秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

宮本憲一

0772/中学歴史教科書の分析・評価。

 西村幸祐責任編集・撃論ムック/世界を愛した日本(オークラ出版、2009.06)の<中学歴史教科書2009年版徹底比較>(p.42-。編集部執筆)によると、計8種の中学歴史教科書(自由社と扶桑社は一つと見ている)の順位と点をつけると、良い方から、①自由社(扶桑社)80、②東京書籍53、③大阪書籍48、④日本文教出版45、⑤教育出版42、⑥帝国書院38、⑦清水書院35、⑧日本書籍26。
 叙述・評価の細部に立ち入らない。自由社(・扶桑社)も「近代至上主義から自由ではない」とし、「近代に対する懐疑の念が僅かなりとも存在していない」、西欧文明至上の意味で「自虐的」だと批判しているのが注意を惹く(p.64-65)。
 次の「司馬史観」批判には俄には賛同しかねる。
 明治維新により輝かしき明治日本を築き上げた、というのは「司馬史観とでも呼ぶべき、俗悪で通俗的な歴史解釈に過ぎない」。「実は、司馬史観とは左翼的な進歩史観と殆ど違うことのない歴史観にほかならない」(p.62)。
 司馬遼太郎の「史観」、とくに昭和の日本軍に対する見方について問題がないとは思わないし、井上ひさしがしゃしゃり出ているように「左翼」に利用される面がないとは思っていないが、上のような「司馬史観」の単純化と司馬遼太郎にレッテルを貼って<敵に追いやる>ような論述はいかがなものか。疑問だ。

 上のような各教科書分析・点検(?)活動は、小山常実・歴史教科書が隠してきたもの(展転社、2009.06)でもなされている(これも2009年版を対象にしていると見られる)。
 小山によると、分析項目(40件)ごとの評価の合計点(満点200)は、良い方から順に次のとおり(p.204)。
 ①自由社154、②清水書院93、③帝国書院90、③大阪書籍90、⑤東京書籍86、⑥日本文教出版81、⑦教育出版79、⑧日本書籍59。
 上の撃論ムックの評価と同じでないが、<最悪>とされるのは日本書籍(新社)のものであるのは共通している。
 この本によると、2006年度の各教科書採択率(%)は、高い方から次のようだ(p.206。カッコは1997年度)。
 ①東京書籍51.2(←41.2)、②大阪書籍15.4(←19.3)、③帝国書院14.2(←1.9)、④教育出版11.8(←17.8)、⑤日本書籍3.1(←12.9)、⑥清水書院2.4(←3.5)、⑦日本文教出版1.4(←3.5)、⑧扶桑社(0.4←未)。
 東京書籍の優位化、帝国書院の増加、日本書籍の減少(そして扶桑社の極小さ)といったところが特徴だろうか。
 より古い版を対象とする、三浦朱門・全『歴史教科書』を徹底検証する/2006年版教科書改善白書(小学館、2005)という本もある。

 以上を通覧して感じることは、大きく三つある。
 第一に、扶桑社・自由社版で採択率が計1%にも満たないのでは、中学生段階における<歴史認識>での勝敗は明らかだ。憂うべき状態。かりに1980年代から<より左傾化>したのだとしても、多くの日本国民・有権者が「左翼」的な土壌の<歴史認識>を持って成人している。これが、行政官僚・専門法曹・マスコミ人を含む社会人の意識や政党選択等に影響を与えていないはずはない。
 「左翼」は~適当な数字を使えば~+50から出発し、「保守」は-50から出発しなければならない状態なのではないか。国民が成人した段階で、両者にはすでに100の差(ハンディ)がついているのではないか。<全体主義>化しつつある「左翼」の渦中で、「保守」を堅持しかつ拡大するのは容易ではない。
 第二に、中学用歴史教科書ではなく、高校用教科書を、「歴史」(日本史・世界史)のみならず「政治」や「倫理」も含めて<徹底分析・評価>すべきではないか。
 高校卒業者の割合を考慮すると、日本国民にとって、高校時代の、「歴史」(日本史・世界史)、「政治」、「倫理」教科書こそが、成人して以降の基礎的な意識・知識・イメージを形成させる決定的な役割を果たしているように見える。前回触れたように、鳩山由紀夫の基礎的な「歴史」・「政治経済」の知識・イメージは高校卒業までに形成されていると見られる。
 第三に、各教科書を執筆しているのは誰かというと、上掲のような出版社の社員であるわけではむろんない。多くは、少なくとも代表的な執筆者は、大学教授だ。上に紹介したような会社名ではなく、執筆者(便宜的には代表執筆者、複数いる場合には筆頭の代表執筆者)によって教科書を区別すべきだと思われる。また、書物ならば一度くらいは執筆者全員の氏名(・所属)を明記しておくべきだろう。
 例えば、まだ言及をし終わっていない、実教出版の高校用「政治経済」教科書だと、<宮本憲一ら・高校用「政治経済」>とでも書いて執筆者を特定すべきだ。そして、本文中のどこかに執筆者全員の氏名(・所属)を記しておくべきだ。
 執筆内容は各出版社に実質的な責任があるのではない、と思われる。執筆者こそが実質的な責任主体だ。執筆者である大学教授等が「左翼」又はマルクス主義者だからこそ、教科書の内容がマルクス主義的又は「左翼」的(あるいは<反日・自虐>的)になっていることは明らかだろう。
 いわば無機質な出版社名によって特定すべきではない。執筆者・代表執筆者・筆頭代表執筆者を明記し、その違いによってこそ区別し、特定すべきだ。

0756/「左翼」人士・<子どもと教科書全国ネット>結成の呼びかけ人リスト-1998.06時点。

 ネット上の情報による。
 全文は省略する。「憲法・教育基本法・子どもの権利条約に基づき、…教育・教科書づくりをすすめる」、「学習指導要領の押しつけによる教育・教科書の画一化をやめさせる。その他、教育・教科書の内容をゆがめるいっさいの政治的・行政的な介入をやめさせる」等々を目的とする<子どもと教科書全国ネット>結成の呼びかけ人リストは、次のとおり。
 最近言及した高嶋伸欣小牧薫もいる。松井やよりの仲間だった(・後継者の)西野瑠美子もいる。元朝日新聞の超著名人・本多勝一もいる。朝日新聞系(お抱え?)作家の三浦綾子もいる。実教出版「高校・政治経済」教科書執筆者の一人(筆頭掲記)・宮本憲一もいる。こんなところにも山田洋次(映画監督)は名を出している。
 実教出版労組委員長(寺川徹)、大日本図書労組委員長(牧野勝文)、帝国書院労組委員長(石井輝男)、日本書籍労組委員長(上島善之)等々、教科書出版会社の労組代表がいるのも興味深い。
 特徴はやはり大学関係者(教授等)の多いことだろう。弁護士も少なくない。
 憲法学の浦田賢治(早稲田大学)、森英樹(名古屋大学)、渡辺治(一橋大学)がいる。日本史学が多くて当然だが、家永三郎をはじめ、江口圭一、大江志乃夫、直木孝次郎、永原慶二、藤原彰らの「常連」がいる。教育学も少なくない。
 「非」日本共産党系の「左翼」グループがあっても不思議ではないが、れっきとした日本共産党員も含んでいると見られる。本多勝一も西野瑠美子も、非組織員だとしても、いざというときには、あるいは<共産主義>=共産党か空想上の<(右翼)ファシズム>かの選択を迫られれば、躊躇なく共産主義を採るに違いない。
 高嶋伸欣・小牧薫らとともに名前を出すほどに<落ちぶれたくはない>と思う人は、その後、いないのだろうか。
 11年前の1998年6月現在であることをとくに注記しておく。
 *呼びかけ人一覧/1998年6月現在

 青木一 教育評論家 青木宏治 高知大学 浅井基文 明治学院 浅川清栄 教科書訴訟長野県連 浅羽晴二 教科書訴訟東京都連 浅羽千之助 元教科書編集者 浅見定雄 東北学院大学 浅利香津代 俳優 新井章 弁護士 荒井献 恵泉女学園大学 荒井純二 教科書訴訟全国連事務局長 荒牧重人 山梨学院大学 家永三郎 東京教育大学名誉教授 伊ヶ崎曉生 富山国際大学 井口泰子 作家 池内了 名古屋大学 石井輝男 帝国書院労組委員長 石川文洋 フォトジャーナリスト 石坂啓 漫画家 石原昌家 沖縄国際大学 伊志嶺善三 弁護士 石山久男 歴史教育者協議会事務局長 市川絹代 東京都 伊藤悦裕 三省堂労組委員長 伊藤定良 青山学院大学 伊藤成彦 中央大学 伊藤文子 教科書訴訟練馬地区連事務局長 伊藤誠 経済学者 今井一雄 出版労連委員長 今井克樹 川崎・市民フォーラム 入江一恵 大学講師 岩井忠熊 立命館大学名誉教授 上島善之 日本書籍労組委員長 上西仁 明治書院労組委員長 上松文雄 開隆堂開隆館労組委員長 丑山修 教科書編集者 臼井嘉一 福島大学 梅田欽治 宇都宮大学名誉教授 浦田賢治 早稲田大学 浦野東洋一 東京大学 江口圭一 愛知大学 江口季好 日本作文の会 大石芳野 フォトジャーナリスト 大江志乃夫 歴史研究者 大川隆司 横浜教科書訴訟弁護団副団長 大田堯 東京大学名誉教授 大谷猛夫 足立区中学校教員 大槻健 早稲田大学名誉教授 大貫正一 弁護士 大森典子 弁護士 大山早苗 教科書訴訟全国 沖村民雄 高校教員 奥西一夫 奈良県歴教協副 小山内美江子 脚本家 小原大喜男 元教科書編集者 小浜健児 鹿児島県中学教員 尾山宏 弁護士 甲斐道太郎 京都学園大学 加賀谷いそみ 秋田県 柿沼昌芳 全国高等学校教育法研究会 笠原十九司 宇都宮大学 梶村晃 元福岡県教組委員長 梶原公子 静岡県高校教員 片岡照美 中野区小学校教員 桂敬一 立命館大学 加藤文也 弁護士 鹿野政直 早稲田大学 嘉松喜佐夫 弁護士 神山征二郎 映画監督 亀井淳 ジャーナリスト 川合章 埼玉大学名誉教授 川村善二郎 日本近代史研究 神田修 山梨学院大学 菅野守 神奈川高校教員 菊池実生 教科書訴訟練馬地区連 木澤進 弁護士 岸本重陳 横浜国立大学 北野弘久 日本大学 君島和彦 東京学芸大学 金城重明 沖縄キリスト教短大名誉教授 金城睦 弁護士 儀我壮一郎 大阪市立大名誉教授・元日本学術会議会員 楠本一郎 教科書訴訟支援和歌山地区連 工藤英三 教科書訴訟日野地区連 国貞昭治 教科書労組共闘会議議長 國弘正雄 前参議院議員 小出昭一郎 東京大学・山梨大学名誉教授 小佐野正樹 足立区小学校教員 小澤浩 教科書訴訟支援富山県連 越田稜 民衆法廷準備会 小中陽太郎 中部大学 小林汎 筑波大学附属駒場中高教員 小林和 民主教育研究所事務局長 小林志夫 一橋出版労組委員長 小牧薫 大阪歴教協委員長 近藤創 歴史研究者 後藤武司 教育出版労組委員長 斉藤一幸 日本労働弁護団会長 佐伯静治 弁護士 早乙女勝元 作家 酒井浩二 東京書籍労組委員長 榊達雄 名古屋大学 坂田明 音楽家 坂本敏夫 教科書訴訟天草地区連 佐久間美弥子 千葉県高校教員 佐倉康 埼玉県平和遺族会 佐々木潤之介 早稲田大学 佐藤宗諄 奈良女子大学 佐藤司 神奈川大学 沢田允茂 汐見稔幸 東京大学 柴田健 横浜教科書訴訟事務局 柴田徳衛 東京経済大学名誉教授 柴田義松 成蹊大学 渋谷淳 元中学校教員 島田ばく 東京都 下重暁子 作家 城丸章夫 千葉大学名誉教授 新海寛 信州大学名誉教授 新屋英子 俳優 寿岳章子 言語学者 鈴木英一 名古屋大学名誉教授 鈴木慎一 早稲田大学 鈴木三喜 教科書訴訟西牟婁地区連 鈴木芳夫 全国農業教育研 鈴木亮 歴教教 芹沢克明 学校図書労組委員長 祖父江孝男 放送大学 高木仁三郎 原子力資料情報室 高嶋伸欣 琉球大学 高橋勲 弁護士・憲法会議代表 高橋竹夫 清水書院労組委員長 高原良治 元教科書編集者 高柳信一 東京大学名誉教授 滝川洋二 国際基督教大学 竹内照 教科書訴訟茨城県西地区連 武田逸英 不戦兵士の会代表 田所竹彦 宇都宮大学 田中孝彦 北海道大学・教育科学研委員長 田港朝昭 琉球大学名誉教授 俵義文 出版労連教科書対策部事務局長 茶谷十六 わらび座民族芸術研究所 津久井正勝 教科書訴訟練馬地区連 土田嘉平 弁護士 槌田劭 京都精華大学 都築忠七 一橋大学名誉教授 坪井由美 愛知教育大学 寺川徹 実教出版労組委員長 暉峻淑子 埼玉大名誉教授 徳武敏夫 教科書問題研究家 床井茂 弁護士 冨森叡児 政治評論家 富山和子 立正大学 外山雄三 音楽家 豊田誠 弁護士・自由法曹団団長 鳥山孟郎 歴教協 土井治 コラムニスト 直木孝次郎 大阪市立大学名誉教授 中塚明 奈良女子大学名誉教授 中村哲 福井県立大学 中村博 日本子どもを守る会会長 中森孜郎 みやぎ教育文化研究所所長 中山千夏 作家 中山弘正 靖国国営化反対の集い 永原慶二 一橋大学・和光大学名誉教授 夏堀正元 小説家 浪本勝年 立正大学 成田伸世 教科書訴訟秋田県鹿角地区連 成島隆 新潟大学 西岡幸子 教科書訴訟中野地区連 西野瑠美子 ルポライター 西村汎子 白梅学園短期大学 西山茂 教科書訴訟宮崎県南地区連 野上麻吉 教科書訴訟岩手県連 野田秋生 教科書訴訟大分県連 灰谷健次郎 作家 羽賀克己 東京都 橋本聰 社会教育推進全国協議会 秦恒平 作家・日本ペンクラブ理事 羽田澄子 記録映画作家 浜林正夫 一橋大学名誉教授 林光 作曲家 林英夫 立教大学名誉教授 林博史 関東学院大学 原口清 名城大学名誉教授 原田慶子 教科書訴訟世田谷地区連 原誠 私立大学教員 針生一郎 和光大学名誉教授 彦坂敏尚 弁護士 土方和雄 名古屋大学名誉教授 姫田忠義 民族文化映像研究所所長 平沢直義 教科書訴訟杉並地区連 平原春好 神戸大学名誉教授 廣田健 民主教育研究所所員 広田寿子 女性労働問題研究家 深山正光 身延山大学 藤木香代子 神奈川県 藤木久志 立教大学 藤沢法暎 金沢大学 藤原彰 歴史研究者 藤原信 宇都宮大学名誉教授 舟橋健一 教科書訴訟愛知県連事務局長 古田足日 児童文学者 星野朗 地理教育研究会常任委員 星野慎一 独文学者・詩人 星野紀治 教科書訴訟香川の会事務局長 堀井登志喜 新潟大学 堀内孝 教科書訴訟青森県連 堀尾輝久 中央大学 本多勝一 ジャーナリスト 本田創造 一橋大学名誉教授 前田朗 東京造形大学 槙枝元文 元日教組委員長 牧野勝文 大日本図書労組委員長 牧柾名 駿河台大学 増田れい子 ジャーナリスト 松井幹夫 元自由の森学園長 松井康浩 弁護士 松島榮一 歴史教育者協議会委員長 松永育男 教科書訴訟静岡県連事務局長 松村高夫 慶応大学 丸岡玲子 家庭科教育研究者連盟会長 丸木政臣 和光学園園長 美見昭光 教科書訴訟大阪府連 三浦綾子 作家 三上昭彦 明治大学 三津橋彬 弁護士 峰岸純夫 中央大学 宮川秀一 教科書訴訟兵庫県連 宮城喜久子 元小学校教員・元ひめゆり学徒 三宅和子 元教科書問題を考える市民の会 宮原武夫 千葉大学 宮本憲一 大阪市立大学名誉教授 宮脇達 新興出版社啓林館労組委員長 三好泰祐 弁護士 三輪定宣 千葉大学 向井章 教科書訴訟秋田県大館地区の会 村田靜子 歴史研究者 村田正夫 京都府高校教員 村山廣樹 教科書訴訟秋田県本荘由利地区連 室井修 和歌山大学 室井力 名古屋経済大学 目良誠二郎 海城中高校教員 茂木俊彦 東京都立大学 望月由孝 千葉県高校教育法研究会会長 持永伯子 中国人戦争被害者の要求を支える会 本島等 元長崎市長 本山政雄 名古屋大学名誉教授 森川金寿 弁護士 森川文人 弁護士 森田俊男 平和・国際教育研究会会長 森英樹 名古屋大学 森村誠一 作家 八木健三 北海道大学・東北大学名誉教授 矢口五郎 教科書訴訟三鷹武蔵野地区連 安井三吉 神戸大学 安井俊夫 愛知大学 柳田節子 歴史研究者 山川宗秀 沖縄県歴教協 山北孝之 教科書訴訟全国連常任委員 山口慶一 増進堂受験研究社労組委員長 山口啓二 歴史研究者 山口光昭 全日本教職員組合委員長 山住正己 東京都立大学 山田朗 明治大学 山田哲雄 信州大学名誉教授 山田洋次 映画監督 山根勝 教科書訴訟山口県連 山本茂 大学教員 山本博 弁護士 山領健二 神田外語大学 由井正臣 早稲田大学 弓削達 東京大学・フェリス女学院大学名誉教授 油野誠一 画家 吉田晶 岡山大学名誉教授 吉田典裕 出版労連教科書対策委員会議 吉田ルイ子 フォトジャーナリスト 吉見義明 中央大学商学部 米沢純夫 音楽教育の会委員長 米田佐代子 女性史研究者 渡辺治 一橋大学 渡辺賢二 法政二高教員 和田茂 埼玉県 

0748/大月隆寛「『論壇』は歴史的限定を超えられるか」(月刊正論7月号)と「左翼」・日本共産党。

 月刊正論7月号(産経新聞社)のp.240~、大月隆寛「『論壇』は歴史的限定を超えられるか」
 本当にメモ、引用したいのは以下の第三だが、他にもついでに触れる。
 第一に、月刊・諸君!廃刊にかかわり、実質的には(株)文藝春秋批判がある。以下のごとし。 
 (株)文藝春秋は雑誌「文学界」はなお維持する。赤字は同様で経営的視点からは同じ。「文学」畑の老舗との「意地」があるのだろうが、それは「諸君!」には何故機能しなかったのか。
 月刊WiLL(ワック)の如き編集方針でやってみる可能性もあったはず。それができないのは(株)文藝春秋の「プライド」で、「そこまではしたくない、堕ちたくはないという一線」を感じていた。
 「なりふり構わず『保守』ブランドでまだしぶとく商売」するとの<論壇馬鹿>の「心意気など、良くも悪くも初手から無縁」の会社だった。等々。
 大月の指摘のとおり、(株)文藝春秋はこの程度の会社だったと思われる。同業(同様傾向?)各誌・各社による<内輪褒め>・<楽屋褒め>に通じる月刊・諸君!廃刊への<残念>ぶりは白々しい。
 第二に、とくに「論壇」誌編集者と執筆者の<共同体>幻想への批判。
 ノンフィクション・ライターと雑誌編集者が「仲間」・「同志」という気分が感じられるのは気持ちが悪い。大手出版社の編集者ともの書きは「共闘」相手などではとっくになくなっている。
 「学生運動的な、文化祭チックな」「内輪」気分の「共同体」があるとの「勘違い」、出版・ジャーナリズムはただの商売ではない「文化」的事業との「勘違い」。そんな状況は「内側から確実に腐り始めて」いた。
 さて、第三。月刊・諸君!の廃刊とは無関係に、時代認識・時代表現として、興味深い文章が並んでいる。
 ・「ある時期以降」メディアの「左翼的」「もの言い」は、書き話す当人たちにとって「そういうものだから」というだけで「習い性としてやっている程度のこと」。
 ・「学校とその延長線上に連なる空間で、世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説」は「必須」だった。「ある時期までは確実に」。
 ・「学校」や「その繋累の場であるマスコミ周辺」ではその「世渡り作法は長い間温存されて」いた。「実利があればこそ温存されていた」。「サヨク/リベラル系言説を身につけておれば、ひとまずいらぬ摩擦や軋轢を回避しながら、…超伝導のようにあらかじめ設定されたチューブの中を滑走」できたのだ。
 ・小中学校のホームルームでの「耳ざわりのいい」「もの言い」や「立ち居振る舞い」こそが、「反日マスコミ」に象徴される「サヨクぶり」・「プロ市民的もの言い」の発生地点。それは「ある意味で『優等生』の身だしなみ」。「学校」と「その延長線上の世界」、例えば「マスコミ、大学などの学者・研究者から学校の教員、そして役所に医者、弁護士…」、何のことはない、「勝ち組」とも称される「職種の多くは」、「学校民主主義の型通りが跋扈するにふさわしいものになっている」。「反日」の「身振り」はかかる「優等生」たちの「身だしなみ」で、戦後日本の「エリートカルチャー」の「あるコアの部分、でもあった」。
 ・「身だしなみ」である限りいちいち考える必要はない。「マナーとしてのサヨク、…『反日』」。「反日マスコミ」の「反省のなさ」、世間の視線についての「自覚の欠如」は、それほどまでに彼らの「反日」が「単なる習い性」で、「深く考えた上で自覚的に選択されたものではとうになくなっていることの、雄弁な証拠にすぎない」。
 ・「サヨク」は、「特に高度成長期の大衆化をくぐっていく過程」で、「ある『自由』の表象」、「『個人』であることを最も手軽にかつ効率的に身にまとうことのできるアイテムと化して」いった。「お手軽なジーンズみたいなものになった」。
 以上。このあと、「保守」は「大衆アイテム」になれなかった。だが、「少数派」だから「正義」だとの倒錯も生じた、との叙述や「田母神現象」の捉え方等への言及もあるが、省略。
 上の引用・紹介部分は、感じていたことを巧く言葉で表現してくれているようだ。
 法曹(弁護士・裁判官等)・行政官僚・大学教授等の多くが戦後教育の「優等生」である、日本国憲法の下での<平和・民主主義>教育によって彼らはほとんど自然に<何となく左翼>になっている、というような旨は、この欄で私もいく度か述べた。
 大月は「身だしなみ」・「マナー」としての「左翼」(・「反日」)という表現を用い、かつ、「世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説」という表現も使っている。

 「左翼」がかなりの程度において広く「世渡りの作法」になっているという現実は事実として確認しておく必要がある。換言すると、<処世のための左翼>だ。
 だが、それ以上に、あるいは「処世」の中身として、昔風にいうと<立身出世>あるいは<著名人化>するための「左翼」、という者もいることも確認しておく必要があるだろう。
 この場合はたんに「左翼」というよりも、「確信左翼」・「組織左翼」と称してもよく、「左翼」思想ではなく、マルクス主義又は親マルクス主義という語を使った方がより理解しやすくなる。
 そして結局は<処世のため>に、そして<立身出世>・<著名人化>するために、(「綱領」をきちんと理解しているか、「マルクス主義」を本当に<正しい>と言えるかの自信は本当にはないままで)日本共産党に入党するような研究者・文化人等々もいる、ということも広く知られてよいだろう。
 「文化人」ならまだよいかもしれないが、大学に所属する研究者の場合、真の意味における「学問の自由」が彼らにある筈はない。固い枠の中で、真否の判断や発言・執筆内容に<政治的な>考慮を加える「共産党員」研究者は、(米国・英国・ドイツ等に比べると日本には)ウジャウジャと棲息していると思われる。
 少なくとも「深く考えた上で自覚的に選択されたものではとうになくなっている」、「サヨク」・「反日」の<身だしなみ>を持つ者として、NHKの日本デビューの制作者たち(浜崎憲一・島田雄介ら)及び放送総局長・日向英実や会長・福地茂雄挙をげることができよう。
 そういう「左翼」たちを生み出すことに役立っているのが、執筆者に日本共産党員も紛れもなく含まれていると推定される、実教出版の教科書、高校/政治・経済(宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂ほか執筆)でもある。
 大月隆寛の文章を読んで、こんなことまで書きたくなった。

0745/「社会契約説」等、なぜ外来思想が必要なのか、等。

 一 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七七名が表紙に明記されている「執筆・編修」者(全て大学教授又は名誉教授)である実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)p.8以下は、「民主政治」のもとになる理念は「社会契約説」で、その代表的な思想家はホッブズ、ロック、ルソーだとし、「とくに市民革命による民主政治の誕生」に影響を与えたのはロックとルソーだとする。
 この「民主政治」(又は「近代民主主義」)の考え方は日本国憲法に採用され、日本にも基本的に妥当する、と考えられていると思われる。
 だが、かねて感じてきたのだが、「近代」国家にせよ、国家一般にせよ、その成り立ちを「社会契約説」によって説明するのは、日本には馴染まないのではないか。
 言語の異なる多「種族」又は「民族」がいてかつ地続きだった欧州諸国を風土的前提とする「社会契約説」は、ほぼ単一民族で方言はあってもほぼ同じ言語をもつ人々が集団で生きていた島国・日本の「国家」の成り立ちにはあてはまらないのではないか。
 さらにいうと、「社会契約説」などを説かなくとも、日本「国家」は(天皇とともに)古くから存在しており、人々にとって、「国家」の存在は、論じるまでもない所与の前提だったのではないか。
 マルクス主義も含めて、「国家」を外国・外来の<思想>で語る必要はないのではないか。

 二 高坂節三・経済人からみた日本国憲法(PHP新書、2008)には、全部を読んでいないが、興味深い指摘がある。
 1.孫引きになるが、法哲学者・長尾龍一は、日本国憲法につき、「上半身は啓蒙期自然法論、下半身は功利主義」だと表現した。<啓蒙期自然法論>の中にルソーらの社会契約論も入ってくる。
 著者・高坂節三(正顕の子、正嶤の弟)は「現在の国民感情は、上半身がぴったり収まらず、下半身が異常に発達した結果」ではないか、とする(p.224)。
 少なくとも<啓蒙期自然法論>のみで説明するのは無理がある。それを試みるのは、一種の<大嘘>か<偽善>だと思われる。
 2.孫引きになるが、岡崎久彦は某著の中で、クロムウェル時代の英蘭戦争の前の時期の<オランダは「平和主義の国」で、グロティウスを生み、画家たちも「戦争を呪い、戦争の悲惨さを訴える絵画」を描いた。「問題はオランダが、その国是ともいうべき平和主義のために戦争の危険に直面しようとせず、迫る危険に眼をつぶっていたことである」>と書いた(p.219)。
 社民党の福島瑞穂、「戦争の悲惨さを訴える」番組作りに熱心なNHKの関係者等々に読んでもらいたい。

0744/実教出版・高校/政治・経済〔新訂版〕-日本共産党・マルクス主義・「左翼」の浸透2。

 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七の7名を表紙明記の「執筆・編修」者とする実教出版・高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)の一部の内容紹介のつづき。
 4.引用はほとんど省略するが、日本国憲法の称揚。とくに-「日本国憲法は、これらのいずれよりも徹底した軍備廃止を宣言している点で、まさに世界史的意義をもつ画期的なものである」(p.26)。
 5.p.33-他にも類似の文章はあるが、ここでは以下の次の如し-「日本国憲法の平和主義の理念は、まさしく人類共通の指針とされるべき…。…平和主義の理念を全世界の国民の共通財産としてひろめていくことこそが、国際社会における日本の重要な役割のはずである」。
 恥ずかしくなるような空虚な言葉の羅列。美しい「理念」が雑多な諸国に簡単に「ひろめ」られるとよいのだが。
 6.住民基本台帳ネットワークにつき、「個人情報が一元管理することで、プライバシー侵害の危険を指摘する声も強く、住基ネットに加わらない自治体もある」(p.48)。
 これでは、「住基ネットに加わらない自治体」(なお、この態度は法律違反。法律が違憲でないかぎり従うべき)を応援しているようなものだ。「…の危険を指摘」しない「声」は小さかったのか?
 7.引用はほとんど省略するが、①「直接的な住民参加」・②「活発な住民運動」・③「住民投票」制度の称揚。③につき「地域からの民主主義の新しい動きとして注目される」(p.66)。
 これらはイデオロギーとまでは言わなくとも、ありうる「見解・主張」の一つの表明。<直接>民主主義がお好きであるのは、ルソー、ロベスピエールの「人民主権」論、紙の上だけのフランス1793年憲法の影響だろうか。いつか述べたように、<代表>民主主義よりも<直接>民主主義の方が国民・住民にとって<より正しい>・<より合理的な>・<より利益となる>決定を導く保障は全くない。
 他にもまだまだ「左翼」教条的叙述はある。別の回に。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七よ。君たちは、あなたたちは、こんな教科書を作成して成長過程の高校生に特定の「思想」あるいは少なくとも特定の「見解」を注入しようとしていることにつき、<良心の呵責>は感じないのか。広く多様な見解に言及することなく、あるいは触れてもいずれかの見解を支持して誘導することを「教科書」で行ってよいのか。マルクス主義者は「厚顔」なので、心には届かないかもしれないが。

0742/日本共産党・マルクス主義・「左翼」の浸透-1。

 書き写すのは面倒だし、精神衛生にも悪いが、以下の叙述を含む本がある。
 1.「ナチスによるユダヤ人大量虐殺は、ファシズムの非人道的、反民主主義的な性質を示した惨劇であった。日本軍国主義の中国・朝鮮への侵略、南京事件での中国人虐殺や朝鮮人の強制連行なども同じような非人道的行為である」(p.18)。
 第一に、ドイツ・ナチスによる「ユダヤ人大量虐殺」=ホロコースト・ジェノサイドと、「日本軍国主義」によるとされる後段の諸行為は、いかなる意味で「同じような非人道的行為」なのか。ここにはドイツ・ファシズム(ナチズム)と「日本軍国主義」を、同様の「罪」を犯した、似たようなものだった、という印象を与えようとする<大嘘>がある。
 第二に、「日本軍国主義」による①「中国・朝鮮への侵略」、②「南京事件での中国人虐殺」、③「朝鮮人の強制連行」は事実なのか。
 ③は意味不明なところもあるし、①の「朝鮮への侵略」とはいったい何を意味しているのか。<植民地化>という表現自体にも疑問をもつが、<朝鮮侵略>とはいったい何のことか。むろん、中国「侵略」との呼称についても「南京事件での中国人虐殺」という事実についても、異論はある。上のようになぜ断定できるのか。
 2.「こんにちのテロリズムは、…世界の富が一部の国に集中して、イスラム世界やアフリカに貧困や飢餓がひろがり、文化的にも西欧的な価値観や信仰がイスラム文化に破壊的な作用をもたらしたことに対する、恨みの結果だという見方もある。だとすれば、テロを武力だけで封じ込めることはむずかしい。国際社会に寛容や信頼をとり戻すことが、最も基本的な課題だともいえる」(p.20)。
 2001年09.11のテロその他の「自爆テロ」に関係する叙述だが、第一に、テロにも<それなりの根拠>があり、「国際社会」の「寛容」さが「最も基本的」だと主張しているのだから、<テロリズム>に対する<優しさ>が甚だしく、異様だ。
 第二に、福島瑞穂(社民党)か田嶋陽子の言葉の如く、「国際社会」の「寛容と信頼」を「とり戻す」ことが重要なのだという。そのためにどうすべきかを語らないと、美辞麗句を<言うだけ>にすぎない。また、「とり戻す」までに繰り返されるテロによって失われるかもしれない多数の生命については、執筆者はどう考えているのか。
 3.A「憲法改正問題/…『改憲』論議では、憲法9条を『改正』して自衛隊の存在と活動を憲法上明確に位置づけることが一つの大きな争点とされ、また…全面改定を前提とする議論が行われている。一般に、憲法の『改正』とは現行憲法の存在を前提としてこれに部分的な変更を加えることと理解されており、憲法の基本的な原理を大きく変更するような改定や、憲法の全面改正は、『改正』ではなく、『新憲法の制定』とみなすべきとされる。こんにちの『改憲』論は、この観点からからすると、『憲法改正』論ではなく『新憲法制定』論だということになる」(p.25)。
 例を自民党憲法改正案に採ると、同案は現憲法の「全面改定」・「全面改正」案ではない。<白紙>の出発点に立って一から条文自体を変えていくことも「憲法改正」に含まれうると私は考えるが、その点はともかく、上の指摘は自民党憲法改正案にはあてはまらない。とすると、「改正」論ではなく「新憲法制定」論だとの指摘が適切であるためには、「憲法の基本的な原理を大きく変更するような改定」論・案であることを示す必要がある。しかし、例えば現憲法9条が「憲法の基本的な原理」であるとの叙述も説明も何らなされていない。かつまた、現在の憲法学の通説又は多数説において、「改正」できない「憲法の基本的な原理」として憲法9条のいわゆる「平和主義」(の具体的規定内容。当然に第二項を含む)は挙げられていない。
 上の主張は不備・不十分さを含み、かつ憲法学の通説・多数説に反する見解を前提にしていると考えられる。
 3.B(上に続けて)「新憲法の制定は、政治体制の重大な変更をもたらすことになるが、はたしていまの日本でその必要があるのか、そしてなによりも、『新憲法』によってどのような国をつくろうとするのか、といった点についての慎重な議論の積み重ねが要請されよう」(p.25)。
 「新憲法の制定」という表現の問題性は上で述べた。ここでは実質的には「改憲」反対論が明確に主張されている。
 その理由として語られるのは①「その必要があるのか」と②「どのような国をつく」るのか「慎重な議論」が必要、ということで、これでは理由になっていない。改正の「必要」性自体が改憲・護憲の争点なのだから、前者は問いに問いで答えている。
 また、改憲・護憲について(改正の内容も含めて)「慎重な議論」をすればよいのだから、後者もまた何も言っていないに等しい。
 他にも問題のある叙述があるが、別の回に移す。
 とりあえず以上の三点(A・Bを分けると四点)に限る。これらの叙述は、ふつうの何らかの本に書かれていても、とり挙げて批判したくものだ。
 だが、「ふつうの何らかの本」に書かれている叙述ではない。文科省の教科書検定に合格した高校用の「政治・経済」の教科書に書かれている。
 実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)で、表紙に明記されている「執筆・編修」者七名(全て大学教授又は名誉教授)は次のとおり。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七。上の三A・Bは「憲法学者」の浦部法穂(東京大学卒・名古屋大学教授)の執筆だろう。
 誰とは書かないし、書いても推測になるが、これらの中にはほぼ明らかに複数の日本共産党員がいる。そうでなくとも、日本共産党シンパの者であり、マルクス主義者又は親マルクス主義者であり、そして全員が間違いなく「左翼」だ。
 上の1.2.は一つの「イデオロギー」表明であり、3.も公正な叙述ではなく、「改憲」反対という見解の明確な表明だ。
 こうした内容を含む教科書が高校生に「教科書」として読まれている。慄然とする。中学生・高校生の段階で、「左翼」的主張・思想の注入が行われている。
 日教組(民主党系)や全教(共産党系)やこれらに属する教員の活動を問題にしてもよい。だが、より問題にすべきなのは、彼らが教育する<内容>そのものだろう。
 また、より問題にすべきなのは、日教組(民主党系)や全教(共産党系)・これらに属する教員の活動を<指導>している(指導してきた)、大学教授であることが多い<進歩的・「左翼的」>知識人だろう。大学教授たちの活動には<教科書執筆・作成・刊行>も含まれる。
 日教組・山梨県教組出身の輿石某の言動を問題にするのもよいが、より構造的には、「左翼」大学教授による教科書・「教育理論」指導→組合幹部活動家→一般活動家→一般教員という流れのあることを意識しておくべきだ(戦後ずっと基本的には変わっていないともいえる)。
 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七よ。君たちは、あるいはあなたたちは、上のような叙述を含む教科書の執筆又は作成に関与して、人間として、学者として、恥ずかしくはないのか。人間として、学者としての<良心>はないのか。マルクス主義者は<厚顔>なので、こんな言葉が心に届くとは思っていないが。
 別の回にもさらに言及する。

0223/実教出版・高校政治経済教科書ー憲法は再び浦部法穂。

 6/01に高校教科書、実教出版・高校現代社会に批判的にコメントした。同じ出版社・実教出版高校政治・経済(2007.01発行、2003検定済み)を今回は見てみる。表紙に記載されている執筆・編修者は次の7名だ。
 宮本憲一(大阪市大→立命館大/経済学、1930-)、山口定(大阪市大→立命館大/政治学・政治史、1934-)、加茂利男(大阪市大/政治学)、浦部法穂(神戸大→名古屋大/憲法学、1946-)、菊本義治(神戸商科大→兵庫県立大/経済学、1943?-)、成瀬龍夫(滋賀大/経済学、1944-)、杉本昭七(京都大→阪南大/経済学)。
 この教科書はまず初めの方の2つの写真で驚かせる。
 1.目次の前、表紙裏とその次の2頁を使った世界地図めくって次にあるのは、何と、「沖縄サミット参加の各国首脳へ「基地も戦争もない21世紀」を訴える人間の鎖」と題された嘉手納基地周辺の<人間の鎖>の写真だ。
 これだけで驚いてはいけない。2.第1編・現代の政治の始まりの頁を飾るのは、「同時多発テロへの報復攻撃に反対するワシントン平和集会」の写真で、「プラカードには「目には目という報復主義は、全世界を盲目にする」と書かれている」との解説が付いている。
 この教科書が、<「基地も戦争もない21世紀」を訴える人間の鎖>に参加した「市民」や、「同時多発テロへの報復攻撃に反対するワシントン平和集会」に参加した「市民」を肯定的に評価し、支援していること又は望ましい行動と見なしていることは明らかだ。
 だが、このようにこれら「市民」の行動を評価してよいのか。とりわけ、その旨を高校生用の教科書に示してよいのか、という疑問が湧いて当然だろう。
 とくに上の後者は、「同時多発テロ」への批判的姿勢は全く示すことなく、これに対する米国の行動を掣肘しようとする「市民」を好意的に見ている。朝日新聞がこういうスタンスをとるならば、分からないでもない。だが、高校生用教科書がこんなことでよいのか?
 奇妙と思える叙述は本文の中にもある。
 3.政治学者のいずれか(山口定加茂利男だ)の執筆によると思われるが、<社会主義の誕生と崩壊>との見出しの文章はこうだ。
 「1917年、…社会主義政権…。レーニンらに指導されたこの革命は…。…資本主義国の包囲のなかで社会主義の建設をめざした結果、スターリンのもとで共産党一党支配や自由の制限、少数派の弾圧などが強まり、民主主義が失われた。…1991年、…ソビエト連邦は消滅するにいたった」(p.19)。
 この文章を正確に理解すれば、レーニンの時代には「共産党一党支配や自由の制限、少数派の弾圧などが強」くなかったかの如くであり、「民主主義
」があったかの如くだ。
 意図的なのかどうかは不明だが、レーニンは間違っておらず、スターリンから誤った(社会主義国でなくなった)という現在の日本共産党の主張と同じ叙述の仕方をしている。
 それに引用は省略しているが、この部分の叙述では、なぜソビエト連邦・東欧「社会主義」が崩壊したかの原因がさっぱり解らない。強いて探せば、上記の「スターリンのもとで共産党一党支配や自由の制限、少数派の弾圧などが強まり、民主主義が失われた」という部分しかない。これでは「社会主義」崩壊の理由説明としては不十分だろう。
それに東欧諸国については言及が一切ない。
 
4.将来の展望を書いていると見られる第一編5の中の最後の<民主政治の課題>にこういう文章がある。
 「…このような混乱が、民主政治の発展によって解決できるのか、それとも新たな独裁政治の台頭に道をひらくのかが、21世紀に問われることになる」(p.20)。
 執筆者(山口定加茂利男)は、「新たな独裁政治の台頭
」の具体的イメージをきちんと説明できるのだろうか。また、そもそもこういう対立軸で21世紀の課題を捉えてよいのか。
 これよりも、すぐ下方の次の文章の方が問題かもしれない。
 21世紀の問題は「20世紀の体制や制度の枠をこえた方法で、解決をはからなければならない。地球環境保全の市民運動などに見られるように、国家の枠をこえた地球的民主主義がいま求められている」(p.20)。
 「20世紀の体制や制度の枠をこえた方法」とは「地球環境保全の市民運動」のような「国家の枠をこえた地球的民主主義
」だ、との趣旨のようだ。
 政治学者はもう少しリアルに現実を把握する必要があるのではないか。国連も飛び越えて「国家の枠をこえた地球的民主主義」の提唱とは、大いに笑わせてくれる。かかる「市民運動」賛美意識が1.2.で触れた写真の掲載になっているのかもしれないが、国家の枠をこえ
」ることがまだ困難な時代であることは殆ど常識のことではないのか
 朝日新聞が5/03に<地球貢献国家>とか何とか喚いていたらしいが、この教科書の非現実的・空想好きも朝日新聞に似ている。だが、この本は高校生用教科書だ。美しい、しかし偽善的な」言葉で教育すれば、そのような大人たちがやがてまた育ってくる。
 5.第一編第2章の日本国憲法に関する執筆者は上記のような執筆者・編修者名を見ると、実教出版・高校現代政治と同じく、おそらく、浦部法穂だろう。何点か指摘しておく。
 ア.現憲法の制定過程につき、日本の民間草案発表者として唯一「憲法研究会」を挙げ、「高野岩三郎、森戸辰男、鈴木安蔵ら7人の…研究会。…マッカーサー草案は…これを参考にしたのではないか、ともいわれている」との4行の解説を載せている。
 これはどう見ても「憲法研究会」に肩入れしすぎだ。この研究会については古関彰一・新憲法の誕生(中公文庫、1995)や小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)も触れていて、とくに後者は「押しつけ」論否定の根拠にすらしているが、4/09に書いたように、それほどに評価はできないだろう。
 また、鈴木安蔵は日本共産党員又は少なくとも同党系マルクス主義憲法学者で「ふつうの」学者でないこともすでに書いた。
 高野岩三郎も個人的には天皇制廃止を構想していた、戦後の日本社会党創立に参加した「社会主義」者だ。
 叙述の紙幅を考えると、執筆者があえて高野岩三郎鈴木安蔵等(
森戸辰男についても書けるが省略)の固有名詞を出して叙述するのは<異様>で、執筆者の何らかの政治的意図すら私は感じる。
 イ.「唯一の被爆国として、非核3原則を堅持し、さらには、全世界の核廃絶にむけて努力することが求められよう」と書く。
 これは一つの主張・考え方だ。教科書に書くべきではないと思うし、又はもっと抑制的な文章であるべきだ。
 上の点を除くと、すでに実教出版・高校現代社会の浦部法穂執筆(と見られる)部分について書いたのと同様のことが言える。なぜなら、文章までよく似ていて、又は殆ど同じで、現代社会の教科書に書かれていることが、政治経済の教科書にも書かれているからだ。
 すなわち、ウ.「日本国憲法は、…徹底した軍備廃止を宣言している点で、まさに世界史的意義をもつ画期的なもの」だと(p.25)、九条二項が積極的・肯定的に高く評価される。
 エ. 現代社会の教科書にはこう書かれていた。-「日本国憲法の平和主義は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」」したもので、「国際社会の現実」はかかる「全面的な信頼関係には、まだ遠い」ことから、「ときに非現実的だとの批判を受けることもあった。しかし、…日本の地理的条件は…大きな弱点である。また、日本は、食糧やエネルギーの大半を輸入にたよっているから、諸外国との友好関係を維持していかなければ、国民生活は成り立たない。こうした実情を考えると、軍事力によって日本の安全を確保するという考え方の方が、むしろ現実性に乏しいとさえいえるのである」。
 今回見た政治・経済の教科書にはこう書かれている。
 「国際社会の現実」は憲法が前提とする「全面的な信頼関係には、まだ遠い」ことから、「ときに非現実的だとの批判を受けることもあった。しかし、…平和主義はたんなる理想論ではない…。とくに、…日本の地理的条件は…大きな弱点である。また、日本は、食糧やエネルギーの大半を輸入にたよっているから、諸外国との友好関係を維持していかなければ、国民生活は成り立たない。こうした実情を考えると、軍事力によって日本の安全を確保するという考え方の方が、むしろ現実性に乏しいとさえいえるのである
」(p.31-32)。
殆ど同じ文章だ。
 殆ど同じ文章であることを問題にしているのではない。むろん、その内容が問題だと改めて感じている。上の部分についてはすでに6/01で批判したので反復しないが、6/01と同様に、こう書いておきたい。
 「大学の学者たちよ、おそらくは浦部法穂氏よ、決して一般的・客観的ではない自分の主張を、教科書を利用して、その中に潜りこませるな。
 こうして改めて(一部だが)高校教科書・政経の中身を見てみると、「左翼」又は日本共産党系ではないかと推測される大学の学者たちが、堂々と教科書を書き、それが全国のある程度の高校で使われているのが明確だ。
 教科書として採択される(その前に検定を受けて合格する)という方途を通じて、日本共産党系又は少なくとも「左翼」の考え方が、高校生の頭の中に注入されている
 日本共産党系又は少なくとも「左翼」は、教科書の世界では完全に「体制内」化している。特定の<イデオロギー>の持ち主が大学教授との肩書きに隠れて、それを利用して、正規の教科書に自分たちの特定の考え方を堂々と叙述している。
 思わず哄笑したくなるほどに?怖ろしい現実だ。
 日本共産党や朝日新聞を好ましく思わない方々の子女が現在高校生で、かつ政経・現代社会の教科書が実教出版のものであれば、<用心>するにこしたことはないだろう。
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