秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

展転社

2150/西尾幹二の境地-歴史通・月刊WiLL2019年11月号別冊④。

  西尾幹二=岩田温「皇室の神格と民族の歴史」歴史通・月刊WiLL11月号別冊(ワック)。
 西尾発言、p.219。
 「女性天皇は歴史上あり得たが、女系天皇は史上例がないという認識は、今の日本で神話を信じることができるか否かの問いに他なりません。」
 ①「神話」とだけ言い、日本書記や古事記の名を出さないこと、また②「神」という語が付いているが、神道等の「宗教」にはいっさい言及しないこと。これらにすでに、西尾幹二の<言論戦略>があると見られる。これらには別途触れる。
 上の、神話→女系天皇否認、というこの直結はほとんど信じがたいものだ。
 かりに神話→万世一系の天皇、を肯定したとしてもだ。
 しかし、神話→女系天皇否認、ということを、西尾幹二は2010年刊の書で、すでに語っていた。
 西尾幹二・GHQ焚書図書開封4/「国体」論と現代(徳間文庫、2015/原書2010)。
 文部省編・国体の本義(1937年)を読みながら解説・論評するふうの文章で、この中の「皇位は、万世一系の天皇の御位であり、ただ一すじの天ツ日嗣である」を引用したのち、西尾はこう明言する。p.171(文庫版)。一文ごとに改行。
 「『天ツ日嗣』というのは天皇のことです。
 これは『万世一系』である、と書いてあります。
 ずっと一本の家系でなければならない。
 しかもそれは男系でなくてはならない
 女系天皇では一系にならないのです。」
 厳密に言えば文部省編著に賛同しているか否かは不明であると言えるが、しかしそれでもなお、万世一系=女系天皇否認、と西尾が「解釈」・「理解」していることは間違いない。
 ひょっとすれば、2010年以前からずっと西尾はこう「思い込んで」きて、自分の思い込みに対する「懐疑」心は全く持とうとしなかったのかもしれない。これは無知なのか、傲慢なのか。
  万世一系=女系天皇否認、と一般に理解されてきたか?
 通常の日本語の解釈・読み方としては、こうはならない。
 しかし、前者の「万世一系」は女系天皇否認をも意味すると、この辺りの概念・用語法上、定型的に理解されてきたのか?
 結論的に言って、そんなことはない。西尾の独りよがりだ。
 大日本帝国憲法(1889)はこう定めていた。カナをひらがなに直す。
 「第一條・大日本帝國は萬世一系の天皇之を統治す
  第二條・皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を繼承す」
 憲法典上、皇位継承者を「皇男子孫」に限定していることは明確だが、かりに1条の「萬世一系」概念・観念から「皇男子孫」への限定が自動的に明らかになるのだとすると、1条だけあればよく、2条がなくてもよい。
 しかし、念のために、あるいは「確認的」に、2条を設けた、とも解釈できなくはない。
 形成的・創設的か確認的かには、重要な意味の違いがある。
 そして、結論的には、確認的にではなく形成的・創設的に2条でもって「皇男子孫」に限定した(おそらく女系天皇のみならず女性天皇も否認する)のだと思われる。
 なぜなら、この旧憲法および(同日制定の)旧皇室典範の皇位継承に関する議論過程で、「女帝」を容認する意見・案もあったところ、この「女帝」容認案を否定するかたちで、明治憲法・旧皇室典範の「皇位」継承に関する条項ができているからだ。
 「万世一系」が「女帝」の否認・排除を意味すると一般に(政府関係者も)解していたわけでは全くない。
 明治憲法制定過程での皇位継承・「女帝」をめぐる議論は、以下を読めばほぼ分かる。
 所功・近現代の「女性天皇」論(展転社、2001)。
 とくに、上掲書のp.25~p.45の「Ⅰ/明治前期の『女性天皇』論」。
 ***

2099/所功・近現代の「女性天皇」論(2001)。

 所功・近現代の「女性天皇」論(展転社、2001)。
 今日での皇位継承論というのは現行の皇室典範(法律)の維持・改廃に関する議論とほぼ同じだ。
 男系限定・女系否認か女系容認かは現代日本の世論・政治的論議を分ける最大の分岐点などとは考えていない。広い意味での「保守」の内ゲバのようなものだと思ってきたから、切実な関心を持ってきたわけでもない。
 しかし、男系限定・女系否認論者の、つまりは日本会議系の論者の「ウソつき」ぶり、政治的な党派づくりぶりを気味悪くは感じてきた。
 というわけで相当に遅くなってはいるが、上掲の所功著を手にして一瞥して、なるほどと非常によく分かることがある。
 2001年段階での所功の主張・見解だと断っておくが、「あとがき」によると、所のこの時点での「今後とも皇位世襲の原則を確実に保持」するための提言は(この目的は現憲法と合致する)、「皇位継承資格者の範囲を、可能なかぎり広げる」ことで、つぎの三つ(必ずしも相互排他的ではないとみられる)が考えられる、という。上掲書、p.198。
 「内親王(および女王)が一般人と結婚されても、皇族身分に留まることができるよう女性宮家を作り、その皇族女子(男系女子)のみを有資格者に加える」。
 「その女性宮家の所生(女系の男子)まで含める」。
 「旧宮家の所生男子を皇籍に復して男性宮家を増やす」。
 この③も加えられているので、この点では櫻井よしこ・西尾幹二らと異なるところはない。
 但し、①や②の主張が、女系否認論者には「許し難い」「敵」と見られているのだろう。
 天皇・皇族の「公務」負担の軽減という観点からすると、結婚した内親王(女王)が皇族でなくなるのを避けて、婚姻後も「皇族」の一員として天皇・皇室の「公的」行為を補佐する、というのも考えられる。
 そのかぎりだけの「女性宮家」容認論というのは、制度設計としては成り立つと思われる。婚姻相手の男性をどう処遇するかという問題は残っているものの。
 このように漠然とは思い、女性宮家容認は女系天皇容認の先兵理論だなどという批判の仕方をいかがわしく感じてきたが、上の①は少なくとも女性天皇容認、②は女系天皇容認の見解だと分かる。
 だからといって、これら所功の見解に反対する必要もない。
 女系天皇断固否定論には、例えば西尾幹二が「神話」を持ち出したり、あるいはほぼ一般的にかつての女性天皇を「中継ぎ」または「応急避難的」だったとして歴史を歪曲する等の欠陥がある。
 この問題についてかつての日本・天皇の歴史が決定的な手がかりを提供するものではないとしても(それぞれにときどきの現実的問題として対処しなければならない)、しかし、今日の女系天皇否定論とは違って、明治期の皇室典範の制定過程では女性・女系天皇容認論もあり井上毅らの否定論で決着したことなど、明治期にも多様な議論があったらしいことはきわめて興味深い。当然ながら、かつての女性天皇の存在・発生理由についても、検討が行われた(これは敗戦後に現憲法に併せて現皇室典範を制定した-男系の男子限定では旧皇室典範と同じ-ときも同様)。これらをこの書は記しているようだ。
 まだきちんと読んでいないが、こうしたかつては存在した、かつての女性天皇の存在・発生理由を含めての検討を、おそらくは今日の男系限定・女系否認論者は行っていないだろう。男系男子にかつては限定することのできた事情(上掲書p.197参照)についても同じ。
 <男系限定・女系否認>論だけが<真の保守>、女系天皇容認につながる議論をするのは天皇制度廃止論者だ、「左翼」だ、などと喚いているのは、知的でも理性的でもない。せめて、明治維新後の旧皇室典範制定までにあった議論くらいは、今日でも(その維持・改廃を問題にするかぎりは)行う必要があるだろう。
 というわけで、この書は全部、きちんと読んでみる。一瞥のかぎりで、かつての各女性天皇の存在・発生の経緯について、秋月とは異なる理解が政府関係者によって語られたりしているようであるのも、シロウト論議ながら、検討する価値があるというものだ。

1257/田中英道の新著と佐伯啓思の「天皇制」論。

 田中英道・戦後日本を狂わせた左翼思想の正体(展転社、2014.10)の中に、2013年に皇太子退位・皇位継承を論じた山折哲雄と山折論考は「たいへんに大事な問題を提出しようとしている」と受けとめた佐伯啓思論考(新潮45、1913年4月号)への簡単な論及がある(p.209-210)。
 田中は、山折や佐伯の議論は<「近代」主義者の見解>、あるいは<社会主義者ではなく「近代」主義の立場に立った近代リベラル立場のものだ>とほぼ断定している。田中によると、ここで「近代リベラル」とは「権力や権威から自由な立場に立とうとする、相対的な態度」のことらしい。

 八木秀次が憲法学者・佐藤幸治を「近代主義」者と称していた又は評していた記憶はあるが、私自身はこの「近代主義」なるものの意味はよく分からない。<近代リベラル>も同様だ。大まかには、社会主義者・マルクス主義者(明確なシンパを含む)ではないが、<明確な?>「保守主義」者でもない、という意味なのだろうか。
 上の点はともかく、佐伯啓思については、「日本」や「愛国」を論じながら、「天皇」や「神道」あるいは日本化された仏教への言及がはなはだ少ない、という感想をもち、その旨この欄で記したこともある(但し、正確な内容は思い出せない)。戦前の浪漫主義・西田幾多郎哲学等よりも、日本に固有の天皇や神道(・日本化された仏教)に、その歴史も含めて立ち入らないことには「日本」も「愛国」も語り得ないのではないか、という考えは今でも変わりはない。
 あらためて佐伯啓思の新潮45昨年4月号の論考を瞥見してみると、田中英道が問題視しているごとくであるように、<国民の意思によって天皇制を廃止することも可能だ>旨の指摘・叙述が複数回あって、強調されている。また、「天皇制」という概念用法はともかく、天皇位が「世襲」のものであることは、いわば<世襲の象徴天皇制>は憲法で定められており、国民の意思により変更可能であっても憲法改正によらざるをえないこと、その他の皇位継承のあり方を含む諸論点は国民代表議会による法律で改廃が可能であることが明瞭には区別されず、ともに「国民の意思」による改廃可能性が語られていることも気になる。
 もっとも、憲法1条は皇位が「主権の存する日本国民の総意に基づく」と明記しているので、現憲法を無視しないかぎりは(無効とみない限りは)、佐伯啓思の理解が誤っているわけではない。憲法学者もおそらくすべてがそう解釈しているだろうし、かつ親コミュニズムの学者たちは(日本共産党のように現時点において明確に主張しないものの)将来における天皇制度廃止(憲法14条違反??)を展望しているだろうし、立花隆もまた憲法改正による「天皇制」廃止の可能性を憲法1条を根拠として強調していた。

 佐伯啓思は日本の「天皇制」という政治制度は「おそらく世界に例をみない」と述べつつ、だからといって素晴らしいとも廃止すべきだと言うのではなく、この独自性をわれわれは知っておく必要がある」とのみ述べる(前掲p.332)。この辺りも、佐伯自身の中には「天皇制」尊重主義?はなく、距離を置いた、<相対>主義?だとの印象を与える原因があるかもしれない。
 もっとも、田中英道のように簡単に切って捨ててしまうのも問題があるだろう。佐伯啓思は、日本の天皇制度の特質の三つ、第一に、世襲制、第二、政治権力からの距離(祭祀執行者)、第三、「聖性」のうち、戦後は第三の、「聖性」を公式には喪失している、とする。佐伯による日本の天皇制度の歴史の理解は戦後の歴史教科書による、ひょっとすれば、陳腐で<左翼>的に誤っている可能性がなくはないとも感じるのだが、専門的知識の乏しい私はさておくとして、上の指摘はほぼ妥当なものではないだろうか。<祭祀執行>(むろん神道による)についても戦後憲法のもとでは天皇(又は天皇家)の「私的」行為としてしか位置づけられていないという問題点があることも、そのままではないが佐伯は触れている。
 そして、結論的には佐伯は、国民が<祭祀王としての天皇をフィクションとして承認する>か否かに天皇制度の将来はかかっている旨述べる。「王」という語の使い方は別として、この主張も、私には違和感がない。
 上のことを国民が承認するとすれば、現在の憲法上の天皇条項の内容や政教分離に関する条項の改正、すなわち、佐伯は明言していないが、憲法改正が必要になる。そして、そのようにすべきだと-神道祭祀を公的に位置づけ、政教分離原則の明瞭な例外(またはこの原則がそもそも妥当しないこと)を認めるべきだと-私は考える。
 元に戻れば、少しすでに触れたように、田中英道のように簡単に切って捨ててしまうのはいかがなものか、という気がする。すべてではないにせよ、<保守派>の議論には憲法・法律・行政制度等々についての知識・素養を欠く、もっぱら原理的・精神的な(あるいは文学論的な?)が議論もある(それらだけでは現実的には役に立たない)と感じることもあるところであり、田中英道の本が-まだ一部しか読んでいない-そのような欠点をもつものでないことを願っている。

1213/戦争中・占領期当初のコミンテルン・共産主義者の暗躍-江崎道朗著。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)のタイトルは、コミンテルンとその影響をコミンテルン(・共産主義者スパイ)から受けた米大統領によって、敗戦後の日本に対して「時限爆弾」があらかじめ仕掛けられていた、という意味だろう。
 なぜアメリカは戦前に<反日・親中>だったのか、なぜ日本には攻撃的で中国には融和的だったのか。その判断は、のちには中国共産党による大陸中国の「共産化」や南北朝鮮の分離・北朝鮮の「社会主義」化につながり、資本主義国アメリカにとっては大きなミスだったのではないか。そのような判断ミスそして政策・戦略ミスは何故生じたのか、というのはかねて持ってきた疑問だった。
 近年になって、ルーズヴェルト大統領の側近にコミンテルン(モスクワ)のエイジェントがいて、共産主義・マルクス主義に対して「甘かった」同大統領とソ連(・スターリン)とを
結びつけ、アメリカは<反日・親中>政策を採ったことが明らかになってきている。

 中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)についてはこの欄で触れたことがある。
 江崎の冒頭掲記の著書も、主として第三章「アメリカで東京裁判史観の見直しが始まった」で、コミンテルン・同スパイ・アメリカ共産党等の運動・行動について扱っている。
 その内容を簡単にでも紹介することは避けるが、江崎の本よりも第一次資料・史料といえる文献で邦訳されているものやその他の日本語文献があるようなので、以下にリスト・アップしておく。
 第一節「外務省『機密文書』が示す戦前の在米反日宣伝の実態」より(p.126-)
 ①馬暁華・幻の新秩序とアジア太平洋(彩流社)

 ②山岡道男・「太平洋問題調査会」の研究(龍渓書房)

 ③H・クレアほか・アメリカ共産党とコミンテルン(五月書房)

 ④レーニン・文化・文学・芸術論(上)(大月書店)

 ⑤中保与作・最近支那共産党史(東亜同文会)

 第二節「ヤルタ協会を批判したブッシュ大統領と保守主義者たち」より(p.146-)

 ⑥H・フィッシュら=岡崎久彦監訳・日米・開戦の悲劇(PHP文庫)

 第三節「アメリカで追及される『ルーズヴェルトの戦争責任』」より(p.162-)

 ⑦エドワーズ=渡邉稔訳・現代アメリカ保守主義運動小史(明成社、2008)

 第四節「『ヴェノナ文書』が暴いたコミンテルンの戦争責任」より(p.178-)

 ⑧中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)〔所持〕

 ⑨A・コールター・リベラルたちの背信-アメリカを誤らせた民主党の六十年(草思社)

 ⑩クリストファー・アンドルーほか・KGBの内幕・上(文藝春秋)

 ⑪楊国光・ゾルゲ、上海ニ潜入ス(社会評論社)

 ⑫エドワード・ミラー・日本経済を殲滅せよ(新潮社)

 第五節「コミンテルンが歪めた憲法の天皇条項」より(p.203-)

 ⑬ウォード・現行日本国憲法制定までの経緯

 ⑭ビッソン・ビッソン日本占領回想記

 以上 

1210/江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)の第一章・第一節の1。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾/迫り来る反日包囲網の正体を暴く(展転社、2012)の「第一章・知られざる反日国際ネットワークの実態」の「第一節・中国共産党と国際反日ネットワーク」(p.14-47)を要約的に紹介する。この本は先月末か今月初めに読了している。

 アメリカでの慰安婦問題を利用した「反日」運動については、古森義久が産経新聞8/31付の「緯度経度」欄で、「米国にいる日本攻撃の主役」と題して、基本的なことは明らかにしている。
 古森の文章によると、「韓国ロビー」→「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム(KAFC)」のような新参団体が表面に出るだけだったが、「真の主役」は、「中国系在米反日組織の『世界抗日戦争史実維護連合会』(抗日連合会)」だった。米国各地での「慰安婦像」設置を「今後も推進する」と宣言しているらしい。また、「抗日連合会の創設者で現副会長のイグナシアス・ディン氏」は、「慰安婦像に関する中国共産党直轄の英字紙『チャイナ・デーリー』の長文記事で、設置運動の最高責任者のように描かれていた」。「米国下院の2007年の慰安婦決議も抗日連合会が最初から最後まで最大の推進役だった」、等々。

 上記団体は中国共産党と親近的な関係にあるらしいことが重要だろう。

 さて、江崎道朗著の上記部分は月刊正論2005年7月号掲載論考の改題・大幅加筆修正らしいが、古森のものよりも詳しい。

 「日本の戦争責任」をむし返し、「日本に謝罪と補償を求める」在米中国人グループは1987年に「対日索賠中華同胞会」準備会を結成し、1991年3月に正式結成した。主目的は「対日賠償請求運動」の盛り上げだったが、同月に「南京大虐殺」に絞った政治団体・「紀念南京大屠殺受難同胞連合会」も結成した。

 上はニューヨークを中心にしていたが、中国系が多いカリフォルニアにも飛び火し、1992年5月に(古森義久が上記記事で言及していた)「抗日戦争史実維護会」が結成された。その目的は江崎が「」付きで引用しているところによると、つぎのとおり。

 「大戦中の近隣諸国に対する日本の残酷な暴行の事実を日本政府に認めさせ、中国人民に謝罪し、その犠牲者と家族にふさわしい補償を実施させる。更にまた、日本が再び不当な侵略行動を開始することを阻止するために、アメリカ、中国、日本その他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう国際世論を喚起すること」。

 この「抗日戦争史実維護会」は1994年6月に他7団体とともに「全米華人の天皇への抗議と賠償請求公開書簡」を発表した(内容はここでは省略)。江崎の表現によると、彼らの「日中友好」とは、「日本が一方的に譲歩して賠償」をし、「日本の侵略を伝える歴史資料館を建て、今後、永久に中国の属国であり続けることを、日本が中国に誓う」ことを意味する。

 上の公開書簡以来中国系反日団体は統一行動をとるようになり、1994年9月にはワシントン・スミソニアン博物館の原爆展計画に対して、日本が被害者であることだけが強調されているとして、「日本侵略史観に基づく原爆投下容認論」を議会請願し、「抗日戦争史実維護会」のメンバーの一人は元米国軍人の力も借りて、上記博物館の「企画展示委員」に選ばれた。

 香港でも1988年に「香港紀念抗日受難同胞連会」が結成され、近年のそのHPは「日本軍国主義による尖閣侵略」を非難している。この団体を母体に2003年、尖閣問題に特化した「保釣行動委員会」が設立され、2012年6月には「世界華人保釣連盟」を結成した。2012年8月に尖閣に上陸を強行した中国人はこの団体の中心的活動家。

 カナダでも中国系カナダ人を中心に「第二次大戦史実教育擁護協会」が結成された。この団体は1997年6月、韓国系・フィリピン系等のカナダ在住者団体とともに、「日本政府による歴史歪曲と検閲に対抗して戦っている家永教科書裁判に対する支援キャンペーン」を実施した。

 世界の30ほどの中国系・韓国系・日系団体が結集して1994年12月に(古森義久が上記記事で「主役」とした)「世界抗日戦争史実維護連合会」が結成された。この団体は、カリフォルニアでの1994年12月の「『南京大虐殺』五十七周年世界記念会議」を後援した。この会議には「活動家」である大学教授・ジャーナリスト・作家なと300人が参加した。そして、「日本人および日本政府への宣言」を採択した。その要求内容は少なくとも次の5項目。
 ①中国人民への公式謝罪の声明と(中国共産党・台湾両政府への)文書提出、②日本の歴史教科書の誤りを正す、③中国・日本に慰霊の記念碑を建て、事実を刻む、④全被害者への合理的補償、⑤関連公文書公開・「過去の日本軍閥の罪行を天下に明らかにする」。

 ようやく第一節の約半分に達した。こういう団体が、在米韓国人団体が表面には出るかもしれない「慰安婦像」設置運動を支持すること、実質的に「主役」になってしまうことは論を俟たないだろう。
 なお、たしか青山繁晴がテレビで述べていたと思うが、カリフォルニア州のサンフランシスコ市長とオークランド市長は、いずれも中国系らしい。
 後半についてはなおも続ける。<歴史をめぐる情報戦争>の真っ最中だという自覚・意識が日本人には必要だ(もちろん日本政府にも)。

0579/横田耕一(1939-)はきっとバカだ-同・憲法と天皇制(岩波新書、1990)等。

 横田耕一(1939-)という人はきっとバカなのだろう。それでも九州大学の憲法学の教授だったというから、日本の大学教授・憲法学者のレベルの低さもわかる。
 一 所功・近現代の「女性天皇」論(展転社、2001)p.71-72によると、横田耕一は1990年に(あの!)日本評論社から天皇制度に関する書物を出版し、その中の一論文で、現皇室典範(法律)が皇位承継資格を男系男子に限っているのは憲法14条が定める(男女対等という)平等原則に違反し、区別する合理的な理由もないので、「女帝の否定は、端的に違憲である」と主張しているらしい。
 女性天皇、女系天皇も法律(皇室典範)上認めて差し支えない、という議論ではない。女性天皇・女系天皇を認めないと「違憲」だというのだから迫力?が異なる(なお、現憲法上は「世襲」とのみ明記され、皇位承継者が男子に限る旨の明文規定はない)。
 所功の上の本には法制局「皇室典範案に関する想定問答」が資料として収載されている。正確な年月は不明だが、現在の皇室典範(1947年1月公布)を制定する直前のものと思われる。
 この「想定問答」は、旧皇室典範の「義解」(解説・解釈書と見られる)も参考にして、歴史的に見て「皇位の世襲」観念に「少なくとも女系」は一切含まれていない、ということを述べる。また、もともと「皇位承継資格が国民の一部にすぎない」、そして、「その一部に於ける不平等は、必ずしも男女同権原則の否定とは言い得ない」、従って「男系に限ることは必ずしも憲法違反と言い得ないと考える」、と記している。
 戦後当初のゆえにだろうか、<男女同権原則>の前にやや遠慮しがちに「必ずしも…ない」などという表現の仕方をしている。だが、上にも書いてあるように憲法自体が皇位は「世襲」と明記して(人の血統によることを明記して)憲法14条の平等原則とは矛盾することを定めている。
 歴史的・伝統的な経緯も含めて総合解釈すべきで、そもそも天皇・皇室にかかわる法律に憲法14条・男女平等の原則の直接適用がありえ、違反すると違憲となるという横田の発想自体が、率直に言って(バカを通り越して)<狂って>いるのではないか。
 なお、所功の別の本によると所は<保守派>だが女性天皇限定的容認論者で(この表現は私による)、なかなか興味深い。別の機会に言及するだろう。
 二 どうせ<反天皇主義者>の本だろうと思って、岩波新書であることもあり所持だけして読んでいなかったのだが、横田耕一・憲法と天皇制(岩波新書、1990)を瞥見してみた。
 1 この横田の本では「違憲」だとは断定せず、「女性天皇の否定は違憲の疑いが濃い」と書いている(p.18)。この書き分け方の違いの意味はよく分からないが、実質的には同じことを言いたいのではないか。
 また、現皇室典範は「女性差別」だと書いている(p.231以下)。一つは天皇になれないこと、二つは皇族以外の男性と結婚した女性皇族は皇族でなくなる(と定められている)こと。さらに次のようにも書く。
 1.「皇后が天皇よりも常に数歩遅れて歩くといった慣行は、平等原理には合致しないし、これを見る者の胸中の性差別意識を再生産することにもなるだろう」。
 2.「皇室祭祀・儀式のうち、宗教色の強いもの」には「皇后や皇族女子が列席を遠慮することになっているのも、女性差別と見ることができよう」。
 日本の歴史も伝統も無視して形式的に男女対等を語るとどうなるかの見本のような文章だ。<左翼>フェミニストたちは相槌を打って読むのかもしれない。
 (ところで、横田は「皇后や皇族女子が列席を遠慮することになっている」「皇室祭祀・儀式」があるという。この叙述の正確さを私は知らないが、正しいとすると、<現皇太子妃(将来の皇后)>問題?とも無関係ではないようだ。横田によると-この人は「男女差別」の例として書いているのだが-、「大嘗祭」では女性皇族は「早い段階で拝礼を終えて退席し、儀式の中核である天皇が直会を行う段階には列席しない」こととされているらしい。)
 2 上の本で横田耕一は現皇室典範は「身障者差別」だとも書いている(p.228以下)。
 「精神若しくは身体の不治の重患」の場合には皇位継承順序の変更が(皇室会議の議を経て)可能であるのは、「精神若しくは身体の不治の重患」の判断の「運用次第では、障害者差別として機能する面を内在している」。
 また、皇族男子の結婚について相手が障害者であることを理由に皇室会議が反対することも予想され、「その場合には障害者差別が行われていると言わねばならない」(他の例も書いているが割愛)。
 3 上の本で横田耕一は現皇室典範は「身分差別」だとも書いている(p.232以下)。
 横田によると、男性皇族の結婚の過程で「身障者差別」とともに「家柄による選別といった身分差別が生まれてくる」。
 また、そもそも皇位の「世襲」自体が「血による差別、生まれによる差別」なのだが憲法自体が容認しているので「平等原則の例外」と言うべきであるものの(ここの理解は正しい-秋月)、この憲法上の「差別の存在」が、種々の「社会的差別意識を再生産しつづける大きな源になるように思われてならない」。
 やれやれ。ここまでくると、現憲法を金科玉条とした憲法解釈論を超えて、憲法二条自体が「社会的差別意識を再生産しつづける大きな源」と言っているのだから、いつのまにか<憲法政策論>、具体的には天皇制度廃止論・解体論、を主張しているに等しい(その旨の明記は巧妙に避けているが、実質的にはこれに等しい。最初の方のp.23では、「国民の総意」・憲法改正により天皇制度の廃止が可能だと明記してある)。
 4 上の本は1999年9月に11刷となったようで、それ以降のものを所持しているのだが、それには「第11刷にあたって」という追記がなされ、国歌・国旗法の成立(1999)に関係して、次のように横田耕一は述べる。
 「『君が代』は『天皇の国』と解されるはずで…、これは…国民主権の憲法と明白に矛盾し、この意味であるなら『君が代』は違憲であり、それを国歌とする規定は無効と解されるべきであろう」。
 この横田耕一のような発想をしていると思考はきわめて単純で済み、たくさんの論文等が書けるに違いない。
 三 だが、本当に真面目に思うのだが、冒頭掲記のとおり、横田耕一という人はきっとバカに違いない。それでも九州大学の憲法学の教授だったというのだから、日本の大学教授・憲法学者のレベルの低さもわかる。
 また、大江健三郎・沖縄ノートを増刷したのと同様、さすがに岩波書店だ。こんなレベルの本を出版し、反「君が代」闘争(→究極は<反天皇主義>・<天皇制度解体論>)を行っている教員たち・「市民」たちに売って(バイブルになっているのかどうか?)、利潤を得つつ、<左翼(政治)活動>をしているわけだ。

0563/大原康男・象徴天皇考(展転社、1989)第一章読了-<象徴侮辱罪>は合憲。

 一 大原康男・象徴天皇考―政治と宗教をめぐって(展転社、1989)は、第一章を数日前に読み終えて、次の章に入っている。
 第一章は「象徴天皇と皇室の伝統」でp.102までと長い。
 ともあれ、<統治権の総覧者から象徴にすぎなくなった>と理解し強調するのと、現憲法上の<象徴>性の意味を積極的に語ろうとするのでは、憲法解釈論にも違いが出てきそうなのは確かだ。多数説および政府解釈も認めている(とされる)「象徴」としての天皇の<公的行為>の中にどのようなものが入ってくるかは、今回は立ち入らないが、祭祀行為の位置づけ、皇室経済法の具体的内容、祭祀関係規定の皇室典範(法律)からの除外等々に関係してくる。あらためて、このあたりのことを今日の憲法(学)教科書・概説書を実際に見て確認又は検討してみたい。
 
二 1 興味を惹いた一つは、日本社会党のブレインだった(自衛隊「違憲合法」論を少なくとも示唆した)と見られる元東京大学の憲法学者・小林直樹ですら、現憲法のもとで、「特殊な天皇制を存置する以上、象徴侮辱罪というようなものを設けても、―立法政策としてはむろん反対だが―憲法違反ではあるまいと考える」と述べているらしい、ということだ(p.34)。
 戦前の<不敬罪>の正確な内容と運用を知らない。だが、一般国民と異なる<天皇>という世襲職を憲法が「象徴」として設けることを明言しているのだから、天皇陛下についての<象徴侮辱罪>というものがあっても、理屈としては不思議ではなく、ただちに憲法違反にはならないだろう。
 日本共産党(員)あたりはすぐに<国民主権制>と矛盾し違憲だと単細胞的反応をするだろうが、<国民主権>を謳い、かつ<平等原則>(法のもとでの平等)を明記する憲法が同時に「世襲」の「天皇」の存在を認めているのだ。憲法は、一部の都合のよい原理・条項だけを持ち出すのではなく、総合的に解釈されなければならない。
 とはいえ現実に<象徴侮辱罪>を新設する(刑法改正又は独自法律の制定)は困難なようだ。人権擁護委員会なる国家行政組織法三条機関が想定されているならば、<皇室擁護委員会>でも設置して、天皇・皇族への<侮辱>的発言・出版をとり上げ、何らかの勧告・指導をできるようにしてもよいだろうが、対象とすべき<侮辱>の内容およびその(公表)方法の具体的判断はむつかしい。人権擁護法案について言われているのと同じ問題が生じそうだ。
 国家行政組織法三条機関に第一次的には委ねるのではなく、警察官・検察官に直接任せること(刑罰の直接適用)も一つの方途だが、これまた具体的判断はむつかしく、<表現の自由>等の侵害可能性等の反対論が一斉に噴き出しそうだ。
 というわけで、合憲であっても現実にはとても法的規制にはなじまないように思うが、しかし、国民がもっておくべき精神論・<心構え>としては、やはり、国家と国民統合の「象徴」である天皇というお方に対する何らかの敬意的なもの、対等に物言いできるお人ではないという気持ち、を持つべきなのではなかろうか。
 誰かの表現にあったが、国家と国民統合の「象徴」たる地位に就くことを国民は<お願い>しているのであり、かつその地位は「世襲」であって、2660年とは言わないまでも少なくとも1500年は血統が続いていることが正式文書等の上でも明瞭な<天皇家>(?)の当主なのだ。
 2 天皇とそれ以外の皇族とを同一視することはできない。しかし、やや大雑把に書いてしまうが、皇太子・皇嗣として次代天皇になられることが予定されているお方、ついで皇位継承順位第二位のお方や皇后陛下・(次代皇后となられることが想定される)皇太子妃殿下についてもまた、何らかの<敬譲>の気持ちはあってしかるべきなのではないだろうか。
 <象徴侮辱罪>が合憲的に成立しうるならば、<皇室(皇族)侮辱罪>も(その立法政策的当否、現実性は別として)法的には合憲的に成立しそうに見える
 国民に対して完全に<開かれた>皇室など存在する筈はなく、皇室・皇族に関するあれこれを全く自由に発言・出版してよいとは(少なくとも道徳的・倫理的には)思えない。
 佐高信らの週刊金曜日主催の集会が、悠仁親王に模した縫いぐるみの人形を投げ遊ぶことを含むパフォーマンスをしたことがあった(確認しないが、たぶん一昨年末)。これは「公」の面前でなされた。
 家庭内で、あるいは喫茶店内で、家族や知人たちと皇太子妃殿下や秋篠宮妃殿下のにことをあれこれと噂しあい、あるいは情報交換しあい、それにもとづいてあれこれの分析や今後の処方箋なり解決策を<世間話>の類として話題にしあるいは提言する程度のことは許されるし、法的な規制が及ぶべきではないだろう。
 但し、現皇太子の天皇不適格論(皇位継承不適格論)又は少なくとも現皇太子の皇位継承疑問視論や、これらを含む可能性が論理的にはある現皇太子妃の<皇后位継承再考論>が、堂々と、三・四流とは一般には評されていないとみられる月刊雑誌上に「公」にされるとなると、はたしていかがなものだろうか。
 それも表現(・出版)の自由かもしれないが、そのような議論を個人名を出して「公」にできる(そして活字化させて将来=未来永劫に残す)とは大した<勇気>だと感じ入っている。少なくとも私にはできない。
 <表現(・出版)の自由>にも元来、<内在的制約>というものがある。天皇・皇室との関係でそれを全く意識していない議論が<保守>の側から(も)出ている。戦後日本の、<表現・出版の自由>が保障されているとの「自由」意識は、このようにして<保守>の(筈の)論者の数人にまで及んでしまった、という感慨を私は今もっている。

0536/西部邁における近代主義・左翼・価値相対主義-別冊宝島・左翼はどこへ行ったのか!

 一 別冊宝島・左翼はどこへ行ったのか!(宝島社、2008.05)の中の西部邁へのインタビュー記事(「60年安保の東大委員長が語る『左翼』」-取材・文/高山数生)を読んで、西部邁はさすがになかなか鋭いなぁと感じた。
 ①近代主義・「左翼」につき-「近代主義とは、要するに大して教養もない、経験もない、人間ごときの存在が思いついたものを、普遍性があるように見せかけ、抽象的概念に基づいて、この社会に大がかりな変革を仕掛ける。それを左翼は『革命』って言っているだけ」。「そういう近代主義のことを実は『左翼』っていうわけ」。「左翼って言葉はフランス革命のときの言葉です。ジャコバン党ですよ。…自由だ、平等だって叫んでた奴らですよ。理性だ、合理だ、啓蒙だって」(p.44)。
 ②価値相対主義につき-「価値相対主義とか、個人の自由とか、あれは全部嘘話なわけです」。「価値相対主義っていうのは、他人になんの関心もない変な奴らの思想です」。「価値相対主義なんていってるのは、他人に対して、外国に対してでもいい、本格的関心を持たない奴らが価値の多様性とか個人の自由とかってほざいてるだけのもの」。「あいつらの精神、さらにいうと現代人の精神は、おそろしく衰弱し退歩している。その…衰弱とか退歩に有力な貢献をしたのが、いわゆる『左翼』だっていうことだね」(p.47)。
 上の①は樋口陽一やその追随者、いや多くの憲法学者に対する批判になっているだろう。もっとも、近代主義=「左翼」という用語法が一般的かどうかは知らない。
 いずれにせよ、書いた論文ではなく、質問に対する話し言葉で上のようなことを瞬時に語れるというのは、さすがの能力だ。
  いくつかのたぶん偏見があって西部邁は殆ど読んでいない。西部邁・六〇年安保-センチメンタル・ジャーニー(文藝春秋、1986)も持っているだけで、未読。他にも同様なのがある。何かを本格的に読むと面白いかもしれない。
 ところで、<左翼はどこへ行ったのか!>という雑誌?タイトルは妙だ。「左翼」と自称はしていなくとも、朝日新聞を筆頭に、大学教授の中も含めて、世間・巷に溢れているではないか。
 二 最近の書き込みはほぼいくつかのテーマに限定されている。一つは天皇・皇室・政教分離問題。大原康男・象徴天皇考(展転社、1989)と中西輝政=福田和也・皇室の本義-日本文明の核心とは何か(PHP、2005)は、かなり読み進んだ。月刊・諸君!の特集の中の文章についてもまだ書きたいことがある。
 二つは、フランス革命・ジャコバン主義・一七九三年憲法の評価の問題。樋口陽一辻村みよ子等の批判的検討(大袈裟か?)はさらに続ける。
 三つは、共産主義・コミンテルン等の「謀略」。日本国憲法の制定過程もこれと無関係ではなく、何回か書いてみたい。/その他、朝日新聞や日本共産党の個別問題。
 書きたいことはたくさんあるが、時間はたくさんはない。

0513/大原康男・天皇―その論の変遷と皇室制度(展転社、1988)を半分読んだ。

 曽野綾子・沖縄戦・渡嘉敷島-「集団自決」の真実(ワック、2006)は所持している筈で、(小林よしのり・山崎行太郎にかかわって)現物を見て何か追記する必要を感じているのだが、何故か手元周辺に見つからない。
 大原康男・天皇―その論の変遷と皇室制度(展転社、1988)をp.140まで、約半分を読んだ。
 1985年に初出の「戦後天皇論の変遷」(上掲書第一章の4節)によると、戦後占領期の「反天皇論」は大別して二つあった。一つは「講座派」マルクス主義に立ち「封建的絶対君主制の一種」等と捉える、羽仁五郎、井上清、伊豆公夫、戸田慎太郎、神山茂夫ら。もう一つは、「啓蒙主義的傾向の強い一部リベラリスト」によるもので、「本質的に民主主義と両立しない」と断言した横田喜三郎(当時東京大学法学部教授(国際法)、のち最高裁裁判官-秋月)、共和制憲法案を作った高野岩三郎ら。そして、大原によると、丸山真男は「両者をつなぐ思想的接点のような位置」にいた(p.75-76)。
 その後「今日」(=1985年)までの議論状況をみて、大原は次の三派?に分けている。第一は天皇制度「肯定・支持派」で、福田恆存、村尾次郎、清水幾太郎、戸田義雄、黛敏郎、江藤淳、渡部昇一、村松剛、小堀桂一郎、第二の「否定・廃止派」は、いいだもも、野坂昭如、松浦総三、渡辺清、菅孝行、松浦玲、第三の「積極的に肯定」もせず「はっきり否定もしない」「中間派」は、山本七平、佐藤功(憲法学者-秋月)、和歌森太郎、橋川文三、松本健一
(p.84)。
 以上あくまで大原による。山本七平や松本健一は「中間派」なのかという感想も残るが、とりあえず、参考にしておこう。とくに松浦総三、菅孝行
あたりはときにその名を目にすることがあるような気がするので。
 その大原は天皇(制度)に関する本を100冊選んで紹介しているが、その一つに
菅孝行・天皇制ノート(田畑書店、1975)を挙げ、次のように紹介・論評する(p.108)。
 「現在」(=1985年当時)「もっとも熱心に反天皇キャンペーンを実践している」著者の代表著。「反天皇論者」は殆どが「戦前の天皇制に対する怨念を原体験としてもっている」が、「純然たる戦後世代」。「その情熱はどこから出てくるのか」。
 以上のような論者の分布?に関心をもつほかは、大原の主張の内容は殆ど又はおおむね理解できる。天皇の祭祀行為を「私的行為」として皇室経済法上の「内廷費」で負担するのは奇妙だ等とこれまでこの欄で書いてきたが、私ごときが思う(思いつく)又は考える(考えつく)程度のことは、すでに誰かがもっと正確にかつ説得力をもって書いて(主張して)いるものだ、という想いをあらためて持たざるをえない。
 「皇室祭祀こそ象徴天皇制を支える真の基盤である。皇室祭祀が単なる皇室の『私事』に非ざることは、もはや明白であろう」(p.140)。

0167/日本国憲法「無効」論とはいかなる議論か-たぶんその3。

 再び、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)に言及する。
 .こう主張する(p.131)。「失効・無効の確認がなされるまでは、本来無効な「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける」。
 <一応有効であるとの推定を受ける>という表現は、とくに「推定を受ける」は厳密にいうとややキツいだろう。
 より正しくは、<事実上、有効なものとして通用する>ではないかと思われる。その事実上の<通用力>のあることを認め、従うべきことが要求されている、ということではないか。
 どちらでもいいような細かなことだが、<有効性の推定>という表現はやや気になる。
 .「無効確認」の意味・効力につき、こう主張する。「無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生するのであり、過去に遡ることはない」(p.141)。
 こうした「無効」または「無効確認」という語の使用法は通例の「無効」概念とは違うのではないか、ということをすでにたぶん4/28に次のように書いた。
 このように<「無効」という言葉を使うのは法律学上通常の「無効」とは異なる新奇の「無効」概念であり、用語法に混乱を招くように思われる。/無効とは、契約でも法的効果のある一方的な国家行為でもよいが、当初(行為時又は成立時)に遡って効力がない(=有効ではない)ことを意味する。無効確認によって当初から効力がなかったこと(無効だったこと)が「確認」され、その行為を不可欠の前提とする事後の全ての行為も無効となる。と、このように理解して用いられているのが「無効」概念ではなかろうか。
 こうした感想は今でも変わらない。「無効確認」がなされるまではそうではないが、「無効確認」が正規になされれば(その主体・手続につき議論がありうることは既述)、当初に遡って効力がなくなり、それを前提としていた全ての行為の有効性もなくなる(無効となる=法的にはなかったことになる)、というのが「無効確認」の意味であり、そういう意味があるからこそ「無効確認」決定をする必要もあるのだ、というのが通例の用語法だろう。民事訴訟(行政訴訟を含む)において問題になる(使われる)「無効」とは、このような意味なのではないか。
 異なる意味で用いると言うのならば、それを明確にしておけば問題はない、ともいえる。ただ、やはり新奇の「無効」概念だと私には思える。
 .上のように「無効」という語が使われるので、「違法確認」との区別がないか、少なくとも不明瞭だ、と感じる。
 著者も前提としておられるだろうように、違法な又は瑕疵ある国家行為がそのゆえにただちに「無効」となるわけでもないし、「無効確認」の要件が満たされるわけでもない。
 違法な又は瑕疵ある国家行為であっても有効なことはあるし、また正規の「無効」確認がなされるまでは有効との外観を呈することもある。だが、「無効」と判断できるだけの強い違法性又は瑕疵があれば「無効」確認をして、無効=効力が最初からなかったものとして扱うことができることは、上でも述べた。
 だが、将来においてのみ効力をなくすというのであれば、正規の「違法確認」行為がなされた場合とどう違うのだろう。違法→無効ではないことは上述のとおりだが、手続的に正規の「違法確認」行為・決定がなされれば、違法=少なくとも将来に向かっては効力がなくなる(という意味での「無効」)とするのが原則であり、それが(法の支配又は)法治主義の要請するところだろう。
 現在において「違法確認」することは、その行為の過去の効力に影響を与えない筈だ。とすると、主張されている「無効」論は「違法」論とどう違うのだろう。
 読解不足、私の知識不足かもしれないが、どうもよく分からない。
 .将来に向かってのみ「日本国憲法」の効力を否定することの意味・意義はそもそもどこにあるのだろう。
 著者によれば、新憲法制定までの<手続>・<段階>はこうだ。
 第一に「無効確認」と(ほぼ)同時に明治憲法の復原の確認がなされる。第二に、新憲法制定までの間は改正規定(明治憲法73条)以外の明治憲法の諸規定の「効力を停止し」、臨時措置法を制定する。この臨時措置法の内容は、前文・九条・改正手続規定(96条)以外は「日本国憲法」の条文を「基本的に採用する」。5-10年後に、第三に、明治憲法73条にもとづいて明治憲法を改正する新憲法制定に移るのだが、まずは改正手続規定である明治憲法73条を改正し「日本国憲法」96条のような規定にする。その上で、第四に、実質的には「日本国憲法」96条を内容とすることとなった明治憲法73条により国会の発議・国民の承認という手続で(明治憲法の改正による正当な)新憲法を制定する。
 何とも複雑な手続で容易には解りにくく(私は何とか理解できたが)、まさに<アクロバティック>な手続を経る必要があることになる。
 日本国憲法「無効」論のほとんど不可欠の帰結であるらしいこのような手続と、現在の日本が「現実」に置かれている状況と比較すると、今の現実は、上の第三までは終わっており、第四の段階に移ろうとしている段階にある。
 ということは、「現実」と比較すると、日本国憲法「無効」論とは、上の第一~第三の「段階」を余計に踏ませるための議論なのだ、と言い得る。
 むろん、日本国憲法が「無効」なのだからそうしないと「正統な」憲法は生まれない、ということなのだろうが、それにしても解りにくく複雑だ。また、日本国憲法を無効と考えていない者にとっては、<全く不要で余計な、かつ複雑な>行為の連鎖を要求していることにもなる。
 この説に従うと、(もともと議会による無効確認決議、天皇の裁可等の「現実」的可能性はほぼゼロだと思うがその点は別としても)現憲法の改正は「現実」よりもかなり遅れるだろう。現憲法九条は、臨時措置法の制定によってとりあえず削除されるようだが、日本国憲法無効確認と明治憲法の復原確認の後になることには変わりはなく、「現実」が進もうとしている時期よりも遅くなることは間違いないだろう。
 この議論の「現実」的通用性は別として論理的に言っても、<日本の現実は、そんなに悠長なことを言っておれる状況なのだろうか?>
 .著者のいう日本国憲法の「無効」事由には立ち入らない。説得的なものもあれば、首を傾げるものもある。
 芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.29がのどかにも?「完全な普通選挙により憲法改正案を審議するための特別議会が国民によって直接選挙され、審議の自由に対する法的な拘束のない状況の下で草案が審議され可決されたこと」を現憲法の制定過程は「不十分ながらも自律性の原則に反しない」ということの根拠の一つに挙げていることに比べれば、より現実に即していると思える部分もある。
 .だが、もう端的に結論だけ示しておきたいが、今頃になって日本国憲法の「無効」を主張するのは遅すぎる。主権回復後早々に同様の主張がなされて(明治憲法の改正手続を利用するか、制憲議会の設立・国民投票を特別に行うか等の問題は残るが)日本人のみによる「正統」な憲法制定がなされればまだ良かったかもしれない(「無効」論に全面的に組みしている訳ではない)。
 だが、憲法施行後60年も経った主権回復後でも55年も経った。<憲法学者等に騙されてきたのだ>と主張されるのかもしれないが、その55-60年の間、圧倒的多数の国民が、政府関係者、裁判所関係者、そしておそらくは昭和天皇も今上(明仁)天皇も、日本国憲法は「有効」な憲法だと信じて国政を運営し、生活を営み、現憲法を前提として皇位の継承も行われたのだ(正確な記録は持っていないが、昭和天皇も今上(明仁)天皇も何度も「日本国憲法に則り」とか「日本国憲法に基づき」とかの言葉を用いられた筈だ)。
 議論のために天皇陛下の主観を利用するつもりはない。再述すれば、天皇や皇室はかりに別としても、圧倒的多数の国民は日本国憲法は「有効」な憲法だと考えてきたのだ(そのことは現在の国会議員の全員が有効性を前提としていることでも証されるだろう)。
 それを今頃になって「無効」と主張し、「無効確認」を国家機関にさせようと主張するのは、第一に、民法でいう「権利濫用」にあたる、国家機関による<権限濫用>をそそのかしている疑いがある。関連して第二に、民法でいう「信義則」にあたる、国家行為への国民の<信頼の保護>原則を大きく損なう可能性がある。
 いちおう分けたが、国家行為への国民の<信頼の保護>を大きく損なうがゆえにこそ、無効確認行為は国家機関による<権限濫用>になる可能性が極めて高い、と言い換えてもよい。
 著者が言及している論点だけが、この問題に関係する論点なのではない。国家の<権限濫用>も国民の<信頼保護>も視野に入れるべきだ。
 さらに、法原理の中には、抽象的・究極的ではあれ、<法的安定性の維持・確保>という要請もある。違法又は無効の国家行為についてこの一般原理を濫りに使うべきではないのはいうまでもないが、しかし、55-60年という長期間の経過を考えると、<法的安定性の維持・確保>も視野に入れるべきだ。視野に入れているからこそ「無効確認」の効力は将来にのみ及ぶと主張していると反論されるかもしれないが、無効確認、そして明治憲法の復原確認という行為そのものが<法的安定性>を十分に害する、と考える。
 日本国憲法「無効」論は、現憲法の制定過程の<いかがわしさ>を明らかにし、現憲法を(当然に同96条と最近成立した憲法改正手続法に基づいて)改正して、日本人(のみ)による新憲法の制定=改憲をするために有利な議論として、個人的には利用させていただきたい、と考えている。

0166/小山常実の日本国憲法無効論に寄せて-その2。

 小山常実氏の日本国憲法無効論(同・憲法無効論とは何か(展転社、2006))について5/04に若干の感想を記した。以下はいちおうは第二回めになる。
 最初の感想又は意見と異なるのは、次の点だ。5/04では、無効確認手続について「政治的には、国会による決議がなければ立ち行かないだろう」(p.140)とあるのを疑問視し、「政治的」又は「現実的」な議論を混淆させている等のコメントを付した。
 だが、国会の決議が「政治的」にのみ要請されるとするのは疑問で、法的にも必要ではないか、という気がしてきた。少なくとも、後者の説も成り立ちうると思われる。
 理由は次のとおり。大日本帝国憲法(明治憲法)の改正手続、ポツダム宣言、現実のGHQや日本政府、昭和天皇の言動等々が複雑に絡む現「憲法」の制定過程の問題の処理又は論点整理がまずは必要なのだろうが、それらは今回は省略する。
 第一に、かりに明治憲法の改正手続によって現憲法が制定されたのだとすれば(改正内容が改正限界論を超えるとの論、さらにそれが無効事由となる論があるのは承知だが、とりあえずは措く)、その手続は、天皇が「議案ヲ帝国議会ノ議ニ付」し、「両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席」して「議事ヲ開」き、「出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得」て「改正ノ議決ヲ為ス」ことによって行われた(明治憲法73条1項・2項)。
 明治憲法の制定は法的には明治天皇によってなされたが、その改正については同憲法は天皇の専権とはせず、「両議院」の議員の各々2/3以上の出席と2/3以上の賛成による議決を要求していた。議会議員の意思を重視していた、と言ってよい。上の要求を充たさないと、天皇が憲法改正を「裁可」することはできなかったのだ。
 このことに着目すると、「法的に言えば」首相他の国務大臣の副署に基づき天皇が無効確認すれば「十分」である(p.140)ということにはならないように思える。
 改正(制定)時点で議会が重要な関与をしていたのだから、無効確認手続の場合も議会にしかるべき関与の機会を与えるのが「法的」な筋道のように見える。
 第二に、明治憲法の改正手続をとったのは全くのマヤカシだったということになると、現憲法の有効性を説明するためには、<国民の自由意思…>という言葉のあるポツダム宣言を受諾したことにより、<革命>によって憲法改正権力が国民に発生したという所謂<八月革命説>を採用するしかないのだろう(たぶん)。
 この場合も、無効であっても「失効・無効の確認がなされるまでは…「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける」(p.131)のだとすれば、国民主権下における国民代表議会、あるいは「国権の最高機関」とされている国会(現憲法41条)による無効確認決議がやはり「法的」に必要なのではないか。
 (尤も、後述のように、第一の場合の議会と第二の場合の議会は同じか、衆議院のみか参議院も含むのか、等の問題はある)。
 第三に、<八月革命説>を批判してこれを採用しなくとも、しかし、もう一度書けば、無効であっても「失効・無効の確認がなされるまでは…「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける(p.131)のだとすれば、同じことになるのでないか。
 小山において、上の部分に続けて「有効であるとの推定を受ける以上、失効・無効確認があるまでは、「日本国憲法」は守らなければならないことは当然である」と明言されているのだ(p.131)。
 但し、「日本国憲法」無効論を前提とする無効確認決議についてまで、「一応有効であるとの推定を受け
」るものであっても、日本国憲法41条等が適用されるのかはどうかはなおもよく解らないところがある。
 次に、無効確認をすべき議会とは何を意味するかいう問題に移ると、現実には貴族院が存在しないことを前提とすると、上の第一の立場からすると衆議院のみを意味することになるかもしれない。上の第二、第三の立場だと、衆議院の他に参議院も含まれることになるだろう。
 だが、第一の場合も、基本的な趣旨は選挙で選出された議員で構成された議会の意思を尊重するということなので、同じく国民(有権者)の選挙で選出された議員により成る参議院も含めてよいようだ。
 つまり、貴族院を「参議院によって代替させる」(p.144)というのではなく、実質的には又は基本的には衆議院と類似の性格をもつ参議院を無視しない、という意味で、あるいは衆議院のみよりは参議院も加えた方が選挙民の意思をより反映するだろうという意味で、参議院も加えるわけだ。
 なお、「憲法としては」無効とされる日本国憲法が無効確認手続がなされるまでは「一応有効であるとの推定を受ける」という場合、それは「憲法」として「一応有効」
との趣旨なのか、別の性格の法規範として「一応有効」
なのかは、読解に問題があるのかもしれないが、よく分からない。次回あたりで扱ってみよう。
 -というようなことを書いたが、私にとっては極めて興味を惹く法的問題に関する「頭の体操」に近いところがある。そして、<そんなアクロバティックな説明や手続要求をしなくても、日本にとって相応しい内容の憲法を日本人の手で作りあげる、ということに傾注すればいいのではないか、その方が生産的・建設的で日本国家のためにもなるのではないか>という想いを禁じえない。
 以上のような想いは次のような「現実」にもよる。
 「日本国憲法」無効論に立つ政党又は政治団体もあるようだ。しかし、管見の限りでは、各種選挙に候補者を立てているのかもしれないが、国会議員はゼロの筈だ。
 つまり、自民党・国民新党から共産党まで、少なくとも現時点では、全ての国会議員が、日本国憲法有効論に立った上で改憲賛成・反対等の議論をしているものと考えられる。このことの原因・背景として、むろん(「憲法」を「生業」とする)憲法学者の圧倒的大勢の考え方の影響も挙げうるかもしれないが、やはり「無効」論そのものに問題があることも挙げておいてように思われる(この点は別の機会に触れよう)。
 両院に設置された憲法調査会の報告書も、きちんと読んでいないので正確には言えないが、「日本国憲法」無効論には言及すら殆どしていないのではなかろうか。
 むろん、これからの選挙において、「日本国憲法」無効論に立つ議員が増えていく可能性はないとは言えない。しかし、そのような考え方が過半数を制するとはとても想定できないだろう。
 ということは、いかに衆議院単独または衆議院+参議院による現憲法「無効確認」決議は可能であるとしても、実際にそのような決議がなされることはほぼ100%期待できないのではないか。
 それでも「日本国憲法」は無効で国会は「無効確認」決議をすべきだ、と主張し続けることは、勿論自由にできる…。

0116/小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)を少し読む。

 日本国憲法「無効」論について、小山常実の別冊正論Extra.06上の「無効論の立場から-占領管理基本法学から真の憲法学へ」を読んで、過日簡単に疑問を書いた。主として、1.「無効」の意味・この概念の使い方、2.「無効確認」主体、の問題だったかと思う。
 この2.については十分な説明がなく憲法学界が無効確認などできる筈がないなどの頓珍漢な指摘もしたのだが、別の方から、国会で可能だ旨の情報も提供していただいたものの、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)によると、正確にはこうだ。この点にかかわる問題のみを今回は主として扱う。なお、小山・「日本国憲法」無効論(草思社、2002年)も所持しているので、「第一書」としてp.数だけを示しておく。
 新憲法制定のための「第一段階の第一作業」は、日本国憲法の「無効と明治憲法の復原を確認すること」で、「法的にいえば、首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が無効・復原確認を行えば十分である」(p.140。第一書、p.248)。
 答えは、天皇なのだ。そして、現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは天皇であり、施行文後の御名御璽の後に「副署」したのは当時の首相他の閣僚なので、いちおう-後述の疑問はあるが-論理一貫している。但し、次の文は、いけない。
 「ただし、政治的には国会による決議がなければ立ち行かないだろう。それゆえ、国会による決議を経て、内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為を行う形がよい」(p.140。第一書にはないようだ)。
 これは一体何だろう。「政治的には」とは一体何だろう。法的議論をしている筈なのに、「政治的」又は「現実的」な議論を混淆させている。それに「政治的には、国会による決議がなければ立ち行かないだろう」というのも奇妙なことで、法的に全く問題がなければ、「首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が」行うので、それこそ「十分」な筈なのではなかろうか。
 こんな疑問がまず生じるが、できるだけ国民の総意でという形をとるために国民代表で構成される「
国会による決議」を経た方が望ましい、という趣旨だと理解することはできる。
 だが上にいう「国会」とは何だろうか。日本国憲法制定時には国会は衆議院と貴族院で構成されており、貴族院議員も審議に参加していた。ここでの「国会」とは衆議院なのか、それとも貴族院を復活させるのか(無効確認の段階ではまだ復活していない?)、いや参議院を含めるのか、が明らかではないようだ。
 但し、無効・復原確認後の明治憲法改正=真正な新憲法制定については、次のように書いている。
 「明治憲法第七三条によれば、天皇が発議して、貴族院と衆議院で可決されて憲法改正が行われる。貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」(p.144。第一書、p.248)。
 何とここではあっさりと、参議院をもって貴族院に「代替」させるのがよい、と明記している。しかし、貴族院と参議院とは、第二院という点では共通性はあるかもしれないが、選出方法・構成はまるで異なっている。第二衆議院とか衆議院のカーボンコピーと言われることもある参議院に貴族院の「代わり」をさせるのは、明治憲法七三条の趣旨に適合的なのだろうか。少なくとも、復原した明治憲法の下での議論としては、「貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」などと簡単に言い切ってはいけないのではなかろうか(明治憲法が復活したとすれば「貴族院」をいったん復活させて新「貴族院」を設置し(議員の選出・構成は難問だが)、憲法改正だけの任を与えることも考えられよう)。
 以上の他、次のような疑問もある。日本国憲法「無効」論が絶対に「正しく」、関係機関又はその担当者は全員がこの考え方を支持してくれる筈だ、という前提に立たないかぎり、当然に生じる疑問だと思われる。
 第一に、国会(この意味が不明なことは既述)が日本国憲法を「無効」と考えず、「無効」という「国会による決議
」ができないことも想定できる。この場合はどうなるのか。
 もっとも、「国会による決議」は「政治的には」
あった方が望ましいものであるならば、これを欠いても、無効・復原が確認できないわけではないということになるのだろう。
 では第二に、かりに天皇陛下は「無効」と考えられても、「首相他内閣を構成する国務大臣」
はそう判断せず、副署もしない場合はどうなるのだろうか。終戦詔勅の場合と同様に首相等の国務大臣は唯々諾々と服従するのだろうか。
 逆に、かりに首相等の国務大臣は一致して「無効」と考えても、天皇陛下はそうはお考えにならない場合はどうなるのだろうか。
 そんなことはあり得ないということを前提として立論されているのだろうとは思うが、しかし、現実的には、こういう場合も想定しての「法的」議論も用意しておかなければならないのではなかろうか(そういう場合は無効確認ができないだけ、という結論になるのだろうか。それなら簡単だが)。
 第三に、より現実的な疑問がある。現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは昭和天皇であり、今上天皇ではなかった。「副署」したのは当時の首相等の国務大臣であり現在の首相等ではなかった。
 当時の天皇陛下や首相等の「本心」・「内心」というものが明瞭に分かる資料は恐らく存在しないのだが、昭和天皇は、こんな明治憲法改正・日本国憲法は「無効」だと思われつつも不本意に<裁可し、公布せしめ>たのだろうか。吉田首相等も、こんな日本国憲法は「無効」だと思いつつ不本意にも「副署」したのだろうか。
 むろん、天皇も首相等も国家機関の一種であり、担当者(?)が変われば異なる意思を持ちうる、という理屈は成り立つ。従って、「
内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが法的にも事実的にもできなくはない、と考える。
 しかし、現実論としては、昭和天皇等が「無効」だと感じつつやむを得ず「裁可」し「副署」したという事情が明瞭に伝えられていないかぎり、今上天皇等が「無効」との判断に至る可能性は極めて乏しく、現実的可能性は0.1%もないものと思われる。それよりは、天皇と首相以下の国務大臣との間で見解が齟齬する現実的可能性の方がほんの少し高いだろう。
 むろん、上のような事情は日本国憲法制定・施行後60年の「欺瞞」によるのだ、「大ウソ」の教育・報道等によるのだ、と主張したい(であろう)ことはよく理解できる。だがいかに「正しい」理論でも支持者が微少であれば、現実的な「力」をもちえない。「正しい」理論であれば大多数の者によって支持される筈だ、というのは理想かもしれないが、現実は必ずしもそうはならない。
 現在の国会議員にしろ、2005年の両院の憲法調査報告書はおそらく日本国憲法「無効」論に殆ど又は全く言及しておらず、有効論に立っての諸意見を記載しているものと推察される。近年の各政党の有力者の発言を聞いても、日本国憲法「無効」論に立つ発言は一つもない筈だ(日本共産党と社会民主党が現憲法の有効性を前提として、九条墨守論を主張しているのも明瞭なことだ)。
 昨5月3日に護憲・改憲両派を「無効」論に立って批判する集会等もあったのかもしれないが、残念ながら(おそらく)一切報道されていないようだ。
 このような状況を現内閣構成者は勿論、今上天皇陛下もご存知の筈だ。
 日本国憲法「無効」論者にとって、一般国民はまだしも、天皇陛下の支持を獲得することは決定的に重要なことだが、今上(明仁)天皇は日本国憲法を憲法としては「無効」と考えておられるのか。
 以上、要するに、法的にも事実的にも、「内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが不可能だとは思わない。だが、その現実的可能性は極めて乏しく、ほぼ(絶対に近いほどに)絶望的だ、と考えられる。
 以上のような判断には、そもそも日本国憲法が「無効」とする論拠が必ずしも説得的ではないという理由づけが付着しているのだが、この問題は今回は省略する。
 この機会に別の、誤りだと思う点を指摘させていただく。小山・上掲書p.142はこう書いている。
 旧西独は「半年かけてドイツ人自身が起草した「ボン基本法」のことを、占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から、占領下の暫定的な基本法または暫定憲法にすぎないと位置づけた」/「…旧西ドイツは、占領中は少なくとも永久憲法を作ることは出来ないという立場を明確にした」。
 私は憲法学者ではないが、次のことくらいは知っている。端的にいえば、
「ボン基本法」が「暫定憲法」として位置づけられたのは、「占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から」では全くなく、国土・国民が二つに分裂していたからだ(p.141の条項にいう「ドイツ人民」には東独領域のドイツ人を含むのだ)。
 
「暫定」ということの意味は、「占領」期間に限ってという意味ではなく、将来東西のドイツが統一するまでの「暫定
」、という意味なのだ(首都もフランクフルトにすると永続的印象を与えかねないということであえて小都市・ボンが選ばれた)。
 たしかに1949年9月の西独=ドイツ連邦共和国発足前の「占領」中の同年5月に「ボン基本法」(「ドイツ連邦共和国のための基本法律」)は制定・施行されているが、僅か4ケ月というタイムラグを考えても、「ボン基本法」は西独という一国家にとっての正式の憲法的意味あいを持つ法(正確には特別の性格をもつ法律)として施行されたのであり、西独の発足時にいったん「無効」とされたりはしていない。占領中に施行された憲法(・基本法)が無効なら、その改正も全て「無効」となる筈だが、西ドイツは頻繁に「ボン基本法」を改正してきた。
 従って、西ドイツの例は、日本国憲法「無効」論のために有利には利用できない。
 (なお、東独を吸収・統一して統一国家のための新「憲法」制定となるのかと思ったが、現実的発想というべきか、「ボン基本法」の一条項を利用して東独を併合し、むろん多少の改正をしたうえで「ボン基本法」(正式名称は上記)の名称を改めることなくそのまま旧東ドイツ領域にも適用している。)
 ところで、過日、日本国憲法「無効」論に多少の疑問を示す文章を書いたら、すみやかに「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)と色付きで大書した一頁をもつブログ等がTBで貼り付けられた。「ドアホ!」という大きな字を見るのは不快なのでTB不許可の設定にしたら、今度は、同じハンドルネームの人から<TB不許可か、「よくやるね」>とのコメントが送られてきた。
 これも気持ちが悪いので、もっぱらこの人に対する防御を目的として、今のところTBもコメントも不許可にしている。どうかご容赦願いたい
 小山常実は上の著で、「党派を問わず、「日本国憲法」を憲法と認められない全ての方には、…加わっていただきたい」と書いておられる(p.161)。
 私は小山の二つの本を所持し部分的には読み、渡部昇一=南出喜久治の共著も(未読だが)所持している。珍しい、奇特な人間の一人ではないかと思っているが、「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)との色付きの大きな字等を貼り付けるなどというのは(色は忘れたし、確認する気もない)、支持者を増やすのを却って妨げることになるのではなかろうか。
 議論は好んでするが、従うか・従わないかと詰問されるような雰囲気は、好みではない。

0104/日本国憲法無効論はどう扱われてきたか(たぶん、その1)。

 日本国憲法無効論があるのを知り、この議論がどの程度の影響力をもっているかに関心を持ってネットで探していたら、「南出文庫」という文書ファイル名、「忘れられたもう一つの「憲法調査会」」というタイトルの文書に行き当たった。
 渡部昇一との共著がある南出喜久治の文章かと思われ、また1997年5月以降で国会両院に憲法調査会が設立される前に執筆されているようだが、いずれも確定的ではない(なお、「現行憲法破棄!、山河死守!、自主防衛体制確立!」と表紙にある「民族戦線社」のHP内に収載の文書のようだ)。
 この文書によると、こうだ。
 昭和31年の憲法調査会法にもとづき内閣に設置された「憲法調査会」は国会議員30名、学識経験者20名の計50名の委員で構成され、調査審議し、昭和39年7月3日に本文約二百頁、付属書約四千三百頁、総字数約百万字にのぼる「憲法調査報告書」を完成させて報告した。「ところが、…この報告書には、致命的な欠陥と誤魔化しがあった。それは、当時、現行憲法の制定経過の評価において、根強い「現行憲法無効論」があったにもかかわらず、無効論の学者を一切排除し、有効論の学者のみをもって憲法調査会が構成され、しかも、有効論と無効論の両論を公正に併記し、それぞれ反論の機会を与えるという公平さを全く欠いた内容となっていたからである」。/「この報告書では、当時の無効論をどのように扱ったかと言えば、僅か半頁、しかも実質には約百字で紹介されたに過ぎない。…百万字の報告書のうちのたった百字。一万分の一である。そして、報告書曰わく「調査会においては憲法無効論はとるべきでないとするのが委員全員の一致した見解であった」としている。誰一人無効論を唱える者を委員に入れずして、「委員全員の一致した見解」とは誠に恐れ入った話である」。
 上の報告書など読んだこともないが、これで当時の、すなわち1960年代前半の「雰囲気」はほぼ分かる。
 ちなみにこの文書の執筆者(南出?)は、次のようにも書く。
 「殆どの憲法学者というのは「現行憲法解釈学者」であって、これで飯を食っている御仁である。そのため、現行憲法が無効ではないかという議論がなされてくると、今まで、現行憲法の絶対無謬性を唱えてきた「現行憲法真理教」の教義が揺らぎ、今まで嘘を教えたと学生や大衆から非難され、オマンマが食べられなくなるからである。無効論に説得力がないと思うのであれば、堂々と議論して論破すればよいではないか。しかし、それは死んでもできない。なぜなら、無効論には明確な法的根拠と充分な説得力があるので、これと議論すれば必ず負けるからである」。
 現行憲法を有効視しないと「オマンマが食べられなくなる」というのはその通りかもしれない。だが、「無効論には明確な法的根拠と充分な説得力があるので、これと議論すれば必ず負けるからである」という部分には疑問符をつけておきたい。
 私は憲法学者(研究者)でも何でもないが、知的好奇心は旺盛なつもりなので、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)も買って少し読んでみた。
 南出と渡部の共著は所持しつつ未読なので、南出の無効論と小山の無効論が全く同じなのか、どう違うかはまだ知らないが、少なくとも小山の上の本には、私でも「突っ込める」ところがいく点もある。上の言葉を借りれば、「明確な法的根拠と充分な説得力」があるとは必ずしも思えない。
 詳細はここでは省くとして、つぎには、すでに2005年に(内閣に設置ではない、1960年代のとは異なる、新しい)国会両院の憲法調査会がこれまた長い報告書をすでに出しているようなので、そこで「日本国憲法無効論」がどう扱われているかを(むろんすべて本来の仕事の範囲外のことなので、時間を見つけて)調べてみよう。
 なお、多数意見が誤っており、少数意見が「正しい」こともありうる。だが、そこでの「正しさ」とはいったい何なのだろう。こうした憲法・法学的分野では、総合的に観てより合理的・論理的で、より説得的なものがより「正しい」意見なのだろう。従って、全ての人間(日本国民全員)を納得させるような「(絶対的に)正しい」見解というのはそもそも存在しないのだと思われる。というような、余計なことが頭に浮かんだ。

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