秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

月刊世界

1138/月刊正論(産経、桑原聡編集長)の編集方針は適切なのか?①

 〇「Weekly 雑誌ニュース」というサイトによると、各雑誌の月間発行部数は、文藝春秋約60万、潮約40万、WEDGE-約16万、サピオ約12万、月刊WiLL-11万、エコノミスト8万、月刊ボイス-約3万、らしい。
 月刊正論、新潮45、世界等については「調査中」とある。
 但し、この欄で既述のように、雑誌・撃論3号(2011.11)の編集部による文章によると、<月刊WiLLの販売部数は月平均約10万部、産経新聞社の月刊正論は実売2万部以下>らしい。
 月刊WiLLについての上の両者の数字が11万・10万とほぼ同数であることからすると、月刊正論についての数字も、信頼してよさそうに見える。
 歴史があり、新聞社に支えられている(はずの)月刊正論(産経)よりも、後発の、同じく一般には
<保守>派とされていると思われる月刊WiLL(ワック)や月刊ボイス(PHP)の方が、よく売れているわけだ。
 とくに、月刊正論は月刊WiLLの5ないし6分の1程度しか読まれていない(売れていない)、ということは興味深い。
 以上のことは、以下に述べることと直接の関係はない。但し、現在の編集方針だと(つまりは現在の編集長・編集部員だと)、販売部数は増えそうにない、という気はする。
 〇月刊正論やその個々の論考については言及したいことは多い。さしあたり、月刊正論全体ないしその編集方針について、まず、いくつかをごく簡単にコメントする。
 ①「近いうち」の衆議院解散・総選挙という時期なので、あるいはずっと前から今年(2012年中)の解散・総選挙の可能性は高いと言われてきたので、政治・社会系総合雑誌がすべきことは、私見では、<(2009年誕生の)民主党政権とは何であったか・民主党政権はいったい何をしてきたか>という総括だろう。
 これが月刊正論にはほとんど見られないようだ。少なくとも「特集」は組まれていない。
 この点では、月刊文藝春秋8月号が「政権交代は何をもたらしたのか―民主解体『失敗の本質』」という特集を組んでいることの方が(p.116-)が、決して「保守派」雑誌でないにせよ、時代的・時期的センスが(月刊正論編集部よりも)優っている。

 また、月刊WiLL9月号は「総力大特集/醜悪なり民主政権」と銘打つ特集を組んで、4本以上の論考を載せている。山際澄夫「朝日新聞は土下座して読者に詫びよ」(p.84-)などは、反民主党、反朝日新聞の読者を少しは痛快な気分にさせるだろう。
 ②朝日新聞や岩波・雑誌「世界」らは、2009年の民主党政権樹立へとムード・空気を煽ってきた。2009年の投票日に並んでいた月刊世界の表紙のタイトルは「政権選択選挙へ」だったと記憶する。さすがに「政権交代選挙へ」とは打てなかったのだろう。だが、総選挙とはつねに「政権選択選挙」たる性格をもつことからすると、月刊世界のタイトルの含意は明瞭だった。
 政権交代を朝日新聞等は「歴史的」と表現して歓迎した。自分たちの世論誘導は見事に効を奏したのだった。
 従って成立した民主党政権を罵倒するはずはないのだが、残念ながら民主党内閣の「失点」は相次ぎ、叱咤激励はするものの、政権交代の現実的なプラスの成果を、朝日新聞らは提示できなかった、と思われる。
 だが、朝日新聞らが意図したことは、<民主党政権は批判されるべきだが、自民党政権に戻してもダメだ>という世論形成だった。民主党がダメだとしても、自民党が良いわけではない、というのが彼らの<矜持>あるいは<面子>からする主張だった、と思われる。そして、これまた、そのような世論形成は、相当に成功したように見える。
 「保守派」のはずの月刊正論(産経)も、そのような雰囲気に対抗することはせず、むしろ、その編集長は、2011年4月号に、次のように書いていた。あの3.11の起こった時点の、編集長・桑原聡の文章だ。 
 「…民主党内閣が、憲政史上最低最悪の内閣であることは多くの国民が感じているところだろうが、かりに解散総選挙が行われ、自民党が政権を奪回したとしても、賞味期限の過ぎたこの政党にも、わが国を元気にする知恵も力もないように思える」(p.326)。
 解散・総選挙の現実的可能性が高まった現在でも、桑原聡はこう考えているのだろうか。このような見解は、<民主党はもちろん、自民党にも投票するな>と言っているに等しい。
 どちらがよりマシか、どちらがより「保守的」か、どちらが現憲法改正草案を持っているか(九条2項削除を明確な方針としているか)、どちらに靖国神社参拝をする議員が多いか、などを考えれば、編集長・桑原聡の上の文章は、ほとんど、朝日新聞らの「左翼」と同じだ。
 自民党よりも「保守的」な有力政党の結成・誕生を見ていない現在では、多少は異なる見解に至っていることを期待したい。だが、月刊正論の(2012年)8月号は、<自民党批判>の特集を組んでいる。解散・総選挙が近づいていることは客観的に明瞭だった時期に、月刊正論は、<民主党政権の総括的批判>ではなく<自民党批判>の特集を打ったのだ。
 この雑誌は、あるいはこの雑誌の編集長、その編集方針は、やはりどこかおかしい。とても<保守派>の雑誌とは思えない。
 ③今年2012年は、日本共産党創立90周年の年だ。産経新聞でもまともにこれを採り上げた記事は少なかった(あっても大きな紙面を用いたものではなかった)が、きちんと日本の「共産主義」政党の過去と現在を分析し、批判的に総括しておくことは、新聞ではなくむしろ「保守派」雑誌の役割だっただろう。
 しかるに、月刊正論は、これを怠っている、と見られる。月刊正論(編集部)は、いったい何と闘っているのか? いったい日本をどうしたいのか?
 編集長・桑原聡が早々に(今年初めの時点で)、橋下徹を「きわめて危険な政治家」、日本「解体」を意図している、と論定してしまったように、まるで政治的センスに乏しく、<いったい日本をどうしたいのか>について多少とも錯乱しているのではないだろうか?
 憲法改正は重要なテーマだが、この問題についての(大きな論点ごとでもよいが)特集は組まれていない。
 従来の、「固い」読者層を掴んでいれば大丈夫だという感覚なのだろうか。そのような感覚では、国民・有権者の過半数の支持が必要な憲法改正のために情報発信するメディアの中の中心に位置することはとてもできないだろう。
 以上のほか、9月号をごく最近に見ていて、月刊正論の「編集方針」に、あるいは編集部自身の文章に、<戦慄すべき>怖ろしさを感じた。
 長くなったので、次回に譲る。 
 

1130/適菜収・世界(岩波)・月刊正論(産経)と変説?した川瀬弘至。

 〇月刊正論5月号(産経、2012.04)の適菜収論考は「理念なきB層政治家」を副題として橋下徹を批判・罵倒している。
 冒頭の一文は、「橋下徹大阪市長は文明社会の敵です」。この一文だけで改行させて次の段落に移り、「アナーキスト」、「国家解体」論者、「天性のデマゴーグ」等々と、十分な理由づけ・論拠を示さないままで<レッテル貼り(ラベリング)>をしていることはすでに触れた。
 この論考では「B層」という概念が重要な役割を果たしているはずだが、これの意味について必ずしも明確で詳細な説明はない。いくつか「B層」概念の使い方を拾ってみると―。
 ・「B層」=「近代的理念を妄信する馬鹿」(p.51)。
 ・橋下徹は「天性のデマゴーグ」なので「B層の感情を動かす手法をよく知っている」(p.52)。
 ・橋下徹の「底の浅さ」は「B層の『連想の質』を計算した上で演出されている」(p.53)。
 ・橋下徹・維新の会をめぐる言説は「B層、不注意な人、未熟な人の間で現在拡大再生産されている」(p.53)。
 ・「B層は歴史から切り離されているので、同じような詐欺に何度でも引っかかります」(p.54)。
 ・「マスメディアがデマゴーグを生みだし、行列があればとりあえず並びたくなるB層…」(p.54)。
 ・「小泉郵政選挙に熱狂し、騙されたと憤慨して民主党に投票し、再び騙されたと喚きながら、橋下のケツを追いかけているのがB層です」(p.55)。
 このくらいだが、要するに適菜のいう「B層」とは<馬鹿な大衆>を意味していると理解して、ほとんど間違っていないだろう。
 産経新聞5/04の「賢者〔何と!―秋月〕に学ぶ」欄でも適菜収は、「B層」とは、「マスメディアに踊らされやすい知的弱者」、ひいては「近代的諸価値を妄信する層」を指す、と明確に述べている。「知的弱者」、つまりは「馬鹿」のことなのだ。
 またニーチェのいう「畜群人間」はまさに「B層」だとし、この「B層」人間は「真っ当な価値判断ができない人々」で、「圧倒的な自信の下、自分たちの浅薄な価値観を社会に押し付けようとする。そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人であることに誇りをもつ」、そして、「プロの領域、職人の領域」を浸食し、「素人が社会を導こうと決心する」、「これこそがニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的な姿だ」、とも書いている。
 適菜において「B層」とは「知的弱者」=「馬鹿」で、「畜群」と同義語なのだ。
 そして、こうした「B層」を騙し、かつこうした「B層」に支持されているのが橋下徹だ、というのが、適菜の主張・見解の基調だ。前回に少し述べたが、決して、「伝統」か「理性」かを対置させて後者の側(「理性の暴走」)に橋下を置いているのではない。
 さて、月刊世界7月号(岩波)は「橋下維新―自治なき『改革』の内実」という特集を組んでいるが、その中の松谷満「誰が橋下を支持しているのか」(p.103-)は興味深い。
 松谷は、多段無作為抽出にもとづく有効回答数772のデータを基礎にして、次のように述べている(逐一のデータ紹介は省略する)。
 ①一部の論者が「社会経済的に不安定な人びと」が橋下を支持している、「弱い立場にいる人びと」が「その不安や不満の解消を図るべくポピュリズムを支えている」という<弱者仮説>を提示しているが、「少なくとも調査結果をみる限り、妥当性は低い」。
 ②橋下徹に対する支持は「若年層」で高いというわけではなく、「強い支持」は「六〇代がもっとも多い」。
 ③六〇才以下の男性について雇用形態・職業から5つに分類すると、「管理者職層、正規雇用者で支持率が高く、自営層、非正規雇用、無職層」で支持率が低い。
 ④自身の「階層的位置づけ」意識との関係では、「上・中上」、「中下」、「下」の順で「強い支持」が高い=前者ほど<強く支持>している。(以上、p.106)
 これらにより松谷は、「マスコミや知識人の『空論』は、ポピュリズムを支持する安定的な社会層を不問に付し、その責任を『弱者』に押しつけているのではないか」と問題提起している(p.107)。
 その他、次のような結果も示している。
 ⑤「高い地位や高い収入を重視する者のほうが、それらを重視しない者に比べて、橋下を支持している」(p.109)。
 適菜収のいう「知的弱者」と松谷のいう「弱者」は同じではないし、無作為抽出とはいえ772の母数でいかほどの厳密な結論が導出できるのかはよく分からないが、それにしても、上のとくに③・④・⑤あたりは、橋下徹は(先に述べたような意味での)「B層」を騙し、かつ「B層」に支持されているとの、「仮説」とも「推測」とも断っていない適菜収の「決め付け」的断定が、松谷のいう「知識人の空論」である可能性を強くするものだ、と考えられる。そのような意味で、興味深い。
 隔週刊サピオ5/09・16号の中の小林よしのり・中野剛志の対談とともに、月刊正論の適菜収論考は、橋下徹に対する悪罵・罵倒の投げつけにおいて、最悪・最低の橋下徹分析だったと思われる(立ち入らないが、小林よしのりは研究者ではないからある程度はやむをえないとしても、中野剛志の、学者とは思えない断定ぶり・決めつけ方には唖然とするものがあった―下に言及の新保祐司の発言も同様―。橋下徹がツイッターで中野剛志に対して激しく反応したのも―ある程度は―理解できる)。
 この機会に記しておけば、佐藤優はいろいろな媒体で橋下徹に対する見解・感想等々をたくさん書いていて、批判的・辛口と見えるものもあるが、週刊文春5/17号の特集「橋下徹総理を支持しますか?」の中の、つぎの文章は、多数の論者の文章の中で、私には最もしっくりくるものだった。
 「国政への影響を強める過程で……外交、安全保障政策について勉強する。その過程で…確実に国際水準で政治ゲームを行うことができる政治家に変貌する。…府知事、市長のときと本質的に異なる安定した政治家になると私は見ている。言い換えると橋下氏の変貌を支援するのが有権者の責務と思う」(p.48)。
 中西輝政とは異なり、橋下徹・維新の会の政策に「殆ど賛成」とは言い難い私も、このような姿勢・期待は持ちたいと考えている。
 〇だが、橋下徹を暖かく見守り、「変貌を支援する」どころか、早々と「きわめて危険な政治家」、橋下徹の「目的は日本そのものの解体にある」と(理由・論拠も提示することなく)断定したのが、産経新聞社発行・<保守>系と言われている月刊正論の編集長桑原聡だった。
 また、同編集部員の川瀬弘至は、上記の適菜収論考を「とってもいい論文です」と明記し、自民党の石破茂に読むことを勧めるまでした(月刊正論オフィシャルブログ4/04)。  ところが、何とその同じ川瀬弘至は、同ブログの5/29では、橋下徹の憲法関係発言を知って
、「橋下市長、お見逸れいたしました。これまで国家観がみえないだとか歴史観があやふやだとか批判してきましたが、自主憲法制定に意欲を示してくれるんなら全面的に応援しますぞ。どうか頑張っていただきたい」と書いている。
 この契機となった発言よりも前の2月中に橋下徹は現憲法九条を問題視する発言をしているし、3月には震災がれきの引きうけをしないという意識の根源には憲法九条がある旨を発言している。月刊正論4月号の編集期間中には、橋下徹は今回に近い発言をすでにしていたのだ。月刊正論5月号の山田宏論考は、橋下徹による改革の先に「憲法改正」が「はっきり見えている」と明言してもいる(p.58)。
 今頃になって、川瀬弘至は何を喚いているのだろう。それに、「全面的に応援しますぞ。どうか頑張っていただきたい」と書くのは結構だが、それが本心?だとしたら、橋下徹に対する悪罵を尽くした論考だったも言える適菜収論考を「とってもいい論文です」と評価していたことをまずは反省し、この言葉を取消し又は撤回して、読者に詫びるのが先にすべきことだと思われる。
 だが、しかし、この川瀬の言葉とは別に、月刊正論6月号(産経、2012.05.01)は、依然として、橋下徹を批判し罵倒する、遠藤浩一と「文芸評論家」新保祐司の対談を掲載している。<反橋下徹>という編集方針を月刊正論(産経)は変えていないと見られる。
 この対談、とくに遠藤浩一については書きたいこともある。同号の「編集者へ/編集者から」欄への言及も含めて、再びあと回しにしよう。

1123/君が代斉唱命令の目的についての小森陽一の文章と斉加尚代。

 〇戒告等の懲戒処分がのちに伴った国歌斉唱職務命令が教育委員会によって出されたのは東京都が最初で、昨年および今年(1月)の最高裁判決も、東京都教員を第一審原告とする、職務命令違反・懲戒処分(・再雇用拒否)にかかるものだ。
 その職務命令(通達)は2003.10.23(平成15年)に出され、後記の小森陽一の文章によると「10・23通達」と呼ばれ、翌年4月号の岩波・月刊世界は「『日の丸・君が代』戒厳令」というタイトルで特集を組んだらしい。もちろん岩波書店のことだから、反石原慎太郎・反君が代等の立場でだ。
 編集委員会編・「日の丸・君が代」処分(高文研、2004)の中で小森陽一は、職務命令そして「『日の丸・君が代』戒厳令」の目的を、つぎのように書いている。
 なお、小森陽一とは、東京大学教授だが研究者ではなく活動家・運動家・オーガナイザーとしての能力の方が上回ると思えるほどに、もちろん<九条の会>運動を含めて、しばしば岩波の本や冊子に名前を出している人物だ。
 「『日の丸・君が代』戒厳令」は公立学校を「教育の場ではなく、国民を統治・管理する、国家意思を貫徹する場」に、「軍隊と同じ、『人格』を破壊し、国策人材を作る組織」にすることを「最終的ねらい」としている。「『軍隊』の一員として、国家のために人殺しを正当化する洗脳を、子どもたちにかけるために、公立学校を軍事組織化する」ことにねらいがある。「『日の丸・君が代』戒厳令」は、東京都立学校の教職員だけではなく、「この列島に生きるすべての人々を戦時体制に組み込んでいくための攻撃」だ(p.196-7)。
 日の丸掲揚・君が代斉唱職務命令に、おどろおどろしくも、こういう意図を感じ取るのだから、その妄想的感覚は異常に発達している、と言ってよい。
 また、「左翼」教条主義者が何かにつけて繰り返すように、かつての「戦時」体制に戻そうとしているとか、新しい「戦争」を準備しているとかと、小森や上の本の中の(当時の)現役教員たちの文章は書いている。
 <反君が代(・日の丸)運動>には(むろん「反・天皇制」と結合して)このような意識・感覚があることは、知っておいてよいだろう。
 〇5/08朝の大阪市役所での<囲み取材>の場で、毎日放送の斉加尚代は「一番訊きたかったこと」だとして、「卒業式・入学式で君が代を歌うということは何の目的ですか」、「教員、先生が歌わなければいけないのはどういう理由」か、と橋下徹に尋ねている。
 こんな質問を大阪市長(大阪府君が代斉唱条例を提案したかつての大阪府知事)にするのは、それこそ「何のため」なのかと、奇妙な感じも受けた。
 橋下が実際に答えたように、国歌だから(公立学校の儀式で歌う)、という回答が返ってくることくらい通常は予測できるだろう。それを敢えて訊くのは、よほど<反・君が代>で凝り固まった「左翼」なのだろうと思ったのだが、上に紹介した小森陽一の文章を読んで、なるほどと得心するところがあった。
 斉加尚代が上の本を読んでいるという証拠はないし、読んでいないかもしれない。しかし、<反・君が代(斉唱命令)>の立場の雑誌や書物では、上の小森のような主張が繰り返し語られていると見られ、間違いなく斉加尚代はそのような主張を読み、そしてそのように理解し、賛同していると思われる。
 つまり、斉加尚代は、おそらく間違いなく、公立学校教職員への「国歌(君が代)斉唱職務命令」は、戦前と同様に天皇を称え、戦前と同様の「軍国主義」の時代にするために、子どもたちを「軍隊の一員」とし、子どもたちに「人殺しを正当化する洗脳」をかける意図をもって、発せられている、と理解しているのだと考えられる。
 たんに漠然と<分からない>から橋下に訊いているのではなく、(表現の仕方は同じではないにしても)自らは上のように明確に「理由」・「目的」を理解して(理解したつもりになって)、橋下徹が何と答えるのか、ひょっとすれば(上のようには表向きは答えられないために)答えに窮するのではないか、とでも思って、あえて(幼稚とも感じられる)質問をしたのではないだろうか。
 斉加尚代はフェミニズム・ジェンダーフリー(「男女共同参画」?)の集会に参加して放送記者の肩書きで発言したりもしているようだが、おそらく間違いなく、松井やよりと同じく、固い「左翼」信条・心情の人物のように思われる。
 「左翼」文献ばかり読んでいると、特定の<右翼・保守>以外の者は自分と同様の考え方のはずだ、自分を理解してくけるはずだ、などという、大きな勘違いをする可能性がある。
 そのように理解すれば、一人で長々と(30分程度も)質問し続けた背景も分かる。市政記者たちによる<囲み取材>の「空気」が読めていないのだ。
 そしてまた、当日の橋下徹の回答いかんにかかわらず、<反・君が代(斉唱命令)>の立場で、基本的にはそれまでに準備し予定していたとおりに、毎日放送「ヴォイス」の特集を編成し、放映した理由・背景も分かる。
 一テレビ局(しかも関西ローカルの)の放送とはいえ、数百万人は視聴していただろう。
 「君が代斉唱命令」によって最終的には公立学校を「軍事組織」化し、子どもたちを<国家のために死ぬことのできる>兵士へと育てようとしている、と考えているような「左翼」活動家がテレビ局内に番組製作担当者として(毎日放送に限らず)存在しているだろうという現実を、深刻に受けとめる必要がある。
 前後したが、斉加尚代が「子どもたち」にどう教えたら(答えたら)よいのか、という質問の仕方をしているのも、上記の小森陽一の文章を読んでみると、理由がきちんとあることが分かる。 

0755/月刊・世界6月号(岩波)の「象徴天皇制」に関する偽善。

 月刊・世界6月号(岩波)p.135の、「象徴天皇制」特集の始めの編集部の惹句は以下。
 ①「明仁天皇は即位のとき『…憲法を守り』と語った…その発言は一貫して自制的かつリベラルであり、戦後民主主義の精神に沿っているといえる」。
 はて?
 ②A「平等を旨とする民主主義制度と天皇制はもともと矛盾する側面があり」、  B「皇室の伝統や祭祀と一般の日本社会の間のズレは大きくなってきている」。
 「平等を旨とする民主主義制度と天皇制はもともと矛盾する側面があ」ることは、最初から分かっている当たり前のことではないか。今さら言うまでもない。
 「大きくなってきている」かどうかは別として、「皇室の伝統や祭祀と一般の日本社会の間」に「ズレ」があることは当たり前のことではないか。「皇室」と「一般」人は違う。今さら言うまでもない。それが「大きくなってきている」とすれば、<戦後民主主義>信奉者の岩波書店や朝日新聞等が原因ではないか。他人事のように言うな。
 ③「象徴天皇制は、定着と同時に危機に瀕しているのではないか」 。
 「象徴天皇制」が「危機に瀕」するように世論を誘導しようとしてきたのは、<戦後民主主義・平等主義>信奉者の岩波書店や朝日新聞等の「左翼」であり、天皇制度解体を究極的には狙う一団ではないか。まるで自分(雑誌・世界)とは無関係に自然にそうなったかの如き言い方をするな。
 <岐路に立つ象徴天皇制>との特集見出し自体が、世界編集部(岩波)の、「岐路に立っていてほしい(そして解体=廃絶の方に進んでほしい)」という願望・意欲を表しているだろう。

-0022/あまり楽しくない話題を旅先の朝日新聞で読んでみた。

 26日朝、ホテルで朝日新聞を買ってみると、25面に「私の8月15日」という続き物らしき保阪正康の執筆文章。
 8/15の靖国参拝者は増えたようだが物見遊山派少なくないと参拝者増の意義を薄めたのち?、小泉首相靖国参拝に「反対である」と明言し、その理由として靖国神社には「旧体制の歴史観」、超国家主義思想が温存され露出しているので参拝は「こうした歴史観を追認することになる」と言う。
 初めて保阪正康の見解を知った感じだが、この理由づけはいけない。かりに靖国神社に関する説明が正確だとしても(この点も検証が必要だが)、参拝がなぜ「こうした歴史観を追認することになる」のかの説明が欠落している。また、靖国神社が「旧体制の歴史観」を温存していなければ反対しないのか、温存していないと認めるための要件・条件は何なのかには言及がない。あるいは、神社は明治以降に軍国主義のために設立されたものだからすでに反対なのか、国家神道の大元だったから反対なのか、神道の宗教施設で憲法違反だから反対なのか、要するにどのような条件・要素がなくなれば「反対しない」のかよくわからない(この紙面かぎりだとA級戦犯合祀問題とは無関係の理由づけのようだ)。
 Web上での情報によると保阪正康は雑誌「世界」でも靖国の宮司の「特異な歴史観」を批判しているらしい。「特異」とは一概にいえないことはこの欄で既述。
 首相靖国参拝を中国政府・共産党はA級戦犯合祀後数年経ってから批判し始め、江沢民は永遠に日本政府に言い続けろ旨を同文選に書いているらしい。彼国は靖国参拝問題を国際政治・外交上の一問題化しており、かつその彼国は共産党独裁「社会主義国」だ。
 この問題はすでに国際政治・外交上の「闘い」なのであり、彼国に結果として従えば別の要求・批判が続出することは目にみえている。問題は靖国神社のもつ「歴史観」の評価よりも中国の政治的言論に屈するか否かだ。この優先順位の見方が保阪と私とでは異なる。コミュニストたちが問題に絡んでいるのであり、現実には国内の「歴史観」論争では片付けられない側面が発生しているのだ。
 結果として保阪の論は朝日と中国政府・共産党を喜ばせ、彼らに武器を与える。保阪は(ひょっとして以前からなのかもしれないが)好中派・媚中派として彼国情報部にリスト・アップされたのではないか。ついでに、読売に登場していたときは「反対」の明示はなかったのだが…。
ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
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