秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

日本評論社

1362/憲法学者の平和安保法「違憲」論は正しくない-5(終)。

 一 一年以上前の2015年6/18に「さらに続ける」と書いたままだったので、律儀に?最終回を書く。
 2015年前半に話題だった安保法案は国会・両議院ですでに可決・成立し、2016年4月に施行された。
 いわゆる(限定的)集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈は、内閣法制局でも行政権の権限主体たる「内閣」でも内閣総理大臣の解釈でもなく、「国権の最高機関」であり「国の唯一の立法機関」(憲法41条)である国会の憲法解釈になった。安倍晋三が憲法を歪めるとか壊すとか、立憲主義に違反するとかの批判は、両議院での可決・改正諸法律成立以降、国会に向けられなければならない。日本共産党党員憲法学者その他の多くの憲法学者は、このことに反対できないはずだ。恨みたいならば、国会(両議院)を呪詛したまえ。
 二 さて、最後に論及しようと思っていたのは、いわゆる平和安全保障法制は違憲だとする憲法学者たち等は、日本の安全保障環境をどう認識しているのか、だった。もともと日本国家や日本国民の「安全・平和」に(口先だけの、あるいは政略的のみの)関心しか向けていない学者たちが多いのかもしれない。だが、法規範の「解釈」にも、ある程度は「現実の認識」が必要であるはずだ。
 民科(民主主義科学者協会)法律部会という一つの学会の前会長であり、ほぼ間違いなく日本共産党の党員だと言える浦田一郎は、安保法制の基礎となったとされる2014.07.01の「集団的自衛権行使容認」閣議決定を解説しつつ批判する中で、20015年の春につぎのように言っていた。
 「軍事的緊張が高まった側面が一面的に強調されている。冷戦下で米ソが核兵器によって軍事的に対抗していた状況より、現在ははるかに緊張は低下している。このような緊張の緩和という側面が無視されている」。
 以上、森英樹編・集団的自衛権行使容認とその先にあるもの/別冊法学セミナー(日本評論社、2015.04)p.179。
 これを読んで、なるほど、日本共産党は、いや「左翼」でもよいのだが、中国や北朝鮮の「危険」性・「脅威」を無視しているか軽視している、現実を客観的に見ようとはしていない、その背後には<親中国・反アメリカ>感情、かつての<社会主義幻想>、がある、と感じたものだ。
 日本共産党の党員学者にとっては、上のような認識は当然かもしれない。
 日本共産党はかつてソ連の解体直後には、仮想敵だったはずのソ連が崩壊したにもかかわらずアメリカは軍備を縮小しようとしない、などと(都合よく)主張していた。
 彼らにとって、中国等ではなく、党の綱領上、アメリカと日本「反動」勢力こそが<敵>なのだ(かつては、アメリカ帝国主義と(それに従属した)日本独占資本の「二つの敵」と言っていた)。
 日本共産党(党員)にとって、とりわけ1998年に同党と中国共産党が友好関係を再設定して以降は、中国(・共産党)や北朝鮮は日本の安全・生存にとっての現今の最大の脅威であってはならないのだ。
 このような現状認識から、まともな安全保障関係の憲法「解釈」論が出てくるはずはない。日本共産党党員以外の多数の(日本の)憲法学者もまた、受けてきた(法学教育を含む)教育や「左翼」的出版物・メディア等によって、目を曇らされてきた、と言えるだろう。
 三 日本共産党中央委員会「理論政治」誌・前衛2015年1月号(同中央委員会)の中に、「宮地正人さん(東京大学名誉教授)に聞く」「第二次世界大戦をどうみるか」というものがあり、宮地正人は最後につぎのように語っている。
 なお、この宮地正人は日本共産党党員だと理解して間違いない。同党員でない者が前衛や「赤旗」に登場して発言したり論考を寄せたりすることは、(記事の性格にもよるが)ありえない、と考えられるからだ。いかに○大学教授とか△大学名誉教授とかの肩書きになっていても、日本共産党々員だと理解する必要がある(朝日新聞社や日本評論社等の出版物にもこのような肩書きで執筆している者が、上記の別冊法学セミナーの浦田一郎や森英樹のように、少なくないことを銘記すべきだ)。
 「二一世紀の日本は、…。対米従属と軍事一辺倒、集団的自衛権にいくのではなく、憲法第九条を柱とする日本国憲法を表に立て、東アジアの地域的な結束をつくることです。…<中略>。…いまの安倍内閣はまさに逆行する、一番まずい方向に、日本と日本国民を追い込もうとしているのです。/
 この憲法と日本の民主主義をアジアの人たちへの旗印として、共同の目的として掲げる前提が、なによりも満州事変以降の日本の侵略戦争に対する戦争責任を総括し、謝罪することです。この前提はすでに『河野談話』と…政府の侵略と植民地支配への謝罪(『村山談話』)としてある
のです。それを堅持することが、日本の二一世紀の道を切り拓く前提だと私は思っています」。
 何とここには、「東アジア」と言いながら、中国あるいは北朝鮮の軍事的膨張政策・動向への言及がまるでない。これこそが日本共産党と同党員の思考であり「認識」だと、ふつうの正常な日本人は知っておかなければならない。
 また、明示的に「河野談話」と「村山談話」にこだわっていることも明らかだ。日本共産党と同党員たちにとって、橋頭堡を守るためにも、「河野談話」・「村山談話」を日本政府に堅持させることはきわめて重要なことなのだ。「村山談話」は克服されたとか、「河野談話」の継承は外交上必要だったとか主張して、これらの談話の継承と闘おうとしない論者は、決して<保守>ではなく、現在の日本共産党の路線に客観的には追随している。
 
 

1247/日本評論社・法律時報という「容共」・「護憲」雑誌。

 現物を手にしていないが、別の某雑誌に載っている広告によると、日本評論社という出版社発行の専門分野の雑誌らしき「法律時報」の編集部は、法律時報編集部編・「憲法改正論」を論じる(法律時報増刊)という書物(又は雑誌の特別号)を刊行している。そして、広告に謳われた惹き文章は次のとおりだ。
 安倍政権下で進行している『憲法改正』論に警鐘を鳴らし、理論的な対抗軸を示す。憲法学はもとより、隣接領域や諸外国からの知見をも盛り込む」。
 この日本評論社がかつて1970年代に<マルクス主義法学講座>という講座もの、たぶん全8巻程度、を刊行していたことはこの欄ですでに何度か触れた。その際に触れたかどうかは忘れたが、そのときの同講座の編集担当者だった林克行は、のちに同社の社長になった。「左翼」性の明らかな浦部法穂および辻村みよ子の憲法(学)教科書は日本評論社から発行されている。上記の法律時報編集部編・「憲法改正論」を論じるを含む広告欄の隣に掲載されている同社刊行の書物のタイトルは、家永三郎生誕一〇〇年で、誕生100年記念実行委員会編だから、家永三郎に批判的な本であるはずはない。
 日本評論社には、少なくともかつて、家永三郎の子息も勤務していた。
 家永三郎に関する書物の隣で広告されているのは、樋口陽一・森英樹・辻村みよ子ら編の国家・自由・再論、だ。
 したがって、この出版社発行の雑誌編集部が「『憲法改正』論に警鐘を鳴らし、理論的な対抗軸を示す」ことを図ることは当然かもしれないし、そのことをここで批判するつもりもない。改憲派の雑誌もあるし、護憲(又は憲法改悪阻止)派の雑誌もある。
 だが、朝日新聞社や岩波書店以外に、明確に憲法改正反対の方針をもつ法学関係の雑誌、そして出版社があることは広く知られておいてよいと思われる。いつか触れたが、日本共産党系又は親日本共産党の(当然に日本共産党員学者を含む)「民主主義科学協会法律部会」(民科・みんか)という学会の機関誌を発行しているのも、この日本評論社だ。
 関西系のテレビで夕方に「反安倍」の立場でコメントしていて今春頃に降りた(その理由は知らない)森田実は東京大学学生時代に日本共産党→ブントの活動家だったはずだ。
 森田実は、ネット情報によると2007年5月の自著出版記念会で、こう挨拶している。「来る7月22日の参院選を、日本国民が過去を反省し、国民の多数が誤った政治を支持してきたという過去の過ちを正し、再出発する日にしたい」、「そのためには、日本国民が安倍自公連立政権の側に立つ政治家を拒否すること、安倍自公連立政権の対極に立つ野党(民主党、社民党、国民新党)の候補者を当選させることが必要である」。
 そして、この会に出版社社長の中でただ一人メッセージを寄せたのは、日本評論社社長・林克行だった。
 どうやら、森田実は、少なくとも一時期、日本評論社で働いていたようだ。
 このような「政治的」立場の明確な出版社であることを知ってこの社から本を出している者もいるだろうし、また法学界には、日本評論社的な<親共、反・反共>の者が多いのかもしれない。
 だがもちろん、このような立場・考え方が<親中国・親北朝鮮>のそれでもあることを、とくに定見もなくこの出版社から本を出したり、この社の雑誌に執筆している(脳天気な)者たちは知らなければならない。

0953/辻村みよ子・フランス革命の憲法原理(1989)は「社会主義」の失敗・死滅を予想していたか。

 一 ブレジンスキーはアメリカ中心の歴史観・時代観に立っているだろうし、共産主義に対する「民主主義」の勝利という書き方をしているのも、欧米的「民主主義」に万全の信頼を置かないかぎり、全面的には賛同できないところがある。

 だが、1989年の前半の時点で<共産主義の死滅>を明瞭に予測した書物(伊藤憲一訳・大いなる失敗、計366頁)を執筆しえたことは、やはり記憶にとどめられてよいものと思われる。

 二 ところで、既に言及している辻村みよ子・フランス革命の憲法原理―近代憲法とジャコバン主義(日本評論社)は、1989年7月に刊行されている。

 この書は序章によると、「人民主権」原理による男子普通選挙制・人民投票制等の「民主的な内容」をもったためにフランスで「最も民主的な憲法」等と評価されてもいる1793年憲法、パリ・コミューンや第二次大戦後の「左翼共同政府綱領」等々においていわば「反体制のシンボル」たる役割を果たしてきた1793年憲法、について、「その特質とブルジョワ憲法としての限界を明らかにしよう」とするもので、同時に、①「ブルジョワ革命期憲法」=「近代市民憲法」の「本質と限界」等にもアプローチし、②「近代市民憲法の嫡流である日本国憲法の諸原理との比較研究」も行う(p.3-6)。

 フランス革命の簡単な通史である河野健二・フランス革命小史(岩波新書、1959)は、むろん辻村著のごとく1793年憲法に詳細に立ち入っていないが、「ルソーの問題意識と理論の継承者」だったとするモンターニュ派=ジャコバン派の支配したフランス革命の一時期と1793年憲法について、次のように書いていた。

 ・1793年憲法は「ルソー的民主主義を基調」とし、「『人民』主権」を採り、議員は選挙民に「拘束」された。この最後の点は「『一般意思』は議員によって代表されないというルソーの理論の適用」だった(p.148)。のちの「民主主義者たち」や「二月革命期の共和派左翼」は「福音書」扱いし、「革命の最大の成果をこの憲法のなかにみた」(p.148-9)。

 ・ロベスピエールとともに公安委員会委員だったサン=ジュストは「反革命容疑者の財産を没収」し「貧しい愛国者たちに無償で分配」することを定める法令を提案し制定した。「ルソーが望んだように『圧制も搾取もない』平等社会を実現」することを企図したものだが、「資本主義が本格的にはじまろう」という時期に「すべての人間を財産所有者にかえようとする」ことは「しょせん『巨大な錯覚』(マルクス)でしかなかった」(p.157)。
 ・経済的には「ブルジョア革命」は1793年5月に終わっていたので、その後に「ロベスピエールが小ブルジョア的な精神主義」に陥ったときに「危機が急速度にやってきた」。しかし、「ロベスピエール派」の「政治的実践」は「すべて無効」ではない。国王処刑と独裁は「一切の古い機構、しきたり、思想を一挙に粉砕し、…政治を完全に人民のものにすることができた」。「この『
フランス
革命の巨大な箒』(マルクス)があったからこそ、人々は自由で民主的な人間関係をはじめて自分のものとすることができた」(p.166-7)。
 ・この時期に「私有財産にたいする攻撃、財産の共有制への要求があらわれた」。とくにロベスピエールは、「すべての人間を小ブルジョア的勤労者たらしめる『平等の共和国』」を樹立しようとしたが、この意図は「輪郭がえがかれたままで挫折した」(p.190)。
 ・「資本主義がまさに出発」しようとしているとき、「すべての人間を小ブルジョアとして育成し、固定させようとすることは、歴史の法則への挑戦であった」。「悲壮な挫折は不可避」だった(p.190)。

 この河野健二著は、ジャコバン独裁期と1793年憲法の「特質と限界」を、すでに簡潔に述べていた、と言えるだろう。

 河野によれば、大まかにいって、ジャコバン独裁期と1793年憲法は、「民衆」とともに(「民衆」のための)急進的平等主義を目指したがゆえに「歴史の法則」に反し、そのゆえに不可避的に「悲壮な挫折」をした。

 辻村みよ子もまた、より複雑に叙述しているとはいえ、河野健二と似たようなことを書いている。例えば、総括的な章の中に、1793年憲法が「民主的・急進的な憲法原理」を持っていたことを認めたうえでの、次のような文章がある。

 ・1793年憲法の「不完全な」「人民主権」原理でさえ、ロベスピエールらは「あくまで(議会)ブルジョアジー」で「民衆」とは一線を画し、「民衆の利益を共有することは本来的に不可能」だったために、「危機」がなくとも実施されなかっただろう。

 ・「一方、主権者としての民衆も、この民主的な憲法を実施するには、あまりにも未熟」だった(p.376)。

 河野はロベスピエールは「民衆の力を基礎として資本の支配に断乎たるたたかいを挑み、一時的にせよ、それを成功させた最初の人間」だと評するのに対して、辻村はロベスピエールらは「民衆」とは社会基盤を異にする「議会ブルジョアジー」だったとする。このような、あるレベルでは重要かもしれない違いはあるが、<「民衆」を基礎にしたさらなる(徹底的な)変革を現実に行うには、時代的・時期的な限界があった>という点では共通の理解があるものと思われる。

 興味があるのは、1989年に書物を刊行したとき、辻村みよ子は、いかなる時代状況、あるいはいかなる「歴史の発展」方向にかかる意識・認識をもっていたのか、だ。

 ほぼ同時期に、「共産主義(・社会主義)」の死滅を予見するブレジンスキーの本が出ていたし、すでにソ連や東欧等の<激変>の兆しは表れていた。

 にもかかわらず、やはりこの人は、絶対王政→近代市民(ブルジョア)革命→社会主義革命という<見通し>をなおも有していたのではないか。

 辻村自身が、1793年憲法はパリ・コミューンやバブーフ等々によって参照されかつ支持されてきたことを述べている。バブーフについて、こう書く。

 「私有財産を廃止による徹底的な平等と人民主権の実現をめざしていたバブーフも、一九七三年憲法を高く評価していた」(p.377)。「バブーフの平等主義」は1793憲法の諸原理を「超える」ものだったが、1795年憲法に対抗して「民衆や反政府的共和主義者」の力を結集するためには、彼らが尊重すべき「民衆的・民主的伝統の源泉」だった1793年憲法は「必要かつ最も適切な道具」でもあった(p.378)。

 しかし、辻村は、注意深く(?)、1793年憲法あるいはジャコバン独裁(ロベスピエールら)とマルクスやレーニン(・ロシア革命)との関係に言及することを避けている。おそらくは意図的にだ。

 これについては河野健二の著が、すでに紹介した中にマルクスの言葉が使われていたように、率直に語っている。
 ・レーニンは1915年に、「マルクス主義者」は「偉大なブルジョア革命家に、最も深い尊敬の念をよせ」る、と書いたが、その際、「彼はロベスピエールの名前をあげることを忘れなかった」。

 ・「ロシア革命の一歩一歩は、フランス革命におけるジャコバンのたたかいと、公安委員会とパリ・コミューンの経験を貴重な先例として学びつつ進められた」(p.193)。
 そもそもが、辻村が「ブルジョアジー」と区別して用いている「民衆」とは、いったい何を指しているのだろうか。何を意味させているのだろうか。この人が頻繁に使う「民主的」とかの概念とともに、じつは明瞭には説明・定義されていない。

 だが、おそらくは、のちには(のちのロシア革命では)革命の「主体」となった「民衆」、すなわちマルクス主義用語にいう「プロレタリアート」(労働者大衆)を意味させているのだろう。「ブルジョアジー」と区別して対比させられる範疇としては、これしか考えられない。

 辻村みよ子はおそらく、早すぎたがゆえに挫折した「社会主義革命」の試みまたはその萌芽をジャコバン独裁と1793憲法のうちに見て、今日でも、「近代市民憲法の嫡流である日本国憲法」の解釈論等に1793年憲法の諸原理を生かそうとしているとしているのだろう(具体例として、外国人参政権肯定がある)。

 このような辻村にとって、1989年の時点で、ロシア革命により成立したソビエト連邦等が崩壊することなど、微塵も想定できないことだったに違いない。

 現在では、社会主義への「発展」については多少は自信(?)を無くしているかもしれない。だが、日本国憲法を「近代市民憲法の嫡流」とあっさりと書いた辻村は、今日でもなお、佐伯啓思のいう「マルクス主義だの戦後進歩主義だの」という思潮の影響を受けた者の「思い込み」、すなわち「西欧近代は、中世・封建制を打倒して、人間の普遍的な自由を打ち出したという歴史観…。そして、日本は、…明治に西欧的近代を導入し、…戦後に改めて自由と民主主義を確立した」という「思い込み」(12/13エントリー参照)だけには少なくとも強く浸ったままだろう。

0938/三島由紀夫の「憲法」理解の対極にあった憲法学界の<親社会主義>。

 一 三島由紀夫は1970年11月に、「生命尊重以上の価値」をもつ「われわれの愛する歴史と伝統の国、日本」を「骨抜きにしてしまった憲法」と、1947年憲法(日本国憲法)を評した。そこで念頭に置かれているのはとくに、国家の軍隊の存在を否定する九条2項であることは明らかだ。自衛隊が存在しながらこれを正規の「軍その他の戦力」と位置づけない憲法解釈は、あるいは憲法改正によってそれを明瞭にしない<憲法護持>論は、三島にとって、姑息で欺瞞に満ちたものだった。

 こういう三島のような理解は、しかし、当時の政治家・国民の多数派のものではなかったし、ましてや憲法学者の大勢の理解でもなかった。

 当時はもちろん、今日でも、上の三島由紀夫のような理解は日本の憲法学界においてほとんど支持されていないと見られる。

 なぜか。端的に言って、戦後の憲法学者の圧倒的多数には、<社会主義幻想>がはびこっていたからだと思われる。資本主義→社会主義という<歴史の発展法則>に添うような憲法解釈をしようとすれば、日本が<社会主義>国になるためには、日本は(資本主義国たる日本を守るための)正規の「軍隊」などを保持してはならない、ということになる。その帰結は、①自衛隊を「違憲」の存在と見て廃止または縮小を求めるか、②自衛隊は正規の「軍その他の戦力」ではないために「合憲」であるという一種の強弁に、じつは詭弁・虚言に、少なくとも表向きはしがみつくか、のいずれかだった。

 <社会主義幻想>の内容の一つは、社会主義国は<平和愛好>的で資本主義国は<侵略的>とのデマだった。

 社会主義国ならばともかく、資本主義陣営の日本国家に、<侵略>性を有する軍隊などを保持させてはならなかった。かかる観点から憲法9条2項の解釈と自衛隊へのその適用も論じられたのだ。

 二 日本の憲法学・公法学が、表面的にはともかく、<体制選択>に関する特定の判断を前提として議論を展開させてきたことは、現役憲法学者・阪本昌成(広島大学→立教大学)の次の叙述により、明確だ。

 阪本昌成・法の支配(2006.06、勁草書房)p.1-2は、次のように一著の冒頭に書いている。時期的には、安倍晋三内閣が成立する直前にあたるだろう。

 「公法学における体制選択  20世紀は資本主義と社会主義との偉大な闘争の時代だった。経済思想史においても、政治思想史上においても、この闘争は人類史上の最大の論争点だったといっても過言ではない。この論争は公法学にも当然影を落とした。/

 過去半世紀を超えて、わが国の公法学者は、資本主義か社会主義かという体制選択問題を常に意識しながらも、あからさまなイデオロギー論争を巧みに避けて、個別的な場面での『解釈』や『政策提言』に各自の思想傾向を忍ばせてきた。イデオロギーを異にしながら、多様な『解釈』や『政策提言』を示してきた公法学者にも、奇妙な共通項があった。それは、経済市場と国家の役割への見方である。通常は、国家のもつ強制力に警戒的である論者も、こと経済市場の動きに対しては、国家介入に寛容となる。いくつか例を挙げれば、国家による市場秩序の人為的設計(かたや大企業への警戒感、かたや弱者としての中小企業や労働者の救済策)、社会保障プログラムの拡大・充実(市場における経済的弱者への思い入れ)、環境保護政策の推進(公害問題の発生因を市場経済に求める着想)等の姿勢である。/

 体制選択のひとつの候補が社会主義だった。この言葉には、”人々が程良い豊かさと自由を享受する正しい社会”という響きがどこかにあった。そのため、自由経済体制(「資本主義体制」)の社会主義体制に対する優越を公然と口にする公法学者には『右派・保守』というスティグマが与えられがちだった。ところが、社会主義国家の自己崩壊後、『社会主義』という言葉に輝きも快い響きもない。……」

 上でこの欄での文脈上とくに重要なのは、「自由経済体制(「資本主義体制」)の社会主義体制に対する優越を公然と口にする公法学者には『右派・保守』というスティグマ〔焼き印・刻印〕が与えられがちだった」、という部分だ。

 反社会主義的(または反共産主義的=反共的)言辞・発言には、<右派・保守>というレッテルが貼られがちだった、というのだ。それが少なくとも「社会主義国家の自己崩壊」までは続いた、と阪本昌成は言う。三島の死から約20年経っても、<反共>的言辞は<右派・保守>として異端視されていたのだ。

 社会主義国家はじつはすべて「崩壊」してはおらず、「体制選択」の問題は、日本では、そして日本の公法学界では、「あからさま」ではないにしても残っているように思われる。この点では、「自由経済体制」=「資本主義」の勝利とまだ決定的には断じられないところがある、と私は感じている。

 上のことには留意が必要だが、しかし、憲法学界等の公法学界の雰囲気が<親社会主義>的だったことは、おそらくは上の阪本昌成の文章でも示されているとおりだろう。

 そのような<親社会主義>的姿勢が、九条を始めとする憲法「解釈」や「政策提言」に影響を与えないはずがない

 辻村みよ子・フランス革命の憲法原理―近代憲法とジャコバン主義―(日本評論社、1989.07)は、ルソーの影響を受けたロベスピエールらの「ジャコバン主義」者、彼らの(未施行の)1793憲法の研究書だが、これらへの共感に満ち、これらを称揚しつつ、日本国憲法の「(国民)主権」論等の「原理」に関する示唆を得ようとするものだ。

 この本は東西ベルリンを隔てる「壁」の崩壊直前に執筆されたと見られる。そして、「あからさま」にはイデオロギー表明はしていないものの、(河野健二・岩波新書によると)早すぎた「社会主義」革命だったがゆえに失敗したとされる<ジャコバン独裁>を肯定的に把握しようとするもので、「あからさま」ではないが<社会主義幻想>に依拠して書かれている、と想定して間違いない。
 こうした人々にとって、三島由紀夫などは<右翼・反動>の極致の人物だっただろう。そして、こういう人々こそが(世代は上の杉原泰雄樋口陽一らも含めて)憲法学界・公法学会の主流派だったと見られる。今日に至って、少しは変化しているのだろうか

 ともあれ、日本の憲法学(学界)の大勢は、三島由紀夫の対極に位置していた、ということだけを、少なくとも確認しておきたい

 三 なお、第一に、阪本昌成が学界の「奇妙な共通項」として上に指摘するようなことは、日本国憲法もしっかりと(?)勉強して司法試験に合格した戦後教育の優等生である、福島みずほや仙石由人等を見ていると、なるほどと頷けるところがあるだろう。

 第二に、阪本昌成の上の本は、この欄でメモしながら読みつなぐことを意図したが、二年前にp.21くらいまで進んだだけで終わってしまった。

 上の引用は、最後の部分を除いて全文だが、かつて、次のように要約していた。

 <前世紀は資本主義と社会主義の対立の世紀で、この対立・論争は「公法学」にも影を落とした。日本の公法学者はこの体制選択問題を「常に意識し」つつも「あからさまなイデオロギー論争を巧みに避け」て、個別の解釈論や政策提言に「各自の思想傾向を忍ばせ」てきたが、「経済市場と国家の役割への見方」には奇妙な一致があった。すなわち、通常は国家の強制力を警戒する一方で、経済市場への国家介入には寛容だった。
 体制選択の一候補は社会主義で、快い響きをもっていたため、自由主義経済体制(資本主義)の優越を「公然と口にする公法学者」には「右派・保守」とのレッテルが貼られた。だが、社会主義国家が自己崩壊し体制選択問題が消失した今では、「リベラリズムの意義、自由な国家の正当な役割、市場の役割」を問い直すべきだ。その際のキーワードは、「政治哲学」上の「自由」、「法学」上の「法の支配」>。 

0869/外国人参政権問題-あらためてその5・憲法学界④

 ⅠとⅡの二冊で憲法全体をかなり詳しく叙述する野中俊彦=中村睦男=高橋和之=高見勝利・憲法Ⅰ〔第四版〕(有斐閣、2006)の第5章「人権総論」は中村睦男が単独執筆している。

 中村睦男は刊行当時は北海道大学学長(!)。なお、高橋和之は刊行当時は明治大学教授とされているが、芦部信喜の指導を受けたと見られる、前東京大学法学部(法学研究科)教授。

 中村は上の章の「第三節・人権の享有主体」の「三・外国人」のうち、「(2)保障される人権の範囲」、そして②の「参政権」の項で、次のように叙述する(p.221-2)。

 ・「国政レベルでの参政権」につき、これは一定の外国人にも保障されるべきとする説(=浦部法穂)もあるが、日本国憲法の「国民主権原理は伝統的な国民主権原理を維持している」と解されるので、「日本国民に限られる」。

 ・「地方公共団体レベルの参政権」については、「禁止説」・「要請説」・「許容説」がある。

 ・上の「禁止説」は憲法93条2項の「住民」は同15条1項の「国民」を前提とすると理由づける。「しかしながら、外交、国防、幣制などを担当する国政と住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務を担当する地方公共団体の政治・行政とでは、国民主権の原理とのかかわりに程度に差異があること」を考えると、「選挙権を一定の居住要件の下で外国人に認めることは立法政策に委ねられているものと解される」。

 このあとで中村は、「最高裁も」として平成7年判決を挙げて、「許容説の立場に立っている」と書いている。

 平成7年最高裁判決や芦部信喜説の影響もあるかもしれないが、中村睦男は明確に外国人地方参政(選挙)権についての<許容説>だ。そして、最高裁平成7年判決の関係部分について、「傍論だが…」と書いていないし、ましてや<傍論だから無視してもよい>とは書いていない。最高裁判例としての意味があるものとして、所謂「傍論」部分を援用していると思われる。

 この中村の叙述内容は、中村が参照要求している浦部法穂や明示はないがこの欄ですでに言及した辻村みよ子の説に比べると、穏当なものだ。国政については明確に「禁止説」で、浦部法穂や辻村みよ子とは異なる。

 しかし、外国人地方選挙権については明瞭に「許容説」だ。したがって、外国人の範囲にもよるが、「一定の居住要件」を充たす外国人に地方選挙権を付与する法律案を支持する、少なくともそれを違憲視することはない、ということになるだろう。

 辻村みよ子が「禁止説」よりも「許容説」が「有力となった」と書いていることはすでに紹介した(同・憲法〔第三版〕p.148)。おそらくそのとおりで、上の中村睦男のような考え方が、芦部信喜のそれも含めて、近時の日本の憲法学界の<主流>ではないか、と思われる。

 <地方>にとりあえず限るが、日本の憲法学界は、外国人の選挙権に<優しい>のだ。こんなこともあらためて知っておいてよいだろう。

 ついでに、国の政治・行政も「住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務を担当」しているし、地方公共団体の政治・行政も例えば「国防」に関係する仕事を担当することがある、国と地方公共団体(の政治・行政)は中村が想定または想像している以上に複雑で複合的な関係にある、とだけ中村の叙述を批判しておこう。

0867/外国人参政権問題-あらためてその4・憲法学界③。

 1.辻村みよ子・憲法〔第三版〕(日本評論社、2008。前回までにいうA)p.149は、(地方・国家を問わず)「選挙権者」の範囲の問題=「定住外国人を含めるか否か」には、「選挙権者」に該当する「具体的な『市民』概念を介在させることも理論上は有効」だとし、そのような「市民」概念を伴った例として、①フランスの1793年憲法、②EUの「欧州市民権」論を挙げる。

 ①についてはすでにコメントした。もう少し語れば、第一に、日本国憲法にかかわる議論になぜフランスの憲法上の議論・理論が「有効」なのか、一般的な(ふつうの)日本人にはほとんど分からないだろう。フランスやアメリカの憲法(理論)上の概念・理論を日本国憲法は継受している、ということを、この人は当然の前提にしているのだ。「選挙権者」の範囲という具体的問題について、はたしてそう言えるのか? また、かりにそうだとしても、欧米憲法(<近代>憲法)は「選挙権」者を「国民」に限っていないと一般的に言えるのか?
 第二に、なぜ、1793年憲法という、200年以上前!の外国の憲法(理論)が「理論上は有効」なのか、これまたさっぱり分からないだろう。

 第三に、フランス1793年憲法とは、成立はしたが施行されなかった、つまり現実に<生きた>憲法ではなかった憲法だ。それでも、その基礎にあった「理論」・考え方は参照に値すると辻村は言うのだろうが、施行されてはいないという事実を一切隠したままでこの憲法に論及するのは、いささか卑劣ではないだろうか。

 繰り返しておこう。200年以上前に成立だけした外国(フランス)の憲法の「理論」・考え方は今日の日本の選挙権の範囲の問題解決に「理論上は有効」だと、辻村は書く。これはいささか常軌を逸しているのではないか。日本の(立派な?)憲法学界内部ならばともかく、多くの日本人にとって説得的な議論の仕方ではないだろう。

 2.つぎに、上の②も奇妙だ。EUでの議論が「理論上は有効」であるためには、現在の日本もまた、EUと同様の法的状況にあることが前提として必要のはずだ。しかるに、今日の日本のどこに、EUと共通する要素があるのか。

 EUの「欧州市民権」論を持ち出すならば、日本を含む東アジア(またはアジア)がEU=欧州連合・欧州共同体のようになっている必要がある。

 鳩山由紀夫が<理想>としている「東アジア共同体」なるものが形成されてから、またはまさに形成されようとしている時期になってから、上のようなことを言ってもらいたい。そして<東アジア(に共通の)市民権>について論じていただきたい。

 現実・実態の違う欧州(EU)を現在の時点で持ち出しても、何の参考にもならないし、むろん「理論上は有効」であるはずがない。

 このように、辻村みよ子の叙述・議論の内容は相当に問題がある。だが、憲法教科書として<あの>日本評論社から刊行されて活字になっており、こんな叙述を読みながら、憲法学・日本国憲法を勉強している学生たちもいるわけだ。
 地方・国政を問わず、一定の外国人(定住外国人)には憲法上、法律によって選挙権を付与することが<要請>されている、とする辻村みよ子の主張(憲法解釈論・憲法学説)自体を問題視する必要がむろんあるが、その根拠・議論の仕方にも大いに疑問視してよいところがある、と言うべきだ。

 3.民主党は世界ですでに30~40カ国は一定の外国人に地方参政権を付与しており、決して<少なくない>と言っているらしい(正確な資料参照を省略する)。また、美辞麗句、君子豹変、八方美人の「言葉の軽い」鳩山由紀夫現内閣総理大臣は、外国人地方参政権問題は「友愛」の問題だと述べたらしい(同)。

 だが、別冊宝島・緊急出版/外国人参政権で日本がなくなる日(宝島社)p.77の、百地章の注記付きの表によると、一定の外国人に地方参政権を付与している国のほとんどは、①欧州(EU)内の国で他のEU諸国の国民(「EU市民」)にのみ付与しているか、②イギリス連邦の構成国(ニュージーランド、カナダ、オーストラリアなど)の国民に二重国籍を認めたうえで英国の選挙権を付与している、というものだ。①・②につき、百地章はいずれも正確な意味での「外国人」参政権付与の例ではない、としている。

 イギリスには特有の歴史的事情があるだろう。また、欧州では、EUという従来とは異なる新しい「国家」の形成の模索中なのだ。不正確だろうが、EU加盟国の国民は半分(?)程度はすでにEUという新しい国家の「国民」だとも見なしうるのだ(だからこそ、上述のとおり、辻村みよ子のように簡単には日本に適用できないのだ。EUには議会すらある。大統領または首相にあたる者、つまり執行権の代表者の一般選挙すら論議されている)。

 このように見ると、世界ですでに30~40カ国という<少なくない>国々が一定の外国人に地方参政権を付与している、という旨の民主党(その他社民党・共産党?)の主張は明らかに<デマ>というべきだ。<世界の趨勢>などという虚偽宣伝に騙されてはいけない。言わずもがなかもしれないが、念のために。 

0740/読書メモ-小林よしのり・天皇論、西村幸祐責任編集・世界を愛した日本(オークラ出版)+辻村みよ子。

 〇今月6/05(金)~6/07(日)に、小林よしのり・天皇論(小学館、2009)を全読了。為備忘。
 〇辻村みよ子・フランス革命の憲法原理―近代憲法とジャコバン主義日本評論社、1989.07)はずっと以前に入手しているが、読むに至っていない。副題に見られるように「ジャコバン主義」=「モンターニュ派」・ロベスピエールの「主義」を中心とする研究書のはずで、(未施行の)フランス1793年憲法=「ジャコバン」憲法を主対象とする。
 出版年月の1989.07というのは微妙な年月だ。翌年のドイツ再統一(「社会主義」東独の消滅)、翌々年の「社会主義」ソ連解体のあとであれば、こんな副題をもつ研究書を<恥ずかしげもなく>刊行できたかどうか。いわゆる<フランス革命>の過程中の「ジャコバン主義」時代こそ、「人民主権」=「人民民主主義」=「プロレタリア独裁」の実験時で、<早すぎた>がゆえに失敗した、という説明もある(マルクス主義に立つ河野健二ほか)からだ。
 巻末の「主要参考文献一覧」を見て気づくことはルソーやロベスピエールの著作の原典を直接には読んでいないようであることだ。そもそもロベスピエールには知られた著書はないのかもしれないが、ルソーについても、桑原武夫他訳の岩波文庫「社会契約論」が挙げられているだけで、ルソー「人間不平等起源論」は邦訳書であっても上の「一覧」にはない。素人ながら、「ジャコバン主義」の理解に当たって、マルクスの<原始共産制>の叙述を想起させるような(「自然」=「未開」状態の叙述・理解がルソーとマルクスとで全く同様だとの趣旨ではない)「人間不平等起源論」の内容の理解は重要だと思われるのだが。
 また、「反共」主義であっても、ハイエクの著作が挙げられていないことは仕方がないとしても、ハンナ・アレントの著作が何ら挙げられていないことは気になる。
 ハンナ・アレントは「革命について」、「全体主義の起源」といった著作をすでに刊行していて、邦訳書もあった。前者に限れば、1968年(合同出版)、1975年(中央公論社)に邦訳書が出ている。
 そして、上の後者を基礎にしたアレント・革命について(ちくま学芸文庫、1995。志水速雄訳)の「解説」者・川崎修によると、この本は「アメリカ独立革命とフランス革命との比較史的研究」であり、アレントはマルクス主義によるフランス革命解釈(「逆算」)から「解放」したのではなく、マルクス主義によるフランス革命解釈=後からの「逆算」的解釈を「転倒」させただけの、「かなりの程度マルクス主義的に理解されたフランス革命への批判」をした、とある程度は批判的なコメントもある。
 アレントのフランス革命論又は川崎修のその「解釈」の当否はともあれ、フランス革命理解にとって、ハンナ・アレントの著作は1980年以前においてすでに看過できないものになっていたのではないのだろうか。
 「修正主義」への言及も冒頭にはあり、F・フュレの原著も参考文献に挙げられてはいるが、辻村みよ子の上の著は、所詮は<主流派>=マルクス主義的解釈によるフランス革命・「ジャコバン主義」論を土台にし、かつそれを支持したうえでのもののような気がしてならない。
 〇西村幸祐責任編集・世界を愛した日本(オークラ出版・撃論ムック、2009)も、「中学歴史教科書2009年度版徹底比較」(全読了)を含めてすでにある程度は読了。
 表紙に「『諸君!』さらばと言おう。」と大きくあるが、中身には、雑誌「諸君!」に関する記事・論考が一つもないのはどういうわけか。あまり遊んでもらっても困る。

0727/安藤昌益、佐藤信淵、そしてルソー(さしあたり辻村みよ子における)。

 一 渡部昇一=谷沢永一・こんな「歴史」に誰がした(文春文庫、2000。単行本初版1997)の第六章によると、日本の中学歴史教科書に江戸時代の安藤昌益が取り上げられるのは、E・H・ノーマンの忘れられた思想家(岩波新書、1950)の影響が大きいらしい。ノーマンはマルクス主義者で、米国でのマッカーシーイズム高揚時に米国から逃亡したが、エジプトで自殺した。
 安藤昌益は、谷沢によると、人間は平等に全員が「直耕」、すなわち農作に従事していれば「徳」を持った「上」(独裁権力者・超絶対権力者)が現れて社会をうまく治めてくれる、と説いたらしい。平等主義と独裁権力者(超絶対権力者)への期待が安藤「思想」のポイントのようだ。他に、農業のみを論じて商業・金融・流通等の<経済>は無視した(考慮外とした)こと。
 同様に、江戸時代の佐藤信淵が取り上げられるのは、マルクス主義歴史学者による羽仁五郎・佐藤信淵に関する基礎的研究(1929)の影響によるところらしい。谷沢によると、この佐藤も「絶対権力者崇拝」。かつ、佐藤信淵という人物と仕事(著作物)には不明瞭なことが多く、森銑三・佐藤信淵―疑惑の人物(1942)は「彼の業績を示すものは何もない」ことを明らかにした、という。
 にもかかわらず、岩波の日本思想体系のうち一巻は安藤昌益と佐藤信淵の二人の「思想」にあてられ、佐藤に関する森銑三の研究業績はほとんど無視されている、という。
 これらが適切な叙述であるとすると怖ろしいことで、戦後「左翼」教育の一端を示していることにもなるし、それに対するマルクス主義者(共産主義者・親共産主義者)の強い影響力も見てとれるし、さらに、世俗的には<偉い>「思想家」(の一人)と見られているような人物であっても、じつは荒唐無稽の、「狂人」のような考え方の持ち主でありうる、ということも示している。
 この二人への言及ののち、渡部昇一は「この教科書〔教育出版、1997年時点のもの〕は『平等大好き、絶対的権力者大好き』という考えの持ち主」で、とつなげていくが、「自分の嫉妬心を理屈で捏ね上げたのが、平等論」(渡部)、「平等主義とは要するに、一番下のレベルに揃えようという発想」(谷沢)と各々述べたのち、「嫉妬心を平等心と言い換えるという悪魔的な知恵」を捻り出した人間を二人の対談の俎上に載せる。<J・J・ルソー>だ。
 二 辻村みよ子・憲法(第三版)(日本評論社、2008)は、索引を手がかりにすると、以下のように六箇所で、J・J・ルソーに言及している。
 ①社会契約論(1762)の著者で「フランス革命にも多大な影響を与えた」。「人民の主権行使を徹底させて民主的な立法(一般意思形成)手続を確立することにより、人民主権の理論を導いた」(p.9)。
 ②フランスの「人民(プープル)主権」論は「代表制を否定し直接制の可能性を追求したルソー等」の理論に依拠している(p.70)。
 ③ロックやルソー等は「自然状態における人間の平等を前提にして、人間は生まれながらに自由であり平等であるという考えを理論化」した。これに従い、1776アメリカ独立宣言、1789フランス人権宣言は「平等」を謳った(p.180)。
 ④1.人権保障のあり方、2.国民主権・統治のあり方、の二点につき、「西欧の憲法伝統」は大まかには「英米流」と「フランス的」の二つに分かれる。2.の「統治の民主的手続のあり方」についても、英米とフランスの区別を「ロックとルソーの対抗」として理解する向きがあり、また、「トクヴィル・アメリカ型」(多元主義モデル)と「ルソー・ジャコバン型」(中央集権型「一般意思モデル)を対置させる見方もある(これが辻村も明記するように、この欄でも紹介したことのある樋口陽一の捉え方だ)(p.356)。
 ⑤ルソーはイギリスの「近代議会における代表制」を批判した。「自由なのは、…選挙する間だけ」だと。かかる古典的代表制はフランスでは1791年憲法の「国民(ナシオン)主権」と結びついた。これに対抗する「人民(プープル)主権」論というもう一つの系列も存在した(p.363)。
 ⑥違憲立法審査制は、「法律を主権者の一般意思の表明とみなすルソー的な議会中心主義が確立していた第三共和制期には、明確に…否定されていた」(p.474)。
 三 辻村みよ子は「人民(プープル)主権」説を少なくともベースにして日本国憲法の解釈やあるべき運用を論じているので、当然のごとく、J・J・ルソーに<親近的>だ(と言い切ってよいだろう)。「平等」主義の(重要な)淵源をルソーに求めてもいる。
 一方、渡部昇一=谷沢永一の上掲書が言及するように(p.216)、そしてこの欄でも紹介したことがあるように、ルソーの「思想」を「異端の思想」・「悪魔の思想」と断じる中川八洋のような者もいる。渡部昇一と谷沢永一も反ルソーだ。
 同じ人物の考え方(「思想」)について、どうしてこう正反対の評価・論評が出てくるのだろう。いま少し、J・J・ルソーの「思想」に立ち入る。

0702/辻村みよ子・憲法/第三版(日本評論社、2008)を読む・その4。

 〇 しばらくぶりに、辻村みよ子・憲法/第三版(日本評論社、2008)。
 事項索引に依ってフランス1793年憲法に言及する部分を(この欄で数回に分けて)読んでみた。実質的にこれに関係する「国民主権」の部分は別の機会に委ねて、事項索引中に「ロベスピエール」が一箇所示されているので、紹介してみよう。自由権/経済的自由権/「財産権」の最初の「一・意義」のところで、次のようにロベスピエールに言及している(p.264-5)。
 ・1789年フランス人権宣言、アメリカ憲法第5修正は「所有」を「自然権」又は「神聖かつ不可侵の権利」として掲げた。かかる所有権絶対視の「近代的人権」思想は「ブルジョアジー」の経済活動の正当化・自由確保をして、「資本主義経済を推進するために重要な歴史的意義」を担った。
 ・その後「資本主義の弊害による社会・経済的不平等」の発生により所有権の公的制限の必要が生じ、ドイツ・ワイマール憲法は153条で「絶対不可侵性」を否定して、「所有権は義務を伴う」と謳った。かかる考え方は、フランス革命時の、所有権を「社会的制度」と捉えたロベスピエールや、「財産の共有から私的所有の禁止」へと到達したバブーフにも思想的淵源をもつ。
 ・上記のことの先駆的な意義は第二次大戦後に明らかになり、イタリア等も含めて「社会国家」思想のもとでの「現代型の財産権論」が定着した。日本国憲法29条1項もこの系譜に連なる。
 ・この29条1項につき、「通説・判例」は、個人の財産権を保障するとともに「私有財産制」をも保障するものと解釈する。この説によると、この条項による「制度保障」の核心は「生産手段の私有制」であり、「社会主義へ移行するためには憲法改正が必要」である。
 ・一方、「議会を通じて一定の社会化を達成する」ことは憲法改正を必要としないとする学説もあった(今村成和)。
 ・「資本主義と社会主義の要件」が「変容」し、「区別の基準が不明確になっている」今日では、従来の「多数説を維持することは困難」だ。そこで「個人の自律的な生活を保障することを目的とする制度的保障の理解」が求められている。
 以上。
 上に出てくる「社会国家」とは「社会主義国家」の意味ではなく、英米的には「福祉国家」にほぼあたるものと思われる。また、今村成和説らしい「一定の社会化」可能論は、辻村の叙述だと誤解を与えうるが、<社会主義化>可能論とは異なるものだろう。これらの点はともかく、興味深いのは次の三点だ。
 第一に、戦後又は「現代」の財産権(所有権)制限思想の淵源として、ロベスピエールとアナーキスト(=無政府主義者)のバブーフの二人をあえて挙げていることだ。アナーキズム(無政府主義)もマルクス主義につながる「思想」の一つだった。私的所有廃止・国家不要(死滅)論はマルクス主義と異ならない。
 第二に、「社会主義」の存在意義自体が問われる今日においてなお、「社会主義へ移行するためには憲法改正が必要」=現憲法のままでは日本は「社会主義」国家になれない、と解釈するのが「通説・判例」だと、わざわざ述べていることだ。推測にすぎないが、きっとこの人はかつて、日本国憲法のもとでの日本の「社会主義国家」化の可能性を関心をもって思い巡らしただろう。
 第三に、辻村は、今日では「資本主義と社会主義の要件」が「変容」し、「区別の基準が不明確になっている」と断定的に明記している。
 はたしてそうなのだろうか。中国・北朝鮮・キューバ等を日本等とは基本的<体制>の異なる「社会主義」国家(又はそれを志向している国家)と理解するのは「今日」では誤り又は不適切なのだろうか。概念用法の問題は多少はあるかもしれないが、かかる基本的<体制>の区別は、なおも基本的レベルで重要な意味がある、と考えられる。辻村の書いていることは、ソ連「社会主義」国家解体後の、<資本主義と社会主義の相対化論>と軌を一にしているように思われる。
 以上の三点はいずれも、「ブルジョアジー」という語を平然と使っていることも含めて、辻村みよ子の<思想>の「左翼」(おそらく、ほぼマルクス主義)性をほぼ明瞭に示しているだろう。
 ついでに、「個人の自律的な生活を保障することを目的とする制度的保障の理解」なるものはほとんど意味不明だ。二つほどこの考え方らしき文献が参照要求されているが、観念的・空想的作文の類の議論ではあるまいか。
 〇 NHKについて関心を少し増やしたことの結果として、池田信夫・電波利権(新潮新書、2006)を昨日か一昨日、一気に読了。この分野でもアメリカの政策が日本の政府・産業界に多大の影響を与えていること等をあらためて知る。

0693/フランス1793年憲法・ロベスピエール独裁と辻村みよ子-3。

 一 辻村みよ子・憲法/第3版(日本評論社、2008)がフランス1793年憲法に触れる箇所のつづき。
 ④ 日本国憲法14条にかかわり、平等「原則」と平等「権」との関係等の冒頭で以下のように述べる。
 ・アメリカ独立宣言以来、平等原則は自由と一体のものとして「確立」されてき、フランスでも1789年人権宣言が保障し、「『自由の第4年、平等元年』として民衆による実質的平等の要求が強まった1793年には、平等自体が権利であると主張されるようになり、1793年憲法冒頭の人権宣言では、平等は自然権の筆頭に掲げられた」(p.183)。
 このように、平等「権」保障の重要な画期として1793年憲法を位置づけている。
 ⑤ 統治機構に関する叙述の初めに、統治機構・権力分立と「主権」論の関係についてこう述べる。
 ・フランス1791年憲法では狭義の「国民(ナシオン)主権」のもとで権力分立原則が採用されたが、1793年憲法は「人民(プープル)主権」を標榜し、権力分立よりも「立法権を中心とする権力集中が原則」とされ、そのうえで「権限の分散と人民拒否等の『半直接制』の手続が採用された」。このように、「主権原理」と「権力分立」は「理論的な関係」があり、「立法権を重視する『人民(プープル)主権』原理では三権を均等に捉える権力分立原則とは背反する構造をもつといえる」(p.355)。
 「人民(プープル)主権」原理が所謂<三権分立>と背反する「立法権」への「権力集中」原則と親近的であることを肯定している(そして問題視はしていない)ことに留意しておいてよい。
 ⑥ 「人民主権」→「市民主権」論を再論する中で、再び外国人参政権問題に次のように触れている。
 ・欧州の最近の議論でも「フランス革命期の1793年憲法が『人民(プープル)主権』の立場を前提に外国人を主権者としての市民(選挙権者)として認めていたのと同様の論法を用いて外国人参政権を承認しようとする立論が強まっている」。「近代国民国家を前提とする国民主権原理を採用した憲法下でも外国人の主権行使を認める理論的枠組みが示され、国民国家とデモクラシーのジレンマを克服する道が開かれたことは、…日本の議論にきわめて有効な糧を与えるものといえよう」。
 このあと、まずは「永住資格をもつ外国人」についての「地方参政権」を認める法律の整備が必要だ旨を明言している(p.369)。「欧州連合」のある欧州諸国での議論がそのようなものを構想すらし難い日本にどのように「糧」となるのかは大きな疑問だが、立ち入らないでおこう。
 以上が、「事項索引」を手がかりにした6カ所。
 さしあたり、すべて好意的・肯定的に言及していること、この憲法制定後の「独裁」や数十万を殺戮したとされる「テルール(テロ)」・<恐怖政治>には一切言及がないことを確認しておきたい。
 以上の6カ所以外にも、重要な「国民主権」の箇所でフランス1793年憲法に(つまりは「プープル主権」に)言及している。また、ルソーやロベスピエールに触れる箇所もある。なおも、辻村みよ子・憲法(日本評論社)を一瞥してみよう。
 二 ところで、中川八洋によれば、マルクス主義もルソーの思想も「悪魔の思想」。フランス革命(当然に1793年「憲法」を含む)も(アメリカ独立・建国と異なり)消極的に評価される。憲法に関連させて、中川八洋・悠仁天皇と皇室典範(清流出版、2007)はこう書く。
 ・フランス「革命勃発から1791年9月までの二年間は、人権宣言はあるが、憲法はなかった。”憲法の空位”がフランス革命の出発であった。/1792年8月に(1791年9月生まれの)最初の憲法を暴力で『殺害』した後、1795年のフランス第二憲法までの、丸三年間も、憲法はふたたび不在であった。フランス革命こそは、憲法破壊と憲法不在の九十年間をつくりあげた、その元凶であった」(p.166)。
 上の文章では、未施行の1793年憲法などは、「憲法」の一種とすらされていない。
 上の中川の本にはこんな文章もある。
 ・「ルソー原理主義(もしくはフランス革命原理主義)の共産主義」は「表面的には」、「マルクス・レーニン主義の共産主義」ではない。このことから「過激な暴力革命」ではないとして「危険視されることが少ない」。「ルソー原理主義系の憲法学が、日本の戦後に絶大な影響を与えることになった理由の一つである」。
 なるほど。
 辻村みよ子が「ルソー原理主義」者もしくは「フランス革命原理主義」者であることは疑いえないと思われる。そしておそらく、「マルクス・レーニン主義の共産主義」者としても、資本主義→社会主義という<歴史的発展法則>を信じた(ことがある)のだろうと推察される。次回以降に、この点には触れることがある。
 なお、先だって中川八洋・悠仁天皇と皇室典範に言及したあとで、この本は全読了。確認してみると、皇室問題三部作の二冊目の、中川・女性天皇は皇室断絶(徳間書店、2006)も「ほぼ」読了していた。

0692/フランス1793年憲法・ロベスピエール独裁と辻村みよ子-2。

 辻村みよ子・憲法/第3版(日本評論社、2008)がフランス1793年憲法に触れる第三番目は以下。
 ③辻村によると、外国人の参政権(選挙権・被選挙権)につき、国政・地方の別、憲法による要請・許容の別によって、学説は以下のように6つに分類される。
 ①全面(国政・地方)禁止説、②全面(国政・地方)許容説、③全面(国政・地方)要請説、④国政禁止・地方許容説、⑤国政禁止・地方要請説、⑥国政許容・地方要請説。そして、④「国政禁止・地方許容説」が「最近の有力説」で、奥平康弘は②「全面(国政・地方)許容説」、浦部法穂は③「全面(国政・地方)要請説」で、自らもこの③説に含める(p.148-9。さすがに「左翼」憲法学者こそが外国人への参政権付与の論を張り、運動を支えている)。なお、「許容」説とは、憲法が参政権付与を要求・要請していないが、立法政策によって(法律レベルで)付与することも憲法は許容している(従って参政権付与は違憲ではない)と解釈する説のこと。
 上の議論にかかわって、辻村みよ子は「国民」・「住民」概念は未成年者も含む観念的集合概念なので、欧州連合条約上の「欧州市民権」論や「フランスの『人民(プープル)主権』論にもとづく1793年憲法(主権主体である人民を構成する市民が選挙権者となる)のように、選挙権者に該当する具体的な『市民』の観念を介在させることも理論上は有効である」。
 フランス1793年憲法がフランス国籍を有しない者の「参政権」をどう扱っていたかは知らない。辻村みよ子も曖昧にしたままだ。
 が、いずれにせよ、辻村は、現下の日本国憲法の解釈の一問題につき、200年以上前の特定の外国(フランス)の(施行されなかった)憲法の、<主権主体である人民を構成する市民が選挙権者>という基本的理念らしきものを参考にする(「介在させる」)ことが有効と述べているわけだ。

0691/フランス1793年憲法・ロベスビエール独裁と辻村みよ子。

 一 「フランス・ジャコバン独裁と1793年憲法再論-河野健二と樋口陽一・杉原泰雄」とのタイトルで簡単にまとめたことがあった(2008/11/02)。
 河野健二・フランス革命小史(岩波新書、1959。1975年に19刷)は、これまでの「体制派」=「進歩派」=「左翼」のフランス革命史・フランス革命観を叙述していると見られる。重複部分があるが、フランス1793年憲法・ジャコバン(=ロベースピエール)独裁については、以下のごとし。
 「ロベスピエール派」の「政治的実践」は失敗したが、「すべて無効」ではなかった。「モンターニュ派」による国王処刑・独裁強化は「一切の古い機構、しきたり、思想を一挙に粉砕し、…政治を完全に人民のものにすることができた」。「この『フランス革命の巨大な箒』(マルクス)があったからこそ、人々は自由で民主的な人間関係をはじめて自分のものとすることができた」(p.166-7)。/「モンターニュ派」独裁の中で、「私有財産にたいする攻撃、財産の共有制への要求があらわれた」。とくにロベスピエールは、「すべての人間を小ブルジョア的勤労者たらしめる『平等の共和国』」を樹立しようとした。しかし、戦争勝利とともに「ロベスピエール派」は没落し、上の意図は「輪郭がえがかれたままで挫折した」(p.190)。/「資本主義がまさに出発」しようとしているとき、「すべての人間を小ブルジョアとして育成し、固定させようとすることは、歴史の法則への挑戦であった」。「悲壮な挫折は不可避であった」(p.190)。/ロベスピエールが「独裁者」・「吸血鬼」と怖れられているのは彼にとって「むしろ名誉」ではないか。彼こそ、「民衆の力を基礎として資本の支配に断乎たるたたかいを挑み、一時的にせよ、それを成功させた最初の人間だから」だ(p.191)。
 ロベスビエールは失敗したが、しかし、それは時代を先取りしすぎていたからで、彼らが指し示した歴史的展望は不滅のものだ、とでもいいたげだ。マルクス主義者又は親マルクス主義者にとって、ロベスピエール独裁とは、<ブルジョア(市民)革命>に続く、<社会主義革命>(プロレタリア独裁?)の萌芽に他ならなかった。
 かかる「ジャコバン(モンターニュ)独裁」観に、樋口陽一も立っていたといってよい。樋口は同・自由と国家(岩波新書、1989=ソ連解体前)p.170で、日本人はフランスの1793年の時期を、「ルソー=ジャコバン型個人主義」を「そのもたらす痛みとともに追体験」せよ、と主張していた。
 二 日本国憲法の教科書・概説書の中に、索引によると、フランス1973年憲法に6カ所で言及しているものがある。
 辻村みよ子・憲法/第3版(日本評論社、2008)だ。なお、日本評論社から憲法(日本)の教科書・概説書を出版しているのは、この辻村みよ子と、浦部法穂の二人かと思われる。日本評論社の<法学>系出版物の「左翼」傾向はこの点でも例証されていると考えられる。
 以下、辻村みよ子の上の著がフランス1973年憲法をどう記述しているかをメモしておく。
 ①「ブルジョアジー」が狭義の「国民主権」を定めた1791年憲法に対して、「王権停止後に初の共和制憲法として成立した1793年憲法は、平等権や社会権の保障のほか、市民の総体としての人民を主体とする『人民(プープル)主権』原理に基づく直接民主主義的な統治原理を採用した。しかし、この急進的な憲法は施行されず、1795年憲法が制定されて、…<以下、略>」(p.22)。
 この部分は諸外国における「近代憲法の成立」の説明の中にある。諸外国とはイギリス、アメリカ、フランスで、ドイツに関する記述はない。
 ②日本の「私擬憲法草案」の中では、植木枝盛起草の『東洋大日本国国憲按』(1881)には、「フランス1789年人権宣言のほか、急進的な1793年憲法の人権宣言の抵抗権や蜂起権の影響が認められる」(p.34)。
 この部分は、明治憲法の制定過程に関する叙述の中にある。
 くり返しておくが、フランス1793年憲法とは、現実には<施行されなかった>憲法だ。つづく。

0617/外国人(地方)参政権の理論的根拠としての「プープル(人民)主権」論-辻村みよ子。

 杉原泰雄の指導を一橋大学で受けたと見られるのが、やはり若い頃はフランス革命期の憲法史を研究していた辻村みよ子(1949~、現東北大学教授)。
 辻村は、日本国憲法の解釈論としても「プープル(人民)主権」の方向の解釈が望ましいとする。
 浦部法穂=棟居快行=市川正人編・いま、憲法学を問う(日本評論社、2001)の中の棟居快行との対談「主権論の現代的展開」で、以下のように語る。見出しは秋月が付した。
 ①ナシオン(国民)主権論とプープル(人民)主権論―「ナシオン主権論」は「フランス革命当時に一握りのブルジョアジーが権力を独占するために抽象的・観念的な建前としての全国籍保持者を主権主体としつつ、実際には自分たちだけが国民代表となって主権を行使するために構築した理論」。「代表制と必然的に結合し」、「制限選挙とも結びついて非民主的に機能することができる」。
 「プープル主権論」では「抽象的・観念存在としての国民」ではなく「具体的に主権行使できる主権主体、すなわち政治的意思決定ができる市民の全体をプープルと呼」ぶ。「ナシオン主権」の場合は「赤ん坊も主権者に入る」ために「代表制が不可欠」だが、「プープル主権論のもとでは、それぞれの主権主体の主権行使自体が前提で、これが尊重される制度が求められ」る。以上、p.58-59。
 辻村において、「ナシオン主権」=<代表制>、「プープル主権」=<(半)直接制>のごとく理解されているようだ。
 上の点よりも分かりにくいのは、「プープル主権論」について語られている中での「政治的意思決定ができる市民」という場合のそのような「市民」の意味、とりわけ国籍保持を要件としないのかどうか、だろう。ともあれ、最初から「国民」と「市民」という語が異なるものとして使い分けられていると見られる。
 ②日本国憲法と「ナシオン主権」・「プープル主権」―現憲法43条の「代表」という語、議員の免責特権(51条)・不逮捕特権(50条)、前文(<国民は代表者を通じて行動>-秋月)は「間接民主制」を採用しており、「ナシオン主権に適合的な規定ともいえ」る。しかし、15条の国民の公務員選定罷免権、95条・96条の「住民投票や国民投票」は「直接民主制の手続を採用」している点では「半直接制としてプープル主権に近い構造だ」。
 このように混在があるが、「現代憲法として、より民主的な制度を採用しうるプープル主権の方向に解釈することが望ましい」。以上、p.60。
 辻村の所論で基本的によく分からないのは、①にも出てきていたが(いわく、「ナシオン主権」論は「非民主的に機能」しうる)、「ナシオン主権」(論)よりも「プープル主権」(論)の方が「より民主的」だ、ということの理由・根拠だ。なぜ、そう言えるのか。あるいはそもそも、「より民主的」とはいかなる意味なのか。

 辻村は、フランス革命期の1791年憲法よりも1793年憲法(ジャコバン憲法)の方が「より民主的」・<より進歩的>と考えていると推察される。この点の確認は別の機会に行うが、簡単には、以下に紹介するように、この本でも言及されている。
 簡単にいえば「ナシオン主権」論→「代表制民主主義」・「間接民主主義」、「プープル主権」論→「(より)直接的な民主主義」というふうに整理できるだろう。このように対置した場合において、「間接民主主義」よりも「(より)直接的な民主主義」の方がより<望ましい>・より<優れている>と、なぜ論定できるのか。
 いずれも<民主主義>だ。そして、「民主主義」を国民(とりあえずは人民でも市民でもよいが)にとって<よき>あるいは<幸福な>国家決定をもたらすための手段(に関する考え方の一つ)と理解する場合、「(より)直接的な民主主義」の方がより<よき>あるいはより<幸福な>決定を生じさせる、となぜ言えるのか。その保障は論理的にも現実的にも全くない。
 <合理的な>国家決定という語を使ってよい。「(より)直接的な民主主義」の方が「間接民主主義」よりもつねにより<合理的な>決定をもたらす保障は全くない。より多数の者がより直接的に<参加>することと、その結果としての決定の<合理性>あるいは国民の「幸福」・「福利」との間に論理的な因果関係があるわけでは全くない。
 「直接民主主義」の方が「間接民主主義」よりも<合理的>な、あるいは<正しい>決定を生じさせる、という暗黙の前提に立っているとすれば、そのこと自体の適切さをまずはきちんと論証しておいてもらわないと困る。
 辻村は、「直接民主主義」の方が「間接民主主義」よりも<合理的>な、あるいは<正しい>決定を生じさせる、と単純に<思い込んでいる>(そういう考え方に取り憑かれている)だけではないのか。
 むろん何が又はいずれが<合理的>な、又は<正しい>決定かという問題はある。しかし、少数意見の方が客観的に見て、あるいは「歴史的」評価の上ではより<合理的>で<正しかった>、ということはありうるはずだ。
 (代表制にせよ、直接制にせよ)多数意見が現実には<通用力>を持つが、そのことと<合理性>・<正しさ>、国民の「幸福」・「福利」にとっての客観的意味とは、別の問題なのだ。<民主主義>が(あるいは<民意>が)<誤った>決定を生じさせる、ということは、論理的にも現実的にも、十分にありうる。
 ③外国人の参政権―現憲法上「国民」には、第一に「国籍保持者としての国民」、第二に「主権行使者としての国民」の二つの意味がある。両者は「必ずしも…一致しているわけでは」ない。
 フランス1793年憲法において「主権者人民」=「市民の総体」で、この「市民」の中に「一定の外国人も含めて」いた。「国籍と切り離された市民の観念」の導入によって「主権者を国籍から離脱させることを可能とする理論的枠組みを、プープル主権論はもっていた」。
 「欧州市民権」観念を創出するため、今日のフランスには1793年憲法に言及して「国籍と切り離された市民権の観念」を説明する研究もある。
 「日本でも同じように、一定の外国人に参政権を認めるという要請を実現するため、この市民権観念を用いることが有効」だ。以上、p.61-62。
 まず、欧州ないしフランスにおける議論が日本の外国人参政権問題にいかほど「有効」かが問われる必要があろう。すなわち、ヨーロッパという新しい次元の「国家」を作ろうとしている地域における(おそらくは従来の国家の中での)「地方参政権」の付与の何らかの理念的根拠があるとしても、それが、同じ状況にはない日本に役立つとは全く思われない。
 そうだとすると、重要なのは、「主権者を国籍から離脱させることを可能とする理論的枠組みを、プープル主権論はもっていた」という辻村の理解かつ主張だ。
 ここで「プープル主権論」の当否が外国人の(地方)参政権問題に関する日本国憲法の解釈論としても、あるいは憲法のもとでの立法政策論にとっても大きな意味をもつことになる(p.63の棟居発言参照)。
 だが、<参政権>保有者を「国籍から離脱させることを可能とする理論的枠組み」を現憲法が、あるいはその他の種々の議論が用意しているだろうか。
 辻村みよ子は「定住外国人」=「永住市民」=「永住資格保持者」を「主権者国民としての人民を構成する市民の中に加えることを可能にする『永住市民権説』という考え方」に立っている、と言う(p.62)。
 「永住市民」=「永住資格保持者」も「主権者国民」(の一部)だと主張しているわけだ。
 上のような主張・考え方の背景には、フランスの(ジャコバン独裁開始期の、施行されなかった1793年憲法が謳った)「プープル主権論」があることを十分に銘記しておく必要がある。

0523/樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)とフランス革命・ロシア革命。

 一 樋口陽一の<ルソー=ジャコバン型国家>なる表現及びその肯定的評価に関するコメントは終えたわけではない。そして、今回でも終わらないだろう。
 フランス革命については、少なくともその一過程に見られる<狂熱的残虐さ>やロシア革命を導いたものとの性格づけ(フランス革命なくしてロシア革命(社会主義・共産主義へ)はない)について、いろいろな人の著書等に触れながら、たびたびこの欄でも論及してきた。  すでに紹介した可能性はあるが(有無を確認するには時間を要しすぎる)、中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)は、その「はじめに」で次の旨を述べていたことを、むろん、一人の研究者の発言としてでよいのだが、確認しておきたい。
 
<1991年以降も、マルクス主義・共産主義・全体主義という「悪の思想ウィルス」は、スタイルを変えてでも、除毒されず、伝染力を温存したままだ。「スタイルの変更」の「代表的なもので、また最も効果的」なものは、「ルソーヘーゲルの温存ならびにフランス革命の賛美をすること」だ。そして「現実にそのとおりのことが集中的になされている」>(p.3)。
 次の中川の文もそのまま引用しておきたい。
 「ルソーとヘーゲルとフランス革命を次世代の青年に教育すれば、もしくはこれに対する親近感を頭に染みこませれば、それだけで全体主義のドグマは充分に生き残ることができる。『マルクス』は何度でも蘇生する」(p.3)。
 また、フランス革命の解釈・理解については<旧い封建制又は絶対王政をブルジョアジーが実力をもって打倒して支配階級にとって代わり、資本主義を準備した「市民(ブルジョア)革命」だ>といった旧来の又は伝統的な主流派解釈に対して、「修正主義」という新しい解釈・理解も有力になっていることも記したことがあるかもしれない。
 「修正主義」解釈の中身にさしあたりここでは立ち入らないが、その内容を紹介しつつ、柴田三千雄・フランス革命(岩波現代文庫、2007.12)は次のようにすら語っている。
 <「修正主義」はフランスでも別途出てきたが、その「潮流はまずイギリスからおこってアメリカにゆき、アングロ=サクソン系の歴史家の間ではこれが主流にさえなっている」(p.41)。
 二 日本で<従来の主流派的解釈>を明瞭にそのまま採用していたのが、桑原武夫や、樋口陽一が「あえて何度でもしつこくたちもどる必要がある」としていた三人の学者のうち、西洋史学者の大塚久雄高橋幸八郎だった(あとの一人は丸山真男樋口陽一・比較の中の日本国憲法(岩波新書、1979)p.9参照)。
 ちなみにやや先走っていえば、上記の柴田三千雄・岩波現代文庫は、高橋幸八郎の「理論」を1頁ほどかけて紹介したあと、「この考え方には無理があると思われます」とこの文自体は素っ気なく述べ、そのあとで理由をかなり詳しく書いている(p.34~p.39)。
 さて、樋口陽一は長谷川正安=渡辺洋三=藤田勇編・講座・革命と法第一巻の「フランス革命と近代憲法」の中で、「修正主義派」の存在に言及しつつ、「そこで提起されている諸論点の意義、などについて、ここではコメントをくわえる紙幅も能力もない」と述べている(p.124)。そして、「右のような論争的争点に直接に立ち入ることなしに」、フランス革命は「『ジャコバン的理想』=一九九三年の段階」を不可欠とする高橋幸八郎「史学」と基本的には全く同様に、「フランスの法・権力構造の基本は、一七八九年が一七九三年によってフォローされたことによって決定づけられた」という前提で、「以下の叙述をすすめる」と書いている。
 この論旨の運びはいささか、いや多分に奇妙だ。  第一に、「高橋史学」等による<従来の主流派的解釈>にそのまま従っている、と見てよいにもかかわらず、その根拠・理由は述べていない。  第二に、論争について「コメントをくわえる紙幅も能力もない」と釈明しながら、「右のような論争的争点に直接に立ち入ることなしに」、上のように<従来の主流派的解釈>に従って叙述をすすめることが「許されると考える」、と書いているが、本当に「許される」のか。まさしく「論争的争点に…立ち入」っていることになるのではないか。そして、基本的には<従来の主流派的解釈>に従うことを選択しているにもかかわらず、その理由は一切述べておらず、<逃げて>いるのだ。  ここには、かつて高橋幸八郎(や大塚久雄ら)を読んで身につけたフランス革命のイメージを壊されたくない、という<情念>の方が優っているのではあるまいか。
 三 先日この問題に言及したときには手元になかった、樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)を入手した。その「あとがき」によると、この新書の一部(第三章)は上で言及した講座・革命と法第一巻の中の論文での「記述を骨組みとして」いるらしい。
 そして、若干部分の比較的読み方をしてみると、①冒頭での「修正(主義・論)」の存在への言及や「コメントをくわえる紙幅も能力もない」という釈明は、表現を変えて別の箇所に移されている(p.113-「歴史家ならぬ私の役まわりではない」等)。
 ②その代わりに、フランス革命「理解」、とくに1789年と1793年の関係について三説があるとし(そのまま正確に引用したいが省略)、高橋幸八郎の、フランス革命は「『ジャコバン的理想』=一九九三年の段階」を不可欠とする(正確には、つづけて、「…段階を経過することによってこそ、『新たな資本制生産の自由な展開を孕む母胎が形成された』」との文章を引用しつつ、「八九年が九三年によってのりこえられることで革命が完成したと見る―さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」第二の説に立って(と解釈できる)、講座・革命と法の中の論文と同様又は類似のことを書いている。
 要するに、特段の詳細な理由づけをすることなく、当時すでに現れて有力にもなっていた「修正主義」をきちんと検討することもなく、やはり<従来の主流派的解釈>に従っている、と見られる。「かつて高橋幸八郎(や大塚久雄ら)を読んで身につけたフランス革命のイメージを壊されたくない、という<情念>の方が優っているのではあるまいか」との疑念は消えない。
 しかも驚くべきことなのは、上の第二の説というのは、革命は「さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」という考え方を含んでいるらしい、ということだ。「一九一七年」とは言うまでもなく、「ロシア革命」のこと。この点は、講座・革命と法第一巻の中では明記されていなかっていなかった、と思われる。また樋口は、高橋幸八郎の発したメッセージは「こだわるに値するはず」だとして、高橋の1950年の「われわれ」〔日本人?〕は西欧では100年前に提起・解決された問題を「世界史の法則として直接確認しようとしている」という文章を肯定的に引用している。樋口もまた、「世界史の法則」なるものの存在を信じて(信仰して?)いたのだろう。
 出典は省略するが(確認していると時間がかかる)、大塚久雄は、「近代化」とは「社会主義化」を含むものだ旨を晩年の方の本の中で明記したらしい。上で触れたように、樋口陽一もまた、フランス革命によって残された部分を「社会主義革命」が補充して完成させる(又はロシア革命によって実際に完成された)という理解・考え方に立っていたことを充分に示唆することを、述べていたことになる。いわば、有名な<発展段階>史観でもある。
 しかして、上の岩波新書が刊行されたのは1989年年11月で、講座・革命と法第一巻と殆ど同じ頃。原稿執筆中はベルリンの壁は崩壊しておらず、東ドイツもソ連もまだ表向きは健在だっただろう。しかし、1991年以降になってみれば、「本当に完成した」筈の「革命」は瓦解してしまったのではないか
 そして感じるのだが、ソ連・東欧諸国等の「社会主義」諸国の存在(それも可能ならば健康的な存在)があって初めて成り立つような議論・論旨部分を一部にせよ含む本を、樋口陽一がその後も刊行させ続けていることに驚かざるをえない。私が入手したのは、1996年2月の第14刷の本。
 ソ連解体後も、とっくに破綻が明らかになっていた<朝鮮戦争=韓国軍の北侵による開始>説を述べている井上清・新書日本史8講談社現代新書、1976。1992第9刷)等が発売されていたことにこの欄で批判的に触れたことがある。樋口陽一はソ連解体前のこの岩波新書・自由と国家を一部なりとも訂正・修正することなく発売し続けているようだ。
 樋口は「八九年が九三年によってのりこえられることで革命が完成したと見る―さらに一九一七年によって本当に完成したと見る」説は自説だと明記してはいないとでも釈明又は反論するだろうか。だが、あとの二つの説は「九三年=恐怖政治=闇」とする説と「九三年=一九一七年=スターリニズム説」なので、樋口がこれらに依拠していないことは、「ルソー=ジャコバン型国家像」や「ルソー=ジャコバン主義」という語をフランス革命やフランスの「近代」的国家像を表現するために用いていることでも明らかなのだ。また、歴史学上の「修正派」とは反対に「『九三年』がかならずしも『ブルジョア革命』の軌道から外れてしまったものとはいえない」との見地を「憲法学のほう」から提供できる、とも書いているのだ(p.120-1)。
 一度岩波新書で書いたものを一部でも訂正すると、自説を変えるようで恥ずかしいのだろうか。一部訂正では済まないので(恥ずかしげもなく)発売し続けているのだろうか。有名な憲法学者らしいが(何といっても元東京大学教授)、本当に<学問的>・<良心的>だろうか。<情念>あるいは<信仰>がつきまとってはいないだろうか。
 四 まだ、このフランス革命又は「ジャコバン独裁」に関係する<つぶやき>は続ける。

0516/日本共産党系学者による、講座・革命と法(日本評論社、1989-)。

 日本共産党がその勢力・「大衆的人気」のピークを迎えた頃、1976年から1980年まで、日本評論社から天野和夫=片岡曻=長谷川正安=藤田勇=渡辺洋三編・マルクス主義法学講座全八巻が刊行されたことはすでに触れた。編者は全員が日本共産党員だと見られることは既に述べたと思うし、所持している巻のかぎりでは、非又は反・日本共産党派の法学者は(かりにいたとしても)執筆者に加えられていない。また、現社長の林克行が編集担当だったようであることは、最終刊の第五巻に触れたときに記した。
 第一巻・第三巻・第五巻・第六巻については、目次・執筆者程度のそれらの内容を、すでに紹介した。
 その後の日本共産党の退潮あるいはひょっとすれば法学界内部での日本共産党系マルクス主義者の減少によって、類似の企画はなかったかと思っていたが、どっこいそうではなく、上記の編者のうち三人、すなわち長谷川正安・渡辺洋三・藤田勇を編者として、1989年から講座・革命と法というのが、やはり日本評論社から出版されていることを知った。
 各巻のタイトルは、第一巻・市民革命と法、第二巻はフランス人権宣言と法、第三巻は市民革命と日本法。第一巻は、1989年の7月に、第二巻は1989年の11月に出版されている。「人権宣言200年記念」と謳われているとおり、1789年のフランス革命から200周年を記念としての企画だったと思われる。だが、その年にベルリンの壁が崩壊し、翌々年には「社会主義」ソ連邦も解体してしまうとは、企画者・編集者・執筆者はきっと想像もしていなかっただろう。
 さて、第一巻の目次前の「刊行の言葉」(第二巻でも共通)で、編者たちは三名連名で例えば次のように書く。-「ここでは、『革命』という…概念を、なによりもまず『ある階級の手から他の階級の手への国家権力の移行』(レーニン)として理解する」。「マルクス『経済学批判』序言にいう『社会革命』の問題が想起される。ここでは、土台と上部構造の全体、すなわち、社会構成体の構造的転換が『社会革命』としてとらえられている」。
 また、第二巻の序説を担当して藤田勇は例えば次のように書く。-「ロシア革命はフランス革命とその『伝記』を世界史的に蘇らせた」。「ブルジョア革命をのり超えたものとしての社会主義革命を称揚するという文脈」でだけではなく、「社会主義革命の遙かな水源を開いたという理論的意味づけ、世界史の運動における『革命』…の意味づけにかかわってのフランス革命の蘇り」だった。「じつはフランス革命は、近代ブルジョア社会の批判思想としての社会主義(共産主義)思想の起点をなしている」。「フランス革命二〇〇年は、近代社会主義史をその不可分の構成部分とする」。
 藤田勇は「社会主義」ソ連邦が解体したあとも「社会主義(共産主義)」や「ロシア革命」についてこう書いたのだろうか。のちの日本共産党の公式見解―ソ連は「社会主義」国家ではなかった―とは違って藤田はロシア革命を「社会主義」革命と理解しているようであることも興味深いが、のちにはロシア革命=「社会主義」革命は間違いなく正しいが、この道を誤らせた(「社会主義」でなくした)のはスターリンだった、とでも書くのだろうか。
 それにしても、化石のような、というか黴が生えたような、マルクス主義「教条的」な文章を久しぶりに読んだ。
 なお、上の藤田の文に見られるように、フランス革命はロシア革命の「水源を開いた」ものと理解されていることに注意が向けられてよい。かつて、あるいは現在もなお、フランス革命を「賛美」し積極的に肯定的評価を下した(している)者の多くは、少なくとも気分としては、ブルジョア資本主義社会→労働者中心の「社会主義」社会という<進歩的>・<発展段階的>歴史観を抱いていたことは隠れもない、と思われる。
 以下、上の講座の第一巻と第二巻の章・節等と執筆者名を記録しておく。マルクス主義法学講座の執筆者は自ら「マルクス主義」者であることを自認していたと思われるが、こちらの方の執筆者は全員がそうではない、と思われる。しかし、<親>マルクス主義(かつ親・日本共産党、少なくとも<反・反日本共産党>)の者であることは疑い難いものと思われる。所属は発刊当時。加藤哲郎は法学者ではなさそうだ。
 第一巻 第一章「イングランド革命と法」-戒能通厚(名古屋大学)
 第二章「アメリカ革命と法」-望月礼二郎(東京大学)
 第三章「フランス革命と法」
  第1節「フランス革命と近代憲法」-樋口陽一(東京大学)
  第2節「フランス革命と近代私法秩序」-稲本洋之助(東京大学)
  第3節「フランス人権宣言と刑事立法改革」-新倉修(國學院大学)
 第四章「ドイツ革命と法」
  第1節「フランス革命期の人権(基本権)思想」-石部雅亮(大阪市立大学)
  第2節「『法による社会変革』と法律実証主義」-広渡清吾(東京大学)
 第二巻・序説・第一章「フランス人権思想と社会主義思想」のうち「はじめに」・第3節以下-藤田勇(東京大学)
 第一章の第1節・第2節-鮎京正訓(岡山大学)
 第二章「ロシア革命思想における法の観念」-大江泰一郎(静岡大学)
 第三章「東欧革命における民主主義の問題」
  第1節・第2節-早川弘道(早稲田大学)
  第3節-竹森正孝(東京都立短期大学)
 第四章「社会主義と『政治的多元主義』」-小森田秋夫(東京大学)
 第五章「フランス人権宣言と第三世界」-鮎京正訓(岡山大学)
 第六章「フランス人権宣言と現代の『民主主義革命』」-加藤哲郎(一橋大学)
 以上。これらのうち若干のものについては、論及する機会を別にもちたい。何度か言及した、憲法学者・樋口陽一も上記のとおり、執筆者の一人だ。

0388/上野千鶴子著はやはり気持ちが悪い。

 上野千鶴子・おひとりさまの老後(法研、2007)を古書で買って数十頁読んだ(古書でしか買わないのは、朝日新聞社、岩波書店、日本評論社(の法学系)発行および特定の執筆者の本についての私の決まり)。
 老後に関する参考になるところはあるだろうが(男性にとっても)、著者の、結婚して子供がいる女性に対する憎々しげな心情や反皇室感情がこもっている文章が多く、やはり気持ちが悪い。
 ベストセラーになっているようだが(そして著者は「儲けて」いるだろうが)、上野千鶴子に、東京大学教員就任前および後にどんな<(専門的)研究書>があるのか、いつかきちんと調べてみたい。いくら何でも、東京大学は政治的<活動家>・<運動家>を「飼って」、給料を払っているわけではあるまい。

0365/日本評論社・マルクス主義法学講座第6巻。

 日本評論社という出版社からマルクス主義法学講座なる全8巻の書物が刊行されたのは、1976~80年だった。
(同社は現在でも、法律時報・法学セミナー等の法学系雑誌や法学系書物を出版している。)
 この時期は、1967年に東京都(美濃部亮吉)、71年に大阪府(黒田了一)、75年に神奈川県(長州一二)で社共連合の候補が知事に当選していた頃、そして日本共産党が衆院で38(1972年)、39(1979年)、参院で20(1974年)という議席を獲得し、同党が<70年代の遅くない時期に民主連合政府を!>というスローガンを掲げていた頃にほぼ符合する。
 編者は天野和夫(立命館大/法哲学、1923-2000)、片岡曻(京都大/労働法)、長谷川正安(名古屋大/憲法、1923-)、藤田勇(東京大/ソビエト法、1925?-)、渡辺洋三(東京大/民法・法社会学、1921-2006)<所属大学名は当時>の5名で、全員が日本共産党員であるか同党の強いシンパと見られること(当然に「マルクス主義法学」者だとの自己宣明を躊躇していない者たちであること)は既に述べ、この講座の第一巻、第五巻、第三巻(紹介順)の執筆者(「マルクス主義法学」者たち)および簡単な内容の紹介をすでに行った。
 第一巻→ 2007.06.10
 第五巻→ 2007.07.05
 第三巻→ 2007.07.12
 以下では、第六巻・現代日本法分析(1976年10月刊)について紹介し、記録にとどめておく。目次的内容と執筆者は次のとおり。
 第一章・総論-憲法体系と安保法体系(長谷川正安/名古屋大)
 第二章・現代日本法と国際関係(松井芳郎/名古屋大)
 第三章・現代日本の立法機関とその作用(森英樹/名古屋大)
 第四章・現代日本の行政機関とその作用(室井力/名古屋大)
 第五章・現代日本の司法機関とその作用(庭山英雄/中京大)
 第六章・現代日本の地方自治(永良系二/龍谷大)
 第七章・現代日本の基本的人権(長谷川正安/名古屋大)
 第八章・現代日本における政策と法
  第一節・概説(片岡曻/京都大)
  第二節・防衛政策と法(吉岡幹夫/静岡大)
  第三節・経済政策と法(宮坂富之助/早稲田大)
  第四節・土地政策と法(安武敏夫/静岡大)
  補論・農業政策と法(渡辺洋三/東京大学)
  第五節・労働政策と法(前田達男/金沢大学)
  第六節・社会保障政策と法(小川政亮/日本社会事業大)
  第七節・公害・環境問題と法(甲斐道太郎/大阪市立大)
  第八節・教育政策と法(永井憲一/立正大+小島喜孝/総合労働研)
  第九節・治安政策と法(前野育三/関西学院大)
 以上。
 日本共産党員法学者のうちの、各法分野の最有力者・第一人者が執筆しているようだ(厳密には「全員が日本共産党員であるか同党の強いシンパと見られる」としか語れないのだが、上記の人々、<マルクス主義法学講座>に<公然と>執筆している人々、は日本共産党員だろうと私は推測している)。
 ところで、すでに触れた第五巻の「あとがき」を何げなく見ていて気づいたのだが、第五巻の刊行(1980.08)で全八巻の刊行は終了しており、編者たちが、「小林社長や担当の林克行、山本雄をはじめとする日本評論社のみなさん」に謝辞を記している(p.359)。
 このうち、林克行は現在、日本評論社の社長になっている。同社のHPのトップページには、同社刊の「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人ための本」のためだけのアイコン文字? が堂々と存在する。
 (なお、ネット情報によると、今年5月3日の森田実著『アメリカに使い捨てられる日本』(日本文芸社刊)出版記念会に彼は、《『アメリカに使い捨てられる日本』のご出版おめでとうございます。マスコミがこの国の形、行方について必ずしも真実を伝えない時代、本書の救国、愛国の志に感銘を受けました。本書の普及と今後のご健筆を心より祈念申し上げます。》とのメッセージを寄せている。日本評論社は森田実の本も多数出版しているようだ。)
 さて、林克行は1970年代にむろん社の仕事として関与したのだろうが、編集者または出版関係人として、<マルクス主義法学講座>なるものの当時および現在の存在意義、それを出版したことの意味をどう理解し、どう回顧しているのだろう。少しは恥ずかしい思いを抱かないかと、あるいは時代・歴史の進展を見誤っていたとは思わないかと、一度、直接に訊ねてみたいものだ。

 

0279/阪本昌成の「社会権」観とリベラリズム。

 中川八洋はその著・保守主義の哲学等で、ハイエクにも依りつつ、「社会的正義」という観念を非難し、「社会的正義」の大義名分の下での「所得の再分配」」は「異なった人びとにたいするある種の差別と不平等なあつかいとを必要とするもので、自由社会とは両立しない。…福祉国家の目的の一部は、自由を害する方法によってのみ達成しうる」などと主張する。
 そこで5/13には<中川八洋は一切の「福祉」施策を非難するのだろうか。>とのタイトルのブログを書いたのだった。
 自称「ハイエキアン」・「ラディカル・リベラリスト」の阪本昌成もまた「福祉国家」・「社会国家」・「積極国家」というステージの措定には消極的なので、中川八洋に対するのと同様の疑問が生じる。
 その答えらしきものが、棟居快行ほか編・いま、憲法を問う(日本評論社、2001)の中に見られる。「人権と公共の福祉」というテーマでの市川正人との対談の中で、阪本昌成は次のように発言している。
 1.私(阪本)は「自由」を根底にするものを「人権」と捉え、「社会権」のように国家が制度や機関を整備して初めて出てくる「基本的人権」は「人権」と呼ばない(p.207)。
 2.「生存権」によって保障されているのは「最低限の所得保障に限る」。その他の要求を憲法25条に取り込む多数憲法学者の解釈は「国民負担を大とし」、「現代立憲主義の病理」を導いている。「大きな政府」に歯止めを打つ必要があるp.208)。
 3.「社会権」の重視は「社会的正義の表れ」というのだろうが、そのために「経済的自由、なかでも、所有権保障は相対化されてきた」(同)。
 4.日本には「自由な市場がない」。ここに「いまの日本の病理がある」。これは一般的な「自由経済体制の病理ではない」(p.212)。
 5.経済的自由は「政策的」公共の福祉によって制約できるというだけでは、また、精神的自由との間の「二重の基準論」のもとでの「明白性の原則」という枠だけでは立法政策を統制できない(p.217-8)。
 私は阪本昌成の考え方に「理論」として親近感を覚えるので、主張の趣旨はかなり理解できる。
 もっとも、現実的には日本国家と日本社会は、日本こそが<社会主義国>だ、と半ばはたぶん冗談で言われることがあったように、経済社会への国家介入と国家による国民の「福祉」の充実を当然視してきた。
 現在の参院選においても、おそらくどの政党も「福祉」の充実、「年金」制度の整備・安定化等を主張しているだろう。従って、阪本「理論」と現実には相当の乖離がある。また、「理論」上の問題としても、国民の権利の対象となるのは「最低限の所得保障」であって、それ以上は厳密な国民の権利が対応するわけではないとしても、例えば高速道路や幹線鉄道の整備、国民生活に不可避のエネルギーの供給等に国家が一切かかわらないということはありえず、一定限度の国家の<責務>又は<関与の容認>は語りうるように思われる。 
 かつて7/01に日本は英国や米国とは違って「自由主義への回帰が決定的に遅れた」と書いた。
 宮沢喜一内閣→細川護煕内閣→村山富市内閣→という<失われた10年>を意味させたつもりだった。だが日本の実際は「自由主義への回帰」はそもそもまだ全くなされていないというのが正しい見方かもしれない。
 「理論的」には阪本は基本的に正しい、というのが私の直感だ。国家の財政は無尽蔵ではない。活発な経済活動があってはじめて主として税収から成る国庫も豊かになる。そうであって初めて「福祉」諸施策も講じることができるのだが、「平等化」の行き過ぎ、どんな人でも同様の経済的保障を例えば老後に期待できるのであれば、大元の自由で「活発な経済活動」自体を萎縮させ、「福祉」のための財源も(よほどの高率の消費税等によらないかぎり)枯渇させてしまう。
 経済・財政の専門家には当たり前の、あるいは当たり前以下の幼稚なことを書いているのだろうと思うが、本当は、経済政策、国家の経済への介入の程度こそが大きな政治的争点になるべきだ、と考えられる。
 だが、焦る必要はないし、焦ってもしようがない。じっくりと、「自由主義」部分を拡大し、<小さな国家>に向かわせないと、日本国家は財政的に破綻するおそれがある。まだ時間的余裕がないわけではないだろう。
 なお、上の本で市川正人は「たまたま親が大金持ちであったために裕福な人と、親が貧しかったために教育もまともに受けられなかった人とがフェアな競争をしているとは到底できないでしょう」と発言し、阪本は「誰も妨害しないのであれば、それは公正なレースと言わざるをえない…。個々人の違いは無数にあって、全てに等しい条件を設定するということは国家にはできません」と回答している。
 このあたりに、分かりやすい、しかし深刻な<思想>対立があるのかもしれない。私は阪本を支持する。市川の議論はもっともなようなのだが、しかし例えば<たまたま生まれつき賢かった、一方たまたま生まれつきさほどに賢くなかった>という「個々人の違い」によって生じる可能性・蓋然性を否定し難い<所得の格差>は、国家としてはいかんともし難いのではないか。
 同じくいちおうは健康な者の中でも<たまたま頻繁に風邪をひき学校・職場を休むことが相対的に多い者とたまたま頑強で病欠などは一度もしない者>とで経済的報酬に差がつくことが考えられるが、このような、本人の<責任>を追及できず生まれつき(・たまたま)の現象の結果と言わざるをえないような「個々人の違い」まで国家は配慮しなければならないのだろうか。
 二者択一ならば、こう答えるべきだろう。平等よりも自由を平等の選択は究極的には国家財政を破綻させるか、<平等に貧乏>(+一部の特権階層にのみのための「福祉」施策)という社会主義社会を現出させるだろう。

0263/マルクス主義法学講座第5巻(1980)で全巻配本。

 日本評論社刊のマルクス主義法学講座第五巻を古書で入手したが、この巻はたまたま最終配本号で発行は1980年8月だ。
 6/10に書いたように第一回配本の第一巻刊行は1976年6月だった。4年余りを経て、全8巻が刊行されたことになる。
 この講座ものが日本共産党員学者を中心に執筆されていると見られることはすでに記した。
 1976年頃は同党は<70年代の遅くない時期に民主連合政府を>というスローガンを掲げていて、衆院に限ると1967年・5→1969年・14→1972年・38と三倍近くの増を二回繰り返していたから、かりに二倍ずつの増加としても、あと二回の総選挙で→76→152になることになり、日本社会党との連立政権(両党で過半数制覇)も夢ではない雰囲気がいっときはあった。だが、衆院議席数は1976年に16と下がり、1979年に39と盛り返したものの、100にはとても届かず、民主連合政府の<夢>も幻となった。
 参院も1971年・10→1974年・20と倍増していたが、その勢いは続かず、1977年には16と後退した。
 余計なことを書いているが、このマルクス主義講座が刊行された1976年には日本共産党系マルクス主義者には現実的<夢>がまだあった。近いうちに自らが党員である又は強く支持する日本共産党が参加する政権生まれるという希望をもっていただろう。しかし、全巻が揃った1980年には客観的にはその<夢>が現実化するのはきわめて困難なことが明らかになっていたはずだ。
 それでも、ともあれ、マルクス主義法学講座なる大系ものが出版されたというだけでも、現在とは異なる1970年代後半の<雰囲気>の一端は感じ取るべきだろう。どのような想いで、執筆者たちは講座完結の日を迎えたのだろう(その後、この種の「マルクス主義法学」講座ものは出ていない。この語を題に使った本も極めて稀だろう)。
 編集委員一同は末尾の「講座の完結にあたって」で、「この講座を出発点とし、あるいはこれをふみ台として、若い優秀なマルクス主義法学研究者が多数育ってくれれば、これに過ぐる幸いはない」と書いているが、はたして、80年代以降に全く新しいマルクス主義法学研究者たちの養成・成長があったのかどうか。むろんよくは知らないが、現在(表向きは隠していても)マルクス主義的な法学研究者である者は、ほとんどが70年代末までにはマルクス主義の<洗礼>を受けていたようにも思える。
 但し、マルクス主義法学研究者の指導を受けた者の多くは積極的なマルクス主義者にならずともマルクス主義を異端視あるいは嫌悪しない<容共的>研究者になっただろうことは想像に難くない。
 上の末尾の言葉の中には、出版社としての日本評論社への謝辞もあり、社長の小林昭一、「担当」の林克行(現在、社長)、山本雄の三名の名を挙げている。かかる講座を企画・出版することは、それなりの<思い入れ>がないとできないだろう。この三名の名も記憶にとどめたい。
 さて、第五巻は<ブルジョア法の基礎理論>が全体テーマで、執筆者・担当部分は次のとおりだ。()は所属。6/10に既に記した者については省略した。
 <渡辺洋三(東京大)-「はしがき」・「第一章・総論」・「第二章・財産制度―その理論史的検討」・「第四章第二節・家族/現代家族法理論の課題三」
 本間重紀(静岡大)-「第三章・現代財産権論」
 江守五夫(千葉大)-「第四章第一節・家族/近代市民婚姻法の構造」
 黒木三郎(早稲田大)-「第四章第二節・家族/現代家族法理論の課題一・二・四」
 長谷川正安(名古屋大)-「第五章-基本的人権」・「第六章第一節・議会主義と権力分立/近代憲法の組織原理」
 森正(名古屋市立女子短大)-「第六章第二節・議会主義と権力分立/議会主義」
 今井証三(日本福祉大)-「第六章第三節・議会主義と権力分立/権力分立」
 下山瑛二(東京都立大)-「第七章・行政権」>
 以上で目につくのは、編集委員でもある渡辺洋三(東京大学社会科学研究所)と長谷川正安(名古屋大学法学部)が、重要な部分をかつ分量的にも長く執筆していることだ。
 それぞれ岩波新書を複数書いているこの二人が、この当時および1980年代くらいまでの、日本共産党系マルクス主義法学者のリーダー格だったと推測できなくもない。

0256/日本評論社の本(2001)の中の浦部法穂・常岡せつ子「平和主義」対談。

 いま、憲法学を問う(2001)という本は日本評論社出版なので原則的には入手したいと思う本ではないが(資料としてのみ教条的な論文、文章を読むのは辛い)、三人の編者の一人に棟居快行の名があるので、面白いかもしれないと思い、古書で入手した(あとの編者は浦部法穂、市川正人)。
 三人のいずれかが対談者の一人となり、テーマによって異なる三人以外の憲法学者一人と対談する、というものだが、予想したよりも面白い。憲法学に全く素人の本や対談書もあるが、基本的なところで誤解があったりすると興醒めがする。その点、この本はそのような心配はしなくてよさそうだ。
 「平和主義」とのテーマはあの浦部法穂(私の6/01、6/14参照)とあの常岡せつ子(私の5/24、5/27、5/30など参照)が対談している。九条と憲法改正の限界というテーマまで含めていないようなので、改正限界論で常岡氏はボロを出してはいない。
 ここに記しておきたいのは次の四点だ。
 第一に、常岡せつ子の現憲法九条の解釈だ。この人によると、現憲法は「日本が攻められる可能性があることも想定しつつ、たとえ攻められても、あえて戦争という手段には出ないと言っている」と解釈している(p.78)。その際、九条の二項があるからではなく、一項からその旨を読み込んでいるようだ。
 さらにこの人は言う、日本の一部にミサイルが落ちて何十万人が死ぬという場合に迎撃ミサイルくらいは持っていないとという議論があるかもしれないが、「第一発目に関しては、その限りであるである程度は国民の被害を少なくするかもしれませんが」、迎撃ミサイル発射によって「さらなる軍事力のエスカレートを招いていまいます」、「反撃をすれば、もっと大きな攻撃が返ってくる」、と。つまりは迎撃ミサイルを発射するな従って迎撃ミサイルを保有するな、というのがこの常岡先生の主張となる。
 その能力の詳細は知らないが、現実には迎撃ミサイルをわが自衛隊も保有している、とだけ記して、私とは意見の異なる、上の常岡の主張・議論(非武装・無抵抗主義型の平和主義)には立ち入らない。
 第二に、常岡せつ子によると、他の国からミサイル攻撃されるという事態に至るには何らかの理由がある筈だ。そのとおりだと思うが、その際、この人が述べるのは次のことだけだ。関係する所を全部引用する。
 「ある日突然に攻めてくるということはありえないということです。そこに至る前段階に、外交政策にまずい点があったり、日本の平和構築の努力が足りないということがあるはずです。攻められるという状況に至るまで、何もしないでただ黙って見ているだけなのかと逆に問う必要があります」。
 この部分には、かなり唖然とする。これではまるで、ミサイルで攻められるのは日本の平和構築の努力が足りない」等、日本の側に全面的な原因、責任があるかの如くだ
 外交政策にまずい点」はなく、「平和構築の努力」を十分にしても、なおも日本をミサイル攻撃(この本は2001年刊だが、その後も視野に入れると、一般論としては核攻撃もありうる)してくるような外国は存在しない、とこの常岡先生は判断している、と理解して、まず間違いなさそうだ。そこまで、現実の東アジアで、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」(現憲法前文)できるのかどうか。
 第三に、浦部法穂常岡せつ子ともに「正しい戦争」はありえない、という点では一致している。さすがに日本評論社の本だとも言える。浦部が「私も…同じ考え方なので論争しにくいですね(笑)」と発言するくらいだ(p.87)。
 憲法学者の多くが明確にかかる考え方から九条護持論に立っているかどうかは不明だが、二人のこの前提が、政治家を含む一般国民に容易に受け容れられているとは思えない。
 第四に、上のことに関連して、浦部法穂がこう発言しているのが目を惹いた。
 「私自身も、昔は漠然とですが、理論上は人民解放のための戦争は正しい戦争としてありうるという前提で議論してきた…。しかし、それでは通用しないと、数年前に転向しました(笑)」。
 ここでの(かつては「正しい」と考えていたという)「人民解放のための戦争」とはいったい何だろうか。北ベトナムが南ベトナムにいる同じ民族の「人民」を「解放」するためであるとしていた対米ベトナム戦争のような戦争だろうか。それに限らず、日本「人民」を解放するために社会主義国(のすべて又は一部)の軍隊が例えば米軍と日本の(「人民」の一部ではない)自衛隊を相手に起こすような戦争も想定していたのではなかろうか。
 そうだとすると、同じ核兵器保有や核実験でも社会主義国=進歩勢力のそれらは「正しく」、米国等の資本主義国=反動勢力のそれらは「非難されるべき」というのと同じ単純な、(マルクス主義の)公式的教条主義に陥っていたことがあることを、浦部法穂は<告白>していることになる。
 これまで一部であれ読んだことのある浦部法穂の文の内容からすると、この人がかつて(勝手に推測すればおそらくソ連崩壊前後まで)上のように考えていたとしても驚きではない。十分にありうることだ、と思える。そして、そのような人物が、今の日本の憲法学界の中である程度は重要な位置を占めているようであることを、怖ろしい、と私は感じる。

0213/日本評論社刊・日本共産党員執筆のマルクス主義法学講座(1976-)。

 日本共産党の1961年以降1970年代末までの衆議院議員選挙獲得議席数の変化は次のとおりだ。
 5(63)→5(67)→14(69)→38(72)→17(76)→39(79)。この1979年の39というのがこの政党の現在までの最多議席だ(現在は9で1968年以前の状態に逆戻り)。
 参議院については次のとおり。
 4(62)→4(65)→7(68)→10(71)→20(74)→16(77)。1974年の20が現在までの(3年ごとの)最多獲得議席だ(現在は5+4で1968年以前の状態に逆戻り)。
 得票率等には立ち入らないが、こうして見ると、日本共産党は1960年代後半から「勢力」を大きくし始め、1970年代の半ばから後半にピークを迎えたことが分かる(これまた詳細は省略するが、波があるとはいえ、1980年代以降はおおむね<漸減>の傾向にある。そして、日本共産党にもはや未来はないだろう)。
 こうした増加とピークの時期はおおむね<大学紛争(学園紛争)>と言われた時期とその余韻がまだあった時期に相応している。
 とすると、一般国民(正確には有権者)についてすらそうだったのだから、歴史学、政治学、法学といった社会系の研究者・大学教員の中で日本共産党員やそのシンパが占める割合は、(現在でも一般国民の中でと比べて相当に高いと思うが)現在以上にかなり大きかったものと想定される。
 日本評論社という出版社(今でもある)から、マルクス主義法学講座全8巻というシリーズもの(講座もの)の刊行が始まったのは1976年で、まさに日本共産党の国会での「勢力」がピークに達しようとする直前だった。
 再びこの時期について触れると、日本共産党は1970年頃に<70年代の遅くない時期に民主連合政府を>というスローガンを掲げていた。地方自治体レベルでは戦後早くからの京都府に続いて、1967年に東京都(美濃部亮吉)、71年に大阪府(黒田了一)、75年に神奈川県(長州一二)で社共連合の候補が知事に当選していて、国政レベルでも社共連合政権(共産党のいう「民主連合」政府)ができる可能性が全くないとは言えないとある程度の人びとは感じていた。
 そうした時期に、今では殆ど考えられないが、マルクス主義法学講座なる書物が刊行されたのだ。
 古書で入手した第一巻(1976.06)の「刊行のことば」を読むと、この講座の執筆者の全員が日本共産党の党員か少なくとも強いシンパだろうということが明らかだ。
 こんな文章がある。1.「安保体制のもとで、アメリカ帝国主義と日本の独占資本により二重に抑圧をうけている国民大衆の権利擁護に役立つ法学の建設が私たちの目標である」。
 「アメリカ帝国主義と日本の独占資本」という言い方はこれらを「二つの敵」と位置づけていた日本共産党と全く同じだ(同党は「日本帝国主義」という性格づけをしなかった)。
 2.「この講座の刊行によって、日本の法学界に一つのセクトが生まれることをけっして望まない。…民主主義法学者の統一の重要性をよく知っているからである。しかし、そのことは、…マルクス主義法学の追究を否定したり、この立場からの他の法学諸傾向に対する学問的批判の必要性を否定したりすることにはならないであろう」。
 この文は「マルクス主義法学」を「民主主義法学」の一部と位置づけていること、「セクト」批判を懸念するほどに「マルクス主義法学」を表面に出せる自信があり、またそれが許されるような(上に述べたような)時代状況にあったこと、を示しているように思われる。
 さて、第一巻に限っても、内容を逐一紹介するつもりはない。この講座全体の編集委員5名と第一巻の執筆者全員の氏名を記録にとどめておきたいと思う。
 再述するが、ほぼ全員が日本共産党々員だと思われる。あえて氏名を記述しておくのは、この人たち又はこの人たちの指導を受けた者たちが、当時から現在までの「法学界」に(分野によって同一ではないだろうが)ある程度の影響を与え続けていると考えられるからだ。本自体には所属大学しか記されていないので、適宜、関連情報を私自身が知り得た範囲で付記する。
 編集委員は次の5名だった。所属大学は当時。
 天野和夫立命館大学法学部教授/法哲学、1923-2000)、片岡曻京都大学法学部教授/労働法)、長谷川正安名古屋大学法学部教授/憲法、1923-)、藤田勇東京大学社会科学研究所教授/ソビエト法、1925?-)、渡辺洋三東京大学社会科学研究所教授/民法・法社会学、1921-2006)。
 これらのうち、それぞれ複数の岩波新書を書いている渡辺洋三、長谷川正安については、このブログですでにほぼ断定的に日本共産党員学者として名を出したことがある。
 ところで、情報収集のためにWikipediaも参照したが、渡辺洋三について「専門の民法等のほか、…に関しても、いわゆるリベラル派の立場から積極的に発言を続けてきた」と記されている。「リベラル派」どころか、マルクス主義者であり、かつれっきとした日本共産党員ではないか。また、長谷川正安についてもWikipediaには「マルクス主義(憲法学)」の「マ」の字もない。これらはWikipediaの<無知>なのか、それとも<意図的な隠蔽>なのか
 次に、第一巻の執筆者と執筆テーマは次のとおり。上記の編集委員の場合は、所属等の反復を省略した。
 長谷川正安「第一章・マルクス主義法学序説」・「第四章第一節・民主主義法学とマルクス主義法学」・「第五章第一節・戦後憲法学とマルクス主義」。
 森英樹「第二章・日本マルクス主義法学の前提」・「第三章第一節・平野義太郎における法学と社会科学」・「同第四節・法哲学とマルクス主義」(名古屋大学法学部助教授→教授を経て龍谷大学教授/憲法、1942-)。
 吉川経夫「第三章第二節・刑法学とマルクス主義」(法政大学法学部教授/刑法、1924-2006)。
 影山日出弥「第三章第三節・憲法学とマルクス主義」(名古屋大学法学部助教授/憲法)。 

 稲子恒夫「第三章第五節・ソビエト法研究」(名古屋大学法学部教授/ソビエト法、1927-)
 森正「第三章第六節・法的実践とマルクス主義法学」(名古屋市立女子短大助教授→名古屋市大教授/憲法)
 渡辺洋三「第四章第二節・占領と法学」。
 松井芳郎「第五章第二節・サンフランシスコ体制とマルクス主義法学」(名古屋大学法学部助教授→教授を経て立命館大学教授/国際法、1941-)。
 渡辺久丸「第五章第三節・戦後日本の立法過程」(立命館大学助教授/憲法)。
 中田直人「第五章第四節・戦後日本の裁判闘争」(弁護士)
 沼田稲次郎「第六章・日本の変革と法・法学」(東京都立大学教授→学長/労働法、1914-97)。
 最後の沼田は上掲論文の「追記」にこんなことを書いている。-「…ロッキード事件が起こった…。この事件に対する日本共産党の追及は、同党の迫力を示すものといってよい。/…日本共産党が先の綱領からプロレタリア執権(=独裁)を削除する可能性が語られている…。この問題の…影響はロッキード事件の比ではあるまい」。思わず自らの<党派性>を明瞭にした、ということだろうか。執筆者であること自体ですでに明瞭ではあったのだが。
 第一巻以外も入手できれば、情報記録をしておくことにしたい。
 なお、最後になったが、この講座を刊行したのは、岩波書店ではなく、日本共産党系とも言い難い?日本評論社だった。この出版社はいろいろな傾向の本を出版しているようだが、少なくとも法学系の出版物(雑誌を含む)については、その<傾向>は明らかだ。

0163/日本評論社・岩波書店の詐術的・脅迫的なひどい題名の本。

 日本評論社というのは少なくとも法学分野については明瞭な「左翼」路線をとり続けているようだ。前回記したように、護憲派の「憲法研究会」編の本を出しているのも日本評論社だし、記憶ははっきりしないが、『マルクス主義法学講座(全集?)』という珍しい講座ものをかつて刊行していたのも日本評論社だった(現在、古書で探索・注文中)。
 その日本評論社が憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本(2006)という詐術きわまる題名の本を出版している。<憲法(とくに九条)を変えると戦争になる>と、素朴に平和を愛好している人びとを欺そうとするタチの悪い題名だ(私も平和を愛好しているが)。
 厳密にいえば、戦争にも多様なものがあり、まともに又はきちんと思考している人は護憲論者でも「正しい戦争」の認否が最終的な争点だとか述べているので(例、樋口陽一)、憲法を変えて正しい(防衛)戦争はできるようにしようという考え方は十分に成立しうるのだが、そんな理屈まで視野に入れて付けられた題名ではない。要するに、改憲に賛成すると「戦争になるよ」と脅かしているわけだ。
 この日本評論社の本と同様に詐術的題名を付けているのが、岩波書店のブックレット、このブログでも言及したことのある、憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言(2005)だ。<憲法を変えると戦争に行くことになるよ>という、これまた脅かしだ。
 例えば、<憲法(九条二項)を変えて(正規軍を保持し、戦争を仕掛けられないようにして)日本の平和を守ろう!>という呼びかけも十分に成立するのだ。改憲→戦争という単純な連結は、読者を欺しているし、馬鹿にもしている。
 上の二つの本の執筆者等の氏名を全て列挙しておくことにする。
 日本評論社の本-<編著者・高橋哲哉(1956-)、斎藤貴男(1958-)。執筆者-井筒和幸(1952-、映画監督)・山田朗(1956-、日本史)・木下智(1957-、憲法学)・森永卓郎(1957-、経済評論家)・豊秀一(1965-、朝日新聞社)・室井佑月(1970-、作家)・貫戸朋子金子安次こうの史代(1968-、漫画家)、田口透(1955-、東京新聞社)、辻子実(1950-)>
 岩波書店の冊子-<
井筒和幸井上ひさし香山リカ姜尚中・木村裕一・黒柳徹子・猿谷要・品川正治・辛酸なめ子・田島征三、中村哲半藤一利・ピーコ・松本侑子・美輪明宏、森永卓郎吉永小百合・渡辺えり子>
 明確な基準はないが、すでに登場させたことのある人物等は適当に太字にしておいた。

0140/読売2007.05.12の橋本五郎記事による憲法学界の状況に寄せて。

 読売5/12朝刊の橋本五郎・特別編集委員の記事はなかなか面白い。この人は今年の1月に、東京大学の憲法学者の長谷部恭男と読売紙上で対談していた。
 憲法改正手続法成立見込みの時点で、「「抵抗の憲法学」を超えて」という大見出しのもとで、現在の憲法学界の状況を紹介・コメントするもののようだ。
 1.現在岩波書店が出版している講座・憲法全6巻のうちの第一巻の「はしがき」にこう書いてある(直接の引用ではない)のを読んで、「違和感を覚えた」という。
 <「戦後憲法は紙屑だ」と言い放っている人たちが「押し付け憲法」であることを根拠に現憲法を葬り去ろうとしている>。
 こんなふうに書かれれば、改正試案を発表している読売の立場もなかろう。従って、改正試案を世に問うたのは「「押し付け憲法」だからというのではない。「紙屑」だと思ったからでもない」、と橋本は反論?している。
 上の<>を「はしがき」を書いたのは第一巻の編者だと思われ、そうだとすると、東京大学の法哲学の教授の井上達夫、ということになる。
 岩波書店(および日本評論社)が出す憲法の講座ものが<公平>・<客観的>である筈がない雑誌『世界』の出版社らしく当然に<偏向>している、と私は思っているので特別の驚きはなく、やっぱりと感じるのだが、本当に法学部の(しかも東京大学の)教授が上のようなことを書いているのだとすれば、空怖ろしいことだ。まともな神経ではない。まともに現実が見えていない(安い古書になれば購入を考えよう。なお、長谷部恭男もいずれかの巻の編集者の筈だ)。
 2.1966年に故芦部信喜東京大学教授(憲法学、1923-99)は、自衛隊違憲論+改正反対論は「政治に対しても国民に対しても、訴える力が非常に弱くなってきている。学説と国民意思が離れすぎてしまっているのではないか」と書いたらしい。
 東京大学法学部には自衛隊についての<違憲合法論>を示した、旧日本社会党ブレイン(と思われる)小林直樹(1921-)がいて、こちらの方は明確な「左翼」だった。世間的には小林直樹ほどは目立っていなかった芦部信喜も、最近に代表的な憲法概説書ということで彼の本の憲法九条の部分を読んでみると明らかに「左翼」だ(いずれ、彼の議論も俎上に乗せるつもりだ)。
 晩年に書いたもののようだが、芦部信喜氏は、評論家ふうに「訴える力が非常に弱くなってきている。学説と国民意思が離れすぎてしまっている」
などと書ける立場の人物ではなかったのではないか。すなわち、訴求力をなくし、学説と国民意思を乖離させた責任の一半は、東京大学教授だった自らにこそあるのではないか。
 同じ1996年に、よくは知らないが芦部の「弟子」(芦部を指導教授とした)らしい高橋和之(現在、東京大学法学部教授・憲法学、1943-)は、自衛隊違憲論を唱えた「大きな代償」として次の2点を挙げた、と橋本は書いている。
 1.<憲法学者は非現実的すぎるという印象を国民に与え、憲法学者の発言の説得力を低下させた>、2.<現実が憲法規範通りにいかないのが通常のことだという意識を国民の間に蔓延させた>。
 私も橋本とともに、「その通りだと思う」。私は日本の憲法学者の殆どを信用していない。おそらくは殆どの憲法学者がフランス革命を平等・人権等のための「素晴らしき市民革命」と理解しているはずだ(あるいは、そういう「囚われ」から抜け出ていない筈だ)。
 3.「特別編集委員」というのは専門雑誌も読むようだ。ジュリスト最新号(有斐閣)で、佐藤幸治・京都大学名誉教授(1937-)は、<憲法学の役割は「批判」・「抵抗」だけでなく「創る」・「構築」も重要だ>旨書いているらしい。高橋和之も、「制度設計」を議論しないで他人の創った制度を「批判」するだけでは「憲法学として半分しかやっていないような気がする」と、「抵抗の憲法学」からの脱却を述べているらしい。
 これらは誤りではなく、適切だ。しかし、私に言わせれば、今頃にこんなことを言っていたのでは遅すぎる。それに高橋の「…しかやっていないような気がする」とは一体何だろう、「ような気がする」とは。
 ジュリスト最新号を購入して、全体をきちんと読んで、再び触れるかもしれない。
 橋本は読売の改正試案発表の動機のようなものを次のように述べている。
 ア「国民の大多数が認知している自衛隊を憲法学者の多くが違憲…と学生に教え」、「政府は自衛隊を…「実力は持っているが…戦力ではない」などと、綱渡りのような解釈でしのいできたのはおかしいのでないか」。
 イ「国連平和維持活動」等の果たすべき国際的責務を「憲法9条があるからできないというのは本末転倒で」、「憲法上きちんと位置づけるべきではないのか」。
 これらはまことに尤もなことだ。ふつうの人間の「常識」・「良識」に合致するのではないか。
 しかるに、過日と同じことの繰り返しになるが、自衛隊は憲法上の「戦力」ではないとの「大ウソ」をつき続けて、<現実が憲法規範通りにいかないのが通常のことだという意識を国民の間に蔓延させた>ままにしようとしているのが、朝日新聞社(若宮啓文)・九条の会等々の面々に他ならない。憲法学者の多くは、正気に戻って、こうした面々を応援・支持することを即刻止めるべきだ。

0075/樋口陽一、宮崎哲弥らとともに「正しい戦争」を考える-憲法改正のためにも。

 かつては、とくに九条を念頭に置いての憲法改正反対論者=護憲論者は、<規範を変えて現実に合わせるのではなく、規範に適合するように現実を変えるべきだ>、という考え方に立っている、と思ってきた。「護憲」、とりわけ九条維持の考え方をこのように理解するのは全面的に誤ってはいないだろう。
 とすると、護憲論者は、憲法違反の自衛隊の廃止か、憲法9条2項が許容する「戦力」の範囲内にとどめるための自衛隊の(装備等を含めて)編成換え又は縮小を主張して当然だと考えられる。しかし、そういう主張は、必ずしも頻繁には又は大きくは聞こえてこない。この点は不思議に感じていたところだ。
 だが、憲法再生フォーラム編・改憲は必要か(岩波新書、2004)の中の樋口陽一氏の論稿を読んで、吃驚するとともに、上の点についての疑問もかなり解けた。つまり、護憲論者の中には-樋口陽一氏もその代表者と見て差し支えないと思うが-自衛隊の廃止・縮小を主張しないで現状を維持することを基本的に支持しつつ、現在よりも<悪くなる>改憲だけは阻止したい、と考えている論者もいるようなのだ。
 樋口氏は、上の新書の中で最後に、「正しい戦争」をするための九条改憲論と「正しい戦争」自体を否認する護憲論の対立と論争を整理すべき旨を述べたのち、そのような選択肢がきちんと用意される「それまでは」として、次のように述べている。「それまでは、九条のもとで現にある「現実」を維持してゆくのが、それこそ「現実的」な知慧というべきです」、改憲反対論は「そうした「現実的」な責任意識からくるメッセージとして受けとめるべき」だ(p.23-24)。
 これは私には吃驚すべき内容だった。護憲論者が、「九条のもとで現にある「現実」を維持してゆく」ことを「現実的な知慧」として支持しているのだ。おそらく、改憲(条文改正)してしまうよりは、現行条文を維持しつづける方がまだマシだ、と言っていると理解する他はない。
 ここではもはや、<規範と現実の間にある緊張関係>の認識は希薄だ。そして、「九条のもとで現にある「現実」」を擁護するということは、「現実」は九条に違反していないと「現実的」に述べているに等しく、政府の所謂「解釈改憲」を容認していることにもなる筈なのだ。
 以上を一区切りとして、次に「正しい戦争」の問題にさらに立ち入ると、樋口氏は、現九条は「正しい戦争はない、という立場に立って」一切の戦争を(二項で)否定しており、九条改正を主張する改憲論は「正しい戦争がありうるという立場を、前提としている」、とする(p.13)。的確な整理だろう。また、前者の考え方は「普通の立憲主義をぬけ出る理念」の採用、「立憲主義展開史のなかでの断絶」を画するものだと捉えている。現憲法九条はやはり世界的にも「特殊な」条項なのだ。その上で同氏は、かつての「昭和戦争」や「イラク戦争」を例として、「正しい」戦争か否かを識別する議論の困難さも指摘している。たしかに、かつて日本共産党・野坂参三の質問に吉田茂が答えたように「侵略」を呼号して開始される戦争はないだろう。
 結論はともかくとして、「正しい戦争」を可能にするための「九条改憲」論と「正しい戦争」という考え方自体を否定する「護憲論」との対立として整理し、議論すべき旨の指摘は(p.23)、的確かつ適切なものと思われる。
 そこで次に、「正しい戦争」はあるか、という問題になるのだが、宮崎哲弥・1冊で1000冊(新潮社、2006)p.106は、戦争観には3種あるとして加藤尚武・戦争倫理学(ちくま新書)を紹介しつつ、正しい戦争と不正な戦争が可分との前提に立ち、「倫理的に正しい戦争は断固あり得る、といわねばならない」と明確に断じている。そして、かかる「正戦」の要件は、1.「急迫不正の侵略行為に対する自衛戦争か、それに準じ」たもの、2.「非戦闘員の殺傷を避けるか、最小限度に留めること」だ、とする。
 このような議論は極めて重要だ。何故ならば、戦後の日本には戦争は全て悪いものとして、「戦争」という言葉すら毛嫌う風潮が有力にあり(昨夜論及した「2.0開発部」もこの風潮の中にある)、そのような戦争絶対悪主義=絶対平和主義は、安倍内閣に関する「戦争準備」内閣とか、改憲して「戦争のできる国」にするな、とかいった表現で、今日でも何気なく有力に説かれているからだ。また、現憲法九条の解釈や改憲の基礎的考え方にも関係するからだ。
 1946年の新憲法制定の国会審議で日本共産党は「正しい戦争」もあるという立場から現九条の政府解釈を問うていた。所謂芦田修正の文理解釈をして採用すれば、現憲法下でも<自衛>目的の「正しい」戦争を行うことを想定した「戦力」=軍隊も保持し得る。
 この芦田修正問題はさておき、そして憲法解釈論又は憲法改正論との関係はさておき、やはり「防衛(自衛)戦争」はありえ、それは決して「悪」・「非難されるべきもの」でなく「正しい」ものだ、という認識を多数国民がもつ必要がある、と考える。
 「戦争」イメージと安倍内閣を結びつける社民党(共産党も?)の戦略は戦争一般=「悪」の立場で、適切な「戦争」観とは出発点自体が異なる、と整理しておく必要がある。この社民党的立場だと、「戦争」を仕掛けられても「戦力」=軍隊による反撃はできず、諸手を挙げての「降伏」となり(ちなみに、これが「2.0開発部」改正案の本来の趣旨だった筈なのだ)、攻撃国又はその同盟国に「占領」され、のちにかつての東欧諸国政府の如く外国が実質支配する傀儡政府ができる等々の「悪夢」に繋がるだろう。
 繰り返せば、「正しい戦争」はあり得る。「「正しい戦争」という考え方そのものを否定」するのは、表向きは理想的・人道的でインテリ?又は自らを「平和」主義者と考えたい人好みかもしれないが、外国による軍事攻撃を前にした日本の国家と国民を無抵抗化し(その過程で大量の生命・身体・財産が奪われ)、日本を外国の属国・属州化するのに寄与する、と考える。
 社民党の福島瑞穂は北朝鮮の核実験実施を米国との対話を求めるものと捉えているくらいだから、日本が「正しくない」戦争を仕掛けられる可能性はなく、それに反撃する「正しい戦争」をする必要性など想定すらしていないのだろう。これには的確な言葉がある-「社会主義幻想」と「平和ボケ」。
 これに対して日本共産党はきっともう少し戦略的だろう。かつて野坂参三が言ったように「正当な戦争」がありうることをこの党は肯定しているはずだ。だが、この党にとって「正当な戦争」とは少なくともかつてはソ連・中国等の「社会主義」国を米国等から防衛するための戦争だった。「正しくない」戦争を「社会主義」国がするはずがなく、仕掛けるのは米国・日本等の「帝国主義」国又は資本主義国というドグマを持っていたはずだ。かかるドグマを多少とも残しているかぎり、「九条の会」を背後で操り、全ての戦争に反対の如き主張をさせているのも、党勢拡大のための一時的な「戦略」=方便にすぎないと考えられる。
 なお、宮崎哲弥の上掲書には、個別の辛辣な短評をそのまま支持したい箇所がある。例えば、愛敬浩二・改憲問題(ちくま新書)につき-「誤った危機感に駆られ、粗笨(そほん-秋月)極まりない議論を展開している」、「現行憲法制定時の日本に言論の自由があったって?、…9条改定で日本が「普通でない国家」になるだって? もう、突っ込みどころ満載」(p.282-3)。ちなみに愛敬氏は名古屋大学法学部教授。
 いつぞや言及した水島朝穂氏等執筆の、憲法再生フォーラム編・有事法制批判(岩波新書)につき-「最悪の例。徹頭徹尾「有事法制の確立が戦争国家への道を開く」という妄想的図式に貫かれている。進歩派学者の有害さだけが目立つ書」(p.105)。私は水島朝穂氏につき「妄想的図式」とまでは評しなかったように思うが…?。同氏の属する早稲田大法学部には他にも「進歩派学者」が多そうだ。
 私は未読だが、全国憲法研究会編・憲法と有事法制(日本評論社)につき-「理念先行型の反対論が主で、実効性、戦略性を欠いている」(p.105)。さらに、戒能通厚監修・みんなで考えよう司法改革(日本評論社)につき-「古色蒼然たるイデオロギーと既得権益維持の欲望に塗り潰された代物」(p.103)。これら二つともに日本評論社刊。この出版社の「傾向」が解ろうというもの。後者の戒能氏は愛敬氏と同じく名古屋大学法学部教授だ。
 宮崎哲弥という人物は私より10歳は若い筈だが、なかなか(いや、きわめて?)博識で公平で論理的だ。宮崎哲弥本をもっと読む必要がある。
 (余計ながら、「日本国憲法2.0開発部」の基本的発想と宮崎哲弥や私のそれとが大きく異なるのは、以上の叙述でもわかるだろう。また「2.0」の人々は勉強不足で、樋口陽一氏の代表的な著書又は論稿すら読んでいないと思われる。きちんと読んでいればあんな「案」になる筈はない。)

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