秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

小池晃

1644/天皇制はなぜ存続したか-家近良樹著(2007)。

 「天皇制が存続したのは、時代を超えた何か普遍的な要因によるのではなく、その時代の固有の事情による」。
 「その時々の権力…が、天皇を必要だと認めたからこそ、天皇というシステムが存続したのだ」。「時代を離れた検討はありえない」。
  家近良樹・幕末の朝廷-若き孝明帝と鷹司関白(中公叢書、2007)。
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 上の家近良樹著の初めに、ずばり「天皇制はなぜ存続したのか」(第一章第一節)との表題があり、日本史学上の「支配的見解」として、上のことが書かれている。
 支持したい。思いめぐらせ、考えていたこととほとんど合致する。
 「万世一系の…」というのは勿論言葉の綾で、「万」ではない。神武天皇から数えても、120余代(とされている)だから、およそ100倍に誇張している。
 また、かりに日本書紀等の記載の多くを信頼するとして、いったいいつの頃から天皇家は継続しているかというと議論は分かれている。天照大神・神武天皇からずっと、その前からもずっと、というのは、(実際には誰かの血を承けているのは間違いないだろうが)、「お話」としてはともかく、信じ難い(「神武」天皇にあたる、かつ「天皇」にあたる人物又は集団がいただろうとは思う)。
 継体天皇以降というのは、有力だと思われる。この人はそれ以前の皇統の女性と結婚したことに日本書記上ではなっているので、継体以降は、「女系」天皇だ、とも言える。
 もっと前の天皇の実在性を肯定する学者たちもいる。崇神天皇等々。
 それにしても、5~6世紀頃以降、1000年以上も続いているとすると、貴重な、稀な家系であることに変わりはない。そしてずっと、(言葉としては7世紀からだが)「天皇」という呼称を受け継いできた。
 こう長く続いたのには、それなりの理由・根拠があったに違いないと、誰もがあるいは多くの人が考えたに違いない。 
 上の家近著が紹介する、津田左右吉説、石井良助説もそうだ。
 しかし、天皇・皇室制度に内在する、固有の理屈・価値というものなどは存在しないのではないか、と考えてきた。
 何か特殊で、日本らしい「価値」を持っていたからこそ長く続いてきた、というのは、容易に思いつきやすいが、その「価値」なるものは曖昧模糊とした、「宗教」・「信念」的なものになってしまうだろう、と感じていた。
 また、そもそも、天皇・皇室制度は、飛鳥・奈良・平安・鎌倉・…・江戸・明治・…昭和…と連綿と続いているが、それぞれの時代に、天皇・皇室制度には内在しない、各「時代の価値」・各「時代の精神」があったはずなのだ。
 つまり、日本の「天皇」制度は、各時代の「価値・精神」に合わせて、姿・形を変えてきたのだ、と思われる。
 早い話が、明治維新以降、そして明治憲法下の「天皇」と現日本国憲法のもとでの「天皇」は、類似性もあるが、そしてそのことを強調する向きもあるが(「日本会議」派歴史観)、世俗権力との関係、または自らがもつ「権力」の有無等において、異質なものだ。
 大戦前後についてすらそうなので、古代天皇制の時代と中世・近世の天皇制の時代における「天皇」の意味・位置づけは大きく異なる。古代天皇制と言っても、藤原氏の台頭の前後で、大きく異なる。
 「祭祀王」としての連続性、という主張があるのかもしれない。
 しかし、「祭祀王」として存続し続けることができたのは、「祭祀王」だったから、というのでは全くない。
 秋月瑛二は、①「民主主義対ファシズム」という虚偽の構造認識を打破し、②断固として「反共産主義」の立場に立ち、③<日本的な自由・反共産主義>の国家・社会を目指したい。
 こうした構図の中では、「天皇」は大きな意味・価値を持たない。天皇制護持か否か、「天皇を戴く国柄」を維持するか否か、これは最大の決定的な主題では、全くない。産経新聞社・桑原聡の「思い」ではダメだ。
 このようなことを主張・提唱する人々には、では<日本共産党あるいはその他の共産主義者たちが擁護し、利用する「天皇」制でもよいのか>?と、問いかけたい。
 先の国会の(たぶん)内閣委員会で、日本共産党・小池晃は自民党議員たちとともに起立して賛成し、自由党・森裕子は着席のままで反対していた。このようなことが先々でもありうるだろう。共産主義者・日本共産党は、目的のためならば、「天皇」制もまた、利用するに違いない。<情勢に応じて>それを護持しようとするかもしれない。
 日本の<天皇・愛国>主義者たちは、櫻井よしこも含めて、冷静に歴史と日本を見つめる必要がある。

1309/日本共産党は「河野談話」を全面擁護し「性奴隷制」を認定する論点スリカエで朝日新聞を応援する。

 先に(この欄の6/02で)「慰安婦」にかかる歴史関係団体声明と日本共産党・小池晃等の発言の対応関係を見たのだったが、小池晃等の発言は、当然のことながら日本共産党の公式見解の範囲内のものだ。また、歴史関係団体声明が、日本共産党の見解に添ったものであることもほとんど明らかだ、と考えられる。
 以下、志位和夫・戦争か平和か-歴史の岐路と日本共産党(新日本出版社、2014.10)を、諸資料を載せているものとして用いる。
 日本共産党幹部会委員長・志位和夫は、2014年06月02日に「日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議」でこう述べた。しんぶん赤旗2014.06.04掲載。
 ・河野談話「見直し」論は、①「日本軍『慰安婦』問題の一番の核心部分である『慰安所』における強制性」=「性奴隷」にされたことに「ふたをして」、「強制連行があったか否か」に「問題を矮小化」し、②「強制連行を裏付ける公文書があったかいなかに、さらに問題を二重に矮小化する」。
 ・安倍政権に以下を要求する。①「性奴隷制」の「加害の事実」を認め、謝罪すること。②軍「慰安婦」問題がなかったとする論に対して明確に反論すること。③被害者に賠償すること。④子孫に伝えるため、この問題に関する「歴史教育」を行なうこと。
 2014年03月14日に「内外記者」からの質問に答えるかたちで、志位は以下のことを述べた。しんぶん赤旗2014.03.17掲載。
 ・「日本軍『慰安婦』制度」は、「軍の統制・監督下の『性奴隷制度』」で、「性奴隷制度」の中でも「最も野蛮でむき出しの形態のもの」だった。
 ・河野談話否定論に対しては、「今日発表した見解」で反論を尽くした。
 「今日発表した見解」とは、「歴史の偽造は許されない-河野談話と日本軍『慰安婦』問題の真実-」と題する相当に長文の、志位の以下のような見解だ。しんぶん赤旗2014.03.15掲載。以下は、基本的な構造のみ。
 ・河野談話はつぎの五つの事実を認定した。①「慰安所」と「慰安婦」の存在、②「慰安所」の設置・管理への「軍の関与」、③「慰安婦」とされる過程が「本人の意思に反して」いた=「強制性があった」、④「慰安所」における「強制性」=「強制使役の下におかれた」、⑤日本人以外の「慰安婦」の多数が朝鮮半島出身で、募集・移送・管理等は「本人の意思に反して行われた」=「強制性があった」。
 ・河野談話「見直し」派は上の③のみを否定して談話全体を攻撃する。本質・最大の問題は、「本人の意思で来たにせよ、強制で連れて来られたにせよ」、軍「慰安所」に入れば「監禁拘束され強制使役の下におかれた」「性奴隷状態とされたという事実」だ。
 ・上の③の事実認定には根拠がないという批判は成り立たない。
 以上で要約的紹介を終える。
 明瞭であるのは、日本共産党が③の問題から④の問題へと、つまり<女性の人権侵害>の問題へと論点をスリカエていることだ。これはのちの日本共産党・山下芳生発言にも見られた。そして、2014年8月に朝日新聞が行なったことでもある。朝日新聞の記事をまとめた者たちは、この日本共産党・志位和夫の見解をおそらく知っていたものと思われる。そして、それを十分に参考にしたのではないか。
 ④については、「本人の意思で来たにせよ、強制で連れて来られたにせよ」と、入所自体は「自由意思」であった場合のあることを肯定していることは興味深い。、
 それはともかく、河野談話の原文に比べて日本共産党・志位の表現はより悲惨な印象を与えるものになっている。すなわち、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいもの」だった。→軍「慰安所」に入れば「監禁拘束され強制使役の下におかれ」、「性奴隷状態とされた」。
 また、もともと、河野談話のいう、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいもの」だったという簡単な一文が正確にまたは適切に「慰安所」での「慰安婦」の状態を叙述しているか、という問題があるだろう。はたして、志位のいうように「監禁拘束され強制使役の下におかれた」というものだったのか。
 つぎに、上のように日本共産党・志位は③で「慰安婦」とされる過程が「本人の意思に反して」いた=「強制性があった」とまとめているが、この部分の河野談話の原文は、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」、というものだ。
ここにも見られるように、また志位も「強制性があった」とだけ述べているように、第一に、「慰安婦」とされる過程がすべて「本人の意思に反して」なされたとは河野談話は述べておらず、「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあ」ったと言っているにすぎない。割合としての「数多く」なのか、絶対数が少なくないという意味なのかも曖昧だ。第二に、河野談話は「官憲等が直接これに加担したこともあった」と述べているだけで、「慰安婦」とされる過程の「強制性」が全体として日本軍(・国家)の行為を原因とするものだとは述べていない。また。「官憲等」と「等」を付けて、「加担」者が日本軍(・国家)だと断定しているわけでもない。
 要するに、河野談話は、1.一般的に「強制」性を認めたものとは言い難い、2.その「強制」なるものが全体として日本軍(・国家)の行為によるものだったと述べているわけでもない。
 日本共産党・志位は、「慰安婦」となる過程は<軍による強制>と明言しないでたんに<強制性があった>と述べつつ、じつはすべてが<軍による強制>があったという印象・イメージを生じさせようとしている。概念操作・論理展開において、<卑劣>なところがある。
 むろん、河野洋平もいけない。談話発表後に、朝日新聞の記者によるものだったのだろう、<強制があったと認めるのか>という質問に、<そのように理解してもらってけっこうだ>旨を答えてしまったのだから。
 この③の部分の重要な基礎だった吉田清治証言の内容を、朝日新聞は2014年08月に事実でなかったとした。ここで紹介した志位見解はこれよりも前の時期に語られている。そして、前回に記した小池晃発言は、吉田清治証言が崩れても③の事実が否定されはしないと、これまたほとんど朝日新聞と同様に、<強弁>していることになる。
 なお、「強制」=<悪>という語感でもって「強制」という概念が使われているようだが、法律にもとづく(適法な)「強制」もあれば、一般的・包括的な<自由意思での合意・契約>にもとづく個別の「強制」の受忍というものもある。このあたりは改めて記してみたい。「強制」という概念の整理も必要だ、とかねてより感じている。

1307/日本共産党は「将来、情勢が熟したとき」<天皇制>を廃止する。

 産経新聞5/18で日本共産党・小池晃(政策委員長)は、現行憲法の「全条項を守る」と明言している。
 しかし、これは日本共産党独特の言い方、あるいは<ペテン>であって、<今のところは>または<当面は>という副詞が隠されている、と理解しなければならない。
 軍・戦力の保持を一般に禁止している九条2項についてもそうなのだが、とりわけ一条以下の「天皇」の存在を前提とする諸規定も含めた「全条項を守る」つもりであるとは思えない。
 小池によれば、1946年6月に同党が発表した日本人民共和国憲法草案は「歴史的文書」で、現在における憲法改正案として掲げているのではないらしい。
 だが、そうであるとしても、戦前に<天皇制打倒>を掲げた政党が戦後にその目標を降ろしたとは考え難い。また、日本共産党系の、鈴木安蔵を初代の代表理事とした「憲法改悪阻止各界連絡会議」(「憲法会議」)が、<護憲>ではなく<憲法改悪阻止>と謳っているのも、日本共産党にとっての(改悪ではない)<改正>は追求する趣旨を込めていると解することができるし、実際、そうであるはずだ。
 日本共産党は1961年綱領を2004年に改定した。同綱領は、日本の戦後の変化を、①「アメリカの事実上の従属国」になったこと、②政治制度が「天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治」になったこと、③「戦前、天皇制の専制政治とともに、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたこと」の三点にまとめ、②についてはさらにこう書いている。
 ②の変化の代表は日本国憲法で、「民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は『国政に関する権能を有しない』ことなどの制限条項が明記された」。
 また、今後について、次のように書いている。これ以外に綱領上の言及はないようだ。
 「天皇条項については、『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の厳格な実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。/党は、一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のため民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」。
 ここでは、<将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって><天皇制度の存廃>が解決される、と言っている。
 これについて、2004年党大会では「国民の総意に転嫁するのは無責任」等の意見があったようで、不破哲三(中央委議長)は次のように「報告」している。以下、不破哲三・報告集/日本共産党綱領p.33-(同党中央委出版局、2004)による。
 党の立場は「明確」だ。「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく」と、その「評価を明確にして」おり、今後についても、「国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだ」という方針を明示している。だが、天皇制について「国民の現在の多数意見はその存在を肯定する方向にあ」り、「その状態が変わって、国民多数が廃止あるいは解消の立場で合意しない限り、この問題での改革は実現でき」ない。「天皇制の問題」については「なんらかの改変」自体が、「憲法の改定を必要とする」。「一方、戦前のような、天皇制問題の解決を抜きにしては、平和の問題も、民主主義の問題もないという、絶対主義的天皇制の時代とは、問題の位置づけが根本から違っていることも、重視すべき」だ。
 「いま、憲法をめぐる中心課題は、第九条の改悪を主目標に憲法を変えようとする改憲のくわだてに反対し、現憲法を擁護することにあ」る。「わが党は、当面、部分的にもせよ、憲法の改定を提起する方針をもちません」。だから、「天皇制の廃止の問題が将来、どのような時期に提起されるかということもふくめて、その解決について」は、「将来、情勢が熟したとき」の問題だ、と「規定するにとどめている」のだ。
 このように、綱領上の文章ではやや曖昧ではあるが、天皇制度廃止を明記しないのは天皇制度を現在の国民の多数は肯定している、したがって廃止論が多数にならないかぎり改憲による天皇制度の廃止はできないからだ、現在の「憲法をめぐる中心課題」は「現憲法を擁護」することだが、平和・民主主義にとって「天皇制問題の解決」は不可欠なので、その解決は「将来、情勢が熟したとき」の問題だ、という趣旨を述べている。
 要するに、当面は「現憲法を擁護」するが、国民多数の意見の動向によって「将来、情勢が熟したとき」に、憲法改正によって「天皇制の廃止」を図る、と主張していると理解して差し支えない。
 このような理解に、小池晃も反対はできないだろう。不破哲三が述べた内容の合理的な理解のはずだからだ。
 したがって、当面は「守る」が、将来は「廃止」する、というのは、やや複雑な言い方をしているが、日本共産党の既定の方針だ、ということになる。日本共産党は、このような、<戦術的>な政策表明をするので、注意しなければならない。
 <未来社会-社会主義・共産主義社会>を目指す手段・過程としての(「自由」と「民主主義」の擁護・徹底を通じての)<民主主義革命>なのであって、この政党にとっては「自由」と「民主主義」も、第二段階の「革命」のための手段あるいは<便法>であることは言うまでもない。

1302/歴史関係団体「性奴隷」声明と日本共産党。

 一 歴史科学協議会(れっかきょう)などの歴史関係団体の2015.05.25声明は、<日本軍による「慰安婦」強制連行>は「事実」だとしていわゆる河野談話を擁護するとともに、朝日新聞や元記者の植村隆を明確に応援している。
 その場合に「強制」はどのような意味で理解されているかが問題だが、次のように述べている。
 「強制連行は、たんに強引に連れ去る事例(…)に限定されるべきではなく、本人の意思に反した連行の事例(朝鮮半島をはじめ広域で確認)も含むものと理解されるべきである」。
 また、「慰安婦」とされた女性は「性奴隷」だったと述べたのち、次のように述べている。
 「近年の歴史研究は、動員過程の強制性のみならず、動員された女性たちが、人権を蹂躙された性奴隷の状態に置かれていたことを明らかにしている。さらに、『慰安婦』制度と日常的な植民地支配・差別構造との連関も指摘されている。たとえ性売買の契約があったとしても、その背後には不平等で不公正な構造が存在したのであり、かかる政治的・社会的背景を捨象することは、問題の全体像から目を背けることに他ならない」。
 つまり、「動員過程の強制性」がある場合のみならず、「たとえ性売買の契約があったとしても」、背後の「不平等で不公正な構造」・「政治的・社会的背景」を捨象しないで理解すれば、「強制」だった、と言っているようだ。
 このような「強制」概念の用法は、当初の概念の拡大・変質であり、かつ問題の本質をはぐらかすものだ。
 すなわち、もともとの問題・争点は、日本国家・日本軍による<慰安婦>とするための女性の「強制」連行があったか否か、もう少しだけ広く言っても、日本国家・日本軍によって<慰安婦>となるよう「強制」された女性がいたか否か、だったはずだ。
 にもかかわらず、この声明では、「本人の意思に反した連行」はすべて日本国家・日本軍によるものであるかのような不当な叙述をしており、また、背後に「日常的な植民地支配・差別構造」がある場合の「性売買の契約」もまた日本国家・日本軍による「強制」だったと理解している。
 ほとんどが日本共産党系団体だと思われるので別に驚きはしないが、「本人の意思に反した連行」はすべて日本国家・日本軍の「強制」、そして私人間の契約(あるいは私人間の勧誘・働きかけ等)であってもすべて日本国家・日本軍の「強制」だったというのだから、無茶苦茶だ。とても「歴史」を正視しているとは思えない。
 二 このような声明がなぜ出されのか。おそらくは、日本共産党中央による、歴史関係団体に属して役員等になっている同党構成員=日本共産党員に対する働きかけがあったものと思われる。したがって、たんに日本の大学の文科系学部の実態を問題視するだけでは足りないようだ。
 2014年08月以降、ネット情報によると、日本共産党の小池晃らは、次のような発言をしている。
 2014.08.10のフジテレビ番組で小池晃-「(「慰安婦」問題で問われている)強制性というのは、無理やり連れて来たかどうかという手段だけの問題ではない。甘言や人身売買などで、本人の意思に反して連れてくれば、それは強制です」。これは後日、新聞・赤旗に掲載されている。
 この部分は、上の声明における「強制」概念の用法とほとんどか全く同じだ。
 「甘言や人身売買などで、本人の意思に反して連れてくれば、それは強制」だ、というのは一瞬は分かりやすい表現かもしれない。<意思に反して=強制して>というのは通りやすいかもしれない。しかし、問題の本質は、「甘言や人身売買などで、本人の意思に反して連れてく」ることが日本国家・日本軍によってなされたか否かだ。日本共産党・小池晃の発言にはゴマカシ、あるいはペテンがある。
 なお、2014.10.21の国会委員会で山下芳生-「ひとたび日本軍『慰安所』に入れば、自由のない生活を強いられ、強制的に多数の兵士の性の相手をさせられた、性奴隷状態とされた事実は、動かすことができない」。
 ここでは「慰安所」内のことに「強制」という語が使われている。これまた、問題の本質をゴマカすものだ。
 ややはずれるが、このような言い方をすれば、当然に、小池晃や山下芳生は日本共産党(の上位者)によってこのような発言をするようにきっと「強制」されたのだろう、ということになる。
 三 というわけで、必ずしもはっきりはしないが、上の声明と日本共産党・小池晃発言は対応している。
 日本共産党・小池の発言内容を支持し補強するために歴史関係団体の声明が使われている、という見方をすることは不可能ではない。
 また、あらためて言えば、重大なのは、上の声明が「強制」の有無の判断に、「日常的な植民地支配・差別構造」、背後の「不平等で不公正な構造」、かかる「政治的・社会的背景」を持ち込んでいるこんでいることだろう。
 こんな論法を採ることが許されるならば、戦時中の現象はすべて日本国家・日本軍の「強制」だったということも可能になってしまう。呆れてしまう物言いだ。
 さらには、次のようにも言える。上の声明は、<戦後日本>の現在の、日本共産党が公然と存在する「政治的・社会的背景」のもとで、日本共産党によって「強制」されたものだ。そのような「強制」に喜んで従っているのかもしれないが。

0254/マスコミに問う、政治家の事務所経費問題はどうなったのか。

 日々の生活や表面的なマスメディアの動向に追われていると、肝心なことが見えなくなる。十分に警戒しなければならない。
 松岡農水相の自殺について、マスコミの扱い方にも原因の一端はあったのではないかとやや遠慮気味に書いたのは自死後1週間の6/04だった。
 その頃から以降、一所懸命に彼のそれを含む政治家の事務所経費の問題に一般国民、読者・視聴者の関心を向けさせていたマスコミや政治家は、この問題をいったいどう扱ってきたのか??
 松岡の死によって、「野党もマスコミもピタリと取り上げなくなった」ではないか。
 本当に重要な問題ならば、政治家の一人の死とは関係なく、その後も究明が続けられて当然だろう。しかるに、なぜ問題については静かになってしまったのか。
 それは、まさしく松岡の事務所経費使途問題が<政争の道具>とされていたこと、安倍内閣および与党(とくに自民党)を攻撃・批判したい朝日新聞を筆頭とするマスコミの(報道に名を借りた)<政治運動>のタネに他ならなかったことを明瞭に示していると思う。「要するに「松岡追及」は全く政争の手段に過ぎなかった」。
 カネ問題に不透明で厚顔きわまる松岡ということでマスコミは安心して「いじめた」ところ、実は繊細だった彼は自殺してしまった。
 マスコミ関係者に自責の念・良心の呵責は少しは生じたのだろうか。自死自体は本人の責任に決まっているが、マスコミの「いじめ」がなければその死もなかった、という因果関係だけは語れるだろう。
 もとはといえば、事務所経費問題を揚げ足取り的に取り上げた最初の政党は日本共産党だった。同党の小池某等は、自党の方針と松岡という一人の人間の死に因果関係など認めたくないか、そもそもそういう問題意識自体を持っていないだろう。
 同党が事務所経費問題を取り上げたとき、対中国、対北朝鮮、対米国、年金・社会保険庁問題、公務員天下り規制問題、改憲問題等々、松岡という一政治家が事務所経費を本当は何に使ったのかという瑣末で些細な問題よりははるかに重要な問題はいくつもあった。共産党が最初に話題ににし、<面白がった>マスコミが追随した
 今やマスコミの関心と煽りは<年金>問題に移った。殆どのマスコミの報道の<仕方>を疑うべきだ。とりわけ、朝日新聞社は、安倍晋三に対して<私怨>をもっており、その<私怨>という感情をもって紙面を作っている。とりわけ朝日新聞の誘導的論調に騙されてはならない。
 以上のうち、一部引用は、月刊正論8月号(産経新聞社)の中西輝政「「年金」を政争の具にする愚かさ」による。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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