秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

日経BP

0227/竹内洋による立花隆批判-「レッテル貼り」だけ。

 月刊・諸君!7月号佐藤優=竹内洋「いまなぜ蓑田胸喜なのか-封印された昭和思想」という対談がある。佐藤優は名前はよく知っているがその本を読んだことはない。一方、竹内洋(京都大学教育学部→関西大学文学部)は、精読とまではいかないだろうが何冊か読んだことがあり、この人は<信用できる>と感じている。
 そういう先入観もあるからだろう、蓑田胸喜の評価又は読み方について、竹内洋が(佐藤優も)実質的に立花隆を批判しているのが興味深かった。
 立花隆・天皇と東大(文藝春秋)は簑田のパンフの文章を見て「真正の狂人」と書いているらしい。
 竹内洋はいわく-「たしかに簑田の文章は過剰で過激かもしれないけれど「狂人」とは思えませんね。だったらアジビラ作成者やアジ演説者はなべて「狂人」となります」。
 立花隆は上の本で蓑田を「精神障害者」と「断定」して「非常に低レベルの知識人であると断じている」らしい(竹内による)。
 竹内洋はいわく-「理論の方向はたしかに問題があるかもしれませんが、彼の知的水準はかなり高い」。
 これに佐藤優も応援して言う-「立花さんのように蓑田を「狂人」としてしまうと、すべての議論はそこで終わってしまう
」。
 
竹内洋が重ねていわく-「立花さんのやっていることは、蓑田はとんでもない奴だと言っているだけです。それだけでは、蓑田と蓑田的なるものにレッテルを貼って封印するだけになってしまう」。
 最後に、立花隆は蓑田の終戦直後の「自殺」は「精神がおかしくなったからだという書き方をしている」らしい(竹内による)。
 竹内洋はいわく-「私が思うに彼は縊死するかたちで責任を取ったんだと思います」(p.133)。
 立花隆・天皇と東大は文藝春秋に連載中に一部は読んだだろうが、本を買う気はないし、読む気もない。
 4/27に書いたが、同氏は
日経BPのサイト内の4/14付けコラムを、「9条を捨てて『普通の国』になろうなどという主張をする人は、ただのオロカモノである」と結んでいる。
 立花隆という人は気にくわない人や論調をかかる簡単な言葉で<切り捨てる>趣味があるようだ。それが進めば、<レッテル貼り>、しかも「精神障害者」・
「狂人」との<レッテル貼り>で済ませることにもなってくるのだろう。
 いずれにせよ、少なくとも近年の立花隆の議論の仕方は正常ではない。竹内洋等を通じて間接的に知ったのみだが、上の本もどうやら、冷静な分析・考察の本ではなさそうだ。
 立花隆なら、こう書いてもきっと許すだろう。-立花隆の大脳の中の知性・理性・論理を掌る脳細胞は、急速に劣化し、腐食してきているのではないか。

0157/立花隆は「厚顔無恥」にも詫び・訂正を明示せず<こっそり>修正した。

 これまた些か古い話題だが、私にはきわめて興味深かったことなので、記録に残しておきたい。立花隆という人物がいかほどの人物なのかを、ある程度は示しているように思う。
 昨年の11/23のことだが、日経BPのサイト内の立花隆のエッセイ連載記事に入ってみると、「踏みにじられた教育基本法審議」という11/17付のコラムが掲載されていた。
 残念ながら保存しなかったが、そこには、明らかに、<教育基本法改正案につき衆院で与党が単独採決したのは参院が審議・議決しなくても30日経てば(衆院議決のままで)自然成立するのを待つためだ>、との旨が書いてあった。
 この記述内容の中核、すなわち、<参院が審議・議決しなくても(衆議院議決から)30日経てば衆院議決のままで法律は自然成立する>、というのは、明確な誤りだ。憲法59条~61条を見て確認すれば、すぐに分かる。
 おそらく立花隆には、60年安保の際の記憶が鮮明すぎて、条約と法律の区別がついておらず、衆議院が議決すれば条約は参議院がなくとも衆議院議決後30日経てば批准される、という条約の場合と混同していたのだ。
 cf.「61条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。」
 「60条第二項 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。」
 さすがに、日経BPの編集部は誤りに気づいていたようで、「編集部注」として正しい内容が11/23の時点で記されてあった。
 cf.「59条第二項 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。」
 ところが何と、11/25に再び同じ立花隆の同じエッセイ欄を見てみたら、「よく知られているように、…参院の審議内容がどうあれ、それが審議時間切れで衆院に戻されても、法案は再び衆院の3分の2以上の賛成があれば可決してしまうからである」と、本人の訂正の言葉は一片もなく、日付を変えることもなく、憲法規定の正しい内容通りに実質的に修正されていた。
 細かな憲法規定の知識に関することだが、上のような訂正を<こっそり?>としておいて、「よく知られているように」とはよく書けたものだ、と思った。「よく知って」いなかったのは、立花隆自身ではないか。これが他人の場合なら、立花隆は、<厚顔無恥>という批判の言葉を浴びせかけたのではないか。

-0007/「中国は社会主義の衣をまとった封建国家」-立花隆は?

 日曜とはいえ勝谷某と比べて12時間遅い(早い)生活リズムになって、体の調子がどこかおかしい。今日は2+1の計3冊届いた。このあと、5日ぶりくらいに最寄りの繁華街を散策し古書店にも入ってみよう(歩ける遠さではない)。
 読売の昨日の朝刊2面に、中国南東部地方で台風のため少なくとも104人死亡、行方不明190人とある。日本で水害数百人の死者となれば大騒ぎだが、治水のインフラ不備等の中国では珍しくもないのだろう。6面の「ドイモイ20年」との連続囲み記事中には、ベトナム「共産党の支配は大きく傷ついている」、「公正な社会の実現は、はるかかなただ」等とある。今でも社会主義・共産主義幻想を残している人々はいるのだろう。20世紀に関する歴史学上の最大の課題はなぜコミュニズムはある程度の期間、ある程度の地域で成功したのかだ、というのが私見方だ。帝国主義でもドイツ・ファシズムでも日本軍国主義でもない。
 立花隆・滅びゆく国家(2006.04、日経BP)は少なくとも一部に中国への「愛着」と「幻想」を示しており、かつての立花作品の愛読者としては幻滅した。逐一コメントしていくには、多すぎてこの欄は相応しくない。
 この本と同様に月刊誌・週刊誌等への連載寄稿をまとめたものに、最近では櫻井よしこ・この国をなぜ愛せないのか(ダイアモンド社、2006.06)がある。表面的に比べてみると、北朝鮮・拉致問題への言及が立花本には一切なく!、櫻井本には当然にある。精読していないが、立花本には(小泉は靖国参拝で中国を「挑発」するな旨言うくらいだから)中国批判、将来の中国への憂慮を示すフレーズはないのでないか。
 どちらが売れているのだろうと、某ネット販売サイトに今朝の未明に入って見てみたら、櫻井本5534位に対して立花本は80684位、しかも立花本の「カスタマーレビュー」の見出しに(だけでも)「立花隆にしてこれか」、「真に滅びゆくのは誰?」、「知の巨人?」などがあった。某社の販売数がどの程度全体を反映しているのか確たる知識はないが、それでも読者は「健全な」反応をしていると感じた。
 これまた読みかけの北村稔・中国は社会主義で幸せになったのか(PHP、2005)は中国を「社会主義の衣をまとった封建国家」としている。黄文雄・それでも中国は崩壊する(ワック、2004)などもある。ソ連と同様に中国共産党の支配もいずれ破綻するのが「歴史的必然」のように思うのだが。
ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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