秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

戦後体制

1397/日本の「保守」-奇書・月刊正論11月号(産経)01。

 水島総は、月刊正論2016年11月号(産経)p.286-でつぎのように書く。
よく分かるし、少しは感覚が異なるところはあるが、2015年安倍晋三戦後70年談話に関する部分は圧倒的に<正しい>。以下、「」は直接の引用。
 「戦後日本」と異なる「日本」の生起・露出・噴出という「異変」が起きている。「戦後レジームに安住する戦後左翼や戦後保守」は理解していないが、「米国と中国など外国政府の情報機関」は「異変」の「本質を見抜いている」。第一次安倍政権誕生も第二次のそれも「彼ら」からすれば「危険な」「異変」だった。
 「政治的ナショナリズムの復活だけなら、米国政府は戦後保守勢力を巧みに動かして『憲法改正運動』にそのエネルギーを集約させることもできた」。
 「異変」は上のことから「はみ出た」もので、「だからこそ、米国オバマ政権は、…第二次安倍政権を歴史修正主義として疑い、危険視し、中国、韓国の反日歴史キャンペーンを容認し、それを利用しながら、安倍政権に強力な圧力をかけ続けた」。
 「靖国神社への総理参拝に対する…米国政府の本気で強力な圧力」と「中国の尖閣侵略、北朝鮮の核開発等の安全保障問題の連動圧力」を受けて、「安倍総理は自身が『異変』たることを『中断』した」。
 安倍総理は、「戦後体制との妥協の道を選んだのである」。
 「総理は安倍談話で、我が国が大東亜戦争という『間違った道』を歩んだという東京裁判史観を受け入れ、その踏襲を米国に誓った」。
 「危険な歴史修正主義者として国際的圧力で葬られる前に、総理は戦後日本体制への『回帰』と服従を内外に宣言し、その長期政権への道を切り開いた」。
 「これが面従腹背、急がば回れの臥薪嘗胆行為なのか、あるいは政治的延命のための戦後体制への屈服なのか、おそらく両方なのだろうが、左翼からは『化け物』呼ばわりされる安倍総理の実体は、東京オリンピックの頃まで、知ることは出来ないだろう」。
 総理自身の「戦後体制遵守」表明以降、「自称保守政治家たち」も「戦後レジームの脱却」とは一切口にしなくなり、自民党のスローガン「日本を取り戻す」も「雲散霧消」した。親中派とされる「二階俊博幹事長」誕生は「その象徴的出来事」ともいえる。
 「政治の世界では、確かに戦後体制の巻き返しが成功した」。
 以上で引用おわり。以下の「異変」についての叙述は省略。
 このような安倍戦後70年談話(+日韓「慰安婦」最終決着合意文書)の理解・評価・論評こそ、事態を「正視」するものだ。
 しかし、同じ月刊正論11月号(産経)に、相も変わらず「ほとんど発狂」していると思われる、談話の問題と安倍内閣一般の問題とを(厳密には区別できるが)あえて混同させて、<僕ちゃんやっぱり安倍内閣を「信じる」>という渡部昇一の文章が載っている。
 重要な論点についてほとんど真反対の方向の論考・文章を掲載できる月刊正論編集部は<奇怪>というほかはない。
 渡部昇一をなおも採用する月刊正論編集部、そして産経新聞社の主流派は、水島総が上でいう「自称保守政治家たち」と同じ態度をとり、<戦後体制に屈服>しているのだ。
 もはやこの雑誌や(とっくに定期購読を中止している)産経新聞には、「歴史戦」はない。そして月刊正論は、個々には優れた論考も少なくないにもかかわらず、特集の組み方など全体としては<わけの分からない>月刊雑誌に堕してしまった。
 いかに月刊正論11月号(編集長・菅原慎太郎)が錯乱しているかについて、もう一回書く。

0885/国民は「戦後体制」を嫌悪しているか。

 隔月刊・表現者29号(ジョルダン、2010.03)の座談会「市場論/資本主義による国民精神の砂漠化」(p.183-226)は佐伯啓思のこれまで言及または紹介したような議論をも含み面白いのだが(但し、いつか書いたように、座談会記事は一人のまとまった論考よりも意味・趣旨が分かりにくい)、次の、西田昌司(自民党国会議員)による現状認識・将来予測には首を傾げるところがある。
 西田昌司は言う(p.220)。
 <「自民党を支えていた」のは、「戦後体制をとりあえず守っていけばよいという空気」だったのだろう。ところが、「いまや戦後の体制に対していき詰まり感があるから、そこをなんとかして欲しいというのが国民の声で、それが反自民になって出てきている」。しかし「民主の政策というのはまさに戦後の体制そのものであって、だから当然にこれはまた国民から総スカンをくらうことになるでしょう」。>
 「戦後体制」の理解も確認しておく必要はあるが、大まかには1947年日本国憲法と日米安保を基本とする体制という意味で、座談会発言者との間で大きな違いはなさそうだ。
 西田はその「戦後体制」を疑問視して<脱却>を意図又は主張したいのだろう。そのことはそれでよいとしても、だが、国民が「戦後(の)体制」に「いき詰まり感」を持って「なんとかして欲しい」(=<脱却>してほしい?)と願っているというのは、いささか国民に対する<買いかぶり>だろう。そのような意思・気分が横溢していたとするならば、国民は2009総選挙で民主党に300議席以上を与えなかった、と思われる。
 マスメディアの影響を強く受けている多数派の一般国民が、西田昌司と同様の「戦後体制」観をもっているとは、とても思えない。したがって、民主党が「国民から総スカン」を食らうことがかりにあったとしても、それは「民主の政策というのはまさに戦後の体制そのもの」だということを感じ取るためではないだろう、と思われる。
 また、同様に、国民のかつての(?、現在も?)「反自民」感情は、自民党の「戦後体制をとりあえず守っておけばよい」という姿勢のゆえである、というようにも思えない。そんな基本的な次元で投票する政党が選択されているとはとても思えない。
 それにしても、自民党の一国会議員がおっしゃるには、自民党は「戦後体制をとりあえず守っていけばよいという空気」に支えられていたらしい。かりにそのような憲法感覚(<リベラル>または<社会民主主義>的見解と称してよい)の議員等が多数派を占めているとすれば、自民党は民主党よりは<多少はマシ>だったとしても、将来を長期にわたって託すべき政党でもやはりなさそうだ。似たようなことの繰り返しになるが、日本の未来はますます惛い。

0267/<処世の手段>としての「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員。

 前回書いたように大学の社会系(歴史学を含む)学部の教員には「左翼」/マルクス主義者/マルクス・シンパが多いとすれば、これまでの企業の多くの大学卒業者の採用の仕方は適切なものだったといえるかもしれない。
 企業が18~19歳時点の特定の能力によって決まる出身大学の名前にのみ関心をもち、大学でどれだけ真面目に勉強したのかを示す大学での成績を考慮しないで採用し、入社してから「鍛える」という傾向を批判する向きもあった(今もあるだろう)。だが、「左翼」的教員の多い大学・学部では、真面目にきちんと勉強すればするほど「左翼」的理論・知識・心性の学生が育つに違いないだろう。ここで「左翼」的とは大まかには親社会主義・反資本主義、闘争・対立好み、「個性」重視・反秩序を意味させておく。
 前回紹介の諸発言はどの程度一般化できるかは厳密には問題で、大学、学部又は学問分野、教員個人によって様々ではあるはずだ。しかし、概してではあれ、大学又は学界では当然のこと又は中立・中間的なことと大学教員が考えていることは、世間一般の尺度に照らすと<だいぶ左にズレている>とは言えるのではないかと思われる。
 典型的には(マルクス主義経済学界を別にすれば)、勝手に推測すれば、マルクス主義者又はそれへの親近者が多いのは(当然に日本共産党員も多いのは)、日本史学界、次に、法学界の中の憲法学界ではあるまいか。
 また、これらの学界に限らず、「左」派であること、さらに日本共産党員であることが、大学就職や変更に有利に働く(!)ことがあるに違いない。
 前回に触れたように指導教授が誰か(どういう<思想傾向>か)によって大学院学生の就職が不利になることがありうることは、逆に指導教授の<思想傾向>のおかげで就職や大学の移動が有利になる大学院学生や若手の大学教員がいることを示している。
 とすれば、就職や所属大学の変更を有利にするために、自らの<思想傾向>を選択する者が発生しても全く不思議ではない。
 旧ソ連等の旧社会主義国や現在の中国や北朝鮮では共産党員であることが<エリート>である(となる)ための条件のはずだ(だった)。
 そのような過去及び現在の国々におけると同様に、日本の一部の世界では、「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員であることは、一つの<処世の手段>あるいは<立身出世の手段>になっている(あるいは少なくとも、なりうる)と言ってよいだろう。
 むろん、資本主義経済のもとでの私企業ではそんなことはない。だが、大学という「特殊」な世界の社会系学問分野では、すべての分野と言うつもりはないが、上のようなことが現実にも生じている、と推察される。このようにマルクス主義への甘さが残ったままの社会が一部にせよあるというのも、一つの<戦後レジーム>の徴表ではないか。マルクス主義者・日本共産党員たちが<戦後レジーム>を壊されたくないのは当然のことだ。

0214/「戦後体制からの脱却」とは何か-産経6/09森本敏コラムに寄せて。

 産経6/09の正論コラム欄の森本敏「真の「戦後体制からの脱却」とは何か」には、全くと言っていいほど異論がない。軍事・防衛の観点からの「戦後体制からの脱却」の意味は、長い文章ではないが、殆どここに書かれていることに尽きるのでないか。そして、「戦後体制からの脱却」とは軍事・防衛の面の問題に限られないとしてもそれが中心になるだろうと考えられるかぎりで、「…からの脱却」の意味の重要部分が指摘されていると思われる。
 要するに、「戦後半世紀、ぬるま湯の中に漬かって米国に国家の生存を依存して一人の自衛官の戦死者も出さないことを自慢にして生存してきた。こうした幼児のような平和概念から脱却する事こそ、求められている」のだ。
 あるいは、「ぬるま湯の中でほろ酔い加減になって自分をごまかすことはやめよう。湯の外は寒くて厳しい」のだ、「現実政治の中で、国家として当然の試練を受け入れることこそ戦後体制からの脱却と言える」のだ。
 軍隊を保持すれば戦死者が生じるかもしれない。しかし、国家が偽善者のままでいるよりは、-単純に死者の数によって優劣を判断するつもりはないが-失われた尊い兵士の生命に真摯に哀悼を捧げる(シャキッとした、骨格のある)社会になって、親子間の殺害、少年男女のいじめによるものも含めた自殺等の死者が激減すれば、その方が遙かによいではないか。
 「一人の自衛官の戦死者も出さ」なかった代わりに、戦後の日本社会は無駄な又は無為な死者をむしろ多数生んできたのではないだろうか(親子間の殺害の犠牲者、いじめによる自殺者等の他に少年による集団リンチの犠牲者となったホームレスの人もいた筈だ)。
 だが、上に語られているような<覚悟>を日本人の多くがすでにしているとは考えられない。私も同旨のことを書いたことがあるが、森本も「現時点でこうした〔自衛軍を設置する〕憲法改正案が国民投票によって否定される可能性は高いと思わざるを得ない」と書く。
 朝日新聞の論陣の張り方や朝日の読者の多さ等々を考慮すると、九条二項改正による軍隊の正規容認が容易になされるとは思われない。朝日新聞等の他に、日本共産党、社会民主党は必死の抵抗を試みるだろう。
 しかるに、九条二項改憲の側の運動が活発になされているという印象は私にはない。
 むろんまだ三年はあり、いずれは日本の進むべき方途が明確になるだろう。それまで、国論の大分裂のままで、緊張した月日が続くだろう(かかる観点からは、日本と同一状況にあるのではないが、フランス大統領選の53%対47%という数字は興味深かった。勝者は敗者の1.13倍しか得票していない。私には大接戦に思える)。
 それにしても、九条二項改正に反対の人びとはいったい日本をどのような国家にしたいのか、日本社会をどのようにしたいのか、よく分からない。
 日本共産党や社民党の党員たちは論外だが、客観的には彼らと「共闘」して九条の会に集ったり、安倍首相をヒドい言葉で批判し罵倒し続けている人びとは、いったい何を目指しているのだろうか。よく分からない。
 あえて想像し、かつあえて挑発的に書いておけば、戦争や軍隊のことを考えもせず(客観的には米国の核兵器の付いた日米安保体制のもとで)、ぬくぬくと、ある程度の豊かさと安全と個人的趣味に当てられる時間を確保しながら、適当に為政者の悪口を自由に言うこともできる生活を<保守>したいだけではないのか
 国家・公共についての理想など持っておらず、ただ、個人的な小さな幸福をめざした、それなりに安逸で気侭な日々を失いたくないだけではないのか
 朝日新聞となると、それ以外の目的も加わる。権力を批判し弱者の立場に立って<正義づら>をするという、格好のよい、インテリ的立場(もちろん彼らは高収入でもある)というものを守りたいだけではないのか。口先だけで空想的な偽善的言葉を吐いて、そういうスタンスのままでやはりヌクヌクと生きていきたいのだろう(「口舌の徒」という語がぴったりだ)。
 私の推測では、九条二項改正反対派の者たちの方が改憲派の人びとよりも高い収入や地位など「守りたい」ものを多く持っていそうな気がする。彼らは戦後の歴史の中で獲得してきたそれらを<保守>したいのだ。自分自身の個人的な利益のために、将来の予想がし難い<変化>を怖れているのだ
 九条二項改正反対派の人たちは、かかる推測に(もっと上で書いたことを含む)どう反論するだろうか。
 ここで<保守主義>とは何かが、私には気になる問題として登場してくる。
 すなわち、<戦後民主主義>・上で簡単に触れられている<戦後的平和>・<戦後的個人主義>はすでにある程度は、日本の伝統・歴史・精神にしっかりとなってしまっているのではないのか
 そして<保守主義>を説くことは、これらを<保守する>ことに反対することにはならないのではないか。
 結局、<戦後体制>の意味や<保守>の対象の問題に帰一する。
 <戦後的価値>という言葉を使っておくと、もはやこれを100%否定することはできないだろう。安倍首相もそこまでは考えていないはずだ。ただ、<戦後的価値>を今後もずっと維持したいという立場と<戦後的価値>の中には問題・欠点が明らかになってきたものもあるのでそれを是正する(その意味で<戦後的価値>を修正する、又は「戦後体制からの脱却」をする)必要があるとする立場が対立しうる。現在見られる対立は、このように説明又は表現できるかもしれない。
 だが、ここでも、<戦後的価値>とは何か、是正・修正すべき<戦後的価値>とは何かという問題がつきまとう。
 表面的な非難・批判合戦に終わらせるのではなく、本当は、上に抽象的に述べた問題について、言葉の意味を明確にさせながら、かつ具体的な論点に即して、対話あるいは対論がきちんとなされるべきだろう。
 だが、どうやら大分裂したままで最後の<勝負>の場に直面してしまうような気もする。日本人は、日本民族は、本当はもう少し<叡智>を持っている筈なのだが…。

0077/三島由紀夫の1970年11月の「檄文」と同年07月の一文を改めて読む。

 産経4/11の文化面に佐々木徹という追手門学院大学教授の「三島由紀夫と司馬遼太郎-二人の作家の現代への遺言」との一文が載っている。
 3月から読売に加えて産経も毎日講読し始めたのだが、産経にはけっこうよい記事がある。読売・朝日の数分の一しか読者がいない小さな全国紙になってしまているのは惜しいことだ。上の一文も、切り抜いて残しておいたものだ。
 三島由紀夫(1925-70)と司馬遼太郎(1923-96)は没年はだいぶ違うが、生年は2年しか変わらず、同時代人(大正末生まれ)だった。
 ここでは三島由紀夫にのみ言及するが、1970年11月15日の自決の際の「檄文」は-私は当時は恥ずかしくもまともに読んでおらず、その意味を考察することもなかったのだが-改めて、何度も何度も想起されてよいものだ、と考える。佐々木氏が引用してはいないが、その一部を私なりに番号を振って引用すると、こうだった。
 1.「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった」。
 2.「法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである」。
 3.「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」。
 1.の前半の言辞には共感を覚えるところがある。重複するが、まさしく、「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た」のではなかったかのだろうか。
 さらに後段も当時では鋭い指摘ではなかったか―「政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆく…」。
 また、佐々木氏は要旨のみを紹介しているが、三島は、1970年の07.07の産経新聞に「私の中の25年」と題する、後からみれば遺稿的な文章を書いていた。その中には、次の文章もあった。とくに第三文は、かなり有名だと思われる(三島由紀夫・文化防衛論(ちくま文庫、2006)の中に所収)。
 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなってきているのである」。
 さらに、佐々木氏によれば、1966年に三島はテレビ・インタビューに対してこう答えた、という。
 「人間の生命は不思議なもので、自分のためだけに生き、自分のためにだけに死ねるほど、人間は強くない」。
 そして、次は佐々木氏自身の文章だ。-三島は「自分を超える大義あるいは理想」について語った。「戦後民主主義の教育は自分を第一とするように教えてきたが、その結果、ニートのような生命力の減退、肉親殺害にまでいたる自己主張をもたらした」。
 戦後あるいは「戦後民主主義」の総括、そして「戦後体制(レジーム)からの脱却」はやはり必要だと感じている。

-0059/1945年から1950年生れを広義の「団塊」世代と呼ぶとすると。

 終戦の1945年に1925年(大正14年)生れの人は20歳で、大学に進学する極めて少数の人を除いて戦前の教育しか受けていない。三島由紀夫は1925年生。
 1930年(昭和5年)から1935年(昭和10年)生れの人は10歳から15歳で、戦前と戦後の両方の教育を受け教科書「墨ぬり」を経験したと思われる。
 1932年生れに石原慎太郎・江藤淳(・本多勝一?)等、1935年生れに西尾幹二・大江健三郎・筑紫哲也等がいる。
 これに対して1940年(昭和15年)以降生れの人は戦前生れであっても戦後教育しか受けていない(立花隆は1940年生)。1945年から1950年生れの少し広義の「団塊」世代が(占領期ではない)戦後の教育しか受けていないことは言うまでもない。
 計算しやすく1990年までを昭和としておくと、この年に上の「団塊」世代は40~45歳でまだ役所や会社の「指導」層ではなかった。かりに50~65歳を社会の指導的中心層とすると、昭和戦前のそれは明治生れの人々であり、1970年のそれは1905~1920年生れ、すなわち明治38年~大正9年生れの人々だった。昭和時代を指導したのはほとんど明治・大正生れの人たちだったのだ。
 昭和世代のうち「団塊」世代がこの指導的中心層になったのは1995年ないし2000年以降で現在に至っている。この時代はバブル崩壊後、欧州での冷戦終結後の「新しい」時代だったと言え、政治的観点からいえば1994~1996年の首相は日本社会党の村山富市だった(自社さ連立)。
 1995年には阪神淡路大震災・オウムのサリン事件も発生したのだが、この年以降頃に指導的中心層になったはずの広義の「団塊」世代は何をなしえただろう。今後何ができるだろう。首相が1954年生れの安倍に替わって広義の「団塊」はスキップされた感もあるが、菅直人・鳩山由紀夫・桝添要一・塩崎恭久・櫻井よしこ・中西輝政・関川夏央らはこの世代で、まだまだ活躍の余地はあるだろう。
 しかし、もっぱら戦後教育のみを受けた者たちが指導的中心層となってどの程度適切・的確に国家・社会を運営していけるか、心配なくもない。「戦後体制との訣別」を志向するとしても、その「戦後」に(ある人々はどっぷりと)浸って、ある意味では「うまみ」も味わっきたのがこの世代であり、「戦後体制」なるものの一部は、この世代の相当部分の人々の血肉化していると思われるからだ。
 1960年代末~70年代の言葉を用いるとすれば、この世代にとってある程度の「自己否定」を伴わないと、「戦後体制との訣別」は不可能だと思われる。

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