加賀乙彦・悪魔のささやき(集英社新書、2006.08)p.66-67によれば、野間宏は、1953年のスターリンの死の翌年、詩集・スターリン讃歌に「讃者」の一人として、つぎの詩を載せた。が、のちの彼の「全集」には収録しなかった、という。
 「
同志よ!/つきすすむ 大きなスターリンの星にみちびかれて/夕空に色をかえる雲のように
 私は数知れぬ たたかう星のなかで/かがやく自分の色をかえた。
」(/は改行)
  この頃は主権回復=再独立の翌年・翌々年で、日本共産党の一派は武装闘争を行っていた。スタ-リン批判はこののちの、1956年だ。
 野間宏(1915-1991)は1946年に「入党」したとみられる。1946年「暗い絵」、1952年「真空地帯」、1960-61年「わが塔はそこに立つ」。そして、1964年に党を除名される。
 共産党員だった時期の小説の、映画化もされた「真空地帯」がどのような<立場>からの作品かわかろうというものだ。
 「わが塔はそこに立つ」の塔は冗談ぽく言えば「党」ではなく、これは高校=三高時代の自伝的作品とされる。長篇だ。そして「塔」とは、三高の東南方向の丘陵地上にあった
真如堂という寺院の三重の塔を意味しているらしい(未読)。
 
なお、1950年代前半の学生運動に関する小説に、高橋和巳「憂鬱なる党派」(1965)がある。
 この頃に私は生まれていたが、むろん野間宏もスターリンも「知る」年齢ではまるでなかった。