長部日出雄・「君が代」肯定論(小学館101新書、2009)はずっと前に、概略は読んだ。タイトルはテーマではなく(あるいは一つにすぎず)、「世界に誇れる日本美ベストテン」として、伊勢神宮・出雲大社・古事記・法隆寺五重塔・東大寺大仏・明治神宮・「羅生門」・「釈迦十大弟子」・「お伽草紙」・「君が代」を挙げて、それぞれにつき叙述する。
 書物の趣旨・内容に大きな不満はないし、むしろ肯定的に読まれるべきだろう。
 しかし、気になることもある。
 第一。伊勢神宮を語るのに、カント→カントの墓のあるカリーニングラードで成育した建築家ブルーノ・タウト、という外国人二人からなぜ始めるのだろう。
 出雲大社を語るのに、ラフカディオ・カーンという外国人の経歴からなぜ始めるのだろう。
 古事記を語るのに、外国人作家C・S・ルイスの作品からなぜ書き始めるのだろう。
 東大寺大仏に関する叙述はなぜ、マックス・ウェーバーから始まるのだろう。
 文章の書き方の趣味・作法の一つと言われれば、そうだというしかないかもしれないけれども。
 第二。かつて何であったか忘れたが、長部日出雄の文章の内容に感心・共感するともに、「左翼臭」を感じたこともあった。
 長部が伊勢神宮を初めて訪れたのは「なんと還暦をすぎてから」らしい(p.24)。「敗戦直後」の「いちばん多感な少年期」のために、「皇国史観アレルギー」が「骨髄まで徹して」、伊勢神宮を含む高校の修学旅行への参加を拒否し、「以後もずっとそこを敬して遠ざける人生」だった、という(同上)。
 同書の著者経歴欄によると、長部日出雄(1934~)は大学中退後、「週刊誌記者、フリーライター」を経て「作家」活動に入っている。
 「皇国史観アレルギー」が「骨髄まで徹して」、伊勢神宮を「敬して遠ざけ」てきたのが正確にいつまでなのかは分からないが、中高年になっても、少なくとも「還暦」の頃までは、上のような心情・態度だったと推察される。「還暦をすぎて」、「生まれて初めて鳥居をくぐって、…一回りしたとたんに、いっぺんに宗旨変えし」た、と書いている(p.24)。
 伊勢神宮のもつ不思議な力については共感する。
 だが、気になるのは、とくに「週刊誌記者、フリーライター」の時代に、「皇国史観アレルギー」を抱きつつ、いかほど<進歩的>・<左翼的>な文章を書いてきたのだろう、ということだ。そして、読者にいかほど<進歩的>・<左翼的>な影響を与えてきたのだろう、ということだ。そのような文章を、今では<自責>とでも称しうるような感覚で振り返っているのだろうか。
 他人の、しかも「作家」様の人生経路を、とやかく言う資格はないかもしれないけれども。