秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

市場原理主義

0890/資料・史料ー自民党2010年綱領。

 <自由民主党HPより>
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 ● 平成22年(2010年)綱領
 平成22年1月24日
現状認識
 我が党は、「反共産・社会主義、反独裁・統制的統治」と「日本らしい日本の確立」―の2つを目的とし、「政治は国民のもの」との原点に立ち立党された。平成元年のベルリンの壁の崩壊、平成3年のソ連邦の解体は、この目的の1つが達成されたという意味で、我が党の勝利でもあった。そこに至るまでの間、共産主義・社会主義政党の批判のための批判に耐え、我が党は現実を直視し、日米安全保障条約を基本とする外交政策により永く平和を護り、世界第2の経済大国へと日本を国民とともに発展させた。
 日本の存在感が増すにつれ、国際化のなかで我々は多くのものを得た反面、独自の伝統・文化を失いつつある。長寿国という誇るべき成果の反面、経済成長の鈍化と財政悪化からくる財政諸機能の不全に現在も我々は苦しんでいる。少子化による人口減少は国の生産力を低下させると言われる。我が国は、これ等の現実を明るく希望ある未来に変えるため、少子化対策とともに、教育の充実と科学技術開発に国民資源を注力することにより生産性を向上させ、長寿人口の活用と国民資質の向上、国際化への良き対応により、経済成長が達成でき、国民生活の充実が可能なことを世界に示さねばならない。
 我々は、日本国及び国民統合の象徴である天皇陛下のもと、今日の平和な日本を築きあげてきた。我々は元来、勤勉を美徳とし、他人に頼らず自立を誇りとする国民である。努力する機会や能力に恵まれぬ人たちを温かく包み込む家族や地域社会の絆を持った国民である。家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、公への貢献と義務を誇りを持って果たす国民でもある。これ等の伝統的な国民性、生きざま即ち日本の文化を築きあげた風土、人々の営み、現在・未来を含む3世代の基をなす祖先への尊敬の念を持つ生き方の再評価こそが、もう1つの立党目的、即ち「日本らしい日本の確立」である。
 我が党は平成21年総選挙の敗北の反省のうえに、立党以来護り続けてきた自由と民主の旗の下に時代に適さぬもののみを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求め、国際的責務を果たす日本らしい日本の保守主義を政治理念として再出発したいと思う。我々が護り続けてきた自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。ましてや利己主義を放任する文化でもない。自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい。従って、我々は、全国民の努力により生み出された国民総生産を、与党のみの独善的判断で国民生活に再配分し、結果として国民の自立心を損なう社会主義的政策は採らない。これと併せて、政治主導という言葉で意に反する意見を無視し、与党のみの判断を他に独裁的に押し付ける国家社会主義的統治とも断固対峙しなければならない。また、日本の主権を危うくし、「日本らしい日本」を損なう政策に対し闘わねばならない。我が党は過去、現在、未来の真面目に努力した、また努力する自立した納税者の立場に立ち、「新しい日本」を目指して、新しい自民党として、国民とともに安心感のある政治を通じ、現在と未来を安心できるものとしたい。


1.我が党は常に進歩を目指す保守政党である

(1) 正しい自由主義と民主制の下に、時代に適さぬものを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求める
(2) 勇気を持って自由闊達(かったつ)に真実を語り、協議し、決断する
(3) 多様な組織と対話・調整し、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる

2.我が党の政策の基本的考えは次による

(1) 日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す
(2) 日本の主権は自らの努力により護る。国際社会の現実に即した責務を果たすとともに、一国平和主義的観念論を排す
(3) 自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する
(4) 自律と秩序ある市場経済を確立する
(5) 地域社会と家族の絆・温かさを再生する
(6) 政府は全ての人に公正な政策や条件づくりに努める
 (イ) 法的秩序の維持
 (ロ) 外交・安全保障
 (ハ) 成長戦略と雇用対策
 (ニ) 教育と科学技術・研究開発
 (ホ) 環境保全
 (へ) 社会保障等のセーフティネット
(7) 将来の納税者の汗の結晶の使用選択権を奪わぬよう、財政の効率化と税制改正により財政を再建する

3.我が党は誇りと活力ある日本像を目指す

(1) 家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、自立し、共助する国民
(2) 美しい自然、温かい人間関係、「和と絆」の暮し
(3) 合意形成を怠らぬ民主制で意思決定される国と自治体
(4) 努力するものが報われ、努力する機会と能力に恵まれぬものを皆で支える社会。その条件整備に力を注ぐ政府
(5) 全ての人に公正な政策を実行する政府。次世代の意思決定を損なわぬよう、国債残高の減額に努める
(6) 世界平和への義務を果たし、人類共通の価値に貢献する有徳の日本
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 <下線は秋月>

0828/鳩山由紀夫「私の政治哲学」に見るアメリカ・「経済」観等。

 一 有名になった鳩山由紀夫「私の政治哲学」月刊ボイス9月号(PHP、2009)に、この欄で8/28と9/18に既に二回言及した。
 → 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/1192822/
 → 
http://akiz-e.iza.ne.jp/blog/entry/1227260/
 前者では、鳩山が紹介するカレルギーの「友愛」理念のように、鳩山は「左右の全体主義との激しい戦い」(p.133)をする気が本当にあるのかを疑問視し、後者では「東アジア共同体」構想を疑問視した。
 これらとは別の論点に触れる。鳩山は上掲の文章で次のように書く。
 「友愛」は「グローバル化する現代資本主義の行き過ぎを正し、伝統の中で培われた国民経済との調整をめざす理念」で、「それは、市場至上主義から国民の生活や安全をめぐる政策に転換し、共生の経済社会を建設すること」を意味する。
 「いうまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終了後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされた」。「米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、…グローバリズムとか呼ばれた」。
 「米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的…であり、諸国は…経済社会の構造をグローバルスタンタード(じつはアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった」。
 「日本の国内でも、…、これを積極的に受け入れ、すべてを市場に委ねる行き方を良しとする人たちと、これに消極的に対応し、社会的な安全網(セーフティネット)の充実や国民経済的な伝統を守ろうとする人たちに分かれた。小泉政権以来の自民党は前者であり、私たち民主党はどちらかというと後者の立場だった」。
 「グローバリズムは、…経済外的諸価値や環境問題や資源制約などをいっさい無視して進行した」。
 「冷戦後…の日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を圧迫し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程といっても過言ではないであろう。郵政民営化は、…をあまりにも軽んじ、…、郵便局のもつ経済外的価値や共同体的価値を無視し、市場の論理によって一刀両断にしてしまったのだ」(p.136)。
 <郵政民営化>問題に立ち入らない(立ち入れない)。
 上の文を読んで感じる一つは、この鳩山<論文(?)>がどのように要約されて英訳されたのかは知らないが、明瞭に<反米>的なことだ(なお、鳩山の上掲の文章に<反中国>的言辞はない)。
 「アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義」=「グローバリズム」=「市場至上主義」が日本を含む諸国の国民経済を「圧迫し」、社会を「破壊し」てきた、と明確に論難している。これは明らかにアメリカ(の経済政策)批判だ。当否はさて措くとしても、<反米>的だと受け止められても仕方がない。
 第二の感想は、近年のアメリカの経済政策あるいはその「資本主義」を、「市場至上主義」・「市場原理主義」などという概念で簡単に理解して(しまったつもりになって)よいのか、ということだ。また、「小泉政権以来の自民党」は「すべてを市場に委ねる行き方を良しとする人たち」だった、と簡単に言ってしまってよいのか。「すべてを市場に委ねる行き方」とは、いくら何でもいい過ぎだろう。
 ついでにいえば、鳩山自身あるいは「私たち民主党はどちらかというと」上とは違う、「社会的な安全網の充実や国民経済的な伝統を守ろうとする」立場だったとするが、これはマスメディアが騒いだ<格差拡大>等々の<小泉(構造)改革>の結果らしきもの(いかほどに証明されているのか?)を受けての<後づけ>的なものである疑いが強い。
 この文の中心的テーマにしないが、鳩山由紀夫や民主党は<小泉(構造)改革>のための法律案に<すべて>反対してきたのか? 派遣業法の改正等々に賛成したのではなかったのか?
 さらに離れて言えば、現在民主党(鳩山政権)を支持し擁護している朝日新聞は、<自民党をぶっ壊す>と叫んだ小泉を、<郵政民営化>が争点とされた2005年総選挙での小泉(自民党)をむしろ支持し、少なくとものちの安倍晋三内閣に対する態度とは全く異なる好意的評価をしていたのではないか。
 二 共生」の経済社会論とか、最近に国会で鳩山由紀夫が強調している<NPO・市民の方々の(国政)参加>の積極的推進論は、従来からの<左翼>の主張であり、また彼らが好む言葉・概念だ。この点にも、鳩山由紀夫の「左翼」性は露見している。これを自覚していないとすれば、よほどの勉強不足か、もともと「左翼」的(=容共的)心情の人物なのだろう。
 三 上の点は再び触れることがあるだろう。
 上の一で言及した、「市場至上主義」・「市場原理主義」などという概念で簡単に理解して(しまったつもりになって)よいのか、という疑問(・批判)に関連して、根井雅弘・市場主義のたそがれ(中公新書、2009.06)の以下の指摘は興味深い。鳩山由紀夫は読んでいないだろう。以下、要約又は抜粋的引用。
 〇<ソ連・東欧社会主義国崩壊後に「資本主義」の勝利が「市場メカニズム」の勝利とされ、「市場主義」・「市場原理主義」との言葉が頻繁に使われ始めたが、これらは「厳密な学術用語」ではない。伊藤元重(東京大学教授)は『市場主義』との本を出したが(1996年)、「市場メカニズム」を「軽視してきたようにみえる日本の経済システムに活を入れる意図」なのだろう。伊藤は決して「市場万能論者」ではない。>(p.92-93)
 〇<フリードマンは「ほとんど『自由市場至上主義』に近い立場」から「市場の失敗」よりも「政府の失敗」をはるかに「深刻」視した。この点では、「独自の知識論」にもとづき、「市場メカニズム」(ハイエクのいう「価格システム」)を排した「計画経済は必ずつまづくだろう」と社会主義批判をしたハイエクの方が「本質を突いていた」のではないか。>(p.94-95)
 〇<ケインズの受容以降、「純粋な『資本主義』・『市場』」なるものは存在せず、「各国は、程度の差こそあれ、『混合経済』になっている」ことを等閑視すべきではない。サミュエルソン教科書の読者なら容易に分かるだろう。にもかかわらず、「市場メカニズム」・「市場主義」・「市場経済」
等々の「大合唱」が生じた。>(p.95-96)
 以下、長くなるので省略。または別の回に書く。
 根井雅弘著を論評する気はない。要するに、鳩山由紀夫は、「市場至上主義」・「市場原理主義」等をいかなる意味で用いているつもりなのかという疑問をもつし、これらの意味を十分に理解したうえで書いているのか、という批判をしたい。同じことは、<新自由主義>という、日本共産党系の学者・評論家等を含む「左翼」が(かつ経済学の専門家でも何でもない者たちが)、批判するために近年しばしば用いてきている言葉・概念についても言える。
 「混合経済」というか否かは別として(経済学者に任せるとして)、「市場」も「政府」(計画)のいずれも万能ではないことは常識的なことだ。<自由と(公的)規制>の間の具体的な調整こそが<現代国家(自由主義国家・資本主義国家)>の基本的な役割だろう。国と時期によって、どちらにどのように傾斜するかは異なりうる。「市場原理主義」なるものを今は批判している者が、いつかは<政府(公的介入)の失敗>を慨嘆することにならなければよいのだが。

0771/鳩山由紀夫の「友愛」とフランス革命等。

 7/10の日本記者クラブでの会見で、内閣総理大臣(首相)になる現実的可能性がある鳩山由紀夫(民主党)は、次のように述べた。
 1 「政権交代の必然性」の一つは、「世界史の潮流」。①イラク戦争の誤り、②「新自由主義、このある意味で行き過ぎた自由主義経済」の反省、これに関連して③アメリカでのオバマ政権の誕生(「チェンジ」)。もう一つは、「長期政権がもたらしました政治不信」の脱却。①「官僚主導の政治から民主導、国民の皆さんが主役になる政治への転換」。②「中央集権的な政治、…から真の意味での地方分権」、「地域主権」の世へ。③「縦型のいわゆる利権社会を脱して、新たなに横型のネットワークで結ばれた、絆のある社会」が求められている。
 長いコメントはしない。第一点は日本の政権交代とは無関係。「新自由主義」という概念をどう厳密に理解しているかは不明。第二点のうち、「国民の皆さんが主役になる政治への転換」とは、美しい表現かもしれないが、気味が悪く、かつ怖ろしい。「横型のネットワークで結ばれた、絆のある社会」とは、<左翼>的論者が最近よく言っているように推察される表現。
 2.つぎに<国の理念>に触れて、「フランス革命」にこう言及する。
 「この国にはそれなりの理念というものが今、求められているはずだ、と。その理念を友愛と感じた」。「フランス革命のときには自由・平等・博愛という3つが叫ばれたわけでありますが、このときは貴族の社会からいわゆる市民が蜂起をして、独立を勝ち取るための戦いであり、自由も平等もあるいは博愛・友愛もこれは両立し得る状況であったわけでございます。即ち貴族から、市民が独立をするという意味において、自由も求められ、平等も求められ、さらに博愛も求められてきたということでございます」。
 「ございます」の多用は気持ちが悪いことは別として、じつに単純なフランス革命観だ。厳密には、そもそも<「貴族」からの「市民」の「独立」>と表現して適切なのかどうか。
 ほかに、第一。阪本昌成・新・立憲主義を読み直す(成文堂、2008)p.197によると、「三色旗」が革命のシンボルとされたのは1792年以降なので、<自由・平等・博愛>が1789年に始まる「フランス革命」で最初から「叫ばれた」わけではないと見られる。
 第二。鳩山由紀夫の思い描く「友愛」と、フランスでかつて語られた「友愛」・「博愛」は同じ意味なのか。「友愛」又は「博愛」(又は「同志愛」)=Fraterniteとは、当時においては、主義・主張を同じくする<仲間たちとの間での愛情・友情>のことで、当時の欧州諸国家国民を含むような普遍的なものではないとともに、同じフランス国民でも、<革命に敵対する(した)>者たちへの愛情・友情などを意味するものではなかったと思われる。
 「理念」にすぎないと言われればそれまでだが、政治家に対する<テルール(恐怖政治)>も、ヴァンデの反乱(ヴァンデ虐殺)において戦闘員でもなく抵抗もしていないヴァンデ地域(ロアール下流南部)の主として農民家庭の婦女・子ども等を全員<虐殺>=「皆殺し」したことも、世界・欧州に普遍的な、かつフランス国民全員にも通じる「友愛」精神にもとづくものとはとても思えない。
 3.さらに、現代の「自由」と「平等」の関連に触れる。
 「現代社会」になり、「自由…が、いわゆる市場原理主義に委ねられる自由」になると、さまざまな社会に格差というものが生まれた」。「地域における格差、雇用における格差、まさに所得の格差から、教育医療の格差」広がった。「一方で政府に頼りすぎる、政府に依存すると平等という社会」は「非効率、非生産性の社会」に向かう。「自由」も「平等も行き過ぎてはいけない」。その中間、「市場原理主義と政府万能主義の間というものが必要」ではないか。「そこに私はコミュニティとかあるいはボランティアとかそういった考え方が中心となる生き様というものが必ず求められてくる」と思っている。
 この程度の「自由」・「平等」論ならば、問題意識のある高校生でも語れるのではないか。「市場原理主義と政府万能主義の間というものが必要」などの言辞は、誰でも昔から言っていることで、今さら言うようなことではない。「コミュニティとかあるいはボランティアとかそういった考え方」は最近の(「市民派」)「左翼」がよく言っていることだ。
 鳩山由紀夫はかつて理系の研究者(大学教員)で、社会・人文的な基礎的な知識は高校卒業程度であると見て間違いない。戦後の<何となく左翼的な>教科書を高校までに学んで育った優等生だったと思われる。にもかかわらず、この記者会見に見られるような、正常な感覚の持ち主ならば恥ずかしくてあえて語れないようなことを喋ってしまえるのは、鳩山一族の一人で、政治家の血を引いていて、(「天下国家」を語る)政治家の素質が自分にもある筈だというただの傲慢さと、政治家になってから吸い込んだ「市民派」知識と思考によるのではないか、と推察される。
 この程度しか語れない人物が日本国の内閣総理大臣(首相)になってしまうのか。もっとも、自民党も含めて、歴史・(政治・経済・社会)思想についても十分な知識・見識をもった傑出した人物はいるのか、と思い巡らすと、 はなはだ心許ない。

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