秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

日本政策研究センター

1698/「日本会議」・伊藤哲夫の稚拙と安倍内閣改造。

 これでまともな改憲提案か。
 伊藤哲夫=岡田邦宏=小坂実・これがわれわれの憲法改正提案だ-護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?(日本政策研究センター、2017.05)。
 体裁からして、計200頁ほど。
 三点しか、改正の提案はない(緊急時、九条、家族)。しかも、具体的な条文案を用意しているのでもない。
 その計200頁ほどのうち、総論的部分が30頁ほどあるので、平均すると、一つの改憲項目について、50-60頁ほどしか当てていない。しかも、そのうち過半は「鼎談」。
 読者を馬鹿にしているだろう。
 これでよく、「護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?」と表紙に書けるものだと思う。ほとんど発狂している。この人たちがいう「護憲派」は、この人たちの発言・文章よりも確実に1万倍以上、長年にわたって執拗に情報を発信してきている。
 これで本当に「それでも憲法改正に反対か?」と胸を張れると思っているのだろうか。ほとんど発狂している。
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 伊藤哲夫による、冒頭の総論・入門部分(といっても計17頁)を読んでみよう。明らかに、稚拙さあるいは誤りがある。
 伊藤は堂々と「憲法改正に関する基本認識と現状への視覚」と表題を掲げる。
 伊藤哲夫が指摘するのは、現日本国憲法には「国家」と「日本」が欠けている、ということ。これは、さすがに?、「日本会議」がその設立趣旨で謳っているのと同じで、かつ櫻井よしこが最近に現憲法・憲法改正にからめて言っていることとほとんど同じ
 もちろん、「国家」・「日本」の意味が問題になるが、先に進もう。
 第一。そのような欠陥の「淵源」を、アメリカの「占領政策」に求める。p.15。
 これは「日本会議」派によく見られる、<反米>ルサンチマン的心情の発露だ。
 <親米>外交政策を支持しつつ、この人たちには、<民族の栄光>を侵奪してしまった、侮辱したアメリカへの底知れぬ憤懣があるやに感じる。
 中川八洋がよくこの人たちを<民族系>と称するのは、根拠がないわけではない。
 ともあれ、しかし、①現日本国憲法の直接の「淵源」はアメリカでありマッカーサーだっとしても、現憲法の基礎にあるのは、天皇条項は別として、<リベラル・デモクラシー>という欧米的・近代的「国家・憲法」観であって、アメリカに限るのは、誤謬だ。
 アメリカ独立・連邦建設時の「国家・憲法」観とともにフランス革命時およびその前後以降の、<欧米思想>がはっきりと流れ込んでいる。三権分立(規範制定と執行の別、司法権の別置)、<自然権的「人権」>思想、等々。
 伊藤哲夫は、きちんと勉強したことがないのだろう。政策研究センター「代表」らしい程度には。
 現憲法の上の二つの欠落は「まさに占領政策に淵源する」。/「占領政策の影響をストレートに受けた」、「その帰結そのものがこの憲法になった」。p.15。
 上の認識、評価は誤りだ。
 また、②占領期のアメリカの対日政策は、1950年以前、すでに1947年頃には<変化>>している。九条の定めにしても、制定・公布時と比べて、国際・東アジアの安全保障・軍事環境はまるで変わっていた。だからこそ、<白色>パージから<レッド・パージ>へと公職追放対象は変わったし、日本政府も、憲法改正(とくに九条)をしないままで警察予備隊・保安隊を設立する方途へと進んだ。
 <アメリカの占領政策>と簡単に書き、「マッカーサー・ノート」を持ち出したりするのだけでは、決定的に時代認識が足りない。なぜその頃に憲法改正(とくに九条)しなかったのか、できなかったのかにも言及すべきだろう。
 幼稚、稚拙-伊藤哲夫。おそらくは、「日本会議」の幹部・活動家(櫻井よしこを含む)たちも。
 第二。伊藤哲夫は長々と欠陥住宅・耐震補強やゴルフの喩え話をする。p.18-22。
 せっかくの貴重な紙面を、退屈な話で埋めている。読者としてきっと、伊藤哲夫らと同等の読者を想定しているのだろう。
 しかし、こうした部分は、むしろ多くの読者を<馬鹿にする>ものだ。自分のレベルに合わせない方がよい。
 第三。いつぞや、<ただ、卑しい>と書いた。
 政治戦略的なテーマになるのだが、この人たち、伊藤哲夫らは、自分たちが<政治戦略>を考えていることを、明らかにしている。
 つまり<改憲に反対でない国会議員>が三分の二超を占めている、という国会の状況、そしておそらくは安倍晋三が首相である、というのを前提にしてだ。p.21-24。
 これを踏まえて、何とか<改憲>したい、または安倍晋三に<改憲>をさせたい。これこそが、この人たちの基本的パッション(熱情)だろう。
 このこと自体を批判しない。「左翼」・日本共産党のように<安倍による改憲反対>などとは思わない。
 しかし、問題なのは、卑屈になり、場合によっては日本共産党の<憲法解釈>に屈服してまで、つまりは合意が得られるようにハードルを下げて、<形式的でもいいから、改憲したい・させたい>という願望を実現しようとしていることだ。
 その結果として、九条二項存置のままでの三項・自衛隊明記論も出てきている。
 この案の行く末については、すでに書いた。
 結局のところは、<現実的に>これまでの「保守」の基本的考え・目標を投げ捨てることにつながっている。
 小林よしのりが自衛隊=非「軍・戦力」視を固定する「左翼」・「極左」の改憲案・考え方だと評したのも、ある程度は的を射ている。
 興味深いと思うのは、伊藤哲夫らは政治家でも国会議員でもないのに<政治戦略>を弄していることだ。
 この人たちは、いったい何者なのだろう。<策略家>か、<陰謀家>か。
 <保守>論者ならばそれらしく、スジを通すべきではなかったのか。
 しかもまた、その案は<現実的>でも何でもない。
 理想を70-80点だとすると、<現実的に>20-30点を獲得しよう、という案にも、実際にはなっていない。
 繰り返さないが、案への賛成・反対を論じる以前に、この案は実際には成文化できないだろう。現実の案にはならない、きっとつぶれるものだった、と思われる。
 伊藤哲夫や「日本会議」に対して冷たすぎるかもしれないが、秋月瑛二にもいろいろな経緯がある。
 もう少し別に触れよう。
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 二項存置・自衛隊明記案は、すでに政治的には消滅した可能性もないではない。
 8月の安倍首相による<内閣改造>は「お友だち内閣」という名の、実際には、正確には、「日本会議とつながった」内閣では危ないと安倍晋三が判断しての、「日本会議」隠し内閣改造だった(まだ少しは残っている)。
 2012年末の安倍晋三内閣誕生は、「日本会議」・産経新聞だけが生み出したのではなかった。
 しかし、安倍晋三内閣は、「日本会議」・産経新聞が崩壊させる可能性・危険性がある。
 そのように、政治的感覚が(樺島有三、伊藤哲夫、櫻井よしこらよりは)鋭い安倍晋三が判断した、という可能性があるだろう。
 2015年安倍内閣戦後70年談話を、産経新聞や「日本会議」がかりに批判していても、安倍内閣は倒れなかっただろう。朝日新聞らが基本的には反対できない「歴史観」を述べたからだ。
 しかし、一方で、産経新聞と「日本会議」派だけでは、安倍晋三内閣を支えることはできない
 安倍晋三は、ひょっとすればこの重要なことに、ようやく気づいたのかもしれない。

1682/九条二項存置・自衛隊明記論④-伊藤哲夫・小坂実のバカさと危険。

 小坂実は、以下の著で、こう言う。
 「せめて世界標準の個別的自衛権が行使できるよう、憲法に自衛隊を明記しましょうよと。本気で個別的自衛権で反撃できるというなら、是非とも自衛隊の『加憲』に同調すべきだと」。p.131。
 伊藤哲夫=岡田邦宏=小坂実・これがわれわれの憲法改正提案だ-護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?(日本政策研究センター、2017.05)。
 これは、恐ろしい主張だ。
 つまり伊藤・岡田とともに小坂が二項存置・自衛隊憲法明記案を主張する際の「自衛隊」とは、集団的自衛権を行使しうるのではなくても、個別的自衛権を行使できるだけのものでもよい、そこまでは一致できるはずだから、「加憲」に賛成しようよ、と言っているのだ。
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 九条二項存置のままで個別的自衛権とか集団的自衛権の区別に関係する<明文>を定めることは相当に困難だ。
 とすると、何という概念を小坂は使うつもりなのかは知らないが、新三項によって明記される「自衛隊」なるものは、個別的自衛権の行使に限られる(集団的自衛権の行使は認められない)組織・機構だと<憲法解釈>されてよい、と小坂は明示的に主張していることになる。
 少なくとも法律レベルで実質的に明記し、憲法にも違反しないと(国会、内閣>内閣法制局によって)解されている集団的自衛権の行使を、小坂実は、新九条三項「加憲」によって、憲法解釈上、個別的自衛権の行使に限定してよい、というのだ。
 ひどい後退、劣化だ。こんなことを言う「センター研究部長」の気が知れない。
 よほど<自衛隊の明記>にこだわっている。
 しかし何と、明記を拘泥する<自衛隊>は、個別的自衛権しか行使できないと憲法解釈されてよい、というのだ。
 この人、小坂実は、「左翼」であり、日本共産党同調者だろう。九条二項削除をよほど怖れて、先ずは三項「加憲」でごまかそうとしているのかもしれない。
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 何度でも、つぎのことを、書いておく。
 「法解釈にのみ依存する自衛隊の存在」。p.94の見出し。
 これは、結論誘導的で、欺瞞的な表現の仕方だ。
 この人たちの、「明記」と「法解釈」を大きな断絶があるものとして<どしろうと>として理解している、幼稚な知識と発想にもとづいている。
 <憲法解釈にもとづく(依存する)>というのは、<憲法にもとづく>とほとんど同じ意味だ。
 この人たちの論じ方を使っていうと、<憲法にもとづく>には二種ある。
 <憲法上の、だれも疑い得ないほどに明確な言葉で成る規定にもとづく>と<憲法解釈にもとづく>。
 憲法「解釈」であっても、それが安定していて、堅固であれば、ほとんど何の問題もない。
 自衛隊員たちの士気にかかわるとかの議論をする、訳の分からない者たちがいるようだ。
 そういう人たちは「憲法解釈」論をかぶった日本共産党の政治闘争にすでにある程度は屈服している。
 「自衛隊」という直接の言葉はなくとも、現憲法が国家に固有の自衛権行使を容認しているかぎり、現在の自衛隊は憲法にもとづくものであり、かつまた1954年以降60年以上にわたって、国民を代表する国の国会が、つまりは全国民の代表者たちが、合憲的なものとして、その崇高な任務を自衛隊に、そして自衛隊の隊員たちに与えたのだ。
 そのことが申し訳ないというなら、九条二項を削除して、本格的に安全保障・軍事関係規定を設ければよい。
 そうしないでおいて、またそう主張しないでおいて、二項存置のまま形だけ「明記」しようとするのは、日本共産党や「左翼」の政治的主張に屈服している。
 日本にまともな「保守」が希薄化していることの証拠だ。
 中でも、小坂実の上の主張は、ひどい。
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 ところで、10年ほど前、秋月瑛二は日本政策センターなるものの薄い月刊誌的なものを、1年間だけ購読したことがある。雑誌名をすぐに思いだせない。
 1年で止めてしまった契機になったのは、2000年頃に廃止された「機関委任事務」なるものについての知識・理解がその後かなり経っていたが不十分で怪しいままの論文的なものを読んだからだった。
 その著者名を、思い出した。小坂実、だった。
 地方行政、または国と地方の関係を問題にしながら、その論考らしきものは、「機関委任事務」という(国・地方の)行政公務員であれば基本的には了解しているはずの基本的タームの意味を、理解できていなかった。
 これでよくぞ、地方行政あるいは国と地方の関係について語れるものだと、呆れてしまったのだ。
 「機関委任事務」。その当時にすでに(制度としては)廃止されていたから(しかし、何らかのかたちで継続している事務の方が多い)、説明は省く。
 ともあれ、こんな基本概念(だったもの)を知らずして日本の「政策」を「研究」している団体だと分かって、一年かぎりでおサラバしたのだった。
 代表・所長・研究部長、専従の「研究」者は、この三人だけなのだろうか
 さらについでに書くと、小坂実、1958~、東京大学法学部卒。唯一の「法学部」出身者だ。卒業するだけはほとんど誰でもできるので、卒業できるでけの勉強はしたらしい。
 また、これでよく、「株式会社」として経営していけているものだと、感心し、不思議に思いもする。

1680/九条二項存置・自衛隊明記論-伊藤哲夫・産経新聞の愚②。

 九条二項を存置したままでの九条三項の追加による、または九条一・二項をそのままにしたうえでの九条の二の新設による<自衛隊の明記>という案は、<成り立つ>と思った。
 それは、2015年に平和安全法制を改正・成立させるに際してその当時の国会が採った憲法および九条関連「解釈」、つまりは、新「武力行使三要件」で限定された意味での集団的自衛権の行使が憲法上認められるということを前提とする「解釈」のエッセンスを書き込んで憲法に明記することはありうる、つまりいったん憲法解釈として採用されたものを憲法上に明記して確認する、ということはありうる、そういう議論も<成り立つ>と考えたからだ。
 むろん、この<エッセンス>をどう文章化するかという、という問題が残ることは意識した。
 棟居快行が読売新聞上で示した「試案」は簡単すぎるだろうと、感じてもいた。
 しかし、この案が単純に「自衛隊明記」案だとか称されていることや、その主張者たちの文章を読んでいて、すでに結論は出てしまった。
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 たしかに、九条三項(または九条の二)に<二項と矛盾しない自衛隊関係条項>を作るという案は、考え方または案としては成り立つ。しかし、その文章化はほとんど困難であるか、またはかりに作っても無意味であるために、必ず、つぶれる。自民党の案として、おそらく間違いなく、まとまることはない。
 したがってまた、こんな改憲案が国民に示されることはない。
 三項加憲案を支持するか、支持しないかの問題ではない。それ以前の基本的問題として、文章化・条文化が実質的に不可能だと思われる。
 支持とりつけ→条文化、ではない。そもそも、「条文化」を試みて、それを支持してほしいと訴えるべきで、上のような<軍・戦力ではないものとしての自衛隊の憲法上の明記>を支持するか、しないかの議論を先行させてはいけない。
 <軍・戦力ではないものとしての自衛隊の憲法上の明記>なるものは、実質的に不可能だ。
 したがって、この案は、必ず、つぶれる。おそらく間違いなく、自民党の案にならない。
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 伊藤哲夫=岡田邦宏=小坂実・これがわれわれの憲法改正提案だ-護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?(日本政策研究センター、2017.05)。
 前回に書いた。「明記」、「解釈」、「認める」、といった概念・言葉で何を意味させているのか。このような言葉、概念の意味・違いを明確にさせてから、<もう一度出直せ>。
 方法的、概念的、論理的な疑問は、前回に書いたこと以外にもある。
 ①「自衛隊について憲法に何も定めがないというのは異常です」。 p.99。
 陥穽への第一歩がここにもある。
 「自衛隊について」が何を意味するかが、そもそも問題なのだが、これは別に書く。
 「憲法に何も定めがない」とはいかなる意味か?
 「定め」が明示的な(ausdrueklich)な規定という意味であればそのとおりで、その意味では<明記>されていない、とも言い得る。
 しかし、だからといって、現在の自衛隊が憲法外の、あるいは超憲法上の存在であるわけでは全くない。現在の憲法秩序、現憲法が<認める>、あるいは<許容>しているものとして現在の自衛隊は存在している。
 そうでなければ、自衛隊法等々も、2015年平和安全諸法制も法規範として存在していない。
 つぎの②に対するコメントの一部と同じことだが、現在の自衛隊は現憲法が<認める>、あるいは<許容>しているものであり、その意味で<憲法に根拠づけ>られている。
 繰り返すが、憲法外の、あるいは超憲法上の存在であるわけでは全くない。
 憲法学者の90%以上が集団的自衛権行使容認の平和安全法制を違憲だとしたとか、憲法学者の60%以上が自衛隊を違憲だと言っている、ということを重視する向きがある。
 秘境・魔境に生息する者たちを重視しすぎてはいけない。
 上のことを気にするのは、憲法学界・憲法学者の中に食い込んでいる、日本共産党および同党員学者の「憲法解釈」論上での<政治的な闘争>に屈服していることを、ある程度は示している。
 そもそもの伊藤哲夫・岡田邦宏らの発想は、この対日本共産党屈服、だろう。
 正面から闘わないで、脇道を通って、<形だけの>勝利を目指そうとしているかに見える。
 そして、その<脇道>は、実際にはほとんど塞がれていることは、前回も、今回も、述べているところだ。
 ②「自衛隊が憲法に明記されず、九条二項に反しないような解釈にのみ根拠づけられていることに問題の根源がある」。p.101。
 大きな陥穽に落ち込みそうな叙述だ。
 つまり、「明記」と「(憲法)解釈」をそれぞれどのような意味で、従ってどのように区別して、用いているのか。
 結論だけ、まず示そう。
 第一に、つぎの三項追加案で、<自衛隊を明記>したことになるのか?。
 「第三項/自衛隊は、存在する。」、「第三項/自衛隊を、設立する。」、「第三項/自衛隊を、認める。」
 たしかに「自衛隊」を「明記」しているが、これでは無意味だろう。
 この無意味さを分からなければ、議論に関与するな、と言いたい。
 なぜか。三項で新たな憲法上の概念として出てくる「自衛隊」が、現在ある自衛隊を意味しているとする、根拠は何も、少しも、全くないのだ。
 現在の法律や<経験上の>知識を前提にしてはいけない。
 (かりにそうだとしても、自然災害対処や国際平和協力など「自衛」概念に通常は入らないものも現「自衛隊」はしていること等に、別に触れる)。
 そもそも、憲法上の「自衛隊」という語の<解釈>がやはり必要なのだ。
 第二に、「自衛隊」という語を使わないで、どう成文化するか。
 できるかもしれないが、しかしその場合、*二項存置が絶対の前提なので*、二項の「軍・戦力」ではないものとして三項で<明記>するものを表現しなければならない。
 その場合に、二項の「軍・戦力」ではない自衛権行使組織を定めようとすれば、当然ながら、二項の「軍・戦力」や<自衛権>についての<憲法解釈>を前提にせざるを得ない。
 結論だけ、が長くなったが、つまり、こうして追加される三項もまた、<憲法解釈>を必然的に要求するのであり、<明記されずに憲法解釈にのみ根拠づけ>られる状態は、何ら変わりない
 第三。決定的な反論または岡田邦宏批判。
 「憲法解釈にのみ根拠づけ」られていても、「憲法に根拠づけ」られていることに変わりはない。
 「どしろうと」にとって、「明記」と「法解釈」の間の溝・区別はきわめて大きいのだろう。
 しかし、「明記」というのは、言葉・概念それ自体の常識的・社会通念的・通常日本語上の意味が確定している場合に使いうる言葉であって、憲法上の概念とは、そんなものばかりではない。
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 だからこそ、憲法はしばしば「法律の定めるところにより」と書いて明確化・具体化を法律に任せているのだ。
 伊藤哲夫や岡田邦宏や小坂実は、「内閣」は憲法上に明記されていると思っているだろう。その通りであり、かつその構成にも言及があり、「内閣」の仕事も憲法上に列挙されている。
 しかし、そのような憲法上に「明記」された「内閣」の姿だけで、現実の「内閣」を理解できるのか? あるいは「知った」と言えるのか?
 この問いの意味が理解できなければ、国家「政策」や憲法論に関与する資格はない、と思われる。
 憲法にかりに<明記>される自衛隊(「自衛組織」等々)と現実の自衛隊が「全く同じ意味・範囲」であるはずはない。
 <二項存置+自衛隊憲法明記>論者は、どこかで、言葉・概念・規範と現実、法規範の憲法と法律以下の最少でも二層の区別、に関するとんでもない過ちを冒している、と考える。

1678/九条三項「加憲」論-伊藤哲夫・岡田邦宏のバカさ。

 日本の「保守」と称している者たちの知的退廃の程度は、哲学・言語学・論理学そして精神医学のレベルにまで立ち入って検討されてよい。
 もちろん、日本の「共産主義者」についてもそうなのだが、一見だけは論理的に詳細に論じるふうの日本共産党・月刊前衛掲載文章と比べても、以下に言及する内容は、ひどい。
 伊藤哲夫=岡田邦宏=小坂実・これがわれわれの憲法改正提案だ-護憲派よ、それでも憲法改正に反対か?(日本政策研究センター、2017.05)。
 憲法九条関連に限る。遅れて、一読した。
 安倍内閣支持率の変化により、今年5月の安倍晋三・自民党総裁案(どの党機関決定もないはずだ)がそのまま自民党の提案になるのかも怪しい。
 その九条三項加憲案(現二項存置・自衛隊明記案。または論理的には現二項存置・九条の二新設案)が、上のような下らない書物の書き手の影響を受けたものではないことを願いたい。
 簡単に、書こう。
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 岡田邦宏(1952~、京都大学工学部卒。所長)が案を示して、伊藤哲夫(1947~、新潟大学人文学部卒。代表)らが賛同している。p.106-7、p.130-1。
 岡田邦宏は日本政策研究センターという団体・組織の「所長」らしい。
 恥ずかしい「所長」が、またいる。
 憲法改正提案三つのうち一つの、九条関係の見出しは、つぎのとおりだ。
 <自衛隊明記が「九条問題」克服のカギ>。p.90。
 この部分の全体を通じて理解をはなはだ困難にするのは、「明記」、「解釈」、「認める」、あるいは「国際法」といった概念・言葉で何を意味させているのか、だ。
 冒頭に「哲学・言語学・論理学そして精神医学のレベル」とか書いたのは、この完全な不明瞭さだ。
 上のような言葉、概念(国際法はさしあたり除外してもよいが)の意味・違いを明確にさせてから、<もう一度出直せ>と言いたい。
 ここでの岡田のような文章・論理を活字にするようだからこそ、日本の保守は<やはりアホ>だと思われる。
 上にいう、「自衛隊」の「明記」とは、何を意味するのか? 以下も同じ。
 岡田p.107-「二項はそのままにして、九条に新たに第三項を設け、…『戦力』は別のものであるとして、…自衛隊の存在を明記するという改正案も一考に値する選択肢だと思う」。
 また、つぎの、伊藤哲夫の「憲法上、明確に位置づける」とは、いかなる意味か。岡田の案を否定しているのではないことは明らかなのだが。
 伊藤p.131-「まず議論の出発点として、自衛隊を憲法上、明確に位置づけることが必要だ」
 こうした、「明記」とか「明確に位置づける」ということの意味をきちんと理解しないで、それこそ<明確に>しないままで憲法を論じているつもりの人たち、「代表」とか「所長」がいるのだから、ひどいだろう。
 あれこれと、すぐに疑問が湧く。
 具体的な条文案を示さないと、そもそもはダメ(これは、<美しい日本の憲法をつくる会>運動も同じ。精神論さえ示せばよく、あとは官僚にお任せ、では絶対にダメなのだ)。
 「自衛隊の存在を明記」とは何か
 新三項に、「自衛隊は存在する」と書くのか?、「自衛隊を設置する」とだけ書くのか?
 こんな条文にはなるはずはない。「自衛隊」という概念・語を現憲法は用いていないので、さっそく、例えばつぎの、疑義が出てくる。
 ・現在の「自衛隊」に関する諸法律は、防衛省設置法等も含めて、憲法より下位の法規範なので、下位の法律上の概念・制度でもって、あるいは現在の<経験上の>「自衛隊」なるものによって、憲法上の意味内容を理解できないし、また理解してはいけない。
 また、つぎの疑問もある。
 突然に「自衛隊」なるものを持ち出すとすると、その目的・趣旨も少しは書かないとダメだろう。つまり、<…のため>が憲法上も少しは必要だろう。
 二項・新三項(らしきもの)で分かるのは、「軍・戦力」ではない、「自衛」ための「隊」というだけのことだ。
 これで、「存在を明記」することになるのか?
 ならないだろう。「自衛隊」とは何のことか?、二項の「軍・戦力」ではないという意味はどこにあるのか? この「憲法解釈」論がまた、出てくる。あるいは、現状をさらに混乱させるに間違いない。
 以上のことは、伊藤哲夫のいう、「自衛隊を憲法上、明確に位置づける」についても同じ。
 <自衛隊>という言葉を用いないとすれば、それに代わる言葉・概念を、または条文そのものを提案しなければならない。
 上に()で書いたことを繰り返す。
 我々は精神論、あとは技術的なこととして「法制官僚」にお任せ、ではダメなのだ。
 同じ趣旨のことはすでに、伊藤哲夫のウェブサイトで知った文章について書いた。
 二項でいう「戦力」に該当しないが実質的には近づけるように自衛隊を憲法上容認する方法を探りたい、とか伊藤は書いていたが、自衛隊を実質的に「戦力」として位置づけるのは不可能で、自衛隊は「戦力」ではないことを「明記」することも、じつはさほどに簡単ではないのだ。
 後者のために、<本項にいう自衛隊は、前項にいう戦力に該当しない>という但書きでも付けるつもりなのだろうか。たしかに形式的には、<明記>かもしれない。
 哲学・論理学・言語学等の必要な論者が多いようなので、また書いておこう。
 二項-「戦力」/三項-「自衛隊」または「自衛組織」・「自衛部隊」?・「自衛のための実力組織」?。
 このように区別して<明記>することはできる。
 しかし、どう書いても、上のような<但書>を付けたとしても、「戦力」という言葉を介して<憲法解釈>をしないと、「自衛隊」または「自衛組織」・「自衛部隊」・「自衛のための実力組織」の意味は明確にならないのだ。<明記>の意味がない。<憲法解釈>の必要性はずっと残る。
 これが分からない人は、少なくとも国家「政策」や憲法論に関与しない方がよいだろう。
 このような結論的案とその肯定に至る過程での論述や議論は、陳腐なものだ。
 例えば、岡田邦宏は何やら力を込めて、(九条全体や第一項ではなく)「問題が九条第二項にあることは、…明らか」と書く。p.102。
 こんなことくらいは、憲法九条関係議論を少しは知っているものならば(吉永小百合や意図的に曖昧にしてきた日本共産党・容共知識人らは別として)、常識だ。
 わざわざこう述べるのも、ああ恥ずかしい。
 2017年の憲法記念日に向けて、こう頑張って発言する馬鹿がまだいるのかと思わせるほどだ。
 上のことくらいは、この欄で、10年ほども前から、私も指摘している。
 じつは他にも、基本的に疑問とする論理、言葉遣いがある。きっと、続ける。

1611/伊藤哲夫見解について②-「概念」の論理。

 「それに留まらず、自衛隊を『自衛のための戦力』として認める道はないのか。問題は3項の内容にかかって」いる。
 伊藤哲夫・『明日への選択』平成29年6月号。
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 上の伊藤哲夫の文章は、つぎの後に出てくる。
 「『立派な案』ということでいえば、2項を新たな文言で書き換える案がむろん好ましい。しかし、3分の2の形成ということで考えれば、実はこの9条『加憲』方式しか道はないのではないか、というのは必然の認識でもあ」る。「2項を残したままで、どうして自衛隊の現状が正されるというのか」は「当然の議論ではあるが、ならば2項そのものを変えることが正しいとして、その実現性はどうなのか、ということを筆者としては問いたい。実現性がなければ、『ただ言っているだけに終わる』というのが首相提言の眼目でもあった」。
 したがって、従来からある九条2項削除派に対する釈明、配慮あるいは媚びのようにも読める。
 それはともかく、伊藤哲夫の上の部分について前回に厳しく批判した。→6/27付、№1605。
 これに対して、<言葉で「戦力」を使うのではなく、実質的に自衛隊を『自衛のための戦力』として認める道を探りたいだけだ>、という反論・釈明らしきものも予想できないわけではない。
 そこで、あらためて批判する。
 哲学、論理学、言語学にかかわるのかもしれない。
 結論的にいうと、「戦力」という言葉(「軍」でもよい)を使わずして、自衛隊を実質的にであれ「戦力」(「軍」でもよい。以下、「戦力」)として認める方法は存在し得ない。
 なぜなら、自衛隊は「戦力」だとの旨を明記しなければ、論理的に永遠に自衛隊が「戦力」になることはないからだ。
 <実質的に>「戦力」のごとき言葉を考えてみよう。「軍隊」は憲法九条2項に「…軍」があるからだめ。
 「実力部隊」・「実力行使隊」、あるいは「自衛兵団」、「自衛戦団」。
 あとの二つはすぐに、「…軍その他の戦力」との異同の問題が生じて紛糾するに違いない。
 かと言って、自衛隊を(自衛のための)「実力部隊」・「実力行使隊」と表現したところで、自衛隊が「戦力」それ自体には、ならない。いかにAに近い、A'、A''を使ったところで、自衛隊がAになることはない。
 あるものを「赤」と断定したければ、「赤」という語を使う他に論理的には方法はないのであり、「緋」や「朱」やその他を使っても、そのあるものは論理的に永遠に「赤」にはならない
 もともと、自衛<軍>や自衛<戦力・戦団>ではなく自衛<隊>と称してきたのは、<軍>や<戦力>という語を使えなかったからだ。実体も、それなりの制約を受けた。
 それを今さら、九条2項存置のままで<実質的に>「戦力」として認めたいと主張したところで、そもそも論理的な・言語表現上の無理がある。
 なお、「前項の規定にかかわらず、…」というのは構想できる条文案だ。
 しかし、「前項の規定にかかわらず、自衛隊を自衛のための戦力として設置する」と、「戦力」の語を用いて規定すれば、やはり現2項と新3項(または新九条の二)は正面から抵触するので、こんな案は出てこない、と考えられる。
 伊藤哲夫は、あまり虫の良い話を考えない方がよいだろう。
 伊藤自身がすぐそのあとで「何とか根本的解決により近い案になるよう、今後議員諸兄には大いに知恵を絞ってほしいと願う」と書いて、「根本的解決により近い案」と書いているのも、「根本的解決」になる「案」は不可能であることを自認しているからではないか
 九条3項加憲論者でかりにそう安倍晋三に提言したのならば、その立場を一貫させるべきで、伊藤哲夫は、九条2項削除論者のご機嫌をとるような文章を書かない方がよい。

0303/参院選投票1日前-伊藤哲夫発言に寄せて。

 日本政策研究センター(「歴史と国益の視点から日本再生を目指す、戦うシンクタンク)」のサイトの7/11上に、「安倍晋三か?小沢一郎か? これが参議院選挙の焦点だ①~③」が掲載されている。発言者は所長の伊藤哲夫(よくは知らない)のようだ。
 私の理解に近いと思われるので、私自身の頭の整理も兼ねて要約しておく。
 1.「今度の選挙が本当に「政権選択」の性格を帯び」ているなら、争点は<安倍か小沢か>になるはずだ。「農水相の事務所費問題や、防衛相の不適切発言」、「政治とカネ」の問題は「本質的な問題なのだろうか」。「年金問題は本質的問題だと言う人がいるかもしれない。だが、政権を選ぶということは「日本の将来を選ぶ」ということで、「小沢民主党に日本の将来を任せて大丈夫なのか。小沢民主党が安倍自民党のしていることよりも間違いなく日本を良くできる保証があるのか。そういうことをもっと議論しなくてはならない」。
 2.「
少なくない人々が「自民党にお灸をすえてやらなきゃいかん」と感情的になっているのかもしれない」が、「「将来の日本」ということを考えた場合に、感情にまかせて「今度は民主党だ」ということで本当にいいのか」。
 3.「安倍政権の評価については、評論家の宮崎哲弥氏が…朝日新聞にコメントを寄せている」。彼は「要するに、今は非常に不評判だけれども、後になって振り返ってみると安倍政権の評価の方が高くなるに違いない。実際それだけのことをしている」と言っている。
 4.「9カ月、客観的に安倍政権が何をやってきたのか」をみると、「改正教育基本法を成立させ、防衛庁を防衛省に昇格させ」、「海洋基本法国民投票法教育改革関連3法を成立させ」、「社会保険庁改革関連法年金時効停止特別措置法公務員制度改革関連法を成立させた」。
 「
これら一連の重要法案はいずれも歴代政権が先送りにしてきたものだ。まず教育基本法は、昔からずっと改正が言われてきたが六十年間棚上げされたままだった。国民投票法も、憲法制定以来六十年、必要な法整備を完全に怠ってきた。防衛省への昇格は、昭和30年代から言われてきたことだがこれも先送りにされてきた。海洋基本法にしても、他国は94年に国連海洋法条約が発効したのを契機に国内法を整備したにもかかわらず、日本は必要な法整備を怠って完全に後れをとっていた。このように、安倍政権は歴代政権が先送りしてきた課題に真正面から取り組み、必要な法整備を成し遂げた」。
 5.「年金問題は、直接的には安倍政権が引き起こした問題ではない」。「一番の問題はずさんな事務を生み出してきた社会保険庁の体質」だ〔このテーマについては別に<年金騒動の本質は改革潰しにある>との特集が組まれている-秋月〕。
 「民主党は、この年金問題で具体的提案をするよりも、とにかく抵抗して法案〔「社会保険庁解体」法案・公務員制度改革関連法案-秋月〕を葬り去ろうとした」。これは「「改革潰し」で、その裏には改革に反対する自治労という労働組合(民主党の有力な支持団体)の意を迎えようとして、そういう行動をとったとしか思えない部分がある」。
 7.外交面では、「拉致問題を最重要課題と位置付けて北朝鮮に圧力をかけ」、「就任直後中国を訪問」して「「主張する外交」を積極的に展開」した。
 「より重要なのは、…「自由・人権・民主主義・法の支配」という価値観を前面に押し立てた「価値観外交」を展開していることだ」。
 8.安倍首相は、「ハイリゲンダム・サミットの時も、一月の欧州歴訪の時も、欧州各国の首脳に対して」、中国に自由・民主主義・人権はあるのかと問うた。「そのような国が、本当にアジアの中心的な指導国家になれるのか、いったい何を指導するのか」というふうに問い掛けた。「首脳たちは…アジアで最も重んじなければならないのは日本であるということに気付いたのだ」。また、安倍首相は「EUの対中武器禁輸の緩和に釘を刺し」、「拉致問題の解決に、より一層の協力を訴え、支持を取り付けた」。
 9.「価値観外交の二番目の眼目」は、麻生外相がの言う「自由と繁栄の弧」だ。この「「自由と繁栄」のモデルは日本であって、中国ではないという意味も」込められている。また、「オーストラリアやインドとの関係強化にも積極的に乗り出している」(「日豪安保共同宣言」締結、初の「日米印の海軍共同演習」)。
 10.三番目に、「価値観外交は」、「13億の中国人民全体を視野に入れた関係でなければならない」という認識にもとづく「中国共産党一党独裁政治の下で悲惨な状況に置かれている中国人民に対するメッセージであり、中国共産党政権に対する無言の圧力」なのだ。
 「謝罪していればそれで事が済むとしてきた日本外交にとって、これは革命的転換」だ。
 11.「安倍政権の内政の特徴は、二つある」。「
一つは「古い自民党をぶっ壊す」と言った「小泉構造改革路線」の継承・発展」だ。
 「もう一つは、これはより重要なことだが、…価値観を基礎に置いた政治、価値観を基軸とした国造りをやろうとしているということだ。…
そのことが一番はっきりと現れているのが、憲法改正を堂々と打ち出したことだ」。「何よりも重要なのは、教育改革を重要政策と位置付けていることだ」。さらに安倍首相は、「「国益を重視する」…「官僚制民主主義」から本来の「議会制民主主義」へ。さらに官邸がリーダーシップを発揮する民主主義に変えようとしている」。「安倍改革は価値観のない改革ではなく、国益を柱に据えた改革を指向している」。
 12.マスコミはある時期まで安倍政権を「タカ派政権」「危険な安倍政権」というイメージで伝えていたが、「昨秋の訪中以降は」、「経験不足の無力な政権」「指導力のない安倍首相」という「イメージで伝えるようにシフトしてきた」。「マスコミは、そういう形でアピールした方が政権の弱体化に効果的だとして、戦略的にそういうイメージを伝えていると思う。これまではそれが一応の成功を収めている」。
 しかし、「安倍首相は指導力を発揮している」。「普通の政権ならば、教育基本法を通したところでもうヤレヤレ」だが、「教育改革関連3法」を「間髪入れず」に提出・成立させた。また、「公務員制度改革にあたって安倍首相は、事務次官会議を飛び越して〔=この会議での全員合意なくして-秋月〕この案件を閣議決定してしまった」。「屋山太郎氏は「ここを打破したことは歴史的な重大事。官僚たちは真っ青になっている」と評価している」。
 安倍首相は「官僚内閣制」を破り、「有権者に選ばれた政治家主導の政治、真の民主主義政治の実現に向かって、首相はリーダーシップを発揮している」。「指導力がない」というイメージは、「所詮マスコミが作り上げた虚像」だ。
 13.「拉致問題」につき「手詰まり感」とか「目に見える成果がない」とかの評価もあるが、「じゃあ、どうすればいいのか」、「またコメを送ればいいのか」。
 「昨年7月、北朝鮮のミサイル発射を受けて、日本政府は当時の安倍官房長官の主導で、万景峰号の入港禁止という独自の経済制裁を発動した。また安倍政権発足直後の昨年10月には、北朝鮮の核爆発実験を受けて経済制裁を強化し、万景峰号だけでなく北朝鮮籍船舶の入港禁止措置をとった。これらの措置により、ミサイル部品などの持ち出しの大半は阻止できるようになった。また、…昨年11月からは、ぜいたく品24品目の禁輸措置をとっている。それと同時に、安倍首相が官房長官の時代から始めた厳格な法執行により、朝鮮総連の脱税行為をはじめとした不正行為を厳しく取り締まっている」。
 14.「ここで安倍改革をストップさせ、小沢民主党に交代して何かいいことがあるのか」。「小沢民主党は改革の方向性すら決められない。憲法改正にしても、教育改革にしても、本気で議論したら民主党そのものが壊れてしまう」。
 「参議院副議長を務めていた民主党議員は朝鮮総連傘下団体からヤミ献金を受けていた。また、民主党の参議院議員会長は日教組に強制カンパをさせて当選している。さらに、ナンバー2の代表代行は「南京大虐殺」を積極的に認めているし、女性議員たちは「従軍慰安婦」への国家賠償を先頭に立って要求し、朝鮮総連を議員会館に招き入れ抗議集会を開かせていたこともある。こういう政党に、果たして日本の国益を担うことができるのか」。
 15.「保守層の中には、慰安婦問題、歴史認識問題、拉致問題等々について、安倍首相の対応が気に入らないと批判する人がいる」。「けれども、そういう人たち聞いてみたいことがある。「じゃあ、あなたは小沢さんでいいんですか。小沢さんが政権を握った方が日本がよくなる。慰安婦問題でも前進する、拉致問題も解決する、歴史認識も小沢さんの歴史認識の方がいい。そういう保証があるんだったら示していただきたい」と」。
 16.「日本は…一夜にして変わることはない。現に自民党の中は抵抗勢力の方が未だに多い。それが表面化していないのは、参議院選挙が終わるまでは抵抗を止めておこうというだけ…。また、官僚の世界は自民党内よりももっとひどい。…社保庁は自治労に牛耳られてきた。それに象徴されるように、霞ヶ関や地方自治体といった日本の行政実働部隊を握っているのは、いまだ共産主義・社会主義勢力だ。その現実に目を開いて、…「日本のための構造改革」を進めなければならない」。
 以上。少しは解らないところもあるが、あらためて安倍内閣は<ただものではない>内閣であることが解る。これらをきちんと報道していないマスコミは、何らかの政治的意図・謀略をもっているか、安倍内閣の政治的意義・価値を理解できない<無知蒙昧>かのいずれかだろう。
 ただ、私は100%安倍内閣の政策を理解できているわけではない。とくに、米国下院での慰安婦決議問題についての政府の対応はあれでよかったのかとの疑問を今も持っている。
 だが、小沢・民主党よりも遙かに優れていることは明々白々だ。これだけは100%明瞭だ。
 民主主義(民主制)とは大衆政治であり「衆愚」政治だと言うが、思い出すと、記者クラブでの立派な会場での7党党首討論会における、記者たちの質問はひどかった。
 読売新聞橋本五郎は最初の質問で何と赤城農相の事務所経費問題を話題にしたのだ。その他、「ニュース性」に重点を置いた質問を3-4人がしていたが、誰一人、日本国家を基本的にどのようにしたいのか、どういう基本的方向に導きたいのか、という質問をしなかった。「大きな政府」か「小さな政府」かも問題にしなかった。憲法問題を重要視した質問もなかった。
 小沢民主党代表に対して、かつて所属した政党かつかつて連立した政党と対決する気持ちはどのようなものかと尋ねた記者はいなかった。
 すでにマスコミ、この場合は新聞社の記者クラブの記者自体が、<衆愚>の一部になり下がっているのだ。
 こうしたマスコミを見ると日本の未来は決して明るくない。だが、絶望する必要もない。心ある国民、「日本」を守り抜こうとする国民が多数いることを信じる

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