秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

新三要件

1298/「左翼」団体・日弁連の会長・村越進の2014.07.01声明の異様。

 宇都宮健児が会長だったことでも示されているように、まるで公正・中立でかつ法律関係については専門家の集団であるかのように見えなくもない日本弁護士連合会は、むろん弁護士の全員がそうではないにせよ、幹部あるいは役員たちは明確な「左翼」であり、「左翼」活動家弁護士たちが牛耳っている「左翼」団体に堕している。
 2014年の集団的自衛権行使容認の閣議決定後に発せられた日弁連会長・村越進の「集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定に抗議し撤回を求める会長声明」を読んでも上のことは明らかだ。
 さらに、この声明の内容は、弁護士が、しかもその自主団体・個別弁護士会の連合団体・日弁連のトップである弁護士が発したものとして、信じがたいほどに異様で、ずさんでもある。
 以下にそのまま引用して掲載する。
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 <集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定に抗議し撤回を求める会長声明>
 本日、政府は、集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定を行った。
 集団的自衛権の行使容認は、日本が武力攻撃をされていないにもかかわらず、他国のために戦争をすることを意味し、戦争をしない平和国家としての日本の国の在り方を根本から変えるものである。
集団的自衛権の行使は、憲法第9条の許容するところではなく、そのことはこれまでの政府の憲法解釈においても長年にわたって繰り返し確認されてきたことである。
 このような憲法の基本原理に関わる重大な変更、すなわち憲法第9条の実質的な改変を、国民の中で十分に議論することすらなく、憲法に拘束されるはずの政府が閣議決定で行うということは背理であり、立憲主義に根本から違反している。
 本閣議決定は「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」等の文言で集団的自衛権の行使を限定するものとされているが、これらの文言は極めて幅の広い不確定概念であり、時の政府の判断によって恣意的な解釈がされる危険性が極めて大きい。
 さらに、本閣議決定は、集団的自衛権の行使容認ばかりでなく、国際協力活動の名の下に自衛隊の武器使用と後方支援の権限を拡大することまで含めようとしている点等も看過できない。
 日本が過去の侵略戦争への反省の下に徹底した恒久平和主義を堅持することは、日本の侵略により悲惨な体験を受けたアジア諸国の人々との信頼関係を構築し、武力によらずに紛争を解決し、平和な社会を創り上げる礎になるものである。
 日本が集団的自衛権を行使すると、日本が他国間の戦争において中立国から交戦国になるとともに、国際法上、日本国内全ての自衛隊の基地や施設が軍事目標となり、軍事目標に対する攻撃に伴う民間への被害も生じうる。
 集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定は、立憲主義と恒久平和主義に反し、違憲である。かかる閣議決定に基づいた自衛隊法等の法改正も許されるものではない。
 当連合会は、集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定に対し、強く抗議し、その撤回を求めるとともに、今後の関係法律の改正等が許されないことを明らかにし、反対するものである。
 2014年(平成26年)7月1日
  日本弁護士連合会/  会長 村越  進
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 異様さ・杜撰さ-これらは「左翼」であるがゆえの政治的偏向の結果に他ならないだろうが-は、以下に認められる。
 第一に、安倍晋三内閣による閣議決定の正確な内容に言及することなく、「集団的自衛権の行使容認」は、「日本が武力攻撃をされていないにもかかわらず、他国のために戦争をすること」を意味する、と何とも安直に理解してしまっている。この文章が日弁連会長のものであるとは、その地位・職からすると-通常の感覚では-ほとんど想像もし難いほどだ。
 国際法上はまたは国連憲章の理解としては、集団的自衛権の行使とは、大雑把には、同盟国・友好国に対して第三国から武力攻撃があった場合に、自国は直接の武力攻撃の対象になっていなくとも、その友好国を助けてその第三国の攻撃に共同で対処することのようだ。しかし、集団的にせよ<自衛権>の行使であることに変わりはない。これをただちに「他国のために戦争をすること」と言い切ってしまえる神経は、-何度も使うが-<ほとんど信じがたい>。
 また、昨年の閣議決定を正確に読めば-きちんと理解しようとすれば-簡単に分かるように、閣議決定が容認した集団的自衛権の行使とは、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」た場合に、①「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」において、②「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき」に、かつ③「必要最小限度の実力を行使すること」という、いわゆる新三要件の充足のもとで容認されるものであり、国際法上のまたは国連憲章の理解としての集団的自衛権の行使の意味よりも相当に厳格に限定されたものだ。
 このような容易に知り得ることに目を瞑り、日本共産党と同様に<戦争>に道を拓くものという、レッテル貼りをしているか、悪罵を投げつけているにほとんど等しい。これでも日弁連の会長の声明なのか。
 第二に、専門法曹あるいは法律家ならば、もう少しは丁寧に概念の意味を明確にして諸概念を用いるべきだろう。
 すでに「戦争」という言葉が特段の定義なく使われているが、「戦争をしない平和国家」とか「徹底した恒久平和主義」などという言葉・概念がほとんど情緒的に使われている。
 日弁連は、あるいは日弁連会長・村越進は、現憲法九条のもとで、「戦争をしない平和国家」・「徹底した恒久平和主義」のゆえに、現在の自衛隊の存在そのものが違憲だと解釈(・適用)しているのだろうか。かりにそうであるならば、その旨を明確に記して、違憲の組織の行動範囲・要件を論じること自体が憲法違反だと断じるべきだろう。そうではなく、自衛権・自衛力を行使する実力組織としての(「戦力」ではない)自衛隊は合憲的に存在していると解釈(・適用)するのならば、自衛権の行使としての武力行使を簡単には「戦争」と称することはできないはずであり、簡単に「徹底した恒久平和主義」に反するなどと断じることはできないのではないか。
 第三に、「憲法に拘束されるはずの政府が閣議決定で行うということは背理であり、立憲主義に根本から違反している」と述べるが、「憲法に拘束される」という場合のその憲法の規範的意味内容が問題になっているのだから、憲法違反という前提を先に置くのは背理であって、何の意味も持たない。法律家ならば、このくらいのことは分かるだろう。「立憲主義」違反という点も同じだ。
 また、内閣が憲法解釈の変更を行うことを捉えて「立憲主義」違反と言っているようだが、最近にもこの欄で述べたように、裁判所・司法部による確定した憲法解釈が存在しない論点については、内閣は憲法解釈を行なって当然だし、また戦後何度か見られたように、その変更も実際には行われてきた。
 さらに、昨年の閣議決定時にも語られていたが、限定された集団的自衛権の行使を実際に容認するためには法律の制定・改正が必要だ。そして、かりに内閣提出の法案が国会で成立したとすれば、集団的自衛権行使は現憲法下で許容されるという憲法解釈は、もはや内閣どまりのものではなく、国民代表議会である国会の解釈になることを意味する。あくまでかりの話だが、その場合でも、すなわち国会が内閣・閣議決定の解釈を支持して、その解釈にもとづく法律案を成立させた=法律を制定・改正したとしても、日弁連は、あるいは同会長・村越進は、なお「立憲主義に根本から違反」すると主張するのだろうか。かりにそうだとすれば、それこそが国会軽視・(議会制)民主主義の軽視であって、<立憲主義>を逸脱するものだろう。
 第四に、新三要件の一部に触れつつ「これらの文言は極めて幅の広い不確定概念であり、時の政府の判断によって恣意的な解釈がされる危険性が極めて大きい」と述べるが、これはしばしば見受けられる陳腐な批判の仕方だ。
 国会により指名された内閣総理大臣等により構成される内閣を信頼していない書きぶりだ(日本共産党・社民党の連立内閣ならば信頼するのだろうか?)。その点はともかくとしても、とくに安全保障の領域では、ことの性質上、あらかじめ詳細で具体的な定めをしておくことの困難性の程度は高いものと思われる。「恣意的」な解釈というが、だからこそ、しっかりとした(例えば鳩山由紀夫や菅直人ではない首班を戴く)内閣を作っておかなければならない、とも言える、また、この部分の批判は、国会による(昨年の段階では「原則」として)事前の承認が必要とされていることを無視している。具体的認定については国会による事前チェックがかかるのだ。自民党等が与党だからそれは無意味だ、とか日弁連が言い始めたら、きっときわめて恥ずかしいことになるだろう。
 まだあるが、長くなったので、この程度にする。
 この声明は会長名だが、中身では「当連合会は、集団的自衛権の行使等を容認する本閣議決定に対し、強く抗議し、その撤回を求めるとともに、今後の関係法律の改正等が許されないことを明らかにし、反対するものである」と、日弁連を主体とする表現で終えている。
 弁護士たちが、安全保障・軍事に関する知見をいかほど有するかは、もともときわめて疑わしい(ついでに言えば、日本の歴史における<天皇制度>の伝統についての関心も知識もおそらくほとんどないのだろう)。そして、日本弁護士連合会とは、現実を直視することのできない<幻想と妄想>をもって、そして狭く固定した<観念>に縛られて活動している「左翼」団体に他ならないようだ。むろん、このような言い方に反発を覚える弁護士たちも少なくないだろうが、しかし、会を代表する会長の声明を読むかぎり、そのように判断せざるをえない。

1293/資料・史料-防衛省サイトより「憲法と自衛権」等。

 防衛省・自衛隊のHPトップから、>防衛省の取組>防衛省の政策>防衛政策>防衛の基本的考え方>憲法と自衛権と下がって、現在の「憲法と自衛権」等に関する考え方が説明されている。資料・史料の一つとしておくが、現在誰でも閲覧できる、かつ現用の考え方または「解釈」で、2014年7月閣議決定による新しい解釈も組み込まれ、「武力の行使」(「戦争」ではない)の「新三要件」への言及もある。
 現在の後半国会で、政府側はここで示されている理解・解釈を基礎にして答弁等をするはずだ(矛盾していると指弾されることになろう)。
 以下の内容は、自衛「戦争」は認められず、自衛目的のものであれ「戦力」保持も許されないという憲法九条解釈を前提にしている。
 なお、より正確な政府解釈の内容は、個々の文書・答弁に即して、通常の理解力さえあれば、正確に確認することができる。いずれ、より詳細で正確なものを掲載しつつ、コメントをしておく予定だ。
 「前項の目的」とは<侵略戦争等否定・自衛戦争等容認>という趣旨・目的のことだと理解しつつ、そのような前提に政府解釈は立っておらず、この文言に政府解釈は意味を認めていない、という説明の仕方をしてきた。但し、「前項の目的」自体に厳密には二つ(又は三つ)の解釈がありえ、政府解釈は上のような(侵略戦争等と自衛戦争等の区別という)前提には立っていないが、「前項の目的」について別の理解をしているようであることも、その際に述べる。
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 1.憲法と自衛権
 わが国は、第二次世界大戦後、再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう決意し、平和国家の建設を目指して努力を重ねてきました。恒久の平和は、日本国民の念願です。この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認に関する規定を置いています。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。このような考えに立ち、わが国は、憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています。
 2.憲法第9条の趣旨についての政府見解
 (1)保持できる自衛力
 わが国が憲法上保持できる自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなければならないと考えています。その具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面があり、毎年度の予算などの審議を通じて国民の代表者である国会において判断されます。憲法第9条第2項で保持が禁止されている「戦力」にあたるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題であって、自衛隊の個々の兵器の保有の可否は、それを保有することで、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かにより決められます。
 しかし、個々の兵器のうちでも、性能上専ら相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。たとえば、大陸間弾道ミサイル(ICBM:Intercontinental Ballistic Missile)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母の保有は許されないと考えています。
 (2)憲法第9条のもとで許容される自衛の措置
 今般、2014(平成26)年7月1日の閣議決定において、憲法第9条のもとで許容される自衛の措置について、次のとおりとされました。
 憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えますが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されません。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容されます。これが、憲法第9条のもとで例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、1972(昭和47)年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところです。
 この基本的な論理は、憲法第9条のもとでは今後とも維持されなければなりません。
 これまで政府は、この基本的な論理のもと、「武力の行使」が許容されるのは、わが国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきました。しかし、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威などによりわが国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様などによっては、わが国の存立を脅かすことも現実に起こり得ます。
 わが国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然ですが、それでもなおわが国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要があります。
 こうした問題意識のもとに、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至りました。
 わが国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然ですが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要があります。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合があります。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれますが、憲法上は、あくまでもわが国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものです。
 ■憲法第9条のもとで許容される自衛の措置としての「武力の行使」の新三要件
 ◯ わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
 ◯ これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
 ◯ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
 (3)自衛権を行使できる地理的範囲
 わが国が自衛権の行使としてわが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使できる地理的範囲は、必ずしもわが国の領土、領海、領空に限られませんが、それが具体的にどこまで及ぶかは個々の状況に応じて異なるので、一概には言えません。
 しかし、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであり、憲法上許されないと考えています。
 (4)交戦権
 憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものです。一方、自衛権の行使にあたっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められており、たとえば、わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものです。ただし、相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められません。
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 2015年05月21日現在
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