秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

憲法改正限界論

0242/「9条ネット」共同代表・北野弘久の憲法改正限界論は通説ではない。

 「9条ネット」のサイト内の資料を見ていると、面白いものに出くわした。共同代表の北野弘久の「日本国憲法9条2項と憲法改正の法的限界」という文章で、「共同代表の部屋」に今年の3月15日付で掲載されている。この文章の一部(しかし根幹)はこうだ。
 「①国民主権、②基本的人権の尊重、及び③9条2項に象徴される平和主義は、日本国憲法の根幹である。それは、国民主権の行使である憲法制定権力の表現である。96条(改正規定)の憲法改正権によって日本国憲法の根幹に関する原理を改正することは憲法学理論からはできない。何故なら、日本国憲法の根幹を改正することは、96条による憲法改正権の法的限界を越えるからである。/最重要の根幹である9条2項を改正することは、学問的には法的革命でありクーデターである。/日本国憲法の根幹の改正は憲法改正権の法的限界を越えることについては憲法学界の支配的見解といってよい。
 5/24に、常岡せつ子の、九条二項改正は改正の限界を越え許されない(クーデターだ)とするのが「通説」だ旨の朝日新聞への投書を「大ウソ」と断定し、その後もいくつか補強資料を追加した(常岡説と類似の説も見つけた)のだったが、常岡が直接に依拠したのは、上の北野弘久の文章ではなかろうか。「クーデター」という語を使っている点も同じだ。
 しかし、上の北野は「憲法学界の支配的見解」と言うが、「日本国憲法の根幹の改正」についてはかりにそうだとしても、その「根幹」の中に九条二項の規定内容までが含まれているかを、憲法学界の通説又は有力説は否定していることは、すでに紹介したとおりだ。芦部信喜、辻村みよ子、佐藤幸治各氏の教科書は九条二項は改正できないなどとは書いていない。むしろ前二者は、改正の限界の対象には含まれないのが「通説」と明記しているのだ。
 従って、北野の上の論述は、「
根幹の改正は憲法改正権の法的限界を越える」→「根幹」の中に「9条2項に象徴される平和主義」も入る、という単純な理解に立つもので、成り立つとしても「通説」とはとても言えない。それに北野弘久は、憲法とは無関係でないとしても憲法学者ではなく、税法(租税法)学者だ。かりに常岡がかなり年上の信頼できる先生というだけで、上の文章を信じて朝日新聞に投書したのだとすれば、気の毒にも、人生の大きな蹉跌と「恥かき」の原因になってしまった。
 ところで、天木直人は「九条ネット」のメンバーの筈だが、上の北野の文章を読んだ気配はない。というのは、常岡の投書が掲載されてのちに、<そうだ。これが通説なのだ>と感激して、安倍首相らが「クーデター」しようとするなら、それを拒否してわが国初の「民主革命」をしよう、などとの訳の分かりにくいことを喚いていた(5/27に紹介)。上の北野の文章を先に読んでいれば、常岡投書にあんなに感激し昂奮する必要もなかった筈だ。
 ということは、いつから「共同代表の部屋」に北野の3/15の文章が載ったのかは知らないが、天木は「九条ネット」のメンバーであるにもかかわらず、そのサイト上の「共同代表の部屋」を覗いていない、という可能性も高い。
 些細なことだが、ネットを散策しているとときどき面白いものに出逢う。

0178/芦部信喜・憲法学Ⅰ憲法総論(有斐閣)も常岡せつ子を支持しない。

 現憲法九条二項は憲法改正の限界を超えるとするのが「通説」だという<大ウソ>を朝日新聞に投書した自称・憲法学者らしき人(常岡せつ子)がいたことは既に触れた。
 <大ウソ>であることの根拠はすでに十分に示し得ていると思うが、さらに追記しておこう。
 すでに名を出した故芦部信喜に、同・憲法学Ⅰ憲法総論(有斐閣、1992)という、先日言及したものよりも詳しい別の本がある。
 この本は、憲法改正の限界につき無限界説と限界説、限界説の場合のその具体的内容を殆どは客観的に坦々と叙述しているが、平和主義・九条二項については次のように自身の見解を明瞭に述べている。
 「国内の民主主義(人権と国民主権)と国際平和の原理は、不可分に結び合って近代公法の進化を支配してきたと解されるので、平和主義の原理もまた改正権の範囲外にあると考えなければならない。ただし、平和主義と軍隊の存在とは必ずしも矛盾するわけではないので、憲法九条二項の戦力放棄の条項は理論的には改正可能とみるべきである」(p.78。「人権と国民主権」を「国内の民主主義」という語で統合するのは解り難く、民主主義原理から「人権」が出てくるのではないと阪本昌成なら批判しそうだが、立ち入らない)。
 この本は現在も発売され、(私が確認したかぎりでは)少なくとも2005年までは増刷されている。
 上記の自称・憲法学者らしき人は、上の文を全く見ていないか、前半だけを見たのだろう。
 芦部信喜は「平和主義と軍隊の存在とは必ずしも矛盾するわけではない」と正しく明瞭に述べ、「憲法九条二項の戦力放棄の条項は理論的には改正可能とみるべきである」と自己の意見としてこれまた明瞭に述べていたのだ。
 憲法学界のことをむろん詳細には知らないが、この元東京大学教授の主張とは反対の意見が「通説」だとは、通常は考えられないのではないか。現に、芦部信喜氏が指導した世代の一人の辻村みよ子氏、その中間の佐藤幸治氏、という有力と見られる人の教科書が、上記の自称・憲法学者らしき人の言う「通説」とは異なることを叙述していることはすでに紹介したとおりだ。
 上記の自称・憲法学者らしき人は朝日新聞に訂正する投書をすべきではないか。または朝日新聞の「声」欄担当者は異なる意見の投書を掲載して実質的に修正しておくべきだはないか。そうしておかないと、これまた過日紹介した天木直人氏のブログのように、著名な(?)知識人(?)までが、「そうだ、これが通説なのだ」などと言って、誤った知識にもとづいてハシャぐことになる。
 ところで、読売新聞社は、1994年、2000年、2004年と憲法改正試案を発表してきている。読売新聞社編・憲法改正読売試案2004(中央公論新社、2004)の安全保障の部分を見てみたが、現憲法九条二項を全面改正(削除)して、1994年試案では「自衛のための組織を持つことができる」、2000年試案では「自衛のための組織」を「自衛のための軍隊」と改め、2004年試案もこれを維持している。
 かりに憲法九条二項が憲法改正の対象のならない(そもそも改正できない)とするのが憲法学界の「通説」ならば、そのことに何かの言及があっても不思議ではないが、上記の書物にはいっさいそうした部分はない。改正可能であることを前提として、新しい法文を試案的に提示しているのだ。
 (また、読売試案に対して、憲法改正の限界を超えるというという観点からの強い批判意見が出された、という記憶はない。)
 なお、のちに発表された自民党新憲法草案と比べると、第一に、自民党案は「自衛軍」とし、読売案は「自衛のための軍隊」と表現する、第二に自民党案は「自衛軍を保持する」とし、読売案は「自衛のための軍隊を持つことができる」とする、という違いがある。第二点は、自民党案では自衛軍保持は憲法上の義務(又は当然予定されたこと)になり、読売案では義務にならない(すなわち、<持たないこともできる>ことになる。保持が憲法によって許容はされているので、法律レベルでの判断に委ねられる)、という違いをもたらす。

0146/日本国憲法-「八月革命」説による<新制定>か「改正無限界」説による<改正>か。

 明治憲法(大日本帝国憲法)の憲法改正条項は同憲法73条で、つぎのとおりだった(カタカナをひらがなに直した)。
 「第73条 1項 将来此の憲法の条項を改正するの必要あるときは勅命を以て議案を帝国議会の議に付すべし

 2項 此の場合に於て両議院は各々其の総員三分の二以上出席するに非されは議事を開くことを得す出席議員三分の二以上の多数を得るに非されは改正の議決を為すことを得す
 現憲法96条が各議院の<3分の2以上>の賛成を「発議」要件としているのも、この旧憲法を踏襲したかに見える。
 それはともかく、この条項にもとづく明治憲法の改正という形で日本国憲法が成立したことは周知のとおりだ。
 日本国憲法の施行文はこう言う。-「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる
 このあとに、御名御璽、計15人の内閣総理大臣・国務大臣の連署、前文、第一章第一条…と続く。
 憲法学の専門家には当たり前のことを書いているだろうが、天皇が定めた「天皇主権」の欽定憲法である明治憲法の「改正」の形で「国民主権」の日本国憲法を制定できるのか、という、<憲法改正権の限界>という問題があった。
 形式的・手続的には明治憲法の改正であっても<憲法改正権の限界>を超えるもので、新憲法の制定に他ならず、ポツダム宣言の受諾によって「国民主権」への革命があったのだとするのが<八月革命説>で、宮沢俊義・東京大学法学部教授が1946年になってから唱えたこの説がどうやら主流の説らしい。
 だが、GHQができるだけ日本人の意思によって憲法が制定(改正)されたかの印象を作りたかったからかどうか、少なくとも表面的には、天皇の発議により両議院(衆議院と貴族院)が審議し、議決し、天皇が裁可し、公布せしめたのが日本国憲法だ。
 枢密顧問への諮詢を経て帝国議会に憲法「改正」案(じつはGHQ作成の原案に若干の修正を加えたもの)を附議した際の天皇の言葉は、「朕…国民の自由に表明した意思による憲法の全面改正を意図し…」だった。
 上の段落は、阪本昌成が憲法の制定過程やその「有効性」をどう叙述しているかに関心を持って見た、阪本昌成・憲法Ⅰ(国制クラシック)p.108(有信堂、2000)による。
 阪本は自説を展開することはなく、「学界では、主権在民をうたう新憲法(民定憲法)護持の立場が圧倒的で、改正無限界説からの分析は精緻になされることはなかった」とのみ記述している。改正無限界説に多少の<未練>はあるかの如き印象をうける。
 実際になされた天皇の発言、天皇に始まる手続、天皇による裁可と公布を見ると、<八月革命説>は相当にフィクションであり、<改正無限界説>に立って、明治憲法の「改正」により現憲法が生まれた(天皇自身も無限界説的な理解をしていた)、と説明する方が私にはわかりやすい。
 天皇主権と国民主権、欽定憲法と民定憲法とはそれぞれ正反対のようでもあるが、欽定憲法と言っても明治天皇が大日本憲法の具体的条文を策定されたわけでは全くないし、天皇主権といっても天皇の実際上の権限・地位が相当に限定された、殆ど「象徴」的なものだったことはよく知られている筈で、少なくとも天皇の地位については現憲法との<連続性>の方がむしろ強調されてもよい、と思われる。「革命」が起こった、と理解したのは一時期の(一部の者の)<熱狂>と<昂奮>の結果で、説明の仕方としては合理的ではないのではないか。
 天皇が自ら(および子孫の誰か)を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とすることに異存がなかったとすれば、<改正の限界>を超えていた、と理解する必要はなかったのではなかろうか。
 ここでこんなことを書いても無意味かもしれない。但し、現憲法の制定に昭和天皇の「意思」が深く関係していると思われることは確認しておきたい(占領下だったのであり、100%の「自由」な意思に基づくものだったとは一言も言っていない。念のため)。
 当初の関心の対象だった現憲法の「有効」性については、阪本昌成はいっさいこれを疑っていないようだ。憲法学の中の少数派と見られる阪本の教科書において、<日本国憲法無効論>は本文中のカッコの中で「無効だ、と主張する少数説もないではない」と言及されているにとどまる。これでもひょっとして<親切>な方かもしれない。
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