秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

宮沢喜一

0779/資料・史料-1992.07.03「従軍慰安婦問題」加藤紘一官房長官談話。

 資料・史料-1992.07.03「従軍慰安婦問題」加藤紘一官房長官談話(加藤談話)
 

 //朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表
 平成4年7月6日

 朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題については、昨年12月より関係資料が保管されている可能性のある省庁において政府が同問題に関与していたかどうかについて調査を行ってきたところであるが、今般、その調査結果がまとまったので発表することとした。調査結果について配布してあるとおりであるが、私から要点をかいつまんで申し上げると、慰安所の設置、慰安婦の募集に当たる者の取締り、慰安施設の築造・増強、慰安所の経営・監督、慰安所・慰安婦の街生管理、慰安所関係者への身分証明書等の発給等につき、政府の関与があったことが認められたということである。調査の具体的内容については、報告書に各資料の概要をまとめてあるので、それをお読み頂きたい。なお、許しいことは後で内閣外政審議室から説明させるので、何か内容について御質問があれば、そこでお聞きいただきたい。
 政府としては、国籍、出身地の如何を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし難い辛苦をなめられた全ての方々に対し、改めて衷心よりお詫びと反省の気持ちを申し上げたい。また、このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に立って、平和国家としての立場を堅持するとともに、未架に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。
 この問題については、いろいろな方々のお話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがする。このような辛酸をなめられた方々に対し、我々の気持ちをいかなる形で表すことができるのか、各方面の意見も聞きながら、誠意をもって検討していきたいと考えている。//

0778/資料・史料-1993.08.04「慰安婦」河野洋平官房長官談話(河野談話)。

 資料・史料-1993.08.04「慰安婦」河野洋平官房長官談話河野談話

 //慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
 
平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。//

0777/資料・史料ー1982.08.26「歴史教科書」宮沢喜一内閣官房長官談話。

 資料・史料-1982.08.26「歴史教科書」宮沢喜一官房長官談話

 //「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話
 昭和57年8月26日
 一、 日本政府及び日本国民は、過去において、我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、このようなことを二度と繰り返してはならないとの反省と決意の上に立って平和国家としての道を歩んできた。我が国は、韓国については、昭和四十年の日韓共同コミニュニケの中において「過去の関係は遺憾であって深く反省している」との認識を、中国については日中共同声明において「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し、深く反省する」との認識を述べたが、これも前述の我が国の反省と決意を確認したものであり、現在においてもこの認識にはいささかの変化もない。
 二、 このような日韓共同コミュニケ、日中共同声明の精神は我が国の学校教育、教科書の検定にあたっても、当然、尊重されるべきものであるが、今日、韓国、中国等より、こうした点に関する我が国教科書の記述について批判が寄せられている。我が国としては、アジアの近隣諸国との友好、親善を進める上でこれらの批判に十分に耳を傾け、政府の責任において是正する。
 三、 このため、今後の教科書検定に際しては、教科用図書検定調査審議会の議を経て検定基準を改め、前記の趣旨が十分実現するよう配慮する。すでに検定の行われたものについては、今後すみやかに同様の趣旨が実現されるよう措置するが、それ迄の間の措置として文部大臣が所見を明らかにして、前記二の趣旨を教育の場において十分反映せしめるものとする。
 四、 我が国としては、今後とも、近隣国民との相互理解の促進と友好協力の発展に努め、アジアひいては世界の平和と安定に寄与していく考えである。//

0304/中西輝政「構造改革なくして「美しい国」はない」(別冊正論エクストラ)を読む。

 7/23に通読し終えていたのだが、中西輝政「構造改革なくして「美しい国」はない」(別冊正論エクストラ07、2007所収p.52以下)はなかなか(いや、たぶん極めて)スゴい、優れた論文だ。
 巷の選挙戦論議における政党の主張のレベル、各新聞社の政治記者の記事のレベル、そして月刊現代に駄文を掲載している立花隆の議論レベルと比べて、これらがアホくさくなるほどに、視野が広く、分析が深く、歴史を丁寧に見ている
 立花隆の議論は要するに、<日本の戦後の「繁栄」(経済大国化)は軽武装主義の憲法(九条)のおかげ>ということに尽きる。上の中西論文を読むと、立花隆のように2007年までの戦後を全てひっくるめて議論している(冷戦崩壊にもバブル崩壊にもまともに言及していない)のが、まるで、大学研究者と幼稚園児の違いのように感じるほどだ。少しでも立花隆の議論に傾聴し、少しでも立花隆に敬意を払っている者は、上の中西輝政論文(その他の同氏の論文・著書)と比べてみるとよいと思われる。立花隆の衰え・鈍さ・粗雑さを看取できるに違いない。
 と書きつつも、中西氏の思考・分析を正確に論評・評価できる能力・資格が私にあるはずもない。上の論文の副題又はリードは「世界は「思慮深い保守」の時代に入った。改革の痛みを克服し自立した国をめざせ」で、これが論旨・主張の要点だろう。以下、途中から要約的に紹介する。
 1.欧州での冷戦終了後、大幅対米黒字を背景に「日米構造協議」交渉が始まり、米国は日本に市場開放・大幅規制緩和を求めた。しかし、日本人の関心は「三つのあらぬ方向」に向いていた。一つは85年以降の<バブル景気>、二つは日本経済の世界一化、三つは<グローバリゼーション>というのみの国際経済動向認識。
 2.そのとき、バブルが崩壊しはじめ、「91年の湾岸戦争で、バブル崩壊がはっきりする」。この二つは、「「軽武装・経済繁栄」と言われた戦後日本の「国家戦略」の敗北を意味」した。
 この敗北は文字通り「第二の敗戦」だった。このとき、「不可避の戦後処理」課題が二つ生じた。「構造改革」と「憲法改正」だ。
 3.にもかかわらず、安保政策も経済政策も変わらず、竹下・海部・宮沢内閣の時代に「内需拡大策、四百数十兆円の国内投資」を対米公約にさせられた。
 4.ケインズ主義的景気刺激策としての公共投資・需要創造によっても景気は回復しなかった。戸惑っているうちに、経済の<戦後ドリーム>の崩壊は「政治危機に発展」し、細川内閣・村山内閣誕生という「混乱した事態」となり、国内的な「政治的意思決定が全くできない政権が橋本内閣の前まで続いた」。
 5.バブル崩壊の影響は深刻で「日本の金融システムを危機に陥れ、日本経済の「戦後レジーム」を崩壊させて行った」。
 そこで日本経済の自主的な「構造改革」の必要性が明確に認識された。「金融ビッグバン」の完成は、2001年・小泉政権誕生の年だった。
 6.英米から始まった経済改革(サッチャー・レーガン)は大きな世界的潮流だったが、日本は認識が遅れ、国内は<戦後体制>のままで凌げるという「無知と楽観」が「バブルの発生と崩壊」をもたらした。日本経済のどん底化を経験して初めて「構造改革」の必要性に気づいた。
 日本人は視野狭窄で、「構造改革」が<大きな政府から小さな政府へ>への転換という「資本主義の本質的問題と結びついている」ことが理解できなかった。21世紀を前に、日本は「決定的な出遅れ」をした。全ての原因は「世界を見る眼とそこでの国家戦略の欠如」だった。
 7.グローバル化・ボーダーレス化は経済次元のことで、個別国家の消失を意味しない。多くの国は国際経済の変化を自国の国力の向上に利用しようとした。日本もまた、「この潮流に抗して何が出来るか、遅くとも九〇年代始めに詰めて考えて置くべきだった」。経済とともに「安保つまり憲法改正と「国防の自立」も同時に着手しておくべきだった」。
 しかし、日本は古い経済システムの中では先頭にいたために認識が遅れた。「いまだに「国防の自立」が…世界で重要か、目覚めようとしない」のと同様だった。経済についての覚醒は橋本内閣以降で、明確な自覚は小泉内閣になってからだ。
 8.小泉内閣登場までの「失われた十年」に「国家の競争力にとって非常にまずい」ことがあったが、それは「「第二の敗戦」のまごうことなき結果」だ。しかし、その責任の議論や総括は全くなされていない。
 小渕内閣・森内閣でもまだ「財政出動」による「景気回復」という議論と政策を続け、「ドブに金を捨てる」ことになったが、財政赤字が最大になった宮沢内閣、小渕内閣の宮沢蔵相、ということからして、財政積極論者・アメリカ「タダ乗り」論者・「「大きな政府」の体現者」だった宮沢喜一は、「第二の敗戦の「A級戦犯」の筆頭」に他ならない。
 9.グローバル化もマクロ的には終わろうとし、欧米では活性化とともに生じたカオスを調整する段階に入っている。それが「新・新保守」・「ネオ・ネオコンサーバティブ」ともいうべきフランスのサルコジ、ドイツのメルケル等の政権だ。日本では小泉政権がサッチャーの役割を果たしたとすれば、安倍政権のすべきことは「小さな政府」(構造改革)が引き起こした大波、小波を日本独自のやり方で克服していく作業」だ。
 10.小泉構造改革により景気は全体として顕著に回復した。その過程での「陰」・「負」の部分のみを指摘するのは正しくない。
 雇用の問題は重要だ。一方、「「官の支配」の打破」も重要で、安倍首相は公務員制度改革の入口・「天下り」規制に取り組んだが、「徹底的にやらないと、日本経済のさらなる潜在力は発揮できない」。それこそ「戦後レジームからの脱却」で、「官の支配」という日本の根本的構造を変えないと他の一切の構造改革は進まない。「「官の構造」に大きなメスを入れる」ことは「安倍改革の大きなテーマ」だ。
 以上。
 1990年前後に日本は大きな転機を遂げた。中西は「第二の敗戦」と位置づける。それから20年近くも経つのだが、立花隆は相変わらず日本が「繁栄」しているという前提でモノを書いている。彼の本が一番売れた頃と時代自体が相当に変わっていることが、立花隆には全く見えていない。
 それはともかく、むろん上述のとおり、中西の議論の妥当性を証することはできないが、世界の中での日本の位置と日本独自の課題、小泉内閣や安倍内閣の性格・課題等について、示唆に富むと言えるだろう。
 中西は政治学者の一人の筈だが、財政・経済問題にも関心を持っており、詳しそうだ。そしてやはり、それこそ人びとの<生活>に最終的には直結する経済・財政政策こそが政治にとっては最重要又は最も基礎的だと感じる。
 7党党首討論会で安倍首相は<自分は財政主義者ではない、経済主義者だ>と発言したのだったが、理解した政治部記者や国民はどれほどいただろうか(私には解る)。
 また、安倍首相は<改革か逆行か、成長か逆行か>と訴えているが、これの意味を理解できる政治部記者や国民はどれほどいるだろうか(私には解る)。
 安倍首相がハード・イシューを取り上げ、国民にわかりやすく説明していないという批判は十分にありうると思うが、彼の主張が誤っているわけではない。経済成長があってこそ借金を返せるし、福祉・社会保障にも金を回せるのだ。
 中西が最後に指摘する<官の支配の打破>もなるほどと思わせる。OBを含む上級官僚も含めて、安倍に批判的な官僚がいるのも解るような気がする。
 たぶん前の日曜日の午前八時台のトーク番組で、元大蔵省の榊原英資がしたり顔で安倍内閣には<ガヴァナビリティ(Governability)>(統治能力)という点で問題がある旨を言い、安倍の指揮能力を疑問視したいふうだったが、彼自身が<第二の敗戦>の責任を負うべき大蔵省の有力官僚の一人だったのではなかろうか。そしてまた、彼は、日本全体、日本の将来のことよりも、後輩たちを含む「官僚」世界の既得権的地位の保持に関心を持っているのではなかろうか。そういう人物が、客観的に安倍政権を理解・論評できるはずがない。
 中西は安倍政権が参院選後も継続するという前提で、この論文を執筆しただろう。「官の打破」を含む「安倍改革」を継続・推進するためにも、安倍首相や彼を支える自民党は頑張ってほしいものだ

0284/大嶽秀夫・日本政治の対立軸(1999)を少し読む-その2。

 大嶽秀夫・日本政治の対立軸-93年以降の政界再編の中で(中公新書、1999)のp.36は、93年以前についてだが、「マスメディアは、党派的中立性を装いながらも、自民党一党支配が続くことは非民主的で、政権交代が望ましいとの主張は一貫してとりつづけた」と書く。
 宮沢喜一内閣不信任決議後の93年総選挙時に、たしかテレビ朝日の某氏が、野党に有利に(自民党に不利に)番組を作ったとのちにマスコミ関係の会合で発言して物議を醸したことを思い出す。
 現在のマスメディアは上の記述ほどには単純ではないと思うが、細川内閣誕生、さらには村山内閣誕生という<政権交代>をすでに経験し、それらの経験が国民・社会にとって決してプラスだったと少なくとも断じることができないことは明らかなのに、今なお、<とにかく政権交代を>と主張している人・考えている人がいるのには呆れてしまう(月刊WiLL誌でアリバイ的に?反安倍コラムを連載している岡留安則(元噂の真相編集長らしい)はその一人だ。私はこの人の政治的センスを疑っている)。
 さて、大嶽の本に戻ると、p.45-56あたりではこんなことが書かれている。
 1.70年代末以降「政策エリート内部」では「新保守主義」の主張が有力化し、経済政策において、「社会民主主義合意(ケインズ型福祉国家)」に対する「ネオ・リベラル」防衛・外交政策において、70年代のソ連の軍拡に対応した西側防衛への貢献論、冷戦後の積極的な国際貢献論への傾斜による自民党内のハト派や社会党の平和主義者」への対抗を内容とした(p.46-47)。
 2.新自由クラブの経済政策は「ネオ・リベラル」の先取り的面もあった。80年代の中曽根内閣の戦略も同様だ。後者は、防衛・外交政策上の「新保守主義」の登場だった(p.47)。
 3.新自由クラブ内で、河野代表-「従来の社会党寄りの保守内ハト派・中道」と西岡幹事長-「萌芽的ネオ・リベラリズムによる「保守刷新」」の対立は、同クラプの分裂・解党につながった。
 のち西岡武夫は小沢一郎の盟友として新進党幹事長となる。河野・西岡の対立はのちの自民党・新進党の保守対決を予言したかのようだ(p.49)。
 ここで私が口を挟めば、上の叙述からすると、西岡・河野の対立は<新保守的>・<親社会民主主義>という、あえていえば、西岡・右、河野・左の対決だった筈だ。しかして、現在の二人を見ると、河野洋平は自民党総裁を経て衆院議長、西岡武夫は旧日本社会党議員もおり日本共産党とも同じ候補を推薦することもある民主党の一議員として今回の参院選挙に立候補する。この分かれに小沢一郎が影響を与えたことは明らかなのだが、政治家の<政党渡り>の結果の奇妙さ・面白さを感じる。
 大嶽の本に戻る。4.中曽根首相の<新保守主義>による「政党再編」を中曽根は「左にウィングを伸ばす」と表現したが、三つの側面があった。第一にソ連圏に対する国際的「自由主義」により日本の防衛力整備を正当化する、第二に、官公労を既得権益擁護者と批判し、そのことで官公労を組織基盤とした平和運動・勢力に打撃を与える、第三に、小店主・農民への自民党の依存を小さくし、都市新中間層等に支持を広げる(p.50-51)。
 5.中曽根首相の戦略は1988年選挙での自民党圧勝等、日本社会党の重大な後退を生じさせたが、短期的で長期的政界再編はなかった(p.51)。
 6.中曽根首相の<新保守主義>による政策群は「日本の一般の有権者にとっては、理解が「難しい争点(hard issue)」だった(p.52)。その理由は第一に、外交・防衛上の「国際貢献」に関する議論は従来の保革の対立軸を覆す効果をもたず、第二に、「経済政策についてのネオ・リベラル的な処方箋は、日本政治に登場して間もなく、国民に馴染みの少ない」もので、第三に、「旧中間層を手放して、新中間層に支持基盤をシフトさせる用意」は、中曽根首相にも自民党にもなかった。
 というわけで、<社会民主主義的合意>があり、<新保守主義>又は<ネオ・リベラル>による政策が「難しい争点」だったとすると、日本国民はいったい何を<基準>にして投票行動してきたのだろうか
 たまたまのスキャンダルめいたものの多寡によって政党の議席獲得数が左右されてきたのでは、少し(いや大いに?)情けないのではなかろうか。さらに読みつづける。

0255/参院選の基本的な争点は何か。

 今月末の参院議員選挙では、いつの選挙でもそうだが、現時点の日本がどういう国際環境に置かれ、国内的にどういう経済的・社会的状況にあるのかをふまえたうえで、どの政党又は候補者に「政治」を任せるかが判断されなければならない。
 その場合、どうしても、巨視的かつ歴史的な今日という時代の位置づけ、そして安倍晋三政権の意味、に考えをめぐらすことも必要だ。
 巨視的かつ歴史的に見た場合、私は次のような変化の真っ只中にあるのが今日の状況だと考えている。
 第一は、経済政策的にみて、ケインズ主義的な国家介入とともに「社会民主主義」的とすら言えるような国家による経済(市場)への介入および「福祉」政策を展開してきた、かつそれが財政的にまだ可能であった時代から、国家の一種の「放漫」経営をやめた、「自由主義」的経済政策、スリムな国家づくり、国家の<役割・分限>をわきまえた政策運営へと舵を切りつつある重要な時代の転換点にある。
 こういう傾向、動向は不可避であり、進めるべきものと私は考える。
 米国にレーガン、英国にサッチャーという、「自由主義」者(「保守主義」復活者)が現れ、欧州における<冷戦>も終わったのだったが、日本は90年代に逆に、細川連立政権・村山連立政権という「社会民主主義者(+一部の本当の社会主義者)」が加わった政権ができたために、「自由主義」への回帰が決定的に遅れた。小泉内閣以降の<構造改革>とはこうした遅れを回復しようとするもので、ケインズ主義的又は社会民主主義的な国家の介入、言い換えれば国家への依存、に慣れた者にとっては<弱者に冷たい>・<格差が拡大する>等の批判になっているのだろうが、国家も<無い袖は振れない>場合があるという現実をまともに直視すべきだ。
 いったいいくらわが国家は国民から借金しているのか。国家の赤字は結局は国民の負担となる。できるだけ早く借金漬け国家財政から脱却しなければならない。
 国家財政を圧迫しているのが国家の被用者=公務員の人件費だとすれば、これも削らなければならない。余計な事務・仕事を国家(公務員)が引き受ける必要はないし、まじめに仕事せず、ましてや意識的・組織的にサボりミスをして国家運営をしている政権与党に不利になるようにと考えていたような公務員は、まず第一に放逐する必要がある。
 第二に、1980年以降だと思うが、特定アジア諸国に対しては、過去の贖罪意識からか、弱腰で、言いたいことも言えない、逆に相手の意向に合わせて、事実でないことも事実であるかの如く認めてしまうような<卑屈な>外交が行われてきたが、これを改めて真に対等に、堂々と是々非々を発言し、議論する外交等を毅然として特定アジア諸国に対して行うように変わりつつあるように思われる。
 明瞭に変化していない論点・問題もまだあるが、こうした方向は正しく、一層進めていかなければならない、と考える。北朝鮮の金正日が拉致犯罪を自ら認めたのは大きかった。<媚中>・<屈中>外交はいいかげんにやめるべきだ。歴史認識も、相手国のそれに追随する必要はもちろん全くない。
 教科書検定に<特定アジア考慮条項>を持ち込んだ当時の内閣総理大臣、<従軍慰安婦国家関与>を認めた官房大臣談話のときの内閣総理大臣、の責任ははなはだ大きい、と私は思っている。
 第一、第二の点のいずれについても、私は、宮沢喜一首相の責任は小さくない、と思っている。彼は、首相をやめた後で再度小淵内閣の蔵相だったとき、最高額の国債を発行したようだし、所謂河野談話のときの内閣総理大臣は宮沢喜一その人だった。
 いずれの点にも関係しているだろう、現在の内閣を「危ない」と言い、「リベラル」派の結集が必要などと自民党内で主張している旧宮沢派の加藤紘一は、巨視的な時代の流れを理解していない。<国家ができるだけいろいろなことに面倒を見てくれた>戦後体制のシッポを加藤紘一は引き摺っている。そして、朝日新聞には気に入られるようなことを発言して報道してもらって、とっくに政治生命は終わっているのに、それが分からないまま、自己満足しているようだ(自民党から脱党して貰って結構だ。ついでに谷垣某、曖昧な古賀某も)。
 日本共産党や社民党は主義として<弱者保護>・<格差是正>等と主張して<大きな国家><大きな財政>の維持を客観的には望んでいるに違いないが、その他の党派や国民はそう考えるべきではない。再述すれば、国家も<無い袖は振れない>のだ。何となく、国家はずっと存続するだろう、と考えていたら、甘い。
 第三に、まだ明瞭になっていないかもしれないが、日米関係が微妙に変化していく端緒的時代にいるような気がする。
 むろん両国の緊密な同盟関係は今後も(少なくとも表向きは)続くだろうし、続けるべきだとも思うが、しかし、日本の安全保障に関して本当に米国は信頼できるのか、という問題はでてくるだろう。いや、すでに一部では論じられているかもしれない。
 米国の日本に対する態度がどうであれ、ある程度は米国に頼ることなく自国だけで安全保障を達成するように少なくとも努力することは考えられてよい、と思う(日本の軍事的自立に、米国は自国は楽になったとは思わず、日本を警戒して反対するだろうと予想するのだが)。ちなみに、憲法九条二項の削除はそのための重要な手段だ。
 以上のいずれをとっても、重大な問題ばかりだ。だが、大まかにせよ、上のような基本的問題について各政党の基本的スタンスを知ったうえで選択し、投票すべきだ。
 日本共産党や社民党は勿論、民主党の中にも「社会民主主義」・<特定アジア諸国シンパ>の議員はいる。余計ながら、政党として、自民党が上の三点の方向に最も近いことは確かだ。
 ところで、上のように政治に素人の私でも一国民として考えるのだが、月刊・諸君!8月号(文藝春秋)の座談会、国正武重・田勢康弘・伊藤惇夫「安倍政権、墜落す!」は何だろう。
 巨視的・歴史的な今回の選挙の位置づけなどまるでない。政治家に対する政治屋という言葉があるようだが、この三人は、政治評論屋であり、「政治」に関する適当な雑談や雑文書きを生業としている政治屋だ。
 この三人全員に尋ねたいが、貴方たちは日本がいったいどのような国家・社会になれば望ましいと考えているのか。そのようなマクロな歴史観・国家観なくして、近視眼的にのみ「政局」を論じて(いや雑談して)もらっては困る。
 国正某は元朝日政治部次長等、田勢某は元日経編集局長等、伊藤某は元民主党事務局長。すべて、真摯に日本国家のことを考えてきた人たちとは思えない(私は日経も含めて新聞社の人を基本的に信頼しない、朝日新聞となれば尚更だ)。
 文藝春秋の月刊・諸君!編集部(編集人・内田博人)は、安倍政権を見放すような記事をメーンに持ってきた。これは編集方針の大きな変更とも感じられる。文藝春秋もつまるところは<世論迎合>の<儲け主義>の出版社だった、というところだろうか。
 むろん私は絶対的に信用できる出版社があるとは思っていない。すべて相対的な話なのだが、文藝春秋の月刊・諸君!は今後、販売部数を減らすだろう。

 

0246/アジア女性基金と朝日新聞。

 「総理の悪口は最も安全な「いい気分」になる方法」との題で曽野綾子・悪と不純の楽しさ(ワック、2007)のごく一部を紹介したのは、6/20だった。
 紹介した1992年の文章のつづきは、少しずつ論旨転換して、<とくに政治家は、簡単に謝ってはいけない>、謝ったが最後、金を出さなきゃならないから、悪いとは認めない、という計算」が現実の全世界には満ち満ちている現実を知るべきだ(p.44)、という話になっていく。
 この時点ではまだ所謂河野談話(1993)はなかったのだが、「慰安婦」問題に関して既に、宮沢喜一首相や渡辺美智男外相は韓国に対して<謝って>いた。このことを背景にして上の文がある。
 謝罪は金につながるということは、曽野の表現では「自分が悪いという以上、そのような犠牲(=「厖大な額の金」)を払わないと筋が通らない」ということは、実際に、政府(村山内閣)が1995年7月にアジア女性基金(「女性のためのアジア平和国民基金」、今年解散)を発足させたことによって現実化した(韓国人・中国人個人の日本への請求権は消滅しているとの公式見解からすると国による直接の「補償」は不可能だった)。
 この基金には政府も拠出し、民間募金もあった。現代用語の基礎知識1997年版(PC用)には、「募金は2億円で、目標の一〇億円にほど遠い」とある。
 再び曽野の本に戻ると、次の指摘は愉快で、かつ適切に思える。
 「非を認めた人は、…補償に金を出さなければその証ができない。その時は、自ら過去の非を率先して認めるべきだと連日書き立てた朝日新聞が、まずヒャク億円くらいは軽く醵金してくれるだろうし、会社が出さなければ、そういう記事を書いた記者たちが出すだろう。日本は謝るべきだ、と投書したり思ったりしている個人は、きっと税金ではなく、お詫びのお金なら出してくれるだろう。そのような自発的行為こそが、日本人の心からの謝罪の表現になる、と私は思う」(p.44)。
 朝日新聞社又は同社の「そういう記事を書いた」記者たちは、上記の基金にいったい何百(?)億円寄付したのか? 朝日新聞関係者の方又は物知りの方は、教えていただけないだろうか。

0236/総理の悪口は最も安全な「いい気分」になる方法。

 以下の文章の内容は気に入った。書き記して、紹介する。原文は一段落で改行がないが、読みやすいように、一文ごとに行を分けた。
 「素人が現政権の批判をするということほど、気楽な楽しいことはない
 総理の悪口を言うということは、最も安全に自分をいい気分にさせる方法である。
 なぜなら、時の総理が、自分の悪口を言った相手をぶん殴りに来たり、名誉毀損で訴えたりするということはほとんどないのだから、つまりこれは全く安全な喧嘩の売り方なのである。
 これが相手がやくざさんだったら、とてもそうはいかないだろう。
 しかも相手もあろうに、総理の悪口を言えるのだから、自分も対等に偉くなったような錯覚さえ抱くことができる
」。
 これは、1992年3月に書かれた曽野綾子の文の一部で、同・悪と不純の楽しさ(ワック、2007。初文庫化、1997)に収載されている(p.35)。この時の「総理」は宮沢喜一だった。
 いろいろなブログを拝見していると、その中には、安倍シンゾーとかアベ・シンゾーとか呼び捨てにして、読むに耐えない罵詈雑言的言辞を安倍首相にぶつけているものもある。
 さしあたり、「きっこの-」や「山崎行太郎の-」とかを私は思い浮かべてしまうのだが、彼ら「素人」は、上の文章にどういう感想をもつのか、可能ならば、尋ねてみたいものだ。

0022/すべては原告団リーダーの娘婿の朝日・植村隆の記事から始まった。そんな経緯無視の卑劣な朝日・星浩。

 月刊WiLL5月号が慰安婦問題の特集を組んでいる。暫くぶりに読みごたえがある。まず、西岡力「すべては朝日新聞の捏造からが始まった」がよい。経緯をきちんとまとめてくれている。
 1982年まで、慰安婦「問題」はなかった。1982年の朝日による侵略→進出への教科書書換えとの誤報が一つのきっかけになった。韓国が、歴史問題を利用して、日本批判をし援助・協力をさせることができる、と学んでしまった。翌年に強制連行に携わったとの詐話師・吉田清治の本が出たがすぐには大きな話題にならなかった。最初から信憑性に疑問があったのだ。
 1990年に某日本人女性が韓国で、原告となって日本国相手に訴訟を起こそうと強制連行された人・慰安婦に呼びかけるビラを撒いた。これに現在でも運動団体にいる、軍関係者に強制連行されたのではなく「身売り」された某韓国人女性が反応して登場してきたのだが、その点(慰安婦になった経緯)を曖昧にしたまま、従軍慰安婦(氏名を書きたくないが、やむをえない。金学順氏)が名乗り出たと報道したのが、1991.08.11の朝日の植村隆だった。現在の米国下院で生じていることも、すべてはこの朝日・植村隆の記事から始まった。
 朝日・植村隆は金学順らが実際に提訴すると、彼女らを応援するためのキャンペーンを展開した。1992.01.11には慰安所への軍の関与を示す資料発見と1面で大々的に報じたが、その資料とは、吉見義明中央大学教授が発見した、業者が軍の名を騙って強制連行するな、という旨の悪徳業者を取り締まる方向での文書だった。朝日は卑劣にもこれを慰安婦に軍が関係しているというイメージを作るために用いたのだ。
 なぜ当時の自民党の政治家は朝日新聞の雰囲気作りに欺されたのだろう。1992.01.13に宮沢内閣の初代官房長官・加藤紘一が「お詫びと反省」を発表して謝罪し、同年01.17に訪韓した宮沢喜一首相は韓国・盧泰愚大統領に直接に何度も謝った。吉田清治の本の内容が事実ではないことは判明していた。また、その後韓国の大学教授による40名を対象とする調査で、とりあえず信憑性ある証言を得られたのは19名、そのうち「強制」されたと述べたのは4名だったが、4名のうち2名は戦地以外の釜山と富山で「強制」されたとの証言で最終的には信用できず、残る2名(うち1名が金学順氏)は訴訟の原告となったが、その訴状には軍により「強制連行」されたではなく「身売り」されたと書かれていた。日本政府の調査(聞き取り)でも軍による「強制連行」の事実は証明されなかった。
 にもかかわらず日本政府は謝罪し続けた。現在問題にされている「河野談話」(河野洋平は宮沢内閣の二代目の官房長官)は1993.08.04に出た。それは、軍(国・公権力)による強制はなくとも「本人の意思に反して」だったことに「強制」性があるという、「強制」性の意味を元来の意味とは(所謂狭義から広義へと)すり代えるものだった。「本人の意思に反して」慰安婦になったことについて、国がそれを「強制」したわけではないのに、なぜ国が謝罪するのか。朝日の「すり代え」が河野談話に影響を与えたのだろう。
 概ね上のような経緯を西岡力氏は書いているが(一部私自身の記述がある)、同氏は金学順氏につき「思い出したくない自分の履歴を公開し、日本の反日運動家に利用され、批判され、それによって証言を変えるとウソをついているんじゃないか、と言われる。二重、三重に名誉を傷つけられ、引きずり回された」のではないか、と言う。そして、朝日についてこう書く-「弱者の立場に立つと言いながら、弱者を貶めているのです。女性の人権を守ろうというのではなく、朝日新聞は単に日本が悪ければいいのです」。
 もう一度書いておく。朝日新聞は「女性の人権を守ろうというのではなく」、「単に日本が悪ければいいのです」。
 なお、別の本で読んだ記憶があるが、朝日の植村隆は、金学順を含む原告団組織・太平洋戦争犠牲者遺族会のリーダー的な某氏の娘と結婚している、ということを西岡も明記している。つまりは、義理の母親が原告団のリーダー格だったからこそ(情報を早く知るとともに)当該訴訟の原告に有利になるような記事を書き続けたのだ。このような家族関係があってはとても公正な報道記事にならない。朝日が日本相手の訴訟の原告団の「機関紙」になってしまったのも当然だったとも言える。むろん朝日を擁護しているのではない。そんな個人的利害関係をもつ人物に記事を書かせた朝日新聞社こそが、もはや「ふつうの」新聞社ではなく、「運動団体」になっていることの証左の一つだ。
 そんな朝日の影響を受けた、朝日にだけは好かれたいのかもしれない加藤紘一や河野洋平が行ったことは、正気の沙汰とは思えない。きちんと事実を確認しもせず、謝罪する必要はないのに国を代表して謝罪してしまった。そして、彼らの大きなミスが14-15年後の現在にまで尾を引き、現政府と日本人を、要するに日本という国家全体を苦しめている。日本の名誉が不当に、虚偽の事実によって汚される瀬戸際にある。
 以上のような経緯からすると、3/27の朝日朝刊の編集委員・星浩の「政態拝見」コラムは噴飯ものだし、自社こそが「問題」を発生させた元凶であることに全く言及しない、極めて卑劣なものだ。朝日に都合のよい、この「問題」をめぐる経緯の解釈しか示していない。しかも、社会主義国・ベトナムの政府要人が昨年秋の河野洋平の彼国での演説を高く評価していた、という日本共産党の志位委員長から聞いた話からコラムを書き始めるとは、星浩なる男の社会主義・共産党に対する抵抗感のなさ・無防備さを露骨に明らかにしている。
 朝日の星浩よ、見出しの如く、一度、自社や自分自身の「歴史・戦争…」に関する「見識を問おう」としてみたらどうか。

0016/米国下院慰安婦問題対日非難・首相謝罪要求決議を回避する方法はないのか!

 自民党による再調査等は結構なことだ。だが、それで間に合うのか。
 週刊新潮3/29号の連載コラムで櫻井よしこは、前号に続いてなおも米国下院慰安婦決議案問題を扱っている。大きくは報道されなかったが、数日前の読売か産経によれば、同決議の本会議採択は5月にずれる見込みらしい。安倍訪米の後になるのはよいが、訪米中の安倍首相に厄介な関連質問が押し寄せる可能性もある。
 櫻井は言う-「米国の良識ある人々の反応を見て、中国を筆頭とする国々の反日情報戦略がここまで功を奏するに至ったことに嘆息せざるを得ない」。ホンダ議員の選挙区に本部がある「世界抗日戦争史実維護連合会には、中国共産党政府の資金が注入されていると考えるべきであり、一連の展開は…長年の、そして数多くの反日活動の一環だと断じざるを得ない」。「決議案は中韓両国による反日連合勢力の結実で、その中に米国が取り込まれつつある」。「これだけ広く浸透した汚名をそそぐには、個々の政治家や少数の言論人の力だけでは不足」だ。「拉致問題で行ったのと同じ手法で安倍首相の下に力を結集し、対策本部を設置する」しかなく、「5年でも10年でも」、「くじけず、誇り高く、事実を語り、世界を説得する心構えを新たにせよ」。
 基本的には彼女の主張のとおりだと思う。しかし、下院本会議で決議されてしまったら、どういう事態になるかと想像すると怖ろしい。5年も10年もじっくりと努力していけるのだろうか。
 当面中韓や米国の一部議員・マスコミを刺激するかもしれないが、河野洋平こそが、かつての事実を(事実確認をきちんとすることなく詫びてしまったこと、強制的「性奴隷」化等の事実は存在しなかったことを)全世界に向けて表明すべきだ。宮沢喜一も当時の首相としての政治責任を全世界に明らかにすべきだ。むろん当面は混乱する。しかし、決議がとおり、米国議会で、<従軍慰安婦強制連行>が歴史的事実と認定されることによる未来永劫に残る禍根に比べれば、ずつとマシだ。
ギャラリー
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