秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

寺島実郎

0870/山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)。

 山内昌之・歴史の中の未来(新潮選書、2008)は、著者の各種書評類をまとめたもの。
 新聞や週刊誌等の書評欄という性格にもよるのか、批判的コメント、辛口の言及がないことが特徴の一つのように読める。

 1.寺島実郎・二〇世紀から何を学ぶか(新潮選書、2007)は民主党のブレインとも言われる寺島の本だが、好意的・肯定的に紹介している(p.63-64)。これを私は読んでいないし、寺島の別の本に感心したこともあったので、まぁよいとしよう。

 2.関川夏央・「坂の上の雲」と日本人(文藝春秋、2006)については、「楽天的な評論」と形容し、「プロの歴史家たる者」は関川の「司馬ワールドの解析」を「余裕をもって」眺めればよいと書いて、おそらくは「プロの歴史家」の立場からすると疑問視できる叙述もある旨を皮肉含みで示唆している。だが、全体としては好意的な評価で抑えており、これもまぁよいとしよう。
 3.だが、中島岳志・パール判事(白水社、2007)について、この書の基本的趣旨らしきものを全面的に肯定しているように読めるが(p.180-1)、小林よしのりの影響によるかもしれないが、この評価はいかがなものだろう、と感じる。いずれ、所持だけはしている中島著を読む必要があるとあらためて感じた(こんな短い、字数の少ない、研究書とはいえないイメージの本でよく「賞」が取れたなという印象なのだが)。

 4.渡邉恒雄=若宮啓文・「靖国」と小泉首相(朝日新聞社、2006)の書評部分には驚いた。

 山内昌之自身の言葉で、次のように書く。
 「…分祀は不可能と断定し日本の政治・外交を混迷させる現在の靖国神社の姿には、大きな疑問を感じざるをえない」(p.182)。

 以下もすべて、山内昌之自身の考えを示す文章だ。

 靖国神社に「戦争の責任者(A級戦犯)と戦死した将兵が一緒に祀られている。これは奇妙な現象というほかない。…兵士を特攻や玉砕に追いやったA級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」。
 小泉首相の靖国参拝は「近隣諸国から抗議を受けるから」ではなく「日本人による歴史の総括やけじめにかかわるからこそ問題」なのだ(p.182)。

 このような自身の考え方から、渡邉恒雄と若宮啓文の二人の主張・見解を好意的・肯定的に引用または紹介している。

 山内は<神道はもっと大らかに>との旨の若宮啓文の発言に神道関係者はもっと耳を傾注してよいとし、二人の「新しい国立追悼施設施設」建設案を、批判することなく紹介する(p.182)。さらには次のようにすら書く。

 「良質なジャーナリズムの議論として、日本の進路とアジア外交の近未来を危惧する人に読んでほしい書物」だ(p.183)。

 何と、渡邉恒雄と若宮啓文の二人が「良質なジャーナリズムの議論」をしていると評価している。

 前者はうさん臭いし、後者は日本のナショナリズムには反対し、中国や韓国のナショナリズムには目をつぶる(又はむしろ煽る)典型的な日本の戦後「左翼」活動家だろう。

 この書評は毎日新聞(2006.04.23)に掲載されたもののようだ。まさか毎日新聞社と読売・朝日新聞におもねったわけではないだろう、と思いたいが。

 また、そもそも、「A級戦犯の軍人や政治家に責任がないというなら、誰が開戦や敗戦の責任をとるというのだろうか」との言葉は、いったい何を言いたいのだろうか。

 第一に、山内昌之も知るとおり、東京裁判が「日本人による歴史の総括やけじめ」ではない。A級戦犯を指定したのは旧連合国、とくに米国だ。かつ、とくに死刑判決を受けた7名の選択と指定が適切だったという保障はどこにもない。山内昌之は「戦争指導」者は「A級戦犯」死刑者7名、またはA級戦犯として処罰された者(のちに大臣になった者が2名いる)に限られ、それ以外にはいないと理解しているのだろうか。かりにそうならば、東京裁判法廷の考え方をなぜそのまま支持するのかを説明する義務があろう。

 そうではなくもっと多数いるというならば、山内がいう「開戦や敗戦の責任」をとるべき「戦争指導」者の範囲は、山内においてどういう基準で決せられるのだろうか。その基準と具体的適用結果としての特定の人名を列挙していただきたいものだ。
 これは日本国内での戦争<加害者>と<被害者>(山内によると一般「兵士」はこちらに属するらしい)の区別の問題でもある。両者は簡単にあるいは明瞭に区別できるのだろうか? 朝日新聞社等の当時のマスコミには山内のいう「責任」はあるのか、ないのか?、と問うてみたい。また、<日本軍国主義>と<一般国民>とを区別する某国共産党の論と似ているようでもあるが、某国共産党の議論を山内は支持しているのだろうか?

 第二に、「A級戦犯」とされた者は「開戦や敗戦の責任」を東京裁判において問われたのか? この点も問題だが、かりにそうだとすると、「A級戦犯」全員について、とくに絞首刑を受けた7名について、各人が「開戦」と「敗戦」のそれぞれについてどのような「責任」を負うべきなのか、を明らかにすべきだ。「開戦」と「敗戦」とを分けて、丁寧に説明していただきたい。

 新聞紙上で公にし、書物で再度活字にした文章を書いた者として、その程度の人格的(学者・文筆人としての)<責務>があるだろう。

 第三に、山内昌之は「責任」という言葉・概念をいかなる意味で用いているのか? 何の説明もなく、先の戦争にかかわってこの語を安易に用いるべきではあるまい。

 ともあれ、山内昌之は「靖国神社A級戦犯合祀」(そして首相の靖国参拝)に反対していることはほとんど明らかで、どうやら「新しい国立追悼施設施設」建設に賛成のようだ。

 5.山内昌之といえば、昨年あたりから、産経新聞紙上でよく名前を目にする。

 産経新聞紙上にとくに連載ものの文章を掲載するということは周囲に対して(および一般読者に)一定の政治信条的傾向・立場に立つことを明らかにすることになる可能性が高く、その意味では<勇気>のある行動でもある。

 だが、上のような文章を読むと、確固たる<保守>論客では全くないようで、各紙・各誌を渡り歩いて売文し知識を披露している、ごくふつうの学者のように(も)思えてきた。

 1947年生まれだと今年度あたりで東京大学を定年退職。そのような時期に接近したので(=学界でイヤがらせを受けない立場になりそうだから)、安心して(?)産経新聞にも原稿を寄せているのではないか、との皮肉も書きたくなる。

0554/6/08「秋葉原・通り魔」事件の報に接して、遅ればせながら。

 一 6/08に<秋葉原・通り魔>事件が起きた。逮捕された犯人は、25歳だという。ということは、1982年か1983年の生まれ。
 1997年5月に、神戸で「酒鬼薔薇」と称した当時14歳の少年による「猟奇的」殺人事件が起きた。この少年は1982年7月生れで、今回の秋葉原の事件の犯人と同じ年か前年の生まれ。二人は少なくとも同一世代に属している
 法的な制裁はむろんこれら犯罪者に(責任能力があれば)課せられるべきだが、<戦後日本>の教育・社会に問題はなかったのか、という問題意識はもって然るべきだろう。
 ということから、別の所に1年以上前に自分が書いた文章を思い出した。  二 1 月刊・正論2007年3月号(産経新聞社)の中の稲垣武のマスコミ論評の中に一種の世代論がある。-「いじめやホームレス殺し、さらには親兄弟殺しなどが多発するいまの少年の親は、団塊ジュニアの世代に当たる」(p.174-5)。これは不正確だ。「団塊」を1947-49年でなく便宜的に1945-50年生れとし、かつ20-40歳で子供を持つとすると「団塊ジュニア」は1965-90年生れと拡散する。この世代がやはり20-40歳で子供を持つとすると、1985-2030年生れとさらに拡散する。一方、近年諸犯罪等を冒している青年たちを10-25歳とすると2005年を基準として1980-1995 年生れとなり、その親は20-40歳で彼らを生んだとすると、1940-75年生れとなる。上で記した「1965-90年生れ」とかなりズレているのでないか。
 ともあれ、「ジュニア」世代は年令幅が拡大するので注意が必要だ。稲垣はまた、「団塊」世代の親は「昭和一桁世代」と書くが、これは明確な間違いだ。 1945-50年生れの者を20-40歳で生んだ者は、1905-30年生れという計算になり、「団塊」世代の親は明治38年から大正を経て昭和5年までに生まれている。中心は大正時代生れと見るべきで、「昭和一桁世代」とするのは誤りだ。
 稲垣のあとの叙述を読むと、中西輝政・日本人としてこれだけは知っておきたいこと(PHP新書、2006)内の世代論と同旨のところがあり、後者の影響を受けていると見られる。だが、中西は1965年以降生れを(1935年以降生れを親とする、)「昭和二世」 と称しており、「団塊ジュニア」とは称していない。「昭和二世」と「団塊ジュニア」は必ずしも一致しないのだ。
 2 このような気になる所はあるが、稲垣武の指摘が基本的に誤っているわけではない。中西輝政の本を見ないまま稲垣の文を使っていえば、昭和の第一世代には「戦前からの倫理道徳が根強く残って」いて「子供のしつけ」にもそれは反映されていたが、第二世代はそういう親はいても「『戦後教育』にどっぷり漬かって育った世代」で「子供にそんな倫理道徳を教えることはなかった」。その子供たちの第三世代は「学校でも家庭でも倫理も道徳も教えられず、野放しの欲望だけを剥き出し」、「残虐ないじめ」等をする(中西氏は第二世代を1965年以降(か前後)生れの世代としていたかと思うが、稲垣氏はこの第二の世代を誤って「団塊」世代に読み替えている)。
 3 かかる基本的な理解はおそらく適切だ。戦前の教育が100%素晴らしかったとは毛頭思わないが、戦後と比べれば、国家・社会公共への奉仕精神、お互いにいたわり合う心、最近よくいう「規範意識」を培うような教育だったように思われる。
 上の第一世代にはこれが残り、第二世代にもある程度は伝えられたはずだが、第二世代は自分の子供たちにそのような「しつけ」はせず、公教育の場でも「個人の尊重」(現憲法、旧教育基本法)の方が優先された。第二世代にもある程度は伝えられた、と書いたが、第一世代の直接の言葉によることもあれば、無言の立ち居振る舞いによることもあっただろう。
 だが、思うに、敗戦と「価値観の転換」があって、第一世代は、また学校の教師も、国家・社会公共への奉仕精神等々を第二世代に「自信をもって」教えることはできなかったのでないか。そうして育った第二世代がその子供たち(第三世代)に社会公共への奉仕・いたわり合う心等々の「しつけ」をできるはずがない。「団塊」世代は第一世代と第二世代の中間だが、第二世代により近いことは確かで、稲垣の見当は全く外れてはいない。私や周囲の同世代の者を見てもそれは判る。
 4 本筋からやや離れれば、戦後の男女対等教育のもとで戦前よりは高学歴を身につけながらも職業人でなく多くは「専業主婦」となった「団塊」世代の女性たちは(上の第二世代の女性も同様だろうが)、いかなる「基本的価値」を自分たちの子供に伝えるかを迷ったか、又はそんなことを全く意識しなかったかのいずれかだろう
 そして、時間的にも余裕があった彼女たちが最も気にしたのは、自分の子供をどの高校・大学に進学させ、どの著名な企業に勤めさせるか又はどの立派な職業に就かせるかであり、そこには<国家・社会公共>との関連性などまるでなく、ただ同世代の他人の家庭との比較により関心があり、子供の「個人的」成果は同時に自分の「個人的」成果でもあったのだと思われる。
 そのような女性たちを、「働きバチ」又は「モーレツ」サラリーマン男性だったその夫たちは放任するか、消極的又は積極的に協力した。
 以上のような話はむろん相対的な「傾向」を述べており、実証的な根拠・資料があるわけでもない。だが、私も含む戦後教育のみを受けた者の多くが子供たちに望んだのはよい「成績」・よい「学校」・よい「就職先」であり、よい・立派な「人格」ではなかったこと、「社会公共への奉仕心」を持つことではなかったこと、だけはほぼ明らかではなかろうか。むろん、教育を受けた側にのみ責任があるわけではない。学校及び教師を含む「時代」の雰囲気がそうだったのだ。いや、現在でもそうかもしれない。
 5 神戸の「酒鬼薔薇」事件の14歳少年は1982年7月生れで、その両親はともに「団塊」の1950年生れだった。寺島実郎・われら戦後世代の「坂の上の雲」(PHP新書、2006)は、その両親の手記(私は未読だが、「少年A」・この子を生んで…(文春文庫、2001))を読み、「まったく書いていないこと」に「気づいて愕然とした」という。-「この本にはただの一度も『社会』とか『時代』という問題意識が出てこない。つまり、時代の課題に親として、大人として関与して苦闘しているという部分がまったく登場しない」(p.126-7)。寺島氏自身が1947年生れだから「愕然」としつつも納得できる所があった筈だ。
 寺島はこうも書く-「団塊世代」の環境には、「国家とか社会とかいった全体の価値を胡散臭いものとして否定し、拒否する」という「『戦後民主主義』がつくりだした独特の文化状況が存在した」。
 「団塊」世代が公教育を受けていた時代、おおよそ1955-65年にはまだ「いじめ」とか「学級崩壊」という言葉はなかった。地方や地域・学校により異なるだろうが、言葉のみならず実態も相当に少なかったのではなかろうか。上の言葉は1970年代の後半になって出てきた。中西輝政がいう「昭和二世」の先頭が小学生から中学生になった頃だ。
 6 まだ一部なのかもという期待はもはやできず、いずれかの時期から学校・教育・家庭環境は「おかしく」なったように思われる。そして、それが寺島のいう「戦後民主主義」という「独特の文化状況」によることは間違いないと思われる。別言すれば、「戦後」日本の「悪しき『個人』主義・『平等』主義」という精神・文化・社会状況だ。<悪しき「平等」主義>は、<(平均)人並み>に処遇されない者に、過大な対社会への不満感情と過大な自己卑下感情を形成させ得る。この<悪しき「平等」主義>は、<悪しき「個人主義」>を基礎にしている。
 「戦後体制からの脱却」とはかかる状況からの離脱をも意味していた筈なのだが。

0220/参院選と中西輝政「潮流を見誤るな!世界は保守化している」。

 6/10の15:30のエントリーの中で、読売新聞上の某書評者が「戦後教育の欠陥は「行き過ぎた自由」などではない。集団主義による「個人の尊厳」の抑圧こそが問題だった」と書いていたのに対して、私は、「戦後教育の欠陥」は「行き過ぎた自由」というよりも「行き過ぎた個人主義」ではなかったか、と思っている。ということは、「個人の尊厳」が尊重され過ぎた、ということでもあり、書評者の理解とは正反対になる」と書いた。
 6/09にも言及した櫻井よしこ月刊正論7月号(産経)誌上の論稿を改めて見てみると、こんな文があった(順序を少し変えている)。
 現憲法三章が示すのは「自分だけよければそれでいいという考え方」、「権利と自由を強調し、責任も義務も放棄したに等しい価値観だ」。これは「戦後日本の、自分さえ良ければよいという価値観」でもある。「自分が傷つかなければよい。自分が非難の的にならなければよい。…個人の安寧が至上の価値である。個人の豊かさを求め、自分さえ問題に直面しなければいい」。
 櫻井はむろん、上のことを批判的に指摘している。
 現憲法13条のいう「個人として」の「尊重が行き過ぎた、というのが私の理解だ。この行き過ぎは、「自分さえ良ければよい」、「個人の安寧が至上の価値である。個人の豊かさを求め、自分さえ問題に直面しなければいい
」との考え方を生み出したのであり、私の感覚は櫻井とほぼ一致している。
 同じようなことを反復すれば、自分さえよければ、自分と恋人さえよければ、自分と家族さえよければ、自分と自分が勤める会社さえよければ…というのが、戦後を覆っていた価値観だったと思える。そこには、日本社会全体も日本国家もなかった。
 こうした<ミーイズム>が戦後の精神的雰囲気の特徴だったことを、寺島実郎・われら戦後世代の「坂の上の雲」(PHP新書、2006)も指摘していた。
 さて、もともと言及したかったのは、月刊正論7月号の中西輝政「潮流を見誤るな!世界は保守化している」だった。
 松岡農水相自殺・年金記録不備問題が生じる前の文章だが、中西は7月の参院選挙を「「日本の再生」「戦後レジームからの脱却」が、さらに進むか否か、今後数十年にわたる日本の進路にかかわる非常に大きな意味をもった選挙」と捉えている。
 そして、<歴史の岐路>を思わせるのは日本だけではなく、今年から来年にかけての韓国、台湾、ロシア、アメリカの大統領(総統)選挙もそうだとする。また、<さらなる保守化>が世界を覆っている潮流だとし、今年のフランス、一昨年のドイツ、保守党人気向上のイギリスなどを挙げる。
 アメリカはイラク戦争問題という特殊要因はあるが民主党が次期大統領選挙で勝つとは限らず、また民主党自体が従来よりも「保守化」している、という。
 そのうえで改めて日本の参院選を「戦後レジームから脱却」し「世界に一歩、大きく踏み出す選挙」にする必要があると説く。
 このあたりから、中西の「保守」観が出てくるので、私には興味深い。中西氏は言う。
 「自らの文明的特質に依拠して、啓蒙主義的な近代思想を相対化しうる視座こそ保守の本領」、「自民党は反共ではあったが、保守ではなかった」、「冷戦終焉後…古いリベラル気運にさえ惑わされていたこともあった」、その後も「まだ「原始的な保守」に過ぎず」、「日本の保守は世界から見れば「二周遅れ」、「だから、安倍首相は、「理念の保守」と「戦略の保守」の二本足を目指すしかなかった」、等々。
 阪本昌成の本を読んでいるおかげで「
啓蒙主義的な近代思想」なるものの意味はほぼ解り、「それを相対化しうる視座こそ保守の本領」という表現もほぼ理解できる。但し、理念の保守」と「戦略の保守
」の二本足、ということの意味はよく判らない。
 それにしても、「保守化」している世界的風潮の中で、「日本の保守は…二周遅れ」とは厳しいが、きっとそうなのだろう。日本には日本の社民党や日本共産党という<夾雑物>がまだ残っており、保守対リベラル、あるいは自由主義対(現実的)社会民主主義という、多くの先進国が至っている政治の対決構図には全くなっていないのだ。
 かりに自民党が「保守(自由)」だとしても、そもそもわが国の民主党とは何なのだろう。いくら何でもこの党全体を「リベラル」とか「左派リベラル」とは言えないだろう。日本共産党と同質の如き議員も存在する一方で、自民党議員であっておかしくない(河野洋平加藤紘一に比べてより「保守的」な)議員もいる。
 そういう政党が仕掛けてくる自民党批判・自民党攻撃は、そもそもいかなる積極的な意味があるのだろう。
 <ともかく政権交代、そのための一歩を>という主張には眉に唾した方がよい。1993年に政権交代が現実に起こったのだったが、まさに現民主党代表の小沢一郎が中心的役割を果たしたあの政権交代(細川連立政権誕生)は日本の政治史上、いかほどの肯定的評価を受け得るのか。
 しかし、自民党が敗北し(議席数を減少させ)民主党等の野党が勝つ(議席数を増やす)方が日本のためになると「何となく」考えている人も多いのだろう。そういう人には尋ねてみたいものだ、民主党等の野党が勝利又は躍進することがなぜ日本のためになり、日本の発展・進歩に寄与するのか?、と。
 ともかくも安倍首相が嫌い、というだけでは、何と志が低いことだろう。反自民=進歩的・良心的という「思い込み」によるのだとしたら、これまた戦後に「進歩的知識人・文化人」によって<刷り込まれた>単純・幼稚な発想だ。

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