秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

平川祐弘

1668/中西輝政と西尾幹二③。

 「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景は、保守陣営にも確実に及んでいる」。
 以上、中西輝政・歴史通2016年5月号(ワック)、p.96-97。
 人間は生物として個体保存本能があるので、その本性上、「保身」は当然だ。
 何から何を守ろうとするのか。守りたいのは、日本国家か日本人か、自民党か安倍政権か、自分の「顕名」か経済的な利益か、それとも自分の肉体的な生存か。
 何から、守るのか。
 「迎合」して仲良くやっていかないと、この世を安逸に過ごすことはできない。
 誰と、いったい何に「迎合」するのか、その目的は何なのか。と質していくと、「保身」と似たようなことになる。
 「付和雷同」と「迎合」はほとんど同じ意味だろうが、前者の方が意思がなく機械的に追随しているが、後者の「迎合」は少しは意思または選択を混ぜているようだ。
 どちらにせよ、「空気」を読まないといけないし、それで「付和雷同」とか「迎合」とか非難?されるのだとすると、そして「空気」を全く読まないでいると今度は、一人勝手、協調性がないとか、また非難される。
 とかく処世はむつかしい。
 しかし、中西輝政についてよく分からないのは、つぎのようなことだ。
 中西は、「さらば、安倍晋三」と固有名詞を出して、安心して?批判している。
 では、なぜ、「保守派のオピニオン・リーダーたちが八月の『七十年談話』を、しっかり批判しておけば、安倍首相は十二月のあの慰安婦合意に至ることはなかったであろう」とか、「この半年間、私が最も大きな衝撃を受けたのは、心ある日本の保守派とりわけ、そのオピニオン・リーダーたる人々」が「…に対し、ひたすら沈黙を守るか、逆に称賛までして、全く意味のある批判や反論の挙に出ないことだった」とだけしか書かないのか。
 ここにいう心ある?「保守派」のオピニオン・リーダー(たち、たる人々)とは一体、誰々らのことなのか?
 西尾幹二、伊藤隆ら少数?を除く、櫻井よしこ、平川祐弘、渡部昇一ら多数?と、なぜ固有名詞、人名を明記して批判しなかったのだろうか。
 じつはここにも「保身、迎合、付和雷同という現代日本を覆う心象風景」あるいは、日本の腐った?論壇の「心象風景」が覗かせているのではないか。
 中西輝政もまた、「保身」から自由ではない、というべきだろう。
 なぜ、首相の名前は明記することができるのに、「保守派のオピニオンリーダ-」についてはできないのか。素朴な無名の国民、読者には、さっぱり分からない。
 中西輝政の憤懣は、2015年安倍内閣戦後70年談話に先立つ公式の「有識者懇談会」で、自分の見解、意見が軽視されたという、つまりは<馬鹿にされた>という、個人的な契機によるところも大なのではないか。 
 もちろん、櫻井よしこ、平川祐弘、渡部昇一といった(私の言った「アホの5人組」の中の3人とまた合致する)安倍談話積極擁護論者よりも遙かに優れている。
 しかし、誰も、綺麗事、理論・理屈だけでは行動していないし、文章を執筆してもいない。中西輝政先生もまた、「人間」だ。この人は、この事件?があるまでは、けっこう<日本会議>派と仲良くしていたのだ。
 (いかなる組織・個人からも「自由」な秋月瑛二は、「迎合」・「付和雷同」の気分が100%ないし、当たり前のごとく「保身」の意味すらない。)
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 西尾幹二・月刊正論2015年11月号(産経)、p.83-84。
 上の部分に限りはするが、ここでの「大局的な」歴史叙述は、文章が短い、文字数が少ないということだけに原因があるのではない、<誤り>があると、よく読むと感じる。
 典型的には、以下のように理解できる叙述。
 「西欧が創りだしたイデオロギー」の「根はただ一つ、フランス革命思想に端を発している」。p.83。
 左翼・共産主義者と違って<フランス革命>を相対化したい「保守派」が多い。坂本多加雄にもその気配があるとつい今日に感じた。それはよいとして、上のようにフランス革命を見て、その中に、①ファシズム、②共産主義、③アメリカ・イギリス・フランス・ベルギー・オランダといった、レーニンのいう「民主主義」イデオロギーないし「白人文明覇権思想」、の三つ全ての「根」を見る、というのはかなり乱暴だろう。
 なお、③は、秋月瑛二のいう<欧米近代なるもの>あるいは<(近代欧米的)自由・民主主義>だ。
 鋭く知識豊富な西尾幹二の文章にしては、イギリス(スコットランド)・バークの「保守」思想がフランス革命思想と別の系譜を作ったとみられることや、決定的には、マルクス(・エンゲルス)思想の影響力の大きさへの言及が欠けている。後者は、「レーニン」や「共産主義」への言及で足りると判断されているのだろうか。
 いかんせん、思想・イデオロギーの「系譜」を論じるのは乱暴な試みではある。しかし、常識?に反して、フランス革命-マルクス-レーニン・スターリンの「共産主義」および(かつ)ヒトラー等「ファシズム」という把握も、あり得る。かつまた、フランス革命だけが「欧米近代」の「根」なのか。

1650/加地伸行・妄言録-月刊WiLL2016年6月号。

 「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい」。
 平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)。
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 <あほの5人組>の一人、加地伸行。月刊WiLL2016年6月号p.38~より引用。
 A「雅子妃は国民や皇室の祭祀よりもご自分のご家族に興味があるようです。公務よりも『わたくし』優先で、自分は病気なのだからそれを治すことのどこが悪い、という発想が感じられます。新しい打開案を採るべきでしょう。」p.38-39。
 *コメント-皇太子妃の「公務」とは何か。それは、どこに定められているのか。
 B「皇太子殿下は摂政におなりになって、国事行為の大半をなさればよい。ただし、皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよいと思います。摂政は事実上の天皇です。しかも仕事はご夫妻ではなく一人でなさるわけですから、雅子妃は病気治療に専念できる。秋篠宮殿下が皇太子になれば秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしいのでは。」p.39。
 *コメント-究極のアホ。この人は本当に「アホ」だろう。
 ①「皇太子殿下は摂政におなりにな」る-現皇室典範の「摂政」就任要件のいずれによるのか。
 ②「国事行為の大半をなさればよい」-国事行為をどのように<折半>するのか。そもそも「大半」とその余を区別すること自体が可能なのか。可能ならば、なぜ。
 ③ 「皇太子はやめるということです。皇太子には現秋篠宮殿下がおなりになればよい」-意味が完全に不明。摂政と皇太子位は両立しうる。なぜ、やめる? その根拠は? 皇太子とは直近の皇嗣を意味するはずだが、「皇太子には現秋篠宮殿下」となれば、次期天皇予定者は誰?
 ④「仕事はご夫妻ではなく一人でなさる」-摂政は一人で、皇太子はなぜ一人ではないのか?? 雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-治療専念、皇太子-治療専念不可>、何だ、これは?
 ⑤雅子妃は「秋篠宮家が空くので、そこにお入りになるのがよろしい」-意味不明。今上陛下・現皇太子のもとで秋篠宮殿下が皇太子にはなりえないが、かりになったとして「空く」とは何を妄想しているのか。「秋篠宮家」なるものがあったとして、弟宮・文仁親王と紀子妃の婚姻によるもの。埋まっていたり、ときには「空いたり」するものではない。
 C「雅子妃には皇太子妃という公人らしさがありません。ルールをわきまえているならば、あそこまで自己を突出できませんよ。」 p.41。
 D「雅子妃は外にお出ましになるのではなくて、皇居で一心に祭祀をなさっていただきたい。それが皇室の在りかたなのです。」p.42。
 *コメント-アホ。これが一人で行うものとして、皇太子妃が行う「祭祀」とは、「皇居」のどこで行う具体的にどのようなものか。天皇による「祭祀」があるとして、同席して又は近傍にいて見守ることも「祭祀」なのか。 
 E「これだけ雅子妃の公務欠席が多いと、皇室行事や祭祀に雅子妃が出席したかどうかを問われない状況にすべきでしょう。そのためには、…皇太子殿下が摂政になることです。摂政は天皇の代理としての立場だから、お一人で一所懸命なさればいい。摂政ならば、そ夫人の出欠を問う必要はまったくありません。」
 *コメント-いやはや。雅子妃にとって夫・皇太子が<摂政-「お一人で一所懸命」、皇太子-「出欠を問う必要」がある>、何だ、これは? 出欠をやたらと問題視しているのは加地伸行らだろう。なお、たしかに「国事行為」は一人でできる。しかし、<公的・象徴的行為>も(憲法・法律が要求していなくとも)「摂政」が代理する場合は、ご夫婦二人でということは、現在そうであるように、十分にありうる。
 以下、p.47とp.49にもあるが、割愛。
 この加地伸行とは、いったい何が専門なのか。素人が、アホなことを発言すると、ますます<保守はアホ>・<やはりアホ>と思われる。日本の<左翼>を喜ばせるだけだ。

1557/天皇譲位問題-産経新聞社と「日本会議」派の敗北。

 ○ 勝利や敗北は何らかの「規準」の必要な価値評価なので、簡単には使えない言葉だ。ここでは、<現実化>した又はしそうな見解を主張していたかどうかを規準とする。
 また、産経新聞社は社として公式に譲位反対又は摂政制度利用を主張していたわけではない。但し、当初ないし昨年秋頃には、譲位反対の雰囲気だったことは下記のことでも、また確認しないが、(生前)譲位を認めるとすると膨大な諸法制の改正・整備が必要となって大変だ旨の一般的記事もあった(ネット上で読んだ)。
 「日本会議」派、というのも正確ではない。会員とか関係者の範囲は定かでないが、近いとされる百地章は最終的には摂政利用反対論を述べた。また、上原康男が「日本会議」関係者なのかも知らない(調べればすぐに分かるのかもしれないが、労を厭う。いずれにせよ、この人に多数の天皇制度・政教分離関係研究書・評論書があるを知っているので-たいていは所持しているだろう-、櫻井よしこ・八木秀次らと同じ<アホ>扱いはしていない)。
 しかし、譲位反対派は「日本会議」系だというレッテリ貼りもあったほか、櫻井よしこ、平川祐弘、八木秀次らは明らかにこの組織・団体に「近い」と見られ(これは櫻井よしこについては歴然としている)、申し訳ないが簡潔にするためにも「日本会議」派と称させていただく。
 ○ 関心があるのは、<アホの4人組>らの退位反対論者が、いまどういう感想をもち、どういう自己「総括」をしているのか、だ。
 櫻井よしこはおそらく何も触れないままで、週刊新潮・週刊ダイヤモンドらに相変わらず別のことを<書き散らして>いるようだ。
 自己の見解が、なぜ<現実化>しそうにないのか、その原因・理由をどう考えているのだろうか ?
 「評論家」にせよどういう肩書きにせよ、政府の会議に呼ばれた発言者としてその発言「内容」に関する責任、その後の展開に関してコメントする「責任」くらいはあるのではないか ?
 八木秀次はすぐに①摂政制度の利用と②国事行為委任法(法律)で対応できると判断したように伝えられているが、この二つともに対象は憲法・法律上は天皇の国事行為であり、「公的(象徴的)行為」や天皇・皇室の「宗教行為」祭祀を含むと解されている「私的行為」は法的には全く対象にされていない。したがって、この二つをもってしても、天皇と新「摂政」のいずれが行うかという重大な問題が残ったままになる、ということを、いつ頃に気づいたのだろうか。
 しぶとく譲位反対論を書いていたが、自らの憲法(・法)学者 ?としての「無知」を、恥ずかしく感じなかったのだろうか。
 とくにこの欄でまた触れたくなったのは、既に言及したのだが、月刊正論(産経)昨年11月号末尾の喫茶店での雑談のような「匿名」記事(「編集者」も参加)で、「先生」がこう語っていたからだ。
 「月刊正論10月号で…ご譲位を遠回しに否定した八木秀次が批判されている」が、「間違っているのは、どっちなんだ」。p.319。
 ここに「間違っている」うんぬんが語られているのが、概念または論理の問題として、きわめて気になる。
 つまり、この「先生」は、<譲位否定(論)>が、「間違っている」とは逆の「正しい」ものだと考えているのだろう。
 「正しい」見解がつねに<現実化>されるとは限らない。上の意味で「敗北」することはありうる。それは、そうだ。
 しかし、産経新聞社発行の月刊雑誌・正論に出てくるこの「先生」における、「正しい」か否かの規準は、いったいどこにあるのか。いったい何をもって、「正しい」と「間違い」を区別しているのか。
 多くの者が指摘したように、天皇の生前退位は少なからずあり、<終身在位>が制度として定められたのは1889年のことだ。
 1889年または明治憲法下のことだけが「正しい」とするのは、じつに<誤った>(あえて「誤り」という)、<偏狭な>考え方だ。
 こういう「先生」のような、「先生」と称される者たちがごろごろいるから困る。<保守>派の未来をも、暗くしている。
 「正」・「誤」の問題と「適」・「不適」や「合理的」・「非合理的」の問題は、別の次元にあるだろう。また、<思い込んで>いることがつねに「正しい」などと考えてはいけない。
 「教授」とは八木秀次自身のことでないかとすでに推測したが、「先生」が誰かは分からない。
 この「先生」は、現在までの<現実化>に向けての推移をいかに自己「総括」しているのか、是非とも尋ねてみたい。

1546/櫻井よしこを取り巻く人々-月刊正論編集部とその仲間たち。

 月刊正論編集部が今年3月に、その別冊29号として、<一冊まるごと櫻井よしこさん>という雑誌(一冊の書物のような)を発行している。
 これを私が購入するはずがない。同誌の通常の6月号末尾によると、編集部を構成するのは、以下のとおり。
 (代表・編集人)菅原慎太郎、(編集部)安藤慶太・溝上健良・内藤慎二・八並朋晶
  <一冊まるごと櫻井よしこさん>を発行するくらいだから、よほど櫻井よしこに傾倒している(または「商売」のために最大限に利用している)人々なのだろう。
 菅原慎太郎は、編集人(編集長)としての最初の編集後記(「操舵室から」)に、月刊正論に異動することとなりE・バークを思い出して読もうと思ったが結局読めなかった、というようなことを書いていた。
 すでにこれだけでも、菅原慎太郎の「水準」が分かる。
 第一、エドマンド・バークという「保守」主義者の名前を知っている。しかし、「保守」的というだけでこれを思い出すというのは、それまではそんなことを感じずに済む産経新聞社内の部署にいたということを示す。
 第二に、読まなかったのにわざわざ上のことを書くというのは、私もE・バークの名くらいは知っているのですよ、と言いたかったに違いない。
 そうでなければ、わざわざ書かないはずだ。
 月刊正論の編集代表者が、かりに万が一事実でも、レーニン全集を全巻揃えて自宅に所持しています、とは書かないだろう。
 ネット上で分かる、櫻井よしこが「理事長」の国家基本問題研究所の「役員」名簿(「役員紹介」欄)を見ると、興味深い。 
 いろいろな人がいる。つぎの二人も、「評議員」だ。
 ・立林昭彦/月刊WiLL編集長。 ・花田紀凱/月刊Hanada編集長。
 あれあれ、今年になってたぶん1月に<保守系>三誌は「同人誌」のごとくになっていると書いたのだったが、月刊正論編集部は上記のとおりだとして、あとの二雑誌の編集長もまた、櫻井よしこを理事長として戴く「国家基本問題研究所」の「評議員」なのだった(2月頃に気づいていた)。
 こうなると、<保守系>三誌に繰り返して、頻繁に<櫻井よしことその仲間たち>が登場していることは、謎でも何でもない。
 興味深い氏名は、他にもある。副理事長の田久保忠衛の名前は、もう書いた。
 平川祐弘/理事、屋山太郎/理事、加地伸行/評議員。
 「研究顧問」4名のうち2名-加地伸行・平川祐弘
 ついでに、「客員研究員」の1人-藤井聡
 以上の人々を全くかほとんどか、あるいはひどくか、信用していない。
 屋山太郎、田久保忠衛について、何度か触れた。
 あえて記しておきたいのは、天皇譲位問題について<アホの4人組>とこの欄で称した4人のうち2人が(櫻井よしこを含めて)この研究所の役員であり、加地伸行を加えて(ヒアリング対象になれば平川祐弘らと似たことを言っただろうという意味で)<アホの5人組>と称した5人のうち3人が、この研究所の役員だ、ということだ。
 さらには何と、この研究所の「研究顧問」4名のうち2名は、<アホ>仲間(加地伸行・平川祐弘)だ
 以上に明記した人々は、もうどうしようもないだろう。
 一方、どうしてこの研究所の役員なのだろうかと感じる人々もいる。
 そのような人々には、とくに言いたい。
 国家基本問題研究所の「役員」をしていて、正確には櫻井よしこを「理事長」とするような「研究」所の「役員」の肩書きを付けていて、恥ずかしくないのですか、と。

1545/『自由と反共産主義』者の三つの闘い②。

 「恋でもいい、何でもいい。他の全てを捨てられる、激しいものが欲しかった」。
 1971年/小椋佳・しおさいの詩(歌詞・小椋佳)。
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 1) 「民主主義対ファシズム」という幻想。
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」。
 3) 反「自由・民主主義(liberal democracy)」-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
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 <神道・天皇主義>とは何なのか。
 平川祐弘・日本人に生まれて、まあよかった(新潮新書)、櫻井よしこ・日本人に生まれて良かった(悟空出版)、というタイトルの本があるらしい。たぶん、読んでいない。
 日本の「左翼」の<自虐>さに堪えかねて、このようなタイトルの本を書いたのかもしれない。
 しかし、私にはなぜか、しっくりこない。
 なぜかと言うと、「日本」をこのように対象化または客観化できそうにないからだ。
 あるいは、<日本に生まれてよかったか(どの程度よかったか)>などいう問いかけをしたことはおそらくないからだ。
 この二人は何と、おそろしいことをしている、本のタイトルにまでしている、と感じる。
 もう少し書けば、日本とは対象化・客観化できるものではなく、私自身の一部ですらあるからだ。日本に生まれたことがどうだったかを問うことは、他ならない自分自身の一部に問いを投げかけることに他ならない。
 自分の血肉の一部になっているものを、どうやって評価するのか ?
 あるいは、日本人として生まれたことは、自分で選択したことではなく、生まれたときからの宿命・運命だ。
 そういう運命・宿命を、どうやって、<よかった>かどうか、などと問えるのか ?
 樋口陽一(左翼・憲法学者)はかつて、人間として生まれたのは必然だが、日本人として生まれたのは偶然にすぎない、と語った(この欄で触れたことがある)。
 必然とか偶然とかを問題にすること自体が、おかしい。
 あえて言えば、日本人は、通常は、日本「国家」によって、「人」として認知されてはじめて「人」になる。出生届-戸籍-住民票作成・記載のことを意味している。
 人間が生まれて特定の「人」として認めるのは、国際連合(国連)等の国際機関ではない。地球的・世界的には自分の存在を「人」としてまたは「国民」として認めてくれて、その存在を確証してくれるのは、国連等の国際機関ではないし、むろん日本国以外の第三国でもない(外国滞在・旅行中に生まれた場合とか両親の国籍が違う場合には立ち入らない。あくまで多数ないし「通常」の場合を語っている)。 
 このような意味では、人間に生まれたかどうかではなく、「日本人」として生まれたこと自体が必然でかつ宿命的・運命的なことなのだ。
 日本という「(国民)国家」あるいはナショナリズムに対する嫌悪感をもつのだろう樋口陽一には、ではいったいどの国家が、貴方の人間としての存在を記録して、確証するのかと、問わなければならない。
 元に戻るが、日本に日本人として生まれたことを対象化できるのは、もはや「日本」とは別のところにいて自分を第三者的に眺めている天空の仙人のような人物だろう。
 櫻井よしこにも、平川祐弘にも、上のようなその「立場」自体に共感することはできない。
 秋月瑛二は日本人としてのナショナルな感覚を持っていることを、否定しない。
 延々と日本列島で生きてきた先祖たちの後裔だと自覚している。
 その場合の「日本」とは何か。
 これを簡単に表現することはできない。これまで多数の著名・無名の日本人がこれを考えてきた。感じてきた。その中にはもちろん、美しい四季、瑞々しい山河も入ってくる。
 これを「天皇・皇室」に凝縮させる人もいるのだろう。
 「2000年以上」と簡単に語るのは完璧に虚偽だが、3-4世紀頃に(まだ「日本」とは称していなかったが)「天皇・皇室」の祖を中心にした日本国家の端緒に近いまとまりができたのはおそらく間違いない。
 しかし、だからと言って、「天皇主義」と前回に称したが、日本人にとって「天皇・皇室」敬愛の気持ちが、あるいは天皇(家)の継続が最高・至高の価値と見なすことが絶対の、最善・最優先の「主義」だとは考えない。
 二つの意味がある。一つは、はるか悠久の昔から長々と続く家系の後裔者、ということにかかわる。たぶん「王朝交替説」に立ち入る必要もなく、「はるか悠久の昔から長々と」続く、歴史上も種々の重要な位置・意味をもった人々であるだろう。
 しかし、そんなことを言えば、秋月瑛二だって、家名も人名も辿れないにしても、3-4世紀、いやもっと前からおそらくは日本列島に生きて死んだ先祖たちの立派な後裔なのだ。
 涙をこぼすほどに感じる。自分と血のつながる誰かが、1000年も2000年も、そして3000年も前にちゃんといたのだ。だからこそ、自分も、いま、ある。
 「天皇・皇室」への敬愛の情は、決して本能的なまたは自然的なものではない、と思われる。「天皇」家以外にも、長々と系譜をたどれる一族があることによっても、多少はすでに相対化される。
 もう一つは、最近の櫻井よしこが示していることかもしれないが、また「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたい」と考えるのが<保守>だ、という主張もあるのかもしれないが、そのいわば「天皇(・皇室)主義」を説くことの意味は、実際的な意義は、いったい何にあるのだろうか。
 つまり、何のために、ことさらにそういう主張をする必要があるのだろうか。
 ここまでくると、そういう「主義」の主張が現在の日本の歴史的状況、つまり「戦後日本」と関係があることが分かる。
 そうしてまた、「戦後」または現在の<天皇・皇室>の問題は、「戦後」または現在ではない、「戦前」の、あるいは明治憲法下の<天皇・皇室>との同質性や差違等をも論じないといけないことにもなる。
 しかし、「戦前」あるいは明治憲法下との比較だけをしても十分ではないことは、一目瞭然としている。
 <天皇>の存在とそれにかかわる制度は、明治維新後に新たに発生したのでは、自明のごとく、ない。それ以前に、それこそ長々とした、「悠久の歴史」がある。
 ここですでに、櫻井よしこや平川祐弘や、あるいは「皇室」敬慕こそが<保守>だとする考え方の破綻の一端が現われているだろう。
 典型的には櫻井よしこに見られるように、このような人々がいったいどの程度に、<日本の悠久の歴史>・<日本人とその精神の歴史>を、仏教や儒教のそれも含めて、知っているのか自体、相当に疑わしいからだ。
 明治維新はまだ150年ほど前の事象にすぎない。明治維新についてすら、櫻井よしこのごとくすでに観念的・抽象的にしか捉えることのできていない人がいるのだから、その他の「天皇主義」の<保守>派がどの程度にそれこそ深刻に日本の歴史・日本人の歴史を懐古して、自分のものにしているかは、相当に疑わしい。
 あらためて問う必要がある。「天皇」主義とは、およびこれに関係する「神道・天皇主義」とは、いったい何を目的として、主張されているのか。
 <民主主義対ファシズム>という幻想の打破、反「共産主義」や反「リベラル・デモクラシー」の闘いなどに言及する以前に、初歩的または基礎的な問題に、日本の、とりわけ<保守>派の<論壇>らしきものの幼稚さについて、論及せざるをえないのだ。

1537/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」批判⑤03。

 櫻井よしこ「発言/有識者リアリング」2016年11月14日<天皇の公務負担軽減に関する有識者会議第4回>。
 平川祐弘もそうだが、櫻井よしこは、天皇の役割として「祭祀」を強調し、天皇の「祭祀」行為の位置づけを高くせよ、と主張する。
 上の発言でも、実質的には冒頭で、こう言う。
 ・「長い歴史の中で、皇室の役割は、国家の安寧と国民の幸福を守る、そのために祈るという形で定着してきました。歴代天皇は、まず何よりも祭祀を最重要事と位置づけて、国家・国民のために神事を行い、その後に初めてほかのもろもろのことを行われました。穏やかな文明を育んできた日本の中心に大祭主としての天皇がおられました」。
 ・「しかし、戦後作られました現行憲法とその価値観の下で、祭祀は皇室の私的行為と位置づけられました。皇室本来の最も重要なお役割であり、日本文明の粋である祭祀をこのように過小評価し続けて今日に至ったことは、戦後日本の大いなる間違いであると私はここで強調したい」。
 ・天皇陛下の「御負担を軽減するために、祭祀、次に国事行為、そのほかの御公務にそれぞれ優先順位を付けて、天皇様でなければ果たせないお役割を明確に」する必要がある。
 ・「現行の憲法、皇室典範では、祭祀の位置づけが国事行為、公的行為の次に来ています。この優先順位を実質的に祭祀を一番上に位置づける形で」整理し直すのが大事だ。
 似たような文章が、櫻井よしこ・月刊ボイス2016年10月号p.46にもある。
 すでに触れたことだが、このような櫻井よしこの文章を読むと、不思議な、奇怪な感じを禁じえない。
 あるいは、ひどく無知だと思う。自分が無知であることに無知であるのは、はなはだしく怖ろしいことだ、と思わざるをえない。
 なぜか。
 つぎのことは、まだ些細なことだ。
 「現行の憲法、皇室典範では、祭祀の位置づけが国事行為、公的行為の次に来ています」。
 憲法・皇室典範が「祭祀の位置づけ」を明記しているはずがない。あくまで現憲法の<解釈>でそうなっているのであり、皇室典範はそれを前提にして何も定めていないのだ。
 これだけでもすでに専門家ならば失格だが、他に致命的なことがあるので、まだ些細に感じてしまう。
 すなわち、櫻井よしこや平川祐弘は、「祭祀」をいかなる性格の行為だと、明確に記せば、<宗教>性を帯びている行為だと、とりわけ「神道」上の行為だと考えているのか、いないのか
 「祭祀」は宗教とは無関係だと理解しているならば、ある程度は筋がとおっている。
 しかし、本当に「祭祀」は無宗教の行為なのか。
 平川祐弘は天皇にとっての「まつりごと」とは「政」ではなく「祭」だと、さも知識ありげに書いていたが、「政治」が「まつりごと」ともされたことは多くの人が知っているだろう。
 さて、あらためて、櫻井よしこに問いたい
 自分の言う祭祀とは「宗教」、とくに「神道」と関係があるのか、ないのか。
 明治元年に(まだ安定・確定していない)新政府は「神武創業」期に<復古>しての「祭政一致」を謳ったのだったが、そこでの「祭政一致」が国家と「宗教」の関係にかかわるものだったことは明確で、だからこそその後に<神仏分離>の基本政策がとられた。実際にどの程度徹底したのかは別だったが。
 そうして逆説的に、 明治憲法の解釈上は(「皇室神道」を含むと解される)神社神道うんぬんは「信教の自由」の問題ではないとして、いわゆる<国家神道>制がとられたとされる。わずかに50年間程度だったと今からは感じるが、神社は国家機関又は準国家機関、神官は公務員又は準公務員だった。
 その(明治憲法後に)1900年頃に確立した時代が理想だと考えて、神社神道(・皇室神道)は「宗教」ではないと論じるのならば、まだ分かる。
 しかし、櫻井よしこは、この欄で批判的にすら取り上げているように、「神道は日本の宗教です」と明言しているのだ。
 天皇・皇室の「祭祀」が神道、正確には神社神道(なるもの)の性格を帯びていることはほとんど常識だろう(但し、<祭祀>の意味にもよるが、神仏の区別が必ずしも明瞭でない時代には「仏教」的なものも部分的にはあったに違いない。だがそれも今日的には<宗教>行為だ)。
 それを知ってあえて、「祭祀」を大切にとか、「祭祀」を最優先に、と主張する場合、そもそも日本国憲法上のつぎの条項は意識されているのか。とくに、第3項。
 この無意識、無知こそが、致命的だ。
 現憲法第20条「第1項第二文/いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」
 同第3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」。
 これら条項との関係でも、天皇・皇室の「祭祀」行為は、現憲法7条が定める「国事行為」のうちの「10号/儀式を行ふこと。」にも含まれないと、官民挙げて ?解釈されている。
 憲法学界はほぼ一致しているだろうし、戦後の政治・行政の現実は、この解釈を前提として動いているし、動いてきた。
 この解釈とは、天皇・皇室の祭祀行為は「宗教」行為に該当する、という解釈だ。
 天皇・皇族は「国」あるいは「国家の機関」ではないと櫻井は思うかもしれないが、「国事行為」は内閣の「助言と承認により」行うもので(7条本文)、そこでの行為は「国」ないし「国家」(この二つのしばしばの混同があるが立ち入らない)の行為に他ならない。
 だからこそ「国事行為」なのであり、そこに「祭祀」を含めてしまうと、「祭祀」が国家の行為になる。少なくとも、現20条との関係を厳密に整理・解釈しなければならなくなる。
 憲法20条の規定があるからこそ、国家と「宗教」との関係は、明治憲法のもとでと全く同じには解釈されていないのであり、「祭祀」が神道によるものであるかぎりは、おそらく間違いなく「公的(象徴的)行為」と位置づけることもできず、天皇等の「私的」行為と憲法解釈せざるをえないのだ。これを前提に、皇室経済法(法律)も「内廷費」等々の区分けをしている。
 櫻井よしこは、こうしたことの知識をまるでもっていないようだ。
 だからこそ平気で、「祭祀」を国事行為等よりも優先せよ、と無知ゆえの主張をすることができている(平川祐弘もおそらく同じ)。
 唖然とせざるをえない。
 櫻井よしこの主張・見解を満足させて現実化するためには、現憲法上の国家・「宗教」関係条項の抜本的な改正(憲法改正)か、または<革命的な>憲法解釈の見直しが必要だ。
 これをくぐり抜けるレトリックは、神社神道は「宗教」ではないと法解釈することだが、知ってか知らずか、櫻井よしこは「神道は日本の宗教です」と、堂々と言い切っている。
 櫻井よしこは、昭和天皇の葬礼の際に、どこまでが「国」の行事で、どこからが天皇家の「私的」行事なのかというきわめて(現憲法の解釈・運用にとっては)重要な問題が生じていたことを、まるで知らないようだ。これについては、この欄で触れたことがある。
 怖ろしいことだ。無知も怖ろしいが、無知であることの無知も、輪をかけて怖ろしい。
 櫻井よしこ・憲法とはなにか(小学館、2000)を見てみると、やはり、国家・「宗教」関係条項には、<保守>派にとっても重大な関心事のはずだが、いっさい言及していない。
 手元に、つぎの本もある。著者は「日本政策研究センター所長」。
 伊藤哲夫・憲法かく論ずべし(日本政策研究センター、2000)。
 この本もまた、<政教分離>裁判は多数起きているにもかかわらず、憲法20条または国家・「宗教」関係、天皇・皇室の「祭祀」の憲法問題にはいっさい言及していない。
 櫻井よしこは、この伊藤の書物に影響を受けているのだろうか。
 ついでに書くと、この伊藤哲夫・憲法かく論ずべし(2000)は、「五箇条の御誓文」擁護・解説にじつに40頁ほどを当てている。
 櫻井が最近に「五箇条の御誓文」にやたらと論及する、そのタネ本はこの伊藤著ではないか ?
 他人・第三者の文献・主張を参考文献の明記なくしても平気で援用・借用するのは櫻井よしこの「流儀」なので、同じ<保守派 ?>の伊藤哲夫著ならば、上のように「タネ本」にするのも十分にありうると思われる。
 さらに一つだけ、関連して指摘しておこう。櫻井は、こう発言した。他にも同旨のことを述べる者はいる。
 「天皇様は何をなさらずともいてくださるだけで有り難い存在であるということを強調したいと思います。その余のことを天皇であるための要件とする必要性も理由も本来ないのではないでしょうか」。
 <ご存在だけで有り難い>というのならば、「祭祀」も別になさらずともよろしいのでは ?
 揚げ足取りと言うなかれ。その隙を与えるような言辞を、大切な「国」の諮問・建議機関のメンバーの前で吐いてはいけない。
 国家・「宗教」との関係については、なおも基本的なことに触れたにすぎない。
 それでもなお、「所長」に代わって釈明・反論をしようというならば、どうぞ国家基本問題研究所の「役員」の方々はしていただきたい。櫻井よしこ「所長」では無理だから。
 時間があれば、所持している例えば以下の書物だけでもきちんと読み通してみたい。現憲法注釈書はたいてい持っている。
 ①山口輝臣・明治国家と宗教(東京大学出版会、1999)。
 ②平野武・宗教と法と裁判(晃洋書房、1996)。
 ③大石眞・憲法と宗教制度(有斐閣、1996)。
 あらためて、櫻井よしこという存在の悲惨さを感じつつ。

1488/日本の保守-小川榮太郎とその日本の「保守」批判。

 小川榮太郎は、かなり、又はきわめて、鋭敏な「保守主義」者だ。
 小川が、ほとんど適切に平川祐弘の天皇論・譲位制度反対論を批判し、「日本の保守はじつに危うい」と的確に指摘していることは、すでに言及した。
 月刊正論3月号(産経、1917年)では小川は、<「保守主義」者宣言>と題して、つぎのように書く。保守とは何か、自分にとっての保守、というのがおそらく執筆依頼された主題なので、このような批判的叙述をするのは少しは勇気が必要だっただろう。p.76-。旧かな遣いは勝手ながら現代かな遣いに変えた。
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 「戦後イデオロギーは、今や完全に全日本人の遺伝子に浸透し、保守的な『生き方ないし考え方の根本』そのものが、日本人から失われてしまった。保守を自称する人達も例外ではない」。
 安倍支持保守・安倍批判保守、熱烈天皇主義者、理論派保守(反リベラリズム・バーク・福田恆存・アメリカ共和党に依拠)等々、「様々な自称・他称保守」を見ても、保守的な『生き方ないし考え方の根本』を体現する人は「殆ど見当たらない」。
 「天皇陛下万歳を唱えながら、排他主義のはけ口にしているだけなのかもしれない」。
 蓮舫を批判しつつ「職場では権利の主張に余念がない」かもしれない。等々。
 要するに、「近年保守的な標語が世上に乱舞している状況は、ネットの断片的な情報によって過激化したナショナリズムと評すべきであって、保守的な人間像、保守的なエートスの蘇りではない」。
 「ナショナリズムを否定するつもりは毛頭ない」が、「本当に日本の核になるもの」を「保守」したいのなら「その奥に踏み込まねばならぬ」。「本当に消えつつあるのは、日本人が歴史の持続の中で鍛えあげてきた人間像そのものなのだ」。
 日本が失われるのは「反日勢力に否定された」からではない。「真に侵され、危機に瀕しているのは日本の外被ではない、我々の内側に息づいているべき日本の方なのだ」。「その記憶を取り戻す事こそが『保守』でなくて何なのだろう」。 
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 自分であればこのような表現の仕方はしない、又はできない、と感じはする。
 しかし、小川榮太郎が単純な「安倍支持保守」や「熱烈な天皇主義者」を<保守主義>者と見ていないことはよく分かる。
 秋月瑛二にとつては、「保守」という言葉で自分を意識するか自体も大した問題ではない。がともあれ、「反共産主義」や「反左翼」の意味では<保守>なのだろうという思いはある。
 そのような<保守>感情からすれば、渡部昇一・櫻井よしこらのアホの4人組、加地伸行を含めるとアホの5人組らの「観念保守」は、平川祐弘・八木秀次を含めて、批判されるべき、危険視されるべき人物たちだ。
 そのような気持ちと、小川榮太郎が述べている「保守主義」には、少なくとも部分的には、合致点があるように考えられる。

1487/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」批判、つづき⑤。

 ○ 櫻井よしこは昨年11月14日の有識者会議のヒアリングでつぎのように語った。
・「現行の憲法、皇室典範では、祭祀の位置づけが、国事行為、公的行為の次に」にきているが、「優先順位を実質的に祭祀を一番上に位置づける形で」天皇陛下の日常日程を整理し直すのがよい。
・天皇像の形成に「求められる最重要のことは、祭祀を大切にしてくださるという御心の一点に尽きる」。
 その他の最近の文章でも、上の趣旨を繰り返し、述べている。平川祐弘もしきりとまつりごと=政治と祭事を、「祈る」ことを語る。
 日本の歴史や天皇に関することになると、櫻井よしこはたんなる「ジャーナリスト・評論家」ではなく、<狂信家>に変わる。平川祐弘も似たようなものだろう。
 ゆっくりと上の点はこの欄で記していくことにして、まずは、おそらく櫻井よしこにはきわめて難しい問題を設定して、質問してみよう。平川祐弘に対しても同じ。
 神宮(伊勢神宮)の<式年遷宮>は、天皇の「祭祀」なのか否か、その理由は何で、これには憲法に関する問題は全くないのか。
 ○ 現代でもおそらく80歳を超えれば長寿だろうし、100歳まで生きる人は少数だろう。そういう時代ですら、20年に1回の遷宮を経験する、又は見聞きするのは、3-4回程度しかないだろう。
 上に20年に一度と書いたが、日本および天皇の歴史上は、そういう時代の方が短い。
 せっかくだから、できるだけ多くの遷宮の間の年数を、下記の文献によって、記しておこう。下記の、//と//内の数字。内宮と外宮が別の年のこともあったので、内宮の遷宮年を意味させる。有史以後のことだから、初期も、神話的伝説・伝承ではないと思われる。
 01回・690年//19年//02回・709年//20年//03回・729年//18年//04回・747年//19年//05回・766年//19年//06回・785年//25年//07回・810年。
 この最後から平安時代に入る。
 //19年//08回・829年//20年//09回・849年//19年//10回・868年//18年//11回・886年//19年//12回・905年//19年//13回・924年//19年//14回・943年//19年//15回・962年//19年//16回・981年//19年//17回・1000年。この最後は一条天皇のとき。
 //19年//18回・1019年//19年//19回・1038年//19年//20回・1057年//19年//21回・1076年//19年//22回・1095年//19年//23回・1114年//19年//24回・1133年。この最後は、崇徳天皇のとき。
 //19年//25回・1152年//19年//26回・1171年//19年//27回・1190年//19年//28回・1209年//19回//29回・1228年//19年//30回・1247年//19年//31回・1266年//19年//32回・1285年//19年//33回・1304年//19年//34回・1323年。ここまで、886年以降の遷宮は19年毎だ。これ以降、南北朝時代に入る。
 //20年//35回・1343年//21年//36回・1364年//27年//37回1391年//20年//38回・1411年//20年//39回・1431年//31年//40回・1462年。このあと、応仁の乱が始まり、じつに122年間中断した。
 //122年//41回・1585年(秀吉)//24年//42回・1609年(家康)。
 これ以降、江戸、明治、昭和前記まで、規則的・定期的に20年毎の遷宮がつづく。省略する。盛大に行われたのが、第58回・1929年(昭和4年)。そのあと変則的な挙行が1回だけあり、あとは復して20年毎になる。
 57回・1909年(明治42年)//20年//58回・1929年(昭和4年)//24年//59回・1953年(昭和28年)//20年//60回・1973年//20年//61回・1993年(平成5年)//20年//62回・2013年(平成25年)。
 以上、茂木貞純=前田孝和・遷宮をめぐる歴史(明成社、2012)、による。
 ○ こうした中断もありつつ長く続く遷宮の諸費用を誰がどうやって支弁したのかは、歴史学的にも重要だろう。122年間の中断は、そのコストを負える人物・組織等が存在しなかったことを意味すると思われる(伊勢神宮自身も含めて)。
 遷宮の祭主が旧皇族であることからも、この遷宮が神道関連行事・儀式であることのほかに、天皇・皇室に由縁のあることもかなり知られているだろう。
 では、これは天皇の「祭祀」なのか。いや、伊勢神宮の行事ではないのか。
 かりに「祭祀」だとしてすら、「宮中祭祀」ではないだろう。
 1949年(昭和24)年に予定されていた第59回遷宮について、「昭和天皇の思し召し」を受けて、当時の内務省・神祇院は、早々と1945年(昭和20年)12月14日に、とりあえず「中止」を決定した。上掲書、p.122。
 そのようなお役所は現在にはない。
 いや、宮内庁はある。だが、宮内庁は伊勢神宮と、何がしかの公的な関係があるのだろうか。
 いつかこの欄で記したように、戦後に限らないように思われるが、少なくとも形式上は、遷宮の最終に至るまでの諸行事は、日程も含めて、各天皇の「ご聴許」により決定される。少なくともそのかぎりで伊勢神宮よりも、天皇は「上」に立つ。
 遷宮自体が広義の?祭祀かどうかも興味ある(又は深刻な)問題だが、この「聴許」とは、天皇の、いかなる性格の行為なのだろうか。「祭祀」そのものではないが、「祭祀」の挙行とその詳細をいわば命令する、「祭祀」の一要素なのだろうか。
 そしてまた、櫻井よしこも触れている、憲法・皇室典範上の位置付け・性格は、遷宮自体とともに、この「聴許」は、どのように位置づけられるのだろうか。かつ、憲法に関係する問題・論点はないのだろうか。
 <保守>的団体の代表者として君臨し、天皇・皇室を敬愛し、天皇を戴く日本を保持しつづけることこそが<保守>だとの旨を述べ、そして「祭祀」の最優先を強く主張する櫻井よしこならば、このくらいのことは答えられるだろう。

1482/天皇譲位問題-小林よしのり・天皇論平成29年の一部を読む②。

 小林よしのりが論及している点にすべて関わると、10回分も必要になるだろうので、感想、コメントの要点を絞る。
 1.天皇の意思による譲位の可能性・許容性の問題と、皇位継承者の資格、つまり女性天皇、女系天皇の可能性・許容性の問題とは、全く無関係ではないとしても、分けて論じなければならない。
 小林よしのりが譲位反対論者を<男系主義者>と非難するのは、前回言及の8~9名については当たっているのかもしれないが、譲位の可否と女性・女系の可否は論理的には関係がない。
 2.小林は「天皇を苦しめてまで天皇制を維持すべきなのだろうか?」と人間的感情の欠如を疑わせるアホ4人組に比べれば自然でまっとうな疑問を示したあと、「いつ自分がリベラルに転向するかわからないほど迷う」と書いている。p.544。
 このように、<観念保守>の主張は、とくにそれがある程度まとまって述べられると、それが<保守>派一般の主張であるかのごとく理解され(池田信夫においてもそうだ)、健全なまたは理性的な人々を、リベラルないし「左翼」へと追いやる可能性・危険性をもっている。<アホ保守>は、その意味でこそ、許されない。
 <アホ4人組>を批判しておく必要があると(そのためには少しはきんと読まないといけないと)秋月が思っているのもそのためで、彼ら<観念保守>は、ふつうの日本人を、<保守>嫌いにさせるという、きわめて悪質な機能を客観的には有していると考えられる。
 小林よしのりはどうか何とか、「リベラルに転向」などをしないでいただきたい。
 3.現皇室典範自体が改正されることになる
 小林よしのりは皇室典範自体の改正を主張し、一代限りのという特例法には反対している。 
 法案自体の正確な内容を知らず(子細はまだ決定されていないだろう)、新聞等による一般的な情報にのみ頼るが、基本的論点についての政治的・政党的な調整もふまえた事実上の決着点は、以下であると見られる。
 ①いわゆる皇室典範改正論と特例法制定案の折衷。
 ②特例法が一代を対象として、かつ先例になりうるものとして制定される。
 ③典範自体の付則で②の特例法が皇室典範と「一体」であることを明示する。
 ④「付則」もまた法律(皇室典範)の一部に他ならないので、皇室典範自体も改正されることになる。
 以上のとおりで、特例法が制定されるとともに、それと併せて皇室典範も改正される。
 この決着の意味は、つぎのとおりだと考えられる。
 A.自民党・特例法制定と民進党・皇室典範改正の二つの主張の両方を生かした。
 B.憲法二条の「国会が議決する皇室典範」によりとの部分との整合性を確保して、違憲だという疑念が生じないようにした。
 小林よしのりが示唆するように、また流布されていたように、自民党は特例法で決着させるつもりだったのかもしれない。
 そして、皇室典範全面改正とその全面否定の間の<特例法>で両派を宥めたかったかにも見える。<観念保守>または前回言及の8-9名のような「保守」の全面否定論-摂政設置主張論にも配慮したという姿勢を示したかったのかもしれない。
 そのために、皇室典範全面改正を支持しない者・主張もある程度多いことを示すために、平川祐弘、櫻井よしこらのかなり多い全面否定-摂政設置論者がヒアリング対象者に(政策的に)選定された可能性がある。
 しかし、皇室典範とは独立の特例法では憲法二条の定めに違反する可能性が高い。
 立法技術にもかかわるが最終的にどうするつもりだろうと、もともと<特例法>のイメージも不明瞭だったのだが、秋月も思ってきた。
 それで最終的には、上のようになった。
 皇室典範の、戦後最初の実質的な大きな改正となるだろう。
 皇位承継方法についての大きな例外を、皇室典範自体が認めることになるからだ。
 特例法は形式的には皇室典範とは別でも、皇室典範そのものの一部となる。これは分かりやすいことではないが、「付則」もまた法律の立派な一部であり、法律の定めの一内容だからだ。
 したがって、その内容は憲法二条にいう「皇室典範」が定めていると理解することができ、憲法問題・違憲問題の発生は回避できる。 
 というわけで、小林よしのりの元来の主張は半分しか通らなかったが、半分は、ある程度は、実現された、ということになるように思われる。

1481/天皇譲位問題-小林よしのり・天皇論平成29年の一部を読む①。

 ○ 小林よしのり・天皇論平成29年(小学館、2017)のp.479以下を読んだ(又は拝見した)。
 入手が遅れたのは、主題についての関心の薄さ、「観念保守」(=小林よしのりが「自称保守」とか称しているものに近いかもしれない)の文章を思い出すことへの嫌悪にもよる。 
 ○ 最後の方の p.544に、小林が批判の矛先を向けている8名の人物の顔の似顔絵が出てくる。
 ちなみに、昨秋あたりの月刊正論(産経)はこの似顔絵化を、<卑劣>だとか批判していた。
 しかし、小林よしのりの絵から、私でもかなり人物名を特定できる。しかるに、月刊正論(産経)は最終頁あたりで「教授」・「先生」・「女史」等とだけ冠名する人物を登場させて、個人名を隠したままで勝手な?ことを言わせている。
 良心的なのはまだ小林よしのりで、月刊正論編集部(産経)の方が<卑怯>だろう。
 元に戻る。8名のうち、左の2名はすぐには分からなかったが、どうやら加瀬英明と加地伸行らしい。
 残るは、右から、八木秀次、渡部昇一、小堀桂一郎、竹田恒泰、平川祐弘、櫻井よしこ。ほんの少し頭を覗かせているのが大原康男かと思われるが、さしあたり計算から省く。
 上の8名のうち政府・天皇関連有識者会議のヒアリング対象者は、八木秀次、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこの4名
 なんと、秋月瑛二が「観念保守」と批判し、<アホの4人組>と酷評した4名と全く同じ。100%の合致だ。
 しかも、上の点はかりにさておいても、8人のうち4名が該当するだけでも、相当な<打率>だ。なお、大原康男を含めても、4/4.3くらい、および4/8.3くらいの高い<打率>になる。
 小林よしのりの上の基本的な感覚または彼らの論旨(譲位反対論)に対する非難は、まことに健全だ。
 ○ 加地伸行がヒアリング対象者だったとすれば、平川祐弘と同じかさらに低レベルの発言をしていた可能性がある。 
 たぶん昨年中に、西尾幹二は(確認しないが)月刊正論あたりでたしか天皇・皇室問題で加地伸行と対談していたが、加地の発言にほとんど頷くばかりで、容喙していなかった。加地の発言のあまりのヒドさに思わず、私は当該雑誌自体を放り投げたほどだ。
 もっと前にも、西尾幹二と加地伸行の二人は天皇・皇室問題でかなりひどい対談か論考を載せて話題になったらしい(これもかすかな記憶はある)。
 西尾幹二は、ときに一緒に酒呑みするくらいならよいが、加地伸行レベルの人物と雑誌用の対談などはしない方がよいと思われる。せっかくの高名を辱めるだけだろう。
 ○ とここまで書いて、まだ小林よしのり著の内容にはほとんど立ち入っていない。
 これまた連載にするしかない。


1476/平川祐弘・天皇譲位問題-「観念保守」批判、つづき④02。

 ○ 小川榮太郞の文章を借りて、先に平川祐弘の天皇譲位問題見解を見たのだったが、今回は、平川の文章を直接にあらためて読んでみた。但し、以下に限る。
 ①有識者ヒアリング発言・2016/11/07-内閣府サイト。
 ②「何が天皇様の大切なお仕事か」月刊正論2017年1月号(産経)。
 -これは、①とほとんど異ならない。原稿のほぼ「横すべり」、あるいは「使い回し」だ。
 ③「誰が論点をすり替えたか」月刊Hanada2017年4月号(飛鳥新社)。
 日本の保守というものにいい加減ウンザリしてきた、とこの問題に限らないでいつぞや書いたが、本当にイヤになる。平川祐弘は「アホ」だ。限りなく「アホ」だ。
 <東京大学名誉教授>に対して失礼だなどと怒ってはいけない。
 あの上野千鶴子も、れっきとした<東京大学名誉教授>だ。世俗の肩書きとは関係がない。
 ○ 「このところ新聞では、憲法の文言によって専ら論ぜられ、法学部出身の皆様の解釈が前面に出ますが、それだけでよいのか」。①、他にも同旨あり。
 バカではないか。例えば、本郷和人は文学部出身、正面から平川批判をした小川榮太郎も文学部出身、池田信夫はブログ内で<保守>の譲位反対論を皮肉っていたが、経済学部出身。他にも、平川祐弘を嗤っている人々はたくさんいるに違いない。
 有識者会議のメンバーの出身学部を詳しくは知らないが、例えば山内昌之は文学部出身の<東京大学名誉教授>。山内は、平川祐弘と同様のことを主張するだろうか。
 今上陛下の<お言葉>のあとの世間の反応はあるが、「そもそも退位はあり得るのか。法律的に許されるのか、詳しいことはよく突き詰めて考えていないのが実情ではないでしょうか」。①の冒頭部分。
 これには苦笑してしまった。
 「詳しいこと」を「よく突き詰めて考えていない」のは、平川祐弘自身だろう。
 そうでないと、エドワード八世やら源氏物語とやらが、突如として登場してくるはずはない。
 櫻井よしこもそうだが、日本国民や雑誌読者(週刊新潮を含む)を、<観念保守>の人たちはバカにしているのではないか。とりわけ、せっかくの内閣総理大臣の諮問会議の<公的な>時間と経費を無駄にさせて、申し訳ないと感じるべきだろう。
 ○ 上の「退位はあり得るのか。法律的に許されるのか」、の他に、以下もある。
 今上陛下が「憲法にもない生前退位をしたいと示唆されたのはいかがなものか」。①
 今上陛下の「個人的なお気持ちを現行の法律より優先して良いことか」。①
 仲正昌樹が<精神論保守はダメだが、制度論保守ならいいかも>とか書いていた気分が、よく分かる。
 東京大学名誉教授や「比較文化史家」なるものの、頭の悪さまたは基礎的な法的素養のないことに唖然とする。
 上記のヒアリングに出席して発言する機会が付与されたのだから、憲法の関係条項や現皇室典範の退位・皇位承継関係条項くらいは見ておくのが、当然の姿勢なのではないだろうか。
 後世の、のちのちまで、平川祐弘の発言内容は、日本政府関係情報・電子データとして残っていく。他人事ながら、恥ずかしいことだ。
 さて、憲法に「生前退位」を肯定する規定はないが、それは憲法が生前譲位を否認していることを意味しない。
 「第2条/皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」。
 「国会の議決した皇室典範」の意味については立法技術にも関係する議論があり、かつすでに事実上は決着したようだ。 
 しかしともあれ、皇位継承については「国会の議決した皇室典範」に、つまりはほぼ間違いなく(憲法解釈として)法律の定めに委ねているのが、現憲法の規範内容だ。
 したがって、法律(これがどのようなものか、「典範」か特例法か等には立ち入らない)が憲法の範囲内であれば、いかようにも決しうる。ついでに、男系も女系も、憲法は「世襲」だとだけ定めて何も語っておらず、法律に委ねている。
 現憲法が終身在位を定めているなどと誤解しているとすれば、もちろん<大アホ>。
 「法律的に許されるのか」、「現行の法律より優先して良い」のかなどと問題提起しているのが、さすがに平川祐弘らしい。
 その法律あるいは「現行の法律」を改正すべきか否か、そして改正するとすればどのように改正すればよいのかが、まさしく問われていたのだ。
 ○ このように書いていて、さすがに阿呆らしくなってきた。
 <保守>の、ひょっとすれば多くの人たちは(秋月はその例外のつもりだが)、法律でもって、つまりは世俗の国会議員・両議院議長らや政党関係者がこの問題を扱う権限があると知って(気づいて)、驚天動地の思いだったのではないだろうか。
 長い間(これはある程度は私もだが)、この問題を等閑視してきたのが誤りだった、とも言える。
 ○ そもそもは、譲位問題の結論や帰趨よりも、私には<観念保守>の思考方法に関心があった。
 彼らのほとんどが、現実にある<規範>の意味を無視して、憲法と法律(さらには政令だとか条例だとか)の区別も知らないで議論していることがよく分かった。櫻井よしこにも、渡部昇一にも、その弊は十分にある。
 しかし、彼らの言述を知って気づく、もっと重要な問題は、<天皇の祭祀と宗教・神道>というテーマだろう。
 意識的にか、無知のゆえか、この憲法問題に、彼らは論及しない。簡単に 、憲法問題(国家と宗教の関係)があることを無視して、祭祀や「祈り」を語っている。
 あるいはまた、神道といちおう区別される<仏教>の存在を無視したままで、日本の歴史またはその伝統を語っている。仏教を「疎外」して神道を<国教>化したのは明治維新以降・戦前で、それが日本と天皇の歴史だと勘違いしてはいけない。
 <タブー>が、月刊Hanada編集部の花田紀凱にも、月刊WiLL編集部にも、月刊正論編集部にもあるように思われる。暗黙の前提、もしくは「隠されたイデオロギー」がおそらく存在している。
 こうした問題については、ずっと前に坂本多加雄が言及していたし、たぶん彼の言葉を知らないままに秋月瑛二もかつてこの欄で触れたことがある。
 櫻井よしこについてと同様になるので、別の回にする。

1471/平川祐弘・天皇譲位問題-「観念保守」批判、つづき④。

 ○ 小川榮太郎「平川祐弘氏に反論する-譲位の制度化がなぜ必要なのか」月刊Hanada5月号p.303-による、おそらく同誌4月号の平川祐弘「誰が論点をすり替えたか-天皇陛下『譲位』問題の核心」p.30-に対する批判は、平川批判として優れている。
 書いていることに即しての譲位問題に関する平川祐弘批判は秋月もする予定だったが、小川の言述の紹介でもってほぼ代替させることができるかもしれない。
 もっとも、櫻井よしこらと親交があるらしい編集長・花田凱紀の意向だと思われるが、平川論考のタイトルは4月号の表紙の右側に最も大きく掲載されているのに対して、小川榮太郎の上記については表紙の中になく、目次の中でも目立ってはいない。
 月刊正論、月刊WiLL、月刊Hanadaは、同人誌的サークルが別の名前で、似たような人が似たようなことを順番に書く雑誌に堕してしまっている観がある。ときにはこの小川榮太郎論考のようなものや、西尾幹二や中西輝政のものを載せて、ゴマカしているけれども。
 ○ 小川榮太郎に同意できない部分はあるが、そこはさておき、以下は平川批判。
 ・最後の、「…日本の保守は実に危うい」。p.315。平川を読んでの結論的感想のようだ。そのとおりだ。とくに「観念保守」の精神的頽廃は著しい。もっとも、「…」の「…させねば」の部分には同意できない。
 ・まん中あたりの、「そもそも平川氏-および保守系論客の多数-が、そんなに摂政に固執することが私には寧ろ理解できません」。p.311。そのとおり。かりに本当に「保守系論客の多数」だとすれば、日本の保守はすでに死んでいる。つぎの根拠づけも適切だ。
 「皇太子による摂政の制は、明治の典範で初めて定められたものに過ぎず、本来の天皇伝統ではない」。p.311。
 ・平川祐弘は、今上の「お言葉」は<天皇の役割を拡大する「個人的解釈」・「拡大解釈」>だと理解して、「我が儘を言っておられるだけ」だとし、「祀り主として存在することに最大の意義がある」と言うが、「そもそもが陛下のお言葉への反論になっていない」。p.305。
 ・存在するだけでよいとは、観念的詭弁(秋月の言葉)。「極論すれば」、「植物人間状態で全く『機能』していなくとも、『存在』が継承されれば天皇伝統は続いたか」。p.306。
 ・平川は譲位の問題を縷々述べるが「体系的網羅的懸念」でない。制度又は慣習化で防止できる。p.310。また、例えば以下。
 ①上皇と新天皇の各周辺の「人間関係がうまくいく保証はない」というが、同様のことが「摂政と天皇の間にも」「起こるに違いない」。p.310。
 ②エドワード八世の退位後のヒトラー接近というのは、「失礼極まる」「拡大解釈」だ。p.310。
 ・平川は源氏物語を持ち出して「高齢化」への配慮は不要だとする。しかし、現在の「高齢化」社会の出現は突然のもので、「世襲の制度にとって、この突然の平均寿命の倍増は、根底的な制度設計の変更を要求するものだと考えるのは、寧ろ当然ではないでしょうか」。p.311。
 以下は秋月瑛二による追記。源氏物語がかりに50-100年間の天皇の実態を反映して(物語だが史実に即して)書かれていたとしても、たかだか50-100年間の天皇の歴史にすぎない。なぜこれが、現在の議論の根拠になるのか。源氏物語が描いていない、平安期以前、平安期の残り、鎌倉以降の武家・幕府時代等についての根拠になるはずはない。平川祐弘の言及の仕方は、思いつくままの(限られた個人的な知識にのみ頼った)恣意的なものにすぎない。「バカ(アホ)」なのだ。
 ・小川の論述はさらに進む。「終身在位に固執する弊のほうが、遙かに実際的な危機ではないでしょうか」。p.312。
 (明治皇室典範の摂政位継承順位の定めに関する小川の理解p.311-312は、適切だろう。つまり、摂関時代のように、皇太子等の皇族以外が摂政になることを禁止し、天皇家・摂政家(これにつながる皇族)の対立、後者による「明治新政府を転覆する可能性」を摘み取ったのだ。ちなみに、1989年・明治皇室典範は、1877年・西南戦争のわずか12年後、1968年・新政府樹立の21年あと。)
 皇太子が摂政につくとすると、「事実上、六十代以降に即位した老齢天皇が、八十代で摂政を立てるというのが基本的な天皇のあり方になってしまいます」。p.312。
 ・「宮中祭祀七つに関しては摂政は代行できません」。p.312。
 これについて調べる必要があると感じていたところ、珍しくこの問題に論及している<保守>の人の文章を見た。現在の皇室典範によれば、摂政は天皇の「国事行為」のみを代行できる。また、国事行為委任法(略称)も、名前のとおり、「国事行為」のみを委任できる。八木秀次もいるはずなのに、これについての言及がなかったのは不思議だった。
 いわゆる<公的(象徴的)行為>や祭祀を含む<私的行為>について、どこまで摂政が代替できるかは、本来はきわめて重要な論点だったはずなのだ。
 ・平川祐弘ら「保守派」はただ宮中でお祈りしていただければよいとの議論が多いが、「天皇の祈り」は「そんな気楽なもの」ではない。p.312-3。
 以上にとどめる。小川の批判は、平川祐弘に対してのみならず、、渡部昇一、櫻井よしこ、八木秀次にも、そしてその他の、月刊Hanada、月刊WiLL、月刊正論の関係者やこれらの愛読者に対しても、相当程度にあてはまるだろう。
 昨年の文藝春秋スペシャルの天皇特集号でも、そこにあった八木秀次よりも遙かに柔軟でかつ制度もよく理解していた文章を、小川榮太郎は書いていた。
 ○ 八木秀次を除けば、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこはすべて<文学部>出身者。「アホ」になるのはどちらかというと文学部系に多い、というのが秋月の見立てだ。
 しかし、小川榮太郎は格段に優れている。話がかなり通じそうな気がする。
 もっとも、先に記載のとおり、小川が天皇について一般論として記していることについては、かなり違和感をもつ部分もある。だが、それは今回のテーマではない。

1469/なぜ「アホの4人組」か。天皇譲位問題・「観念保守」、つづき③。

 たぶん年齢順に、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ、八木秀次。この人たち4人をなぜ「アホの4人組」と称するのか。
 第一に、もちろん、昨2016年11月に、天皇関連有識者会議での「有識者ヒアリング」で発言した者たちであり、今上天皇の譲位(いわゆる生前退位)に反対して摂政制度の利用を主張した点で共通性がある。だが、そのような者は、他にもいる。
 第二に、いずれも、天皇の歴史も含めた、天皇問題の専門家ではない。
 大原康男や今谷明は、それぞれの分野で「専門家」だとは言えるだろう。所功も、園部逸夫もそうだ。
 八木秀次は憲法学者・研究者として、天皇問題の専門家だと自分を思っているのかもしれない。天皇・皇室問題で発言してきてもいる。
 百地章も、大石眞も、また高橋和之も、憲法学者・研究者として「専門家」なのかもしれない。 
 しかし、八木秀次の憲法学「専門家」性は、相当に疑問がある。そういうためには、憲法学界または憲法アカデミズムの一員として受容されていなければならないと思われるが、八木はとっくにそれから離脱しているのではないか。そして、<教育>問題・分野へと「活動」の重心を移しているのではないか。
 2015年にいわゆる平和安保法制問題が政局化した際に産経新聞は西修、百地章、八木秀次の三人の文章を「正論」欄に掲載したが、最も拙劣だったのは八木の文章だった。この当時にはこの欄で触れなかったが、八木秀次は、<憲法体制と安保体制の矛盾>という、日本共産党員の長谷川正安(故人、名古屋大学・憲法学)が言っていたようなことを述べていた(秋月も、子どもたちにウソを教えてはいけない旨を書いたことはある)。戦後日本の法現象の認識としてそのようなことを指摘できる可能性はあるのだろうが、当時の憲法「解釈」論としては、平和安保法制違憲論を断固として排斥し、合憲論をもっと強く主張しなければならなかった。
 というわけで、大石眞や高橋和之、そして百地章と並ぶ「専門家」と性格づけるのは困難だと思われる。
 第三に、月刊正論(産経)、月刊WiLL(ワック)、月刊Hanada(飛鳥新社)という保守系月刊雑誌に、人と雑誌によって多少は異なると思うが、頻繁に登場している。
 これが最も共通性の高い点だという印象もある。しかし、これだけではない。
 第四に、2015年8月の安倍晋三内閣によるいわゆる戦後70年談話を、いずれも支持した。
 渡部昇一と平川祐弘については、この点にこの欄でも触れて批判した。櫻井よしこがこの派に属することはとっくに確認している。 
 八木秀次について確認はしていないが、この安倍談話を批判していないことはおそらく間違いないだろう。今年になってからの、月刊正論3月号p.58でも、八木は「安倍晋三首相」と共通する立場にいることをとくに記している。
 第五に、これら4人はいずれも、秋月瑛二がこの欄で長らく批判的なコメントをし続けている人物だ。
 開設当初からというわけではない。漠然と思い出せば、八木秀次を信用できないと感じたのは早かったし、渡部昇一は現憲法無効論または廃棄論の主張者だと知って、これまた早々に(批判的コメントをするため以外は)読まなくなった。
 櫻井よしこを<保守>派のようだと明確に知ったのは遅かったかもしれないが、2009年の民主党内閣誕生前後の論考はひどいもので、とても<保守>派だとは思えなかった。
 屋山太郎とともに、この点で櫻井よしこは批判の俎上に載せた。2009-10年頃に秋月がコメントしたことは、間違っていないと今でも考えている。内容をいまここで繰り返しはしない。
 最後に、平川祐弘の名前は以前から知っていたが、積極的にせよ消極的にせよ読む価値のある人物だとの印象はなかった。
 にわかに関心を持ったのは、安倍戦後70年談話を、稚拙な文章でもって支持していたのを読んでからだ。そして、昨年以降のこの人の文章を読んでも、全く支持できない。
 以上のとおりで、たまたま「アホの4人組」と称したのではない。
 上智大学「名誉教授」、東京大学「名誉教授」、現役の某大学教授、そして「国家基本問題研究所」なるものの理事長を「アホ」だと言うのは、相当に勇気が必要なような気もする。
 しかし、「アホ」は「アホ」だから、仕方がないだろう。
 個人攻撃あるいは全面的な人格批判をしているのでは全くない。この人たちが何を、どのように書いているかを読んだうえでの、その内容についての批判だ。
 「アホ」は「アホ」だから仕方がない、と言うためには、もっと書かなければならないだろう。

1448/天皇譲位問題-「観念保守」をめぐって、つづき②のA。

 仲正昌樹・松本清張の現実と虚構(ビジネス社・2006)の第9章は「天皇制の謎をめぐって-〔略〕」で、その中のp.226-7に、次の文章がある。/改行は原文にはない。
 「『国家と個人』の関係が危機に瀕するとき、その危機を克服すべく全体主義が登場する素地が醸成される。/
 マルクス主義的な傾向の左の全体主義は、国民国家の作られた "伝統" を破壊して、プロレタリアート独裁の革命政権を作ろうとする。/
 右の全体主義は、"伝統” を純化することによって強化しようとする。」
 現在の日本の「観念保守」派は、「 ”伝統" を純化すること」を意図していないだろうか。
 あるいは、<純化した伝統>なる「観念」を、ことさらに主張してはいないだろうか。
 つぎに、1945年2月のいわゆる<近衛上奏文>には、以下の表現がある。近衛文麿の認識を全面的に肯定するのではないが、存在しうるものだとは思える。
 「軍部内一部の者」を「取巻く一部官僚及び民間有志」、「之を右翼と云うも可、左翼と云うも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり」。
 「国体の衣をつけたる共産主義者」も存在しうる、ということを、現在の日本の「観念保守」論者たちは、意識しているだろうか。
 さらには、引用を省略してしまうが、1937年に刊行された文部省編纂<国体(國体)の本義>に書かれていることは、相当に櫻井よしこ等が最近に述べていることとよく似ており、部分的には酷似するところがある。両者の間に関係はないのだろうか。ここでの<国体>観を全体として否定するつもりはないものの、「観念」論、歴史の「事実」に反した日本史理解が多分にあると見られる。
 櫻井よしこも渡部昇一も、この書物の名前と内容に直接には言及していない。知らないのだろうか。知ったうえでのこととすれば、あるいは参考にしている、影響を受けているとすれば、その論述方法は、もしかすると、いささか卑怯ではないのだろうか。
 正確に確認はしないが(その関心、傾注の努力が惜しいと思っている)、4人のうち八木秀次以外(つまり、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ)は、日本の「国体」について言及し、「国体」の維持の主張を、その<天皇>観とともに披瀝していたと思われる。
 はたして、彼らのいう「国体」とは何か。日本に固有・独特の歴史・伝統があるだろうことを、むろん否定しているのではない。

1420/<観念保守>という日本の害悪-例えば天皇譲位問題。

 仲正昌樹が、精神論保守と制度論保守を区別して、後者ならば支持できる、又は属してもよいような気がしてきた、と何かで書いていた(この欄で触れたかは失念)。
 経緯はばっさりと省略するが、この対比を参考にしつつも、<観念保守>と<理性(合理)保守>の区別という語法の方が適切だと思ってきている。
 天皇譲位問題についての主張を、新聞報道または週刊誌を含む雑誌の記事による紹介、さらにはそれらを読んだ記憶に頼ってのみ以下書くのだが、日本の<観念保守>のまさしく観念論ぶり、いい加減さ、そして欠陥は、渡部昇一、平川祐弘、八木秀次、櫻井よしこらの同問題についての(識者懇談会のヒアリング時での)主張ぶりに現れていそうだ。
 平川祐弘が本当に「保守」派なのかは、もともと怪しく思っていて、数十年前にいた竹山道雄・安倍能成らの(反共・自由主義の)「オールド・リベラリスト」程度ではないかと思っている。だから、ここでの本来の対象にはしたくない。
 安倍70年談話支持の平川の論考はひどいものだったし、その後目にする平川の雑誌論考も、半分ほども他人の文章の引用だったりして、相当に見苦しい。
 そのような平川に執筆を依頼する保守系雑誌の(編集部の)レベルの低さ、あるいは「保守的」な文章作成者の枯渇ぶりを感じざるをえない。
 子細は省略したが、櫻井よしこは<保守派の八方美人>だとこの欄で記したことがある。この人はこちこちの<観念保守>ではなく、天皇譲位問題についても<拙速はいけない。よく考えるべき>とだけ当初は書いていたが、上記ヒアリング時点では、譲位制度化反対へと考えを決したようだ。<保守>系論壇人の状況について<日和見>していたのかもしれない。
 この項はすべて記憶に頼る。月刊正論(産経)の編集長・菅原某は当該雑誌の秋頃の末尾に、譲位制度創設反対か<議論を尽くせ>のいずれかが<保守>派の採るべき立場であるかのごとき文章を載せていて、これが産経新聞の主流派の見解だろうかと想像したことがある。
 百地章は当初は<摂政制度利用>論=譲位制度創設反対論だったように見えたが、ヒアリング時点では、皇室典範(法律。なお、憲法2条参照)を介しての特別法(法律)による(おそらく一代限りの)譲位容認論に変わったようだ。
 譲位制度導入反対論-これはほとんど摂政制度利用論といえる-に反対する立場に百地章が転じた背景は興味深い。その背景・理由はよくは分からないが、譲位制度導入反対論がいう摂政制度利用論は現憲法と現皇室典範を前提にするかぎりは採用できない(法的に不可能)と秋月は考えているので、上の基本的立場については、私も百地と同様だ。
 さて、いくつか考えることがある。
 第一は、渡部昇一や平川祐弘が前提的に主張したらしい、天皇とは「祈る」のが本来の仕事という理解の仕方は、典型的に「観念保守」に陥っていることを示している。
 つまり、「天皇」についてのそれぞれが造成している「観念」を優先させている。さらに正確にいえば、現実の(現日本国憲法下での)天皇が「祈る」ことまたは「祭祀」を行うだけの存在ではないことは、現憲法が定める「国事行為」の列挙だけを見ても瞭然としている。にもかかわらず、この人たちは、現憲法の天皇関係条項を全く知らずして、又は知っていても無視して、自らの主張を組み立てている。
 同問題懇談会のメンバーは、代表的にのみ言えば、この二人が開陳した意見を、すべてまったく無視してかまわない。
 ついでに言うと、西尾幹二は「観念保守」ではないと思うし、小林よしのりが少なくとも少し前までの月刊サピオ(小学館)で揶揄し批判していたこの問題の一連の主張者(渡部昇一、八木秀次ら)の中に含まれていない。
 だが、西尾幹二ですら天皇(または皇室)は京都に戻るべきと何かに書いていた(二度ほどは読んだ)。だが、首相任命・閣僚任命や衆議院解散等にかかる現憲法上の天皇の重要な権能を考えると、京都市在住では実際上国政に支障をきたすおそれが高い。余計なことを書いてはいるが、憲法を改正して現在の天皇の「国事行為」をほとんど除外しないと、京都遷御ということにはならないだろうと思われる。
 第二に、「観念保守」論者が「保守」したい天皇制度とはいったい奈辺にあるのだろうか。
 櫻井よしこは、明治の賢人たちが皇室典範制定に際して生前退位を想定しなかった、その「賢人」の意向を尊重すべきとか、今はよくても100年後にどうなるかわからない(制度変更の責任を持てるのか、という脅かし ?)とか主張しているらしい。
 櫻井よしこは、明治憲法下の天皇制度が最良だと考えているのだろうか、そしてそうであればその根拠は何なのだろうか。
 これは一般的に、<保守>派のいう保守すべき日本の「歴史・伝統」とは何か、という基本問題にかかわる。
 ついでに書けば、大日本帝国憲法にいったん戻れという議論は法的にも事実上も不可能なことを可能であると「観念」上は見なしているもので、議論を混乱させる、きわめて有害なものだ(産経新聞社・月刊正論は、この議論に一部は同調的であるらしい-その理由はバカバカしくも渡部昇一の存在 ?)
 秋月瑛二は、明治期の日本が維持されるべき(復元されるべき)日本であるとはまったく考えない。八木秀次もそのようだが、明治期の議論を持ち出して、譲位容認にはあれこれの弊害・危険性があるというのは、明治の賢人 ?たちを美化しすぎている。
 伊藤博文らには、何らかの「政治的」意図もあった、と考えるのが、合理的かつ常識的なのではないか、と思われる。
 今はよくても100年後にどうなるかわからない、という櫻井よしこの主張(らしいもの)についていうと、旧皇室典範以降100年以上経って、限界が明らかになっているとも言える。つまり、100年後にどうなるかわからない、という時期が皇室典範の歴史上、今日になっている、とも言える。また、譲位制度を作っても、問題があれば、100年後にまた改正すればよいだけの話だ。<今はよくても100年後にどうなるかわからない。改正してよいのか>という議論の立て方は、全く成り立たないものだ。
 したがって、櫻井よしこの脅かし ?-これはいわゆる「要件」設定の困難さを想起させてしまう可能性があるが-に専門家懇談会のメンバーは、そして政府も国会も、屈する必要は全くない。
 問題は要するに、現皇室典範が明記する摂政設置の要件充足にまではいたらないが(したがって「摂政」設置で対応することはできないが)、高齢化により国事行為やその他の公的行為(祭祀の問題はかりにさておくとしても)を適切にはかつ完璧には行えなくなったと見受けられる(文章の1、2行の読み飛ばし、儀式日程の一部の失念などは、高齢の天皇には生じうることだろうと拝察される)場合、かつ譲位の意向を内心にでも持たれた場合に、日本国家と国民は、どう対応すればよいかにある。
 詳細は知らないが、天皇の高齢化問題ととらえているようである、所功の主張は、立論において秋月に似ているかもしれない。
 天皇についての特定の(適切だとは論証されていない)「観念」を前提にした議論をするのではなく、最小限度、現憲法の規定の仕方を考慮した「制度」論を行うべきであるのは、「天皇」もまた制度である以上、当然なのではないか。
 また、明治日本はあくまでの日本の歴史の一時期にすぎない。明治期を理想・模範として描いているとすれば、「観念」主義の悪弊に陥っている。
 現憲法を視野に入れるのは論者として当然の責務だが、それを度外視しても、長い日本の歴史と「天皇」の歴史を視野に入れる必要がある(書く余裕はないが、天皇・皇室をめぐって種々の歴史があった。今から考えて、有能な天皇も無能らしき天皇もいた。暗殺された天皇もいた-崇峻天皇。孝明天皇は ?-。祭祀が、あるいは式年遷宮がきちんと行えない時代もあった。「祭祀」が皇太子妃とまったく無関係に行われていた時期がたくさんあった。そうした問題をすべて解決したのが実質的には今に続く明治期の皇室典範だったとは全く思われない。なお、戦後、現憲法のもとで法律化)。 ゛
 以下、追記する。渡部昇一は、今上天皇に「助言」して思いとどまらせるべきだとか述べたらしい。この人物らしい傲慢さだ。
 平川祐弘は、現天皇(又は昭和天皇も含めて戦後の天皇)が勝手に「象徴天皇」の行動範囲を拡大しておいて辛さを嘆くのはおかしい旨述べたらしい。
 「象徴天皇」の範囲を-とくにいわゆる「公的行為」について-国民やメディアが広げた可能性はある。しかし、「祈る」行為だけにその任務・権能を限らず、「内閣の助言と承認」のもとにではあれ重要な国政・政治上の権能を多く付与したのは、現憲法だ。平川の議論は、現憲法批判もしていないと一貫していないだろう。
 思い出したが、自民党改憲案その他の<保守的> 改憲案は天皇を「元首」と定めることとしている。この「元首」化論と、天皇は「祭祀」が主な仕事だという議論は、ともに成り立つものとは思われない。
 ともあれ、渡部昇一も平川祐弘も、じっと現憲法の天皇条項を読んで確認してから、自らの考えを述べたまえ。勝手な「観念」の先立つ議論は有害だ。
 櫻井よしこについてはなおも、書きたいことがある。八木秀次には、もはやあまり興味がない。
 「真の」保守派の天皇・皇室論があるわけでは全くない、と思われる。月刊正論の編集部・菅原某あたりは、勘違いしない方がよい。
 ヒアリング対象者の発言はそのまま詳細に官邸ホームページ上で読めるらしいので、別途に論じるかもしれない。
 以上は、手元に何も置かず、記憶にのみ頼って書いた。したがって、前提認識に誤りがある可能性はある。

1408/歴史と感情と科学と-R・パイプス、そして笹倉秀夫。

 一 前回10/12の末尾に、「歴史に関する学者・研究者でも、<怒るべきときは怒る>、<涙すべときは涙する>という人間的『感性』を率直に示して、何ら問題がないはずだ」。 これは歴史叙述そのものに「感情」を明示してもよい、という趣旨ではない。
 このように書いたのは、何かを読んでその印象が残っていたからだ。
 R・パイプス・ロシア革命史の「訳者あとがき-解説にかえて」の西山克典の文章だったかもしれないと探してみたが、そうではなかった。別の本を捲ったりしているうちに、上記のR・パイプスの書物(邦訳書)の本文自体のほとんど末尾にある、「16章/ロシア革命への省察」の中の文章であることが分かった。
 ブレジンスキーと同様にR・パイプスは、日本共産党とは違って、レーニンとスターリンとがほとんど真反対のベクトル方向にあるとは見ていない。R・パイプスは、1917秋(10月革命時)と1922年の初めまで(レーニン時代だ)のソ同盟の人口減を1270万人(戦死、餓死=500万人以上、疫病死、海外逃亡等を含む)とし、自然状態では増大していたはずの人口を想定すると、実際の人的損失は「2300万に達する」などを指摘したのち、つぎのように記述する。
 R・パイプス(西山克典訳)・ロシア革命史(成文社、2000)p.404-5による。〔〕の英語は、原著(A Concise History of the Russian Revolution、p.403-4 )を直接に参照した。
 ・かかる「前例のない惨禍を、感情に動かされずに見ることができるであろうか、また、見るべきであろうか」。
 ・現代において「科学」の威光は強く、「道義的にも感情的にも超然とした科学者」の、全現象を「自然」で「中立的」と見なす気質を身につけてきた。彼らは「歴史」における「人間の自由意志」を考慮することを嫌い、「歴史」の「必然性」を語る。
 ・しかし、「科学の対象と歴史の対象」は「著しく異なる」。医師・会計士・調査技師・諜報局員の調査は「正しい決定に達するのを可能にする」ためで、「感情に絡みとられてはいけない」。
 ・「歴史家にとっては、決定はすでに他人によって為されており、超然と構えることで、認識に付け加えるものは何もない。実際には、それ〔超然と構えること〕は、認識を低下させることになる。というのは、激情のさなかに〔in the heat of passion〕生み出された出来事をどうやって、感情に動かされずに〔dispassionately〕、理解することができるというのであろうか」。
 ・19世紀ドイツの某歴史家は、「歴史は怒りと熱狂をもって書かれなければならない、と私は主張する」、と書いた。
 ・アリストテレスは「あらゆる問題について節度を説いた」が、「『憤りを欠くこと』が受け入れがたい状況がある、『怒るべきことに怒っていない人々は馬鹿と思われるからである』」と述べた。
 ・「関連する事実〔facts〕の収集整理は、確かに感情に動かされることなく、怒りも熱狂もなく行われなければならない。歴史家の技能のこの面は、科学者と何ら異なるものではない。しかし、これは、歴史家の任務の始まりにすぎない」。
 ・「どれが『関連している〔relevant〕』かの決定は、判断〔judgment〕を求めており、そして、判断は価値〔values〕に基づいているからである。事実は、それ自体としては無意味である。何故なら、それをどう選別し、序列化し、そしてどれを強調するかに関し、事実自体は何ら指針〔guide〕を提供しないからである。過去が『意味をなす〔make sense〕』ためには、歴史家は何らかの原則〔principle〕に従わなければならない」。
 ・「通常、歴史家はまさにそれをもって」おり、「最も『科学的な』歴史家でさえ、意識しようがしまいが、予見〔preconceptions〕から行動しているのである」。
 ・一般的にその予見は「経済的な決定論に根ざしている」。経済・社会のデータは「不遍性という幻想〔illusion of impartiality〕」を生んでいるからである。
 ・「歴史的な出来事への判断を拒むことはまた、道義的な価値観にも基づいている。すなわち、生起したことは、何であれ、自然〔natural〕なことであり、従って正しい〔right〕という暗黙の前提〔silent premice〕であり、それは、勝利を得ることになった人々の弁明〔apology〕に帰すことになる」。
 以上。
 二 歴史は怒り等の感情をもって書かれてよい、というふうの部分が印象に残っていたのだったが、きちんと読むと、それ以上の内容を含んでいる。
 ここでの「歴史」学には、<政治思想史>や<法思想史>、<政治史>や<法制史>などの学問分野も含まれうるものと考えられる。
 こうした分野の文献を、かついわゆる<アカデミズム>内の文献・論文も最近は読むことが多い。そうして、上にパイプスが書いていることも、相当によく分かる。
 基本的なから些細なまで、種々の「事実」があるに違いない。書き手はどうやってそれを<序列化>し<関連づけ>ているのだろう、と感じることもある。また、この人は何らかの<価値判断>に基づいている、あるいはさらには何らかの<政治的立場>に立っている、これで<学問的作業>なのか、と思うこともある。
 また、思い出すに、ソ連崩壊により「東・中欧での社会主義化は挫折」したことは事実として認めつつ、その原因としてマルクス主義自体やレーニン(またはレーニズム)には大きな注意は払わず、「スターリニズム」の「問題点」などをかなり詳しく叙述しつつ、「それらの運動」〔社会主義・共産主義運動 ?〕を「スターリニズムに解消させて、マイナス面だけを」論じて、「社会主義化の実践」の肯定面に「目を閉ざすのは、研究者の公正な姿勢ではない」と強弁(!)する日本の「研究者」の書物があった。
 笹倉秀夫・法思想史講義/下(東京大学出版会、2007)p.315-6。
笹倉は、「社会主義化の実践」が示した「ヒューマニズムや自由・民主主義・世界平和運動の面での貢献」に「目を閉ざすのは、研究者の公正な姿勢ではない」とし、「例えば」として三点を挙げる。
 その三点にはここでは立ち入らない。しかし、社会主義・共産主義運動(「社会主義化の実践」)が「ヒューマニズムや自由・民主主義・世界平和運動の面」で「貢献」した、という前提自体が、何ら実証されていない「暗黙の前提」であり、この<科学的と自認しているのかもしれない学者>の「原則、principle」なのだろうと推察される。マイナスだけではなく積極面も見るのが「研究者の公正な姿勢」だという表向きの言い方自体にすでに、(隠された)何らかの(おそらくは政治的な)<価値判断>が含まれているだろう。
 立ち入らないが、ファシズムと共産主義ではなくファシズムとスターリニズムを併せて<全体主義>と称するのは誤りだとの叙述(p.316注)も含めて(全体主義論はファシズムとレーニンを含む共産主義全体を包含するものだが、おそらく意識的にスターリンに限っている)、上のような叙述・説明は今日では日本共産党以外には珍しく、おそらくは、この人は、日本共産党員なのだろうと思われる。
 それは別として、これまでこの欄で「歴史学」なるものについて、坂本多加雄、山内昌之らのその性格や役割に関する議論を紹介したことがある。ひょっとすれば、人文・社会系学問のすべてに当てはまるかもしれないのだが、上のパイプスが述べるところも、充分に読むべきところがある。
 なお、パイプスのロシア革命に関する書物自体は、個別「事実」について相当に密度の濃いもので、<感情>的な文章で成り立っているわけでは全くない。諸事実の<解釈>あるいは<取り上げ方・並べ方>におそらくは、パイプスのロシア革命に対する何らかの(<価値>にもとづく)<判断>が働いているのだろう。
 三 忘れていた。上のパイプスの文章の最後の部分は、とくに意識・自覚される必要がある、と考えられる。
 パイプスによれば、歴史事象への<判断>を峻拒する歴史叙述は、公正で客観的な印象を与えるかもしれないが、じつはその歴史または歴史の結果としての現在の<勝利者>に味方している。生起した歴史事象、その結果としての現実が「自然」で「正しい」と思ってしまえば、それは<現実>(を支持する大勢 ?)を擁護していることになる
 この観点は忘れてはいけない、と思う。
 徳川家康は「正しかった」から長い江戸時代を拓いたわけではないし、明治維新が(薩長両藩等が)「正しかった」から、明治時代があったわけでもない、と思われる。
 「日本に生まれてまぁよかった」という題の本を出している人がいるが(平川祐弘)、この人が安倍戦後70年談話を擁護しているように、彼が生きた戦後日本は彼にとって「まぁよかった」のだろう。そして、この人の今年1月号の論考に明かなように、戦前・戦中の日本は<誤って>いた、と判断されることになる。それでもなお、この人(平川祐弘)は「保守」派論壇人らしいのではあるが。

1393/共産主義者/ハーバート・ノーマン-江崎道朗著等。

 一 先だって、中野利子が肯定的に評価していたH・ノーマンについて、もっぱら記憶に頼って、「ノーマンはGHQの日本占領初期の『協力者』であり、木戸幸一、都留重人らとも親交があり(近衛文麿を最後には見放したともされ)、日本共産党がいつからか『日本国憲法の父』とか称し始めた鈴木安蔵を見いだして憲法草案作成へと誘導した、ともされる日本にとって<重要な>人物」だ、「ノーマンの「共産主義者」性は、占領初期のGHQとも通底するところがあった」、と書いた。
 江崎道朗・アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄(祥伝社新書、2016)を全読了したが、第6章「日米開戦へと誘導したスパイたち」の中でハーバート・ノーマンについて本格的な言及があった。ノーマンは日本にとってはGHQ占領初期においてのみ重要な人物ではなかったし、江崎はノーマンを「おそらく…共産党の秘密党員」とする。以下、p.154以下。
 ・1925年設立のキリスト教布教目的の太平洋問題調査会(IPR)は、アメリカ共産党に乗っ取られた。1938年8月の企画会議には高柳賢三やハロルド・ティンパリーらが出席した。
 ・その後の会議で日中戦争に関する「調査ブックレット」の発行を決定した。共産党員を含む三人の編集委員が冊子執筆の依頼をした一人がハーバート・ノーマンだった。
 ・「おそらくイギリス留学中に共産党の秘密党員」になっていたノーマンは1940年にIPRから『日本における近代国家の成立』を刊行した。その本は、日本の対中国戦争は「日本自体が明治維新後も専制的な軍国主義国」だったからと説明し、コミンテルンの「日本=ファシズム国家」論を主張した。
 ・ルーズヴェルト大統領らは「このノーマン理論」を使って「対日圧迫外交を正当化」した。その他、IPRの「調査ブックレット」シリーズは「アメリカの対日占領政策の骨格」を決定した。
 ・マーシャル(陸軍参謀総長)の指示による軍からの委託によって、IPRは、種々の「反日宣伝映画」や「米軍将校教育プログラム」を軍・政府に大量に供給した。
 二 このノーマンについては、すでにこの欄の2008年06月08日に、中西輝政・日本の「岐路」(文藝春秋、2008)所収の「『冷戦』の勝敗はまだついていない」(とくにp.312-3)から引用して、つぎのように紹介していた。そのときの文章を再度ほとんどそのまま引用する。
 中西は「コミンテルン工作員」であるハーバート・ノーマンのしたことを、四点にまとめる(p.312-3)。第一。石垣綾子(スメドレーの親友)・冀朝鼎・都留重人らとともに、アメリカ国内で「反日」活動。日本に石油を売るな・日本を孤立させよ等の集会を開催し、1939年の日米通商航海条約廃棄へとつなげた。
 第二。GHQ日本国憲法草案に近似した憲法案を「日本人の手」で作らせ、公表させる「秘密工作」に従事した。この「秘密工作」の対象となったのが鈴木安蔵。鈴木も参加した「憲法研究会」という日本の民間研究者グループの案がのちにできる。
 第三。都留重人の縁戚の木戸幸一を利用して、近衛文麿の(東京裁判)戦犯指名へとGHQを動かした。近衛文麿は出頭期日の1945.12.16に自殺した。
 第四。「知日派」としての一般的な活動として、GHQの初期の日本占領方針の「左傾」化に大きな影響を与えた。
 三 加藤周一編・ハーバート・ノーマン-人と業績(岩波書店、2002)という本がある。
 さすがに岩波書店の本らしく、ノーマンを擁護しかつ賛美するもので、日本人に限ると、加藤周一(九条の会呼びかけ人の一人)の他に、以下の者が執筆している。
 中野利子、長尾龍一、都留重人、丸山真男、遠山茂樹、鹿野政直、奈良本辰也、中野好夫、色川大吉、田中彰、陸井三郎、芝原拓自、高木八尺、西村嘉、羽仁五郎、兵藤釗、松田智雄、松尾尊允、渡辺一夫。
 長尾龍一は「保守」派らしくもあるのだが、オーウェン・ラティモアについての(とくに批判的ではない)本もかつてはある。
 渡辺一夫は大江健三郎の学生時代の教授で(フランス文学)、最近に平川祐弘が義父・竹山道雄の「知識人」仲間として ?(思想に関係なく ? ?)採り上げている。渡辺一夫が「戦後知識人の代表」とされ、学生時代の大江健三郎も写っている<渡辺ゼミ>の写真が堂々と掲載されているのには驚いた(月刊Hanada9月号p.273、p.271)。

1363/月刊正論8月号(産経)ー江崎道朗から西岡力=中西輝政へと。

 一 月刊正論8月号(産経)で、江崎道朗が与えられた4頁の紙面のうち1頁を使って、中西輝政「さらば安倍晋三、もはやこれまで」(歴史通5月号(ワック)に言及し、中西の分析に「ほぼ同意する」、と書いている(p.241)。
 江崎道朗自身の最後の文章は、こうだ。
 「歴史戦の勝利を望むすべての人々にこの中西論文は読んでいただきたい。//
 厳しい現実から目を背けていては、勝利を手にすることはできない。」
 江崎道朗と中西輝政に「通じる」または「共感しあう」ところがあるだろうことは、中西輝政=西岡力・なぜニッポンは歴史戦に負け続けるのか(日本実業出版、2016)の西岡力による「まえがきにかえて」からもある程度は分かる。
 西岡力によると、産経新聞2015.02.24付「正論」で「冷戦の勝利者は誰かを問いたい」を書いたところ、中西輝政から「見方に賛成だ」との「連絡」があり、それを機縁として、月刊正論2015年5月号の西岡力=島田洋一=江崎道朗の鼎談ができた、という。
 産経新聞紙上のものを読んだ記憶ははっきりしないが、その内容は上の「まえがきにかえて」の中におそらくかなり引用されており、ほとんどか全くか賛同できる。
 というよりも、中西輝政=西岡力の上掲著を読み始めて最後まで了えた(たぶん2016年3月)こと自体、この西岡力の「まえがきにかえて」に引きつけられたことによる可能性が高い。
 その西岡力らの西岡力=島田洋一=江崎道朗鼎談「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」月刊正論2015年5月号p.86以下については、かなり印象に残ったに違いない、秋月はこの欄で2015年5/18から2回に分けて「戦後70年よりも2016末のソ連崩壊25周年」と題し、「面白いし、かつすこぶる重要な指摘をする発言に充ちている」と書き始めて紹介・引用している。
 やや遠回りだが、江崎道朗と中西輝政というとこんな些末なことも思い浮かぶ。
 元に戻って、江崎道朗の文章のうち、「歴史戦」をめぐる「厳しい現実」という言葉が心を打つ。「厳しい現実から目を背けていては、勝利を手にすることはできない」。
 厳しい現実を理解せず、また理解しようとせず、従来の<保守の小社会>で安逸に生きていきたい言論人も多いのだ。
 二 西尾幹二の刺激的な言葉を再引用。月刊正論2016年3月号p.77。
 「本誌『正論』も含む日本の保守言論界は、安倍首相にさんざん利用されっぱなしできているのではないか」、「言論界内部においてそうした自己懐疑や自己批判がない」のは「非常に遺憾」だ。
 三 江崎道朗が読んでほしいという中西輝政論文の最後に、以下の叙述がある(初めて見たのではない)。歴史通5月号p.117-8。
 ・日本政府・日本人が「自前の歴史観」を世界に臆することなく自己主張するには「あと三十年はかかる」。このための条件の整えるのに「それだけの年数」がかかると思うからだ。
 ・条件の一つは、国内または日本国民内で「歴史観」での闘いが、「たとえば東京裁判史観をめぐって、せめて四対六くらいに改善していること」。
 ・「現在は一対九にも及ばない」だろう。「とくに、マスコミや歴史学界においては、この一対九にもはるかに及ばない」。
 なんとも厳しい現実認識なのだが、冷静に日本を俯瞰すると、こんなものかもしれない。中西輝政のそれは悲観的すぎる、とは言えないかもしれない、と感じる。
 中西輝政が感じていることは、日本国民の中で<東京裁判史観>に(明確に)反対する者は10%に及ばず、「マスコミや歴史学界」では10%に「はるかに及ばない」、ということだ。
 さて、と思うのだが、<保守>派とは<東京裁判史観>反対派のはずであり(と思っており)、とすれば例えば産経新聞「正論」や月刊正論(産経)に登場する論壇人・言論人のほとんどは<東京裁判史観>維持に反対の者たちだということになりそうだが、最近、これを強く疑うようになってきている。
 また、産経新聞や月刊正論(産経)のような新聞・雑誌ばかりを読んでいる(幸福な?)人々は、安倍晋三「保守」政権ということもあって、何となく国民の過半数が、少なくとも三分の一程度は<保守的>な「歴史観」を持っていると感じているのかもしれないが、大きな勘違いだろう、と思われる。
 冷厳な現実は、中西輝政の指摘するものに近いのではないか。
 四 ついでに。平川祐弘「『安倍談話』と昭和の時代」月刊WiLL2016年1月号(ワック)p.32以下は昨年夏の「安倍談話」を支持する立場からのものだが、こんな悪罵を投げつけている。誰に対してかの固有名詞はないが、中西輝政や西尾幹二を含んでいるかに見える。
 ・「どこの国にも、自国のしたことはすべて正しいと言い張る『愛国者』はいる」。
 ・とくに日本では「反動としてお国自慢的な見方がとかく繰り返されがちになる」。
 ・「おかしな左翼が多いからおかしな右翼も増えるので、こんな悪循環は避けたい」。
 ・「不幸なことに、祖国を弁護する人にはいささか頭が単純な人が多い」。以上、p.35-36。
 「東京裁判史観」を基本的に批判する立場の者は、私も含めて「自国のしたことはすべて正しいと言い張」っているわけではない筈だ。
 「おかしな右翼」、「いささか頭が単純な人」とはいったいどのような人々なのか、平川祐弘は言論人ならば明瞭にすべきだろう。
 平川うんぬんが主テーマではない。このような内容を含む論考を巻頭に掲載する、花田紀凱編集・月刊WiLLが(今は編集長が替わったので、花田紀凱編集長の新雑誌や月刊WiLLという名の雑誌が)<保守>派を代表する論壇誌(の一つ)として扱われている、という悲惨な現実がある、ということをしみじみ感じている。今なお、渡部昇一の文章を掲載する非「左翼」系のはずの雑誌がある(月刊Will8月号「それでも、やっぱり安倍晋三!」!。産経・月刊正論8月号もその一つ)、という現実も。
 「厳しい現実」を直視して、鱓(ゴマメ)の歯軋りの如く呟きつづけても、「あと三十年はかかる」。

1296/月刊WiLL7月号(ワック)-読書メモ。田村重信、中西輝政ら。

 月刊WiLL7月号(ワック)を入手して、読んだもの。
 2013年、2014年と、かつてと比べれば投稿が大きく減ったが、かつてと同様に読書録・備忘録としても、この欄を利用していく。但し、ターゲット、対象、素材、要するにテーマをもう少し絞る方向で考えた方がよいかもしれない。さて…。
 ・田村重信「『安保法制』一問一答35」。全部、読了。時宜を得ている。体系的に現下の諸問題の位置づけが分かるようではないのが、残念といえば、残念。
 ・特集<戦後70年、私はこう考える>のうち、中西輝政「安倍演説で『歴史問題』は終わった」、稲田朋美「あの戦争を総括し歴史を取り戻せ」、平川祐弘「『マルクスが間違うはずはありません』」。
 安倍晋三グループ(?)の稲田朋美が-日本共産党・不破が言うような-単純な「戦争礼賛」派ではないことは、すべきことは「東京裁判の歴史認識をそのまま受け入れて思考停止するのではなく、自分たちの手で客観的事実に基づく不戦条約以降敗戦に至るまでの日本の歩みを総括し、歴史を取り戻す」ことと最後に述べている(p.63)ことでも分かる。もっとも、どう総括するかは、<保守>派において一致がないと見られるのだが…。
 平川の文章のタイトルになっているのは、東京大学学生だった19歳の不破哲三の言葉。
 中西輝政も触れている安倍米国議会演説について、金美麗、田久保忠衛の二つの論考があるが、読んでいない。おそらく少しは異なる内容で、私の理解の仕方をこの欄にいずれ書く。
 ・筆者インタビュー/池田信夫「戦後リベラルの終焉」。池田信夫は<保守派>とされていないと思うが、なかなか鋭く面白いことを発言する論客だと感じてきた。それに、いわゆる<保守派>ではないとしても、決して<容共>・親コミュニズムの人物でもない。
 このPHP新書はしかし、購入済みのままで未読だ。他にも、櫻井よしこ=花田紀凱・「正義」の嘘(産経)など、所持したまま未読のものは多い。<西尾幹二・再発見>も、試みてみたいし。池田著を読みおえてから、何かコメントしよう。/以上。

1259/「危険な思想家」発想がなお残る今日の知的世界。

 ・前回言及の竹山道雄の文章は、朝日新聞が日本の継続性肯定の<明治100年>か敗戦による新たな<戦後20年か>という対立があるとして両側の諸論者の文章を掲載したものの一つで、前者の論者は平川祐弘によると竹山道雄・林健太郎・江藤淳・林房雄、後者のそれは野間宏・遠山繁樹・小田実・加藤周一、のそれぞれ4名だ。作家・野間宏は少なくとも戦後の一時期は日本共産党員だった者、日本史学者・遠山茂樹は日本共産党だったと推測される者、あとの後者の二人は非日本共産党「左翼」だろう。そして、平川の言に俟つまでもなく、朝日新聞は後者の立場を支持することをを少なくとも示唆した特集だったと思われる。
 ところで、平川祐弘によると、同じ1965年に山田宗睦が「危険な思想家」というタイトルのカッパ・ブックスを出していて、上の前者の4名は山田のいう「危険な思想家」だったらしい。平川によればほかに安倍能成が明記されているが、三島由紀夫や石原慎太郎もまた当然に?「危険な思想家」だったようだ。平川によると、この山田の著に朝日新聞が「飛びつい」て、上に言及の特集になったらしい。
 この論争に立ち入るつもりはないが、上の両派?のいずれの立場が日本国家と日本国民にとって本当は「危険な」ものだったかは、今日ではほとんど明らかだと思われる。
 だが、60-80年代くらいまでかなり広く<保守・反動>という言葉でレッテリ貼りされた考え方・歴史の見方を今日でもやはり「危険」と感じている者は今日でも少なくないし、憲法学界では前回に言及した某憲法学者も含めて圧倒的多数派を占めているという印象がある。
 「危険な」の反対は「安全な」だが、いわゆる<進歩>派あるいは「左翼」こそが、憲法学界では「安全な」立場・立ち位置なのだ。したがって、学界や各大学・各学部の多数派=「安全な」立場に属していることが、就職・昇格やその他の人間関係上<有利>であると感覚的に判断する者は、深く考えることなく、無自覚に「左翼」になってしまう憲法学者も出てくることになる(別に憲法分野に限りはしないが)。あるいはまた、<右・左>、<保守・左翼>のいずれかの立場を鮮明にしない方が「安全」だと感じる大学や学部にいる間は<温和しく>しているが、「左翼」性を明確にしても「安全」だと感じる大学・学部に移れば、例えば平気で「九条(2項)を考える会」に属して報告をしたり、特定秘密保護法や集団的自衛権容認に反対する声明に堂々と名を連ねたりすることになる。
 ・憲法学界を例にしての以上のことが決して的外れではないことは、月刊WiLL1月号(ワック)冒頭の座談会で、政治学の中西輝政が語っていることでも明らかだろう。<保守派>であることは大学院生がどこかの大学に就職する(採用される)ために不利だったことは指導教師だった高坂正堯の言葉を紹介しながら中西輝政がすでに述べていた(この欄でも触れた)。
 上の座談会の中で中西輝政は、「いまでも特殊な知識人の世界」では「朝日的であること」が「知的権威そのもの」だ、「朝日に対する信仰」は「いまでもテレビ界の報道関係では、NHKも含め…根強く残っていて、一般の社会と大きくズレている」と述べたりしつつ(p.37)、つぎのようにも語っている。
 「学会ではいままでずっと地雷原を歩いているようなものでした(笑)」。大学では「最も大変な時期は、校門をくぐった瞬間から一瞬たりとも警戒心を解くことができ」なかった。メディアで「靖国参拝に賛成」と言ったら「授業を暴力で潰しに来かねない状況で、教員たちも露骨に反発して私一人、全く孤立無援」だった。大学の校門を出た方が安全で、「むしろ大学に入ると『学問の自由』は保障されてい」なかった。
 学生の反応はともかくとしても、「教員仲間」から「そもそも中西さんの言動に問題がある」として「取り合ってもらえなかった」(以上、p.40)という、学部または教員たちの雰囲気に関する発言の方が重要だし、興味深い。
 もっとも、具体的にいかなる時期のどの大学(京都大学?)のことを述べているのかは明確ではない。余計ながら、中西輝政が退職した大学・学部には佐伯啓思も同僚としていたはずだ。
 上の最後の些細な点は別として、「学問の自由」といいながら、人文・社会系の大学に所属する研究者たちは、テーマ設定や研究内容について、本当に自分の頭で「自由」に考え、結論を出しているのだろうか、という疑問をあらためてもたざるをえない。それは「靖国参拝」や「慰安婦」についての彼らの意見や認識についても言える。それぞれの学界・学会の<空気>を読みながら、「黒い羊」と目されないように、多数派に属するように、あるいは「安全」であるように、取捨選択しているのではあるまいか。無意識にそのように行動させるシステムができ上がっているとすれば、もはや大学でも「学問」でも「自由な」研究者でもないだろう。ややテーマがそれたかもしれない。

1258/月刊正論を最近は毎号きちんと読んでいる。

 ・前編集長時代とは異なり、交替後の月刊正論(産経新聞社)は「メディア裏通信簿」も含めて、なかなか面白い。何よりも、くだらない、又は反発を覚えるような論考や記事がほとんどなくなった。
 とは言っても、なぜか、日本共産党、社民党、生活の党(小澤一郎は見事に?変身した)という「左翼」政党、とりわけ日本共産党の現状の紹介や批判的検討が全くと言ってよいほどないことは相変わらずで、中国(中国共産党)を熱心にかつ批判的に分析しても、なぜ日本の月刊雑誌は日本の「共産党」を、あるいは日本のコミュニズムを正面から扱わないのだろうというもどかしさは依然として残る。
 ・月刊正論1月号もおそらく90%以上読み終えた。最近と同様に、かつてほどに逐一言及する余裕はない。
 門田隆将の文章も小浜逸郎(この人は一時期は信用していなかったのだが)の文章も、印象に残ったが、平川祐弘が紹介している、竹山道雄の、朝日新聞1965.04.05号の文章の一部が目を惹いた。
 「私には戦後の進歩主義がほんものの平和と民主主義であるとは思われない。それはむしろ、人々の平和と民主主義をねがう気持ちにつけこんで、別なものが進歩主義を利用して浸透する手段としたのだった」。(p.347)
 ビルマの竪琴という小説の作家としてしかほとんど知らない竹山道雄だが(もっとも、同・昭和の精神史は所持していていずれ読みたいと思っているし、著作集も半分以上所持している)、60歳をすぎた時期に朝日新聞紙上でこんな文章等でもって論争しているとは、相当な人物だったに違いない。
 「人々の平和と民主主義をねがう気持ちにつけこんで、…進歩主義を利用して浸透する手段」としている「別なもの」は現在も厳然として存在するし、「別なもの」に「平和と民主主義をねがう気持ちにつけこ」まれていることを知らずに、戦争と<全体主義・ファシズム>の復活?を許さず「平和と民主主義」の理想を追求していると自らを評価しているものも厳然として多数存在している。
 すでに「別なもの」になっているのかどうかは知らないが、個人的に知る某憲法研究者は、<日本の自衛隊(軍事組織)は信用できない。正式に軍として認知すれば何をしでかすか分からない>という旨を<公言>していた。
 日本軍国主義=日本のかつての軍部は<悪>でありかつ<拙劣>であったので、そのDNAを継承している自衛隊、そして日本人そのものが<正規の軍として位置づけられるものを保持するとアブない>というわけだ。
 かかる戦後・占領期の<時代精神>を、日本の憲法学者の多くはなおも有し続けているのだろう。
 開いた口がふさがらないし、そのような感覚を平然と語るれっきとした<おとな>らしき人物などとは、もはやとっくに、「口をきく気にもなれなくなっている」のだが。
 

0899/平川祐弘・日本語は生き延びるか(河出ブックス、2010)の冒頭の問題設定。

 6/11に「平川祐弘・日本語は生き延びるか(河出ブックス、2010)の冒頭にある、戦慄を伴う問題設定」とだけ言及した。
 もう少しは詳しく引用しておく。
 平川祐弘・上掲著は、「はじめに」で、「二十二世紀に日本列島に住む人々は、はたして何語を話しているだろうか」と問題設定する。そして、「可能性として五つの場合が想定される」という。
 五つのうち、人類の消滅と優秀な翻訳機器の開発による言語問題の解消という二つの想定(第一・第四)は別として、第五も愉しい想定ではないが、とくに次の、第二、第三の「想定」は、可能性を否定しきれないところに「戦慄」が伴う。
 「二、他文化の強力な影響下、日本人の大部分はバイリンガル(日本語と英語、あるいは日本語と中国語)になって、外では世界の標準語を、内では日本語という地方語を使い分けて話している」。
 「三、日本人の多くは非日本人ないしは非日本語系日本人と結婚して(あるいは結婚を余儀なされて)しまっており、その二世以下の子孫はもはや日本語を話さない。元は日本語人だった一世も、周囲の社会の言葉を使って生活するようになっている。そこで新しい言語を使いこなせない日本語系日本人の多くは落伍者、いわゆる文化的な『もてない男』となっており、その劣等的状況むに憤懣を抱く者の中にはテロリストとなって暴発する者も出る」。
 「二十二世紀」とされているところが、まだしも微かな救いだろうか。 

0894/<日本>はその美しい自然と四季とともに残り続けるだろうか。

 1970年11月の自裁の際の三島由紀夫の檄文に書かれた日本の近未来の予測文章はよく知られている。
 西尾幹二は1996年に次のように書いたらしい(初出、サンサーラ1996年12月号)。
 「このままいけばおそらく日本は、……いぜんとしてアジアでもっと生活レベルは高く、ハイテク文明に彩られてはいるが、国家意志といったものをもったく持たない国、刹那的な個人主義だけが限りなく跋扈する虚栄の市場としての国になり果てるであろう。…―というような悪夢を心の中で抱くこと久しい。そうなっては困るのだが、しかし、そうなるのではないか、いや間違いなく相違ないという胸騒ぎのような心理を、私はここ数年、ずっと持ちつづけてきたのである」。
 「いぜんとしてアジアでもっと生活レベルは高く、ハイテク文明に彩られてはいる」のか否か、2010年の時点での将来予測としては疑問符もつくが、上のような懸念と「悪夢」はほとんど現実化してしまっているのではないか。
 西尾幹二の書くもの、それで解る西尾の考え方等を全面的に支持しはしないが、この人の時代感覚も(三島由紀夫と同様に?)鋭いと言えるかもしれない。
 私は近年、次のような「悪夢」を抱く、あるいは将来の日本列島の<惨状>を恐怖感とともに思い描くことがある。
 日本の山岳と田畑と海岸の美しい風景はまだ残っている。だが、かつてはどこでも見られたものが無くなってしまっている。
 神社のすべてが、大から小まで物理的に破壊され、消失した(神官・宮司等は当然に職を失った)。路傍の地蔵像や祠などもすべて無くなった。寺院も文化財としてのごく一部の有名(・観光)寺院の建造物を除いてすべて破壊され、消失した。京都・奈良・飛鳥のみならず、日本列島のすべての地域で、<かつての日本>的な神社仏閣は破壊された、無くなった。伊勢神宮も例外ではない。明治神宮も橿原神宮も熱田神宮等々も同じ。
 その時代には、当然に<天皇制度>は廃止され、<皇室>なるものはもはやない。日本国家・日本政府というものももはやない。某国の一州か自治領のようなものになっている。かりに日本「国家」が残っていても、某国との間に主たる仮想敵国をアメリカ合衆国とする安保条約が締結され、日本列島人も徴兵される軍隊の指揮権は当然に某国「人民軍」総司令官にある。
 その某国政府の命令または「勧告」だが実質的には強い要請にもとづいて、日本列島人は自らの手で、神社仏閣のほとんど(一部の遺跡扱いの寺院を除く)を壊したのだった。
 その時代、日本列島人は「何語」を話しているだろうか?。
 これが、立ち入らないが、平川祐弘・日本語は生き延びるか(河出ブックス、2010)の冒頭にある、戦慄を伴う問題設定だ。
 美しい列島、美しい四季は残り続けるかもしれない。だが、<鎮守の杜>が全てなくなって、路傍の祠がいっさいなくなって、さらには日本語が話されなくなるか、正規の言語ではない「方言」の一種と見なされるようになって、いったいどこに<日本>が残っているのだろうか。顔つきだけはかつての「日本人」によく似た日本列島人は残っているとしても。
 西尾幹二は冒頭引用の文章を含む論考を、「私は自分の未来を諦める気にはなれない。自分と自分の国の歴史を見捨てる気にはなれないのだ」、と結んでいる。
 1935年生まれで私よりも10歳余年上の西尾がこう書いているくらいだから「諦め」てはいけないだろう。だが、本音をいえば、西尾の上の言葉よりは私はペシミステイック(悲観的)だ。
 他国によるイデオロギー支配を伴う占領と、その時代に生み出された実質は他国産の1947年憲法がもつ「価値観」にもとづく教育、そして当該「価値観」の実質的な(<時流>としての)押しつけ(「憲法」教育を含む)の影響を拭い去ることは、もはやほとんど不可能なのではないか。
 週刊金曜日5/01号で憲法学者らしき斎藤笑美子(茨城大学)は、皇族の「市民」的平等を確保するには<天皇制廃止>か<皇族離脱の自由の承認>しかないとの自説を述べていた。
 週刊金曜日6/04号の日米安保特集には憲法学者・早稲田大学教授の水島朝穂が(相変わらず?執拗にも)「重大なのは日本が『攻める』危険性」と題する文章を載せている。
 現在書店に並んでいる週刊金曜日には、上杉某が、憲法改正手続法を利用して<天皇制廃止>のための改憲論を展開すべしとの文章を書いている筈だ。
 <天皇制廃止>のための憲法改正を<保守>派は断固阻止しなければならない。世論動向に応じて、日本共産党や社会民主党はこの問題を積極的に提起する可能性はあり、これまた世論を見極めつつ、朝日新聞は<天皇制廃止>の方向に誘導する可能性もある(もっとも、すでにそれは目立たないかたちで実施に移されていると観るのが正確だろう)。
 <ナショナルなもの>の忌避・否定は日本<国家>への反感・怨念にも由来する。日本<国家>と<天皇制度>はもともと不可分のものと考えられる。
 <天皇制度>の維持と雅子妃殿下うんぬんの議論とどちらが大切かは語るまでもない。
 日本<国家>と<天皇制度>を否定しようとし、そして<宗教>意識は自分にはないと考えているのが多数派と見られる日本人の意識を利用して<反神社(・神道)・反寺院(・日本的仏教)>の立場へも誘導しようとするだろう、「左翼」言論人等の活動家たちの策略・大きな顔をしての言動を弱体化させなければならない。
 そうしないと、上に書いたような私の「悪夢」は正夢に、つまり近い将来の現実になってしまうのではないか。
 6/04、西尾幹二・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010.06)のうち、第一部の「江沢民とビル・クリントンの対日攻撃…」(上に引用はこれの一部)、「トヨタ・バッシングの教訓」、「外国人地方参政権・世界全図」、第三部の「講演/GHQの思想的犯罪」、「『経済大国』といわれなくなったことについて」を読了。
 残りのほとんどは「激論ムック」か月刊正論で既読のような気がするが、あらためて読むかもしれない。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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