秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

所功

1607/産経新聞「正論」欄担当者の姑息・卑しさ-西尾幹二に関連して。

 西尾幹二の Internet 日記6/2付によると、産経新聞6/1付「正論」欄での西尾原稿の一部はつぎのような変更・修正を求められて、西尾も最終的には了解したという。
 元原稿/「櫻井よしこ氏は五月二十五日付『週刊新潮』で、『現実』という言葉を何度も用い、こう述べている。」
 変更後/「現実主義を標榜する保守論壇の一人は『週刊新潮』(5月25日号)の連載コラムで「現実」という言葉を何度も用いて、こう述べている。』
 西尾によると、産経新聞側の要請内容はつぎの①で、つぎの②の理由によるものだった。
 ①「櫻井氏の名前は出さないで欲しい」、②「同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージは望ましくないから」。
 これに従わないと、「正論」欄への投稿それ自体ができないと怖れたのかのかどうか、西尾は最終的にはこれに従ったようだ。これに<抵抗>できないのかどうか、気にはなる。最終的・形式的には西尾は「同意」している。
 しかし、最終的・形式的な「同意」があったとしても、このような変更・修正の「要請」の適切さを別に問題にすることはなお可能だ。 
 例えば、このような変更・修正の「要請」の趣旨・意図はいったい何で、その元来の意図はそれで達せられているのだろうか。
 印象としては、結局のところ、産経新聞担当者の<事なかれ主義>がさせたこととしか思われない。
 なぜなら、第一に、「同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージは望ましくない」というが、西尾幹二と櫻井よしこに見解の相違があるのは事実だ。表向きに個人名を出そうと出すまいと、その事実を変えることはできない。
 担当者は「イメージ」が「望ましくない」と言ったらしいが、事実はどうあれ、表向きの「イメージ」だけは保ちたいというのだから、まさに本質・事実無視の<表面取り繕い主義>、上辺とイメージの方を重視するという、省庁や企業に全くよくありがちな<表面・形式主義>だ。
 これを解消するのはおそらく一つしかない。つまり、櫻井よしこを批判する論者を「正論」執筆メンバーに加えないこと、逆に西尾幹二が批判する論者を「正論」執筆メンバーに加えないこと。
 このいずれもしないでおいて、批判するときには個人の「名前は出さないでほしい」というのは、本来は矛盾している。論者・執筆者の表現・文章作成の自由を制限している。
 しかしてまた、そもそも「正論」執筆メンバーなるものが<全体主義>的にまたは<産経新聞一党独裁>的に諸問題について同一の見解・主張を持っていないとすれば、たまたまそれらの者たちの間で意見の相違が生じて、異見者を批判したくなること、異見者を批判すべきと考えることもあるだろう。そしてそれは、新聞社側には、文章・原稿が提出されてみないと分からないことだ。
 そうであるのに、文章・原稿の提出を受けたあとで批判先の個人の「名前は出さないでほしい」と要請するのは、<理に叶っている>だろうか
 もともと「正論」欄の一定の執筆陣・執筆担当者に意見の相違があってもよい、ということを承認しているとすれば、特定の個人名を出すか出さないかは、全く些細な問題のはずだ。個人名を出さなかったからといって、週刊新潮に執筆している「保守論壇の一人」程度ですでに実質的には特定されている。いったい何の意味があるのか?
 産経新聞担当者はあるいは、週刊新潮に執筆している「保守論壇の一人」が誰であるか分からない読者もいるので、その人たちには特定個人名(櫻井よしこ)を隠したい、と考えたのかもしれない。
 しかし、これもおかしい。
 産経新聞というのは、自由で公平な新聞・ジャーナリズムの一端を担っているつもりなのだろう。その新聞が<分からない読者は分からないままにしておけ>という態度を採ってよいのだろうか。
 今回の事案では元来はすでに、「正論」欄執筆メンバーの表現・文章作成の自由を、産経新聞の担当者は実質的に制限している。読者の「知る権利」などという<理念>などは、あるいは<情報の自由な流通という理念>などは、かんたんに吹っ飛んでいるのだろう。
 なぜか。こうした実態は、つまり「正論」欄執筆者相互では<名指し>の批判はしない、ということは、産経新聞の慣行上の<不文律>になっていて、たまたま西尾幹二がこれを侵犯した、ということなのか?
 しかし、この場合でも、この<不文律>はおかしい、自由な言論機関がこんな慣行でもっていったん執筆メンバーに加えた言論人・論壇人を縛るべきではない、という立論も当然に成り立つ
 なぜか。産経新聞の担当者は、櫻井よしこを守りたいだけではないのだろうか。
 <櫻井よしこさんの名前が特定されていましたが、削ってもらっておきましたよ>と櫻井に伝えて、<心おぼえ>をよろしくしたいだけではないだろうか。
 櫻井よしこにしてみれば、-これも本当は奇妙なのだが-自分の名前が直接に出ているよりは、週刊新潮・「保守」、という程度の方が<心穏やか>かもしれない。
 そうした櫻井よしこの個人的心情を<忖度>したのが、産経新聞「正論」欄担当者(新聞全体の編集者との関係はよく知らない)ではあるまいか
 産経新聞の阿比留瑠比は、東京新聞の内部的混乱を批判して東京新聞の<自由な言語空間>のなさを揶揄していた。
 はたして、産経新聞には<自由な言語空間>はあるのか。産経新聞にもまた<閉ざされた>面はないか。
 <月刊正論>(産経)は、執筆者の構成から当然に<自由な>雑誌ではない。それは出版・編集の<自由>というものがあるからで、特定の論者(例えば、高森明勅とか所功とか小林よしのりとか)を排除する「政治」性があっても、そういう編集方針またはその上の、私企業の月刊誌出版方針を尊重するのが<自由>尊重の日本の基本的考え方だ。
 しかし、新聞についても同じではあるのだが、いったん産経新聞上の「正論」欄執筆者の一人として迎えて原稿を依頼しておきながら、①「櫻井氏の名前は出さないで欲しい」と、②「同じ正論執筆メンバー同志の仲間割れのようなイメージは望ましくないから」という理由で<要請>または<誘導>するのは、「編集の自由」のうちに含まれるのだろうか。
 あるいは論理的・概念的にそれとかりに抵触しない(産経新聞側の法的「自由」の中にある)としても、このような<要請>・<誘導>が相手方以外のものの個人的心情の<忖度>や、ばかばかしい当該欄の表向きの「イメージ」の維持という<事なかれ主義>に動機があるのだとすれば、それは姑息で<卑しい>ものではないか。
 そしてその「姑息で卑しい」心理によって、一人の原稿執筆者・提出者の<心情>を少しでも害することがあってよいのか。
 新聞社・雑誌出版社、これらの<出版・編集の自由>と<表現の自由>・<原稿執筆の自由>との関係について、あるいは<情報の自由な流通>というものについて、考えさせられる。
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 編集者の意向の範囲内で(これが先ずは絶対に大切)、締め切り期日を、そして限度文字数を守って、原稿をきちんと提出してくれる「文筆業者」=「文章作成請負人」=「文筆で食って、顕名欲を充たしているだけの人々」をめぐっては、こういう問題を考えさせられることは、きっとない。<出版・編集の自由>と<表現の自由>・<原稿執筆の自由>の対立が生じないような「心得」=「俗世間の智恵」がお互いにあるからだ。
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 以上、一気に書いたので、論理的整合性、関連づけが不足するところがあるかもしれない。

1571/2017年2月末以降に読んだもの・入手したものの一部。

 2017年02月末以降の文献。
 この欄の意味について疑問をもったときにかつては「読書メモ」の意味だけでも持たせようと思ったが、昨年以降はそれも虚しいようで、できるだけ自分の文章を残すようにしてきた。
 そうなると、元来の「読書メモ」の機能は失う。
 最近にあれこれと書いていても、読んだり入手したりした書物類は、記載・言及するよりもはるかに多い。
 たまたまタイミングを逸したりして、記載し忘れのものも多い。
 二月末以降に一部でも読んだもの、入手して今後に読みたいと思っているもの(でこの欄で触れていないと記憶するもの)、を以下に掲載しておく。
 レーニン・ロシア革命に直接に関係するものは依然として増えつつあるが、一部しか載せられない。以下は、上の趣旨のものの全てではない。読み終わった記憶があるものは、/了、と記した。昨年以前のものには、触れていない。
 この欄に書くのは「作業」のようなもので、気侭に読んでいる方が、「生きていること」、「意識(脳)を働かせていること」を感じて、愉しい。しかも、意識を多少とも刺激する情報が大量に入ってくる。「作業」は、反応結果の一部をただ吐き出すだけだ。
 しかし、この欄での「作業」をしておかないと、せっかくの意識や記憶がますます消失してしまうので、「作業」もときには必要だ。
 ・天皇譲位問題
 今谷明・室町の王権(中公新書, 1990)。/了
 今谷明・象徴天皇の発見(文春新書, 1999)。
 高森明勅・天皇「生前退位」の真実(幻冬舎新書, 2016)。/了
 所功・象徴天皇「高齢譲位」の真相(ベスト新書, 2017)。
 本郷和人・人物を読む/日本中世史(講談社選書メチエ, 2006)。
 本郷和人・天皇の思想-闘う貴族北畠親房の思惑(山川出版社, 2010)。
 ・北一輝
 岡本幸治・北一輝-転換期の思想構造(ミネルヴァ, 1996)。
 ・明治維新等
 井上勲・王政復古(中公新書, 1991)。
 毛利敏彦・幕末維新と佐賀藩(中公新書, 2008)。
 原田伊織・明治維新という過ち/改訂増補版(毎日ワンズ, 2015)。
 山口輝臣・明治神宮の出現(吉川弘文館, 2005)。
 伊藤哲夫・明治憲法の真実(致知出版社, 2013)。
 ・政教分離
 杉原誠四郎・理想の政教分離規定と憲法改正(自由社, 2015)。/了
 杉原誠四郎・日本の神道・仏教と政教分離-そして宗教教育/増補版(文化書房博友社, 2001)。
 ・歴史
 安本美典・古代史論争最前線(柏書房, 2012)。
 今谷明・歴史の道を歩く(岩波新書, 1996)。
 西尾幹二全集第20巻/江戸のダイナミズム(国書刊行会, 2017)。
 山上正太郎・第一次世界大戦(講談社学術文庫, 2010. 原1985)。
 木村靖二・第一次世界大戦(ちくま新書, 2014)。
 ・保守主義
 宇野重規・保守主義とは何か-反フランス革命から現代日本まで(中公新書, 2016)。
 ・現代
 宮家邦彦・日本の敵-よみがえる民族主義に備えよ(文春新書, 2015)。/了 
 ・左翼
 中沢新一・はじまりのレーニン(岩波現代文庫, 原1994)。
 白井聡・永続敗戦論(太田出版, 2013)。
 ・外国人
 Donald Sassoon, Looking Left -Socialism in Europe after the Cold War (1997). <左を見る-冷戦後のヨーロッパ社会主義>
 Roger Scruton, Fools(あほ), Frauds(詐欺師k) and Firebands (つけ火団)-Thinkers of the New Left (2015).<新左翼の思考者>
 Tony Judt, Dem Land geht es schlecht (Fischer, 2014. 2010).
 Leszek Kolakowski, 藤田祐訳・哲学は何を問うてきたか(みすず書房, 2014)。
 Leszek Kolakowski, Metaphysical Horror (1988, Penguin 2001).
 Anna Pasternak, Lara -The untold Love Story and the Iispiration for Doctor Zhibago (2016).
 ・その他
 L・コワコフスキ「こぶ」沼野充義編・東欧怪談集(河出文庫, 1994)。/了
 原田伊織・夏が逝く瞬間(毎日ワンズ, 2016)。/了*小説
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 1.せっかくの機会だから、つぎの本のp.4からまず引用する。
 本郷和人・人物を読む/日本中世史(講談社選書メチエ, 2006)。
 「…皇国史観は、天皇が至高の存在であることを学問の大前提とし、また人物を歴史叙述の基礎単位にしていた。天皇に忠義であったか否か、忠臣か逆臣かで人物を評価し、その人物の行動をあとづけることによって歴史物語を描写したのである。こうした歴史認識が軍国主義を支える理念として機能したことは、疑いようのない事実であった。」
 戦後の日本共産党や日本の「左翼」はかくして、「軍国主義」を支えた「皇国史観」を厳しく批判した。
 その日本共産党・「左翼」に反対する良心的な、誠実な日本人は、では「皇国史観」へと立ち戻る必要があるのか??  (しかも「皇国史観」とは、維新以降の日本をずっと覆ってきたのでは全くなく、とくに昭和戦前期の<公定>史観だ。)
 本郷も言うように、そんなことは、論理的にも、決して、ないんだよね。
 2.今谷明・本郷和人というと、黒田俊雄の<権門体制>論にかかわりがある。
 素人論議だが、マルクス主義者(・日本共産党員?)の黒田は(以下、たぶん)、<国家(権力・支配者)-人民>の対立が当然にあるものとして、その前提で<国家>の構造を考え、かつその一部を「天皇・皇室」がきちんと担っていた、と考える。
 第一に、<権力-人民>は、どの時代にもきれいに二つまたは二層に分けられるのだろうか?
 第二に、<天皇>はつねに、国家権力の少なくとも一部を握っているものなのだろうか? または、そうだとしても、「中世」に関する黒田による天皇の位置づけは高すぎるのではないだろうか。
 第一は素朴かつ観念的な階級対立論、第二は素朴かつ観念的な<天皇制>批判論-そのための逆説的意味での天皇重視論(天皇が国家権力の一部かつ重要位置にいなかったはずはない)-を前提にしているような印象もある。
 本郷和人は、黒田<権門体制>論には批判的だ。専門家にお任せしますけど。 

 

1469/なぜ「アホの4人組」か。天皇譲位問題・「観念保守」、つづき③。

 たぶん年齢順に、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ、八木秀次。この人たち4人をなぜ「アホの4人組」と称するのか。
 第一に、もちろん、昨2016年11月に、天皇関連有識者会議での「有識者ヒアリング」で発言した者たちであり、今上天皇の譲位(いわゆる生前退位)に反対して摂政制度の利用を主張した点で共通性がある。だが、そのような者は、他にもいる。
 第二に、いずれも、天皇の歴史も含めた、天皇問題の専門家ではない。
 大原康男や今谷明は、それぞれの分野で「専門家」だとは言えるだろう。所功も、園部逸夫もそうだ。
 八木秀次は憲法学者・研究者として、天皇問題の専門家だと自分を思っているのかもしれない。天皇・皇室問題で発言してきてもいる。
 百地章も、大石眞も、また高橋和之も、憲法学者・研究者として「専門家」なのかもしれない。 
 しかし、八木秀次の憲法学「専門家」性は、相当に疑問がある。そういうためには、憲法学界または憲法アカデミズムの一員として受容されていなければならないと思われるが、八木はとっくにそれから離脱しているのではないか。そして、<教育>問題・分野へと「活動」の重心を移しているのではないか。
 2015年にいわゆる平和安保法制問題が政局化した際に産経新聞は西修、百地章、八木秀次の三人の文章を「正論」欄に掲載したが、最も拙劣だったのは八木の文章だった。この当時にはこの欄で触れなかったが、八木秀次は、<憲法体制と安保体制の矛盾>という、日本共産党員の長谷川正安(故人、名古屋大学・憲法学)が言っていたようなことを述べていた(秋月も、子どもたちにウソを教えてはいけない旨を書いたことはある)。戦後日本の法現象の認識としてそのようなことを指摘できる可能性はあるのだろうが、当時の憲法「解釈」論としては、平和安保法制違憲論を断固として排斥し、合憲論をもっと強く主張しなければならなかった。
 というわけで、大石眞や高橋和之、そして百地章と並ぶ「専門家」と性格づけるのは困難だと思われる。
 第三に、月刊正論(産経)、月刊WiLL(ワック)、月刊Hanada(飛鳥新社)という保守系月刊雑誌に、人と雑誌によって多少は異なると思うが、頻繁に登場している。
 これが最も共通性の高い点だという印象もある。しかし、これだけではない。
 第四に、2015年8月の安倍晋三内閣によるいわゆる戦後70年談話を、いずれも支持した。
 渡部昇一と平川祐弘については、この点にこの欄でも触れて批判した。櫻井よしこがこの派に属することはとっくに確認している。 
 八木秀次について確認はしていないが、この安倍談話を批判していないことはおそらく間違いないだろう。今年になってからの、月刊正論3月号p.58でも、八木は「安倍晋三首相」と共通する立場にいることをとくに記している。
 第五に、これら4人はいずれも、秋月瑛二がこの欄で長らく批判的なコメントをし続けている人物だ。
 開設当初からというわけではない。漠然と思い出せば、八木秀次を信用できないと感じたのは早かったし、渡部昇一は現憲法無効論または廃棄論の主張者だと知って、これまた早々に(批判的コメントをするため以外は)読まなくなった。
 櫻井よしこを<保守>派のようだと明確に知ったのは遅かったかもしれないが、2009年の民主党内閣誕生前後の論考はひどいもので、とても<保守>派だとは思えなかった。
 屋山太郎とともに、この点で櫻井よしこは批判の俎上に載せた。2009-10年頃に秋月がコメントしたことは、間違っていないと今でも考えている。内容をいまここで繰り返しはしない。
 最後に、平川祐弘の名前は以前から知っていたが、積極的にせよ消極的にせよ読む価値のある人物だとの印象はなかった。
 にわかに関心を持ったのは、安倍戦後70年談話を、稚拙な文章でもって支持していたのを読んでからだ。そして、昨年以降のこの人の文章を読んでも、全く支持できない。
 以上のとおりで、たまたま「アホの4人組」と称したのではない。
 上智大学「名誉教授」、東京大学「名誉教授」、現役の某大学教授、そして「国家基本問題研究所」なるものの理事長を「アホ」だと言うのは、相当に勇気が必要なような気もする。
 しかし、「アホ」は「アホ」だから、仕方がないだろう。
 個人攻撃あるいは全面的な人格批判をしているのでは全くない。この人たちが何を、どのように書いているかを読んだうえでの、その内容についての批判だ。
 「アホ」は「アホ」だから仕方がない、と言うためには、もっと書かなければならないだろう。

1420/<観念保守>という日本の害悪-例えば天皇譲位問題。

 仲正昌樹が、精神論保守と制度論保守を区別して、後者ならば支持できる、又は属してもよいような気がしてきた、と何かで書いていた(この欄で触れたかは失念)。
 経緯はばっさりと省略するが、この対比を参考にしつつも、<観念保守>と<理性(合理)保守>の区別という語法の方が適切だと思ってきている。
 天皇譲位問題についての主張を、新聞報道または週刊誌を含む雑誌の記事による紹介、さらにはそれらを読んだ記憶に頼ってのみ以下書くのだが、日本の<観念保守>のまさしく観念論ぶり、いい加減さ、そして欠陥は、渡部昇一、平川祐弘、八木秀次、櫻井よしこらの同問題についての(識者懇談会のヒアリング時での)主張ぶりに現れていそうだ。
 平川祐弘が本当に「保守」派なのかは、もともと怪しく思っていて、数十年前にいた竹山道雄・安倍能成らの(反共・自由主義の)「オールド・リベラリスト」程度ではないかと思っている。だから、ここでの本来の対象にはしたくない。
 安倍70年談話支持の平川の論考はひどいものだったし、その後目にする平川の雑誌論考も、半分ほども他人の文章の引用だったりして、相当に見苦しい。
 そのような平川に執筆を依頼する保守系雑誌の(編集部の)レベルの低さ、あるいは「保守的」な文章作成者の枯渇ぶりを感じざるをえない。
 子細は省略したが、櫻井よしこは<保守派の八方美人>だとこの欄で記したことがある。この人はこちこちの<観念保守>ではなく、天皇譲位問題についても<拙速はいけない。よく考えるべき>とだけ当初は書いていたが、上記ヒアリング時点では、譲位制度化反対へと考えを決したようだ。<保守>系論壇人の状況について<日和見>していたのかもしれない。
 この項はすべて記憶に頼る。月刊正論(産経)の編集長・菅原某は当該雑誌の秋頃の末尾に、譲位制度創設反対か<議論を尽くせ>のいずれかが<保守>派の採るべき立場であるかのごとき文章を載せていて、これが産経新聞の主流派の見解だろうかと想像したことがある。
 百地章は当初は<摂政制度利用>論=譲位制度創設反対論だったように見えたが、ヒアリング時点では、皇室典範(法律。なお、憲法2条参照)を介しての特別法(法律)による(おそらく一代限りの)譲位容認論に変わったようだ。
 譲位制度導入反対論-これはほとんど摂政制度利用論といえる-に反対する立場に百地章が転じた背景は興味深い。その背景・理由はよくは分からないが、譲位制度導入反対論がいう摂政制度利用論は現憲法と現皇室典範を前提にするかぎりは採用できない(法的に不可能)と秋月は考えているので、上の基本的立場については、私も百地と同様だ。
 さて、いくつか考えることがある。
 第一は、渡部昇一や平川祐弘が前提的に主張したらしい、天皇とは「祈る」のが本来の仕事という理解の仕方は、典型的に「観念保守」に陥っていることを示している。
 つまり、「天皇」についてのそれぞれが造成している「観念」を優先させている。さらに正確にいえば、現実の(現日本国憲法下での)天皇が「祈る」ことまたは「祭祀」を行うだけの存在ではないことは、現憲法が定める「国事行為」の列挙だけを見ても瞭然としている。にもかかわらず、この人たちは、現憲法の天皇関係条項を全く知らずして、又は知っていても無視して、自らの主張を組み立てている。
 同問題懇談会のメンバーは、代表的にのみ言えば、この二人が開陳した意見を、すべてまったく無視してかまわない。
 ついでに言うと、西尾幹二は「観念保守」ではないと思うし、小林よしのりが少なくとも少し前までの月刊サピオ(小学館)で揶揄し批判していたこの問題の一連の主張者(渡部昇一、八木秀次ら)の中に含まれていない。
 だが、西尾幹二ですら天皇(または皇室)は京都に戻るべきと何かに書いていた(二度ほどは読んだ)。だが、首相任命・閣僚任命や衆議院解散等にかかる現憲法上の天皇の重要な権能を考えると、京都市在住では実際上国政に支障をきたすおそれが高い。余計なことを書いてはいるが、憲法を改正して現在の天皇の「国事行為」をほとんど除外しないと、京都遷御ということにはならないだろうと思われる。
 第二に、「観念保守」論者が「保守」したい天皇制度とはいったい奈辺にあるのだろうか。
 櫻井よしこは、明治の賢人たちが皇室典範制定に際して生前退位を想定しなかった、その「賢人」の意向を尊重すべきとか、今はよくても100年後にどうなるかわからない(制度変更の責任を持てるのか、という脅かし ?)とか主張しているらしい。
 櫻井よしこは、明治憲法下の天皇制度が最良だと考えているのだろうか、そしてそうであればその根拠は何なのだろうか。
 これは一般的に、<保守>派のいう保守すべき日本の「歴史・伝統」とは何か、という基本問題にかかわる。
 ついでに書けば、大日本帝国憲法にいったん戻れという議論は法的にも事実上も不可能なことを可能であると「観念」上は見なしているもので、議論を混乱させる、きわめて有害なものだ(産経新聞社・月刊正論は、この議論に一部は同調的であるらしい-その理由はバカバカしくも渡部昇一の存在 ?)
 秋月瑛二は、明治期の日本が維持されるべき(復元されるべき)日本であるとはまったく考えない。八木秀次もそのようだが、明治期の議論を持ち出して、譲位容認にはあれこれの弊害・危険性があるというのは、明治の賢人 ?たちを美化しすぎている。
 伊藤博文らには、何らかの「政治的」意図もあった、と考えるのが、合理的かつ常識的なのではないか、と思われる。
 今はよくても100年後にどうなるかわからない、という櫻井よしこの主張(らしいもの)についていうと、旧皇室典範以降100年以上経って、限界が明らかになっているとも言える。つまり、100年後にどうなるかわからない、という時期が皇室典範の歴史上、今日になっている、とも言える。また、譲位制度を作っても、問題があれば、100年後にまた改正すればよいだけの話だ。<今はよくても100年後にどうなるかわからない。改正してよいのか>という議論の立て方は、全く成り立たないものだ。
 したがって、櫻井よしこの脅かし ?-これはいわゆる「要件」設定の困難さを想起させてしまう可能性があるが-に専門家懇談会のメンバーは、そして政府も国会も、屈する必要は全くない。
 問題は要するに、現皇室典範が明記する摂政設置の要件充足にまではいたらないが(したがって「摂政」設置で対応することはできないが)、高齢化により国事行為やその他の公的行為(祭祀の問題はかりにさておくとしても)を適切にはかつ完璧には行えなくなったと見受けられる(文章の1、2行の読み飛ばし、儀式日程の一部の失念などは、高齢の天皇には生じうることだろうと拝察される)場合、かつ譲位の意向を内心にでも持たれた場合に、日本国家と国民は、どう対応すればよいかにある。
 詳細は知らないが、天皇の高齢化問題ととらえているようである、所功の主張は、立論において秋月に似ているかもしれない。
 天皇についての特定の(適切だとは論証されていない)「観念」を前提にした議論をするのではなく、最小限度、現憲法の規定の仕方を考慮した「制度」論を行うべきであるのは、「天皇」もまた制度である以上、当然なのではないか。
 また、明治日本はあくまでの日本の歴史の一時期にすぎない。明治期を理想・模範として描いているとすれば、「観念」主義の悪弊に陥っている。
 現憲法を視野に入れるのは論者として当然の責務だが、それを度外視しても、長い日本の歴史と「天皇」の歴史を視野に入れる必要がある(書く余裕はないが、天皇・皇室をめぐって種々の歴史があった。今から考えて、有能な天皇も無能らしき天皇もいた。暗殺された天皇もいた-崇峻天皇。孝明天皇は ?-。祭祀が、あるいは式年遷宮がきちんと行えない時代もあった。「祭祀」が皇太子妃とまったく無関係に行われていた時期がたくさんあった。そうした問題をすべて解決したのが実質的には今に続く明治期の皇室典範だったとは全く思われない。なお、戦後、現憲法のもとで法律化)。 ゛
 以下、追記する。渡部昇一は、今上天皇に「助言」して思いとどまらせるべきだとか述べたらしい。この人物らしい傲慢さだ。
 平川祐弘は、現天皇(又は昭和天皇も含めて戦後の天皇)が勝手に「象徴天皇」の行動範囲を拡大しておいて辛さを嘆くのはおかしい旨述べたらしい。
 「象徴天皇」の範囲を-とくにいわゆる「公的行為」について-国民やメディアが広げた可能性はある。しかし、「祈る」行為だけにその任務・権能を限らず、「内閣の助言と承認」のもとにではあれ重要な国政・政治上の権能を多く付与したのは、現憲法だ。平川の議論は、現憲法批判もしていないと一貫していないだろう。
 思い出したが、自民党改憲案その他の<保守的> 改憲案は天皇を「元首」と定めることとしている。この「元首」化論と、天皇は「祭祀」が主な仕事だという議論は、ともに成り立つものとは思われない。
 ともあれ、渡部昇一も平川祐弘も、じっと現憲法の天皇条項を読んで確認してから、自らの考えを述べたまえ。勝手な「観念」の先立つ議論は有害だ。
 櫻井よしこについてはなおも、書きたいことがある。八木秀次には、もはやあまり興味がない。
 「真の」保守派の天皇・皇室論があるわけでは全くない、と思われる。月刊正論の編集部・菅原某あたりは、勘違いしない方がよい。
 ヒアリング対象者の発言はそのまま詳細に官邸ホームページ上で読めるらしいので、別途に論じるかもしれない。
 以上は、手元に何も置かず、記憶にのみ頼って書いた。したがって、前提認識に誤りがある可能性はある。

1081/2012年になって一部読んだ書物等。

 感想等をすべて文章にする時間的余裕がないが、今年に入ってから入手(・購入)して全部または一部を読んだものは、この欄にすでに記載のほか、以下のとおり。
 論考類を除いて、全読了の単行本はない。しかし、手にした書物は少なくとも数ページは読んでしまうものなので、以下には、ぞれらも含まれる。かりに一瞥しても印象に残っていないものもあるが、以下には含めない。
 西尾幹二・個人全集第一巻(第二回配本)・ヨーロッパの個人主義(国書刊行会、2012)…第一回配本も既購入…、西尾幹二・壁の向うの狂気―東ヨーロッパから北朝鮮(2003、恒文社21)、西尾幹二「女性宮家と雅子妃問題」月刊WiLL3月号(ワック)、山際澄夫「金正日死去を”悼む”懲りないマスコミ」同上、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論社、2011)…ようやく本格的に読み始めて第一章は済み…、秦郁彦・靖国神社の祭神たち(新潮選書、2010)…「B・C級戦犯」処刑死者の多くも靖国神社に祭祀されていることを確認…、ペマ・ギャルポ・最終目標は天皇の処刑―中国「日本解放工作」の恐るべき全貌(飛鳥新社、2012)…「中国」ものはたいていは想像しうる中身なので敢えて入手しないがこれだけは…、大阪の地方自治を考える会・「仮面の騎士」橋下徹(講談社!、2011)、政教分離を正す会(大原康男)・新実例に学ぶ「政教分離」―こんなことまで憲法違反?(展転社、2011)、石平・中国大虐殺史―なぜ中国人は人殺しが好きなのか(ビジネス社、2007)、ウッダード・天皇と神道―GHQの宗教政策(サイマル出版会、1988)、シャピロ・民主主義論の現在(慶應大学出版会、2010)、佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書、2011)、西部邁=佐伯啓思編・危機の思想(NT化出版、2011.08)、山村明義・神道と日本人(新潮社、2011)、佐藤優・はじめての宗教論・右巻(NHKの出版、2009)、佐伯啓思「開国と維新の精神」新潮45/2月号、林俊彦・大災害の経済学(PHP新書、2011)、井上寛司・神道の虚像と実像(講談社現代新書、2011)。
 他にもありそうだが、探す手間を省く。月刊正論(産経)の最新号も所持しているが、残念ながら又は申し訳なくも、きちんと読んでいない。これ、という重要論考がない。但し、所功の論考はきちんと読んでおく必要があるだろう。

0854/小林よしのりの皇位継承論(女系天皇容認論)・その3、旧宮家・限定皇族復帰案。

 平成17年11月24日の皇室典範に関する有識者会議報告書には、「(補論)旧皇族の皇籍復帰等の方策」と題して次のように書く部分がある。
 「旧皇族は、〔①〕既に六〇年近く一般国民として過ごしており、また、〔②〕今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であることを考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることができるか懸念される。…このような方策につき国民の理解と支持を得ることは難しいと考えられる」(〔 〕は引用者)。
 まだ悠仁親王ご誕生前のことだったが、上の①については<たかが六〇年ではないか>と思ったし、また、②についても違和感をもった。全体として、有識者会議の意見としてではなく「国民の理解と支持」を得難いとして、「国民」に責任転嫁(?)しているようなニュアンスも気になった。
 小林よしのりも、次のように、上の②と全く同様の主張をしている。
 <男系主義者>の「唯一の代案」が「旧宮家」の皇族復帰だが、これは「トンデモない主張」だ。「旧宮家」が「男系でつなっているという天皇は、なんと室町時代の北朝3代目、崇光天皇である。あきれたことに20数世代、600年以上も離れている!」(月刊WiLL5月号p.197)。
 このような感想・見解を他にも読んだか聞いたことはあるので、有識者会議が書くほどではかりになかったにしても、かかる懸念をもつ者も少なくないようではある。
 しかし、<男系主義者>たちがどのように反論または釈明しているのかは知らないが、女系天皇容認論者あるいは<(男女を問わない)長子優先主義>者がこのような主張をするのは(有識者会議の文章もそうだが)、じつは奇妙なことだと私は感じている。
 すなわち、将来において男女対等に<女性天皇>・<女系天皇>を容認しようとしながら、旧皇族(11宮家)については、なぜ<男系>でのみたどって今上天皇との「血」の近さを問題視するのか、同じことだが、今上天皇と共通の祖先をなぜ<男系>でのみたどって探そうとするのか。
 これは、無視できない、重要な論点だと考える。
 とりあえず、祖父(・祖母)が旧皇族(旧宮家)だった、竹田恒泰がこう書いていることが、同・語られなかった皇族たちの真実(小学館、2006)を読んだとき、私には印象的だったことを記しておこう。
 「私は明治天皇の玄孫〔孫の孫〕であることを誇りに思っている」(p.23。〔〕は原文ママ)。
 竹田恒泰にとって、室町時代の北朝の天皇・崇光天皇(今上天皇が125代とされるその間の代数には含まれていない)の遠い子孫(男系)であることよりも、まずは明治天皇の玄孫だとの意識の方が強いと思われ、かつそのことを彼は「誇りに思っている」のだ。
 正確に書けば、竹田恒泰の父方(・祖父方)の曾祖母は明治天皇の第六女・昌子内親王だ。女性を介して、彼は明治天皇の血を引いている(男系だけでたどると、既出の崇光天皇の孫の貞成親王が、今上天皇との共通の祖先になる)。なお、今上陛下は、男系でのみたどって、明治天皇の曾孫であられる。男女(息子と娘)の違いを無視すれば、今上天皇陛下と竹田は、明治天皇の曾孫と玄孫の違いでしかない。
 女性を介せば、竹田恒泰よりも現皇室に近い血縁の旧皇族およびその子ども・孫たちはいる。竹田から離れて、一般的に記す。
 最も近いのは<東久邇宮>家だ。男系では、他の宮家と同じく、崇光天皇の子で<伏見宮>家の祖の栄仁親王の子の上掲・貞成親王(後崇光院、1372~1456)が今上天皇との共通の祖先になる。
 しかし、まず第一に、<伏見宮>家から分かれた(伏見宮邦家の子の)<久邇宮>朝彦の子で<東久邇宮>家の初代となった東久邇宮稔彦(元内閣総理大臣)の妻は明治天皇の第九女・聡子(としこ)内親王だ。その二人の間の子どもたち、さらに孫・曾孫たちは、明治天皇の(女性を介しての)子孫でもある。
 第二に、東久邇宮稔彦と聡子の間に生まれた長男の盛厚は、昭和天皇の長女の成子(しげこ)と結婚している。従って、盛厚・成子の子どもたちは、昭和天皇の孫であって、現皇太子・秋篠宮殿下(・清子元内親王)と何ら異ならない。母親は、今上天皇陛下の実姉、という近さだ。
 東久邇宮盛厚と成子の結婚は、竹田恒泰も書くように、「明治天皇の孫(盛厚)と曾孫(成子)との結婚」だったのだ(p.243)。
 何も室町時代、14世紀まで遡る必要はない。現在の「東久邇宮」一族は、今上天皇の実姉の子孫たちなのだ(上掲の二人の子どもから見ると、父方でも母方でも明治天皇へと「血」はつながる)。
 男女対等に?<女性天皇>・<女系天皇>を容認しようという論者ならば、上のようなことくらい知っておいてよいのではないか。いや、知った上で主張すべきなのではないか。
 室町時代にまで遡らないと天皇と血が繋がらない、そんな人たちを<皇族>として崇敬し尊ぶ気になれない、などとして<女系天皇容認>を説く者たちは、小林よしのりも含めて、将来については<女性>を配慮し、過去については<女性>の介在を無視する、という思考方法上の矛盾をおかしている、と考える。
 将来について<女性>を視野に入れるならば、同様に、過去についても<女性>を視野に入れるべきだ。
 「東久邇宮」一族、東久邇宮盛厚と成子を父母・祖父母・曾祖父母とする人々は、「皇籍」に入っていただいてもよいのではないか。そして、男子には皇位継承資格も認めてよいのではないか。たしかに最も近くは昭和天皇の内親王だった方を祖とするので、その意味では<女系>の宮家ということになるかもしれない。また、その昭和天皇の内親王だった方は明治天皇の皇女だった方を母とする東久邇宮盛厚と結婚していて、これまた<女系>で明治天皇につながっていることにはなる。
 だが、将来について女性皇族に重要な地位を認めようとするならば、この程度のことは十分に視野に入れてよいし、むしろ考慮対象とされるべきだ。
 くり返すが、室町時代!などと「あきれ」てはいけない。自らが将来において認めようとする「女系」では、昭和天皇、そして明治天皇に「血」が明確につながっている旧皇族(旧宮家)もあるのだ。
 昭和天皇との血縁はなくとも、かりに明治天皇への(女性を介しての)「血」のつながりでよいとするならば、上記のように<竹田宮>一族の「皇籍」復帰も考えられる。竹田恒泰は明治天皇の玄孫であり、その父は曾孫であって、決して「600年以上も離れている!」ということにはならない。
 竹田宮家以外に、北白川宮家と朝香宮家も、明治天皇の皇女と結婚したという血縁関係がある。但し、今日まで子孫(とくに男子)がいるかは今のところ私には定かではない。
 以上のあわせて4つの宮家以外は、明治・大正・昭和各天皇との間の<女性>を介しての血縁関係はないようだ。やはり、男系でのみ、かつての(室町時代の)皇族の「血」とつながっているようだ。
 従って、上記の4つ、または少なくとも「東久邇宮」家一つだけでも、<皇籍>をあらたに(又は再び)付与してもよいのではないか。
 こうした<限定的皇族復帰案>を書いている、あるいは唱えている者がいるのかどうかは知らない。
 だが、11宮家すべての<皇籍復帰>よりは、有識者会議の言を真似れば、「国民の理解と支持を得ること」がたやすいように思われる。
 小林よしのりにはここで書いたことも配慮して再検討してほしい。また、<男系主義>論者にも、こうした意見があることも知ってもらいたいものだ。
 以上、竹田恒泰の上掲の本のほか、高橋紘=所功・皇位継承(文春新書、1998)のとくに資料(系図)を参照した。
 他にも皇位継承に関する書物はあり、旧宮家への皇籍付与を主張する本はあるだろうが、上の二冊だけでも、この程度のことは書ける。
 他の書物―例えば、櫻井よしこ=大原康男=茂木貞純・皇位継承の危機はいまだ去らず(扶桑社新書、2009.11)は所持はしているが全くといってよいほど目を通していない―については、あらためて十分に参照し直して、何かを書くことにしよう。

0724/西尾幹二の天皇・皇室問題論を再び疑問視する-4/05テレビ「~委員会」。

 一 アメリカと中国が「日本再占領」政策を採っているとの西尾幹二の指摘は分からなくはない。かつての「占領」期のイメージが伴いやすい「再占領」という語よりも、<属国化>・<従属国化>・<傀儡国家化>政策と言った方が分かりやすいかもしれない(すでにそうなっているとの見方もあろう)。
 但し、西尾幹二が「再占領」政策の「大筋に日本で最初に着手したのは安倍晋三」で「背後で支えている」のは恐らく「中曽根康弘」だと指摘するまでに至ると、具体的な証拠資料が提示されているわけでもなく、<憶測>あるいは<妄想>の類ではないかと言いたくもなる。いずれにせよ、西尾幹二の言論の一部に(常人では理解できない)奇矯なところがあるのは確かだと思っている。
 二 西尾幹二は尊敬に値する仕事を多数している人物だが、納得できない、奇矯なことも言う人であることは、昨年の皇室(とくに皇太子妃)問題についての彼の議論・主張を知って感じた。
 録画していた4/05の<~のそこまで言って委員会>を1ヶ月以上も遅れて観た。何と、皇室問題がテーマとされ、西尾幹二がゲストとして登場していた。以下は、遅いが、この日のこの番組の感想。
 やはり西尾幹二はおかしい。<次の天皇に秋篠宮殿下を>との意見をどう思うかとの問いに対するパネラーの反応に、大高未貴の「皇室解体推進論者の巧妙な言語工作」というのがあったが、かねて思っている(書いたかもしれない)ように西尾の議論の仕方は「皇室解体推進論者」を喜ばせるものだ。
 また、<一部の雑誌が仕掛けているだけ>との鈴木邦男の反応も的確だろう。西尾幹二は次代天皇は秋篠宮殿下にと明確に主張しているわけではないが、現皇太子の皇位継承適格を疑問視していることにはなろう。そして、西尾幹二を支持する方針をとったのは、ワックの月刊WiLLであり、その編集長・花田紀凱だった。月刊文藝春秋の保阪正康論文は意識的に読んでいないが、ひょっとして月刊文藝春秋も(株)文藝春秋も、結果としてはその方向で<仕掛ける>機能を客観的には果たしているのかもしれない。
 月刊文藝春秋の最近の編集方針に対して批判的なことも書いている西尾幹二だが、そして「左翼」の保阪正康とは種々の歴史認識において対立している筈の西尾幹二だが、こと保阪の文藝春秋の論考については、西尾は支持又は擁護している。奇妙な構図だ。そして、花田紀凱とは元文藝春秋関係者という因縁(上司・部下関係)があることにもよるだろう、勝谷誠彦はときどき叫び声を上げて、大高の発言を遮ったり、西尾幹二の問題提起を擁護したりしていた。
 私は、出演者の中では、所功、鈴木邦男、大高未貴の考えに賛同し、西尾幹二、勝谷誠彦の姿勢は支持しない。
 辛坊治郎は、おやっと感じるほどに、西尾幹二を挑発していた。
 辛坊は、かなりの勇気がいると思われるが、西尾さんの話は「たんなる小和田雅子さんと雅子さんの出身家庭の悪口にしか聞こえない」、と断じた。
 西尾が書いている全体を知っていればかかる感想にはならないだろうが、この日のそれまでの西尾の口頭発言だけだと、かかる感想・印象も生じる。
 そして、辛坊の、「どうしたいんですか? どうしてほしいんですか?」とのかなりキツい質問に西尾は「言えない」「どうもできない」とし、せいぜい雅子妃の「医者を二人に」と言うだけだった。また、医者が二人になって病気でないことが判ったらどうすべきなのか、との辛坊の畳みかける質問に、<仮定の問いには答えられない>、<病気だと言うだろう(口裏を合わせるだろう)>と答えるだけだった。
 西尾の本来の主張は、<小和田家は雅子妃を引き取れ>つまり<皇太子殿下夫妻は離婚せよ>ということだと思われる。これをテレビで公言できなかったのはやむをえないとしても、そもそもこの議論はもはや遅すぎる。皇太子殿下の婚姻前にこそ(結婚してはならないという形で)言うべきだった。
 西尾幹二は雅子現妃殿下が皇室を離れたあとをどう現実的に構想しているのだろうか。皇太子殿下はどなたかと再婚されることになるのだろうか。それとも、秋篠宮殿下が次代天皇になるべきだ、と考えているのだろうか。
 後者の議論があるなら、「天皇陛下のご聖断の要請、皇室会議召集、政界等の真剣な討議」が必要、とも西尾は述べているようだが、上の後者の結論をストレートに述べているわけでもない。
 たしかに雅子現妃殿下ご本人が離婚と皇族離脱を本心から望んでおられ、その意向を明確に公にされたとすれば、離婚・皇族離脱を認めないわけにはいかないとも考えられる(皇室会議の承認を経る。但し、同会議を納得させるだけの<特別の>根拠・理由が必要だろうから、さほど容易とも思われない)。
 しかし、その場合でも、現皇太子の皇位継承資格第一位という地位は、消失するわけではない。法律(皇室典範)改正によって配偶者(皇后)を欠く者は長子であっても皇位を継ぐ資格がない旨が定められない限りは、現皇太子がいずれ天皇になられる。
 これを覆すような「天皇陛下のご聖断」は出る筈がない、と考えられる。これは現皇室典範に違反しており、「要請」自体が違法(法律違反)だ。いくら「皇室会議」や「政界」が真面目に議論しても、現皇室典範に違反できるはずがないではないか。現皇室典範を改正できるのは「国会」(両院)だ。
 また、西尾は秋篠宮殿下は人格的に立派だ(と書いているらしい)との保阪正康の月刊文藝春秋の文章を支持又は擁護していたが、小林よしのりも隔週刊雑誌・サピオ(小学館)の4月中の号で書いていたように、現行法制上は(および遅くとも江戸期以降の慣例では)<人格>の優劣等によって皇位を誰が継承するかが決められるわけでは全くない。
 それにもともと、現皇太子が皇位継承できない<非人格者>でいらっしゃるとはとても思えない。
 西尾幹二が雅子妃殿下と小和田家(とくに恒)を批判するのはまあよいとしても、そして<離婚すべきだ>と主張するのもかりによいとしても、そのあとどうしたいのか、どうなればよいのか、という問題はなお残る。
 もっとも、失礼な表現ながら西尾ら
の表現を真似ると、<獅子身中の「虫」>さえ除去されればそれで西尾は満足なのかもしれない。だが、そのためだけに、西尾がすでに使っているほどのエネルギーをなぜ必要としなければならないのか、というのは常人には甚だわかりにくい。
 今の法制のままだと、今上天皇→現皇太子殿下→秋篠宮殿下→悠仁親王と皇位は続いていく。現皇太子妃殿下(雅子様)のご体調やその原因に由々しき問題がかりに万が一あるとしても、上のことに何ら変わりはない。
 問題は、現在の皇族の中の悠仁親王の世代には、他に男子が全くおられない、ということにある。こちらの方こそが、もっと憂慮され、議論されてよいことだ。
 前後するが、西尾幹二は新しく(新奇で?)、重要な(又は奇妙な?)ことも発言した。
 五〇年後が怖い。(学習院の院長はいつのまにか外務省OBになっているが、)外務省は「外国とつながっている」、外務官僚は「国益よりもつねに外国の利益を頭におく」。一番怖いのはどこか、中国ではなくアメリカだ。「アメリカは、天皇家をがっちり握っているんです。天皇家から押さえることができるんです、この国を」。
 西尾幹二によると、外務省(・小和田恒)→雅子妃殿下というルートで<アメリカが天皇家を通じて日本を押さえている>らしい。
 なかなか興味深い指摘だ。だが、そもそもこうした発言だけでは視聴者は理解できないだろう、ということともに、次のような疑問がわく。すなわち、天皇の権能というのは形式的・手続的には<政治>に及んでいるが、<政治>的権能は実質的にはなきに等しい。従って、いかに雅子妃殿下→将来の天皇陛下をアメリカが「握っている」としても、そのことが、アメリカの国益にとって都合のよい政策(外交・経済等々)を日本政府が採る方向にどれほど役立つかは疑問だ。きわめて微々たる、かつ相当に迂遠な影響力の行使の仕方だ。
 むしろ怖ろしいのは、アメリカが「天皇家をがっちり握っている」ということではなく、アメリカが<天皇家の廃止・解体>に向けての世論工作をする(又はそのような国内の運動に実質的に加担する工作をする)ことだろう。
 上の二の最初の方でも書いたが、雅子妃殿下批判あるいは皇室「内紛」の印象は「皇室解体推進論」者が喜ぶことで、その「解体論者」の中にアメリカを含めてもよい可能性がある。アメリカは、日本国家の維持・存立を脅かすために、あるいは日本が<強く・自立した>国家にならないように、国家・国民の統合の「象徴」たる天皇をもつ世襲天皇制度が無くなった方がよい、と考えている可能性がある(アメリカ、と大雑把にはいえず、アメリカ内の一部日本有識者だろうが)。
 そうだとかりにすると、西尾幹二は客観的には、アメリカの<策略>に沿った言動をしていることになるのではないか。
 辛坊はこのコーナーの最後に、再び大胆にも、「西尾さんの今日の発言で、皇室に対する評判が上がったと思います? 下がったと思います?」と問い、勝谷誠彦が「上がったでしょうね、ちゃんと論じてるから」と辛うじてフォローしていた。
 雅子妃はうんぬん(皇太子妃らしくない行動をしている)との西尾の諸発言によって、「皇室に対する評判が上がる」はずがないではないか。そして、繰り返すが、西尾の言動は「皇室解体推進論」者が喜ぶことで、かつアメリカが望む方向に沿っている可能性すらある。
 追記する。羽毛田信吾・宮内庁長官は、①天皇陛下の「ご心痛」の理由の一つに<将来の皇統>問題がある、あるいは、②雅子妃殿下のストレス・ご病気の原因は「皇室そのもの」との「論がしばしばなされる」ことに対し、雅子妃殿下とともに「天皇皇后陛下は深く傷つかれた」と述べた、とされる。
 これらの報道があった際にすでに感じたことだが、少なくとも②の「天皇皇后陛下は深く傷つかれた」というその「論」は、まさに西尾幹二が先頭に立って行っているものだ。そして、西尾幹二らの言動そのものによってこそ、両陛下は「深く傷つかれた」のではないか、と私は考える。
 西尾幹二は、上の可能性があることを、微塵も容認しないだろうか。

0591/月刊正論9月号の潮匡人・石波茂の対談、所功・花田紀凱等が出たテレビ番組等。

 一 月刊正論9月号(産経新聞社)p.108~は、潮匡人石波茂(前防衛相)の対談。
 その中で潮匡人は、「私も、最近の『WiLL』を代表格とするマスコミの煽情的な皇室バッシングに疑問を感じております…」と語る(p.110)。
 録画していた日テレ/読売系の日曜午後の番組を一昨日視てみると、ゲストの所功も同旨を述べていた。司会者の一人・辛坊治郎も<こうして騒ぐこと自体が「敵」(左翼)を喜ばせるのではないか>旨を示唆していた。
 おそらくは月刊WiLLに始まる特定皇族等への<攻撃>について、私のような感想を持つ人たちは決してごく一部ではないように思われる。
 上の番組に出ていた、話題の仕掛け人でもある月刊WiLL編集長・花田紀凱の発言内容の一部は、「左翼」と同じですらある。また、雅子皇太子妃殿下が「公務」欠席中にどこで何をしていたかは<ちゃんとウラを取っている>という言い方などはジャーナリズム界で生きている者の感覚丸出しで、皇族の一人に対する多少の畏敬の念も感じられない。ジャーナリストやその出身の大学教授らは一般的庶民レベルと比べて、皇室・皇族に対する取材対象感覚・対等者感覚が強いようだ、ということは最近の諸君!7月号(文藝春秋)の特集でも感じたことだった。
 あまり話さなかったが、「憲法改正」の限界の問題に言及するなど、宮崎哲弥は問題をよく理解しているようだ。田嶋陽子は相変わらずバカをさらけ出しているが、<皇族にも人権を>と主張しつつ、国民の「総意」によって天皇制度は廃止できる旨を言っていた。<皇族にも人権を>→天皇制度解体、という<左翼>教条言説をちゃんと語っているから面白い。
 所功が憲法解釈としては通説又は多数説と見られる、憲法改正(天皇条項の削除)によって天皇制度の廃止は可能との説を支持していなかった(又は明瞭には肯定しなかった)ことも印象に残った。また、所功は限定的な女系天皇容認論者なので、その方向での皇室典範改正に期待する旨を述べていたことも印象に残る(番組ではほとんど議論されなかったが)。
 私は今のところ、限定的な旧皇族の皇族化(明確な「皇統」としての位置づけ)を考えているが(個人的にどう考えようと力にならないのだが)、その範囲について、別の機会に書こう(竹田恒泰は入らない)。
 二 ところで上の潮匡人・石波茂の対談によると、石波は渡部昇一に月刊WiLL誌上で「国賊」とかと非難された(叱られた)らしい。渡部昇一の文章を読む気は失せているので知らなかった。
 石波が対談中で語るところによれば、A級戦犯靖国合祀には反対で、A級戦犯を合祀した靖国神社には参拝しない、という考えらしい。潮匡人はこれを批判しているが。
 軍事(防衛)オタクとか言われているらしい人物ですらこうなのだから、自民党の国会議員の多数派の雰囲気が判ってしまう。
 だが、石波茂の言動には奇妙なところがある。石波は「毎年八月一五日に、地元の護国神社への参拝を欠かしたことは一度もない」と明言している(p.111)。
 かりにA級戦犯の出身県でなければ「地元の護国神社」にA級戦犯は祀られていないだろうが、しかし、B・C級戦犯は(靖国神社とともに)「地元の護国神社」の祭神ともなって祀られているのではないか。そして、A級戦犯もB・C級戦犯も、<東京裁判>等(中国での裁判もあった)の諸判決によって犯罪者とされたのではないか。
 石波茂は(その厳密な意味はともかく)<東京裁判は受け容れるべきだ>と主張しているとすれば(p.113)、その法的根拠や手続が正当な「裁判」と言えるかがやはり疑わしい(しかし受け容れるべき?)判決によってB・C級戦犯とされた人々を祀る「地元の護国神社」に参拝するということは、その主張・見解と矛盾する行為にはならないのだろうか。
 要するに、靖国神社と護国神社を石波茂のように明確に分別できるのか、という疑問だ。
 三 西尾幹二国家と謝罪(徳間書店、2007)で記憶に残るのは(今手元に置かないで書く)、八木秀次・岡崎久彦等々の多数の評論家等を西尾は批判しているが、櫻井よしこは批判の俎上に乗せていない(むしろ肯定的に評価している)、ということだ。
 ネット情報によると、櫻井よしこが理事長となっている国家基本問題研究所(副理事長は田久保忠衛)の理事・評議員の中に、西尾幹二も八木秀次も(岡崎久彦も)入っていない(中西輝政は理事)。上に言及した潮匡人は評議員・企画委員とされている。理事の中にはあの稲田朋美(自民党国会議員・弁護士)もいる(城内実松原仁も理事)。
 何よりも、八木秀次と西尾幹二を除外している点に好感をもつ(この二人の多数の仕事等、とくに西尾幹二のそれらを全面否定するつもりは全くないが。なお、「思想家」佐伯啓思は名前を出さない)。反北朝鮮・反中国の明瞭な人々(その活動実績のある人々)が中心になっているようでもある。相対的にマシな<保守派>の団体として、この辺りに期待してみようか。

0579/横田耕一(1939-)はきっとバカだ-同・憲法と天皇制(岩波新書、1990)等。

 横田耕一(1939-)という人はきっとバカなのだろう。それでも九州大学の憲法学の教授だったというから、日本の大学教授・憲法学者のレベルの低さもわかる。
 一 所功・近現代の「女性天皇」論(展転社、2001)p.71-72によると、横田耕一は1990年に(あの!)日本評論社から天皇制度に関する書物を出版し、その中の一論文で、現皇室典範(法律)が皇位承継資格を男系男子に限っているのは憲法14条が定める(男女対等という)平等原則に違反し、区別する合理的な理由もないので、「女帝の否定は、端的に違憲である」と主張しているらしい。
 女性天皇、女系天皇も法律(皇室典範)上認めて差し支えない、という議論ではない。女性天皇・女系天皇を認めないと「違憲」だというのだから迫力?が異なる(なお、現憲法上は「世襲」とのみ明記され、皇位承継者が男子に限る旨の明文規定はない)。
 所功の上の本には法制局「皇室典範案に関する想定問答」が資料として収載されている。正確な年月は不明だが、現在の皇室典範(1947年1月公布)を制定する直前のものと思われる。
 この「想定問答」は、旧皇室典範の「義解」(解説・解釈書と見られる)も参考にして、歴史的に見て「皇位の世襲」観念に「少なくとも女系」は一切含まれていない、ということを述べる。また、もともと「皇位承継資格が国民の一部にすぎない」、そして、「その一部に於ける不平等は、必ずしも男女同権原則の否定とは言い得ない」、従って「男系に限ることは必ずしも憲法違反と言い得ないと考える」、と記している。
 戦後当初のゆえにだろうか、<男女同権原則>の前にやや遠慮しがちに「必ずしも…ない」などという表現の仕方をしている。だが、上にも書いてあるように憲法自体が皇位は「世襲」と明記して(人の血統によることを明記して)憲法14条の平等原則とは矛盾することを定めている。
 歴史的・伝統的な経緯も含めて総合解釈すべきで、そもそも天皇・皇室にかかわる法律に憲法14条・男女平等の原則の直接適用がありえ、違反すると違憲となるという横田の発想自体が、率直に言って(バカを通り越して)<狂って>いるのではないか。
 なお、所功の別の本によると所は<保守派>だが女性天皇限定的容認論者で(この表現は私による)、なかなか興味深い。別の機会に言及するだろう。
 二 どうせ<反天皇主義者>の本だろうと思って、岩波新書であることもあり所持だけして読んでいなかったのだが、横田耕一・憲法と天皇制(岩波新書、1990)を瞥見してみた。
 1 この横田の本では「違憲」だとは断定せず、「女性天皇の否定は違憲の疑いが濃い」と書いている(p.18)。この書き分け方の違いの意味はよく分からないが、実質的には同じことを言いたいのではないか。
 また、現皇室典範は「女性差別」だと書いている(p.231以下)。一つは天皇になれないこと、二つは皇族以外の男性と結婚した女性皇族は皇族でなくなる(と定められている)こと。さらに次のようにも書く。
 1.「皇后が天皇よりも常に数歩遅れて歩くといった慣行は、平等原理には合致しないし、これを見る者の胸中の性差別意識を再生産することにもなるだろう」。
 2.「皇室祭祀・儀式のうち、宗教色の強いもの」には「皇后や皇族女子が列席を遠慮することになっているのも、女性差別と見ることができよう」。
 日本の歴史も伝統も無視して形式的に男女対等を語るとどうなるかの見本のような文章だ。<左翼>フェミニストたちは相槌を打って読むのかもしれない。
 (ところで、横田は「皇后や皇族女子が列席を遠慮することになっている」「皇室祭祀・儀式」があるという。この叙述の正確さを私は知らないが、正しいとすると、<現皇太子妃(将来の皇后)>問題?とも無関係ではないようだ。横田によると-この人は「男女差別」の例として書いているのだが-、「大嘗祭」では女性皇族は「早い段階で拝礼を終えて退席し、儀式の中核である天皇が直会を行う段階には列席しない」こととされているらしい。)
 2 上の本で横田耕一は現皇室典範は「身障者差別」だとも書いている(p.228以下)。
 「精神若しくは身体の不治の重患」の場合には皇位継承順序の変更が(皇室会議の議を経て)可能であるのは、「精神若しくは身体の不治の重患」の判断の「運用次第では、障害者差別として機能する面を内在している」。
 また、皇族男子の結婚について相手が障害者であることを理由に皇室会議が反対することも予想され、「その場合には障害者差別が行われていると言わねばならない」(他の例も書いているが割愛)。
 3 上の本で横田耕一は現皇室典範は「身分差別」だとも書いている(p.232以下)。
 横田によると、男性皇族の結婚の過程で「身障者差別」とともに「家柄による選別といった身分差別が生まれてくる」。
 また、そもそも皇位の「世襲」自体が「血による差別、生まれによる差別」なのだが憲法自体が容認しているので「平等原則の例外」と言うべきであるものの(ここの理解は正しい-秋月)、この憲法上の「差別の存在」が、種々の「社会的差別意識を再生産しつづける大きな源になるように思われてならない」。
 やれやれ。ここまでくると、現憲法を金科玉条とした憲法解釈論を超えて、憲法二条自体が「社会的差別意識を再生産しつづける大きな源」と言っているのだから、いつのまにか<憲法政策論>、具体的には天皇制度廃止論・解体論、を主張しているに等しい(その旨の明記は巧妙に避けているが、実質的にはこれに等しい。最初の方のp.23では、「国民の総意」・憲法改正により天皇制度の廃止が可能だと明記してある)。
 4 上の本は1999年9月に11刷となったようで、それ以降のものを所持しているのだが、それには「第11刷にあたって」という追記がなされ、国歌・国旗法の成立(1999)に関係して、次のように横田耕一は述べる。
 「『君が代』は『天皇の国』と解されるはずで…、これは…国民主権の憲法と明白に矛盾し、この意味であるなら『君が代』は違憲であり、それを国歌とする規定は無効と解されるべきであろう」。
 この横田耕一のような発想をしていると思考はきわめて単純で済み、たくさんの論文等が書けるに違いない。
 三 だが、本当に真面目に思うのだが、冒頭掲記のとおり、横田耕一という人はきっとバカに違いない。それでも九州大学の憲法学の教授だったというのだから、日本の大学教授・憲法学者のレベルの低さもわかる。
 また、大江健三郎・沖縄ノートを増刷したのと同様、さすがに岩波書店だ。こんなレベルの本を出版し、反「君が代」闘争(→究極は<反天皇主義>・<天皇制度解体論>)を行っている教員たち・「市民」たちに売って(バイブルになっているのかどうか?)、利潤を得つつ、<左翼(政治)活動>をしているわけだ。

0512/宗教・政教分離・大嘗祭あれこれ-大原康男・小堀桂一郎らの論述。

 一 ドイツでは、市町村又は基礎的自治体のことを「ゲマインデ(Gemeinde)」というらしい。「ゲマイン」という部分は、ゲマインシャフト(Gemeinschaft=「共同体」)とも共通する語頭だろう。
 この程度の知識をもってドイツの標準的・平均的な国民の一人と思われる某人とドイツ滞在中に話していたら、その人は「ゲマインデ(Gemeinde)」という語で連想するのは、まずは「教会」だ、という旨を言ったのでやや驚いた。あとで、ドイツの(小さくとも美しい又は可愛い)「ゲマインデ(Gemeinde)」にはたいていは街の中心部の広場に面して(プロテスタント系の?)教会が存在していて、すぐ傍らに役場もある、したがって、地域自治体(「ゲマインデ」)の宗教的拠点又は一種の霊的(聖的)な集会場所として、「教会」は「ゲマインデ」を連想させるのだろう、などと漠然と考えていた。
 二 田中卓=所功=大原康男=小堀桂一郎・平成時代の幕明け-即位礼と大嘗祭を中心に-(新人物往来社、1990)の共著者の4つの論文を殆ど読了した。上のようなことを書いたのも、<宗教>にかかわって、何となく連想してしまったから。
 1 大原康男「政教分離をめぐる問題」によると、①最高裁が津地鎮祭訴訟判決(1977.07.13)で国・地方公共団体も「一定の条件のもとで宗教と関わることができるという限定的分離主義」(「目的効果基準」等を用いた個別的・実質的判断)を採用したにもかかわらず、「完全分離主義の誤った解釈を今なお憲法学者とマスコミがあきもせず墨守している」(p.123、p.127)。
 この指摘のとおりだとすると、「憲法学者とマスコミ」の責任は重大だ。政教分離原則違反を原告が主張する訴訟の多さも、「憲法学者とマスコミ」に支えられ、又は煽られているのかもしれない。
 また、大原・同上によると、②占領中の1951年に貞明皇太后(今上天皇の祖母・昭和天皇の母)が崩御されたあと、皇室の伝統・慣例により(戦前は法令の定めがあったので事実上はこれに則り)神道式で、国費で支弁して「国の儀式」として「事実上の準国葬」として御葬儀が挙行された(p.115-6)。1949年11月に当時の参議院議長・松平恒雄(会津松平家・秩父宮妃の父)が逝去した際の葬儀は「参議院葬」として(つまり国費を使って)「神式」で行われた(p.121)。1951年に幣原喜重郎(元首相・前衆議院議長)が逝去した際の葬儀は「衆議院葬」として(つまり国費を使って)「仏式」(真宗大谷派)・築地本願寺で行われた。同じく1951年、長崎市名誉市民・永井隆が逝去した際の葬儀は長崎「市民葬」として(つまり市費を使って)「カトリック式」・浦上天主堂で行われた。これらにつき、GHQは何もクレームを付けなかった(松平恒雄の葬儀ではマッカーサーは葬儀委員長あての哀悼文すら寄せた)(p.115-6、p.121-2)。大原による明記はないが、マスコミ・国民もこれらをとくに問題視しなかったと思われる。
 しかるに、と大原は今上天皇による大嘗祭ついて論及するが、尤もなことだ(但し、大嘗祭は「宗教上の儀式」との理由で「国事行為」とはされなかったが、「私的行為」とされたわけでもなく、皇位継承にかかわる「公的性格」があるとされ、皇室経済法上の「宮廷費」から費用が支出された、ということも重要だろう。p.136-7の資料(政府見解)参照)。
 そして思うに、<南京大虐殺>が戦後当初、東京裁判の際もさほど大きくは取り上げられなかったにもかかわらず、のちに朝日新聞の本多勝一のルポ記事によって大きな<事件>とされ<政治・歴史問題>化したのと同様に、<政教分離>問題の浮上も、戦後当初は(国家と宗教の分離には厳格だった筈のGHQ占領下ですら)大きな論争点ではなかったのに、一部の<左翼>や「政治謀略新聞」・朝日新聞等が<政治・憲法問題>化するために騒ぎ立てた(?)ことによるのではないか、という疑念が生じてくる。
 2 小堀桂一郎「国際社会から見た大嘗祭」は君主・国王をもつ外国各国における<国家と宗教>の関係につき有益だ。
 但し、①折口信夫による「天皇霊」という概念を持ち出しての大嘗祭の性格づけ(p.157~)は不要ではないかと、素人ながら、感じた。第一義的には天皇・皇室自体が判断されることだが、皇祖・天照大神に新しい食物(その年の新しい収穫物による米飯)を捧げ、かつ新天皇も同じそれを食すること等によつて<一体化>をシンボライズする、天皇家と「日本」国家の「歴史」を継承するための<歴史的・伝統的な>儀礼なのではないか(不必要に「秘儀」化することもないだろう)。
 ②「宗教的」とは何か、とはまことに重要な問題だ(p.171)。あらためて、日本国憲法20条等がいう「宗教」あるいは「宗教活動」の厳密な意味を問いたい。小堀は西洋近代の「宗教」概念と「日本古来の祭儀儀礼…」は同じではない、キリスト教・イスラム教・仏教それぞれに特有の「宗教的」な面があるとしても「平均値をとってすむような、普遍的概念」としての「宗教的」なるものはない、と述べる(p.170-1)。これらは正鵠を射ている指摘だろう。
 宗教を、あるいは神道を(反「神道」意識→反<天皇制度>感情)、政治的闘いの道具にするな、あるいは社会的混乱を生じさせるための手段として使うなと、ある種の政治的活動団体に対しては、朝日新聞も含めて、言いたい。

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