秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

月刊ボイス

1192/憲法改正の主張ではなく、いかにして憲法改正するかの「戦略」的主張を。

 民主党政権下の2010年11月3日、産経新聞社説は民主党は「政権与党として、憲法改正への主体的な取り組みを求めたい」等と主張した。これに対して、同11月6日付のこの欄で、「現在の民主党政権のもとで、あるいは現在の議席配分状況からして、『戦後の絶対平和主義』から脱した、自主・自立の国家を成り立たせるための憲法改正(の発議)が不可能なことは、常識的にみてほぼ明らか…」、「産経社説は、寝惚けたことを書く前に、現内閣<打倒>をこそ正面から訴えるべきだ」、と批判した。

 同様の批判を同じ欄で、産経新聞同日の田久保忠衛の「正論」に対しても行っていた。以下のとおり。
 「『憲法改正の狼煙上げる秋がきた』(タイトル)と叫ぶ?のはいいのだが、どのようにして憲法改正を実現するか、という道筋には全く言及していない。『狼煙』を上げて、そのあとどうするのか? 『憲法第9条を片手に平和を説いても日本を守れないことは護憲派にも分かっただろう』くらいのことは、誰にでも(?)書ける。
 問題は、いかにして、望ましい憲法改正を実現できる勢力をまずは国会内に作るかだ。産経新聞社説子もそうだが、そもそも両院の2/3以上の賛成がないと国民への憲法改正「発議」ができないことくらい、知っているだろう。
 いかにして2/3以上の<改憲>勢力を作るか。この問題に触れないで、ただ憲法改正を!とだけ訴えても、空しいだけだ
 国会に2/3以上の<改憲>勢力を作るためには、まずは衆議院の民主党の圧倒的多数の現況を変えること、つまりは総選挙を早急に実施して<改憲>派議員を増やすべきではないのか?
 <保守>派の議論・主張の中には、<正しいことは言いました・書きました、しかし、残念ながら現実化しませんでした>になりそうなものも少なくないような気がする。いつかも書いたように、それでは、日本共産党が各選挙後にいつも言っていることと何ら違いはないのではないか。」 以上。
 政治状況は当時とは違っているが、衆議院はともかく、参議院では憲法改正に必要な2/3の議員が存在せず、いくら憲法改正を(9条2項廃棄を)と「正しく」主張したところで、国会は憲法改正を発議できず、従って憲法改正が実現されないことは当時と基本的には変わりはない。
 また、昨年12月総選挙も今年7月参議院議員選挙も、「憲法改正」は少なくとも主要な争点にはなっていない。したがって、民主党政権下とは異なりいかに自民党等の改憲勢力がかなりの議席数を有しているとしても、議席配分または各党の議席占有率がただちに国民の憲法改正に関する意向を反映しているとは断じ難い。
 衆議院では自民党・日本維新の会の2党で2/3以上をはるかに超える、参議院では維新の会・みんなの会と民主党内「保守派」を加えて、あるいは<野党再編>によって何とか2/3超になりはしないか、と「皮算用」している者もいるかもしれないが、やや早計、早とちりだろう、と思われる。
 というのは、軍の保持を認めて自衛隊を「国防軍」にするか否か、そのための憲法改正に賛成か否かを主要な争点として選挙が行われたとした場合の議席獲得数・率が昨年の総選挙、今般の参議院選挙と同じ結果になった、という保障は何もない。有権者の関心のうち「憲法改正」は、主要な諸課題・争点の最下位近くにあったと報道されたりもしていた筈だ。
 しかし、とはいえ、憲法改正を!という主張だけでは<むなしい>ことは、少なくともそれに賛同している者たちに対する呼びかけとしてはほとんど無意味であることは明らかだ。
 上の点からして、遠藤浩一の、撃論シリ-ズ・大手メディアが報じない参議院選挙の真相(2013.08、オ-クラ出版)の中のつぎの発言は、私のかつての記述内容と同趣旨で、適確だと思われる。

 「多くの人が憲法改正(ないし自主憲法制定)の大事さを説きますが、現実の政治プロセスの中でそれを実現するにはどうすればいいのか、どうすべきかについてはあまり語りません。多数派の形成なくして戦後体制を打ち破ることはできないという冷厳なる事実を直視すること、そして現実の前で身を竦ませるのではなく、それを乗り越える戦略が必要だと思います」(p.26)。
 ここに述べられているとおり、「現実の政治プロセスの中でそれを実現するにはどうすればいいのか」についての「戦略」を語る必要がある。

 <保守>派らしいタテマエや綺麗事を語っているだけではタメだ。私はこの欄で遅くとも2020年までには、と書き、2019年の参議院選挙が重要になるかもしれないと思ったりしたのだが、それでは本来は遅すぎるのだろう。だが、しっかりと基礎を固め、朝日新聞等の影響力を削ぎ、「着々と」憲法改正実現へと向かうには、そのくらいの期間がかかりそうな気もやはりする。むろん何らかの突発的な事態の発生や周辺環境の変化によって、2016年の参議院選挙、その辺りの時期の総選挙を経て、2017年くらいには実現することがあるかもしれない。
 このように憲法改正の展望を語ることができるのは昨年末までに比べるとまだよい。民主党等が国会の多数派を形成している間は、永遠に自主憲法制定は叶わないのではないかとの悲観的・絶望的思いすらあった。「ぎりぎりのところで日本は救われた」(中西輝政「中国は『革命と戦争』の世紀に入る」月刊ボイス8月号p.81)のかもしれない。

1190/中西輝政の主張・見解は熟読されてよい。

 一 中西輝政の、自民党と日本維新の会の連携の必要を説いた文献(雑誌)は何だったかと探しているうちに、中西輝政の主張はたんなる両党の連携等というよりも、遠藤浩一の今年最初の<保守合同>論でもない、両党による<二大保守政党>成立への展望だったように思い出してきた。その場合、維新の会を自民党よりも<右>または<より保守的>と位置づけていたような気がする。
 また、同じ論文においてだったかは定かではないが、中西は、<憲法改正(とくに9条2項)を最優先し、そのためには「歴史認識」問題を犠牲にしてもよい>、というきわめて重要な(そして私は賛同する)主張・提言を行っていたことも思い出した。細部の内容に自信はないが、執筆者を間違えている筈はないと思っている。
 二 ところで、故三宅久之らが安倍晋三に対して自民党総裁選への立候補を勧めるために、そして激励するために安倍に文書を手渡しているシ-ンをテレビで何度か見たが、数少ないものの、三宅久之の隣に座っていたのは中西輝政であることが明確に分かる(視野のやや広い)撮り方をしたビデオを流していたテレビ番組もあった。
 京都大学を退職していたことと関係があるのかは知らないが、もっぱら「語る」または「書く」だけの、まだ京都大学教授である佐伯啓思と比べて(同じ研究科所属だったのに)、現実の政治へのかかわり方はずいぶんと違うものだ。
 そして、佐伯啓思よりもあるいは櫻井よしこ等よりも、政治的感覚が鋭いのは、あるいは大局的見地から適切な現実政治にかかわる戦略的思考をしているのは(そしてそれを文章化しているのは)、逐一この欄に書いてはいないが、中西輝政だろう、と判断している。
 このことを例証するためにも一で触れた内容の中西輝政論考を見つけ出さなければならず、その時点であらためて詳しく紹介しよう。以下は、探索過程でいくつかあらためて見た(すべて一度は読んだ)中西輝政の最近の論考だ。読書録のつもりで、列挙しておこう。
 A 月刊WiLL(ワック)
 ①「私が安倍総理に望むこと/『国家観の再生』を」(2013年1月号)

 ②「中国の奥の手は『敵国条項』」(2月号)

 B 歴史通(ワック)

 ③「中国という狂気」(2013年3月号)

 ④(阿比留瑠比との対談)「米中韓『歴史リンケ-ジ』の何故?」(7月号)

 C 月刊ボイス(PHP)

 ⑤「次期政権は大義の御旗を掲げよ」(2013年1月号)

 ⑥「憲法改正で歴史問題を終結させよ」(7月号)

 ⑦「中国は『革命と戦争』の世紀に入る」(8月号)

 D 月刊正論(産経新聞社)

 ⑧「現代『歴史戦争』のための安全保障」(2013年2月号)

 以上。

 産経新聞お気に入りの?櫻井よしこよりも、月刊正論で「大物扱い」の?遠藤浩一よりも(ついでに新潮45お気に入りの佐伯啓思よりも)、中西輝政諸論考の方が視野が広く、複眼的・総合的だ(かつ現実的だ)。そして上のように列挙してみると、中西は産経以外の媒体にむしろ多く執筆しているようだ。質量ともに中西に匹敵する仕事を依然として行っているのは、こちらは最近の月刊正論によく登場している(アメリカという国家の本質を探っている)西尾幹二くらいではあるまいか。

1189/櫻井よしこは民主党政権について当初は何と論評していたか。

 かつてのこの欄での記述の(各回のうちの)一部をそのまま再掲しておく。二つのいずれも、櫻井よしこに関するものだ。
 一 2010年5月14日

 「櫻井よしこは-この欄で既述だが-昨年の2009総選挙前の8/05の集会の最後に「民主党は…。国家とは何かをわきまえていません。自民党もわきまえていないが、より悪くない方を選ぶしかないのかもしれません」とだけ述べて断固として民主党(中心)政権の誕生を阻止するという気概を示さず、また、鳩山由紀夫内閣の誕生後も、「…鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする」(産経新聞10/08付)と書いていた。文字通りには「期待と懸念」を半分ずつ持っている、と言っていたのだ!。
 鳩山由紀夫の月刊ヴォイス上の論考を読んでいたこともあって、私は民主党と鳩山由紀夫に対しては微塵も<幻想>を持たなかった、と言っておいてよい。<総合的によりましな>政党を選択して投票せざるをえず、民主党(中心)政権になれば決して良くはならない、ということは明らかだったように思えた。外交・安保はともあれ<政治手法>では良い面が…と夢想した屋山太郎のような愚者もいただろうが、基本的発想において<国家>意識のない、またはより正確には<反国家>意識を持っている首相に、内政面や<政治手法>面に期待する方がどうかしている。
 しかし、櫻井よしこは月刊WiLL6月号(ワック)p.44-45でなおもこう言っている。
 「自民党はなすすべきことをなし得ずに、何十年間も過ごしてきました。その結果、国家の基本というものが虫食い状態となり、あちこちに空洞が生じています。/そこに登場した民主党でしたが、期待の裏切り方は驚くばかりです」。
 前段はとりあえず問題にしない。後段で櫻井よしこは、何と、一般<日和見>・<流動>層でマスコミに煽られて民主党に投票した者の如く、民主党・鳩山政権に「期待」をしていたことを吐露し、明らかにしているのだ!
 何とまあ「驚くばかり」だ。これが、<保守系シンクタンク>とされる「国家基本問題研究所」の理事長が発言することなのか!? そのように「期待」してしまったことについて反省・自己批判の弁はどこにもない。」

 二 2010年12月31日 

 「「左翼」政権といえば、櫻井よしこは週刊新潮12/23号(新潮社)の連載コラムの中で、「三島や福田の恐れた左翼政権はいま堂々と日本に君臨するのだ」と書いている(p.138)。
 はて、櫻井よしこはいつから現在の民主党政権を「左翼政権」と性格づけるようになったのだろうか?

 この欄で言及してきたが、①櫻井よしこは週刊ダイヤモンド11/27号で「菅政権と谷垣自民党」は「同根同類」と書いた。

 自民党ではなくとも、少なくとも「谷垣自民党」は<左翼>だと理解しているのでないと、それと「同根同類」のはずの「いま堂々と日本に君臨する」菅政権を「左翼政権」とは称せないはずだ。では、はたしていかなる意味で、「谷垣自民党」は「左翼」なのか? 櫻井よしこはきちんと説明すべきだろう。
 ②昨年の総選挙の前の週刊ダイヤモンド(2009年)8/01号の連載コラムの冒頭で櫻井よしこは「8月30日の衆議院議員選挙で、民主党政権が誕生するだろう」とあっさり書いており、かつ、民主党批判、民主党に投票するなという呼びかけや民主党擁護のマスコミ批判の言葉は全くなかった。

 ③民主党・鳩山政権発足後の産経新聞10/08付で、櫻井よしこは、「鳩山政権に対しては、期待と懸念が相半ばする」と書いた。「期待と懸念」を半分ずつ持っている、としか読めない。

 ④今年に入って、月刊WiLL6月号(ワック)で、櫻井よしこは、こう書いていた。-「「自民党はなすべきことをなし得ずに、何十年間も過ごしてきました。……そこに登場した民主党でしたが、期待の裏切り方は驚くばかりです」。期待を持っていたからこそ裏切られるのであり、櫻井よしこは、やはり民主党政権に「期待」を持っていたことを明らかにしているのだ。→ <略>

 それが半年ほどたっての、「三島や福田の恐れた左翼政権はいま堂々と日本に君臨するのだ」という櫻井よしこ自身の言葉は、上の①~④とどのように整合的なのだろうか。
 Aもともとは「左翼」政権でなかった(期待がもてた)が菅政権になってから(?)「左翼」になった。あるいは、Bもともと民主党政権は鳩山政権も含めて「左翼」政権だったが、本質を(迂闊にも?)見ぬけなかった。
 上のいずれかの可能性が、櫻井よしこにはある。私には、後者(B)ではないか、と思える。

 さて、櫻井よしこに2010年の「正論大賞」が付与されたのは、櫻井よしこの「ぶれない姿と切れ味鋭い論調が正論大賞にふさわしいと評価された」かららしい(月刊正論2月号p.140)。

 櫻井よしこは、「ぶれて」いないのか? あるいは、今頃になってようやく民主党政権の「左翼」性を明言するとは、政治思想的感覚がいささか鈍いか、いささか誤っているのではないか?」

 なお、屋山太郎については再掲しないでおく。この人物が靖国神社の総代会か崇敬奉賛会の役員に名を出している筈であるのは異様であると、靖国神社のためにも言っておきたい。

 以上は、先月の<民主党政権成立を許したことについての保守派の責任をきちんと総括すべきだ>旨のエントリーの続きの意味ももっている。

1182/敗戦国日本・日本人の歴史観・歴史認識は勝者が作った、という当たり前。

 〇橋下徹のいわゆる慰安婦発言に対するデーブ・スベクターの悪罵、広島等への原爆投下に対して罪悪感を何ら持っていないケヴィン・メアの発言等をテレビで観て、あらためて日本は「敗戦」国なのだと思う。
 戦争に負けただけならまだよいが、<道義的に間違ったことをした国家>というレッテルが付いたままなのだ。一方で連合国側、とくにアメリカは<正義はわれにあった>と考えているに違いない。
 そのような敗戦国日本に対してみれば、アメリカと中国は<反軍国主義日本>では共通する「歴史認識」をもつこととなり、中国共産党(戦後・1949年後の中国)は日本と戦ったわけではないにもかかわらず、中国はカイロ宣言・ボツダム宣言等より構想された<戦後秩序>をともに維持しようなどとアメリカに対して提言することとなっている。
 何とも奇妙で、苛立たしい構図だ。当然のことながら、<戦後レジームからの脱却>は戦後秩序の克服という基本的な方向性をもつもので、アメリカに対する自立、一種の<反米>構想でもある。「法の支配と民主主義」等の共通の価値観をもつというのは中国との関係では有効かもしれないが、かりに「法の支配と民主主義」等と言っても、日本と欧米とでまったく同じであるわけがない。
 おそらくは安倍晋三も、この辺りに存する微妙な部分を理解しているだろう。
 アメリカをむしろ「利用」しつつ中国(中国社会主義)と対峙し、自国の自立と強化(対アメリカ依存性を弱めること)を目指す必要がある。微妙な舵取りが必要な状況だ。今年になってはじめて生じた、などという問題・課題ではないが。
 〇「戦後秩序」と戦後日本人の「歴史認識」を形成したのはいったい何だったのか。後者については占領期の連合国軍総司令部(GHQ)の諸政策に起因することはよく知られている。基本的なことは知っていることだが、竹田恒泰の月刊ボイス5月号(PHP)からの連載「『日本が好き』といえる時代」はあらためて占領期のことを思い起こさせる。6月号の第二回めのタイトルは「百年殺しの刑にかけられた日本」。戦後まだ67年ともいえる。あと30数年、日本は「百年殺しの刑」にかけられたままなのか。そういう時代に生まれ、生きてきたことを、宿命的なことながら、何という不運なことだったのかと、うんざりとする感慨を持たざるをえない。
 だが、歴史観・歴史認識は変わりうるものでもある。江戸時代において関ヶ原の敵将・石田三成は奸賊の代表者として蔑視されたが、近親者は秘密裏にその墓を守り、供養し続けてきた、という。そして、石田三成の再評価もなされている、という。

 前の時代の歴史(歴史観・歴史認識)は勝者が作る、とよく言われる。いまの日本では、まだ勝者・とくにアメリカの歴史観・歴史認識が支配しているが(かつそれに迎合した「左翼」歴史学界もあるわけだが)、永遠につづくわけではなく、日本がみずからの「歴史」を取り戻す時代がきっとやってくるだろう。早いにこしたことはない。

1126/産経新聞「論壇時評」欄における橋下徹に対する<冷たさ>。

 〇月刊文藝春秋6月号(文藝春秋)が橋下徹特集を組み12人に橋下への「公開質問状」を書かせたり、週刊文春5/17号が14頁の特集をして13人の対橋下見解を載せたり、週刊現代6/02号(講談社)が「橋下徹とこの時代」と題する20頁の特集を組んで8名の意見を紹介する等々と、相変わらず、橋下徹へのマスコミの関心は高い。
 マスメディアまたはそこに登場する識者たち?はしばしば「ポピュリズム」を問題視するが、「ポピュリズム」の主体であり中心にいるのは、むしろマスコミ自体ではないかと思われる。それは、橋下徹ものを載せれば、販売部数が増える(または維持される)といった(とりあえず儲かればよいとの)経営者感覚ともつながっているのかもしれない。
 〇比較的最近に目を通した上記のものではなく、もう少し前の橋下徹特集類に言及しておこう。
 月刊宝島6月号(宝島社)の背表紙は「特集・虚構の橋下徹旋風」で、この言葉にも示されているように基本的に橋下徹批判の立場に立つ。それは巻頭1頁の編集長・富樫生の言葉にも表れていて、「宝島社は、橋下徹という人物について懐疑的です。…などでもその欺瞞を追及しており、今後も続けてまいります」と明言している。
 面白いのは、例えば、「橋下徹『5人の外敵』」として、①「大阪市役所」、②「共産党」、③「部落解放同盟」、④「在京メディア」、⑤「日教組」を堂々と?明記していることだ(p.28-)。
 ①と④をとりあえず別にしておけば、月刊宝島編集部は、日本共産党・部落解放同盟・日教組を「外敵」とする橋下徹に対して「懐疑的」だということになる。ということは、日本共産党・部落解放同盟・日教組を、「懐疑」されるべき橋下徹から擁護するという機能を果たしたい、と言っていることに客観的にはなるだろう。
 日本共産党・部落解放同盟・日教組はふつうは「左翼」と称される組織・団体なので、宝島社編集部は「左翼」の立場に立っている、と言ってよい。
 このことは、「現職・共産党大阪府議団長」宮原威への2頁にわたるインタビュー記事を掲載して、橋下徹を批判させていることでも分かる。
 なお、宝島社の別の出版物の執筆者・編者である一ノ宮美成とは日本共産党員か日本共産党系の人物ではないかと思われる。
 このように「左翼」の立場を明確にして(日本共産党や日教組と同様の立場から)橋下徹を批判するのは、何ら奇妙でも、不思議でもない。月刊宝島編集長名で橋下徹への「懐疑」を示しているのは、明確で、潔いとすら言える。
 〇問題は、<保守派>メディアのはずの、産経新聞や月刊正論(産経新聞社)だ。
 社説で明確にしてはいないが、どうやら、産経新聞もまた、社論として、橋下徹に対して<懐疑的>で<冷たい>ように思われる。
 産経新聞の今年になってからの「論壇時評」を読んでいて、そう感じた。
 産経新聞は(正確にはMSN産経ニュースは)5月になってからの産経新聞・FNN世論調査で、12人の政治家のうち「評価する」の第1位は橋下徹(63.1%)、第2位は石原慎太郎(62.0%)だったと報道している(5/21、ワースト3は、鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎)。
 このような結果であるにもかかわらず、産経新聞は、「大衆迎合」はよろしくないと、さすがに立派な新聞社らしく?考えたのだろうか、月刊正論編集長・桑原聡が「評価する」とは正反対の評価を明言している他、「論壇時評」での扱いも、私には異様に感じられるほどに、橋下徹に対して「冷たい」、または批判的だ。
 朝日新聞等々も同様だろうが、書物・論文等の書評や紹介欄(の採り上げ方、内容)は、その新聞の性格(・主張)を問わずして答えていることが多いとみられる。産経新聞「論壇時評」については、以下のとおり。
 産経新聞3/18の、4月号についての「論壇時評」では、私がこの欄で「アホ丸出しの…」と批判した、月刊WiLL4月号(ワック)の藤井聡論考を採り上げ、「思想的あるいは政策的吟味を十分に経ていない橋下流改革案(船中八策、維新八策)の欠陥をつく。地方分権も中央集権もそれ自体が善あるいは悪なのではない。両者のバランスの欠如が悪なのだ。現在、通貨、国防・安全保障、国際経済などの諸分野で緊要なのは何より国家としてのまとまりであって、それを弱体化する試みは、地方分権を含め避けなければならない。それに橋下らの地方分権論で念頭に置かれるのは大都市であって、地方は一層の格差に沈むという。そのことを税、地方債などの財源移譲の面から裏付ける」と、多くはない字数の欄にしては多くの文字を使ってわざわざ紹介している。
 月刊WiLL4月号の数多い論考の中で言及しているのはこれだけだ。藤井聡論考の稚拙さには、もはや触れない(「地方分権も中央集権もそれ自体が善あるいは悪なのではない。両者のバランスの欠如が悪なのだ」なんていうくらいは誰でも書ける。とくに引用することの方が恥ずかしい)。その稚拙さに気づかないとは、産経新聞の「論壇時評」者・稲垣真澄の識見・能力自体も疑われる。
 産経新聞4/22の、5月号についての「論壇時評」(石井聡)は、月刊ヴォイス5月号(PHP)の特集は「基本的に橋下を支援、擁護する立場から」のものだと述べつつ、その「支援、擁護」の内容にはいっさい言及せず、橋下徹を基本的にはむしろ支持・擁護する立場からの山田宏の論考の中から、あえて橋下徹への「危惧」を記した部分のみを抜き出して、紹介している。大前研一論考についても同様で、橋下徹を基本的に支持する大前の文章の中の、原発問題についての意見の相違部分のみを取り出して紹介している。かなり偏頗な、何らかの意図すら感じられる紹介の仕方だ。
 月刊ヴォイス5月号の現物を見ながら書いている。山田宏の文章の最後の一文は次のとおり-「日本の再生には大阪維新の会の力が必ず必要となってくる。今後、必ず国の運命を左右する存在になることだろう」(p.63)。
 大前研一の最後は次のとおり-「私はハシズム批判には与しない。橋下イズムは健全な国家ビジョンであり、まさに必要な方向性であり、手段でもある。それだけに国民が期待しているいま、みなが大阪の成功を祝福するかたちをつくることが、日本変革の近道であり、この国にとって最後に残されたチャンスなのである」。
 こうした山田宏、大前研一の文章が、石井聡にかかると、まるで逆の趣旨のごとく印象づけられる。恣意的な、(橋下徹を危惧・批判する部分のみの)抽出は、果たしてまともな「時評」なのかという疑問が生じるが、産経新聞(社)の意図、または社論に即して書かれているのだとすると、(朝日新聞等についてと同様に)そのような取り上げ方自体を批判することはできないのかもしれない(むしろ問題になるのは、産経新聞の意図・社論なのだろう)。
 石井聡はまた、月刊正論5月号の特集の中の佐藤孝弘論考のみを採り上げ、橋下徹批判になりそうな部分のみを紹介しているが、立ち入らない(実際の佐藤論考は全体としては、石井が描いているよりも、より中立的だ)。
 産経新聞5/20の、6月号についての「論壇時評」(稲垣真澄)は、月刊WiLL月号の中の多くの論考・記事のうち、久保紘之・堤堯の対談〔雑談〕―見出しは「橋下のやってるのは単なる“維新ごっこ”」―のみを採り上げ、「『維新の会』の掲げる脱中央、地方主権がいかに幕末維新の精神から遠いものかを説く」等と紹介する。上記のような産経「論壇時評」の姿勢・方向性・方針からすると、この部分がお気に召した、ということだろう。
 わずか3号分にすぎないが、橋下徹への支持・期待の論考類を紹介・引用したものは一つもない。言及・紹介があるのはすべて、橋下徹批判・懐疑だ。
 追記すれば、隔週刊サピオ5/09・16号には、産経新聞や月刊正論でもお馴染みの遠藤浩一、八木秀次らが、「橋下首相なら日本をこう変える」という文章を各論点ごとに書いている。遠藤浩一は憲法改正について、八木秀次は靖国参拝について書いている。
 前者は条件・前提を種々に加えてはいるが、橋下徹自身を批判してはいない。後者は、橋下徹は「間違いなく素朴な保守主義者、健全なナショナリスト」だ等と述べている(p.16)。
 これらも<論壇>での見解の一部だろう。しかるに、産経新聞社にとって身近な?人物の文章であるにもかかわらず、産経「論壇時評」はいっさい無視している。 
 おそらくは、以上に紹介したようなことの中に、少なくとも現在の産経新聞の橋下徹に対する姿勢が明らかに示されているのだろう。
 日本共産党・志位和夫(委員長)は大阪での集会で、橋下徹・維新の会について「独裁にも通じる恐怖政治…」、「維新に反撃ののろしを…」とか演説したと伝えられる(5/20)。
 このように日本共産党や日教組その他の民主党・共産党系労組が敵視している橋下徹を擁護・応援するどころか、「冷たく」批判をし続ける産経新聞というのは、いったいいかなる政治的傾向・政治的感覚の新聞なのだろう、という基本的な疑問すら湧いてくる。
 少なくとも、素直でまっとうな<保守>ではないのではないか? 本紙と
月刊正論の購読中止は正解だった、と思っている。<資料>として読むことは、今後もむろんあるだろう。

1107/橋下徹は佐々淳行・「正論」にツイッターで答えていた。

 一 佐々淳行産経新聞2/24の「正論」欄で橋下徹・「維新八策」に論及していることはすでに触れた。
 月刊ボイス5月号(PHP)の中に佐々淳行「日米安保条約改定を『八策』に加えよ」があることを知り、「正論」欄と似たようなことを書いているのかと思ったら、何と、上の佐々淳行「正論」に対して、同じ2/24に橋下徹はトゥイッターでコメントしたらしい。
 佐々淳行の文章によると、産経新聞2/24で「国政を担うには外交、安全保障分野への認識が著しく欠けている、と厳しい論調で批判したのだ。そのうえで、『天皇制の護持』や『憲法九条改正』などが必要だと指摘した。/すると同日午後一時過ぎに、橋下氏はツイッターで私に対するコメントを発表した」。
 1カ月以上前のことであり、また、橋下徹ツイッターのフォロヤーには無意味かもしれないが、以下、橋下徹の対佐々淳行コメントの全文をそのまま掲載(転載)しておく。
 二 「佐々さんのご意見も厳しいご意見ではあるが、役立たずの学者意見とは全く異なり、国家の安全を取り仕切ってこられた実務者の視点で迫力あるご意見です。」(posted at 13:09:54、以下省略)

 「佐々さんのご主張はまさに正論。内容自体に反論はありません。ただし、今の日本が動くようにするためにはどうすべきかの観点から、僕は次のように考えています。まだ維新の案として確定したものではありません。佐々さんの言われるように、日本は国家安全保障が弱い。これは全てに響いてきています。」
 「世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。」
 「この憲法9条について、国民的議論をして結着を付けない限り、国家安全保障についての政策議論をしても何も決まりません。国家の大きな方針が固まっていないのですから。しかし憲法9条議論や国家安全保障議論をしても結局憲法改正は非現実ということで何も動かない。学者議論に終始。」

 「だから僕は仕組みを考えます。決定でき、責任を負う民主主義の観点から。憲法96条の改正はしっかりとやり、憲法9条については国民投票を考えています。2年間の議論期間を設けて国民投票。この2年の間に徹底した国民議論をやる。」
 「これまでの議論は決定が前提となっていないから、役立たず学者議論で終わってしまう。その議論でかれこれ何十年経つのか。決定できる民主主義の議論は決定が前提の議論。そして期限も切る。2年の期間で、最後は国民投票。この仕組みを作って、そして国民的に議論をする。」

 「朝日新聞、毎日新聞、弁護士会や反維新の会の役立たず自称インテリは9条を守る大キャンペーンを張れば良い。産経新聞、読売新聞は9条改正大キャンペーンを張れば良い。2年後の国民投票に向かって。そして国民投票で結果が出れば、国民はその方向で進む。」

 「自分の意見と異なる結果が出ても、それでも国民投票の結果に従う。これが決定できる民主主義だと思う。9条問題はいくら議論しても国民全員で一致はあり得ない。だから国民投票で国のあり方を国民が決める。そのために2年間は徹底して議論をし尽くす。意見のある者は徹底して政治活動をする。」
 「その上で国民投票の結果が出たら、国民はそれに従う。そんな流れを僕は考えているのです。佐々さん、そう言うことで、今維新の八策にあえて安全保障については入れていません。憲法9条についての国民の意思が固まっていない以上、ここで安全保障政策について論じても画餅に帰するかなと。」

 「憲法9条について国民意思が確定していない日本において、それを確定するというのが僕の考えです。あくまでもシステム論です。まずはその決定できる仕組みを作る。仕組みができれば、次に実体論に入る。実体論から先に入ると、その賛否によって決定できる仕組みすら作ることができません。」

 「まずは憲法9条について国民意思を固める仕組み作りが先決だと思います。佐々さん、またご意見下さい。」
 翌日の2/25にもある。

 「政治は学者や論説委員の議論と違う。決定しなければならない。実行しなければならない。自民党が憲法改正案を出すらしいが、本当にこのようなやり方で憲法問題が結着すると考えているのであろうか?憲法改正案を選挙の公約に掲げて、仮に自民党が勝ったとしても、選挙が全てでないと言われる。」(posted at 09:35:36、以下、省略)

 「自民党に投票したけど、憲法問題は違うと必ず言われる。政策等であれば、選挙結果に従って欲しいと言えるだろうが、憲法の本質的価値に触れるところまでそれを言えるだろうか?首相公選、参議院の廃止は、分かりやすいので選挙になじむ。しかし憲法9条はどうだろう?これは選挙になじまないと思う。」 
 「政治には自分の価値観を前面に出すことと、国民の価値を束ねることの2つの側面があると思う。これは領域、状況によって使い分けるものであり、その使い分けもまた政治と言える。自称インテリは後者ばかりを言う。それでは現実の課題は解決しない。議論ばかり。」

 「しかし憲法9条問題こそは、国民の価値を束ねて行くことが政治の役割だと思う。自らの価値を前面に出すのではなく、国民に潜在化している価値を顕在化していく作業。単なる議論で終わるのではなく一定の結論を出す。そういう意味では、憲法9条問題は選挙で決するのではなく、国民投票にかけるべきだ。」

 「選挙の争点には、憲法9条の中身・実体面・改正案を掲げるのではなく、憲法9条問題に結着を付けるプロセス、仕組み、手法、手続きを掲げるべきだと思う。この点は、今後維新の会で議論していきます。」

 「簡単に言えば、憲法9条は色々な政治公約の一つとして選挙で決めるのではなく、憲法9条だけを取り上げる国民投票で決めましょうということです。この問題はある種の白紙委任で政治家に委ねるわけにはいかないと思う。」 

 「一定期間を定めて国民的大議論。そして国民投票の結果には皆で従う。反対の結果が出た国民も国民投票の結果に従う。だからこそ自分の主義主張がある人は一定期間内に徹底して国民に訴えかける。その上で結果が出たなら潔くその結果に従う。これが決定できる民主主義だと思う。」

 「憲法9条については国民的大議論を巻き起こす裏方役が政治家の役割だ。政治家が憲法9条について自分の価値観を前面に出せば出すほど、憲法9条問題は決着しない。政治家は学者と違う。自分の考えを控えることが決定のための必要条件なら自分の考えを押し殺す。決定こそ政治だ。」

 「佐々さん、幕末の世は民主主義ではありませんでした。ですから坂本竜馬は船中八策で国家安全保障のことを一人で決しました。しかし、今の世は国民主権です。国家安全保障を決するのも国民です。憲法9条問題は、国民全員が坂本竜馬です。その裏方を引き受けるのが政治だと思います。」

 以上。
 三 ・内容は、憲法9条改正問題が中心になっている。この問題についての橋下徹の考えについて、私はこの欄で「世論の趨勢を測りかねていて、個人的見解を明確にする時期ではまだないと判断しているように…推察している」と書いたことがある(4/11エントリー)が、少し異なるようだ。別の機会にコメントしたい。
 ・佐々淳行は、この橋下徹コメントを読んだうえで、「私は彼を『百年に一度の政治家』とみている。強い正義感と信念をもち、現代においてこれほど政策提言に命を懸ける人物はいないと思うからである」(ボイス5月号p.76)、「この戦闘機」=橋下氏の「敵・味方識別装置」は「有効に機能している」(p.82)等と、高く評価している。
 橋下徹は憲法9条改正に賛成と明言しているわけではなく、厳密には憲法9条改正問題について国民投票で決着をつけたいと考えている、と読めるが、この点も含めて、別にコメントする。
 ・しかしともあれ、一日平均11通(?)というツイッターで発信された橋下徹の文章を眺めていて、大阪市長という公職や維新の会代表を務めながら、よくもこれだけ書けるものだと本当に(それだけでも)、橋下徹に感心する。若い、まだ頭脳明晰、文章作成能力旺盛、むろん政策・行政に対する熱意十分、の証左だ。
 ・ボイス5月号の橋下徹特集(大阪府知事・松井一郎のものを除いて計4本、1つが佐々淳行のもの)のほか、中央公論5月号(中央公論新社)の橋下徹特集(計5本)も、すべて今日(4/16)読んだ。必要に応じて、別の機会に言及したい。
 四 PHP研究所と中央公論新社の上の二つと比べて、産経新聞社の月刊正論5月号の橋下徹特集の「貧弱さ」が目立つ
 上の二特集の計9本の論考(座談も含む)はいずれも面白く読める。観念的で現実感覚に欠けた論考がないからだ(中央公論5月号の北岡伸一論考には少し感じるが)。これらと比べて、月刊正論5月号の適菜収論考は「最低」・「最悪」だ、と言ってよい。すでに言及した、別の雑誌での中島岳志藤井聡の<反橋下>論考と優るとも劣らない「劣悪」さだ。
 中島岳志や藤井聡の論考は各雑誌のメインと位置づけられてはいなかったが、月刊正論5月号は適菜収論考のタイトルを表紙最右翼に大きく印字し、巻頭にもってくる、「売り」の論考と位置づけていたのだから、機能的には最もヒドく、「最悪」だ。
 あまつさえ、月刊正論の編集長自体が、自分自身は何ら詳論することもなく、橋下徹を「きわめて危険な政治家」、「目的は日本そのものを解体することにある」と明記したのだから、始末に負えない。バランスを取るために山田宏の(インタビュー)記事を載せたのだろうが、橋下徹を「デマゴーグ」等と断じる適菜収論考をメインにする編集・広告方針のうえでのものであり、かつまた編集長個人が山田宏とは異なる見解を明示するとは、山田宏に対して非礼でもあろう。
 上記の月刊ボイスや中央公論には、編集長(個人)の特定の考え方などはどこにも書かれていない。産経新聞社の月刊正論が、最も異様なのだ。産経新聞社の人々は、恥ずかしい、あるいは情けないと思わないのだろうか。

1038/中西輝政・ボイス9月号論考を読む-「左翼」の蠢動。

 やや遅れて、月刊ボイス9月号(PHP)の中西輝政「”脱原発”総理の仮面を剥ぐ」を読む。
 ・テレビに加藤登紀子と辻元清美がともに映っていたので気味が悪かったのだが、「そんなに私の顔を見たくなかったら」と菅直人が何回も繰り返したのは6/15で、上の中西論考によると、議員会館内の「再生可能エネルギー促進法成立!緊急集会」でのことで、出席者には孫正義と上の二人のほか、以下がいた。
 宮台真司、小林武史、松田美由紀、福島瑞穂。
 また、この集会自体が、多くの「左翼」団体共催のものだったらしい。中西輝政は次のように書く。
 「『反原発左翼』は死んでいない。古色蒼然たる護憲派左翼などとはまったく違い、…。…〔こんな〕集会に、総理大臣が喜色満面で出席して大熱弁を振るうこと自体が」異様なものだった。
 ・知らなかったが、民主党・菅直人政権の落日ぶりに「左翼」は落胆し右往左往しているとでも楽観的に思っていたところ(?)、中西輝政によると、以下の事態が進んでいるらしい。
 上と同じ6/15に「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」の結成が呼びかけられた。呼びかけ人は以下。
 鎌田慧、坂本龍一、内橋克人、大江健三郎、澤地久枝、瀬戸内寂聴、落合恵子、辻井喬、鶴見俊輔「ら」。
 <九条の会>と見紛うばかりの「左翼」だ。そして、中西は書く。
 「多くの心ある人びと」は「左派が組織的に動き出している。左の巨大なマシーンがうなりを上げている」と「直感」するはずだ(以上、p.82)。
 ・中西輝政の上の論考は最後の節の冒頭でこう書いている。
 「すでに『戻ってきた左派』の陣営が整いはじめている可能性があるにもかかわらず、危機感という意味で、日本の良識派はあまりにも出遅れている」(p.87)。
 そのあと、「反原発」保守とされる竹田恒泰・西尾幹二への批判的言及もあるが、その具体的論点はともかくとしても、一般論として、組織・戦略・理論、いずれの分野をとってみても、保守派は「左翼」に負けているのではないか、というのは、かねて私が感じてているところでもある。
 (歴史認識諸論点も含めて)あらゆる論点について「左翼」は執拗に発言し、出版活動を続けているが、誰か<大きな戦略>を立てている中心グループがどこかに数人かいそうな気さえする。その人物たちのほとんどは(隠れ)日本共産党員で、有力な出版社または新聞社の編集者または編集委員あたりにいそうな気がする。彼らは、このテーマなら誰がよいかと調査・情報収集したりして、新書を執筆・刊行させたり新聞随筆欄に執筆させたりしているのではないか。それに較べて保守派は……。佐伯啓思は思想家で「運動」に大きな関心はなさそうだし、中西輝政はより<政治的>に動ける人物だろうが、一大学教授では限界がある。産経新聞社の何人かが、上のような<戦略中枢>にいるとはとても感じられない。日本会議とかでは<大衆>性または知名度に欠ける(この点、岩波書店や朝日新聞の名前は威力が大きいだろう)。国家基本問題研究所なるものは、櫻井よしこがいかに好人物だとしても、屋山太郎が理事の一人だという一点だけをとっても、まるであてにならない。相変わらず、私は日本の将来に悲観的だ。

0839/渡部昇一の「裁判」・「判決」区別論は正しいのか?②。

 渡部昇一の「裁判」・「判決」区別論は正しいのか?②
 一 岩波書店・広辞苑を避けて、最も平易な国語辞典の一つと思われる新明解国語辞典(第六版)(三省堂、2004)は、「判決」と「裁判」を次のように説明している。以下、それぞれ、ほぼ全文(下線は引用者)。なお、有斐閣・法律用語辞典の各説明はすでに引用・紹介した。
 「判決」=「裁判所が、決定した結果〔=無罪か有罪か〕を、判断の根拠を示しながら言い渡すこと。また、その内容」。
 「裁判」=「訴訟を審理して、罪となるかならないかどちらに非があるかなどを法律を適用して定めること」。
 刑事事件に限っているような説明はかなり杜撰だが、少なくとも日本語の常識的または通常の語法としては、上の二つは明瞭に区別できないことは、上の二つに示された説明または定義からも明らかであるように思える。
 二 以下では、英米法辞典等によるjudgement 等の説明に立ち入る。   1 渡部昇一は、①月刊正論11月号・「社会党なき社会党の時代」(産経新聞社、2009)、②同ら・日本を讒する人々(PHP、2009)、③月刊ボイス10月号・「東アジア共同体は永遠の幻」(PHP、2009)のほか、④別冊正論エクストラ第10号・「東京裁判史観からの脱却なくして自立なし」p.5-6でも、<裁判>と<判決>区別論を強調している。
 ④では、「東京裁判の『内容』」と「(諸)判決」は違うとし、「裁判の『内容』を受諾するか、『判決』を受諾するかは、絶対に混同してはいけない」と書く(p.5)。
 かかる理解・主張の現実的な意味は、すでに引用した、上の③の中のつぎの文章の中にあると考えられる。
 「判決の受諾か、裁判の受諾か。これをどう考えるかで、じつは恐ろしい違いがある。『裁判を受諾する』といった場合には、東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――に日本が縛られつづけるということになるからだ」。
 はたして、<裁判>と<判決>の区別で、このような「おそろしい」違いが出てくるものなのか??
 渡部昇一の英語の法律用語(英米法)の知識はかなり怪しいのではないか、どこまで厳密に概念の考証をしているかは疑問だ、というのが感想めいた一つの結論にはなる。
 但し、以下の数回の叙述(メモ)は渡部昇一の全体の仕事を貶める意図はないし、ましてや<東京裁判>なるものが前提とする事実認定とその評価に、日本国と日本国民は法的にまたは事実上・道義上、永久に<拘束>される、などと主張するつもりでもない。
 むしろ、上のように主張するために<裁判>・<判決>区別論はいかほどに有効であるのか、(「左翼」・いわゆる<東京裁判史観>論者に対する)さほどの効き目はないことを<保守>の側も知っておくへきではないか、ということを<保守>論壇のためにも(趣味的に?)コメントしておくことに、問題関心はある。
 2 手元に、A/高柳賢三=末延三次・英米法辞典(有斐閣、
初版1952.10,16刷1978.07)、B/田中英夫編集代表・英米法辞典(初版1991.05、3刷1994.08)、C/田中英夫編集代表・BACIC英米法辞典(東京大学出版会、初版1993.09、5刷1997.07)、の三種の英米法辞典がある。CはBの簡略版と理解してよいかもしれない。そのBは詳しいが、1993年初版で、東京<裁判>時点に一番近く刊行されているのは、Aだ。
 いずれも東京大学法学部系かまたは編集者(代表)が東京大学所属者の本であることは共通している。この点に、<東京裁判>関係の英語の説明に「政治的」な修正・変更が加えられているという懸念の根拠を求めることがまったく不可能とは思えないが、これを問題にし始めるとメモも若干の感想を述べることもできなくなるので、いちおう信頼できる日本の代表的な<英米法辞典>だ、と見なしておくことにする。
 3 「judgments」の訳は、<裁判>よりは<(諸)判決>の方が適切だと思われる。このことは既述。
 一方、渡部昇一が日本語で「裁判」と書いて(訳して)いるものの原語は何なのだろう。遠回りだが、この点にまず触れる。
 上の渡部の①~④で確認できず、別の彼の論考による(または①~④の中にあり、私の見落とし)と思われるが、たしか渡部は、「裁判」と訳すならばtrial かtribunal でなければならない、と記していたように思われる(渡部昇一でなくとも、このように書いていた人物がいたことは間違いない)。
 じつはこの点にもすでに脆うさがある。
 安易に<ウィキ>に頼って記すと<ニュルンベルク裁判>の英語表記は、最初の主なものが「Trial of the Major War Criminals Before the International Military Tribunal」で、続く12のものが「Nuernberg Military Tribunals」であったらしい。
 <東京裁判>と云われるものはより正式には「極東国際軍事裁判」と言われ、その英語表記は、「The International Military Tribunal for the Far East」だ。
 <裁判>とはtrial かtribunalだという理解・主張は、かかる<東京(やニュルンベルク)裁判>と言われるものの原語に影響を受けすぎているのではないか。
 上の三種の英米法辞典にはそれぞれ末尾に付録又は索引が付いていて和英辞典的な利用ができるが、それぞれ「裁判」にどういう英語をあてはめているかを以下に記しておこう。
 A-adjudictation、B-judicial proceedings, justice, adjudictation, determination、C-adjudictation, justice.
 trial も tribunalも出てきてはいない。
 では、これらは厳密には(あるいはより適切には)何を意味するのか。
 引用をかなり省略するが、tribunalは、端的には、「法廷」のことだ。「法廷」で何をするかというと、それは「裁判」で、Cは<tribunal>に、第一に「法廷、裁判」という語をあてている(第二は「(行政)審判所」)。1951年に最も近いAには、この概念の項目がない。
 つぎに、trialとは、端的には、(裁判所の法廷で行われる)「審理」のことだ。1951年に最も近いAは、「裁判所における事実上の又は(及び)法律上の争点についての審理」とまず説明し、「原則として公開」で、<事実審>のみを指すこともあるという。少しニュアンスが異なり、Cは「正式事実審理、公判」という日本語をあてている。
 以上、要するに、trial も tribunalも、むろん「裁判」に関係はあるが、いずれも「裁判」という日本語が最適の英語ではなさそうだ。大まかには、前者は、(主として)「裁判」で行われる「審理」を指し、後者は「裁判」が行われる「法廷」(courtという語もある)を意味するものと思われる(したがって、後者は「裁判」よりも「裁判所」の方が適切だ)。
 このように厳格さを欠きつつも、ニュルンベルク<裁判>とか東京<裁判>とかと慣用的に、日本では呼ばれてきた、ということの認識がまずは必要だろう。
 東京<裁判>というのは、より正式には<極東(に関する)国際軍事法廷>と訳されてもよいものだった。それを分かりやすく?(その法廷で行われた「裁判」という意味に少しズラして?)、<極東軍事裁判>とか<東京裁判>と訳し、または通称してきたのだ。
 したがって、「裁判」ならば、trial かtribunalだ(judgment ではない)という主張は(()内を除いて)、厳密には正しくはない。「裁判」という語のためには、より適切な英語が他にある(上記参照)。(つづく)  

0834/渡部昇一の「裁判」・「判決」区別論は正しいのか?

 1952年4月発効の日本国との平和条約、いわゆるサンフランシスコ講和条約の11条第一文前段につき、「受諾」=accept したのは「裁判」ではなく「(諸)判決」(judgements)だとの旨を、渡部昇一は強調し続けている。
 月刊正論11月号(産経新聞社、2009)の巻頭、渡部「社会党なき社会党の時代」p.42は、田母神俊雄更迭←村山談話←東京裁判史観と系譜をたどった上で、日本の外務省は平和条約11条の「判決」を「裁判」と混同したため、日本政府・自民党は「卑屈」になった、外務省・小和田恒の国会答弁には「裁判と判決をごっちゃにした致命的な誤り」がある、等と説く。
 渡部昇一ら・日本を讒する人々(PHP、2009)p.149でも同旨を語り、11条の「…の受諾」という「部分の解釈をしっかりしておくことが、日本が独立として起つために不可欠の『知』だと思います」とも述べる。
 月刊ボイス10月号(PHP、2009)の渡部「東アジア共同体は永遠の幻」p.77では、次のようにすら述べる。
 「判決の受諾か、裁判の受諾か。これをどう考えるかで、じつは恐ろしい違いがある。『裁判を受諾する』といった場合には、東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――に日本が縛られつづけるということになるからだ。/げんに、『東京裁判を受諾した』ということが強調されるようになる一九八〇年前後から日本の外交は全部ダメになっていく。…」。
 講和(平和)条約11条第一文前段につき、「判決の受諾か、裁判の受諾か」を問題にする渡部昇一の問題意識とその結論的叙述は適切なのか?
 なるほど「裁判」ではなく「諸判決」の方がより適切な訳語であるように思われる。だが、そのことで、いったい何が変わるというのか?
 かねて、かかる疑問を持ってきた。だが、櫻井よしこも-渡部昇一の影響を受けてだろう-、とくに「左翼」による日本国・東京裁判「肯定」説に対して、「裁判」ではなく「判決」にすぎない旨を言って反論しているのを読んだことがある。
 また、法学者であるはずの八木秀次も、上のPHPの鼎談本の中で、渡部昇一の言い分をそのまま聞いていて、疑問を発しようともしていない。
 渡部昇一は①いかに「裁判」と「判決」を定義しているのだろう? いちおう別だが、重なり合うところの多い概念ではないか? あるいは、渡部昇一は②「判決」を判決「主文」のことだと誤解しているのではないか? 「判決」は「主文」と「理由」(・「事実」)から成り立っていることを知ったうえで語っているのだろうか?(かつては「主文」・「事実」・「理由」の三分だったが、後二者は「事実及び理由」に括られるようになっている-正確な叙述は別の機会に行ってみよう)。
 上の②の疑問からして、「裁判」と理解すれば、「東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――に日本が縛られつづける」が、「(諸)判決」と理解すれば「誤った事実認定に基づく不正確な決め付け」から免れる、などと簡単に言えるはずはない、と考えられる。
 また、上の①の疑問を基礎づけうるある法律用語辞典による「裁判」と「判決」の説明も、紹介したことがある(この欄の10/19)。再掲する。
 以下、有斐閣・法律用語辞典(第三版)による。それぞれ全文。
 「裁判」=「通常は、司法機関である裁判所又は裁判官が具体的事件についてする公権的な判断。訴訟事件の本案に関する判断はもとより、訴訟に付随しこれから派生する事項についての判断も含まれる。判決、決定及び命令の三種類がある。なお、両議院がその議員の資格に関する争訟について判断する場合及び弾劾裁判所が判断する場合にも、裁判という語が用いられる。」
 「判決」=「(1)民事訴訟法上、原則として口頭弁論に基づき裁判所がする裁判で、特別の場合を除き法定の事項を記載する文書(判決書)に基づく言渡しによって効力を生ずるもの。①確認判決、給付判決、形成判決、②終局判決、中間判決、③本案判決、訴訟判決、④全部判決、一部判決、追加判決等と講学上分類される。(2)刑事訴訟法上は、特別の場合を除き口頭弁論に基づいて裁判所がする裁判で、公判廷で宣告によって告知されるもの。すべて終局裁判である。」
 再度いうが、「裁判」ではなく「(諸)判決」と理解して(訳して)、いったいどういう違いが出てくるのか??
 <保守>の代表的論客の指摘だからといってつねに適切だとは限らない。上の問題を疑問視する<保守>知識人がいないようであることこそ奇妙というべきだ。
 渡部昇一は「裁判」(trial、tribunal)と「判決」(judgement)の違いに関する<英文学者>としての何らかの根拠をもっているのかもしれない。だが、その根拠自体がすでに危うい可能性がある。英米語(とくにアメリカ語)でも、「裁判」と「判決」は上の日本の辞典のようにやはり解されている可能性が高い。また、より適切に議論するためには<英米法>学者の知識も必要だろう。「裁判」・「判決」区別論には、あらためて論及する。   

0828/鳩山由紀夫「私の政治哲学」に見るアメリカ・「経済」観等。

 一 有名になった鳩山由紀夫「私の政治哲学」月刊ボイス9月号(PHP、2009)に、この欄で8/28と9/18に既に二回言及した。
 → 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/1192822/
 → 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/1227260/
 前者では、鳩山が紹介するカレルギーの「友愛」理念のように、鳩山は「左右の全体主義との激しい戦い」(p.133)をする気が本当にあるのかを疑問視し、後者では「東アジア共同体」構想を疑問視した。
 これらとは別の論点に触れる。鳩山は上掲の文章で次のように書く。
 「友愛」は「グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われた国民経済との調整をめざす理念」で、「それは、市場至上主義から国民の生活や安全をめぐる政策に転換し、共生の経済社会を建設すること」を意味する。
 「いうまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終了後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされた」。「米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、…グローバリズムとか呼ばれた」。
 「米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的…であり、諸国は…経済社会の構造をグローバルスタンタード(じつはアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった」。
 「日本の国内でも、…、これを積極的に受け入れ、すべてを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうとする人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった」。
 「グローバリズムは、…経済外的諸価値や環境問題や資源制約などをいっさい無視して進行した」。
 「冷戦後…の日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を圧迫し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程といっても過言ではないであろう。郵政民営化は、…をあまりにも軽んじ、…、郵便局のもつ経済外的価値や共同体的価値を無視し、市場の論理によって一刀両断にしてしまったのだ」(p.136)。
 <郵政民営化>問題に立ち入らない(立ち入れない)。
 上の文を読んで感じる一つは、この鳩山<論文(?)>がどのように要約されて英訳されたのかは知らないが、明瞭に<反米>的なことだ(なお、鳩山の上掲の文章に<反中国>的言辞はない)。
 「アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義」=「グローバリズム」=「市場至上主義」が日本を含む諸国の国民経済を「圧迫し」、社会を「破壊し」てきた、と明確に論難している。これは明らかにアメリカ(の経済政策)批判だ。当否はさて措くとしても、<反米>的だと受け止められても仕方がない。
 第二の感想は、近年のアメリカの経済政策あるいはその「資本主義」を、「市場至上主義」・「市場原理主義」などという概念で簡単に理解して(しまったつもりになって)よいのか、ということだ。また、「小泉政権以来の自民党」は「すべてを市場に委ねる行き方を良しとする人たち」だった、と簡単に言ってしまってよいのか。「すべてを市場に委ねる行き方」とは、いくら何でもいい過ぎだろう。
 ついでにいえば、鳩山自身あるいは「私たち民主党はどちらかというと」上とは違う、「社会的な安全網の充実や国民経済的な伝統を守ろうとする」立場だったとするが、これはマスメディアが騒いだ<格差拡大>等々の<小泉(構造)改革>の結果らしきもの(いかほどに証明されているのか?)を受けての<後づけ>的なものである疑いが強い。
 この文の中心的テーマにしないが、鳩山由紀夫や民主党は<小泉(構造)改革>のための法律案に<すべて>反対してきたのか? 派遣業法の改正等々に賛成したのではなかったのか?
 さらに離れて言えば、現在民主党(鳩山政権)を支持し擁護している朝日新聞は、<自民党をぶっ壊す>と叫んだ小泉を、<郵政民営化>が争点とされた2005年総選挙での小泉(自民党)をむしろ支持し、少なくとものちの安倍晋三内閣に対する態度とは全く異なる好意的評価をしていたのではないか。
 二 共生」の経済社会論とか、最近に国会で鳩山由紀夫が強調している<NPO・市民の方々の(国政)参加>の積極的推進論は、従来からの<左翼>の主張であり、また彼らが好む言葉・概念だ。この点にも、鳩山由紀夫の「左翼」性は露見している。これを自覚していないとすれば、よほどの勉強不足か、もともと「左翼」的(=容共的)心情の人物なのだろう。
 三 上の点は再び触れることがあるだろう。
 上の一で言及した、「市場至上主義」・「市場原理主義」などという概念で簡単に理解して(しまったつもりになって)よいのか、という疑問(・批判)に関連して、根井雅弘・市場主義のたそがれ(中公新書、2009.06)の以下の指摘は興味深い。鳩山由紀夫は読んでいないだろう。以下、要約又は抜粋的引用。
 〇<ソ連・東欧社会主義国崩壊後に「資本主義」の勝利が「市場メカニズム」の勝利とされ、「市場主義」・「市場原理主義」との言葉が頻繁に使われ始めたが、これらは「厳密な学術用語」ではない。伊藤元重(東京大学教授)は『市場主義』との本を出したが(1996年)、「市場メカニズム」を「軽視してきたようにみえる日本の経済システムに活を入れる意図」なのだろう。伊藤は決して「市場万能論者」ではない。>(p.92-93)
 〇<フリードマンは「ほとんど『自由市場至上主義』に近い立場」から「市場の失敗」よりも「政府の失敗」をはるかに「深刻」視した。この点では、「独自の知識論」にもとづき、「市場メカニズム」(ハイエクのいう「価格システム」)を排した「計画経済は必ずつまづくだろう」と社会主義批判をしたハイエクの方が「本質を突いていた」のではないか。>(p.94-95)
 〇<ケインズの受容以降、「純粋な『資本主義』・『市場』」なるものは存在せず、「各国は、程度の差こそあれ、『混合経済』になっている」ことを等閑視すべきではない。サミュエルソン教科書の読者なら容易に分かるだろう。にもかかわらず、「市場メカニズム」・「市場主義」・「市場経済」
等々の「大合唱」が生じた。>(p.95-96)
 以下、長くなるので省略。または別の回に書く。
 根井雅弘著を論評する気はない。要するに、鳩山由紀夫は、「市場至上主義」・「市場原理主義」等をいかなる意味で用いているつもりなのかという疑問をもつし、これらの意味を十分に理解したうえで書いているのか、という批判をしたい。同じことは、<新自由主義>という、日本共産党系の学者・評論家等を含む「左翼」が(かつ経済学の専門家でも何でもない者たちが)、批判するために近年しばしば用いてきている言葉・概念についても言える。
 「混合経済」というか否かは別として(経済学者に任せるとして)、「市場」も「政府」(計画)のいずれも万能ではないことは常識的なことだ。<自由と(公的)規制>の間の具体的な調整こそが<現代国家(自由主義国家・資本主義国家)>の基本的な役割だろう。国と時期によって、どちらにどのように傾斜するかは異なりうる。「市場原理主義」なるものを今は批判している者が、いつかは<政府(公的介入)の失敗>を慨嘆することにならなければよいのだが。

0823/読書メモ2009.09~-週刊朝日・小林よしのり・渡部昇一。

 〇「左翼ファシズム」への先導者・デマゴーグである朝日新聞(社)は、鳩山「左翼(容共)・売国政権」を支持し、批判者から擁護しようとする、あるいは批判者を逆に攻撃しようとの志向を持っている。
 精神衛生によくないので逐一読む気はしないが、最近の週刊朝日の表紙の言葉だけでも、上のことはかなり明らかになる。
 10/02号-「誕生・鳩山内閣全データ/高速無料化が日本を変える」
 10/09号-「今こそ、幕末・維新に学べ!/鳩山・民主党は官僚に『大政奉還』をさせられるか」
 10/16号-「八ツ場ダム/隠された真実」〔この欄で既に言及〕
 10/23号-「景気割れ回避・民主政権の秘策/小沢が仕掛ける『自民党壊滅作戦』/…」
 10/30号-「民主党革命・日本はこうなる/甘えるな経団連」
 〇九月中に、小林よしのり・ゴマニズム宣言NEO2-日本のタブー(小学館)は、まだ未読と思われるものと書き下ろし等の文章部分を読んでいる。
 「左翼の本質そのものが全体主義だから、左翼は無意識のうちに全体主義の言動をとってしまう! これがソ連の粛清を生み、収容所群島を生み、中国の文革を生み、ナチスのホロコーストを生んだのだ! 左翼の本質をなめてはいけない! 彼らは言論の自由が大っ嫌いなのだ!」(p.162)
 たまたま再度めくっていると、上の文章があった。
 〇サピオ11/11号(小学館)の小林よしのり「新・台湾論」・「天皇論・追撃篇」
 前者に、「着々と左翼全体主義の時代へと向かっている日本…」との語がある(p.62欄外)。
 後者は、小谷野敦への反論。小谷野敦の本を読んだことはあるが、信頼できないこと、はなはだしい。小谷野はいろんな分野に首を突っ込んでいるようだが、東京大学文学部(大学院)出身という以外に、何か誇れるものがあるのか? それだけで種々の問題に口出しできる資格があると傲慢な錯覚をしているのではないか? 小谷野に原稿を依頼する編集者たちもまた、表面的学歴等に騙されているのではないか。
 自称文学評論家らしい山崎某とともに、小林よしのりは小谷野敦も無視してもいいのでは。それにしても、歴史学者の協力でもあったのか、小林は江戸時代の庶民の「天皇」観等をよく調べて書いている。
 なお、小林よしのりの『天皇論』が20万部以上売れているというのは、出版界の話としては
特筆すべき現象なのかもしれない。けっこうなことだ。しかし、20数万程度ではまだ<大衆的>な大きな力にはならない、と嘆息せざるをえない。小林よしのり批判ではなく、日本には数千万人の有権者がいる、ということだ。
 〇かなり前に読んだが、月刊ボイス10月号(PHP)の渡部昇一「東アジア共同体は永遠の幻」は、基本的論調に全く異論はない。
 朝日新聞および若宮啓文は「東アジア共同体」構想を支持しているようだ。では朝日新聞・若宮啓文にとって、<大東亜共栄圏>構想はどう評価されるのか。
 <大東亜共栄圏>構想は日本が主導権をもつ「共栄圏」で、<東アジア共同体>構想は現実的には日本ではなく中国が中心になりそうだ、というのが、朝日新聞と若宮啓文が前者を論難し、後者を支持する根本的理由ではないか。無国籍または実質中国国籍の<左翼・反日>新聞、朝日。
 渡部昇一の文章には気になる点もある。
 第一。渡部昇一に限らないが、「保守」言論人は日本が中国と異なる「文明」圏に属することを言う場合、米国のハンチントンの本の言説に触れることが多い。「ハンチントンが(も)言うように…」という具合に。渡部昇一も同様(p.73)。
 だが、ハンチントンの見解が何故正しいと言えるのかに触れないで、ただ外国人の名前を出して自己の主張を正当化しよう、補強しよう、というのならば、欧米思想等にそのまま屈従してきたかの如き従来の日本の思想界・言論界のままではないか。
 ハンチントンがどう主張していてもよい。ハンチントンが中国・日本は同じ文明圏だと改説すれば、彼ら「保守」言論人も改説するのか? そうでないならば、やたらと外国人の名前を出すのは止めた方がよいと思う。
 かつての戦争が侵略戦争でなかったことを、マッカーサーもまたのちに「…主として自衛」と証言した、と触れて正当化しようとする「保守」言論人も多い。渡部昇一も同様のニュアンス(p.77)。
 だが、たんに補強するための一材料としてのみ使うのならよいが、マッカーサーの証言だけで結論が左右されるかのごとき書き方は、論理的にも誤っているだろう(これは渡部昇一の上記の文章の直接的批判ではない)。
 それこそご都合主義的に、「都合」のよい主張の外国の論者の名前だけを並べて…、ということを慎む必要があるのは、「保守」であれ「左翼」であれ、変わりはない。もっとも、事実自体の捏造と歪曲という、論理・方法以前のレベルでの<ウソ>をしばしばつくのが「左翼」のお家芸ではある。

 第二点めは、別の機会に。

0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。

 月刊ヴォイス9月号(PHP)の鳩山由紀夫「私の政治哲学」(p.132-)によると、彼のいう「友愛」は、フランス革命のスローガン中の「博愛」=フラタニティ(fraternite)のことのようだ。言葉だけ似ていて別物かと思っていたら、本人がそう書いている。
 その祖父・鳩山一郎がクーデカホフ・カレルギーの『全体主義国家対人間』を訳したときに(邦題は『自由と人生』)、「フラタニティ」を「友愛」としたらしい。
 鳩山由紀夫も共鳴・共感しているらしいカレルギーの本によると「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」。そして、カレルギーの本は反ヒトラー・反スターリンという、「左右の全体主義との激しい戦いを支える戦闘の理論だった」と由紀夫は書いている。
 この「友愛」主義を現代日本にあてはめると、基本的には「市場至上主義」ではない「共生の経済社会の建設」になる。より具体的な政策レベルでは、第一に「地域主権国家」の確立、第二に、「『東アジア共同体』の創造」だ、と述べられる。
 「左右の全体主義」の排斥は結構なことだ。だが、こう言うとき、鳩山由紀夫は、「右」のそれとして、安倍晋三平沼赳夫らを(あるいは「靖国」参拝政治家・国民を)イメージしているのではないか。
 「左の全体主義」とも戦うとすればぎりぎり容認されるのは社民党までで、日本共産党や中国共産党とは対立しなければならないはずだが、はたして中国「社会主義」を鳩山はどう見ているのか。鳩山は「中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい」(p.140)とか書いてはいるが、「『東アジア共同体』の創造」を現時点から国家目標として掲げ(p.139)、「各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創り上げ…」と言うとき、彼の立場はかなり「左」にあり、「共生」と「東アジア共同体」の背後に中国「社会主義」は退いて、「左の全体主義」には相当に甘いようだ。
 もともと鳩山のみの意向で政権が運営されるわけはなく、民主党の中には明瞭な親中国派、親「社会主義」派もいることが留意される必要がある。
 そして、サピオ9/09号(小学館)の巻頭の大原康男「ますます遠くなった首相の靖国神社参拝を憂う」から借りると、民主党現幹事長・岡田克也は、結果的・客観的には中国の主張に応じて「A級戦犯が祀られている限り、日本の首相は参拝に行くべきではない」と明言し(鳩山が同旨のことから別の国立追悼施設設置を主張していることは別の回でも言及した)、<チベット、新疆ウィグル問題>については「中国国内の事柄」で「中国の内政に干渉すべきではない」と明言した、という。
 A級戦犯「合祀を理由とする参拝反対は中国からの内政干渉が発端であるにもかかわらず、…たび重なる残虐な・非道な少数民族迫害・弾圧には内政不干渉の美名の下に容認」している(大原、p.3)わけだ。
 こうして見ると、鳩山由紀夫の二つ又は左右の「全体主義」との戦いという「友愛」主義も、嘘くさい。この人物も、戦後<民主主義・個人主義・自由主義>の優等生で、究極的には、右翼「ファシズム」よりも<左翼全体主義>=社会主義・コミュニズムを選択しそうな、つまり「容共」の考え方・意識の持ち主なのではないか。そして、それはもともとの祖父やクーデカホフ・カレルギーの考え方・意識からは離反しているのではないか。
 (なお、誰かがどこかで書いていたように、民主党政権ができるとすれば、それは<戦後レジーム維持>派の大勝利なのだ。)
 サピオ9/09号に上で言及したが、同号の小林よしのりの連載の最後の頁の欄外上には、「民主党は政権をとったら靖国神社に代わる新たな『国立追悼施設の建設』を本格化させ、『外国人参政権』『非核三原則の法制化』も実現させるつもりだ。……左翼全体主義の時代が近づいている」とある。
 鳩山政権が「左右の全体主義との激しい戦い」をするとは信じられず、むしろ「左翼全体主義」へ接近するように見える。ちなみに、「左翼全体主義(左翼ファシズム)」とは、昨秋の所謂田母神俊雄論文後の政治・社会状況を見て、私が(も)使った概念だった。
  

0252/月刊Voice7月号の谷沢永一コラム-都留重人。

 月刊Voice(ボイス、PHP)は殆ど読まないので知らなかったが、谷沢永一が毎号の巻末頁にコラムを書いているようだ。
 同誌7月号のそれ(第271回)は「保身」とのタイトルで、こんなことが書かれている。
 <近衛文麿は、昭和20年11月頃、彼が昭和16年9月の開戦決定の御前会議に首相として参加して対米開戦へ誘導したと「信じきっていた」米軍の某による訊問を受け、弾劾されていた。だが、開戦決定の御前会議は東条英機内閣のもとの昭和16年12月1日だった。
 かかる「偽りの歴史」を占領軍に吹き込んだのは、ハーバート・ノーマンと彼の親友・都留重人だった。都留重人は木戸幸一の実弟・和田小六の娘・正子を妻としていた。讒言は、義理の伯父という近い縁戚関係の木戸幸一を守るためで(も)あった。近衛文麿は中国からの撤兵・避戦を主張していたが、木戸幸一は天皇に上奏しなかった。「内大臣木戸幸一が陛下に実状を伝えなかったために…無謀にも開戦した」。木戸は「自分を安全地帯に置くため、開戦の責任すべてを近衛に押しつけ自殺させた」。(近衛の自殺は、昭和20年12月16日。)>
 占領下の歴史にも詳しくないため、戦時中や開戦時へと関心はなかなか向かわないが、関心を惹いたのは、都留重人の名があったからだ。この経済学者(一橋大学教授)は、1970年代くらいまで、<進歩的文化人>の代表格の一人として、岩波の雑誌・世界等を舞台にして活躍した。
 その知人ハーバート・ノーマンとは、日本について書いた歴史家の顔ももつが、カナダ人ながら戦後にGHQの一員となり日本の「左翼」知識人と親交を深め、マッカーシズムのもとで<共産主義者>の疑いをかけられ、ソ連(共産党)のエージェントであった疑いも強い、という人物だ。
 上の話が事実なら、<進歩的>・<左翼的>陣営からは人気の高かった(今でも高い?)二人の<ウソ情報>が、GHQの歴史認識を誤らさせ、一人の政治家の生命を短くしたことになる。ニセ情報は怖ろしい。とくに、「左翼」・マルクス主義者・共産主義の「ウソ」=情報謀略は怖ろしい。
 なお、上の話を谷沢永一は、鳥居民・近藤文麿「黙」して死す(草思社、2007)に依って書いているようだ。一読してみようか。
ギャラリー
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  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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