秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

山口定

1632/西尾幹二=藤岡信勝・国民の油断(1996)②。

 西尾幹二=藤岡信勝・国民の油断-歴史教科書が危ない!(PHP文庫、2000.05/原書1996)。
 1995-96年の二人の対談を内容とするこの本で、西尾幹二は「全体主義」について-これは下記の頁ではスターリン、ヒトラー、中国を含むものとして用いられている)、とくに、「運動としての全体主義」、「きわめて能動的な運動としての全体主義」ということを指摘している。p.136。これに対比されるのは、「単なるイデオロギーではありません」ということのようだ。p.136。
 他の本にもあったような気がする。しかし、必ずしも理解しやすい指摘ではない。静態的・状態的にではなく、動態的・行動的に把握すべきとの趣旨だとは分かる。
 しかし、批判しているのでは勿論ないが、昨秋に以下のE・ノルテの本が早くにあることに気づいて、何やら納得した。
 Ernst Nolte, Die Faschistischen Bewegung (独語, 1966).
 これには、つぎの邦訳書がある。しかし、元々の書名は、<… Bewegung>、つまり、<…の運動>が正確だ。
 ドイツ現代史研究会訳・ファシズムの時代/上・下(植村出版、1972)。
 この研究会の代表格は、「訳者あとがき」によると山口定(欧州政治史、立命館大・大阪市立大)だと見られる。
 ともあれ、「ファシズム運動」よりも「ファシズムの時代」の方が、類似の「…時代」と訳せる表題のE・ノルテの書物が未邦訳であることもあり、選ばれたかに見える。
 E. Nolte, Der Faschismus in seiner Epoche(独語, 1963(Taschenbuch, 1984)). 〔ファシズムとその時代=ファシズムの時代(未邦訳)〕
 本体・内容に立ち入らないので、些細な、かつ推測しての、したがって何ら確実性のないことだが、E・ノルテの複数の書物をある程度は読んだ上で、西尾幹二はあえて上のように「運動としての…」ということを強調したかったのではないか。
 リチャード・パイプスはその1994年の著<ボルシェヴィキ体制下のロシア>=Richard Pipes, Russia under Bolshevik Regime (1994)でこう書いていた。試訳は、この欄の3/29付・№1473も参照。
 「1956年にカール・フリートリヒとズビグニュー・ブレジンスキーが発表した、左翼と右翼の独裁制の最初の体系的な比較もまた、歴史的分析というよりも静態的な分析を提示するものだった」。
 ソヴィエト(スターリン?)、ナチスおよびイタリア・ファシズムには共通性がある、つまり一括りできるとたぶん戦後早くに指摘したのだったが、上のごとく「静態的な分析」だとも見られた。
 読まないままで言うのだが、西尾幹二は上記のように、あえて「運動」性を強調している。おそらくは、リチャード・パイプスの上の書物を読んではいない(たぶん、E・ノルテのものは見ている)。
 些細かもしれない情報源探しを、もう一つする。
 西尾幹二は、上の本では(まだ)発見できなかったが、何度か、世界大戦、とりわけ第一次の世界大戦について、ヨーロッパ(欧州)の「内戦」だった、と指摘している。
 この点が重要な論点として選ばれて、指摘されているわけではない。しかし、複数回にわたると、読み手である私の印象に残った。
 たしかに、「世界」大戦を戦った諸国は、第二次とされるものを含めても、多くはヨーロッパ諸国だ。とくに第一次とされるそれは、最初はトルコが、遅れてアメリカと日本が関与しているものの、ほとんど欧州諸国がほとんど欧州の領域内で行った戦争だ。
 <ヨーロッパ内戦>という見方は、十分に首肯できる。また、こういう命名を勝手にして、日本の歴史学もそのまま受容して(させられて)いるのだから、欧州人の<ヨーロッパ=わが世界>という見方がよほど根強いものであるかを感じさせられる。
 今はかつてほどではなく、アジア・日本やイスラム世界への関心は強くはなっているかもしれないが、しかし、欧州又は欧米中心主義はなおも根強いだろう。
 知的世界、学問・研究の分野でも、英語を母国語とする英米(・カナダ)と、ドイツとフランス(・イタリア)およびその他の欧州といったあたりで、いちおうは<完結>しているような印象がある。日本の研究者・読者などは気にすることなく、母国である国の研究者・読者と上の広狭はあるが<欧米>の研究者・読者を意識しておけば足りる。
 日本の学界の閉鎖性・そして世界に(欧米に?)稀な<容共産主義>性は、日本語だけの世界で、日本だけでいちおう<完結>しているためではないか、と思っている。
 また、日本に独特の<特定保守>の存在も、日本語だけで通じさせるしかない、<島国>に特有なことだろう(一般に日本固有のことを否定はしない)。
 学界もメディアも「論壇」も、ある程度の人口と「市場」をもつ日本という国の中で、<閉鎖的に>、<自己完結して>、つまりは日本語の分からない欧米人の批判の目にほとんど全く晒されることなく、活動している。日本共産党なるものの存在もまた、その一つ。
 ソ連解体後に<ユーロ・コミュニズム>もまた解体したことの意味を、ほとんどの日本人は理解していないように思われる。消極的意味での、日本の<特殊性>だ。
 想定外に迂回した。
 世界大戦を「欧州の内戦」と捉えるのは、じつはE・ノルテがずばり行っていたことだった。
 Ernst Nolte, Der europaeische Buergerkrieg 1917 - 1945: Nationalsozialismus und Bolschewismus (独語, 2000). 〔1917年-1945年のヨーロッパ内戦-ナチスとボルシェヴィズム〕
 1917年・「ロシア革命」と1945年・二次大戦終焉=ヒトラー・ナチス崩壊の間の時期を、一つの時代、つまり<ヨーロッパの内戦>の時代と把握する。
 西尾幹二は、これをまた、参照しているのではないか。
 ついでに書くと、E・ノルテはドイツでの<歴史家論争>の一方当事者で、その<歴史観>(敢えて簡潔化すれば、レーニン→ヒトラ-)は、むしろ<多数派>だったのではないかと見られる<左派>のユルゲン・ハーバマス(Jurgen Habermath)らに批判された。
 日本では、ユルゲン・ハーバマスの書物は多数翻訳されていて、岩波書店はこの人の論考類をわざわざ日本で一つにまとめた一冊の書を刊行している。
 しかし、エルンスト・ノルテの上の本は、邦訳書がないまま、15年以上を経た。
 なぜか。ドイツの戦後の書籍の紹介や翻訳でも西尾幹二には奮闘してほしかったと思うのだが、無い物ねだりなのかもしれない。
 西尾幹二を批判しているのではない。立場の違いはあれ、欧州で広く読まれかつ意識されていると思われるE・ノルテ、さらにはフランスのフランソワ・フュレの扱いは、日本では奇妙だ。反共産主義へと進まないようにする、産経新聞社も含む日本のメディア・出版業界での<自主規制>があると考えられる。もちろん、「左翼」学者・研究者が加担しており、朝日新聞社や岩波書店は、それを当然だと思っている。
 <自主規制>。そう、まだ日本は「閉ざされた言語空間」の中にいる。占領が終わって全ての傾向の欧米世界の書籍・論考等が「自由」に流入していると思ったら、大間違いなのだ。
 レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)。この人の「マルクス主義」に関する大著の邦訳書すらない。しかも英訳版発行の1978年から、もうほとんど40年になる。このことを知ったのが、今年になって最も衝撃的なことだった。かなり逸れてしまった。

0748/大月隆寛「『論壇』は歴史的限定を超えられるか」(月刊正論7月号)と「左翼」・日本共産党。

 月刊正論7月号(産経新聞社)のp.240~、大月隆寛「『論壇』は歴史的限定を超えられるか」
 本当にメモ、引用したいのは以下の第三だが、他にもついでに触れる。
 第一に、月刊・諸君!廃刊にかかわり、実質的には(株)文藝春秋批判がある。以下のごとし。 
 (株)文藝春秋は雑誌「文学界」はなお維持する。赤字は同様で経営的視点からは同じ。「文学」畑の老舗との「意地」があるのだろうが、それは「諸君!」には何故機能しなかったのか。
 月刊WiLL(ワック)の如き編集方針でやってみる可能性もあったはず。それができないのは(株)文藝春秋の「プライド」で、「そこまではしたくない、堕ちたくはないという一線」を感じていた。
 「なりふり構わず『保守』ブランドでまだしぶとく商売」するとの<論壇馬鹿>の「心意気など、良くも悪くも初手から無縁」の会社だった。等々。
 大月の指摘のとおり、(株)文藝春秋はこの程度の会社だったと思われる。同業(同様傾向?)各誌・各社による<内輪褒め>・<楽屋褒め>に通じる月刊・諸君!廃刊への<残念>ぶりは白々しい。
 第二に、とくに「論壇」誌編集者と執筆者の<共同体>幻想への批判。
 ノンフィクション・ライターと雑誌編集者が「仲間」・「同志」という気分が感じられるのは気持ちが悪い。大手出版社の編集者ともの書きは「共闘」相手などではとっくになくなっている。
 「学生運動的な、文化祭チックな」「内輪」気分の「共同体」があるとの「勘違い」、出版・ジャーナリズムはただの商売ではない「文化」的事業との「勘違い」。そんな状況は「内側から確実に腐り始めて」いた。
 さて、第三。月刊・諸君!の廃刊とは無関係に、時代認識・時代表現として、興味深い文章が並んでいる。
 ・「ある時期以降」メディアの「左翼的」「もの言い」は、書き話す当人たちにとって「そういうものだから」というだけで「習い性としてやっている程度のこと」。
 ・「学校とその延長線上に連なる空間で、世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説」は「必須」だった。「ある時期までは確実に」。
 ・「学校」や「その繋累の場であるマスコミ周辺」ではその「世渡り作法は長い間温存されて」いた。「実利があればこそ温存されていた」。「サヨク/リベラル系言説を身につけておれば、ひとまずいらぬ摩擦や軋轢を回避しながら、…超伝導のようにあらかじめ設定されたチューブの中を滑走」できたのだ。
 ・小中学校のホームルームでの「耳ざわりのいい」「もの言い」や「立ち居振る舞い」こそが、「反日マスコミ」に象徴される「サヨクぶり」・「プロ市民的もの言い」の発生地点。それは「ある意味で『優等生』の身だしなみ」。「学校」と「その延長線上の世界」、例えば「マスコミ、大学などの学者・研究者から学校の教員、そして役所に医者、弁護士…」、何のことはない、「勝ち組」とも称される「職種の多くは」、「学校民主主義の型通りが跋扈するにふさわしいものになっている」。「反日」の「身振り」はかかる「優等生」たちの「身だしなみ」で、戦後日本の「エリートカルチャー」の「あるコアの部分、でもあった」。
 ・「身だしなみ」である限りいちいち考える必要はない。「マナーとしてのサヨク、…『反日』」。「反日マスコミ」の「反省のなさ」、世間の視線についての「自覚の欠如」は、それほどまでに彼らの「反日」が「単なる習い性」で、「深く考えた上で自覚的に選択されたものではとうになくなっていることの、雄弁な証拠にすぎない」。
 ・「サヨク」は、「特に高度成長期の大衆化をくぐっていく過程」で、「ある『自由』の表象」、「『個人』であることを最も手軽にかつ効率的に身にまとうことのできるアイテムと化して」いった。「お手軽なジーンズみたいなものになった」。
 以上。このあと、「保守」は「大衆アイテム」になれなかった。だが、「少数派」だから「正義」だとの倒錯も生じた、との叙述や「田母神現象」の捉え方等への言及もあるが、省略。
 上の引用・紹介部分は、感じていたことを巧く言葉で表現してくれているようだ。
 法曹(弁護士・裁判官等)・行政官僚・大学教授等の多くが戦後教育の「優等生」である、日本国憲法の下での<平和・民主主義>教育によって彼らはほとんど自然に<何となく左翼>になっている、というような旨は、この欄で私もいく度か述べた。
 大月は「身だしなみ」・「マナー」としての「左翼」(・「反日」)という表現を用い、かつ、「世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説」という表現も使っている。

 「左翼」がかなりの程度において広く「世渡りの作法」になっているという現実は事実として確認しておく必要がある。換言すると、<処世のための左翼>だ。
 だが、それ以上に、あるいは「処世」の中身として、昔風にいうと<立身出世>あるいは<著名人化>するための「左翼」、という者もいることも確認しておく必要があるだろう。
 この場合はたんに「左翼」というよりも、「確信左翼」・「組織左翼」と称してもよく、「左翼」思想ではなく、マルクス主義又は親マルクス主義という語を使った方がより理解しやすくなる。
 そして結局は<処世のため>に、そして<立身出世>・<著名人化>するために、(「綱領」をきちんと理解しているか、「マルクス主義」を本当に<正しい>と言えるかの自信は本当にはないままで)日本共産党に入党するような研究者・文化人等々もいる、ということも広く知られてよいだろう。
 「文化人」ならまだよいかもしれないが、大学に所属する研究者の場合、真の意味における「学問の自由」が彼らにある筈はない。固い枠の中で、真否の判断や発言・執筆内容に<政治的な>考慮を加える「共産党員」研究者は、(米国・英国・ドイツ等に比べると日本には)ウジャウジャと棲息していると思われる。
 少なくとも「深く考えた上で自覚的に選択されたものではとうになくなっている」、「サヨク」・「反日」の<身だしなみ>を持つ者として、NHKの日本デビューの制作者たち(浜崎憲一・島田雄介ら)及び放送総局長・日向英実や会長・福地茂雄挙をげることができよう。
 そういう「左翼」たちを生み出すことに役立っているのが、執筆者に日本共産党員も紛れもなく含まれていると推定される、実教出版の教科書、高校/政治・経済(宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂ほか執筆)でもある。
 大月隆寛の文章を読んで、こんなことまで書きたくなった。

0745/「社会契約説」等、なぜ外来思想が必要なのか、等。

 一 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七七名が表紙に明記されている「執筆・編修」者(全て大学教授又は名誉教授)である実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)p.8以下は、「民主政治」のもとになる理念は「社会契約説」で、その代表的な思想家はホッブズ、ロック、ルソーだとし、「とくに市民革命による民主政治の誕生」に影響を与えたのはロックとルソーだとする。
 この「民主政治」(又は「近代民主主義」)の考え方は日本国憲法に採用され、日本にも基本的に妥当する、と考えられていると思われる。
 だが、かねて感じてきたのだが、「近代」国家にせよ、国家一般にせよ、その成り立ちを「社会契約説」によって説明するのは、日本には馴染まないのではないか。
 言語の異なる多「種族」又は「民族」がいてかつ地続きだった欧州諸国を風土的前提とする「社会契約説」は、ほぼ単一民族で方言はあってもほぼ同じ言語をもつ人々が集団で生きていた島国・日本の「国家」の成り立ちにはあてはまらないのではないか。
 さらにいうと、「社会契約説」などを説かなくとも、日本「国家」は(天皇とともに)古くから存在しており、人々にとって、「国家」の存在は、論じるまでもない所与の前提だったのではないか。
 マルクス主義も含めて、「国家」を外国・外来の<思想>で語る必要はないのではないか。

 二 高坂節三・経済人からみた日本国憲法(PHP新書、2008)には、全部を読んでいないが、興味深い指摘がある。
 1.孫引きになるが、法哲学者・長尾龍一は、日本国憲法につき、「上半身は啓蒙期自然法論、下半身は功利主義」だと表現した。<啓蒙期自然法論>の中にルソーらの社会契約論も入ってくる。
 著者・高坂節三(正顕の子、正嶤の弟)は「現在の国民感情は、上半身がぴったり収まらず、下半身が異常に発達した結果」ではないか、とする(p.224)。
 少なくとも<啓蒙期自然法論>のみで説明するのは無理がある。それを試みるのは、一種の<大嘘>か<偽善>だと思われる。
 2.孫引きになるが、岡崎久彦は某著の中で、クロムウェル時代の英蘭戦争の前の時期の<オランダは「平和主義の国」で、グロティウスを生み、画家たちも「戦争を呪い、戦争の悲惨さを訴える絵画」を描いた。「問題はオランダが、その国是ともいうべき平和主義のために戦争の危険に直面しようとせず、迫る危険に眼をつぶっていたことである」>と書いた(p.219)。
 社民党の福島瑞穂、「戦争の悲惨さを訴える」番組作りに熱心なNHKの関係者等々に読んでもらいたい。

0744/実教出版・高校/政治・経済〔新訂版〕-日本共産党・マルクス主義・「左翼」の浸透2。

 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七の7名を表紙明記の「執筆・編修」者とする実教出版・高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)の一部の内容紹介のつづき。
 4.引用はほとんど省略するが、日本国憲法の称揚。とくに-「日本国憲法は、これらのいずれよりも徹底した軍備廃止を宣言している点で、まさに世界史的意義をもつ画期的なものである」(p.26)。
 5.p.33-他にも類似の文章はあるが、ここでは以下の次の如し-「日本国憲法の平和主義の理念は、まさしく人類共通の指針とされるべき…。…平和主義の理念を全世界の国民の共通財産としてひろめていくことこそが、国際社会における日本の重要な役割のはずである」。
 恥ずかしくなるような空虚な言葉の羅列。美しい「理念」が雑多な諸国に簡単に「ひろめ」られるとよいのだが。
 6.住民基本台帳ネットワークにつき、「個人情報が一元管理することで、プライバシー侵害の危険を指摘する声も強く、住基ネットに加わらない自治体もある」(p.48)。
 これでは、「住基ネットに加わらない自治体」(なお、この態度は法律違反。法律が違憲でないかぎり従うべき)を応援しているようなものだ。「…の危険を指摘」しない「声」は小さかったのか?
 7.引用はほとんど省略するが、①「直接的な住民参加」・②「活発な住民運動」・③「住民投票」制度の称揚。③につき「地域からの民主主義の新しい動きとして注目される」(p.66)。
 これらはイデオロギーとまでは言わなくとも、ありうる「見解・主張」の一つの表明。<直接>民主主義がお好きであるのは、ルソー、ロベスピエールの「人民主権」論、紙の上だけのフランス1793年憲法の影響だろうか。いつか述べたように、<代表>民主主義よりも<直接>民主主義の方が国民・住民にとって<より正しい>・<より合理的な>・<より利益となる>決定を導く保障は全くない。
 他にもまだまだ「左翼」教条的叙述はある。別の回に。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七よ。君たちは、あなたたちは、こんな教科書を作成して成長過程の高校生に特定の「思想」あるいは少なくとも特定の「見解」を注入しようとしていることにつき、<良心の呵責>は感じないのか。広く多様な見解に言及することなく、あるいは触れてもいずれかの見解を支持して誘導することを「教科書」で行ってよいのか。マルクス主義者は「厚顔」なので、心には届かないかもしれないが。

0742/日本共産党・マルクス主義・「左翼」の浸透-1。

 書き写すのは面倒だし、精神衛生にも悪いが、以下の叙述を含む本がある。
 1.「ナチスによるユダヤ人大量虐殺は、ファシズムの非人道的、反民主主義的な性質を示した惨劇であった。日本軍国主義の中国・朝鮮への侵略、南京事件での中国人虐殺や朝鮮人の強制連行なども同じような非人道的行為である」(p.18)。
 第一に、ドイツ・ナチスによる「ユダヤ人大量虐殺」=ホロコースト・ジェノサイドと、「日本軍国主義」によるとされる後段の諸行為は、いかなる意味で「同じような非人道的行為」なのか。ここにはドイツ・ファシズム(ナチズム)と「日本軍国主義」を、同様の「罪」を犯した、似たようなものだった、という印象を与えようとする<大嘘>がある。
 第二に、「日本軍国主義」による①「中国・朝鮮への侵略」、②「南京事件での中国人虐殺」、③「朝鮮人の強制連行」は事実なのか。
 ③は意味不明なところもあるし、①の「朝鮮への侵略」とはいったい何を意味しているのか。<植民地化>という表現自体にも疑問をもつが、<朝鮮侵略>とはいったい何のことか。むろん、中国「侵略」との呼称についても「南京事件での中国人虐殺」という事実についても、異論はある。上のようになぜ断定できるのか。
 2.「こんにちのテロリズムは、…世界の富が一部の国に集中して、イスラム世界やアフリカに貧困や飢餓がひろがり、文化的にも西欧的な価値観や信仰がイスラム文化に破壊的な作用をもたらしたことに対する、恨みの結果だという見方もある。だとすれば、テロを武力だけで封じ込めることはむずかしい。国際社会に寛容や信頼をとり戻すことが、最も基本的な課題だともいえる」(p.20)。
 2001年09.11のテロその他の「自爆テロ」に関係する叙述だが、第一に、テロにも<それなりの根拠>があり、「国際社会」の「寛容」さが「最も基本的」だと主張しているのだから、<テロリズム>に対する<優しさ>が甚だしく、異様だ。
 第二に、福島瑞穂(社民党)か田嶋陽子の言葉の如く、「国際社会」の「寛容と信頼」を「とり戻す」ことが重要なのだという。そのためにどうすべきかを語らないと、美辞麗句を<言うだけ>にすぎない。また、「とり戻す」までに繰り返されるテロによって失われるかもしれない多数の生命については、執筆者はどう考えているのか。
 3.A「憲法改正問題/…『改憲』論議では、憲法9条を『改正』して自衛隊の存在と活動を憲法上明確に位置づけることが一つの大きな争点とされ、また…全面改定を前提とする議論が行われている。一般に、憲法の『改正』とは現行憲法の存在を前提としてこれに部分的な変更を加えることと理解されており、憲法の基本的な原理を大きく変更するような改定や、憲法の全面改正は、『改正』ではなく、『新憲法の制定』とみなすべきとされる。こんにちの『改憲』論は、この観点からからすると、『憲法改正』論ではなく『新憲法制定』論だということになる」(p.25)。
 例を自民党憲法改正案に採ると、同案は現憲法の「全面改定」・「全面改正」案ではない。<白紙>の出発点に立って一から条文自体を変えていくことも「憲法改正」に含まれうると私は考えるが、その点はともかく、上の指摘は自民党憲法改正案にはあてはまらない。とすると、「改正」論ではなく「新憲法制定」論だとの指摘が適切であるためには、「憲法の基本的な原理を大きく変更するような改定」論・案であることを示す必要がある。しかし、例えば現憲法9条が「憲法の基本的な原理」であるとの叙述も説明も何らなされていない。かつまた、現在の憲法学の通説又は多数説において、「改正」できない「憲法の基本的な原理」として憲法9条のいわゆる「平和主義」(の具体的規定内容。当然に第二項を含む)は挙げられていない。
 上の主張は不備・不十分さを含み、かつ憲法学の通説・多数説に反する見解を前提にしていると考えられる。
 3.B(上に続けて)「新憲法の制定は、政治体制の重大な変更をもたらすことになるが、はたしていまの日本でその必要があるのか、そしてなによりも、『新憲法』によってどのような国をつくろうとするのか、といった点についての慎重な議論の積み重ねが要請されよう」(p.25)。
 「新憲法の制定」という表現の問題性は上で述べた。ここでは実質的には「改憲」反対論が明確に主張されている。
 その理由として語られるのは①「その必要があるのか」と②「どのような国をつく」るのか「慎重な議論」が必要、ということで、これでは理由になっていない。改正の「必要」性自体が改憲・護憲の争点なのだから、前者は問いに問いで答えている。
 また、改憲・護憲について(改正の内容も含めて)「慎重な議論」をすればよいのだから、後者もまた何も言っていないに等しい。
 他にも問題のある叙述があるが、別の回に移す。
 とりあえず以上の三点(A・Bを分けると四点)に限る。これらの叙述は、ふつうの何らかの本に書かれていても、とり挙げて批判したくものだ。
 だが、「ふつうの何らかの本」に書かれている叙述ではない。文科省の教科書検定に合格した高校用の「政治・経済」の教科書に書かれている。
 実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)で、表紙に明記されている「執筆・編修」者七名(全て大学教授又は名誉教授)は次のとおり。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七。上の三A・Bは「憲法学者」の浦部法穂(東京大学卒・名古屋大学教授)の執筆だろう。
 誰とは書かないし、書いても推測になるが、これらの中にはほぼ明らかに複数の日本共産党員がいる。そうでなくとも、日本共産党シンパの者であり、マルクス主義者又は親マルクス主義者であり、そして全員が間違いなく「左翼」だ。
 上の1.2.は一つの「イデオロギー」表明であり、3.も公正な叙述ではなく、「改憲」反対という見解の明確な表明だ。
 こうした内容を含む教科書が高校生に「教科書」として読まれている。慄然とする。中学生・高校生の段階で、「左翼」的主張・思想の注入が行われている。
 日教組(民主党系)や全教(共産党系)やこれらに属する教員の活動を問題にしてもよい。だが、より問題にすべきなのは、彼らが教育する<内容>そのものだろう。
 また、より問題にすべきなのは、日教組(民主党系)や全教(共産党系)・これらに属する教員の活動を<指導>している(指導してきた)、大学教授であることが多い<進歩的・「左翼的」>知識人だろう。大学教授たちの活動には<教科書執筆・作成・刊行>も含まれる。
 日教組・山梨県教組出身の輿石某の言動を問題にするのもよいが、より構造的には、「左翼」大学教授による教科書・「教育理論」指導→組合幹部活動家→一般活動家→一般教員という流れのあることを意識しておくべきだ(戦後ずっと基本的には変わっていないともいえる)。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七よ。君たちは、あるいはあなたたちは、上のような叙述を含む教科書の執筆又は作成に関与して、人間として、学者として、恥ずかしくはないのか。人間として、学者としての<良心>はないのか。マルクス主義者は<厚顔>なので、こんな言葉が心に届くとは思っていないが。
 別の回にもさらに言及する。

0223/実教出版・高校政治経済教科書ー憲法は再び浦部法穂。

 6/01に高校教科書、実教出版・高校現代社会に批判的にコメントした。同じ出版社・実教出版高校政治・経済(2007.01発行、2003検定済み)を今回は見てみる。表紙に記載されている執筆・編修者は次の7名だ。
 宮本憲一(大阪市大→立命館大/経済学、1930-)、山口定(大阪市大→立命館大/政治学・政治史、1934-)、加茂利男(大阪市大/政治学)、浦部法穂(神戸大→名古屋大/憲法学、1946-)、菊本義治(神戸商科大→兵庫県立大/経済学、1943?-)、成瀬龍夫(滋賀大/経済学、1944-)、杉本昭七(京都大→阪南大/経済学)。
 この教科書はまず初めの方の2つの写真で驚かせる。
 1.目次の前、表紙裏とその次の2頁を使った世界地図めくって次にあるのは、何と、「沖縄サミット参加の各国首脳へ「基地も戦争もない21世紀」を訴える人間の鎖」と題された嘉手納基地周辺の<人間の鎖>の写真だ。
 これだけで驚いてはいけない。2.第1編・現代の政治の始まりの頁を飾るのは、「同時多発テロへの報復攻撃に反対するワシントン平和集会」の写真で、「プラカードには「目には目という報復主義は、全世界を盲目にする」と書かれている」との解説が付いている。
 この教科書が、<「基地も戦争もない21世紀」を訴える人間の鎖>に参加した「市民」や、「同時多発テロへの報復攻撃に反対するワシントン平和集会」に参加した「市民」を肯定的に評価し、支援していること又は望ましい行動と見なしていることは明らかだ。
 だが、このようにこれら「市民」の行動を評価してよいのか。とりわけ、その旨を高校生用の教科書に示してよいのか、という疑問が湧いて当然だろう。
 とくに上の後者は、「同時多発テロ」への批判的姿勢は全く示すことなく、これに対する米国の行動を掣肘しようとする「市民」を好意的に見ている。朝日新聞がこういうスタンスをとるならば、分からないでもない。だが、高校生用教科書がこんなことでよいのか?
 奇妙と思える叙述は本文の中にもある。
 3.政治学者のいずれか(山口定加茂利男だ)の執筆によると思われるが、<社会主義の誕生と崩壊>との見出しの文章はこうだ。
 「1917年、…社会主義政権…。レーニンらに指導されたこの革命は…。…資本主義国の包囲のなかで社会主義の建設をめざした結果、スターリンのもとで共産党一党支配や自由の制限、少数派の弾圧などが強まり、民主主義が失われた。…1991年、…ソビエト連邦は消滅するにいたった」(p.19)。
 この文章を正確に理解すれば、レーニンの時代には「共産党一党支配や自由の制限、少数派の弾圧などが強」くなかったかの如くであり、「民主主義
」があったかの如くだ。
 意図的なのかどうかは不明だが、レーニンは間違っておらず、スターリンから誤った(社会主義国でなくなった)という現在の日本共産党の主張と同じ叙述の仕方をしている。
 それに引用は省略しているが、この部分の叙述では、なぜソビエト連邦・東欧「社会主義」が崩壊したかの原因がさっぱり解らない。強いて探せば、上記の「スターリンのもとで共産党一党支配や自由の制限、少数派の弾圧などが強まり、民主主義が失われた」という部分しかない。これでは「社会主義」崩壊の理由説明としては不十分だろう。
それに東欧諸国については言及が一切ない。
 
4.将来の展望を書いていると見られる第一編5の中の最後の<民主政治の課題>にこういう文章がある。
 「…このような混乱が、民主政治の発展によって解決できるのか、それとも新たな独裁政治の台頭に道をひらくのかが、21世紀に問われることになる」(p.20)。
 執筆者(山口定加茂利男)は、「新たな独裁政治の台頭
」の具体的イメージをきちんと説明できるのだろうか。また、そもそもこういう対立軸で21世紀の課題を捉えてよいのか。
 これよりも、すぐ下方の次の文章の方が問題かもしれない。
 21世紀の問題は「20世紀の体制や制度の枠をこえた方法で、解決をはからなければならない。地球環境保全の市民運動などに見られるように、国家の枠をこえた地球的民主主義がいま求められている」(p.20)。
 「20世紀の体制や制度の枠をこえた方法」とは「地球環境保全の市民運動」のような「国家の枠をこえた地球的民主主義
」だ、との趣旨のようだ。
 政治学者はもう少しリアルに現実を把握する必要があるのではないか。国連も飛び越えて「国家の枠をこえた地球的民主主義」の提唱とは、大いに笑わせてくれる。かかる「市民運動」賛美意識が1.2.で触れた写真の掲載になっているのかもしれないが、国家の枠をこえ
」ることがまだ困難な時代であることは殆ど常識のことではないのか
 朝日新聞が5/03に<地球貢献国家>とか何とか喚いていたらしいが、この教科書の非現実的・空想好きも朝日新聞に似ている。だが、この本は高校生用教科書だ。美しい、しかし偽善的な」言葉で教育すれば、そのような大人たちがやがてまた育ってくる。
 5.第一編第2章の日本国憲法に関する執筆者は上記のような執筆者・編修者名を見ると、実教出版・高校現代政治と同じく、おそらく、浦部法穂だろう。何点か指摘しておく。
 ア.現憲法の制定過程につき、日本の民間草案発表者として唯一「憲法研究会」を挙げ、「高野岩三郎、森戸辰男、鈴木安蔵ら7人の…研究会。…マッカーサー草案は…これを参考にしたのではないか、ともいわれている」との4行の解説を載せている。
 これはどう見ても「憲法研究会」に肩入れしすぎだ。この研究会については古関彰一・新憲法の誕生(中公文庫、1995)や小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)も触れていて、とくに後者は「押しつけ」論否定の根拠にすらしているが、4/09に書いたように、それほどに評価はできないだろう。
 また、鈴木安蔵は日本共産党員又は少なくとも同党系マルクス主義憲法学者で「ふつうの」学者でないこともすでに書いた。
 高野岩三郎も個人的には天皇制廃止を構想していた、戦後の日本社会党創立に参加した「社会主義」者だ。
 叙述の紙幅を考えると、執筆者があえて高野岩三郎鈴木安蔵等(
森戸辰男についても書けるが省略)の固有名詞を出して叙述するのは<異様>で、執筆者の何らかの政治的意図すら私は感じる。
 イ.「唯一の被爆国として、非核3原則を堅持し、さらには、全世界の核廃絶にむけて努力することが求められよう」と書く。
 これは一つの主張・考え方だ。教科書に書くべきではないと思うし、又はもっと抑制的な文章であるべきだ。
 上の点を除くと、すでに実教出版・高校現代社会の浦部法穂執筆(と見られる)部分について書いたのと同様のことが言える。なぜなら、文章までよく似ていて、又は殆ど同じで、現代社会の教科書に書かれていることが、政治経済の教科書にも書かれているからだ。
 すなわち、ウ.「日本国憲法は、…徹底した軍備廃止を宣言している点で、まさに世界史的意義をもつ画期的なもの」だと(p.25)、九条二項が積極的・肯定的に高く評価される。
 エ. 現代社会の教科書にはこう書かれていた。-「日本国憲法の平和主義は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」」したもので、「国際社会の現実」はかかる「全面的な信頼関係には、まだ遠い」ことから、「ときに非現実的だとの批判を受けることもあった。しかし、…日本の地理的条件は…大きな弱点である。また、日本は、食糧やエネルギーの大半を輸入にたよっているから、諸外国との友好関係を維持していかなければ、国民生活は成り立たない。こうした実情を考えると、軍事力によって日本の安全を確保するという考え方の方が、むしろ現実性に乏しいとさえいえるのである」。
 今回見た政治・経済の教科書にはこう書かれている。
 「国際社会の現実」は憲法が前提とする「全面的な信頼関係には、まだ遠い」ことから、「ときに非現実的だとの批判を受けることもあった。しかし、…平和主義はたんなる理想論ではない…。とくに、…日本の地理的条件は…大きな弱点である。また、日本は、食糧やエネルギーの大半を輸入にたよっているから、諸外国との友好関係を維持していかなければ、国民生活は成り立たない。こうした実情を考えると、軍事力によって日本の安全を確保するという考え方の方が、むしろ現実性に乏しいとさえいえるのである
」(p.31-32)。
殆ど同じ文章だ。
 殆ど同じ文章であることを問題にしているのではない。むろん、その内容が問題だと改めて感じている。上の部分についてはすでに6/01で批判したので反復しないが、6/01と同様に、こう書いておきたい。
 「大学の学者たちよ、おそらくは浦部法穂氏よ、決して一般的・客観的ではない自分の主張を、教科書を利用して、その中に潜りこませるな。
 こうして改めて(一部だが)高校教科書・政経の中身を見てみると、「左翼」又は日本共産党系ではないかと推測される大学の学者たちが、堂々と教科書を書き、それが全国のある程度の高校で使われているのが明確だ。
 教科書として採択される(その前に検定を受けて合格する)という方途を通じて、日本共産党系又は少なくとも「左翼」の考え方が、高校生の頭の中に注入されている
 日本共産党系又は少なくとも「左翼」は、教科書の世界では完全に「体制内」化している。特定の<イデオロギー>の持ち主が大学教授との肩書きに隠れて、それを利用して、正規の教科書に自分たちの特定の考え方を堂々と叙述している。
 思わず哄笑したくなるほどに?怖ろしい現実だ。
 日本共産党や朝日新聞を好ましく思わない方々の子女が現在高校生で、かつ政経・現代社会の教科書が実教出版のものであれば、<用心>するにこしたことはないだろう。

0059/「『平和への結集』をめざす市民の風」の「平和共同候補・共同リスト実現運動」とは?

 宮地健一氏のHPの中の彼の叙述等から、憲法改悪阻止の運動の現状の一端を紹介しておこう。
 宮地は「憲法改悪阻止」の勢力を参院・衆院にどうやって当選させるかが重要な「運動段階」の一つだとし、次のように書く。
 「9条の会」と「平和共同候補・共同リスト実現運動」という「2つの市民団体が活動し始めて」おり、「両者は、共同して活動できる路線・政策レベルにある」。しかし、今年になっても「共産党は、(1)「9条の会」の側のみを支持し、それを草の根運動と高く評価した。下部の全国自治体で結成され、活動している「9条の会」に共産党支部・党員が大量に参加するよう指令を出している。しかも、…共産党批判者・除名者を、呼びかけ人から排除しようと策動している。一方、(2)「平和共同候補・共同リスト実現運動」にたいし、詭弁を使って、敵対してきた」。
 そして、「このような憲法改悪阻止運動における分裂路線は正しいのか」、と批判的・懐疑的だ。
 「憲法改悪阻止運動」を私は応援したくないので、宮地とは異なり、「平和共同候補・共同リスト実現運動」なるものは何かにむしろ関心が向く。
 同HPによると、次のようだ。
 この運動の主体は「「平和への結集」をめざす市民の風」という名称の会らしい。そして、「平和憲法が極めて深刻な危機に瀕している今、憲法の平和主義を守り活かす“活憲”のために、国や地方の政治における「平和への結集」が必要だと私たちは考えます。「①平和・環境、②社会的公正、③選挙制度の抜本的改革」の実現を基本的な目的として共有し、市民の手により「平和共同候補や平和共同リスト」などを実現する大運動を提案」している。
 「共同代表」三名は、「岡本三夫(広島修道大学名誉教授)、きくちゆみ(グローバル・ピース・キャンペ-ン)、小林正弥(千葉大学、地球平和公共ネットワーク)」。
 「代表呼びかけ人」は以下。「愛敬浩二(名古屋大学大学院法学研究科教授、憲法学専攻)、五十嵐仁(法政大学教授)、池住義憲、池邊幸惠、稲垣久和(東京基督教大学教授)、色平哲郎、浮田久子、内山田康)、岡村孝子(戦争非協力・無防備地域条例をめざす藤沢の会)、岡本厚「世界」編集長)、岡本三夫(広島修道大学名誉教授)、嘉指信雄、加藤哲郎(一橋大学教員)、神谷扶左子、河内謙策(弁護士)、きくちゆみ、北村実(早稲田大学名誉教授)、君島東彦(立命館大学教授、非暴力平和隊国際理事)、金城睦(弁護士、沖縄平和市民連絡会共同代表)、小林正弥(千葉大学、地球平和公共ネットワーク)、佐々木寛(新潟国際情報大学助教授)、瑞慶山茂(弁護士、軍縮市民の会・軍縮研究室事務局長)、竹村英明、中山武敏(弁護士)、長谷川きよし(歌手)、平山基生、星川淳(作家・翻訳家、グリーンピース・ジャパン事務局長)、武者小路公秀(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター所長)、毛利子来(小児科医)、山下けいき (2006年3月17日現在)」(()書きを全部又は一部省略した場合がある)。
 さらに、「呼びかけ人」は以下。「相澤恭行、青英権、青柳行信、浅野禎信、朝日健太郎、天木直人(元外交官)、荒川純太郎、有馬克子、飯田哲也、井奥まさき、石田吉夫(弁護士)、市川守弘(弁護士)、伊藤成彦(中央大学名誉教授)、今泉光司、上原公子(国立市長)、上村雄彦、内田雅敏(弁護士)、内山隆、江尻美穂子、太田隆徳(弁護士)、大築準、大野拓夫、大橋巨泉(著述業)、岡田政和(弁護士)、小川真吾、奥平康弘(東京大学名誉教授、憲法学)、尾花清(大東文化大学文学部教授、日韓教育フォーラム編集長、日韓平和教育研究会事務局長)、おんちはじめ、笠松健一(弁護士)、樫聡、桂敬一(立正大学講師)、桂睦子、加藤節(成蹊大学教授)、鎌田東二、鎌田信子、川口創(弁護士、イラク派兵差止訴訟弁護団事務局長)、川崎けい子、川崎直美、川田悦子(元薬害エイズ原告団副代表)、川田龍平、川本隆史(東京大学大学院教育学研究科・教員)、北川隆吉(名古屋大学名誉教授、東京自治問題研究所)、北野弘久(日本大学名誉教授)、木村朗(鹿児島大学教員、平和学)、木村公一、久保田弘信、熊谷伸一郎、倉澤七生、小出昭一郎(元山梨大学学長)、こうちあきお、後藤道夫(都留文科大学教員)、小西誠(社会批評社代表、軍事批評家)、紺野茂樹、金野奉晴、阪本公一、笹田参三(自由法曹団)、佐高信(評論家)、佐藤昭夫(早稲田大学名誉教授)、佐藤修、佐藤和夫(千葉大学教育学部教授)、佐藤真紀、佐藤研(立教大学教員)、さとうももよ、椎名誠(作家)、重松壮一郎、柴山健太郎、嶋﨑英治、島田広(弁護士)、志水紀代子(追手門学院大学教員)、秀海、新海寛(信州大学名誉教授)、杉浦英世、鈴木敦士(弁護士)、高木吉朗(弁護士)、高橋道郎、高村耕一郎、高柳美知子、田口富久治(名古屋大学名誉教授)、田口房雄、田島隆、辰巳玲子、田場暁生(弁護士)、千葉眞(国際基督教大学教員)、千早、堤江実、堤未果、鶴田満彦(中央大学名誉教授)、デジャーデンゆかり、土井香苗(弁護士)、督永忠子、豊島耕一(佐賀大学教授)、戸田清(長崎大学助教授)、富崎正人(弁護士)、冨田哲秀、豊田義信、豊永恵三郎、仲佐秀雄、中野たかし(彫刻家)、中村和雄(弁護士)、中村俊一、中村政則(現代史研究者)、永山利和(日本大学教授)、なだいなだ、ななおさかき、西岡由香、西尾漠、西田清志、新田穂高、萩尾健太(弁護士)、林真由美(弁護士)、樋口健二、久松重光、平野慶次(日本ホリスティック教育協会常任運営委員)、平本憲孝、平山知子(弁護士)、廣瀬方人、廣瀬理夫(弁護士)、福澤定岳、福島理可、藤田秀雄(立正大学名誉教授)、藤田英典(国際基督教大学教授)、布施哲也、舟越耿一(長崎大学教授)、外間喜明、星野ゆか、細井明美、堀内良樹、堀越由美子、本多誠朗、前田哲男、松井英介、松元保昭、南研子、南定四郎(日本同性愛学会会長)、宮尾耕二(弁護士)、宗藤尚三、森川明(弁護士)、森口貢、森田茂(弁護士)、矢澤修次郎(一橋大学教員)、柳瀬宏秀、山口長志、山口孝(明治大学名誉教授)、山口直哉、山口幸夫、山崎久隆、山田秀樹(弁護士)、山本俊正、山脇直司(東京大学教員)、湯浅一郎、吉田収(東洋大学教授)、吉村誠司、若井和子、渡辺一枝」。」(()書きを全部又は一部省略した場合がある)。
 さらになお、「賛同人」なるものも列挙されている。以下のとおり。「相澤一行、青木護(弁護士)、青崎百合雄、青山治城(神田外語大学教員)、阿久津孝志、浅田眞理子、浅野誠、安倍徹郎(放送作家)、阿部愛奈美、鮎川ゆりか(WWFジャパン)、荒井潤・リン、生田あい、池側恵美子、池田恵美子、池宮城紀夫(弁護士)、石岡イツ(いせ九条の会事務局員、自衛隊イラク差止訴訟原告)、石垣敏夫、石坂俊雄(弁護士)、石橋行受、泉澤章(弁護士)、市川達人(獨協大学講師)、市川利美、いちじゅ(ひきこもり九条の会)、一ノ瀬佳也、伊東幸子、伊藤純子(葉山町議員)、伊藤洋典(熊本大学)、伊藤幹郎(弁護士)、岩佐しのぶ、伊和佐晴香(作家)、岩田信介、岩田泰大、岩間一雄(岡山大学名誉教授)、上野恵子、碓井敏正(京都橘大学教授)、内海愛子(恵泉女学園大学教授)、内畠いおり、内村博信(千葉大学教員)、生方卓(明治大学教員)、榎本信行(弁護士)、遠藤富美夫、及川信夫(弁護士)、大窪一志、大久保雅充、大坂健(國學院大学教授)、大島正裕、太田啓子(弁護士)、太田光征、大塚要治、大富亮、大野まさき(武蔵野市議)、大畑豊(非暴力平和隊・日本(NPJ))、大山美智子(弁護士)、荻野晶子、奥地圭子、奥村知亜子、奥本京子(大阪女学院大学、トランセンド研究会)、小倉英敬(八王子憲法9条の会会員、国際基督教大学講師)、小関眞(弁護士)、OTO、小野洋、小野弘忠、海渡雄一(弁護士)、鹿島さゆり、片岡平和、加藤協子、加藤千代、鹿沼博史、金子なおか、金子由美子、上遠岳彦(国際基督教大学教員)、榊山惇、河合良房(弁護士)、川上徹(同時代社)、川口雅子、川崎哲、川嶋京子、川西玲子、神田香織、北西允(広島大学名誉教授、政治学)、木下達雄、木村英亮(横浜国立大学名誉教授)、金鳳珍(北九州市立大学外国語学部国際関係学科)、久保田穣(大学教員)、鞍田東、黒澤計男(弁護士)、黒澤利時、小池拓也(弁護士)、神野志隆光(東京大学大学院教授)、郡山総一郎、古今亭菊千代、児島一裕、古長谷稔、小中陽太郎(作家、日本ペンクラブ)、小貫大輔(東海大学教養学部国際学科助教授(2006年4月より))、小林善樹、小林保毅、近藤ゆり子(「9条の会・おおがき」世話人の一人)、齋田求(弁護士)、齋藤純一(早稲田大学教授)、斉藤日出治(大阪産業大学)、佐伯昭夫、坂井興一(弁護士)、坂元洋太郎(弁護士)、崎山比早子、笹本潤(弁護士)、貞兼綾子、さとうしゅういち(広島瀬戸内新聞経済部長)、座波次信、塩田直司(弁護士)、シキタ純、篠原常一郎、篠原敏武、柴垣和夫(東京大学・武蔵大学名誉教授)、島村輝(大学教員)、しみずさつき、清水正博、下山房雄(九州大学名誉教授)、末次圭介、杉田明宏(大東文化大学教員)、杉山百合子、菅野昭夫(弁護士)、鈴木かずえ、鈴木和子、鈴木規夫(愛知大学教授)、鈴木秀幸(弁護士)、鈴木怜子、瀬川文子、攝津正、芹沢寿良(高知短期大学名誉教授)、平志朗、タカシ/agian blue、高橋君江、高橋秀典、高橋祐吉(専修大学教員)、高細玄一、瀧口道生、瀧波雅彦、竹内久顕(東京女子大学教員)、竹林伸幸、田崎透、伊達純、田中優、田中良明(大学教員)、田辺伸、塚本奈緒、辻信一、対馬労(東京平和委員会理事)、寺尾光身(元理系教員)、寺山秀行、田悟恒雄)、田一、土井桂子(「第九条の会ヒロシマ」世話人、ヌチドゥタカラ、藤堂正基、東本高志、徳田均、戸塚秀夫、栃本和雄、渡植貞一郎、富山洋子、友田良子、友光健七(弁護士)、戸谷茂樹(弁護士)、豊川慎(東京基督教大学教員)、中川一郎、中里英章、中嶌哲演、永瀬友貴、仲宗根香子、中野芳彦、中原照代、仲松正人(弁護士)、中村俊、中森俊久(弁護士)、南雲和夫(法政大学社会学部兼任講師)、奈良勝行、成澤宗男(「週刊金曜日」編集員)、成見暁子(弁護士)、新倉修(青山学院大学教授)、西川房之介、西口徹、西嶋佳弘、西田照見(立正大学名誉教授、社会思想史)、西脇尚人、沼尻明子、根本博愛(四国学院大学教授)、野上恭道(弁護士)、野崎敬子、野田隆三郎(岡山大学名誉教授)、野間美喜子(弁護士)、野村修身、萩倉良、長谷川順一(新宿平和委員会会長)、ハベレイコ、早川弥生、林博史(関東学院大学教授)、原和美、原義弘、春田紀子、伴英幸、日隅一雄(弁護士)、秀村冠一(京都女子大学教員)、平子友長(一橋大学教授)、平山正和(弁護士)、ビル・トッテン((株)アシスト代表取締役)、福島理可、福山和人(弁護士)、藤井治夫(軍事評論家)、藤井未佳、二瓶敏(専修大学名誉教授)、二見孝一、堀尾輝久(東京大学名誉教授)、前田朗(東京造形大学教授)、前田惠子、正木高志、益岡賢、桝田伸次、松浦望、松枝佳宏、松岡康毅(弁護士)、松澤敏彦、松田健、松田敏、松田直美、松田博(立命館大学教員)、松宮光興、松宮玲子、松本篤周(弁護士)、松本英揮、間彦博之、三浦聡雄、三上昭彦(明治大学教授)、水谷敏彦(弁護士)、水鳥方義、宮内康浩(弁護士)、宮崎さゆり、宮本修一、milky@金沢、向井雪子、宗邦洋、毛利亮子、森史朗、森瀧春子、森田ゆり、森貘郎、諸橋泰樹(フェリス女学院大学文学部)、門永三枝子、八重樫好、安田節子、保田行雄(弁護士)、柳田真、山川亜希子、山口定(大阪市立大学名誉教授・立命館大学名誉教授、政治学)、山崎耕一郎、やまだちえ、山田安太郎(弁護士)、山本茂、山本武明、山本満登香(大学教員)、湯川れい子(音楽評論家・作詞家)、吉田敦彦(大阪府立大学)、吉田淳一、吉水公一、米倉勉(弁護士)、若松英成(弁護士)、渡辺葉子」。」(()書きを全部又は一部省略した場合がある)。
 大学所属者と弁護士はすべて()を残したが、これらの職種の他、反戦・反核・環境問題等のNPO関係者も僧侶・牧師等の宗教関係者も目につく(天木直人という不思議な人もいる。知っている名は太字にしたが他にも著名人はいるかもしれない)。そして、佐高信、「なだいなだ」、小中陽太郎のように非共産党系「左翼」人ではないかと見られるが人がいるのは確かだ。だが、確証はないものの共産党系学者・知識人と思われる人もおり、「九条の会」関係者でこちらの呼びかけ人・賛同者になっている者もいる。例えば、奥平康弘は九条を考える会呼びかけ人9人の1人だ。
 従って、少なくともこのリスト作成時点では日本共産党員又は同党支持者も含まれていると推察される(そして、最初に紹介されるような同党の方針が明らかになると、こちらを「脱退」した人もいるだろう)。田口富久治は著名な政治学者でかつて一時期は党員だったと推察されるが、現在は、親共産党、非共産党、反共産党、いずれの立場なのかはよく判らない(最近の彼の文章を読むと解るかもしれない)。
 いずれにせよ、頭書の情報ソースによるかぎりは、こうした非共産党系の人々を含む「憲法改悪阻止」団体との<共闘>を日本共産党は拒んだわけだ。川上徹とは、1970年代に「新日和見主義者」とされ「査問」を受け現在は離党している人だと思うが、そのような元党員たちをこの団体はかなり含むのかもしれない。そして、政治的に真っ白で「無垢」な、将来に日本共産党に接近して党員になる可能性がある者たちよりも、マルクス主義や共産党のことをある程度詳細に知っているが共産党を離れた者をはるかに「敬遠し」、「毛嫌い」するのが、日本共産党という組織だ。そのような者が過半数を占めておらず、かりに数%であっても、日本共産党は「共闘」を拒むと思われる。そのような例はこれまでも、事情は同一ではないが、反核運動等々の「大衆」運動についてよく見られた。
 いったん日本共産党に接近しながら(とりわけ入党しながら)離れた者を同党は絶対に許さない(と想像している)。かかる体質・神経はいったいどこから来るのだろう。よくわからないが、組織の「純粋性」を維持したいのか、それとも(同じことだが)同党の「内部」をある程度知って「秘密」を覗いてしまったがのちに離れた者とは、「汚らわしく」感じて、もう関係をもちたくないのか。いくつかの氏名を見ながら、不思議で、傲慢な政党だと、つくづく考える。

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