秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

新左翼

2001/L・コワコフスキら編著(1974)⑥-討論③。

 L・コワコフスキ=S. Hampshire 編・社会主義思想-再評価(New York、1974)。
 Leszek Kolakowski & Stuart Hampshire, ed, The Socialist Idea - A Reappraisal.(New York, 1974).
 L・コワコフスキの「序文」が彼自身の文章として記述する、報告(および副報告またはコメント)の後の「討論」の内容。つづき。p.14-p.17.
 以下の(12)のほとんどは会合・シンポジウムの最後にL・コワコフスキが述べた「結語」の引用だとされているので、その中の段落分けについて(-01)等の小番号を付した。
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 討論③。 
 (12)レディング会合についての私の個人的な見方を示すために、勝手ながら討論のあとで私が行った結語的論評を引用したい。//
 (-01)我々の討議の狙いは、現存する政治体制、運動または政党、社会主義者または共産主義者を批判することではなかった。
 しかしながら、明らかなことだが、実現しようとする現存する試みがまるでこの討議と無関係であるかのごとく、今日に社会主義思想に関して討議することはできない。
 この会合を組織するに際して、我々は4つの範疇の人々、4種類の思考(mentality)を避けたかった。それらは、社会主義思想とそれが実際に具現化されたものとの関係についての議論でしばしば見出すものだ。//
 (-02)第一。社会主義思想にも社会主義社会で形成されている姿のいずれにも間違った(wrong)ものは何もない、と単純に考える人々がいる。
 思想はしっかりして首尾一貫した素晴らしいものであり、完璧にソヴィエト型諸国で具体化された。
 これはオーソドクスな共産主義者の見方の要点だ。//
 (-03)第二。現存する経験に照らして思想は完全に破綻していることが判った、ゆえにそれに関して語るものは何もない、と考える人々がいる。
 共産主義システムは、社会主義思想を永遠に葬ってしまった。
 (-04)第三。多数のトロツキストと批判的共産主義者たちに典型的な接近方法がある。
 それは、つぎのように要約することができる。
 共産主義諸国に、多数の過ちを冒した官僚主義的な歪曲があることを否定することはできない。
 しかし、原理または本質は健全なものだ。
 全く問題がない。-貴方たちが執拗に主張するなら、私〔トロツキストら〕は譲って、このシステムは、数億万人の犠牲のうえに、侵略のうえに、民族抑圧のうえに、際立つ不平等、搾取、文化的荒廃、政治的僭政体制のうえに築かれている、と認めよう。-
 しかし、貴方たちは、国家が工場を所有している!ことを否定することはできない。
 そして、共産主義諸国での国家所有工場は人類にとって無限の価値をもつので、この成果に直面するならば、他の全ての事情は些細で二次的なことだ。//
 (-05)第四。新左翼の間では全く共通の態度がある。それは、つぎのように表現することができる。
 全く問題がない。現存する社会主義諸国はガラクタであることに私〔新左翼〕は同意するが、我々はその諸国の歴史にも現実の条件にも関心がない。我々はもっと巧くやろうとしているからだ。
 どのようにして?
 ごく簡単だ。
 我々はまさに、地球的革命を起こして、疎外、人口過剰および交通渋滞を排除しなければならない。
 青写真の用意はある。我々が行うべき全ては、地球的革命を起こすことだ。//
 (-06)周りを見れば、これら4つの範疇のいずれかに入らない者はほとんどいないことを我々は知る。
 我々は、これらの態度はここにはなかった、ということを少なくとも達成した。
 これが意味するのは、我々は社会主義思想と社会主義諸国の現存する経験のいずれをも真摯に考察したということ、およびこの経験はこの思想の有効性と将来の見込みに関する討議にとってきわめて意味がある、ということだ。
 この事実それ自体が、「社会主義」という言葉がこの世に生まれた後のほとんど150年になっても、我々がなお最初に立ち戻らなければならないことを明らかにしている。
 しかしながら、これは落胆あるいは絶望の理由だ、と私は言おうはしない。
我々が人間の悲惨さをなくしてしまうのができないのは本当であっても、同時に、改善されるだろうと考える者が誰もいないとすれば、世界は現状よりももっと悪くなるだろうということも本当だろう。//
 (13)我々はいま、どこにいるのか?
 社会主義の観点からして社会に関する我々の思考に欠けているのは、我々が実体化されるのを見たいと欲する一般的諸価値ではない。そうではなく、実践に投入されればこれらの諸価値が相互に衝突し合うのを阻止する方法に関する知識であり、理想を達成するのを妨害している諸力に関するより十分な知識だ。
 我々は平等に<賛成>するが、経済の組織化は平等な賃金にもとづくことができないこと、いかなる制度的変化があっても急速には破壊されそうにない永続的メカニズムが文化的後進性にはあること、ある程度の不平等性は生来的要因でもって説明することができ、社会的過程へのその影響力についてはほとんど知られていないこと、等々を認識している。
 我々は経済民主主義に賛成するが、経済民主主義を有能な生産稼働と調和させる方法を知らない。
 我々は、官僚制に反対する多くの論拠をもち、生産手段に対する公的統制、換言すると官僚制の増大、を支持する同じく多くの論拠ももつ。
 我々は現代技術の破壊的影響を嘆くが、それに対する我々の知る唯一の防御策は、より進んだ技術だ。
 我々は小さな共同体の自律の増大を支持し、地球的規模での計画化の増大を支持する。-れら二つのスローガンには何の矛盾もないかのごとくに。
 我々は学校での学習の増大を支持し、生徒たちの自由の増加を支持する。-後者は実際には学習を少なくする。
 我々は技術の進歩と完全な安全とを支持する。-後者は動かないことだ。
 我々は人は自分の幸福追求について自由でなければならないと語りつつ、幸福についての誰にも適用できる絶対確実な規準を知っているふりをしている。
 我々は、誰もが民族的憎悪に反対する世界で民族的憎悪や民族的孤立主義に反対している。しかし、かつて人間の歴史には民族的憎悪に関するもっと多くのことがあった。
 我々は、人々は実体的存在だと考えられなければならないと主張する。しかし、人々は肉体をもつという考えほど衝撃を与えるものはない。これが意味するのは、人々は遺伝的に決定されており、生まれて死ぬ、若いまたは老いた、男または女だ、ということで、また、誰が生産手段を所有するかに関係なくこれら全ての要因が社会過程で一定の役割を果たすことができる、ということであり、さらに、いくつかの重要な社会的諸力は歴史的条件の産物ではなく、階級分化によるものでも決してない、ということだ。//
 (14)我々は数百年前には幸福だった。
 我々は、搾取者と被搾取者、富者と貧者がいることを知った。そして我々には、いかにして不公正を除去するかに関する完璧な思想がある。我々は所有者を搾取し、富を共通の善に変えるだろう。
 我々は所有者を搾取した、そして世界の歴史上で最も怪物的で抑圧的な社会システムの一つを創った。
 そして、我々は、全ては「原理的に」うまくいっていると繰り返して言い続ける。何らかの不運な事件だけが忍び込んできて、善なる思想を僅かに傷つける。
 さあ、再出発しよう。//
 (15)社会主義的用語で思考し続けるのは、愚かだろうか?
 私は、そうは考えない。
 正義、安全確保、教育の機会、あるいは福祉と貧者や無力者に対する国家の責任、これらをより大きくするために西側ヨーロッパでなされてきたことが何であれ、それらは、幼稚で幻想的なものであったとしても、社会主義イデオロギーの圧力と社会主義運動なくしては達成され得なかった。
 このことは、我々がこの幻想を多数の失敗の後でも無限に抱くことがあらかじめ保障されていて、許容されている、ということを意味していない。
 しかしながら、過去の経験は部分的には社会主義思想を支持し、部分的にはそれに反対している、ということを意味している。
 我々はたしかに、対立なき社会の秘訣または完璧さに向かう合鍵を有しているなどと、思い違いすることは許されない。
 予期され得なかった事件が起きなければ原理的には一緒に達成することのできた諸価値の系統的なセットを我々は持っているなどと、考えることもできない。人間の歴史のほとんどは予期し得ない偶発事件によって成り立っているのだから。
 我々は、伝統的な社会主義の諸価値のセット全体を信じつづけることはできないし、多数の些細な真実を憶えていないかぎりは、最小限の精神的な誠実さを保ちつづけることもできない。
 すなわち、これらの諸価値の中には、実行に移すならば相互に対立し合わないものは何もないのだ。
 我々が作動させた社会的変化の結末の全てを、我々が知ることは決してない。
 過去の歴史の堆積と永遠につづく人間という生物の特質の両者は、社会の計画化に制限を課した。
 そしてこの制限を、我々は曖昧にしか知っていない。
 多数の陳腐な真実が示唆して意味することに我々が強く抵抗するのは、何ら驚くべきことではない。
 こうしたことは、たんに人間の生活について自明のことはその不愉快さだという理由だけで、全ての知の領域で生じている。//
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 終わり。

1843/L・コワコフスキ・1978年第三巻の「エピローグ」②。

 レシェク・コワコフスキがのちの『マルクス主義の主要潮流』を執筆し始めたのは彼が41歳のときだとされ、ポーランド語版と英独語版のPreface が同じ時期に書かれているとすると、その1976-78年は、彼が49-51歳のときだった。
 そのPreface (緒言、はしがき)は大著を公刊・公表するに際しての緊張に打ち震えているうな印象もあり、(自信があるためもか)細かな釈明的な言辞をあらかじめ記している。2004年にそれがどうなったかは別として、彼が50-51歳である1977-78年頃に執筆されたと見られるEpilogue (エピローグ、あとがき)は、全三巻の執筆を終えてすでに印刷にかかっている時期で一定の安堵感があるためなのかどうか、緒言(はしがき)に比べると、L・コワコフスキの「本音」的部分がかなり明らかにされているように感じる。
 むろん、学術研究的文章ではないので、正確で厳密な意味は把握し難い。やや感情的に、簡潔に言いたいことを書いておこうとしたような印象がないでもない。
 それでもしかし、この人物の<基本的な>姿勢を感じ取ることはかなりできそうに思える。
 それにしても、以下の文章は1978年頃のもので、今は2018年。40年が経過している。
 この40年間、私の知る限りでは、以下の文章の邦訳はなく、上の書物全体の翻訳書も日本では刊行されなかった(但し、英文等で読んだ「知識人」・「専門研究者」はきっといただろう)。
 この日本の40年間の「現実」は、もはや変えることができない。
 以下、試訳のつづき。原文にはない段落ごとの番号を付している。
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 エピローグ(あとがき、Epilogue)②。第三巻523-530頁のうちの527頁以下。
 (7) マルクスはさらに、そのロマン派的夢想を、全ての必要は地上の楽園で完全に充たされるという社会主義の予想と結びつけた。
 初期の社会主義者たちは、「各人にその必要に応じて」というスローガンを限られた意味で理解したように見える。人々は寒さや飢えで苦しんではならず、あるいは極貧の中で空腹で生活してはならない。
 しかしながら、マルクスおよび彼に倣ったマルクス主義者は、社会主義のもとでは全ての欠乏が存在しなくなると想定した。
 全ての人間は、魔法の指輪か従順な精霊をもつかのごとく、全ての欲求を充たすことができる。このようにきわめて楽観的に考えて、希望を思い抱くのは可能だった。
 しかし、これを真面目に受け取ることはほとんどできないため、問題を熟考したマルクス主義者たちは、相当程度はマルクスの著作に支えられて、共産主義は、人間の本性と合致する、気まぐれや願望では全くない「本当の」または「真正の」必要を充足させるのだと決着させた。
 しかしながら、これは誰も明確には回答できない問題を生じさせた。すなわち、いかなる必要が「真正」なのかを誰が決定するのか、いかなる規準によってそれを決定するのか?
誰もが自分でこれを判断するのならば、実際に主観的に感じている全ての必要は平等に正しく供給され、区別をつける余地はない。
 一方、決定するのが国家であれば、歴史上最大の解放事業は全世界的な配給(rationing)制度であることになる。
 (8) 一握りの新左翼(New Left)の未熟者以外の全ての者にとって、今日ではつぎのことが明白だ。すなわち、社会主義は文字通りには「全ての必要を充足する」ことができず、不十分な資源の公正(just)な配分を企図することができるにすぎない。-このことが我々に残す問題は、「公正」の意味を明瞭にし、いかなる社会的機構によって、個々の各事案についてその企図を実現すべきかを決定することだ。
 完全な平等という観念、換言すると全員に対する全ての物資の平等な分配は、経済的に実施不可能であるばかりか、それ自体が矛盾している。なぜならば、完全な平等は極度の専制システムのもとでのみ想定することができるものだが、専制それ自体が、少なくとも権力への関与や情報の入手のような根本的利益に関する不平等を前提にしているからだ。
 (同じ理由で、現在の<左翼(gauchistes)>が平等の増大と政府の縮小を要求するのは支持できない立場だ。現実の生活では、大きな平等は大きな政府を意味し、絶対的な平等は絶対的な政府を意味する。)
 (9) かりに社会主義が全体主義的牢獄ではない何かだとすれば、相互に制限し合う多様な価値を妥協させるシステムでのみありうる。
 全てを包括する経済計画は、達成するのが可能だとしてすら-不可能だとするほとんど一般的な合意があるが-、小生産者や地域単位の自治(autonomy)とは両立し難い。そして、この自治は、マルクス主義的社会主義のそれでなくとも、社会主義の伝統的な価値だ。
 全ての者の生活条件を完全に確保することと技術の進歩は、共存できない。
 自由と平等の間に、計画と自治の間に、経済民主主義と効率的経営の間に、不可避的に矛盾が発生する。そして、妥協と部分的解決によってのみこうした矛盾を解消することができる。
 (10) 産業発展諸国では、不平等を除去し最小限の安全を確保するための社会制度(累進課税、医療サービス、失業対策、価格統制等々)は全て、巨大に膨張する国家官僚機構という対価を払って作り出され、拡張されている。いかにすればこの対価の支払いを避けることができるのか、誰も提案できない。
 (11) このような諸問題は、マルクス主義とほとんど関係がない。かつまた、マルクス主義の教理は実際上、これらを解決するには何の助けにもならない。
 歴史の到達点での黙示録的(最終予言的)信念、社会主義の不可避性、および「社会構成」の自然の順序。「プロレタリアートの独裁」、暴力の称揚、国有化産業がもつ自動的な効率性への信仰、対立なき社会と金銭なき経済に関する幻想。-これら全てが、民主主義的社会主義の観念と共通するところが何もない。
 民主主義的社会主義の目的は、生産が利潤に従属するのを徐々に減少させ、貧困をなくし、不平等を廃絶し、教育を受ける機会への社会的障害を除去し、国家官僚機構による民主主義的自由に対する脅威と全体主義への誘惑を最小限にする、こうした諸制度を創出することだ。
 これらの尽力と試みは全て、自由という価値に深く根ざしていないかぎり失敗するよう運命づけられている。マルクス主義はこの自由を、「消極的」自由、社会が個人に許容する決定領域だと非難した。
 この非難は当たらない。自由とはそれ自体以外に正当化を必要としない本質的価値だからだ。また、自由なくしては社会は自らを改良することができないからだ。
 この自己を規整するメカニズムを欠く専制体制は、過誤によって災厄が発生したときにだけその過誤を修正することができる。
 (12) マルクス主義はこの数十年間、全体主義的政治運動のイデオロギー的上部構造としては凍結し、機能しなくなった。その結果として、知的発展と社会的現実から乖離してしまった。
 再生してもう一度実りを生むという希望は、すぐに幻想(illusion)だと判明した。
 説明の「システム」としては、マルクス主義は死んでいる。また、現代生活を解釈し、未来を予見し、あるいは理想郷(ユートピア)の企図を培養すべく有効に使うことのできるいかなる「方法」も、マルクス主義は提示していない。
 現在のマルクス主義文献は、量的には多いけれども、純粋に歴史に関係していないかぎりでも、無味乾燥さと見込みなさの、気の滅入るような雰囲気をもつ。
 (13) 政治的動員装置としてのマルクス主義の有効性は、全く別の問題だ。
 論述したように、マルクス主義の言葉遣いは、きわめて多彩な政治的利益を支えるために用いられている。
 マルクス主義が現存体制によって公式に正当化されているヨーロッパの共産主義諸国では、マルクス主義は全ての確信を失っている。一方、中国では、見分けがつかないほどに醜悪化した。
 共産主義が権力を握っている国ではどこでも、支配階級はマルクス主義を、ナショナリズム、人種主義あるいは帝国主義が本当の源であるイデオロギーへと変形している。
 共産主義は、マルクス主義を用いることで権力を掌握しそれを維持するために、ナショナリズム・イデオロギーを強化すべく多くのことをした。そのようにして、共産主義は自らの墓穴を掘っている。
 ナショナリズムは、憎悪(hate)、嫉妬および権力への渇望のイデオロギーとしてのみ生きている。ナショナリズムはそのようなものとして共産主義世界での破壊的な要素だ。そして、共産主義世界の首尾一貫性は、実力(force)にもとづく。
 世界全体が共産主義国であれば、単一の帝国主義によって支配されるか、異なる諸国の「マルクス主義者」たる支配者間での際限のない戦争の連続だろう。
 (14) 我々は、その結合した効果を予見することのできない、重大で複雑な知的かつ道徳的な過程の目撃者であり、関与者だ。
 一方で、19世紀の人間中心主義(humanism)の多数の楽観的想定は瓦解し、文化の多くの分野には破綻の感覚がある。
 他方で、情報のこれまでにない早さと拡散のおかげで、世界じゅうの人間の諸願望はそれらを充足する手段よりも早く増大している。
 こうして急速に、欲求不満とその結果としての攻撃的心理が大きくなっている。 
共産主義者たちは、このような心理状態を利用する、攻撃感情を状況に応じて多様な方向へと流し込む、目的に適合したマルクス主義の用語法の断片を用いる、こうした技巧に長けていることを示してきた。
 メシア的希望を生じさせた対応物は、絶望と自分の過ちを見た人類を途方に暮れさせている無力の感覚だ。
 全ての問題と災難について既成のかつ即時の回答があり、それを適用する際には敵の悪意だけが立ちはだかっている、という楽観的信念は、マルクス主義という名前ののもとで移ろいゆくイデオロギー・システムに頻繁にみられる構成要素だった。-マルクス主義は一つの状況から別の状況へと内容を変化させ、別のイデオロギー上の伝統と混じっている雑種のもの(cross-bred)だ、と言うことができる。
 現在ではマルクス主義は世界を解釈しないし、世界を変化させることもない。多様な利益を組織するのに役立つ、たんなるスローガンの目録(repertoire)だ。それらのほとんどは、マルクス主義の元来の姿だったものから完全に遠ざかっている。
 第一インターナショナルの崩壊ののち一世紀、世界じゅうの抑圧された人間性の利益を守ることのできる新しいインターナショナルの見込みは、かつて以上に、ほとんどありそうもない。
 (15) マルクス主義が哲学的表現を与えた人類の自己神格化は、個人であれ集団であれ、そのような全ての試みと同じようにして終焉した。それは、人間の隷従という茶番劇の実体を露わにしたのだ。
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 以上。

1730/R・スクルートン『新左翼の思想家たち』(2015)。

 Roger Scruton, Fools, Frauds and Firebrands - Thinkers of the New Left (2015, Bloomsbury 2016).
 =ロジャー・スクルートン『馬鹿たち、詐欺師たちおよび扇動家たち-新しい左翼の思想家たち』。(タイトル仮訳)
 英米両国で初版が刊行されているイギリス人らしき著者のこの本は、一度じっくりと読みたいが時間がない(たぶん邦訳書はない)。
 江崎道朗のように日本共産党系または少なくとも共産主義者・「容共」の出版社である大月書店(マル・エン全集もレーニン全集もこの出版者によるものだ(だった))が出版・刊行した邦訳書を「コミンテルン史」に直接に関係する唯一の文献として用いて(しかも邦訳書を頼りにして)かなりの直接引用までしてしまう、という勇気や大胆さは私にはない。
 K・マグダーマット=ジェレミ・アグニュー・コミンテルン史(大月書店、1998)。
 江崎道朗・コミンテルンの謀略と…(2017)、p.50に初出。
 また、上の二人の外国人(アメリカ?、イギリス?)がどういう研究者であるかも確認しないで「コミンテルン史」に直接に関係する唯一の文献の原本として利用するという勇気も大胆さも、秋月瑛二にはない。
 書名が少しふざけている感もあって(アホ・だまし屋・火つけ団)、上記のRoger Scruton についてはネット上で少し調べてみた(江崎道朗はおそらく、K・マグダーマットとジェレミ・アグニューの二人について、このような作業すらしていない)。
 そして少なくとも、全くのクズで読むに値しない著者および本ではない、ということを確認した。私は知らなかったが、イギリスの立派な<保守派>知識人の一人だと思われる(だからこそ一つも邦訳書がないのではないか)。
 2015年にイギリスの人が「新しい左翼(New Left)の思想家たち」としてどのような者たちを取り上げて論評しているかが「目次」を見ておおよそ分かるので、この欄で紹介しておこう。本文に立ち入って読めば、「仲間たち」の名がもっと出てくるのだろうが、目次に見える名前だけでも、現在の日本人には興味深いのではなかろうか。
 以下、目次(contents、内容構成)の試訳。
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 序説。
 1 左<左翼>とは何か?
 2 イギリスにおける憤懣-ホブスボームトムソン
 3 アメリカにおける侮蔑-ガルブレイスドゥオーキン
 4 フランスにおける解放-サルトルフーコー
 5 ドイツにおける退屈-ハーバマスへと至る下り坂。
 6 パリにおけるナンセンス-アルチュセールラカンおよびドゥルーズ
 7 世界に広がる文化戦争-グラムシからサイードまでの新左翼<New Left>。
 8 海の怪獣<?The Kraken> が目を覚ます-バディウジジェク
 9 右<右翼>とは何か?
 氏名索引。/事項索引。
 以上、終わり。
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 名前だけはほとんど知っていたが、バディウ(Badiou、フランス人)だけは今も全く知らない。イギリスのトムソンとは1970年代にレシェク・コワコフスキとの間に公開書簡を交わしたE・トムソン(Thompson)のことで、この本で取り上げられるほどに有名な「新(しい)左翼」人士だとは、この人に言及するT・ジャットおよびL・コワコフスキに接しても、全く知らなかった。
 あくまで Roger Scruton によれば、ということにはなるが、上掲の者たちは<真ん中>でも何でもなく<左翼>(または<新左翼>)とされる人士であることを、日本人は知っておいてよいだろう。
 T・ジャットによると、エリック・ホブスボーム(E. Hobsbawm)はずっとイギリス共産党員だった(党籍を残していた)。
 サルトル(Sartre)はあまりにも有名だが、ミシェル・フーコー(M. Foucault)の名も挙げられている。
 この人の本(邦訳書)は少しは所持していて、少しは読んだことがある。
 そして、このフーコーは文字通りに<狂人>だと感じた。
 このミシェル・フーコーを「有名な」フランスの思想家だなどとして真面目に読んでいると、<完璧な国家嫌い=強靱な反体制意識者>になるのではないか。
 記憶に残るかぎりで、国家は収容者を監視する監獄のようなものだ、という意識・主張。そして、国家による刑罰も否定する感情・意識。
 国家の刑罰権力自体を否定し、「犯罪」者を国家が裁いて制裁を加える(=刑罰を科す)こと自体を一般に否認することから出発する刑法学者が実際にいるらしいことも(そしてM・フーコーは愛用書らしいことも)、よく理解できる。
 ドイツの「歴史家論争」でエルンスト・ノルテの論敵だった(そして邦訳書が多数ある)ハーバマス(Habermas)のほか、<ポスト・モダン>とかで騒がれた(今でも人気のある?)フランスの人たちの名も挙げられている。日本での<ポスト・モダン>はいったい今、どうなっているのだろう。
 日本では、「思想」も「イデオロギー」も、ある程度は、流行廃りのある<商品>のごときものだ、という印象を強くせざるを得ない。
 その<商品>売買に関係しているのが、朝日新聞・産経新聞を含む<メディア>であり<情報産業>なのだ(月刊雑誌・週刊誌をもちろん含む)。翻訳書出版は勿論で、「論壇」なるものもその一部だろう。
 そして、この日本の<情報産業界>は例えば選挙を動かし、政治という日本の「現実」にも影響を与えている。

1533/「左翼」の君へ④-L・コワコフスキの手紙(1974年)。

 レシェク・コワコフスキの書物で邦訳があるのは、すでに挙げた、小森潔=古田耕作訳・責任と歴史-知識人とマルクス主義(勁草書房、1967)の他に、以下がある。
 繰り返しになるが、この人を最も有名にしたとされる、1200頁を優に超える大著、Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism (仏語1976、英語1978〔マルクス主義の主要な潮流〕) には邦訳書がない。
 L・コワコフスキ〔野村美紀子訳〕・悪魔との対話(筑摩書房、1986)。
 L・コワコフスキ〔沼野充義=芝田文乃訳〕・ライオニア国物語(国書刊行会、1995)。
 L・コワコフスキ〔藤田祐訳〕・哲学は何を問うてきたか(みすず書房、2014)。
 また、レシェク・コラコフスキー「ソ連はどう確立されたか」1991.01(満63歳のとき)、もある。つぎに所収。
 和田春樹・下斗米伸夫・NHK取材班・社会主義の20世紀第4巻/ソ連(日本放送出版協会、1991.01)のp.250-p.266。
 試訳・前回のつづき。
 Leszek Kolakowski, My Correct Views on Everything(1974、満47歳の年), in : Is God Happy ? -Selected Essays (2012). p.115-p.140.
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 実際のところ、反共産主義とは何だ。君は、表明できないか ?
 確かに、我々はこんなふうに信じる人々を知っている。
 共産主義の危険以外に、西側世界には深刻な問題はない。
 ここで生じている全ての社会的紛議は、共産主義者の陰謀だと説明できる。
 邪悪な共産主義の力さえ介入しなければ、この世は楽園だろうに。
 共産主義運動を弾圧するならば、最もおぞましい軍事独裁でも支持するに値する。
 君は、こんな意味では反共産主義者ではない。そうだろう ?
 私もだ。しかし、君が現実にあるソヴィエト(または中国)の体制は人間の心がかつて生み出した最も完璧な社会だと強く信じないと、あるいは、共産主義の歴史に関する純粋に学者の仕事のたった一つでも虚偽を含めないで書けば〔真実を書けば〕、君は反共産主義者だと称されるだろう。
 そして、これらの間には、きわめて多数の別の可能性がある。
 『反共』という言葉、この左翼の専門用語中のお化けが便利なのは、全てを同じ袋の中にきっちりと詰め込んで、言葉の意味を決して説明しないことだ。
 同じことは、『リベラル』という言葉にもいえる。
 誰が『リベラル』か ? 
 国家は労働者と使用者との間の『自由契約』に介入するのを止めるべきだと主張したおそらく19世紀の自由取引者は、労働組合はこの自由契約原理に反しているとは主張しないのだろうか ?
 君はこの意味では自分を『リベラル』ではないと思うか ?
 それは、君の信用にはとても大きい。
 しかし、書かれていない革命的辞典では、かりに一般論として君が隷従よりも自由が良いと思えば、君は『リベラル』だ。
 (私は社会主義国家で人民が享受している純粋で完全な自由のことを言っているのではなく、ブルジョアジーが労働者大衆を欺すために考案した惨めな形式的自由のことを意味させている)。
 そして、『リベラル』という言葉でもって、あれこれの物事を混合させてしまう仕事が容易にできる。
 そう。リベラルの幻想をきっぱり拒否すると、大きな声で宣言しよう。しかし、それで正確に何を言いたいかは、決して説明しないでおこう。//
 この進歩的な語彙へと進むべきか ?
 強調したい言葉が、もう一つだけあった。
 君は健全な意味では使わない。『ファシスト』または『ファシズム』だ。
 この言葉は、相当に広く適用できる、独創的な発見物だ。
 ときにファシストは私が同意できない人間だが、私の無知のせいで議論することができない。だから、蹴り倒してみたいほどだ。
 経験からすると、ファシストはつぎのような信条を抱くことに気づく(例示だよ)。
 1) 汚れる前に、自分を洗っておく。
 2) アメリカの出版の自由は一支配党による全出版物の所有よりも望ましい。
 3) 人々は共産主義者であれ反共産主義者であれ、見解を理由として投獄されるべきではない。
 4) 白と黒のいずれであれ人種の規準を大学入学に使うのは、奨められない。
 5) 誰に適用するのであれ、拷問は非難されるべきだ。
 (大まかに言えば、『ファシスト』は『リベラル』と同じだ。)
 ファシストは定義上は、たまたま共産主義国家の刑務所に入った人間だ。
 1968年のチェコスロヴァキアからの逃亡者は、ときどきドイツで、『ファシズムは通さない』とのプラカードを持っている、きわめて進歩的でかつ絶対に革命的な左翼と遭遇した。//
 そして君は、新左翼を戯画化して愉快がっていると、私を責める。
 こんな滑稽画はどうなるのだろうかと不思議だ。 
 もっと言うと、君が苛立つのは(でもこれは君のペンが燃え広げさせた数点の一つだ)、理解できる。
 ドイツのラジオ局がインタビューの際の、私の二ないし三の一般的な文章を君は引用する(のちにドイツ語から英訳されて雑誌<邂逅(Encounter)>で出版された)。
 その文章で私はアメリカやドイツで知った新左翼運動への嫌悪感を表明した。しかし、-これが重要だ-私が念頭に置いた運動を明言しなかった。
 私はそうではなく、曖昧に『ある人々』とか言ったのだ。
 私は君が仲間だった時期の1960-63年の<新左翼雑誌>をとくに除外しなかった、あるいは私の発言は暗黙のうちに君を含んでいさえした、ということをこの言葉は意味する。
 ここに君は引っ掛かった。
 私は1960-63年の<新左翼雑誌>をとくに除外することはしなかった。そして、率直に明らかにするが、ドイツの記者に話しているとき、その雑誌のことを心に浮かべることすらしなかった。
 『ある新左翼の者たち』等々と言うのは、例えば、『あるイギリスの学者は飲んだくれだ』と言うようなものだ。
 君はこんな(あまり利口でないのは認める)発言が、多くのイギリスの学者を攻撃することになると思うか ? もしもそうなら、いったいどの人を ?
 私には気楽なことに、新左翼に関してこんなことをたまたま公言しても、私の社会主義者の友人たちはどういうわけか、かりに明示的に除外されていなくとも含められているとは思わない。//
 しかし、もう遅らせることはできない。
 私はここに、1971年のドイツ・ラジオへのインタビー発言で左翼の反啓蒙主義について語っていたとき、エドワード・トムソン氏が関与していた1960-63年の<新左翼雑誌>については何も考えていなかった、と厳粛に宣言する。
 これで全てよろしいか ?//
 エドワード、君は正当だ。我々、東ヨーロッパ出身の者には、民主主義社会が直面する社会問題の重大性を低く見てしまう傾向がある。それを理由に非難されるかもしれない。
 しかし、我々の歴史のいかなる小さな事実をも正確に記憶しておくことができなかったり、粗野な方言で話していても、その代わりに、我々が東でいかにして解放されたのかを教えてくれる人々のことを、我々は真面目に考えている。そうしていないことを理由として非難されるいわれはない。
 我々は、人類の病気に対する厳格に科学的な解消法をもつとする人たちを真面目に受け取ることはできない。この解消法なるものは、この30年間に5月1日の祝祭日で聞いた、または政党の宣伝小冊子で読んだ数語の繰り返しで成り立っている。
 (私は進歩的急進派の態度について語っている。保守の側の東方問題に関する態度は異なっていて、簡単に要約すればこうだ。『これは我々の国にはおぞましいだろう。だが、この部族にはそれで十分だ』。)//
 私がポーランドを1968年末に去ったとき(少なくとも6年間はどの西側諸国にも行かなかった)、過激派学生運動、多様な左翼集団または政党についてはいくぶん曖昧な考えしか持っていなかった。
 見たり読んだりして、ほとんどの(全ての、ではない)場合は、痛ましさと胸がむかつくような感じを覚えた。
 デモ行進により粉々に割れたウィンドウをいくつか見ても、涙を零さなかった。
 あの年寄り、消費者資本主義は、生き延びるだろう。
 若者のむしろ自然な無知も、衝撃ではなかった。
 印象的だったのは、いかなる左翼運動からも以前には感じなかった種類の、精神的な頽廃だ。
 若者たちが大学を『再建』し、畏るべき野蛮な怪物的ファシストの抑圧から自分たちを解放しようとしているのを見た。
 多様な要求一覧表は、世界中の学園できわめて似たようなものだった。
 既得権益層(Establishment)のファシストの豚たちは、我々が革命を起こしている間に試験に合格するのを願っている。試験なしで我々全員にAの成績を与えさせよう。
 とても奇妙なことに、反ファシストの闘士が、ポスターを運んだりビラを配ったりまたは事務室を破壊したりしないで、数学、社会学、法律といった分野で成績表や資格証明書を得ようとしていた。
 ときには、彼らは望んだどおりにかち得た。
 既得権益あるファシストの豚たちは、試験なしで成績を与えた。
 もっとしばしば、重要でないとしていくつかの教育科目を揃って廃止する要求がなされた。例えば、外国語。(ファシストは、我々世界的革命活動家に言語を学習するという無駄な時間を費やさせたいのだ。なぜか ? 我々が世界革命を起こすのを妨害したいからだ。)
 ある所では、進歩的な哲学者たちがストライキに遭った。彼らの参考文献一覧には、チェ・ゲバラやマオ〔毛沢東〕のような重要で偉大な哲学者ではなく、プラトン、デカルトその他のブルジョア的愚劣者が載っていたからだ。
 別の所では、進歩的な数学者が、数学の社会的任務に関する課程を学部は組織すべきだ、そして、(これが重要だ)どの学生も望むときに何回でもこの課程に出席でき、各回のいずれも出席したと信用される、という提案を採用した。
 これが意味しているのは、正確には何もしなくても数学の学位(diploma)を誰でも得ることができる、ということだ。
 さらに別の所では、世界革命の聖なる殉教者が、反動的な学者紛いの者たちによってではなく、彼ら自身が選んだ他の学生によってのみ試験されるべきだ、と要求した。
 教授たちも(もちろん、学生たちによって)その政治観に従って任命されるべきだ、学生たちも同じ規準によって入学が認められるべきだ、とされた。
 合衆国の若干の事例では、被抑圧勤労大衆の前衛が、図書館(偽物の知識をもつ既得権益層には重要ではない)に火を放った。
 書く必要はないだろう。聞いているだろうように、カリフォルニアの大学キャンパス(campus)とナチの強制収容キャンプ(camp)での生活に違いは何もない。
 もちろん、全員がマルクス主義者だ。これが何を意味するかというと、マルクスまたはレーニンが書いた三つか四つの文、とくに『哲学者は様々に世界を解釈した。しかし、重要なのは、それを変革することだ』との文を知っている、ということだ。
 (マルクスがこの文で言いたかったことは、彼らには明白だ。すなわち、学んでも無意味だ。)//
 私はこの表を数頁分しか携帯できないが、十分だろう。
 やり方はつねに、同じ。偉大な社会主義革命は、何よりも、我々の政治的見解に見合った特権、地位および権力を我々に与え、知識や論理的能力といった反動的な学問上の価値を破壊することで成り立つ。
 (しかし、ファシストの豚たちは我々に、金、金、金をくれるべきだ。)// 
 では労働者については ? 二つの対立する見方がある。
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 ⑤につづく。

1526/「左翼」の君へ-レシェク・コワコフスキの手紙①。

 Leszek Kolakovski, Is God Happy ?(2012)のうち、「第一部/社会主義、イデオロギーおよび左翼」の中にある、My Correct Views on Everything, 1974 〔全ての物事に関する私の適正な見方〕の日本語への試訳を、以下、行ってみる。一文ごとに改行し、本来の改行箇所には、文末に//を記す。
 他にも「社会主義とは何か ?」、「左翼の遺産」、「全体主義と嘘の美徳」、「社会主義の左翼とは何か ?」、「スターリニズムのマルクス主義根源」等の関心を惹くテーマが表題になっているものも多いが、これをまずは選んだ理由は、おそらくその内容によって推測されうるだろう。
 1974年の小論。書簡の形式をとっている。
 スターリンの死、フルシチョフのスターリン批判、ハンガリー動乱、中国の文化大革命、プラハの「春」があり、日本の大学を含む「学生」運動等もほぼ終わっていた。L・コワコフスキはイギリス・オクスフォードにいて、マルクス主義哲学の研究執筆をしていたかもしれない。
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 My Correct Views on Everything, 1974 〔全ての物事に関する私の適正な見方、1974年〕
 「親愛なる、エドワード・トムソン(Edward Thompson)君へ。
 この公開書簡でなぜとても楽しくはないかというと、君の手紙は(少なくとも同じくらい)個人的な態度とともに、考え方に関係しいるからだ。
 しかし、共産主義イデオロギーについてであれ1956年についてであれ、個人的な説明をして問題を済ませはしない。とっくの前に片付いている。
 だが、一緒に始めよう、過去のことを運びあげて、署名しよう…、と言うのだったら。//
 Raymond Williams による最新号の Socialist Register の書評に、君の手紙はこの10年間で最良の左翼の著作作品の一つだと書いてあった。それは直接に、他の全ては、またはほとんど全ては、より悪いと述べているようなものだ。
 Williams はよく分かっている、私も彼の言葉に従おう。
 たまたま私がその対象になっているとしても、ある程度は、この文章を書くに至ったのを誇らしく感じる。
 そう。だから、私の反応の一つめは、感謝だ。
 二つめは、<富者の迷惑>のようなものだ。
 君の100頁もの公開書簡に対して私が答えるのに話題を適正に選択しなければならないことを、君は私に詫びるのだろう(認めると思うが、君の書簡はうまく区切りされていない)。
 最も論争点になっているものを、取り上げることにしよう。
 興味深いのだが、君の自叙伝的な部分にコメントすべきだとは思わない。
 たとえば、休日にスペインへ行かない、費用の一部を自分の懐から支払わないで社会主義者の会議に出席するということはしない、フォード財団が財源支援した会議に参加しない、権威者の前で帽子を脱ぐのを年寄りのクェーカー教徒のように拒んだのは自分だ、等々と君は書いているが、私自身の徳目一覧からして答えるべきだと、助言されるとは思わない。この徳目一覧はたぶん厳格なものではないのだろう。
 また、New Left Review 〔新左翼雑誌〕から君は離れたという話だが、私がいくつかの雑誌のいくつかの編集委員会の全てを辞めた話でもって交換するつもりはない。これらは、とても瑣末なことだ。//
 三つめは、悲しさだ、と言いたい。
 君の研究分野について十分な能力はないが、学者そして歴史家としての君の高名は知っている。
 それなのに、君の手紙の中に、話したまたは書いた多くの左翼(leftist, 左翼主義者)の決まり文句(cliche's)があるのを知るのは残念なことだ。それらは、三つの趣向からできている。   
 第一、言葉を分析するのを拒み、意図的に考え出された言葉の混合物を問題を混乱させるために使う。
 第二、ある場合には道徳的なまたは情緒的な規準を、別の類似の場合には政治的または歴史的な規準を使う。
 第三、歴史的事実をそのままに受容するのを拒む。
 言いたいことをもっと詳しく、書いてみよう。//
 君の手紙の中には個人的な不満がいくつかあり、一般的問題に関する議論もいくつかある。
 小さな個人的不満から始めよう。
 レディング(Reading)の会議に招かれなかったことで君は攻撃されたと感じているように見えるのは、また、かりに招かれれば深刻な道徳的根拠を持ち出して絶対に出席するのを拒んでいただろうと語るのは、とても奇妙だ。
 直感的に思うのだが、結局は、かりに招かれても同様に攻撃されたと感じただろう。だから、君を傷つけない方法は、会議の組織者にはなかったのだ。
 今書こう、君が持ち出す道徳的根拠とは、君がR・Sの名を組織委員会の中に見つけたということだ。
 そしてR・Sには不運だったのは、彼がかつてイギリス外交の業務で仕事をしていたことだ。
 そう、君の高潔さは、かつてイギリス外交に従事した誰かと同じテーブルに着くのを許さない。
 ああ、無邪気さに、幸いあれ! 
 君と私は二人とも、1940年代と50年代にそれぞれの共産党の活動家だった。我々の高貴な意図や魅惑的な無知(あるいは無知から逃れるのことの拒否)が何だったとしても、われわれの穏健な手段の範囲内で、人間社会で最悪の種類の奴隷的集団労働や国家警察のテロルを基礎にしている体制を、二人ともに支えた。
 このような理由で我々と一緒に同じテーブルに着くのを拒む、多数の人々がいるとは、思わないか ?。
 いや、君は無邪気だ。しかし私は、多くの西側知識人たちがスターリニズムへと改心していた『あの年月の政治の意義』を、君が書くようには、感じない。//
 スターリニズムについての君の気軽な論評から集めてみると、『あの年月の政治の意義』は、君にとってのそれは私のよりも明らかに鋭敏で多様だ。
 第一、スターリニズムの責任の一部(一部、これを私は省略しない)は、西側の諸国家にある、と君は言う。
 第二、『歴史家にとっては、50年では新しい社会体制について判断する時間が短かすぎる』、と君は言う。
 第三、『1917年と1920年代の初めの間、およびスターリングラードの闘いから1946年までの間に共産主義(コミュニズム)体制がきわめて人間的な顔を見せた時代ののような、新しい社会体制体制が発生しているならば』、と君が言うのを我々は知っている。//
 いくつか仮定を付け加えれば、全ては正当だ(right)。
 明らかにも我々が生きる世界では、ある国で重要なことが起きれば、それは通常は別の国々で起きることの一部に影響を与える。
 ドイツ・ナチズムについての責任の一部はソヴィエト同盟にあった、ということを君はきっと否定しないだろう。
 ドイツ・ナチズムに対するソヴィエト同盟の影響を、君はどう判断しているのだろうか ?//
 君の二つめのコメントは、じつに啓発的だ。
 『歴史家にとっては』50年とは、何のことか ?
 私がこれを書いている同じ日にたまたま、1960年代(1930年代ではない)の初めにソヴィエトの監獄と強制収容所にいた体験を綴った、アナトール・マルシェンコという人の本を読んだ。
 この本は1973年に(ドイツ・)フランクフルトで、ロシア語で出版された。
 ロシア人労働者の著者は、ソヴィエトからイランへと国境を越えようとして逮捕された。
 彼は幸運なことに、J・V・スターリンの遺憾な(そう、正面から見つめよう、西側諸国に責任の一部があったとしても遺憾な)誤りが終わっていたフルシチョフの時代にこれをした。
 そして、彼はわずか6年間だけ、強制収容所で重労働をした。
 彼が物語る一つは、護送車から森の中へ逃げようとした3人のリトアニア人囚人に関してだ。
 3人のうち2人はすぐに見つけられ、何度も脚を射撃され、起ち上がるように命じられ(彼らはそうできなかった)、そして、護衛兵たちによって蹴られ、踏みつけられた。
 最後に、2人は警察の犬によって噛まれ、引き裂かれた(資本主義が存続している、娯楽映画のごとくだ)。
 そうしてようやく、銃剣で刺し殺された。
 このような事態の間、ウィットに富む役人は、次の類いのことを述べていた。『さあ、自由なリトアニア人、這え、そうすればすぐに独立をかち取れるぞ!』。
 3人めの囚人は射撃され、死んだと囁かれて、荷車の死体の下に放り込まれた。
 生きて発見されたが、彼は殺されなかった(脱スターリニズム化だよ!)。しかし、数日間は、傷が膿んでいるままで暗い小部屋に入れられて放置された。
 彼は、腕が切断されているという理由だけで、生き延びた。//
 これは、君が今でも買える多数の本で読める、数千の物語の一つだ。
 知識ある左翼エリートたちは、こうした本を、進んで読もうとはしていない。
 第一に、たいていは、重要でない。
 第二に、小さく細かい事実だけを提供する(結局のところは、何らかの誤りがあることを我々は認める)。
 第三に、それらの多くは、翻訳されていない。
 (ロシア語を学習した西欧人に君が会うとして、少なくとも95%の率で血なまぐさい反応に遭うということを、君は気づいたか ? ともあれ、彼らは賢い。)//
 そして、そうだ。歴史家にとって50年、とは何のことだ ?
 50年というのは、著名ではないロシアの労働者であるマルシェンコの人生、本を出版すらできなかったもっと無名のリトアニアの学生の人生、を覆ってしまう長さだ。
 『新しい社会制度』に関する判断を急がないことにしよう。
 チリやギリシャの新しい軍事体制の良い点を査定するのに、いったい何年が必要なのかと、確実に君に質問することができるだろう。
 だが、私には君の答えが分かる。どこにも類似性がない。-チリとギリシャは資本主義の中にとどまっており(工場は私人が所有し)、一方のロシアは新しい『もう一つの選択肢のある社会』だ(工場は国家の所有で、土地も、居住している全員も)。
 真正な歴史家であるならば、もう一世紀を待てるし、わずかばかり感傷的だが慎重に楽天的な歴史知識を維持し続けることができるだろう。//
 いや、もちろんそうではない。
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 ②につづく。

0478/朝日新聞・若宮啓文の駄文、産経新聞・武田徹の「サヨク」・反日文。

 (2008年)4月の何日かは特定できないが、朝日新聞紙上で若宮啓文が「風考計」コラムを再開させて、何やら書いている(日付を特定できないのは、切り抜きのコピーでそこには日付が含まれていないため)。
 社説2つ分(従って一日の社説欄)以上の字数を使っていると思うが、「アジアの頼れる受け皿に/地図に見る日本」との大文字のあるこの文章で、若宮啓文はいったい何が言いたいのだろう。趣旨不明のこんな文を月に一つ二つだけ(?)書いて多額の収入が得られるのなら、結構なご身分だ。
 真面目に印象を書いているが、本当に趣旨がつかめない。アジアの地図を逆に見ると日本が「ふた」のようだが、改めて正しく見ると「アジアを支える」「お皿」のようだ、というのがタイトルの由来?らしい。だが、そもそも<アジアの受け皿>とは何の意味か? いちおうは何やら書いてはいるが、言葉又は観念の遊びの文章の羅列だ。
 むしろ、かつて「アジア支配に野望を燃やした」、「台湾や朝鮮を植民地とし」などと簡単に書いているのが若宮らしいし、何となく、日本が「四方に後遺症を抱えた国」であるために現在の周辺諸国との間の懸案もうまく解決できない(つまり今日の諸問題の責任は日本にある)のだ、と言いたいようにも読める。
 「やれやれ…である」、「悩ましき外交である」等とだけ書いて、具体的かつ現実的な解決方途を展開しているわけではない。こんな駄文を頻繁に読まされる朝日新聞の読者は気の毒だ。
 唖然とするのは、産経新聞4/24の「ジャーナリスト」武田徹のコラム(「複眼鏡」)も同様だ。但し、こちらは若宮コラムと違って、趣旨は比較的によく解る。問題は、この、<哲学的新左翼>で<フーコーの言説を引用できる>らしい武田徹の書く内容だ。
 重要ポイントの全文を引用したいし、すべきかもしれないが、二点を要約させていただくと、次のとおりだ。
 1.<「チベット問題の遠因は、実は日本にあるという説」がある。それによると、日清戦争での日本勝利→清国での「国民国家的統一を目指せ」との「ナショナリズム」発生→蒋介石・中華民国や毛沢東・共産中国への継承→「チベット同化政策」という連関があり、最後のものは結局(日本が火をつけた)「ナショナリズムの産物」だ。>
 これは風が吹けば…の類の妄言だろう。そもそも「説がある」とだけ書いて誰の説かも明らかにしていないが、その説に武田は同調的だ。
 疑問はただちに、いくつも出てくる。すなわち、「国民国家的統一」の範囲・対象に民族・宗教・文化等の異なるチベットを何故含めなければならないのか? あったのは「統一」ではなく、<膨張>であり<侵略>ではなかったのか?  かりに日清戦争で日本が敗北していたら、現在のチベットは中国の一部になっていなかったのか? 現在もネパールで<間接侵略>をしているが、ベトナムやインドと戦争を実際にしたりして領土拡張志向を示したのは、日清戦争とは無関係に、1949年に政権を奪取した中国共産党の方針そのものではないか?。
 2.<「今でも親日家の多い台湾は、日本の植民地経営が珍しくうまくいっていた」と評価されることがあるが、それは、「『精神の征服』まで果たされた結果だったのかもしれない」。
 まさに<そこまで言うか>という感想が生じる内容だ。「植民地」(という概念自体に疑問をもつが便宜的に使う)の経営がうまくいかなかったとすればそれはそれで批判し、うまくいけば「精神の征服」まで果たした、とこれまた自虐的に日本を批判しているのだ。台湾の人々はこの文章を読んでどう感じるだろうか。李登輝元総統は、日本に「精神の征服」をされた代表的人物なのだろう、武田から見ると。
 以上のようなことを書きつつ、最後に武田はこういう。-「チベット問題は…だろう。だが、その一方で、翻って自分の『国』がどのように作られてきたか、周辺諸国にどのように働きかけてきたか、この機会にそれを省みることにも意味がある」。
 武田徹は中国(「共産中国」)に対する批判を一切しない。逆に、チベット問題の遠因は日本にあるとの「説」に実質的に同調し、「この機会に」自国=日本の行動を「省みる」ことに意味がある、と主張している。
 このような、何かに「精神の征服」をされたとしか思われない内容は、上に偶々取り上げた若宮啓文のコラムとも通底する所があるようであり、朝日新聞に掲載されていたら、奇妙に思わないかもしれない。
 だが、なぜ、こんな<親中国的・反日的・自虐的>な内容の文章が産経新聞に載っているのだろうか。産経は「この機会に」じっくりと「省みて」=反省していただきたい。
 なお、武田徹のコラムに言及したものとして、以下も参照。→ http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/370928/ 

0300/大嶽秀夫・新左翼の遺産(東京大学出版会、2007)もある。

 大嶽秀夫の本を最近二つ利用?した。一つめの中公新書の際にすでに知っていたのだが、同氏には新左翼の遺産―ニューレフトからニューモダンへ(東京大学出版会、2007)という本もあり、その最後に「一九六〇年代前半期の新左翼的雰囲気を筆者とともに駆け抜けた妻…に捧げる」との言葉(自註)がある。
 と書きかけて自信がなくなってきたが、この言葉から、大嶽は「一九六〇年代前半期」、つまり彼の大学生時代には、「新左翼的雰囲気」の中で、かつそれを支持又は受容していたのではないか、と感じた。
 政治学者が自らの個人的な政治的価値観または政治的志向を持ってはならない、ということはないだろう。だが、それと研究対象・研究内容・結論的な分析や認識そのものとの間の間には多少は緊張関係があるに違いない。
 朝日新聞の紙面は一つの左翼団体の「政治ビラ」と化してしまっているが、政治学者の論文や本が特定の政治的主張のための「政治ビラ」であってはマズいだろう。
 この点に大嶽に問題がある、というわけでは全くない。二つの中公新書や上の本に政治的な<偏向>は全くといいほど感じないし、優れた、政治現象の認識にとっておおいに参考となる分析を示してくれている、と思われる。
 ただ、上に紹介のような言葉を読んでしまうと、上の本の対象の選択も含めて、この方は少なくともかつての一時期は「新左翼」で、現在もそれに親近感をもっている可能性があると、世俗的な私は感じてしまったのだ。
 上の新左翼の遺産という本も、「新左翼」への親近感又は親近的関心があるからこそ執筆した、と感じられなくもない。そして、日本のそれも含めて、「新左翼」にさほどに関心を持たなくてもよいのではないかと思うし、のちに諸々に又は千々に分かれて変異していったとしても所詮はマルクス主義・共産主義の一種だったのではないか、つまりは日本共産党と兄弟のような関係だったのではないか、という感想を禁じ得ない。
 もっとも、かりに大嶽が主観的に「新左翼」に親近感又は親近的関心を持っていたとしても、上の本の価値が下がるわけでもないだろう。
 また、中公新書による小沢一郎の理念・行動の分析などは、そういう立場に基本的には立脚しているからこそ(と断言できる自信はないが)、正しくかつ鋭いものになっている、と言えなくもない。
 上の「新左翼」に関する本は70頁程度しかまだ読んでいないが、その段階での、上に紹介した最後の言葉(自註)に刺激を受けた、とりとめのない<つぶやき>になった。

0238/教育再生関連三法が成立-革マル・中核派の「健在」。

 教育再生関連3法が成立した。その内容要旨は読売よりも産経(6/21)の方が詳しい。
 3法というが、学校教育法、地方教育行政法(略称)、教員免許制度関係の教員免許法と教育公務員特例法の、正確には4法だ。
 これらのうち、いつぞや言及したことのある地方教育行政法改正よりも、副校長・主幹教諭・指導教諭等の設置を認める(義務づけるではない)学校教育法改正と教員免許制度にに有効期間・更新等を導入する教員免許法改正の影響は大きそうだ。
 教員も人間なので、校長・教頭以外は20歳代でも50歳代でも同じ「教諭」で年功序列的な給与の差しかないとなれば、年配の「教諭」のままで熱心に組合(職員団体)活動にいそしむ者が出てきても不思議でない。教員内部での「職階」?の数の増大は<競争>的意識を持たせるに違いない。何をもって、教員の勤務成績を評価するかは問題だが、明らかに劣った、教員として不適格な者(組合活動には向いている者もいるかもしれぬ)の排除には役立つのではなかろうか。
 こうやって法律が改正されたり新しく制定されたりして、少しずつ世の中は、社会は、変わっていくのだなぁ、と当たり前のような感慨が湧く。
 ところで、産経・阿比留瑠比のブログによると、教育関係法案反対のために革マルや中核派と日教組は「共闘」しているかのようだ。少なくとも、中核派等のビラには日教組との連帯・共闘が書かれているようだ。
 とりとめのない感想だが、革マルや中核派はいわゆる「新左翼」と呼ばれ、<既成左翼>(旧左翼)を否定・批判してきた筈だった。70年代であれば彼らは、日本共産党系はもちろん、日本社会党系の労組と「共闘」したのかどうか。
 もともと日本共産党系だけ特別で、日本社会党系とは対立状況になかったのかもしれない。それとも、状況の変化で民主党系・日教組とは対立しなくなったか、あるいは日教組それ自体の中にある程度は革マルや中核派の勢力が浸透してきているからか、と想ってしまう。
 それにしても革マルや中核派が<健在>だとは一般新聞では分からないことで、阿比留瑠比のブログの写真に、思わず懐かしく?見入るのだった。

0207/小嵐九八郎・蜂起には至らず(講談社、2003)と樺美智子。

 筆名と見られるが、反日本共産党系(中核?)活動家だったらしい小嵐九八郎という人の蜂起には至らず(講談社、2003)という本がある。そのp.339は、こう書いている。
 ソ連解体は「衝撃であった」、「旧だけでなく新の左翼も…思想の核心、在ることの意味、組織の土台を問われた―問われ続けているはず。…共産党宣言、…ロシア革命、…中国革命って何であったのだろうかと。九八郎めもここいらを境にして、やっと自分の半生を疑いはじめ、四十ウン歳にして、茫然とした覚えがある」と告白している。
 まだ中国等が「社会主義」国として残っているとはいえ、日本共産党員等の中に生じたに違いない「動揺」は当然のことで、「良心の揺らぎ」を世俗的人間関係や不破哲三等の言説によって誤魔化す必要はない。
 この本は副題が「新左翼死人列伝」で27人の物故した新左翼活動家又はシンパを扱っている(高橋和巳を含む)。『二〇歳の原点』で知られる高野悦子(1949.01.02-1969.06.24*20歳)は含まれておらず、最初に登場するのは樺美智子(1937.11.08-1960.06.15*22歳)だ。
 小嵐氏の本から離れるが、樺美智子は高校時代からコミュニズムに関心をもち、一浪して1957年に東京大学入学後に日本共産党に入党、翌年には離党して共産主義者同盟(ブント)に入り積極的活動家になった。1960.06.15に国会南通用門から国会敷地内に入ろうとしたときに倒れて死亡した。たぶん学生の隊列の先頭あたりにいたのでないか。
 死因については、「虐殺抗議」との文字を掲げたデモがあったことに見られるように警官隊の暴力に求める立場もあるが、西尾幹二は、東京大学内での「虐殺抗議集会」で「虐殺じゃないではないか。自分たちで踏み殺したんではないか」と少し大きな声で言ったらのちの芥川賞作家・柏原兵三が心配して会場から連れ出してくれた、などと当時のことを振り返っており(西尾幹二氏のHPblog/2006/08/による)、警察側に責任があることは自明ではないようだ。ともあれ、彼女は、一人の優秀だったはずの女子学生は、満22歳でその人生を終えた。
 この樺美智子の死は-人の死への哀惜の念はもちろんもつが-、しかし、活動中に他セクトの暴力=内ゲバによって殺されたり、同じセクト内で「総括」し合ったり、懊悩から自殺したりした若者も含めて、共産主義というものがなかったら、コミュニズムを(理解の仕方に差違はあれ)信奉する団体・組織がなかったら、そのような団体・組織に彼らが入ったり接触したりしなければ、避け得たのではないか。 マルクスらが共産党宣言を書かず、レーニンらがロシア「革命」を成功させなかったら、彼らの多くはまだ生きているのではないか。存命であれば、樺さんは今年70歳の古稀を迎える。
 彼らの一度しかない人生を短くしたのはコミュニズムではないか。哀しく、そして怖ろしい。
ギャラリー
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
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  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
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  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
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  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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