秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

戦争責任

0805/日本共産党・宮本賢治による丸山真男批判(1994.01.01、1994.03.27)。

 資料・史料-日本共産党・宮本賢治による丸山真男批判(1994.01.01、1994.03.27)

 1、宮本賢治への『赤旗』新春インタビューでの丸山眞男批判部分…『赤旗』1994年1月1日号、『日曜版』1月16日号
 //学問の世界での日本共産党の働き―「丸山理論」への本格的批判

 それとの関係で、私たちは理論的にどう前進したか、思想や理論の問題ではどうかということも考えてみる必要があります。昨年は、学問の世界でも、日本共産党が、有数の働きをした一年だったと思うんです。
 まずいえるのは、丸山眞男の日本共産党にも戦争責任があるという、近代政治学の立場からの日本共産党否定論にたいする批判、反論です。丸山氏の議論は、たまたま、日本共産党が「50年問題」で混乱している時期に世間を風靡(ふうび)した学説です。これにたいして、日本のインテリゲンチアのなかで若干のしっかりした人は学問的にも「丸山理論」を承服しないで、正論の立場から奮闘し彼を批判したことは十分記憶されなければならないと思います。しかし、当の日本共産党が、ああいう状況だったために、十分に反論しきれなかった。
 私も、1957年の鶴見俊輔氏らとの対談で「共産党の戦争責任」なる主張を正面から批判していますが(『中央公論』対談「日本共産党は何を考えているか」、『宮本顕治対談集』〔新日本出版社、1972年〕所収)、党としてそれにきっちり反論するというような状況にはなかったわけです。その後、党として丸山氏の議論が歴史の階級闘争の弁証法を理解しない誤ったものという批判はおこなってきました。志位和夫同志の「退廃と遊戯の『哲学』」(1986年)でもそれに言及しています。
 そういうなかで、昨年、初めて丸山眞男氏にたいする全面的、本格的な批判が「赤旗」評論特集版(1993年5月31日号)で展開されました。さらに、『前衛』(1993年12月号、「丸山眞男氏の『戦争責任』論の論理とその陥穽」)で批判しました。若い人が一生懸命論文を書いて、しかもただ丸山氏の「共産党戦犯」論の批判だけでなく、彼の学説の背景、彼に影響をあたえたドイツの学者の学説はどういうものかを調べて、丸山氏はドイツでさえいえなかったようなゆがめた共産党批判を行っているということまでをちゃんと書いています。堂々たるものです。
 「赤旗」評論特集版の長久理嗣論文―「社会進歩への不同意と不確信、『葦牙』誌上での久野収氏の議論について」も、集団的労作ですが、「共産党の戦争責任」をうんぬんした丸山眞男氏の議論をはじめて本格的に批判したものです。丸山氏の議論というのは、要するに、日本共産党は侵略戦争をふせぐだけの大きな政治勢力にならなかったのだから負けたのだ、したがって、侵略戦争をふせげなかった責任がある、“負けた軍隊”がなにをいうか、情勢認識その他まちがっていたから負けたんだと、そういう立場なんです。これにたいして長久論文は、世界の歴史の決着はこの問題でどうついたかをはっきりさせました。
 日本共産党の存在意義そのものにかかわることですが、戦後の憲法論争や世界史の結論からみれば、日本共産党の立場こそ先駆的だったのです。けっして日本共産党は負けたのではありません。歴史をつうじて、第二次世界大戦の結末をつうじてあきらかになったことは、日本共産党が先駆的な展望をしめしていたということです。しかも実際の勝ち負けという点から見ても、日本共産党はいわば大きく日本国民を救ったといえる、日本歴史の新しい主権在民の方向と展望を示す、そういう基礎をつくったんだということを書いたのです。
 これは当然の結論ですが、これが丸山氏の議論のいちばんの盲点になっていました。日本共産党は非転向といっても、みんな捕まり、軍旗とともに投獄された、結局、負けたじゃないか、というような誤った議論を論破する仕事を若い人をふくめて集団的におこなってきたのは、戦前史における日本共産党の役割をめぐる日本の学問のゆがみを正すことに貢献したといえます。//

 2、宮本賢治の第11回中央委員会総会冒頭発言での丸山批判部分『赤旗』1994年3月27日号

 //新しい理論的探究――丸山眞男の天皇制史観への反撃
 わが党はいろいろな新しい理論的な探究もいたしましたが、その一つが、丸山眞男の天皇制史観の問題です。この丸山眞男・元東大教授の天皇制史観はなかなかこったもので、それを近代政治学として裏づけているものであります。つまり、天皇制は無責任の体系である、責任がとれない体系であるというものです。それだけならともかく、その天皇制に正面から反対した日本共産党にも、実は天皇制の「無責任さ」が転移しているのだというのが、丸山の天皇制史観の特徴であります。
 これは、1950年代に展開されたもので、党中央が解体状態で統一した力をもたなくて、こういう党攻撃にたいしても十分な反撃ができなかった、いわば日本共産党が戦闘能力を失うという状況のなかで、丸山のような見解が学界を風靡(ふうび)したわけであります。何十年かたちまして、日本の現代論についてみると、党から脱落したりあるいは変節したような連中が、丸山眞男の天皇制論をもってきて、いまだに自分たちの合理化をやっているということがわかりました。革命運動のなかに天皇制的精神構造があるというようなことをいいまして、いろいろな攻撃をくわえてきたわけであります。
 丸山眞男の一番大きな誤りは、歴史を大局的に見ることができないということです。戦時中に日本共産党がかかげていた「天皇制反対」とか「侵略戦争反対」反共攻撃、ただ日本共産党が大衆をどう動員したかということではなくて、ひろく世界の戦争とファシズム反対という、世界の民主主義の潮流と合致していたのです。戦後の日本も世界もその方向に動かざるをえなかった。そこに日本共産党の先駆性があるわけです。
 それを彼は、日本共産党の幹部たちも雄々しくたたかったけれども、結局は、「敗軍の将」であって、「政治的責任」を果たさなかったと攻撃している。「死んでもラッパを離しませんでした」という木口小平の話のような結果ではないかという嘲笑(ちょうしょう)をした。そういう丸山の理論にたいして、50年代当時は十分な反論ができませんでしたが、いまはちがっております。
 何十年かたっておりますが、やはり非常に大事な問題です。しかも学界ではその後、丸山眞男をこえるような天皇制論をだれもやっておりませんから、これが一番の権威になっているのです。したがって、さきほどあげた丸山眞男の一番の盲点を中心とした反撃が大事です。『前衛』では昨年の十二月号に若い党の研究者がしっかりした論文を書きましたが、五月号には丸山の天皇制史観に焦点をあてて学問的にも充実した別の若手研究者の論文が発表されようとしております。//

 (*出所-宮地健一のウェブサイト内)

0782/資料・史料-2006.08.13「戦争責任」朝日新聞社説。

 資料・史料-2006.08.13「戦争責任」朝日新聞社説

 平成18年8月13日
//朝日新聞社説
  「「侵略」と「責任」見据えて 親子で戦争を考える
 「日本は侵略戦争をしたの?」「A級戦犯って、なあに?」「首相が靖国神社に参拝すると、なぜ問題になるの?」
 子供に問われ、困っているお父さん、お母さんも多いことだろう。
 戦後61年の夏。今や親も子も戦争を直接には知らない。しかし、戦争の体験がないからこそ、わだかまりなく歴史を見つめることもできる。
 日本の敗戦で終わった、あの戦争は何だったのか。その責任は、だれにあるのか。いろいろな本を手がかりに、親子で語り合ってみてはどうか。

 ●満州事変から泥沼へ
 最近は、左右のイデオロギーにとらわれずに戦争を直視する本が目につく。
 たとえば、評論家の松本健一さんの「日本の失敗」(岩波現代文庫)という本がある。1945年の敗戦に至るいきさつを豊富な資料で追っている。
 日本は明治維新の後、日清、日露の戦争に勝つ。朝鮮半島を植民地にし、中国に進出していく。
 15年近くも続く泥沼の戦争の始まりになったのは、日本軍が仕掛けた31年の満州事変だ。日本は現在の中国東北部にあたる満州を占領し、満州国を建てる。37年からは中国と全面戦争に入った。
 松本さんは、日本が第1次大戦中に中国への野心をむきだしにした「21カ条の要求」が転機だったと見る。米国との対立も深まり、41年に日本は「自存自衛」と「アジア解放」を掲げて、米英などとの「大東亜戦争」に踏み切った。これが戦後、「太平洋戦争」と呼ばれる。
 日本のアジアへの侵略だったのか、自衛の戦争だったのか。今も論争が続いているところだ。
 朝日新聞の4月の世論調査で、あの戦争の性格を聞いたところ、「侵略戦争」という答えが31%、「自衛戦争」が7%、「両方の面がある」が45%だった。両面性があるにせよ、侵略性を重視する人が多いということだろう。
 「大東亜戦争」は、中国への侵略戦争の延長・拡大だった。そうとらえる松本さんは「満州事変が世界戦争の序曲の役割を果たしたのは、それがまぎれもなく『侵略』であったからだ」と書く。
 私たちも同感だ。あの戦争で日本人は300万人、アジアで2千万人が亡くなったといわれる。日本の侵略を認め、それがもたらした惨状を見つめるところからしか、「戦後」は始まらない。

 ●大きかった戦争への憎悪
 こうした侵略戦争の罪を問うたのが、極東国際軍事裁判(東京裁判)だった。A級戦犯のうち、太平洋戦争を始めた東条英機元首相ら7人が絞首刑になった。
 東京裁判は、勝者の一方的な裁きだった。東条元首相らが問われた「平和に対する罪」は、終戦直前に戦勝国が定めたものだ。そうした問題はいくつもある。これをどう考えるか。
 作家の保阪正康さんは「昭和の戦争を読み解く」(中公文庫)で「勝者が裁くとはこういうことか、なるほど西洋文明とはこういう形の裁きを行うのか、と私たちは冷徹に見ればいい」と書いた。その上で、「六十年を経て改めて、あの時代と関わった国民一人一人が政治・軍事の裁判を行ってみたらどうだろうかと提言したいほどである」とつづる。
 もし日本人が自ら終戦直後に裁判をやっていたら、どうなっていたか。ベストセラーになった「昭和史」に続く「昭和史 戦後篇」(平凡社)で、作家の半藤一利さんはそう自問し、「もっとずっと多くの死刑判決が出たでしょう」と答えている。それほど戦争に対する悲惨な思いや憎悪が大きかったというのである。
 いま戦争責任を改めて問えば、どうなるだろうか。
 まず、罪の軽重はともかく、A級戦犯になった人たちの責任は免れまい。軍人や政治家として、中国を侵略し、その延長上に、無謀な太平洋戦争を進めた。その結果がおびただしい犠牲である。
 軍人ではほかに責任を問われるべき人もたくさんいるだろう。たとえば、満州事変を起こした中心人物だった石原莞爾元参謀らである。
 政治家では、軍人以外でただ一人死刑になった広田弘毅元首相よりも、日中戦争を始めた時の近衛文麿首相の方が、責任が重いのではないか。2度も首相を務め、戦争の拡大を防がなかった。戦犯容疑者になって服毒自殺したため、本人の貴重な言葉が法廷で語られなかったのは残念なことだった。

 ●天皇や新聞の責任
 実質的な権限はともあれ、昭和天皇は陸海軍を統帥し、「皇軍」の兵士を戦場に送り出した。終戦直後、何らかの責任を問う声があったのは当然だが、東京裁判には出廷さえ求められなかった。その権威が戦後の統治に必要だと米国が考えたからである。
 だからこそ、天皇は戦後の新憲法のもと、平和国家の象徴として生きることを重い任務として自らに課したのだろう。
 新聞も戦争をあおった責任を忘れてはいけない。失敗を再び繰り返さないことで罪を償うしかないと考えている。
 過去の歴史を素直に学べば、おのずと答えは出てくるはずだ。そんな共同作業を現代の親子に勧めたい。//

 *ひとくちコメント-「朝日新聞の4月の世論調査で、あの戦争の性格を聞いたところ、『侵略戦争』という答えが31%、『自衛戦争』が7%、『両方の面がある』が45%だった」とする。この叙述(・数字)はいわゆる<村山談話>が示す「(あの)戦争」観を国民の過半数が支持していないことを実質的には意味すると考えられるが、この社説より二年余り後、田母神俊雄論文の内容につき、朝日新聞社説は「ゆがんだ考え」と断定し、そんな考えの持ち主が「自衛隊組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒くなる…」と書いた(次回に掲載)。

-0003/61年も経って決着がつけられない民族なのか。

 昨晩は某大規模店舗の見学を兼ねての同施設内の歩行を「散歩」代わりにしたための運動不足か、レストランに入っての帰宅後の体重測定では、数日前の日中散歩後と比べて1.5kgも増えていた。まずい。
 昨日は古書2冊のみだったが、今日は古書・新本併せて10冊以上が届いた。「栗本慎一郎の脳梗塞になったらあなたはどうしますか」(2000、たちばな出版)を一部読んでいると、脳梗塞ももはや他人事ではないという気がしてくる。読売編集の「検証戦争責任1」(2006.07、中央公論新社)は4刷のものが手に入った。今日あたりの新聞では、大増刷・第5刷の広告を見たように思う。
 読売の作業を、某著名人はチマチマした本質的でないものと批判していた。それはともかく、60年以上前に終わった戦争の見方・総括とも関連して、いまわが国はいわば<国論の分裂>状態にあるようだ。忙しく仕事をし、一紙程度の新聞とテレビを漫然と見ていたかつてはさほど強くは意識しなかったのだったが。
 岩波新書がすでに少なくとも2冊ある「憲法再生フォーラム」や、吉永小百合様を巻き込んでの、岩波の冊子がすでに少なくとも3つある「憲法9条を考える会」などは、すでに近い将来の<決戦>を意識して活発に?活動しているようにみえる(どの程度彼らの主張が読まれているかは知らないが、新田次郎の次男坊による短い、イヤ読みやすく内容の濃い本に完敗していることは間違いないだろう)。
 一方、憲法問題をも含んでいるだろうが、「日本教育再生機構設立準備室」なるものができ、08月05日には「八木秀次ともに日本の教育再生を考える夕べ」とやらが開催され、安倍晋三官房長官から祝電を受け、櫻井よし子等が「激励の挨拶」をしている。分裂・消滅した「…つくる会」的団体の再結集・再構築のように見える。
 国論分裂過多で右往左往して亡国したかつての某国のようにならないためにも、言論リーダーたちの責任は重い。いや、この秋月瑛二の責任だって??!!
 秋月瑛二も給与生活者なので、本来の仕事がある。今日もした。ある仕事の前半の実質的に40%はほぼ終わり、後半に突入しているが、明日には終えてしまいたいものだ。
 どうやら今日は散歩なしに終わりそうな気がする。まずい。
ギャラリー
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2096/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史07②。
  • 2095/西尾幹二の境地・歴史通11月号②。
  • 2092/佐伯智広・中世の皇位継承(2019)-女性天皇。
  • 2085/平川祐弘・新潮45/2017年8月号②。
  • 2085/平川祐弘・新潮45/2017年8月号②。
  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
  • 2083/団まりな「生きているとはどういうことか」(2013年)。
  • 2081/A・ダマシオ・デカルトの誤り(1994, 2005)②。
  • 2080/宇宙とヒトと「男系」-理系・自然科学系と<神話>系。
  • 2066/J・グレイ・わらの犬「序」(2003)②。
  • 2047/茂木健一郎・脳とクオリア(1997)②。
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
アーカイブ
記事検索
カテゴリー