秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

掛谷英紀

0033/掛谷英紀・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)を全読了。

 先日、掛谷英紀・学者のバカ(ソフトバンク新書)に肯定的に言及した。著者に興味をもったので、続いて同・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)という計79頁の、冊子のような本を29-30日の一晩で読み終えた。
 「リベラル」とは何か。大きなテーマだが、掛谷氏は「リベラル」を1.人権尊重+法の下の平等、2.他者の権利を侵害しないかぎりでの個人の諸選択の自由の尊重、3.これらの保障のため相応の責任分担、を要素とするものと捉える(私の簡略化あり)。
 また、a個人的(・政治的)問題とb経済的問題のうち、「リベラル」は、aへの国家介入をゼロに近づけること、bへの国家介入が100%へ接近することを容認するもので、逆にaへの国家介入を期待しbへの国家介入を最小にしたいのが「保守」と位置づける。さらに、aとbともに100%に近い国家介入を認めるのが「権威主義」(リベラルに振れれば「社会主義」、保守に振れれば「ファシズム」、一方、その対極にあってaとbともに国家介入を最小又はゼロにしたいのが「リバタリアン(無政府主義)」と位置づけている。
 もともと欧州と米国とで「リベラル」の意味は違うのだが、掛谷の概念用法は米国的だろうと思われる。それはともかく、かなり参考になる一つの分類の仕方で、「社会主義」と「ファシズム」の近似性の指摘も納得がいく。もう一つ、c軍事・平和軸(憲法九条や日米安保同盟の評価)を加えれば、(「思想」は大袈裟だとすれば)「基本的な考え方」の分岐が整理できるのではないか。また、リベラルと社会民主主義(社民主義)の違いも、この本を読んでに限らず、従来から気になっているところだ。(私は自らの立つ位置をなおも模索しているところがある。つまり、経済的自由への国家介入・政策的介入については基本的には「自由」優先だが、介入の程度、介入の態様、介入する場面・論点等の問題は、永遠の課題で、他の点はともかく、簡単には答えられないように感じているのだ…。)
 具体的には、仔細には立ち入らないが、介護・保育制度、薬害エイズ報道、夫婦別姓論等について、「リベラル」派と自己認識していると思われる知識人やマスコミ等がじつは上のような意味での正しい「リベラル」的主張をしておらず、むしろ「(選択の)自由」を制限する矛盾を冒しているとして、(「合理的」かつ「客観的」なリベラリズムを目指すというのが主観的意向のようだが)批判している。ここでのリベラル派マスコミの中には朝日新聞も入ると思われ、とすると、朝日新聞批判の著でもありうることになる。
 頭の体操的にも、前に読んだ著と同様に面白い。公的資金を投入した保育サービスの提供は自分で育児をしたい母親に不利に働き、子どもを保育所に預けて外で働くという選択肢を強要する傾向を持たざるをえず、選択の自由というリベラルの理念に反する、とか、ほぼ同じ意味だが、自分で育児したいとの女性(母親)の「自由」を抑圧・制限する方向に働く制度設計は誤りだなど、本格的なフェミニズム批判又は男女共同参画的施策批判につながりそうな指摘もある。
 新風舎刊ということは原稿持ち込みの半分自費出版的なものだろうか。掛谷英紀氏、32歳になる年の書物である。

0027/掛谷英紀・学者のウソ(2007.02)を3月半ばに読む-フェミニズム批判。

 ソフトバンク新書というのが新発行されたものの関心を惹くテーマ・執筆者のものが僅かだった。しかし、掛谷英紀・学者のウソ(2007.02)は、3月半ばに一部を読み終わっただけだが、なかなか良い本だ。読んだ順に記すと、第一に、脱税企業に関する新聞記事の量と当該新聞紙上の広告主との関係につき、仔細は省略するが、「朝日新聞についてはスポンサーへの配慮が記事にまで影響を及ぼしている可能性がきわめて高いことがわかる。一方、読売新聞にはスポンサー・非スポンサー間で有意な差は見られなかった。私は個人的には読売新聞をよく思っていないが、脱税事件の報道に限ると、同新聞の報道姿勢は評価に値する」(p.139)との結論が興味深い。朝日がスポンサーを配慮せざるを得なくなっているとすれば、それは経営的には必ずしも順調でないことを意味する、とつながれば、私にはますます好ましい情報なのだが。
 第二に、知る人ぞ知るの話かもしれないが、私は知らなかった。p.144-5によると、上野千鶴子は自閉症は母子密着が原因と主張したが生まれつきとの説が有力で、自閉症児の親たちから差別助長と抗議を受け、最初主張した本と同じ出版社の「「マザコン少年の末路」の記述をめぐって」の一部に謝罪文を掲載した。これを読んだ某「自閉症児の親の会」の会員いわく-上野からは自閉症に無知識だったのでうっかりしていた、ごめんなさいと素直に謝って貰ったらすっきりしたが、また彼女には「弱者の味方」のイメージもあり期待したが、謝罪文を読んで「「二度と自閉症にかかわるものか」という上野さんの姿勢が感じられ、その落差が激しくて…」。
 著者・掛谷は、次のように書く。「上野氏は弱者の味方のふりをするだけで、…持論を補強するために弱者を利用しているにすぎない」ことにこの母親は気づいてなかったのだろう。「上野氏がなくしたいのは、差別でも性差別でもなく、性差の存在(性の区別)そのものである」。著者は自信をもって断定している。
 上の第二で言及した「事件」はありうることだと納得できるが、第三に、つぎの諸指摘は断定的・明瞭でありすぎるために、その内容に驚きとじわりとした恐怖を感じる。掛谷いわく-フェミニストの殆どは「学歴エリート」だが、人間を男女の二つに分け、「女性全体を弱者と見立て」た上で、「弱者集団である女性への援助を名目に、女性集団の中の強者であるエリート女性のみに手厚い政策的援助が行くように誘導する」。「男女共同参画では強者の女性を援助して弱者の女性への福祉は切り捨てている」。フェミニストは専業主婦を「税金泥棒呼ばわりする」が、「現行の税・社会保障制度で一番得をするのは、…夫婦とも中・高収入を得ているエリートカップルの世帯」だ。「男女共同参画社会は、…高学歴夫婦世帯に対して集中的に福祉を施している。これでは格差がさらに拡大される」(p.155-p.160)。
 私が挟めば、フェミニスト、弱者のふりをし、「女性という人権」を振りかざして、少数の高学歴(かつとくに配偶者のいない)女性の利益のために政府にゆすり・たかりをしている圧力集団の参謀ではないか。その中の参謀長クラスが上野千鶴子だと思われる。
 第四に、少子化の原因としての妊娠・出産の減少は、女性の社会進出と無関係ではない、外での仕事が魅力的だと、又は外で働く必要があれば、女性が出産・育児を厭う場合もあれば、希望してもできない場合もあるだろう、だからある程度はやむを得ない、時代の流れなのかな、と何となく思ってきたのだが、この本を読んでかなり変わった。フェミニズムこそが少子化、人口減を招き、将来の日本を危うくしている根本的思想なのではないか、と。
 不勉強を曝すが、現在の政府の少子化対策は、働く女性の支援、つまり働きながらでも安心して子育てできる、同じことだが子育てしながらも安心して働ける環境の整備らしい。つまりはゼロ歳児から預けられる保育所も含めての、保育所の増設だ。これは、子育てしながら安心して働ける環境を整備すれば出生率は回復する、又は増加するとの「理論」又は「予想」にもとづく。そのために10年間、毎年2-3000億円の公金を厚生労働省は使った。しかるに、現実は出生率が増加していない。政策効果は出ていない。
 掛谷の本p.56以下によれば、上の「理論」・「予想」は誤りで、赤川学・信州大学教授が、同・子どもが減って何が悪い(ちくま新書)で、1.男女共同参画が進めば=女性が働きやすい環境が整備されれば出生率が上昇するとの「理論」の根拠とされるデータには「捏造」があり、OECD加盟国全27国の統計では「女性の社会進出が進むほど出生率は低下する」こと、2.28-39歳の有配偶者女性ではaフルタイム従業、b本人の収入、c都市居住、の三変数が「出生率の低下に有意に寄与している」、つまり「都市でフルタイムで働く高所得女性ほど出産しない」こと、を示した。男女共同参画は少子化を促進しても抑制することはない、ということだ。こちらの方に説得力があると、私には感覚的に思える。だが、フェミニスト又は女性学者等はなお、男女共同参画推進こそが少子化対策になると主張している、という。
 政府の少子化対策施策は昨年の猪口邦子大臣提言等で子育て家庭への経済的支援(育児手当、児童扶養手当類)の増大へと少し舵取り方向を変えるようだが、従来の男女共同参画社会論者はその見解=「男女共同参画を進めれば子どもが増える」を変えようとせず、「開き直っている」というわけだ。
 掛谷は上の赤川学の理解を支持しつつ、そのような学者ら=上野千鶴子、田嶋陽子、白波瀬佐和子、樋口美雄等を批判し、故意の、確信犯的な「学者のウソ」と断じる(p.73等)。また、女性学会とその周辺学会は「間違った情報を発信し続けて」おり、「日本女性学会のホームページをみると、…学会ではなく政治団体なのではないかと思うような情報発信が多い」としている(p.69)。
 男女平等も男女共同参画も基本的なところでは概念・理念として誤っているわけではないだろう(但し、男女平等は男女の差異の無視・否定と同義ではない)。だが、具体的な政策・施策の次元では、どうやら誤りのジェンダー・フリー論が幅を利かせ、政府の審議会類を乗っ取
ってきた気配がある。掛谷によると、フェミニストは「日本女性学会」等に巣くって政治的主張を展開しているようだ。
 p.66-67に紹介の上野千鶴子の、人口現象の原因を突き止めることは「できない」、少子化対策は「極端に言えば、やってもやらなくても同じ、とも言える」との発言は、掛谷の言葉どおり、「よく考えると、ものすごい」。関係学問の力を否定し、政策効果のなさを自認しているのだ。学問とは何かを、政策・政治との関係を考えてしまう。一般論的すぎるが、政策・政治に「悪い」影響を与える学問はなくてよい。あるいは、そのようなものは政治的主張ではなく社会系の「学問」と本当に言えるのかどうか。
 掛谷はまだ30歳代で、分かりやすい、しっかりした文章も書く。今後の活躍に期待したい学者だ。マルクス主義学者の「ウソ」に殆ど言及がないのは残念だが、年齢・世代、理系出身等からしてやむをえないだろう。それと、「学者のバカ」というタイトルは折角の好著には少し軽すぎだ。もっといい表題だったら、より売れるのでないか。

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