秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

日本文化フォーラム

2003/L・コワコフスキ・「社会主義」・日本会議。

 スターリニズム、トロツキー、マルクス主義、L・コワコフスキから日本会議、日本の天皇の陵墓や男系・女系論等まで、秋月瑛二の関心は幅広い。但し、別々に切り離されて存在しているのではなく、精神・論理・心理・心情の中では「統合」されていて、それなりの個所に位置を占めている。
 ---
  L・コワコフスキ=S. Hampshire 編・社会主義思想-再評価(New York、1974)。
 この書物および1973年4月のイギリス・レディング(Reading)会合について、「上の書物全体を読んだわけでは全くないが、『反共産主義・反社会主義』ないし『自由主義』」志向の団体・組織だろう」と先に書いた。これは、1972年4月の日本・東京での国際セミナーの性格をも実質的には含めるような趣旨だった。
 ここでのとくに「社会主義」・「反社会主義」という語の使い方が気になるので、少し厳密化ないし修正をしておく必要があると感じる。
 この欄では当初から、<社会主義>と<共産主義>という二つの語を似たようなものとして使ってきた。勉強不足ゆえの曖昧さだったかもしれないが、日本での概念用法はそんなものだろうと思ってきた。あるいは、無意識にせよ日本共産党ら日本の「左翼」もまたそのような言葉の使い方をしていると感じてきた。
 マルクスは正確にどう書いていたかは知らないが、かつて日本共産党は共産主義を社会主義の高次の段階だというような説明をしてきたものの、(不破哲三による指導の一撃により?)1990年代以降はマルクスは両者を厳密には区別していないという説明に変わり、現綱領上も「社会主義・共産主義」の社会、というような表現をしている(また、「マルクス=レーニン主義」という語は使わなくなり、<科学的社会主義>と称する)。
 1973年のレディング会合についてのL・コワコフスキによる注記でも頻繁に言及されているが、<社会主義思想>をテーマにしながら、「社会主義」概念の意味または意味の検討方法についてすら一致がなかった、とされる。
 この会合を離れると、L・コワコフスキの<マルクス主義の主要潮流>は「社会主義」と「共産主義」を明確に区別しているという印象が、試訳し始めて以降早々に生じた。
 この著にいう「共産主義」=communism は、あえて単純化すると、レーニン・スターリン主義、ボルシェヴィズム(あるいはソヴィエト・ロシア型の「社会主義」)のことだと思われる。マルクス主義=共産主義ではないが、共産主義は前者の系統上にある、と位置づけられているとみられる(なお、某はL・コワコフスキの「ソヴィエティズム」という観念について語っていたが、この「ソヴィエティズム」という語は今のところ見たことがない)。
 また、上の大著の第二巻は<黄金時代>と題されているが、たぶんトニー・ジャットの文章だっただろうか、L・コワコフスキはマルクス主義の<黄金時代>を第二インターナショナル(=社会主義インターナショナル)に見ている、という解説または言及があった。
 そして、第三巻の<瓦解(Breakdown、Zerfall)>はむろんソヴィエト連邦の崩壊ではなく、スターリニズムの説明から始まる(第二巻の末尾がレーニン)。
 つまり、L・コワコフスキにおいては(1973年のレディング会合の記録である1974年編著もおおよそそうだが)、「社会主義」と「共産主義」はおそらく完全にまたは大幅に異なる概念であって、同どものとして使っていないことは明瞭だ。
 むろん、マルクス主義と「共産主義」は、関連はあっても(その関連性の意味・内容・形態こそが問題だが)同一ではない。
 この上のような言葉の使い方は、トニー・ジャットにおいてもおそらくは近い。
 そして、推測になるが、フランス社会党・ドイツ社会民主党等とフランス共産党・イタリア共産党等を区別するために、欧米では「社会主義」と「共産主義」をきちんと分けておく必要があったのだろう(ドイツ社会民主党は戦後早くにいわゆる<マルクス=レーニン主義>からの離別を建前上は宣言している)。
  日本会議の設立宣言(1997年)は「冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露された」と書いているが、この団体が「余すところなく暴露された」とする「マルクシズムの誤謬」を多少具体的にでもどう理解しているかは、完全に疑わしい。
 それは、日本会議専任研究員だった江崎道朗の2017年著での社会主義・共産主義・レーニン・コミンテルン等に関するはなはだしい、悲惨な<無知>でも明らかだろう(この著には「社会主義」と「共産主義」の異同を思考するという問題意識すらない)。
 もちろん、櫻井よしこ、伊藤哲郎、椛島有三らの日本会議諸氏が「マルクス主義」にいかほど通暁しているかも全く疑わしい。
 さらにはついでに書けば、日本の「(いわゆる)保守」と自称しまたは多称されているような<産経文化人・知識人>たちのマルクス主義・共産主義等に関する知識・素養のなさも著しいだろう。
 そして、秋月瑛二は、「保守」とは第一に「反共主義」だと考え、それを最も単純には「自由主義」とも称してきた。第一にというより、「保守」=「反共主義」=「自由主義」とほぼ等号で結びたいつもりで書いてきたかもしれない。だからこそ、月刊正論(産経)等々に見られる<産経文化人・知識人>等々の<いわゆる保守派>による<反共産主義>意識の欠如や乏しさに我慢がならず、しばしば批判的なコメントを書いてきた(この点ではこの欄は一貫しているつもりだ)。
 しかし、<産経文化人・知識人>等々の<いわゆる保守派>の理解する「保守」が反米だったり「日本」・「天皇」だったりすると<反共>意識の乏しさも全く当然のことで、この人たちは、私の理解する意味での「保守」派では全くない、ということがこの数年間に分かった。
 馬鹿らしいほどだ。
 日本会議の活動員だろうか、<「反共」なら統一教会に任せておけばよい、大切なのは「天皇」だ>とかの書き込みがネット上にあった。
 「日本」・「天皇」に観念的に執着することは、「保守」でも何でもない。「愛国主義」・「民族主義」あるいは偏頗なナショナリズムだ。
 なお、日本共産党・しんぶん赤旗を見て見るとよいだろう。対米自立・対米従属批判で日本共産党は一貫している(一部の<いわゆる保守>と同じように)。
 さらについでに引用しておこう。レディング会合で1973年に早くもS. Hampshire は語った、という(試訳済み)。
 「民族的共同体への郷愁が、多数の左翼集団の中にきわめて強く感じられる」。
 上の「左翼」は「右翼」の訳し間違いまたは書き間違いではない。
 「日本」・「天皇」では、「右翼」でも「左翼」でもある。
 日本会議と日本共産党は、再三書くが、その方向は<45度も開いていない>。
  「社会主義」観念の捉え方の広さ・多義性を見ると、レディング会合の参加者は決して全員が<反社会主義>の立場の者ではなかったように見える。
 第一に、東欧(当時の「社会主義国」)からの参加者の中には、現実の「社会主義」には問題があっても「資本主義」からは離別しているという点では肯定的に評価していると感じられる人物もいる。
 第二に、驚いたことに、Eric Hobsbawm までが参加して、ソヴィエト型社会主義を擁護するかのごとき発言をしている。この人はイギリス共産党員だったはずなのだが。
 Edward P. Thompson が招聘されなかったと言ってL・コワコフスキに不満を述べていたらしいこともよく分かってきた。この人はマルクス主義者らしいが、L・コワコフスキは「新左翼」扱いをしていたようだ(試訳済みの「左翼の君へ」)。
 このような、試訳してみての、その内容についてのコメントはこれまでほとんど行ってきていない。
 その理由は要するに、そんなことをしているとキリがないし、いったん何となくでも意味を理解してしまうと、時間が惜しいからだ。
  1972年4月に東京での国際セミナーを開催した(または後援した)<日本文化フォーラム>の性格、あるいは石原萠記という人物の評価・位置づけを「社会主義」という語を使って記述するのも困難なところがある。
 だが、レディング会合とは少し違って(?)明確なのは、<反日本共産党>あるいはその意味で<反共産主義>だ、ということだろう。<日本文化フォーラム>の関係者あるいは石原萠記の交際範囲の中に日本共産党員(および社会党左派・向坂派・社会主義協会派)は全く存在しないとみられる。
 欧州的?社会民主主義の建前のように、「社会民主主義」と「反共産主義」は両立する。
 前者を「社会主義」の中に入れてしまって、「社会民主主義」=「左翼」=「容共」と簡単に把握することはできないし、そうしてはいけない。
 この辺りは、日本社会党右派、民社党、日本での<反共・社会民主主義>がなぜ勢力を大きくできなかったのか、という、日本の戦後政治史に深く関係するだろう。
 <日本文化フォーラム>とは別にあったらしい<日本文化会議>についても、遡って見ておく必要がある。
 そして、日本会議(1997年設立)は戦後日本の「保守」運動を継承しているのか?
 石原萌記の書物の中には(1999年刊行であっても)、日本会議も椛島有三も出てこない。
 この点は、別に記述しなければならない、最近の大きな関心事だ。
 なお、<日本文化フォーラム>というのは、とくにその中の「フォーラム」の採用は、林健太郎の提言によるらしい(石原萠記著による)。
 「フォーラム」と「アゴラ」の意味はきっと同じだろう。

2002/石原萠記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)②。

 A/石原萠記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)。
 B/石原萠記・続・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、2009)。
 石原萠記、1924-2017。前者は75歳の年、後者は85歳の年の出版。
 この項①で紹介した1972年4月に東京で開催された「国際セミナー/変貌する社会と社会主義」(後援者・日本文化フォーラム(会長・高柳賢三、事務局長・石原萌記))は最終日に①「会議ステートメント」と②「各分科会の総会報告(要旨のみ)」を発表して終了した。
 これらは、いずれ、そのままこの欄に書き写して別に記録しておきたい。両者で、本文2頁余-Aのp.1129-1131。
 既述のように、この東京での会合でRichard Lownthal (独)およびGilles Martinet (仏)と行った以下の題の報告と副報告(またはコメント)が、のちにL・コワコフスキら編の著書の一部となった。
 Richard Lowenthal <独>「先進民主主義諸国での将来の社会主義」。
 Gilles Martinet.<仏>「社会主義の理論とイデオロギー」。
 L・コワコフスキ=S. Hampshire 編・社会主義思想-再評価(New York、1974)。
 Leszek Kolakowski & Stuart Hampshire, ed, The Socialist Idea - A Reappraisal.(New York, 1974).
 この「東京国際セミナー」については、今回冒頭掲記のでも、つぎのように「記録」されている。B、p.285。タイトルはここでは<変貌する社会における社会主義>となっている。
 これによると、「このセミナーは、フジTVが毎夜放送したほか、NHK教育TV、各マスコミが大きく話題視した。各国メンバーは終了後、東京で歌舞伎などを観劇し、関西へ行き、大学・経済人と交流した。」
 正確な期日等は、1972年4月10日~14日、大手町・日経ホール。
 日本経済新聞社が「後援」している。
 外国からの参加者の中に、Aでは「アラン・ブロック(オクスフォード大副総長)」、Bでは「アロン・バロック(オクスフォード大総長)」と記載されている人がいる。
 この人物は、のちにつぎの書物を出版したのと同一人だろう。
 Allan Bullock〔アラン・ブロック〕=鈴木主悦訳・対比列伝/ヒトラーとスターリン(全三巻-草思社、2003/原書1993年)。
 ****
 石原萠記は、どういう人物だったのか。
 75歳の年の上のAには、第11章<生き甲斐を与えてくれた人びと-忘れ難き学者・文化人に学ぶ->と題して、外国人を含む20人以上の人との身近な交流と人物評(・感謝)をつづっている。たんに知っているとか、尊敬しているとかではない、人間的な<接触・交流>のあったことが分かる。p.1155~p.1216(以下の没年記載もこれによる)。
 対象人物は、以下のとおり。肩書き・所属等を簡単に記述することはできないし、原書でもそうしていないが、何もないと分かりづらいかもしれないので、あえて秋月が記した。
 (01)三輪寿壮(日本社会党)、~1956。
 (02)高柳賢三(英米法、成蹊大学総長、憲法調査会会長、日本文化フォーラム会長)、~1967。
 (03)平林たい子(作家)、~1972。
 (04)河上丈太郎(日本社会党右派)。
 (05)中村菊男(政治学、慶応大学、民主社会主義)。
 (06)張俊河<韓国>。
 (07)松前重義(東海大学総長、日本社会党)、~1991。
 (08)江田三郎(日本社会党右派、社会市民連合)、~1977。
 (09)竹山道雄(哲学者、「自由主義」)、~1984。
 (10)福沢一郎(画家)、~1992。
 (11)小島利雄(弁護士)。
 (12)安倍能成(哲学者、学習院総長)。小泉信三(哲学者、慶応大学)。
 (13)中谷宇吉郎(自然科学)。尾高朝雄(法学、日本文化フォーラム初回会合招聘文執筆者・同副会長予定)、~1956。
 (14)福田恆存(評論家)、~1994。村松剛(評論家)。
 (15)木川田一隆(東京電力、経済同友会)。平岩外四(経団連)。
 (16)関嘉彦(東京都立大、民社党国会議員)。
 (17)高橋正雄(日本社会党右派)、~1995。
 (18)金俊燁<韓国>。
 (19)モクタール・ルービス<インドネシア>。
 (20)ハーバート・パッシン<アメリカ、国際文化自由会議>
 (21)E・サイデンステッカー<アメリカ>
 (22)林健太郎(西洋史、東京大学総長)。
 (23)遠山景久(ラジオ日本)。
 (24)松井政吉(日本社会党右派)、~1993。
 以上。

1991/石原萌記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)①。

 石原萌記・戦後日本知識人の発言軌跡(自由社、1999)。
 計1260頁、別に人名索引計12頁。石原萌記、1924~2017。
 前回の№1990/L・コワコフスキら編著1975年編著③で、L・コワコフスキの序文の一部を紹介して、こう書いた。
 「1972年4月に東京で開催された『変化する社会における社会主義』と題する国際セミナーで報告された。
 これは、文化的自由のための国際協会〔International Association for Cultural Freedom〕および二つの日本の雑誌と連携した日本文化フォーラム〔Japan Cultural Forum〕によって、後援(財政支援)された。」
 この「国際セミナー」について、ネット上の簡便な情報よりも、この石原著の方がはるかに詳しく、正確だろう。
 会合の後援者というよりも実質的な主催者は日本文化フォーラム(英語名のJapan Cultural Forumも上掲書にある)で、1956年2月18日発足。会長・高柳賢三、副会長・尾高朝雄-急逝により木村健康、事務局長・石原萌記。以上、p.908。
 この団体の「国際的母胎」は1955年6月に西ベルリンで設立された国際文化自由会議だった。p.905。先に<文化的自由のための国際協会>と訳出したものと同じだろう。石原萌記はこの団体の「日本駐在員」だったらしい。
 厳密には日本文化フォーラムの機関誌ではなかったようだが、別組織で雑誌「自由」を発行し、4号目からは「自由社」出版になった。p.911。石原萌記は、初代社長。
 日本の少なくとも一つの「雑誌」は、この自由社発行<自由>だろう。
 これらの内容・性格等は次回以降回しとして、1972年4月の「国際セミナー」についても4頁余りの記述がある。
 このセミナーの主題は前回の訳とは少し異なり、<変貌する社会と社会主義>だった。p.1127。
 Richard Lownthal (独)およびGilles Martinet (仏)の報告があったことも記されている(但し後者はコメンテイターのようだ)。
 しかし、E・ライシャワー(米国駐日大使)等のほか中山伊知郎、高橋正雄、林健太郎、大来佐武郎が議長団を構成するなど、最初に想像したものよりもはるかに大がかりな会合だ。
 日本人報告者は、以下だったとされる。p.1128。
 イデオロギー/関嘉彦。
 政治/芳賀綏。
 経済/力石定一。
 文化/武藤光朗。
 発展途上国/喜多村浩。
 日本側の「討論参加者」は以下だったとされる。p.1128。
 石川忠雄、江田三郎、岡野加穂留、霧生和夫、公文俊平、香山健一、佐瀬昌盛、重枝琢己、清水慎三、志水速雄、曽弥益、宝樹文彦、富永健一、正村公宏、松本七郎、山本登、和田春生、他。
 ---
 つづく。

1990/L・コワコフスキら編・社会主義思想(1974)③。

 Leszek Kolakowski & Stuart Hampshire, ed, The Socialist Idea - A Reappraisal.(Basic Books, Inc. Publishers, New York, printed in Great Britain, 1974).
 この項の前回に意識的に割愛した、この書物のL・コワコフスキによる「序文」の一部は、英訳を試みると、つぎの一文だ。訳出上、二文に分ける。
 会合・シンポジウムの報告には種々の不備があったので、「会合では存在しなかった三論文を追加した」、に続けてこうある。
 「それらのうち二つは、Richard Lownthal およびGilles Martinet のもので、1972年4月に東京で開催された『変化する社会における社会主義』と題する国際セミナーで報告された。
 これは、文化的自由のための国際協会〔International Association for Cultural Freedom〕および二つの日本の雑誌と連携した日本文化フォーラム〔Japan Cultural Forum〕によって、後援(財政支援)された。」
 ***
 L・コワコフスキ編の1974年著のL・コワコフスキ執筆の文章の中に、その当時の日本の団体または組織が出てくる。
 これはいったいどの団体のことだろうか。現在でもあるのだろうか。
 上の書物全体を読んだわけでは全くないが、「反共産主義・反社会主義」ないし「自由主義」志向の団体・組織だろう。
 厳密には暫定的な結論だが、少なくとも現在ある、1997年設立の日本会議(事務総長・椛島有三)とは全く関係がない、と考えられる。L・コワコフスキと少なくとも間接的には関係または接触があった日本の<保守>=<反共・自由主義>の諸団体の性格または基本姿勢・基本思潮を、この日本会議は継承していない、と考えられる。
 日本会議は「保守」ではない。むしろ、強いていえば「右翼」だ。
 そして、この欄ですでに書いたことだが、日本共産党と日本会議は決して真反対の位置にいるのではなく、その方向は45度も開いてはいない。
 あるいは、これも記したように、櫻井よしこら日本会議派は「過去と伝統」に理想を、不破哲三ら日本共産党は「未来」に理想を求める。そして、その観念的思考ぶりには、十分に共通性がある。

ギャラリー
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
アーカイブ
アマゾン(Amazon)
記事検索
カテゴリー