本の他に新聞・雑誌、さらにテレビ番組についても感想等を書いていくと、とても約1000字では足りず、時機を失してしまう。かといって本格的な「ブログ」サイトを維持していく時間的余裕はなく、たぶん能力もない。
 10月29日(日)午前のサンプロの録画の後半を観たが、朝日が「安心」するような安倍首相の「君子豹変」につき櫻井よしこや岡崎久彦に不信又は戸惑いを番組制作者(テレビ朝日だ)は語らせかったのかもしれないが、見事に失敗していたのが面白かった。中川昭一の核武装検討発言も、それと矛盾するかのごとき安倍の発言をフリップでいったん示していながら、塩川、山本も含めて全く当然のことという雰囲気になった。あとで制作者と田原総一朗は少しは後悔したのでないか。スタンスは全く同じではないが、櫻井と岡崎の発言の趣旨はよく分かった。いずれも了解の範囲内だ。
 それにしても、北朝鮮の核実験に関する諸々の問題、周辺事態法適用問題、教育基本法改正問題等もあるのに、「村山談話」と安倍の「歴史認識」の変化?といったテーマを設定する(そしてひょっとして安倍に厭味を言おうとする)とは、テレビ朝日も田原も、いま何が大切な問題かを忘れているのでないか。
 読売1~2面の山崎正和の論稿は予想外に非常によい。この人のは昔、柔らかい個人主義とかを少し囓った程度だが、ここまでハッキリと書ける人とは思ってなかった。
 「ほんとうの危機はこれからである」、法的問題も含めて議論すべき課題が多々ある、憲法のいう「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼』しようにも、それのできない国が目前にある」、「『国の交戦権』を否定したくとも、相手がかってに宣戦布告をしたと認定してくる状況がある」、「『水と平和はただ』という通念を改め、平和を守るために一人ひとりが何をできるかを考えなければならない」、「治安のために市民的自由をどこまで犠牲にできるか、論議を深める必要がある」等々。その通りだ。
 今までとは質的に異なる安全保障環境の時代に入っていることを多くの人々が認識すべきでないか。リアルな把握ができず、観念と言葉を弄び、自分たちの面子がとりあえず立てばよいと考えている(朝日のような)人々を除いて。産経社説は<従軍慰安婦強制連行>肯定の93年「河野談話」の見直しを主張する。この中の「一部マスコミ」は朝日新聞で、これまた内容的に異論はない。