秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

月刊WiLL

0436/月刊WiLL5月号(ワック)に見る最近の朝日新聞。

 月刊WiLL5月号(ワック)には、朝日新聞を主対象とする記事(論稿)が三つもある。
 1.海上自衛隊イージス艦漁船衝突事故について、さぞや朝日新聞は大きくかつ自衛隊に厳しく報道しているだろうと思っていたが、山際澄夫「イージス艦事故があぶりだす朝日と福田は似たもの同士」(p.208)によると、想像以上だ。
 すなわち、事故発生を伝えた2/19夕刊から27日頃まで「数日を除いて連日のように朝夕刊トップという、それこそ洪水のような」報道を続けた、という(p.210)。もとより初めから自衛隊側を「悪者」扱いで、日本共産党・志位和夫と同じく「自衛隊を悪魔視して国民と対立」させようとしている(p.212)。
 想像以上だが、朝日新聞のことだから分からなくはない。よく分からないのは、紹介・引用されている2/22社説の一部だ-「海上自衛隊が目の前の漁船すらよけられないのなら、どうやって日本を守るのか」(p.211)。
 朝日新聞(社)は本当に自衛隊に「日本を守る」ことを期待しているのだろうか(このことを前提として上の文がある筈だが)。それにしては、山際によると、自衛隊に対する「敬意」がない文章表現で、むしろ「嘲弄」の感がある(p.211-212)。

 こんな文章を綴っていると精神衛生に悪い。朝日新聞のような新聞のない地域・国へ行きたくなる。
 2.本郷美則「今月の朝日新聞・第14回」(p.140-)は、若宮啓文論説主幹が4/01付で退任、同社コラムニストになるということから、若宮の社内での<出世街道>?の経緯を中心に書いている。
 「朝日新聞社コラムニスト」とは何のことやらよくは解らないが、定年後も朝日の紙面に登場し、朝日新聞社から金を貰い続けるわけだ。本郷は若宮の<有名な>記事をいくつか取り上げている。本欄でいく度か言及した、<ジャーナリズムはナショナリズムの道具じゃないんだ>(コラム・風考計)もけっこう重要な名?文なので、紹介してほしかった。
 ところで、本郷によると、キャノン・御手洗富士夫と朝日新聞が1年半”冷戦”状態で、キャノンは朝日新聞への広告出稿を絞ったらしい(全面広告が2006年は36本、2007年は7本、2008年は若宮退任報道後に最初の1本)。
 恥ずかしくも、”冷戦”の原因も含めて知らなかったのだが、キャノンは勇気がある。立派だ(関係ないが、わがプリンタは歴代、キャノンだ)。「1本数千万円」の広告減収をもたらすのだから、朝日新聞を気嫌う経営者たちは、朝日新聞に広告を出すな、と呼びかけたいものだ。同じことは、朝日新聞系のテレビ放送局や(毎日系の)TBSへの広告フィルム(CF)の掲出についても言える。
 テレビ朝日にせよTBSにせよ、あれだけヒドい報道ぶりをしたり、ときどきは目立った<事件>も起こしているのに、何故に所謂コマーシャルが減らないのだろうか、と不思議に思っている。言葉による精神的・理念的な批判よりも、経営基盤自体にかかわる広告取り止めの方を(広告収入に大きく依存している)マスメディアは実際には懼れているはずなのだが…。
 3.創刊号から連載の勝谷誠彦「あっぱれ!築地をどり」(p.130-)は、イージス艦事故によって朝日新聞が「盆と正月が一度に来たような大騒ぎ」、「築地をどり」は「大臨時興行」、「いやもうはしゃぐことはしゃぐこと」と皮肉っている。
 また、勝谷によると、朝日新聞内の「天声人語」子と「素粒子」子は「宿命のライバル」で、上の事故に関して俳人<所作>や「駄洒落の所作」を競い合っているらしい。
 勝谷誠彦は、この程度の短い文章(2頁程度)だと、なかなか冴える。
 再度いうが、朝日新聞に関して何か書くのは、なぜか鬱陶しい。しかし、ときどきは触れないわけにはいかない。

0419/イージス艦衝突事故、毒入り餃子事件。

 最近の<事件>の一つはイージス艦と漁船の衝突事故。マスメディアのほとんどは、3/13のNHKの「クローズアップ」(午後7時30分~)も含めて、海上自衛隊の側に<責任>があるとの姿勢で一貫して報道している。
 強く大きい船体と組織対弱く小さい漁船で、しかも漁船(民間側)にのみ被害者が出たとあっては、防衛省・海上自衛隊を批判する格好の材料になるのだろう。
 しかし、冷静に考えれば、<事故>の責任の所在、過失の割合・程度については<権威ある>又は<(とりあえず)正式の>決定又は報告は殆どなされておらず。今のところはほとんどが推測にすぎないのではないのだろうか。
 上の旨を産経新聞3/05湯浅博の「世界読解」は述べており、その隣には、「海上自衛隊は、理性的に評価されるべきだ。原因が完全にはまだ分からないのだから」で終える米国元軍人(ジム・アワー)の寄稿が載っている。
 むろん自衛隊側に100%の責任(・過失)があった可能性はあるのだろうが、早々の<防衛省・海上自衛隊バッシング>は戦後日本を-マスメディアも重要部分として-覆う<反国家主義>・<反軍事主義>を背景としているように思われる。
 産経新聞2/29の「正論」欄で西尾幹二は「軍艦側の横暴だときめつけ、非難のことばを浴びせかけるのは、悪いのは何ごともすべて軍だという戦後マスコミの体質がまたまた露呈しただけのこと」と言い切っている。この指摘には共感を覚える。
 それにしても、西尾も言及しているように海上自衛隊のイージス艦(西尾は「軍艦」と明記)が法的には-海上衝突予防法等だと思われる-「一般の船舶」と同じ扱いを受けるというのは、<有事>の場合は別の法制がおそらく適用されるのだとしても-確認していない-、奇妙なことだ。日本防衛の重要な役割を与えるのだとすれば、<有事>の場合に限らず、その役割にふさわしい法的処遇を与えるべきではないのか。
 前後するが、<福田首相が行方不明者の家族を訪問するのが遅すぎた>とか騒いで報道していたテレビ放送局は、まともな報道機関なのか。
 毒入りギョーザ事件については、月刊WiLL4月号(ワック)の山際澄夫「毒餃子、朝日は中国メディアか」が有益だった。朝日新聞の定期購読者でないので、この問題(事件)についても朝日新聞が徹底的に<親中国>であることがよく分かる。
 いちいち書くほどのことではないし、この欄でも殆ど具体的には触れていないが、中国と北朝鮮はまともな理屈や常識が通用するような国ではない。
 産経新聞3/13櫻井よしこ「福田首相に申す」(月一連載)は、中国を「実に言葉の正しい意味で、異形の国家」と形容している。<異形>・<異常>・<異様>・…、他にも同旨の言葉はあるだろう。
 その中国は昨年5月に米国に対して、太平洋の東西をハワイを基点に米中で「分割管理」することを打診したとか(産経新聞3/13)。日本周辺の海域は当然に中国の<管理>とする案だ。
 最近書いたように、東アジアではいわゆる<自由主義国>といわゆる<社会主義国>の<冷戦>は続いている、と認識しておくべきだ。この冷戦に米国がどの程度コミットするか、できるかも日本の将来とむろん無関係ではない。
 佐伯啓思や樋口陽一等の本のみを読んで、現実の<世相>を知らないわけでは全くない。いちいち言及するのが煩わしいし時間的余裕の問題もある。だが、むろん、今後もできるだけ論及して、自分自身による記録ともしておきたい。

0329/中西輝政・月刊WiLL11月号論文は読まれるべき。

 中西輝政・月刊WiLL11月号論文「『悪魔の密約』-小沢一郎と日本共産党」は読まれるべきだ。
 内容は日本共産党関係だけではない。
 安倍首相辞任の背景には1.米国の北朝鮮に関する意向、2.日本共産党の衆院候補擁立方針の変更(=「密約」あるいは小沢と共産主義勢力の「結託」、民主党内部への日本共産党勢力の浸透)がある、とする。
 さすがに中西輝政だ。「左」又は朝日新聞等にはステレオタイプ的な議論・論調が多いが、「右」の方にだって教条的・ステレオタイプ的なことを言い、書く人もいる(今ひとり名を挙げたくなったが、書かない)。中西輝政の議論・主張は新鮮だ。
 内容の紹介・引用は、断片的な以下のものにとどめる。
 「痴呆的ポピュリズム」(p.30)。大嶽秀夫に中公新書・日本型ポピュリズム-政治への期待と幻滅-(2003)というのがあり、主として小泉純一郎(とマスコミ等)を扱っているが、未読ながら上杉隆・小泉の勝利・メディアの敗北(草思社)というのもあるらしい。
 これらのいずれかでも読めば、マスコミの有権者への影響力はなく有権者は<自主的かつ合理的に>投票しているなどという呆言又は寝言をいう人、とりわけ産経新聞社の中にもいるようであるマスコミ人は、いなくなるはずだ。なお、中西輝政はこの言葉を、安倍辞任表明に対するマスコミ論調について用いている。選挙結果をただ尊重すべきだとのみ唱えていた者は、「痴呆的ポピュリスト」とでも称されるべきだろう。
 余計ながら、口先だけならともかく、本気で「国民の目線で」などと言っている政治家は信頼できない。大衆に迎合して、大衆の中に埋没しようとする者が、国民大衆の中からの<選良>であるはずがない。とても書ききれないが、<大衆民主主義>下の<大衆迎合主義>の誤り・危険性は何度でも強調するに値する。
 「今の日本のマスコミは、それすらわからぬほどに劣化している」(p.32)。コメント省略。
 「朝日新聞を先頭」とするマスコミの「反安倍キャンペーン」は政権発足以前から始まっており、「しばしばなりふり構わぬ常軌を逸したものになった」(p.34)。このことを朝日新聞関係者は認めないだろうが、産経新聞社の記者にすらこのことを認めない者がいるのだから、読売新聞等々、そして一般国民のかなりの部分はこのことを理解できていない可能性が高い。
 北京・東京・ワシントン(ニューヨーク)を通じた「反靖国」の強い陣営があり、「その中心となっているのは間違いなく朝日新聞だ」(p.36)。コメント省略。
 「朝日が全社を挙げて『反安倍の報復戦』に動いていたことも明らか」。このことを朝日新聞関係者は認めないだろうが、産経新聞社の記者にすらこのことを認めない者がいるのだから、読売新聞等々…(以下同文)。
 小沢一郎-「共産党と組んででも、という今の凄みを帯びたマキャベリズム」、「一切の価値観を排したニヒリズム」、「悪魔的政治家」(p.45)。すごい形容だ、とだけ述べて、コメント省略。
 最後にしておくが、以下の二つは、共産主義、そして日本共産党を断固として警戒しなければならないことを教える。
 ①旧社会党出身の民主党議員グループの人脈は「日本共産党につながっている」。旧社会党の者が「パイプ役」となり、「小沢一郎…は共産党と非常にスムーズに合意ができ」た(p.41)。
 ②「社保庁労組の中」の「共産党フラグ」が「連合につながる部分にも非常に大きな影響力を持っている」、「年金問題の本当の帰趨を握っているのは、今も共産党につながる勢力」だ(p.41)。
 朝日新聞の背後又は一部で、民主党の背後又は一部で、日本共産党(員)が<暗躍>していると見ておく必要がある。これは私の文。

0247/社保庁職員の自爆戦術-屋山太郎の二つの文。

 屋山太郎産経新聞6/22「正論」欄「社保庁問題は国鉄問題にそっくり」月刊WiLL8月号「旧国鉄解体よりひどい社保庁労使国賊論」を読むと、いろいろと確認できるとともに、いろいろと想像したくなる。
 まず、6/13に社会保険庁職員は国家公務員だが都道府県知事の指揮監督をうける「地方事務官」でなくなった2000年4月以降も今年2007年4月までは自治労に所属していた旨を示唆したが、現在は「全国社会保険職員労働組合」(1万1千人)として自治労から離れたこと(他に日本共産党系「全厚生労働組合」に社会保険庁職員二千人がいること)が明記されている(後者のp.34)。いずれにせよ、今年4月までは国家公務員でありながら自治労傘下の組合(「自治労国費協議会」)員だったわけだ。
 屋山の前者によると、1973年に国労の富塚三夫書記長(のち日本社会党国会議員)はストをうつ覚悟について「国鉄が円滑に機能しないことは国の力を弱め、資本主義を崩壊させるのに役立つ」と述べたらしい。
 屋山が言うように、「社保庁自治労が同じ動機で仕事をサボっていたのは想像に難くない」。
 つまり、仕事をまともにしないことによって国家や政府に打撃を与えること、社会保険事務を「円滑に機能させないことによって国の力を弱め」ることくらいは、旧日本社会党系の労組幹部なら考えていて不思議ではないと思われる。
 しかも、仕事をたんに遅らせるだけではなく、間違って事務処理をした例やその結果が多数報道されているが、それらには、公務員もミスをすることがある、というだけでは絶対に済まない、<組織的>な動きがあったのではないか、と私は想像してしまう。
 社会保険庁の職員の仕事が完全に多数の個々の職員の責任に任されていたわけではなく、職制の詳細はよく知らないが、係長、課長等がいて、遅れや間違いがあることはある程度は職場内で公然の秘密になっていたのではなかろうか。そうした不正を糺さなかった中間「管理」職は、むしろ意識的に<見逃して>きたのではなかろうか。
 地方事務官時代は職務の指揮監督権は都道府県知事にあっても任免・懲戒権は厚生大臣又は各地方の局長にあったものと推測している。所謂キャリアとして本庁と地方を頻繁に往復している公務員は殆ど?(あまり?)知らないところで、<反国家=(当然に)反国民>の、サボタージュと意識的なミスの運動が「しずかに」行われていたのではなかろうか。怖ろしいことだが、そんな想像をしてしまう。
 社会主義神話・幻想がまだ残っていれば、あるいは残っていなくとも反国家・反政府・反資本主義の気分が残っている組合であれば、また、社会保険事務所では懲戒権を伴う上司・上級行政機関の適切な監視と督励が十分に働きにくかったとすれば(←地方事務官制度の問題点)、上のような「組織的」サボタージュとミスもありえたのではないか。
 屋山の上の後者はまた、次のようなことを書いている。
 三年前の参院選前に社会保険庁のポスターに江角マキコが起用されたが彼女が年金掛金を払っていないとの情報が出て、自民党政治家の未払いが問題になり、小泉首相自身も問題にされて「人生いろいろ」とか言い、民主党・菅直人が<未納三兄弟>と揶揄したが、のち菅自身の未納が明らかになって菅は代表を辞任した。そして、「民主党応援のために未納を暴いたのが自治労系菅を暴いたのが共産党系ではないかといわれた」(p.35)。
 最後の部分に確証はないようだが、いろいろな<情報>の流出が、三年前と同様に?(今後も参院選投票日まで)政治的意図をもってなされてきたし、なされるだろう、と見ておいてよいだろう。屋山によれば、「選挙や国会審議をにらんで事件が作為的に、政治的に起こされているとしかいいようがない」ということになる。
 社会保険庁を与党は「日本年金機構」という非公務員型の組織(独立行政法人の一つだろう)にして六分割し、いったん全員を免職したのちにその一部(又は多数?)の「良質の人材」を新たに採用しようとしている。
 屋山の後者は言う、「こういう組織の存亡に直面して社保庁職員が繰り出した手段が、自爆戦術ともいうべき五千万件の記録漏れを暴くという手段だったのではないか」、と(p.36)。
 本当にそうだったとすれば(可能性はむろんある)、表向きはいちおうどちらかといえば平穏な日本でも、<政治>が、<権謀術策>が渦巻いている。いや、改めて言うほどのものではないか…。

0210/西尾幹二が朝日新聞の5/03「社説21」を嗤う。

 選挙に候補者を立てないが実質的には「政治活動団体」に他ならない朝日新聞社も、日本共産党と同じく、憲法九条二項断固死守という当面の重要な<政策方針(国民誘導方針)」を固めているようだ。
 5/27(日)に月刊WiLL7月号(ワック)の西尾幹二「朝日新聞「社説21」を嗤う!」に紹介的に触れつつ、「西尾の論稿にはまた別の機会にも触れることとして…」などと書いて、全体について紹介・コメントはしていない。以下、前回との重複を避けて、かつ殆どは印象に残った文章の引用のみにしておく。
 ・「小学生の「学級民主主義」のような文章を、いい大人たちが寄り集まって書いているかと思うと、うすら寒いものを感じ」る。
 ・朝日社説は「インド、中国の発信力を高め、日本の存在感をますます希薄にしろと言っているに等しい」のだから「笑えて」くる。
 ・「非軍事的な場面で国際貢献せよ、という意味のフレーズが呪文のように出て」くるが、「正直、腹を抱えて笑」った。「戦乱や疫病や災厄で混乱している国に、軍事力を持たない国がのこのこ出かけていって、なにができるのか」。
 ・「社説21」は「一貫して空想、夢物語を語ってい」る。「「僕ちゃんはいい子にしています」と言っていれば、友達から愛され、先生からかわいがられるだろうという発想」だ。「「いい子」になるのは全く結構な話だ」が、「「悪い子」に殴られたり、いじめられたり時はどうするの」か。「誰も助けてはくれない」。
 ・「願望と実現の間には大きな隔たりがあ」ることを「ついぞ自覚したことのない人が朝日新聞の社説を書いている」。
 ・朝日は「自国の独立を考えず、対米隷属を続けようという姿勢を露骨に示して」いる。「外の世界を、見ざる、聞かざる、言わざるで、呑気にこのまましておいてほしいと言っている」。
 ・核保有大国は戦争のみならず「平和をコントロールし始めて」いて、日本等の核非保有国を脅かしており、日本は「コントロールされっ放し」でありつつ米国は「中国に近寄っている」、という「現実の変化を朝日新聞は一切、見ない。見ないどころか、無いことにして物を言っている。正直、驚い」た。
 ・朝日は「憲法九条が日本が守ったのではなく、冷戦構造下の日米安保条約によってアメリカが日本を守ってきたという事実を受け入れることができないらしい」。一方では「誠に矛盾する」が、「日米安保に安住し続け、日米同盟が今、危うくなっている現実も受け入れない。砂上の楼閣である日米同盟を、そうではないと二十一本にわたって一所懸命述べてい」る。
 ・「社説21」は5/03に掲載された如く、「憲法九条の死守がイデオロギーの中核を成している」。「驚愕したのは、「平和安全保障基本法」を憲法の他に作るという珍案」で、これは「九条を据え置くための…新手の憲法の拡大解釈」だ。こんな提案されなくとも「すでに自衛隊に関しては拡大解釈されてい」る。「何の解決にもならない」。
 ・「平和安全保障基本法」
がもつべき4要素の一つに「PKOは国連に定められた範囲で行う」という「国連信仰」があるが、中国の拒否権行使により「国連は場合によっては、日本の敵になることもあるそれを考えるのが防衛の「戦略」」なのに「全くもって馬鹿馬鹿しい」。
 ・朝日は「社説21」で「「外国のために存在する国になれ」と叫んでいるように見え」る。「隣国には「徳」が」、「我が国には「悪」がある」と言いたいらしいが、「多くのまともな日本人は信じる」だろうか。
 ・朝日は「外国の日本潰しの戦略に一所懸命、協力している新聞を作っている」。「中国が喜ぶような方向で歴史問題を解決することが日本にとっての安全保障になると言っている」。
 ・慰安婦問題という「歴史カード」が米国から来たという現実にかかる「問題意識が…皆無」だ。
 ・<…ヒロシマは戦後日本の原点>等と書いているが、「なんていうピンボケした時代錯誤の言葉」だ。ヒロシマは今、「アメリカを脅かしている」。朝日は「あたかも日本が加害者のような口ぶり」だが、「大江健三郎氏と同じような訳の分からないムード的なことを言っている新聞が数百万部売れているということは、日本の未来を危うく」する。
 ・「社説21」は「朝日新聞の自己幻想と願望に埋め尽くされた主張であり、…非現実的なことを、いい格好をしたいがために論じる様に彩られてい」る。
 ・上の例に、<イスラムと欧米の対立に日本が間に入って打開策を引き出す外交を模索すべき>との主張がある。「できるわけがない。しかも、朝日新聞は軍事力を使ってはいけないと言っている」。「地球貢献国家」を目指す朝日は「いや、できる」と言いたいのだろうが、「その願望がただの空想で、いかにデタラメか」は、<日本が主導して原子力の平和利用を>という主張にも見られる。
 ・ある知人が「社説21」は「新米記者を21人集めて書かせたのでないか」と言ったので、「違う」と答えた。「朝日新聞は論説委員になって地位が上がれば上がるほど、頭がおかしくなる」。「その頭がおかしな論説委員の言っていることは、反日日本人の代表格である土井たか子福島瑞穂氏の言っていることとほぼ同じ」だ。「画一的」で「閉鎖的な国家主義の匂いすら漂っている」。
 ・朝日新聞は「今、最大の危機に直面している」。「全編にわたって戦略がなく空想なの」だ。「このような空想は国際社会で通用」せず、「まじめに相手する価値もない」。「無視すれば済む」が「困ったことに空想というのは人を誤らせ」る。朝日新聞の「体質には言論界はほぼ完全に沈黙」しているのは「呆れて言う言葉もない」からだ。
 以上。引用のすべての部分を理解し、賛同しているわけではない。とくに、私にも嫌米・米国警戒の気持ちはあるが、西尾幹二ほど強くはないようだ。
 しかし、第一に、朝日新聞が<まともな現実感覚>を持っていないということは、西尾の指摘によってもよく分かる。
 議論するためには、客観的現実・事実に関する共通の知識・データが必要だろう。その客観的現実・事実の認識自体が異なっている相手とは、もはや議論は成り立たないのではないか。朝日新聞の<非現実的な空想>を共有できる人びと(これまた観念的・非現実的空想者だが)のみが、朝日新聞の読者であり、朝日の主張に「何となく」賛同しているのではないか。
 そういう読者が数千万人はいるらしいので、それこそ空怖ろしいのだ。
 関連して第二に、戦後の日本の進路に関する基本問題について、現実に成功裡に選択されたと歴史的には総括できる主張・政策方向に朝日新聞は反対し、異なる意見を吐いてきたことを想起する必要がある。単独(正確には多数)講和に対する<全面講和論>、60年の<安保改定反対論>、あるいは<拉致被害者いったん北朝鮮へ帰せ論>等だ。
 基本的路線問題について結果的に正しかった(適切な又は合理的だった)と言えるのは、読売新聞等の主張であり、朝日新聞の主張ではなかった
 憲法改正問題にしても、(むろんこれが最大の根拠では全くないが)朝日新聞の主張とは反対の方向を選択すれば日本はうまくいく、というのが歴史的・経験的教訓だ。従って、九条二項は改正(削除)する必要がある。朝日新聞の主張に従っているとロクなことがないというのは、日本人が獲得した戦後の貴重な知恵だ、と考えている。
 第三に、朝日新聞の「空想」とは違って、日本共産党はもっと「現実的に」考えている筈だ。同党にとって、九条二項護持は、その点に絞って同党を中心とする<統一戦線>的なものを作り、そして究極的には日本共産党支持者と日本共産党党員の数を増やし、党の力を維持・拡大するための<方便>だろう。
 かつての野坂参三質問を持ち出すまでもなく、同党が本音として、国家に軍隊は不要と考えているとは全く考えられない。現在のように共産党の影響力下にない自衛隊や近い将来の?軍隊には反対するかもしれないが、かりに万が一、日本共産党が一翼をきちんと担うような政権ができれば、反対勢力や対米国を意識して、当然に、<自分たちの言うことを聞く>軍隊を持とうとするだろう。
 日本共産党の主張はあくまで<当面>の主張であり、<本来>の主張と比較すると、「小ウソ」、「中ウソ」、「大ウソ」だらけだ、と理解しておいてほぼ間違いはない。  <ウソつき>の日本共産党とその追随者に未来はない

0190/朝日新聞は日本の「障害」だ、「はき違えてもらっては困る」。

 朝日新聞については、稲垣武・朝日新聞血風録(文藝春秋、1991)、井沢元彦・虚報の構造・オオカミ少年の系譜-朝日ジャーナリズムに異議あり-(小学館文庫、2003。初出1993-95)、小林よしのり=井沢元彦・朝日新聞の正義(小学館文庫、1999)、古森義久=井沢元彦=稲垣武・朝日新聞の大研究(扶桑社、2002)等の批判的分析を読んだ。
 月刊WiLL、諸君!等には毎号、朝日新聞の報道ぶりを批判するコラム等が掲載されている。
 また、稲垣武・「悪魔祓い」の戦後史(文藝春秋、1994。文春文庫版1997)、同・「悪魔祓い」の現在史(文藝春秋、1997)等々が批判の矛先の重要な一部としている。これら稲垣の二著の副題はそれぞれ、「進歩的文化人の言論と責任」、「マスメディアの歪みと呪縛」だ。
 横田滋が「親の代から」とっていた朝日新聞を「8月末で解約」したと抗議文で書く原因となった有名な1999年8/31社説「「テポドン」1年の教訓」の一部はこうだった(読売論説委編・社説対決北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002)p.154~に全文あり)。
 「日朝の国交正常化交渉には、日本人拉致問題をはじめ、障害がいくつもある。/しかし、植民地支配の清算をすませる意味でも、朝鮮半島の平和が日本の利益に直結するという意味でも、正常化交渉を急ぎ、緊張緩和に寄与することは、日本の国際的責務といってもいい」。
 
当時家族会事務局長だった蓮池透によれば、読んで「頭にきて」すぐに朝日新聞社に電話をしたら、論説委員は出せない、返答が欲しければ返信用封筒に切手を貼って同封せよと対応された、「障害」とは「邪魔」の意味かの質問に、拉致に関する北朝鮮の態度が正常化交渉再開の「障害」になっている旨が本意であり誤解されれば残念だ、と文書回答してきたが、2002年12/27の北朝鮮報道検証の特集企画の中では、「障害」とは「乗り越えなければならない、つまり解決されなければならない課題という意味」をこめて用いた、と「障害」の意味を一転させた、という(諸君 !2003年01月号p.38-39)。
 石原慎太郎東京都知事が「不法入国した多くの三国人、外国人」との表現を使ったとき、朝日新聞2000年4/13社説は「不法入国した…」との限定があったことを無視し、かつ「三国人」という語の歴史に無知なままで、差別語の「三国人」を使うのは「恐ろしいほどの無神経さ」だと罵倒し、「都知事というポストは、気ままな政治信条の表現の場ではない。…はき違えてもらっては困る」とまで書いた(読売論説委編・社説対決50年(2001)p.276-)。
 何度も書いてきたようなことだが、朝日新聞はいったい何様なのか。「恐ろしいほどの無神経さ」に驚く。そして、「はき違えてもらっては困る」と言いたい。

0174/石原慎太郎の米国講演、西尾幹二・水島総の朝日新聞等批判。

 少し古いが、産経5/19によると、石原慎太郎はニューヨークでの講演で、次のようなことを述べたらしい(イザ!ニュースなし)。
 1.日本有事に際し米国が安保条約による責任を果たさない場合は<日本は自分で守る努力をする。核保有もありうる>。
 2.中国経済は2008年までと英国エコノミスト誌編集長と一致した。経済が破綻した中国は「軍事的冒険主義」に出てきて「台湾や尖閣諸島に向けられる」可能性がある。
 3.尖閣諸島有事の際に米国が何をできるかは疑問。日米関係の将来は米国が中国をどう認識・評価するかに依るところが大きい。
 4.米国と中国が全面戦争になった場合、米国は必ず負ける。
 産経ですら小さく扱ったのみだから、他紙やテレビで大きくは報道されなかっただろう。
 私としては、上の2と3に現実的な関心をもつ(1と4に関心がないわけではないが)。簡単には、1.中国の経済・社会状況は今後どうなるか、2.米国は「社会主義」中国を(日本との比較が当然に含まれるが)どう認識・評価していくか、だ。
 岡崎久彦はかなり<親米(保守)>のようだが、<反米(保守)>と言ってたぶんよいだろうと思われるのが、西尾幹二だ。
 その西尾幹二が、月刊WiLL7月号(ワック)で「朝日新聞「社説21」を嗤う!」というのを書いている。そして、上の石原講演の内容とあえて関連させると、以下が興味深い。
 私は朝日新聞の「社説21」は読んでいないしデータ保存もし忘れたが、1.朝日は日米安保を前提として議論している。西尾によれば、朝日は「極めて保守的」で、「今まで反米的」だったが、「左翼のくせに親米」だ。
 冷戦構造の中で日本は経済的利益拡大の僥倖に恵まれたが、「朝日新聞は今後もその特権を保守し、なにも責任をとらず、きれい事を言ってアメリカの力にすがりましょうと声高に言っている」。
 2.朝日新聞は、米国に近寄り過ぎると怖い(「直接には関係のない紛争に巻き込まれる危険性がある」)が、遠ざかると相手にしてもらえなくて怖い(「いざという時に守ってもらえないという心配…」)、その「微妙な間合いをとるのに役立ったのが憲法9条」だった、と書いているが、世界情勢が変化し、九条護持を唱え続けることができなくなっていること、「自国を自国で守ろうとする日本の意志がなければアメリカも見放す時が来ている」ことが、「全くわっかっていない」(p.40)。
 上の二つの朝日新聞の社説批判は要するに、米国の対日姿勢が変わりうる(既に変わっているかもしれない)という現実、従ってまた憲法九条の持ちうる意味も変わらざるをえないという「現実」をまるで認識していない、ということに(たぶん)尽きるだろう。
 朝日新聞批判の中で述べられているが、西尾氏自身の言葉としての、3.米国はしばしば歴史上のミスをしてきたが、「例えば、日本を敵に回して中国の共産化を招いたというのは、おそらく歴史的にアメリカが犯した最大の判断ミスでしょう」(p.41)。
 この後で西尾は、ビンラディン登場により米国は「中国という悪魔」と手を結ぼうとしているし、「金正日という小悪魔とさえ、手を組まざるを得ない醜態」見せている、と記す。
 このあたりは私の知識の及ぶところではないが、石原とも共通して、米国が日本を無視又は軽視して中国(・北朝鮮)を重視する(=と友好的になる)ことを懸念し、かつ批判している、と言える。
 やや離れるが、歴史的にみて、日本軍が大陸にいるときに完全に中国側に立ったことは米国の判断ミスだった、と思われる。ルーズベルトの周辺にはマルクス主義シンパがかなりいて、どの政策が「ソ連」の利益かで判断していた可能性が高いが(ゾルゲ・尾崎秀実もそうだった)、中国が「共産」化する可能性の程度を米国は予測し誤ったのだと思われる。それは、二次大戦終了後も続いた。1949年に中国が中国共産党支配の「中華人民共和国」になることを予測できていれば、日本国憲法九条の内容は現在のそれとは違っていた筈だ。
 現憲法九条は戦後の一時期のロマンティックな平和幻想の所産で、冷戦開始(=米ソの対立。1949年の東西ドイツ別々の建国、「中共」成立、朝鮮戦争勃発で完全に明確になった)後にすみやかに、「現実」には不適合の条項になっていた、あっという間に「賞味期限」を過ぎた、のだ。そこで、憲法改正(九条改定)が無理ならばと登場してきたのが、「戦力」ではないとされる、警察予備隊→保安隊→自衛隊だったわけだ。
 上のように振り返れば、現在の憲法九条に関する国論の「分裂」は、「一時期のロマンティックな平和幻想」に陥り、また日本の将来の「軍事大国化」を怖れたがゆえに九条を日本に事実上は「押し付けた」(私は幣原発案説は無理だと考えている)、GHQ・マッカーサーに、そもそもの責任がある、とも言える。
 そのような米国だから、日本に十分な連絡なく突如として米中(大陸の中国)国交を回復したことがあったように、米国の利益に関する判断で今後も動くだろうことは明らかで、米国を中国ではなく日本に引きつけるとともに、米国の判断からの自律性を徐々に身につけることもまた、今後の日本にとっては重要だろう。
 と言って、<親米保守>と<反米保守>(小林よしのりは後者だろう)のいずれかの立場に立っているわけではない。私にはよく分からないことは沢山ある。
 中途だが、西尾の論稿にはまた別の機会にも触れることとして、同じ月刊WiLL7月号には水島総「無惨なり、三大新聞論説委員長!!」もあり、5/06のサンプロの読売・毎日・朝日の論説委員長(論説主幹)の揃い組みをリアルタイムで(保存だったか?)観ていただけに、興味深かった。
 水島総によると、そもそも新聞の論説委員長がテレビ番組で顔を出すこと自体が失敗だった。「みっともない姿をさら」して、「あのおっさん」がこの社説を書いているとのイメージを与えた悪影響は大きい、という。そうかもしれない。
 私の記憶と印象では、朝日新聞の若宮啓文が最も緊張しており、落ち着きがなかった(自社系のテレビ局だったのに、と言いたいが、まぁ無関係だろう)。
 このときの若宮啓文発言についてはすでに批判した。毎日の論説委員長が<論憲>とだけ言い、その具体的内容については<これから考えます>と悪びれることもなく<微笑をたたえて>答えていたことに呆れた記憶もある。
 もう忘れていたが、水島総によると、朝日・若宮啓文氏は、次のような醜態をさらけ出したらしい。
 司会・田原総一朗が「湾岸戦争と同じ状況」になれば「朝日新聞は、今度は国連が正式決議すれば、自衛隊参加に賛成するんですね」と質問したところ、朝日・若宮啓文は、「かなり慌てた表情で、言いよどみ、それは、そのとき、その場で、よく状況を考えていくということで…と、あいまいな答え」しか出来なかった。
 水島は「笑ってしまった」と書き、毎日新聞の出演者とともに「その時に対応を考えます」では「常識で考えても、世間一般では、とても通用しない理屈である」、と批判している(p.138-9)。
 以上、日米関係(中国問題が絡む)と朝日新聞批判がいちおうのテーマの、冗文になった。

0111/朝日新聞は拉致問題を慰安婦問題でチャラにする。

 朝日新聞3/28付夕刊の「ニッポン人脈記」連載・安倍政権の空気16の大きな見出しの一つは「少女に甘言「拉致と同じ」」だ。
 本文では、吉見義明(中央大学教授)が、<拉致被害者も…「甘言」にだまされ、連れ去られた例がある。朝鮮人の少女が業者から…と戦地の軍慰安所に送られたのもまた、「甘言」による「拉致」ではないか>、「安倍さんが拉致問題に熱心に取り組むのは正当だけれど、従軍慰安婦にも同じ態度で臨まないと国際的に理解されないんじゃないか」、と述べている。むろん、朝日新聞の見解とも共通するものと考えられ、この記事の全体は早野透が書いている。
 以上のような考え方が、北朝鮮当局の主張をサポートするものであり、拉致被害家族会の人びとの神経を逆なでするものであることは、論を俟たない。
 なぜこの問題をとり上げたかというと、サピオ5/09号(小学館)で井沢元彦がこの記事を紹介しつつ批判・反論し(上の叙述は主としてこれによる、p.35以下)、月刊WiLL6月号(ワック)でも山際澄夫が「朝日新聞こそ「従軍慰安婦」捏造を批判せよ」の中でやはりこの記事を取り上げて批判・反論しているからだ(p.80以下)。
 二つの雑誌(他の雑誌にもあったかもしれない)で二人の論客が共通に同様の批判を加えているのだから、よほど目立った「朝日らしい」ヒドい記事だった、と言える。
 批判・反論の詳細を繰り返さないが、国家によるテロと言える現在も続いている拉致と、上の文章でも「業者」の「甘言」によるとされている過去の慰安婦「連行」とを<同じ犯罪だ>とし、そして最後には安倍首相批判につなげる手口は、さすがに朝日新聞だ。2007年3/28(夕刊)は、朝日の「恥辱と愚劣の歴史」に項目を一つ加えることになったに違いない。
 なお、 金正日が拉致の事実を認めたあとの、社民党・辻元清美の言葉はこうだった。
 「9人や10人の拉致がナンボのもんじゃい。日本は北朝鮮に仰山迷惑かけた。それを謝罪も補償もようせんと、返せ返せというのはフェアじない」(月刊WiLL4月号で堤堯氏が「」付きで紹介していた)。

0096/渡部昇一は日本国憲法改正に反対している!

 渡部昇一(1930-)という人は不思議な人だ。つい前回、2001年の本では、日本国憲法の三大原則を守ってより良くする改正を、と発言していた、と書いた。
 月刊WiLL(ワック)の2007年6月号の彼の戦後史連載講座5回目は日本国憲法を扱っているが、そのタイトルは「新憲法は「占領政策基本法」だ」で、次のように書く(p.239)。
 「日本国憲法は条約憲法で、ふつうの憲法ではない…。正確に言えば、占領政策基本法でしょう」。/「日本政府は独立回復時に日本国憲法を失効とし、…ふつうの憲法の制定か、明治憲法の改正をしなければならなかった。日本国憲法をずるずると崇め、またそれを改正していくということをすべきではないのです」。
 渡部氏は最近、南出喜久治という人との共著・日本国憲法無効論(ビジネス社、2007.04)を刊行している(私は未読)。この南出の影響を受けたのか、上で語られているのは、明らかに日本国憲法改正反対論だ。十分に丁寧には説明していないが、有効な憲法ではなく占領政策基本法にすぎないのだから、それを改正しても憲法改正にはならない、「日本国憲法」が有効な憲法とのウソを更に上塗りすることになる、という趣旨だろう。
 渡部昇一という人は「保守派」の著名な論客だが、対談する、又は一緒に仕事をする人の考え方の影響を受けやすいのだろうか。今頃は改憲の主張を頻繁にしている方がむしろ自然に思えるのに、何と、日本国憲法無効論の影響をうけて(であろう)、2001年の本とは逆に、改憲に反対しているのだ。2001年の本以外にも彼は、現憲法9条2項の改正を主張する等の論稿・発言をこれまで頻繁に公にしてきたのではなかったのか。
 考え方が変わる、ということはありうる。だが、70歳を過ぎて基本的な問題に関する考えを変えるとは珍しい。また、改憲に反対とは、そのかぎりで、渡部昇一という人は大江健三郎や佐高信と同意見であることを意味する。客観的には、大江や佐高、そして朝日新聞等々を喜ばせる主張を、彼は月刊WiLL誌上で行っているのだ。
 西尾幹二等と比べれば、軽い(噛みごたえの少ない)文章を書く人という印象はあったが、渡部はもはや、かなりの程度、信用できない人のグループに入りそうだ。
 ところで、渡部は、「すべての根元はこの〔八月革命説を唱えた〕宮沢俊義東大名誉教授とその門下生です。病的な平和論者に芦部信喜東京大学教授、樋口陽一名誉教授がいます」と書き、「百地章さんや西修さん」は「まっとうな憲法学者」だとする(p.243、p.244)。
 渡部がじっくりと各氏の(論文は勿論)教科書類を読んだとは思えないのだが、とくに前半は、はたして、どなたから得た情報又は知識だろうか(なお、上半分のうち、宮沢、芦部両氏は故人の筈で、肩書きに一貫性がない。これは、潮匡人・憲法九条は諸悪の根源p.252-3を参照したからではないか、と推測する)。

0047/講談社-週刊現代・月刊現代-はどこかおかしくないか。花田紀凱コラム。

 イザの電子版上には出ていないようなのだが、産経4/07のたぶん1週に一度の連載、「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」で扱っている三点のうち二点めが興味を惹いた。
 花田紀凱(-かずよし、とは初めて憶えた)はこう書く。-<『週刊現代』(4月14日号)のトップ記事、「『危険な総理』の大暴言を柳基洪韓国国会議員が怒りの告発、『安倍晋三首相は国会議員100人を前に韓国をキーセン国家と言い放った』」には大いに異議がある。/冒頭に安倍総理のその発言が掲載されているが、どう読んでも至極まとも。しかも「キーセン国家」という表現は使っていないし、発言自体10年前の勉強会のもの。あえて今、この発言をことごとしく取り上げ、<暴言総理は、さっさと退陣してもらうのが日本のためだ>などと安倍総理を非難する理由がない。/韓国国会議員の告発というが、誰がこの発言を件の韓国議員に教えたのか。『現代』、朝日の手法をまねしたのでなければいいのだが。

 
週刊現代4/14号を読んではいないが、おそらく月刊WiLL編集長の花田紀凱の指摘は適切だ。
 週刊ポスト(小学館)に対して、週刊現代は以前からずっと反政府のスタンスをとり続けているようだ。安倍内閣が新発足する頃には、月刊現代に「安倍内閣倒閣宣言」とやらの論稿(題は正確には確認していない)を立花隆に書かせていた。出版元の大講談社は、小学館や文藝春秋等々との関係で自らを差別化するために敢えて「反政府」よりの姿勢を社全体の編集方針として採用しているのだろうか。
 いろいろな立場・意見があるのは結構なことだが、上のような「商売」のための社の方針決定だと、いずれは読者から捨てられるだろう。また、上に花田が指摘しているように、10年前の発言(それも正確ではなさそうだ)を持ち出して安倍首相の退陣を主張するとは、また韓国議員の告発の形をとっているとは、「朝日の手法」に似ていて、マスコミとして恥ずかしいことだと思っていただく必要がある。

0024/歴史の国際的捏造、日本国家に対する最大級の侮辱、朝日新聞・中国共産党の高笑いを許すな。

 在米日本大使館の北野充広報担当駐米公使は、(1)旧日本軍の関与の下で女性の名誉と尊厳を傷つけたと認める、(2)同問題でおわびと反省を表明した河野談話を継承する、安倍晋三首相もこの方針を維持する、と説明して、慰安婦問題と北朝鮮の日本人拉致問題を同一次元で論じているとして日本非難の社説を掲載した米ワシントン・ポスト紙に反論したという。
 馬鹿なことをしている。前々から感じていたことだが、安倍首相の意向と、<とにかくとりあえず穏便に>という(いつもながらの?)日本外務省の方針とは食い違っているのではないか。すでに十分に謝罪しているから決議しないでくれというのは、愚の骨頂だ。情けなくなる。
 朝日新聞は、3/27星浩コラム等々、慰安婦「問題」の経緯も争点も、そして米国下院の決議案に賛成か反対かも曖昧にしている。おそらくは決議案採択をきっと朝日は歓迎するつもりなのだろう。その点、読売新聞は、同日3/27朝刊に「基礎からわかる「慰安婦問題」」とのほぼ一つの面を使った適切な解説記事を載せており、朝日と比べて圧倒的に誠実であり、姿勢が明瞭だ。
 あらためて上の読売の記事中の米下院決議案の外務省仮訳を見ると、責任を公式に認めて謝罪せよと要求したあと、「日本国政府による強制的売春である「慰安婦」制度は、その残忍さと規模において、輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴力が含まれるかつて例のないもので…20世紀最大の人身売買事業の一つであった」と述べ、「(日本国政府)が日本帝国軍隊による「慰安婦」の性的奴隷化や人身売買は決してなかったとのいかなる主張に対しても明確かつ公に反論すべきであることを決議する」と結んでいる。
 米国下院は、そしてアメリカ人は、こんな下品な言葉が出てくる決議を公式にしようとしているのか侮蔑したい気分にもなるし、月刊WiLL5月号の堤堯・久保紘之対談の一部のように、かつての米軍兵士は戦地や占領下日本で「特殊慰安施設」に「関与」しなかったのか、と糾したくもなる。
 だが、問題は、この案の背後にいる主として反日中国系団体・中国政府(中国共産党)による歴史の偽造を、日本人が、日本政府が黙視してよいか否かだ。中国が仕掛けている「情報戦争」、「国際世論誘導戦争」の一環と見なしておく必要がある。
 繰り返す必要はないだろうが、私自身の言葉で書いておくと、上の決議内容は、事実ではない。日本国政府はを「人身売買事業」をしていない。「日本帝国軍隊による「慰安婦」の性的奴隷化や人身売買」もなかった。
 よくありそうな誤解は、軍が慰安所や慰安婦募集事業者に何らかの形で「関与」したことをもって、軍又は政府の「関与」を肯定し、やはり悪いことをしたのではないか、というものだ。例えば「inkyoさん」は3/27に次のように書く。
http://inkyo.iza.ne.jp/blog/entry/140920/
 「安倍さんは、《「心の傷を負い、大変な苦労をされた方々に心からおわびを申し上げている」》と詫びながら、軍の関与を否定している。当時の政府が慰安所の設置や募集に関し一切関与していないのであれば、狭義の関与は否定できるかもしれないが、軍人の規律を守り防諜防止等の観点から、日本政府が慰安所の設置等に関与しているのであれば、広義・狭義の理屈は理解されない。それより、慰安所を設置しないと軍の規律が守れないとするなら、日本人としてその方が恥ずかしい。たとえ、戦時下で異常な心理状態になるとしても。
 私もまた、「当時の政府が慰安所の設置や募集に関し一切関与していない」とは思わない。また、「慰安所の設置等に関与している」こともあっただろうと思う。慰安所の存在を当然に知っていただろうし、衛生面での配慮等々もしただろう。慰安所経営者に対して注意・警告又は場合によっては要望をしたこともあっただろう。
 だが問題は、上のような事実の存否及び当否にあるのではない。上のような「関与」と決議案にいう「人身売買事業」あるいは慰安婦の「強制連行」とは全く別のものだ。問題は、日本政府又は軍が、慰安婦にすべく女性を「強制連行」したのかどうか、そうした意味での「強制」的契機を含む「人身売買事業」をしたのか否か、なのだ。通常の理解力があれば、「広義・狭義の理屈」は分かるはずなのであり、これをおそらく意識的に曖昧にしているのが朝日新聞であり、広義のものがあれば狭義のものもあったに違いないとの(じつは根拠のない)前提で書かれているのが米国下院決議案だ。
 「inkyoさん」は「慰安所を設置しないと軍の規律が守れないとするなら、日本人としてその方が恥ずかしい」と書くが、慰安所・慰安婦の存在自体が「悪い」ことだったかどうかは、戦地という場所的特性や「公娼制度」が存在した時代だったこともふまえて、別に議論すべきものだ。この点につき詳しいのは、秦郁彦・慰安婦と戦場の性(新潮選書、1999)だろう。「inkyoさん」は何歳の方か知らないが、こうした本を読んで「勉強」してみたらどうか。
 同じ読売3/27によると、下村官房副長官が「強制連行について軍の関与はなかった」と述べたことに対して、民主党の鳩山由紀夫は「歴史をもっと勉強してほしい」等と述べて批判した、という。「歴史をもっと勉強」する必要があるのは、鳩山由紀夫自身だ。民主党の中にも、松原仁(いまは無所属だが、西村真悟)等、歴史が分かっている議員もいるだろう。思わぬ形で、鳩山由紀夫の無知さ・不勉強ぶりを知った。

0018/一審-土肥章大、田中寿生、古市文孝、二審-石川善則、井上繁規、河野泰義。

 百人斬り虚偽報道謝罪広告請求事件で最高裁でも原告敗訴だったことはネット情報で知ったが、月刊WiLL3月号でも稲田朋美自民党議員・弁護士がこれに触れている。たしかに高裁判決が「本件日日記事…の内容を信じることはできない…、…戦闘戦果は甚だ疑わしいものと考えるのが合理的」と述べつつ、「全くの虚偽であると認めることはできない」と結論づけるのは矛盾しているように見える。だが同氏も言うように、裁判所は、「全くの虚偽」と心証形成させるだけの厳しい立証を原告に課したのだろう。
 ネット上で一審・二審判決の全文が読めるが、先月に、煩わしくも理解しようと努めてみた。問題は「次の諸点に照らせば」と判決が言う「次の諸点」で、その中には「少なくとも、両少尉が、浅海記者ら新聞記者に話をしたことが契機となり、「百人斬り競争」の記事が作成されたことが認められる」、「少なくとも野田少尉は、本件日日記事の報道後、「百人斬り競争」を認める旨の発言を行っていたことが窺われる」などがある。
 これらを一読して感じたのは、一審・二審の裁判官は、「時代の空気」の差異を知らず、現在と当時の「歴史的状況の違い」を無視しているのでないか、ということだ。日日(現在の毎日)の他に朝日も、当時は戦意高揚の記事を書き、戦争を煽っていた。そのような雰囲気の中で両少尉が当時ならば自らを「軟弱兵」視させるような「真実」を当時に語れるだろうか。
 一審の裁判官は土肥章大、田中寿生、古市文孝、二審のそれは石川善則、井上繁規、河野泰義で、各々最初に記載の者が裁判長だ。関心をもつのは、この6名は何新聞を購読し、あの戦争に関する知識がどの程度あり、いかなる「歴史認識」をもっているか、だ。本多勝一・朝日と同じ<日本は悪いことをした>史観なら、こうした判決にもなるだろう。法律的議論を超えているつもりはない。心証形成の自由の中で微妙にであれ「歴史認識」が影響を与えなかったのか、という疑問が生じるのだ。
 周知のとおり、「百人斬り競争」の咎で向井敏明・野田毅両少尉(当時)はB・C級戦犯として南京郊外でまともな裁判もなく処刑死した。東京日日(現毎日)の報道記事が殆ど唯一の証拠だった。処刑直前の、無実を訴えつつ死の覚悟・肉親との別れれの言葉を綴る獄中日誌を読むと、遺族ならずとも表現し難い怒りの如き感情が湧いてくる。この件は東京裁判等とともに一般には忘れられていたが、これを掘り起こし死者に鞭打ったのが、朝日の本多勝一だった。彼は1971年の中国の旅(朝日文庫、現在でも売っている)で、当地の中国人の「証言」をそのまま書き写した。日本刀での「百人斬り競争」の不可能を山本七平氏が私の中の日本軍(のち文春文庫化)で書いたり、本多の本は「南京大虐殺」に触れるものであったため、鈴木明氏の「まぼろし」とする本も出たりした(現在、ワック文庫化)が、本多の本により苦痛と悲しみをさらに受けたのは向井・野田両氏の遺族だった。両氏の大きな写真が現在、南京の抗日(南京大虐殺)記念館に貼られているという。
 「百人斬り謝罪請求」訴訟の一審・二審判決は本多の書いたことが真実だと認定したわけでは全くない。ただ、例えば「真偽は定かでないというほかないが、これを直ちに虚偽であるとする客観的資料は存しない」と言うにすぎない。朝日の組織とその「権威」に屈したわけではないだろうが、判決は「全くの虚偽」とまでは認定しなかったわけだ。とすると、ただちには「全くの虚偽」と見抜かれない文書や証人を意識的に「でっちあげて」おけば、訴訟と学問的歴史研究は同一でないとは思うが、人の名誉毀損も歴史の改竄も「完全な反証」のできないかぎり可能となる。それでいいのか、大いに疑問だ。

-0023/上野千鶴子にとって日本社会は居心地がいいはず。

 26日付朝日の続き。保阪正康は「無機質なファシズム体制」が今年8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」との情緒的表現で終えているが、「無機質なファシズム体制」の説明はまるでない。解らない読者は放っておけというつもりか。編集者もこの部分を「…を憂う」と見出しに使っている。執筆者・編集者ともに、良くない方向に日本は向かってる(私たちは懸命に警告しているのに)旨をサブリミナル効果的に伝えたいのか? 訳のわからぬ概念を使うな。使うなら少しくらい説明したまえ。
 今年のいつか、喫茶店で朝日新聞をめくりながら今日は何もないなと思っていたら、後半にちゃんと?大江健三郎登場の記事があったことがあった。26日付も期待に背かない。別冊e5面の「虫食い川柳」なるクイズの一つは、「産んだ子に〇紙来ないならば産む」(〇を答えさせる)。
 月刊WiLL10月号で勝谷誠彦が朝日新聞の投書欄に言及し、同様の傾向は一般の歌壇にもあるらしいが、「築地をどり」の所作は周到にクイズにも目配りしているのだ。
 小浜逸郎・ニッポン思想の首領たち(1994、宝島社)の上野千鶴子の部分を読了。小浜の別の複数の本も含めて、関心の乏しかったフェミニズムに関する知見が増えた。
 詳しく感想を述べないが、一つは上野の唯一?の、小浜が酷評する理論書(1990)でマルクスが使われていることが印象的だ。マルクス主義(この欄ではコミュニズムとも言っている)やその概念等の悪弊が上野そしてたぶんフェミニズム全般に及んでいる。今日ではマルクス主義は学問的にもほぼ無効に近いことを悟るべきだ。
 1990年本の執筆時点ではまだソ連もチェコスロバキアもあったのかもしれないが。
 二つは戦後のいわば男女平等教育の影響だ。小浜は触れていないが、男らしさ・女らしさや男女の違いに触れない公教育の結果として、社会に出る段階で(又は大学院で)「女だから差別されている」と初めて感じる優秀な女子学生が生じることはよく分かる。
 フェミニズムなるものも「戦後民主主義」教育の不可避の所産でないか。一般人の支持は少ないだろうが、現実政治・行政への影響は残存していそうなので注意要。フェミニストたちには尋ねてみたい。「搾取」・「抑圧」をなくし人間を「解放」しようとしているはずの中国・ベトナムで(又は旧ソ連等で)女性は「解放」へ近づいている(いた)のか、と。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2302/加地伸行・妄言録−月刊WiLL2016年6月号(再掲)。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー