秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

日露戦争

0172/日露戦争とレーニンとスターリン-林達夫の一文。

 歴史のイフに言及した5/6の17時台のエントリーの中で「最後に、…日露戦争の勝利は、ロシア帝国の弱体化を早め、ロシア革命=社会主義国ロシア→ソ連の成立に寄与したのではないか。/日露戦争にロシアが勝利していてもロシア革命は起こった可能性は無論あるが、その時機を少しは早めたのではないだろうか。日露戦争は祖国防衛戦争だったと司馬と同じように私は理解しているが、それがレーニンらを客観的には助けたのだとかりにすると、身体がむず痒い感触も伴う。」と書いた。
 この問題に関係することが、林達夫・共産主義的人間(中公クラシックス、2005)の中の「『旅順陥落』-わが読書の思い出」に出てくる。  「旅順陥落」とはあのレーニンが日露戦争について書いた本だが、少し理解し難いものの、要するにレーニンは、日露戦争の日本の勝利を、「日本ブルジョワジー」の勝利ではあるが歴史に「進歩主義的」な役割を果たしたとして肯定的に評価しているらしい。レーニンは書いた。-「恥ずべき敗北を喫したのは、ロシア人民ではなくして、この専制主義である。旅順の降伏はツァーリズムのそれの序曲に外ならぬ」(p.333。  こう指摘され、ロシア革命を少なくとも早めたのだとすると「身体がむず痒い感触も伴う」。  ところが、二次大戦後に林達夫が読んだ雑誌の中に、ソ連の対日参戦後にスターリンが将兵に発したメッセージ全文が載っていて、それは<満州に進出したソ連赤軍将兵はかつてその父兄が受けた屈辱を雪いで仇をとった>という旨の「祝福」の文章だった、という。
 時代が異なるとはいえ、日露戦争の評価がレーニンとスターリンで正反対だ。
 林達夫は、スターリンの言葉を本心からのものと思うのは「阿呆」で、「清濁併せ呑む共産主義者の政治的逞しさ」か「同じく清濁併せ呑むソヴェート人民の政治的痴鈍」のいずれかだとし、どちらかというと、「マルクス・レーニン主義的啓蒙によってもなかなか犯し難い」ロシア庶民の気風を背景にした後者だろうという判断を示している。
 言ってみれば、スターリンは、当面の闘いの意義を見つけ、勝利するためには日露戦争敗北という屈辱の「仇」をとる、というマルクス・レーニン主義とは無関係な(と思われる)心情に訴える必要があった、ということになるのだろう。
 とすると、こちらのスターリンの方の理解もあまり楽しいものではない。
 ところで、林のこの小文は某雑誌1950年7月号に掲載され、のちに書名にもなった「共産主義的人間」は某雑誌1951年4月号に掲載されている。
 日本共産党が分裂し半分は地下に潜っていた頃だが、まだまだ<理論的>には共産主義又はマルクス・レーニン主義の影響力は強く残り、維持されていたように思われる。そんな時代の中では、とくに上の後者は、「共産主義的人間」を冷静に見てきちんと批判的に分析している。林達夫の本は、現在よりも後世にもっと読まれるようになるのではないか(現在はまだ、客観的にはマルクス主義の影響を受けた者の数が多すぎると思う)。

0122/日清戦争又は日ロ戦争に日本が敗北していたらどうなったか。

 歴史のイフを語ってはいけないとの言辞を読んだことがあるが、織田信長が本能寺で死んでいなかったらとか、坂本龍馬が明治維新期に生きていたらとかは、興味あるテーマだ。
 日清戦争に日本が負けていたらどうなっていただろう。日本が勝利したからこそ、(李氏)朝鮮国は中国の服属国ではなく、中国(清)と対等の国家になった。ソウルには今でもこれを記念した「独立門」というのがあるらしい。そして、(李氏)朝鮮国は名も改め、大韓帝国になった筈だ。
 とすると、日本が負けていれば、(李氏)朝鮮国に対する中国(清)の影響力はますます大きくなり、服属の度は強まり、「独立」などはできなかったことになる。そして、当時の清はすでに弱体化していたので、遅かれ早かれ、清とロシアの間で朝鮮半島をめぐる争いが生じていたように思われる。
 次に、日清戦争には日本が勝利したが日露戦争には敗北していたらどうなっていただろう
 手元で確認できないが、司馬遼太郎は「坂の上の雲」に関連して、小説自体の中にではなく別の文章の中で、<朝鮮半島はロシアのものになっていた>と明記していた筈だ。もともとが朝鮮半島をめぐっての戦争だったのだから、朝鮮半島全体がロシアの一部になること、又はロシアの傀儡といってよい政権がロシアの介入のもとで成立したことは十分に考えられる。
 当時は朝鮮半島をめぐって、日本、中国(清)、ロシアが対立していたのであり、日本が二つの戦争に勝利せず、大韓帝国を併合さえしなければ、朝鮮(あるいは大韓帝国)は自主的・自立的に発展を遂げることができた、というのは、とんでもない<妄想>だろう。ましてや、世界一の経済大国になっていただろうなどとの想像は噴飯ものだ(izanamiとかいう人は迂闊にも先日見た際にこう想像していた。他の全てがそうかもしれないが、真面目に書いているとすれば本当に気の毒な人だ。虚偽だと解っていてツッパッて書いているとすれば、これまた本当に気の毒な人だ。ご同情申し上げる)。
 以上のような問いに、原田敬一の日清戦争・日露戦争(岩波新書)が答えてくれている筈はない。この本はそうした問いを発してすらいない。
 だが、当時の東アジアの状況を見れば、日本だけを「悪玉」視して済む筈がない。日本がロシアに負けていれば、日本は朝鮮半島に続くロシアの実質的一部化(社会主義化!)の恐怖に怯えなければならなかった筈だ。
 最後に、言及されているのを読んだことがないテーマがある。すなわち、日露戦争の勝利は、ロシア帝国の弱体化を早め、ロシア革命=社会主義国ロシア→ソ連の成立に寄与したのではないか
 日露戦争にロシアが勝利していてもロシア革命は起こった可能性は無論あるが、その時機を少しは早めたのではないだろうか。日露戦争は祖国防衛戦争だったと司馬と同じように私は理解しているが、それがレーニンらを客観的には助けたのだとかりにすると、身体がむず痒い感触も伴う。

0106/高山正之・日本人が勇気と自信を持つ本-朝日新聞の報道を正せば明るくなる(2007)を少し読む。

 朝日新聞を批判する書物はすでに多いが、高山正之・日本人が勇気と自信を持つ本―朝日新聞の報道を正せば明るくなる(テーミス、2007.04)がさらに加わった。高山が月刊テーミスとの雑誌に連載したものを加筆・再編集したものらしい。
 33項目あるので、少なくとも33の朝日新聞の記事(社説を含む)を取り上げている。竹島、韓国、北朝鮮、文革、南京事件、現代中国、土井たか子等々と幅は広いが、過日、日露戦争等に関する原田敬一の岩波新書に言及したこともあり、日露戦争に触れた朝日の社説に関する部分をまず読んでみた。
 読んだ記憶はないし、Web上にも(たぶん)ないが、2003年1/17の朝日社説のタイトルは「日露戦争って何だった」らしい。そして、朝日の日露戦争のとらえ方は次だという。すなわち、「近代日本を朝鮮の植民地支配、さらに中国省略に向かわせた転換点」(「」内は朝日社説の一部の直接引用と考えられる)。
 また、日本は侵略国家だとしたうえで北朝鮮の核問題に話題を飛躍させ、北朝鮮を非難することなく、「その歴史をたどれば南北分断と朝鮮戦争に、さらに日本人による植民地支配、そして日露戦争へ行き着く」と書いたらしい。
 朝日新聞のかかる「歴史認識」を近年は読んだことがなく、推測していただけだったが、こうまで明確に「社説」で書いていたとは知らなかった。
 朝日によれば、日露戦争(の勝利)は朝鮮「植民地支配」・中国「侵略」への「転換点」で、それは、朝鮮半島の「南北分断と朝鮮戦争」、北朝鮮の核保有へとつながる、のだ。
 原田敬一の岩波新書(2007)は日露戦争から1945年の敗戦までを不可避的な一直線の歴史として捉えていたようだが、朝日によると、「南北分断と朝鮮戦争」や北朝鮮の核保有もまた日露戦争から「たどり」着いたものなのだ。
 呆れて、莫迦らしくて、開いた口が塞がらない。
 「日露戦争へ行き着く」で終わらせずに、日露戦争(の勝利)へと至るまでの、明治政府の「富国強兵」政策、さらに少なくとも明治維新自体まで一直線に遡らせたらどうか。
 1905年日露戦争勝利が1945年敗戦につながるという見方自体がすでに単純すぎて誤っている。朝鮮半島の「南北分断」と朝鮮戦争や北朝鮮の核保有までも日本に「原因」があるとは、一体どこから出てくる見解で、他にいったい誰が主張しているのか。とにかく日本の過去を「悪く」理解したいという歴史観(「自虐」史観)もここに極まれり、という感じだ。
 昨28日に四国・松山市に「坂の上の雲ミュージアム」とやらが開館したらしいのだが、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で描いた日露戦争は、上のような朝日新聞の捉え方とは全く異なっている。
 そのような司馬遼太郎氏を「商売」=金稼ぎのために利用して、週刊・司馬遼太郎なる雑誌その他の司馬遼太郎氏関係出版物を発行することを、朝日新聞社は即刻止めるべきだ。

0081/日本史学界ではまだ「信仰告白」が必要なのか-原田敬一の岩波新書。

 1974年頃、東京大学社会科学研究所編で『戦後改革』全8巻の講座ものが出ていて、「占領」期に関心があるものには必読の文献かにも見えるが、その第1巻・課題と視角(東京大学出版会、1974)の巻頭論文は大内力「戦後改革と国家独占資本主義」というタイトルで、その他の所収論文も見事にマルクス主義者又はそのシンパが書いているようだ。
 従ってとても読む気にならないのだが、大内兵衛の子息のその大内力は、経済学者だが1960年代後半に中央公論社から出た日本史通史もの(焦茶色の函入。売れ行き良好だった筈だ)の24巻・ファシズムへの道(1967)を書いていた。同じシリーズの20巻・明治維新(1966)の著者はあの井上清だったのだから、全執筆者でないにせよ、この1960年代後半の通史シリーズのおおよその「傾向」はわかる。
 新しい世代の歴史研究者もそうした「マルクス主義的」歴史学者の指導を受けたのだから、「社会主義国」ソ連等の崩壊があったりしたにもかかわらず、「ふつうの」社会や分野に比べて、まだ<日本史学界>(たぶん西洋史学界も)は、総じてより「マルクス主義的」だろうとは想像はつく。
 何しろ、諸君!2007年2月号の座談会で伊藤隆は「大学の歴史・社会科学系では…共産主義系の勢力が圧倒的多数派なんですね」と言い、中西輝政は「近年、むしろ増えているのではないですか。現在は昭和二十年代以上に、広い意味での「大学の赤化」は進んでいる…」とまで反応しているのだ(p.50)
 上のような想像があたっているかどうか、また司馬遼太郎はどう扱われているかに関心をもって、原田敬一(1948-)・日清/日露戦争(岩波新書、2007.02)を入手した。全部読んでいないし、たぶんそうはならないが、いくつか驚き、面白く感じるところがある。
 1.このテーマ又は時代だと、いかに小説とはいえ、今の時点で書かれる歴史だとすれば司馬遼太郎の「坂の上の雲」への言及は不可欠だと思うが、索引に「司馬遼太郎」、「坂の上の雲」はなく、本文の中にも一切の言及がない。司馬自身はその呼称を厭がったようだが、<司馬「史観」>-日清・日露戦争は「祖国防衛戦争」だった、その後日本はおかしくなった-に対して、批判的にでも言及してもよさそうなものだが、完全無視だ。
 藤岡信勝は汚辱の近現代史(徳間書店、1996)の中の「「司馬史観」の説得力-「東京裁判=コミンテルン史観」を覆す「坂の上の雲」」で、「坂の上の雲」を読んで「戦後歴史教育の呪縛」から抜け出せた、それまでは日清・日露戦争は「まぎれもない帝国主義戦争」で当時の政治家は「帝国主義的侵略主義者」だと思っていた、と告白している(p.52-53)。
 私は藤岡とは違って不勉強だったからか、そこまでの思い込みはなく明治維新以降1945年までの日本史全体を暗黒視してはいなかった。明治維新以降の「近代」化をすべて消極的に評価することはできない、と感じていた。
 それはともかく、国民の「歴史認識」に与えた司馬の本の影響は、どんな精緻な専門的歴史書よりも極めて大きかっただろう。
 そんな本も歴史学の研究書でなく小説にすぎないとなると無視されるのだろうか。また、小説でなく研究書といえるものであっても、歴史学プロパーの、要するに日本史アカデミズムの範囲内の本でないと無視されるのだろうか。例えば、産経新聞取材班編・日露戦争(扶桑社、2004)は当然に無視され、黄文雄は日本史学者と見なされていないのか、同・偽造された日本史(日本文芸社、1997)、同・台湾は日本の植民地ではなかった(ワック、2005)等も無視されている。
 もっとも、横手慎二(1950-)・日露戦争史(中公新書、2005)は「おわりに」の中で、「日露戦争と聞くと、すぐに司馬遼太郎の『坂の上の雲』を想いだす」、学生時代に、「たんなる小説と思いつつ、そこに書かれている日本の「歴史」に惹かれて一気に読んだ」、自分が日露戦争史を書くとは考えもしていなかった、と率直に記している。
 横手も大学教授なのだが「日本史」専攻でないようであり、外務省調査員という職歴もあって、原田よりは学界=アカデミズムの<様式>から「自由」なのかもしれない。
 2.同じ時代を扱った通史ものはふつうは参考文献として挙げられている筈と思っていたら、中央公論社の2000年頃の『日本の近代』シリーズの3巻の、御厨貴・明治国家の完成1890-1905(2001)は無視されており、佐々木隆の1992年の著は挙げられながら、講談社の2000年頃の通史シリーズ・『日本の歴史』の21巻の、佐々木隆・明治人の力量(2002)は無視されている。
 本を書く場合に先行業績を全て列挙する必要はなく「参考」にした文献のみを挙げるので足りるから、上のような形式的なことを原田著の欠点と評することはできないだろう。大江志乃夫・靖国神社(岩波新書、1984)が参考文献とされながらその他の靖国神社関係文献が挙がっていないと批判しても無意味なのかもしれない。だが、かかる形式的なことは原田著の内容にもつながっているようだ。
 3.原田著の「はじめに」p.9は書く-「近代日本が欧米文化の学習で優等生だったことが、1945年の破滅を呼ぶことになる…」。この文を読んで、この人は基本的な「論理」を判っている人なのかと疑問に思った。
 「1945年の破滅」の原因の一つは「近代日本が欧米文化の学習で優等生だったこと」だ、と言うなら解らなくはない。だが、「近代日本が欧米文化の学習で優等生だったこと」が「1945年の破滅」の原因だ、と短絡的かつ単純に言い切れるのか。相当に太い(そして粗い)神経をもつ学者のようだ。
 4.計6頁の「おわりに」に限っても、奇妙な点が多い。
 ア.韓国併合条約締結の日に寺内正毅が山県有朋に送った手紙の中に併合後の「一大骨折りの仕事」は腐敗した日本人官吏の処分だ旨書いてあることを、「支配者である日本人が驕っており、自省は困難だった事実」を示す一つだという(p.239) 。なぜこう言えるのか私には解らない。原史料を使っているようだが、腐敗→驕慢、とりわけ腐敗→自省困難という論理の正しさはどうして実証されているのか、不思議だ。
 イ.台湾、朝鮮という「植民地」経営の実際をこの著者は文献上でもいかほど知っているのか。欧米の如き極悪な支配をしてはいないという「言い訳」はこの人によると「一笑に付される低い水準のものでしかないらしい(p.238)。だが、そのための根拠・資料は示されていない。言いっ放しだ。
 ウ.「韓国併合は、腐敗していた朝鮮王朝に責任がある、と…積極的に植民地化へ動いたことを隠蔽して、…正当化する意見を批判している(p.239)。だが、「腐敗していた朝鮮王朝」に「韓国併合」に至った「責任」の一片もないのだろうか。「ない」と考えていそうに理解できる文章だ。本当にそう考えているなら、この人にはこの時期の朝鮮・韓国史を語る資格はない。(なお「植民地」概念が簡単に使われるのも気になるが、ここでは省略しておこう)。
 エ.日本が「1945年の敗戦」という「外圧」により「植民地問題」を「解決した」という「歴史的経緯」の「出発点が「日清戦争から日露戦争へ」の時期にあった」と、最後にまとめ的な文章がある(p.240)。
 この本は「近代日本が欧米文化の学習で優等生だったこと」→「1945年の破滅」という論理を採用していることに上に触れたが、ここでも「日清戦争から日露戦争へ」の時期から「1945年の敗戦」までを一直線の歴史として捉えているのが明瞭だ。日清戦争前の「欧米文化の学習」の時期まで含めると明治維新から昭和の敗戦までが、ひと続きの不可避的な歴史の流れと理解されている如くだ。
 そうだとすれば、まさしく、明治になって以降敗戦までずっと「日本は帝国主義国化して悪いことをしてきました」という史観であり、昭和になって以降に限っての「東京裁判史観」を超えた、「コミンテルン史観」的なものに著者が浸かっていることがほぼ明らかになる。
 歴史研究者ではない素人が何をほざくかと思われるかもしれないが、歴史はそう簡単又は単純に語れるものではないだろう。
 じっくりと本体を読んで印象が変われば改めることを厭わないが、新しい文献・史料を使いつつも、またマルクス・レーニン主義的概念の使用を注意深く避けつつも結局は、明治以降敗戦までの日本を「悪」又は「非」と見る伝統的なマルクス主義史観に依っているのではないだろうか。ちなみに、p.240は、マルクス亜流の、あるいはマルクス主義者が正面から同主義を語れなくなった場合に逃げ込むとも言われることがある、サルトルに肯定的に言及してもいる。
 某書籍ネット販売サイトにこの本についての「レビュー」が2つ載っている。記入者名(ハンドル名)は省略するが、1つは、「なかなか面白いし、読ませてくれます」と肯定的なタイトルをつけつつ、「司馬史観に代表される「輝かしい明治」というテーゼを学術的に壊しておこう、という明確な意図が感じられます」。この点に賛成かは不明だが、この指摘どおりだろう。
 2つは、こう書く。「日清・日露戦争というのは、司馬遼太郎に代表される素朴保守的な近代史観や、保守・右派的な史観では、日本の安全保障上の脅威からの自存自衛戦争であり、「輝かしい」「近代の成功」を象徴するものであり、時には「アジア諸国民の独立運動を勇気づけた」などと肯定的に語られることが多い。/しかし本書ではこのような観点はとらず、一連の対外戦争を通じて、日本が植民地を獲得し、これらの地域・国民を統合し、いかに「大日本帝国」への道をたどっていったかを示していく。また、近年の「台湾・朝鮮に『極悪な植民地支配』をしたわけではない」という「言い訳」は、近年の研究によると「一笑に付される低い水準」のものだとしている。/新書という形式上、十分掘り下げた議論は難しいが、当然これらの見方に対しては猛烈な反発が予想される。いずれにしても、「岩波的」「進歩的」なこの時期の研究の成果が凝縮された一冊であるといえよう」。なかなか適確に要約・論評している。
 ところで、原田著の「あとがき」に説明や根拠素材提示不十分の断片的で「言いっ放し」の奇妙な叙述があると上に書いたが、上の4のとくにイ.とウ.は、この著者の「信仰告白」のようなものではないか、と、自信はないが、ふと感じた。
 つまり、本文で十分に扱っているわけではないが、自分はこういう「立場」の人間ですよ(だから安心して下さいよ)、ということを、読者にというよりも、同業者たちに、とりわけ「仲間」の同業者たちに確認的に明示しているわけだ。
 もしそうならば、そういうことをしなければならない「日本史学界」とは、かなり窮屈な、「学問の自由」ではなく「政治」が横溢している世界のように思えてしまうのだが…。

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