秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

新潮45

2085/平川祐弘・新潮45/2017年8月号②。

 平川祐弘「天皇の『祈り』とは何か」新潮45・2017年8月号。これは、特集<日本を分断した天皇陛下の「お言葉」>の一つと位置づけられている。
 「座長代理」・一部マスコミ批判・非難には立ち入らない。
 但し、現上皇が「象徴」の意味を戸惑いつつ熟考し、多数の国事行為・公的(象徴)行為を行ってきた中で<これらをしないで、または減らして「私的」行為である祭祀を最優先してほしい>と発言されたれのでは、実際にどういう感想をもたれたかは勿論分からないが、<これまでの行動を全否定された> と当時の天皇(現上皇)が受け止められても、相当程度に無理からぬところはあったように思われる。
 さて、平川祐弘が本当に「アホ」であるらしいことは、上の雑誌論考の冒頭の第一文によって、すでに明らかだ。冒頭の第一段落は、こうだった。
 「皇位の世襲が憲法の定めである以上、天皇が個人的な考えを述べ、それで憲法の定めを変えるに近いことをしてよいのか。
 その懸念を多くの有識者が述べた。」
 後段にも間違いらしきものがあることに気づく。
 「憲法の定めを変えるに近いこと」とは天皇の譲位・(生前)退位を認めることを指すのだろうが、「憲法の定めを変えるに近い」とまでは言えない。譲位・(生前)退位の可否について憲法(日本国憲法)は何も定めていない。当時の皇室典範(法律)が終身在位を前提としていただけだ。
 この点も平川祐弘における法制知識のゼロを示している。
 決定的なのは、つぎだ。
 「皇位の世襲が憲法の定めである以上、…」。
 これは、彼のいう「憲法の定めを変えるに近いこと」につながった「個人的な考えを述べた」ことを批判する根拠・理由として書かれている。つまり、「おことば」は天皇には許されない「政治的発言」だとしているわけだ。「天皇が個人的な考えを述べ」ること一般を否定することはできないだろうから、平川は、その「政治性」、「憲法の定めを変えるに近い」ような意味合いの考えを述べることを意味させているのだろう。
 しかし、つぎがポイントだ。
 天皇が文字通りに「政治的」言動をしてはならないのは、現憲法4条1項「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」によるのであって、第2条にいう「世襲」とは直接の関係がない。
 平川祐弘によれば、「世襲」だから<政治的発言は許されない>。
 こんな馬鹿を活字にする者がいることを知らなかった。
 明治天皇も「世襲」だったが大日本帝国憲法の発布者となり「統治権の総覧者)として大正天皇も戦前の昭和天皇も紛れもない「政治」的行為を行った。昭和天皇は二・二六事件の兵士たちに「呼びかけ」、終戦の「聖断」を下した。
 「世襲」だから、政治的意味をもつ「個人的考え」を述べてはならない、ということにはならない。
 もう一度、上の平川の文章を読むと、「あほ」であることが明瞭だろう。
 「内閣の助言と承認」による「国事行為」の他は「国政に関する権能を有しない」と現憲法は(明治憲法とは全く違って)定めているからこそ、これとの関係で、天皇(現上皇)の「おことば」を問題視する意見が出された。
 実際的には、法律改正または特例法の制定を必要としたという意味で「政治的」性格が全くなかったとは言えないとは思われる。しかし、その点を考慮したからこそ、いわゆる皇室典範特例法の「公布文」の中に天皇(現上皇)の意思・「おことば」に直接に由来するものではないことを敢えて、ある程度詳しく記して、憲法問題が発生するのを避けたのだった(なお、「公布文」は、六法全書類には掲載されない。他の法律でも同じ(はずだ)。)
 「世襲」→<政治的行為不可>という、とんでもない間違いを、依頼された文章の冒頭で書いてしまう。このような「アホ」ぶりを再び示したのが、新潮45の2017年の論考だった。
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 平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)。
 これは2015年の<戦後70年安倍(内閣)談話>を、基本的に支持・肯定している文章だ。
 平川によると「五箇条の御誓文」には及ばないが、「終戦の詔勅」と並べて読むべきで、「教育勅語」よりも「必読文献」だ。上掲誌、p.32。
 上の点も消極的な意味で面白いが、つぎの平川祐弘の文章は面白くて、必見・必読ではないか、と思われる。p.35-p.36。
 「どこの国にも、自国のしたことはすべて正しいと言い張る『愛国者』はいる
 とくに日本のように戦後自虐的な見方が一方的に説かれてきた国では、その反動としてお国自慢的な見方がとかく繰り返されがちになる。
 おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい。/〔改行〕
 不幸なことに、祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い
 だが、そんな熱心家が鬱憤晴らしを大声で唱えても外国には通じない。
 相手のいい慰みものにされるのが関の山だろう。」
 「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増える」-そのとおりかもしれない。
 しかし、平川祐弘自身が「おかしな右翼」の一人なのではないか。
  「祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い」-そのとおりかもしれない。
 しかし、祖国を弁護する「いささか頭が単純な人」の一人は、平川祐弘自身ではないか。
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 いささか古い時期のもので新規さはないが、上の二つの雑誌の平川祐弘の文章の一部は印象深くて、ずっと記憶にあった。そこで、あらためて記録して、日本の「右翼」たちの中には「あほ」が多いことの例証の一つにしたくなった。
 平川祐弘、1931~、東京大学教養学部卒、東京大学「名誉教授」。
 国家基本問題研究所(理事長・櫻井よしこ)研究顧問、美しい日本の憲法をつくる国民の会(共同代表・櫻井よしこ・田久保忠衛ら)代表発起人。
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 下は、譲位問題の頃の平川祐弘と八木秀次。産経ニュースのネット上等より。

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2084/平川祐弘・新潮45/2017年8月号①。

 平川祐弘「天皇の『祈り』とは何か」新潮45・2017年8月号。 
 副題に「御厨座長代理の悪意ある記事に応える」とある。
 もっとも、編集者の意図は、いわゆる天皇退位特例法が成立したのちに、退位反対・摂政設置を主張していた一人だった平川祐弘の同法成立後の感想・意見を求めるものだったように思われる。その機会に、平川は主として、その方向で議論した有識者会議「御厨座長代理」に物申したかったのだろう。なお、周知のとおり、この約1年後に、新潮45(新潮社)は廃刊となった。
 渡部昇一・櫻井よしこらとともに平川祐弘は譲位反対・摂政設置を現憲法や現皇室典範の諸条項をまるで読むこともしないで主張していたので、この欄で併せて「アホの四人組」と敢えて称したことがあった。憲法を少しは知ってはいたが<いわゆる国事行為委任法>で解決できるとか論じていた八木秀次を含めていた。のちに、加地伸行も含めて「アホ」は5人だと書きもした。
 勇気が必要だった「アホ」呼称だったのだが、2017年になっても、平川祐弘は変わらなかったようだ。以下、その旨を指摘する。
 決定的な「アホ」らしさは別に(②で)記述することにする。
 平川は上の記事でまずこんなことを書いている。上掲誌p.46-p.47。
 ・「連綿として続く天皇家は、卑近な国政の外にあって、…『天壌無窮』に続くことによって、その万世一系という命の永続の象徴性によって、日本人の永生を願う心のひそかな依りどころとなっている」。
 ・「天皇は敗戦後の憲法では国民統合の象徴だが、歴史に形づくられた伝統では民族の永続の象徴である。
 …永生を願う気持はおのずと宗教的な性格を帯びる。」
 ・「日本では古代から天皇家はまつりごとを司どってきた」。これは「政治」であるとともに「祀事と書くと祭祀、すなわち民族宗教の儀礼となる」。
 「天皇家にはご先祖様以来の伝統をきちんと守って、まず神道の大祭司としてのおつとめを全うしていただきたい。
 その方が卑近な皇室外交などの政治的なお勤めよりもはるかに大切なのではあるまいか。」
 ここで区切る。<いわゆる保守派>かつ<日本会議派>諸氏の見解・主張なので、とくに大きく驚くには当たらないだろう。
 そして、櫻井よしこらとともに、現1947年憲法(日本国憲法)上の「政教分離」=「政祭分離」の原則にまるで無頓着であることも明らかだ。この思考方法は当然のこととして、<戦後憲法の定めよりも歴史的伝統が優先する>を前提としているのだろう。
 「政教分離」原則に何一つ言及することができないのもすでに「あほ」なのだが、これは等閑視する。また、「古代」以来の天皇家と宗教との関係に関する平川の無知らしきことにもここでは言及しない(先日に書き忘れたが、仏教寺院・東大寺と大仏(毘盧遮那仏)の建立も、聖武天皇らによる。奈良「仏教」と天皇・皇室の関係の深さは常識だろう)。
 いわゆる特例法に至るまでの議論では平川祐弘も明記していなかったと記憶することを、ここでは明確に述べているのが、やや驚き、やや気を惹く。
 すなわち、天皇は日本の「民族宗教」である「神道の大祭司としてのおつとめ」をその他の「卑近な」仕事よりも優先してもらいたい、という明瞭な主張だ。
 ここに明らかに、上にすでに述べた現憲法の条項に関する「無知」がある。国事行為・「公的(象徴としての)行為」・「私的」行為の三分など、また国費・宮廷費・内廷費の三区分など、この人にとってはどうでもよいのだ。
 憲法・現皇室典範も皇室経済法も、ほとんど何も知らなくて、政府の諮問会議に出席・発言した、というのだから「どうかしている」。
 こう書けば、平川祐弘はこう反論?するのかもしれない。p.48 にこうある。
 ・「長い目で見ない人は経済学部出だけではなく、法学士に多い。
 視野が六法全書に限定されがちだからである。」
 思わず苦笑する、「経済学部出」や「法学士」に対する偏見だ。
 「法学士」という古くさい?呼び方は別としても、「視野が六法全書に限定されがち」だとするのは、友人・知人に立派で良識のある「法学士」さまが存在しないためかもしれない。
 「六法」とは6つの法律だけを意味しない(法律ではない憲法もふつうは含めていう)。また、容易に購入できる市販の「六法全書」には「皇室用財産」に論及する国有財産法や皇室経済法も掲載されているだろう。また、むろん法学部卒業生によって理解の程度は異なるだろうが、「法」には、平川祐弘がおよそ知らないような「法哲学」・「法思想」あるいは「法の歴史」が反映されている。戦後日本の法制とこれらとの関係にここでは立ち入らないけれども。
 また、平川祐弘が知らないような「卑近な」現実生活上の諸問題の指針や解決基準となるためにも、「法律」あるいは「法政策」は必要なのだ。むろん、現在・現行の法制・法政策が素晴らしいとは、ひとことも言わないけれども。
 平川が人間として、日本人として生活しているからには、諸税法は当然のこととして、水道法・下水道法・電気事業法・道路法・道路運送法・建築基準法・河川法・都市計画法等々、そして地方自治法や学校教育法等々と平川自身も関係しており、相当の程度に「恩恵」もまた受けているはずなのだ。
 イタリア語を読み、源氏物語を囓ったことのある「知識人さま」には分からない世界がある。
 さて、上掲誌で平川は、渡部昇一の見解・主張に同感するとして渡部昇一を「称え」たのち、こう書く。p.49。
 ・「これからはご在位のまま、まず祭事のおつとめをお果たしください、というのが私どもの意見である」。
 正確には「意見だった」と記すべきだろう。
 そして、上の記事で特徴的なのは、「御厨座長代理」やマスコミ(とくに毎日新聞)に対する鬱憤めいた批判・非難を長々と書き記しながら、自分や渡部昇一らの上の主張がなぜ諮問会議(検討会)や国会、国民世論の多数派を形成することができなかったのか、という問題について、反省も洞察も全く見られないことだ。
 ここで取り上げているのは1917年夏の文章だが、平川はおそらく、現在でもこれを「理解」することができていないのだろう。
 日本の歴史について、「祈り」-宗教-「神道」-天皇、という<あほ>としか表現できない、単純で幼稚な理解しかもっていないからだ、と思われる。
 もっとも、いちおうつぎのようには書いている。p.52。とくに最後の一文。
 「噂される上皇職の人数からだけでも天皇の権威がいまや二分されようとしている。
 やはり穏当なのは京都にお住まいになって…ゆったりと晩年をお過ごしになる事ではないのか。
 国民多数が退位に賛成したのは、天皇様ご苦労様でしたという気持ちからだった。」
 最後の一文はともあれ、八木秀次らが懸念していた?上皇と天皇の「権威の分裂」は、現実には生じなかっただろう。平川が上に書く「天皇の権威」の分裂は、すでにかつて記したように、「天皇」とは別に「摂政」が設置されても、もともと「天皇」と「摂政」の間に生じる可能性があったものだ。
 「座長代理」・一部マスコミ批判・非難には立ち入らない。
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 さて、平川祐弘が本当に「アホ」であるらしいことは、上の雑誌論考の冒頭の第一文によって、すでに明らかだ。
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 ②につづく。

1983/池田信夫のブログ006。

 池田信夫ブログマガジン6月17日号「『ブログ経済学』が政治を変えた」。
 池田のおそらく意図ではない箇所で、あるいは意図していない態様で、その文章に「引っかかる」ことが多い。「引っかかる」というのは刺激される、連想を生じさせるという意味なので、ここでは消極的で悪い意味ではない。
 「物理学では学界で認められることがすべてだが、経済理論は政策を実行する政治家や官僚に認められないと意味がないのだ」。
 十分に引っかかる、または面白い。
 後の方には、こんな文章もある。
 「主流経済学者が…といった警告を繰り返しても、政権にとって痛くもかゆくもない。そういう批判を理解できる国民は1%もいないからだ。」
 学校教育の場では各「科目」の性質の差違、学術分野では各「学問・科学」の性質の差違は間違いなくあるだろう。
 理系・文系の区別はいかほどに役立つのか。自然科学・社会科学・人文科学といった三分類はいかほどに有効なのか。
 文系学部廃止とか人文社会系学部・学問の閉塞ぶりの指摘は、何を意味しているのか。
 経済学(・-理論、-政策)に特化しないでいうと、近年に感じるのは、<現実>と<理論・記述>の区別が明確な、または当然のものとして前提とされている学問分野と、<現実>と<理論・記述>のうち前者は遠のいて、<理論・記述>に該当する叙述が「文学」または「物語」化していく学問?分野だ。
 文学部に配置されている諸科目・分野でいうと、地理学・心理学は最初から別論としたい。ついで、歴史学は理系ないし自然科学に関する知見も本来は!必要な、総合的学問分野だろう。<歴史的事実>と<歴史叙述>が一致しないことがある、ということは古文献にせよ、今日の学者・研究者が執筆する文章にせよ、当然のことだろう。
 法学というのは「法規範」と「現実」は合致するわけではないことを当然の前提にしている。規範の意味内容の「解釈」を論じてひいては何がしかの「現実」に影響を与えようとする分野と、法史学とか法社会学とかの、直接には「法解釈」の議論・作業を行うのではない分野の違いはあるけれども。
 池田信夫もおそらく前提とするように、「経済」に関する「理論」とそれが現実に「政策」として政権・国家によって採用されるかは別の問題だ。さらには、特定の「理論」が「経済政策」として採用されても、それが「現実に」社会または国民生活にどういう影響を与えるかは、さらに別の話、別に検証を要する主題だろう。
 なお、日本では法学部内に置かれていることが多い政治学は、少なくとも<法解釈学>よりは経済学に近いような気がする。もちろん、「政治」と「経済」で対象は異なるけれども。よって、「政経学部」という学部があるようであるのも十分に理解できる。
 上に言及したような文学部内の科目・分野を除くと、<現実>と<物語化する記述>が曖昧になってくる傾向があるのは、狭義での「文学」や「哲学(・思想)」の分野だろう。
 そして、こうした分野で学部や大学院で勉強して、大学教授・「名誉教授」として、または種々の評論家として文章を書いたり発言をしたりしている者たちが、戦後日本を「悪く」してきた、というのが、近年の私の持論だ。
 なぜそうなるのだろうか。「事実」ないし「経験」によって論証するという姿勢、「事実」・「現実」にどう関係しているかという問題意識が、もちろん総体的・相対的にかもしれないが、希薄で、<よくできた>、<よくまとまった>、<読者に何らかの感動を与える>まとまりのある文章を作成することを仕事としている人々の基礎的な学修・研究の対象が「文学」だったり哲学者の「哲学書」だったり、本居宣長等々の「作品」だったりして、そしてそれら<著作物>の意味内容の理解や内在的分析(むろん書き手・読み手両方についての「他者」との比較を含む)だったりして、直接には<事実>・<歴史的現実>を問題にしなくとも、あるいはこれらを意識しなくとも仕事ができ(報酬が貰え)、評価もされる、ということにあるだろう。
 適切な例かどうかは怪しいが、「狭義」の文学とはいったいいかなる意味で「学問」なのだろう。
 ある外国(語)の「文学」に関する論考が大学の紀要類に掲載されていて、それを読んだとき、これは「学問」か?と強く感じたことがある。
 その論考は要するに、ある外国(語)の「文学」作品を原外国語で読んで、邦訳し(日本語化し)、そのあとでコメントないし「感想」を記したものだった。
 こんな作業は、中学生・高校生が日本語の「文学」作品について行う「読書感想文」の記述と、本質的にいったいどこが違うのか。
 外国語を日本語に訳すること自体が容易でないことは分かるが、翻訳それだけでは一種の「技術」であり、あるいはせいぜい「知識」であって、とても「学問」とは言い難いのではないか。
 唐突だが、小川榮太郎が産経新聞社系のオピニオン・サイトに昨2018年9月28日に、書いていたことが印象に残った。表題は、「私を非難した新潮社とリベラル諸氏へ」。
 毎日新聞に求められて原稿を書いたが、掲載されなかった。その内容は、以下だった、という。以下、引用。一文ずつ改行。
 「署名原稿に出版社が独断で陳謝コメントを出すなど言語道断。
 マイノリティーなるイデオロギー的立場に拝跪するなど文学でも何でもない。
 …に個の立場で立ち向かい人間の悪、業を忌憚なく検討する事も文学の機能だ。
 新潮社よ、『同調圧力に乾杯、全体主義よこんにちは』などという墓碑銘を自ら書くなかれ」。

 この文章は昨年夏の新潮45(新潮社)上の杉田水脈論考をきっかけとし生じた「事件」の当事者によるものだ。
 きわめて違和感をもつのは、どうやら小川榮太郎は自分の「文学」の仕事として、杉田水脈を応援し?、防衛?しようとしたようであることだ。
 杉田水脈論考は国会議員の文章で、「政治的・行政的」なものだ。
 そして、小川榮太郎がこれを支持する、少なくともリベラル派の批判に全面的には賛同しない、という立場を明らかにすることもまた、「政治的」な行動だ。
 執筆して雑誌に掲載されるよりも前にすでに、新潮45編集部からの(一定の意味合いの)執筆依頼を受諾したということ自体が、「政治的」行動だ。
 小川榮太郎は「文学」と「政治」の二つの「論壇」で自分は活動していると思っているらしく、これもまたきわめて怪しい。
 主題がやや別なのだが、「論壇」人とは要するに、少なくとも現在の日本にとくに注目すれば、いくつかの何らかの雑誌類への執筆という注文を受けて、文章という「生産物」を販売し、原稿料というかたちで対価を受け取っている、「文章執筆自営業者」にすぎない。
 大学・研究所その他ら所属していれば、副業かもしれないが、小川榮太郎のような者にとっては、「本業」としての「文章(執筆)請負・販売業」なのだ。
 企業である出版業者が<経営>を考慮するのは当然のことで、新潮社の社長の権限や内部手続の点はよく知らないのでともあれ、小川榮太郎が<表現の自由>の剥奪とか新潮社の<全体主義>化とかと騒いでいるのは、根本的に倒錯している
 元に戻ると、小川榮太郎が新潮45に掲載した論考が彼の「文学」だとは、ほとんど誰も考えなかったのではないか。
 今回に書きたかったことは、強いていえばここにある。つまり、「文学」と「政治」の混同・混淆で、自分の文章を「文学的」に理解しようとしないとは怪しからん、自分の「文学亅を理解していない、などという開き直りの仕方の異様さだ。
 もともと小川榮太郎は「文芸」評論の延長で「政治」評論もしているつもりなのだろう。
だから、文学・政治の両「論壇」で、などと書くにいたっている。
 そして、安倍晋三に関するこの人の「作品」は「文芸」評論の延長で「政治」にも関係した典型のもので、ある種の感動・関心を惹いたのだとしても、その内容は「物語」だ。
 現実・事実を最初から「物語」化してはいけない。あるいは「文学」化してはいけない。
 それらの基礎にある、何らかの「思い込み」、「妄想体系」の<優劣>でもって勝負あるいは<美しさ>、<作品の評価>が決まってしまう、というようなことをしてはいけない。
 それは狭い「文学」の世界では大切なことなのかも知れないが、事実・現実に関係する世界に安易に、あるいは幼稚に持ち込んではならないだろう。
 というわけで、ひいては、「文学」の<学問>性や他人の文章ばかり読んでいる「哲学研究者」なるものの「哲学」性を、ひどく疑っているわけだ。
 池田信夫の文章に関連して、さらに書きたくなること、連想の湧くことは数多いが、今回はここまで。

1895/小川榮太郎の「文学」・杉田水脈の「コミンテルン」①。

 2018年9月の新潮45<騒動>の出発点となったのは杉田水脈の文章で、それを大きくして決着をつけた?のは、小川榮太郎の文章。
 2年近く前の小林よしのり、ちょうど1年前の篠田英朗。タイミングを失して、この欄に書こうと思いつつ果たしていないテーマがある。
 新潮45問題に関して気になっていたことを、ようやく書く。時機に後れていることは、当欄の性格からして、何ら問題ではない。
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 原書・原紙で読んだわけではないが、杉田水脈はこう書いている。ネット上で今でも読める。
 産経新聞2016年7月4日付、杉田・なでしこリポート(8)。
 「保育所を義務化すべきだ」との主張の「背後に潜む大きな危険に誰も気づいていない」。
 「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデルを21世紀の日本で実践しようとしている」。
 一部かと思っていたら「数年でここまで一般的な思想に変わってしまう」とは驚きだ。
 「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです」。
 「これまでも、夫婦別姓、ジェンダーフリー、LGBT支援-などの考えを広め、…『家族』を崩壊させようと仕掛けてきました。…保育所問題もその一環ではないでしょうか」。
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 2018年の「生産性」うんぬんの議論の芽は、ここにすでに見えている。
 この言葉とこれに直接に関係する論脈自体は別として、秋月瑛二は上のような議論の趣旨が分からなくはない。また、一方で、「保守」派はすぐに伝統的「家族」の擁護、<左翼>によるその破壊と言い出す、という<左>の側からの反発がすぐに出るだろうことも知っている。
 戦後日本の男女「対等」等の<平等>観念の肥大を、私は懸念はしている。
 しかし、上のようなかたちでしか国会議員が論述することができないということ自体ですでに、「知的」劣化を感じざるをえない。
 第一に、現在日本での「保育所」問題あるいはとくに女性の労働問題と「子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳する。旧ソ連が共産主義体制の中で取り組み、失敗したモデル」とを、あまりに短絡に結びつけているだろう。
 百歩譲ってこの「直感」が当たっているとしても、その感覚の正当性をもっと論証するためには、幾十倍化の論述が必要だ。旧ソ連の「子育て」・労働法制(または仕組み・イデオロギー)と日本の現下の保育所を含む児童福祉・労働法制等の比較・検討が必要だ。
 そのかぎりで、杉田水脈は一定の「観念」にもとづいて、「思いつき」でこの文章を書いている。
 第二に、唐突に「コミンテルン」が出てくる。これはいったい何のことか。
 杉田水脈が「旧ソ連崩壊後、弱体化したと思われていたコミンテルンは息を吹き返しつつあります。その活動の温床になっているのが日本であり、彼らの一番のターゲットが日本なのです」と明記するには、それなりの根拠あるいは参照文献があるに違いない。
 いったい何を読んでいるのだろうか。また、その際の「コミンテルン」とはいかなる意味か。
 「コミンテルン」を表題に使う新書本に、この欄でまだ論及するつもりの、以下があった。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
 この本で江崎は戦争中の「コミンテルンの謀略」を描きたかったようだが、そして中西輝政が本当に読んだのかが決定的に疑われるほどに(オビで)絶賛しているが、江崎自身が中で明記しているように、「コミンテルンの謀略」とはつまるところ「共産主義(・マルクス主義)の影響」の意味でしかない。タイトルは不当・不正な表示だ。
 「謀略」としてはせいぜいスパイ・ゾルゲや尾崎秀実の「工作」が挙げられる程度で、江崎自身が、無意識にせよ、客観的にはソ連・共産党を助けることとなった言論等々を含むときちんと?明記している。
 上の本は正式には<共産主義と日本の敗戦>という程度のものだ。しかも、延々と明治期からの叙述、聖徳太子に関する叙述等々があって、コミンテルンを含むソ連の「共産主義者」に関する叙述は三分の一すらない。
 さて、杉田水脈における「コミンテルン」も、何を表示したいのだろうか。
 しかも、これは「弱体化したと思われていた」が「息を吹き返しつつあ」るもので、しかも、「一番のターゲットが日本」なのだとすると、本拠?は日本以外にあり、かつ日本以外にも攻撃対象になっている国はある、ということのようだ。本部は中国・ペキンか、それともロシア・モスクワか。ひょっとしてアメリカ・ニューヨークにあるのか。
 これは、「コミンテルン」=共産主義インターナショナルという言葉に限ると、<デマ>宣伝にすぎない。この人の「頭の中」には存在するのだろう。
 左にも右にもよくある、<陰謀>論もどきだ。
 ロシア革命が「原因」でヒトラー・ナツィスの政権奪取があったとする説がある。なお、レーニン・十月革命(10月蜂起成功)ー1917年、ヒトラー・ミュンヘン蜂起失敗ー1923年。
 両者の<因果関係>は、間違いなくある。ほんの少し立ち入ると、両者をつなぐものとしてリチャード・パイプス(Richard Pipes)もかなり言及していたのは<シオン賢人の議定書>だ。記憶に頼って大まかにしか書けないが、これは当時に刊行のもので、ロシア・十月革命の原因・主導力を「ユダヤの陰謀」に求める。又はそのような解釈を積極的に許す。かつ、その影響を受けたドイツを含む欧州人は「反ユダヤ人」意識を従来以上に強くもつに至り、ヒトラーもこれを利用した、また実践した、とされる(なお、いつぞや目にした中川八洋ブログも、この議定書(プロトコル)に言及していた)。
 理屈・理性ではない感情・情念の力を無視することはできないのであり、中世の<魔女狩り>もまた、理性・理屈を超えた「情念」あるいは「思い込み」の恐ろしさの表れかもしれない。
 現在の日本の悪弊または消極的に評価する点の全てまたは基本的な原因を、存在してはいない「コミンテルン」なるものに求めてはいけない。もっときちんと、背景・原因を、そして戦後日本の政治史と社会史等々を論述すべきだ。
 <左翼>は右翼・ファシスト・軍国主義者の策謀(ときにはアメリカ・CIAも出てくる)を怖れて警戒の言葉を発し、<右翼・保守>は左翼の「陰謀」に原因を求めて警戒と非難の言葉を繰り返す。
 要するに、そういう<保守と左翼>の二項対立的な発想の中で、左翼またはその中の社会主義・共産主義「思想」を代言するものとして、おそらく杉田水脈は(まだ好意的に解釈したとしてだが)、「コミンテルン」が息を吹き返しつつある、などと書いたのだろう。
 産経新聞編集部もまた、これを簡単にスルーしたと思われる。産経新聞社もまた、江崎道朗と同様に?、「コミンテルンの陰謀」史観に立っているとするならば、当然のことだ。
 共産主義あるいはマルクス主義・社会主義に関心を寄せるのは結構なことだが、簡単にこれらを「観念」化、「符号」化してはならない。
 歴史と政治は多様で、その因果関係もまた複雑多岐で、「程度・範囲・濃度」が様々にある。
 幼稚な戦後および現在の「知的」議論の実態を、杉田水脈の文章も、示しているように思われる。

1257/田中英道の新著と佐伯啓思の「天皇制」論。

 田中英道・戦後日本を狂わせた左翼思想の正体(展転社、2014.10)の中に、2013年に皇太子退位・皇位継承を論じた山折哲雄と山折論考は「たいへんに大事な問題を提出しようとしている」と受けとめた佐伯啓思論考(新潮45、1913年4月号)への簡単な論及がある(p.209-210)。
 田中は、山折や佐伯の議論は<「近代」主義者の見解>、あるいは<社会主義者ではなく「近代」主義の立場に立った近代リベラル立場のものだ>とほぼ断定している。田中によると、ここで「近代リベラル」とは「権力や権威から自由な立場に立とうとする、相対的な態度」のことらしい。

 八木秀次が憲法学者・佐藤幸治を「近代主義」者と称していた又は評していた記憶はあるが、私自身はこの「近代主義」なるものの意味はよく分からない。<近代リベラル>も同様だ。大まかには、社会主義者・マルクス主義者(明確なシンパを含む)ではないが、<明確な?>「保守主義」者でもない、という意味なのだろうか。
 上の点はともかく、佐伯啓思については、「日本」や「愛国」を論じながら、「天皇」や「神道」あるいは日本化された仏教への言及がはなはだ少ない、という感想をもち、その旨この欄で記したこともある(但し、正確な内容は思い出せない)。戦前の浪漫主義・西田幾多郎哲学等よりも、日本に固有の天皇や神道(・日本化された仏教)に、その歴史も含めて立ち入らないことには「日本」も「愛国」も語り得ないのではないか、という考えは今でも変わりはない。
 あらためて佐伯啓思の新潮45昨年4月号の論考を瞥見してみると、田中英道が問題視しているごとくであるように、<国民の意思によって天皇制を廃止することも可能だ>旨の指摘・叙述が複数回あって、強調されている。また、「天皇制」という概念用法はともかく、天皇位が「世襲」のものであることは、いわば<世襲の象徴天皇制>は憲法で定められており、国民の意思により変更可能であっても憲法改正によらざるをえないこと、その他の皇位継承のあり方を含む諸論点は国民代表議会による法律で改廃が可能であることが明瞭には区別されず、ともに「国民の意思」による改廃可能性が語られていることも気になる。
 もっとも、憲法1条は皇位が「主権の存する日本国民の総意に基づく」と明記しているので、現憲法を無視しないかぎりは(無効とみない限りは)、佐伯啓思の理解が誤っているわけではない。憲法学者もおそらくすべてがそう解釈しているだろうし、かつ親コミュニズムの学者たちは(日本共産党のように現時点において明確に主張しないものの)将来における天皇制度廃止(憲法14条違反??)を展望しているだろうし、立花隆もまた憲法改正による「天皇制」廃止の可能性を憲法1条を根拠として強調していた。

 佐伯啓思は日本の「天皇制」という政治制度は「おそらく世界に例をみない」と述べつつ、だからといって素晴らしいとも廃止すべきだと言うのではなく、この独自性をわれわれは知っておく必要がある」とのみ述べる(前掲p.332)。この辺りも、佐伯自身の中には「天皇制」尊重主義?はなく、距離を置いた、<相対>主義?だとの印象を与える原因があるかもしれない。
 もっとも、田中英道のように簡単に切って捨ててしまうのも問題があるだろう。佐伯啓思は、日本の天皇制度の特質の三つ、第一に、世襲制、第二、政治権力からの距離(祭祀執行者)、第三、「聖性」のうち、戦後は第三の、「聖性」を公式には喪失している、とする。佐伯による日本の天皇制度の歴史の理解は戦後の歴史教科書による、ひょっとすれば、陳腐で<左翼>的に誤っている可能性がなくはないとも感じるのだが、専門的知識の乏しい私はさておくとして、上の指摘はほぼ妥当なものではないだろうか。<祭祀執行>(むろん神道による)についても戦後憲法のもとでは天皇(又は天皇家)の「私的」行為としてしか位置づけられていないという問題点があることも、そのままではないが佐伯は触れている。
 そして、結論的には佐伯は、国民が<祭祀王としての天皇をフィクションとして承認する>か否かに天皇制度の将来はかかっている旨述べる。「王」という語の使い方は別として、この主張も、私には違和感がない。
 上のことを国民が承認するとすれば、現在の憲法上の天皇条項の内容や政教分離に関する条項の改正、すなわち、佐伯は明言していないが、憲法改正が必要になる。そして、そのようにすべきだと-神道祭祀を公的に位置づけ、政教分離原則の明瞭な例外(またはこの原則がそもそも妥当しないこと)を認めるべきだと-私は考える。
 元に戻れば、少しすでに触れたように、田中英道のように簡単に切って捨ててしまうのはいかがなものか、という気がする。すべてではないにせよ、<保守派>の議論には憲法・法律・行政制度等々についての知識・素養を欠く、もっぱら原理的・精神的な(あるいは文学論的な?)が議論もある(それらだけでは現実的には役に立たない)と感じることもあるところであり、田中英道の本が-まだ一部しか読んでいない-そのような欠点をもつものでないことを願っている。

1175/佐伯啓思の不誠実と維新の会・天皇。

 〇この欄の4/09で佐伯啓思の昨秋の文章についての私の昨年の12/31を引きつつ佐伯啓思の言論人・知識人としての「責任」を問うたが、12/31の私の文章を読み返していると、こうも佐伯に問うていたことを思い出した。
 「佐伯啓思にまじめに質問したいものだ。佐伯は11/22に『橋下徹氏の唖然とするばかりの露骨なマキャベリアンぶり』という言辞も使っていたのだが、日本維新の会、あるいは自民党の原発、増税、憲法等々についての諸政策は『大衆迎合主義』に陥っていたのかどうか。」
 佐伯啓思がこの秋月の欄を読んでいなくて何ら不思議ではないが、上に言及したようなことを佐伯啓思は産経新聞昨年11/22紙上で公言していたのであり、昨年12月総選挙結果もふまえて、自らの見解が適切だったかに論及することはやはり言論人・知識人としての「責任」なのではないか。佐伯啓思にはそのような感覚・姿勢があるのかどうか。
 〇佐伯啓思は新潮45(新潮社)2013年1月号の連載で「『維新の会』の志向は天皇制否定である」と題する文章を書いている(但し全9頁のうち4頁だけがこのタイトルに添う)。
 このタイトルと内容を一瞥して感じたことの第一は、では佐伯啓思は「天皇制肯定」論者なのか、だ。
 上のようなタイトルからすると、そうであることを前提としているようであるし、またそのように理解しても不思議ではない。しかし、じつは佐伯啓思は、自らの「天皇制度」または「天皇」に対する考え方・立ち位置をほとんど明らかにしてきていない。
 昨年12/05と12/09のこの欄で佐伯啓思の「天皇」観を示している文章に言及したが、そこで紹介したとおり、佐伯啓思は、「天皇という問題となれば、ある意味では、私自身もきわめて『戦後的なもの』の枠組みに捕らえられている」、「私には天皇や皇室への『人物的な関心』がなく、まして、天皇・皇室への『深い敬愛に基づいた情緒的な関心を示すなどということが全くない…」、「天皇陛下や皇室の方々の人柄だとか、その人格の高潔さだとか、といったことにはほとんど興味がない」、日本国憲法第一条の「象徴」という部分も、「象徴」の意味は問題になるにせよ、「しごく当然のことであろう、と思う」、などと書いていた。
 このような佐伯啓思が、<維新の会は天皇制否定>などと銘打つ文章を簡単にかつ堂々と書けるのかどうか。
 まずは自らは「天皇制肯定」論者であることを、その意味も含めて詳細かつ明確にしたうえで、<維新の会は天皇制否定>論は書かれるべきだろう。
 感想の第二は、<維新の会は天皇制否定>という結論的認識が妥当かどうかだ。簡単に書けば、石原慎太郎がそうだという論拠は石原と三島由紀夫の1969年の対談の一部と三島の石原に対する評価(のそのままの追随)だけであり、橋下徹については「橋下氏が天皇制についてどのように考えているのかはわかりません。しかし、彼らが共和主義的であることは十分に想像がつきます」(上掲誌p.333-4)という程度にとどまる。
 丁寧な論証がなされているとはとても思えない(なお、同じことは同じ上掲誌上の青山繁晴論考についても言える)。それにそもそも、欧米の「共和主義」なるものに多大の関心を示し、それに関する書物の共編著者になっていたのは、佐伯啓思自身ではないか(佐伯啓思=松原隆一郎編・共和主義ルネサンス(NTT出版、2007))。そこには、「共和主義」を否定し「天皇制を肯定」する心情のみが基礎になっていたのかどうか、はなはだ疑わしい。
 ついでに書けば、佐伯啓思によると、<私こそがこの国を変える、と軽々と言う>=「共和主義的」=「天皇制否定」という論理が簡単に成り立つらしい(上掲誌p.334)。いくら日本維新の会が嫌いでも、佐伯啓思ほどの者がこんな(大学院生ですら採用しそうにない)論理または推論を提示するとは、嘆かわしく、幻滅しもする。

1167/佐伯啓思の議論はどのようなもので、どのように評価されるべきか-一部。

 佐伯啓思・日本の宿命(新潮新書)は2013年1月発行で、2012年12月17日付の筆者「あとがき」がある。そのわりには、前日12月16日の衆議院議員選挙の結果にも言及がある(p.3、p.13、p.37等)。

 それはともかく、昨年末総選挙の結果が判明していたと思われる2012年12月17日付で佐伯啓思はこう書いている。
 <自分の大きな関心は「制度論」や「事実論」ではなく「精神のあり方」や「ものの考え方」にある。>(p.222)。

 このように書いてはいるが、佐伯啓思は「構造改革」を中心とする「制度改革」を含む「改革」路線・「改革」ブ-ムを、佐伯のいう「橋下現象」とともに批判視・問題視してきた。また、産経新聞2/15の記事によると「大阪正論懇話会」では<構造改革では米国的な要素を持ち込んで市場競争を強化させてしまったことで、社会的な安定性に関わる部分が崩れてしまった。この過去を整理して、われわれがめざす経済の姿を考えなければならない。国がやるべき仕事は、公共工事や復興支援など安定性の部分をもう一度、立て直すことだ>等々と語った、というのだから、専門分野に包含されるはずの「経済政策」に関する発言も行ってきている。

 したがって、佐伯が「制度論」や「事実論」に関心がないはずはないのであり、あくまで(さらには上の書物でのそれに限られるかもしれないが)「大きな関心」ではない、ということに留意すべきなのだろう。

 ともあれ、佐伯啓思という学者・評論家が「精神のあり方」や「ものの考え方」に大きな関心を持ち、それによって種々の論述をしている、ということは佐伯の著書や文章を評価・分析するための一つのポイントだろう。
 しかして、佐伯自身の「精神のあり方」や「ものの考え方」とはいかなるものか。種々の現象や議論を、それらに潜む「ものの考え方」のレベルで分析し、あるいは批判的に論じることに、むろん意味がないわけではない。
 ただ、もちろんここで簡単に言ってしまうのは不可能だし乱暴でもあるのだが、佐伯自身の「見方」はさほどわかりやすいものではないし、あえて言えば<斜に構えた>視点から、あるいは通常のまたは大勢的な論調とは異なる、ある意味では「意表をついた」視点から、またはそのような論点を提出することによって論述するのが、佐伯啓思の特徴であると言ってよいだろう。少なくとも私は、そのような「印象」を持っている。
 だが、と再び次元の異なる論点を持ち出せば、「精神のあり方」や「ものの考え方」と「事実」や現実の「制度」はそもそもどういう関係に立つのか、という問題もある。
 つまりは、佐伯啓思のいう、または佐伯自身の、「精神のあり方」や「ものの考え方」が、戦後日本の「現実」の中で、それに影響を受けて形成されてきたものではないか、ということだ。
 「現実」の中には-さしあたり佐伯啓思のそれに限れば-佐伯が受けてきた戦後日本の学校教育も、佐伯がその中にいた学界や論壇の風潮も含まれる。そしてまた、東京大学を卒業し京都大学の現役教授であるという佐伯啓思の経歴や所属もまた、佐伯の種々の書物や文章の内容や「書きぶり」と無関係ではないだう。
 佐伯自身も否定はしないだろうように、佐伯自身の「精神のあり方」や「ものの考え方」は佐伯の内部のみから、外部から自由に生成されたものではない、はずだ。
 そして再びやや唐突に書くのだが、佐伯啓思の、<斜に構えた>視点からの、あるいは通常のまたは大勢的な論調とは異なる、ある意味では「意表をついた」論点提出による論述方法は、決して「大衆」が行いうるものではなく、東京大学卒の京都大学教授だからこそなしえているのではないだろうか。書き方を変えれば、無意識にせよ、自らの「位置」についてのそういう自覚を持っているからこそ、佐伯啓思のような諸仕事を佐伯はできているのではないだろうか。それは、あえて単純化はしているのだが、善し悪しは別として、「高踏的」、あるいは場合によっては「第三者的」・「評論家的」になっている。丸山真男ほどではないとしても。

 佐伯啓思が特定の「党派」的、政治実践的な主張を少なくともあからさまにはしていないのは、上のこととと無関係とは思われない。
 この点は、同じ大学・大学院研究科に所属していた中西輝政とは大いに異なる。これは、中西輝政の最近著・賢国への道(致知出版社、2013.01)の「まえがき」等を一瞥するだけでも瞭然としている。
 そして、今日においてわが日本が必要としているのは、佐伯啓思タイプの評論家・論者ではなく、中西輝政タイプのそれではないか、と感じている。
 あれこれと、あるいは「ああでもない、こうでもない」と分析的に論じること、あるいは細かいもしくは「意表をつくような」もしくは「独自の」・「ユニ-ク」な<解釈>をし、あるいは「見方」を提示することは、かりに意義があるとしても、現実的にいかほどの影響力をもつかは疑問だ。
 同じく新潮45(新潮社)の連載をもとにした佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書)は「予想以上に」売れたらしく、結構なことだが、数万部では、また数十万部ですら、新聞の影響力にはかなわないし、ましてやテレビ報道の論調に抗することは客観的には不可能だろう。
 もちろん佐伯啓思の本に限らないが、巨視的には、川の流れに小さなさざ波を立てるだけの書物がほとんどだろう。それでも好ましいさざ波ならよいのだが、悪質なものも少なくはなさそうだ。
 佐伯啓思の著書はすべて好ましいさざ波であるのかは疑問で、少なくとも一部には、日本と日本人のためにはよろしくない、またはほとんど無意味だ、と少なくとも私は感じる部分があることは否定できない。

 以上、佐伯啓思の文章のごく一部から発展させて。

1155/佐伯啓思において日本書記・古事記はすべて「神話」か。

  前回に続ける。佐伯啓思「『天皇』という複雑な制度をめぐる簡単な考察」隔月刊・表現者2009年9月号)はついで、元来の「すめらのみこと」を意味する「天皇」という語自体が「中国からの影響のもと」にある。しかし、中華秩序からの自立を意味したもので、中国とは異なって「世襲による王権であることを明示」したものだった、ということを述べている。
 再び、左翼的な「王権」という概念が使われていることが気になるが、より気になるのは以下だ。
 佐伯啓思は、「『記紀』による天皇の神格化」
と簡単には叙述し、世襲の「日本の王権の特質」の一つは、「神話」による「政治的正当性」の確保だった、と述べている(p.71)。
 明記はしていないし、紙数の制限により厳密な叙述はしていないと釈明または反論される可能性はあるが、まるで、記紀=日本書記・古事記全体が「神話」の叙述だという理解を前提にしているような書きぶりだ。
 佐伯はむろん「単純左翼」ではないので、①「左翼的意味」で天皇の正当性は「でっちあげられた神話に過ぎない」と言っているのではない、②「神話」は歴史学者のいう「事実」ではないが、「一国の文化的事実」だ、と書いている(「不可欠でそれなりによくできた発明だったと受けとめなければならない」とも言う)。
 だが、「神話」と「記紀」の二つについての正確な叙述がないので、後者全体が「神話」だと理解していると思えなくもない。
 日本書記は明らかに「神代」と神武天皇以下を区別しているし、古事記の中・下巻が神武天皇以下推古天皇の時代までの叙述になっている。
 むろん連続はしているのだが、「記紀」の作者または伝承者においては、神武天皇以前または古事記の上巻のみが「神話」=「神」をめぐる物語と意識されており、それ以降は少なくとも主観的には歴史的な事実だと理解されていたのだ、と私は理解している。
 推古天皇(古事記)または天武天皇や元明天皇(日本書記)、そしてこれらの天皇の時代は執筆者・伝承者にとってはほとんど当時における近現代のことであり「客観的な事実」のつもりで書かれたのだと思われる。
 むろん、客観的な歴史的事実とは異なる叙述も時代より古くなればなるほど含んでいるだろう(場合によっては「作為」も)。しかし、神武天皇以降の叙述は、主観的には決して「神話」ではなかったはずだ、と思われる。
 上のような趣旨が、佐伯の文章からはまるで伝わってこない。「そこに神話が生じる。『記紀』による天皇の神格化である」、という部分などは、繰り返すが、記紀の全体が「神話」だと理解しているごとくだ。こんなことを書くのも戦後の歴史学・戦後教育において日本書記・古事記の全体=とくに世襲天皇を美化・正当化するための「神話」で<ウソ・でっちあげ>という言説が一部には有力にあり、そのような教育等の影響を-「神話」の理解は同じでないとしても-佐伯も受けているようにも思えるからだ。
 些細なことかもしれない。だが、「日本的なるもの」という語をやたら使っている佐伯啓思の諸文章において、天皇も記紀も(いわゆる日本神話も)ほとんど言及されていないのであり、そして天皇に関する「物語」をこの人は十分には知らないのではないか、少なくとも大きな関心を持ってはいないのではないか、という疑いを持たせる。
 ○佐伯啓思は新潮45今年7月号(新潮社)の最後に、「本当にわれわれが支柱にすべき価値」、「日本人にとっての価値の基軸」について「今後、何回かにわたって」
模索してみたい、と書いている(p.334)。
 同誌の今年12月号の佐伯の連載のつづきは橋下徹と石原慎太郎批判で、この二人をそれこそボロカスに批判しているが、「日本人にとっての価値の基軸」の探求といかなる関係にあるのかは分からない。
 8~11月号も所持はしているので、佐伯における「模索」の内容を別の機会に確認してみよう。

1150/日本は西欧と中国のどちらにより近いのか-佐伯啓思と中西輝政。

 新潮45(新潮社)の今年8月号の佐伯啓思「反・幸福論/20回・空気の支配」の末尾で、佐伯啓思はこう書いている。

 「『日本的なるもの』と『近代民主主義』の結合には何か基本的な難点がある」(p.334)。
 西欧近代(またはヨーロッパ近代)に対する懐疑または批判的分析は佐伯の文章の随所に見られるところで、この人の最も得意とする論点かもしれない。戦後日本の「空気」を支配する基本的な正義となっているとする「民主主義」・「平和主義」、その延長上にあるとする「国際化」・「個人の自由」・「基本的人権」等(p.331-2)の欧米所産の諸原理は「日本的なるもの」と必ずしも容易には結合しないという基本的な趣旨には反対しない(但し、この論考の基本的なテーマは「空気の支配」で、この論点に関する叙述内容にはいくつかの疑問を提示することもできるが、立ち入らない)。
 上の佐伯啓思の一文に興味をひかれたのは、ほぼ同時期に中西輝政・日本人としてこれだけは知っておきたいこと(PHP新書、2011)をもう一度読み直していて、つぎの文章に出くわしたからだ。

 「法律」・「約束」等に対する「感覚は、日本と西欧がほぼ同じなのに、中国はまったく異なる…。『同じアジア人』という意識を持ってはいけない」
 テーマも文脈も異なる中で単純に対比してはいけないが、面白い論点が示されているように思われる。
 かりに欧米・日本・中国という三つの「文明」があるとして(むろん他にもあるのだが、省略する)、(歴史的にまたは現在において)日本は欧米と中国のいずれの「文明」に<より近い>のか。
 佐伯啓思は欧米「文明」と「日本的なもの」との不整合をあちこちで書いてきている。中国(・共産党)または中華文明に触れていないわけではないが、これらに関する論及は欧米所産の原理・「価値」へのそれと比べて格段に少ないように見える。

 佐伯啓思・反幸福論(PHP新書、2012)の中には「某国のように市民的自由さえ認められない全体主義では困りますが…」という文章があったりするので、「某国」の中に少なくとも現在の中国を含んでいるとすると、-上は一例にすぎないが-中国を好意的・肯定的に評価しているわけではないことは確かだろう。
 それに佐伯啓思は必ずしも明確にまたは強調して叙述しているわけではないが、ナチズムもコミュニズム(共産主義)も、そして「全体主義」も<西欧近代>から産まれたもので、あるいは<西欧近代>の矛盾・限界を解決するために発展的に生じてきたもので、いずれの根っこも<西欧近代>にあると言って過言ではないだろう。
 この点を佐伯は必ずしも明瞭には述べていないように見える。<西欧近代への懐疑>は、同時に、あるいはより強くコミュニズム(共産主義)に対して向けられるべきではないのだろうか。
 <西欧近代>への懐疑、<西欧近代>を基本的に継承した「アメリカニズム」に対する疑問・批判は鋭いし、傾聴すべきだろうが、中国または共産主義に対する疑問・批判が弱いのはいったい何故なのだろうと感じることがある。
 比べて中西輝政は、中国についても共産主義(コミンテルン等々)についても、とりわけ近年、多くのことを(批判的に)語ってきている。中身に言及しないが、読了している中西・迫りくる日中冷戦の時代-日本は大義の旗を掲げよ(PHP新書、2012)もその一つだ。
 もっとも、上で紹介したのは「法律」・「約束」等に対する「感覚」の相違についての文章なので一般化すると誤りになる可能性はあるが、日本文明は「西欧」文明により近く、「中国」文明とはより大きく異なる、と言えるのかどうかは、私自身はよく分からない。
 とりわけ、一般的に「日本と西欧がほぼ同じ」だとは断言できないと思われる。
 但し、明確なのは、現在において、アメリカと中国のどちらを選択すべきかと問われれば、躊躇いなく米国を選ぶべきだろう、ということだ。そのかぎりでは、基本的には反中・親米でなければならない。
 さらに言えば、日米の二国間の問題のみを視野に入れるとすれば、米国依存・米国従属をなくし日本の「自立」性を高めるべきで、そのかぎりでは、ある程度は<反米>でもなければならないことになろう。
 かりに明言していないとしても、現在において実質的にはアメリカに対するよりも中国に親近感を持っている人々・政党や、両国と<等距離>に接すべきと考えている人々・政党は、マスメディアも含めて、早く消滅してほしいものだ。

 文明論と現在の政策論とは同一であってはならないだろうが、混在を自認しつつ、駄文として書いておいた。 

1149/適菜収は「B層」国民は投票するな、と主張する。

 「B層」哲学者・適菜収は相変わらず橋下徹を攻撃しているようで、新潮45(新潮社)の今年10月号の冒頭近くの適菜「民主の次は維新? いつまでも懲りない人々」も、その一つだ。
 内容は容易に想像できることで、立ち入らない。(小泉改革→)民主党→維新の会の「大衆迎合」ぶりの連続を批判的またはシニカルに観ている佐伯啓思とも似た論調だ。
 興味をもつのは、では、適菜収はいったいどのような政治勢力を支持しているのか、適菜収は有権者国民に対してどのような投票行動をとるように求めているか又は期待しているか、だ。
 この点、じつに興味深いことを上の文章の最後に適菜収は述べている。以下のとおり。
 「前回民主党に投票し、そのことに少しでも良心の呵責を感じている人は、次の選挙には行かないことです」。「選択」に不向きの人が「選択をしようとするから道を誤るのです」(p.33)。
 なんと、(どの党にも)投票するな、棄権せよ、と言っているのだ。
 適菜収は橋下徹・維新の会を批判しつつも、橋下・維新ではなくどの政党が(相対的にであれ)好ましいかを明らかにすることができていない。

 また、上の文からは適菜収の、そのいう「B層」国民に対する激しい侮蔑の感情が窺える。適切に候補者の中からの適格者を「選択」できないような者は、投票するな、と述べているのだ。
 適菜収のこの論の行き着くところは、一定年齢以上の国民の全員が選挙権・投票権をもつ、いわゆる<普通選挙>制度の否定に他ならないだろう。
 「A層」哲学者だと自らを位置づけているに違いない適菜収は、彼のいう<B層>=バカな国民(=「マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQが低い人たち」)には選挙権を認めないという、<普通選挙>制度否定論を真面目に主張してみたらどうか。

1086/橋下徹を単純かつ性急に批判する愚③―佐伯啓思ら。

 〇佐伯啓思は、新潮45/3月号で「橋下現象」に「イヤなもの」・「嫌悪感」を覚えるとし、それは近年の日本の「必然的帰結」・今日の日本の「象徴」だという。そして、「一歩間違えば、とんでもない事態にわれわれを導きかね」ないと警戒視する(p.323)。このような基本的論調は三点に分けられてより詳しく論述されているが、直感的にこれは誤っている、単純化しすぎていると思われたのは、佐伯のいう第一点だ。第二、第三点の叙述も疑問はあるが、橋下徹の「姿勢」・「手法」への違和感が示されているだけ(?)なので、とりあえず、以下では触れない。
 佐伯啓思によると、以下のとおり。
 ①橋下徹の基本的な「政策」は、90年代以降の「行政の無駄の削減、財政再建、福祉の見直し、地方分権、政治的リーダーシップの強化など」という「改革」論そのもので、それを「とことん徹底したもの」だ。
 ②「徹底した成果主義」・「実力主義、業績主義、強力な指導力」による「徹底した『改革』」こそ、90年代以降の日本を覆ったもので、「民主党現象」もそうだった。「改革」は官僚や既得権者を敵対者と見なした。
 ③これまでの民主党を含む「改革」が不十分だった(と感じられた)ために橋下徹が期待された。
 ④90年代以降の「改革」論は「成果主義や能力主義や財政再建化や自由競争」等の「いわゆる新自由主義政策」だったが、「橋下改革もきわめて新自由主義的傾向の強い」もので、大阪市の場合も「新自由主義によって社会に活を入れるというショック療法が施されている」(p.323-4)。
 おおむね叙述順に要約的に紹介したが、かかる議論あるいは分析は正鵠を射ているのだろうか?
 第一に、上にも出てくる「新自由主義」を筆頭に、「財政再建、福祉の見直し、地方分権」というより具体的でもなおも抽象度の高い諸概念の意味がきちんと明らかにされていないと、よほど忠実にこれまでの佐伯の議論を読んできた者以外には、ほとんど理解不可能だろう。
 第二に、かりにより高いレベルの読者が読んだとしても、にわかに賛同することはできないだろう。それはまずは、90年代以降の「改革」(論)という一色の歴史理解(時代認識)のもとに「橋下現象」を位置づけよう、把握しようとしていることによる。
 佐伯の言うほどに単純なものではなかろう。自民党(末期?)の「小泉」改革・民主党の「改革」・橋下「改革」と、同じ「改革」(論)だと一括りにしてよいものなのか?
 佐伯の時代認識は、学者・「思想家」らしく、抽象度が高すぎる。「左翼(=容共)・反日」政権として登場した民主党政権による「改革」を従来の「改革」路線の延長と捉えるのは妥当ではあるまい。なるほど民主党も「改革」を唱えたようだが、「戦後民主主義」のなれの果てと言える「左翼(=容共)・反日」政権による改革論を自民党のそれと本質的に同一視することはできないと思われる。
 実際にも、労働組合によって支持され、現在は日教組の「親分」が幹事長をしている政党が、いかほどの「改革」を行いえてきているかはきわめて疑問だ。その「民主党現象」と「橋下現象」が似たようなもので、したがって橋下改革も「おおよそロクな結果をもたせさないでしょう」とまで佐伯は断言するのだから、呆れてしまう。
 「地方分権」論といっても、自民党・民主党そして「大阪維新の会」とでは中身が異なる。立ち入らないが、「維新八策」における「国」・「地方」の役割分担に関する叙述を見ても、民主党の曖昧な「地域主権」論よりもまともだと思われる。
 佐伯は「成果主義」等々を批判するが、これを一概に批判することができないことくらいは佐伯だから分かっているだろう。また、佐伯は「新自由主義的」と橋下徹の政策を論定しているが、報道されている大阪市西成区に対する施策の方向を知ると、とても「新自由主義主義的」などと論難できるものではないように思える。
 交通事業の民営化方針も佐伯によると「成果主義や能力主義や財政再建化や自由競争」等の「いわゆる新自由主義政策」なのかもしれないが、大阪市営交通事業の経営主体等の問題は、抽象度の高い、「新自由主義」的か否かといったレベルで決せられるものではあるまい。
 「財政再建」も「福祉の見直し」も、似たようなことが言える。
 いっさいの「改革」が悪だ、いっさいの「変化」を許さない、という立場に立たないかぎり、佐伯啓思の議論は支持できるものではない
 第三に、以上とほぼ同旨だが、そもそも90年代以降の「改革」(論)を否定し批判する佐伯啓思の立論の内容および立脚点自体が、十分に説明されていないし、十分に肯定されるものなのかという問題があるだろう。
 佐伯啓思は、「改革」論の帰結は「地域格差」・「所得格差」・「地方のコミュニティの崩壊」・「医療現場の崩壊」・「労働と雇用の不安定化」・「教員や家庭の崩壊」だったとし、「何よりも経済はちっともよくはなせなかった」と、社民党や2009年選挙以前の民主党のようなまとめ方を簡単にしてしまっている(p.324)。
 このような「帰結」をもたらした「改革」論と橋下改革は同じなのかという問題のあることは先に述べたとおりだが、これらの原因をあげて「改革」論に求めることは、きわめて粗雑だと思われる。
 問題は「改革」の具体的中身、その達成手法、そして「改革」論議と実際になされた「改革」の区別、をきちんとふまえて論じられなければならないだろう。
 佐伯啓思は産経新聞2/20付で、「『改革』についての功罪」をこう述べている。
 「グローバル化の功罪、金融自由化の功罪、日本的経営の崩壊の意味、二大政党政治の功罪、小選挙区制やマニフェストの問題、これらを自民も民主も整理できていない。むろん、マスメディアもジャーナリズムとて同様である」。
 <改革の功罪>を誰も整理できていない、というのだ。いやおそらく、佐伯啓思自身は「整理」しているつもりなのだろう。だが、佐伯自自身の「整理」が、つまりは「改革」(論)を総じて批判し否定し消極的に評価するという結論自体の正しさが、十分に論証されていないとまるで説得力がない、
 佐伯にとっての「悪」を橋下徹は継承している、というのが佐伯の論点の一つで、橋下徹が「継承」しているとにわかに論定すべきではない、と上では述べた。いま一つの佐伯の論点は「改革」(論)は悪だった、ということにある。この点がここで批判しているところだ。
 90年代以降の「改革」(論)をこのようにまとめ、あるいは上記のように簡単に「改革」の帰結=「罪」を列挙するだけでよいのだろうか。
 ともあれ、佐伯啓思以外には誰も(?)整理できていない課題の克服を橋下徹らに求めても無理強いであり、整理していないことをもって論難することも橋下徹らにとっては酷というべきだ。佐伯啓思は声を大にして、民主党と自民党のほかに、「マスメディアもジャーナリズムも」批判するがよいだろう。
 簡単に上のことを再述すれば、以下のとおり。
 ①橋下徹らの政策が90年代以降の「改革」(論)の系譜上にあり、それをさらに徹底したものだ、という把握の仕方は、単純で性急すぎる。
 ②90年代以降の「改革」(論)がよいものではなかった、ということ自体が説得的には何ら論証されていない。佐伯啓思の頭の中にはあるのかもしないが、ほとんどの読者には伝わっていない、と思われる。
 いっさいの「改革」や「変化」を許さない、という立場に立たないかぎり、佐伯啓思の議論は容易に支持できるものではないのではないか
 産経新聞2/20付の佐伯啓思論考にはあまり言及しなかったが、上で紹介したのと似たようなことを書いており、ほぼ同じような感想を抱くので、もはや省略しておく。
 〇産経新聞2/23の特集記事中に、橋下徹のつぎの言葉が紹介されている。
 ・「世間の民意とは関係なく、自分の主義主張だけで『世の中の方が間違っている』『衆愚政治だ』『大衆迎合だ』『世論は間違っている』『市民は一時の熱情に狂っている』とか、平気で言えるのが学者だ」。 
 同じ記事によると、田原総一郞はこう言った、という。「橋下さんに対する批判の弱さに、日本のインテリの弱さが出た」、「日本のインテリは権力側を批判はするが、対案を持っていない。『じゃあ、あなたはこの問題をどうしますか』といわれたときに、答えを持っていない」。
 佐伯啓思そして<西部邁・佐伯啓思グループ>の面々は、これらの言葉をどう聞くのだろうか。
 書き忘れていたが、佐伯啓思は90年代以降の「改革」(論)を批判してきているが、「じゃあどうすればよいのか(よかったのか)」という問題には具体的にはほとんど何も答えていない、と思われる。地方分権にせよ財政再建等々にせよ、具体的な「対案」があるわけでもないのだ。論壇・大学のインテリ=「口舌の徒」は楽なものだ、とあらためて感じている。かかる皮肉も、「思想家」には何の痛痒にもならないのかもしれないが。

1084/橋下徹を単純かつ性急に批判する愚①―佐伯啓思。

 やはりというべきか、中島岳志、東口暁、藤井聡に続いて、佐伯啓思も橋下徹に対する批判的姿勢を明らかにした。①新潮45/3月号(新潮社)と②産経新聞の月一回連載(2/20付)においてだ。
 前者についてもっと後でコメントしようと思っていたが、新潮45誌上よりも批判・警戒視の気分が明瞭な産経新聞上の文章が出たので、とり急ぎ感想を書いておく。
 ・上と同日の産経新聞紙上に、日本共産党の志位和夫が橋下徹をヒトラーになぞらえて警戒視しているという特集記事中の文章があるが、②の最後で佐伯啓思はフランス革命期のジャコバン派の勢力拡大に言及し、「そうなってからでは遅い」という。
 ヒトラーとジャコバン派(ロベスピエール独裁)との違いはあるが、日本共産党委員長と佐伯啓思が似たようなことを言っている。
 もっとも、①の計11頁のうちの後半の5頁は違和感なく読めるもので(橋下徹批判になっておらず)、橋下徹は「独裁者」だという批判をむしろ和らげるものになっている。そして、独裁者は「橋下の後に?」との見出しのもとで、橋下徹が独裁者になるとは思わないが、「人気者」デモクラシーを続ければ「いずれ本格的に…独裁者がでてくるかもしれません」、「その事態になってからでは遅い」とまとめている。
 この①の最後に比べれば、②のまとめ方は、紙数制限のゆえだろうが、性急すぎるか、簡略化しすぎている。
 ・佐伯啓思は①で「橋下現象」に「危険なもの」よりも「イヤなもの」・「嫌悪感」を感じる、と書いている。一方、②では「大阪維新の会」に対して「原則的な」、「大きな危惧の念」を抱くと書いている。
 この二つはややニュアンスが異なる。「橋下現象」と「維新の会」とで使い分けているとは思えない。後者で見解をより明確化した、ということだろうか。
 ・佐伯啓思は①で「橋下現象を批判することは結構難しい」と書いているが、私にはそうは思えない。佐伯がまさに批判しているように、今日までの(とくに最近20年間の)時代の所産の一つで、ポピュリスト(・デマゴーグ)で、マスメディアによる「人気主義」・「面白主義」の結果だ、等の批判は容易だ。佐伯が言うように橋下現象は「われわれ自身の変形された自画像」で「時代の象徴」なのだろう(p.327)。
 もっとも、上のような趣旨は、紙数のゆえだろうが、②にはまったく出てこない。
 
・上のように、佐伯啓思の二つの文章には、若干のブレ、ニュアンスの違いなどがある。
 もう一つ例を示せば、「素人政治」に関する言及は②にはあるが、①にはない。かつ、②におけるこの点の叙述はその意味がよく判らないところがある。
 佐伯啓思によると、「民主党の失敗の最大の原因」は「にわか作りの素人集団による政治の貧困」にあったにもかかわらず、「維新の会」という「素人集団」に(教訓を無視して)期待するのはいかがなものか、ということらしい。これはこれでスジは通っているのだが、大阪府知事を三年間は務めた橋下徹らを「素人集団」と言い切ってよいのか、という疑問もある(余計ながら佐伯啓思らはこのような政治・行政実務をしていないはずだ)。
 また、そもそも次のような叙述の意味が判らない。―「従来の政党政治」では「党内実績や地元との交流、人間相互の信頼関係の醸成、官僚との調整など時間をかけた積み上げが必要」だったが、これらを「省略して政治主導による合理的解法を見いだせるする政治」が「素人政治」だ。
 後者の「素人政治」を消極的に評価しているのはかりによいとしても、では前者の「従来の政党政治」は(100%でなくともよいが)肯定的に評価されるものなのか。佐伯啓思の書きぶりからすると後者よりはだいぶマシなものと理解されているようだ。
 多言はしないが、「従来の政党政治」をむろん完全に消極的に評価はしないとしても、「金」等にかかわる政策と無関係の党内の人間関係とか、「利権」の混じった「地元の交流」とかもあったのであり、佐伯啓思がイメージしているほどには「従来の政党政治」は万全のものではないと思える。「官僚との調整」も「時間をかけ」ればよい、というものではあるまい。
 「民主党」と「大阪維新の会」を同じイメージで捉えること自体が―下記および別の回のとおり―疑問だが、民主党のいう「政治主導」という「素人政治」に対する批判を橋下徹らに対しても投げかけるのは、「従来の政党政治」の評価も含めて、いささか性急すぎるか、単純化しすぎているのではないだろうか。
 さらに、この「素人政治」に関する部分は、佐伯啓思の②の文章の中にうまく溶け込んでいない、前後との関係がよく分からない、という疑問もある。
 ・以上は、佐伯からすればおそらく瑣末な問題だろう。
 佐伯啓思の言っていることに対する基本的な疑問は、「橋下現象」や「大阪維新の会」の主張を、日本のこの20年間の「改革」運動の一つ・またはより徹底したものと理解し、佐伯による、近年の「改革」運動の否定的評価を前提にして、橋下徹らの主張をも批判し、「否定」しようとしていることだ。
 ものごとを単純化・抽象化する作業を頭の中で(書斎の中で)することは簡単だが、現実は上のように単純には把握できないと考えられる(この点は佐伯啓思の叙述自体をもう少し紹介しておく必要がある)。
 それに、佐伯啓思が言及していないこと、例えば、橋下徹が府知事時代に大阪護国神社に参拝したこと、橋下徹は日本の元首は天皇陛下だと述べたらしいこと、橋下徹は国歌・国旗を大切にする姿勢を鮮明にして、民主党または日本共産党を支持する教員労働組合と対決しようとしていること、もある。
 これらも視野に入れないで、簡単にあるいは性急に橋下徹らを論評してはいけないのではないか? また、東口暁に対して述べたように、橋下徹と対立した候補が当選した方がよかったのか?、民主党・自民党・共産党が揃って支援した対立候補が勝利することこそが「イヤな感じ」の「気味の悪い」現象ではなかっのか、と問うてみたい。
 長くなったので、途中で切り上げた。最後の段落部分については、あらためてもう少し詳しく述べる。その際には、「思想家」佐伯啓思のこれまでの基本的論調との関係にも言及するだろう。

1069/花田紀凱・三重博一(新潮45)と大阪市長選・橋下徹

 〇週刊新潮(新潮社)と週刊文春(文藝春秋)がともに二週続けて、橋下徹の個人攻撃記事を載せたのは、10月下旬・11月上旬だった(11/03号、11/10号)。
 この連載を疑問視したのは、産経新聞紙上での花田紀凱「週刊誌ウォッチング」の連載で、花田の正当な感覚はきちんと記録され、記憶されてよいと思われる。
 花田紀凱は産経10/29付で「なぜ今?橋下徹大阪府知事の出問題特集」と題して、こう書いた。
 「『週刊文春』と『週刊新潮』(ともに11月3日号)が揃(そろ)って橋下徹大阪府知事の出自の問題を特集している。…/両誌ともほとんど同じ内容で、…というもの。/これまで書かれなかった出自のことが、なぜ今? なぜこのタイミングで?/府知事辞任、市長選出馬表明というこの時期を考えると、明らかにネガティブキャンペーンの一環としか見えないだいたい橋下知事の出自を問題にすることに何の意味があるのか。/しかも、この件は両誌に先行して『新潮45』11月号で、…ノンフィクション作家、上原善広氏がレポートしているのだ。/月刊誌署名記事の後追いという形でしか記事にできなかったところに週刊誌ジャーナリズムの衰弱を感じる。『文春』が上原レポートに一切触れていないのはフェアじゃない。…/両誌とも後味が極めてよくない。」

 花田は11/12付でもとくに週刊新潮を疑問視し、選挙後の12/03付でも、「未練がましく」橋下徹批判を続ける週刊新潮(12/08号)を皮肉っている。
 産経新聞その他の活字メディアは両週刊誌の(選挙直前の)報道ぶり・記事作りを明示的には何ら問題視せず、産経新聞ですら、対橋下「反独裁」キャンペーンに影響を受けた見出し・記事作りをしていたのだから、花田紀凱のジャーナリストとしての感覚は相当に鋭く、かつ、まっとうだ。マスコミにあった特定の雰囲気(空気)の中で、勇気があった、とも言える。
 〇情けなく、そしてヒドいのはとくに週刊新潮と新潮45(新潮社)だ。

 なかでも新潮45の12月号の「記者匿名座談会」(p.239-)は、いつか言及したマスコミ関係者の「うけねらい」意識を露骨に示している。「匿名」の内輪話?として、以下のようなことが活字にされている。
 ①新潮45の11月号は「増刷」になったので「乾杯」。②橋下徹伝は読ませた。③週刊新潮と週刊文春は「大特集ですぐに続いた」、「週刊誌らしい熱狂を久々に見た」、④だが、テレビのワイドショーは続かず、新聞も似たようなもの。⑤「橋下特集で『45』が増刷になったことを取り上げた新聞・テレビさえ、ほとんどなかった」。
 ①は「雑誌」記者らしいので、月刊新潮45の記者または編集長そのものの言葉だろう。「増刷」を他愛なく喜んでいるのだ。また、③・④のような<恨み節>を語らせて活字にしているのも、異様な感覚だろうと思われる。
 こんなことを語るか、語らせている新潮45の「編集兼発行者」・三重博一という人物は、(正義とか善とかにまるで関係なく)<売れればよい>・「うければよい」と考えていることを恥じも外聞もなく吐露している。新潮社にこんなことを明言してしまう編集者がいることは怖ろしいことだ。

 このような雑誌作りをしても、次号以降が従来よりも売れなかったら、一年・二年と長期的に見るとマイナスになるだろう。一冊の(一時的な?)「増刷」によって、「乾杯」と活字に残すほど喜んでいるとは驚いた。
 明確な政治的信条をもって、断固として橋下徹の市長選当選を阻止する方向で誌面作りをするのも一つの立場ではあろう。
 だが、上の座談会では、橋下が負けた場合は「半生記」を出せばよい、当選したら「ザ・ラストメイヤー(市長)」を書いてもらえる、などという無責任な発言を掲載しているくらいだから(p.240-241)、朝日新聞や岩波書店(の編集者)ほどの<信条>にもとづく橋下徹批判特集連載でもなかったようだ。
 要するに、<うけて>・<話題になる>、そして売れればよかったのだ。
 こんないいかげんな雑誌・出版社は「後味が悪い」(花田)し、気持ちが悪い。
 〇東谷暁は産経12/14付に、橋下徹批判(・警戒)と明確に読める一文を載せている。同日の遠藤浩一の「正論」は大阪市長選にも言及しているが、こちらはほとんど違和感なく読める。

 なお、櫻井よしこは週刊新潮誌上での連載や産経新聞紙上の「首相にもの申す」欄等で橋下徹(または大阪、「維新の会」)に論及する機会が最近にいくらでもあったと思われるにもかかわらず、いっさい触れていない。
 櫻井よしこは「日和見」していて、橋下徹に対する評価・判断をまだ下していないのだろう。この人の政治的感覚は、残念ながら(惜しいことに)信頼できない場合がある。
 以上の三点(三人)については、機会があれば、再び言及する。

1068/新潮社(新潮45)・野田正彰・三重博一と2011大阪市長選。

 一地方自治体の首長選挙であるにもかかわらず、月刊・新潮45(新潮社)は、特定の候補(またはその予定者)の批判(・攻撃)を特集として二号続けた。このこと自体がすでにいぶかしげに感じさせるものだが、内容もヒドかった。
 橋下徹が当選したからよかったものの、同候補が僅差ででも敗れて、その原因が新潮45や週刊新潮(新潮社)等(・「バカ文春」)の記事にあった可能性があるという総括または分析が出ていたとすると、今回の新潮社(の一部?)の編集方針は、マスコミ史に残る<大スキャンダル>として記憶され続けることになったのではなかろうか。<出自>を問題にしたマスメディアが選挙結果に与えたことになってしまっていた可能性があるのだ(これはじつに深刻な問題で、マスコミ関係者はもっと議論・総括すべきだ)。
 週刊文春よりは週刊新潮を(そして週刊現代よりは週刊ポストを)しばしば読んできたが、また、佐伯啓思の連載が始まった以降に新潮45にも目を通すようになったが、本来は文芸中心のはずのこの出版社に対する態度・評価は改めなければならないと思っている。
 以下は、断片的な覚え書きの一つ。
 月刊・新潮45の12月号(2011.11)には、野田正彰「前大阪府知事はやっぱり『病気』である」が掲載されている(p.26-)。
 野田正彰によると、橋下徹は「演技性人格障害」という病気に罹患しているらしい。そして、野田は言う。
 「演技性人格障害者だからといって、個人として非難ざれべきだ」とは言わない。だが、「この様な人が大阪府や大阪市の政治をもてあそび、独裁宣言までして破壊しようとしている」。このような人格(障害者)が「政治や司法の場で活動してはならない」。私たちはそれに気づく必要があるから、「あえて書いている」のだ(p.30)。

 野田は「司法」まで持ち出している。橋下徹の弁護士としての活動資格についても疑問視(または否定)しているようだが、この点は、さて措く。
 上の文章で呆れてしまうのは、長々と橋下の「人格」分析をして病名を「発見」したあとで、橋下徹について、「大阪府や大阪市の政治をもてあそび、独裁宣言までして破壊しようとしている」という短い一文だけでまとめてしまっていることだ。
 「…の政治をもてあそび」とは具体的に何を言うのか、もっと具体的かつ詳細な叙述がないと、まるで説得力はない。
 また、「独裁宣言までして」と書いているが、橋下の<独裁>宣言なるものの全文を正確に読んだ(聞いた)上でこう書いているのか、きわめて疑わしい。
 特定の政治的な判断(投票・選挙)がなされる前に、かつそのような政治的行動に関係し、影響を与える可能性のある文章を、いや正確に言えば影響を与えることを意図した文章を、日本全国で販売される月刊誌の一つに執筆することは、相当に「勇気」の要ることだ。
 そのような「勇気」をもって書かれた文章が、要するに人格障害者が「大阪府や大阪市の政治をもてあそび、独裁宣言までして破壊しようとしている」、というだけの内容であるとは情けない。
 上のような政治的意図をもつ上のような程度の文章を月刊雑誌にあえて執筆して、読者の政治的判断を特定方向に誘導しようとしてすることは、専門家ではないから正確な病名は分からないが、まさに精神的・人格的「病気」だ、というにふさわしい。
 上掲雑誌に記載されていないが、ネット情報によると、野田正彰は関西学院大学教授で、国歌(君が代)斉唱にかかわる東京都教員が原告の訴訟で原告側に立って、原告らは「君が代症候群」といえる精神的苦痛を受けていると証言したらしい。
 また、野田正彰は、<念仏者九条の会>(「本願寺九条の会」の改称)の呼びかけ人の一人で、「自衛隊はインド洋やイラクに派兵され、すでに解釈『改憲』によって憲法は死に体に近い状態です。……憲法第九条の改悪に反対の声を上げます」なとという文章を発表している。
 <医療九条の会>や<山形県九条連>などで講演したりもしている。
 一部にすぎないだろうが、野田正彰とは、かくのごとくれっきとした「左翼」(かつ少なくとも親日本共産党)の立場の人物なのだ。
 専門家ぶって人格分析などと<工夫>してはいるが、野田正彰の橋下攻撃の根っこには、<反・反共>主義(という一種の「思想の病気」)があることが透けてみえる。
 このような人物の文章を掲載する新潮45の編集者(編集兼発行者は三重博一)の愚かさについては、また書くことがあるだろう。

1031/片山杜秀「ヒトラーの命がけの遊び」新潮45/8月号と菅直人。

 産経新聞7/24の稲垣真澄「論壇時評」は、新潮45の2011年8月号の、片山杜秀「国の死に方2/ヒトラーの命がけの遊び」にほとんどを費やして注目し.要約的な紹介もしている。
 この書評記事を読む前に上記の片山杜秀の新潮45論考を読んで感心していたので、あらためて印象に残った。
 稲垣真澄の文章から離れて(それに依拠しないで)片山の文章の一部を紹介してみるが、菅直人・菅内閣という言葉はどこにもないにもかかわらず、つまりヒトラーに関する文章であるにもかかわらず、菅直人・菅内閣を強く想起させるものになっている。以下、一部の要約的紹介。
 ・ナチス時代のドイツは無統制的で責任の所在不明確で役割分担が曖昧だった。平時にも非常時にも徹しきれず、中途半端。ヒトラーは何か失敗したのか。いや、すべてが計算づくだった。「ヒトラーは意図的に国家を麻痺させていった」。ハンナ・アレントはこれを(のちに)「無秩序の計画的創出」と呼んだ(p.83-84)。
 ・なぜそんなことをしたのか。「ヒトラーは一日でも長くドイツ国家の頂点に居座りたかっただけ」だ。しかも、自らの権力を単なる調整ではない実のあるものにしておきたかった。それには、「ワイマール共和国の作り上げたいかにも近代国家らしい複雑精緻で能率的な機構」が邪魔だった。政治・経済・文化・科学の専門組織がきちんと機能すれば、各分野の専門家が実権を握る=「官僚等が幅を利かせる」。独裁者・権力者も調整役に甘んじ、専門家たちを統制できず、権力の上層は空洞化する(p.84)。
 ・いやならば専門組織を機能させなければよいが、「いきなり壊しては国家が即死する」だけなので、近代国家の「精密なメカニズムを怪奇なポンコツへとわざとゆっくり時間をかけて」変貌させる。党と政府の組織をすべて「二重化」し、党と政府の中に「似た役割の機関を増殖させる」(p.84)。
 ・その果ては「国家の死」だが、ヒトラーにはそれでよかったのだろう。彼は中下層の実務家に降りていた権力を上へと回収し、裁量権を拡大した。「法律の裏付けも実現可能な根拠もない思いつきの命令」を「唐突に」発しても、組織が多すぎて批判すべき部署が分からなくなり、「権力の暴走」を止められなくなった(p.84)。
 ・ここに「ヒトラーの政治の肝腎かなめ」がある。古代ローマの「一時的独裁」とはまるで異なる「ファシズム」なのだ。軍国主義・戦争を連想するように、平時にはファシズムは成立し難い。しかし、非常時は戦争に限らず、軍隊が登場しなくてもよい。「経済危機でも大災害でも電力不足」でもヒトラーの掲げた「共産主義の恐怖」でも何でもよい。そうした「非常事態に対処するためと称して、社会の見通しを悪くし、人々から合理的な判断の基盤を失わせ、世の中が刹那的な気分で運ばれてゆく」ようになれば、もう「立派なファシズム」だ(p.85)。
 ・ヒトラーは「命がけの遊び」を続けた。「日々に新しい組織を仕立て、次々と非常事態的新事態を引き起こした」。何が根本的問題でどう解決すべきなのか、彼はナチス党員にも国民にもゆっくり考える暇を与えなかった。そして、「目先の混乱状況をエスカレートさせては、それだけでいつも人々の頭を一杯にさせた。そうやって一日一日と綱渡りで延命した」(p.85)。
 以上、どう考えても、どう読んでも、菅直人(・民主党内閣)が念頭に置かれていないはずはない文章だ。
 例えば、大災害・原発不安等々の「非常事態に対処するためと称して、社会の見通しを悪くし、人々から合理的な判断の基盤を失わせ」ているのは菅直人そのものであり、ほとんどのマスメディアも本質的なことは報道しないで、ヒトラー、いや菅直人のお先棒を担いでいるだけではないのだろうか。
 思えば、ナチス党の正式名称は「国家(民族)社会主義労働者党」なのだった。ナチスあるいはファシズム=「右翼」と多くの人々は理解している(感じている)のかもしれないが、「社会主義」・「労働者」を冠した、立派な<左翼>政党だったとも言える。
 もともとハイエクやハンナ・アレントが指摘したように、あるいは旧民社党が「左右両極の全体主義を排し…」などと言っていたように、コミュニズム(共産主義)とナチズムは「全体主義」という点で共通性がある。
 「左翼」・菅直人がヒトラーによる「ファシズム」的政治・行政手法を採っていても、何の不思議もない。

1011/佐伯啓思のリスボン大地震・カント・「近代」への言及を受けて。

 佐伯啓思が1775年にリスボンで大地震があり、カントが影響を受けて著書まで書いた〔『美と崇高の感情の観察』→『判断力批判』)、ということを初めて記したのはおそらく新潮45(新潮社)5月号だ(p.231-)。最近の表現者37号(ジョルダン、2011.07)の座談会「文明内部の危機」でも、同旨のことが語られている(p.39-)。
 佐伯によると、ヴォルテールはアウグスティヌスやライプニッツの<神の創造した世界は最善>とかの「神学的」世界観を疑う契機とした。また、カントは、壮大な自然現象の恐怖・脅威を人間は理性と構想力で克服しようとし、そのような人間は「人格性」をもち、かつ「崇高」だ、と論じた。これは「近代的な理性中心の発想」に連なるもので、「ちょっと極端にいえば」、「リスボン大地震を一つのきっかけ」にして「自然を人間がコントロールできる」、そこに人間の「素晴らしさ、崇高さがある、という近代的なヒューマニズムのようなものが力を得てくる」。要するに、リスボン大地震はそういう(「近代」に向けての)「大きな価値観の転換をもたらした」。そして、佐伯啓思によると、今回の日本の大震災は、かかる「近代的な考え方」が限界を迎えたことを意味する、という(表現者37号p.40)。また、新潮45の5月号では、カントのような欧州近代(またはそれを用意した欧州啓蒙主義)の自然観とは異なるものとして、宮沢賢治の詩に見られる(日本の)自然観・死生観に言及している(p.234-)。
 なかなか興味深いし、別のどこかで誰かが、ルソーの人間不平等起源論の「自然に帰れ」との反文明観の吐露もリスボン大地震の影響があったと書いていたこともついでに思い出す。
 だがむろん、完全に釈然としているわけではない。ヴォルテールとカントだけを持ち出して、「欧州近代」へのリスボン大地震の影響は論証できるのだろうか、という疑問がある。「一つのきっかけ」程度で、リスボン大地震の影響を過大評価してはいけないとの議論もできそうだ。
 また、自然災害を前にして自然と闘おうとする欧米(西洋)「近代」思想と、自然と「共生」しようとする日本的自然観・死生観との対比も上の佐伯啓思の論調には見られるようだが、そもそも「自然」環境そのものが、欧州と日本では異なる、ということが出発点なのではないか、という気もする。すなわち、自然観・死生観が異なるから大地震等々の「自然」現象への対処・対応が異なるのではなく、逆に「自然」環境が異質だからこそ、欧州と日本では自然観・死生観も異なるに至ったのではないだろうか。
 1775年といえば明治維新から100年近く前の江戸時代・安永年間。その頃以降も日本ではいくたびも大地震・津波を経験したのだが、欧州については1775年の大地震まで遡らなければならないということ自体に、自然<大災害>の多寡が示されているようにも見える。
 地域によって違うだろうが、土地の肥沃度では日本の方が総じて豊かなような気もする。しかし、地震、津波、台風といった自然現象による災禍は、古代からして欧州よりも日本の方がはるかに多く、そこから、日本(・日本人)には欧州とは異なる独自の自然観・死生観が育まれてきたのではないだろうか。
 というようなことを考えていると、なかなかに面白い。

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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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