秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

新しい歴史教科書をつくる会

2278/西尾幹二批判008—『国民の歴史』。

 西尾幹二全集第17巻(国書刊行会、2018)の西尾自身による「後記」(計14頁)の中で、西尾自身が、<国民の歴史>と<江戸のダイナミズム>のという二つの「主著」は「グローバルな文明史的視野を備えていて」、「これからの世紀に読み継がれ、受容される使命を担っている」と自賛する。
 また、その直前では、<国民の歴史>等の著作は「『つくる会』運動の継承者を末長く動かす唯一の成果」で、「この観点を措いて」この運動の「意義は他に存在しなかった」とまで言い、それだけ「歴史哲学の存在感は大きい」と記している。p.751。
 そのあとで「思想上の戦い」という言葉もあることからすると、西尾幹二は、自著の<国民の歴史>は、「歴史哲学」上、および歴史「思想」上の顕著な意義をもつらしい。あくまで2018年時点での言葉だが。
 はたして本当にそうか。
 <決定版>と銘打っていた文春文庫版を「底本」としつつ「決定版」という文字を削った同全集第18巻(2017)収載のものによって、その一部の「6 神話と歴史」に少し立ち入ってみよう。
 一 いわば<章>にあたる部分を「6 神話と歴史」とだけ記して、全体に「章」・「節」等の語が用いられていないのは何故か。著者の趣味・気分によるのではなく、<国民の歴史>を体系的・学術的に描いたものではない、という西尾の「自覚」あるいは「負い目」が表れているようにも思える。
 この書物は「歴史哲学」書などという学術書でも論文集でもなく、言ってみれば、<歴史随筆書>だ。あるいは、広い意味での<歴史読み物>だ。
 哲学だ思想だなどと、気取ってはいけない。
 第6章にあたりそうな「神話と歴史」は、さらにぎのように分けられる。各「節」とはされておらず、「数字番号」すら付いていない。
 番号を勝手に付けて順に並べると、つぎのような「体系」?を構成している。
 0 (無題、はしがき)。
 1 日本古代史学者よ、常識に還れ
 2 歴史と神話の等価値
 3 すべての歴史は神話である
 4 神話と歴史叙述について
 5 日本語の起源問題は今までの言語学では手が届かない
 6 漢字漢文における表現力の限界
 7 "沈黙する歴史"の文字へのリアクション
 8 日本固有の文明の回復に千年を要した
 9 文字は知性を辱める
 10 文字は言語に及ばない、言語は行為に及ばない
 11 神話の認識は科学の認識とは逆である
 以上
 こういう順序でつづって、筆者はこの「6 神話と歴史」でいったい何が言いたいのか。
 これはさほどに困難な問題ではなく、おそらく一つは、つぎの「節」が「7 魏志倭人伝は歴史資料に値しない」であることからしても、中国の「史書」の意義・価値を低め、日本の「神話」の意味・価値を高めることだろう。これは典型的には、上の「2 歴史と神話の等価値」、とか「3 すべての歴史は神話である」という表題でも示されている。
 二つは、上とも関連して中国の文明・文化に対する日本の文明・文化の独自性を強調することだ。
 これだけのことを、29頁も使って長々と書いている、という印象もある。
 また、明瞭に、または「論理的」にこれらを<実証>しようとする姿勢は乏しく、かなりは推論であり、こうであってほしい、こうであるはずだ、という著者の「思い込み」だ。
 この「6」でも見られる西尾の叙述の特徴は、先行する文献をかなり多く紹介したり、引用しつつ、それらを根拠にして?自分の言述を正当化しようしていることだ。以下、登場させる人名、紹介・引用する著書の人名を全て列挙しよう。前者は()で括る。
 (タイラー、フレーザー、吉田敦彦)、エルンスト・ベルトラム、(ヤーコブ・ブルクハルト、トゥキュディウス)、①吉田敦彦、(レヴィ=ストロース)、②川瀬一馬、(網野善彦)、③早田輝洋、④松本克己、⑤安本美典、⑥東野治之、⑦山尾幸久、⑧黄文雄、⑨加地伸行、⑩岡田英弘、⑪小林芳規、⑫ヤン・ブレキリア。⑬本居宣長。
 これらの名前や説に言及して西尾が言いたいのは、「小括」がないので分かりにくいようでもあるが、上記を繰り返せば、第一に、中国の「史書」の意義・価値を低め、日本の「神話」の意味・価値を高めること、第二に、中国の文明・文化に対する日本の文明・文化の独自性の強調だ。
 あえて、原文そのものから引用しておこう。
 ・「漢書」や「魏志倭人伝」の「一見合理的にみえる」記述は「合理的」で古事記や日本書記の「ばかばかしいつくり話にみえる神話は歴史ではない、と戦後簡単に決めつけられたことがはたして正しいのだろうか、と問うている」。
 ・「あえて言うが、広い意味で考えればすべての歴史は神話なのである」。
 。「繰り返すが、すべての歴史は広い意味での神話なのである。ことに古代においては歴史と神話のあいだに明確な境界は立てれない。したがって、『漢書』や『魏志倭人伝』もまた、多面では神話の一種であると言っておかねばならぬ」。以上、p105-106。
 ・「われわれの社会の言葉の感性を、古代社会へわがまま勝手に当てはめることてせ足りるとする風」がある。一見合理的な「漢書」や「魏志倭人伝」の「現代的解釈でもってして日本列島の始源を記した唯一絶対の証拠とするなどは、まさにそれである」。「儒仏到来以前の民族の原体験を象徴している記紀神話を、重要な歴史解釈の手段としようともしない戦後の知的惰性は、現代の空疎な傲慢のもうひとつの実例である」。p.128。ここには<レトリック>もある。
 二 どこかおかしい。いや、だいぶ、おかしい。元々は20年以上前の書物に関する論文を執筆するわけでも、書評を書くわけでもないので、西尾幹二に倣って?「適当に」思いつくまま、コメントしよう。
 01 「歴史」と「神話」の第一次的・暫定的な定義すらない。そして、漢書・魏志倭人伝は「歴史」書とされ、日本書紀・古事記は「神話」だとされている、ということから出発している。
 02 上の出発点に立つことなく、日本書紀・古事記も(日本の)「歴史」書だ、と主張することから始めても両者を相対化できる、または「等価値」視できるはずだが(論理的には)、そういう論理を採用していない。
 03 「神話」概念の中に、明らかに「伝説」や「伝承」を含めている(p.105、等)。「神」が登場する、または関係する「神話」と「伝説」・「伝承」は、古代ではかなり近いとかりにしても、同義ではない。一般に、西尾幹二という人物は概念に厳密ではない。
 04 西尾が非難し対決しようとする(有力・通説的)日本史学界が「漢書」や「魏志倭人伝」を(それらの「現代的解釈でもって」)「日本列島の始源を記した唯一絶対の証拠とする」ことをしていたのかどうか自体、疑わしい。秋月が中学生当時に学んだ歴史教科書の内容の記憶からしても、そう言える。
 西尾は、誤った、架空の敵と戦っている(いた)のではないか。
 なお、ついでながら、「自虐史観」者ではない出口治明は、『ゼロから学ぶ「日本史」講義・古代編』(文藝春秋、2018年)を、「地球の歴史、生命の歴史」から始めている。「ビッグバン」にも言及がある。西尾幹二の知識は、20年前にすでに時代遅れであった可能性が高い。
 <ナショナリズム>の観点から、あえて敵の姿を歪めているのではないか。
 05 問題は「歴史」か「神話」か、魏志倭人伝等も<広義の「神話」>か、ではない。漢書倭国伝・魏志倭人伝と8世紀に成立した日本書記・古事記がそれぞれ、どの程度<事実>を反映しているか、であって、二者択一の問題ではない。
 魏志倭人伝が全て事実を記しているとは秋月も考えないし、記紀がすべて事実ではない、とも考えない。魏志倭人伝の陳寿がどの程度正確に伝えたかという問題はあるし、そもそも「女王の都する」処には来ていない可能性もある。一方、日本書記、古事記が全て完全な「でっちあげ」話でもないだろう。何らかの「伝承」を伝えている、または反映している可能性はある。これらはほとんど常識ではないか。
 問題は、もっと具体的なのだ。具体的な論点がいくつもあるのだ。西尾は無知のゆえに単純化しすぎなのではないか。
 06 西尾幹二ははたして、漢書(の倭国部分)・魏志倭人伝、古事記・日本書記の全体をすべて「きちんと読んだのか」?
 おそらく間違いなく、否、だ。この人は全くかほとんど読まないで、他人が言及したり紹介したりしている部分だけを参照して、これらを「知った」気になっている。
 恥ずかしいものだ。日本書記・古事記を実際に読んでみる、ということをしないで、「神話、言語、歴史をめぐる本質論を以下展開する」(p.103)とよくぞ書けたものだ。
 07 以上で、すでに西尾幹二『国民の歴史』の「歴史哲学」的意味の存在は疑わしい。
 08 上に記した少なくない人名(・書物)への言及は、西尾の叙述にとって「都合のよい」箇所を選択したもので、なぜその人物(・書物)に言及するのかの説明はなく、その人物全体の(日本古代に限っても)歴史観や歴史叙述の中ではどう位置付けられているのかも不明なままだ。
 網野善彦や山尾幸久のように西尾とは異なる界隈の歴史学者の名もあるし、岡田英弘とて、日本書記・古事記の見方は西尾幹二とはまるで異なる(すでにこの欄で紹介したはずだ)。安本美典も。
 結局のところ、これらの人名・その叙述への言及は<衒学>だと考えられる。自分の本業は「歴史」ではないが、これだけ多数の文献に目を通したのですよと、読者に言いたい、そして自慢したいのだと思われる。1-2頁ぶん使って引用して、せっかくの紙面を無駄にしている場合もある。
 三 この『国民の歴史』が「歴史哲学」、歴史「思想」に関係する? 「グローバルな文明史的視野を備えてい」る?
 悪い冗談はやめた方がよい。

1994/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題④。

 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)所収の同「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」初出/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。
 西尾幹二、71歳の年。上掲書の一部。p.77~。いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>に関して。
 ③のつづき。直接の引用には、明確に「」を付す。原文とは異なり、読み易さを考慮して、ほぼ一文ごとに改行している。
 --- 
 2006年4月30日「理事会」での鈴木尚之「演説」の、西尾幹二による「一部」引用。これをさらに秋月によって「一部」引用する。
 ***
 ・「西尾先生宅に送られた4通の怪メール(FAX)」の「一通〔往復私信〕は私が八木さんに渡したものである。
 もう一通〔怪文書〕は、3月28日の理事会に出席していなければ絶対に書けない内容のものであり、4通はすべて関連している内容のものである。
 八木さんは<諸君!>で『私のあずかり知らないことである』ととぼけているが、そんなことで言い逃れできるはずがない。
 これもまた、八木さんの保守派言論人としての生命に関わることである。」
 ・2006年4月4日午後2時に「私と会った産経新聞の渡部記者は、『鈴木さん、申し訳ありません』と」「謝り、『とにかく謀略はいけません、謀略はいけません。八木・宮崎にもう謀略は止めようと言ったので、もう謀略はありませんから……〔……は西尾による引用原文ママ-秋月〕。私は、産経新聞を首になるかもしれない』と言ったのである」。
 ・この産経新聞の渡部記者は「同じことを藤岡さんにも言った」とのことがのちに明らかになり、「このことを知って私は、八木さんに『産経の記者があなたにどんな話をしているのかわからないが、藤岡さんに話したことと同じことを私にも言っているのだから、これはもう重大なことですよ。最悪のことを考えて対処しないと大変なことになりますよ。とにかく記者は顔色をなくして私にこう言ったのだから。謀略はいけない、謀略はいけないと』。
 そのとき八木さんは、『謀略文書をつくったのは産経の渡部君のくせに……〔……は西尾による引用原文ママ-秋月〕。彼は、1通、いや2通つくった。これは出来がいいとか言ってニヤニヤしていたんだから……〔……は西尾による引用原文ママ-秋月〕』とつぶやいたのである」。
 ・「以上のことは、4月30日の理事会で、特別の許可を得て私がした報告の内容である」。
 「八木さんを糾弾するために言ったのではない。
 八木さんが、このような『禁じ手』を使ってしまったことを反省し謝罪しないかぎり、八木さんに保守派言論人としての未来はないという危機感を持ったから」だった。
 「それでも八木さんは、謝罪することなく、『つくる会』を去って行った」。
 ***
 (以下は、西尾幹二自身の文章-秋月。)
 ・「この鈴木氏の手記から見ても、怪文書事件には八木、宮崎、渡部の三氏が関与していた疑いを拭い去ることができない(渡部記者は新田均氏のブログにこの証言への反論を載せている)」。
 「八木氏が、もしこれを『私はやっていない』『他の人がやったのだ』と言いつづけ、与り知らないことで嫌疑をかけられることには『憤りを覚える』などと言い募るとすれば」、…と同じ「盗人猛々しい破廉恥漢ということになる」。
 ・付言しておくと、「怪文書事件のほんとうの被害者は私ではなく、藤岡信勝氏である」。
 「公安調査庁の正式の文書を装って」、氏の経歴の偽造、日本共産党離党時期の10年遅らせ等の文書が「判別した限りで6種類も、各方面にファクス」で送られた。
 理事たちは「本人に聞き質すまで」混乱して疑心暗鬼に陥った。しかも氏の「義父を侮辱する新聞記事」まで登場して「私の家にも」送られた。「はなはだしい名誉毀損であり、攪乱工作である」。
 ・「現代は礼節ある紳士面の悖徳漢が罷り通る時代」だ。「高学歴でもあり、専門職において能力もある人々が」社会的善悪の「区別の基本」を知らない。
 「自分が自分でなくなるようなことをして、…その自覚がまるでない性格障害者がむしろ増えている」。
 「直観が言葉に乖離している」。「体験と表現が剥離している」。「直観、ものを正しく見ることと無関係に、言葉だけが勝手にふくれ上って増殖している」。「私が性格障害者と呼ぶのはこうした言葉に支配されて、言葉は達者だが、言葉を失っている人々」だ。
 ・「私は八木秀次氏にも一つの典型を見る。
 他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。
 言葉の向こうから語り掛けてくるもの、言葉を超えて、そこにいる人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない。」
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す。
 今度の件で保守言論運動を薄汚くした彼の罪はきわめて大きい。
 言論思想界がこの儘彼を容認するとすれば、…を難詰する資格はない」。
 ・「それなのに八木氏らをかついで『日本再生機構』とやらを立ち上げる人々がいると聞いて、…ほどに閑と財を持て余している世の人々の度量の宏さには、ただ驚嘆措く能わざるものがある。」
 ---
 見出しなしの最初の段落のあとの、<怪文書を送信したのは誰か>につづく<言葉を失った人々>という見出しのあとの段落が終わり。つづける。

1985/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題③。

 記録しておく価値があるだろう。
 西尾幹二「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)所収-初/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。
 西尾幹二、71歳の年。上掲書の一部。p.77~。
 いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>に関して。
 ②のつづき。直接の引用には、明確に「」を付す。原文とは異なり、読み易さを考慮して、ほぼ一文ごとに改行している。 
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 ・「謀略好きの人間と付き合っていると身に何が起こるか分らない薄気味悪い話である。」/この一文は前回②と重複。
 *以下の第三節に当たるものの見出しは「怪文書を送信したのは誰か」(秋月)。
 ・「まさか、と人は思うかもしれないが、恐るべき巧妙な仕掛けがもうひとつあった」。
 「怪文書中の『藤岡は<私は西尾から煽動メールを受け取ったが反論した>と証拠資料を配りました』における『証拠資料』は理事会には勿論配られなかったが、私の自宅には件の怪文書と同時に送られて来ていた」。
 ・「『証拠資料』とは私と藤岡氏との間に2月3日に交された『往復私信』である。
 私は会の事務局長代行の鈴木尚之氏のことを取り上げ、『鈴木氏はあなたの味方ではないですよ』『あなたは会長になるのをためらってはいけない』の主旨のファクスを送り、その紙の空白に藤岡氏が『鈴木氏は自分の味方である』『自分は会長になる意志はない』と簡単に反対意見を記した返信を再びファクスで送ってきた」。
 この『往復私信』は私と藤岡氏しか知らないはずである。
 ところが、怪文書の作成者はこれを知っているどころか所有している。
 しかも怪文書とともにこれを私に送りつけてきた。」
 ・「私はギョッと一瞬たじろぐほど驚いた。
 一体怪文書の作成者は何者で、藤岡氏からどうしてこの私信が渡ったのか。」
 ・「私は早速藤岡氏に問い質したところ、『鈴木氏は自分の味方である』という個所を読ませたくて、鈴木氏に渡したというのである。
 一方、鈴木氏は藤岡氏に会長を狙う意志がないことを示して安心させるために、ここだけのこととして八木氏に渡した。」
 ・「その際、誰にも渡らないように、ほかの人に渡すとすぐに八木氏からのだと分る印がつけてあるから、と注意して渡した。
 他への流出を恐れて渡されたこの『印がついた西尾藤岡往復私信』がなんと不用意にも、『証拠資料』として怪文書と一緒に、私の自宅に送られてきたのだ。
 とすれば、『福地はあなたにニセ情報を流しています。…、小泉も承知です。岡崎久彦も噛んでいます。CIAも動いています』の例の怪文書の送り主はほかでもない、八木氏その人だということになる。」
 ・「この間に起こった鈴木氏のあせりや問い合わせ、八木氏の電話のたじろぎ、沈黙などはいま全部省略する。
 印があることが確認された三度目の電話で八木氏はやっと認め、謝り、犯人は自分ではない、新田氏に転送したと逃げたのである。」
 ・「この間のいきさつは『SAPIO』(6月14日号)にも書いたが、ここでは新情報として4月30日の理事会で当の鈴木氏が行った長い演説を後日まとめた手記の一部を紹介する。鈴木氏は次のように語っている。」
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 さらにつづける。

1966/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題②。

 記録しておく価値があるだろう。
 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)。
 西尾幹二「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」初出/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。西尾幹二、71歳の年。上掲書の一部。p.77~。
 いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>に関して。
 ①のつづき。一部ずつ引用。直接の引用には、明確に「」を付す。但し、原文とは異なり、読み易さを考慮して、一文ごとに改行していることがある。一部の太字化は、秋月による。
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 ・「しかもここには古いしがらみをもつ党派的な人間関係もあった。
 前出の四人組と宮崎前事務局長は、松浦氏を除いて、若いころ旧『生長の家』の右派系学生政治運動に関係していた古い仲間であるという。
 執行部側は知らなかったが、いつの間にか別系列の党派人脈が会にもぐりこんでいたのである。
 彼らの結束が固いのも道理である。
 この学生政治運動には日本会議の事務総長椛島有三氏、日本政策研究センターの所長伊藤哲夫氏も参加していたという
 (後日分るが、郵政解散で議席を失い、安倍首相の肝煎りで自民党参院選候補に戻って、ひとしきり話題になった衛藤晟一氏も旧い仲間の一人であった)。
 がっちりとスクラムを組んだ彼らの前近代的仲間意識の強さにはただならぬものがあることをやがて知る。」
 ・「私は、八木氏はかねて遠藤浩一氏や福田逸氏に共感を寄せていたので、近代西洋思想に心を開いた人で、いわゆる国粋派ではないと思っていた。
 新田氏は、<中略…>ゼミで彼の先輩に当るという。
 要するに八木氏は思想的にどっちつかずで、孤立を恐れずに断固自分を主張するという強いものがそもそもない人なのである。
 会議でもポツリポツリとさみだれ式に話すだけで、全体をリードする人間力がなく、雄弁でもない。
 応援してくれる人がいないと一人では起ち上がれない弱々しい人だ。
 『僕には応援してくれる人がたくさんいます』という科白をわざわざ先月号の原稿の最後に吐くことに稚気を感じる。」
 ・以上は、2005年末頃~2006年1月17日の、「私〔西尾〕が退会した前後にいたる出来事」にもとづく。
 〔*以下の第二節に当たるものの見出しの原語は「怪文書を送信したのは誰か」(秋月)。〕
 ・「八木氏は藤岡氏の日共〔日本共産党-秋月注〕離党平成13年というガセネタのメールを公安調査庁に知人がいて確証を得たとして、あちこち持ち歩き、理事会の反藤岡多数派工作と産経記者籠絡の言論工作に利用した。
 つづいて私が退会して2ヶ月たった4月1日夜私の自宅に、次に掲げる薄気味の悪い怪文書を証拠資料と共に番号のつかないファクスで送ってくるものがいた。
 この脅迫めいた文書を作成し送信した者が八木氏であるかどうかを決めつけることはさておき、氏でなければ書けない内容も含まれ、少なくとも八木氏に近い人々による共同作業であったことだけは確かで、これには後述するような新しい証言がある。」
 ・「その頃なにかと理事会情報を私に伝えてくれたのは、福地惇氏だった」。
 福地氏は、「元文部省主任教科書調査官(歴史)」、「東大教授の伊藤隆氏の教え子」である。
 *以下、<怪文書>内容(秋月)。
 「福地はあなたにニセ情報を流しています。
 伊藤隆に言い含められて八木支持に回りました。」
 理事会で西尾幹二を相手にしないようにしようと言い出したのは「福地です」。
 「『フジ産経グループ代表の日枝さんが私に支持を表明した』と八木が明かすと会場は静まり返りました。
 宮崎は明日付で事務局に復帰します。」
 藤岡信勝は<西尾からの煽動メールに反論した>との「証拠資料を配りました」。
 彼は「代々木党員問題はうまく逃げましたが、妻は党員でしょう」。
 「高池はやや藤岡派、あとは今や全員八木派にならざるを得なくなりました。
 八木はやはり安倍晋三からお墨付きをもらっています。
 小泉も承知です。
 岡崎久彦も噛んでいます。
 CIAも動いています。」
 ・「私〔西尾〕が深夜読んで十分に不安になる内容であった理由を以下説明する。
 私は『小泉も承知です』の一行にハッと思い当ることがあった。」
 2005年12月25日の理事会の帰り際に「八木氏」は私〔西尾〕の新著「『狂気の首相』で日本は大丈夫か』を非難がましく言い」、「官邸は」西尾に「黙っていない、って言ってますよ」と「脅かすように告げたことがある」。
 ・「『誰が言ったのですか』」、「『知っている官邸担当の政治記者です』。」
 「『それはいつですか』。聞けば私のこの本の出る前である」。
 「そういうと『先生はすでに雑誌に厳しい首相批判を書いていたでしょう。西村〔真悟〕代議士がやられたのは『WiLL』での暗殺容認のせいらしい』」、「『私はそんな不用意なことを書いていないよ』」。
 ・2005年「12月25日は八木氏がにわかに私にふてぶてしく、居丈高にもの言いする態度急変の日だった」。
 「彼は安倍官房長官(当時)に近いことがいつも自慢だった。
 紀子妃殿下のご懐妊報道の直前、日本は緊張していた。
 あのままいけば、間違いなく『狂気の首相』が満天下に誰に隠すところもなく露呈してしまう成り行きだった。
 国民は息を詰めていた。
 制止役としての安倍官房長官への期待が一気に高まった。
 八木氏は安倍夫人に女系天皇の間違いを説得する役を有力な人から頼まれたらしい。
 まず奥様を説得する。搦め手から行く。」
 ・「八木氏はこの抜擢がよほど得意らしく、少なくとも二度私は聞いている。
 彼は権力筋に近いことをなにかと匂わせることの好きなタイプの知識人だった。」
 ・「右の怪文書の最後のCIAは関係あるのかもしれない深い謎だが、岡崎久彦氏の名は、いや味である。
 私の教科書記述のアメリカ批判内容を岡崎氏によって知らぬ間に削られ、親米色に替えられ、私が怒っていたことを八木氏はよく知っていたからである。」
 ・「伊藤隆氏が、つくる会理事退任届を出すに際し、過去すべての紛争の元凶は藤岡氏にあったとのメッセージを公開したことは、関係者にはよく知られている。
 伊藤氏の藤岡氏への反感は根が深く、伊藤氏が元共産党員であった、私などには分らぬ近親憎悪の前歴コンプレックスがからんでいる可能性は高い。」
 ・伊藤氏の大学の教え子の福地惇氏と八木氏・宮崎氏は2006年3月20日に会談した。
 「福地氏を反乱派の仲間に引きこむためである」。
 伊藤氏の反藤岡メッセージと「公安が保証したという藤岡党歴メール」を福地氏に見せて「このとき多数派工作を企てた」。福地氏について、「3月末の段階ではまだそういう期待もあった」。
 「こうして4月1日私に深夜送られて来た怪文書の最初の二行は、八木一派の工作動機を暗示している願望にほかならない」。西尾・福地間を「裂こうとする願望」も秘められている。
 ・「西尾がすでに退会しているので、クーデターの目標は藤岡排除の一点に絞られつつた」。
 西尾の口出しも排除したいが、「しかし何といっても藤岡が対象である」。
 「その執念には驚くべきものがあった」。
 ・私は「深夜の怪文書の一行目『福地はあなたにニセ情報を流しています』を信じてしまい」、理事会欠席の私に「親切な理事の一人が福地氏のウラを教えてくれた」のだと思った。
 「そういうことをしてくれる人は田久保忠衛氏以外にないと思い、氏に夜中に謝意をファクスで伝えた。
 翌日電話で全くの誤解だったことが明らかになり、田久保氏と二人で大笑いになった。
 しかしよく考えれば笑えない話である。」
 あのまま…ならば「3月28日の理事会はこういうものだったと死ぬまで信じつづけることになっただろう」。
 ・「謀略好きの人間と付き合っていると身に何が起こるか分らない薄気味悪い話である。」
 <つづく-秋月>

1963/西尾幹二2007年著-「つくる会」問題①。

 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007年7月)。
 記録しておく価値があるだろう。上掲書の一部。p.77~。
 西尾幹二「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」初出/諸君!(文藝春秋)2006年8月号。西尾幹二、71歳の年。
 八木秀次論というよりもむしろ、いわゆる「つくる会」の歴史の<認識>にかかわって。
 一部ずつ引用。直接の引用には、明確に「」を付す。但し、原文とは異なり、読み易さを考慮して、一文ごとに改行していることがある。
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・諸君!2006年5月号の八木秀次氏の私(西尾)に関する文章は「私の虚栄心をくすぐってくれた題である。これにリードがついて『執拗なイジメの数々…私〔秋月-八木のこと〕は林彪のごとく<つくる会>を去っていくしか術はなかった』と氏の行動が表現されている」。
 ・「一人の男として、会のトップに立つべき人として、足を引っ張られたとか、イジメられたとかは口が裂けても言ってはならないはずだが、全文を読み終ると、八木氏はこのリードの通り弁解めいた弱音をさらけ出し、〃ボクちゃんはイジメられたけど正しかったんだよお〃と訴えているように読める。」
 ・私(西尾)は2006年1月17日に<つくる会>の名誉会長を辞任した。
 「振り返れば、前年〔2005年-秋月〕の12月初旬、八木氏は突然、私に対して態度が大きくなり、ふてぶてしくなり、あっと驚く非礼があり、執行部の中心にいた彼が『宥和』を図ると称して執行部に反対する四人組(新田均氏、勝岡寛次氏、松浦光修氏、内田智氏の四理事)+宮崎正治・前事務局長の反乱側にひそかに寝返ったのである。
 執行部会議に名誉会長、すなわち西尾は出て来るべきではないと彼が私に面と向かって言ったのは12月25日だった。
 私は困難が発生したから乞われて執行部会議に臨時に出ていただけなのに、そういう言い方だった。
 執行部を中心とした良識派は八木氏の急激な変貌ぶりに危機感を覚え、守りを固めた。」
 ・私(西尾)は2006年1月16日の理事会で「『お前はなぜそこにいる』という意味の重ねての無礼な反乱側の挑発に腹を立て、名誉会長の称号を返上した」。
 ・「…渡りに船でもあり、辞任に不満はないが、クーデターは許せないと思った」。
 「平時に」理事会にも出ないが、大事なのでと執行部側から出席を求められ、「名誉会長の最後の義務だと思ってやりたくもない務めを果たしていた」。
 「しかし何度もいうが、会の精神を変えてしまうクーデターは許せない」。
 ・「というのは、単なるポストをめぐる争いではなく、会を教科書をつくる会ではなく、なにかまったく別の違ったものに変質させてしまう考え方をもつ人々による計画的簒奪であることが、後日少しずつ分るようになるからである。」
 ***
 ・「すでに反乱側の少数派は12月の段階で会を乗っ取ろうとし、事務局まで割って、執行部側の事務局員をイジメて追い出そうとしていた(実際に二人追い出された)。
 今思えば11月半ばから八木氏の会長としての職務放棄、指導力不足は意識的なサボタージュで、彼によってすでに会はこの早い時期に分裂していたといえる。」
 ・八木氏は先月号=2006年5月号で「悲劇の主人公を演じている」が、「六人のうち私と藤岡氏を除く三副会長、遠藤浩一、工藤美代子、福田逸の諸氏のうち工藤、福田の両氏を副会長に指名したのは八木氏その人だった」。
 「彼はその三副会長に背中を向け、電話もしない。
 六人の中で孤立したのではなく、他の五人から自分の意志で離れて『四人組+宮崎』派にすり寄ったのである。
 しかも何の説明もしなかった。
 三副会長は怒って辞表を出した。
 それでも八木氏は蛙の面に水である。
 都合が悪くなると情報を閉ざし、口を緘するのが彼の常である。」
 ・言いたいことはガンガン言えばよい。「しかし彼は黙っている」。
 「語りかける率直さと気魄がない。
 それで後になって自分は置き去りにされていたとか、自分の知らない処でことが進んでいたとか繰り言をいう。
 すべてそういう調子だった。」
 ・「今考えると、サボタージュを含むすべての行動は計画的だったのかもしれない。
 しかし前記の論文では自分はイジメられて追い出されたという言い方をしている。//
 自分がしっかりしていないことを棚に上げて、誰かを抑圧者にするのはひ弱な人間のものの言い方の常である。」
 <つづく-秋月>
ギャラリー
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  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
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  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
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