産経新聞4/09(ネット上のニュースの日付)に「89歳老学者、38歳橋下知事に『暴挙』と叱る」という記事があった。直木孝次郎らが「府立弥生文化博物館(和泉市)などの存続を求める署名などを再提出」し、府立諸施設の廃止を含む見直しをしている大阪府知事・橋下徹を、直木孝次郎が「秦始皇帝の焚書坑儒にも比すべき暴挙」と叱る記者会見をした、という。
 府立諸施設の見直し問題はともかく(上記博物館は埋蔵物との関係で廃止は困難なようだ)、目を惹いたのは直木孝次郎という名前であり、そして、この産経の記事が、この直木を「難波宮跡の保存運動などで知られる89歳の老学者」、「旧海軍で軍隊生活も経験し」て「歴史に学ぶ重要性を痛感し、日本の古代史研究をリードしてきた」等と、肯定的に紹介していることだ。
 産経新聞が橋下徹府政をどう評価しどう誘導しようとしているかは知らない。また、直木孝次郎がかなり著名な日本史(古代史)学者だったことも事実だろう(大阪市立大→岡山大→相愛大)。
 だが、例えば、先日言及したように、直木孝次郎は日本共産党系出版社刊行の新日本新書で藤谷俊雄=直木孝次郎・伊勢神宮(1991)という共著を出しており、同じく日本共産党系の出版社である青木書店から初期には本を出しているなど、かりに日本共産党員又は日本共産党シンパでなくとも、れっきとしたマルクス主義歴史学者であり、「左翼」だった(たぶん親日本共産党だろう)。
 戦後に活躍した日本史学者はたいていマルクス主義(史的唯物論)の影響を受けて「歴史科学」を標榜したから、直木が特異というわけではない。だが、直木が現役?時代に<左翼>的活動に関与していたことは、さしあたりは推測でしか語らないが(逐一確認する時間が惜しいし、確認のための資料の持ち合わせもない)、1970年代の大阪における社会・共産両党推薦による「革新」知事やその後に日本共産党単独推薦で当選した「革新」知事(黒田了一)の推薦母体の中に、あるいは推薦人の中に「直木孝次郎」の名があるだろうことからも明瞭だ(黒田了一と同じ大学の同僚の時期もあった)。
 何よりも、上記のように、伊勢神宮に関する直木執筆部分は近現代史ではないのでさほど<政治>色は出さず、<史料実証主義>的に書いてはいるが、日本共産党員と想定される元部落問題研究所理事長(藤谷俊雄)と同じ本の共著者になっていることでも、その<政治的・思想的>傾向は分かるだろう。政治的に無色・中立でこんな人とこんな出版社(新日本出版社)から共著を出す筈がない(もともとはやはり「左翼」の三一書房刊)。
 橋下徹は弁護士時代、日弁連の中枢にいる<活動家>弁護士や光市母子殺害事件被告人の<人権派>弁護団を遠慮なく批判していた等の、<保守的>又は<右派>の人物だった。だからこそ、府知事選投票日直前に民主党によって過去の<発言録>を載せたビラが撒かれたりした。
 そういう橋下徹を直木孝次郎が<快く>感じていないだろうことは容易に推測できる。したがってまた、直木が橋下を「叱った」心持ちの少なくとも10分の1程度は、橋下の<保守>・<右派>姿勢に対する反発だったのではないかと思われる。「府立弥生文化博物館」の存続を求める方気持ちの方がかりに強くとも、厳しい言葉による批判の一部は、直木の対橋下感情を示している、と推測できる。
 しかるに、冒頭の記事を書いた産経新聞記者は、以上のようなことは気に懸けず、政治的に中立・無色の「89歳老学者」等として直木孝次郎を描いている。60年代・70年代の時代の雰囲気と直木の当時の活動歴を知らない世代の記者だろうからやむを得ないとは思うが、もう少し勉強+資料収集をしてから記事を書いてほしいものだ(資料のうち人物辞典類自体が「左翼」的で、れっきとした日本共産党員(と見られる者)であっても<リベラルな立場の学者として行動>などと書いてあることがあるから注意が必要だが)。
 呑気にあるいは能天気に直木孝次郎を政治的に中立・無色の「89歳老学者」等と記述した記事は、10分の1程度は、<左翼>を助け、橋下徹をその分だけは不当に傷つけている。