秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

日本共産党員

2557/「前衛」上の日本共産党員⑯—2013年9月号。

 既述のように、日本共産党中央委員会理論政治誌である月刊誌『前衛』に執筆しているのは、この党の議員・職員等であることが明記されていなくとも、余程の特別の事情のないかぎり、明確に党員だと見られる。非党員がこの性格の雑誌に執筆できるはずは、余程の例外を除き、あり得ないだろう。
 「青木 理」もまた、党員だと思われる。例外に当たらない。No.1627/2017.07.06参照。
 以下は、『前衛』2013年9月号による。正確には、この時点についての推定にはなる。
 ——
 松宮 輝(火ヘン)/産業技術研究所—原発ゼロ社会。
 山田 朗/明治大学教授—政界の歴史修正主義。
 林 博史/関東学院大学教授—安倍・橋下の慰安婦発言。
 久保田 貢/愛知県立大学准教授—歴史認識・太平洋戦争。
 羽淵三良/映画評論家—反戦・平和映画の伝統。
 佐藤哲之/弁護士—全国B型肝炎訴訟。
 米沢 哲/日本医労連中央執行委員—介護。
 山﨑龍明/武蔵野大学教授・寺院前住職—核・原発等。
 ——
 以上。
 この号ではまだ、不破哲三の連載が続いていた。

1797/「前衛」上の日本共産党員⑮-2018年03月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2018年03月号による。
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 本 秀紀/名古屋大学教授-安倍改憲の特質。
 山口智美/モンタナ州立大准教授-政権・「右翼」の「歴史戦」孤立と改憲。
 丹波史紀/立命館大学准教授-福島県双葉避難住民。
 鳥畑与一/鳥取大学教授-成長戦略と地域銀行。
 建部正義/中央大学名誉教授-ビットコインの「実像と虚像」。
 久保田和志/弁護士-埼玉九条俳句訴訟。
 神川喜夫/教育ジャーナリスト-大学入試改革迷走と高校教育改革。
 村田 武/九州大学・愛媛大学名誉教授-日本農業の構造改革。
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 以上。別の号につづく。

1786/「前衛」上の日本共産党員⑭-2018年05月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2018年05月号による。
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 山内敏弘/一橋大学名誉教授-安倍九条改憲。
 西谷 修/立教大学特任教授-安倍改憲。
 丹羽 徹/龍谷大学教授-教育無償化論。
 田中 隆/弁護士-安倍改憲と改正手続法。
 鈴木達治郎/長崎大学核兵器廃絶研究センター長-核。
 桜田照雄 /阪南大学教授-カジノ実施法案。
 斉藤敏之/農民連副会長-卸売市場法。
 大日方純夫/早稲田大学教授-明治150年と自由民権。
 中村晋輔/弁護士-米兵殺人国家賠償。
 佐貫 浩/法政大学名誉教授-教育政策と新自由主義。
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 以上。別の号につづく。

1783/「前衛」上の日本共産党員⑬-2017年10月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2017年10月号による。
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 小林 武 /沖縄大学客員教授-辺野古・法治主義・憲法。
 徳田博人/琉球大学教授-辺野古・法治主義・憲法。
 中野晃一/上智大学教授-安倍政権。
 渡辺 治 /一橋大学名誉教授-安倍政治。*またもや登場。
 岩見良太郎/埼玉大学名誉教授-アベノミクス。
 中山 徹 /奈良女子大学教授-アベノミクス下の大型開発。
 山田博文/群馬大学名誉教授-アベノミクス・シムズ理論。
 牧野富夫/日本大学名誉教授-安倍政権・働き方改革。
 立石雅昭/新潟大学名誉教授-柏崎刈羽原発再稼働。
 長澤成次/千葉大学名誉教授-地方自治体の社会教育行政。
 格地悦子/相模原市民-公民館活動。
 宮永弥四郎/教育研究者-貧困。
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 *以下、別の号につづく。 

1696/「前衛」上の日本共産党員⑪-2013年7・8月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年7月号による。
 小沢隆一/東京慈恵医科大教授・憲法学者-またも。
 中山 徹/奈良女子大学教授-公共事業予算。
 田中靖宏/ジャパン・プレス・サービス社長-ベネズエラ。
 佐藤次徳/マツダ訴訟原告団事務局長。
 高根孝昭/マツダ共闘会議事務局長。
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 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年8月号による。
 伊佐真次/東村高江ヘリパッドいらない住民の会。
 高橋美枝子/羽村平和委員会-横田基地。
 工藤昌宏/東京工科大学教授-アベノミクス。
 芝田英昭/立教大学コミュニティ福祉学部教授-TPPと医療。
 寺内大介/弁護士・ミナマタ弁護団全国連絡会事務局長-水俣訴訟。
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 *以下、別の号へとつづく。

1687/「前衛」上の日本共産党員⑩-2013年6月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年6月号による。
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 寺尾正之/全国保険医団体連合会事務局-社会保障制度改革。
 林 泰則/民医連常駐理事-社会保障制度改革。
 布施祐仁/ジャーナリスト-原発労働現場。
 脇田 滋/龍谷大学教授(労働法学)-労働規制緩和。
 萬井隆令/龍谷大学名誉教授(労働法学)-解雇規制。
 吉田敏浩/ジャーナリスト-安保・米軍基地。
 **付記-不破哲三・スターリン秘史/大テロル(下)が30頁分ある。
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 別の号へとつづく。

1666/「前衛」上の日本共産党員⑨-2013年5月号。

 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年5月号による。
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 森 英樹/名古屋大学名誉教授-安倍内閣の改憲路線。+何度も。
 藤田孝典/ほっとプラス代表理事-生活保護・改憲反対。
 末浪靖司/ジャーナリスト-アメリカが求める九条改憲。
 小森美登里/「ジェントルハート」理事-いじめ問題。
 福井雅英/北海道教育大学教職大学院教授-同上。
 宮城みのり/民青同盟千葉県委員会副委員長-同上。
 藤岡裕子/尼崎医療生協病院副事務長-生活保護。
 丸浜 昭/歴史教育者協議会事務局長-歴史教育。
 **付記-不破哲三・スターリン秘史/大テロル(上)が41頁分ある。
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 別の号へとつづく。

1648/松竹伸幸・レーニン最後の模索(2009)。

 松竹伸幸・レーニン最後の模索-社会主義と市場経済(大月書店、2009)。
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 あらためて、日本共産党の現在の綱領(2004年1月17日/第23回党大会で改定)から。
 ①「資本主義が世界を支配する唯一の体制とされた時代は、一九一七年にロシアで起こった十月社会主義革命を画期として、過去のものとなった。」
 ②「最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、レーニンが指導した最初の段階においては、おくれた社会経済状態からの出発という制約にもかかわらず、また、少なくない試行錯誤をともないながら、真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力が記録された。」
 ③「今日、重要なことは、資本主義から離脱したいくつかの国ぐにで、政治上・経済上の未解決の問題を残しながらも、『市場経済を通じて社会主義へ』という取り組みなど、社会主義をめざす新しい探究が開始され、…となろうとしていることである。」
 ④「市場経済を通じて社会主義に進むことは、日本の条件にかなった社会主義の法則的な発展方向である。」
 ロシア革命とレーニンを肯定的に評価し、かつ「市場経済を通じて社会主義へ」という基本方針を掲げていることが明らかだ。
 かつ、ここでの「市場経済を通じて社会主義へ」という路線は、不破哲三、志位和夫によると、レーニンが、1921年3月党大会における「ネップ」導入決定後、1921年10月の「モスクワ県党会議」での報告で、「社会主義建設の大方向を打ち立てた」のものとして明確にした、という。関係する文献には、この欄で何度か触れた。
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 1991年のソ連解体後もまた、ロシア革命・「社会主義」やレーニンの意味を決して否定しておらず、(スターリン以降はともあれ)これらを明確に擁護する学者・研究者もいる。すでに記した。
 溪内謙、藤田勇、笹倉秀夫
 しかし、レーニンによる「ネップ」期での<市場経済を通じて社会主義へ>という路線の明確化(「社会主義」建設の一般論としても)、という把握を明確に述べている文献は、日本では、ほとんど日本共産党の幹部ものに限られる。
 不破哲三、志位和夫、聴濤弘。
 外国(欧米)文献で、こんなバカなことを記しているのは、見たことがない。
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 日本ではほかに、「松竹伸幸」(「1955-、日本平和学会員」とされる)のつぎの文献が、不破哲三らの上の考え方を支持する。
 松竹伸幸・レーニン最後の模索-社会主義と市場経済(大月書店、2009)。
 この問題をきちんと論じようとすれば、相当に関係文献を読んで検討しなければならないはずだ。
 しかし、2009年刊行の本でありながら、そのような形跡はない。注記はない。参考文献の一覧・後掲もない(統計資料についてだけ、なぜかある)。
 本文中に表に出てきているのは、レーニン全集からのレーニンの文章と、E・H・カー等のおそらくは10に満たない、この人物の主張の障害にならない文献だけだ。
 そもそもが、ロシア10月「革命」の「革命」性、あるいは、資本主義からの離脱という「社会主義革命」性自体を否定する文献が(日本も含めて)少なくない。
 そのような文献は、いっさい無視している。
 今回は予告として書いておくのだが、日本共産党綱領を踏まえつつ、不破哲三、志位和夫の「基本路線」から逸脱しないように、その基本的歴史理解を「敷衍」しているのが、上の本だろう。
 言うまでもなく、この「松竹伸幸」は(筆名の可能性がある)、日本共産党の党員だ、と明確に推察できる。
 日本共産党の幹部以外に、同党と同じ主張をする、同じ歴史理解をする「学者・研究者」もいる、ということを示すために執筆された、と推定される。
 そしてまた、社会一般、学界一般(ロシア・ソ連史、共産主義史・社会思想史等)に対してというよりも、上のことを日本共産党の一般党員に示すためにこそ、つまり不破哲三・志位和夫の「レーニン理解」に一般党員が(むろん何らかの分野の学者党員を含む)疑問を抱かないようにするためにこそ、執筆され、刊行されたのではないか、と想像される。
 一時期の間、見失っていたが、再発見した。
 リチャード・パイプスの関係時期およぴ「ネップ」関連部分は、すでに試訳を掲載した。
 L・コワコフスキの著にも、数頁の言及はある。
 その他、ネップに関する論及のある欧米文献は(粗密は様々だが)、100までいかないとしても、数十は瞥見している。
 じっくりと、この立派な?松竹伸幸著と比べて、この松竹著を批判的に分析いていきたい。

1640/「前衛」による日本共産党員⑧-2013年4月号。

 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年4月号。
 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
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 渡辺治/一橋大学名誉教授-安倍政権・改憲・新自由主義。+何度も出てくる。
 大瀧雅之/東京大学社会科学研究所教授-アベノミクス・経済政策。
 佐貫浩/法政大学教授-教育改革。
 笠原十九司/都留文科大学名誉教授-東アジアの歴史認識。
 武田清春/通信産業労働組合書記長-NTT。
 永島民男/全国私教連中央執行委員長-私立高校・間接雇用講師問題。
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 別の号へとつづく。

1634/「前衛」による日本共産党員⑦-2013年3月号。

 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年3月号。
 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 とくに、俵義文を確認しておきたい。二宮厚美(神戸大学)は、ずっと前から、歴然としていた。
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 二宮厚美/神戸大学名誉教授-安倍政権と経済。
 丹羽 徹/大阪経済法科大学-安倍内閣の憲法観。
 俵 義文/子どもと教科書全国ネット21事務局長-安倍内閣の人脈。
 宮永与四郎/教育行政研究者-第二次安倍政権の教育改革。*筆名?
 吉田信雄/消費者問題研究者-消費者行政。*筆名?
 河村健吉/金融問題研究者-金融緩和。
 今泉義竜/弁護士-解雇・退職強要との闘い。
 高田太久吉/金融労働研究ネットワーク-欧州と新自由主義。
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 別の号へとつづく。

1627/「前衛」による日本共産党員⑥-2017年4月号。

 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2017年4月号。
 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。
 「青木理さん(ジャーナリスト)に聞く」という共謀罪に関するインタビュー記事があるのが注目される。
 青木 理/ジャーナリスト-共謀罪。
 入谷貴夫/宮崎大学教授-日本経済。
 中原准一/酪農学園大学名誉教授-北海道の経済。
 山田 朗/明治大学教授-歴史認識・真珠湾攻撃。
 吉田 裕/一橋大学教授-歴史認識。
 吉田千亜/フリーライター-自主避難者。
 鳫 咲子/跡見学園女子大学准教授-子どもの貧困。。
 「青木理さん(ジャーナリスト)に聞く」という扱いをふつうのジャーナリストが受けるはずはない。こんな扱いを受けるのは日本共産党の党員以外には、想定し難い。
 共謀罪や共謀罪法案について語ることのできる党員学者等は多いはずで、「評論家」を肩書きとする者でも何人かはいるだろうにもかかわらず。
 おそらく青木理は日本共産党が主張したいことを過不足なく語り、余計なことは語っていないのだろう。長年の「ジャーナリスト」生活を経て、このあたりで党所属の、党籍をもつ党員活動家であることを実質的に「公」にしてもよいとの判断に至ったと思われる。
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 別の号へとつづく。

 

1621/「前衛」による日本共産党員④-2014年2月号。

 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2014年2月号。
 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。少なくとも、上の時期には。
 小沢隆一/憲法学・慈恵医大-政治改革。
 上脇博之/憲法学・神戸学院大学-政治改革。
 渡辺治/一橋大学名誉教授-安保・改憲。
 田中章史/日本原水協常任理事-核兵器禁止。
 髙野邦夫/不戦兵士市民の会-特攻隊。
 石川康宏/神戸女学院大学教授-古典教室・不破哲三らと。
 以下は、党主催「汚水問題シンポジウム 」パネリスト。
 北澤宏一/東京都市大学長・福島原発事故独立検証委員会委員長。
 舩橋晴俊/法政大学社会学部教授。
 本島勲/元電力中央研究所主任研究員。
 廣瀬勝己/元気象研究所地球化学研究部長。
 大島堅一/立命館大学国際関係学部教授。
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 別の号につづく。

1614/「前衛」による日本共産党員③-2013年1月号。

 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』2013年1月号。
 以下、明確に日本共産党の党員だと見られる。少なくとも、上の時期には。
 植松健一/立命館大学准教授-集団的自衛権。
 芝田佳宜/弁護士-選挙制度。
 和田 武/日本環境学会会長-再生可能エネルギー。 
 平田仁子/気候ネットワーク東京事務所長-原発。
 吉田 裕/一橋大学教授-日本史・歴史認識。
 宮城道良/不戦兵士市民の会東海支部事務局長-戦争体験。
 小池由美子/埼玉県立高校教諭-高校教育。
 河邑重光/(肩書きなし-歴史)*別途党員だと判明。 
 ---
 別の号につづく。

0859/筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。

 筆坂英世・悩める日本共産党員のための人生相談(新潮社、2008.11)。
 目次等でわかる共産党員の悩み事・相談事は「赤旗」拡大の悩みとか党中央文書を読む必要性とかで、すでに共産党員ではなくなっている筆坂に尋ねても、また筆坂が回答しても無意味のようなものばかりだ。
 ただ、―筆坂・日本共産党(新潮新書)は発刊後すみやかに全読了しているが―彼が除籍される直前( 2004年頃)までの日本共産党内部の実態は改めてよく分かるところもあり、興味深い部分もある(今回は省略)。
 そもそも日本共産党員が悩むべきなのは、日本共産党という政党の存在意義、換言すれば、「社会主義」(→共産主義)を目指すという目標を設定することが<正しい>のか、だろう。コミュニズム、マルクス主義または日本共産党のいう「科学的社会主義」は<正しい>のか、でもよい。
 とりわけ、冷戦終結(と私は考えていないが)をもたらしたとされるソ連共産党・ソ連の解体・崩壊は「社会主義」理論に、および「社会主義」運動に、いかなる影響または意味をもつかを、誠実な日本共産党員であれば、深刻に<悩み>、思考するのが自然だろう。
 そのような「悩み」事は筆坂には寄せられなかったようだが、<「共産党」という名前に拘泥する必要はないのでは?>という趣旨の「相談」に対して、筆坂は相当に興味深い、思い切ったことを書いている。以下のごとし(p.184-187)。
 ①党指導部に「党名を変えろ」と主張するより、「もっと本質的な問いかけをすべき」だ。つまり、「マルクスから離れることは決定的な間違いなのか」、だ。
 ②日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言う。
 だが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られました」。「大きく道を踏み外す」、その「淵源は、マルクス、エンゲルスにもあった」。
 「すべてをスターリンの責に帰す議論は、まったく公正ではありません」。
 ③「しかも」、日本共産党自身が「スターリン時代のソ連」を「社会主義だと規定」してきた。「計画経済や国有化、集団化に社会主義の姿を見てきたからこそ」のはずだ。
 そういう「規定」を「そうではなかった」と「覆したのは、ソ連とソ連共産党が崩壊してから」だ。
 「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか。人権抑圧も大量弾圧も、大国主義・覇権主義も、官僚主義も、ソ連崩壊以前から周知のことでした」。
 ④そういう理由で(「真の社会主義」ではなかったとして)「旧ソ連を切って捨てたのであれば、なぜいまの中国を日本共産党は批判しないのでしょうか。一党独裁、チベットなどへの侵略、人権弾圧、政治的民主主義の抑圧、大国主義など、その体制は旧ソ連と何ら変わりません」。
 それなのに日本共産党は、「何一つ批判しないどころか」、「中国共産党はマルクス主義の立場を真面目に追求している」と「評価さえ」している。
 ⑤「科学的社会主義」と言ったところで「実態は単なるご都合主義」だ。資本主義→社会主義は「歴史的必然」という論も「現実を見れば仮説でしかなかったことは明瞭でしょう」。マルクス主義から「離れる」ことで「良い社会」ができればいいのではないか。それを日本共産党ができれば、「政党名云々などは瑣末な問題にすぎません」。
 筆坂がどの程度正確に日本共産党の主張・見解を紹介しているかは、厳密には疑っておいてよい。例えば、日本共産党は、ソ連の「大国主義・覇権主義」に対する批判はソ連共産党・ソ連の解体・崩壊前から行っていた、と反論するかもしれない。
 しかし、気になる点はないことはないが、上の②と③は私がこの欄に書いてきたことと基本的趣旨に変わりはなく、まことに堂々と筆坂は日本共産党を批判している、と感じる。
 日本共産党は「レーニンの時代は社会主義の道を歩んでいたが、スターリンになって大きく道を踏み外した」と言うが、「一党独裁体制も秘密警察も、レーニンの時代に作られ」たのではないのか?、「スターリン以降のソ連がマルクス主義、科学的社会主義と無縁の体制であったなら、なぜ長い間、日本共産党は見誤ったのか」?と、心ある、まともな神経のある日本共産党員ならば<悩む>べきだ。そして、党中央の主張・見解を疑い、可能ならばすみやかに離党すべきだ。一度しかない人生、大ボラの体系の、一種の<宗教>の信者として過ごすのは一刻も早く、止めた方がよい。
 上の④は、強くは意識していなかったが、なるほどと思わせる。
 日本共産党は中国共産党との関係の再修復を歓迎し、それを党中央の「成果」だと評価している。そして、現在の世界情勢を語る場合、大人口をもつ中国も含めて(その他、ベトナムやキューバ等を加えて)、社会主義または親社会主義の国々は世界の1/3か1/4を占めている(日本共産党の文献で確認することを省く)と「豪語」して、<社会主義>勢力が衰退していないことの証拠としている。
 日本共産党は<自主・独立>の党のはずだが、今や、中国共産党とその支配する中華人民共和国は、その存在・存続自身が、日本共産党の存在にとっても不可欠になっているようだ。
 ソ連が崩壊し、中国まで共産党支配国でなくなってしまったら、いくら再び<毛沢東(あるいは鄧小平?)以来ずっと、中国は「真」の社会主義を目指す国ではなくなっていた。日本共産党だけは「正しい」社会主義を追求する>などと後から言ったところで、党員も含めて誰も(一部の幹部を除いて?)信じないだろう。
 こうした状況では、筆坂が指摘するように、日本共産党は中国(共産党)の悪い側面を指摘・批判することができないようだ。そういう面を知ってはいても、とりわけ中国の<社会主義的市場経済>の進展・発展ぶりに期待する文章を志位和夫か不破哲三が書いていたのを読んだことがある。
 <屈中・媚中・親中>は、日本共産党にも(日本共産党こそが?)あてはまる。
 その意味では、上のように書く筆坂は、小沢一郎や鳩山由紀夫、民主党よりも、まっとうな感覚を持っている。チベット問題は「内政」問題だとしてコメントを避ける岡田外相よりも優れている。
 筆坂が離党したのは2005年7月で(57才になる年で)、それまでは、日本共産党と「科学的社会主義」の諸文献を読んで生きてきたに違いない。したがってそれまでは、<日本>という国家の特性、<日本>の歴史・文化・伝統等に関心をもったことはほとんどなかっただろう。
 したがって、筆坂が天皇・皇室に関して、どういう考えを持っているかも知ることはできない。離党してから、小泉信三「共産主義批判の常識」(p.181~で言及)以外にどんな本を読んだだろうか。
 だが、私とほとんど同い年で、長くはないがまだ<人生>はあるだろう。たくさんの本に目を通しつつ、日本共産党員であり続けていれば不可能だったように、彩りと潤いと、美しさと静穏さと、様々なものを感受しながら、残りの人生を全うしてしていただきたいものだ。

0748/大月隆寛「『論壇』は歴史的限定を超えられるか」(月刊正論7月号)と「左翼」・日本共産党。

 月刊正論7月号(産経新聞社)のp.240~、大月隆寛「『論壇』は歴史的限定を超えられるか」
 本当にメモ、引用したいのは以下の第三だが、他にもついでに触れる。
 第一に、月刊・諸君!廃刊にかかわり、実質的には(株)文藝春秋批判がある。以下のごとし。 
 (株)文藝春秋は雑誌「文学界」はなお維持する。赤字は同様で経営的視点からは同じ。「文学」畑の老舗との「意地」があるのだろうが、それは「諸君!」には何故機能しなかったのか。
 月刊WiLL(ワック)の如き編集方針でやってみる可能性もあったはず。それができないのは(株)文藝春秋の「プライド」で、「そこまではしたくない、堕ちたくはないという一線」を感じていた。
 「なりふり構わず『保守』ブランドでまだしぶとく商売」するとの<論壇馬鹿>の「心意気など、良くも悪くも初手から無縁」の会社だった。等々。
 大月の指摘のとおり、(株)文藝春秋はこの程度の会社だったと思われる。同業(同様傾向?)各誌・各社による<内輪褒め>・<楽屋褒め>に通じる月刊・諸君!廃刊への<残念>ぶりは白々しい。
 第二に、とくに「論壇」誌編集者と執筆者の<共同体>幻想への批判。
 ノンフィクション・ライターと雑誌編集者が「仲間」・「同志」という気分が感じられるのは気持ちが悪い。大手出版社の編集者ともの書きは「共闘」相手などではとっくになくなっている。
 「学生運動的な、文化祭チックな」「内輪」気分の「共同体」があるとの「勘違い」、出版・ジャーナリズムはただの商売ではない「文化」的事業との「勘違い」。そんな状況は「内側から確実に腐り始めて」いた。
 さて、第三。月刊・諸君!の廃刊とは無関係に、時代認識・時代表現として、興味深い文章が並んでいる。
 ・「ある時期以降」メディアの「左翼的」「もの言い」は、書き話す当人たちにとって「そういうものだから」というだけで「習い性としてやっている程度のこと」。
 ・「学校とその延長線上に連なる空間で、世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説」は「必須」だった。「ある時期までは確実に」。
 ・「学校」や「その繋累の場であるマスコミ周辺」ではその「世渡り作法は長い間温存されて」いた。「実利があればこそ温存されていた」。「サヨク/リベラル系言説を身につけておれば、ひとまずいらぬ摩擦や軋轢を回避しながら、…超伝導のようにあらかじめ設定されたチューブの中を滑走」できたのだ。
 ・小中学校のホームルームでの「耳ざわりのいい」「もの言い」や「立ち居振る舞い」こそが、「反日マスコミ」に象徴される「サヨクぶり」・「プロ市民的もの言い」の発生地点。それは「ある意味で『優等生』の身だしなみ」。「学校」と「その延長線上の世界」、例えば「マスコミ、大学などの学者・研究者から学校の教員、そして役所に医者、弁護士…」、何のことはない、「勝ち組」とも称される「職種の多くは」、「学校民主主義の型通りが跋扈するにふさわしいものになっている」。「反日」の「身振り」はかかる「優等生」たちの「身だしなみ」で、戦後日本の「エリートカルチャー」の「あるコアの部分、でもあった」。
 ・「身だしなみ」である限りいちいち考える必要はない。「マナーとしてのサヨク、…『反日』」。「反日マスコミ」の「反省のなさ」、世間の視線についての「自覚の欠如」は、それほどまでに彼らの「反日」が「単なる習い性」で、「深く考えた上で自覚的に選択されたものではとうになくなっていることの、雄弁な証拠にすぎない」。
 ・「サヨク」は、「特に高度成長期の大衆化をくぐっていく過程」で、「ある『自由』の表象」、「『個人』であることを最も手軽にかつ効率的に身にまとうことのできるアイテムと化して」いった。「お手軽なジーンズみたいなものになった」。
 以上。このあと、「保守」は「大衆アイテム」になれなかった。だが、「少数派」だから「正義」だとの倒錯も生じた、との叙述や「田母神現象」の捉え方等への言及もあるが、省略。
 上の引用・紹介部分は、感じていたことを巧く言葉で表現してくれているようだ。
 法曹(弁護士・裁判官等)・行政官僚・大学教授等の多くが戦後教育の「優等生」である、日本国憲法の下での<平和・民主主義>教育によって彼らはほとんど自然に<何となく左翼>になっている、というような旨は、この欄で私もいく度か述べた。
 大月は「身だしなみ」・「マナー」としての「左翼」(・「反日」)という表現を用い、かつ、「世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説」という表現も使っている。

 「左翼」がかなりの程度において広く「世渡りの作法」になっているという現実は事実として確認しておく必要がある。換言すると、<処世のための左翼>だ。
 だが、それ以上に、あるいは「処世」の中身として、昔風にいうと<立身出世>あるいは<著名人化>するための「左翼」、という者もいることも確認しておく必要があるだろう。
 この場合はたんに「左翼」というよりも、「確信左翼」・「組織左翼」と称してもよく、「左翼」思想ではなく、マルクス主義又は親マルクス主義という語を使った方がより理解しやすくなる。
 そして結局は<処世のため>に、そして<立身出世>・<著名人化>するために、(「綱領」をきちんと理解しているか、「マルクス主義」を本当に<正しい>と言えるかの自信は本当にはないままで)日本共産党に入党するような研究者・文化人等々もいる、ということも広く知られてよいだろう。
 「文化人」ならまだよいかもしれないが、大学に所属する研究者の場合、真の意味における「学問の自由」が彼らにある筈はない。固い枠の中で、真否の判断や発言・執筆内容に<政治的な>考慮を加える「共産党員」研究者は、(米国・英国・ドイツ等に比べると日本には)ウジャウジャと棲息していると思われる。
 少なくとも「深く考えた上で自覚的に選択されたものではとうになくなっている」、「サヨク」・「反日」の<身だしなみ>を持つ者として、NHKの日本デビューの制作者たち(浜崎憲一・島田雄介ら)及び放送総局長・日向英実や会長・福地茂雄挙をげることができよう。
 そういう「左翼」たちを生み出すことに役立っているのが、執筆者に日本共産党員も紛れもなく含まれていると推定される、実教出版の教科書、高校/政治・経済(宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂ほか執筆)でもある。
 大月隆寛の文章を読んで、こんなことまで書きたくなった。

0616/杉原泰雄の日本国憲法=「外見的市民革命」論。

 一 岩波からシリーズ・法律学への第一歩というのが出版されていた。全5巻で、二つ目が、杉原泰雄・憲法-立憲主義の創造のために-(1990)。
 第一巻が渡辺洋三・法律学への旅立ち(1990年時点で既刊)で、この人は日本共産党党員だったと確実に推測できる人(故人)。
 その他の執筆者は、第三巻の民法は田山輝明、第四巻の刑法は村井敏邦、第五巻の外国法(イギリス・ドイツ)は戒能通厚・広渡清吾。
 戒能通厚(前名古屋大学)の名はマルクス主義法学講座にもあったと思うが、このシリーズの執筆者たちは、杉原泰雄も含めて、日本共産党員か親日本共産党の者か、少なくとも反日本共産党ではない者であることは確実だろう。マルクス主義者・親マルクス主義であることは勿論。さすがに岩波書店だ。
 二 第二巻の上の杉原泰雄の本には教条的な日本共産党の主張・理解とは同じではない<歴史理解>もある。
 とりあえず気がついたのは、明治憲法から現憲法への「転換」を「日本の市民革命ともいうべきものであった」と述べつつ、しかし「革命としての実体を欠いていた」と叙述していることだろう(p.21)。
 戦後への「転換」につきかかる「市民革命」概念を日本共産党は用いない。
 だが、日本の「反立憲主義的政治の原因論」をふまえれば「日米安保体制が、軍事的に、経済財政的に国民生活にどのような危険性をもっているか、…を解明し、認識すること」ず重要だ旨の指摘(p.23-24)などは、<憲法体制と安保体制の矛盾・対立>という、長谷川正安(元名古屋大学法学部)がしばしば書いていたような日本共産党的な基本的法状況の認識の枠内にある。
 三 「市民革命」関係の上の叙述は、杉原泰雄・平和憲法(岩波新書、1987)でより明瞭に、かつ詳しく語られている。
 ・「明治憲法から日本国憲法への転換は、日本の市民革命ともいうべきものであった。しかし、外見上はそうではあっても、それは市民革命としての実体を欠いていた」(p.134)。
 ・「近代市民革命」の場合、「民衆」の他に「ブルジョアジー」が参加して、彼らも「新しい憲法原理」に敵対的ではなく、「新しい憲法原理」は「権力担当者と民衆」のいずれの「意識にも根」をおろす。だが、「日本国憲法は、その市民革命的類似の外形にもかかわらず」、このような「市民革命としての『実体』をもつことができなかった。その意味で、それは外見的市民革命ともいうべきものであった」(p.141-2)。
 ・「日本国憲法の制定は、徹底した意識変革の過程としての市民革命の内実を、支配層においても、一般国民の段階においても、伴っていなかった」(p.172)。
 上のための例証的叙述は省略する。「外見的市民革命」とは、ほとんど一般化していないが、面白い概念ではある。
 なお、杉原において、日本の<特殊性>も意識されてはいる。p.141の小活字部分にはこうある。
 「市民革命」は「もともと、資本主義の草創期における現象」だが、日本の戦後改革は「一応発達した資本主義社会における二〇世紀中葉の変革として、資本主義的生産関係の変革をも」視野に収めうるものだった。だが、占領軍の性格や日本の権力担当者の「巧みな対応」によって、その可能性は「憲法問題としては、現実化されなかった」。
 ここで視野に入り得たとされ、かつ現実化しなかったとされる「資本主義的生産関係の変革」とは、<社会主義化>又は<社会主義革命>に他ならないだろう。
 四 上の小活字部分についての「留保」は必要だが、杉原泰雄において刮目されるのは、第一に、どの国も、日本も、「市民革命」を経る必要がある、「市民革命」を経るはずだ、という強い、<宗教じみた>思い込みがあることだ。
 第二に、日本は<真の>「市民革命」ではなく「外見的市民革命」を経たにすぎない、という<歴史理解>は、<真の>「市民革命」を将来に経る必要がある(その筈だ)との理解につながっているはずだ。
 これを前提にすると、日本は「戦後改革」後も(現在も!)、フランスにおける<真の>「市民革命」以前の状態にあると理解されていることになる。日本の1945年頃は(そして現在も!)、フランスにおける1789年以前の状態なのだ-少なくとも「(真の)市民革命」の欠落のかぎりでは。
 また、小活字部分も併せて読むと、「市民(ブルジョア民主主義)革命」と「社会主義革命」とがすみやかに連続して起こる必要がある、起こるだろう、と考え、想定しているものと思われる。
 ここまで分析?すると、この杉原泰雄の考え方は日本共産党的・<講座派>マルクス主義のそれだ。
 以上をふまえて思うのだが、マルクス主義的歴史発展段階論、つまり封建制→絶対主義(絶対王制)→<市民革命>→資本主義→<社会主義革命>→社会主義、というシェーマに杉原がどっぷりと浸っていることは明らかだ。日本の状況を、なぜ外国産の理論でもって、かつなぜフランスの「市民革命」を範型として把握する必要があるのか。
 上に言及の二つの杉原の本はソビエト連邦・東欧社会主義諸国の崩壊・解体の前に書かれている。<市民革命>→資本主義→<社会主義革命>→社会主義、というシェーマ(図式)自体が狂人の戯言のごとく受けとめられるようになっている今日でも、杉原はなお、日本の「外見的市民革命」を語るのだろうか。「資本主義的生産関係の変革」などという言葉を使うのだろうか。ある意味では、憐憫の情も湧く。

0267/<処世の手段>としての「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員。

 前回書いたように大学の社会系(歴史学を含む)学部の教員には「左翼」/マルクス主義者/マルクス・シンパが多いとすれば、これまでの企業の多くの大学卒業者の採用の仕方は適切なものだったといえるかもしれない。
 企業が18~19歳時点の特定の能力によって決まる出身大学の名前にのみ関心をもち、大学でどれだけ真面目に勉強したのかを示す大学での成績を考慮しないで採用し、入社してから「鍛える」という傾向を批判する向きもあった(今もあるだろう)。だが、「左翼」的教員の多い大学・学部では、真面目にきちんと勉強すればするほど「左翼」的理論・知識・心性の学生が育つに違いないだろう。ここで「左翼」的とは大まかには親社会主義・反資本主義、闘争・対立好み、「個性」重視・反秩序を意味させておく。
 前回紹介の諸発言はどの程度一般化できるかは厳密には問題で、大学、学部又は学問分野、教員個人によって様々ではあるはずだ。しかし、概してではあれ、大学又は学界では当然のこと又は中立・中間的なことと大学教員が考えていることは、世間一般の尺度に照らすと<だいぶ左にズレている>とは言えるのではないかと思われる。
 典型的には(マルクス主義経済学界を別にすれば)、勝手に推測すれば、マルクス主義者又はそれへの親近者が多いのは(当然に日本共産党員も多いのは)、日本史学界、次に、法学界の中の憲法学界ではあるまいか。
 また、これらの学界に限らず、「左」派であること、さらに日本共産党員であることが、大学就職や変更に有利に働く(!)ことがあるに違いない。
 前回に触れたように指導教授が誰か(どういう<思想傾向>か)によって大学院学生の就職が不利になることがありうることは、逆に指導教授の<思想傾向>のおかげで就職や大学の移動が有利になる大学院学生や若手の大学教員がいることを示している。
 とすれば、就職や所属大学の変更を有利にするために、自らの<思想傾向>を選択する者が発生しても全く不思議ではない。
 旧ソ連等の旧社会主義国や現在の中国や北朝鮮では共産党員であることが<エリート>である(となる)ための条件のはずだ(だった)。
 そのような過去及び現在の国々におけると同様に、日本の一部の世界では、「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員であることは、一つの<処世の手段>あるいは<立身出世の手段>になっている(あるいは少なくとも、なりうる)と言ってよいだろう。
 むろん、資本主義経済のもとでの私企業ではそんなことはない。だが、大学という「特殊」な世界の社会系学問分野では、すべての分野と言うつもりはないが、上のようなことが現実にも生じている、と推察される。このようにマルクス主義への甘さが残ったままの社会が一部にせよあるというのも、一つの<戦後レジーム>の徴表ではないか。マルクス主義者・日本共産党員たちが<戦後レジーム>を壊されたくないのは当然のことだ。

0249/日本共産党員<嶋1971>氏が何か言っているようだ。

 頻繁にではなく、ときに、「秋月瑛二」のウェブ上での扱いに関心をもって検索してみることがある。
 
すると、私が6/11に書いた「嶋1971・たしかな野党を応援し続ける勇気を!というブログ」に対する<嶋1971>氏の6/16付の反論らしきものを見つけた。
 個別のブロガー?相互のやりとりはこうして公にするものではないかもしれないが、私自身が蒔いたタネなのでやむをえない。さらに反応しておくことにする。
 嶋?氏の文は同氏のブログ中にではなく、なぜか2チャンネル上でなされている。発表媒体の問題はともかく、同氏の文は正確には反論文ではない。
 私は「嶋1971・たしかな野党を応援し続ける勇気を!」というブログの運営者が「日本共産党の支持者」とか「私は支持者とはいえ日本共産党の主張・政策に共感を持つ時も持たない時もある…」とか<ブロフィール>で書いていることについて、「大ウソ」であり、日本共産党員だとほぼ間違いなく言えるとしてその理由も書いた。
 これについて嶋氏は<私は絶対に日本共産党員でない>と主張してくるなら反論だろうが、同氏は「私は秋月瑛二氏について、私のブログへのリンクを無断で貼ってこない事を理由に「紳士」と感じていたが撤回する事にした。/彼は自身のブログで私の事を「自己紹介でウソをついている。」などと書いたためだ」としか反応していない。要するに、批判してきたから「紳士」との印象を撤回する、というだけのことだ。このことは、嶋氏が自分が日本共産党員であることを認めたに等しい、と私は理解する。
 なお、次のような抗議・不服らしい文も付いている。→「一般ブロガーの自己紹介に対しては「はあ、そうですか」程度に受け止めるのが普通だと思う。
 ここでの「一般ブロガー」の意味は私には解りにくいが、それは別として、はたして、上のように「自己紹介に対しては「はあ、そうですか」程度に受け止めるのが普通」なのだろうか。
 むろん殆どの場合、
「はあ、そうですか
という程度で受けとめるしかない。ブロガーの自己紹介の真否をいちいち確かめる方法などありはしないからだ。また、いちいち真偽につき質問をしまくるヒマな人もいないだろう。
 だが私は、いちおう、「反共産主義」を一つの柱にしたブログを書いてきている。そして、ネット上には所謂ネットウヨのみならず、九条護憲派や日本共産党員のブログ(ネットサヨ?)が意外に多いことに気づいているのだが、そうした関心を元来もつ者が、ほとんど明瞭に共産党員であることが確実な経歴を書き本文も書いているブロガーが、自己紹介欄で
「日本共産党の支持者」・「「代々木レッズ」のサポーター」などと書いているのを知るに至った場合、「ウソ」をつくな、と感じ、その旨を自分のブログ・エントリーで書いても、いかなる非難の対象にもならないと考える(個別のブログを対象にしてよかったかという<政策的判断レベルの>問題は私も感じているが、それを禁止するルールはない筈だ。そうでないとコメント等もできなくなる)。
 嶋氏は私を「卑怯」だともいう→秋月氏は「自分のブログが私のブログよりも「週間IN」の数が多いのをいい事に、私の名誉を傷付ける事を書くのだとしたら卑怯だと思う。/私の秋月…氏への評価は「卑怯」とする。
 ご自由にご判断を、という所だが、私は「
自分のブログが私のブログよりも「週間IN」の数が多いのをいい事に」
嶋氏の自己紹介ぶりを批判したわけでは全くない。嶋氏のブログが上位にあっても同じことをしただろう。従って、「だとしたら」という前提条件が間違っているので、「評価は「卑怯」とする。」と断定的文も取消ししておいて欲しいものだ(どうでもいいが)。
 同じ前提に立って、秋月氏は「自分のブログよりも「週間IN」が少ないブロガーしかたたく事が出来ないほど肝っ玉が小さいんだろう」とも書いている。ここまで来ると、気の毒としかいいようがない。
 なぜ自分が批判の対象になったのかについて、プロフィールに「ウソ」を書いたのが原因であることを忘れたくて、自分のブログの方が(特定のランキングサイトの)人気順位が下だから批判されたのだ、と別の理由によることにしたいのだ(こういうのを心理学的に何て言うのだろう?)。
 繰り返しておくが、「ウソ」を明瞭に感じたからこそ取り上げたのだ。考え方が違うからといって、日本共産党員と堂々と名乗っている者のブログの内容を個別的に批判するつもりは(少なくとも現時点では)ない。ましてや、ランキングが偶々下位のブログだから批判したのだろうと想像するのは、哄笑に値するほどの、<げすの勘ぐり>だ。
 いま一つ、秋月氏も「記事捏造の記者と同じじゃないかと思う」と書いている。これは意味不明だ。嶋氏に関して、捏造をした覚えはない。すべて嶋氏が公にしている情報をもとに書いた。謂われなき誹謗中傷とは、きっと、こういうのを言うのだろう。そして「科学的社会主義」の政党の党員も、こういう事実無根の誹謗を平気で書いているわけだ。
 以上だが、2チャンネル上の他の人の情報だと、「嶋1971」氏は男性らしく、しかも本名まで書かれていた(真偽は知らない)。じつは私は文章の感じから、女性かと思っていた。
 ついでに、きわめて例外的だが、ブログの内容について、この人のものに関してのみ2件コメントしておく。
 「君が代」斉唱時不起立教員解雇訴訟東京地裁判決(東京都側勝訴)が出たあと嶋?氏の上記ブログ6/21は書く-「「君が代」の歌唱や伴奏なんてやりたい人だけにやらせればいいじゃない、と思います」。
 さすが、日本共産党員。いや、何という単純・幼稚さ。
 6/24にいわく-「私は今後9年以内2016年までに、日本共産党が国政で政権入りすると予想しています」。根拠は定かでなく、米国の通告による日米安保の廃棄が前提になっているようだ。
 私、秋月の予想では、現状並みか、それ以下の「泡沫政党」化している(=「諸派」の一つとなっている)。そして消滅(=解党)への途を順調に歩んでいる
 日本共産党の勢力が伸張する根拠・条件など、どこにもない。かりに万が一一時的に議員数が増えることがあっても与党や他党の失策に対する批判票の受け皿になるだけのことで、積極的な日本共産党支持者が増えたわけではなく、ましてや社会主義(・共産主義)の理想が浸透してきた、などというような冗談話は全くありえない。 
 日本共産党とその追随勢力に未来はない。
 日本共産党は1922年にコミンテルン(国際共産党)日本支部としてロシア(ソ連)共産党の理論的・財政的援助のもとで、マルクス・レーニン主義という外国産の「悪魔の思想」に依拠して設立された。
 マルクス・レーニン主義を基礎とするという点で、共通の祖先を持つものに、旧ロシア(ソ連)共産党のほか、中国共産党、北朝鮮労働党(金日成父子)、カンボジア・旧ポルポト派、東欧の旧ルーマニア共産党(チャウシェスク)、旧東独社会主義統一党(ホーネッカー)等々、日本のかつてのブンド(共産主義者同盟)、日本赤軍、現在の(革共同)革マル派・中核派等々がある。
 同じ「親戚」のフランス共産党は今年6月の下院議員選挙で22→15と議席数を減少させた(第一回投票後は9~13の範囲内で半減の予想だったので、それに比べればまだ「善戦」した)。かつて1980年代、仏社会党とともにミッテラン大統領を支えた頃に比べると、見る影もない。イギリス、ドイツにはもともと(戦後~)、イタリアには今や、「共産党」と称する政党は存在していない。

0216/嶋1971・たしかな野党を応援し続ける勇気を!というブログ。

 「嶋1971☆たしかな野党を応援し続ける勇気を!」というブログサイトがある。
 日本共産党系サイトのようだが、内容に逐一立ち入らない(立ち入ると無駄な字数と時間が要る)。但し、その「プロフィール」に含まれている<大ウソ>に触れておきたい。
 まず、「日本共産党の支持者」、「「代々木レッズ」のサポーター」と自己紹介する。
 そして「1996年から国政選挙も地方選挙も日本共産党を地道に応援支持」、「2002年以降、選挙の時だけ投票するのではなく、選挙の無い時でも全戸ビラ配布や、自分の住むマンションを回っての署名活動などをがんばっています」、「2002年10月から「しんぶん赤旗」日刊紙配達を始める。/2003年4月から「しんぶん赤旗」日曜版の配達・集金を始めて現在に至る」等と書いている。
 さて、私の常識的感覚によって指摘しておくが、日本共産党の単なる支持者・サポーターが同党のための<全戸ビラ配布>・<赤旗配達・集金>を行うはずがない(また日本共産党もそんな人に配達・集金を任せない)。民青同盟員ならばそういう活動を行う可能性はある。しかし、この人は民青同盟員となれるための年齢制限を超えている筈だ。
 ということはこの「嶋1971」氏は日本共産党員に他ならず、自己紹介でウソをついている。党員であることを隠したい事情があるだろうことは理解できなくはない。だが、ハンドルネームを利用していること、執筆内容からしても党員であることの推測は容易にできること、等からして、ウソをつく意味は全く又は殆どない、ということに気づくべきだ。
 したがって、<逃げ道>を作っている次の文もウソだ。→「私は支持者とはいえ日本共産党の主張・政策に共感を持つ時も持たない時もあるので、必ずしも「私の考え=日本共産党の考え」ではありません」。
 「プロフィール」欄に他にいろいろ書かれている日本共産党<幻想>にも立ち入らないが、一点だけ言及する。
 「1991年に崩壊した旧ソ連では
ソ連共産党が国政で政権を握る事で国民多数が抑圧された」という過去・既成事実はありますが…/
今までの日本では「日本共産党が国政で政権を握る事で国民多数が増税で苦しめられた」という事はなかったでしょう。だから「共産党」という党名だけでビビる必要はないと思います。
 この部分の問い(らしきもの)と回答?は対応していない。又は、回答は回答(釈明・開き直り)になっていない。
 なぜなら、「
今までの日本では「日本共産党が国政で政権を握る」」ことなど一度もなかったからだ。従って日本で「共産党が国政で政権を握る」ことによって「国民多数が増税」で影響を受けたということ自体もともとありえなかったことなのであり、経験(歴史)による反論は回答(釈明・開き直り)に全くなっていない。
 さらに<増税一般が悪か>と問い糾したくもなったが、やめておこう。
 日本共産党に未来はない。「嶋1971」さんも、すみやかに活動をやめ、すみやかに離党して、かけがえのない、一度しかない人生を、意味のあることをして生きていただきたいものだ。

-0062/日本のマルクス主義的学者は1989/91年以降どうなったか。

 ドイツの現首相・メルケルは旧東ドイツ地域の出身で理学系の研究者だった。彼女が社会系の学者だったら今の地位はなかっただろう。マルクス主義そのものや、マルクス主義にもとづく経済学・歴史学あるいは国家制度・法制度の研究者・教育者は、東ドイツ(「ドイツ民主共和国」)が西ドイツに併合される前後におそらく全員が職を失ったはずなのだ。
 東ドイツの共産党(社会主義統一党)書記長だったホーネッカーは有罪とされチリへ逃亡(亡命?)した。旧体制構成員そのもの又は積極的協力者として逮捕・拘禁された研究者・教育者もいたに違いない。
 ソ連と東欧での共産主義の敗北は旧体制側の人々(一般庶民もだが)の人生・生活を大きく変えたはずだ。
 しかるに、かの国々の旧体制のイデオロギーであった共産主義の理想を信じ、マルクス主義の立場で研究していた日本国内の数多くの研究者・教育者の生活・地位は、東ドイツの消滅・チェコ等の脱社会主義化によっても何ら影響を受けなかった。むろん、例えば東ドイツの労働者文学の研究者や東ドイツ「社会主義」の歴史研究者が多かれ少なかれ動揺しただろうことは想像に難くない。しかし、彼らは大学等での地位を失うことはなく、表向きは、研究のテーマは巧妙に?変えたとしても、従来どおり大学教授・助教授等でいることができた。
 彼らにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかも、経済学・歴史学・社会学や法学の一部等々では、そのような「マルクス主義」的研究者の数は決して少なくなかったと思われるのだ。
 むろん、ソ連や東欧諸国は「真」の「社会主義」国ではなかったとの日本共産党の言明に救いを見出し、なおも共産主義社会をめざすことを綱領に掲げる日本共産党の党員たる研究者も数多く残っているだろう。
 一方には現実の生活と社会的地位が激変したマルクス主義者たちがいるのに対して、影響は心理的・精神的なものにとどまった極東の国のマルクス主義者たちもいる。
 このことを私は、じつに奇妙なことだと感じている。しかし、日本の社会はほとんど問題視していないようだ。日本社会は欧州での激変・共産主義の敗北の現実があってもなお、諸思想に「寛容」で、共産主義・社会主義的考え方にも「自由」を認める。
 繰り返すが、マルクス主義者たち又はその許容者たちにとって日本とは何と自由で住みよい国だろう。しかし、そのことこそが日本の社会が蝕まれていく大きな原因になっているのではないか、とふと真剣に考える。

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