秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

新田均

0878/最近の小林よしのりはどこか具合が悪いのではないかと憂慮する。

 隔週刊サピオ5/12号(小学館)が(読んだのに)見当たらず困っているのだが、別の機会に追記することとして、最近の小林よしのりは、月刊WiLL(ワック)にも連載を開始した頃から、どこか具合が悪いのではないだろうか。
 1.月刊WiLL5月号につづいて同6月号も、かなり感情的で、論理の飛躍(または論旨不明)の部分が目立つ。
 例えば、竹田恒泰が今上天皇のご真意は「外に漏れるはずがない」旨書いた(月刊正論5月号(産経)p.208-にたしかにその旨がある)ことについて、小林は「憲法を絶対視して、天皇の口封じをしている」(月刊WiLL6月号p.193)とするが、「外に漏れるはずがない」との見解表明→天皇陛下の「口封じ」、になるのだろうか?
 つづいて小林は、竹田は「皇室典範も国民のみで決めるべき」で「天皇は一切口出しまかりならぬ」と言っているも「同然!」とも書く(同上)。月刊正論5月号の竹田論考をそのように読むのは無理で、「同然!」などと断定はできないだろう。
 小林が竹田らは「『宮さま詐欺』に引っ掛かった阿呆と同じ」と罵倒するのも、上品かつ適切な叙述とは感じられない。
 2.そもそも論として内容にも立ち入れば、この号で小林は「承詔必謹」(「天皇の命令を承ったなら、必ず実行しなくてはいけないという意味」、同p.187)を絶対視し、例外を認める竹田ら(たしかに竹田恒泰はその旨を書いている)を批判している。
 皇位継承問題についての今上陛下のご真意が<女系容認>だと忖度した上で小林は上のような立場をとる。その「忖度」が的確か否かはさておき、一般論としていうと、「承詔必謹」の絶対視はやはり無理なのではなかろうか。
 小林よしのりの最近の議論の特徴は、昭和天皇または今上陛下に関する議論・叙述を「天皇」一般に関する議論・叙述として(も)使っている、ということにある、と感じている。
 一種の<スリカエ>あるいは過度の(誤った)一般化があるように思われる。
 歴史的にみて、「承詔必謹」の態度こそが正しかった、あるいは適切だった、ということにはならないだろう。
 論旨飛躍かもしれないが、先日のNHKの<伊藤博文と安重根>に関する番組(プロジェクトJAPAN)を見ていて、この番組は言及しなかったが、安重根は伊藤博文に対する告発状または斬奸状にあたる文書の第一に伊藤の<孝明天皇を殺害した罪>を挙げていたことを思い出した。
 むろんこのような実証的根拠はない。だが、安重根が知っている程度に<噂>として20世紀に入っても残っていたことは確かなようで、また、孝明天皇の死は長州藩側(当時の尊皇倒幕派)に有利に働いたのは事実だろう。また、司馬遼太郎の小説類の影響をかなり受けての叙述にはなるのかもしれないが、幕末の闘いは天皇=「玉(ぎょく)」をどちらの勢力が取り込むかのそれだった、と言っても大きな誤りではないと思われる。
 何が言いたいかというと、歴史的事実としては、「承詔必謹」どころか、天皇・皇室は世俗的な政治権力に、または世俗的政治闘争に利用され、翻弄されてきた、という面がある、ということを否定できない、ということだ。「承詔必謹」が絶対かそれとも例外があるかという問題設定自体が成立しない時期・時代もあった、と思われる。
 そのような時期・時代こそがおかしかった、天皇の意を奉じての「承詔必謹」体制でこそ日本は歩むべきだった、という議論は成立しうるだろう。

 だが、王政復古の大号令、五箇条のご誓文発布のとき、孝明天皇の子である明治天皇(1852-1912)は、まだ16歳だった。そもそも、「承詔必謹」に値する意志・判断の表明を、明治天皇お一人の力で行なうことができたのだろうか。三条実美・岩倉具視を含む当時の公家等の明治新政府勢力が、「天皇」の名義を<利用>した(これもまた日本の歴史の興味深いところでもある)という面を、少なくとも全く否定することはできないと考えられる。

 中西輝政・日本人として知っておきたい近代史・明治篇(PHP新書、2010.04)p.233によると、「明治天皇も〔日ロ戦争〕開戦に反対であったことは、諸々の史料からも推測でき」る、らしい。
 この点はすでに施行されていた大日本帝国憲法のもとでの天皇の地位・権力につき、法文そのままに「統治権の総覧者」としての絶対君主扱いをする戦後「左翼」に対する批判にもなるが、日ロ戦争開戦時は、天皇の真意を推測(忖度)すらしての「承詔必謹」体制ではなかった、ということの一証左にはなるだろう。
 むろん、明治天皇の意志に則って日ロ開戦はすべきではなかった、とも言える論理的可能性はあるのだが、小林よしのりは、(かりに中西輝政の上の叙述に問題がないとしてのことだが)そのようにも主張するのだろうか。
 元に戻るが、いつか書いたように、崇峻天皇、安徳天皇は<殺害>されている。12世紀の安徳天皇は満10歳にもならない年齢のときに亡くなった。源氏・平家の世俗的・現実政治的対立に巻き込まれた、と言ってもよい。どこに安徳天皇について「承詔必謹」を語る余地があったのか?
 思いつくままの特殊な例だと小林よしのりは反論するかもしれないが、他の多くの天皇についても、時代ごとの世俗的・政治的権力者の強い影響を受けつつ、皇位が長く継承されてきた、と言えると思われる(そのことが日本の不思議さでもある)。
 余計ながら、13世紀の「承久の変」後、北条執権体制側によって後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳上皇は佐渡へ、土御門上皇は土佐へ<島流し>されている。「承詔必謹」のもとで、こんなことが起きるはずはない。
 3.同じ月刊WiLL誌上で、水島総は、小林よしのりについてこう書く。
 「よしりん君、チャンネル桜をいくらでも批判、非難をしても良いが、NHKや中国共産党と同じ『捏造』だけはしていけない」(5月号p.137)。
 「本誌でチャンネル桜非難を続けている漫画家小林よしのりという存在も、『保守』の側の『田原総一朗』そのまま」だ(6月号p.137)。
 小林よしのりの欄のある同じ雑誌の中にこんな言葉もあるのだから、異様な雑誌(・編集方針)とも言えるが、いずれにせよ、まともな状態ではない。
 4.水島総とともに新田均の側につねに立つつもりもないのだが、月刊正論6月号は新田均「小林よしのり『天皇論』を再読する」を載せている(p.156-)。これは、小林よしのりの議論の論理矛盾・一貫性の欠如等々をかなり詳しく指摘している。
 新田均の指摘部分をいちいち確かめる意欲も時間もないが、新田の指摘はかなり当たっているのではないか(論理矛盾等は私も一カ月ほど前に指摘したことがある)。
 もう一度書いておく。小林よしのりは、月刊WiLL(ワック)にも連載を開始した頃から、どこか具合が悪いのではないだろうか。憂慮している。

0599/新田均(月刊正論10月号)による竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP)の書評。

 一 月刊正論10月号(産経新聞社)p.318-9は、新田均による竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)の書評。
 「書評」と書いたが、「Book Lesson」・「読書の時間」というコーナーの一つの論稿なので、やはり「書評」又は「紹介」なのだろう。
 その中で、新田均による西尾幹二と八木秀次の違いの「解釈」や「推測」がなされているのが興味を惹いた。
 二 まず新田はつぎのように対象書を「紹介」する。
 批判の対象は①マスコミ(とくに月刊WiLL)、②宮内庁、③原武史、④西尾幹二で、「中でも西尾氏への批判が手厳しい」。
 新田均がこうまとめているのだから、たぶん正確なのだろう。つまり、<皇統保守>の意義を積極的に展開するというより、マスコミや他人を批判することがこの本の目的・趣旨であることを、暗黙のうちに新田も認めている。

 紙幅のためもあるのだろう、新田は引用していないが、八木秀次は上の書で西尾幹二について、こんな批判(悪罵?)の言葉も投げつけている。以下は、一部。

 「相変わらず精神的に不安定なのでしょう」(p.153)。

 <つくる会騒動>の際と同様に「点と点を結びつけて壮大なストーリーを作る。…ストーリー全体は妄想にすぎない」(p.157)。

 三 新田はついで、竹田恒泰と八木秀次でなぜ「共同歩調」をとれるのか、八木は西尾と「五十歩百歩」ではないかとの(私も抱いた)印象をもつ「読者」も中にはいるだろう、と認めている。流石に、この辺りの議論状況をよくご存知だ(とくに褒め、感心しているわけではない)。
 四 新田均のこの「書評」の独創性は、八木秀次が「おわりに」で書いてあることを手がかりにして、西尾幹二と八木秀次の違いを「解釈」 し、八木が竹田と「論じ合う」ことができた理由を「推測」していることだ。
 新田によると、第一に、日本・天皇・自己の三者関係につき、①西尾は「切断が可能」、②八木は「三位一体」の感覚、第二に、①西尾は「分離可能」の故に「手厳しく批判」でき、②八木は分離「不可能」の故に「臣下の責務として強く諫言せざるを得ない」。
 五 新田均の立場を知らないままだと何となく納得できるような気もする。しかし、現行皇室典範の「重大な事故あるとき」の解釈にまで言及して現皇太子の皇位継承資格を(紛れもなく)疑った八木秀次について、「臣下の責務として強く諫言」している、と評することができるとは私には思えない。
 西尾と八木が全く同じとは思わないが、こと皇太子妃問題に関する議論・結論はやはり「五十歩百歩」だ。もともと「手厳しく批判」と「強く諫言」は実質的には似たようなことなのだ。西尾自身は「忠言」という言葉を用いている。
 また、既述のように、<つくる会騒動>の際に新田均は八木秀次の側に立ち、反西尾幹二で行動したようだ。
 そのような新田均が八木秀次の擁護に傾きがちなのはむしろ自然かもしれない。つまり、どう見ても、客観的・第三者的な「書評」ではないと思われる。
 もっとも、すべての「書評」(あるいはすべての人文・社会系の論文)は<客観的・第三者的>たりえない、と言われればそうかもしれない。それはそうなのだが、しかし、新田均の八木寄りの「主観」性を誰かが指摘しておいてもよいだろう(すでにどこかで誰かが書いているかもしれない)。
 六 それにしても、西尾幹二と八木秀次といえばともに<保守>派論客のはずだった。かつての日本共産党と旧日本社会党左派に似た、あるいは革共同中核派と革マル派の間に似た<近親憎悪>、罵倒し合いは、それを知った保守派支持の者を決して楽しく快くはしないだろう。とこんなことを書いても、両者は、きっと今後も<和解>しないに違いない。

0592/八木秀次は不誠実、というより卑劣だ-その1。隠蔽と二枚舌と。

 一 あらためて引用しておくが、諸君!2008年7月号(文藝春秋)p.262で、八木秀次はつぎのように書いた。
 「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
 中西輝政の「同妃〔現皇太子妃-秋月〕の皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ」との一文(上掲誌p.239-240)とともに、100年後も200年後も活字として残るはずの、<歴史的な>文章だ。
 上の文章は「遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」蓋然性又は現実的可能性に言及して、皇室典範上の「皇位継承順序を変えることができる」要件の解釈を示している。字数の制約のためもあるかもしれないが、論理・意味ともに不可解又は曖昧なところもある。しかし、既述のことだが、間違いないのは、上において、八木秀次は、現皇太子妃殿下の現況を理由として(あるいは援用、これに論及、言及して)現皇太子の皇位(天皇たる地位)継承資格を(明確に否定はしていなくとも)疑問視している、ということだ。そうでないと、皇室典範三条に言及し、その一部の文言に関する解釈をとくに示しておくことの意味はないだろう。
 上の文章を含む雑誌は6月初めに出版されているので、執筆は4月末から5月半ばあたりだったのだろうと推察される(雑誌の出版実務に詳しくはない)。
 二 先月・8月に竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)という対談本が出ている(竹田恒泰の月刊WiLL上の西尾幹二批判論文も転載されている)。八木の「あとがき」の期日は7月15日になっている。
 その中で二人で西尾幹二を批判している部分があるが、八木秀次の諸発言を読んで、唖然とせざるをえなかった。
 まず基本的なことをいえば、この本が内容とする対談は上記の諸君!(文藝春秋)の発売やそのための八木の執筆の時期よりも後である筈であるにもかかわらず、自らが上のように近い過去に明言した、ということ、をその内容も含めて、この本の中でいっさい述べていない(!)ということだ。
 まるで竹田恒泰に相当に同調しているような発言の仕方をしている(完全に同じだとは言わない)。八木秀次という人は、適当に(自分の本意を隠して)対談相手に合わせることができる人なのだろう(すでに言及した中西輝政との対談本(PHP)でもそれを感じることがあった)。
 結論的なところを推測するに、私は詳しくない「つくる会」分裂・変容の過程で生じた(原因か結果かは知らないしそれがここで述べていることと直接の関係はない)反西尾幹二感情を基礎にして、皇太子妃殿下問題を中心とする<皇室>問題では反西尾幹二で<共闘>できる竹田恒泰を対談相手として選んだのだろう。
 後述するが、新田均も月刊正論10月号(産経新聞社)で明示的に認めるように、竹田恒泰と八木秀次では皇太子妃殿下(→皇太子・皇位継承)問題に関する考え方は同じではない。というより、むしろ明確に対立する立場にあるとすら言える。そうした二人が連名で本を出すのだから、その共通性は<反西尾幹二>意識にある、としか考えられない。
 三 <反西尾幹二>意識が八木自身のこれまでの発言等とも照らして正当なものであれば、批判することはできない。
 だが、八木の西尾幹二に対する批判は、公平に見て、その<仕方>も内容も、適切ではないところがある。<反西尾幹二>感情の過多が原因ではないか。
 一円の収入にもならない文章を懸命に書いてもほとんど無意味だと感じてきているので、一気に書いてしまわないで次回に委ねる。

0589/西尾幹二の2007年の本による八木秀次批判。ついでに新田均。

 一 憲法学者・樋口陽一はしばしば元ドイツ大統領のワ(ヴァ)イツゼッカーの<有名な>演説に言及している。ドイツはきちんと謝罪している、それに比べて日本は、という文脈で語られることが多い。これもまた<デマ>であることを確認的にいつかメモしておこうと思うが、西尾幹二・国家と謝罪-対日戦争の跫音が聞こえる(徳間書店、2007.07)を手にしたのも、題名からして<謝罪>問題をテーマとする本だろうと思ったからだった。
 実際に見てみると、全く無関係ではないが、発刊日近く(「あとがき」は2007年6月下旬)以前の西尾幹二の雑誌掲載諸論稿をまとめたものだった。
 二 新しい教科書をつくる会の組織問題については西尾のプログで何か読んだ記憶はあったが、安倍晋三内閣をめぐる動きの方に関心が強く、また同問題は自分とほとんど(あるいは全く)関係がないと思っていた。
 現在でもほとんど(あるいは全く)関係がないのだが、西尾幹二による、上掲本の中の八木秀次批判はスゴい。p.73~p.165は「つくる会」問題で八木秀次批判が中心になっている(他の箇所にも八木秀次(ら)批判の文章はある)。
 混乱を大きくする意図はないが(いや、一般論として、かりに意図はあったとしてもこんなブログメモにそんな実際の力はない)、若干の引用メモを残しておこう。
 ・(2005年)11月半ばからの八木秀次の「会長としての職務放棄、指導力不足は意識的なサボタージュで、彼によってすでに会は…分裂していた」。
 ・八木は自分で2副会長(工藤美代子、福田逸)を指名した。この二人と遠藤浩一(つまり5人中、西尾幹二と藤岡信勝以外)に「背中を向け、電話もしな」かった。5人の副会長の中で「孤立した」のではなく、「自らの意志で離れて」別のグループに擦り寄った。だが、何の説明もなかったので3副会長(遠藤、工藤、福田)は「怒って辞表を出した」。
 ・それでも八木は「蛙の面に水」。「都合が悪くなると情報を閉ざし、口を緘するのが彼の常」だ。
 ・「彼は黙っている。語りかける率直さと気魄がない」。
 ・「自分がしっかりしていないことを棚に上げて、誰かを抑圧者にするのはひ弱な人間のものの言い方の常である」。
 ・要するに八木は「思想的にはどっちつかずで、孤立を恐れずに断固自分を主張する強いものがそもそもない人」だ。(以上、p.79-p.80)
 ・八木秀次は某の日本共産党在籍歴というガセ情報を流して「反藤岡多数派工作と産経記者籠絡」に利用した。また、八木の周辺者(又は八木本人)から奇怪なファクスが送られてきた。
 ・八木の「藤岡排除」の「執念には驚くべきものがあった」。(以上、p.81-82、p.84)
 ・「他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。/…言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」。
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す。今度の件で保守言論運動を薄汚くした彼〔八木秀次〕の罪はきわめて大きい」。
 ・そうした八木をかついで「日本教育再生機構」を立ち上げる人々がいるらしいが、「世の人々の度量の宏さには、ただ感嘆措く能わざるものがある」。(以上、p.89-90)
 とりあえず今回はこの程度にしておく。八木秀次はこうした西尾による批判に対して反論又は釈明をきちんとしたのだろうか。こうまで書かれるとはタダゴトではない(と常識的には感じる)。
 西尾幹二をこの問題で全面的に支持するつもりはないし(判断材料が私にはたぶん欠けている)、西尾「思想」の全面的賛同者でもないのだが、西尾による八木秀次評、すなわち、「言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」という文章には同感するところが大きい。
 八木秀次の本も文章もいくつかは読んでいるし、月刊正論中のコラムも読んでいるが、「確かな存在感」はない。また、ハッとするような論理の鋭さも、広くかつ深い思想的造詣も感じることはできない。
 すでに書いたことだが、その八木秀次が中西輝政との対談本『保守はいま何をなすべきか』(PHP、2008)で<保守の戦略>を語ろうとしたり、<保守思想の体系化>をしたい旨を語っているのを読んで、とてもこの人の力量でできることではないと思った(そして、内心では嗤ってしまった)。また、八木秀次の問題性にはこのブログで何回かつづけて触れた(「言挙げしたくはないが-八木秀次とは何者か」というタイトルだったと思う)。
 そのような意味との関係でも、上の西尾幹二の八木秀次に関する文章も興味深く読んだ。
 三 ところで、最近の月刊正論9月号(産経新聞社)誌上の論稿に言及した新田均に対しても、西尾幹二は上掲の本で批判している(p.89)。そして、「つくる会」問題にかかわっても、新田均はどうやら八木秀次を支持する、そして西尾幹二に反対する立場にあったようだ(p.86)。ということは、今回の皇室・皇太子妃問題よりも以前から、西尾幹二と新田均は対立していたようだ。 
 それはそれでもよいのだが、だとすると、新田均は、皇室・皇太子妃問題にかかわって西尾幹二のみを批判するのは公平ではない。大仰に言えば<党派>的だ。何回か言及したように、八木秀次も(中西輝政も)「君臣の分限」をわきまえないような、西尾幹二と類似の主張をしているのだから。

0587/天皇制度・皇室をめぐる<保守派>の分裂―新田均・月刊正論9月号の西尾幹二批判。

 月刊正論8月号(産経新聞社)には斎藤吉久「皇室伝統を蔑ろにする宮内官僚を糾す」(p.150~)というのが載っていて、特定の皇族個人を問題にするよりも、戦後教育と戦後政治の影響を受けている国家公務員・宮内庁官僚をこそ、より問題視し、批判する必要があるのではないか、と感じたことだった。
 月刊正論9月号(同)では、神社神道系と思われる<保守派>の新田均による「皇太子さま『御忠言』の前に考える・君と臣の分限について-それは本当に皇室と日本の弥栄を願ってのものだろうか」(p.120~)が、田中卓や葦津珍彦の論を援用しながら、西尾幹二を実質的には相当に厳しく批判している。
 田中卓が月刊日本7月号に書いたところによれば(私は未読)、西尾幹二は皇室の中に彼にとって不適当と思う人物がいれば放逐させ、天皇制度自体の「廃棄」も辞さない、「天皇抜きのナショナリズム」論者らしい。
 私は西尾幹二を八木秀次などに比べてはるかに尊敬できる<思想家>だと思っているが(「保守」と冠するかどうかは自信がなくなってきた)、これまた孫引きになるが、新田均によると、西尾幹二はかつて次のように書いたことがあるらしい。
 ・自分(西尾)は天皇については「怨恨もなければ、なんら愛情もないという無関心な感情」で、「天皇制に対する感情は希薄」だ(論争ジャーナル、1967年12月号)。
 ・「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」(撃論ムック217(号?))。
 これにはいささか驚いた。
 後者は西村幸祐責任編集・撃論ムック217号・中国の日本解体シナリオp.139-141(オークラ出版、2008.07)で、より長く引用しておくと、次のとおり。
 「私〔西尾〕は…天皇問題に関心の強いほうでは」ない。「日ごろ無関心なのが、むしろ保守の証しだと言っておきたい」。「現実に私は天皇と聞いて感涙にむせぶ種類の人間」でも「政治的反発を覚える者」でもない。「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」。だが、「…天皇制度はつねにわたしたちの歴史意識に触れてくる重大な問題の一つ」で、「突如として人に薦められて」、「皇太子ご夫妻の問題について危機を感じていた」こともあって「皇室問題について論じることになった」。日本では西洋や中国とは異なり「王権が権力を一切もたない代わりに、静かなる宗教、神としての信仰の対象にもなっている」。この点について「比較王権論という視点から」「一つの仮説」を出したのが「最大の目的」だった。
 新田均の紹介するほど単純ではないが、しかしやはり…、というところだろうか。
 西尾幹二は月刊WiLL9月でも「もう一度だけ(これで最後)」の発言をしている。当初の厳しい、そしていくぶん奇矯な、皇太子妃殿下批判からすれば、天皇制度・皇族一般の話へと変わってきており、皇太子殿下はどうかご留意を、というニュアンスが強くなっていると感じている。だが、上のような意識が基底にあるのだとすると、年齢上は年下になる皇太子ご夫妻に対する、西尾の<対等な>又は<教え諭すような>物言いの仕方も不思議ではないと思えてくる。そして、西尾幹二に対してすら、戦後の<合理的>教育にもとづく思考方法、<天皇制度>に関する教育や社会風潮の影響が及んでいる、と深く慨嘆せざるをえない。
 近年の皇室問題、率直に言って<皇太子妃殿下問題>については、西尾幹二と八木秀次・中西輝政は、月刊諸君!7月号(文藝春秋)上の記述では、<共闘>又は<統一戦線>を組んでいるようでもある。
 だが、二年ほど前の(一年半前?)新しい教科書をつくる会問題では、西尾幹二と八木秀次・中西輝政はそれぞれ対立するグループに属するようだ。何をやっているのだろうねぇ。<保守派>のおエライさんたちは?!。イヤ、八木秀次は<保守派>のおエライさんたちの一人とは決して考えてはいない(そして、いけない)。
 元に戻ると、西尾幹二に数回(4回?)も皇室問題に関して執筆させ、福田和也が皇太子・皇太子妃両殿下の将来を楽観視しているのを産経新聞紙上のコラム(週刊誌ウォッチング)で疑問視していた月刊WiLLの編集長・花田紀凱もまた、まさしく戦後の教育と社会風潮のもとで、「畏敬心」を微塵も感じない、ジャーナリスティックな<天皇(制度)>観又は<皇室>観をはぐくんできた一人に間違いないように思える。この人による月刊WiLL(ワック)よりも(西尾幹二も八木秀次も登場するが西尾批判をする新田均も出ている)月刊正論の方がまだマシで、多面的で多様だ。
 西尾幹二は上掲の撃論ムックの中で、「突如として人に薦められて」とか「雑誌WiLLの話に乗り」とか書いている。昨今の皇室・皇太子ご夫妻問題にかかわる<騒ぎ>に、この花田紀凱が棹さしているのは確かなようだ。
 日本も、日本の<保守>派も、崩壊しかかっている、溶解しはじめている、という恐怖(・懸念)をもつ者は私一人ではないのではないか。

0488/「左翼」出版社とその雑誌、講談社と月刊現代-月刊正論6月号(産経)を一部読む。

 月末から月初めは月刊誌の新刊が出るので楽しみだが、感想やメモをこの欄に書ききれないままで月日が経っていった論稿や記事が少なくない。ひょっとして、月刊WiLL6月号(ワック)のいくつかも…?
 講談社の月刊現代といえば、1970年代から80年代の少なくとも前半くらいまでは、月刊・文藝春秋とともに、エンタテイメント性もあり、かつ文藝春秋よりは大衆的・世俗的な愉しいイメージもある総合雑誌だった。
 月刊・正論6月号(産経)の新田均による原武史批判(「『21世紀の皇室』のためにという詭弁」)を読んで、月刊現代は、そして講談社は、ついに「左翼」雑誌・「左翼」出版社に<落ちぶれて>しまったと感じた。
 文藝春秋の月刊・諸君!、中央公論新社の中央公論、PHPの月刊ヴォイスあるいは週刊誌・週刊現代のライバル誌の週刊ポストを発刊している小学館による隔週刊行のサピオに対抗せざるをえないためだろうか。
 月刊現代が立花隆の護憲(改憲反対)のための駄文をまだ連載しているかは知らないが、月刊現代5月号(講談社)は、原武史の皇室・宮中祭祀不要論を「注目論考」として掲載した、という(上記、新田均p.209)。反天皇・反皇室あるいは天皇制度の崩壊につながる議論は<左翼>と称してよい。改憲反対論と天皇制度解体論を掲載していれば立派に「左翼」で、かつ出版社の基本的イメージを決める論壇誌・総合誌がそうでは、講談社自体を「左翼」と見て誤りとはいえないだろう。残念だし、講談社の社員は可哀想だ。
 ついでに、新田均が言及している原武史の本の出版元は、朝日新聞社2、岩波書店1、みすず書房1で、他に朝日新聞社の論座への寄稿も1つある。みすず書房についてはよくは知らないが、朝日・岩波というまさしく顕著な<左翼>出版社が原武史をかつぎ上げ、活躍させようとしていることが分かる。こうまでその傾向が歴然としている著者・出版社関係も珍しいかもしれない。
 内容に立ち入る気は殆どないが、原武史は宮中祭祀の「大部分」は「明治以降」に作られたもので、宮中祭祀を止めても本来の?明治以前に戻るだけ、と主張しているらしい。
 これはおかしいだろう。新田均は「古代そのままではないものの、宮中祭祀の多くは、新嘗祭にしろ、神嘗祭にしろ、賢所御神楽にしろ、古代に行われていたものである」(p.216)等と反論しているが、この論点についてのもっと詳細な叙述と原への反論(原の謬論批判)を書いてほしい。
 それにしても、<左翼>は、性懲りもなく、執拗に、<保守>を、あるいは<日本>を攻撃してくるものだ、と思わざるを得ない。
 日本国憲法はGHQに「押し付けられた」との論が憲法改正論の有力な論拠の一つになっていると感じれば、小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)という、国民主権等(現九条は含まず)は日本人研究者(たち)の提言によるものとの本が出てくる。
 あの<戦争>と<戦犯>についての<東京裁判>批判が有力になり、パール判事意見書が一つの拠り所とされていると見るや、中島岳志・パール判事-東京裁判批判と絶対平和主義(白水社、2007)等が出てくる。
 天皇制度が彼らにとっての究極的な障害になるので、今から、実質的に天皇家を歴史的・伝統的な天皇制度とは無関係のものにしようとする原武史の本が数冊も出てくる。
 ついでに言えば、丸山真男はとっくに歴史上(過去)の人物・思想の筈だが、岩波は1995年から全集、書簡集などを刊行して丸山の現在への力を維持しようとしているが如くであり、この欄であえて取り上げなかったが、長谷川宏・丸山眞男をどう読むか(講談社現代新書、2001)などという、素人同然のエピコーネンが丸山真男を賛美するだけの本も生まれている。
 まことに精神衛生に悪い。言論・出版の自由のもと、国論の基本的な分裂を抱えたまま、「日本」は何とか生きながらえていけるのだろうか。憂いは相変わらず、深い。

0470/天皇(家)と神道・神社の関係、そして政教分離-つづき3。

 1.昨日4/19未明に書いたように1945年10月28日に宗教団体法が廃止され、同日に<宗教法人令>が公布・施行されたが、この法令では宗教法人は「届出」制で、かつ宗教法人であれば「所得税・法人税」(おそらく今の固定資産税にあたるものも)も免除されることになるため、宗教団体が「乱立」した。そこで翌1946年・昭和21年の4/03に<宗教法人法>が制定され、「宗教法人」の設立は「所轄庁」(都道府県知事か?)の「認証」によることになった。
 一方、上の<宗教法人令>は「神社神道」(<教派神道>と区別するためにこの語があるようだ)を対象にしておらず、同令の1946年(昭和21年)2/02改正により対象とされた。その結果、「神社神道」団体も他の宗教団体と同様に「届出」すれば宗教法人になれたが、届出期間は「6ケ月以内」と限定され、届出しない場合は「解散」したものと見做すこととされていた。
 神社はこの届出をして「宗教法人」となるか民法34条により「祭祀法人」(「公益法人」の一種)になるかの選択を迫られた。だが、所管の文部大臣が民法34条の適用(「主務官庁」の「許可」が必要)を認めない方針だったため、<宗教法人令>による届出をして「宗教法人」になる以外に「生き残りの道」はなかった。
 以上、()内部分を除いて、神社本庁研修所編・わかりやすい神道の歴史(神社新報社、2005)p.246-7による(新田均執筆部分)。
 2.かくして伊勢の神宮等の神社は1946年(昭和21年)2月以降6ケ月以内に、国の一機構(営造物)ではない「宗教法人」として新たに出発したことになる。
 そして、占領下では実質的には憲法と同等かそれ以上の力をもったGHQの指令=<神道指令>によって、さらにはGHQが草案を作成した新憲法20条(政教分離原則)の定めの影響もあって、神社と国(・天皇)と関係は大きく変容することとなった。
 この政教分離(一般論ではなくわが国で現実に採用された実態)について、神社本庁の上掲書(新田均執筆)p.249は、三点に分けて、問題点を指摘している。
 そのうち最初の二つは、殆ど容易に理解・首肯できるものだ。要点は次のとおり(①・②はこの欄の筆者)。
 第一。「日本人の倫理感の根底をなす天皇・国民・国土に対する神聖感」を「軍国主義・超国家主義」と同一視して「全面的に否定したこと」。これに伴い、「神社神道の国家性」が否定され、「バラバラ」の「地域的性質」が「神社本来のもの」との見方が強調された。
 この冒頭の「日本人の倫理感の根底をなす天皇・国民・国土に対する神聖感」なるものについては、今日ではこの存在を否定・消極視する人もいるだろう。上野千鶴子佐高信辻元清美日本共産党なら、「天皇…に対する神聖感」など、とんでもない、と言うかもしれない。だが、多くの国民は天皇(・皇室)への「神聖」感を少なくともある程度は有しているのではないか。また、だからこそ、かつての敗戦直後において、GHQも<天皇>制度そのものの廃棄へと踏み切れなかったのではないか。
 上の論点よりも、GHQはこうした「神聖感」を「軍国主義・超国家主義」と同一視して(不当にも)「全面的に否定した」、という批判は的確だと考えられる。万が一「軍国主義・超国家主義」というものがかつてあり、かつそれは<悪い>ものであったとしても、そのことと<国家神道>とは、そして神社・神道(伊勢の神宮等)とは論理的には関係がない。「軍国主義・超国家主義」が神社・神道を<利用した>と言える面がかりにあるとしても、神社・神道そのものに非難が向けられるべきものではあるまい。なお、井沢元彦は、<国家神道>は本来の神道とは異なる、ということを強調している(同・仏教・神道・儒教集中講座(徳間書店、2005)p.118)。
 また、上に「神社神道の国家性」と語があり、それの否定を批判しているが、ここでの「神社神道の国家性」とは、<国家神道>を意味しているのではない、と理解されるべきものだろう。すなわち、神道が日本という「国」の成り立ち(肇まり)に深く関わっている、いやむしろ、神道なるものと成立とのちに「日本」と称されるようになった日本列島の重要部分を占める「国」の成立とは殆ど同じ時期のことであり、殆ど同じことを意味する、ということが「神社神道の国家性」という語で表現されているのではないかと思われる。
 第二。①「発生史的に見て国家とは本来無関係な宗教」であるキリスト教と国家との関係についての「信仰の自由・政教分離」という原則を、不可分の密接な関係のある日本「国家」と神道との関係に「強引に当て嵌めた」こと。これは「一つの肉体を切り分け、一つの人格を分裂させるに等しい暴挙」だった。
 ②キリスト教が「唯一の伝統宗教」である地域では「各宗派に共通の基督教的要素は政教分離の対象とはされ」ていない。また、そのことによって「国家」の「無限」の「世俗化」を抑制している。しかるに、日本では「複数の伝統宗教が存在」し、各様に国家との関係を結んできたので、キリスト教に見られる「共通の要素」は見出し難い。にもかかわらず、「単純に政教分離の原則を適用すれば、宗教間の相互摘発によって、国家は無限に世俗化してゆく可能性」がある
 この①・②のような旨は別の論者による何かで読んだ記憶があるが、いずれも鋭い指摘だと思われる。
 GHQは、あるいは当時日本に滞在したアメリカ人は、神道をキリスト教の如きものと理解したに違いない。その上で<政教分離>も構想したに違いない。かの国での<政教分離>は基本的にはキリスト教の中での諸派のうち特定の宗派を優遇しないことを意味すると簡単には理解しているが(大統領就任の宣誓の際に<聖書>の上に手を置くことはしばしばこの脈絡で語られている)、そのような理解にもとづく<政教分離>原則がそのまま日本(・神道)に適用できるわけはないだろう。
 日本での厳格な、あるいは形式的な<政教分離>原則の適用によって<国家・政治>が際限なく「世俗化」していく(又はその可能性がある)という上の指摘はなかなか新鮮だ。
 <無宗教>的な国民が多数生まれ、戦後社会が形成されてきたため、日本の<国家・政治>は倫理的・道徳的・宗教的な<歯止め>を失い、「無限に世俗化して」いっている(又はすでにそうなってしまった)のではないか。キリスト教国においてすら、<大衆民主主義>の時代となり、その問題性・危険性が指摘されている。<無宗教>国・日本ではなおさらそうなのではないか。これは興味深い論点だ。
 以上と重なる所はあるが、そもそも神道は「宗教」の一つなのか、という問題があることも強く意識せざるをえない。国家と神道の分離は「一つの肉体を切り分け、一つの人格を分裂させるに等しい」という上にも紹介した表現からは、神社関係者(神社本庁、新田均)の強い不満と抗議の感情が伝わってきそうだ。神道は少なくとも、<ふつうの宗教>ではないのではないか。
 以下と同旨のことはすでに書いたことがあるが、鎌田東二編・神道用語の基礎知識(角川選書、1999)p.12-13は、ラフカディオ・ハーンの文章を引用したりしたあと、「神道は教祖をもたない、教義がない、教典はない、教団という明確な組織をもたない、ないないづくしの宗教であ」る、と書く。
 むろん「宗教」概念の理解の仕方いかんによることだが、反復すれば、神道は少なくとも、<ふつうの宗教>ではないのではないか。そのような神道と国家(日本)との関係を欧米的に理解された<政教分離>原則によって律してよいのだろうか
 さらに言えば、国家と神道の形式的な分離によって、日本と日本人は「一つの肉体を切り分け」られ、「一つの人格を分裂させ」られたがゆえに、アイデンティテイを喪失し(又は少なくとも喪失感をもち)、日本「国家」を気嫌う<無国籍>者的な日本人も多くなったのではあるまいか(先日某書店内で、佐高信・国畜(出版社不確認)という本を見た。「国畜」とは家畜、森村誠一の造語の「社畜」から連想した造語だろう。佐高信は<無国籍>者の代表の一人だ。「左畜」とでも呼んでやろうか)。
 とりあえず今回はこのくらいにして、あと何回かは神道・皇室・政教分離にかかわるテーマで書いてみよう。
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