同意」だけでは弱い。そこで、「自由意思」とは「公民としての個々人」の「合理的意思」とされた。「徳」が心の中にある公民の意思だ。かくして、神学によらない「合理主義哲学」による(自然状態から)社会状態への昇華がなされる(p.42)。
 ルソーの社会契約論は、「徹底した合理主義者」にとっては「不合理」な「市民社会」批判で、彼は「市民社会」により毒された人間が解毒のために「人為的に国家を樹立し、あるべき人間になること」を説いた。その際の「転轍点が、公民としての政治的徳」で、かくして、「自由と権力は両立する」。「公民としての政治的徳」は「一般意思」に結実し、その「一般意思」に従うことは「自由」と矛盾せず、むしろ「自由」の実現だからだ。
 こうして「一般意思」は「道徳的自我として実体化され」、個人主義というより、「ルソー理論が全体主義理論に繋がっていくおそれをもっている」ことを意味する。かくして社会契約論はロック等とは異なる「大陸的な別種を産んだ」(p.43)。
 ルソーは「私的所有という欲望に毒された市民社会の構造を変える」ため、「人間精神の構造を人為的に変える」ことが必要と考えた。彼の「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鉄鎖につながれている」との有名な命題は、市民社会は自然に反するということを意味する。そしてたんに<自然に帰れ>ではなく、人間の「道徳的能力」獲得→公民化→公民の個別的意思の集合→「一般意思」成立、と構想した。
 ルソーによれぱ一般意思への服従義務は「各人の自発的約束」に根拠をもつ。この義務は高レベルの「自由の自己肯定」なので、社会契約とは、「服従と自由の一致」・「利益と正義の見事な一致」になる。「自由は必然性としての一般意思としての人為に融合され」、社会契約により「自然的自由」は「社会的自由」に転化する。この社会契約は「道徳上および法律上の平等をもたらすルート」でもあるので、かくしてルソー理論は、不合理による抑圧からの個人の「解放の理論」でもある(p.45)。
 一般意思とは人びとの社会契約による「道徳集団の意思、道徳的自我」でその中に「個別意思」が含まれるかぎり両者に矛盾はなく「一般意思のもとでの統治が万人に自由をもたらす」、人間は一般意思により「強制されるときに自由になる」とルソーは考えた。この自由は、<外的強制のない自然的自由>ではない「市民的自由」とされる(p.47)。
 「市民的自由」を実現する国家は「道徳的共同体」である必要があると彼は考えたが、そこには<服従>・<強制>が不可欠となる。ルソー自身の文章はこうだ。
 「社会契約を空虚な公式としない」ために「一般意思への服従を拒む者は…、団体全体によって服従を強制される」との「約束を暗黙のうちに含んで」おり、このことは「彼が自由であるように強制される、ということを意味しているにすぎない」。
 ルソーのイメージする立法者は「神のような知性を持った人間だ」。<社会契約→憲法上の社会契約→憲法上の立法機関→立法>と理論展開すべきところ、彼はかかる段階を無視して、<社会契約→一般意思→その記録としての立法>と考える(p.48)。
 そしてルソーは言う。「一般意思はつねに正しいが、それを導く判断はつねに啓蒙され」てはいないので「個々人については、彼らの意思を理性に一致するよう強制しなければならないし、公衆については、彼らが欲しているものを教えてやらなければならない。…こういうわけで立法者が必要になってくる」。
 阪本昌成氏はここで挿入する。まるで「大衆とそれを指導する前衛党」だ。これでは主権者による自らの統治という「自己統治」であるはずがない。<社会契約→一般意思→その記録としての立法>と構想するまではさほど悩まなかったかもしれないが、<誰が立法するか>の問題になるとルソーに自信はなかったのでないか。「彼の描く立法者像は、ありようもない人間」だった。ルソー自身が「立法者は…国家のなかの異常な人間」だ、「彼はその天才によって異常でなければならない」と書いている。
 以上の如き「人民の「自己決定」を標榜するように見せながら神のごとき立法者による統治を説く奇怪な理論」は失敗している。「なおもルソー理論を信じ込む人」は「ナイーヴな知性の持ち主」だ(p.49-50)。
 阪本は続ける。「人びとは自由になるべく、強制されている」というのはレトリックではなくトリックだ。この<自由の強制>は「私利私欲に満ちて堕した人間を作り替えるための道徳の理論だ」。ルソー理論は国制(憲法)制度論ではなく「公民としての徳目論」だった。
 だからこそ、ルソーの社会契約論の最終部分は「公民宗教」を語る。「宗教が制度の道具として役立っている」、「人間に法を与えるには神々が必要」だろう、と。ここで彼の社会契約論は隘路に陥っており、ルソーはそのことを明確に意識した筈だ。
 徐々に阪本の総括的な叙述に移っていく。
 ルソーの社会契約論は「天上界での模範」を描く「夢想する作品」で、この理想論による「人民主権」は「魔術性」をもち、「その魔術性が、後世、取り返しのつかない災いを人類に与え」た。<自由の強制>をロベスピエールの「自由の専制」のもとで現実のものにしたばかりか、その後の全体主義のための教説となった」。
 人民が権力を握るほど人は自由になるとの信念のもとで「人民」が「実体化」されると「実在するはずもない人民が意思の主体」となり、「人民(実は、少数の指導者、なかでも、前衛党)が統治の絶対者」となる(p.52)。
 この点だけでなく、ルソー理論は「負の遺産を後世に残し」た。第一に「市民社会を反倫理的」とする思考を助長した。ヘーゲルを通したマルクスにより絶頂に達した。ルソーは<市民社会>における「富の不平等が自由の実現にとって障碍」と見ていた。第二に、ルソーの<権力参加→一般意思→主権確立→自由>という屈折なき流れが前面に出たため、「法や自由」による国家権力への抵抗という対立点が曖昧になった。第三に、「「法=法律」、「議会=法制定の独占機関」との理解を強化」した。
 この第三点に反論がありうるが、ルソーが「直接民主主義者」だというのは「歴史的な誤読」だ。ルソー自身がこう書いた。「真の民主制はかつて存在したこともないし、これからも決して存在しないだろう。…民主制もしくは人民政体ほど、内乱、内紛の起こりやすい政府はない。…神々からなる…人民は民主政治を以て統治するだろう。これほど完璧な政体は人間には適しない」。「ルソーは「人民が主権者になる」ことを信用していなかった」のであり、彼の社会契約論は「想像以上に空疎」だ。
 ルソー思想に従えば、「単純多数派が…少数集団に対し、自己の専制的意思を押し付けるという新しい形の独裁」になる。「天上界」のモデル論から「現実の統治構造」論に下降するにつれ、ルソーの論調は悲観的になっていく。彼の社会契約論は「国制に関する堅実な理論ではなく、理想国を夢想する散文の書だ」(p.55-56)。
 以上、長々と、それこそ私自身のためのメモ書きをした。
 中川八洋の如く「狂人」・「妄想」・「嫉妬」等の言葉は用いていないが、結局は阪本昌成もルソーにほぼ同様の評価を与えていると思える。
 上記は要約であり、もともと要旨を辿った本文を正確に反映しているわけではないが、それでも、一般意思概念の空虚さ(と怖さ)「全体主義」思想の明瞭な萌芽をルソーが持っていたこと、は分かる。<強制されて自由になる>との論理もどこか倒錯している。
 また不平等のある「市民社会」を憎み、「道徳」的な人民(公民)=実質的には少数独裁者・前衛党による「国家」統治の<夢想>などは(阪本氏の叙述に影響されているかもしれないが)、ブルジョア社会を否定して社会主義国家を構築しようとするマルクス主義と殆ど変わりはないではないか。
 ルソーの「市民社会」敵視は別の本によると、彼の生育環境によるともされる。ルソーは「生まれてすぐ母に死なれ、10歳のときに父親に棄てられた」ので「家庭」を知らず「正規の学校教育など全く受けていない」。ついでに記すと、彼はジュネーヴからパリへと流浪したのだが、「子どもが五人いた…が、全員を棄ててしまった。…一種の異常人格としか言いよう」がない。
 ルソーの平等観も「市民社会」敵視と関係があり、別の本によると阪本よりも明確に、ルソーの願う「平等社会とは野獣の世界だった」、平等主義は「富を憎む」のであり、「社会主義はその典型」ということになる(以上の別の本の記述は、ルソー研究書では全くないが、谷沢永一「発言」・同=渡部昇一・こんな歴史に誰がした(文春文庫、2000)p.216-9による)。
 現実の社会(格差のある市民社会)よりも自然の中で「平等に」生きる動物の世界に理想を見出すとは、やはり「天上界」の「空想」の世界のこととはいえ、少し狂人っぽい。
 ともあれ、現実の国家・社会の制度設計論としてはルソー思想が殆ど通用しないことは、いや通用しないどころか危険なものであることは、阪本昌成の結論のとおり、明らかなようだ。
 しかし、わが日本の社会系の学者の中にはまだまだルソー信徒はいるだろう。マルクス主義と大きくは矛盾しないこと(だからこそルソー→フランス革命→空想的社会主義者→マルクスという流れを描ける)もそうした人々の存在を支えてもいると思われる。
 中公クラシックでルソー人間不平等起源論社会契約論(中央公論新社、2005)を翻訳している小林善彦・井上幸治各氏の両氏かいずれかだと思うが、この本に封入の「名著のことば」との小さなパンフレットで、ルソーは人間不平等起源論で「鉱毒の害に言及しているが、おそらく環境破壊を指摘した最初の一人であろう」などと解説している。この解説者はきっとエラい大学の先生なのだろうが、本当はバカに違いない。どうせ書くなら「自然」の中での<スローライフの勧め>をすでに18世紀に行なっていた先駆者とでも書いたらどうだろう。
 また、上にも引用した、「神々からなる…人民は民主政治を以て統治するだろう。これほど完璧な政体は人間には適しない」という部分について、上の「名著のことば」は、「いうまでもなくルソーは民主政がもっともすぐれた形態と考えていた。ただ…民主政を実現するためには、いかに多くの困難があるかを考えた。…いま、われわれは民主主義を維持するのは決して容易でないことを実感している」と解説している。この読み方が阪本昌成氏と異なることは明らかだ。そしてこんなにもルソーを、現在にまで無理やり引きつけて「美化」しなければならないのは何故か、と感じざるをえない。思想・哲学界にも惰性・慢性・思考停滞という状況はあるのではなかろうか。
 思想・哲学界の全体を見渡す余裕はないので、日本の憲法学者のルソー観・ルソーに関する叙述(すでに阪本昌成のものを読んだのだが)だけは今後フォローしてみよう。

0146/日本国憲法-「八月革命」説による<新制定>か「改正無限界」説による<改正>か。

 明治憲法(大日本帝国憲法)の憲法改正条項は同憲法73条で、つぎのとおりだった(カタカナをひらがなに直した)。
 「第73条 1項 将来此の憲法の条項を改正するの必要あるときは勅命を以て議案を帝国議会の議に付すべし

 2項 此の場合に於て両議院は各々其の総員三分の二以上出席するに非されは議事を開くことを得す出席議員三分の二以上の多数を得るに非されは改正の議決を為すことを得す
 現憲法96条が各議院の<3分の2以上>の賛成を「発議」要件としているのも、この旧憲法を踏襲したかに見える。
 それはともかく、この条項にもとづく明治憲法の改正という形で日本国憲法が成立したことは周知のとおりだ。
 日本国憲法の施行文はこう言う。-「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる
 このあとに、御名御璽、計15人の内閣総理大臣・国務大臣の連署、前文、第一章第一条…と続く。
 憲法学の専門家には当たり前のことを書いているだろうが、天皇が定めた「天皇主権」の欽定憲法である明治憲法の「改正」の形で「国民主権」の日本国憲法を制定できるのか、という、<憲法改正権の限界>という問題があった。
 形式的・手続的には明治憲法の改正であっても<憲法改正権の限界>を超えるもので、新憲法の制定に他ならず、ポツダム宣言の受諾によって「国民主権」への革命があったのだとするのが<八月革命説>で、宮沢俊義・東京大学法学部教授が1946年になってから唱えたこの説がどうやら主流の説らしい。
 だが、GHQができるだけ日本人の意思によって憲法が制定(改正)されたかの印象を作りたかったからかどうか、少なくとも表面的には、天皇の発議により両議院(衆議院と貴族院)が審議し、議決し、天皇が裁可し、公布せしめたのが日本国憲法だ。
 枢密顧問への諮詢を経て帝国議会に憲法「改正」案(じつはGHQ作成の原案に若干の修正を加えたもの)を附議した際の天皇の言葉は、「朕…国民の自由に表明した意思による憲法の全面改正を意図し…」だった。
 上の段落は、阪本昌成が憲法の制定過程やその「有効性」をどう叙述しているかに関心を持って見た、阪本昌成・憲法Ⅰ(国制クラシック)p.108(有信堂、2000)による。
 阪本は自説を展開することはなく、「学界では、主権在民をうたう新憲法(民定憲法)護持の立場が圧倒的で、改正無限界説からの分析は精緻になされることはなかった」とのみ記述している。改正無限界説に多少の<未練>はあるかの如き印象をうける。
 実際になされた天皇の発言、天皇に始まる手続、天皇による裁可と公布を見ると、<八月革命説>は相当にフィクションであり、<改正無限界説>に立って、明治憲法の「改正」により現憲法が生まれた(天皇自身も無限界説的な理解をしていた)、と説明する方が私にはわかりやすい。
 天皇主権と国民主権、欽定憲法と民定憲法とはそれぞれ正反対のようでもあるが、欽定憲法と言っても明治天皇が大日本憲法の具体的条文を策定されたわけでは全くないし、天皇主権といっても天皇の実際上の権限・地位が相当に限定された、殆ど「象徴」的なものだったことはよく知られている筈で、少なくとも天皇の地位については現憲法との<連続性>の方がむしろ強調されてもよい、と思われる。「革命」が起こった、と理解したのは一時期の(一部の者の)<熱狂>と<昂奮>の結果で、説明の仕方としては合理的ではないのではないか。
 天皇が自ら(および子孫の誰か)を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とすることに異存がなかったとすれば、<改正の限界>を超えていた、と理解する必要はなかったのではなかろうか。
 ここでこんなことを書いても無意味かもしれない。但し、現憲法の制定に昭和天皇の「意思」が深く関係していると思われることは確認しておきたい(占領下だったのであり、100%の「自由」な意思に基づくものだったとは一言も言っていない。念のため)。
 当初の関心の対象だった現憲法の「有効」性については、阪本昌成はいっさいこれを疑っていないようだ。憲法学の中の少数派と見られる阪本の教科書において、<日本国憲法無効論>は本文中のカッコの中で「無効だ、と主張する少数説もないではない」と言及されているにとどまる。これでもひょっとして<親切>な方かもしれない。

0095/日本国憲法は三大原則か六大原則か。

 もはや古い本だなと思いつつ、渡部昇一=小林節・そろそろ憲法を変えてみようか(致知出版社、2001)を何気なく捲っていたら、渡部のこんな発言が目に入った。
 「改悪にならないようにするために…日本国憲法の三大原理である国民主権主義と平和主義と基本的人権の尊重を強化し、私たちの幸福を増進させる方向性の改憲を改正と呼ぶ」と訴え続ける必要がある(p.222)。
 この部分は渡部昇一にしては(いや彼だからこそ?)不用意な発言だ。平和主義の中には現憲法九条二項も含まれてしまう可能性がある。また、憲法学者の小林がこの本のもっと前で話したことをふまえているのかもしれないが、日本国憲法の「三大原理」として国民主権主義・平和主義・基本的人権の尊重を挙げるのは陳腐すぎ、かつ疑問視もできるものだ。
 こんな基本的なことを話題にするつもりはなかったのだが、八木秀次・日本国憲法とは何か(PHP新書、2003)によると、高校までの社会科の教科書ではたしかに上の3つが憲法の三大原則と書かれている、しかし、1947年に政府が作った、あたらしい憲法の話(中学校副読本)では、憲法前文が示す原則として民主主義・国際平和主義・主権在民主義の3つを挙げ(基本的人権の尊重は入っていない)、本文の項目では、民主主義・国際平和主義・主権在民主義・天皇陛下(象徴天皇制)・戦争の放棄・基本的人権の6つが同格で説明されている(いわば六大原則)、大学生向けの憲法の教科書では必ずしも一致はない。
 そして、八木によるとこうだ。1954年に成立した鳩山一郎内閣が自主憲法制定(憲法改正)を提唱したことに危機感をもった「護憲派勢力」が、かりに改憲されるとしても改正できない原則として、上記の三大原則を「打ち出した」のであり、その意味で「政治的主張という色彩が強い」(象徴天皇制は原則とはされないので、天皇制度自体の廃止は可能とのニュアンスを含む)。
 自称ハイエキアンで憲法学界の中では少数派ではないかと勝手に想像している阪本昌成(現在、九州大学教授)の広島大学時代の初学者向けの本に、同編・これでわかる!?憲法(有信堂、1998)がある。
 この本の阪本昌成執筆部分なのだが、八木の叙述とはやや異なり、「教科書も新聞も、大学生向けの憲法の教科書も」上記の三大原則を挙げる、とする(p.35)。
 上の部分の見出しがすでに「インチキ臭い「3大原則」」なのだが、彼は、「日本国憲法の基本原則は、「国民主権・平和主義・基本的人権の尊重」といった簡単なものではな」く、次の6つの「組み合わせ」となっている、とする(p.37-38。()内は秋月)。
 1.「代議制によって政治を行う」(代議制・間接民主主義)、2.「自由という基本的人権を尊重する」(自由権的基本権の尊重)、3.「国民主権を宣言することによって君主制をやめて象徴天皇制にする」(国民主権・象徴天皇制)、4.「憲法は最高法規であること(そのための司法審査制)を確認し、そして、「よくない意味での法律の留保」を否定する」(法律に対する憲法の優位・対法律違憲審査制)、5.「国際協調に徹する安全保障をとる」(国際協調的安全保障)、6.「権力分立制度の採用」(権力分立制)。
 単純な三大原則よりは、より詳細で正確なような気がするではないか(?)。それに、単純な「民主主義」というだけの概念が使われていないのもよい。また、たんに「基本的人権」の尊重ではなく「自由という基本的人権」とするのがきっと阪本昌成的なのだろう。
 なお、日本国憲法の「原則」をどう理解するかは、それが、-八木が示唆しているように-憲法改正の「限界」論(憲法改正手続によっても改正できない事項はあるのか、あるとすればいかなる事項又は「原理」か)と無関係である限りは、さして重要な法的意味があるわけではない。そして、通常は、3つであれ6つであれ、憲法改正の「限界」とは無関係に語られているのではないかと思われる(あくまで私の理解だが)。
 憲法の問題は関係文献に逐一触れていると切りがないところがあるのだが、重複を怖れず、ときどきは言及することにする。

ギャラリー
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