秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

慶応大学

0378/血迷ったか、憲法学者・小林節。

 日本国憲法59条の定めは次のとおり。
第59条
 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。
 産経新聞1/23潮匡人のコラム「断」によると―したがって<間接>情報になるが―慶応大学の小林節は、近日にあった衆議院の再議決(新テロ措置法)について、週刊朝日1/25号上で「明らかに憲法違反」と主張している、という。
 上のような規定の定め(2/3以上による再議決は2項が明示的に肯定している)のどこに違反しているというのか、この人は<憲法学者>なのかと疑いたくなる。
 原則と例外を論じるのもいいが、それは政治論・政策論・国会運営論レベルの問題で、法的(憲法的)問題は全く生じないことは明らかだ。潮匡人の指摘するとおり。
 慶応大学法学部の学生ですら容易に小林節の誤謬を指摘するだろう。
 推測も入るが、小林節は憲法(解釈)論議ではなく、政治論議をしているのだろう。この人は、この両者を区別しておらず、意識的にか、混淆させている。そしてまた、憶測まじりだが、自民党の改憲案の作成に際して、もともとは憲法学界では珍しい<保守>的な<改憲>賛成論者であった自分が大切に扱われなかったことについて、メンツが立たない、とでも立腹しているのではないか。そして、今後は、朝日新聞系で大切にしてもらえる、朝日新聞系の「御用」学者として生きていくつもりなのだろうか。
 追記する。小林節は現在の衆議院を構成している前回総選挙を「一時的な国民的興奮」によるもので「そもそも正統性を欠いている」とも主張しているらしい。
 この憲法学者はバカか?
 <正統性を欠く>→選挙無効という「法的」議論をしているのか? そうではなくたんなる政治論・政治評論なら、小林節が出る幕でもあるまい。
 また、本当にまともに主張しているつもりならば、「正統性を欠いている」か否かを判別できる、具体的な憲法論的基準を示してもらいたい。そのための説得的な憲法論をどこかで詳細に展開してもらいたい。
 ついでにいえば、-私もまた前回の総選挙が<まともな>ものだったとは感じていないが-「正統性を欠いている」というなら、昨年7月の参議院選挙はいったいどうなのだ。
 昨年7月の参議院選挙の結果は(前回衆議院選挙と違って)「正統性を欠いて」いない、と主張するのならば、その根拠もまた詳細に述べてほしいものだ。自分が学者(様)のつもりならば、そのくらいの用意と覚悟をもっているだろう(いや、この人にはそんなものはないだろう、つまり<学者>でなくなっている…と続けたいが、この程度でやめておく)。
 このような小林節の論を掲載する週刊朝日も奇矯なのだが、朝日新聞・週刊朝日等が基本的に<血迷っている>媒体であることはすでに明瞭なことなので、あらためて論じるまでもない。

0171/山崎行太郎は自分の安倍晋三批判を赤面することなく読めるか。

 産経5/23によると、韓国の盧武鉉大統領が政府内等の記者クラブ数の縮小を発表してマスコミの反発を買っているらしいが、その記事の中にこんな文章がある。
 「盧政権は、大手紙などの反政府的報道に対してはそのつど誤報訂正要求や告訴、取材拒否で対応してきた…」。
 坂真・韓国が世界に誇るノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録(飛鳥新社、2007.01)p.63以下によると、盧武鉉は2005年の5月、ソウルでの世界新聞協会総会の祝賀演説でこう言ったそうだ。
 「権力と言ってもいい。言論権力の乱用を防ぐ制度的装置と言論人の倫理的姿勢、および節制がきわめて重要だ」。
 同書によるとまた、韓国では、最大発行部数の新聞は市場占有率が30%を超えてはならず、上位3紙も合計60%までと制限し、中小新聞には支援を行う「新聞法」(新聞等の自由と機能の保障に関する法律)が2005年07.28に施行されている。
 坂真氏は「文字通りの「権力による言論への介入」と言わざるをえない」とまとめている。
 いちおうの自由主義国・韓国ですらこうなのだから、中国や北朝鮮では果たして「言論の自由」が存在するのかどうか自体が疑わしいだろう。政府又は言論警察機関が許容した範囲内でのみの「言論」行使ができるらしいことは、逐一関係資料を確認しないがこれまでの日本の中国等に関する報道によっても明らかだと思われる(これらの国の「憲法」がどうなっているのかは知らないが、少なくとも現実には、憲法で保障された人権としての表現の自由という意識・観念が恐らく存在しない)。
 ところで「山崎行太郎」という人は、自ら書くところによると、「文藝評論家(or哲学者)。 慶応大大学院(哲学専攻)修了。東工大講師を経て、現在埼玉大学講師、日大芸術学部講師、朝日cc「小説講座」講師」らしい。
 もともと小説又は文学作品を書かない文評論家とか、小説を書かないで(又は売れた小説を書いたこともなく)「小説の書き方」とかを講じている人は何となく胡散臭く感じてきたし、自ら「or哲学者」などと名乗る人にロクな人はいないだろうとも思うのだが、この山崎行太郎という人も、失礼乍ら、やはり<胡散臭い>人で、<ロクな人>ではないように見える。
 この人は言論統制・言論弾圧に関心を持っている(研究対象としている?)らしいのだが、過日すでに一部紹介したように、安倍首相について、5/18にこんなふうにブログ上で公言している。
 「安倍が総理就任以前から言論統制や言論弾圧にこだわっていることは明らかだが、総理総裁に就任後も、相変わらずマスメディアの情報に敏感に反応し、新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」→「誠に情けないというか、なんというか、馬鹿丸出しの体質がミエミエで哀れ」。
 「安倍シンゾーは、どうした風の吹き回しか知らないが、総理総裁に就任する以前から言論弾圧に異常に固執している政治家である。女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝したのもこの人だ。「ボクは言論弾圧なんかやってないよ…」と言うが、「やった」に決まっている。」→「言論弾圧や言論統制を武器にして政権維持を画策するような、こんな低レベルのチンピラ政治家を総理総裁として持たざるをえない日本国民の一人として、かなり恥ずかしいと思うだけだ。
 「安倍は、これまでもNHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた」→「そのことの喜劇性と非常識をまったく自覚できていないという時点で、政治家失格というより、人間失格である。これぞまさしく「キチガイに刃物」である。
 山崎行太郎なる人物は、1.安倍晋三氏による総理就任以前からの「言論統制や言論弾圧
とは具体的にどのような行為で、かつなぜそれが「言論統制や言論弾圧に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 2.安倍氏が総理就任後も「新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」とは具体的にどういう行為で、かつなぜそれが「
脅迫と恫喝」に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 3.安倍氏が「
女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝した
ということのうち、とくに下線部分を、朝日新聞の記事や同社記者・本田雅和らおよびNHKの長井暁の発言以外の資料又は記録文書を使って、きちんと通常人ならばなるほどそうだっただろうと納得できるように十分に説明していただきたい。
 関連してついでに、言論弾圧を「
「やった」に決まっている。
」とは断定的文章ではなく強く推測しているとの趣旨だと思われるが、そう「強く推測」する根拠を示していただきたい。
 4.なお、安倍氏が「NHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた
という部分については、上の2.の質問によって代える。
 以上の問いに具体的に回答できないとすれば、山崎行太郎なる人物は、確たる根拠もなく、いわば「思いこみ」に近い心理にもとづいて、安倍晋三を、「
誠に情けない」・「馬鹿丸出し」・「低レベルのチンピラ政治家」・「政治家失格というより、人間失格」、キチガイ(に刃物
)」と罵倒していることになる。文芸評論家(+哲学者)だから許される又は甘く見てもらえる、ということはなく、むしろ逆であることは当然のことだ。
 再度簡単に繰り返しておくが、安倍晋三のどの行為が「言論統制や言論弾圧」で、どの行為が「脅迫と恫喝
」なのか。
 加えていえば、この山崎某なる人物は、次のような奇妙なことも書いている。
 1.「政治家や権力者にとってマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒は、不可避である。有名税というようなレベルの問題でもない。マスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるかどうかが、政治家としての資質の有無を判別する基準である。安倍シンゾーにマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるだけの人間的包容力がないことは明らかだ」。
 この人は何を言っているのか。「
マスメディアや一般大衆」からの批判をいわば「有名税」として甘受又は無視する必要がある場合もむろんあるだろうが、この文章は、何を書かれても、どんなひどいことを書かれても「人間的包容力」をもって「許容」しろ、それが「政治家としての資質
」だ、旨を言っている。
 そんな馬鹿なことはない。常識と「理性」を持った「マスメディア
」の批判等だけならよいが、十分な根拠を持たないままの、政治的影響力減少・政治家失墜を狙った、表向きだけは報道機関らしきものの記事もありうるし、秘書等が殺人犯の所属する団体の関係者だと書かれてしまうこともありうる。それらに<十分な根拠>があれば別だが、そうでない限り、「人間的包容力」をもって「許容」
できない場合もあるのは当然ではないか。
 上の方で紹介した韓国・盧武鉉大統領の対マスコミ言動に比べれば、安倍首相の対応は、遙かに穏便だ(穏便すぎるかもしれない)。
 こんなまともと思われる議論も、自称「文藝評論家(or哲学者)」の方には通用しないのかもしれない。国際女性戦犯法廷NHK問題につき、「山岡俊介」という人のブログの次の文章をそのまま引用している。山崎某自身のそのままの理解でなくとも、肯定していると思われる。
 「疑惑の中川昭一代議士と違い、安倍氏の場合、放送直前にNHK幹部に会い、「公正な報道を」と番組に関する発言を行っていることを自ら認めているのだから、完全に真っ黒と言わざるを得ない。/例え、恫喝しなくても、また、NHK側から出向いたのが本当だとしても、そんなことは本質論からいえば些末なこと。番組の件で、放送直前に会ったこと自体が大問題なのだ。
 これまた、馬鹿ではないか。こんなふうに批判されるのであれば、NHK等の放送局、さらにはいかなるマスメディアの人物とも「会う」ことができなくなる。
 放送局であれ、新聞社であれ、それらの関係者と「会う」ことは、全てが、何らかの番組放送又は記事の公表(新聞配送)の「直前」になってしまうのだ。お解りかな?
 そして何らかの番組放送・記事公表の「直前」に「会った」ということだけで、<政治家の圧力>があったと言われてしまうのであれば、たまったものではなかろう。
 具体的にNHK問題について言えば、既に何度もいろいろとネット上でも話題にされた筈なので、詳しく繰り返さないが、当時において安倍の耳にも入っていた<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、放送上の規定に即した一般的な発言をするのはむしろ当然のことだ。上坂冬子等もどこかで書いていたが、あの<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、何も言わない方がむしろおかしく、その方が政治家としての良識・見識が疑われる。
 山崎某あるいは上の山岡某は、見事に、朝日新聞と全く同じく、<国際女性戦犯法廷>に関する番組がどういう内容のものだったかには全く触れていない
 そして、山崎某はNHKの松尾に対する安倍の発言を、大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ。
 あるいはまた、<政治家が圧力>との旨の記事を書いた本田雅和等や朝日新聞社に抗議し批判したことを、同じく大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ(「脅迫」とは刑法犯罪になる行為を示す言葉でもある)。
 これで「文芸評論家(+哲学者)」か? いや、だからこそ、上に紹介してきているような粗雑な文章を書けるのかもしれない。
 つまり、基本的には大江健三郎と類似しているとも思うが、この人にとって<真実>・<事実>がまず第一に重要なのではない(社会系の学者・評論家とは違うところがあるようだ)。そうではなく、自分の描いているこの世のイメージに現実を合わせる(そして満足する)ことの方が大切なのだ、と思われる。
 そして、山崎行太郎は、上に紹介したようなことを公然と書いて公表したままにしておける、日本の「言論の自由」の保護の状況を直視すべきだ。そして、有り難いものと感謝すべきだ。
 私は、この人の上のような叙述は「言論の自由」の枠を超えており、<侮辱罪>の構成要件は充足していると思うが、「言論の自由」に対する恣意的な規制になるおそれを回避するために、実際には警察が動くことなどありえず、言論の一つとして、ネット上に残したままにしておける。日本は何と「自由」な国だろう。
 言論統制・言論弾圧に関心がおありならば、ソ連・東独等の旧「社会主義」国、そして中国や北朝鮮等の現存「社会主義」国の言論統制・言論弾圧の状況にも関心をもち、日本の状況と比較して欲しいものだ。産経5/22には、「露、強まる言論統制/大統領選控え/反政権派”排水の陣”」という見出しの記事もある。
 「文芸評論家(or哲学者)」という肩書きで、安倍首相を罵倒し、あるいは私は知らない某々等の人物への個人的な批判のようなことを書き連ねて生活していけるのだから、結構なことだ。
 最後に「政治ブログ」とやらに参加しているようだが(だからこそこの人のブログの存在を知ったのだが)、たしかに「政治」に関する文もあるが、<文芸>に関することの方が多そうだ。私の上の質問にきちんと答えたあとで、「政治ブログ」エントリーは止めたらいかがか。その方が、私の精神衛生にはよろしい。
 こんな、今回のような内容の文章を本来は書きたくないのだが、山崎某の、無責任な、好き勝手な言いぐさを読んでいると、何やら腹が立ってきて、<義憤>らしきものも湧いてきたのだ。山崎某に関心のない方は、許されたい。
ギャラリー
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