秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

平凡社

1999/池田信夫のブログ009-朝日・鈴木規雄。

 池田信夫ブログマガジン2019年7月8日号「慰安婦問題の知られざる主役」。
 鈴木規雄(~2006)という名も含めて、知らなかったことが多いので、要約的紹介。
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 1990年まで慰安婦問題はほとんど知られていなかったが、これを日韓の外交問題にしたのは朝日新聞だ。第一報を書いた植村隆は当時33歳の駆け出しで、キャンペーンの責任者は当時大阪社会部デスクの「鈴木規雄」だった。
 1988年、鈴木は千葉支局デスク時代に初めて「日本人慰安婦」証言を記事にしたあと、1991年8月に大阪社会部デスクで「慰安婦の記事を書かせた」。
 1992年1月、宮沢喜一訪韓直前に「軍関与示す資料」トップ記事が出たときの東京社会部デスクは、鈴木規雄だった。
 1997年3月に、信憑性が怪しくなった吉田清治証言の「真偽は確認できない」との曖昧な総括記事取材班の人選をしたのは、当時名古屋社会部長の鈴木規雄だった。
 上の時期の朝日新聞・外報部長は吉田清治を「世に出した」清田治史だった。この人物は「勤務していた大学を辞職し、その後は姿を消している」。
 鈴木規雄が慰安婦問題で力をもったのは社会部「本流」だったからだろう。大阪社会部で頭角を現し、京都・蜷川虎三府政を応援する記事を書いた。
 鈴木規雄は「共産党員(もしくはそのシンパ)だったとみられ」、朝日新聞は「革新」府政の原動力となった。
 大阪のマスコミは営業的にも「在日」・「同和」の読者が重要で、「慰安婦キャンペーン」は「大阪ジャーナリズム」の総集編ともいうべきものだった。
 鈴木規雄が「自分の書かせた特ダネに事実関係に致命的な誤りがあったことに気づかなかった」とは思えず、遅くとも1997年には気づいたはずだ。
 なぜ2014年まで隠蔽されたのか。「朝日新聞は、まだ大きな問題を隠している」。
 ***
 若干の感想・コメント。
 第一。保守・右派や革新・左派の「論壇・評論家・知識人」たちと同様に、あるいはそれら以上に、現実の「知的」雰囲気を作ったのはジャーナリズムで、新聞、テレビ局を含み、さらに広くは<情報産業>全体を、もっと広くは<情報・エンターテイメント産業>を含む。「産業」・「企業体」だ。
 そして、そうした「産業」界の面々は組織・企業の一員として働くので、「論壇・評論家・知識人」たちと違って(「個人営業」をしないので)、個人の固有名詞が世間一般には出てくる頻度がはるかに少ない。
 上の鈴木規雄、清田治史もそうだが、大手新聞社(+共同通信等)の要職者・社説執筆者、最終的構成・校正担当者はもちろん、テレビ番組の制作責任者(・ディレクター)や月刊雑誌・週刊誌等の「編集」担当者、さらに大手出版社の単行本発行に関与する「編集」担当者もそうだ。
 こういう<業界人>たちは、どのような人物なのか。どのような教育を受け、どのような一般的知識をもち、かつどのような<政治的>感覚を基礎的に身につけているのか。
 そのレベルや内容は、社会にも、「政治」にも、そして「投票行動」にも、全体としては無視できない影響を与えることになっているだろう。
 第二。全てを「個人」に還元させることはできない。例えば、朝日新聞社、読売新聞社、産経新聞社のいずれに入社するかで、ある人物の人生は大きく変わるに違いない。組織内で「出世」しようと思えば思うほど、当該新聞社の「主流的」論調に合わせようとするだろうと思われる。
 産経新聞社の主流論調は、<天皇を戴く国のありようを何よりも尊い>と感じることなのだろうか(例、桑原聡)。
 この産経新聞社内にいると、九州・中国地方の、平安期以降に新たに生まれた<神武天皇東遷>の伝承記録も、<神武…は実際にあった>の証拠になるのかもしれない。
 なお、「個人」が直接に特定の<政党>の影響下にあることはもちろんあるだろう。
 朝日新聞社や岩波書店のみならず、新潮社にも講談社にも平凡社にも、れっきとした日本共産党員はいると思われる。
 少なくとも、自分の会社から日本共産党・不破哲三の本を出版させようと考える「容共産党」の編集者はいる(新潮社・平凡社)。提案して、社内での編集会議ないし出版会議を通過させれば、大手出版社の名で出版することは可能だ。
 第三。しかしまた、個々の組織人で成り立つ新聞社等の情報産業界に、政党直接でなくとも、「評論家・知識人」たちが<空気>の有力な一つとして影響を与えていることも確かだろう。もっとも、相対的には後者の力は落ちているようにも思われる。
 <論壇>とか、<言論思想界>なるものは、ごく一部の者がその「存在」を信じているにすぎない「夢想郷」なのではないか。あるいは、存在しても、その現実的影響力は、当事者たちが想定しているよりも遙かに弱く、100分の1、1000分の1ほどなのではないか。
 第四。朝日新聞批判、朝日新聞拒絶は、この欄の発足時で立脚点だったことで(当初のサブ・タイトルは「反朝日新聞・反日本共産党」だった)、近年になってようやく<えせリベラル>などと指摘して批判的立場を明確にするようでは遅すぎる(例、八幡和郎)。そういう意味では、今回紹介の池田信夫の文章も、無意識に想定していた範囲内に十分にある。

0344/新書二つ等と上杉隆・政権崩壊(新潮社)。

 昨日入手した新書本二つ。従来もこんな記録を残したことはないし、今後の慣例にするつもりもないが。
 ①奥武則・論壇の戦後史(平凡社新書、2007)。補章・あとがき・序章・第一章の順で、これらだけ読了。専門書の重厚さを期待はできず、「切り取り方」(p.252)も単純もしくは表面的又は大勢順応的なような気がしないでもないが、戦後思想史を概観するうえで、参考にはなりそうだ。
 ②飯尾潤・日本の統治構造(中公新書)。何とか賞受賞というだけで購入してみた。「はじめに」を読んだだけ。1962年生という著者の若さに驚いた。<政治とマスコミ>、<選挙とマスコミ>、<大衆民主主義下の政治・選挙・官僚とマスコミ>といったテーマのきちんとした文献を読みたいし、探しているのだが、この本でもこうした論点にはたぶんほとんど言及がないだろう。
 以上、いずれも推薦?図書として記したわけではない。まだ読了していない。
 上杉隆・政権崩壊-安倍政権迷走の一年(新潮社、2007)はひと月以上前に入手して読了しているが、安倍政権に対するマスコミ、とくに朝日新聞の姿勢に関する言及が全くないという点が私には印象に残った点の一つだった。
 上杉隆は文筆業者、政治ノンフィクションライターとして、マスコミを含む出版業界で生きていくために、広い意味では同業者といえる朝日新聞等への批判的言及・批判的言辞を、いや批判的であろうとなかろうと、朝日新聞等の動向に関する多少とも詳細で具体的な叙述を、意識的に避けたのではなかろうか。文筆業者、文章販売業者として生きていくための処世術かもしれないが、せっかくの「内幕」の叙述も、上の点でかなり減点になると、私は、奇妙な読み方かもしれないが、感じた。書いていないことも重要なのだ。

ギャラリー
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
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  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
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  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
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  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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